2011年07月26日

日立木村の街道の細道


日立木村の街道の細道

城外の街道の松並木

相馬藩の名残りなれ

日立木の村の道の細しも

畑に埋もる碑のあわれ

社に飢饉の碑も忘らるや

つつましき昔の暮らし

近くに武士の墓そあれや

竹内の姓は何を語る

なお一本の松や残りぬ

夕日のさして蝉の声

微かにひびきて暮れぬ


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昔の街道の道は細い、だからこそ「奥の細道」だった。相馬市からイオンス-パ-の脇の道が街道だったけど実際本当に細い道である。昔を偲ぶというときこの細い道を行くことなのである。
車ではなかなか偲べない、相馬の道の駅から分かれて日立木村に入る道に忘れられたように小さな碑が傾き埋もれている。その道がいかにも細いのである。両脇に家が並んでいるから昔からあのように家が並んでいた。ただ数は少ないだろうし茅葺きの屋根だった。あそこは相馬から近いから宿場町ではない、それでも昔の名残というのは残るものである。これはなかなか地元の人でないと気づかない、人間が無常だというとき人間は過去のことは忘れやすい、人はが死ねば肉親すら遠いものとなりその存在も不確かなものになる。そして昔はただひっそりと埋もれてしまう。わずかに小さな碑に刻まれた文字、墓の文字でも昔を語ることになる。それしか昔を探る術がなくなる。それほど人間とははかない存在である。でも日立木村に昔の村のことを思い浮かんだ。何百回と通ってもなかなかそこを昔の村として意識することはなかなかないだろう。昔を偲ぶことは人間は簡単にできない、時間がかかることがこれでもわかる。旅をしても常に車が頻繁に行き来して現在の状態にすべて心が奪われる。それで過去はなかなか偲べないのである。
日立木(日下石+立谷+赤木)も合成地名である。赤木というところに太い松が斜めになって残っている。あそこも街道の名残りの松である。日立木の通りは江戸時代は立谷である。その名にもいわれがある。


旧相馬藩領では、獅子頭を被って舞う神楽(いわゆる獅子神楽)が今も数多く伝承されています。相馬地方は昔からヤマセ(夏季に吹く冷たい東風)による冷害のため、たびたび飢饉に見舞われ、多くの餓死者を出してきました。特に天明の飢饉では、藩内の人口が3分の1にまで減少したそうです。そのため人々の豊作への願いは切実で、こうしたことも神楽などの民俗芸能が盛んに行われてきた背景の一つとされています。
http://musubu.sblo.jp/article/14814569.html


薬師堂とあるのも医者にかかれない時代は薬師堂にお祈りするほかないからどこの村にも身近なものだった。一つの村があるときそれは今とは全然違っていた。一つの村として生活が完結するような所があった。それで日本では村のもっている意味が大きいのである。

イオンス-パ-の街道の近くに竹内姓の墓所がある。ここは相当古いから一見の価値がある。妻の実家の姓と夫の姓の二つが墓に明記されている。武士にとって実家は出自から離れられない,武家の場合には誇りがあった。それで実家の姓も墓に記した。昔を語るとき墓はその拠り所となる。
 
ここで越中とかからの真宗の移民は必ず交じっている。亘り(理)村から来ていた人もいた。伊達藩と相馬藩はつながりが深い、妙見神社が亘理まで多いことがそれを示している。相馬藩からも伊達に移った人が多い、後は妻を迎えるのに角河原とか北郷関係があり昔の婚姻は相馬藩内が一番多いのだ。今は大変な広域結婚である。今回の原発事故で避難した人は沖縄から北海道まで全国に及んだ。娘とかが結婚で遠くに嫁ぐのが普通となっているからだ。それでなるべくと遠くに離れた方がいいというとき助かったという面がある。さすがにこの辺で外国まで逃げた人はいない,東京ではいたみたいだ。外国に避難することは金持ちでは容易な時代だからである。

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しかし故郷とは何を意味しているのか?日本と何なのかというとき、それは過去と歴史と深く結びついて意味がもたらされている。それで今回
の原発事故で故郷を離れ避難した人が双葉町や浪江町でももし故郷を失うことになるとどうなるのか、こうした過去の記憶や記録が失われる。江戸時代からつづいた記憶が失われる。江戸時代は日本では大きな意味をもっていた。人間の存在も歴史的存在でありそういう歴史が失われたとき人間の存在の意味は現在だけとなってしまう。こうして過去を偲ぶこともできなくなる。アメリカ人のようになってしまう。何気なく忘れたように残されている歴史は確かに個々人が見出さないと浮かんでこない、しかしその忘れ去れるように残されているものさえ失われたら何をもって過去を思い出すのだろうか?故郷から土地から離れたらそうなってしまう。人間どこに住んでも変わりないということもいえるが過去との歴史とのつながりをもたないと人間の存在意義は希薄となる。人間は歴史的連続性に生きる、それがなくなれば人間には現在しかない動物と同じになるのだ。

 



相馬市(日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎)
http://musubu.sblo.jp/article/14317961.html


相馬市成田冬の短歌十首(竹(武)内氏の墓-続編)

http://musubu.sblo.jp/article/34648790.html


相馬市成田の竹内氏の姓の由来

http://musubu2.sblo.jp/article/34390223.html


これらは連続して読むものである。プログは断片的に書いているがあとで編集してまとめる必要がある。日立木付近のことでこれだけ書けるのも積み重ねである。

 
posted by 老鶯 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2011年07月27日

名所観光がつまらないのはなぜ?(もののあわれを感じないから)


名所観光がつまらないのはなぜ?(もののあわれを感じないから)


有名な観光名所って人が多くてじっくりと見れないし、きっちり整備されてるから自然じゃない。だからなんか面白くないんだよなー。だから旅行ってあんまり好きじゃないんだ。
でもたぶんだけど、観光名所を回るんじゃなくて田舎の町を歩いたり野宿したりするのって楽しそう。やってみたい。沖縄か北海道でやってみたい。

名所のみ人のあわれのあるべしやその身近にこそあわれあるべし


いづこにももののあわれのあるべしを遠くに求め得ることなしも



名所を求めても名所は歴史の中で変わっているのかもしれない、京都とか平泉とかは変わらない古都として名所なんだけどそれでもなぜそれほど感動しないのだろうか?


