2011年06月16日

夏の蝶(橲原と大原村)

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夏菊や仮設住宅あまたかな


橲原や黒揚羽二羽交わりぬ


大原や朝水清く秋の蝶


橲原と大原近し冬の暮

橲原は隠棲の場所にすさわしい、大原も江戸時代に大原山人と言う人が隠棲していたから山の里だった。江戸時代ならそうした奥であった。それぞれに場所の魅力がある。佐須の山津見神社のあるところも真野川の源流であり位置的に神秘的な場所だった。そこで白狼というどぶろくを作っていた人も避難せざるをえなくなった。橲原でも大原でも避難する人が出てきている。最近は橲原と大原を結び道ができたけどあそこを通る人はまれである。あれも公共事業だった。仮設住宅も公共事業であり無駄な投資の面はあった。それで地元の人がまにあわないからと作った仮設住宅は地元の経済を潤すから良かったとなる。仮設住宅に国から五〇〇億円が投資されたのだから業者にとっては大きな利益を生む公共事業になった。仮設住宅が増えて近くに町ができた感じになりにぎやかになった。それはそれで良かった。原町区は確かに保証金百万とか東電でもらえるにしても医療でも教育でも崩壊しているから住みにくくなったのだ。そして南相馬市では東電から保証金をもらった人は生活保護が打ち切られた。一五〇人が打ち切られた。そもそも今は市の財政は津波の被害やら何やら窮迫しているだろう。それで生活保護する余裕がなくなったのだ。法律的には明かに打ち切る理由がある。財政が苦しければこれから生活保護を打ち切る自治体はふえてくる。


とかく毎日何かかにか話題になるのが南相馬市である。隠棲にふさわしい場所だとも思ったがそういう世界ではなくなった。次々と問題が個人的にも公でも回りでも噴出してくる。やっぱりこれまでの平和こそまれにみる平和だったのか?江戸時代の三百年の平和もそうだった。五〇〇年前にはここにも大津波が来ていた。ただ資料が失われたらしい。江戸時代の三百年も大方平和だった。もちろん飢饉はあったしその中には困難な時もあった。でも明治維新から比べると平和だった。世界戦争という災厄もなかった。それが三〇〇年つづいたことは世界歴史上まれなことだった。それと戦後の六〇年は本当に繁栄と平和の日がつづいていた。確かに個々人的には犯罪もあったが大方平和だったのである。そして平和は長続きしなかったのである。
ここも隠棲するような場でなくなった。常に異常事態に置かれている。ある意味で戦争状態なのかもしれない、そして自分も苦しいのだ。病気とかなるのもそうだし苦しい、ただ津波で被害にあった人は楽だから今はみんながまんする。個々人の苦しみは何か小さなことになってしまった。毎日悲惨な人々が訴えるからそうなる。


仮設住宅にしてもそこは生産する町ではない、一時的な町である。生産をしないなら援助されるだけとなる。そういう街はない、市でも支えねばならないからだ。ただ原町区から会社も逃げ出してゆく、鹿島から原町に通っていた人が半分くらいと多い。相馬市とか遠くは二本松とかへ会社が移される。こんなことをつづけていたら南相馬市は崩壊してゆく。何か常に不安定な状態にあるのだ。だから何か落ち着かないのだ。やはりそうなると個々にもゆっくり仕事ができないということがある。農家で田植えもしない畑も作らないということは一体どうなるのだろうか?それでも食料は入ってくるから困らない、江戸時代だったら飢饉になっていた。そこが違っていた。だからどこにでも移って住んでくださいとなり市自体崩壊しやすいのかもしれない、江戸時代のようにその土地から離れられないというのではない、どこにでも自由に移動できる時代だからだ。ただ老人は新しい場所になじめないしそれだけの活力もなくなったから移らないだけなのである。


橲原で見たのは白い斑点の黒揚羽である。黒揚羽でも種類がある。白い斑点はわかりやい。
あそこの庭には蝶が一杯集まっていた。九輪草の外の庭だった。橲原-大原-飯館村などは
原発事故がないなら隠棲の場所としてふさわしかった。それが人が住めなくなった。でも別に自然はなくなったわけではない、花も咲いているし蝶も飛んでいるし水もきれいなのである。
その水が飲めないとなると悲しい,山村で過ごすメリットがない。ともかくまたあそこの庭の蝶を見に行こうかとなる。

マスメデアと原子力安全神話の形成 (インタ-ネットはマスメデアを監視するべき)


マスメデアと原子力安全神話の形成
(インタ-ネットはマスメデアを監視するべき)
http://musubu.jp/jijimondai-41#media (時事問題の深層41へ)


マスメデアとインタ-ネットとのメデアを対称的にするとき見えてくるものがある。人は情報を得るときほとんどが二次情報である。どこかで事件があってもそれを見た人から直接聞くことはまれである。テレビで知るということはあくまでも一次情報ではない二次情報である。また聞きだから一次情報に接するのとは違っている。マスメデアはテレビをはじめとして新聞でも雑誌でもそうだが二次情報なのである。一番公平なことは人にはそれぞれの主張があり意見もある。それは個々によっても違ってくる。でもマスメデアを通したらマスメデアによって編集され脚色されたものになる。常に今はマスメデアの編集された脚色された二次情報に接しているのだ。


もし単なるメデアとするなら媒介を役目とするならテレビで五分間何でも訴えたいことをいいたいことを言ってくださいとなる。そういうことはありえない、誰がしゃべるかもメデアによって取捨選択される。するとその人だけがメデアを通して巨大化されるのだ。議員にしてもテレビに出ると顔が売れるというだけで選挙に有利ともなるのが現代の情報空間である。一次情報としてインタ-ネットでプログなどで気軽にだす人も増えた。でもまだまだインタ-ネットは未成熟な情報を空間である。取捨選択するマスメデアがなくなるとき今度は自分で取捨選択して編集して読まなければならない、これも大変な作業になるのだ。そうできる人とできない人もいる。自分は何とかそういう編集作業をして読み書いてきた。インタ-ネットはただ単にテレビを見るように受動的では何も得られないのである。インタ-ネットは個々がメデアになっていることが今までの情報空間とは相当に違っている。今までの情報空間はあくまでもマスメデアを通して形成されていた。それは原子力の安全神話が形成されたこともそうした組織集団の権力構造があったからである。一見個々人が発言しているようでも実際は組織集団の代表として発言しているのだ。

