2011年08月23日

なぜ東北の慶長地震の津浪は大きく伝わらなかったのか? (マスコミからインタ-ネットへの変化は社会を変えるのか?)


なぜ東北の慶長地震の津浪は大きく伝わらなかったのか?
(マスコミからインタ-ネットへの変化は社会を変えるのか?)

●貞観津浪は多賀城があり京都に知られた


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貞観津浪は千年前以上で古いのに京都まで広く知られていた。つまり中央政府に知られていた。それは多賀城があったためである。中央の役人が相当数きていて短歌も残しているからわかる。末の松山と有名な歌枕となったがそれは貞観津浪があったために歌枕の地となった。
歌枕となったということはみちのくの奥でも都に知られたということである。その当時は都に知られる意義は今よりずっと大きい。なぜなら京都から遠く離れていると情報が伝わらないからだ。
遠くの情報は貴重になる。だからこそ歌枕として記録された。歌枕はだから単なる風流ではない、どうして陸奥をしるかという目印であり地図だった。地図すらないときは歌枕が地図でありその地名から知るほかない、だから芭蕉の奥の細道でも歌枕をたどっているのは特別に風流を求めたわけでもない、地図として歌枕が指標となっていたからである。

そしてなぜ慶長地震の津浪も貞観津浪に匹敵するものだったのに都の人にも伝わらず地域的に伝えられるにすぎなかったのか?それも詳細はわからないし都の人の話題にもならなかった。それはすでに多賀城の時代は終わって江戸時代に入っていたのである。蝦夷征服は昔のことであり多賀城も遺跡として埋もれてしまった。だからかえって都にも伝わらず全国的にも伝わらなかった。相馬藩と宮城県の伊達市には伝わっていた。それも何百人死んだという記述しかない。その規模は貞観津浪と同じくらいでも地方的な災害として終わった。貞観津浪は京都の祇園祭がその犠牲者を弔うことに由来があるというときそれだけ都の人々にも全国的な広がりのあるものとて知られていたのである。だからかえって地域的なものとして知られていないからそんなに話題にもならず地域的な災害の記録としてしか残らなかった。学者が研究したのも貞観津浪であり慶長津浪でなかった。そこに慶長津浪が歴史的に注目されない理由があった。
それだけの災害でも封建時代になると藩中心の社会だから他に伝わりにくかったのである。


●インタ-ネットなどで情報が世界的に拡大


それに比べると今は世界的に情報は即時に伝えられる。ベルギ-にいたサッカ-選手の川島が「フクシマ、フクシマ」と原発のことでやじられ怒っている抗議している姿がテレビで写された。
ベルギ-までフクシマのことが知られてそんなヤジが飛んでいたことに驚いた。フクシマの原発事故はそれだけ世界的関心がもたれた。南相馬市長がyoutubeで窮状を訴えて世界的に有名になったというのもインタ-ネットが普及したためである。それほどインタ-ネットが情報伝達に有効なのかという疑問はあった。でも今や世界的なデモや革命がインタ-ネットを通じて成されていることが情報環境が変わったためである。インタ-ネットを通じて社会が変えられるということは日本ではあまり考えられない、まだ遊び的な少数派のものだと思っていた。でもインタ-ネットにアクセスする人が初期の段階からすると10倍以上に増えているかもしれない、すると当然影響力も大きくなる。仮設住宅でもインタ-ネットしていることに驚く。インタ-ネットは必需品になりつつある。インタ-ネットが今までのマスコミのように伝達力を備えればマスコミの力は衰える。インタ-ネットは実際は余りにも簡単に情報を伝達できる。それも文章でも映像でも音声でも素人でもできるから新聞とかテレビとかラジオとか本とかを一緒にしたような機能を素人でも使いこなせるのである。それをなぜ今までのマスコミがインタ-ネットでしないのか?コストも極端に安くなる。インタ-ネットはまだ陰のメデアとしてマスコミ側がしておきたいのである。ただこれも相当に変わってきている。インタ-ネットなしでは情報通になれない時代になってきた。かえってマスコミだけの情報では取り残されるという不安感も生じている。