平泉冬にたずねて雪うもる里人の家心に残りぬ


雪埋もる平泉かな裏方の里にしこそあわれありしも


古の堂塔消えて礎石のみ残れるあとに雪のふるかな


平泉を冬にたずねて心に残ったのが金色堂よりその裏の方の雪に埋もれた農家だったりする。金色堂は目立つがその裏方に里人の暮らしがある。今や平泉と言っても七堂伽藍もなにもないから昔の古都として偲ぶのがむずかしい。


とりわきて心も しみてさえぞわたる衣河みにきたるけふしも 西行


この歌は金色堂を見るだけでは感じない、裏方の雪に埋もれた里に踏み入った時に寒々とした昔を感じる。みちのくに奥に来たことを感じるのである。その時はまだ平泉には七堂伽藍があった。でも一歩その外に出れば寒々しいみちのくの荒野が広がっていたのである。
つまり金色堂だけを見て終わりにするから昔を偲べないことがある。もっと広範囲ななかに昔を知るべきなのだがそうはならない、金色堂を見れば終わりとするから印象に残らないのである。現代の観光は博物館に並べられたように文化財を見ているのだ。文化はその土地に根ざしてありその土地も広範囲な土地から作られたものである。その土地の文化とはなかなかわかりにくいのはそのためなのである。


そもそもなぜ今は名所がどこも陳腐化しているのか?あまりにも観光化されて大衆化されたこともある。そもそも観光地は観光化されていないときこそ役目を果たしていた。観光化したときは実際は過去の遺物と化して死んだものとなる。往事のことは想像でしか見えてこない、残されたものはわずかである。平泉でも実際は金色堂と浄土が池しかない、七堂伽藍はない、だからこそ芭蕉は金色堂が残っていたことに感嘆して句を作った。「五月雨の降りのこしてや光堂」である。

そのような名所ばかりが歌枕の地ばかりが価値あるものかとなるとそうでもない、何でもない身近な所にも見るべきものがある。ただ人は感じないだけなのである。もののあわれを感じないから名所に行っても何も感じない、日立木の街道の細道で書いたようにあそこにあれだけのことを書いたことを我ながら感心している。あそこに注目している人はほとんどいない、でも松並木があり昔の街道の道だった。城も近いからあそこは相馬藩を偲ぶことができる地帯だった。

地元の人も関心がないとすると外から来た人はなおさら何か見るべきものがあるかとなる。
城マニアみたいな人は見ている。でも他から来て日立木に注目する人はまれだろう。たいがい六号線を行くから街道の昔を全く感じないのである。昔は死者と同じようにひっそりと埋もれている。小さな碑や墓のように埋もれている。そこにもののあわれがあるのだが感じないのである。死んだら人は一切語らない、語るのその死者を見出す生者しかないのである。そして生者が語ることにより死者も生きてくる。結局もののあわれを感じないのは死者と語れないからである。現在のみにすべての心が奪われ死者と語ることはあまりにもむずかしいから印象に残らない旅となるのだ。死者と語ることは時間が必要である。一カ所何日も滞在して印象に残さないと残らない、今は余りにも便利すぎて印象に残る旅ができないのである。


嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の千代の古道跡はありけり
                  (中納言行平 後撰集)


その古道がどこにあるのか、旅をして知ることはむずかしい、その古道は日立木村の街道にあったがそれを知ることは外からも地元からもむずかしいのだ。現代は車洪水であり車の騒音の中に過去は消されてしまう。現代は昔を偲ぶのには最もふさわしくない時代になった。芭蕉の江戸時代なら昔を偲ぶのには適していたのである。だからこそ歌枕をたずねて奥の細道ができたのである。


自分の場合,全国を旅したから今になるとインタ-ネットで旅することもできる。その土地がどんなところだったか思い浮かべる。インタ-ネットで紹介している短歌とかが役に立つ、今はインタ-ネットで名所をどこでも紹介している。そこに出ている短い紹介文でも全国となると多くなる。
それをたどっても旅している不思議がある。こういうことは本ではなかなかできない、何かキ-ワ-ドからつないで連想しているのだ。万葉集でも他の古歌でも誰かが引用しているからそういう点では便利である。こうした書き方はインタ-ネットでしかありえない、新しい文化の創造になっているのだ。絶えず編集して読むのがインタ-ネットでありそうでないとインタ-ネットの情報洪水に埋もれてしまうのである。

名所観光がつまらないのはなぜ?(もののあわれを感じないから)(2)


名所観光がつまらないのはなぜ?(もののあわれを感じないから)(2)

芭蕉の時代には、中尊寺には金色堂とこの経蔵の二つの建物しかなかったのだ。
また、その近くに旧鞘堂が移築されて残されている。これは鎌倉時代に建てられたもので、芭蕉はこの鞘堂に納められた金色堂をみている。芭蕉はここでの感慨をつぎの句であらわしている。

三代の栄耀(えいよう)一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。


           五月雨の降(ふり)のこしてや光堂


奥州藤原氏の滅亡が1189年のことですから、鞘堂の建設は、それから数えて約100年後。金色堂の完成から数えて、164年後のことになります。

それでは金色堂は、164年間も野ざらしであったのかというと、どうもそうでもなさそうです。鞘堂というほど完全な覆いではありませんが、もっと簡単な保護施設は、奥州藤原氏の時代からあったようです。
http://www.iwatabi.net/morioka/tyuusonji/10syasin.html