その組織権力が強力だからそれらが一体化したときもう原子力の安全神話にたてつくことはできない構造になっていた。その権力構造は人間によって破壊されたのではない、地震や津波によって破壊されたのである。

長いので時事問題の深層に書いた。プログに書くと一記事がどれくらい読まれているかわかるからいいがホ-ムペ-ジに書くとわからない、でも本のように一連のものとして読むにはいいし長くなるとホ-ムペ-ジの方が書きやすいのである。
posted by 老鶯 at 20:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月17日

被災者はなぜ貯金がないのか? (常に話題になる南相馬市など)


被災者はなぜ貯金がないのか?
(常に話題になる南相馬市など)


ていうか1年ぐらい暮らせる預金もなく生きてる奴が
いること自体驚き
まだ、たった3ヶ月だぜ?
1年暮らす預金もないなんて、その日暮らしの乞食かよ
そんな貧民がムリに家建てたり、自動車買ったり、ガキを学校にやったり
身の程知らずの生活をしてたツケじゃねえの?


6500万ほど貯金があるわしが
11年目のカローラ乗って慎ましい生活をしてるのに、
身の程知らずのとうほぐの貧民が後先考えずに自動車買ったり
家族で外食したり、旅行に行ったりして貯金もせずに
散々、散在して来たツケだろ?
自分のケツは自分で拭かせろ。国民の血税をあてにするな


東北人ってあまりにも自分たちが危ないことの自覚がなさすぎるんだよ
しかも子供まで犠牲にしてる
東北の飢饉の時、子供を助けて親が死ぬんじゃなく
親が子供を見捨てる村が多く、そういう村は絶滅したらしいが

東北もそうなるんじゃないの?
余りにも爺婆の意固地な土地に執着する意地で子や将来できる
孫を犠牲にしすぎ


福島だと、義援金受け取った人は生保打ち切りの刑だって。
相馬と郡山であったって記事になってた。
厚生労働省からの指導だそうだ。


仮設住宅にも格差があるらしい。
当たりの所は、玄関なんかもしっかりしてて、施工もまずまず。
外れのとこだと、ベニヤがめくれてたり、釘出てたり、玄関がサッシ戸。
韓国企業が受注したんじゃねーのってお袋と言ってたw





そうなんだよな、なぜこんなに借金している人が多いのが不思議だ。現代の標準的な暮らしをするには借金するほかないのか?車を一人一台田舎ではもっている、そういう暮らしをするのは余裕があってしているのではない、借金でしている。家を建てるにも借金でしている。
この前のタクシ-運転手も借金している、一千万くらいしているとか、小高の家を立派な家を建てている人も借金している。親戚も借金して貯えがない、貯金が全然なくて借金していたら病気になったり災害にあったりしたらどうするのだろうか、不安にならないのかな、日本人は借金はめったにしない、貯金民族だとさんざん言われてきたけど貯金していなというのも不思議である。借金をしている人が実に多い、借金している人はまた借金しようとする。アメリカも借金経済でリ-マンショックになり世界不況へ導いた。アメリカは金がなくても金を使わせる、カ-ドで使わせる。そういう消費優先の社会であり日本人は貯蓄民族だと思っていた。確かに高齢者は大正生まれや80才以上の人は消費を知らない、ただ働きためることしか能がないとも言われた。そういう人を知っている、金だけをためて決して使わない人がいた。だから高齢者は多額の貯金をもっている人が多い。ちょうど利子が高いとき貯金した人は倍になった。そういうふうに恵まれた時代だった。今は貯金すらできないし利子もゼロだから貯金のメリットはない。


確かに今回の津波災害やら原発事故でも一体一年くらいの生活費がないということが考えられない。こんな時代にその日暮らしだったのかとなる。やはりアメリカのように消費過剰になっていたのか?勤勉な貯蓄民族でなくなっていた。団塊辺りからそうなった。?本当に賢い人がいた。夫に生命保険をかけ、家に保険をかけ、子供にも学資保険をかけていたから当座の金はまにあう。仕事の道具も買える、保険はこういうとき大きな力を発する。入院して16万もらったり地震保険では33万もらったからそれなりに得だった。掛け金は一年に一万とかの掛け捨てだから高いとは言えないからだ。貯金しないなら保険くらいかけておくべきものなのだろう。
人様のことはいえない、借金している人は金に困窮するから遂には犯罪者にまで落ちることもありうるだろう。借金して身を亡ぼす人など日常的である。それにしてもなぜ容易に借金するのかわからない、日本人はそれほど金にル-ズになったのだうか?節操がなくなったのだろうか?多分そうだろう。一年分くらい暮らす貯金がないことが信じられないのだ。


東北の飢饉の時、子供を助けて親が死ぬんじゃなく
親が子供を見捨てる村が多く、そういう村は絶滅したらしいが


これはとをいう根拠で言っているのかな、子捨て川とか子捨てという地名が結構ある。姥捨山は少ないのだ。間引きとか子捨ての方が多くしていた。ただここがどういう根拠でこの人が言ったのかわからない。


昔の日本では、しばらく山へ隠れて神隠しになり、ほとぼりを冷ましたころ戻れば、山の神様の子として、村全体で面倒みる風習があったようです。


子供を村のものとして村全体で育てたというのはやはり群れを成す動物と同じであり人間も動物の一種だから村を維持するために子供を守るという本能が働いたのだろう。そういう感覚は今はまるでない、その代わりとして福祉というのが生まれたのだろう。東北が特別子供を捨てることをしていたとは思えない、全国的にそういうことはあった。


ともかく一年も暮らせないその日暮らしとなると江戸時代であり借金があるとなるとさらに悪い状態である。財産を失った人は山ほどいる。津波の被害にあった地は土地も価値がなくなった。原発の回りもそうである。でも価値の変動が起きている。原町区は避難準備地域で不安定であるから不動産の価値は下落している。鹿島区は仮設住宅が三五〇戸とか建ち人口が増えて土地があれば家を建てたいという人もでてくるから多少土地の価値は上がったかもしれない、相馬市はもっと価値があがった。アパ-トも原町などから移り家賃が高くなったりするかもしれない、仙台辺りではそうなっているみたいだ。空き室が多かったがうまることになる。小高区だけでも一万人以上住んでいた。その人たち移動するだけで回りの影響は大きいのである。

