2011年06月15日

南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


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鹿島区寺内仮設住宅



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大原から橲原地区

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通行禁止-橲原渓谷



深々と森に流れや夏鶯


草深く馬頭観音菖蒲かな


大葦にパス停残され菖蒲かな

橲原や二羽交じるや黒揚羽



南相馬市の鹿島区の寺内の仮設住宅は人が相当入っていた。朝日新聞社の人が原町区の雫(しどけ)の人をたずねていた。地図で見てもあの辺に津波が来たとは思えないが広い地域では来ていたのだろう。あそこは道路が広く一つの街になっていた。道路に駐車もできるし車をもっている人も多い。比較的恵まれた人が入ったのかもしれない、玄関のあるのとない部屋があった。車が町の真ん中を通れるというので便利である。西町と千倉では囲われたようになっているから車も人も外部から入れない、ただ千倉には樹があり木陰になるので夏は気持ちいい、ここは新し町ができたということが不思議である。

そこから小池を回り原町区に出て大原の方に行ってきた。何軒か避難しているかもしれない、でも車がある家は避難しないのか、よくわからない。病院で知り合った人の家はどうなったのか、寄らなかった。そもそも年で病気なのだからとても五町あるとしてもできない、市役所で息子が働き街に住んでいるとしたらそっちに移ったのかもしれない,廃屋になっている家が三軒くらいある。そこから橲原の方へ上ってゆくとやはり空家になった家がふえてくる。家は少ないにしろ明かにふえている。牛車には牛はいない、牛はもうここでは飼えないだろう。放射線量は高い地域になっている。大原から大葦は前のバスの停留場だけど廃止になってから一年くらいになるだろう。そこに馬頭観音と草深く菖蒲が咲いていた。馬頭観音でもバスでも交通があった標である。 ここに一回だけおりたことがあった。折り畳み自転車で飯館村に行っていたからである。まだ車の行き来は盛んである。でも飯館村が立入禁止区域になったら極端に淋しくなる。まだ交通は遮断されていないからかえってここは車の行き来が激しく山の村とも思えないところである。警察の車も多いのだ。見回りをしているからである。もともとこの辺は家がまばらでありこの辺でもう酪農とか肉牛でも生活できないとか避難したいということを報告があった。相馬市の玉野も相馬市街から離れた辺鄙なところであり原発がなければとか書き残して自殺した人がいたがそれだけの理由とはいえないだろう。フィリンピンの嫁と子供が故国に帰ったことも痛手だった。その方が一層死んでしまうとした原因かもしれない、借金もしていたとかやはり今は農家でも酪農家でも苦しかったのである。東電で国で保障されて移った方が楽な人もいることは確かである。ただつづけたいという人もそれなりにいるからその事情はいろいろなのである。

この辺では確かに井戸水を使っていた。井戸水は地下水は放射能に汚染されているから危険で飲めないだろう。山の湧き水をとり入れて所もある。そういうのも危険になるのだろう。ということは山で暮らすメリットがなくなる。なぜなら水道代を払わないで良かったからである。

それから橲原渓谷は通行止めになっていたが自転車ならそういう場所でも行けるから下ってきた。落石があり木も崩れ落ちていたところがあった。橲原に出たがここでもテレビで写していたが放射線が高く子供がいるという家は移ると言っていたから移動した人がいるのだろう。空家になっている家があるみたいだ。道路の脇に九輪草が一杯咲いて夏の蝶が乱舞していた。
あそこに蝶だけが集まりあとは今は耕されない畑に田植えされていない田があるだけである。
でも蝶があんなに飛んでいることでほっとした。自然は放射能に汚染されても表面上は何ら変わっていないのである。だから俳句でも短歌でも詩にも絵にも写真にもなる。放射能汚染だからといって森の樹を全部を切って除染すべきだと学者が言うがそんなことしたら森がどうなるのか?むきだしの土のはげ山になってしまう。第一そんなことができるのかと思う。


橲原村というと何か隠棲するのには一番いい所であった。大原などもそうだったがあそこは車の通りが激しいからそんなにいい場所とは思えなかった。今はどこでも車が騒々しくするから隠棲するのにふさわしい場所はまれである。ただ橲原村というときその場の雰囲気を知るのにはどうしても一回はたずねる必要がある。テレビとかではわからない、なぜならテレビを見て俳句や短歌を作れないからだ。確かに震災の映像を津波の被害の映像を見て作ったがやはりリアルな表現に写生の表現にはなりにくい、真実味が出てこないのだ。ともかく橲原村でも大原村でも人が流出すると村自体がなくなる危機になるかもしれない、前から山の暮らしは単に単に風流で見ているならいいが実際に暮らす人には大変だった。だから保障さえあればこのさえ街に出ようとする人が増えてくるかもしれない、回りの人がいなくなると余計に住みにくくなるからだ。今回のことで不思議なのはこうしてなれ親しんだ所に住んでいた人がいなくなるという不思議である。最後の見納めのように見ている不思議である。大げさになると人類最後の日を見ている、人が住まなくなるということはそういうことでもある。

まあ、人類がいなくなっても放射能汚染でも自然は残るし回復する。死に絶えることなどないのだ。自然のスケ-ルは千年から一万年だからそのうちにまた回復するからだ。だからその間に人間の住む街や村が消えても不思議ではないのかもしれない、こんなとき俳句など作っているのがおかしいのかもしれない、ただ習慣で作ってきたから作っているのだ。それもやはり自然が別に枯れてもいない表面上は同じだから作れるのである。ただこういうとき俳句とか短歌を作るために見て歩くというのは不遜になるのかもしれない,みんな困っているとしたらそうである。ただ報告として出しているのである。

posted by 老鶯 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連