芭蕉が訪ねたときは今のように観光地化していない,西行が来たときは繁栄していた平泉である。

三代の栄耀(えいよう)一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野になりて・・・・

荒寥としたみちのくの風景でありその繁栄の形見となるものは金色堂しかなかったのである。
浄土が池には訪ねていないらしい、何かその当時眼をひくものでなかった。大門の跡というのは今も柱の跡の礎石が残っているからそれなのかもしれない、そこは荒寥とした栄華の跡であり何もない、光堂のみが風雪に耐えて残っていた。それで五月雨の句ができた


今になると平泉は観光客でいつもにぎわっているからにぎわっている場所だと錯覚する。それとともに芭蕉のような旅情を感じない、荒寥とした廃墟になった平泉を感じないのである。これは他の観光地でもそうであり城などでも新しく建てるとそうした歴史の跡が消されて何か博物館のようにきれいになりそれが歴史のなかで消失した無常観を感じない、会津の城でもそうである。戊辰戦争で敗れた城は無惨な姿だった。でも新しくするとそこに歴史の無常観は感じなくなる。そして続々観光客がおしかけるとにぎわった場所だと錯覚する。観光地化するともののあわれは消失する場合が多いのだ。それは京都でも起こっている。あまりにも人がおしかけて本当は歴史のもののあわれを示す地が観光客がひっきりなしに訪れる騒がしい場所となる。

歴史の場所が博物館になってしまう。それとともに観光地が陳腐化してゆく矛盾がある。
まずぞろぞす修学旅行生でも騒がしく訪れること自体が旅情や詩情をなくす、それでも観光客を呼ばねば繁盛しないからやむをえない、寺ももともとは観光客のためにあるのではないがそうなって繁盛してもうけている矛盾がある。そもそも寺は修行する場だが今は何でも観光地化して金儲けの場となってしまう。観光地化することで稀少的な価値が喪失してゆく矛盾があるのだ。世界遺産に登録されたりするとますます観光地化するからち稀少性がうすれ価値が減少してゆく矛盾がある。


かえって誰も注目しないような所にもののあわれが残っている。相馬藩などは小藩だから城の跡もほとんど残っていないけどかえってそこに前に書いたようにもののあわれや昔を偲ぶことにもなる。かえって宣伝されすぎて観光地化して旅情が失われる所が今は多すぎる。金儲け主義が露骨に出るともののあわれは失われる。でも今は商業主義があまりにも前面に出るからそうした価値は見失われやすいのである。何気なくさりげなくあるということがなかなかできないのである。これでもかこれでもかと宣伝するともうそれ自体に嫌悪を感じてしまう。その薬ももう効かないものかとさえ思う。みんな金欲しくて芸能人やらが出て宣伝しているのだからあまりにも見えすぎている。


もちろん名所には名所の意義がありその歴史的価値は変わらないが観光地化しすぎるとそうした本当の歴史的価値を見失われやすいのだ。だから平泉では金色堂しか見ないがその裏方にも人の暮らしがあり営みがあるがそれは誰もみない、あまりにも日常的なことは注目しない、でもそこにこそもののあわれや旅情が生まれてくる矛盾がある。今の時代は旅情を感じることはそれだけむずかしくなっている。旅情は観光会社によって作られるものではない、偶然に感じることがある。思わぬ驚きこそ旅の醍醐味である。金色堂を見るだけで良しとするのは旅ではない、芭蕉はその旅の長い過程で平泉を訪ねて無常観を句にしたのである。現代人はがつがつして名所に来たから感動せねばならないとか脅迫感に強いられている。そういうものも旅ではない、だから現代からは観光はあっても旅は消えたのである。


旅人に金色堂や秋の蝉


山寺に地元の人や秋の蝉

秋になると観光客もへりかすかに秋の蝉が鳴いている。みちのくの淋しい風景にもどる。夏は観光客でそうした旅情も失われる。山寺でも夏が過ぎたら秋の蝉の声を聞く、それは地元の人がふさわしいともなる。地元というときどの辺まで地元になるのか?今なら仙台は辺りは地元であり福島県でも近いところ地元になる。秋の蝉の声を静に聞くの地元にはあっている。

冬の平泉に旅情を感じたように京都などでも観光客の少ない冬に訪ねた方が旅情を味わえる。いづれにしろ何か工夫しない限りどこも観光地化して観光客にのまれもののあわれは失うのである。現代は宣伝の時代というとき何でも見せ物になる時代である。津浪の被害者も格好の見せ物になるしマスコミの餌食にもなる。また現代は演技の時代であり絶えず演技者としてあり真実を見分けられない、泣いてたとしても演技して泣いてテレビで見せていることもある。だからマスコミで紹介されるものは演技であり真実ではない場合が多い。演技して作られたものを本当に思わされることが多いのである。江戸時代あたりだとこんなに情報化されていないから人と直接あって確かめたりとか情報の摂取の仕方が今とは余りにも違っていた。これだけ世界的情報化時代になるともう真意を見分けることも情報も処理する能力も限界なのである。

山百合

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雷鳴りて旅人去りぬ遠くへと


山百合の今日開きて一杯に朝日を受けてここに咲くかな


山百合の今日開きて夕されば雷の鳴りにき我がなお生きむ


健やかに山百合開く朝日さし昨日の雨の玉と光りぬ


ひたすらに蝉のなきにしこの夕べたちまち終わる人の生かな

六号線からではなく遠回りしてこっちの方に自転車で旅している人に二人であった。相馬市と福島市を結ぶ高速道路の予算が出た。六号線はいつ開通するのかわからない、常磐高速道も大幅に遅れるだろう。でも工事はしているみたいだ。物資が入らないのが苦しい。通販はアマゾンなどはできない、当たり前だと思ったことが今回のことでみんな当たり前でなくなった。
そもそもその土地に住むことなど当たり前なのに住めなくなったこと自体が考えられないことであった。


