2011年08月09日

家という建物の歴史 (土地や家に愛着するのはなぜか)


家という建物の歴史
(土地や家に愛着するのはなぜか)




家という建物の歴史


裸電球一つが灯っていた
北風がうなっていた
ヒュ-ヒュ-と北風が吹き込んだ
布団にくるまり寒い寒いと寝た
その頃暖房は炭だった


トタン屋根の古い家だった
雨漏りがして洗面器を家中に置いて大騒ぎ
道は舗装されていず砂ぼこりがあがる


この家は二度も水害にあった
土地が低く堤防がまだ安全ではなかった
家はめちゃくちゃにやられたが
辛うじて残った
子供のとき泣いた


その時どうしても二階がないので
ものを二階に運べず逃げられなかった
だから二階のある家を建てようとした
そして大きな二階のある家を建てた
それを姉は自慢していたが
その姉も死んだ


その家を自分が引き継いだが
今度の地震で瓦など壊れたが
40年過ぎてまだ使える
ただ大きな家だが住める
死ぬまでここに住めるだろう

水害はもうありえないだろう
安全な堤防ができたからだ

こうして家にも歴史がある
家には歴史の重みがある

もっと古い旧家なら大黒柱が黒光りして
江戸時代からの歴史を語るものもある
この頃の家は寿命が短い
それだけ家の歴史の重みが残らない


何事過去をふりかえって今がある
家一つにも歴史があり
家は実際は風雨に耐えて残っている
この家もがんばってくれたなとか
そういうことを思うのは家にも歴史があるからだ



最初住んだ家は平屋で古いトタン屋根のいかにもヤハな感じのする家だった。この家は最初、人に貸していたことがあった。長屋みたくなっていた。それでそのことを姉は語っていた。自分が生まれたときは長屋ではなくなっていた。子供のとき小学生頃までは燃料は炭だった。その頃生活は江戸時代とたいして変わりなかったのである。そういう生活体験があることは今になると貴重である。あまりにも変わりすぎたからである。家には裸電球しかなく、電気製品はなにもない、飯台一つを囲んで家族で食事していた。これは自分の家だけではない、他でもみんな同じだった。小学生から中学校になるころテレビがでてきてその頃から急速に変わりすぎたのである。水害は二度経験している。自分の土地は低くて一番被害が大きかった。よく流されないと思った。電柱があって流れたものがそこにひっかかり辛うじて残ったのである。その頃真野川は安全な堤防が作られていなかった。二度目の水害の時もそうだった。それから安全な広い川にして堤防も頑丈になり水害はなくなった。


家一つにもこうして歴史があるとき家そのものに愛着を覚えてくる。家にはそれぞれ歴史があり郷土史がその個々の家からはじまるというのはそのためである。特に祖父母から聞く話から郷土史がはじまるというのはそのためである。こうした歴史をふりかえるのは必ず今を見直す、今の価値を見直すことになる。原発事故があったけどこれもなぜそうなったのか、そこにはやはり40年くらいたっているからその歴史を見直すことからはじまる。何かを語る場合、批判するにしても歴史的に語らないと本質的なものが見えてこない。人間は歴史的な継続の中で生きているものでありその歴史が喪失すると現在のこともわからなくなる。津浪にしても貞観津浪の再来だったことがわかった。その歴史が見逃されていたのである。千年前に大きな津浪が来たということを東電に学者が言っていて注意をうながしていたのである。だけど東電では笑ってとりあわなかった。そこにやはり歴史的に思考することが欠けていたのである。


人間は目先の利益に眼を奪われるだけではなく、先の長い眼をもつ必要がある。そのためには過去のこと歴史的思考を身につけることである。ところが人間は目の前のことに心がすべて奪われる、すると過去のことは見えなくなる。過去が見えなくなることは実際は未来も見えなくなっているのである。過去と未来は一体なのである。現在と未来が一体なのではない、過去と未来が一体なのであり現在から未来は作れないのである。今の問題は過去を掘り下げることにもなる。地震の液状化になったところは昔は沼だったとか今回の津浪に襲われた所はほとんど開拓されたところでありそこは海だった。その海にもどったというのもその一つだったのである。どなん小さな村でも町でも日本では長い歴史がある。だから双葉町でも今回原発事故で避難した市町村の人達が故郷に帰りたいというとき、自分のような二代目くらいでもこうして歴史をふりかえるのに長い歴史をもって生きてきた人は愛着があり帰りたいというのはわかる。他に移ったらその土地と共にあった歴史が失われる。だから先祖代々の土地から離れたくないというとき、そこには自分の家よりも長い歴史、江戸時代から農家をつづけてきた同じ土地でしてきた人がいるからそうなるのである。

 
 
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南相馬市30キロ圏外の不満 (8月から医療費も普通に払わされる)


南相馬市30キロ圏外の不満
(8月から医療費も普通に払わされる)



 主婦の女性(61)は「30キロ圏外の地域は、仮設住宅用の土地提供や避難区域の子供の受け入れなど行政に貢献している。それなのに(30キロ圏内では減免対象となる)国民健康保険税や介護保険料は免除されない。さらに東電の仮払い補償(1世帯100万円)も対象外だった」と指摘。「原発事故は30キロなどで線引きできず、健康への不安は同じ。
http://woman.infoseek.co.jp/news/society/story.html?q=sankein_snk20110807069

7月までは医療費が無料で得したと思った。8月から普通にとられる。30キロからわずか離れても医療費の援助はなくなった。30キロ圏外が本当に被害たいして変わらない所なのに損だったことは確かである。ただ義援金5万はもらった。それで良しとしろということだろう。一所帯百万の補償金はもらえないにしても医療費くらいの援助があってもいいと思った。鹿島区では確かに仮設住宅の土地を提供したりいろいろ援助している。原発事故の時でも半分は避難した。残った人も不安だった。その後も精神的苦痛やいろいろな不便を強いられている。アマゾンの通販も利用できないとか被害もある。でも田畑をもっている人とか地震で半壊以上とか具体的な被害がないと医療費も補助されない、要するにこれからは何も補助されない、でも六号線が開通しないのは原発事故のためである。津浪の被害では今はない。いづれにしろ原発事故の補償を言ったらもはやきりがない、休業補償としての支払いがありこれを適用したらその範囲は福島県だけではない、それだけ大変な補償となる。得した人がいても泣き寝入りの人も多数出てくる。


