2011年06月08日

近くの仮設住宅のこと


近くの仮設住宅のこと


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労務者の木陰に休む田舎かな

我が家に巣作り励む燕かな


六号線食堂にぎわい燕の子

 



質より量とスピードを優先するのが普通じゃねえのかよ
この無駄に豪華な仮設住宅にはなんかの利権が絡んでいると見た

今回の被災者はジジイババアが多いから、家も仕事も失って、
自動的に生活保護に突入する人が沢山いそう。

そういう人間が引越しなんて出来る訳が無い。

仮設住宅は俺の家よりはるかに立派です。
被災地に行って、いえなくなりますた?って詐欺してこようかな。
ちなみに日本人だよ。しかも東証上場企業勤務。


とにかくやっつけ仕事で数こなさないといけないから
実際は貧弱で建材や調度が新しいから良く見えるんだよ
寒冷地で毎回問題になるのが結露とカビで退去の頃には畳はカビだらけだよ
床は一般には部屋の間取りに合わせて基礎打って床下に継柱張るけど
簡易基礎にコンパネ載せただけだから音がすごいんだ
プロレスのマットのイメージで端の部屋の歩く音が別の端の部屋まで響くんだ


確か台湾地震の時に、日本の中古仮設住宅を送ったら、
「日本から高級住宅が送られてきた」って喜ばれたんだよね。
理由は、台湾では床の間は金持ちの家にしかなくて、
仮設住宅には床の間がついていたから。
http://jishin.ldblog.jp/archives/51691854.html


積水ハウス
http://www.youtube.com/watch?v=Z8pbuIBR9sU


近くにあるから毎日見ているのが仮設住宅である。完成したと思ったらしていない、玄関をとりつけていた、あんな玄関必要なのかとも思った。それなりに全部につけると費用もかかる。日本の仮設住宅は贅沢だと外国にうらやましがられたのもわかる。緊急のことだから外国だったら寝る空間があるくらいのものだろう。電気製品もそろっているとなるとエアコンもあるとなると贅沢である。どうしてこうした贅沢のものを作るのかというとやはり公共事業のためなのかとも思う。六号線の千倉体育館や鹿島小学校に行くのに立派な地下歩道は無駄であり高架橋でまにあうと前に書いた。地下歩道は都会なみなのである。公共事業は無駄でもやはり業者のためにやるということがある。だから玄関などなくてもいいと思っても金を使うのかもしれない、ただこうした贅沢な時代には贅沢な仮設住宅や住民の要求も贅沢になるのはやむをえない、何故なら亘理の積水ハウスが作った仮設住宅は立派なアバ-ト並でありこれよりずっといいからだ。

仮設住宅はいたるところに建つ、仙台の長町の空き地にも立っていた。仙台の近くだから駅も近いから便利である。でもその回りは瀟洒な住宅地になっているので仮設に住む人はうらやましいとなるかもしれない、仮設住宅が今話題になることはわかる。

実際今回津波とかで被災した人はみんな家をもっていた。庭も広い庭もあるような農家とかが多い。一番住環境として贅沢なのは飯館村だった。あそこは一軒一軒の家が離れているし庭も広いし森につつまれているからいつ行っても広々として気持ちいいところだとな思っていた。それは他の人も思っていた。住環境は一番贅沢だった。都会のような狭い空間ではない、都会でいくら豪邸に住んでも回りが森につつまれたようなところはない。田舎は自然があるからかえって贅沢なのである。住環境なら前が広々として見える所がいい、自分の家など前が家でさえぎられてるから窮屈になる。田舎でも街中に住むものと郊外に住むものは住環境でも違っているのだ。皮肉なことだが田舎の方がエネルギ-を消費しているというのは本当である。人間が密集している方がエネルギ-の消費量は少ない、車もみんなもたなくても交通の便がいいから困らないのである。田舎でも一人一台車をもっているから贅沢であるし必需品である。車なしでは生活できない、みんな街中に住んでいないからだ。広い田舎で生活できているのは車があるからであり車は一番エネルギ-を消費する贅沢なものである。


昔だと都会の生活と田舎の生活はかなりの差があったから田舎に憧れた。今はかえって田舎の生活に憧れる。なぜなら田舎の方がかえって文明的生活ができるという皮肉があるからだ。ただ震災以後アマゾンでの配達がこの辺はできなくなった。六号線が立入禁止になってル-トが断たれたためだろう。電車も通らないから不便になった。でも車があれば困らないのである。自分は車がなくても街中でなんとか暮らせる。仮設住宅に入っても街中だと車がなくても生活は今の平均的な生活を送れるかもしれない、ただ田舎の人は住環境は贅沢だから仮設に耐えられない人はでてくる。それより仮設に入ると三食つきでないとか電気水道ガス代がとられとか結構出費になるから入らない人ででてきているのもわかる。そうした基本的なものに金をとられることが震災にあった人はなかなかできない人もいる。そういうときは昔のように水も湧き水やら井戸水やら洗濯は川でするようなら労働だけでただで良かったのである。

現実に三陸の方ではインフラがたたれ井戸の水をくむために何度も坂を上る老人がいたのである。水は苦労して遠くから運ぶことがあった。今でも後進国では水を運ぶことが女性の仕事とかに何ているのだ。結局電気水道がたたれ昔の生活に戻ったのである。仮設住宅に入っても老人が被災者になっているのが今回の震災の特徴である。そうしたら老人ホ-ム的な仮設住宅が必要なると言う人もいるし何かそうしたものを相馬市の方で作るとかあるのもわかる。とにかく死んだ人も老人が多いし生き残った人も老人が多いからこれから仕事するということはむずかしい。ただ世話になる人となる。だからなかなか仮設から出れないし収入がなくて困るという人もでてくる。まだ入っていないからどういう人が入るのかもわからないが必ずいろいろ問題がでてくる。

千倉体育館の六号線の仮設には樹があるからその木陰休む労務者がいた。労務者は大阪などからも来ていた。田舎だから自然の場所でゆっくり休むということがある。そういう姿にほっとする。あそこは夏はあの木陰で休むことができる。そういう点で憩いの場所になる。他はあのような樹はないからだ。仮設に入る人は南相馬市だと小高区の人が多くなるのか?小高は立入禁止区域になったからだ。家があっても家に帰れない人が仮設に住むのか矛盾している。

原町の小学校にいた人は小高の人だった。津波の被害にあった人もいた。ともかく鹿島区には人が増えて集る。そういう状態を考えるとき人が効率的に住むには街中に集中して住んだ方がいいとなる。コンパクトシティである。なぜならそうなると車がなくてもなんとか暮らせるからだ。今JRの代行バスが出ているがこれも前の駅前からであり離れていると利用しにくいからだ。病院だって近くだと行きやすい、ただ鹿島区だけでは生活できないから原町や相馬などに必ず行かねばならないのが不便なのである。タクシ-利用したら往復一万近くとられたから車がないと困る時がある。緊急だったのでしかたなかった。JRの代行バスも原町-鹿島-相馬は便が少なくて不便なのである。相馬から亘理は30分おきにでているから電車より便利である。そういう点は改善したのである。


六号線の相馬よりの食堂に入ったら燕の子がないていた。相馬よりは正常化している。自分の家でも今年はめずらしく燕が巣作りしている。庭を直したからだろう。

posted by 老鶯 at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年06月09日

崩壊する南相馬市(震災で崩壊する市町村)


崩壊する南相馬市(震災で崩壊する市町村)

病院としては6人以上の受け入れは可能だが、県の地域医療課がゴーサインを出さないらしい。また入院しても3日以内に退院させろなどと無理難題を病院に押し付けている。南相馬市は私の勤務している福島市よりも放射線量も4分の1しかないというのになんで緊急時避難準備区域なのだろうか。


崩壊する南相馬市
http://blog.livedoor.jp/yamasaumasa572/archives/4645085.html


南相馬市は7万人の人口があるとして小高区は立入禁止区域になり住むこともできないから事実上崩壊している。原町区も緊急避難準備地域であれ様々な制約があり医療、福祉、教育という面で崩壊状態である。ここはお医者さんのプログだけど適格に分析している。原発の廃炉にともなう仕事は楢葉町の方が拠点になりここは遠いからならないというのもそうだろう。仕事もなくなり疲弊ひてゆく、人口が流出する、すでに流出ははじまっている。工場や会社が移動している。浪江でも二本松に移動して鹿島区に移住して通っている人がいた。これも大変だなと思うけどすでに浪江町とかも崩壊している。浜通りから人口移動がはじまっている。それはここだけではない、津波で被害にあった三陸地方でもそうである。


市によると、震災前(2月末)の町の人口4300人が、現在は4分の1の1000人弱にまで減った。仮設住宅を希望する約560世帯のうち、町内を望むのは約150世帯にとどまる。
震災津波に多くの集落がのみ込まれた県北部沿岸部は、高齢化率が高いうえ、避難による住民流出が人口減に拍車をかけている。