小高区と鹿島区が一つになったら二万以上になる。それだけ人口がふえることは大きな変化になる。でも働く場がないからそうはならないだろう。仮設住宅は仮の家であり何年かしたら消える。原発関係の避難者は東電から補償金もらえるからしばらくは生活できるのだろう。


福島だと、義援金受け取った人は生保打ち切りの刑だって。
相馬と郡山であったって記事になってた。
厚生労働省からの指導だそうだ。


国や厚生労働省の指導には逆らえないのだろう。国の命令をきかないと金がもらえない、これは地方交付金でもそうである。中央の支配の命令の結果として原発が作られたこともある。
地方の行政としてはしたくないと言っても逆らえないのだろ。そういうことは他にもいろいろある。なぜ緊急避難準備地域などというめんどうな指定になったのか?そのことがよくわからない、これも中央政府からの指令であり逆らえない、南相馬市から自主的に住民を追い出すことをしているとも考えられる。本当に原町区は住みにくくなっているからだ。

仮設住宅が今話題になる。仮設はいろいろあるみたいだ。玄関あるのとないのが確かにある。中味も違っているのだろう。最近電気製品を入れている。これも電器店にとっては大きな需要である。とにかく南相馬市は必ず全国ニュ-スで必ず話題になることが起きている。全国の人が

語るのも東北のことであり南相馬市も必ずニュ-スとなるのだ。こんなことは今までなかった。
だからアクセスも増えた。地元の人もアクセス増えたがおそらく全国の人も読んでいる。南相馬市からミニ放送局となる。そしてどうして南相馬市の中心部の原町区が緊急避難準備地域というあいまいな指定になっているのかわからない、理不尽である。このまま解除されないなら南相馬市の崩壊につながってゆく、徐々に原町区は解体して離散してゆく、南相馬市自体が全部そうなってしまうこともありうる。それは放射能とは関係ない、0・4マイクロシ-ベルでは低いからだ。放射線のために緊急避難準備地域に指定したのではないとしたら一体何のためにこんな指定をして混乱させているのだろうとなる。中央政府の魂胆がありそのために南相馬市が犠牲にされるのか?ともかく人が消え人が増える所もある。これだけの変化したことはない、その中で住民も不安定な状態がつづく、絶えず動揺している。いづれにしろ中央政府の意向にふりまわされている南相馬市であり福島県である。戦争ではないにしろそれとにた動乱なのである。

posted by 老鶯 at 00:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

福島県全市町村、財政破綻危険度ランキング(H17) (双葉町は2位だった)


福島県全市町村、財政破綻危険度ランキング(H17)
(双葉町は2位だった)
http://www.kiminari.info/fk/ranking.html

双葉町は原発から金もらっていても無駄使い多かったのか
2位だよ、驚き、富岡や浪江町も16位以内、双葉町が何かと批判されのは東電から金が入っているのに財政状態が悪ん。ハコモノなどの公共事業に使いすぎた。


相馬市(23位)より南相馬市(32位)が財政状態良かったのは意外
南相馬市が500億円の負債で財政状態悪く市がつぶれる危機なのかと思った。
しかし今は市はつぶれる危機だよ,生活保護を払えなくなってきているんだろう
市そのものが存続できるかどうかわからんからな
他でも財政が苦しくなった市町村は生活保護費ももう払えないよ


不思議なのは飯館村が54位だよ、大熊町も60位で原発から金をもらった町ではここだけが財政的にはいい、他は別に原発から金をもらっても財政事情が改善していない、こういうところに
市町村経営の問題が見えてくる。飯館村に同情が集るのがわかるよな


県レベルで県政を考えることをしていない、知事選なとに行ったことがない、その無関心はやはりいかに政治に関心をもてないことにあった、でも今度のことで本当に政治に関心もった


福島県の権力構造も明るみにだされた。渡部恒三は相当な悪だったんだよ

渡部恒三派は、甥であり元自分の秘書であった佐藤雄平氏が知事になるやいなや、東電と足並みをそろえる動きを見せ、昨年8月にはプルサーマルを受け入れ、早速核燃料リサイクル交付金を受け取った。この件に関し、佐藤栄佐久氏は、議会でまともな議論もされずに通してしまい、その結果、3月11日の震災で、福島原発は大事故になり大変なことになっていると抗議を入れている。指摘は正しい
http://blogs.yahoo.co.jp/seizaikai_club2006/53431188.html


どこに住んでも同じとはならない、平和時はそんなに関係ないけどこうなると大変なことだよ
南相馬市は本当にこれから存続するかどうかさえわからないんだから

政治とか市政でもやはり財政状態を見るとその県や市がどういう状態なのかわかりやすい。

福島県政となると大きいからわかりにくいが双葉町は経営がどれほどひどいか一目瞭然である。双葉町の批判が大きいのはやはり理由があった。富岡町も東電から金もらっていて財政状態が悪いのもおかしい。浪江町は東電からさほどもらっていないだろう。南相馬市ももらっていない。火力発電所があるからその税収で潤っているのか、相馬市には港もあるし松川浦もあったのになぜか南相馬市より平成17年では悪かった。南相馬市は合併して7万になったけど相馬市は合併しないから4万くらいだった。そのことも影響しているのか?南相馬市と相馬市が仲が悪いというのも理由がわからない、将来的に合併するとき主導権争いがある。今度の原発事故では相馬市と断然優位になってしまった。


ともかく県政とか市政とかをどうみるか、そういうことが今回の事故で無関心でいられないことがわかった。原発は双葉町とかの利権だけ決められるものではない、福島全体の問題だった。
だから郡山市も福島市も被害受けたのは自業自得だ。それだけ影響あるものだということを思い知らされたのだ。会津はさほど関係なかったけどやはり浜通りから一時的に避難した人で影響受けた。双葉町は埼玉県に避難した。10キロ圏内となるともう町に戻れるのか、再建されるのか?10キロ圏内は核の廃棄場になる。町自体なくなってしまう。そういう準備もしているようである。

 
posted by 老鶯 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市の真野川のアユ、ヤマメ基準値を越える (飯館村などでの釣りの自粛)