人間は健やかでありたい、でも病気はさけられずある。山百合は普通の百合よりたくましく咲く、雨にぬれた葉が玉と光っていた。今年は涼しくていい、毎日雷が鳴っている。それも長く鳴っている。気候的には今年は楽だから書きものもできる。昨日は一晩眠れなかった。自分の最後の日が近づくのを感じた。人間の命は短い、今や貴重なのは時である。残り少ない時を感じた。花を見るとてもう見れない日が来る。だから花を見るにしても今やおろそかにできない、もう不浄なものと接する時間はない、ひたすら神が与えた美しいもの見ることが勤めである。やがて見ることができなくなる。「やがて死ぬ景色も見えず蝉の声」とは死んでもやはり継続して鳴いている蝉の声かもしれない、詩人は最後の日に美しさの限りを尽くしてうたい死ぬ。そういうことが本当にあるのだと思った。


人間はそもそも不可解なものがつきまとう。神秘的存在である。特に臨終とか最後になるとき不思議なことが起こり得る。認知症の人も死ぬとき正気にもどったとかそういうことがありうるのだ。
人間の存在そのものが解明できないものである。人間がこの世にあるのは老人になればほんの短い間ということを誰でも自覚する。死ねば永遠にこの世にはいない、そのこと自体本当に不思議なことである。死ぬとき自分の一生が巻物のように巻かれる。これは本当である。
そういう不思議を体験する。

2011年07月28日

津波の跡が湿地帯化して原初の自然がもどる


津浪の跡が湿地帯化して原初の自然がもどる

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草の種類が違っている


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海よりの風のそよぎて涼しかな沼地に水のさざなみよせぬ


嬉々としてトンボ飛ぶかな新しき沼地を見つけアメンボウ来る


新しき沼地の生まれ生き物のさとく見つけて集る夏かな


草原に風のそよぎて草なびき揚羽蝶舞い燕飛ぶかも


草原に雷の鳴りにきまっすぐに道は海へとつづきけるかも


塩沼池の形成(植物が塩分の濃度を調節



西表島においては,海側にオヒルギが優占するマングローブ林が分布し,内陸に入りますとヤエヤマヒルギが優先する林になります。何故
樹種が変化するのかには諸説があり,土壌のpH,塩類濃度,耐塩性の違いなどが挙げられます。
http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/13/1347.htm


マングローブ林を構成するヤエヤマヒルギやアエギアリティス・アンヌラタ(イソマツ科)
は,外界の塩分濃度が高いときには塩を排出し,低いときには蓄積すると云った,植物
体内の塩分濃度を調節する働きを持っています

ある種の塩生植物は植物体の一部をゴミ箱のように使い,溜め込んだ塩を体外に捨て
て,体内の塩分濃度を調節しています。イグサ科のユンクス・ゲラルディやユンクス・マ
リティムスは極めて耐塩性が高い。これらは,高濃度の塩分を古い葉の中に集積し,葉
内の塩分濃度がある程度以上になりますと葉を落とし,直ちに新しい葉を展開し,より
高濃度の塩を吸収するようになります。



沖縄ではマングロ-ブの林がある。絶えずここは塩分の潮水にひたっていても植物として生きているから塩分があくからと植物が育たないということはない、今回の津浪ほど不思議を経験したことがない、この辺の自然は500年前の自然に還った。津浪をかぶった所は湿地帯だった。松原もなにもなかった。そして津浪の後にどうなっているかというとその500年前の自然状態の復元を日々している。海岸に近い方では草が生えないが離れると草がぼうぼう生えて湿地帯化して草原化している。あるところは沼地化している。そこにトンボが飛んで来たりアメンボウが飛んできたりと原初の自然に回帰した。嬉々としてこういう沼地に生き物は生きていた。

海岸近くは塩分が深く浸透した。それで草も生えない、一方海岸から遠い所は津浪の浪も浅く深く浸透しないので草が生えた。その種類も違っている。

原発事故で田畑が荒地化してそこにも草が生えている。ある所は風にそよぎきもちよく草がなびいている。草原地帯の気持ちよさがモホンゴのような平原の気持ちよさが一部に現れた。その風になびく草原に揚羽蝶が飛んでいる。一羽だけだが白鷺も沼地化したとこたろに飛んできた。沼地化すればそこに生き物が集る。蛙なども住むが餌となる虫も寄ってくるからだ。ここに現れた新しい自然は本当に不思議である。これは生きた理科の教材になる。理科は苦手だがそれでもこれには興味をもつ、塩分をふくんだ塩沼湖がやがて淡水化してくる過程をここで実際に見れる。500年前の自然に逆戻りした自然が見れる。人間は空間を旅すらなら今では地球の果てまで旅することができる。しかし過去にはできない、それでも過去こそ最も興味深い世界である。江戸時代にもどれたらなと何度も思うし想像して江戸時代のことを郷土史で書いてきた。自然にしてもそうである。それで八沢浦が元の入江にもどったとき驚いた。これほど驚いたことはない、たぷたぷと水にひたされた深い入江になり浦浪が春の光をうけて奥深い岸辺に寄せてきた。それはまさに奇跡だった。ただ八沢浦は明治に開拓されたのだから遠い昔ではない、今回の津浪は遠い昔の自然が再現したのである。


ある田んぼに今度は雨がふり水がたまる、その水が透明でありさざなみが海からの風でよせる。それかなんとも気持ちいいのである。他ではまだ津浪の跡は泥で汚れているがここは透き通った水でありそれが沼地化して光がさしてよせてくる。こういう風景は北海道にある。北海道には頻繁に行ったから一番思い出深い場所である。その北海道の風景を眼前で見れるというのも不思議だし津浪の被害者に悪いが気持ちいいのである。実際に今や白砂青松の風景は失われていた。松原はあったにしろ白砂の風景はどこでもない、防波堤に荒い浪が打ちつけるだけでありこれも荒寥としていた。この辺には入江や浦がないから特にそう感じていた。でも500年前は入江や浦や湿地帯が海岸地帯の風景だった。それは今の北海道の風景だったのである。磯部も砂州にもどったしまさに北海道の海岸地帯の風景である。