本当に今回の津波は街や村を壊滅させたことが特徴だった。この辺では磯部とか海老とか烏崎などがそうである。そういうところは家の土台しか残っていない。そういうところは町や村が復興するように思えない、陸前高田市など見ているともうただ茫然としているだけであり復興する気力さえなくなってしまうだろう。そして今回の震災津波の特徴は被災者が高齢化で老人が多いから余計に復興自体が厳しいものとなる。そういう人は本当に老人ホ-ムに入った方がいいしそれが望まれているのかもしれない,安い多人数が収容できる老人ホ-ムが必要とされていた。別に立派な施設は必要ない、仮設住宅に手を加えたようなものでも可能なのである。在宅で苦労して限界になっている人もいる。自分もその一人である。介護は施設とかのハ-ドよりいかにソフトとしての人が機能がするか人の力の方が重要になる。その方面に金を使うべきなのである。それが充実していればハ-ド面は補うことができる。


いづれにしろ南相馬市が崩壊してゆくというとき若い人とか市を支える中核的な人が出て行く、病院を支える医者や工場や会社を経営する人など中核的人材が流出してゆく、そして残されるのは老人だけになるかもしれない、第一次産業は農業でもすでに高齢化であり後継ぐ人もいなくなっていた。今回の震災の影響の特徴は高齢化社会や地方の第一次産業に打撃を与えたのだ。神戸の震災とは違う、一番経済的に弱いところに打撃を与えられた。老人だけで残って市を支えることはできない、自らが支えられる方になっているからだ。病院や福祉関係が崩壊すれば老人も生き残れないからだ。いづれにしろ誰も市が崩壊してゆくなど考えたこともない、でも現実に起こっていることは市が崩壊してゆきつつある現状に向かっているのだ。
だから南相馬市は相馬市と合併するとかなるが仲良くないからしないという、その理由はわからないが南相馬市の生徒を相馬市が受け入れなかったそのためだった。野馬追いで一体感あるきかと思ったらそうでなかったか?ともかく南相馬市立病院は相馬市立病院のサテライト化するとお医者さんが言っているから現状からの発言である。入院もできないとなればそうである。そもそも緊急避難地域が解除されないことには正常化しないからだ。


人口が流動化することは大きな変革が起きざるを得ないし起きている。南相馬市は原発事故のため田畑を放棄させられてしまった。零細な漁業も農業もいい悪いは別にして成り立たなくなってしまった。だから集約的会社化した運営形体に移行せざるをえない。小さな田畑とか港とかで零細でも助け合い暮らしてきた日本人の生活があったがそれが根こそぎ破壊されたのだ。だから漁業でも農業でも土地などを集約して対処しなければ成り立たない、そして田舎は人が広く散在しているからその人口も集約化してゆく、コンパクトシティ化してゆく、現実に鹿島区に350戸とかの仮設住宅が建った、人口が町の中に集中してきたのである。浪江などから移り住んだ人もいるから人口が流動化して今は鹿島区や相馬市に移動している。南相馬市は小高区がすでに崩壊して中心が教育なら鹿島区や相馬市に移動している。実質的に相馬市中心になりつつあるのだ。常磐線は寸断して交通は相馬市からのバスになった。交通も相馬市中心になっているのだ。相馬市に中心が移っているのだ。 飯館が立入禁止区域になると福島市に通じる道は相馬市からの道になるからだ。


六号線や常磐線が遮断されて南相馬市の小高区が立入禁止区域になったことの影響が大きいのである。そしてやがて相馬市は宮城県に編入されるかもしれない、相馬は宮城県と仙台方面とつながりが深いからだ。行政的にもその方が便利だからである。それより福島県は中通りと浜通りが原発事故で崩壊して会津県にしろという人も外部からもいる。放射能汚染された地域は将来性がないとかなり危険だとか言われるためである。つまり南相馬市だけでなく福島県自体が崩壊の危機にさらされているのだ。もちろん原発の20キロ圏内の市町村はすでに崩壊している。人口は流出して戻らない人もかなり出てくる。もう見切りをつける人がでてきている。20キロ圏内はすでに核処理場として永久的に立入禁止になるかもしれない、そういうふうに政府で画策しているためにいろいろな制限を課している。南相馬市の病院の入院を76時間としか認めないのもそのためである。30キロ圏内は人が住めないように政府で画策しているのかもしれない、放射線量が低いのになぜそうするかわからないからだ。

posted by 老鶯 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市の避難準備区域は住民を保証せずに追い出すため? (立入禁止区域は核廃棄場にするための政府の画策)


南相馬市の避難準備区域は住民を保証せずに追い出すため?
(立入禁止区域は核廃棄場にするための政府の画策)

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●非常事態に政府の指示は絶対ではない

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今一体何が起きているのか?このような非常事態には平時の感覚が通用しない、またシステムもマニュアル通りにも機能しない、要するにただ混乱状態になり命令する人も命令される人も混乱してくる。わかったことは国の指示も命令も絶対的なものでないしそれに従う必要もないということである。従っていたら命すら奪われかねないこともある。今回の混乱を図にしたがなぜ
管首相がベントを指示したしないとかなんかいろいろ責任問われたり東電が問われたり現場の所長が問われたりと錯綜している。それが政府と東電と現場で綱引きが行われていた。政府では管首相は政府の命令に従いと言って自ら現場にのりこんで指示した。それはパフォ-マンスだという人もいた。一方で東電と現場でも綱引きがあった。結局政府でもない、東電本社でもない、現場の所長が海水注入を指示して実行させていた。現場を知っているのは現場の人であり原発事故現場に残ったのは50人であり命懸けだった言っている。大爆発したら死ぬ危険があったのだ。幸いにそうしたことをまねがれただけである。現場こそ最大の危機感がありそれで海水注入を政府でもない東電でもない所長の判断で続行していたのだ。つまり非常事態では政府の命令も絶対ではない、本社の命令も絶対でない、なぜなら現場で取り仕切る人が操作できるからである。日本の戦争でも関東軍が天皇の命令にも逆らい独善に陥り独走した結果、大きな災いの端緒となった。天皇の命令さえ非常事態では通じない、各自の組織団体が勝手に行動している。今回の原発事故の処理もそうした混乱から起きているのだ。


●住民の命も保証されない危機


病院としては6人以上の受け入れは可能だが、県の地域医療課がゴーサインを出さないらしい。また入院しても3日以内に退院させろなどと無理難題を病院に押し付けている。南相馬市は私の勤務している福島市よりも放射線量も4分の1しかないというのになんで緊急時避難準備区域なのだろうか。


このことでもめたのも同じ非常事態だからである。その裏は読み解くと政府から南相馬市の30キロ圏内の一部は避難準備地域とかあいまいなものにしている。そこでは学校に行けないとか命令されている。県庁では別にこうしたことを南相馬市の病院に命令していないという。じゃ誰が命令したのだというと誰でもないという。ええ、そんなこと馬鹿げている、誰かが言ったから命令されたからそうしている。それも権力をもつ組織から言われたからそうししている。だからこそ従うほかないからそうしている。明かに政府から命令があったから従ったのである。県庁ではまちがいなくそうである。ところが南相馬市の市民にしたら入院できないと病院が正常に機能しないと命にもかかわる。それで病院も南相馬市に要求して県庁に要求する。県庁ではそんなことを指示しないというが指示したのである。ただ南相馬市からと政府からの命令で板挟みになったのである。だから非常事態では政府の命令に従うことはかえって国民の命も奪われる。
地元の人も黙っていたら命も守れなくなる。そういうことは放射線量問題とかいろいろ今起きている。住民の自治が要求されているのだ。ただ唯々諾々と従っていたら命すら奪われる。
政府に従うことがすべて正しいとは今やなっていないのだ。


●20キロ圏内立入禁止区域も政府に従っていいのか?