南相馬市の真野川のアユ、ヤマメ基準値を越える
飯館村などでの釣りの自粛



2011.6.3 00:34

 福島県は2日、同県白河市の阿武隈川のヤマメ、南相馬市の真野川のアユ、いわき市の沖や岩場で採取したホッキ貝とウニの水産物4種から、食品衛生法の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムを検出したと発表した。


 県内では福島第1原発事故の影響で海での漁は自粛中でホッキ貝、ウニは流通しておらず、真野川のアユは7月1日の解禁までは禁漁。4種のうち人の口に入る可能性があるのはヤマメだけで、県は地元漁協などを通じ白河市内の阿武隈川での釣り自粛を要請する。


 県によると、検査した4種は5月26〜28日に採取。セシウムは1キログラム当たりアユ2900ベクレル、ウニ1280ベクレル、ホッキ貝940ベクレル、ヤマメ620ベクレルだった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110603/trd11060300350000-n1.htm


相馬地方広域水道企業団(相馬市、新地町、南相馬市鹿島区)の水道施設の配水量の78.7%が飯舘村を広く水源とする真野ダムの水を水源としており、急速濾過及び塩素滅菌をしております。残りは3つの浅井戸地下水を利用しており、水質が良いため塩素滅菌のみで水道水として利用可となっています。

真野ダム水源だけは、4月11日までヨウ素131が検出され、それ以降は不検出となっていました。セシウム134,137は真野ダム水源のみ検出され、3月21日、28日、4月7日、5月3日11ベクレル/kg〜最後7ベクレル/kg程度でその後は不検出でした。
http://www.nagaoclinic.or.jp/doctorblog/nagao/2011/05/post-1577.html


最初アユを調べてセシウムが検出された。次にヤマメだった。八木沢峠の麓からはストロンチウムが発見された。これは骨に影響するとか、つまりヤマメなどの骨に蓄積したものを食べると放射線の影響を体内被曝する。真野川のダムは南相馬市の水道水にはならない、相馬市で利用しているから相馬市は飯館村の放射性物質汚染の影響を受けやすいのだ。南相馬市では鹿島区でも真野ダムの水は飲んでいない。


南相馬市の水源は全て地下水です。給水区域は図1をご覧下さい。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/suido/shisethu/
H23-suishitu/H23-suishitu-plan/3-suigen.jsp


これも意外だった。地下水が水道水だった。地下水からも一次ヨウ素、セシウムが発見された。飯館村からの雨がしみこんで真野川に流れダムから水道水を取水するとなると相馬市は放射性物質の汚染の影響を受けやすい。地下水はどうなっているのか、これもわかりにくい。
原発周辺の汚染は信じられないほど汚染水があふれている。それが地下にしみこんでいる。その量は恐るべき量だという人がいる。そもそもメルトスル-した溶解した核の燃料が溶けて地下まで達しているとかいろいろ言われている。地下への影響は甚大である。それでこれから百年もいわき市や郡山市まで地下水の影響があるという、なぜなら百年前の江戸時代の雨が地下水脈にはたまっていたというから百年後に放射能に汚染された水を飲むことになるのだ。


飯館村に蓄積した放射性物質は雪となり雨とな土に堆積した。でもセシウムなどは地下が粘土質だと流れにくいとあった。土に付着しやすく雨でも流れにくい、ただ土についた粒子は土と共に泥などともに流れや安いので汚泥から放射性物質が団子のようになって塊りとなりベクレルが高かった。側溝なども土や草やゴミが流れ込むから異常に放射線量が高かった。10倍くらいあった。雨樋も雨と共に流れてきたので10倍にもなった。放射性物質はあるところに集中して高くなるところがある。


今は水に関して放射性物質の危険性を言われないのは飯館村などが高くても流れなかったのかだろう。南相馬市の水道水はすべて地下水であり地下水は深いのでそこはそれほど影響しなかった。地下水には泥とかとともに流れにくいからかもしれない、ただ原発周辺は地下水の影響はこれから大きいから飲めなくなる。あれだけの汚染水だからもう百年飲めないかもしれない、実際事故のあとの処理で汚染水が一番問題になったのである。

posted by 老鶯 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

一方的なテレビなどの放送には何かの意図が (管首相バッシングの裏は・・)-(原発と双葉町の歴史)


一方的なテレビなどの放送には何かの意図が
(管首相バッシングの裏は・・)-(原発と双葉町の歴史)

●管首相パッシングは自公政権の原発の責任を隠すため?


今回の原発事故に対する報道を、ずっとTVで見ているが、自民党の
責任を追及する局は一局もない。
物凄い違和感を感じていた。
そして菅が浜岡停止・送発電分離・クリーンエネルギー転換を口にした途端、
参議院の西岡議長は発狂し、自民党は不信任を出し、小沢と鳩山が
それに便乗し、原発族の渡辺と前原は、犬猿の仲だった小沢に擦り寄り、
菅にお前の味方はいないよとアピールする。
なんという分かりやすい猿芝居。w
自公は、事故の原因が自分たちにあることが明らかになってしまうと焦った。
東電に飼われているマスコミと結託して、菅に全ての責任があるかのように
印象誘導した。小沢がそれに便乗した。
菅を擁護しているように見えるマスコミもいますが、重要なのは
反菅勢力のみを、繰り返し繰り返しTVに出し、好き勝手に喋らせることです。
そうすれば、徐々に庶民は、菅に原発事故の全ての責任があるかのように
洗脳されていきます。 擁護してるマスコミも、最後は「辞めた方がよい」と
やんわり寝返ります。
これが今回の不信任劇の正体です。
こんなミエミエの猿芝居を見抜けない人にも呆れます。