もう正直放射能の話しを聞きたくない、嫌になった。放射能で何か食べられない、ここも年間やその後の放射能の影響でガンになるとかそうした話すら聞くの嫌になった。そうした精神的苦痛が大きいのが原発事故の放射能騒ぎだった。その苦痛は実際は全国に及んだ。原発事故の被害がこれほど広範囲になるとは国民も予想していなかった。毎日、毎日、放射能、放射能で日が暮れることは異常である。それ自体が精神的苦痛を与えたのである。浜通りでも中通りでもこうした精神的苦痛を与えられたが郡山市でも福島市でも何の補償もないからここに補償がないと声高にも言えない、もう東電でも政府でも補償には限度がある。あとは犠牲させられるのだ。もちろん不満な人は東電に要求すればいい、でも補償しきれないから泣き寝入りになる人も多い。それもこれも原発事故はそれだけ広範囲に被害を与え犠牲をうむ。40年間恩恵を受けた双葉町や大熊町などはしかたないだろうとか言われる。それもそうかもしれない、その他の市町村は今まで恩恵はほとんどない、だから腹ただしくなる。


いづれにしろ原発事故になったら被害がこうなるんだという見せしめが福島県だった。放射能のモルモットだというのも本当である。一旦事故が起きたら原発の回りはあんな被害を受けるんだよという見せしめである。アメリカは黄色人種の日本人だから原爆を落とした。人間を原爆のモルモットにした。原爆では実際に10万人以上死んだから今回の事故とは性質が違っていた。でも精神的苦痛は原発事故の方が長引く、放出された放射能の量もけたはずれに多いのである。ただ爆発しないから死者はでていない、だかそのあとの処理が大変であり精神的苦痛が大きいし長びくである。広島の原爆などではこんなに広範囲に死の灰はばらまかれない、その量も少なかった。原発事故はその後が大変だし広範囲になり精神的苦痛が長びく、ガンになく奇形になくとかそれが風評被害でも無視するわけにはいかない、そういうことで精神的に疲れてしまう人も多くなる。自分も毎日そうしたことを聞いているのが嫌になった。子供をもっている人はさらに大変であり心配が尽きない,今回はその心配することで疲れてしまうのである。例えガンにならないにしてもそうしたことを毎日言われるだけで心配になり疲れてしまう人が多ちなる。本当に原発事故の放射の問題は心労の部分や風評被害が本当に重くのしかかることだった。


ともかく一か月後に入院するとして無料になると思ったが損だった。30キロ圏外でも医療費くらいは無料にしてもちいたかった。30キロ圏外やその他は泣き寝入りであり犠牲にされる。それが原発事故だったのでる。

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2011年08月10日

UNITED SOMA MAP(相馬藩内の市町村)


UNITED SOMA MAP(相馬藩内の市町村)

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相馬藩くらいが人間としてちょうど地理的ちも一体感をもてる世界だった。余りに広いと人間は地理的に把握できなくなる。これはあくまでも地図上ではなく人間のヒュ-マンサイズとしての感覚である。相馬藩くらいの地域がちょうど人間の感覚でとらえられるのである。ここには海もあり街もあり山ありと世界の縮図としての世界がある。飯館村も山中郷としてあったのはやはり山から水が流れてくるからである。そこで地理的にも一体感があった。放射能騒ぎでセシウムが流れてくるとか問題になったのもそのためである。水の供給地として飯館村があった。浪江も標葉郷としてあり葛尾村も飯館村と同じ山中郷としてあった。双葉町が相馬藩の境界だった。この辺までが一体感がもてる。歴史的にも地理的にもそうだった。ただ放射能を考えるとこんなに広範囲に影響するとは思わなかった。中通りはもともと地理的一体感をもてない、それが放射能でかえって影響が大きかった。風には境界はなかったためである。

ともかく相馬藩は山あり海あり平地ありといいところだった。気候的にも今年はそれほど暑くない、去年は本当にここも暑かった。でもここは海からの風が吹いてくるからそんなに暑くならない、気候的には恵まれた所であった。それだけはいい所だと思っていた。会津のように雪も降らない、松川浦などの浦ももあった。明治時代前は八沢浦は文字通り浦であった。それを津浪が再現したときは驚いた。いつもあそこが入江になっていることをイメ-ジしていた。しかしあの浦浪が奥によせてきた。、春の光にきらきら光りよせてきたことは想像できなかった。想像を越えているのが自然だった。一度しか見れないにしても現実に見たことは奇跡的だった。あそこは都の役人が歌ったようにそういう場所だった。松原はなくなったが津浪にも残った松は記念の松となった。右田浜は昔の湿地帯にもどった。


橲原は奥まった所であり南相馬市の鹿島区の奥座敷である。江戸時代は大原もそうだった。県道が通りそういう雰囲気に欠けるようになったが「大原山人」という人がいたことでもあそこはやはり橲原とにていた所だった。小高は縄文時代の遺跡が多いということは昔から貝などをはるのに適した場所だった。相馬藩でも山には山の役目があった。木材や馬の飼料となる草が多かった。だから馬を多く飼っていた。その馬は三春藩などにも売られた。葛尾村となると三春藩に近いから藩主が葛尾大臣が招待したというのもわかる。鉄作りでは鉄の素材となるものを請戸港から岩手県の宮古からも運んだ一大製鉄所として栄えた。製鉄となると大量の薪が必要になるから山の方がいいのである。

相馬藩は確かに海があるということが福島県の中で違っている。飯館村を通り塩の道があったというのもそのためである。原釜には塩田があり双葉町にも塩田があり塩を東京の方に売っていたということもあった。その塩田が東京の財閥に買われやがて原発が建てられたのである。



昭和38年には用地交渉中であったので、現地調査は東電の人とさとられないように若い女子社員を連れピクニックをする格好をして日曜日にサイト内を歩いた。5千分の一の航空写真化地形図を頼りに中央の沢を下って海岸に出ると、塩水を汲み上げていたパイプの配管が寸断されたまま沢の途中に残っていた。沢の上方に古ぼけた掘立小屋(若衆宿跡?)がありその北方に平坦で広大な塩田用地(元陸軍訓練所飛行場)があった。
http://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/04/07/