政府もマスコミも、一番危ないときは「安全だ」といってばかりで、線量が下がった今ごろになったら「危ない」「危ない」「メルトダウン(炉心溶融)していた」「避難せよ」といい出した。
 これは情報操作だ。立入禁止の警戒区域で一時帰宅、つまり域外追放、飯舘の立ち退きというなかで、あきらめさせるための意図的な宣伝だといえる


そして住民生活を干上がらせて各地に分散移住させ、土地を取り上げるという意図が見えている。福島県内では強権的な土地接収だ。ここは明らかに核廃棄物の処分場にするという意図がある。福島原発に関わる核廃棄物の量は膨大になるが日本中の原発も使用済み燃料の処分に困っており、それらも含めた核廃棄物の処分場にしたいという願望は強いものがある
飯舘村は岩盤が強いところで、今度の地震の被害は少なかった。飯舘村では2、3年前に東電が「核廃棄物処分場にしたい」と話を持ち込んでいた。「今回がいいチャンスだと見ている」「そうでなければ全村が強制避難というのはどう考えても異常すぎる」と語られていた。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/itotekinajuuminrisantotiseltusyuu.html


もちろんここの長周新聞とは何か仔細はわからない、自分は右翼でも左翼でもない、ジャ-ナリストは何かの組織に属していたり会社であれ何であれ派閥であれそこに与していると中立性が失われる。報道で大事なのは中立性なのである。どちらにも偏りがない、偏りみない立場にあることが大事なのである。マスコミはそうはならない、なぜならマスコミはそれぞれ会社であり会社という組織を第一にする。会社に勤めて利益をあげることが第一とされる。だから莫大な金が宣伝費として入っているから金をくれるところは批判しない、金がくれないところは厳しく追求する。東電は莫大な金をそうしたマスコミに投入している。創価などもそうであり新聞社も現実に買っているのだ。だからマスコミには報道の中立性がなく地元民の味方となるとは限らない、今要求されているのは一番受難にあっている地元民の自治なのである。ただ政府の言いなりになっていたら命さえ奪われるという危機になっているからだ。ただ混乱しているから自分たちがどういう立場に置かれて何をしていいのかわからない人もいる。


でも20キロ圏内が別に放射線量が高くないのに立入禁止区域にされたり避難準備地域の医療、福祉、教育が崩壊させられる。それは明かに政府の画策があるというのは本当ではないか?飯館村に核廃棄物の処分場にしたいということが現実にあったとしたらそういうことがすでに事故の前からも画策していたのだからこれは幸いと実行に移ったとも言えるのだ。立入禁止区域になればすべて政府の思い通りになる。核廃棄場にしても誰も反対するものもいないからだ。そういう企みがあって20キロ圏内の立入禁止とか避難準備地域とか設定して住民の追い出しを計っている。放射線量が高くないのにものものしい防護服を着させて2,3時間家に帰らせたりしている。それも政府の企みの一環として成されている。放射線量からしたらそんな危険な場所ではないからだ。だから政府の命令に唯々諾々と従っていたら政府の思い通りになりもう帰れるのに帰れなくなるし保証もわずかで終わってしまうかもしれない、なぜなら緊急避難地域には保証はない、病院に入院させないことや教育でも地元の学校に通わせない、会社も成り立たないとなれば出て行く人が増えてくる、そうなれば政府の企みにとって都合いいのだ。保証しなくても邪魔な住民を追い出すことができるからだ。だから原町区の避難準備地域という設定は政府の目論見でそうなったのである。住民を追い出して保証金を払わないためである

●東電も政府の命令に従わない


東電は東電で独自にヘリウムガスで冷却をしようとしている。

「政府はあてにならず、今回は意図的に米国を優先して外圧によって政府に行動をうながしいる。」サンデ-毎日でこういうことが書いてあった。野党の人の言として述べられていた。つまり政府があてにならない、原発の集束は政府があてにならないから東電独自でやりたいがそれができないのでアメリカ頼みでやるとなっている。アメリカ頼みだということは主導権がアメリカに握られることになる。そもそもアメリカのGE製の危険な原子炉であった。アメリカにも責任があった事故だった。でもアメリカの責任は追及できないのが日本なのである。日本政府がいかに独自性がなくその指示もアメリカに仰ぐだけだとなる。20キロ圏内の立入禁止もアメリカに指示されたからだと言う人もいる。日本政府の指示に従うことはアメリカに従うことだともなりかねない、だから政府の支持に従うことはかえって住民を苦しめるだけだとなる。政府の命令に従うだけだと住民の命すら守れなくなる。そういう非常事態、危機でありその対処はただ政府であれ東電であれ県であれ従うだけだと住民の命さえ守れなくなる。いつか帰れるんそれも近いうちだし保証金もがっぽりもらえるとか思っている人もいる。でもそうでない今まで述べたような政府の企みの上の立入禁止区域の設定とか住民追い出し作戦だったらどうするのか?確かにそういうことはありうるのだ。そしたら一方的に住民は犠牲にされるだけだとなる。原爆では広島、長崎が犠牲になったようにそれとにたようなことが浜通りで起こりうるのだ。そうなりつつあるともいえる。だから住民のしっかりとした自治がないと政府の企み通りになってしまうだろう。

posted by 老鶯 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月10日

アメリカのハリケ-ンでのカトリ-ナ被災と同じになる南相馬市 (30キロ圏内は人を住めなくさせるのが目的)


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アメリカのハリケ-ンでのカトリ-ナ被災と同じになる南相馬市
(30キロ圏内は人を住めなくさせるのが目的)

●政府は公的機関をつぶし住民を排除する


アメリカのカトリーナ被災でも同じで、際立って進められたのは徹底的な住民排除と公的機関の民間への売り飛ばしだった。救援隊を送らず、被災地を長期間放置したので、避難所の体育館に何体もの遺体が横たわっているテレビ映像は世界中を驚かせた。食料供給がないため避難民が店などを襲って略奪しはじめたところに軍隊を出動させ、反発する住民を撃ち殺した。その後、ほとんどの住民を州外に追い出し、黒人貧困層の多いニューオーリンズ市では、人口が被災前の約半分にまで減っている。


南相馬市でもこれとにたようなことが起こった。20キロ圏内は立入禁止区域にされ30キロ圏内は屋内退避にされ放射能を怖がった業者が物資を運ばなくなった。それで一時窮乏した。自分もなんとか地元から米をもらい食いつないだ。


救援隊を送らず、被災地を長期間放置したので、避難所の体育館に何体もの遺体が横たわっているテレビ映像は世界中を驚かせた


南相馬市で10人餓死したとか自殺した人が3人いたとか地元の国会議員が追求したのもそういう背景があったからだ。窮して南相馬市長がyoutubeで世界に訴えた。軍隊を主導させ反発する住民を撃ち殺した・・・・20キロ圏内の立入禁止は突然になされて住民は着の身着のままで追い出された。そして家に帰ることもできなくなった。警察官が入り政府が管理するようになった。同じ手法がとられている。その後、ほとんどの住民を州外に追い出し・・・正に20キロ圏内から南相馬市はそうなりつつあるのだ。住民追い出し政策がとられているのだ。公的機関も病院、学校なども30キロ圏内の南相馬市では使用禁止にされつつある。なんとか自力で病院を復興しようとしても県から通達で75日間しか入院してはいけない、病床は5つとか制限している。これも南相馬市の住民を追い出し作戦なのだ。放射線量もそれほど高くないのに何か理不尽であり急激すぎる。住民を説得することもしていない、強権発動であり政府の思いのままにされる。


●非常事態では考える余裕がないから政府にとっては好都合


大災害とか戦争とか大事件が起きたらそれをチャンスにして、人人が動揺している隙に、一気に政府、財界主導で市場原理改革をやるという手法だ。アメリカの新自由主義の旗手である経済学者ミルトン・フリードマンが提唱してきたものだ。1973年のチリのクーデター、2003年のアメリカによるイラク侵攻、2004年のスマトラ沖地震、2005年のアメリカ本土を襲った大型ハリケーン・カトリーナなど、世界各地の災害対応で実際におこなわれてきた。その乱暴さから「ショック・ドクトリン」ともいわれる。

人々が動揺しているときに一気に政府財界指導で主導権を握ってしまう。その時住民は動揺しているし抵抗できない、放射線が危ないから逃げるほかないですよと言われれば従わざるを得ない、もちろんそういう危機的状態になったことは確かである。しかしその後の対応を見ていると不自然なのである。海側は放射線量はすぐに低くなって飯館村のように山側と違いたいして問題にする必要はないものだった。だか異常に危険な地帯として外部にものものしい防護服を着させてみせつけるそこは一マイクロシ-ベルトにもなっていなかったのである。20キロ圏内を特別危険地帯とするために意図的に政府で芝居をしたともとれる。あんなものものしい格好する必要はなかったのだ。浪江の山中の赤字木(あこうぎ)ならわかる。でも浪江の街中でも2マイクロシ-ベルトとか海側で一マイクロシ-ベルトの所もあった。地理を知らない外部の人は浪江は高いなと思うからその20キロ圏内の浪江に入っているからあんなものものしい防護服を来て入るのだろうと納得する。20キロ圏内は特別危険なのだと印象づける。しかし外部の人でも見ている人は見ている。憲法違反だという人もいる。