根元二郎−東京新聞の記事
http://nemoji.blog.ocn.ne.jp/ashita/2011/06/63_c101.html


菅を擁護しているように見えるマスコミもいますが重要なのは反菅勢力のみを、繰り返し繰り返しTVに出し、好き勝手に喋らせることです

テレビは知らずに洗脳されやすいメデアなんだよ、テレビは見ていて一方的になり受け身になってしまう。テレビに出されるのはテレビ会社の都合の良く編集できる人なんだよ
メデアのことを書いたけどメデアはそれだけ力をもっていた。インタ-ネットで発信することは自らもメデアになることである。だから今度は逆にテレビ局のように自分で編集することになる。
この作業は結構大変なことなんだよ、本は消えても編集者は残ると書いたが自分がやってみて書いたわけ、編集は創造的作業なんだよ、時間もかかる、いろいろな意見や主張や情報があるとしてそこからえり分けて自分なりのものに編集する、それはテレビ局でやっていることを個人でやるから大変なんだよ、だからこそみんなただ一方的に流され編集されたテレビの情報に洗脳される、楽しているから真実がわからないともいえる。インタ-ネットはえり分ける作業が大変なんだよ、そこが弱点なんだよ、そしてまだインタ-ネットのメデアは未熟なメデアである。社会の中で本当に活かされていない、だからまだマスメデアの力は大きい。


でもどうしてそんなに管首相がパッシングされるのか?そういう一方的になるとき日本人は本当に危険だなと思った。原発の安全神話が作られたのもそのためである。戦争のときも一方的になり反対意見はもはやゼロだった。検察は特高になって暴力的にとりしまる役になった。原発の安全神話も検察もかかわっていた。なぜ前の知事の佐藤栄佐久が原発をとめようとしたときやめさせられたのか、濡れ衣を着せられて検察によって失脚させられた。これも原発がからんでいたんだよ、原発の推進派はもともと自公にありその跡を継いだのが民主党だった。自公の責任も問われべきなんだよ、それは中曽根首相からはじまっていたことは歴史をたどればわかる。アメリカと一体化してすすめられた事業なんだよ、原発周辺は建設当時すごかったらしいよ,管首相はパッシングされてもしかたない人にしても余りに一方的だと何か裏があるんじゃないかとなる。日本人に民主主義が向かないのはみんな同一方向に同調しやすい民族性があるからだ。少数者を重んじない、少数者は全く無視される。原発の原因もみんな同調して推進一色になる。権力による情報操作にしてもやはり何か疑い別な見方や意見を言う人も排除してしまう。そういう民族性は民主主義は向かないのかと思う。新聞でも多数あるから今回東京新聞と京都新聞の記事が紹介されて読んで書いた。これなども新聞もインタ-ネットの中に入ってきたからこそ情報が多様化しているからこそできることである。マスメデアの中で判断するのとインタ-ネットのなかで判断することは違ったものになる。ただこの作業は手間がかかる。それで大衆向きではない。過渡期のメデアだからそうなっている。


●双葉町の歴史と原発


原発が元特攻隊の基地だったり、
原発誘致に至るまでの歴史には製塩業の衰退や、
その原因として林業の衰退もあったというのは
驚きでもありこの国の歴史の秘密のつながりを覗きみた気もしました。

そしてまたそこはアメリカの植民地でもあったのです
「敷地内には、プラントの製造を一括受注した米ゼネラル・エレクトリック社の家族が住む「GE村」が完成。小学校やテニスコートも設けられた。クリスマスやハロウィーンのパーティー。運動会が開かれ、町民と交流を深めた。」
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/06/post-bf50.html


双葉町のような辺鄙な場所にアメリカが入ってきたんだからその時町民も原発は凄いものだと思ったろう。その頃外人なんか来ない時代だから特にそう思ったろう。
歴史をたどれば多角的に原発を見ればいろいろなことがわかってくる、本当に原発は金のなる木だったんだよ,だから双葉町では食らいついたんだ、危険よりマネ-だった。アメリカの古い型のマ-ク1を買わせられたことも知らないし調べることもなかったろう。かえって原発景気に浮かれている町民が浮かんでくる、町民は原発を作って得意だったんだよ、何もないところに原発が来た!そこは浜岡でもそうだしそういうことが現実にはある。双葉町は極端だったんだな、

そこはアメリカの植民地でもあったのです

日本は以前としてアメリカの意向のままに動き植民地であり属国である。真に独立していないからである。アメリカのものを受け入れざるをえなかった福島第二原発は国産化したのが多く事故がなかったというのもそのためである。

ともかく不景気になっていたとき建築関係の人が小高に原発できれば景気良くなるよと盛んに言う人がいた。その人は津波と原発事故で原町区に避難してきた。どこでも底辺では金だからな今は・・・双葉町だけをとやかく言えない面はあるよ、福島県もそうなんだけど原発をできた背景にはそうした事情があったこともふりかえることが必要だ。


双葉町はもともと長塚村とかであった。新山には自分の父親が関係していた。葛尾(かつろう)村の小出谷やから丁稚として酒屋に勤めたんだよ、小出谷は小出屋であり出小屋のことだよ、平な所もない所で林業が唯一の暮らしの糧だったみたいだ。電気も来るのも遅かった。そんなところだから貧しい、そもそも戦前はみんな貧しい、そうして今の富沢酒店の近くの酒屋に勤めたんだけど暖簾分けして鹿島の方に移った。その話しを何度も聞いているから双葉町は因縁がそれなりにある場所だった。小出谷が実家になるがそこから浪江に下りてきた人の一人は若くして死んだ。原因はわからない、原発に勤めていたんだよ、浪江の親戚もそうだった。原発が原因ではない、理由はわからない、でも原発が関係していたんだ、ともかく戦前は本当にみんな今からすると極貧だよ、卵すら食べていない、自分の父親は最後にさしみ食えるようになったら食いたくないと言って死んだ、日本が豊になりはじめたとき死んだだんだよ、テレビも入ったときだったが病気でそうなった。そんな話はいくらでもあるよ、日本はともかく貧乏だったんだよ、出稼ぎの時代もあった。でも別に原発をもってこなくてもその頃高度成長だったんだから他の工場を呼び込むこともできた。他ではそうしていた。原発がなくては経済が成り立たないという時代でもなかった。出稼ぎではあったけど働き口はあったからな、ともかく原発ができる前にも双葉町にも歴史がある。江戸時代までさかのぼる、相馬藩の一部でもあったんだよ、とにかく

