2011年06月04日

東南の風が本流となり飯館村に放射性物質を運んだ


東南の風が本流となり飯館村に放射性物質を運んだ

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http://hamanora.blog.ocn.ne.jp/kaiin02/

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一の図と下の自分が描いた図は風の流れと一致する。3月15日の福島原発からの放射性物質は東南の風にのって浪江の赤字木(あこうぎ)椚平(くぬぎたいら)辺りに一番多く放射性物質を運んだ。その時そこに雪が降ったから余計にそこに堆積したのだ。太い赤い線が大きな強い風の流れだった。それが放射性物質の本流の流れを形成した。そして塩浸(しおひで)が別れ道であり風の別れ道にもなった。だから津島も放射線量が際立って高くなった。塩浸から広い道がありそこを風が流れた。塩浸から手七朗方面に流れた風は本流の風である。東南東の風でありそれは谷間を通り道にして流れ飯館村まで放射性物質を大量に運んだ。ただ距離があるからその時相当強い風が吹いたのか?津島だったら距離がないから風で大量に運ばれるのがわかる。飯館とかさらに霊山辺りになると遠い。福島市になるとさらに遠いから風の流れがどうなっているのかわかりにくい、段差も関係していた。高いところから低いところ風は流れやすい、山から風が吹き下ろす、そうすると飯館は標高が高いからその段差があって福島市の方面に吹いた風が放射性物質を運んだ。八木沢峠から吹き下ろした風が谷間を通り大原の大葦辺りに放射性物質を運んだ。だからその辺にある家も計画的避難地域に指定してくれとなる。放射線量が高いからだ。それから橲原渓谷を風は下り南相馬市の橲原村も高くなった。これは風の方向からもわかりやすい、地形からもわかりやすい。


でもわからないのが田村市の三春が放射線量が低いことなど風の流れや地形がどう関係したかわかりにくい、葛尾(かつろう)村は一時期高い時があったが津島と隣り合わせなのに今は低いのはなぜか?これも風の流れから分析すると葛尾(かつろう)村は高瀬川にそって流れた風に影響された。そこはかなり急峻であり風をさえぎった。方向的にも東南の風とはちょっとずれている。都路はまた隣だが山にさえぎられている。つまり飯館村に吹く本流の強い大きな風とは違う風が吹いたのかもしれない、伊達市の霊山辺りも風の流れは本流の流れにそっていてわかりやすい、わかりにくいのは二本松市とか郡山市とか白河市とか田村市である。福島市はわかるにしても本流の風の突き当たりになり盆地だから滞留したことはイメ-ジできる。ところが郡山市がなぜ高いのかとなるとわかりにくい、白河も結構高いから一旦白河に風が流れてその白河から福島市の方に風が吹いて阿武隈川をそって福島市に流れたと分析する人もいた。
白河の風の方向は茨城方面の平野から吹くのが多いからだ。でもその時は福島県では西風とか北風が吹く、東南の風が本流の流れを作ったとするとむしろ福島市に滞留した放射性物質が阿武隈川にそって郡山市に流れて白河市に流れたとみるのが自然なのかもしれない、放射線量も郡山>白河になっているからだ。もし白河から郡山に流れたなら白河市の方がもっと放射線量が持続して高くなっているはずである。


放射性物質はやはり爆発したり一気にもれたときの風の流れが影響して地形が影響した。海側は放射線量が低かったのは海に風で流れたからである。30キロ圏内の避難指示は地下水の汚染などや警戒地域として設定された。飯館村や浪江の山中は原発の地下水の影響はないからだ。放射性物質の流れはやはりその時の風の方向で明暗を分けた。地形も影響したことは確かである。谷間は風を吸い込むような働きもするし段差のある山の頂上からは風が吹き下ろし谷間に沿って吹いてくる。実際に四国の祖谷のかづら橋の袂に吹いてきた風は相当に低い場所から海の方向から吹いてきたかもしれない、あそこは相当に奥であり高い地域である。だから飯館村も標高が高いから海からの東南の風が谷間に沿って吹き上ってくることはありえたのである。祖谷(いや)でも谷間が切れ込んで深いからそこから高知の海であれ瀬戸内海からも風が吹き上げてくることはありうる。山が高いだけに谷も深いからだ。ただ風の流れは本当にとらえにくい、それが今回の放射性物質が福島市とか郡山市に高かった謎を作り出したのである。


詳しい地図とグラフをを集めたサイト
http://hamanora.blog.ocn.ne.jp/kaiin02/

posted by 老鶯 at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 飯館村

田もないのに白鷺がいた!