原町区に運よく見付かった物件だったのに、30キロ圏内の緊急時避難準備区域内と言うだけで家賃援助もないのです。
30キロ圏外だから、放射線は大丈夫と言われ実際は危険だったり、
30キロ圏内だから、家賃補助は出来ませんと言われる・・・

http://fisco-tyokusenn1500.seesaa.net/archives/201103-1.html


原町区に運よく見付かった物件だったのに、30キロ圏内の緊急時避難準備区域内と言うだけで家賃援助もないのです。 これも南相馬市に人を住まわせたくないから政府で援助しない、政府の意図でそうなっている。いつまで経っても、なぜ同心円にこだわるのでしょう?・・・・こう疑問に思うのは当然である。この人は最近飯館で農業するために移住した人である。南相馬市は崩壊しているのではない、政府によって崩壊させられつつあるのだ。鉄砲で住民が撃たれるまではないにしろ強制退去はそれとにている。民主主義の世界だったら議論したり討議したりいろいろ手続きがあって成されることになる。でもそういう余裕がない、非常事態だから政府の一方的命令が容易に通ってしまうのである。お前たちここにいたら死ぬぞ、早く出ろとなる。それに抵抗することはできない、最後まで双葉町に残った老人がいた。でも電気は断たれる水道も使えないとかなり暮らしていけなくなる。住めなくさせるのだ。あとでもうここは20十年住めなくなると管首相が言ったというとき本音が出た。20年も住めなくさせるというのが本音だった。そしてそこを核の処理場として永久的に政府が管理して利用することである。それが目的でそういうことを言ったのである。


●30キロ圏内は人を住めなくさせるのが国策


30キロ圏内は人を住めなくさせる、人が住んでない方が政府にとって好都合だから政府では住めないように画策している。そうみるとなるほどとその謎が溶解するように理解できるのだ。
これは南相馬市だけではない、宮城県でも三陸でも政府指導が発揮しやすい状態にあり、うちひしがれている住民だから抵抗もない、政府や財界やアメリカ主導にもっていきやすいのである。土地でも漁業権でもとりあげやすい、そうするとどうなるのか、原子力発電所などはさらに建てやすくなるのだ。反対する住民がいなくなるからである。政府はアメリカ主導のもとに原子力発電をやめるとは限らない、外堀が覚めたころにまた原子力発電をはじめるかもしれない、現実に地元にしてもやめられたら困るとなっているからだ。また原子力発電に国民すべてが反対というわけではないからだ。犠牲になる人たちとならない人たちの差もでてくる。犠牲にならない人たちは他人事になる。自分も広島とかの原爆は長崎は他人事だった。今になると浜通りは原爆の被害者と同じになりつつあるのだ。あの悲惨な状態からも放射能をあびつつも復興したように浜通りも飯館村も実際は復興できる。でもそうさせないようにしているのが政府主導の国策だというのはあながち偏った見方ではない、当事者になったときそういうことかと納得することが多いからだ。


予測されたルイジアナ洪水のための堤防強化の資金をカットした。被災者は全米に棄民され今も復興していない。黒人とともにヒスパニックも棄民されている。いい就職先は軍しかない。三章は医療保険がなく、高額な医療費で破産していく中間層が貧困層に転落して行く実態である-堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書、2008年)。


これからも浜通りは就職先は原発しかない、農業すら土地を放棄させられている。放射能汚染が低くてもである。黒人とともにヒスパニックも棄民されている・・・棄民化させられている。
仮設住宅にしても玄関まで必要なかと疑問に思ったがそれも大資本の会社を潤す公共事業である。


仮設住宅は無駄だ
http://d.hatena.ne.jp/manybook/20110423/1303528524


こういう様々な問題が今回の津波や原発事故にはある。つまり緊急なことだから人々はじっくり考える余裕もない、だからこれは何だろうとか思っているうちにあれよあれよという間に悪条件を受け入れ成すがままになっている。仮設住宅がいらないというのではなく、別な地元の人の意向にそった金の使い方があるのだがそれがうちひしがれているから考えることもできないのである。それで政府や利権をねらう大企業やアメリカの思う壺になってしまっている。非常事態では考える余裕がない、混乱状態のなかで黒人とともにヒスパニックも棄民されているという状態になる。30キロ圏内や南相馬市はそうなっているのだ。

参考にしたプログ(他にも同じようなことを言う人は多くいた)
http://lemon69.cocolog-nifty.com/kurobune/2011/06/post-a6b8.html

posted by 老鶯 at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

八木沢峠でストロンチウムが1000検出された (南相馬市鹿島区の地蔵木は避難すべきか?)


八木沢峠でストロンチウムが1000検出された
(南相馬市鹿島区の地蔵木は避難すべきか?)

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危険派
ストロンチウムは内部被曝に限って言うと、10倍?100倍の危険がある。魚、海藻、貝類には多く蓄積される。魚等の放射能は、海水中の濃度よりも必ず高い濃度になる。

今おっしゃったのはkg当たり570Bq。
ストロンチウムというのは、セシウム134あるいは137に比べると、
内部被曝という事に限って言うなら、たぶん10倍100倍の危険があると思います
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/09/tanemaki-may9/

 

安全派



ストロンチウムについて
http://tnakagawa.exblog.jp/15214540/


http://www.janjanblog.com/archives/41617


http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-04-07


八木沢でストロンチウムが1000というのは高いだろう。500を越えると基準値を越危険になる。
八木沢峠を下ってすぐに地蔵木がありその辺は放射線量が高く避難地域に指定されるべきだ、住んでいる人は計画的避難区域 に指定されて保証されて避難したいとあった。ストロンチウムがやはり1000も出たということは危険地帯である。ストロンチウムというのは危険を言う人は-危険派は大変な危険を言う、それほどでないとんう安全派を言う人の意見を読むとそんなものかと安心ししてしまう。結局のその幅が大きすぎるから不安になる。危険派の意見を言う人を聞いていれば極端な話、東日本は終わりだ、住めないとか言うし何で福島県人にみんな脱出しないのだとか盛んに面白がって言っている。そんな簡単にみんな脱出できないのだ。そんなに簡単に脱出できるなら放射能の問題は解決できる。脱出できないからこそどうしていいかわからなくなる。広島でも長崎でもそこに住み続けるほかない人はたくさんいた。放射能と共存して生きてきたのである。


南相馬市内でも飯館とか浪江の赤字木(あこうぎ)に近い山側は本当に放射線量が高い。だから子供をもっている人は避難する必要があるのだろう。30キロ圏から1、2キロ離れている乳幼児をもつ母親も脱出した。30キロ圏外は保証がないとか嘆いていた。30キロ圏外でも田畑は耕せないということで被害を受けている。そもそも緊急避難準備地域というややこしい設定が疑問なのである。いつ緊急事態が発生するかわからないというけどそんなに今福島原発が危険な状態にあるのか?爆発する危険があるのか?爆発してからすでに3か月だっているしそれなりに改善している。それほどまだ危険なのだろうか?避難させるのなら避難させるべきだが緊急避難準備地域という設定が不自然なのである。ここに住んでいいのか悪いのかもわからない、ただ病院やら学校やらが正常化しない、入院も制限されている。それも緊急避難準備地域に政府で指定したからでありその意図がわからないことを書いた。それは30キロ圏内をチェルノブリのように将来的には立入禁止区域にするためではないか?緊急避難準備地域にしていれば住みにくくなり自発的に住まなくなり保証しなくてもいいとなる。郡山市や福島市は南相馬市より放射線量が高いのに避難区域にしないのは政治的判断であり保証できないからだ。保証する範囲は20キロ圏内としてそこを核の処理場とする。飯館村にもそういう計画があった。そういう政府の画策があり緊急避難準備地域というあいまいなわかりにく設定となった。


南相馬市の八木沢から下った地蔵木では雨樋から114マイクロシ-ベルの放射線量が出たのは嘘ではない、雨樋を計ると10倍くらい高くなっている所が他でもあった。側溝でもそうである。雨で流れた放射性物質が側溝にたまっていた。それがさらに泥とか一緒になり汚泥となり下水処理場に流れた。森とかは葉につきやすく放射性物質がたまりやすい。放射性物質は消しようがない、循環している。元素として30年とか消えず循環している。この辺りで井戸水とか利用しているとストロンチウムがこれだけ出たら危険にならないか?水道水でも井戸水でも水の放射線の情報はあまりない、調べられていないのか?水は毎日飲むものだから不安になる。
地蔵木辺りの川の山女を調べたら放射性物質はどうなっているのか、ヤマメはとっても食べられないのだろう。あの辺の水は澄んでいたけど今も水は汚れていないけど放射性物質に汚された。


水もそうだが土にたまったら消えないから土から取り去るのは大変な作業になる。20年は人が住めないというのは浪江の赤字木(あこうぎ)辺りだとそういわれてもしかたないのだろう。でも他ではそうともいえない、放射線量は一マイクロシ-ベルトにも満たないとしたらその影響はどれだけあるのか?立入禁止区域でも南相馬市でも大半は一マイクロシ-ベルトにも満たない地域なのである。ただストロンチウムでも雨などで水に溶けて八木沢峠から橲原渓谷を流れて真野川に流れてくる。田の水を取水しているところもある。とすると危険になるのか、水に関してはあまり調べた報告もない、水を飲んだりすると内部被曝するから危険性が高まる。橲原でも子供がいるから避難したいという人がいた。結局その判断がわからないからむずかしいのだ。