そもそも夜ノ森は余の森であり相馬藩主が余の森として境界争いしたところである。だから原野の風景が明治以降も残っていた開墾されたのである。原発の位置としてはいわき市の昔の平からも離れているし相馬市からも離れているから適地だった。しかしこれほど相馬藩内が原発事故になり苦しむことは想像できなかった。それだけ原発問題は国民的にも県でも市町村でも隠されたものとして秘密のベ-ルのなかにありうかがい知れないものとしてあったのだ。それが今回の事故にもつながっていた。城のあった相馬市は辛うじて被害がまねがれたにしても相馬藩内はぐたぐたに傷ついた。回復されないほど傷ついてしまったのである。


橲原村と大原村の地想学(トポス)

http://musubu.sblo.jp/article/43639625.html

posted by 老鶯 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2011年08月11日

南相馬市は仮設住宅8月まで約2500戸完成


南相馬市は仮設住宅8月まで約2500戸完成


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ベンチがあるのもはめずらしい、ここで休める

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建築中

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地図クリック拡



鹿島中学校の裏は一大仮設住宅地となった。ほとんどが小高から来た人となると鹿島区に小高区ができたようなものでる。

福島県南相馬市は12日、福島第1原発事故などの影響で市外に避難している市民約2万8000人に対し、8月末までに避難所を退去して、自宅や市内の仮設住宅などに入居するよう求める文書を送付した。
市は「避難所を出て自立を促すのが狙い」と説明している。
南相馬市が「帰還要請」 市外避難2万8000人来月中に 市によると、市外にいる避難者は11日現在、福島県1万565人、宮城県2200人、山形県2007人、新潟県2548人など。送付した文書では、体育館などの公共施設などに開設された1次避難所の避難者は今月中に、
宿泊施設などの2次避難所は8月末までに、それぞれ退去するよう促している。

ただ、南相馬市は原発事故で警戒区域や緊急時避難準備区域などに分かれており、自宅に戻れないケースもある。市は8月中に約2500戸の仮設住宅を完成させ、入居希望者に入ってもらうという。 市地域振興課は「放射性物質への警戒感が強いのは承知しており、市内に戻るのを強制しているわけではない。戻らない場合は、民間の賃貸住宅に入るなどしてほしい」と説明している。
1次避難所閉鎖後も136人が2次避難中の山形県米沢市では12日、同市駐在の市職員による説明会が行われた。 説明した職員によると、山形県内では9月末に2次避難先のホテルや旅館と滞在契約が切れる。滞在を延長することによって、夏から秋の観光シーズンに影響を及ぼさないよう配慮したという。


<避難者猛反発 「あまりに唐突」 米沢で説明会>


福島第1原発事故で全国に避難している市民に向け、南相馬市が「帰還計画」を提示した。136人が2次避難する,米沢市内では12日、2カ所で説明会が開かれたが、原発事故が収束しない中、避難先から退去する時期の目安だけが示された形だ。一日も早く帰郷したい気持ちとは裏腹に、避難者の多くは「あまりに唐突だし、現実的でない」と反発した。
説明会会場の一つ、市中心部の置賜総合文化センターには、主にビジネスホテルに避難する17人が集まった。

説明が終わると出席者が次々に発言。「放射線の値は明らかに安全なレベルでない。それを浴びに戻れと言っている のと同じだ」「仮に戻っても、仕事や生活環境を補償してくれるのか」「病院も学校も元に戻っていないのに、帰ってどうするんだ」など、計画を批判する声が上がった。


説明会後、原発から20キロ圏内に自宅がある南相馬市小高区の元会社員斎藤祐樹さん(28)は「市内が安全だと言い切れるのか。現在進行形の原発問題が収束しない限り、不安で帰れるわけがない」と語った。 20キロ圏内で建設会社を営む木幡竜一さん(47)は「市は早く戻ってきて復興に力を貸してほしいと言っているが、まだまだ復興に動き出せる段階ではない」と首をかしげた。

米沢市三沢コミュニティーセンターでも説明会があり、温泉旅館などに身を寄せる11人が出席した。30キロ圏内の自宅から9日がかりで同市に避難した板金業水本サチさん(75)は「帰還後に再び原発事故が起きた場合の再避難の方法は考えているのか。あてもなく逃げるような思いは、もうごめんだ」と話した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110713t61011.htm

南相馬市が示した帰還計画について質問する避難者たち=12日、米沢市の置賜総合文化センター
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110712037jd.jpg
 


鹿島中学校の裏の仮設住宅は数が多いから敷地も広い。まだあそこにあの倍はふやす。工事中である。2000戸くらいまで完成したのか?どこも満員になるくらい入ってきた。ただ鹿島中学校の裏はまだできる。ともかくほとんど小高の人である。知り合いの商売していた女性は山形の娘の所に行っていた。それから今は鹿島中学校の裏の仮設に母親と一緒に入っていて昨日も来た。仕事で困っている。でも病気などしたりしているから仕事できるのかとも思う。部屋は二人だと一部屋であり窓も小さく窮屈だというのは外から見てもわかる。でも小高の人は原発関係だから一人十万とかもらえるから生活費には困らないと思う。津浪被害の人で仮設に入っている人は一割にもみたない、小高は一万以上人口がありいなくなったのだからその数の移動が大変である。それでも土地も家も残してあるのだから事情が違う、小高は放射線量からしたら帰れるように思う。今日は鹿島区で行うのは津浪の被害者の合同慰霊祭であり真野川で灯籠流しみたいなことを行う。これは原発事故とは違っている。漁民していた人でも津浪は原発事故を一緒に考えている人がいる。津浪の被害が原発被害になり補償を要求する。松川浦では沖に船をだして120隻あった船の90隻以上助かったというから津浪への心構えができていたしそういう言い伝えもあったから全く津浪に無防備ではなかった。魚もとっていないから今ならとれるというが原発事故でできなくなったのでこれは補償されるだろう。ともかく福島県は原発事故の方が大問題だった。津浪だけならこれだけの被害にはならなかった。


どうでも良いと思ってんだろ?人口さえ戻れば地方交付金と住民税が入る。
公務員どもにとっては貴重な現金収入だ、というかそれ以外に稼ぐ方法を
知らなかったりするんでない?住民が多数流出してしまうようでは、税収の
大幅減が避けられない。すると公務員はペイカットに苦しむことになる。
結局はテメーの銭の問題なんだよな。帰還させた所為で何人死のうが
知ったこっちゃ無いんだよ。みんな逃げて。特に妊婦と子供と若い人。
子供は遠い遠い町まで逃げて児童養護施設に転がり込みましょう。
公務員さん、村民を騙す前にあなた方こそ自助努力をしなさい。