双葉町は消える、10キロ圏内にはとても住めない、公務員宿舎を借りて集団で住むとかそうした準備もしている。もう帰れることは無理だろう。原発事故の様子を見ていたらわかるよな、信じられない汚染水が地下に流れ込んでいるんだから水が飲めないからな、一つの町の歴史が終わるということあるのか?双葉町も父親が関係していたことで郷土史の一部なんだよ、今回の事故はまず密接に地元に関係していた、それで書くことが多い、総決算のように書くことが多い。

失われた平和な風景(夜ノ森-請戸)
http://musubu2.sblo.jp/article/17459204.html

あの辺の風景が津波と原発事故で失われた。あの川は熊川だった。沖に船が行くのが見えた。平和な春の一時だった。
請戸にしても悲惨すぎるし双葉町も帰れないとか今になるとしんじられない、こういう平和なときもあった。
今になるとここにも行けなんから信じられない、悲しいとなる。

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2011年06月18日

管首相は原発を争点に解散-選挙でその是非を問う!

 

管首相は原発を争点に解散-選挙でその是非を問う!

菅直人首相は31日、福島第1原発事故を踏まえ、2030年までに原発を現状より
14基以上増やすとした政府のエネルギー基本計画を抜本的に見直す方針を表明した。

原子力利用を推進する経済産業省から原子力安全・保安院を分離できるか検討する 考えを重ねて強調。「『原子力村』の雰囲気が存在する。反省が必要だ」と指摘し、電力業界と省庁が一体で原発を推進する態勢を見直す考えを示した。


確かに5月まではそういう印象が強かったから
早く菅を引き摺り下ろせと思っていたけど、
実は国民の想像を絶するほど強大な原子力マフィアに
独りで立ち向かおうとしているのだと、今はわかったよ。
ここで菅が負けたら国民の負け。マフィアの勝利。


電力労組は長年どこの超有力支持母体だよ、言うてみ?w
民主党の国会議員・県市町村議員に何人東電出身がいるか言うてみ?wwww
電力マフィアのとんでもない力を削ぐにはジミンガーだけではダメってこった


原発利権の最大の大物@
 東京電力の年金減額とボーナス返上に大反対して押し切った「電力総連」は発電送電分離に大反対のシュプレヒコールを上げてる「電力総連」は電力総連は民主党の支持母体です!


大島は信用置けない。民主もダメだが、そもそも事の発端は自民の原発推進政策にあった。
大島も、さすが原発推進は、もう言わないだろうが、電力会社の既得権の擁護はカネを貰ってる手前、言い続けるだろう。

原発完全停止法案で


衆院通過→参院否決→衆院解散→原発完全停止を争点で総選挙


これでもし衆院で2/3をとれば
あと4年間、総理ができるかもしれないんだぜ


原発を争点に選挙すべき何だが。今までは国、推進派知事と、狭い誘致自治体 だけで原発を作ってたんだし。今回の大事故でも、結局静岡県のお茶までフランスで放射能汚染で止められてる。原発は、利益の入る地元だけじゃなく、国民が是非を決めるべき問題ですね。それが、今までは村民・町民を買収するぐらいで全国に原発が 出来ていた。こんな構造の方が問題。次の選挙は、原発推進か脱原発かの二択でやれ ばいい。




昨日のつづきだけど「東京新聞」で指摘したことはやはりそれなりのインパクトあった。東電から金をもらっていないのは前の小泉首相と管首相だというのも原発停止で総選挙に出れる強みがある。自公政権は10年つづき原発を推進してきた。民主議員もそうであってもまだ2年間しか政権の座にはついていない、原発推進はしてきたのは自民党でありそれは中曽根首相の時からはじまっていた。基礎は自民党だから自民党が一番責任がある。だから自民党とは正面切って反原発になりにくいし未だに東電の味方である。ただ民主にしてもやはり党内で反原発に全部をまとめるのは至難である。渡部恒三は本当に福島県をだめにした原発利権の最たるものだった。余りにも露骨な原子力村の利権のドンだった。この人の罪は重すぎる。小沢に寝返ったのも原発利権が関係しているみたいだ。そうはいっても反原発になるのは今度は民主の支持母体の電力総連だったから手強い、それで東電のボ-ナスは下がらなかった。こんな非常事態にでもそうなった。それだけの力がある。管首相が打ち出した原発停止の政策の抵抗はやはり大きい。
原発を争点に選挙すべき何だが。今までは国、推進派知事と、狭い誘致自治体 だけで原発を作ってたんだし。今回の大事故でも、結局静岡県のお茶までフランスで放射能汚染で止められてる。原発は、利益の入る地元だけじゃなく、国民が是非を決めるべき問題ですね。それが、今までは村民・町民を買収するぐらいで全国に原発が 出来ていた。


原発の被害は10キロ圏内くらいに留まるなら誰も地元の利権だとか批判しない、被害の範囲が実は外国まで及ぶものだとしたら人類まで滅びかねないとしたら一地域のエゴや利権で決められるものではない、全国民が塗炭の苦しみに追いやるものだった。南相馬市など関係ないと思っていたそれ以上に郡山市も福島市もこれだけ影響受けるものだと思っていなかったろう。報道特集で東京からも神奈川からも沖縄に避難している人がいた。子供をもっているとどうしても過剰に心配する。だから無理しても避難する人が多い。福島市からも千人避難ていることには驚いた。幼稚園に相談する母親が出ていた。原発は双葉町とかそれよりその双葉町の一私人の土地所有者とかによって決められる問題でなかった。その被害は30キロ圏内でもない60キロから80キロとなり実際は日本の信用も落としたから全国民の全地域の問題である。