高台に老鶯鳴くや昼間かな

田のなしに白鷺見つけほっとする


ヨシキリやせわしく我も暇のなし


この道の樅の木陰の深くして植田に白鷺餌あさるかも



昨日は相馬市に行ったけど磯部の方を見ていたら白鷺が一羽飛んできた。その時新鮮だった。白鷺は普通に見えるものだが今は見ることができない、白鷺は田んぼないと生きられないだろう。白鷺の餌は田んぼにいる蛙とか田んぼにいる生き物を食べている。


水鳥なので、カワセミのように、魚を食料とします。
他にどじょう、蛙、水生昆虫、サワガニ等です


現在は自然の小川などがない、コンクリ-トの側溝になっている。小川があるとそこではタニシやら水生昆虫でもメダカもいた。だから田がなくても小川があれば白鷺などは餌がある。
人間は便利だからとなぜ小川なども側溝にして破壊してしまうのだろうか?水の流れを良くするのはわかるが全部がそうなってしまって小川は消えた。


春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
二、

春の小川はさらさら流る。
蝦やめだかや小鮒の群に、
今日も一日ひなたに出でて
遊べ遊べと、ささやく如く。



兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷


まさにこういう故郷の風景があった。それが消失したことに故郷の人すら惜しいとも思わないのだろうか?ただすべて便利さだけを追求してそく社会だった。兎追いし・・・というときこの辺で結構兎が出てくるのだ。今でも出てくる。びっくりしたのは裏山で立っていたら後ろに兎がいたのである。兎はすぐ近くの山、里山にいる。町からほんのわずか離れた田んぼにもでてきたしこの前は六号線のすぐ近くにも出てきたので驚いた。兎は行動範囲が広いらしい。ぴょんぴょんと遠くまで飛び跳ねてくるのかもしれない、いづれにしろ今や本当にこの辺はどうなってしまうのだろうか?もう20キロ圏は住めなくなるとかやがけはチェルノブリのように森におおわれ自然の楽園になるとか?動物の楽園になるとか言われる。様々な憶測をもって言われる。


白鷺なんかは別に人間がいなくてもそこに川や小川や餌があればいなくなることはない、つまり人間がいなくなっても動物は生きている。放射能で動物や生物でも植物でも死に絶えることなどない、現実に今日田植えされていない土がむきだしの所に白鷺一羽をみかけた。雨がふって水たまりができたからそこに蛙などがいたのかもしれない、蛙は鳴いているからいなくなったわけではない、不思議なのはそうしていくら放射能で汚染されても生物が死に絶える訳ではない、・・・ということは人間も生物だから動物や植物が生きている所には住めるのではないか?チェルノブリではただ老人だけが住んで死んでいった。老人は放射能の影響を受けない、癌になるといってもほとんど同じ割合で癌になる。そうなら慣れ親しんだ所にいた方がいいとなる。現実にチェルノブリでは老人などは移住した人がその心労や何やらで死んだ人が多いというのもわかる。ともかく放射能というのは目にも見えないしわからないから憶測ばかりが多すぎる。一ミリシ-ベルトから20ミリシ-ベルトと危険の範囲の差が大きすぎるのもそのためである。学者すら低い放射線や晩発性障害については何もデ-タ-もないしわからないからそうなっているのだ。福島人は放射能のモルモットだと言われるのもそのためである。まあ、自分なんか放射能をそんなに恐れない、子供は何倍の影響があるから避難するほかない、そうすると世代間で放射能に対する対処が違ってくるから困る。老人より次の世代の子供の方が大事だとなるのもわかる。飯館村などでも老人は最後まで居残ることは確かである。


白鷺がいるのは当たり前だった樅の林がありその木陰が広く涼しかった。その前に田んぼがあり静かに白鷺が餌を漁っている。これは当たり前の光景だった。相馬市のあそこが樅の林だったということは今気づいた。相馬市で田植えをした。でもその米をが他に売ることはむずかしいだろうと言われる。そうなら地元の人を食べろとなるが子供はまずいとなる、家族で食べられないとなるとどうなるのか?老人は食べてもいいのだ。内部被曝と言ってもさほど影響ないのである。


高台に老鶯が鳴いていた。低地に人はもともと住んでいない、湿地帯とか虫の害があり人類はもともと高台に先に住んだ。ヨ-ロッパでも丘のようにな所に街があるのもそのためだった。低地は文明が進んでから人が住むようになったのである。