公務員にしても市がこんなふうになると仕事自体も大変であり公務員は楽だとはならなくなった。だからいちがいに今や公務員を批判はできないだろう。公務員も住民がいなくなり税金が入らなければ勤まらない、こんな状況では税金も入らないし給料も払えないとかなる。実際に市でも夕張のようになる。普通そんなに市民の税金で給料をもらえていることを意識しない特権階級である。こうなると税金もらえないと公務員でも食べていけせないとなってしまうのだ。  
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真野川で灯籠流し(南相馬市合同慰霊祭)



真野川で灯籠流し(南相馬市合同慰霊祭)

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動画




この花火は長岡の人がきてやっていた
静岡放送局でも来ていた

今ややっている
小高の人もみんな見ている

真野川に灯籠の灯や延々と

みんな見る小高の人も花火かな

満月のい出ておりしも供養する灯籠流し霊の安かれ




真野川で灯籠流しを今日していた。合同慰霊祭でありこれは南相馬市の津浪で死んだ人達の供養である。原発事故では一人も死んでいないのだ。でも実際あとあとまで災いだったのは放射能問題で原発事故だった。森も汚染されて危険だとかがっかりする。田舎に住むメリットがなくなってしまう。


小高区の人が集るから人出がある。わかったことは人口というのが活気に相当影響があることだった。いたるところで目立つのが小高区の人である。そうでないと人口が少ないと何か祭りをするにしても人が集らないのである。3000人とか増えると町は確実に変化する。活気が出てくる。それも5千人増えればさらに活気がでてくる。鹿島区の全盛期はちょうど今の人口に5千人たしたくらいであり子供も多く活気があった。5000人減ることはいかに影響するかわかる。

そして子供が多い若い人口が多かったことである。だからさらに活気があったのだ。今は5000人へってさらに老人の人口ばかりふえる、高齢化するから活気がなくなってしまったのである。

ともかく満月がこうこうと光っていた。霊の安かれと祈るほかない。夜も暑くなった。
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2011年08月12日

福島県の報道メデアの怠慢 (地元のメデアも地元の味方ではなかった)


福島県の報道メデアの怠慢
(地元のメデアも地元の味方ではなかった)


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静岡放送局



福島民報社で昨晩の真野川の灯籠流しの写真を写して報道していたけど写真は一枚だけだった。自分のプログでは写真を4枚と動画も出した。するとどうしても地元の人が写真をとるにしても有利だとなる。民報や民友も地元だけどそれでも福島県全体となると広い、さらに細かい地域の情報が必要になる。そして地元に住んでいる人は地元のことが自然体で身についているから報道するのにも福島県全体からみるより詳しく報道できる。実際に会津には会津新聞が必要である。会津は山国でありあまりにも同じ福島県でも風土が違いすぎるのである。今回は浜通りということで原発事故がありいろいろ自分もプログで分析して報道した。インタ-ネットは実際活用範囲が広いのである。動画すらのせられる。これを拡大化すれば一つの新聞にもテレビ局にだってなれる要素があるのだ。


今回原発事故で問題になったのは地元からのメデアの怠慢がかなりあったと思う。福島県民に対する思い入れが欠けていた。広告を出すにしても福島県の会社や市町村が多い。そこから収入を得ているとしたらそのよってたく基盤は福島県民でありさらにその市町村だとなる。その福島県民が今回は最大の被害にあった。ただ福島民報では聖教新聞を刷っているようにその資金源が福島県民だけだとは限らない、「財界ふくしま」の主催者の竹内氏なども福島県出身者でも福島県民を利用するというだけであった。なぜならプルサ-マルのことで東電を批判する記事を連載していたがある時からぷっつりとやめた。それは東電から金をもらったためである。

ただ雑誌を大会社の脅しのために使っている。これはマスメデアにはテレビでもある。なぜかといえば報道するのには巨額の金が必要だからである。出版するにしてもそうである。そして新聞でもテレビでも雑誌でも一方的メデアでありそれが大衆の洗脳的メデアとなっていた。テレビなどは何か催眠効果すらありテレビを見ていると一見洗脳されていないようでされているのである。マスメデアが批判されるのそうした広告とか視聴率とか大衆洗脳メデアとしてありモラルが欠けているからである。でも報道する方にしてはむずかしいこと言っても大衆はついてこない、視聴率がとれないから宣伝効果もない、広告料も多くとれないから視聴率をとれる番組作りになる。それが大衆洗脳メデアになっている。やはりよってたつ基盤が根本的に悪いからそうなる。


前知事の佐藤栄佐久氏は福島県では悪いことを聞かなかった。聖人とまで言われてた。それが突然なぜ逮捕されたのか?そのことを福島県の人は違和感を覚えた。でもその真実は福島県のメデアでは報道されなかった。今になってその背景が明かになった。渡部恒三一派が佐藤栄佐久知事を東電と一体となり追い落としを計った。今の知事は渡部恒三の甥であり原発の推進派であり佐藤栄佐久前知事が問題にしたプルサ-マルのことはうやむやになった。このことについてなぜ福島県民はもっと怒らないのか不思議である。もちろん福島県のマスメデアもあまり問題にしない、これは明かにテロになるくらいの重大な問題であった。これほどの被害を与えた張本人というべき人がのうのうとしていることがわからないのである。大石英司氏のプログを毎日見ているけど渡部恒三が首相に一時的にでもなればいいと言っているのも信じられない、福島県のことが作家でプロであるのわかっていないのか?まあ、作家などはでたらめな人が今までも多かった。だからそんな人かとも思う。要するに福島県人は特に双葉町は原発推進をすすめたから責任あると外からは見られている。福島県民自体が責任あるともいわれる。確かに福島県の政治家のドンがそうなのだからどうにもならない、メデアも原発に関しては何も問題にしていなかった。東電から金が入っているから全国のメデアと同じである。福島県としての地元に根付いた報道がなかったのである。


