2011年08月07日

相馬市へ(夏の浜街道)


相馬市へ(夏の浜街道)


 

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原町のレストランや夏の月


ひぐらしや暮方に行く相馬かな


浜街道松影涼し相馬へと


浜街道風の涼しや山と海


夕べ着て相馬の街や雲の峰

昨日は原町のレストランで高見食堂でカキフライ定食を食べた。あのカキフライは大きいけど中味は小さいのかもしれない、あげ方がうまいのだ。ス-パ-で売っているのは揚げたてでないからうまいと思ったこと一度もない、揚げたてでないと料理はうまくない、自分は料理はしていない、だからまともに食事したと感じるのはレストランでしたときである。料理に時間かけていたら書き物はできない。料理はつくづく時間がかかる。結局インスタントの米をレンジで二分であたためるのが一番簡単である。米をたくことも時間がかかる。


よく高級レストランで管首相がぜいたくしているとかマスコミで報道するけどそうした仔細なことで何か人気を落とそうとしているのがマスコミである。漢字が読めなかったからとかもそうである。今どきメザシばかり食べている指導者は時代にあわない、首相とかの労働や責任は大変なものでありそんな贅沢をとりたてて責めるべきではない、そんな料理は金持ちならみんな食べているからだ。今は貧乏な時代ではないのだ。管首相は金持ちの家ではない,だから別にかまわないのである。そんなことより別なことに関心を向けるべきなのである。

今や何するにしても時間との勝負である。何かを書くということは時間がかかり結構手間だし知的労力がいる。知的労働というのがあんだけどこれには報酬もない、インタ-ネットでは報酬はない、でも書きたいことを書けるのが強みである。インタ-ネットではメデアをもっているから本当はすごいものになる。でもまだプロは金にならないから参入していない、ほんの一部だからものたりないともなる。


原町と相馬市は雰囲気が違う、ひぐらしが鳴いていると何か城下町にあっている。原町にはあっていない、原町のレストランでは高見食堂で20キロ圏内に入って家のものをとりにいって人達がいた。いわきナンバ-だから小高ではない、双葉郡の人達である。なかなか二時間では持ち出せないとか言っていた。ちょうど20キロ圏外にでる所のビジネスホテルだから泊まったのだろう。相馬市では七夕飾りを田町通りでしていた。野外音楽もやる。用事手相馬市に行く方が多くなっていた。外人のテレビ取材が来ていた。何かとこの辺は取材が多いのである。
浜街道というとやはり浜と山がある。でも浜は津浪でやられた。浜に近いから浜街道だった。松影の道が涼しかった。風は海から浜から吹いてくる風である。やはり浜街道なのである。


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クリック拡大! パノラマ写真-松並木

 

原発の深い闇(戦争中と同じ統制-宝島社より)


原発の深い闇
(戦争中と同じ統制-宝島社より)

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これをみると名だたる日本の雑誌は全部が東電から金をもらい原発推進してきた。テレビ関係もそうだった。意外なのは「潮」であるがこれは創価と公明党の機関紙である。ここに入社した人の仕事はまず広告をとることである。新聞社でもどこでもそうだけど広告なくして経営がなりたたない、その時点ですでに言論は制約されけいるのだ。何か批判するにしても金をもらっているとすでにその会社を批判はできない,そしたらすでに偏った報道しかできない。ともかく何を主張しても批判してもいいが金をもらった時点でそれができなくなる。でも現実問題として雑誌であれ出版であれ新聞であれテレビであれ金がかかりすぎる。だから宣伝費でまかなうほかないから公正な報道などできないのである。

