2011年06月14日

福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」


福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011061400329

霊山から玉野も放射線量が高くその近辺では避難するようになった。飯館村に近いと放射線量が高い、3マイクロシ-ベルトになっていると住んでいられないんだろう。特に子供いる人は避難するようになる。玉野でも子供がいる人は市の仮設住宅に避難するという。3マイクロシ-ベルトでも子供はその3倍くらいの影響がある。子供をもっている人はみんな避難している。飯館村でも残るのは最後に老人である。もう老人は石のように動けないのだ。ここで自殺があったのは牛乳を廃棄していたこともあるがテレビのニュ-スではフィリンピンの妻が原発事故以来放射線のことでフィリンピンに帰ったこともその一因になっている。浪江の津島でも前に中国人妻が東京に住みたいとナタで夫に襲いかかった。あんな山奥とは思わなかった。その女性は都会に住みたかったのである。山村が嫁不足で外国人が結構入っていることがこれでもわかる。原発事故関係で自殺したのは須賀川と飯館村の102才の人と今回は玉野で三人目である。
酪農は草から放射性物質がとりこまれてミルクになるから危険である。チェルノブリではそれを政府で黙認して牛乳を飲ませていたから子供が甲状腺ガンになった。日本では最初段階で乳牛の原乳をとめているから安全である。


この放射能はかえって自然と共に暮らしていたところに甚大な影響があった。土とか水とか植物に影響があった。そして土とか水が一旦汚染されたらなかなか消えない、百年も消えないとか、地下水の汚染はやがていわき市や郡山の方に浸透ししてゆくとかその全容は誰もわからない、百年後にも地下水から放射性物質が発見されたとかなる。地下水には江戸時代に降った雨がたまっているのも神秘的だがそこに放射性物質がたまる。それはなかなか消えないのである。森の中でも葉にたまり葉が落葉になり循環して放射性物質は消えないやっかいなものなのである。広島と長崎の原爆とは違った放射性物質の被害が延々とつづくのである。広島とか長崎は都会であり草木も生えないというとき土とかが汚染されたのとは違っていた。都会だとコンクリ-トのビルでも洗い流すことができた。でも土や木や地下水となると放射性物質を取り除くことができない、結局時間が解決するとなるがこれも長い。そもそも森をどうして除染するのか?森を切ってできるというが森の樹をみんな切っていいのかとなる。森が枯れるわけではないのだから自然の浄化作用にまかせればいいともなる。そのためには30年から100年かかるとなるが森の木を全部切るようなことをしていいのか?そのことが疑問なのである。結局チェルノブリのように荒野化野生化するほか、放置しておくほか手段がないのかもしれない、それでもそこには生物は繁茂している。死の世界にはなっていないのだ。狼が戻ってきたということがそこが野生に戻ったということである。自然が死に絶えるわけではないのだ。飯館村の佐須の山津見神社には狼を祀っていて狼の伝説があり白狼というどぶろくを作っていた女性が紹介されていた。狼はもどらないにしろ正に狼の伝説がある場所にふさわしいとなる。


ともかく飯館村でも悔しいとかモノを投げつけていた人がテレビで写っていたり酪農家の被害も大きすぎた。原発事故で起きたことは様々なことを示唆ししていた。豚が死んだ豚を食べていたとか信じられない凄惨なことが報告された。豚は肉食だからそうなった。一方で牛は餌がなく力尽きて死んでいた。牛は肉を食べないからとも食いは起こらないのだ。人間は飢饉になり人間も食った。人間は肉食だからである。草食動物と肉食動物の違いがある。人間は肉食動物だからとも食いにもなるのだ。津波であれ原発事故であれ日常的なことから非日常的なことが起きている。高度化した文明は高度成長以後は第一次産業が経済のしめる割合は極端に低下した。現代では石油が電気がどれほど大事なものであるか、米や野菜や牛乳はありあまにほどある、だからその価値は低く見られていた。それで漁業組合の人が漁業を馬鹿にするなよと東電の社長に言っていた。そうした価値観の相違が露骨に現れたのである。生命を維持することに直結する第一次産業が低く見られ工業化によってその他のものの価値が高くなりすぎた。そして原子力の事故ではその低く見られていて第一次産業が一番打撃を受けたのだ。

社会でも農業や漁業などより電気がエネルギ-が大事だとなっていた。都会の田舎の対立もあった。そうした諸々の価値の相違による社会も原発事故と関係していたのだ。命と直結する第一次産業の基盤が失うと人間はもはや生きていけないということに気づいていなかった。それで双葉町の人が家族がばらばらになり苦しんでロウソクでも家族一緒に暮らせた方がいいと言っていた。家族まで崩壊させた。ここに移り住んだ人も会津に祖母がいて二本松に会社があり通っている。浜通りから二本松に通っていたら大変である。でも原発事故でそうなってしまったのである。様々な悲劇を生んだのが原発事故だった。その被害は一時期のものではない,百年もつづくというから放射能の怖さを今になって被害を受けてはじめて知ったのである。


核戦争の中で死ぬことは三度死ぬことである。自分自身が死ぬことであり子供たちの世代において死ぬことであり、是自然と共に死ぬことである。
ああ、友人たちよ、高く見上げたまえ、まだ空が相討ちに高く空をみあげたまえ、大地がぼろぼろに崩れないうちに、大地に触れたまえ、

泉が汚染されないうちに、走って清水を飲みたまえ、海が荒されない前に思い切り泳ぎたまえ
とりわけ、あなたの子供たちがぐったり倒れないまえに、ようく遊んでいる姿を見ておきたまえ
(ランザ、デル、パスト)