情報は身近な所でもわからない、小高町はすでに前から原発を立地する契約を東北電力会社と契約していた。その後に南相馬市と合併したから問題だったと地元のプログで指摘する人がいた。これもプログで知った。そういう大事なことでもわからないことが多いのだ。このままだと10年後に原発がまたできていた。小高の建築関係の人は原発できたら景気よくなるよとか盛んに言っていた。その人は津浪でやられ原発事故で命からがら逃げた。地元の人も利益優先の人が多いのだからメデアだけを批判できないことは確かである。でも小高町が東北電力とすでに原発を建てる契約をしていてその交付金までもらっていた。それを今回は断った。もはや原発は建てられない。地元の人でも地元のことがわからないという盲点がある。それはやはり知らせる人がいないとかメデアがないということもある。確かにインタ-ネットはそういうことができても目立たないから広がらないということがある。いづれにしろ報道する権利は誰にでもあった。ただできなかっただけである。


今回の真野川の灯籠流しでは静岡かの放送局からも来ていた。こんな遠くからも来るのかと思った。原発事故は全国的関心が高いから実際は全国から来ているのだ。でも地元の人でないと思い入れが薄いから報道するにも興味本位になりやすい、地元の人だったらそれも実際に津浪で死んだ人が供養して灯籠流ししているのと他から見ているのでは思い入れが違ってくる。地元の人でも津浪の被害にあわなくてもかかわり方は違ってくる。そういう差が報道にでてくる。報道というのはこれまでマスメデアでありマスを一方的に洗脳するメデアだったのである。だから肝心なことは報道されなかったり大問題も追求されないしその結果として福島県民であれ全国民であれ原発事故でこんなひどい被害を受けたのである。メデアが全部責任あるわけでないにしろそういう一方的洗脳メデアだったからこそ東電はそこに莫大な金を出して今日の大事故の原因を作っていたことは否定できないのである。 結局民主主義の社会とは指導者が全部責任があるわけではない、ただ事実も知らせないなら中国と同じように報道統制があり共産主義と同じだった。日本も原発に関しては政府と東電とマスコミと官僚と政治家と一体となって真実は知らされることはなかったのである。

マスメデアの時代は終わった
http://www.musubu.jp/jijimondai39.html#mass

posted by 老鶯 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年08月13日

原発事故で自覚させられた歴史と文化 (稲作は歴史で培われた文化)


原発事故で自覚させられた歴史と文化
(稲作は歴史で培われた文化)

 


故郷に実りなき日ありにしや飢餓の碑残るその片隅に


相馬藩苦難のときの形見かな飢餓の苦しみここに残りぬ


故郷に実りなき日や稲穂なく草茫々と今日も暮れにき


故郷に一代のみならず何代も住みにし土地を離る苦しさ


人住むは一代にあらじ故郷を築く年月その長さかな



お盆でまだ実りの日は早いけど外を見れば稲穂が風になびいている姿は見えない、こういう光景は稲が作られてから見たことがない風景だろう。津浪の被害でも水田は稲を作れなくなった。二つの被害が重なった。こういうことはこの辺では有史以来はじめてだとなる。その有史となるとこの辺ではいつになるのかむずかしい。相馬藩が成立してから正式な歴史が残されるようになった。相馬藩は国替わりしていないから一貫した資料が相馬藩政記にあり外部の研究者も参考にしている。飢餓の歴史は全国にある。ただ相馬藩の被害が大きい時があった。三分の一の人口が減った。この時は相馬藩がつぶれるかつぶれないかの瀬戸際だった。何とか移民政策で穴埋めして立ち直った。その時越中などからの移民が多くそれで真宗系統の寺がその歴史を伝えている。相馬の民謡はそう移民を呼び込むために作られた今で言えばコマ-シャルソングだった。それだけ人を呼び込むために必死になっていたのである。なぜなら三分の一の人口がへれば藩が成りたたなくなる。そういう危機から生まれたのである。越中の人は相馬で苦労したが勤勉に働き相馬に土着した。

しかし今起きていることは飢餓によって人口が激減することではない、原発事故によって人が住めなくなる。現実に双葉町から浪江町から小高区から飯館村とこの辺は相馬藩の範囲内だけど人が住んでいない、これは相馬藩の半分の人口にあたる。だから三分の一の人口がへった飢饉よりひどいとなる。土地そのものも放置されて田んぼは津浪の被害も加わり放置された。だから毎日草ぼうぼうの故郷を見ていること自体未だかつてありえないことだった。飢餓があっても多少は実りはあった。今回は全くない、でも飢えることはないからまた違っている。ともかくこうして田んぼの風景がないということはもはや故郷ととはならない、故郷とは田んぼとともにあったのである。原発や工場がなくなっても故郷でありえる。田んぼがなくなったら故郷でなくなる。稲作とは単に経済的なもの、米を食べるというだけではない、前にも書いたけど米作りは水の管理が大事でありそれは水を供給する山とつながり共同性を育んだ。葉山信仰もそこから生まれた。稲作は文化である。文化というとき芸術的なものだと思っているが実際は違っている。人間の根本的な生のアイディンティティを形成するものである。そんなことを言うと都会の人は米ナショナリズムだとか何とか批判するけど文化は命と直結している。それが腹を満たすだけではない、心を満たすものだった。そういうことを意識して稲作をしている人はいなかったろうしそんなむずかしいことは関係ない、米の値段をあげてくれしか稲作に関わる人自体も思っていなかった。だからこそ簡単に原発が金になるということで無防備に誘致したのである。文化は意識しなくても命にかかわるということを存在意義にかかわっていたのである。


最初は稲が国家なりだったとことは間違いない、それで天皇が大嘗祭を行ない稲の神にもなった。次に鉄は国家となり鉄の王となった。そして電気が国家となり天皇まで東電の株をもっていたことで電気の神とはならないにしろ天皇の役目は民衆の要望によって変わってくる。原発は安全神話とともに絶対化して宗教にまでなっていたというときそれとにているのだ。津浪にしろ原発事故にしろ現代の文明生活を見直す契機となった。現実に一代だけではない代々その土地に住んでいた人が住めなくなるということ自体考えられないことでありこの被害は余りにも大きすぎた。生きる存在意義すらなくなるということもありえる。つまり米など作っても金にならないとか常に言っていた人達が今何を思っているのか?また現にここに住んで水田がない米作りしていない水田のない平野を見ていて思うことは何なのか?すぐに飢餓にはならないから深刻ではないにしろ精神的面での影響は大きいのである。ゴ-ストタウンになるのはゴ-ルドラッシュとか金属を掘って資源なくなったときになる。でも稲作はそうはならない、常民であり常にそこに継続している民である。

