2011年08月15日

危険な核開発f原発の秘密主義 (素人にも説明されればわかることがある)

 

危険な核開発原発の秘密主義
(素人にも説明されればわかることがある)

核が核開発として核爆弾として開発されたため秘密にされたということが原発にも受け継がれた。アメリカでもそうだったし日本でもさらに秘密にされた。それほど危険なものでも秘密にされてアメリカからまだ営業運転もしないときから古い型のマ-ク1の原子炉が導入された。これは小さいとかいろいろ不十分なものがありその後のものは改良されている。日本ではそうした古い型の危険なものをあえて導入した。そしてアメリカでは地震も津浪もない東側にマ-ク1の原発は建てられた。そこも詳しく研究せず危険なものを導入した時点からすでに安全は保障されない、事故が起こることが予想されていた。作った技術者が言っているのだから今になればそういうことはみんな技術者も知っていたのである。ただそれでも原発を建てるために秘密裏の内に行われたのである。秘密だということはすでに危険なものでも隠してやるということである。その時点で事故が起こる予想はされるのである。


人間社会は秘密だということはやはり回りのものにとって危険なものである。一体何をやっているのか?オウムは秘密裏の内にサリンが製造されていた。それも秘密であり近所ものでも近寄れないものだった。カルト宗教団体も秘密裏に何かを画策しているということで近隣のものは恐怖を感じる。でも相手が怖いから何も言えない,その内にそうした団体はいつのまにか社会の巨大な勢力となって社会を支配してしまうことがある。

創価なども何を拝んでいるのだろうと不気味に思う人はいる。それも秘密にしているからそうなる。なかなか何を目的に集まり何をしようとしているのか問うこともできない、信教の自由を犯すのかとなりオウムのように近づけなくなる。そうして秘密裏の中に知らない内に社会がカルト宗教団体にのっとられたということがありうる。東電もまさに秘密裏の内に原発を建て政府と一体となり安全神話がいつのまにか形成されてもはや誰も何も言うことすらできなくなっていた。それは専門家集団の学者なども加わり何も言わせないようにした。マスコミも東電の莫大な資金で何も言わせないようにした。秘密裏に行われたのはまさにそうした検察や警察までもまきこんで権力化してしまっていたからである。官僚や検察の天下り先でありそれにのっかているから誰もチェックするものもいない、保安院も外部のものではない内部のものであり形だけのものでしかなかった。


人間社会が秘密裏になるとその内部のことは外からチェックできないから内輪のものだけで狭い視野になり暴走することがある。それがオウムだったしカルト宗教団体にはそういうところがある。外部から何をしているのかなどチェックできない、別に何教でも日蓮宗でも真宗でも日蓮や親鸞は巨人であり崇拝する。でも宗教のことでカルト宗教団体と論じることはできない、何か批判すれば何百万人の人が宗教弾圧だとか騒ぎ宗教で呪うのも普通だからである。そこに宗教が団体化するとき社会にとって怖いものとなる。そういう危険性を感じないでいるがやはりこれも原発の安全神話の形成と同じだった。官僚、司法から学者からマスコミを抑えて反対するものは公安で尾行していたかもしれない、現実そういう戦争のときと同じ状態にまでなっていたのだ。東電ではそういうことができる権力をもっていた。政府もとりこむ検察までもとりこむことが簡単にできたのである。


原発の安全神話は宗教にまでなっていた。安全の絶対化でありそれに逆らうとお前は神を信じないのかまでなっていた。もちろん東大の学者などがずらりと並んで素人に説得するのだから素人は何も言えなくなる。特に原子力はむずかしいからそうなる。自分などもまともに数学も理科もだけであり高校も出れないほどだからそういう人達を前にするとその権威の前に普通の人は何も言えなくなる。何を馬鹿なことを質問するのだ話しにならんとかなる。医者でも医学博士となっていると何か博士とつかないものより素人にとってはこの先生は他とは違っているのかなと思ってしまう。そういう効用は常にある。素人にはわからないことが今は多いからである。

しかし今回の原発事故でいろいろ事後の原因を教えられると全く理解できないものでもないことがわかった。事故の後だからわかりやすいことがあった。失敗の一番の原因が地震のことは想定していた。地震のことはいろいろ事前に予想して準備していたのである。その結果として津浪のことはないがしろにされた。地震のことばかりで頭が一杯になっていたのである。こういうときは交通事故でも事故が起こりやすい、一つのことに集中しているともう一つのことがないがしろにされ忘れたり思わぬ事故を起こすのである。


