2011年07月19日

木陰(仮設住宅の問題)


しばらくは仮設住宅に住みにつつ小高の人の木蔭に休む

鹿島区の仮設住宅に入った人はほとんど小高区の人である。一万人以上避難したのだからその数が多い。津浪で避難した人は一割にも満たない、仮設住宅に入っている人は津浪の被害にあった人と原発事故で避難した人にはかなりの相違がある。両方の被害を受けた人もいる。
だから鹿島区の地権者が南相馬市の役所の人が来て仮設住宅のための土地を貸してくれというときできないと言った。その理由は一時的なもの二年間とかしか住まない人達でありそのあとはまた移動してししまうからである。そうなると村作りでも町作りでも市作りもできない、将来の市町村作りの指針も作れない、ただ一時的に移動した人達を一時的に収容しているだけだとなるとそこに住んでいる住民にしても困ることになる。つまり小高区の人は避難解除されたら小高に戻り生活再建する。そこには土地も家も無傷で残っているからだ。津浪の被害者はやはり一割にみたない、町が全滅したりしたところではない、そういう事情があり対処がむずかしいのである。そもそもここに仕事があって移ったわけでもない、そして鹿島区に仕事となる場がない、ただ人口だけは相当増えた。だからス-パ-でも道行く人でも小高の人が目立つののである。


相馬市では仮設住宅を長屋風にして長く共同的生活をするものとして一部を作る。神戸でも障害者なども一緒に住める住宅を作った。割安の介護施設としても作ることができる。特養に入れずに困っている人は本当に多い。安くても入れる施設が欲しいという要望は多いのである。
そういうことも南相馬市として政策として立案して実行することも必要なのかもしれない、高齢者は一人一人住むより共同で住んだ方がいいということもある。飯館村では三所帯で住んでいた家族がいたけどこういうのは今はめずらし、家族が小単位になり一人所帯にもなり介護になると困るのである。隣近所は町の方になると本当に都会と同じである。社会が変わったときそれに対応する政策も必要になる。今回の津浪や原発事故はそうした社会を変えるチャンスでもある。でも原発事故はまだ集束していないからこの避難者の対処がむずかしい。それが将来の計画を作れないものにしている。


南相馬市は相馬市と比べるとこういう点、不利であり混乱しているだけである。相馬市は長屋風の共同住宅のようなものを建てるというのはやはり将来への計画を描くことができて実行できたのである。南相馬市は原発事故でできない、田んぼも畑も荒地になっているだけである。
だから南相馬市は自分たちで市を再建しようとする意欲より国からの命令に大きく左右されている。緊急避難指示地域の解除命令がでてからどうするとか国の命令いかんによっているのだ。仮設住宅にしても国から金が支払われる。相馬市では独自で長屋風の共同住宅を作る計画をした。南相馬市ではそれがしにくい、だから南相馬市の市政は国の意向が大きく作用して身動きとれなくなっている。国に半分管理されてしまっているのだ。


人間は人が住むことによって生きてくるものがある。自然もそうだった。千倉のグランドは野球場としてしか見ていなかった。その時ここにある樹に注目していなかった。でも一本大きな樹がありその下で憩う人を見ているとその樹が住宅ができたことで活きている。木蔭のある仮設住宅となってなごみがある。自然も人間が生活して活きてくる場合があった。自然だけで自然が活きるということでもないのだ。人間が住んで自然も活きるということがある。木蔭に休んでいる時そこに平和を感じる。木蔭には風がそよいで涼しい、今年は普通の夏だからク-ラ-はほとんど必要はない、自分は夏にも弱いから体を不調になったがこのくらいの夏は夏らしい夏である。
ともかく当分仮設住宅というのは何か目立つし問題になる。

案はけっこうと思いますが、財政からいうと金がありませぬ


http://mypo.li/page/78203

やはり自治体主導でやれないことを指摘していた、やはり地域によりみんな事情が違っているからだ。
一律に仮設住宅を建てても被災者にとっていいとはならない・・・

posted by 老鶯 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連