今回のことで人間は一代だけの思考で生きることの危険である。原発が作られたのはすでに40年であってもその歴史は最近のことである。原発もこれからも長くつづけて危険がなくなれば一つの文化となりえるかもしれない、鉄道はすでに文化であり工業がすべて悪いとはいえないからだ。ただそうなることはほとんど不可能な代物だった。米作りはすでに日本では千数百年の歴史があるから根強い文化なのである。この辺でも遅いにしても千年とかあるかもしれない、そういう長い年月で培われたのが文化なのである。文明は便利な道具としてその歴史は短い、でも文化は長い年月をかけて作られてきたものだからそれを失うと人間の存在意義すら失うのである。そういう深刻な問題を今回の事故で自覚させられたことは確かである。


今ドラマで見た会社をリストラされた人が存在意義を喪失して自殺した。それは単に経済的な問題だけではなかった。会社の存在がすべてになっていた。人間関係も仲間もすべて会社にありその会社をリストラされたときその肩書もなにもかも奪われて絶望して死んだのである。
この人にとって会社は命とさえなっていた。それが奪われたから自殺した。会社は文化でないにしろやはり存在意義が会社にあったのだからそれを奪われたことで自殺したのである。
農民より会社の方が身近な社会ではこっちの方がより真剣な社会問題としてあった。なぜならほとんどが会社人間になっているからそれだけ深刻になったのである。
 

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蝉(お盆で供養)


夕蝉(お盆で供養)

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墓所近く日陰の路地を猫歩む


耳澄ますひぐらし夜に鳴くかすか


老鶯のここに落ち着き動けざる


塀もなき庭に十輪ほど芙蓉かな


十輪ほど芙蓉の咲くや余裕かな


十輪ほど芙蓉の余裕住み安し


ひぐらしの夜に三度ほど鳴きてやむ


はかなさや路上に一つ蝉の死す


夕蝉や故郷に集うお盆かな


夕蝉や死者弔うお盆かな


亡き人を海に弔ふ松川浦観音のごと満月光りぬ


海に流す灯籠あまた亡き人の思いのこもる松川浦かな


人間はどこであれ長く住んでいればそこがいい悪いということより動けなくなってくる。移住することが一番むずかしいことになる。だから年取った人が原発の10キロ圏内とかでもまだ帰りたいとかなる。 そこは80マイクロシ-ベルトもあった。そんなところに帰れるだろうか?
猫と墓所はあっている、猫が墓所を歩くのがあっている。忍び足で音もたてない、墓地を騒がしくしてはいけないから猫があっている。

人間何をするにも余裕がない人は危険である。金に汲々している人は何するにしても危険である。特に福祉関係の仕事はするべきではない、でも金がないからこそそうした仕事につく人が多いから困る。医者でも看護婦でも仕事が大変だから余裕がないと患者に優しく接しられない、金に汲々している人も優しく人に接することができない、頭の中が金で一杯だから遂にはそういう人は犯罪に普通になる。余裕がないということは社会自体もそうであり例えば田舎はかえって都会より犯罪が少ないというとき田舎には土地とか家をもっている人が多い。金持ちでなくても資産がないと住みにくいし親から受け継ぐものがあるから比較的余裕がある。すると町全体でも余裕が生まれる。中には汲々している人も賃貸住宅に住んでいる人もいる。でも田舎では都会と違って少ない、都会にはそもそも無産階級が集まりスラムができやすい、田舎ではそういうことになりにくい、この辺で仮設住宅が増えたことはやはり町自体に余裕がなくなったとはいえる。もともとその人たちも広い所で余裕をもって住んでいた人達である。その人たちも余裕がなくなった。二人で一部屋だと部屋自体にも余裕が生まれない、長屋もいいというがやはり余裕がないといざこざが生まれる。余裕がないということは実はあらゆる面に影響するのである。

ともかく芙蓉のようにおおらかに十輪くらい咲いている、それは街自体にも言える。十輪くらいが悠々と咲いている、それはそれなりに余裕をもって暮らしている姿なのである。


今回の津浪で死んだのは海なのだから海に灯籠流して供養するのが供養になる。昨晩は真野川でしたが真野川は海ではないから向いていなかった。松川浦は向いている。あそこで本当に多数の人が津浪にのまれ死んだのだから・・・・ちょうど満月がでていた。それは同じだった。あの満月をテレビで写していたから視点としては良かった。満月はなにか観音様のように平和の象徴のように見えた。しかしなぜこんなにひどい被害を海は与えたのだろうかとなるとわからない、自然はただ無情無慈悲なかと思い実際に海を呪っている人もいる。その心もわかる。なんでこんな仕打ちをするんだということになる。何でなのだ、解せないのである。

ただこれからあの満月のようにあんな津浪が来るとは思えない、千年は来ないかもしれない、ということはあの満月はこれからの平和を象徴して光っているのかもしれない、平和の営みは松川浦では回復するのか?船は120隻あったが沖に出て90隻が助かった。これもこの辺では津浪のことをあまり聞かないが漁師では言い伝えられていた。津浪に無防備ではなかった。やはり海には海の言い伝えがあった。まだ船を沖に出す時間が余裕があった。他は船も残らなかった。船が残ったことは漁もできるが放射能問題で売れないとなるから困る。でも原発事故では船主には相当な補償がある。田畑をもっている農民にもある。何も権利もない人もある。自分などは8月からはなにもない、医療費も無料でなくなった。30キロ圏外は補償はない、ともかく津浪の被害であれ原発事故のことは長びく、放射能問題がなければすでに漁ができた。それができないからこの辺は延々と放射能問題で苦しむのである。

2011年08月14日

戦争と原発事故(特攻隊の大和魂の再現)

 
戦争と原発事故(特攻隊の大和魂の再現)

原発事故が何であったのか、そもそも自分など放射能のことなどわからないから逃げようともしなかった。逃げられない事情もあったが放射能の怖さを知らなかった。広島長崎の原爆はその恐ろしさを即座にわかった。十万も死ねばその恐怖にうちのめされる。しかし今回の原子力事故はそういうものではなかった。即座に爆発して人が多数死ぬということは起こっていない、確かに一人も死んでいない。でも放射能の危険を知っていた人はその現場で働く人だった。