だから津浪の被害者には申し訳ないけど津浪の跡が湿地帯化するとそこは釧路湿原の小規模な自然が再現される。そこが観光になるようにここもそうなりえる。水田はどこにでもあるから見飽きている。しかし500年前の自然が再現された光景の不思議はつづく、津浪というと何か瓦礫の山やら汚泥やら荒廃した情景だけだが一部はそうではない、美しい原初の自然が再現されている所がある。原初の自然がどれだけ美しいものだったかいくら想像してもそれはしりえないが津浪でそれが一部再現したのである。

posted by 老鶯 at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年07月29日

鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり(原発事故の歴史的考察)

 

 鉄は国家なり 、石油は国家なり、原子力は国家なり
(原発事故の歴史的考察)



鉄はヒッタイトが使い始めて以来、
人類の発展と争いの背景にこれからも居続けます。


ビスマルクは、デンマーク、オーストリア、フランスとの相次ぐ戦争を勝ち抜き、「帝国」を完成させた。その軌跡に寄り添ったのが、「大砲王」と呼ばれたアルフレート・クルップが提供した「大砲」と「鉄道」であった。近代以降の戦争では、「大砲」は軍隊の破壊力を意味し、「鉄道」は軍隊の機動力を意味した。ドイツは、「大砲」と「鉄道」、即ち「鉄」によって築かれた「帝国」だったのである


「鉄は国家なり」って叫ぶ人って、歴史を部分的にしか見ない人が多い。日本の歴史を全体的に眺めると「鉄は日本文明なり」ということになる。


 古代、鉄は朝鮮半島南部の伽耶(加羅)地方の特産品で、日本は鉄を伽耶からの輸入に頼っていた。やがて伽耶からの渡来人がこの地方で砂鉄からの製鉄事業を始めたようで、


稲作と鉄とは不可分だと言われています。イナリは鋳物(いもの)が成りと言い 炉の中の赤い鉱石に見立てたという説や 稲穂が成りとも言い 田甫にこうべを垂れる稲穂は黄金色に輝くと言いますがこれを朱色に見立てたという説もあります。
http://kamnavi.jp/inari/shu.html


弥生時代は土木時代と言ってもよい。土木道具の主要なものは鉄である。
       弥生農耕を探る 稲作以前の農耕 焼畑農耕 陸稲 大麦 イモ類       
      驚きの木製農耕具 平鍬 丸鍬 狭鍬 諸手鍬 斧膝柄 鋤 丸鋤 堅杵 宮城県中在

 


鉄は国家なりというのは弥生時代、稲作がはじまったときからである。稲作は大規模な土木工事と鉄の道具が必要だった。だから稲作と鉄は密接にむすびついていたのである。天皇の起源も鉄の王とも言われたりするのもそのためである。鉄の資源をめぐって朝鮮半島で争ったのもそのためであり渡来人が日本に大きな力をもったのもそのためである。鉄に関する地名が日本に膨大にあるのがそれをもの合建ている。

鉄は国家なりというとき、そもそも国家とは何なのか?ということなのである。それは今回の原発事故で明かになった。今や電気が国家なりとなっていたのだ。石油が国家なりというのも言える。鉄を作るのには技術が必要でありその技術は原子力の技術でもあった。そして鉄作りで公害もあった。地名に残されている寒田とかは錆びた田であり田が鉄作りで赤い錆びた汚れた水が流れてきた使い物にならなくなったのかもしれない、寒川も鉄作りで汚れた川でもある。原子力も放射能をふりまいて人も住めなくなった。歴史を古代からふりかえると原子力も人間の歴史の必然として生まれてきたように思える。唐突に生まれたものでもない、つくづく何事も歴史的に人間の問題を解く必要がある。
自然現象すら津浪すらそうだった。この辺でも500年前に大きな津浪があったが記録を喪失したとか全く省みられなかった。津浪は何度も日本列島を襲っているのだから歴史的に考察する対象だった。それが見逃されていた。


歴史的に今回の原子力事故が何であったのかを考察するとこれは現代に唐突に起こったものではない、歴史的連続性として起こっているのだ。「鉄は国家なり」というのは近代まで連綿としてつづいていた。次に石油が国家なりというのも近代に起こった。そして原子力発電は国家なり、電気は国家なりと最近はなっていたのである。「電気が国家なり」とはおそらくまだ歴史的に短いから気づかないという面があった。でも電気なくして国家も成り立たない、自動車産業でも電気が高いと外国に行く他ないとかなる。東電や全国の電力会社がどれだけ力をもっていたか?国の中枢まで支配するようになっていたか気づかなかった。官僚も政治家も東電の手中にあり東電の支配下にあり東電の莫大な金が流れた。マスコミにも金が流れ容易に支配できた。電気が国家なりとなれば当然電力会社が国家なりともなるし現実にそうなっていたのだ。

原子力が安全だというと国のお墨付きもあり国で情報の管理もしていて安全神話が作られた。
天皇も稲作の神となり鉄の神ともなる。天皇も権力の象徴だから王としてそうさせられた。だから不作になったりすると王が殺されたりもした。権力の象徴としてあればそうなる。人間が求めているのは権力である。それが人間の歴史だった。その人間自体は変わっていないから同じような問題が人間社会には時間がたっても起きてくる。

今回の事件がオウムとにているというときオウムも権力を求め日本を支配しようとした。それはサリンと宗教を合体したものだった。サリンは原子力であった。宗教も権力に欠くべからずものだった。カトリックが政治化して権力化したことは歴史が証明している。宗教が権力者にとって必要だというとき本来の宗教ではなく宗教を人民支配に使うためである。だからマルクスが宗教は阿片だと批判したとき支配者が阿片として宗教を供給している。今のカルト宗教団体はすべてそうである。カルトとは正に宗教の阿片化なのである。原発も安全神話となり宗教化していたということも言われる。その安全神話に政治家も官僚もマスコミもすべて組み入れられた。反対する異端者は徹底して排斥されていた。ただ表面的には露骨にはわからないようにそうさせられていたのである。人間の事象は常に千年二千年の歴史的なものとして考える必要かある。

