2011年06月01日

JRの代行バスで仙台まで行く(浜吉田駅まで津波が来ていた)


仙台まで行く(浜吉田駅まで津波が来ていた)

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向こうに見えるのは磯部の海である。かなりの段差があることがわかる。津波で土地の高低がはっきりしたし地盤沈下もしたので水がたまりやすくなっている。


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山下駅から海までは壊滅していた。六号線まで津波がおしよせた。山下町の被害は大きかった。この津波の被害は写真だけではテレビの映像だけでも実感としてわかりにくい。物見遊山で行くのもなんだが実感として知るには現場をじかに見ないとわからない、そして津波の被害にあった人に直接話を聞くとさらに実感する。テレビで見るより生々しくなるのだ。そうすると本当に共感することができる。ただそういうところにはボランティアなどしないと行けない、ボランティアは無駄ではない、ガレキをかたづけ泥をかき分けてみると被害にあった人たちと共感できるのだ。ただ写真だけをとりに行くようだと嫌がられるかもしれない、ただ実感したいなら現場に行かないかぎり本当の共感は生まれないだろう。宮城県でも海岸沿いが実際に行っているからどうなったのか知りたいのでまた行ってみよう。

 


今日仙台に行ってきた。相馬の道の駅があるところから磯部の方を見ると嵐で大雨になった水がたまって津波きて水に満たされた同じ状態になっている。そして六号線からみると磯部に近い方はかなり低い。地盤沈下してさらに低くなったのかもしれない、それであんなに湖のように水がたまってしまった。おそらく海の潮水が入り雨水がたまり淡水湖のようになる。それは北海道に多い。海の近くの湖は淡水湖になりやすいのは潮水に雨水がたまるからである。どうして湖ができたのか原初の状態が再現されたから不思議である。今回の津波はいろいろ興味深いことが解明された。次のサイトが面白い。

先人たちは、津波をよけて街道・宿場町を作った
http://tokyotimetravel.wordpress.com/2011/04/24/
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本当に意外と相馬から亘理から岩沼とかまで津波は奥深く押し寄せていた。そして昔の宿場となっているところまでは津波は来ていない、昔の街道には津波は来ていない、相馬から原町宿までもなぜ鹿島の一石坂のような急峻な坂を上る街道になったのかわかりにくい。でもあの坂を上らないで山裾を回った所は津波が来ていたのである。不思議に津波をさけたような山裾の道を旧街道になっていた。浜街道は六号線のように津波が来るような道を通っていなことは確かである。

新地駅-坂本駅-山下駅-浜吉田駅まで津波がおしよせてきたし亘理でも駅近くまでおしよせた。あの辺は海が見えないので海を意識していなかったが近かったのである。浜吉田も浜とついているから近かった。あの駅まで津波が押し寄せた。


壊滅した線区では駅舎はもとより路盤から築く必要があるので、新線を敷設する
のと同じくらいの規模の工事になります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1058670280


常磐線は当分開通しない、それも何年とかなると長い。代行バスが出るようになった。亘理まで30分間隔とかで出ているから便利である。切符も相馬から千円にもならず仙台まで行けるから仙台までの足は確保できた。ただ原町から鹿島の便は少ない、それから快速でないと昔の駅の所に停まるので時間がかかる。快速だと亘理まで50分でありすぐに亘理駅から仙台まげ行けるから便利である。だから仙台に行くのそれほど不便を感じないだろう。
当分はバスの利用であり本当に開通はいつになるのか?その先は長くなるし開通するのかどうかすらわからなくなっている。

posted by 老鶯 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2011年06月02日

夏の海-常磐線は消えるのか?(海が見えた駅は津波が来た)


常磐線は消えるのか?(海が見えた駅は津波が来た)

相馬出て尼鷺見ゆる植田かな


山下駅出勤の人や菖蒲かな


久々に遠出するかなバスの外ノカンゾウの群れ咲くを見ゆ


新地駅坂本駅や山下駅津波に消えて夏の海見ゆ


新地駅通過の電車まちあわせ数分の間下り虫の音聞きぬ


やっぱり海が見えた所は海が近く津波の被害があった。海が見えるのは新地駅くらいであり常磐線は海にそっているけど海が見える地域が少ない、山下駅からあとは海が見えない、でも坂本駅から浜吉田駅まで津波で浸水した。松原になり海が見えないから海を意識しなかった。
亘理駅にしても鳥の海までそれほど遠くないから津波の被害が大きかった。富岡駅も海が見えるから津波の被害があった。末続駅までも津波が来たのか?駅そのものは津波にのまれてはいない、あそこから海は見えるがかなた高い所である。それでも今回は高いなと思っても津波の被害があった。地形により津波は高くなる。やはり常磐線で海が見えた地域は駅は津波の被害にあった。四倉は被害があっても家がかなり残っているから被害が少なかったみたいだ。あそこは砂浜の面積が広いからそれが影響して街が海岸に接しても壊滅状態にはなっていない。壊滅状態になった所は家の土台しか残っていない、この辺では磯部とか海老とか烏崎であった。山元町もひどかった。


そして不思議なのは家とか松原がなくなった結果、広々として海が見えるようになった。景色が変わってしまった。磯部の方面への所もまた雨がふって広々とした海のようになっていた。かなり低い所でありさらに地盤沈下したためだろう。相馬から亘理までは元のようには線路は作れないだろうという、迂回して六号線の西に線路をもってゆく案が出されている。でもこれは新線を作ると同じだから容易ではない、それだけ作って元がとれるとか考えるだろう。パスは割安になる。寸断された常磐線は原発事故もあるしいつ復旧するか全く見通しがたたないし廃線になる区間も出てくるかもしれない、その他も三陸方面の線もなくなるかもしれない、そういうことか想像もできなかった。この世に永久に存在するものはないのかもしれない、常磐線がなくなるなど考えた人もいないだろう。過疎化してなくなる線もあるが常磐線がなくなるとは誰も思っていなかった。


今度常磐線が六号線の西にできたらそこから広々とした海が見えるから景色としてはいい。浜通りと言っても電車から海が見えるのはほんの一部だった。それは松原とか家にさえぎられていたからだった。自然の風景が津波で変わってしまうことの驚きである。常磐線とかでも電車の旅が長かったから思い出深い。線路にそって旅した時間が長い。常磐線は日常的に使うものだから旅で乗るのとは違っている。鉄道の旅が長いからマニア的になった所もあった。
北海道では廃線になった所が実に多い、そこに記念としてここに駅があったとか残っている。
そんなふうに常磐線もなってしまうのか?これも本当に信じられないことである。


新地駅は交換の待ち合わせで長く停まることが多い。そこでホ-ムに下りたりしていた。海が近くても集落があり家並にさえぎられて見えないのである。小さな川があるところからわずかに見えるだけだった。日本は海に囲まれていても松原があるから海が見えなくなっていた。あれだけ広々とした海が見えたら夏は涼しく気持ちいいことは確かである。松原も良かったあれだけ遠くから海が見えることは新しい風景を津波が再現したのである。


ともかく今や異常なことが多すぎる。相馬市から南、原発から30キロ圏内は田植えしていない!
そこには田植えしていたさ必ず白鷺が飛んでいた。その鷺がどこに行ってしまうのだろうかと思う。もちろん阿武隈高原の葛尾(かつろう)村とか飯館村でも田植えをしていない、広大な地域が田植えしていない、そこに鷺は飛んでいない、見かけないのだ。青鷺など見かけたがあれは足が長いから沼などで餌をとれるのかもしれない、白鷺は足が短いから沼なのでは餌をとれないだろう。尼鷺は南から渡ってくる。相馬を出て北に行くと田植えしていたから見かけた。
あれは沖縄で水牛の側を歩いているのをみかけた。ただ田植えができるようになったら鷺は確実に戻ってくる。自然まで変わり田までなくなる異常な光景になった。田植えができなくなるということは飢饉でもありえなかったろう。なぜなら江戸時代のような自給自足の社会ではそれでは死んでしまうからである。だから何があっても田畑をやめるわけにはいかない、自前で作らない限り死ぬからだ。その時遠くからは食料は入ってこないし買うこともできないからだ。

2011年06月03日

津浪が明かにした日本列島の地形のダイナミズム (奈良盆地は海湾→海水湖→淡水湖→盆地に変化した)


津浪が明かにした日本列島の地形のダイナミズム
(奈良盆地は海湾→海水湖→淡水湖→盆地に変化した)

人が住むところに道ができるのは当たり前だが、ではなぜ「山の辺の道」は標高60m〜70mの高度を保ちながら三輪山の山麓をめぐっているのだろうか。その理由を大和湖の存在に求める学者がいる。三輪山麓に人類が住みついた縄文前期の約6千年前、大和盆地にはまだ巨大な淡水湖が存在し、その湖岸にできた道が山辺の道の最初の姿だというのだ。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=201616


地図
http://yamatai.cside.com/katudou/bonntiko.htm


後に紀伊半島の地盤隆起に従って、大和平野の地盤は次第に海面から離れて行くことになった。(中略)つまり、大和盆地はもと湖であったが、地盤の隆起につれて排水が進行すると湖面が次第に低下し、最後には干上がって浅い摺鉢状の盆地になったと理解されます。(樋口清之「日本古典の信憑性」『国学院大学日本文化研究所紀要』第十七輯
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kaguyama.html