爆発したときは相当に危険だったしどうなるかわからない危機感があった。もしあの爆発した現場にいたらさらなる大爆発が起こり原爆のようになるとさえ思った人がいた。だからこそ東電の社員も大勢逃げた。それは放射能の危険を知っていたからだ。放射能の危険を知らないものは簡単に逃げない、津浪でも津浪の恐ろしさを知っていたら即座に逃げた。そういう危機感がないものは逃げない、放射能の恐ろしさを知って逃げなかった50人が称賛されたのはそのためである。その時は死ぬのではないかという恐怖に襲われても残っていた。30キロくらい離れていれば爆発してもたいして害はないと考えていた。そういう人が結構多かったが郡山市や福島市まで放射能の影響があった。それは意外なことであった。


そしてその後の経過をみると爆発してまた爆発して黒煙があがった。あれば原爆のキノコ雲のように見えたから恐怖があった。そしてこれからどうなるのだろうと毎日テレビに釘付けになり見ていた。というのは逃げられないしそのあとどうなるのかが見当つかなかったからである。最悪爆発したらどうなるのかと戦々恐々して見ていた。自衛隊や消防隊の決死隊が来て消化活動したときはなんとかおさめてくれと祈るような思いで近くの人は見ていた。それは離れている人にはわからない危機感だった。人間はそうして被害を受けない限り被害を受けたものの気持ちはわからない、ただ事件でもテレビで第三者として高みの見物になる。その時大和魂の特攻隊の再現だというときこれが特攻隊なのかと当時の戦争のことがリアルなものとして共感した。

戦争のことは家族にも従軍看護婦としてシンガポ-ルに四年間いた人がいて死ぬまでその話を聞かされていたので身近なものではあった。しかし戦争という異常事態を理解することはむずかしかった。それは余りにも日常生活とかけ離れたものとなっているからである。しかしこの時
大和魂は死んでいないとかなったとき戦争のことも理解した。日本が危機に瀕したとき日本を救うために命をかける人達がいた。それは自分たちの命も守ることでもあったからよりリアルなものとしてあった。人間は直接的に自分の利害に関係しないものは関心がもてない、自分の命が危うい、その命を守ってくれのが今命をかけて消火活動している人達だとなると祈るような気持ちになった。一挙一頭足を注意してみていた。


特攻隊も戦争の原因は何であれわかりにくいにしろ特攻隊を志願した人や強いられた若者でも日本を救う日本の危機を最後に救おうとして自分の命を国のためにささげたことは間違いない、それは大和魂に通じるものであった。日本はぎりぎりになったときそういう人達がでてくる。一方で官僚や政治家のようにただ一身の安全を計り暴利をむさぼるものもいる。これは明治時代からそうなった。人間は危機のとき真価が発せられるのは同じである。戦争というのは今になっても何かわかりにくい、全容をとても理解できない、人間の弱点は今の時点からしか理解できないからである。今の時点からしか過去を考えることができない、そこに過去に対する誤解がいろいろと生まれてくる。それはどうしようもないことである。特攻隊についても国のために犠牲にされた気の毒な人達だったというのもわかる。その責任は誰にあるのかともなる。ただ特攻隊の若者の心は純粋でありただ国のために命をささげた。最後のぎりぎりのところでそうなった。それは今回の原発事故のことでわかった。日本中がなんとか原発事故をおさめてくれということでは一致していた。日本国が滅んでしまうとかの危機感すらあったからだ。もうチェルノブエリのように決死隊で収めるほかないとまでなっていたからだ。現実にチェルノブエリでは30人くらい死んだからである。その人たちは今は英雄として祀られている。


本当に国のために民衆のために働くものは誰なのか?それは官僚でも政治家でもなかった。
消防隊やら自衛隊やら警官でもそうだった。官僚や政治家や学者は率先して津浪でも原発事故でも救助にあたらなかった。自衛隊では三人死んでいることでもわかる。そういう過酷な現場で働いた人は官僚ではない、そして原発事故でも残った50人をのぞいてはそうではなかった。保安院とかは一番あてにならない、危険のさい何の役にもたたなかった。だから不安院と呼ばれた。日本人の強みは危機にさいしては一致団結して最後にぎりぎりになったら大和魂で国のために命を捨てる人がでてくる。そういう国であることが今回の津浪と原発事故で起こった。

ただ津浪などでは火事場泥棒が横行したから暗黒面はあったからすべて称賛はできない,特に現代はそうした日本人的モラルは喪失していた。金だけを追い求めるのが常態だったからこうしたこが起きても普通のことである。ただ一方で危機のときには日本人は一致団結して協力するということはまだあった。そういうことを身近で目の当たりにした。戦争というのは未だに何なのか理解できない、それはあまりにも日常から離れすぎていて理解できないのである。そこには平和な日常でありえないことが普通に起こっている。殺人が日常だという世界がとても今の世界からは理解できない、だからなかなか戦争は何だったのかということが語れないのである。


みくにのため命ささげる若人のたぎる思いや鬼百合の咲く

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2011年08月15日

NHK-ETV特集アメリカから見た福島原発事故 (起こるべくして起こった事故)


NHK-ETV特集アメリカから見た福島原発事故
(起こるべくして起こった事故)



●原発のマ-ク1の危険性はGEも知っていた

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東電のHP(注1、注2)によれば、BWR(沸騰水型原子炉)にはマークT、マークU、そしてマークU改良の3タイプがあります。今、危機に瀕している第一原発1号機、2号機、3号機、4号機はいずれもマークTという旧式です。この旧式原発マークTの特徴は、米国GEオリジナルタイプであるということです。マークTは、GEの設計図に沿って、GEの指導の下で東芝、日立が建設したものです。

危機に瀕しているのは、もっとも旧い同じ敷地内の1〜4号機(GEオリジナル)に絞られます、つまり同じ第一原発でも5号機、6号機(1号機〜4号機の建設後のフィードバックにより改良されているはず)は危機に瀕していません。


後藤さん、マークT問題は分かっていたがアメリカでは廃止しようという話にまでなっていたのは知らなかった。日本ではさらにもっと柔らかくされ、問題の深刻さとして伝わっていない。ト