全世界的な問題でもある。隣の国に原発があることはその危険性を感じるからだ。韓国だって北朝鮮だってそうである。中国もそうなのだ。そういう問題を一地域との土地売買のようなことで決めていたことが論外だった。少なくとも30キロ圏内の市町村やら県全体の意志を反映させて決めるべきものだった。県民投票とかして決めるべきものだった。ともかく渡部恒三のような原発利権のドンのような人が福島県を牛耳って福島県をだめにしたのだ。そういう政治家は今も責任もとらない、何か責任をとらないのはそれだけ原発村というのは今も強力である。だからこそ管首相もあれだけ一方的にバッシングされることになったことは見えてくる。その支持母体の電力総連からの圧力もあるから手強い、国民全体を味方にしないとこの戦いには勝てないのだ。自民党も責任をとらない、自民党は今戦々恐々としているのだ。自分たちの責任が問われるからである。マスコミだってそうである。相当な金を東電から広告費としてもらっている。今は国民の反発があるからその流れに乗っているだけである。


やっぱり今は新聞でもインタ-ネットで検索して読めるようになったりするといい。「東京新聞」「京都新聞」など読めないから、福島民報はそもそも福島県の政治とかで厳しいチェック作用がある機関ではない、創価の聖教新聞などを刷っているような所はまず信用できない、ただ私的営利会社でありこういうところ期待はできない、当然東電などからも金をもらっているだろう。
そういってしまいばみんな大きなマスコミはそうなってしまうのだ。だから管首相が東電から金をもらっていなかったということは強みでありそれだけ原発停止で勝負できる、解散してその是非が問えるとなる。別に管首相支持ではないけどそれだけ原発を停止して廃止することは容易でないということを国民も自覚すべきだろう。民主党内でも原発停止でまとめること自体容易でないのだからやはり管首相の一つ賭けになる。人物はどうにしろそれができる背景を持っていたとなる。原発推進派をあぶりだして責任をとらせない限り原発停止は困難である。未だに誰も責任をとっていないからだ。責任を逃れることができるからだ。そしてまた原発推進になってしまうこともありうるからだ。

posted by 老鶯 at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

相馬総合病院に検査入院(2日間)


明日は相馬総合病院に検査入院です、二日間です。老化の病気です、泌尿器系統です
ガンの検査もするらしいです、でもこの癌ですぐに死ぬようなことはないようです
80以上とかなればかえって治療などしない方がいいとも言われています
まだその年にならないから手術とかなるようです、でもこれも病気は病気です


今南相馬市の原町区ではニュ-スでもわかるように治療をまともにできません
入院もできません、一週間に二三回とか私立でも開いていません、ただ治療費は無料です。
原町区の緊急避難準備地域というのは本当に変です、福島市や郡山市の方が放射線量が高いですから避難地域すべきなんだけどできない、政府で補償しきれいですから・・・
でも1000名くらい避難していた、やっぱり危険な領域になっている


相馬総合病院は東北大の医者や研修生来ています、南相馬市立病院は福島医大です
相馬市は宮城県の方が交通的に便利である。電車にしても原町駅始発-仙台駅であった。
今は代行バスが亘理まで出ている。新地が相馬市と合併しなかったのは伊達藩とのつながり深い武家の家があって主張したからだというのも他からはわかりにくい、江戸時代の境にはそういことをひきづっている。双葉町辺りも相馬藩の境だった。夜ノ森は余の森だったから、相馬藩主の余の森だった。つまりどこの境でもそこには歴史の興亡の場となったからそうなる。
末続駅と新妻一族の村だったということを書いたがあそこも相馬藩と磐城藩の興亡の地点だからそうなった。


そして今南相馬市と相馬市の間になって境となっているのが鹿島区だとなる。ただ相馬市は原町の倍の距離あるから経済的に結びつくにも問題がある。でも病院が機能しないことは住みづらくなる。実際に緊急な時があり入院もできないとなると大変である。救急車が相馬で受け入れられず福島まで行ったとかそうなると大変である。高齢化社会は病院がまともに機能しないなら早死になってしまうだろう。病院が良ければ長生きになる。医療の進歩とか病院の設備の良さとか福祉の良さとかで長生きしているのだ。すでに85才で近くの人が胃ろうになって3年くらい生きている。前より良くなったというから驚きである。胃ろうになると死期も早くなると思っていた。そうでもない人もいる。これも医療の進歩と手厚い介護あるから長生きになる。

ともかく明日は検査入院である。

posted by 老鶯 at 22:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月21日

相馬市の総合病院での検査二日入院終わる


相馬市の総合病院での検査二日入院終わる




路地多く日陰の多し城下町


相馬なる古りし橋渡り病院へなじみ歩みぬ夏の午後かな


病院へ坂を上りて暑き日や介護人なく我が一人来ぬ


看護師の若きは生きむ故郷に溌剌として夏の夕暮


病院の窓辺の森に風そよぎ若き看護師の声のひびけり


若き日に相馬に住むと老人の昔を語り時鳥鳴く


相馬なる木陰の道に竹の子の伸びて退院し吾はなお生きむ


相馬なる木陰の道を我が歩み親しみけるや路地の多しも


二色の菖蒲をしとと雨ぬらし夕べとなりぬ事もなきしに



相馬総合病院に二日の検査入院だった。二階は泌尿科の入院者がほとんどたった。それも前立腺がほとんどである。隣の人も鹿島の人で同じ年でそうだった。70くらいになると誰もがなるけど自分と同じくらいの年でもなるひとがいる。この病気はそれほど苦しいというのではないけどそれなりに病気であり日常生活に不都合ができてくる。今回は検査だけどこの次は手術になると大変である。こういうとき誰も介護する人がいないというとき結婚していな人や身寄りない人がどれだけ大変になるか身をもってしった。自分が頼った人間がどんな人だったか。それは信じられない人だった。強盗にでも頼った同じだった。身寄りがない金だけしか関係もてないから弱さにつけこんでみぐるみはがされる。今結婚しない人が増えているけど身寄りがないことがどういう結果になるかそれは空恐ろしいことになるということを自覚できないのである。そういう人が増えつつあるから近未来の地獄図が待っている。誰も看取るものかなく死んでゆくということがほとんど日常的になることは間違いない。病気になっても夫婦や家族のように介護してくれる人はいない、軽い病気でもそうであり重い病気なったら悲惨すぎるから早め死んだ方がいいとなる。

