2011年08月13日

蝉(お盆で供養)


夕蝉(お盆で供養)

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墓所近く日陰の路地を猫歩む


耳澄ますひぐらし夜に鳴くかすか


老鶯のここに落ち着き動けざる


塀もなき庭に十輪ほど芙蓉かな


十輪ほど芙蓉の咲くや余裕かな


十輪ほど芙蓉の余裕住み安し


ひぐらしの夜に三度ほど鳴きてやむ


はかなさや路上に一つ蝉の死す


夕蝉や故郷に集うお盆かな


夕蝉や死者弔うお盆かな


亡き人を海に弔ふ松川浦観音のごと満月光りぬ


海に流す灯籠あまた亡き人の思いのこもる松川浦かな


人間はどこであれ長く住んでいればそこがいい悪いということより動けなくなってくる。移住することが一番むずかしいことになる。だから年取った人が原発の10キロ圏内とかでもまだ帰りたいとかなる。 そこは80マイクロシ-ベルトもあった。そんなところに帰れるだろうか?
猫と墓所はあっている、猫が墓所を歩くのがあっている。忍び足で音もたてない、墓地を騒がしくしてはいけないから猫があっている。

人間何をするにも余裕がない人は危険である。金に汲々している人は何するにしても危険である。特に福祉関係の仕事はするべきではない、でも金がないからこそそうした仕事につく人が多いから困る。医者でも看護婦でも仕事が大変だから余裕がないと患者に優しく接しられない、金に汲々している人も優しく人に接することができない、頭の中が金で一杯だから遂にはそういう人は犯罪に普通になる。余裕がないということは社会自体もそうであり例えば田舎はかえって都会より犯罪が少ないというとき田舎には土地とか家をもっている人が多い。金持ちでなくても資産がないと住みにくいし親から受け継ぐものがあるから比較的余裕がある。すると町全体でも余裕が生まれる。中には汲々している人も賃貸住宅に住んでいる人もいる。でも田舎では都会と違って少ない、都会にはそもそも無産階級が集まりスラムができやすい、田舎ではそういうことになりにくい、この辺で仮設住宅が増えたことはやはり町自体に余裕がなくなったとはいえる。もともとその人たちも広い所で余裕をもって住んでいた人達である。その人たちも余裕がなくなった。二人で一部屋だと部屋自体にも余裕が生まれない、長屋もいいというがやはり余裕がないといざこざが生まれる。余裕がないということは実はあらゆる面に影響するのである。

ともかく芙蓉のようにおおらかに十輪くらい咲いている、それは街自体にも言える。十輪くらいが悠々と咲いている、それはそれなりに余裕をもって暮らしている姿なのである。


今回の津浪で死んだのは海なのだから海に灯籠流して供養するのが供養になる。昨晩は真野川でしたが真野川は海ではないから向いていなかった。松川浦は向いている。あそこで本当に多数の人が津浪にのまれ死んだのだから・・・・ちょうど満月がでていた。それは同じだった。あの満月をテレビで写していたから視点としては良かった。満月はなにか観音様のように平和の象徴のように見えた。しかしなぜこんなにひどい被害を海は与えたのだろうかとなるとわからない、自然はただ無情無慈悲なかと思い実際に海を呪っている人もいる。その心もわかる。なんでこんな仕打ちをするんだということになる。何でなのだ、解せないのである。

ただこれからあの満月のようにあんな津浪が来るとは思えない、千年は来ないかもしれない、ということはあの満月はこれからの平和を象徴して光っているのかもしれない、平和の営みは松川浦では回復するのか?船は120隻あったが沖に出て90隻が助かった。これもこの辺では津浪のことをあまり聞かないが漁師では言い伝えられていた。津浪に無防備ではなかった。やはり海には海の言い伝えがあった。まだ船を沖に出す時間が余裕があった。他は船も残らなかった。船が残ったことは漁もできるが放射能問題で売れないとなるから困る。でも原発事故では船主には相当な補償がある。田畑をもっている農民にもある。何も権利もない人もある。自分などは8月からはなにもない、医療費も無料でなくなった。30キロ圏外は補償はない、ともかく津浪の被害であれ原発事故のことは長びく、放射能問題がなければすでに漁ができた。それができないからこの辺は延々と放射能問題で苦しむのである。

原発事故で自覚させられた歴史と文化 (稲作は歴史で培われた文化)


原発事故で自覚させられた歴史と文化
(稲作は歴史で培われた文化)

 