今回のNHKの番組はわかりやすかった。GE制のマ-ク1の原子炉は作った人も危険を感じていた。原子炉が小さいことなど初期のもので改良されていなかった。日本に導入されたときまだ営業運転すらアメリカでしていなかった。そういう原子炉技術として不完全なものを日本はアメリカからいち早く導入した。そこがつまづきの元だった。結果的に福島第二原発は日本によって改良されたものだから事故からまねがれた。理系でなくても今になるとその原因を説明されると霧が晴れたようにわかる。最初に失敗したのが津浪を想定しないから地盤を切り取り地震にそなえるため安定した所に建てた。これは鹿島建設が請け負った。建設会社も参加する総合的なものとして原発は造られた。そこで一番悔いているのが津浪を想定して高くしていれば女川の原発のように津浪にも持ちこたえた。東北電力は地元だから津浪を想定していた。地元というときやはり地元と風土に通じているから風土の影響を考慮する。


●風土と文化の影響を考慮しなかったのも原因

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そしてこの風土の影響は文化の基である。風土が文化を作っている。稲作が水の管理が大事だと書いたときそうであった。技術でも風土にあったものが必要である。日本でトンネルの技術が発達したのは山国だからそうなった。技術と風土は関係している。アメリカではマ-ク1の原子炉は津浪や地震に弱いということで西海岸には作っていなかった。これは重要なことである。アメリカではすでに西海岸には津浪と地震がありそれを想定していた。しかし日本ではこれだけ地震があり津浪もあるのに地震には想定したが津浪にはしていなかったことが致命傷となった。地盤を地震に備えて低くしたのもそうだし非常用のデ-ゼル電源をなぜか二つも地下にもっていた。これも津浪を全く想定していない大ミスだった。日本には安全の思想がない、多様な危険に備える安全の思想がないというのも本当なのだろう。ここにも安全に対する文化の相違があった。日本の製品が安全だというとき個々の製品の安全でありこうした巨大な原発のような安全とは違ったものになる。電気製品を作るような安全では日本人は優れていても巨大技術の安全を計る思想には欠けていた。


最初に危険なマ-ク1をアメリカから良く調査しないで導入した。もちろんアメリカ側にもかなり責任がある。危険なものだと知っていたからである。そして良く安全を計ることを注意していなかった。アメリカでは地震も津浪もない東側に作っていたからである。グロ-バル社会になると相手の地理や文化や風土を知らないで安易に便利ものとして文明の利器を導入すると問題が起きる。グロ-バル化社会とは常にそういう思わぬ危険にさらされている社会なのである。外国から思わずウィルスが侵入してくるのもそうである。グロ-バル化といっても風土と文化の相違があるからそこに合わないものが問題を起こす。それが致命傷になって民族が滅亡することさえありうる。そういうこはインディアンが白人によってアルコ-ルがもたらされ中毒になり病気になったとかインカ帝国がスペイン人の少数の侵略者によって簡単に滅亡したことなど例がある。馬を見たことがないから馬に乗った人を神と見たということなどが原因だった。日本ではもともと魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあり海産物を主体に食糧として生きてきた民である。だから日本では海産物からヨウ素をとっているからチェルノブエリのうよに甲状腺ガンにはならないというのは風土の文化の影響なのである。そういうことが必ず世界にはあるのだ。遣唐使を派遣しても他国の文化が日本を圧倒することはなかった。日本的文化になるのが文化なのである。仏教なども全く日本的文化で骨抜きにされた。いい悪い別にしてお盆の先祖供養とか死者の供養は極めて日本的な習俗であり仏教徒は何ら関係ないものである。でもそれは日本の習俗、文化だから仏教も日本の習俗化したのである。


●縦割り分業化も失敗の原因


後藤さん、ある分野では技術者同士が議論しているが、今はそれが欠けている。一つには分業が進み、自分の所掌以外に踏み込むのが越権行為と見なされる部分がある。昔は原子力に関わらずそうではなかったのではないか。技術屋同士は互いに踏み込んで交流があったが薄れているのではないか
http://togetter.com/li/174540


もう一つ重要な事故の原因として分業体制があったという指摘である。縦割りの分業体制であり他の分野に立ち入れないし議論も綿密な話し合いも部署が違うとしない、しかし原発のような危険なものを運営するには総合的に見る指令する人が必要になる。それがもてなかった。それは常に複雑化した文明で日常的に起きている。全体を総合的に見れる人は誰もいないのである。指令すること自体不可能な社会になっている。人間がバラバラな部品になっている。その無数の部品を組み合わせ総合的に見れる人などいないのである。それはそれぞれの対応がばらばらになっていることでもわかる。全体を包括して見れる人はいない、部分的に専門的になれる人はいる、でも全体的に見れる指揮官はありえない、無数の配管が迷路のように張りめぐらされている。その一つ一つを知る人などいないのである。だからいったん事故になったらパニックになるのである。もう治める人がいないのである。結果的に恐ろしいことはもうどうにもならないと放置されることさえありえた。原発事故はもう収拾できないとして逃げる他ないとして大部分は逃げた。そしてそこは放射能をだしつづける核の墓場とさえなりえた。今でも一体溶けた核の燃料棒がどうなっているのか明確にわかっていない。原発がそれだけ危険なものなのに日本ではこうして安易に導入されたのである。


失敗の大きな原因として地震にばかり気がとられていた。地下に非常時のデ-ゼル電源を置いたのも地震に対する安全を計ったためである。地震と津浪はセットになっているのだけど地震ばかりに気がとられていた。多様な安全性を計らなかった。多様だということは総合的にみるということである。それが文明では一番できないことだから文明社会の事故はそういうところから必ずまた起きてくる。文明社会は無数の部分の集合であり全体を見る人はいない、日本人が優秀だというとき個々の製品を作るのには優秀でも全体を統括するような安全を計る技術ではアメリカなどより遅れをとっていたのである。日本はアメリカの宇宙開発や核開発や大型の技術開発には向いていなかった。もともと細部にこだわる職人芸には狭い風土で優れていた。小さいものにはこだわり精巧なものを作り上げる。しかし原発のような巨大なものになるとそうはならない、日本が技術が優秀だというとき技術にはいろいろあるからすべてにおいて優秀だとはなりえないのである。そこには必ず風土や文化の差がでてくるからである。アメリカとか中国の風土はあまりにも日本と違いすぎる。グランドキャニオンでもそこが地球なのかとさえ思う。地球の割れ目というべきものでとても日本では考えられない風土である。とてつもないでかさが共通してある。万里長城もそうである。日本はだからグランドデザインが苦手なのである。そうしたどこまでも広い平坦な土地がないのである。


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