2011年07月14日

朝焼け(眠れずに起きていた一日)

 

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朝焼けや津浪の後に残る松


海広く朝日上るや夏野かな


海よりの朝風吹いて夏雲雀


朝早しあまた並びぬ夏燕


午後下がり老女と犬や木蔭かな


夏の雲少女歩むや街の中


夏の雲一人入りにぎわう仮設かな


草青く夕べ明るし夏雲雀


黒揚羽夕べ二羽舞ふ年老いぬ

朝焼けは夏の季語である。朝焼けになると天気が下り坂になるというのは本当か?明日になればわかる。去年の暑さよりはいいが蒸し暑い、やっぱりク-ラ-したくなる。下の狭い部屋に新しいのを備えた。家に二軒でと電気が食う、今年は去年ほどとではない、30度から32度なら平年並みである。中通りや会津は暑い、35度となるとク-ラ-なしでは耐えられない、何か書くのもいやになる。今日は眠れなくて起きていたのだ。


海と広々とした野があれば気持ちがいい、前は田んぼだったが今はない、大陸で気持ちいいのは広さである。とんでもない広さであり空まで広く感じる。日本は空まで区切られて狭く感じる。雲雀でも大陸の草原のようなところで鳴くのを聞いたら気持ちいいだろう。外国の旅では自然を感じることはむずかしかった。アメリカの西海岸では大きなペリカンを見た。あんなでかい鳥が飛ぶことに驚いた。もう外国には旅行できない、自分は外国旅行には向いていない。どじが多すぎた。


仮設には結構人が入ってきた。木蔭でいつも老女と犬が休んでる。この辺では小高の人が大半であり津浪の被害にあった人とはなかなかあわない、原発で避難している人とは事情が違う。家も残っているし財産もある人もいるし車はみんなもっている。補償もあるから楽といえば楽なのかもしれない、でも不自由なことは確かである。

夕暮れに若い女性が一人リョックを背負い歩いていた。旅人なのだろうか?そうでもないか、でも人間が歩くということは今や絵になっている不思議である。街中でも車は通っても歩いている姿をほとんど見ないからだ。これも現代が異常化していることなのだが誰もそう思っていない。

人間から歩く姿が消えるということは異常なことである。歩いて生活していた時は人間らしい生活があった。機械化される人間的なものは常に失ってゆく、原発なんかもそうである。外からみて回りの人と関係することがない、工場でもそうであり働いている姿が見えない、それぞれが閉鎖した空間で互いに関係せず働いている。働いている姿が見えるのは介護とか福祉とか病院であるかここではどうしても人間と人間が向き合うからだ。看護師はその体をみるにしても密接に心にもふれあう。そこだけが違っている。


黒揚羽が夕べ二羽舞っている。それを見たら老夫婦のように見えた。夏の蝶でも他は鮮やかであるからこういうい句はできない、黒揚羽でも白い斑点があるのがありそれとも違う普通に見かける黒揚羽である。その白い斑点があるのとないのでも印象が違ってくるのだ。
夏雲雀や夏燕となると今年はにあっている。水田のない世界は北海道の広々とした原野を想像する。やっぱり北海道は一自然としては気持ちがいい、蒸し暑いとき避暑に行きたいけど行けない、自分はもうどこに旅できなくても文句は言えない、それだけ旅したからである。


自分のカメラではこの朝日や夕日がきれいにとれないのが問題だ。一眼レフは買ったが重くて使いにくかった。
自転車だと持ち運びに不便だった。今は写真なしではありえない、今回の津波の写真は我ながら貴重だった。
地元から発進できたことが良かった。アマゾンでは古本はここは六号線が途絶えたから配達されない、でも地震あっても
津波でも電気は通じていたからインタ-ネットもできた。本でもみんな電子本として買えればいいなと思う。
本はモノとして運ばねばならないからコストがかかりすどる。こうなる本当に不便になる。配達もされなくなる。
他の人も六号線が遮断された影響が大きいのである。いわき市は東京
つながっているから南相馬市のように不便になっていない、南相馬市は何か不運が重なった。それは自分のここ五年間の生活と同じだった。認知症になり家族はばらばらになり病気になり火事場泥棒にもあいとそういうことが同じように起こった。
つくづくこの不運は自分にしても回りにしても何なのだろうと思う。