本の山からこんな言葉が出てきた。ガンジ-の時代の人だとするずいぶん古いがフランスの人だった。フランスの核実験反対運動した人だった。核戦争ではなく原子力発電も同じだった。
子供たちの世代にもの凄く影響する。放射能もそうだし放射能は子供の世代にも消えずに影響する。子供が外で遊べなくなったのもにている。ただ福島で起こった原発事故で違っていたのは放射性物質汚染は目に見えないから広島や長崎の被害と違っているからあれこれは何だと思う。何ら風景は変わっていないのだ。水は澄んでいるし大気も澄んでいる、森も変わらずに水々しい緑である。どこが汚染されているのかと思う。現実にチェルノブリは原始の森に戻って野生の楽園になったという。つまり生物が死に絶える世界ではない、長崎と広島ではそういうふうに思った焼け野原になり生物は生きていけないと思った。でも原発事故ではそうならなかった。そこがどうしても深刻に考えないことにもなった。飯館村でも老人は残るというのはそのためである。老人は放射能の影響を受けないから別に住んでもいいのである。放射性物質に汚染されたものを食べても別にあと10年でガンになるといってもその頃はみんな何かしら病気になって死ぬから同じなのである。だから広島と長崎と比べるとずいぶん違っているし深刻なものとそこに住んでいる人は考えない、ただ避難させられたり農業ができないということで深刻になる人はいて自殺したのである。放射能に直接やられて死んだというのではないのだ。放射能の影響がどうこれから現れるかはわからない、その結果により今回の事故の大きさがどれほどのものだったか判断される。

 
 
 
posted by 老鶯 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市鹿島区右田に残った松


南相馬市鹿島区右田に残った松

dalia12323.jpg

koinoborikawa.jpg

家がなくなった人がここに鯉のぼりを置いたのか?
ふつうこんなところにこいのぼりをしないから


maturoots1112.jpg

playomocha111.jpg

stonwild222.jpg

stonwild11.jpg

migita,atuuu123.jpg
クリック拡大

前畑にダリヤ明るし朝に映ゆ


凄まじき枝折れあらわ凛々しくも津波のあとに残る松かも


今はなき右田の松原防波堤崩れ打ちよす浪の音かな


なぎ倒す松数しれず根のあらわその一本のまた残り見ゆ


家はなく庭石残る茫然と石も驚く津波なるかな


もともとは庭にありにしその石の荒野に残りあわれなるかな



右田の松原は松が太いからいい松原だった。あまり注目されていないがいい松原だった。松川浦よりいい松があった。松川浦の松は細かったのである。だからいい松原とは思わなかった。ともかく今回の津波では松の被害が甚大である。どれだけの松がねこそぎ倒されたか数しれない、何十万本の松が津波で根こそぎ倒された。松原は防潮林として植えていたからその松がすべてなぎたおされた。津波の威力をそこでまざまざと見た。陸前高田市では7万本の松の一本が残ったがそれも危うくなっている。あの辺この辺より津波が激しかった。街自体が壊滅した。まるでポンペイの跡である。この辺でも磯部とか烏崎はそうなった。街とか村ごと一瞬にしてなくなったた恐るべきものだった。身の毛のよだつような津波の猛威だった。


右田だとしょちょう行っていた。駅近くの踏み切りからまっすぐな道だったが家は少なかった。
それでも家はあった。一千万で最近リホ-ムして売り出していた家があった。あの家を売った人は運が良かった、命も助かり財産として価値あるとき売ったからである。海老にあった喫茶店などをしていた別荘も1200万で売り出していた。それも土地だけは残ってももはやあんなところには誰も別荘は建てない、別荘は海側に建てる人はなくなる。日本では結構津波のことを考えず別荘を建てていた。こんな金銭的な大損失はいくらでもある。一瞬にして家も土地も財産もなくなった人たちが何万人といるからめずらしくもない。


あそこに大きな石のある庭があった。その石はどこにいったのか?写真のよりもっと大きい石だった。庭の石も津波によって流された。庭の石は荒野の石とは違う。人間の情がうつった石になっている。ペットと同じである。石に情がうつらないというかやはり庭の石は人間化した石なのである。いづれにしろ以前として異様な光景は変わっていない、これも何年かたつとそんなものかと日常化するのだろうか、それにしても一本残った松はまるで戦場で必死に生き残った侍のようである。なぎ倒された松、殺された松は部下だったのだろうか?凄まじい津波の猛威にたえて残った一本の松、痛々しくもしかし凛々しい松である。これを画家が絵にすれば名作になるかもしれない、一幅の絵になっているのだ。右田の松原は消えただ今はこの残った松の英姿を見るだけである。


前畑や前田というときなんともないようだが農家だったらまず前田が前畑が映える。そこが昔なら生活の拠点となったからである。今は遠くの会社に通うから自然な生活が失われた。前畑や前田を生活の拠点にすることが自然な人間の生活である。あそこは田中城があったところでありあそこまでは津波が来なかった。その手前まではきていた。やはりあそこは高くなっているから城が作られた。あとは低く湿地帯だったのである。


ともかく前田や前畑が生活の拠点となるのは自然であった。車や交通の便がよくなったから遠くが生活の拠点になる、それは人間にとって不自然なことである。都会では今回の地震で帰宅できない人があふれた。そして自転車通勤した人は帰れたのである。便利なものに頼っていると災害のとき困る。便利なものに頼れば頼るほどそうなるのだ。原発の事故もそうだったのだ。その災厄は何百年つづくとか土地まで耕せなくなった。津波の荒野に原発事故の放射能汚染の荒野の世界である。こんなこきになるとは誰も想像もしなかった。でもそれが今の現実なのである。


 

posted by 老鶯 at 17:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 地震津波関係