2011年08月25日

蝉の声(相馬市の病院へ)


蝉の声(相馬市の病院へ)



今日死ぬや夜明けて聞きぬ蝉の声


蝉の声歩みつ聞きて病院へ


蝉の声坂を上りて満ちにけり


蝉の声満ちて路上に一つ死ぬ


打ち曇り蝉の音ひびき城下町


いつも行く木蔭の道や城下町


今の時代の不思議は何か?歩くことが特別なことになったことである。何するにも車だとすると歩く姿も見えないし自ら歩くこともない、これほどの変化がないのだけで気づいていない、そもそも人間が人間になったのは立って二本足で歩くことによってなった。それがなくなった変化は人類史上最近のことなのである。馬を使ったりはしていたがそれはまた別である。車とは全然違う、日常的生活は歩くことにある。だから歩かなければ江戸時代のことなどわからないのである。また自然にも通じることはできない、旅でもそうである。大地を歩くことで五体で感じるものがある。つまり歩くことを奪われた人間は未だかつてなかったのである。この変化を重大なものとして感じている人はまれである。なぜなら歩かないということは実際は人間社会への影響が実に大きいのである。ものの感じ方もまるで違ってくるからだ。基本的なものとして歩かない生活は人間が人間でなくなりさえするということさえありうる。様々な問題がそういう基本的なことを奪われたことによって生じてくることがある。万葉集でも歴史でも歩いて作られたものだから根本的に歩かないと理解できないのである。

病院まで歩くからこの句ができた。病院までタクシ-で行ったらこの句はできない、まだなんとか歩けるからいい。でも歩くのは辛い。ただ普通に暮らしているから病気ともいいがたい。他の人もこれは病気なのだけど老化の一現象みたいなものとなっている。ただ腎臓悪くしたらだめである。一時なったから怖かった。そこまでいかないので助かった。でも旅するということは歩くことだからなかなかできなくなる。相馬市は歩くには向いているだろう。原町は歩くには向いていない、いつもなぜかしっとりとして曇り空の感じが相馬市なのである。駅から城まで歩いてみるのもいい。ただ結構距離を感じるから歩いていない。田町通りから城までそれほど遠くない。
あそこに城があったのは堀などを作るために宇多川を利用したからである。

蝉は良く死んでいる。毎日歩いていると路上に死んでいる。蝉の命は一週間くらいだろう。はかない命である。だから朝に鳴いて夕方に死んでいる蝉もある。一心に鳴いて死んで行くのが蝉である。今日は蒸し暑いから夏だった。手術はもっとあとだからまだ余裕があった。別に普通の生活できるからこれで困ることはない、介護すらしている、人の世話までしている。人間の体も本当は一部機械化されると便利である。小便でも便でももし人工になるとかえって便利かもしれない、人工臓器は実際にかなり不思議なものである。一部の臓器がだめになったら人工臓器に置き換えられると便利である。でも人工腎臓などできていなからそれは無理なのだろう。
血管なとは人工血管など普通にある。臓器となるとむずかしいのである。ロボットだったら部品をとりかえればいつまでも使えるが人間はそうはいかない。人間は免疫力がなくなると病気になる。病気は体全体のことであり一部が弱って病気になるとも違うように思う。体全体がまだ力があれば部分も回復するのだ。全体の力が衰えれば部分もだめになり死に近づく。放射線でも確かに細胞など傷つけるが免疫力があれば抵抗力がありガンにならないかもしれない、免疫力が全体の体力がまだ維持されている人は癌も直っている人がいる。放射線の影響も個々人で違うらしい。結局10年後にガンになったとしても放射線の影響かどうかはもうわからないのである。

原発事故の30キロ圏内の市町村の対応と影響まとめ (プルサ-マルまで要求していた富岡、双葉町など)


原発事故の30キロ圏内の市町村の対応と影響まとめ
(プルサ-マルまで要求していた富岡、双葉町など)


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富岡町町長の遠藤勝也、双葉町町長の江戸川克隆、楢葉町町長の草野孝、大熊町町長の渡利綱、の4町長が2009年(平成21年)1月28日(水)、協議会の会長職にあった遠藤勝也氏の富岡町で臨時総会を開き、「プルサーマルに関する約7年間の事前協議の白紙撤回問題」を、@東電の原発トラブル隠し発覚後の東電・国の再発防止策は評価できる。A地球温暖化防止の観点からプルサーマルを含む核燃料は重要などを理由に凍結から推進に方針転換を図るべく県議会並びに県に対して要望書を提出した。更に「交付金ありきの合意ではない!」とのコメントを付けてけての要望でしたネ・・・原発に素人同然の貴方達が、何を根拠に再発防止策が評価出来たのでしょうか・・・さしずめ、東電のワンサイドデーターを与えられ、補助金で煽られ・・・凍結解除を推進したのでは・・・


双葉町の財政は、予算規模は約47億円。
町税19億1400万円のうち15億2500万円は固定資産税で、そのうちおよそ9割は原発関連。
また、国庫補助金9億6400万円のほとんどが、電源立地交付金。


平成21年度の電源三法交付金は
 いわき市 ¥2,088,319,832(いわき市は三法以外にももらってる)
 双葉町  ¥1,953,262,984
 大熊町  ¥1,695,668,074
 双葉郡内で最も金額の少ない自治体は葛尾村で¥47,987,806