自然災害だってそうだった。今回の津浪もはじめて起こったことではない、500年前に千年前に起こっていた。原発の安全神話は「電気が国家なり」となったときから作られていたし事故も予想されていた。でも電気が国家なのだから国家に逆らえるものはいない、そして国民も権力を求めている。それが人間社会であり日本だけではない世界で共通したことである。だから権力を求めるもの、人類は欲で滅びるというのはそのことを言っている。


神々は青銅の種族を作りましたが、彼らの武器や道具は全て青銅で、前の種族よりも更に凶暴であったため、互いに殺しあい全滅したそうです。

最後の鉄の種族は、昼も夜も労役にさいなまれる種族で最も不幸な種族だそうです。そしてこの鉄の時代こそが現代であるようです。ヘシ
オドスは鉄の時代に生まれたことを嘆いていました。


鉄の時代はどうしても武殺傷能力が高くなるから殺し合いも激しくなる。明治維新後の戦争がそうだった。大量殺戮の国民戦争だった。そして鉄の時代より最も悪い時代が核の時代だった。核戦争の人類滅亡の恐怖だった。原発も戦争の道具ではないしにしろこれほどの災いをもたらすものはなかった。要するに人間は最善の時代ではない、最悪の時代を目指して歴史があった。そして最後に核で滅亡する。それが目の前で現実化した。歴史的総決算として核がでてきたのも人間の歴史的必然だった。核も人間の権力の象徴としてあり鉄もそうだったように同じだったのである。

posted by 老鶯 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年07月31日

牛肉はそんなに食べる必要があるのか?(食生活は文化の根元)


牛肉はそんなに食べる必要があるのか?
(食生活は文化の根元)

魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とありそもそも日本人は牧畜民族と違って肉食はあまりしていない民族であり文化だった。縄文時代でも貝塚で発見されるのはまさに貝であり入江や浦や干潟や遠浅の海で貝を一番とって暮らしていたのである。日本はそもそも海の恵みで暮らしていた。今回の津浪でわかったことは本当に興味深いものだった。
宮城県から福島県の海側は深く海が入り込んでいた。そして縄文時代に海だった所がわかった結果、その海沿いに貝塚があったし昔の街道もまた津浪をさけるような所に道ができていた不思議があった。そしてこの貝塚がある地点は縄文人も住みやすい場所だったというのもうなづける。宮城県の松島辺りでもそうである。貝塚が多いのも地形的にわかる。縄文時代からあの辺は住みやすかったのである。


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貝塚のあるところまで津波が来ていた

日本人の暮らしは食生活は海の恵みから成り立っていた。昆布とか若布とか海苔は外国では食べない、韓国で海苔を生産したのは日本をまねて作った。韓国は一時モンゴルに支配されたりしたから肉料理が基にしている。肉の料理がうまいのはそうした歴史的伝統があったからだ。中国と韓国に明かに遊牧民の文化が根付いていた。相馬氏の氏神の妙見信仰も北斗七星だから方向を見るものであり遊牧民にとっては移動するのに方向が一番大事だから自然とそうなった。世界最古の天文台が韓国にあるし中国にしても羅針盤を発明したのは方向を知ることが不可欠だったからである。中国の最初の国、秦の始皇帝は中国史初の皇帝であったが、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てたる)。これが秦始皇帝陵である。1974年に地元の住民により発見された。また兵馬俑坑はこの陵を取り巻くように配置されており、その規模は2万m2余におよぶ。西安(長安)は西域と接して遊牧民の国であり遊牧民が最初の国家を作った。
これはインドでも同じでありそれでイスラム教が古来のヒンズ-教と混合してしあるのだ。 そこに文化的重層化された大国の厚みがある。

日本の国は島国でありそうした重層的文化の厚みはない、でも日本文明が独自にあったというときそれなりの世界的に独自の文明を作っていた。特に食文化は文化の基本なのである。

cultureは耕すから来ているからその土地と密接に結びついたものとして文化がある。土地によって食するもの料理が違ってくるのは当然だった。江戸時代に旅行したらそうなっていた。文化は風土によって作られるというとき最近の原発事故でもヨウ素は日本人は海草類から十分にとっているからチェルノブエリのように甲状腺ガンにはならないだろうというとき何か科学的なことに無知でも納得する。風土の影響が文化の影響がその土地の影響がこういうところにもあった。放射能汚染で救われたのは浜通りでは海に大量に放射性物資が流れて意外と汚染度が低くかったことである。チェルノブエリでは大陸だから全部の放射性物資が大地に降りつもったのである。何事文化の相違は今でもある。そういう文化の相違をないがしろにして国造りをするとき自然からのその国の神からの復讐を受ける。こんなに地震や津浪が多い国に原発を作ることもいかに危険なものかわかっていたことである。風土あったものを探求すべきだった。


食生活にしても明治維新後に奈良時代のように選別することなく何でもとり入れた。風土にあったものでなくても古来の文化にあわないものでもとり入れた。それはあらゆる面にわたっている。そうした選別なしの西欧化の弊害が今生じている。牛肉だって牛乳は必要でもそんなに食べる必要があるのか?となると疑問である。自分は食べないから牛肉に関しては困らない。飯館村で牛と別れる牛に生かされたきたとか言って泣いて村を出た人がいる。でも肉牛だったらいづれ肉にするのだからそれも矛盾していると思った。なぜこんなに日本人は何でも食うようになったのか?その貪欲さに驚く、これは日本だけではないグロ-バルに起こったことである。コカコ-ラとかが世界に普及したのはアメリカ企業のグロ-バル戦略でそうなったのであり世界の食生活を破壊してそうした一様化した食品も売れるからだ。肉食にコ-ラは向いていたことはある。日本人の食生活には向いていたとはいえない、そもそも資本主義は宣伝であれ人間の欲望を刺激して拡大化させる。資本主義にとっては会社にとっては本当に必要なものでなくても買ってもらわないと困るからそうなる。つまり牛肉でも実は牛肉を食べる必要がそれほどないにしろ売る方にとって死活問題になる。牛肉はいらない、コカコ-ラはいらないと言われることは生産者にとって死活問題になるからそうなる。