地震を予想して原発を低い地盤の安定した所に建てた。そこは高いところだったが土を切り取って低くしたのである。その低くしたところが津浪に襲われた。次にどういうわけか地震を怖がり地震に強いと地下にデ-ゼルの非常用電源を二つも設置した。一つはあとから地下に設置した。この時も津浪のことは全く想定外だったのである。女川では津浪を想定していたから持ちこたえた。建築学的に土台作りで津浪を想定しないで大失敗した。次にマ-ク1は古いもので安全性に問題があった。それは最初からわかっていたことである。相互に安全について真剣に検討しないのも事故の原因だった。細分化され分業で意志疎通ができない、それぞれの分野では俺の領分に入るなとか狭い了見になっていた。そして何より全体をみるものがいない、総合的に判断できるものがいなかった。ばらばらの集合体でありそういうものはいつ事故につながってもおかしくない。別に地震や津浪でなくても人間のエラ-で事故になる。チェルノブエリも東海もスリ-マイルもヒュ-マンエラ-であった。原発はこうして実際は事故が起こりやすいものであった。それは外部からチェックされない安全神話が二十三重の権力で作られていたからである。


結局事故後にしても素人でもわかることがある。失敗の原因は津浪を予想しないことにあった。津浪対策をしていればこんな大事故にはならなかった。しかし素人は原発に対しては一言も真実を教えられない、近くの住民にしても教えても無駄だよ、お前ら素人にはわかるはずがないと一方的に秘密裏にすすめられる。医者でも手術するときは合併症がどうのこうのとその危険性を患者に教えている。でもこうこうだから私たちは責任をもちませんとしつこく言っていた。あとから責任を問われるのが怖くてそうなっていた。実際に一言質問したら頭から怒鳴りつけられた。まさに原発を推進した人達も医者とにているのだ。ただ医者は危険性を指摘して手術した。原発は何ら説明すらしない、わからないからしないというが今になるとなぜ事故が起きたのかわかることがある。津浪を想定していないのが致命的なミスだったことも説明されればわかった。だから素人は何もわからないとして最初から相手にしないのは問題だった。生死にかかわることとなると素人でも真剣に聞くし調べもする。素人だからそこには限度があるにしろやはりまず専門家がわかりやすく説明すれば原発のこともわかることがある。それは今回の事故で証明されたのである。

 
posted by 老鶯 at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

NHK-ETV特集アメリカから見た福島原発事故 (起こるべくして起こった事故)


NHK-ETV特集アメリカから見た福島原発事故
(起こるべくして起こった事故)



●原発のマ-ク1の危険性はGEも知っていた

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東電のHP(注1、注2)によれば、BWR(沸騰水型原子炉)にはマークT、マークU、そしてマークU改良の3タイプがあります。今、危機に瀕している第一原発1号機、2号機、3号機、4号機はいずれもマークTという旧式です。この旧式原発マークTの特徴は、米国GEオリジナルタイプであるということです。マークTは、GEの設計図に沿って、GEの指導の下で東芝、日立が建設したものです。

危機に瀕しているのは、もっとも旧い同じ敷地内の1〜4号機(GEオリジナル)に絞られます、つまり同じ第一原発でも5号機、6号機(1号機〜4号機の建設後のフィードバックにより改良されているはず)は危機に瀕していません。


後藤さん、マークT問題は分かっていたがアメリカでは廃止しようという話にまでなっていたのは知らなかった。日本ではさらにもっと柔らかくされ、問題の深刻さとして伝わっていない。ト



今回のNHKの番組はわかりやすかった。GE制のマ-ク1の原子炉は作った人も危険を感じていた。原子炉が小さいことなど初期のもので改良されていなかった。日本に導入されたときまだ営業運転すらアメリカでしていなかった。そういう原子炉技術として不完全なものを日本はアメリカからいち早く導入した。そこがつまづきの元だった。結果的に福島第二原発は日本によって改良されたものだから事故からまねがれた。理系でなくても今になるとその原因を説明されると霧が晴れたようにわかる。最初に失敗したのが津浪を想定しないから地盤を切り取り地震にそなえるため安定した所に建てた。これは鹿島建設が請け負った。建設会社も参加する総合的なものとして原発は造られた。そこで一番悔いているのが津浪を想定して高くしていれば女川の原発のように津浪にも持ちこたえた。東北電力は地元だから津浪を想定していた。地元というときやはり地元と風土に通じているから風土の影響を考慮する。


●風土と文化の影響を考慮しなかったのも原因

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そしてこの風土の影響は文化の基である。風土が文化を作っている。稲作が水の管理が大事だと書いたときそうであった。技術でも風土にあったものが必要である。日本でトンネルの技術が発達したのは山国だからそうなった。技術と風土は関係している。アメリカではマ-ク1の原子炉は津浪や地震に弱いということで西海岸には作っていなかった。これは重要なことである。アメリカではすでに西海岸には津浪と地震がありそれを想定していた。しかし日本ではこれだけ地震があり津浪もあるのに地震には想定したが津浪にはしていなかったことが致命傷となった。地盤を地震に備えて低くしたのもそうだし非常用のデ-ゼル電源をなぜか二つも地下にもっていた。これも津浪を全く想定していない大ミスだった。日本には安全の思想がない、多様な危険に備える安全の思想がないというのも本当なのだろう。ここにも安全に対する文化の相違があった。日本の製品が安全だというとき個々の製品の安全でありこうした巨大な原発のような安全とは違ったものになる。電気製品を作るような安全では日本人は優れていても巨大技術の安全を計る思想には欠けていた。