奈良のカラ-の地形図
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html

大阪平野、山城平野、奈良盆地は太古は海だった。その海がしだいにしりぞいてゆき今の地形が形成された
海湾→海水湖→淡水湖→盆地


大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ

海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


この歌はまさに太古の情景が作者のイメ-ジの中にあり作られた。極めて日本の典型的な地形の歌だった。国見をしたら海原が見えとは海が実際に奈良盆地までつづいていた。そして群山があるのも極めて日本的である。今回の津波の驚きは海湾→海水湖→淡水湖が再現された。写真にとった磯部方面の田が津波で冠水して広大な海湾になった。次に海の水はひいたが大雨になり雨水がたまり広大な淡水湖になった。それから奈良盆地になったというのはここではない、その変化のスケ-ルは余りにも大きかった。でも今回の大津波で自然の変化のスケ-ルの大きさを実感した。こんなことがありうるのだということを実感した。

日本最古の山辺の道は太古の盆地湖をさけて山側に作られた道だった。その山辺の道にそって巨大な前方後円墳が並んでいる。代々の大和の王の墓が並んでいる。そこが日本の国の発祥地だった。


やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし


ここには海が欠けて山に囲まれた地をまほろばとしているが実際は海であったところが後退して盆地になったのだ。そうした自然の大きな変化のスケ-ルを読み込む必要がある。それが実感となったのが今回の津波の経験だった。


陸前浜街道も津波が来た所をさけて通っていたという発見もそうだった。常磐線の浜吉田駅から新地駅まで津波に襲われた。名取付近も奥深くまで津波に浸水してかつて海だった所であった。浜街道は広大な海であった所をさけて道が作られていた。これは奈良の山辺の道と同じだった。万葉集は太古の古代の地形の記録を残している雄大なものだった。それは失われた日本の地形を歌っていた。「 陸奥(みちのく)の、真野(まの)の草原(かやはら)、遠けども、面影(おもかげ)にして、見ゆといふものを-笠女郎-もそうである。津波で実際に塩崎まで潮水がおしよせた。そこに船着という地名があり船も流れてきたから驚きである。奈良の場合はさらにスケ-ルの大きい地の変化があったのだ。そういう視点をもつことはなかなかできない、でも今回の津波で現実化したからこういうこともありうるのだと実感した。海だったところが湖となり平地となりやがて山に囲まれた盆地になり大和(ヤマト)となった。その名残としして山辺の道が日本最古の道として残ったのである。そういうスケ-ルの大きな自然の変化から万葉集を読みまた歴史を解読することが必要なのだ。歴史でも太古から見ればそこにスケ-ルがいかに巨大かわかる。
津浪は恐るべき自然のドラマだった。津浪にのまれた人々もまた様々な語り尽くせないドラマと伝説を作った。こういうこと一生の間でもなかなか経験できないだろう。何百年と生きてしか経験できないことである。しかし自然の時間のスケ-ルは余りにも長く大きいから計り知れないものとなる。日本列島は実際に大陸とは違い桁外れに若いというのは本当なのだろう。だから絶え間なく地殻変動があり火山の爆発があり地震があり津浪が襲ってくるのだ。でもこれだけの津浪を経験するのは5百年に一回くらいとなるから歴史を忘れていたのである。


日本では現在の海岸線よりずっと内陸まで海になる時期が長くつづきました。縄文時代の貝塚が栃木県のような
内陸の山奥でも発見されるのはそのためです。そしてこれは現在の日本の海岸線がの多くが数千年前はには海底だったことを意味します。したがって海岸線はどこでも堅牢な岩盤ではなく土や泥が堆積してできたもろい地盤が多いのです。(広瀬隆)


これらの地域は、古東京湾の最も奥(今の渡瀬遊水池付近)につくられたものです(地図)
http://www.maibun.or.jp/qa/a21.html

こう分析して日本の原発は危険地帯にみんな建っているから危険だと警告しているのもわかる。つまりそうした千年とかのスケ-ルの歴史で見ないことが今回の原発事故を防げなかったの要因である。日本は大陸とは違い変動しやすい大地であり地形である。特に海に囲まれているから海の変化を受けやすい、それが津浪だったのである。


先人たちは、津波をよけて街道・宿場町を作った
http://tokyotimetravel.wordpress.com/2011/04/24/



 

posted by 老鶯 at 03:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年06月04日

田もないのに白鷺がいた!



高台に老鶯鳴くや昼間かな

田のなしに白鷺見つけほっとする


ヨシキリやせわしく我も暇のなし


この道の樅の木陰の深くして植田に白鷺餌あさるかも



昨日は相馬市に行ったけど磯部の方を見ていたら白鷺が一羽飛んできた。その時新鮮だった。白鷺は普通に見えるものだが今は見ることができない、白鷺は田んぼないと生きられないだろう。白鷺の餌は田んぼにいる蛙とか田んぼにいる生き物を食べている。


水鳥なので、カワセミのように、魚を食料とします。
他にどじょう、蛙、水生昆虫、サワガニ等です


現在は自然の小川などがない、コンクリ-トの側溝になっている。小川があるとそこではタニシやら水生昆虫でもメダカもいた。だから田がなくても小川があれば白鷺などは餌がある。
人間は便利だからとなぜ小川なども側溝にして破壊してしまうのだろうか?水の流れを良くするのはわかるが全部がそうなってしまって小川は消えた。


春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
二、

春の小川はさらさら流る。
蝦やめだかや小鮒の群に、
今日も一日ひなたに出でて
遊べ遊べと、ささやく如く。



兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷


まさにこういう故郷の風景があった。それが消失したことに故郷の人すら惜しいとも思わないのだろうか?ただすべて便利さだけを追求してそく社会だった。兎追いし・・・というときこの辺で結構兎が出てくるのだ。今でも出てくる。びっくりしたのは裏山で立っていたら後ろに兎がいたのである。兎はすぐ近くの山、里山にいる。町からほんのわずか離れた田んぼにもでてきたしこの前は六号線のすぐ近くにも出てきたので驚いた。兎は行動範囲が広いらしい。ぴょんぴょんと遠くまで飛び跳ねてくるのかもしれない、いづれにしろ今や本当にこの辺はどうなってしまうのだろうか?もう20キロ圏は住めなくなるとかやがけはチェルノブリのように森におおわれ自然の楽園になるとか?動物の楽園になるとか言われる。様々な憶測をもって言われる。


白鷺なんかは別に人間がいなくてもそこに川や小川や餌があればいなくなることはない、つまり人間がいなくなっても動物は生きている。放射能で動物や生物でも植物でも死に絶えることなどない、現実に今日田植えされていない土がむきだしの所に白鷺一羽をみかけた。雨がふって水たまりができたからそこに蛙などがいたのかもしれない、蛙は鳴いているからいなくなったわけではない、不思議なのはそうしていくら放射能で汚染されても生物が死に絶える訳ではない、・・・ということは人間も生物だから動物や植物が生きている所には住めるのではないか?チェルノブリではただ老人だけが住んで死んでいった。老人は放射能の影響を受けない、癌になるといってもほとんど同じ割合で癌になる。そうなら慣れ親しんだ所にいた方がいいとなる。現実にチェルノブリでは老人などは移住した人がその心労や何やらで死んだ人が多いというのもわかる。ともかく放射能というのは目にも見えないしわからないから憶測ばかりが多すぎる。一ミリシ-ベルトから20ミリシ-ベルトと危険の範囲の差が大きすぎるのもそのためである。学者すら低い放射線や晩発性障害については何もデ-タ-もないしわからないからそうなっているのだ。福島人は放射能のモルモットだと言われるのもそのためである。まあ、自分なんか放射能をそんなに恐れない、子供は何倍の影響があるから避難するほかない、そうすると世代間で放射能に対する対処が違ってくるから困る。老人より次の世代の子供の方が大事だとなるのもわかる。飯館村などでも老人は最後まで居残ることは確かである。


白鷺がいるのは当たり前だった樅の林がありその木陰が広く涼しかった。その前に田んぼがあり静かに白鷺が餌を漁っている。これは当たり前の光景だった。相馬市のあそこが樅の林だったということは今気づいた。相馬市で田植えをした。でもその米をが他に売ることはむずかしいだろうと言われる。そうなら地元の人を食べろとなるが子供はまずいとなる、家族で食べられないとなるとどうなるのか?老人は食べてもいいのだ。内部被曝と言ってもさほど影響ないのである。


高台に老鶯が鳴いていた。低地に人はもともと住んでいない、湿地帯とか虫の害があり人類はもともと高台に先に住んだ。ヨ-ロッパでも丘のようにな所に街があるのもそのためだった。低地は文明が進んでから人が住むようになったのである。

東南の風が本流となり飯館村に放射性物質を運んだ


東南の風が本流となり飯館村に放射性物質を運んだ

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http://hamanora.blog.ocn.ne.jp/kaiin02/