薬だってやたら宣伝して売り込もうとする、そもそも薬なんか宣伝して売り込むものではない、病気になれば誰でも求めるからだ。でも宣伝によって買わされることが多い。薬屋と医者とか病人がふえればふえれほど商売になるからわざわざ病気にしているのだという人もいるのもそのためである。病気もすべふてではないにしろ故意に作られている面もあるのだ。そういうことが現代には多すぎる。電気だって電気なくなったら脅迫される。それは電気をみんながそれほど必要しなくても電気を生産する方にとって電気を使ってもらわないと困るからそう言う。だから現代は本当に必要なものを生産するより無駄なものを生産しすぎるのである。戦前でも卵も食べられなかった時代からすると食生活は今は貧乏でもあらゆるものを食べている。だからそんなに食べる必要があるのかという疑問がある。そうして肉食というのは倫理的に罪悪感を感じるものでありさらに無駄に生命を殺すことは抵抗を感じる。だからこそ自然から神から口蹄疫とか放射能はまた別にしても牛肉が汚染されて食べられない、殺してしまうということは何か自然からの神からの警告であった。津浪と地震で原発も破壊されたのも神からの自然からの日本人への警告だった。
その風土に見合った文化を作るのがその国の神から与えられた使命なのである。それを無視するとウィルスの蔓延とか自然災害とかそういうもので国土は傷つけられ復讐を受ける。



確かにイギリス人の食糧は牛肉である

と認めなければなるまい

イギリス人は戦争愛していると

それはあらゆる享楽と同じ

彼らの大好きな気晴らしなのだ

クレタ島の人々もそうだった

牛肉と闘争、この二つとも

イギリス人から学んだのだ


バイロン(ドン、ジュアン)


日本人が中国から奈良時代に宦官の制度を入れなかった。外国のものがすべでいいものでないし風土や文化にあわないものは入れるべきではなかった。それが明治時代に無差別に入れてしまったのである。その弊害は今になってもうとりかえしつかないものとなっている。それはあらゆる所に及びもはや日本は日本なのか日本は日本人なのか?日本人とは何なのだとかまでなっている。日本人はもはや日本人ではない、日本に住んでアメリカ人や中国人やヨ-ロッパ人なってしまった。日本人が日本人たる所以が見出せなくなっているのだ。その根幹に食文化の変化があったことにまちがいないのだ。


牛肉と闘争、この二つとも

イギリス人から学んだのだ


明治時代以後の日本人が好戦的になったことや拝金主義になったことや日本人的モラルの喪失もすべてヨ-ロッパであれアメリカであれあらゆるものを無差別に無分別にとり入れたためなのである。

 

参考にした本

日本の都市は海から作られた(上田篤)


ベジタリアンの文化誌(鶴田静)


文章は明かにインタ-ネットでもそうだがいろいろなものから編集することである。その中には自分の体験もあり他人の体験もあり本からもある。特に他人の引用した詩や短歌や俳句が役に立つ、その人の特別の関心からそうしたものに興味をもつから引用でも違っているのだ。そういうことを簡単に出せるのがインタ-ネットなのである。


放射能汚染より怖い肉牛の飼育
http://kokoroniseiun.seesaa.net/archives/20110730-1.html

やっぱ今の家畜は病気を作っている、人間の欲望で家畜は病気にされ人間も病気にされるのは当然だとなる
自分の意見と共通している

山百合(命のかぎり咲く花)

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これはダイサギであり大きい、普通の鷺は小さい
くちばしが黄色なのも違っている




ダイサギの一羽来たりぬ田もなしに餌を探しぬしばしあれかし


山百合と山帽子我が庭に今日も咲き暮る他は知らじも


山百合の今日一輪また咲きて健やかなれと我が祈るかも


山百合に雨打ち降りて雷鳴りぬ健やかにも咲きにけるかも


健やかに山百合二輪今日咲きにけりその命かな


その花の命のかぎり尽くしつつ咲きて散りけり何か言わなむ



尼鷺が一羽田んぼだったところにきていた。餌があるのか、蛙などいるのか、今年は蛙の声もあまり聞こえないし蝉の声も聞こえない、蝉の声は全国的らしい。去年の猛暑が影響しているのかもしれない、蝉が鳴かない今日は寒いくらいである。今年はあまり暑くならないのか?


小高の人がコンビニとかで働いている。ここでは働き場所がない、千人も来ても働く場もきもとなかった。それで困る人は相当いる。なんらか働く場所をふやす必要がある。それが一番むずかしい。相馬の方ではアメリカのソ-ラ-発電のためにパネルが寄付された。南相馬市はまだ避難区域田からそういう企業の誘致もできない、そして相馬市と福島市を結ぶ高速道路の計画の予算が出る。南相馬市は隣だ小高で立入禁止区域なのだから何か交通的に不便である。
飯館村も立入禁止区域になったら交通は相馬市-福島市になる。そこから中央と結びつくことになる。六号線や常磐線が中央と東京と直結したル-トだったがそこが断たれたのだからそうなる。その影響が大きかった。相馬市に会社を移した人もいる。相馬市はこれから発展してゆくが南相馬市は衰退してゆく。現代はグロ-バル化とか広域経済になっているのだから交通は大事なのである。それが断たれると衰退するのである。


病気になってからは健やかなことを願う、人間も60すぎたら金ではない、健康が一番大事である。健康なくなったら巨万の富があってもなんにもならない、ただ病床で苦しむだけである。
そして金で病気は直せない、老後は金が必要なのはわかるが金より大事なものがあることに気づく、若いときは金の力は大きい、しかし老後は金ではない、金では買えないものが大事になってくる。愛もそうだし知識でもそうしたものは時間の積み重ねで習得できるものである。ところが時間がなくなるからいくら金があってもできない、一億円の本や知識になるものを買ってもそもそもも時間がないから消化できないのである。時間は買えないのである。旅するのだって苦しくなる。まあ、船で世界一周などはできる。つまりもう何かするのにも時間切れなのである。