●会社人間、組織人間が隠蔽を生み原発事故につながった


そしてインタ-ネットは個人でメデアを持てることが画期的だったのである。ここにはいろいろ問題あるにしろ機能的にはそうなっている。マスコミというとき今はどこでも会社人間になっているようにマスコミもあくまで会社人間であり会社の命令に従うのであり会社には逆らえない、社命に絶対服従である。個人として取材して何か社会に訴えたいとしても無理である。東電を批判したいとしてもできない、社命でするなと言われればできないのが今の社会である。それは別にマスコミだけではない、会社人間と化して社会では会社の命令は絶対であり逆らうことはできない。東電に勤めている人もやはり巨大な国のような会社の一員として行動する。いろいろ原発でも問題があっても内部告発できたのはGEのアメリカ人しかいなかった。会社には逆らえない、もし逆らえばやめるほかなくなってくる。会社をやめれば路頭に迷うことになる。だから会社を告発することは一番むずかしいことなのである。そういう会社人間組織人間であるから戦争のときのように上らかの命令には社命として従わねばならない、何か不正があったり告発したくてもなかなかできない、会社や組織からはずされたら死を意味する場合もある。江戸時代から明治の初期とかは会社人間はいない、職人でも商人でも個々人でやっていたのである。大店とかに奉公もあったが基本的には今のような大きな会社がありそんな力をもっていない。そういう会社人間化したことも今回の原発事故の原因となっていた。内部から告発しにくいのである。だから悪は隠蔽されつづけたのである。侍にはモラルがあったが会社人間には利益優先主義しかないのも問題である。だから東電の清水社長はコストカッタ-としてのしあがったことでもわかる。安全よりコストでありそれが会社なのである。事故が起きなければ問題なかったのである。


いづれにしろこれだけフクシマが浜通りが相馬が全国的ニュ-スなったことはない、全国的ニュ-スになるのは野馬追いくらいだった。毎日全国的ニュ-スとしてこの地域が報道されている。
そういうとき報道の醍醐味があることがわかった。マスコミも何百万の視聴者がいて社会を動かせるということで醍醐味があった。マスコミの操作によって社会を動かせるとなればやりがいがある。しかしそれが衰退してゆく今は過渡期にあることは間違いない、相馬郷土史研究ではアクセスは百くらいだったが今は400もある。これは一時的にしろこれだけ毎日あるとすると報道する方もやる気にもなる。今や個人レベルで報道の魅力にとりつかれる人がでてきている。
今ニュ-スで逆立ちしてオ-トバイに乗っているところをyoutubeに投稿して逮捕された。自作自演で自分を見せたいがためにそうした。前には放火したのを実況放送した女性も逮捕された。これはマスコミでもやらせとして常に操作して大衆の眼をひくためにやっていたのである。それが個人レベルでやるようになったのである。そして広告もペ-ジごとに出されるとそのペ-ジはいつまでも消えないのだ。キャッシュとしても残りそこからアクセスされると効果的である。ヤマハの電動バイクについて詳しく書けばそのペ-ジはいつまでも残りアクセスされている。それで困って有料でやっているからやめるように言っているが通じていないのでまた交渉である。一見インタ-ネットの広告は有効でないようでもあるペ-ジはいつまでも消えないしそこにアクセスがつづいて関連があれば効果的だとなる。インタ-ネットは新聞やテレビのようにその日その日で消えるメデアではないのである。情報が蓄積されて無限に増大していてアクセスできることが違っているのだ。

 
 
posted by 老鶯 at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

コメント一つ削除(相馬郷土史のプログで)



要請がありましたので一つのコメント削除しました


メ-ルを読まないときあるので・・・コメントを削除してくださいと書いてください


メ-ルが読めないのは宣伝が多すぎて開いていないです


実名など出して困る人があると思いますから削除するときも実名は出しません


インタ-ネットはいつまでも残るので困る人がでてくるかもしれません

プログでは相手のことが良くわからないので最初は匿名で書き込みをして

あとでメ-ルなどで連絡するといいようです

連絡は匿名でコメントでしてメ-ルを出したよと書いてください

posted by 老鶯 at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

(看過されていた慶長津浪の被害) 小高から中村(相馬)に城を移したのは津浪の復興のため?

 


(看過されていた慶長津浪の被害)
小高から中村(相馬)に城を移したのは津浪の復興のため?



1611(慶長16)年12月2日、三陸沖、M8.1

さらに慶長16年(1611年)12月に宇多郡中村城に本拠を移し、ここが相馬藩の城下町となった。
治家記録慶長16年11月30日条に、この津波の到達した場所を推定できる記載がある。海に出ている間に地震発生、津波に流され、舟ごと「千貫松」に流れついた記載。

「相馬藩世紀」には相馬中村藩の領内(現在の相馬、南相馬、浪江、双葉、大熊、飯舘の各市町村)で約700人が津波で死亡したとある。

400年前の津波の後、相馬中村藩は城を軸に城下を整備する都市計画を進め、商工業の振興を促したという。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/04/post_921.html


慶長津浪の後に復興させるために小高から中村に移った。それと伊達市から守るために中村に城を築いた。そもそも相馬の城が津浪の復興のためだったとは思いもよらなかった。津浪の影響がこの辺でそんなにあったのかということである。伊達氏との争いは相馬の歴史では常に語られている。しかし津浪のことなど誰も注目しなかったのである。確かに津浪で被害を受けたらその復興になったことはありえる。被害を受けた人々を中村に集め仕事を与えることもできた。双葉、大熊まで今回の津浪と同じ様に被害を受けている。それにしてもなぜ東電では400年前にこれだけ被害のあった津浪が記録として正式に残っているのに全く考慮しなかったのか?