そうして心配すればきりがなくなる。そしてあきらめるほかないとなる。50、60以上はそうなる。だからまだ千人近く飯館村には留まっている。でも生活しにくくなるからインフラも電気もとめられたりすると結局出ざるをえない、そして無人化するとそこは政府の思い通りになる。核の廃棄場として使用できるともなる。ただ保証の問題があるからそんなに住民を避難させてどうなるのかという問題がある。ただ保証にしても約束したわけではないし法律で決まっているわけでもない、非常事態だから平時とは違う。その責任もうやむやにさるかもしれない、

ともかく事態は日々変化している。ストロンチウムを計るのは時間がかかるからやっと出てきたのでありもっとこれからも出てくるのだろう。放射性物質の全容は誰もわからないのだ。素人なら余計に何を判断の基準としていいかわからないのだ。
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夏の花(アクセスが急激に増えた相馬郷土史研究)


夏の花(アクセスが急激に増えた相馬郷土史研究)]


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花に花そえて新し夏は来ぬ


一鉢に夏菊咲いて雀来る


遠くへと行きて帰りぬ夏燕


老鶯の日陰の長き森に鳴く


屋敷林農家囲みて黒揚羽

非常事態では俳句でも短歌でもゆっくり鑑賞したり作ったりできない、そんな風流に遊ぶよりなんとか苦しいのだから助けてもらいたいとか今なら原発関係で放射能のことをもとしりたいとかなる。それで自分もなんとか役にたたとうとして科学にはからきし弱くても書いた。ただ強みは地元だから地理に詳しいことが他と違っていた。あそこで放射線量が高いというとき具体的にイメ-ジできる。浪江の赤字木(あこうぎ)と言っても外部の人は浪江としかわからないから街の方だと錯覚している人がいるだろう。地理はなかなかそこに住んでいないとわかりにくいのだ。

最近津波やら原発事故で思ったことは相馬とか浜通りで地元の人が情報を発信する必要があった。外部からと内部から発信するのでは伝え方も伝わり方も違ってくる。自らが被災者になればさらにそうである。発信する情熱も違ってくる。最近毎日ニュ-スでも福島県でも浜通り中心であり南相馬市のことでも毎日伝えている。そうすると今注目されているのが自分たちの住んでいる身近な所なのである。それが毎日ニュ-スとなっているのだ。身近なところでも本当はわからない、被害にあった人の数も多いからだ。避難している人の数も多いからそういう人たちどうなったのか全部知ることはできない、ただ毎日は全国のニュ-スでも必ず身近な所が話題にならない日がないのだ。普通だったら全国で話題になるのは野馬追いくらいなのである。

それがフクシマ自体、世界でもその名が悪名が知られるようになったのである。チェルノブリと同じである。アクセス数も「相馬郷土史研究」は普通はユニ-ク数が百くらいでペ-ジビュが400とかくらいである。今は訪問者がユニ-ク数で400を越えていた。本プログは300くらいである。あわせると700人になるから多い。インタ-ネットだと全国の人がやはり相馬に関心をもって読んでいるのだ。ペ-ジビュ-1000くらいであり本プログとあわせると2000になる。相当関心をもって読まれている。また書くことも多いのである。

明かに相馬とか浜通りの郷土史を基礎にした雑誌の発行なども必要なのである。ただ雑誌の発行は個人ではできない、そして毎日報告することは雑誌ではできない、インタ-ネットだからなんとかやれている。今は結構インタ-ネットで情報を得ている人も多いから注目されることにもなる。今は普通だったら何でもない人まで話題になる。みんななんらか伝えたいことがあるからだ。それでそうした人たちの要望を反映した情報誌が必要になってくる。それを相馬郷土史を基礎にして発信する必要もありインタ-ネットでしている。科学には弱いし自分一人ではそうしたことは無理である。でも地に足をついた発信をするのには地元からでとないと伝わらないものがある。地理に関してはそうだった。風がどういうふうに吹くかなどなかなか地元でないとわかりにくかったろう。他にも地元でないとわかりにくいものがある。単に情報を伝えるだけではない、なんとか復興していこうという気持ちが地元ではあるのだから外部から見ているのとは意識が違う。

マスコミでは報道しても全部が地元のためにとはならない、何か面白いことがないかとか話題がないとか売れる記事やテレビでもやはり視聴率を稼げるのを放送しようとかなる。しかし地元だったらそういう興味本位よりなんとか今の苦しい状態をともにきりぬけようとかの意識がでてくる。こういうことはやはり被害者にならないかぎりどうしても外部だとただ自分たちには関係ないから面白い見せ物のように見る場合があるのだ。だから地元からの発信は違ってくる。
広島と長崎があれだけ深刻な被害にあっても遠いと現実味がない、神戸地震の時もそうだった。今や自分たちも原爆ではないにしろ放射能の被害で共通の被害者になったのである。


NHKでも磯部小学校のことをやっていたけどテレビや写真の画面では高低がわからない、あの小学校はかなり高い所にある。磯部村は海岸に接して壊滅した。あれだけのショック受けたら子供だったら病気になるのもわかる。大人だってショックから立ち直れない、一軒も家なくなったのだからショックである。でも学校は一番高い所にあった。平地には作らなかった。高台にも家はあるがほとんどの家は平地にあった。小学校だからやはり高台に作ったのか、作るときそういう配慮があったのか?それにしても本当に津波にはあまりにも無防備だった。それが悔やまれる。あそこでも校庭で遊べないのか、やはり放射線量計ってそうしているのだろう。あそこはそんなに高くないと思うけどやっぱり
原発事故の影響も受けていた。


 

2011年06月11日

南相馬市に住みつづける意味なんてあるの? (今津波や原発事故でめお土地に住む意義がとわれている。)


南相馬市に住みつづける意味なんてあるの?
(今津波や原発事故で土地に留まる意義が問われている)

 



家畜に関しては簡単に言うと東電側や政府は安上がりに済むから
一頭あたりいくらいくらの計算ができる


これが移動OKとなると移動にかかる料金
移動したあとにかかる受け入れ先の手配
移動したあとの餌代や飼育費
さらに売れないのでその補填と
雪だるま式に支払額が増えるのを嫌っている


日立工機って、40人位しか居ないよね?
大内新興も休業。フジクラも小高工場は移転するって。
タニコーは小高工場分を鹿島へ。
ジャムは、横浜とどっかに移転予定。
原町電子も一部移転。
デルモンテは、先月で残務終了。
工場がどんどん無くなりますね!
その辺市長は対策考えてるんかね


悲しいけど原町に職はないよ。
ハローワーク行けば
現実を見ます。

南相馬市の求人募集は震災前の日付で止まったままです。

俺は小高だけどもうこの地域にこだわる意味無いよ
事故前は、不便で雇用は無くても空気、水は旨かった
だけど、今では雇用は無い、空気は汚染されてる、水も怪しい
故郷を捨てるしかないな。だから他地域に家買えるだけの賠償金どうにかして
くれよ


結局、千葉の一戸建てなんか築10年で600万くらいなわけ
んだから俺は、小高の実家の家屋賠償金1000万を東電からもらえれば許す
ほかに住めばいいし
津波で家を瓦礫にされた石巻、気仙沼よりマシだろ
金貰って他に小高よりも利便性の良い家が買えるんだからな


南相馬に何があるっていうんだよ。
先祖の墓!?今までの思い出?母校?故郷?
そんなのな、一円の価値も無いんだよ
さっさと金貰って他の地域に住居買えれば好都合だろ

問題は金額なんだよ

だけどうちの親とか、ここのところ原発事故の情報にはあんまり興味示さなくなったのに
補償金だけ注意深く様子を伺っている。

自分からそんなことしたことないのに、申請書もらってきやがったよ。

656が、勝手に頑張ればよいだろう。他人を巻き込むなよ
南相馬を捨てて他地域で人生をやり直したほうが安全で豊かな生活が出来る
南相馬に何があるって言うんだよ。
教育水準は低い。水も空気も汚染されてる。政府から見捨てられた地域
原町に住んでも南にいったら検問。


南相馬に新築の一戸建てを立て替えするよ
りも賠償金で、競売の物件をキャッシュ購入したほうが安い。
建替え資金に1500万借り入れの30年ローンで総支払額2300万になる
しかし、競売なら600万で築10年の一戸建て選びたい放題
東海村の時の弁護団に一括して頼むか。
去年裁判終わったばかりだし、肩は冷めてないんじゃね?
20km圏内は一人当たり1億円
30km圏内は一人当たり5000万円
飯舘、川俣は一人当たり5000万円
こんな感じになりませんか?
損する被害も居るだろうから、高い基準に合わせる方向で。
http://www2.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1303630677/

