2011年08月24日

津浪の跡が湿地帯化して水葵咲く (原初の湿地帯にもどる不思議-南相馬市鹿島区烏崎)


津浪の跡が湿地帯化して水葵咲く
(原初の湿地帯にもどる不思議-南相馬市鹿島区烏崎)

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夏菊や湿地に残る船一つ
船残り夏草茂り夕暮れぬ


ひぐらしや土台のみ残る村の跡


夕靄や辺りうかがふ鷺の二羽


鷺の二羽出会う沼地や夕暮れぬ



沼生まれトンボ飛びきて夕暮るや津浪の跡に水葵咲く


二本の松に土台庭の石残りて夏草繁り暮れにき


津浪あと湿地広がり青鷺の沼地におりたつ夏の夕暮


津浪あと湿地広がり靄深く沼点々と夏の夕暮


草茫々村も埋もれて夕靄に青鷺餌を沼に探しぬ

 

 
東歌


苗代の子水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す) 馴るるまにまに何故(あぜ)か愛(かな)しけ


上野伊香保の沼に植る子水葱かく恋ひむとや種求めけむ


上つ毛野伊奈良の沼の大藺草よそに見しよは今こそ勝れ

 伊奈良村(いならむら)は群馬県の南東部、邑楽郡に属していた村 


ミズアオイ科ミズアオイ属、東南アジア原産の水田雑草で、主に本州から九州に発生し、北海道では少ない。稲作に付随して日本に伝来したとされ、現在の有機水田では、最も一般的な水田雑草である。

 コナギと良く似た水田雑草にミズアオイがある。かつて食用に供されたと言われるこのミズアオイの古名を「葱(なぎ)」と呼び、ミズアオイを小ぶりにした姿のコナギは「小葱(こなぎ)」と呼ばれるようになったようである。

除草剤を使わな稲作では、おびたたしい数のコナギが水田を覆うことがある。
http://tarikidict.jugem.jp/?eid=44


植子水葱(うえこなぎ)=ミズアオイが栽培されていた証拠となる言葉。
 水葱(なぎ)=ミズアオイの古名である。


醤酢に蒜樢き合とて鯛願ふ我にな見えぞ水葱の羹

 ひしおすにひるつきかとてたいねがふわれになみえぞなぎのあつもの


 意味 ひしおすにノビルをつきこんだ和え物と鯛を食べたい思っている私に、見せつけてくれるな。水葱の吸い物なんか!
 本意 ??(ミズアオイが一般的に食されていた証拠となる歌)

http://homepage3.nifty.com/nagi/onibasu/manyousyuu.htm


小沚潟 こなぎがた ・・・という地名が熊本県にある。こなぎが一杯茂り咲いていたのか?

 



東南アジア原産の水田雑草で、主に本州から九州に発生し、北海道では少ない。稲作に付随して日本に伝来したとされ、現在の有機水田では、最も一般的な水田雑草である。


福島民報に烏崎に水葵が咲いていたというのが出ていたので行ってみた。
なぜ津浪の跡に沼地化した所に水葵が咲いたのだろうか?これは水田に繁茂して困る草でもあった。農薬を使わない水田ではどうしても繁茂するから取り除かねばならない、水田を作るにはやっかいな草だった。でも花が咲くし染料としても使われたから有用なものとしてもあった。
食糧にもされていた。水葵をベトナムで見たことあるが稲作に付随して日本に伝わってきたというのは驚きである。湿地帯に自生してるのかと思ったが稲作とともに伝播したというのは驚きである。


東歌はまさにこうした湿地帯の風景とともにあり水田と密接に関係していたのである。なぜ水葵がなくなってしまったのかというと農薬のせいだった。農薬をまかないとこうした雑草が生えるから農薬で殺していたのである。農薬は自然をかなり殺している自然破壊でもあった。でもそれがなければこうした雑草をとりのぞくために農民の労苦はふえる。大藺草もただの草ではなく花を咲かせるから美しいとみて恋の歌にもなった。こういうもの水田で日常的に見ていたからこの歌ができた。東歌だからより生活と密着した歌を作ったからである。水葵は伊豆沼とかでも見た。沼地なら必ず見える花である。これは結構生命力強いのだろう。ともかく湿地帯と化した風景はまさに原初にもどったのである。万葉集がなかなか理解でないのは原初の風景とともにありそれが今とかけ離れているから理解しにくいのである。