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一の図と下の自分が描いた図は風の流れと一致する。3月15日の福島原発からの放射性物質は東南の風にのって浪江の赤字木(あこうぎ)椚平(くぬぎたいら)辺りに一番多く放射性物質を運んだ。その時そこに雪が降ったから余計にそこに堆積したのだ。太い赤い線が大きな強い風の流れだった。それが放射性物質の本流の流れを形成した。そして塩浸(しおひで)が別れ道であり風の別れ道にもなった。だから津島も放射線量が際立って高くなった。塩浸から広い道がありそこを風が流れた。塩浸から手七朗方面に流れた風は本流の風である。東南東の風でありそれは谷間を通り道にして流れ飯館村まで放射性物質を大量に運んだ。ただ距離があるからその時相当強い風が吹いたのか?津島だったら距離がないから風で大量に運ばれるのがわかる。飯館とかさらに霊山辺りになると遠い。福島市になるとさらに遠いから風の流れがどうなっているのかわかりにくい、段差も関係していた。高いところから低いところ風は流れやすい、山から風が吹き下ろす、そうすると飯館は標高が高いからその段差があって福島市の方面に吹いた風が放射性物質を運んだ。八木沢峠から吹き下ろした風が谷間を通り大原の大葦辺りに放射性物質を運んだ。だからその辺にある家も計画的避難地域に指定してくれとなる。放射線量が高いからだ。それから橲原渓谷を風は下り南相馬市の橲原村も高くなった。これは風の方向からもわかりやすい、地形からもわかりやすい。


でもわからないのが田村市の三春が放射線量が低いことなど風の流れや地形がどう関係したかわかりにくい、葛尾(かつろう)村は一時期高い時があったが津島と隣り合わせなのに今は低いのはなぜか?これも風の流れから分析すると葛尾(かつろう)村は高瀬川にそって流れた風に影響された。そこはかなり急峻であり風をさえぎった。方向的にも東南の風とはちょっとずれている。都路はまた隣だが山にさえぎられている。つまり飯館村に吹く本流の強い大きな風とは違う風が吹いたのかもしれない、伊達市の霊山辺りも風の流れは本流の流れにそっていてわかりやすい、わかりにくいのは二本松市とか郡山市とか白河市とか田村市である。福島市はわかるにしても本流の風の突き当たりになり盆地だから滞留したことはイメ-ジできる。ところが郡山市がなぜ高いのかとなるとわかりにくい、白河も結構高いから一旦白河に風が流れてその白河から福島市の方に風が吹いて阿武隈川をそって福島市に流れたと分析する人もいた。
白河の風の方向は茨城方面の平野から吹くのが多いからだ。でもその時は福島県では西風とか北風が吹く、東南の風が本流の流れを作ったとするとむしろ福島市に滞留した放射性物質が阿武隈川にそって郡山市に流れて白河市に流れたとみるのが自然なのかもしれない、放射線量も郡山>白河になっているからだ。もし白河から郡山に流れたなら白河市の方がもっと放射線量が持続して高くなっているはずである。


放射性物質はやはり爆発したり一気にもれたときの風の流れが影響して地形が影響した。海側は放射線量が低かったのは海に風で流れたからである。30キロ圏内の避難指示は地下水の汚染などや警戒地域として設定された。飯館村や浪江の山中は原発の地下水の影響はないからだ。放射性物質の流れはやはりその時の風の方向で明暗を分けた。地形も影響したことは確かである。谷間は風を吸い込むような働きもするし段差のある山の頂上からは風が吹き下ろし谷間に沿って吹いてくる。実際に四国の祖谷のかづら橋の袂に吹いてきた風は相当に低い場所から海の方向から吹いてきたかもしれない、あそこは相当に奥であり高い地域である。だから飯館村も標高が高いから海からの東南の風が谷間に沿って吹き上ってくることはありえたのである。祖谷(いや)でも谷間が切れ込んで深いからそこから高知の海であれ瀬戸内海からも風が吹き上げてくることはありうる。山が高いだけに谷も深いからだ。ただ風の流れは本当にとらえにくい、それが今回の放射性物質が福島市とか郡山市に高かった謎を作り出したのである。


詳しい地図とグラフをを集めたサイト
http://hamanora.blog.ocn.ne.jp/kaiin02/

posted by 老鶯 at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 飯館村

2011年06月05日

仙台平野の津浪の歴史

仙台平野の津浪の歴史
 


 
長稱寺記録によると慶長十六年(1611)大津波があり、寛永九年(16
32)二木村から七軒の百姓が井土浜のこの地に移住し荒地を開墾、草分け百
姓になったという。

仙台市・三本塚の旧集落は慶長津波によって荒廃し,長く放置された
という記録もある.我々は,以上のような歴史記録に残され

山元町と亘理町の調査測線沿いで,現在の海岸線からそれぞれ3 km,4 km内
陸まで追うことができた.従って,貞観津波は仙台平野南部(山元町・亘理町)において,少なくとも 2−3kmの遡上距離を持っていたということになる.
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf


古老の話によると、慶長津波の後に福島県相馬地方の武士であった相澤家、
大友家、柴崎家などが移住して中野集落ができたと言伝えられる。相馬の地名
にちなんで中村屋敷、吉田屋敷とよばれていた。この地は現在も住宅地である。

(六郷の会)
http://www.stks.city.sendai.jp/citizen/WebPages/wakachu/
archives/sagufuji.pdf


藤塚・井土両民が、潮風を防ぐため三十万本の松を植えた記念碑がある。石
碑は大正三年(1914)に建立された。
碑には、次のように記されている。両区で開拓が行なわれたが、潮風による


塩害に悩まされた。そのため六郷村山田甚助村長の尽力により、二十五町歩の
荒地(砂浜)に潮風を防ぐため三十万本の松を植林した
(六郷の会)



貞観津浪は今回津浪が押し寄せた地点とほぼ同じ地点にあった。浜堤という堆積物から証明された。それは相馬でも同じだった。今回と同じ規模の津浪が押し寄せていたのだ。その研究から最近警告されていた。福島原発でも貞観津浪のことがあるから津浪対策をしろと忠告されたが全く無視された。これは科学的に証明されたものだから現実味があった。ただ千年前ということであり起こり得ないと判断されたのである。

その後江戸時代にも津浪は仙台平野に押し寄せていた。仙台平野に慶長十六年(1611)に津浪がありより海岸に近い所が新たに開拓者入った。相馬藩でも開拓に入った。この頃日本全国が開拓であり土地を求めていたからそうした津浪で荒廃した地にも人が入ってきた。
人口を増やすのには開拓して土地を増やすしか日本では方法がなかった。だから危険な海側や荒廃した地でも土地があればそこで米作りをしたのである。仙台平野は広大であり貞山堀も作られて船げ米を輸送するように作られたが未完成で終わった。伊達藩の米倉となり江戸にも船で運ばれた。仙台平野の開拓により伊達藩の財政的な力を増大した。

津浪がありそのあとに混乱があり人の移動があり社会が動いた。それは今の状態とにている。

この津波が相当大きなもので記録に残された。津波のあとで開拓に入った。他の人も慶長津波の後に新しく開拓に入っている。名取もヌタリであり湿地帯が海の方に向かって広がっていたのだ。津波の後に伊達藩では開拓に入る人を必要とした。それで相馬藩からも呼んだとなるのか、相馬藩でも飢饉のとき人口が減り越中から人を呼んだからだ。相馬、相馬と草木もなびく・・・という民謡は相馬に人を呼ぶのために作られた。

農家をしている人は新しい土地を求めて移住して働けとかいわれるのもそのためである。原発事故の難民化した農民にも言われている。でも現代は農業一辺倒でないし高齢化しているからそれもままならないのである。ただ今回のような津浪が歴史的にふりかえれば500年前にあったし500年単位でみれば必ず大きな地震や津浪がきていたのである。だから山元町でも海に近いし新地や相馬もそうである。津浪は三陸違いここには来ないとしていたが実際は奥深くまで来ていた。その対策は全くちられておらず壊滅してしまった。

三十万本の松を植林したということはいかに塩害に悩まされていたかわかる。松原は景観のために作られたのではなく塩害を防ぐ実用的なものとして作られたのである。そうでなければ三十万本の松を植えない、それだけ塩害は大きいものだった。陸前高田市でも7万本の松が植えられ一本しか残らなかった。30万本の松も根こそぎ津浪でなぎたおされた。いたるところに松の残骸が今も無惨にさらされている。
posted by 老鶯 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

南相馬市鹿島区に移り住んだ浪江の人

 
南相馬市鹿島区に移り住んだ浪江の人

川俣町の小学校などが避難所へ指定され、同町へ至る国道114号は
住民のいわきナンバーの車が約950台、数珠つなぎになった


今浪江から移り住んでいる人に六号線のコンビニであった。その人は浪江の人だった。車のナンバ-見ているといわきナンバ-の車が多いことに最近気になっていた。どうしていわきナンバ-なのだろうといぶかっていた。なぜなら六号線は閉鎖されているし浪江町には避難区域で人は住んでいない、六号線を通らないとするとかなりの遠回りになる。中通りを回ったら遠回りである。その人は二本松に仕事に行っているという、二本松に会社を移したことも聞いている。二本松に通うとなるとまた大変である。



第1区 福島市、相馬市、南相馬市、伊達市、伊達郡、相馬郡
第5区 いわき市、双葉郡

なぜ浪江町がいわきナンバ-かというと双葉郡内に入っていて選挙区で区が違っていたからである。


旧・標葉郡
浪江町(なみえまち)
双葉町(ふたばまち)
大熊町(おおくままち)
葛尾村(かつらおむら)


旧・楢葉郡
富岡町(とみおかまち)
楢葉町(ならはまち)
広野町(ひろのまち)
川内村(かわうちむら)