 



こうして金の計算ばかりしている人はすべて金に換算する人は別に南相馬市に住まなくてもいいしどこでもいい。都会でも田舎でもいい、小高に住まなくてもいい、そういう人はすでに立入禁止区域から避難して帰ってこない、そういうふうにあきらめる人もでてくる。それが政府の思惑かもしれない、帰ることをあきらめる人が増えてくれば核廃棄場にしやすいからだ。そもそも今回のことではいろいろなことが問われている。当たり前に田を作り米を作ってきたし畑で野菜を作り果物を育て花を栽培したり魚をとったりとそんなこと当たり前のことだから自分たちのしていることがどういう意味をもっているかなど考えたこともないだろう。でもそうして当たり前にしてきたことが実際にできなくなったときどうなったのか?今やそのことが毎日問われているのではないか?もちろんその日常の生活なのかで言われるのは米作りは金にならない、野菜作っても金にならない、もうやっていけないよとかそういうことも常に言われてきた。誰も好き好んで農業などやる人はいないよとかも言われる。これは漁業でも同じだろう。だから後継ぐ人もいない、親も生計を考えるとすすめられないということをいやというほど聞いてきた。だから原発事故で30キロ圏内は政府と東電から保証される、これ幸いと他で暮らそうという人もでてくる。もともとここて暮らすことがいやだった人はそうなる。ここにいつづける理由がないからだ。


では長年いつづける人はどうなるかというとそれも惰性なのかもしれない、ずっとなじんできた土地だからそのままいたい、知り合いも多いしなじんだ人も多い、そういうなかで暮らしたい、都会のような誰も知らないところではもう暮らせないというのもいつづける大きな理由である。認知症なんかはなじんだ所にいるのが一番の治療である。自分がどこにいるのかさえわからなくなるからだ。なじんだ人といることも治療になる。認知症でなくても60過ぎると環境の変化に弱くなるからそうなる。チェルノブリでは放射能の被害で死んだ人よりなじんだ故郷から出て心労やら病気で死んだ老人が多いのである。それは特別にそこにいつづけるというのではなく惰性もある。ずっと住んでいたから住んでいたいとなるのは人情である。別にそこに特別住みたいというのでなくてもそうなのである。また介護している人などは出にくい、自分もそうだったが他の人もそうだった。そういうやむをえない事情で出れない人はいた。それは別に特別な理由もない、長年の習慣がなかなか変えられないと同じように慣れた所にいつづけたいというだけである。


しかし今回の本当に不思議である。牛と別れるとき悲しむ人、牛は家族と同じだ、牛に活かされ牛と共に生きてきた。外から見る人はそんなに牛は大事なものだったのかと思う。牛は肉牛もいて屠殺するし、乳牛にしても乳を出す機械のようお思っている人もいる。女性が子供を生む機械だと言った人がいるから別に動物だとそういうことはできる。ただ動物も生き物だから機械とは違うから人間の情がうつり人間化した動物となっている。でもあらためて牛と別れるとなったとき牛をいとおしむ、牛は大事なものだった再認識したのではないか?それは牛だけではない、実りをもたらす大地が大事なものと認識した。先祖代々の土地だからなとという農民特有の言葉も何度も聞いた。果たしてそういう第一次産業にたずさわる人は自然とじかに接触して仕事をしている人たちである。戦前なら第一次産業にたずさわる人がほとんどである。だから土地がなくなると土地を求めて満州やブラジルに移住したのはそのためである。土地がなければ農業はできないからである。高度成長時代から工業化すると第一次産業の価値は極端に低くなる。だから常に農家でも漁業にたずさわる人でも収入の面で不満がたえなくなったのだ。漁業組合の人が東電の社長に向かって俺たち漁師を馬鹿にするよなと面と向かって言っていたのでもわかる。双葉町で原子力に頼るようになったのはそのためである。それは地方ではみなそうである。豊になりたいという気持ちが一致している。第一次産業では豊になれない、それで原発を誘致したのである。それは金だけを言う人とさほど変わりない、原発だろうが何だろうが金になればいいということがあったのだ。


そうならばそういう人たちは政府であれ東電であれ保証金さえもらえば別にそれでいいとなる。仕事は別にどこでもあるところで見つけて住めばいいとなるのだ。若い人だったらどうしてし南相馬市のようなしょぼい街にさらに衰退する街にはいたくないとなる。それをとがめることもできないだろう。そもそも農業の跡継ぎなどしたくないと親が言っていたからである。収入の面でどうしても成り立たないということで子供に言っていれば見ていれば農業などでは食べていけないということで農業を捨てるのは当然である。でも一旦田植えも、米作りもエチゴ作りも、畑での野菜作りも土地と結びついたことができなくなったときどうなったのか?やはりそういう仕事をしたい、今までしてきたというのもあるがやはりその仕事がいい、その仕事自体が生きがいなのだ、収入の面は今はさておき仕事がしたい、土にかかわる仕事がしたいとか言う人がいる。簡単にそういう仕事をしてきた人たちが職業を変えることはむずかしい。それは単なるスキルの習得であるだけではないやはり何か根源的な問題としてある。仕事は常に言われるけど収入だけではない生きがいが大事なのだと、でも実際に自分の仕事の価値を知ってしている人は少ないだろう。どれだけの価値があるかなどわからない、たいがい金銭に換算している。こんな収入じゃやっていけないというのが常に農業だけではないどこでも言われている。収入が少なくても足りなくてもここに住み牛と田畑と自然環境のいい所で暮らすのがいいのだと言う人も確かにいる。それは少数者になる。


不思議なことは今回のことでそういうふうに農業でも漁業でも他の仕事でもこの土地に働きここから離れないという人がどれだけいるのか、保証金もらえばこんな所にいたくないという人が多ければ市町村は崩壊するだろう。分離解体するだろう。つまり双葉町でもどこでも原発を誘致したような市町村はすでに分離解体させられていたのではないか?
そんな農業や漁業や林業やその他野菜作り果物作りで豊にはなれないよ、それに比べれば原発の電気事業はとてつもないもの、その金は巨大なもので市町村の財政も潤すとなるとそっちにみんな目が向くし簡単に今の状態のように牛も殺されたり農地が使えなくなったりひどいことになっても保証金さえもらえばどこかに移ればいいと若い人ならそうなり事実テレビでも仕事がないから南相馬市から人口が減ってここは衰退してゆくから出て行こうとなる。そういうことが今までなら知識人が頭の中で考えて言っていたから現場の人は聞かない、でも今やそれが現実なのである。頭の中ではない、牛は殺される、土地は田植えもできない、耕すこともできない、そうなったとき単に収入がないということだけで終わりなのだろうか?何かそうした根源的なことが問われている。これはお医者さんとかもそうである。医者は市町村にはなくてはならない中核的な存在である。医療が崩壊すると市も崩壊することでわかる。お医者さんは医者不足だからどこでも給料が良くて暮らせる。ここに留まる理由もないのだ。でもここに留まる医者もいる。
長年やってきたから奉公だといって戻ってきた老人の医者もいた。奉公だというとき何かこの土地に市に奉公したいとうい古いモラルの持ち主だった。そういう価値観をもっていたのである。そういう人はこの土地を離れないしまた老人ということで離れにくいのだ。


いづれにしろこうして南相馬市であれ浜通りであれ津波の被害にあった宮城県沿岸であれ岩手県であれそこに留まることの意義が問われている。もちろんもう仕事がないとか家もないとか何もないとかで移る人はでる。でも何かそこに留まる強いモチベ-ションとかさらに高等にはなるがミッション(使命感)がなければ留まることはできなるのではないか?そうでなければ30キロ圏内の市町村は政府の意向によりつぶされ解体され核の廃棄場となるのではないか?それより双葉町などは別にその場所に住む必要が前からなかったのだ。多額の保証金をもらって他に移り住んでも良かったし政府でも東電でもその方が好都合だったのである。

住む人にそこに住みつづけるモチベ-ションとかミッション(使命感)とかがないとそうなるのではないか?そんな高等なものはわからないともなるが現実にとそれぞれが問われているのではないか?野馬追いに出たいからここに留まるという人もいていい、それも一つの明確なモチベ-ションである。それでも野馬追いには武家の出の一部しか出れないのだからみんなのモチベ-ションになりえないからそれだけで市は維持できないだろう。おまえはどうなのだとなるが、自分もまた同じである。やはり問われているからこうして考えてプログに発表しているのである。 自分の場合はここの土地を基にして芸術とか学問の創造をしてきた。でもまたそれはこの土地には限らないことである。ただ基本的にこの土地を基にしている。自分にしてもここに本当に留まる強いモチベ-ションがあるのかとなるとわからないのである。年取るとどうしてもただ継続としていることがある。何かの継続としていつづけるのだ。その継続が歴史であり留まる動機にもなっているのが老人なのである。その土地の石や樹のように自然となっているのが老人でもあるのだ。

