2011年06月22日

津波、原発事故は天罰だった? (漁業権者の責任は重かった)


津波、原発事故は天罰だった?
(漁業権者の責任は重かった)


漁師は何かあればすぐに漁業補償と言ってくる
海がいつから漁師の物になったんだ?
漁師が海をつくったのか?
漁師にもっと厳しい行政になってもらいたい


漁協組合員一人一人の原発に対する賛否の意志はもちろん、家族構成から、姻戚関係、影響力のある知人や友人まで、
プライバシーを細部にわたって調べあげ、「どうすれば、その組合員を原発賛成派として説得できるか」まで結論づける激しいものであった。
http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-520.html

 


原発がどうして作られたのか?それは非常に狭い範囲で決められていた。原発利権者同士の権利で決められていた。原発を建てる場所の地権者と漁業権者が実際の権利者だった。それに県知事の許可があればできる。でも逆に漁業権者が反対すれば原発は建てられないともなっていた。だから漁業権者の責任は重いものだった。そしてそんな狭い範囲で原発が建てられることが今回のような事故につながっていた。福島県の漁業は盛んではない、まず三陸のような入江が少ないから港になりにくいのだ。小名浜が一番大きな港だった。小名浜は常磐炭田の石炭の積み出し港から大きくなった。漁業はそれほど大きなものではない、この辺が三陸と事情が違っている。双葉町の海岸が塩田であったし松川浦もそうだった。漁業より塩田として活用されていた。その塩を東京に売っていたのである。森林資源に地方が活用された歴史がある。いたるところにある森林鉄道がそうである。浪江でも葛尾(かつろう)村まで通っていたことに驚く。かなり急峻な坂がつづくからである。

なぜこの漁業権について考えるようになったかというと今になると盛んに外部から東電から福島県は多額の金をもらっていただろうと批判されるからだ。では具体的に東電の金はどのうように流れたのか?そういうことはその金に直接関わらない人はわからない、直接交渉でかかわるのは地権者と漁業権を持っている人なのである。そこがまず買収されて突破口が開かれる。

漁業権が財産権であり国でも東電でも簡単に奪うことができない、ここで反対されると東電でもあきらめることになる。でも福島県の浜通りは漁業がそれほど盛んではない、むしろ農家が多い。でもその少数者が権利を持っていたのである。それで双葉だけではない、請戸は金持ちが多かったというとき漁業権をもっていて東電から補償金をもらっていたことはまちがいない、浪江は東電から何ももらっていないというが漁業権をもっていた人には金が回っていた。だから病院にいた磯部の人が磯部には立派な家が建っていた。原発でもらった金で建てたと言っていた。30キロ圏外でもそういうことがあった。すると松川浦の漁港でももらっていた。もちろん今回の事故で漁業の補償がある。海で魚をとっても売れなくなくなったからだ。


ただ市町村全体が恩恵を請けたのは10キロ圏内である。その他はあまり恩恵を受けていない、ただそんな狭い範囲で原発が建てられる法律があるということ自体とんでもないということに気づいた。隣接県でも原発を建てるには許可が得るとか主張するようになったのもそのためである。一旦事故になったらその被害は広範囲なのである。へたをすると国を亡ぼすほどの危険なものだったのである。今は地位とか名誉とかは重んじられない、金を多くとるものが偉いのである。金で人も会社も報道も国さえ買える。何故なら一体今や国とは会社であり国より大きな存在となっている。

東電>国家になっていた。トヨタもすでに国家より大きな存在である。国家の拠り所は会社になっている。天皇すら東電の株主になっていたし東電は国家より大きな存在である。国家は会社を規制できない、会社が国家を規制している。それだけの権力をもっている。そして司法は必ず権力側につくというとき国策を推進する側につく、それだけ会社の力が大きくなりすぎたのである。会社が巨大化するまえからその危険性は指摘され法律で会社の巨大化を防ぐことがなされていた。でもグロ-バル化社会とは巨大化した会社優先の世界にしたことである。だから常にアメリカのロスチャイルドやロックフィラ-の意のままにアメリカは動く、原発が売り込まれたのもアメリカのそうした財閥の意向だったと陰謀説では必ず言われているのだ。会社の権限は大きくなりすぎてもはや規制できない、国も会社にのっとられた。


全国すべての選挙区の議員(政治家)たちを各選挙区で、実質的に選出する決定権限を持っており、その若い政治家たちが大臣になっていくことまでも左右する。さらには、市長や県知事などを差配(さはい)することなどはもっと当たり前のことである。
http://d.hatena.ne.jp/longtonelongtone/20110505/1304554653


国の力が大きいようでも今や違っている。会社が国となっている。そしたら巨大会社に逆らうことはできない、検察も軍部も会社のために動くのである。現実強制執行されるときはそうなる。
原発に反対しても最期は検察の命令で警察が強制執行するのである。ただその最前線は漁業権者にあった。でも簡単にその漁業権を東電に売り渡したことは否めない、さほどの抵抗はないし金をもらった方がいいとなった。結局今回の原発事故は様々な問題を浮き彫りにした。
漁業している人でもあなたたちは本当に海の恵みで暮らしていて海を大事にしていましたか?

農民は大地から実りを与えているのに本当に大地に感謝していましたか?それは別に漁業者や農民だけではない、国自体がそうした自然の恵みに感謝していましたか?むしろ電気の方が車の方が文明の便利な道具の方が大事で価値あるものとしていませんでしたか?そういうことが問われてもいたのである。江戸時代まで9割が第一次産業だからそんことはなかった。それが一割のみが第一次産業の従事者になったとき社会は余りにも変わりすぎたのである。
だからはこれは天罰だというのも一がいに否定できない、漁業権者は簡単に金のために大事な漁場を東電に売り渡した。農家もまた常に金にならないという不満だらけだった。なぜ金にならないのだばかりしかない、大地や神に感謝している人など一人もいない、絶えず金のことで不満だけなのである。そういうことに自然が怒ったのかもしれない、東電から金をもらっていた直接の利権者は漁業権者は天罰だったということを言われてもしょうがない面はあった。それは自分だけけが言っていることではない、磯部に住んでいた人も天罰だったと言っている。

posted by 老鶯 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

失われし時は帰らじ(詩)

失われし時は帰らじ


失われし時は帰らじ
金にて時は贖えざるを
貴重なる時は失われしを
ただ一度の人生よ
汚れしものの悲しからずや
そは何を見て生きしや
その瞳に写りしは何ぞ
若き日の清らかなる瞳にあれ
直ぐなる心にあれ
若き清らかな美しき日は帰らじ
若き日よ、悪に染まるべからじ
人はただ汚濁にまみれ
いかに穢れ罪深きかも知らじ
そが瞳に写りしは何ぞ
忘れな草やすみれの花
そが脳裏に深く刻まれありしを
偽らざる誠の日々を過ごせ
粛々と磐のごとき日々を過ごせ
若き日の情熱と清廉さを保て
青春の日々は二度と帰らじ
時は過ぎやすく失われやすし
罪は深く魂に刻まれありしを
何をもっても贖えざるを時の重みよ
老年はただ思い出のみ残りぬ
そが瞳に写りしは何そ
そが人生の心に刻みしは何そ
その心は偽れざるを
老年はさらに磐のごとく粛々とあれ
その岩のかたわらにつつましく花は咲きしを
美しき日よ、永久にあるべし
神とともに歩む日の永久にあるべし
今際のきわにも美しきものを見るべし
看護婦の手はあたたかく見つめる瞳は清し
死をみとるものは清くあるべし
人はものにはあらじ
魂を持ちて最期まで生きるものなれば


posted by 老鶯 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般