標葉郡と楢葉郡とが一緒になって双葉郡になった。双葉町とか戦後できた名である。
双葉駅は元は長塚駅だった。双葉郡の選挙区福島県の5区になっているからいわきナンバ-になる。福島のナンバ-は一区だから福島になっている。いわきというと磐城太田駅や葛尾(かつろう)村の落合に磐城落合とかのバス停があるように磐城国に入っていた時があった。その後双葉郡は相馬藩内に入っている。旧楢葉郡は磐城藩の領域である。


その人は最初に防護服を来た人が爆発した時入ってきていたという、その人たちは国の関係の人たちだった。そして津島に逃げろと指示された。それは浪江町で指示したのであり国ではない、その時浪江の山の方に放射性物質が流れるとは思っていなかった。国の関係の人もわからなかった。だから相馬市に逃げた人も最初津島に逃げた。それは距離が遠いということで逃げたのである。ところが津島は放射線量が今でも本当に高い場所だった。国でも町でも放射線のことがその時わからなかったのである。その後浪江の人の移動がはじまった。その人は95才とかの祖母をかかえているのと子供が小学一年生をかかえていた。最初は会津に避難した。今でも祖母は会津に置いてきて鹿島区で空家を借りて二本松に仕事に通っている。空家がいま田舎でも多くなっているから家族の人数が多い場合は移り住むのにはいい。
ともかくなぜいわきナンバ-が多いのかと気になっていたが鹿島区であれ相馬市であれ浪江から移ってきた人がかなりいるのだた。そのためにいわきナンバ-の人が多いのである。相馬の方だと親戚とか知り合いとかいるから移る人が多いのだ。その人は前に鹿島に住んでいた。

いろいろ話してみると請戸は金持ちが多かったという。漁業権をもっていた人は東電からかなり保証金をもらっていた。でも船主でないともらえないとか言っていた。鹿島区でも火力発電所が建ったとき烏崎では金が入り町の呉服屋で高価な着物が売れたと聞いた。浪江では原発の下請けで働いていた人を知っている。浪江は思った以上に原発に近かった。10キロ圏内にも入っている地域があり請戸からは原発の煙突が見えていたのだ。


鹿島区や相馬市には浪江の人であれ移り住んでいる人が増えているのかもしれない、いわきナンバ-がこんなに多いということはそのためだった。仮設住宅も三百戸以上できているが今のところ入居した人も見ない、そこにも人が入ってくると外部から入ってくる人が増える。原町区避難準備地域で移り住みにくいし医療関係や学校などが正常化していないし仕事もできないなど住みにくくなった。浪江の人が会津から大阪まで避難したのをyoutubeで見たけど全国に散らばった人はこれからどうなるのか?一体いつ帰れるのだろうかとなる。田植えもできない田が広範囲に広がり異常な状態はいつまでつづくのか?鹿島区は移り住む人で人口が増える。
相馬市も増えている。


原発20キロ圏、警戒区域に 区域人口7万8千人


これだけの人が避難している。福島県外にも避難している。そういう異常な動乱状態がいまでつづくのか?原発事故の先が読めないから困るのだ。

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2011年06月06日

三陸の港の津波被害の短歌20首 (日本の地形から考える津波の被害)


三陸の港の津波被害の短歌20首
(日本の地形から考える津波の被害)

●短歌20首


野の浜を津浪襲いぬ年なれば漁師やめるとあわれなるかも


野の浜に暮らす歳月その漁師津浪のあとに思い出語る


小さなる漁港点々津浪きて暮らし奪いぬ誰か跡継ぐ


弁天島津浪防ぎぬ助け合う小竹の村や春の日暮れぬ


細々と小さき湊に暮らせしを無情の津浪なべて奪いぬ


水なくば水汲み運ぶ老人やたくましきかな村を支えぬ


小さななる湊にしあれ水揚げの喜びのありその日思いぬ


小さなる湊も代々受け継がれそもなくれば淋しかるべし


貧しさに身を寄せあいて暮らしける三陸の湊に無情の津浪


漁師として暮らす歳月長きかな小さき湊の愛しかるべし


残谷(のこりや)の地名を残し三陸を再三襲う津浪なるかも


高台に集落作り助かりぬ先人の形見石碑尊し


今日もまた津浪の残骸トラックに運ぶや尽きぬガレキの山かも


三陸の鉄道無惨に砕かれぬトンネルくぐり人歩み来ぬ


悲しみ尽きざりしかも万人の死を償うは何にあるべし


何故の犠牲なりしも天と地と海に慟哭のやまざりしかも


何をもて償うべしや万人の死の悲しみ尽きざりしかも


東北の海岸瀬や津浪あと語り尽くせぬ涙なるかも


七万の松なぎ倒し一本の松あ残して街壊滅す


今日も見ゆ松の残骸あわれかな故郷に長く立ちてありしも



●津波の被害を受けた海岸線の相違


今回の津浪の被害は神戸の地震とは根本的に違っていた。東北の第一次産業地帯を特に海岸線に被害が集中した。その海岸線でも仙台平野から名取から福島県の浜通りは三陸のリアス式海岸地帯とは様相や暮らしも違っていた。仙台平野は伊達藩時代から開拓された田が広がるところであり三陸の漁村とは違う。その広範囲な田が津波の被害を受けたのだから漁港の被害より農業の被害が大きい。塩害で田植えもできなくなった。実際に70万本もの松を塩害を防ぐために植えられた。その松が根こそぎなぎ倒された。その松は田と関係していた。青松白砂の美は塩害を防ぐために作られたものであり土地がないために海側に田を開拓したために作られた人工的美だった。確かに漁港もあったから漁港の被害も大きいのだが三陸は背後に平地がなく牡蠣とか漁業だけで暮らしている所だった。それも零細なものであった。それは日本的典型的風土から生まれた生業である。日本の地形は平地が少ない、山と三陸のような平地がない土地なのである。平地がないからやむを得ず狭い平地に集落を作る。津波にあっても高台は不便だから平地に家を建てることになる。仮設住宅すら建てる場所がない土地である。ただ豊かな漁場がありそんな不便なところでも暮らすようになった。


日本が小さな村が生活の基本になったのは共同体の基本になったのは日本の地形がそうしたのだ。三陸にしても小さな湊が多いというとき、小さな湾があり入江がありそこが港となるか他との港とは山にさえぎられ隔絶される。そもそも日本は山が多いから隣の村は山の向こうとなり行き来もままならないから小さな村で助け合い自給自足の生活を強いられた。坂は境になり村々は地形的に隔絶された。
ただ魚は米と交換する必要があり売らねばならないとなるとき漁業から商業に変化しやすいことはあった。漁師でも商売人になる素地はあった。牡鹿半島でも唐桑半島でも三陸でも点々と小さな漁港が隠れるようにある。日本はそうした小さな港や小さな村々が多いのである。そういう地域が今回の津波の被害を受けたのである。

NHKで放映していた。小竹浜は真正面に弁天島がありそれが津波をさえぎったので被害が少なかった。松島も島があり塩釜も入江が深く島々にさえぎられているから被害が少なかった。

松川浦でも原釜は海とじかに接しているから被害が大きかった。小高い山をうしろにかかえた松川浦に面した所は被害はあっても家ごと根こそぎ破壊されていない、被害の大きいところはどこも壊滅して家の土台しか残っていない、名取辺りからは直接海に面していて被害が大きかった。この辺では磯部-海老-烏崎が壊滅した。磯部は一軒の家もなくなった。ちょっとした地形で津波の被害は違っていた。東京湾は奥深いので津波の被害は少ないだろうというのは地形から見てそう言っている。ただ隅田川を津波がさかのぼっていた。川を通じて津波がさかのぼってくるから川のあるところは危険である。四倉では広い砂浜があって比較的被害が少なかったのか?海に直接面している久之浜などは被害が大きかった。やはり丘であれ広い砂浜であれ前に津波を和らげる緩衝地帯かあるといいみたいだ。波除けブロックや低い防波堤は何の役にもたたなかった。人間の力も地形そのものは変えられない、そこに防災の限界があるような気がする。


残谷(のこりや)とかの地名が残ったのも三陸らしい。つくづく津波の後にこの家は良く残ったな感心してし見てあるったからだ。つまり今回の津波はそうした想像だけではない、実感として切実に感じることが多かった。こんなことが本当にありうるのだということを実際に見たことが違っていた。そうでなければ切実にはならない、空想的なものとして終わっている。だから残谷(残り家)という地名まで残っていることの意味は重いのである。実際に街全体が破壊される残っている家がなくなった!残っている家は貴重だったのである。


女川町野々浜

posted by 老鶯 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2011年06月07日

20キロ圏内立入禁止区域の理不尽の謎(2) (動物を理不尽に殺すものは人間も理不尽に殺す)


20キロ圏内立入禁止区域の理不尽の謎(2)
(動物を理不尽に殺すものは人間も理不尽に殺す)

●原発事故の避難者は楽観的すぎないか?