いろいろな人がやはりここに住む価値が問われている。

一千万もらった方がそこに住みつづけるより良いというのはもともと原発の事故で住めなくなるということを苦にしていない人である。ここに住むこだわりがないから一千万の方が価値があるのだ。そういう人が多数になれば市は解体してゆく。そういう市町村なら簡単に核の廃棄場に政府でも電気会社でもできる。金で買収できるからだ。


近くに老いた哲学者がいて同じことを考えていた。ともかくいろいろな人がその立場立場で取り上げられているから毎日考えることになるのだ。


モノディアロゴス
http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/3561

 
posted by 老鶯 at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月14日

南相馬市鹿島区右田に残った松


南相馬市鹿島区右田に残った松

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家がなくなった人がここに鯉のぼりを置いたのか?
ふつうこんなところにこいのぼりをしないから


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前畑にダリヤ明るし朝に映ゆ


凄まじき枝折れあらわ凛々しくも津波のあとに残る松かも


今はなき右田の松原防波堤崩れ打ちよす浪の音かな


なぎ倒す松数しれず根のあらわその一本のまた残り見ゆ


家はなく庭石残る茫然と石も驚く津波なるかな


もともとは庭にありにしその石の荒野に残りあわれなるかな



右田の松原は松が太いからいい松原だった。あまり注目されていないがいい松原だった。松川浦よりいい松があった。松川浦の松は細かったのである。だからいい松原とは思わなかった。ともかく今回の津波では松の被害が甚大である。どれだけの松がねこそぎ倒されたか数しれない、何十万本の松が津波で根こそぎ倒された。松原は防潮林として植えていたからその松がすべてなぎたおされた。津波の威力をそこでまざまざと見た。陸前高田市では7万本の松の一本が残ったがそれも危うくなっている。あの辺この辺より津波が激しかった。街自体が壊滅した。まるでポンペイの跡である。この辺でも磯部とか烏崎はそうなった。街とか村ごと一瞬にしてなくなったた恐るべきものだった。身の毛のよだつような津波の猛威だった。


右田だとしょちょう行っていた。駅近くの踏み切りからまっすぐな道だったが家は少なかった。
それでも家はあった。一千万で最近リホ-ムして売り出していた家があった。あの家を売った人は運が良かった、命も助かり財産として価値あるとき売ったからである。海老にあった喫茶店などをしていた別荘も1200万で売り出していた。それも土地だけは残ってももはやあんなところには誰も別荘は建てない、別荘は海側に建てる人はなくなる。日本では結構津波のことを考えず別荘を建てていた。こんな金銭的な大損失はいくらでもある。一瞬にして家も土地も財産もなくなった人たちが何万人といるからめずらしくもない。


あそこに大きな石のある庭があった。その石はどこにいったのか?写真のよりもっと大きい石だった。庭の石も津波によって流された。庭の石は荒野の石とは違う。人間の情がうつった石になっている。ペットと同じである。石に情がうつらないというかやはり庭の石は人間化した石なのである。いづれにしろ以前として異様な光景は変わっていない、これも何年かたつとそんなものかと日常化するのだろうか、それにしても一本残った松はまるで戦場で必死に生き残った侍のようである。なぎ倒された松、殺された松は部下だったのだろうか?凄まじい津波の猛威にたえて残った一本の松、痛々しくもしかし凛々しい松である。これを画家が絵にすれば名作になるかもしれない、一幅の絵になっているのだ。右田の松原は消えただ今はこの残った松の英姿を見るだけである。


前畑や前田というときなんともないようだが農家だったらまず前田が前畑が映える。そこが昔なら生活の拠点となったからである。今は遠くの会社に通うから自然な生活が失われた。前畑や前田を生活の拠点にすることが自然な人間の生活である。あそこは田中城があったところでありあそこまでは津波が来なかった。その手前まではきていた。やはりあそこは高くなっているから城が作られた。あとは低く湿地帯だったのである。


ともかく前田や前畑が生活の拠点となるのは自然であった。車や交通の便がよくなったから遠くが生活の拠点になる、それは人間にとって不自然なことである。都会では今回の地震で帰宅できない人があふれた。そして自転車通勤した人は帰れたのである。便利なものに頼っていると災害のとき困る。便利なものに頼れば頼るほどそうなるのだ。原発の事故もそうだったのだ。その災厄は何百年つづくとか土地まで耕せなくなった。津波の荒野に原発事故の放射能汚染の荒野の世界である。こんなこきになるとは誰も想像もしなかった。でもそれが今の現実なのである。


 

posted by 老鶯 at 17:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 地震津波関係

福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」


福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011061400329

霊山から玉野も放射線量が高くその近辺では避難するようになった。飯館村に近いと放射線量が高い、3マイクロシ-ベルトになっていると住んでいられないんだろう。特に子供いる人は避難するようになる。玉野でも子供がいる人は市の仮設住宅に避難するという。3マイクロシ-ベルトでも子供はその3倍くらいの影響がある。子供をもっている人はみんな避難している。飯館村でも残るのは最後に老人である。もう老人は石のように動けないのだ。ここで自殺があったのは牛乳を廃棄していたこともあるがテレビのニュ-スではフィリンピンの妻が原発事故以来放射線のことでフィリンピンに帰ったこともその一因になっている。浪江の津島でも前に中国人妻が東京に住みたいとナタで夫に襲いかかった。あんな山奥とは思わなかった。その女性は都会に住みたかったのである。山村が嫁不足で外国人が結構入っていることがこれでもわかる。原発事故関係で自殺したのは須賀川と飯館村の102才の人と今回は玉野で三人目である。
酪農は草から放射性物質がとりこまれてミルクになるから危険である。チェルノブリではそれを政府で黙認して牛乳を飲ませていたから子供が甲状腺ガンになった。日本では最初段階で乳牛の原乳をとめているから安全である。


この放射能はかえって自然と共に暮らしていたところに甚大な影響があった。土とか水とか植物に影響があった。そして土とか水が一旦汚染されたらなかなか消えない、百年も消えないとか、地下水の汚染はやがていわき市や郡山の方に浸透ししてゆくとかその全容は誰もわからない、百年後にも地下水から放射性物質が発見されたとかなる。地下水には江戸時代に降った雨がたまっているのも神秘的だがそこに放射性物質がたまる。それはなかなか消えないのである。森の中でも葉にたまり葉が落葉になり循環して放射性物質は消えないやっかいなものなのである。広島と長崎の原爆とは違った放射性物質の被害が延々とつづくのである。広島とか長崎は都会であり草木も生えないというとき土とかが汚染されたのとは違っていた。都会だとコンクリ-トのビルでも洗い流すことができた。でも土や木や地下水となると放射性物質を取り除くことができない、結局時間が解決するとなるがこれも長い。そもそも森をどうして除染するのか?森を切ってできるというが森の樹をみんな切っていいのかとなる。森が枯れるわけではないのだから自然の浄化作用にまかせればいいともなる。そのためには30年から100年かかるとなるが森の木を全部切るようなことをしていいのか?そのことが疑問なのである。結局チェルノブリのように荒野化野生化するほか、放置しておくほか手段がないのかもしれない、それでもそこには生物は繁茂している。死の世界にはなっていないのだ。狼が戻ってきたということがそこが野生に戻ったということである。自然が死に絶えるわけではないのだ。飯館村の佐須の山津見神社には狼を祀っていて狼の伝説があり白狼というどぶろくを作っていた女性が紹介されていた。狼はもどらないにしろ正に狼の伝説がある場所にふさわしいとなる。


ともかく飯館村でも悔しいとかモノを投げつけていた人がテレビで写っていたり酪農家の被害も大きすぎた。原発事故で起きたことは様々なことを示唆ししていた。豚が死んだ豚を食べていたとか信じられない凄惨なことが報告された。豚は肉食だからそうなった。一方で牛は餌がなく力尽きて死んでいた。牛は肉を食べないからとも食いは起こらないのだ。人間は飢饉になり人間も食った。人間は肉食だからである。草食動物と肉食動物の違いがある。人間は肉食動物だからとも食いにもなるのだ。津波であれ原発事故であれ日常的なことから非日常的なことが起きている。高度化した文明は高度成長以後は第一次産業が経済のしめる割合は極端に低下した。現代では石油が電気がどれほど大事なものであるか、米や野菜や牛乳はありあまにほどある、だからその価値は低く見られていた。それで漁業組合の人が漁業を馬鹿にするなよと東電の社長に言っていた。そうした価値観の相違が露骨に現れたのである。生命を維持することに直結する第一次産業が低く見られ工業化によってその他のものの価値が高くなりすぎた。そして原子力の事故ではその低く見られていて第一次産業が一番打撃を受けたのだ。