病院とは縁あることになった。病院に行くとほんとんど老人だけとその中に看護婦の若い声がひびくのが違っている。そこで最近原発事故のことやらで故郷がなくなるということが現実化していることに毎日考えさせられる。故郷に生きようとしているのは若い人である。老人ではない、看護婦でも看護師でも同じである。その人たちは別に病院だけで生きるのではない、故郷という場の中に生きてゆく。故郷となると何なのか?そんな疑問が故郷を本当になくなるということで考える人がでてくる。故郷には人の恩もあるが土地の恩もあると雅子様に説教していた人のことが書いてあった。それは故郷への深い思いがあるからそういう言葉が出てきたのだろう。

他にも故郷の思いを語る人がテレビにも出て語る。平和な日々がつづいていたらそんなこと当たり前であり自覚もしなかったろう。そういうことを深く考えるようになったのは故郷を離れ避難して帰れなくなるというそうした重い現実が一庶民でも哲学者のような言葉を語らせた。

郷土史研究などしていたから故郷は何なのだろう。故郷そもそも意識している生きている人はなかった。啄木が望郷の歌を残したのは故郷を離れたからであり故郷に住んでいれば望郷などない、今になる本当に庶民レベルで相馬恋しやなつかしやとなっているから不思議である。
けれども老人はそういう思いをもっていてもこれから生きる若い人は故郷に特別生きたいと思うだろうか?故郷から受け継ぐものは何なのだろうかと思うだろう。野馬追いをやりたいからとか思う人も年取った人に多い。若者も何度か出ているうちにそういう思いが深まってくる。故郷から受け継ぐものは何なのだろうか?そういう何か根源的な問いが今回の原発事故で故郷を避難した人達に生まれたのである。


人間は今本当に歩かない、歩かないということは何か、歩いて見えるものを知らないということである。自分自身も自転車だから歩いていない、歩いて感じる景色と自転車で通りすぎる景色と車で通りすぎる感じるものが相当違っている。相馬市を歩いたことは最近ない、自転車で通りすぎるだけである。病院にゆく道に古い橋があることは知っていた。何度も渡っていた。ただ病院に通うとまた違って見えるのだ。南相馬市立病院のことでは短歌にもしたしいろいろ書いてきた。あそこほど眺めのいい病院はなかった。海も見えたし広々として景色が印象的なのでそのことを短歌にしたり書いた。一か月は本当に長かった。病院は回りの環境も大事である。閉ざされた空間になるから回りの環境がさらに心理的影響する度合いが高いのである。南相馬市立病院は環境は理想的な場所にあった。新しいから設備もよかった。階ごとに待合室もあった。相馬総合病院の建物は古いから建物は良くない、医者の対応も違ってくる。看護師は同じようなものだろう。医者は病院によって違ってくる。おそらくわからないが腕も相当違ったものなのだろう。病気の見方すら違ってくるから影響が大きいのだ。こういう点では大都会の方が恵まれている。人間は何にしろその心にはいろいろなものが複合的総合的に影響するものである。
だから病気だけを直せばいいとかはならない、心理的影響を考えれば中庭とか環境がいいところがいい、というのは病院で死ぬということが多いからだ。そして最後に見るものは何か工場や汚れたものが見えると嫌だろう。実際にゴミの焼却場の大きな煙突が目の前にあったのだ。あれは近くにあるから環境的にはかなりマイナスであった。


隣の人は大内のトラック運転手だった。その人は津波から逃げたという、でもわからないのは津波がおしよせてきたとき大内辺りで見てすぐに逃げられたのだろうか、そんなに遠くはない、右田浜の松原の倍の高さで来たという、確かにそのくらいの高さはあったのだ。その恐怖はものすごいものだった。でもよくとっさにトラックで逃げられたと思う、津波の速度は早いし現実に大内は烏崎からさほど離れていない、だから半分の家は壊されていた。危機一髪で逃れたとなる、途中津波にのまれた車を見たという、それから六号線が渋滞になったという、坂の方に逃げたからである。六号線も津波をかぶった。磯部ではやはり小学校のある高台に車で逃げて来た人が渋滞になって津波にのまれたというのもわかる。日頃の足が車になっているからそうなる。津波には車が結構危険なことが証明された。もちろん車で逃げて助かった人もいた。でも車が災いして死んだ人も多かったのが今回の津波だった。

相馬市というところも歩いてみると土地のことが体でわかる。相馬市が木陰になっている道が多い。また城下町の作りで路地が多い、そういう所も木陰になりやすいのである。そういう情緒があったことは発見だった。


鹿島小学校の前で放射線を計っていた。アサファルトの道は0・5くらいであり草むらは0・6以上になっていたから高い。でも南相馬市は放射線は高くない、それなのになぜ避難準備地域になっているのかわからない、南相馬市の人は今は病院は無料であるのは助かった。

 

南相馬市原町の病院に泊まり短歌二十首
http://musubu2.sblo.jp/article/17460707.html


 

2011年06月22日

失われし時は帰らじ(詩)

失われし時は帰らじ


失われし時は帰らじ
金にて時は贖えざるを
貴重なる時は失われしを
ただ一度の人生よ
汚れしものの悲しからずや
そは何を見て生きしや
その瞳に写りしは何ぞ
若き日の清らかなる瞳にあれ
直ぐなる心にあれ
若き清らかな美しき日は帰らじ
若き日よ、悪に染まるべからじ
人はただ汚濁にまみれ
いかに穢れ罪深きかも知らじ
そが瞳に写りしは何ぞ
忘れな草やすみれの花
そが脳裏に深く刻まれありしを
偽らざる誠の日々を過ごせ
粛々と磐のごとき日々を過ごせ
若き日の情熱と清廉さを保て
青春の日々は二度と帰らじ
時は過ぎやすく失われやすし
罪は深く魂に刻まれありしを
何をもっても贖えざるを時の重みよ
老年はただ思い出のみ残りぬ
そが瞳に写りしは何そ
そが人生の心に刻みしは何そ
その心は偽れざるを
老年はさらに磐のごとく粛々とあれ
その岩のかたわらにつつましく花は咲きしを
美しき日よ、永久にあるべし
神とともに歩む日の永久にあるべし
今際のきわにも美しきものを見るべし
看護婦の手はあたたかく見つめる瞳は清し
死をみとるものは清くあるべし
人はものにはあらじ
魂を持ちて最期まで生きるものなれば


posted by 老鶯 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般