2011年08月17日

専門家は現代の聖職者(原子力専門家の大罪)

 
専門家は現代の聖職者(原子力専門家の大罪)

1455年、フストとグーテンベルクは二巻本のラテン語聖書(Biblia Sacra)を完成させた。15世紀の記録にはその値段は「二冊で100グルデン」であるという。(「グーテンベルク聖書の行方」、p83)当時の物価で平均的な労働者の二年分の賃金にあたるほど高価なものだったが、それでも写本に比べれば安価であり、写本が一冊をつくるのに一年近くかかることを考えれば大量生産につながる画期的な事業といえた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3
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秘密主義というとき、これは今にはじまったことではない、これは古代から中世とずっとつづいてきたことであった。聖書という重要な書物をそのもの自体を読むこともできない人が大多数であった。それは読み書きできない人が大多数であったからだ。だから読み書きできる聖職者だけが聖書を読むことができて他の人は直接はできない、そして修道院での仕事は聖書を書写すること写本だった。それは精緻な芸術となった。これは仏教の教典を書写するのが仕事だった僧侶とにている。そもそもなぜ聖職者が力をもったかというと庶民が読み書きできないということにあった。すると文字は神聖なものにさえなった。ヒエログリフのように文字が神聖化した。文字の神聖化、呪術化は日蓮宗とか真宗にもある。題目をひたすら唱える、それは文字に何か特別な力が宿っているという信仰である。それも偶像になるのだがそれはやはり文字というのが誰でも読み書きできない特別なものとなった結果である。聖職者が力を得たのは庶民の無能力になったのだ。そしてカトリックは政治的にも社会を支配することができた。それに異を唱えたのがルタ-だった。ドイツ語に訳してわかりやすく庶民に聖書を読ませたし自ら聖書を解読した。その時ちょうどグ-テンベルグの印刷革命が起こり中世の手書きで書写することから脱皮した。その時何より聖書が秘密でなくなった。すべての人が読めるようになったことが宗教革命だったのである。つまり宗教の専門家だった聖職者の支配から脱することができたのである。
現代は別な聖職者、専門家が支配する時代になった。それが今回の原発事故の原因にもなっていた。原子力のことなど専門家でないものは全く立ち入ることはできない。


近代化された専門家サ-ビスの使用言語は問題点、解決策とも神秘の霧につつまれていて市民による評価が不可能となるように仕向けられている。そのそのサ-ビスに何からかの価値がああるかどうかあ決められる唯一の有資格者は同じ専門家仲間である。(専門家時代の幻想-イリイチ)


聖書より秘密主義になりやすい、その秘密にふれえるものは専門家しかない、つまり文字の読み書きもできない多数の庶民と原子力という文字を解読しえる科学の原子力の専門家しか原子力発電所の内部には立ち入ることはできない、結局あなたたちには何の能力もないから聖書を読み書ける聖職者の指導に従えばいいのだとなる。それがいかに危険なものでも危険は隠されるしその危険について専門家しか言うことはできない、その外のものは一言も発言はできない、だから専門家同士が結託していたからもはや誰も危険についてチェックできなくなっていた。


今の時代は専門家によって牛耳られた社会である。報道するのも報道する権利があるのはマスコミだけであり庶民にはない、新聞でも雑誌でもテレビでも出版でもそうだった。報道するのは報道する専門家がするものであり庶民は報道するものに従えばいい、すると報道する専門家が権利を独占して過大な収入を得ることになる。だからこそ東電でも政府でも報道する権利を持っているマスコミを重んじる。ここさえ抑えれば危険なものでも危険でなくさせることができる。それを象徴していたのが名だたるマスコミの新聞社やその他テレビ局などの記者たちが会長の勝俣氏によって中国に歓待されているとき事故が起きたのである。マスコミには何百億という金が宣伝費として支払われているしほとんどのマスコミには金が回っている。三兆円も利益をあげるのだから何百億ははした金だった驚きがあった。何兆円もの賠償に応じるというのも驚きである。そんなにもうかるのか、それなら電気料金を安くしたらいいじゃなかったかとなる。

実際は日本の電気料金は高すぎるのである。庶民には利益の金を還元しないのである。独占企業になっている。これは宗教団体などでもそうである,マスコミをおさえるためには湯水のように金を使う、創価などがそうである。他でも宣伝費には金を使う、それは報道する権利をマスコミという専門家だけがもっていると社会で認定していたからである。これは出版でも同じである。出版するのには出版社を経由しなければできない、書店にも並ばないとなっていた。書店も自費出版などの本は置かない、書店も出版社の支店にすぎない、自主的に判断する力はない、でもインタ-ネットになったとき別に誰でも報道することができるし出版も別にできる。庶民も自由に発言できる、今まではマスコミを通じてしか発言できなかった。マスコミが取捨選択するのである。そこですでにマスコミが全権を握っている、力が証明される。マスコミを通さなくても一言も発言もできないとなっていたからである。


原発推進は、大熊由紀子記者(朝日科学部員)だけでなく、上司・木村繁科学部部長をはじめ、朝日新聞社をあげての方針だったに違いない。そうでなければ、朝日新聞紙上で48回もの連載をし、その後、朝日新聞社から単行本の出版という大キャンペーンが行われるはずもない。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110618/1308375425


原発事故もこうした専門家された社会の中で起きてきた。つまり原子力には専門家しか立ち入ることはできない、秘密主義でありその近くの人もいくら危険でも立入ることはできない、その代わり金が湯水のようにばらまかれてそれで満足させられた。そして今どうなっているのか?無能力な集団は自分の住む所からも追いやられている。それは結局専門家によって無能力化されていた群れである。自分たちで原発の危険性に立ち向かわなかった無能力集団がその罰を受けている。自分もその一人である。金さえもらえばいいとなり是認したのだから原発を誘致した人達にも責任があると言われる。これもいかに現代が専門家によって庶民が無力化されていたためである。命にかかわることだからよくよく説明されればわからないことない、でも専門家は鼻から専門家以外の人を相手にしない、専門家は専門家の話しか聞かない、法律家は法律家の話ししかきかない、一切庶民は立ち入ることができない、彼らの文字はヒエログリフ(神聖文字)なのである。それを解読するのは特権のある専門家だけなのである。


でも専門家が万能だったかというとそうではなかった。ずさんな管理をしていたし素人からみても原発の安全性はいいかげんなものであった。そういうことが津浪で暴露されたのである。
放射能に関しても専門家で意見が分かれていてどっちの専門家を信用していいかもわからない、つまり専門家でも統一した見解がない、そしたら素人はますます混乱する。混乱してただただ恐怖におびえているだけである。専門家もわからないことを素人におしつけられているのだ。これほど馬鹿げたことあるのか?専門家ならそのことに精通しているから信用している。それが放射能に関してはどのくらいの量で被害がでるかわからないとなっている。それで専門家なのか?そんな専門家でもわからないものに専門家ずらするなともなる。そういう危険なものを押しつけるなとなる。専門家は万能ではない、しかし万能のような幻想を抱くの現代社会である。
専門家にもそうした限界があることを提示するべきであり秘密主義にしていたことが今回の惨事の原因の一つだった。

posted by 老鶯 at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連