健やかに咲いている山百合、そうして健やかに咲いている時間は長くはない、今健やかに咲いている姿は明日はないかもしれない、それは花だけではない、人そのものがそうなってくる。
今生きている命はそう長くはない、健やかな日は長くはない、だからこそ今咲いて生きることは命なのである。


http://ryokeiji.net/howa/in-oninochi.html


ここで弥陀の光の中に生きる命を短歌にしている。そういう境地とにている。



命二ツの中に生きたる桜哉
芭蕉(野ざらし紀行)


年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけりさやの中山  西行



ここにでてくる命(いのち)をライフとかしたら重みがでてこない、命(いのち)という大和言葉にしてその重みがでてくる。今見ている桜、それは今世でもう二人して見ることはない桜である。
あなたとともにこの桜を見る人がいるだろうか?桜は今は盛りと美しく咲いている。その前で二人はその美しい限りに咲いている桜を見ている。まさにそのことの中に二つの命があることの喜びがある。しかし本当にそうした美を見る二人がいるかとなるとこの世にはいない、人間が追い求めているのはそうした自然の美ではない、ただ欲ばかりである。二人して桜を見るということはなかなかないのである。ここではただ二人ということが力強く凝集した句の力となっている。
大和言葉の命(いのち)がその力強さを作り出しているのだ。


西行の命なりけりもそうである。命という言葉に特別のものが託されている。最後の命であるからこそその歌ができた。人間は最後はみんなそうなってゆく、老後に金があっても心が汚れた人は悲惨になるだろう。最後の命がけがれたらかがやくことはない、弥陀の光も見えない、暗黒の世界になる。最後まで金だ金だと追われ求めている人も見えない、それより大事なものが最後にある。最後に見るべきものは美しい清浄なるものであるべきだし接する人もそうである。
だから最後に孫に財産残すとか孫が生きがいだというのはわかる。すでに息子娘は財産だけを欲しいとかこの世の汚れに染まりすぎている。でも孫はそうではないからそうなるのだ。


人間は本当は最後の日を知り生きれば充実した生を生きることができた。それは誰でもふりかえって思う。そうなると真剣に生きるし本当に価値あるものを求める。一つの花を見るにしてもこれを見るの最後だとなると見方が違ってくる。人間は最後は死刑囚であり刻々と死が近づいてくる。それを自覚していない人もいるけど現実にそうなってゆく、もう元にはもどれない、ただ死があるだけになる恐怖の世界になるのだ。人間は死ぬ時はやはりキリストの光でも弥陀の光でも後光につつまれて死ぬのが理想である。死はあまりにも無惨なものとしてしかない、人間がどんなに栄華を極めても死によって無惨に打ち砕かれる、それが耐えられないのだ。死んだら病院ではモノのように早くかたづけてくださいとかあとはモノのように焼かれて灰になるだけである。それが耐えられないのである。本当に病院でも身近でも余りにも人間の死が無惨すぎる、それがショックなのである。ともかく命の限りに生きて花なら咲いて散る、それで一生は終わる。
そういうふうに生きる人は少ない、それを悟ったと時間は消失しているのが人間なのである。

 

夏の蝶(草原化した自然は北海道になった)


夏の蝶(草原化した自然は北海道になった)

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夕風や草原に眠る夏の蝶

草原に若き恋人夏の蝶


広々と草原暮れぬ夏の夕


津浪と原発事故で不思議なのは自然が変わり草原化している。この風景は本当に北海道である。いながらにして北海道にいる感じになる。自然はやはり旅したくらいではわかりにくい、毎日観察しているとわかる。揚羽蝶が二羽番いなのか眠っている。普通なかなか揚羽蝶が眠っているのを見たことがない、ここを恋人が行き来すると何か本当に広々として気持ちいい北海道なのである。やっぱ北海道の自然が気持ちいい、心が開放されたような大きくなる気分になる。空気まで違っている、それは水田がない独特の風景だからである。草原と水田とは違いすぎる。モンゴルの平原などもあそこに住んでいれば気持ちいい、夏は特に気持ちいい、どこまで草原であり自由に馬で行き来できる。きれいな小さな湖がそちこちにありそこに花々が咲き鳥がさえずり牛や馬が放牧されている。それはなんともいえず気持ちいい世界なのだが時間的に楽しめない、そうした余裕が旅ではもてないのである。自由に行動もできないのである。


写真は今やデジカメで新しい芸術となった。今度買った富士フィルムのfinpix F550EXRは買い得である。2万5千円では安い、逆光とかに強い、画質もいい、夜景がとれることが強みである。今までのは夕日とかがうまくとれなかった。今度のはとれる。一眼レフは重たくて使い物にならなかった。カメラはデジカメで面白くなった。写俳という新しい分野ができたのもそのためである。このカメラは360度のパノラマ写真がとれる。やはり光に強い、白飛びしないのがいい、今回の一枚でも写真にすると不思議な感覚になる。これは明かに北海道の風景でありここは北海道だよと言ってもわからない、草原化している自然の不思議である。米を作る所はみんなこんな風景になっている。立入禁止区域には入れないが同じような風景だろう。原野化しているのだ。自然が変わると人間の感覚も変わってくる、北海道人のようにのびのびししてくるかもしれない、モンゴルのような平原に育てば心も変わってくる。吹いてくる風の感じも違ってくる。
ただ草原と言っても日本では雨が多いから湿地帯化しているから鷺も来ている。なんらか餌が蛙などがいるのだろう。


ともかく遠くに行けなくても近くで北海道の自然を味わえるとなると気持ちいい、今年は北海道のように気候も暑くなく今日も夏にしては寒いくらいだった。それも北海道とにていたのである。