貞観津浪は千年前以上だから考慮するとなると現実感がなくなるかもしれない、それにしても400年前にこれだけの被害の記録が現実にあったのである。700人は今回死んだ数に匹敵するくらいだろう。人口密度がまだまだ低い時だからである。東電は地元の歴史を良く研究しなかった。東北電力では女川は津浪を考慮して高台に建てて助かった。女川はもっと津浪の被害があったことがわかっていた。入江であり危険な地形だった。東電は東京だから地元の研究していなかった。?でも地震のことは科学者の専門家がいるのだから危険性は提起されていたのだ。


住民団体や日本共産党は、再三にわたって、国と電力会社に申し入れを行い、国会で質問し、対策を求めてきました。しかし、国と電力会社は、「現実には起こらない」「多重、多様な電源設備がある」などといって、この問題に目をつむってきました
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-06-02/2011060204_01_1.html

実は5年前の2006年3月1日の衆議院予算委員会分科会で、まさに今回同様の事故への懸念が指摘され、危機を回避するための措置を講じることが「約束」されていたのだ。
質問者は日本共産党の吉井英勝衆院議員、答弁者は二階俊博経産相(当時)と政府参考人の広瀬研吉保安院長(同)。以下はその議事録からの抜粋だ(敬称略)。

吉井「冷却系が喪失するというのが津波による(略)問題」「大規模地震によってバックアップ電源の送電系統が破壊される」「老朽化したものの実証試験を行ったということはどれぐらいありますか
http://president.jp.reuters.com/article/2011/04/01/
650DA4AE-56B6-11E0-8777-12CF3E99CD51.php

 


これほど指摘していたのに何ら対策をしない、清水社長はコストカッタ-でのしあがったとか言われるから金をかけたくないから古い型のマ-ク1を使いつづけたし津浪対策もあえてしなかった。ただマスコミに安全神話を作るために湯水のように金を使っていたのである。その責任は余りにも重すぎる。

郷土史というとこうした災害とか余り関係ない深刻なものがない好事的なものとして追求している面があった。でも実際は郷土史にも重大な危険を教えるものがあった。それがこの津浪の記録だった。しかしこの辺でもこの津浪のことを特別とりあげて警告している人などいなかった。
やはりただ700人が死んだという記述だけではものたりない、どういう被害が浮かんでこない、しかしこのことをもっと注意していればこんな被害にはならなかった。海岸線でも余りにも無防備だったのである。海岸線に家があれだけ密集していることがどれだけ危険なことか慶長地震の津浪を想像していたら恐怖していたはずである。何かしらの備えをしていた。ただ松川浦近辺で津浪の被害があったところは湿地帯であり津浪の後に開拓されたのだろう。それは仙台平野と同じだろう。漁師が被害になったのか?どういう被害にあったのか詳細がわからない、ただこの津浪の後にも開拓されて田が作られたことは確かである。新百姓として松川浦に入った人もいる。そういう人は漁師をするというより田を作ったのだろう。塩場をもっている人がありそれは原釜などでは大きな収入源となったから津浪の後でも仕事をはじめた。ただ慶長というと小高から中村に移ったばかりだからいろいろ整備されていないことは確かである。津浪で潮水をかぶったところより奥も湿地帯であり徐々に海側に開拓していったことは確かである。今開拓されて田になっている所はみな慶長の津浪の被害を受けたあとに田になった所なのである。津神社(つのみつ)は慶長の津浪の記念として祈念のために建てられたのだろうか?


ともかく地震の専門家も東電にはいるし十分に研究できる金もある。そして厳しく危険なことを指摘されていたのに東電では一向に手をうたなかった。事故の直前まで指摘されていた。
そして内部をしりえたのはGEの技術者、アメリカ人だったのである。その人は身の危険を感じていた。東電は過失致死罪にあたるとか言う人もいる。でも検察では罪に問えないとか言っているのも結局検察も官僚であり東電擁護に回っているからである。検察、警察官僚の有力な天下り先が東電だからである。今回の事故は想定外の津浪のためだというけどそもそも東電では津浪の備えなどしていなかったのである。想定外もなにも津浪そのものを無視していたのだ。だから東電の罪は大きい、これだけ危険なものなに危険でないという安全神話を作るためにのみ膨大な金をマスコミに使い政府と一体となっているから余計に奢りになった。その奢りをとがめる人もいない、保安院は内部の人であり厳しくチェックする人達ではない、だから津浪のことに関しても甘いし見逃しているのだ。これは想定外のことではない、そもそも津浪を想定していなかった人災だったのである。ただ地元の人も自分もふくめ津浪に関心がなかった。400年前にそんな大きな津浪の被害があったなどはじめて聞く人が多い。それだけ関心がなかった。貞観津浪は学者が最近、土壌から砂が発見されたなど津浪の跡を科学的に証明していたので関心があった。慶長津浪についてははじめて聞くことだったのである。そこに津浪がこの辺では盲点となっていたのである。

posted by 老鶯 at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係