2011年07月26日

日立木村の街道の細道


日立木村の街道の細道

城外の街道の松並木

相馬藩の名残りなれ

日立木の村の道の細しも

畑に埋もる碑のあわれ

社に飢饉の碑も忘らるや

つつましき昔の暮らし

近くに武士の墓そあれや

竹内の姓は何を語る

なお一本の松や残りぬ

夕日のさして蝉の声

微かにひびきて暮れぬ


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昔の街道の道は細い、だからこそ「奥の細道」だった。相馬市からイオンス-パ-の脇の道が街道だったけど実際本当に細い道である。昔を偲ぶというときこの細い道を行くことなのである。
車ではなかなか偲べない、相馬の道の駅から分かれて日立木村に入る道に忘れられたように小さな碑が傾き埋もれている。その道がいかにも細いのである。両脇に家が並んでいるから昔からあのように家が並んでいた。ただ数は少ないだろうし茅葺きの屋根だった。あそこは相馬から近いから宿場町ではない、それでも昔の名残というのは残るものである。これはなかなか地元の人でないと気づかない、人間が無常だというとき人間は過去のことは忘れやすい、人はが死ねば肉親すら遠いものとなりその存在も不確かなものになる。そして昔はただひっそりと埋もれてしまう。わずかに小さな碑に刻まれた文字、墓の文字でも昔を語ることになる。それしか昔を探る術がなくなる。それほど人間とははかない存在である。でも日立木村に昔の村のことを思い浮かんだ。何百回と通ってもなかなかそこを昔の村として意識することはなかなかないだろう。昔を偲ぶことは人間は簡単にできない、時間がかかることがこれでもわかる。旅をしても常に車が頻繁に行き来して現在の状態にすべて心が奪われる。それで過去はなかなか偲べないのである。
日立木(日下石+立谷+赤木)も合成地名である。赤木というところに太い松が斜めになって残っている。あそこも街道の名残りの松である。日立木の通りは江戸時代は立谷である。その名にもいわれがある。


旧相馬藩領では、獅子頭を被って舞う神楽(いわゆる獅子神楽)が今も数多く伝承されています。相馬地方は昔からヤマセ(夏季に吹く冷たい東風)による冷害のため、たびたび飢饉に見舞われ、多くの餓死者を出してきました。特に天明の飢饉では、藩内の人口が3分の1にまで減少したそうです。そのため人々の豊作への願いは切実で、こうしたことも神楽などの民俗芸能が盛んに行われてきた背景の一つとされています。
http://musubu.sblo.jp/article/14814569.html


薬師堂とあるのも医者にかかれない時代は薬師堂にお祈りするほかないからどこの村にも身近なものだった。一つの村があるときそれは今とは全然違っていた。一つの村として生活が完結するような所があった。それで日本では村のもっている意味が大きいのである。

イオンス-パ-の街道の近くに竹内姓の墓所がある。ここは相当古いから一見の価値がある。妻の実家の姓と夫の姓の二つが墓に明記されている。武士にとって実家は出自から離れられない,武家の場合には誇りがあった。それで実家の姓も墓に記した。昔を語るとき墓はその拠り所となる。
 
ここで越中とかからの真宗の移民は必ず交じっている。亘り(理)村から来ていた人もいた。伊達藩と相馬藩はつながりが深い、妙見神社が亘理まで多いことがそれを示している。相馬藩からも伊達に移った人が多い、後は妻を迎えるのに角河原とか北郷関係があり昔の婚姻は相馬藩内が一番多いのだ。今は大変な広域結婚である。今回の原発事故で避難した人は沖縄から北海道まで全国に及んだ。娘とかが結婚で遠くに嫁ぐのが普通となっているからだ。それでなるべくと遠くに離れた方がいいというとき助かったという面がある。さすがにこの辺で外国まで逃げた人はいない,東京ではいたみたいだ。外国に避難することは金持ちでは容易な時代だからである。

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しかし故郷とは何を意味しているのか?日本と何なのかというとき、それは過去と歴史と深く結びついて意味がもたらされている。それで今回
の原発事故で故郷を離れ避難した人が双葉町や浪江町でももし故郷を失うことになるとどうなるのか、こうした過去の記憶や記録が失われる。江戸時代からつづいた記憶が失われる。江戸時代は日本では大きな意味をもっていた。人間の存在も歴史的存在でありそういう歴史が失われたとき人間の存在の意味は現在だけとなってしまう。こうして過去を偲ぶこともできなくなる。アメリカ人のようになってしまう。何気なく忘れたように残されている歴史は確かに個々人が見出さないと浮かんでこない、しかしその忘れ去れるように残されているものさえ失われたら何をもって過去を思い出すのだろうか?故郷から土地から離れたらそうなってしまう。人間どこに住んでも変わりないということもいえるが過去との歴史とのつながりをもたないと人間の存在意義は希薄となる。人間は歴史的連続性に生きる、それがなくなれば人間には現在しかない動物と同じになるのだ。

 



相馬市(日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎)
http://musubu.sblo.jp/article/14317961.html


相馬市成田冬の短歌十首(竹(武)内氏の墓-続編)

http://musubu.sblo.jp/article/34648790.html


相馬市成田の竹内氏の姓の由来

http://musubu2.sblo.jp/article/34390223.html


これらは連続して読むものである。プログは断片的に書いているがあとで編集してまとめる必要がある。日立木付近のことでこれだけ書けるのも積み重ねである。

 
posted by 老鶯 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)