「なぜ20キロ圏内が立入禁止にして動物まで殺処分にしたのですか」
「20キロ圏内は放射線が高いからだよ」
「30キロ圏内でも10キロ圏内でも低い所はありますよ、1・0以下の所がありますよ」
「20キロ圏内は近いのだからいつ危険な状態になるかわからない、警戒のためだよ」
「そうすると南相馬市の一部のように避難準備地域で別に住民を全部追い出して住まわせない立入禁止区域にする必要はない、動物までみな殺しにするのは残酷でしょう」
「それはしかたないことだよ、原発がいつ爆発するかわからないんだから・・・」
「そのことは今のところははっきりと予測できないでしょう、住民にとっては住めなくなり体育館に避難していることがどれだけ辛いことかわかりますか」
なぜ放射線量の低い所にわざわざ大業な防護服を着させて20キロ圏内に入らせているのですか そんなに危険な所ですか?浪江山中のの赤字木ならわかりますがず1・0マイクロシ-ベルの所にそんな防護服着させる必要があるのですか、そうさせているのは政府であり20キロ圏内は特別危険だからみんなに知らせるためにそうしている、それが政府の何か意図がありそうさせていると地元でなくても全国の人も見ているんですよ、そのものものしい姿は原発の中ならわかりますがね・・・」
「政府に意図などありませんよ、危険だからそうしているだけですよ」
「放射線量からしたら危険とはならない、そこが納得いかないんですよ、理屈的にわからないんです」
「しつこいな、20キロ圏内はもう何十年もすめない・・」
「それはどうしてですか?」
「原発から近いし危険地帯であり放射線量は減らない」
「放射線量が10キロ圏内でも低い所がありますよ」
「地下水なども汚染されているし専門家でないとわからないことなんだよ」
「なるほど専門家ですね、専門家が出てきたらすべて素人は何も言えない、立入禁止と言えばそうなるし動物も殺処分にされる、専門家に言わせているのは政府じゃないですか?」


「近い内に帰れるよ、原発事故もまもなくおさまるだろう、そしたらみんな帰れるよ、政府も国策でやったことだし東電もあるし保証はされるよ、一時的なものだからもう少しの辛抱だ」
「いや、あなたたちはだまされている、政府と東電にだまされている、あなたたちはもう故郷には帰れない・・・」
「放射線量は高くないのに・・・」
「そういうことは関係ないよ、とにかくわからないけど20キロ圏内立入禁止区域でこの何十年もそうだよ、チェルノブリは今でもそうなっているように」
「本当に帰れない、土地も家も仕事も奪われて飼っていた牛も殺されて・・・でも保証はあるだろう」
「百万くらいで終わりかもしれんよ、そんなに東電でも政府でも払えないよ、法律的には天災になり人災だという証拠はなかなか証明できないよ」
「そんなことないよ、いや、あなたたちは政府や東電がどれだけ力をもっているかわかるかい、今度のことでわかったろ、自分の家や土地にすら入ることもできなくなった、入ったら警察に逮捕され罰金までとられる、こんな理不尽なことがあるかい、でも検察も政府側に立つんだよ、そしたら裁判では負けるに決まっている、つまりあなたたちは端金で土地も家も仕事も奪われて自分の家族の一員だった牛でもペットも殺されたようあなたたちもそれと同じ運命になるんだよ」
「馬鹿な、そんなことありえないよ、むしろ手厚い政府の保護あるとうらやましがられているからな・・・」
「それは甘いな、政府も東電も自分を守るために非情だよ、国民だってあいつらは原発で得していたんだからということをしきりに言う人がいるからな、世論は必ずしも原発誘致した地元の人の味方とは限らないよ、政府で保証金払うとしたら国民の税金だから国民も原発の避難者のために払いたくないともなるしな・・・」


「ええ、帰れなかったらどうするんだ、浪江から南相馬市の方に避難してきたけど二本松に会社を移したからそこまで通いつづけねばならないのか?90才のばあちゃんは会津の避難所に置いたままだし子供のことがあるから避難したけど浪江に帰れないとしたらどうなるんだ・・・
二本松まで通いつづけられないよ・・・・・」



20キロ圏内立入禁止にしたことがなぜなのか?そのことが理屈としてもわからない、素人には放射能のことはわからないというが放射線量はわかる。10キロ圏内でも低い所はある。浪江の山中の赤字木(あこうぎ)からその周辺や飯館村の長泥ならわかるけどそれ意外は何を基準にしているのかわからない?政府でも明確に説明していない、だから核の廃棄場にするだとか何か政府の意図があるのだと疑う人もいる。人が住まなくなることは政府や東電にとって何か都合がいいことがあるのか?それでも保証金の問題もあるから避難した人を放置するわけにはいかない、でも百万くらいで打ち切り放置されるとしたら20キロ圏内の人は悲惨である。犠牲者にされる。30キロ圏外でも自分も犠牲者の一人である。政府の権力は強いのだから逆らうことはできない、そしてただ犠牲者にされるだけなのか?そのことを追求している人も少ない、メデアは東電などから多額の宣伝費をもらっているからそうしたことは追求しない、かわいそうだなとかは放送するがあくまでもおなみだ頂戴で終わりである。事の真相はマスメデアは追求しない、もしそういうチェック機能があったら原発のことをもっと批判していただろう。そいうことは全くなかった。完全に原子力村にしきられて一言も批判できないし安全神話を作ってきたのもマスメデアである。そうなると結局20キロ圏内立入禁止とか避難準備地域とかなぜ南相馬市など放射線量が低いのにそうした指示で取り仕切られているのかわからないのだ。


●動物を理不尽に殺すものは人間も理不尽に殺す


半径20キロの圏内に、家畜のウシ3300頭やブタ、ニワトリなど計65万匹以上が取り残されているとみられることが、福島県の調べでわかった。大半は死んでいるとみられる。



私が、自分の脳で2週間、悩み苦しんだ末にわかった真実は、動物たちの殺処分だけでなく、この原発から20キロ圏内に暮らしていた福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしているのである。そのことに私はようやく気付いた。


補償金など数百万円にもならず、農家の場合は、「農協を通して実額で損害額を請求せよ」という残酷なものである。 東電が自分たちに思
いやりをもって、処遇してくれるであろうと、自分たち原発避難民や住民たちは、勝手に甘いことを考えている者たちもいる。自分たちが、実質、口封じされ、猿ぐつわを咬(かま)まされ、殺処分されつつあるのだということに気付かない。しかし、本能で、勘づいている。

http://ski.vitaljapan.net/?eid=1283070



これが現実になろうとしたら恐るべきことである。今回起きたことは平時と違う,津波もそうだし原発事故もそうである。平時的感覚では対処できない、そして事の真相はやはり原発安全神話を作られたように隠されている。秘密裏に行われている。一見被害にあった地元の人が強いように見えるし権利を主張できるように見える。でも現実に地元の政治家が原発を誘致して利権にあづかったのだから政治家は政府や東電の味方になる。そういう人がどうして住民の権利を代弁できるのだろうか?もちろん地元の雑誌であれ放送局であれいろいろ報道しても何かそうした真実を追求はしないことは確かである。だから真相はいつも闇になってしまうのだ。背後に圧力かけるアメリカなどが表にでないからである。国際機関もアメリカの手先だというのもそのためである。今回も国際機関がレベル7にしたというのもそのためである。
楽観的だというとき危機を言う人がいなこともある。津波にしても危機感がたりなかった。平和がつづくと危機感がなくなる。だから原発事故でも危機感はないし立入禁止になってもすぐに帰れると楽観的であり危機感がたりないのである。また当事者意外は見物人化するから危機感をもてないのである。そのうちいつのまにか見捨てられ殺処分にされる。そしてあとでなぜこうなったのかとか時はすでに遅しとなる。


動物が人によって飼い馴らされ
貧困と困難の末に話しだしたとき
避雷針によって非常に有害な稲妻は
地面からとられて空中に浮かぶ
(ノストラダムの予言)


このように動物はある意味ですでに人間化した動物であり今のペットは家族の一員と化している。実際に話しだしているのだ。人間の心を持ち人間と話し通じ合っている。
「貧困と困難の末に話しだしたとき」と言っているがまさに何度も放送されている。ペットが飼い主が車で去ってゆくときなんとか一緒に連れていってくれとよってきて話そうとしてしいたとかペットとの辛い別れを聞くし見ている。避雷針によって非常に有害な稲妻は・・とは電気のことである。東電の電気のことであり地面からとられて空中に浮かぶとは原子力発電所の電気であり空中に浮かぶとは放射性物質が空にばらまかれたことなのである。予言にはこじつけがあるにしろそれなりに現在の状況にマッチしているのだ。動物を殺すものは人間も容易に殺す、原発事故の避難者は政府と東電に殺処分にされるかもしれない、それだけ政府と会社の権力は大きなものなのである。だから一地域など簡単に見殺しにされる危険がある。それは戦争で犠牲にされた日本民衆ともにているかもしれない、今は確かに動物が犠牲にされた、その動物にしたって人間に近いすでに人間の心をもった動物である。それを殺した時、その怨念はその土地に残るし人にもふりかかる。つまりそこは呪われた土地になり人間にも呪いがふりかかってくることはまちがいない。


神と生き物は一体であり無闇に人間が殺せば神が許さない、恐ろしい罰が与えられるかもしれない、今回の津波にしても何か人間の力を越えた力が働いた。それは天罰だったのか何かわからない、でも人間を超えた力が働く場合があることを実際の経験として知った。原発事故だって人間の傲慢に与えた神からの罰とも考えられる。20キロ圏内をそんなに簡単に立入禁止にして動物を勝手に殺処分したことは許されるのか?その罪は非常に重いし神に自然に復讐されるかもしれない、そういう畏れを感じなくなったこと無視していることがやはり津波とか原発事故とか関係しているかもしれないのだ。今回の大津波にはそうした人間を超えた大きな力を神の力を感じた。それは人間の作った文明など一撃で木っ端みじんにしてしまう恐るべきものだった。さらに勝手に動物を殺処分にしていると恐るべき罰が人間に下されるかもしれない、そういう畏れが今やなくなっている。そこがまた恐ろしい結果となって現れたことはありうるのだ。

posted by 老鶯 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月08日

20キロ圏内立入禁止の理不尽(3) (地下水汚染のため?-明確な説明がされない)