いづれにしろ田んぼがなくなり津浪の跡が湿地帯となり沼地化している風景は北海道の風景である。北海道にはこうした広大な原野がまだ残っているからだ。それにしても庭の石と家の土台と松が二本残っている風景は不思議としか言いようがない、庭の石も自然の石となり松も自然の松のようになった。それは想像もしえない風景だった。そういうことが日々起こっているのが津浪と原発事故の現場なのである。人の住まない地域が広がりそこは水田も草茫々になり湿地帯化している。原初の自然にもどっている。飯館村辺りではイノシシが増えるというのは本当だろう。人が住まなくなればイノシシも里にでてくる。イノシシは原町区の大原にもでてきたと聞いた。結構家のある所までイノシシはでてくるとすると人がすまなくなったらイノシシは悠然と里にでてくる。原初の自然にもどる。原発周辺は自然の楽園となるというのも実に奇妙なことである。放射能の影響はあっても森が死んだり植物が死んだりしない、チェルノブエリを見ればわかる。だから皮肉なのは放射能が自然をとりもどすという一面もある。人が住めなくなるのだからそうなる。放射能で木も花も枯れないのである。人体には有害でも自然が死ぬわけではないのが不思議である。ともかく広大な地域が原初の自然に帰る不思議さである。

 


福島民報では水葵の写真一枚だけ出していたけどやはり地元だともっと詳しく報告できる。

自分のプログがリンクされればもっと詳しく見れる。ただマスコミとインタ-ネットは協力関係にはない、マスコミが主導権を握りたいからそうなる。インタ-ネットはマスコミに従属するものとして
権力をもっていたいのである。でも今やマスコミだけではもうやっていけない、写真でも大きく出せるし動画も出せる。リンクさせればもっと詳しく興味あることを知ることができる。水葵と検索すればこれだけのことが知ることができたからである。

ここは南相馬市鹿島区の烏崎であり村は津浪で消失してしまった。


 

posted by 老鶯 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

最近起きた津浪と原発事故のミステリアスなこと 週刊朝日の「富岡町長の金庫の謎」を追う

最近起きた津浪と原発事故のミステリアスなこと

週刊朝日の「富岡町長の金庫の謎」を追う



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週間朝日9月2日

「現在も福島第二原発の仕事を受注しようと、町議自体営業攻勢かけている」

町議は建設業を営み長男が今はその建設会社を勤めている。 町長は加害者である東電を全然追求しようとしない・・・


あれだけの事故があったのに以前として福島原発とかかわり仕事を受注して金を得ようとしている。ここにまさに原発とかかわる町の実体が如実に現れていた。

富岡とか双葉町は未だに原発推進だから驚く。南相馬市も小高区に東北電力の原発が建つ予定であり交付金ももらっていた。それを市長は今度は断った。しかし原発近くの市長村は財政的に深く原発ともかかわっていた。そういう実体がある。これは原発を誘致した市町村には必ずある。それでその金庫には5億円入っていたというのもわからないにしろそれだけの金が原発の仕事の中から入るということはありうるから噂になった。そういう噂には何か真実がこもっている場合があるのだ。原発は金になるし東電も金なるからそういう噂がつきまとう。ともかく津浪で金庫が流されて火事場泥棒が出たというのは本当である。これも真実はわからないにしろありうることであり津浪で他にも金庫は流され金は消えたのである。ともかく原発利権は凄いものだった。これも想像を越えたものだった。何兆円という利益をあげていた東電だった。
だから「原発埋蔵金」があっても不思議ではないのである。

こういうことがあるから双葉町でも原発の回りの市町村は外から批判される。そもそも原発の近くでだけでなく福島市の方まで放射能の影響があったのだからそうした狭い地域の問題として原発が決められたことに大問題があったのだ。双葉町とか富岡町でも評判が良くない、飯館村は同情されているけど外からあまり同情されない、そういう町や村に住むと何か住んでいる人全体もいい目で見られないことはある。そうはいってもここも事故がなければ将来そうなっていたかもしれない、原発は非常に身近な問題だった。もう双葉町でも富岡町でも放射能などより金だとなればそこに住みたい人は住めばいいしもういやだという人は他に移り住むほかないかもしれない、これから原発を建てることに反対してもどうしても敗れることがありそうしたらそこにいたくない人は移り住む他ない。そういう現実を見せつけられたからだ。原発を誘致することはそれだけのリスクがあったのである。

富岡町には遠い親戚の共産党員が住んでいた。その人は数年前死んだ。ビキニのことなど語っていたが今なら堂々と原発に反対できたし町民の支持も得られた。事故前は今でこんな調子だから富岡町民には相手にされない、それだけどっぷりと原発の町となっていたのである。
その人とは付き合いもほとんどなかったが事情あって墓参りしている。原発は共産党くらいしか反対できないものだったことは確かである。今回は共産党の株はあがった。別に支持はしないけど原発はそれだけ反対しにくいものだったということは確かなのである。そもそも自分も放射能について関心などもったことがなかったのである。放射能の危険については眼をつぶらされていたのである。

ともかくこんなに身近でいろんなことが起こることはなかっ。津浪の被害でも一人一人聞いてみればいろいろな話しがあるだろう。小高 区でも津浪の被害にあった人は帰れないとか言っていた。仮設住宅でも津浪の被害にあった人と原発事故だけの避難者は違っている。30キロ圏外では補償がなく相馬市玉野の酪農家は死んだのそのためだとかいうのもそうかもしれない、20キロ圏内はさらに補償されているから食うに困ることはないのだ。原発は補償問題でもあとあとまで尾をひくのである。
posted by 老鶯 at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連