故郷に実りなき日ありにしや飢餓の碑残るその片隅に


相馬藩苦難のときの形見かな飢餓の苦しみここに残りぬ


故郷に実りなき日や稲穂なく草茫々と今日も暮れにき


故郷に一代のみならず何代も住みにし土地を離る苦しさ


人住むは一代にあらじ故郷を築く年月その長さかな



お盆でまだ実りの日は早いけど外を見れば稲穂が風になびいている姿は見えない、こういう光景は稲が作られてから見たことがない風景だろう。津浪の被害でも水田は稲を作れなくなった。二つの被害が重なった。こういうことはこの辺では有史以来はじめてだとなる。その有史となるとこの辺ではいつになるのかむずかしい。相馬藩が成立してから正式な歴史が残されるようになった。相馬藩は国替わりしていないから一貫した資料が相馬藩政記にあり外部の研究者も参考にしている。飢餓の歴史は全国にある。ただ相馬藩の被害が大きい時があった。三分の一の人口が減った。この時は相馬藩がつぶれるかつぶれないかの瀬戸際だった。何とか移民政策で穴埋めして立ち直った。その時越中などからの移民が多くそれで真宗系統の寺がその歴史を伝えている。相馬の民謡はそう移民を呼び込むために作られた今で言えばコマ-シャルソングだった。それだけ人を呼び込むために必死になっていたのである。なぜなら三分の一の人口がへれば藩が成りたたなくなる。そういう危機から生まれたのである。越中の人は相馬で苦労したが勤勉に働き相馬に土着した。

しかし今起きていることは飢餓によって人口が激減することではない、原発事故によって人が住めなくなる。現実に双葉町から浪江町から小高区から飯館村とこの辺は相馬藩の範囲内だけど人が住んでいない、これは相馬藩の半分の人口にあたる。だから三分の一の人口がへった飢饉よりひどいとなる。土地そのものも放置されて田んぼは津浪の被害も加わり放置された。だから毎日草ぼうぼうの故郷を見ていること自体未だかつてありえないことだった。飢餓があっても多少は実りはあった。今回は全くない、でも飢えることはないからまた違っている。ともかくこうして田んぼの風景がないということはもはや故郷ととはならない、故郷とは田んぼとともにあったのである。原発や工場がなくなっても故郷でありえる。田んぼがなくなったら故郷でなくなる。稲作とは単に経済的なもの、米を食べるというだけではない、前にも書いたけど米作りは水の管理が大事でありそれは水を供給する山とつながり共同性を育んだ。葉山信仰もそこから生まれた。稲作は文化である。文化というとき芸術的なものだと思っているが実際は違っている。人間の根本的な生のアイディンティティを形成するものである。そんなことを言うと都会の人は米ナショナリズムだとか何とか批判するけど文化は命と直結している。それが腹を満たすだけではない、心を満たすものだった。そういうことを意識して稲作をしている人はいなかったろうしそんなむずかしいことは関係ない、米の値段をあげてくれしか稲作に関わる人自体も思っていなかった。だからこそ簡単に原発が金になるということで無防備に誘致したのである。文化は意識しなくても命にかかわるということを存在意義にかかわっていたのである。


最初は稲が国家なりだったとことは間違いない、それで天皇が大嘗祭を行ない稲の神にもなった。次に鉄は国家となり鉄の王となった。そして電気が国家となり天皇まで東電の株をもっていたことで電気の神とはならないにしろ天皇の役目は民衆の要望によって変わってくる。原発は安全神話とともに絶対化して宗教にまでなっていたというときそれとにているのだ。津浪にしろ原発事故にしろ現代の文明生活を見直す契機となった。現実に一代だけではない代々その土地に住んでいた人が住めなくなるということ自体考えられないことでありこの被害は余りにも大きすぎた。生きる存在意義すらなくなるということもありえる。つまり米など作っても金にならないとか常に言っていた人達が今何を思っているのか?また現にここに住んで水田がない米作りしていない水田のない平野を見ていて思うことは何なのか?すぐに飢餓にはならないから深刻ではないにしろ精神的面での影響は大きいのである。ゴ-ストタウンになるのはゴ-ルドラッシュとか金属を掘って資源なくなったときになる。でも稲作はそうはならない、常民であり常にそこに継続している民である。

今回のことで人間は一代だけの思考で生きることの危険である。原発が作られたのはすでに40年であってもその歴史は最近のことである。原発もこれからも長くつづけて危険がなくなれば一つの文化となりえるかもしれない、鉄道はすでに文化であり工業がすべて悪いとはいえないからだ。ただそうなることはほとんど不可能な代物だった。米作りはすでに日本では千数百年の歴史があるから根強い文化なのである。この辺でも遅いにしても千年とかあるかもしれない、そういう長い年月で培われたのが文化なのである。文明は便利な道具としてその歴史は短い、でも文化は長い年月をかけて作られてきたものだからそれを失うと人間の存在意義すら失うのである。そういう深刻な問題を今回の事故で自覚させられたことは確かである。


今ドラマで見た会社をリストラされた人が存在意義を喪失して自殺した。それは単に経済的な問題だけではなかった。会社の存在がすべてになっていた。人間関係も仲間もすべて会社にありその会社をリストラされたときその肩書もなにもかも奪われて絶望して死んだのである。
この人にとって会社は命とさえなっていた。それが奪われたから自殺した。会社は文化でないにしろやはり存在意義が会社にあったのだからそれを奪われたことで自殺したのである。
農民より会社の方が身近な社会ではこっちの方がより真剣な社会問題としてあった。なぜならほとんどが会社人間になっているからそれだけ深刻になったのである。
 

posted by 老鶯 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連