20キロ圏内立入禁止の理不尽(3)
(地下水汚染のため?-明確な説明がされない)


●戦争のときもあった理不尽な強制


ユダヤ人も、最初の頃に捕まって貨物列車で運ばれた人達は、
ちょっと事情聴取されるか作業が課せられるだけで、早く帰れると思ってたんだよね。


土壌汚染マップに応じて、陸ではイスラエルの壁のようなものが、不定形で建築され隔離
されると思う。100年とかの単位かもしれない。塀の外は土壌の入れ替えや作物による
放射性物質の吸収などが行われると思う。


これが旧ソ連だったら住民が戻らないように
家屋を破壊されて、ペットも家畜も全部殺処分だぞ


土壌の入れ替えしても無理だよ。これから地下水脈に侵入するんだから。
どんだけの汚染された土の量やねんw


昔の満州と同じ。
無敵関東軍がいるから、絶対大丈夫と長年言い続け、東北出身の大勢の日本人が住み着いた。
ある時、不意に、列車に乗って、全員脱出しろと軍に言われて、危険なのかと聞くと、
念のため、とりあえずだと言われる。結局拒否。危険でもないのに、脱出の必要はない。
そしたら、軍は軍人家族だけを列車で脱出させた。
全員を逃がせる列車はなかったから、ペテンにかけて、軍人家族だけをうまく逃がしたわけだ。
残った一般日本人は、中国人の襲撃で、ぼろぼっろ。

東北人は本当に間抜けだ。

そういう無責任な政府だから制空権を完全に奪われても

保身の為に戦争を続けて
原爆x2や沖縄や日本大空襲のような悲劇を招いた
今の民主政権と重なるわ


戦争(原発)開始自体は当時の状況考えると間違っていなかったが
危険なものに対して国民守る意識が利権の為に欠如しているが諸悪の根源

戦争を続けた東条のように菅やミンス政権、東電幹部や保安員幹部、
御用学者は重過失の戦犯として裁かれるべき


土壌は入れ換えても農業は完全に無理。燃料棒が溶解してどんどん地下に進行してる。
水脈から一気に拡散する。

上司から、違法行為を命じられた警察官は、
その違法行為が、発覚しかけると、口封じのため、
仲間の警察官によって、殺害されている。
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1307221957/

 



20キロ圏内の強制的に避難させられた人は帰れると思っている。そう長いことではないと思っている。政府でも帰れないとは言わない、たまたま何十年も帰れないと言ったのは本心がもれたためだというのもわかる。避難させられた人たちは深刻に考えていない、一時のことであり
帰れると思っている。でも何か変だとも思っている。なかなか自分達の置かれた状態を理解しない人たちも多いだろう。自分も本当に今回は津波であれ原発事故から一体何が起こったのか理解できない、これは家族が認知症になってから身の回りに起こったこともそうだった。様々な悪いことばかり起こったからだ。一体これは何なのだろうと未だに理解できない、そういう状態にあるのかもしれない、でも人間は突然そうした最悪の状態に強制的にもちこまれることがありうる。それが戦争の例だったのだろう。単に一時のことだと思っていたがそうでとはなかったし命まで奪われることになった。

政府の命令でそうなり命令した人は逃げて助かった。それは東電の人が爆発したとき逃げたのとにている。残った50人は称賛されている。命令する政府が緊急の場合は自分のことの方が大事であり命令しても責任はとらない、原子力の村の人たちも誰一人事故の責任をとらない、とらされたのは地元の住民である。原発で利権を得ていたから自業自得だとか今になって責められる。国民も必ずしも全部が同情するわけではない、だから動物が殺処分にされたように20キロ圏内の人たちもそうさせられることはありうる。平和時にそういうことがありうるのか戦争ではない、でもこうした平時ではない、ある意味で戦争状態のような時には満州で起きたようなことが起きる。政府自体が東電自体もう機能しなくなっていた。そしたら命令することさえできない、現場の所長も生きるか死ぬかだったと言っていた。そういうとき現場の人は爆発した原子炉を見ているのだから凄い恐怖心があったことがわかる。離れていればそういう恐怖心はない、そして放射能のことを知らない人は余計にない、自分も全くしらないから爆発したとき外に出歩いていた。しかし原子炉を見ていた人の恐怖は凄いものだったろう。その人たち放射能の危険を知っていたから当然逃げる人もいたのである。

ここに警察のことを出ていたがこういうこともありうる、警察でも検察でもきれいごとではすまない、どろどろしたものがある。権力にかかわる
ものはそういう一面が必ずある。政治家が汚いというときどうしても利権にかかわるからそうなる。利権にかかわるものはみんなそうなる。宗教団体でも利権団体だから汚いものがある。利権を追求している組織は大なり小なり汚いものをがある。
表面ではきれいごとを言っても裏ではそうではない、権力を追求するものはそれぞれ命懸けであり敵を抹殺しなければ生きていけない、それは戦後時代から同じだろう。共産主義の粛清で殺された人はどれだけいるのか、中国では一千万人殺されたとかなるから一地域の住民が殺処分に犠牲にされることはありうる。そんなことをしないだろうとかやはり甘い見通しのなかで避難生活しているのだろう。現実に地元の政治家は原発利権にあづかった人たちであり何ら避難した人たちを助けない、見捨てているではないか?だから見捨てられることはありうるのだ。


●20キロ圏内の立入禁止は地下水汚染のため


僕は北海道旭川市の生まれですが、核廃棄物最終処理場が予定されていた、北海道幌延町において、それが住民投票で破棄されたのは、地下水脈汚染の問題があったからなのですよね。


地下水は何十キロと、水脈が繋がっているからです。

↓下は、臨界の時に出てくるセシウムが地下水に流れ込んだということでしょう。


地下水も河川水と同じように高い所から低い所へ流れます。
http://blog.goo.ne.jp/hiroyasu-king/e/b9b4c40e69bb70317f44a753f3021f41


地下水脈は数十キロという長さで流れています.
そして一度出た放射性物質は全て地下に向かってゆきます.
地上にあるものの行きどころは全て地下なのです.
場所によることは確かですが, 地下水が安全. 土壌が濾過するという認識は正しくありません.
福島の地下水脈に高濃度の放射性物質が浸透するのにそれほど時間が掛かるわけもなく, その水脈と繋がっている地下水は上水よりもより危険です.

空気中に散布した放射性物質等とは比較にならない高濃度の放射性物質が今福島原発の地下に向かってどんどん潜ってます.
誰も止められません.
間違いなく拡散しますし, コレは放射線のように2乗で減水せずそのまま物質として流れてきます.
放射性セシウムの半減期30年は100年たってようやくゼロになるかどうかです.



大量の汚染水を海に流したり地下にしみこんだことは確かである。でもその地下水が20キロ圏内に影響するものだろうか?高い所から低いところに流れるとしたら海に流れるのが普通である。汚染された地下水は海に流れる。でも飯館村の土壌が汚染されているからそこからしみだして地下水に流れれば麓の南相馬市や相馬市は確実に地下水が汚染される。それで八木沢を下った南相馬市鹿島区地蔵木では井戸水を使っているところがあるし山の湧き水を利用している所もある。そうした水がどれくらい汚染されているのかわかりにくい、政府でもそうしたものを詳細に教えていない。つまり20キロ圏内を立入禁止にしたことでも政府は明確な説明をしていないのだ。地下水にしてもそしである。放射線量が低く報告されているのにどうして立入禁止なのかも説明せずにあなたたちは今日からここを出てください、そうしないと罰金をとります、一時帰宅はものものしい防護服を着せられて数時間しかいられない酷さである。実際は一マイクロシ-ベル以下のところすらそうしているのだ。それはなぜなのだろうと疑問に思う人がいる。いづれにしろ飯館村にある「作見の井戸」は豊作をうらなうために井戸水を見ていたがその井戸水はどれくらい放射能汚染されたのか?そいうこともわからない、豊作かどうかなど井戸を見ていたとき今からすると平和な時だったなと思う。今や人は消えて無人化しつつある飯館村だからである。計っているのは放射能だけだという悲惨である。

放射能汚染のことは素人にはわかりにくい、そもそも地下水汚染のことは政府では説明していない、放射性物質がどれくらい汚染しているのかもわからない、ただ説明もなく一方的に20キロ圏内立入禁止とか避難準備地域とか設定されたのである。別に出たくない人は出なくてもいい、年齢にもよる。立入禁止にしたら牛やペットもみな殺しになった。そういう非情さはかつての満州でも起きたから歴史はくりかえすというのは本当である。あまりにも平和が長くつづいて人間は自分もそうだが麻痺していたのである。だから甘い見通しかたてられないのだ。しかし現実はそうではない厳しさがある。明かに今は平時ではない、戦争状態とにているからこんな理不尽なことも起こりうるのだ。そういうことを自覚できない、それは津波にのみこまれし一瞬の内に死んだ人とにている。否応なく一瞬で命は奪われてしまった。そういうことが自然界ではなく人間界でもありうるしかつてもあったけど平和がつづいていたから忘れていたし戦争の異常状態の出来事として関係ないと思っていたのである。

posted by 老鶯 at 01:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

近くの仮設住宅のこと


近くの仮設住宅のこと


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労務者の木陰に休む田舎かな

我が家に巣作り励む燕かな


六号線食堂にぎわい燕の子

 