最初に危険なマ-ク1をアメリカから良く調査しないで導入した。もちろんアメリカ側にもかなり責任がある。危険なものだと知っていたからである。そして良く安全を計ることを注意していなかった。アメリカでは地震も津浪もない東側に作っていたからである。グロ-バル社会になると相手の地理や文化や風土を知らないで安易に便利ものとして文明の利器を導入すると問題が起きる。グロ-バル化社会とは常にそういう思わぬ危険にさらされている社会なのである。外国から思わずウィルスが侵入してくるのもそうである。グロ-バル化といっても風土と文化の相違があるからそこに合わないものが問題を起こす。それが致命傷になって民族が滅亡することさえありうる。そういうこはインディアンが白人によってアルコ-ルがもたらされ中毒になり病気になったとかインカ帝国がスペイン人の少数の侵略者によって簡単に滅亡したことなど例がある。馬を見たことがないから馬に乗った人を神と見たということなどが原因だった。日本ではもともと魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあり海産物を主体に食糧として生きてきた民である。だから日本では海産物からヨウ素をとっているからチェルノブエリのうよに甲状腺ガンにはならないというのは風土の文化の影響なのである。そういうことが必ず世界にはあるのだ。遣唐使を派遣しても他国の文化が日本を圧倒することはなかった。日本的文化になるのが文化なのである。仏教なども全く日本的文化で骨抜きにされた。いい悪い別にしてお盆の先祖供養とか死者の供養は極めて日本的な習俗であり仏教徒は何ら関係ないものである。でもそれは日本の習俗、文化だから仏教も日本の習俗化したのである。


●縦割り分業化も失敗の原因


後藤さん、ある分野では技術者同士が議論しているが、今はそれが欠けている。一つには分業が進み、自分の所掌以外に踏み込むのが越権行為と見なされる部分がある。昔は原子力に関わらずそうではなかったのではないか。技術屋同士は互いに踏み込んで交流があったが薄れているのではないか
http://togetter.com/li/174540


もう一つ重要な事故の原因として分業体制があったという指摘である。縦割りの分業体制であり他の分野に立ち入れないし議論も綿密な話し合いも部署が違うとしない、しかし原発のような危険なものを運営するには総合的に見る指令する人が必要になる。それがもてなかった。それは常に複雑化した文明で日常的に起きている。全体を総合的に見れる人は誰もいないのである。指令すること自体不可能な社会になっている。人間がバラバラな部品になっている。その無数の部品を組み合わせ総合的に見れる人などいないのである。それはそれぞれの対応がばらばらになっていることでもわかる。全体を包括して見れる人はいない、部分的に専門的になれる人はいる、でも全体的に見れる指揮官はありえない、無数の配管が迷路のように張りめぐらされている。その一つ一つを知る人などいないのである。だからいったん事故になったらパニックになるのである。もう治める人がいないのである。結果的に恐ろしいことはもうどうにもならないと放置されることさえありえた。原発事故はもう収拾できないとして逃げる他ないとして大部分は逃げた。そしてそこは放射能をだしつづける核の墓場とさえなりえた。今でも一体溶けた核の燃料棒がどうなっているのか明確にわかっていない。原発がそれだけ危険なものなのに日本ではこうして安易に導入されたのである。


失敗の大きな原因として地震にばかり気がとられていた。地下に非常時のデ-ゼル電源を置いたのも地震に対する安全を計ったためである。地震と津浪はセットになっているのだけど地震ばかりに気がとられていた。多様な安全性を計らなかった。多様だということは総合的にみるということである。それが文明では一番できないことだから文明社会の事故はそういうところから必ずまた起きてくる。文明社会は無数の部分の集合であり全体を見る人はいない、日本人が優秀だというとき個々の製品を作るのには優秀でも全体を統括するような安全を計る技術ではアメリカなどより遅れをとっていたのである。日本はアメリカの宇宙開発や核開発や大型の技術開発には向いていなかった。もともと細部にこだわる職人芸には狭い風土で優れていた。小さいものにはこだわり精巧なものを作り上げる。しかし原発のような巨大なものになるとそうはならない、日本が技術が優秀だというとき技術にはいろいろあるからすべてにおいて優秀だとはなりえないのである。そこには必ず風土や文化の差がでてくるからである。アメリカとか中国の風土はあまりにも日本と違いすぎる。グランドキャニオンでもそこが地球なのかとさえ思う。地球の割れ目というべきものでとても日本では考えられない風土である。とてつもないでかさが共通してある。万里長城もそうである。日本はだからグランドデザインが苦手なのである。そうしたどこまでも広い平坦な土地がないのである。


posted by 老鶯 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連