2011年08月12日

福島県の報道メデアの怠慢 (地元のメデアも地元の味方ではなかった)


福島県の報道メデアの怠慢
(地元のメデアも地元の味方ではなかった)


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静岡放送局



福島民報社で昨晩の真野川の灯籠流しの写真を写して報道していたけど写真は一枚だけだった。自分のプログでは写真を4枚と動画も出した。するとどうしても地元の人が写真をとるにしても有利だとなる。民報や民友も地元だけどそれでも福島県全体となると広い、さらに細かい地域の情報が必要になる。そして地元に住んでいる人は地元のことが自然体で身についているから報道するのにも福島県全体からみるより詳しく報道できる。実際に会津には会津新聞が必要である。会津は山国でありあまりにも同じ福島県でも風土が違いすぎるのである。今回は浜通りということで原発事故がありいろいろ自分もプログで分析して報道した。インタ-ネットは実際活用範囲が広いのである。動画すらのせられる。これを拡大化すれば一つの新聞にもテレビ局にだってなれる要素があるのだ。


今回原発事故で問題になったのは地元からのメデアの怠慢がかなりあったと思う。福島県民に対する思い入れが欠けていた。広告を出すにしても福島県の会社や市町村が多い。そこから収入を得ているとしたらそのよってたく基盤は福島県民でありさらにその市町村だとなる。その福島県民が今回は最大の被害にあった。ただ福島民報では聖教新聞を刷っているようにその資金源が福島県民だけだとは限らない、「財界ふくしま」の主催者の竹内氏なども福島県出身者でも福島県民を利用するというだけであった。なぜならプルサ-マルのことで東電を批判する記事を連載していたがある時からぷっつりとやめた。それは東電から金をもらったためである。

ただ雑誌を大会社の脅しのために使っている。これはマスメデアにはテレビでもある。なぜかといえば報道するのには巨額の金が必要だからである。出版するにしてもそうである。そして新聞でもテレビでも雑誌でも一方的メデアでありそれが大衆の洗脳的メデアとなっていた。テレビなどは何か催眠効果すらありテレビを見ていると一見洗脳されていないようでされているのである。マスメデアが批判されるのそうした広告とか視聴率とか大衆洗脳メデアとしてありモラルが欠けているからである。でも報道する方にしてはむずかしいこと言っても大衆はついてこない、視聴率がとれないから宣伝効果もない、広告料も多くとれないから視聴率をとれる番組作りになる。それが大衆洗脳メデアになっている。やはりよってたつ基盤が根本的に悪いからそうなる。


前知事の佐藤栄佐久氏は福島県では悪いことを聞かなかった。聖人とまで言われてた。それが突然なぜ逮捕されたのか?そのことを福島県の人は違和感を覚えた。でもその真実は福島県のメデアでは報道されなかった。今になってその背景が明かになった。渡部恒三一派が佐藤栄佐久知事を東電と一体となり追い落としを計った。今の知事は渡部恒三の甥であり原発の推進派であり佐藤栄佐久前知事が問題にしたプルサ-マルのことはうやむやになった。このことについてなぜ福島県民はもっと怒らないのか不思議である。もちろん福島県のマスメデアもあまり問題にしない、これは明かにテロになるくらいの重大な問題であった。これほどの被害を与えた張本人というべき人がのうのうとしていることがわからないのである。大石英司氏のプログを毎日見ているけど渡部恒三が首相に一時的にでもなればいいと言っているのも信じられない、福島県のことが作家でプロであるのわかっていないのか?まあ、作家などはでたらめな人が今までも多かった。だからそんな人かとも思う。要するに福島県人は特に双葉町は原発推進をすすめたから責任あると外からは見られている。福島県民自体が責任あるともいわれる。確かに福島県の政治家のドンがそうなのだからどうにもならない、メデアも原発に関しては何も問題にしていなかった。東電から金が入っているから全国のメデアと同じである。福島県としての地元に根付いた報道がなかったのである。


情報は身近な所でもわからない、小高町はすでに前から原発を立地する契約を東北電力会社と契約していた。その後に南相馬市と合併したから問題だったと地元のプログで指摘する人がいた。これもプログで知った。そういう大事なことでもわからないことが多いのだ。このままだと10年後に原発がまたできていた。小高の建築関係の人は原発できたら景気よくなるよとか盛んに言っていた。その人は津浪でやられ原発事故で命からがら逃げた。地元の人も利益優先の人が多いのだからメデアだけを批判できないことは確かである。でも小高町が東北電力とすでに原発を建てる契約をしていてその交付金までもらっていた。それを今回は断った。もはや原発は建てられない。地元の人でも地元のことがわからないという盲点がある。それはやはり知らせる人がいないとかメデアがないということもある。確かにインタ-ネットはそういうことができても目立たないから広がらないということがある。いづれにしろ報道する権利は誰にでもあった。ただできなかっただけである。


今回の真野川の灯籠流しでは静岡かの放送局からも来ていた。こんな遠くからも来るのかと思った。原発事故は全国的関心が高いから実際は全国から来ているのだ。でも地元の人でないと思い入れが薄いから報道するにも興味本位になりやすい、地元の人だったらそれも実際に津浪で死んだ人が供養して灯籠流ししているのと他から見ているのでは思い入れが違ってくる。地元の人でも津浪の被害にあわなくてもかかわり方は違ってくる。そういう差が報道にでてくる。報道というのはこれまでマスメデアでありマスを一方的に洗脳するメデアだったのである。だから肝心なことは報道されなかったり大問題も追求されないしその結果として福島県民であれ全国民であれ原発事故でこんなひどい被害を受けたのである。メデアが全部責任あるわけでないにしろそういう一方的洗脳メデアだったからこそ東電はそこに莫大な金を出して今日の大事故の原因を作っていたことは否定できないのである。 結局民主主義の社会とは指導者が全部責任があるわけではない、ただ事実も知らせないなら中国と同じように報道統制があり共産主義と同じだった。日本も原発に関しては政府と東電とマスコミと官僚と政治家と一体となって真実は知らされることはなかったのである。

マスメデアの時代は終わった
http://www.musubu.jp/jijimondai39.html#mass

posted by 老鶯 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連