2011年07月29日

鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり(原発事故の歴史的考察)

 

 鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり
(原発事故の歴史的考察)



鉄はヒッタイトが使い始めて以来、
人類の発展と争いの背景にこれからも居続けます。


ビスマルクは、デンマーク、オーストリア、フランスとの相次ぐ戦争を勝ち抜き、「帝国」を完成させた。その軌跡に寄り添ったのが、「大砲王」と呼ばれたアルフレート・クルップが提供した「大砲」と「鉄道」であった。近代以降の戦争では、「大砲」は軍隊の破壊力を意味し、「鉄道」は軍隊の機動力を意味した。ドイツは、「大砲」と「鉄道」、即ち「鉄」によって築かれた「帝国」だったのである


「鉄は国家なり」って叫ぶ人って、歴史を部分的にしか見ない人が多い。日本の歴史を全体的に眺めると「鉄は日本文明なり」ということになる。


 古代、鉄は朝鮮半島南部の伽耶(加羅)地方の特産品で、日本は鉄を伽耶からの輸入に頼っていた。やがて伽耶からの渡来人がこの地方で砂鉄からの製鉄事業を始めたようで、


稲作と鉄とは不可分だと言われています。イナリは鋳物(いもの)が成りと言い 炉の中の赤い鉱石に見立てたという説や 稲穂が成りとも言い 田甫にこうべを垂れる稲穂は黄金色に輝くと言いますがこれを朱色に見立てたという説もあります。
http://kamnavi.jp/inari/shu.html


弥生時代は土木時代と言ってもよい。土木道具の主要なものは鉄である。
       弥生農耕を探る 稲作以前の農耕 焼畑農耕 陸稲 大麦 イモ類       
      驚きの木製農耕具 平鍬 丸鍬 狭鍬 諸手鍬 斧膝柄 鋤 丸鋤 堅杵 宮城県中在

 


鉄は国家なりというのは弥生時代、稲作がはじまったときからである。稲作は大規模な土木工事と鉄の道具が必要だった。だから稲作と鉄は密接にむすびついていたのである。天皇の起源も鉄の王とも言われたりするのもそのためである。鉄の資源をめぐって朝鮮半島で争ったのもそのためであり渡来人が日本に大きな力をもったのもそのためである。鉄に関する地名が日本に膨大にあるのがそれをもの合建ている。

鉄は国家なりというとき、そもそも国家とは何なのか?ということなのである。それは今回の原発事故で明かになった。今や電気が国家なりとなっていたのだ。石油が国家なりというのも言える。鉄を作るのには技術が必要でありその技術は原子力の技術でもあった。そして鉄作りで公害もあった。地名に残されている寒田とかは錆びた田であり田が鉄作りで赤い錆びた汚れた水が流れてきた使い物にならなくなったのかもしれない、寒川も鉄作りで汚れた川でもある。原子力も放射能をふりまいて人も住めなくなった。歴史を古代からふりかえると原子力も人間の歴史の必然として生まれてきたように思える。唐突に生まれたものでもない、つくづく何事も歴史的に人間の問題を解く必要がある。
自然現象すら津浪すらそうだった。この辺でも500年前に大きな津浪があったが記録を喪失したとか全く省みられなかった。津浪は何度も日本列島を襲っているのだから歴史的に考察する対象だった。それが見逃されていた。


歴史的に今回の原子力事故が何であったのかを考察するとこれは現代に唐突に起こったものではない、歴史的連続性として起こっているのだ。「鉄は国家なり」というのは近代まで連綿としてつづいていた。次に石油が国家なりというのも近代に起こった。そして原子力発電は国家なり、電気は国家なりと最近はなっていたのである。「電気が国家なり」とはおそらくまだ歴史的に短いから気づかないという面があった。でも電気なくして国家も成り立たない、自動車産業でも電気が高いと外国に行く他ないとかなる。東電や全国の電力会社がどれだけ力をもっていたか?国の中枢まで支配するようになっていたか気づかなかった。官僚も政治家も東電の手中にあり東電の支配下にあり東電の莫大な金が流れた。マスコミにも金が流れ容易に支配できた。電気が国家なりとなれば当然電力会社が国家なりともなるし現実にそうなっていたのだ。

原子力が安全だというと国のお墨付きもあり国で情報の管理もしていて安全神話が作られた。
天皇も稲作の神となり鉄の神ともなる。天皇も権力の象徴だから王としてそうさせられた。だから不作になったりすると王が殺されたりもした。権力の象徴としてあればそうなる。人間が求めているのは権力である。それが人間の歴史だった。その人間自体は変わっていないから同じような問題が人間社会には時間がたっても起きてくる。

今回の事件がオウムとにているというときオウムも権力を求め日本を支配しようとした。それはサリンと宗教を合体したものだった。サリンは原子力であった。宗教も権力に欠くべからずものだった。カトリックが政治化して権力化したことは歴史が証明している。宗教が権力者にとって必要だというとき本来の宗教ではなく宗教を人民支配に使うためである。だからマルクスが宗教は阿片だと批判したとき支配者が阿片として宗教を供給している。今のカルト宗教団体はすべてそうである。カルトとは正に宗教の阿片化なのである。原発も安全神話となり宗教化していたということも言われる。その安全神話に政治家も官僚もマスコミもすべて組み入れられた。反対する異端者は徹底して排斥されていた。ただ表面的には露骨にはわからないようにそうさせられていたのである。人間の事象は常に千年二千年の歴史的なものとして考える必要かある。

自然災害だってそうだった。今回の津浪もはじめて起こったことではない、500年前に千年前に起こっていた。原発の安全神話は「電気が国家なり」となったときから作られていたし事故も予想されていた。でも電気が国家なのだから国家に逆らえるものはいない、そして国民も権力を求めている。それが人間社会であり日本だけではない世界で共通したことである。だから権力を求めるもの、人類は欲で滅びるというのはそのことを言っている。


神々は青銅の種族を作りましたが、彼らの武器や道具は全て青銅で、前の種族よりも更に凶暴であったため、互いに殺しあい全滅したそうです。

最後の鉄の種族は、昼も夜も労役にさいなまれる種族で最も不幸な種族だそうです。そしてこの鉄の時代こそが現代であるようです。ヘシ
オドスは鉄の時代に生まれたことを嘆いていました。


鉄の時代はどうしても武殺傷能力が高くなるから殺し合いも激しくなる。明治維新後の戦争がそうだった。大量殺戮の国民戦争だった。そして鉄の時代より最も悪い時代が核の時代だった。核戦争の人類滅亡の恐怖だった。原発も戦争の道具ではないしにしろこれほどの災いをもたらすものはなかった。要するに人間は最善の時代ではない、最悪の時代を目指して歴史があった。そして最後に核で滅亡する。それが目の前で現実化した。歴史的総決算として核がでてきたのも人間の歴史的必然だった。核も人間の権力の象徴としてあり鉄もそうだったように同じだったのである。

posted by 老鶯 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連