社会でも農業や漁業などより電気がエネルギ-が大事だとなっていた。都会の田舎の対立もあった。そうした諸々の価値の相違による社会も原発事故と関係していたのだ。命と直結する第一次産業の基盤が失うと人間はもはや生きていけないということに気づいていなかった。それで双葉町の人が家族がばらばらになり苦しんでロウソクでも家族一緒に暮らせた方がいいと言っていた。家族まで崩壊させた。ここに移り住んだ人も会津に祖母がいて二本松に会社があり通っている。浜通りから二本松に通っていたら大変である。でも原発事故でそうなってしまったのである。様々な悲劇を生んだのが原発事故だった。その被害は一時期のものではない,百年もつづくというから放射能の怖さを今になって被害を受けてはじめて知ったのである。


核戦争の中で死ぬことは三度死ぬことである。自分自身が死ぬことであり子供たちの世代において死ぬことであり、是自然と共に死ぬことである。
ああ、友人たちよ、高く見上げたまえ、まだ空が相討ちに高く空をみあげたまえ、大地がぼろぼろに崩れないうちに、大地に触れたまえ、

泉が汚染されないうちに、走って清水を飲みたまえ、海が荒されない前に思い切り泳ぎたまえ
とりわけ、あなたの子供たちがぐったり倒れないまえに、ようく遊んでいる姿を見ておきたまえ
(ランザ、デル、パスト)


本の山からこんな言葉が出てきた。ガンジ-の時代の人だとするずいぶん古いがフランスの人だった。フランスの核実験反対運動した人だった。核戦争ではなく原子力発電も同じだった。
子供たちの世代にもの凄く影響する。放射能もそうだし放射能は子供の世代にも消えずに影響する。子供が外で遊べなくなったのもにている。ただ福島で起こった原発事故で違っていたのは放射性物質汚染は目に見えないから広島や長崎の被害と違っているからあれこれは何だと思う。何ら風景は変わっていないのだ。水は澄んでいるし大気も澄んでいる、森も変わらずに水々しい緑である。どこが汚染されているのかと思う。現実にチェルノブリは原始の森に戻って野生の楽園になったという。つまり生物が死に絶える世界ではない、長崎と広島ではそういうふうに思った焼け野原になり生物は生きていけないと思った。でも原発事故ではそうならなかった。そこがどうしても深刻に考えないことにもなった。飯館村でも老人は残るというのはそのためである。老人は放射能の影響を受けないから別に住んでもいいのである。放射性物質に汚染されたものを食べても別にあと10年でガンになるといってもその頃はみんな何かしら病気になって死ぬから同じなのである。だから広島と長崎と比べるとずいぶん違っているし深刻なものとそこに住んでいる人は考えない、ただ避難させられたり農業ができないということで深刻になる人はいて自殺したのである。放射能に直接やられて死んだというのではないのだ。放射能の影響がどうこれから現れるかはわからない、その結果により今回の事故の大きさがどれほどのものだったか判断される。

 
 
 
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2011年06月15日

南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


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鹿島区寺内仮設住宅



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大原から橲原地区

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通行禁止-橲原渓谷



深々と森に流れや夏鶯


草深く馬頭観音菖蒲かな


大葦にパス停残され菖蒲かな

橲原や二羽交じるや黒揚羽



南相馬市の鹿島区の寺内の仮設住宅は人が相当入っていた。朝日新聞社の人が原町区の雫(しどけ)の人をたずねていた。地図で見てもあの辺に津波が来たとは思えないが広い地域では来ていたのだろう。あそこは道路が広く一つの街になっていた。道路に駐車もできるし車をもっている人も多い。比較的恵まれた人が入ったのかもしれない、玄関のあるのとない部屋があった。車が町の真ん中を通れるというので便利である。西町と千倉では囲われたようになっているから車も人も外部から入れない、ただ千倉には樹があり木陰になるので夏は気持ちいい、ここは新し町ができたということが不思議である。

そこから小池を回り原町区に出て大原の方に行ってきた。何軒か避難しているかもしれない、でも車がある家は避難しないのか、よくわからない。病院で知り合った人の家はどうなったのか、寄らなかった。そもそも年で病気なのだからとても五町あるとしてもできない、市役所で息子が働き街に住んでいるとしたらそっちに移ったのかもしれない,廃屋になっている家が三軒くらいある。そこから橲原の方へ上ってゆくとやはり空家になった家がふえてくる。家は少ないにしろ明かにふえている。牛車には牛はいない、牛はもうここでは飼えないだろう。放射線量は高い地域になっている。大原から大葦は前のバスの停留場だけど廃止になってから一年くらいになるだろう。そこに馬頭観音と草深く菖蒲が咲いていた。馬頭観音でもバスでも交通があった標である。 ここに一回だけおりたことがあった。折り畳み自転車で飯館村に行っていたからである。まだ車の行き来は盛んである。でも飯館村が立入禁止区域になったら極端に淋しくなる。まだ交通は遮断されていないからかえってここは車の行き来が激しく山の村とも思えないところである。警察の車も多いのだ。見回りをしているからである。もともとこの辺は家がまばらでありこの辺でもう酪農とか肉牛でも生活できないとか避難したいということを報告があった。相馬市の玉野も相馬市街から離れた辺鄙なところであり原発がなければとか書き残して自殺した人がいたがそれだけの理由とはいえないだろう。フィリンピンの嫁と子供が故国に帰ったことも痛手だった。その方が一層死んでしまうとした原因かもしれない、借金もしていたとかやはり今は農家でも酪農家でも苦しかったのである。東電で国で保障されて移った方が楽な人もいることは確かである。ただつづけたいという人もそれなりにいるからその事情はいろいろなのである。

この辺では確かに井戸水を使っていた。井戸水は地下水は放射能に汚染されているから危険で飲めないだろう。山の湧き水をとり入れて所もある。そういうのも危険になるのだろう。ということは山で暮らすメリットがなくなる。なぜなら水道代を払わないで良かったからである。

それから橲原渓谷は通行止めになっていたが自転車ならそういう場所でも行けるから下ってきた。落石があり木も崩れ落ちていたところがあった。橲原に出たがここでもテレビで写していたが放射線が高く子供がいるという家は移ると言っていたから移動した人がいるのだろう。空家になっている家があるみたいだ。道路の脇に九輪草が一杯咲いて夏の蝶が乱舞していた。
あそこに蝶だけが集まりあとは今は耕されない畑に田植えされていない田があるだけである。
でも蝶があんなに飛んでいることでほっとした。自然は放射能に汚染されても表面上は何ら変わっていないのである。だから俳句でも短歌でも詩にも絵にも写真にもなる。放射能汚染だからといって森の樹を全部を切って除染すべきだと学者が言うがそんなことしたら森がどうなるのか?むきだしの土のはげ山になってしまう。第一そんなことができるのかと思う。


橲原村というと何か隠棲するのには一番いい所であった。大原などもそうだったがあそこは車の通りが激しいからそんなにいい場所とは思えなかった。今はどこでも車が騒々しくするから隠棲するのにふさわしい場所はまれである。ただ橲原村というときその場の雰囲気を知るのにはどうしても一回はたずねる必要がある。テレビとかではわからない、なぜならテレビを見て俳句や短歌を作れないからだ。確かに震災の映像を津波の被害の映像を見て作ったがやはりリアルな表現に写生の表現にはなりにくい、真実味が出てこないのだ。ともかく橲原村でも大原村でも人が流出すると村自体がなくなる危機になるかもしれない、前から山の暮らしは単に単に風流で見ているならいいが実際に暮らす人には大変だった。だから保障さえあればこのさえ街に出ようとする人が増えてくるかもしれない、回りの人がいなくなると余計に住みにくくなるからだ。今回のことで不思議なのはこうしてなれ親しんだ所に住んでいた人がいなくなるという不思議である。最後の見納めのように見ている不思議である。大げさになると人類最後の日を見ている、人が住まなくなるということはそういうことでもある。

まあ、人類がいなくなっても放射能汚染でも自然は残るし回復する。死に絶えることなどないのだ。自然のスケ-ルは千年から一万年だからそのうちにまた回復するからだ。だからその間に人間の住む街や村が消えても不思議ではないのかもしれない、こんなとき俳句など作っているのがおかしいのかもしれない、ただ習慣で作ってきたから作っているのだ。それもやはり自然が別に枯れてもいない表面上は同じだから作れるのである。ただこういうとき俳句とか短歌を作るために見て歩くというのは不遜になるのかもしれない,みんな困っているとしたらそうである。ただ報告として出しているのである。

posted by 老鶯 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連