それを象徴しているのが福島民報などが創価の聖教新聞を刷っていることである。地方新聞に新聞をすらせて批判をおさえる。この時点ですでに地方新聞も公正な報道などできない、一つの創価公明の機関紙の一部とさえなっているのだ。創価は目的が権力奪取と公然と主張している団体である。宗教もその手段にすぎない、だからこそ司法や公務員や警察とかを会員を入れておさえろとかそうした権力をとるためにあらゆる手を尽くしている。このことは東電ともにていたのである。当然東電は金になるとなれば食いつくから宣伝費をとるために積極的に働きかけたし公明党も積極的な原発推進だった。原発を推進したのは自公政権だった。東電は信じられないほどの利権をもっていた。今になると巨額の賠償金問題になっているがそれにも応じるとういから驚く、3兆円のもうけがなくなるとかいうのもにも驚く、それだけの金がなる木だったのである。その力は国さえも簡単にとりこむほどの財力をもっていた。何も創価と公明党だけではない、原水協にも電事労連とか電力会社の組合の会員がいるので原発に反対できなかったというのもそのためである。確かに一向に原発に関しては何の反対の声もなかった。
「電気は国家なり」というときそうだった。国の教科書でも原発は危険だとか国の力で書かせなかった。まるで戦争中の言論統制と同じだった。というより金になるから積極的にマスコミも応援して加担していたのである。

 


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いかがわしい雑誌社として地元の「財界ふくしま」などもそうだった。プルサ-マルなどで原発を批判した記事をのせていたがあとでぷっつりと批判をやめた。そもそもここの主催者は竹内氏は何かと闇の多い人物だった。つまり雑誌を出してそれを脅しに使っていた



明治時代の新聞記者が、羽織を着て立派な身なりをして、正義の味方のようにふるまい、事件・事故をかぎつけては金品を巻き上げたことからつけられたあだな。
今でいうインテリ・ヤクザといった感じなのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/Syouka/20100429/1272547997

こういうところから発しているのが新聞とか雑誌の成り立ちだった。だから今でもそういうことはあり現実に竹内氏などはそうだった。福島県出身でも福島県のことなど思っていない、利得だけを追求している。福島県はその種にすぎない、福島県とか郷土を愛すとかは全くないのである。そういう人が出している雑誌を信用できるだろうか?地元には地元に思い入れある人がかかわるべきである。今になると本当に福島県のことを思い原発の批判記事を書き続けたら福島県民に支持されてその株は上がったのである。本当に今になると手の裏を返したように原発を批判のオンパレ-ドだけど3月11日前はその正反対だった。朝日新聞も推進派であった。右翼だろうが左翼でも一部をのぞいて推進派だった。つまりこれは戦争のとき同じだった。大本営発表であり日本国民全員が原発を推進し戦争を推進してそれに逆らうことはできなかった。

いかにマスコミなどは戦争の時と同じように信用できないものかわかった。中国のことを批判するが中国と変わりなかったのである。それはすべてが利得しか眼中にないから利得になるものは飛びつく、それが原発のようなものでも危険なものでも利得になればいいとなりマスコミも金になるからと容認したのである。だから今になりそんなに反対しても信用できないのである。


原発を誘致した渡部恒三。そして、GEを手引きしている息子の恒雄。原子炉の冷却を実現できた、
http://hiwihhi.com/togofujita/status/62759917974597633


渡部恒三は福島県の政界のドンである。この人も福島県のために働くというより福島県を利用して自分の利権を追求した人でもあった。佐藤栄佐久前知事が選挙で追い落とされた。濡れ衣を着されて検察が動いた。新しく知事になったのは甥だったのである。これもいかに原発に関しての闇が深かったかわかる。原発ムラに反対すればどうなるか?検察まで動く、検察はもともとアメリカに日本が負けたときアメリカ側につくように仕向けられていたし今でもそうであるから信用できない、GEに息子が就職していたというのも手先だったことが明確である。 GEのアメリカの責任は日本では問うことができないのである。


いづれにしろ津浪がなければこうした原発の深い闇は暴かれることはなかった。もちろんいづれ事故は津浪でなくても起きた。でもこれほど劇的に闇が暴かれることはなかった。もはや人間の手では暴くことはできないようになっていた。でも津浪が自然の力が神の力がその闇を暴いたともいえる。だから人間にはつくづく限界がある。自然の力でも神の力でも働きその闇は暴かれ裁かれるということを実感した。そういうことがなけれは闇は延々とつづいていたのである。

posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連