2011年06月02日

夏の海-常磐線は消えるのか?(海が見えた駅は津波が来た)


常磐線は消えるのか?(海が見えた駅は津波が来た)

相馬出て尼鷺見ゆる植田かな


山下駅出勤の人や菖蒲かな


久々に遠出するかなバスの外ノカンゾウの群れ咲くを見ゆ


新地駅坂本駅や山下駅津波に消えて夏の海見ゆ


新地駅通過の電車まちあわせ数分の間下り虫の音聞きぬ


やっぱり海が見えた所は海が近く津波の被害があった。海が見えるのは新地駅くらいであり常磐線は海にそっているけど海が見える地域が少ない、山下駅からあとは海が見えない、でも坂本駅から浜吉田駅まで津波で浸水した。松原になり海が見えないから海を意識しなかった。
亘理駅にしても鳥の海までそれほど遠くないから津波の被害が大きかった。富岡駅も海が見えるから津波の被害があった。末続駅までも津波が来たのか?駅そのものは津波にのまれてはいない、あそこから海は見えるがかなた高い所である。それでも今回は高いなと思っても津波の被害があった。地形により津波は高くなる。やはり常磐線で海が見えた地域は駅は津波の被害にあった。四倉は被害があっても家がかなり残っているから被害が少なかったみたいだ。あそこは砂浜の面積が広いからそれが影響して街が海岸に接しても壊滅状態にはなっていない。壊滅状態になった所は家の土台しか残っていない、この辺では磯部とか海老とか烏崎であった。山元町もひどかった。


そして不思議なのは家とか松原がなくなった結果、広々として海が見えるようになった。景色が変わってしまった。磯部の方面への所もまた雨がふって広々とした海のようになっていた。かなり低い所でありさらに地盤沈下したためだろう。相馬から亘理までは元のようには線路は作れないだろうという、迂回して六号線の西に線路をもってゆく案が出されている。でもこれは新線を作ると同じだから容易ではない、それだけ作って元がとれるとか考えるだろう。パスは割安になる。寸断された常磐線は原発事故もあるしいつ復旧するか全く見通しがたたないし廃線になる区間も出てくるかもしれない、その他も三陸方面の線もなくなるかもしれない、そういうことか想像もできなかった。この世に永久に存在するものはないのかもしれない、常磐線がなくなるなど考えた人もいないだろう。過疎化してなくなる線もあるが常磐線がなくなるとは誰も思っていなかった。


今度常磐線が六号線の西にできたらそこから広々とした海が見えるから景色としてはいい。浜通りと言っても電車から海が見えるのはほんの一部だった。それは松原とか家にさえぎられていたからだった。自然の風景が津波で変わってしまうことの驚きである。常磐線とかでも電車の旅が長かったから思い出深い。線路にそって旅した時間が長い。常磐線は日常的に使うものだから旅で乗るのとは違っている。鉄道の旅が長いからマニア的になった所もあった。
北海道では廃線になった所が実に多い、そこに記念としてここに駅があったとか残っている。
そんなふうに常磐線もなってしまうのか?これも本当に信じられないことである。


新地駅は交換の待ち合わせで長く停まることが多い。そこでホ-ムに下りたりしていた。海が近くても集落があり家並にさえぎられて見えないのである。小さな川があるところからわずかに見えるだけだった。日本は海に囲まれていても松原があるから海が見えなくなっていた。あれだけ広々とした海が見えたら夏は涼しく気持ちいいことは確かである。松原も良かったあれだけ遠くから海が見えることは新しい風景を津波が再現したのである。


ともかく今や異常なことが多すぎる。相馬市から南、原発から30キロ圏内は田植えしていない!
そこには田植えしていたさ必ず白鷺が飛んでいた。その鷺がどこに行ってしまうのだろうかと思う。もちろん阿武隈高原の葛尾(かつろう)村とか飯館村でも田植えをしていない、広大な地域が田植えしていない、そこに鷺は飛んでいない、見かけないのだ。青鷺など見かけたがあれは足が長いから沼などで餌をとれるのかもしれない、白鷺は足が短いから沼なのでは餌をとれないだろう。尼鷺は南から渡ってくる。相馬を出て北に行くと田植えしていたから見かけた。
あれは沖縄で水牛の側を歩いているのをみかけた。ただ田植えができるようになったら鷺は確実に戻ってくる。自然まで変わり田までなくなる異常な光景になった。田植えができなくなるということは飢饉でもありえなかったろう。なぜなら江戸時代のような自給自足の社会ではそれでは死んでしまうからである。だから何があっても田畑をやめるわけにはいかない、自前で作らない限り死ぬからだ。その時遠くからは食料は入ってこないし買うこともできないからだ。