質より量とスピードを優先するのが普通じゃねえのかよ
この無駄に豪華な仮設住宅にはなんかの利権が絡んでいると見た

今回の被災者はジジイババアが多いから、家も仕事も失って、
自動的に生活保護に突入する人が沢山いそう。

そういう人間が引越しなんて出来る訳が無い。

仮設住宅は俺の家よりはるかに立派です。
被災地に行って、いえなくなりますた?って詐欺してこようかな。
ちなみに日本人だよ。しかも東証上場企業勤務。


とにかくやっつけ仕事で数こなさないといけないから
実際は貧弱で建材や調度が新しいから良く見えるんだよ
寒冷地で毎回問題になるのが結露とカビで退去の頃には畳はカビだらけだよ
床は一般には部屋の間取りに合わせて基礎打って床下に継柱張るけど
簡易基礎にコンパネ載せただけだから音がすごいんだ
プロレスのマットのイメージで端の部屋の歩く音が別の端の部屋まで響くんだ


確か台湾地震の時に、日本の中古仮設住宅を送ったら、
「日本から高級住宅が送られてきた」って喜ばれたんだよね。
理由は、台湾では床の間は金持ちの家にしかなくて、
仮設住宅には床の間がついていたから。
http://jishin.ldblog.jp/archives/51691854.html


積水ハウス
http://www.youtube.com/watch?v=Z8pbuIBR9sU


近くにあるから毎日見ているのが仮設住宅である。完成したと思ったらしていない、玄関をとりつけていた、あんな玄関必要なのかとも思った。それなりに全部につけると費用もかかる。日本の仮設住宅は贅沢だと外国にうらやましがられたのもわかる。緊急のことだから外国だったら寝る空間があるくらいのものだろう。電気製品もそろっているとなるとエアコンもあるとなると贅沢である。どうしてこうした贅沢のものを作るのかというとやはり公共事業のためなのかとも思う。六号線の千倉体育館や鹿島小学校に行くのに立派な地下歩道は無駄であり高架橋でまにあうと前に書いた。地下歩道は都会なみなのである。公共事業は無駄でもやはり業者のためにやるということがある。だから玄関などなくてもいいと思っても金を使うのかもしれない、ただこうした贅沢な時代には贅沢な仮設住宅や住民の要求も贅沢になるのはやむをえない、何故なら亘理の積水ハウスが作った仮設住宅は立派なアバ-ト並でありこれよりずっといいからだ。

仮設住宅はいたるところに建つ、仙台の長町の空き地にも立っていた。仙台の近くだから駅も近いから便利である。でもその回りは瀟洒な住宅地になっているので仮設に住む人はうらやましいとなるかもしれない、仮設住宅が今話題になることはわかる。

実際今回津波とかで被災した人はみんな家をもっていた。庭も広い庭もあるような農家とかが多い。一番住環境として贅沢なのは飯館村だった。あそこは一軒一軒の家が離れているし庭も広いし森につつまれているからいつ行っても広々として気持ちいいところだとな思っていた。それは他の人も思っていた。住環境は一番贅沢だった。都会のような狭い空間ではない、都会でいくら豪邸に住んでも回りが森につつまれたようなところはない。田舎は自然があるからかえって贅沢なのである。住環境なら前が広々として見える所がいい、自分の家など前が家でさえぎられてるから窮屈になる。田舎でも街中に住むものと郊外に住むものは住環境でも違っているのだ。皮肉なことだが田舎の方がエネルギ-を消費しているというのは本当である。人間が密集している方がエネルギ-の消費量は少ない、車もみんなもたなくても交通の便がいいから困らないのである。田舎でも一人一台車をもっているから贅沢であるし必需品である。車なしでは生活できない、みんな街中に住んでいないからだ。広い田舎で生活できているのは車があるからであり車は一番エネルギ-を消費する贅沢なものである。


昔だと都会の生活と田舎の生活はかなりの差があったから田舎に憧れた。今はかえって田舎の生活に憧れる。なぜなら田舎の方がかえって文明的生活ができるという皮肉があるからだ。ただ震災以後アマゾンでの配達がこの辺はできなくなった。六号線が立入禁止になってル-トが断たれたためだろう。電車も通らないから不便になった。でも車があれば困らないのである。自分は車がなくても街中でなんとか暮らせる。仮設住宅に入っても街中だと車がなくても生活は今の平均的な生活を送れるかもしれない、ただ田舎の人は住環境は贅沢だから仮設に耐えられない人はでてくる。それより仮設に入ると三食つきでないとか電気水道ガス代がとられとか結構出費になるから入らない人ででてきているのもわかる。そうした基本的なものに金をとられることが震災にあった人はなかなかできない人もいる。そういうときは昔のように水も湧き水やら井戸水やら洗濯は川でするようなら労働だけでただで良かったのである。

現実に三陸の方ではインフラがたたれ井戸の水をくむために何度も坂を上る老人がいたのである。水は苦労して遠くから運ぶことがあった。今でも後進国では水を運ぶことが女性の仕事とかに何ているのだ。結局電気水道がたたれ昔の生活に戻ったのである。仮設住宅に入っても老人が被災者になっているのが今回の震災の特徴である。そうしたら老人ホ-ム的な仮設住宅が必要なると言う人もいるし何かそうしたものを相馬市の方で作るとかあるのもわかる。とにかく死んだ人も老人が多いし生き残った人も老人が多いからこれから仕事するということはむずかしい。ただ世話になる人となる。だからなかなか仮設から出れないし収入がなくて困るという人もでてくる。まだ入っていないからどういう人が入るのかもわからないが必ずいろいろ問題がでてくる。

千倉体育館の六号線の仮設には樹があるからその木陰休む労務者がいた。労務者は大阪などからも来ていた。田舎だから自然の場所でゆっくり休むということがある。そういう姿にほっとする。あそこは夏はあの木陰で休むことができる。そういう点で憩いの場所になる。他はあのような樹はないからだ。仮設に入る人は南相馬市だと小高区の人が多くなるのか?小高は立入禁止区域になったからだ。家があっても家に帰れない人が仮設に住むのか矛盾している。

原町の小学校にいた人は小高の人だった。津波の被害にあった人もいた。ともかく鹿島区には人が増えて集る。そういう状態を考えるとき人が効率的に住むには街中に集中して住んだ方がいいとなる。コンパクトシティである。なぜならそうなると車がなくてもなんとか暮らせるからだ。今JRの代行バスが出ているがこれも前の駅前からであり離れていると利用しにくいからだ。病院だって近くだと行きやすい、ただ鹿島区だけでは生活できないから原町や相馬などに必ず行かねばならないのが不便なのである。タクシ-利用したら往復一万近くとられたから車がないと困る時がある。緊急だったのでしかたなかった。JRの代行バスも原町-鹿島-相馬は便が少なくて不便なのである。相馬から亘理は30分おきにでているから電車より便利である。そういう点は改善したのである。


六号線の相馬よりの食堂に入ったら燕の子がないていた。相馬よりは正常化している。自分の家でも今年はめずらしく燕が巣作りしている。庭を直したからだろう。

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2011年06月09日

崩壊する南相馬市(震災で崩壊する市町村)


崩壊する南相馬市(震災で崩壊する市町村)

病院としては6人以上の受け入れは可能だが、県の地域医療課がゴーサインを出さないらしい。また入院しても3日以内に退院させろなどと無理難題を病院に押し付けている。南相馬市は私の勤務している福島市よりも放射線量も4分の1しかないというのになんで緊急時避難準備区域なのだろうか。


崩壊する南相馬市
http://blog.livedoor.jp/yamasaumasa572/archives/4645085.html


南相馬市は7万人の人口があるとして小高区は立入禁止区域になり住むこともできないから事実上崩壊している。原町区も緊急避難準備地域であれ様々な制約があり医療、福祉、教育という面で崩壊状態である。ここはお医者さんのプログだけど適格に分析している。原発の廃炉にともなう仕事は楢葉町の方が拠点になりここは遠いからならないというのもそうだろう。仕事もなくなり疲弊ひてゆく、人口が流出する、すでに流出ははじまっている。工場や会社が移動している。浪江でも二本松に移動して鹿島区に移住して通っている人がいた。これも大変だなと思うけどすでに浪江町とかも崩壊している。浜通りから人口移動がはじまっている。それはここだけではない、津波で被害にあった三陸地方でもそうである。


市によると、震災前(2月末)の町の人口4300人が、現在は4分の1の1000人弱にまで減った。仮設住宅を希望する約560世帯のうち、町内を望むのは約150世帯にとどまる。
震災津波に多くの集落がのみ込まれた県北部沿岸部は、高齢化率が高いうえ、避難による住民流出が人口減に拍車をかけている。


