2011年07月10日

失われた日本の海の風景(原発事故も文明の必然だった)


 失われた日本の海の風景(原発事故も文明の必然だった)

海 『尋常小学校唱歌五』(大正2年)

 松原遠[とほ]く消ゆるところ
 白帆[しらほ]の影は浮かぶ
 干網[ほしあみ]浜に高くして
 鴎は低く波に飛ぶ
   見よ昼の海
   見よ昼の海

 島山闇に著[しる]きあたり
 漁火[いさりび] 光淡[あは]し
 寄る波岸に緩[ゆる]くして
 浦風軽[かろ]く沙[いさご]吹く
   見よ夜の海
   見よ夜の海


「沙(いさご)」は砂のこと。


われは海の子  作詞者不詳「尋常小学校本唱歌」明治43


 我は海の子白波の
 さはぐいそべの松原に
 煙たなびく とまやこそ
 我がなつかしき住家[すみか]なれ


青松白砂の風景で松原が作られたのは江戸時代である。この風景は江戸時代である。大正時代にもこれとにた風景がまだあったのかもしれない、でも白帆はなくなっていた。


煙たなびく とまやこそ
 我がなつかしき住家[すみか]なれ


こょ風景も江戸時代である。戦前まで確かにこうした風景は日本独特のものとしてあった。


 寄る波岸に緩[ゆる]くして
 浦風軽[かろ]く沙[いさご]吹く


この風景はやはり瀬戸内海にふさわしい。このことは八沢浦が津浪で深い入江になり浦風も吹き何より浦波がよせてきたことに奇跡のように感じた。その波は春の光にきらきら光っていた。

福島県の海岸線にはこういう風景がなかった。入江がほとんどないからである。入江は九州でも四国でも日本海側でも多い、そこは船が停泊するのにいい浦なのである。浦といっても日本には小さな浦も無数にある。今回の津浪でわかったように津浪が押し寄せて海になったところは浦だった。そこは水深が浅い浦であり入江である。こうした浦は小さい船が入り停泊するのに向いていた。丸木舟のようなものでも入り停泊できる湊である。だから古代でも万葉集の時代でもそういう船で瀬戸内海は航海できたから歌にも残された。やがてこうした小さな浦々は北前船のように大型化すると見捨てられた。さらに船が大型化すると港湾が必要になる。そうなると
海から港から人間臭さが消失する。軍港とかなるとさらに庶民とはかけ離れたものになる。
この辺で磯部漁火が北山八景とかの短歌に残っている。そういう風景は日本ならどこでもあった。その時人と海は結びついていた。人間臭いものとして結びついていた。


しかし船の巨大化や港湾型になるとそこは石炭の積み出し港だったり最近では石油のタンクが並ぶ港だったり工場地帯になったりと江戸時代のような人間臭いものは消失した。例えば近くに火力発電所があるがそこに千人も働いていると思わなかった。中に入らない限り人影も見えない、無人にしか見えない、そして大きな建物だけがある。港もあるがそこには外国から石炭などが運ばれてきても外国人がこの土地に下りてくる港でもない、貿易でにぎわい外国人が出入りする江戸時代のような港ではない、何かただモノを運び出し入れするところであり人間臭くない、無機質である。だから倉庫などばかりが並ぶ港でもある。原発も海側にあったが火力発電所と同じようにそこには外からは人影も見えない、働いている姿も見えない、だからそこに働く人たちとの交流もないのだ。ただ巨大な利権であり金をくれるものとしてしか意識しない、江戸時代の港ならそこに人間臭いものがまだあるから北前船の日本海側の港には西の文化、京都や大阪の文化が残された。言葉も伝わって今に残っている。それは人間的交流があったからである。


そもそも経済というとき互いのコミニケ-ションが目的であったとポランニ-は言っている。
贈答貿易が貿易の始めでありそれは見知らぬ人が交流するためでありこ親交を結ぶために貿易があった。物々交換もそうであり経済は極めて人間的なものからはじまった。だからその時貨幣経済がすべてではなかった。今日のような金がすべての価値になったことはない、結果としてもはや金でしか人間と人間の交流はできなくなった。それは原発事故でも同じである。
金がくれるからいいとなるだけだったのである。

原発問題を考えるときその事故の背景には全く地元民との日常生活レベルでの交流がなかった。そもそも原子力などむずかしくて教えられてもわからない、ただ自分たちに触ることもできないものとしてあった。そこに働く人々との交流もない、そこに深い断絶があった。コミニケ-ションをとることができない、ただ金になるから容認しているだけだった。別にそういうことは現代文明では普通にある。互いのコミニケ-ションがとれない、都会と田舎でもそうであり為政者と民衆でもそうである。専門家と技術者と一般人でもそうである。余りにも高等に複雑になったから である。そうして分離隔絶した中で知らずに恐ろしいものを容認して醸成していたことがあった。

つまりもう知り得ないものとして原発は専門家や利権者にすべてゆだねられる。何らそこに住む人もかかわれない、ただ金やるから黙っていろで終わりである。海から人間臭い風景が消失したようにそもそもそこに住む人すらかかわれないというものであった。結局現代文明では官僚と一般人も隔絶しているし密なコミニケ-ションがとれない時代である。そして互いが遊離しているから危機に直面したとき弱い、もはや対処できない状態になっている。やはり人間は自然でもそうだが風景とマッチしたときそこに調和が生まれる。江戸時代は自然とマッチしてまた人間臭いもののなかで育まれたらなごみが生まれる。すべてがいいとはならないがあまりにも現代文明は互いに巨大化組織化して干渉しあうこともできない、それぞれが一人歩きしてそれが大きな取り返しもつかない事故にもなる。ヒュ-マンサイズを超えたものとしてありそれがある時破局的なものとして襲いかかってくる。それはこれからも必ずありうる。東京なども大地震が破局的なことになり滅亡してゆく恐怖が現実的になったのである。文明は迷宮化して滅びる運命にあるのだ。



参考にした本

海岸線の歴史(松本建一)


 
posted by 老鶯 at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連