2011年07月09日

海老-八沢浦-松川浦の津波の後の写真


海老-八沢浦-松川浦の津波の後の写真


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海老の一番高い崖の上の家
これは建てて二年とか新しいものだった




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三菱化成の工場は被害がない
あの辺はすれすれであり津波の高さからすると危なかった
原町の島自動車商会のあるところは相当高くても
駐車場が津波にやられた

あの工場がやられなかったのはどうしてか?
山が衝撃を受けて津波をおさえたのかもしれない・・・・
福島原発でもちょっとでも高ければ助かった
高い盛り土したのだか地盤が弱くなると低くした
それが致命傷になったのである。

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自衛隊がかけた鉄の橋


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崖から下りた八沢浦の海岸に接した数軒の家では二人死んだ
八沢浦では人はそれほど死んでいないだろう
海から近くてもすぐ後ろの山に逃げて助かった
この辺は海に近いのに被害が少ない
波がなんらかで強い波ではなかった、高い波でもなかった



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松川浦は松がなくなり広々として見えるようになった

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磯部では死んだ人が多かった





涼しさや海風吹いて残る石

夏草に石の埋もれる右田かな


涼しさや残れる石に海の風


夏草に石の埋もれる右田かな


海の風浦広々と夏雲雀


夕蝉の遠くにひびき屋敷林


六号線夕風涼し一路行く


家もなく野原の石や夏の月


土台のみ残れる跡に夏の月




父と母妹眠る墓標かな夏の海よりそよぐ風かな


磯部にも二本の松の残りけり家の土台に夏の夕暮


松川浦津浪はすぎて二本の松の残れる夏の夕暮


松川浦残れる松の十数本風そよぐかな夏の夕暮


十数本残れる松に松川浦昔の面影偲ぶ夏かな


津浪にて生き残る人あわれかな松も残りてなおも生きゆく


広々と浦の展けて夏の日や松みな消えて風わたるかな


街道の松の太しく鶯のなお鳴きにけり城下を去りぬ





津浪の跡は放置しておくとやはり湿地帯化してゆく、塩のふくんだ硬い泥炭層ができている。こういう場所にセシウムはたまり堆積するとあった。ここに餌があるのだろうか?白鷺が餌を探している。鳥にとって人間のことなど我関せずである。湿地帯化すればそこに生き物も集るのかもしれない、原始の状態に戻りつつあるのだ。
八沢浦で海から近いところで被害にあった人に聞くと突き当たりの小高い山に逃げたという、津浪が来たとき見えたとき逃げてもまにあったというのはわかる。後ろの山に駆け上ればまにあった。そしてそれほど高くあそこには来ていなかった。あれだけ近いのに被害が少なかった。これも明かに地形のためである。前の山が浪の強さを緩和した。八沢浦は海岸に接していないところはそれほど被害はなかったろう。死者は海岸に接した家であった。そこで二人死んだと聞いた。海岸に接したところはどこももろに津浪の衝撃をうけた。高台にあった海老の家もあんなに高いのに死んだのは津浪の衝撃が崖にぶつかり激しかった。そのためにもろに波をかぶりその衝撃で人が死んだのだろう。津浪の浪の衝撃はみんな一様ではない、地形によってその強弱が異なる。これは確かにわかりにくが被害状況を調べるとわかるのだ。津浪は後ろに小高い山でもあればすぐに逃げられるから助かる。その山もそんなに高くなくてもいいのである。

磯部は小高い山も何もない、平らなところだから被害が大きかった。松川浦の松林も根こそぎなくなった。その松がなくなった結果見晴らしが良くなった。海側の方からみると松川浦は広々として見えるのである。前は松にさえぎられて海側からは大きく見えなかった。今回はいろいろと津浪のことが実体験としてわかった。磯部のような平な所だったら避難所として高台が必要なのである。人工的な高台が必要なのである。コンクリ-トの公共施設の建物は津浪に流されず残っている。だからコンクリ-トの高い建物が必ず必要である。でも相当の高さが必要である。
そういう教訓を今回の津浪は残した。

いづれにしろ津浪で景色が変わってしまった。不思議なのは右田というと松原だったけど今は庭の石が野原にある。それが一つの右田の景色となりつつあるのも不思議である。庭の石から野原の石になった。広々としたところにあるから海からの風がそよげば涼しいという感じになる。
posted by 老鶯 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

大和魂は死んではいなかった-津浪原発事故で蘇る日本の歴史


大和魂は死んではいなかった-津浪原発事故で蘇る日本の歴史
(戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」を見て-続編)

http://musubu.sblo.jp/article/46596711.html

これの続きだけと会津藩はプロイセンと結びついて北海道を売り渡すとなると攘夷派からは相当な攻撃を受ける。今でも右派からは売国奴となる。北方四島でさえロシアともめていることでもわかる。もちろん時代が違うといえばそれまでだが今の時点からみて歴史は判定される。だから歴史の判断は百年後とかでないと見えてこない場合がある。百年後たってそのことはそういうことだったのかと霧が晴れるように見えてくることがある。その一つがこの事実だったのである。