双葉町は90%以上原発利権で食ってた町。
それにいまの町長は自分から7号機・8号機を誘致している。金が欲しいから。


噂なので、テキトーな回答は出来ませんが、震災後、中学生らが、数千万円もの大金を盗んだと、岩手の友人から聞いています。
火の無いところに煙は立たず、かもしれません。


上にも誰か書いてるけど、双葉町と大熊町は半永久的に
居住、立ち入り禁止区域になるだろうね。
なぜなら、猛毒のプルトニウムが周囲数キロに飛散してる。
プルサーマルは危険と言ってた反対派の言うとおりの惨事になってしまった。
それを踏まえて、いずれ街の移転とかになると思うけど、
そのあたりの都合が悪いことは政府や東電は何も言いませんねえ。
浪江とか富岡町は運が良ければ20年くらいで戻れるのかも?
でもその頃には年寄りは全部亡くなってるし、若い人は他に生活の基盤が出来てるだろうし。


本当に原発の恩恵を受けているのは、原発関係に勤めててそれなりの報酬を
もらっていた者。浪江町民に「双葉大熊のせいで・・・」と言われ嫌で仕方
がない。双葉町民だが原発関係とは関係ない職場だし、町は財政破綻し税金
は高いので原発交付金年1万円など何の意味もない。あんなくだらない地域
に戻る気はないので、別に構わないが原発関係に勤めててましな報酬を受け
ている浪江町民に言われ、カチンときた。「あなたの旦那はT電関係じゃな
いんですか?」と言おうかと思ったが関係が悪くなるのを考え控えたが、は
っきり言ってありがた迷惑である


俺は請戸に住んでた者だ。717の言っていることは
本当だ。漁師関係者以外はビタ一文東電からはお金は
ってない!!!
2000年の補償金のときは、請戸一帯が新築ラッシュで
傍から見てて「これは異常だよな、、そのうち天罰くらうぞ
クソが、」と思ってた。
それが10年ちょっとでこのザマ。


東電関係の奴に「大熊双葉・・・」と言われるのはやっぱむかつくわ。
あ〜俺も1メートルでもぎりぎり浪江とかに住んでればよかった。
こんなバカ東電のために、全てそこの住民のせいにされなきゃならんのか?
「原発関係でなんか働いてないし恩恵なんか受けていない」と言えば「原
発推進者を選んだのはそこの住民だろ」になるしな。こんな地域なんて
みんな原発推進者だろ。そもそも、俺は選挙になんか行かないけど。
http://tohoku.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1309192538/

 



原発は距離によっても変わってくるし市町村でもその影響の色合いが変わってくる。
一番近い、大熊や双葉や富岡などは東電から金もらったということで批判されている。でも被害も一番大きい地域で帰れないとか言われている。でも自業自得だとか言われる。その内部に住む人でも金銭的に恩恵があった人とない人がいるがその町民ということで一緒にされる。
いわき市が意外と金もらっていることに驚いた。南相馬市も全然もらっていなわけではなかった。ただ原発の利益は10キロ圏内くらいだろう。浪江町も恩恵は少ないが原発で働いていた人を知っている。原発で働くという人はそれなりにいた。


それにしてもあまりにも10キロ圏内の双葉町や大熊町や富岡町などはプルサ-マルを県に認めるように要請していたというのはひどい。危険より金だと露骨である。恩恵を受けない人は住みたくないとなってしまう。なぜならいっしょくたくに見られるからだ。双葉町民というだけで肩身の狭い思いをしてしまう。それでも20キロ圏内など補償があるからいい。補償がなくて被害があるところは損だとなる。富岡町長の金庫には何億の金がつまっていた。それは本当らしい。なぜなら原発利権はそれだけ大きいから権力あるものはとりつかれる。浪江の請戸では船主は漁業権ももっている人は大金が入ったことは地元の人が言っているのだからまちがいない。でも船主ではない漁業権がないと金は入らなかったのである。そういう金って意外と天罰で吐き出される場合がある。福島県の伝説で長者の倉から米俵が飛んでなくなったとかある。それは回りのものもその長者をうらやましがりそうした財産はみんなで分けるべきだという気持ちがあったからそんな伝説が生まれたかもしれない、何かそうした訳ありの金は紛失したりする。

それは運命だったのかもしれない、つまり津浪でその金が吐き出されたのかもしれない、原発事故も天罰だったというのもそのためである。東電は安全対策があまりにもお粗末だったのである。東電の罪はあまりにも大きいのだ。

広島と長崎に原爆が落とされたのは地元には何の責任もない、でも今回の原発事故は地元にも国民全部にも国策でしたのだから多少の責任はあるから税金が使われてもやむをえないという判断がある。そういうことも違ってる。つまり距離やその土地土地によって影響も違うし思いも違ってくる。

南相馬市に住んで今一番感じることは六号線や常磐線が遮断されて使えないことが不便なのである。これは自分だけではない、仕事している人はみんなそうなっている。
今の社会はこれだけ広く交通している社会だから交通が大事になるのだ。他でも三陸の方でも津浪で道路が遮断され不便になってるところがある。只見地方なども洪水で道路が寸断され鉄道も破壊されたから交通の面で不便になる。それだけ今の時代は交通に頼ることが多いからである。江戸時代なら自給自足でがまんするほかない。そういう生活になれているからできる。それが今はできないから困る。逆に田畑を作らなくても食糧が入るのは交通が発達したからである。

 
 
posted by 老鶯 at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連