これがどういうことかというと明治維新は中国のように日本が外国勢力、欧米列強に分断される危機だったのである。内乱状態だった。そこにつけこまれて日本は分断され植民地化される危機だった。だから日本は内戦をやめてなんとか日本を統一しようとして勤皇派などが生まれた。日本統一のシンボルとして天皇は危機の時いつでも出てくる。大東亜戦争でもそうだった。
外国勢力を知らずして日本の歴史も理解できないものになっている。その重要な事実の一つがプロイセンと連合を企み北海道を売り渡そうとした会津藩と庄内藩があった。ぎりぎりに追い詰められてただ自分たちの藩を守らねばならないという危機のためにそうなった。プロイセンにすがったのである。


日本の歴史や政治をそうして外国勢力によって決められてゆくというのは百済と新羅の対立が奈良時代に日本にもちこまれたとかあった。その時韓国が技術的に優れたものをもっていたからである。技術力は兵器力でもあった。それが明治維新後は常に日本の歴史の背後にでてくる。武器商人が暗躍するのは内戦とかのときでありそれで一儲けする。薩摩についたのはイギリスであり武器商人がそこでもうける。そして現代ではロスチャイルドやロックフッラ-が陰ですべてあやつっているという陰謀史観となる。日本人はただこうしたアメリカの大金持ちや財閥や軍事勢力に支配され動いているアメリカの植民地にすぎないとなる。そういう面から歴史を見るのは偏ったものとはいえない、その一つが会津藩のプロイセンとの連合計画だったのである。

明治維新も絶えず欧米列強との連携があって成されている。ただその中で日本独自の道を、植民地化されない道を進むことができたのは日本は中国とも違う、外国人も明治維新を高く評価している。日本人はそういう歴史をもているから一面恐れられている。アメリカでも実際は日本をまだ恐れている。それは太平洋戦争のトラウマがある。硫黄島の戦いや怖いことを経験しているのだ。原爆も日本をなんとか徹底的にうくのめすためにあえて投下した。アメリカの人道主義は全くの嘘ばっちであり偽善である。アメリカは金を崇拝して戦争屋であり武器商人としてもうける国である。


新ベンチャ-革命

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/archive/2011/07/2


ここで現場の技術者が書いているから興味深かった。一連のものとして読む価値がある。日本の原発事故で現場に残った五十人がいたことを称賛している。その裏返しはまだ日本人は戦争のように自分を犠牲にしてまで仕事をする、尽くす人がいたということである。それがアメリカは特攻隊の恐怖のように称賛すると共に恐れたのである。だいたい日本はすでにそうしたものはなくただ功利的に動くだけの会社人間になっているとみていた。確かに日本人自体も戦争のことなどを忘れ否定するようになっている。金もうけだけに金をすべとしてアメリカのように限りない欲望の追求だけになっているというのも事実だった。ただ日本の魂が死んだのかというとそうでもなかった。それが何とか日本を救おうと決死隊が出てきたことにアメリカは賛嘆するとともに恐怖したのである。

日本人の歴史的メンタリティというかそういうものは喪失したと思ったけど意外とそういうメンタリティは変わっていない、大和魂などというとそんなもの何の意味があるのかとなっていた。一部の右翼のなれのはてのような意味のないものとして見ていた。しかしそうではない、日本人のメンタリティは変わらない面があった。特攻精神が残っていた。最後に日本人は日本のために命をすてる、命を惜しいと思わない、そういうメンタリティは変わらなかったのだ。日本は大和魂で一丸になるメンタリティは変わらない面があったのだ。それは理屈ではなく本能的に日本人なら誰でももっているものだった。


ただ今は外国人が日本に入ってきて本当にわけのわからない雑種になりつつある。在日勢力もそうだし中国人も増えるとかそういういろいろな外国勢力が日本人のメンタリティを破壊しつつある。だから今新たな勤皇派が出現してくるかもしれないしその反勢力もでてくる。つまり明治維新の混乱状態が思想的にも現実の政治でも起きてくる。それぞれがどういうふうに動くかは明治維新の混乱を見ればわかる。その一つが今回の会津がプロイセンと組んで北海道をうりわたしてでも自分たちの藩を守ろうとしたことである。それはロ-カルヒロイズムでありナショナルヒロイズムではない、今起きていることはやはりナショナルヒロイズムが要求されているのだ。
だから経済の合理性の論理だけで会社の利益追求だけで動いていいのか?日本は電気がないから大会社は外国に出るという、それは日本を捨てることになる。それでいいのか?会社にとって日本にいても得はないとただ利益だけで判断して日本を見捨てる。戦争中だったら国賊となったろう。今は東電に残った五十人のように日本の危機であり日本滅亡になるかもしれない、そういうとき経済合理性だけで行動していいのかとなる。そんな褊狭なナショナリズムなど今にはあわないというのも意見である。それも否定はできない、それは明治維新では攘夷派に撃たれることになる。


今回の津浪と原発事故は単なる自然災害でもない、事故でもない、日本の危機としてとえらる必要がある。だから大和魂の再現の国粋派が台頭しても不思議ではない、結局歴史はくりかえす、明治維新の動乱と太平洋戦争が蘇る。「大和魂」が蘇る。志願する特攻隊が現れる。
そういう動乱の時代である。政治が混乱するのもやむを得ない、明治維新でも混乱を極めたからだ。未だになぜそうなったのかも解明されていないのである。


 

posted by 老鶯 at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連