本当に今回の津波は街や村を壊滅させたことが特徴だった。この辺では磯部とか海老とか烏崎などがそうである。そういうところは家の土台しか残っていない。そういうところは町や村が復興するように思えない、陸前高田市など見ているともうただ茫然としているだけであり復興する気力さえなくなってしまうだろう。そして今回の震災津波の特徴は被災者が高齢化で老人が多いから余計に復興自体が厳しいものとなる。そういう人は本当に老人ホ-ムに入った方がいいしそれが望まれているのかもしれない,安い多人数が収容できる老人ホ-ムが必要とされていた。別に立派な施設は必要ない、仮設住宅に手を加えたようなものでも可能なのである。在宅で苦労して限界になっている人もいる。自分もその一人である。介護は施設とかのハ-ドよりいかにソフトとしての人が機能がするか人の力の方が重要になる。その方面に金を使うべきなのである。それが充実していればハ-ド面は補うことができる。


いづれにしろ南相馬市が崩壊してゆくというとき若い人とか市を支える中核的な人が出て行く、病院を支える医者や工場や会社を経営する人など中核的人材が流出してゆく、そして残されるのは老人だけになるかもしれない、第一次産業は農業でもすでに高齢化であり後継ぐ人もいなくなっていた。今回の震災の影響の特徴は高齢化社会や地方の第一次産業に打撃を与えたのだ。神戸の震災とは違う、一番経済的に弱いところに打撃を与えられた。老人だけで残って市を支えることはできない、自らが支えられる方になっているからだ。病院や福祉関係が崩壊すれば老人も生き残れないからだ。いづれにしろ誰も市が崩壊してゆくなど考えたこともない、でも現実に起こっていることは市が崩壊してゆきつつある現状に向かっているのだ。
だから南相馬市は相馬市と合併するとかなるが仲良くないからしないという、その理由はわからないが南相馬市の生徒を相馬市が受け入れなかったそのためだった。野馬追いで一体感あるきかと思ったらそうでなかったか?ともかく南相馬市立病院は相馬市立病院のサテライト化するとお医者さんが言っているから現状からの発言である。入院もできないとなればそうである。そもそも緊急避難地域が解除されないことには正常化しないからだ。


人口が流動化することは大きな変革が起きざるを得ないし起きている。南相馬市は原発事故のため田畑を放棄させられてしまった。零細な漁業も農業もいい悪いは別にして成り立たなくなってしまった。だから集約的会社化した運営形体に移行せざるをえない。小さな田畑とか港とかで零細でも助け合い暮らしてきた日本人の生活があったがそれが根こそぎ破壊されたのだ。だから漁業でも農業でも土地などを集約して対処しなければ成り立たない、そして田舎は人が広く散在しているからその人口も集約化してゆく、コンパクトシティ化してゆく、現実に鹿島区に350戸とかの仮設住宅が建った、人口が町の中に集中してきたのである。浪江などから移り住んだ人もいるから人口が流動化して今は鹿島区や相馬市に移動している。南相馬市は小高区がすでに崩壊して中心が教育なら鹿島区や相馬市に移動している。実質的に相馬市中心になりつつあるのだ。常磐線は寸断して交通は相馬市からのバスになった。交通も相馬市中心になっているのだ。相馬市に中心が移っているのだ。 飯館が立入禁止区域になると福島市に通じる道は相馬市からの道になるからだ。


六号線や常磐線が遮断されて南相馬市の小高区が立入禁止区域になったことの影響が大きいのである。そしてやがて相馬市は宮城県に編入されるかもしれない、相馬は宮城県と仙台方面とつながりが深いからだ。行政的にもその方が便利だからである。それより福島県は中通りと浜通りが原発事故で崩壊して会津県にしろという人も外部からもいる。放射能汚染された地域は将来性がないとかなり危険だとか言われるためである。つまり南相馬市だけでなく福島県自体が崩壊の危機にさらされているのだ。もちろん原発の20キロ圏内の市町村はすでに崩壊している。人口は流出して戻らない人もかなり出てくる。もう見切りをつける人がでてきている。20キロ圏内はすでに核処理場として永久的に立入禁止になるかもしれない、そういうふうに政府で画策しているためにいろいろな制限を課している。南相馬市の病院の入院を76時間としか認めないのもそのためである。30キロ圏内は人が住めないように政府で画策しているのかもしれない、放射線量が低いのになぜそうするかわからないからだ。

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南相馬市の避難準備区域は住民を保証せずに追い出すため? (立入禁止区域は核廃棄場にするための政府の画策)


南相馬市の避難準備区域は住民を保証せずに追い出すため?
(立入禁止区域は核廃棄場にするための政府の画策)

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●非常事態に政府の指示は絶対ではない

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今一体何が起きているのか?このような非常事態には平時の感覚が通用しない、またシステムもマニュアル通りにも機能しない、要するにただ混乱状態になり命令する人も命令される人も混乱してくる。わかったことは国の指示も命令も絶対的なものでないしそれに従う必要もないということである。従っていたら命すら奪われかねないこともある。今回の混乱を図にしたがなぜ
管首相がベントを指示したしないとかなんかいろいろ責任問われたり東電が問われたり現場の所長が問われたりと錯綜している。それが政府と東電と現場で綱引きが行われていた。政府では管首相は政府の命令に従いと言って自ら現場にのりこんで指示した。それはパフォ-マンスだという人もいた。一方で東電と現場でも綱引きがあった。結局政府でもない、東電本社でもない、現場の所長が海水注入を指示して実行させていた。現場を知っているのは現場の人であり原発事故現場に残ったのは50人であり命懸けだった言っている。大爆発したら死ぬ危険があったのだ。幸いにそうしたことをまねがれただけである。現場こそ最大の危機感がありそれで海水注入を政府でもない東電でもない所長の判断で続行していたのだ。つまり非常事態では政府の命令も絶対ではない、本社の命令も絶対でない、なぜなら現場で取り仕切る人が操作できるからである。日本の戦争でも関東軍が天皇の命令にも逆らい独善に陥り独走した結果、大きな災いの端緒となった。天皇の命令さえ非常事態では通じない、各自の組織団体が勝手に行動している。今回の原発事故の処理もそうした混乱から起きているのだ。


●住民の命も保証されない危機


病院としては6人以上の受け入れは可能だが、県の地域医療課がゴーサインを出さないらしい。また入院しても3日以内に退院させろなどと無理難題を病院に押し付けている。南相馬市は私の勤務している福島市よりも放射線量も4分の1しかないというのになんで緊急時避難準備区域なのだろうか。


このことでもめたのも同じ非常事態だからである。その裏は読み解くと政府から南相馬市の30キロ圏内の一部は避難準備地域とかあいまいなものにしている。そこでは学校に行けないとか命令されている。県庁では別にこうしたことを南相馬市の病院に命令していないという。じゃ誰が命令したのだというと誰でもないという。ええ、そんなこと馬鹿げている、誰かが言ったから命令されたからそうしている。それも権力をもつ組織から言われたからそうししている。だからこそ従うほかないからそうしている。明かに政府から命令があったから従ったのである。県庁ではまちがいなくそうである。ところが南相馬市の市民にしたら入院できないと病院が正常に機能しないと命にもかかわる。それで病院も南相馬市に要求して県庁に要求する。県庁ではそんなことを指示しないというが指示したのである。ただ南相馬市からと政府からの命令で板挟みになったのである。だから非常事態では政府の命令に従うことはかえって国民の命も奪われる。
地元の人も黙っていたら命も守れなくなる。そういうことは放射線量問題とかいろいろ今起きている。住民の自治が要求されているのだ。ただ唯々諾々と従っていたら命すら奪われる。
政府に従うことがすべて正しいとは今やなっていないのだ。


●20キロ圏内立入禁止区域も政府に従っていいのか?


政府もマスコミも、一番危ないときは「安全だ」といってばかりで、線量が下がった今ごろになったら「危ない」「危ない」「メルトダウン(炉心溶融)していた」「避難せよ」といい出した。
 これは情報操作だ。立入禁止の警戒区域で一時帰宅、つまり域外追放、飯舘の立ち退きというなかで、あきらめさせるための意図的な宣伝だといえる


そして住民生活を干上がらせて各地に分散移住させ、土地を取り上げるという意図が見えている。福島県内では強権的な土地接収だ。ここは明らかに核廃棄物の処分場にするという意図がある。福島原発に関わる核廃棄物の量は膨大になるが日本中の原発も使用済み燃料の処分に困っており、それらも含めた核廃棄物の処分場にしたいという願望は強いものがある
飯舘村は岩盤が強いところで、今度の地震の被害は少なかった。飯舘村では2、3年前に東電が「核廃棄物処分場にしたい」と話を持ち込んでいた。「今回がいいチャンスだと見ている」「そうでなければ全村が強制避難というのはどう考えても異常すぎる」と語られていた。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/itotekinajuuminrisantotiseltusyuu.html


もちろんここの長周新聞とは何か仔細はわからない、自分は右翼でも左翼でもない、ジャ-ナリストは何かの組織に属していたり会社であれ何であれ派閥であれそこに与していると中立性が失われる。報道で大事なのは中立性なのである。どちらにも偏りがない、偏りみない立場にあることが大事なのである。マスコミはそうはならない、なぜならマスコミはそれぞれ会社であり会社という組織を第一にする。会社に勤めて利益をあげることが第一とされる。だから莫大な金が宣伝費として入っているから金をくれるところは批判しない、金がくれないところは厳しく追求する。東電は莫大な金をそうしたマスコミに投入している。創価などもそうであり新聞社も現実に買っているのだ。だからマスコミには報道の中立性がなく地元民の味方となるとは限らない、今要求されているのは一番受難にあっている地元民の自治なのである。ただ政府の言いなりになっていたら命さえ奪われるという危機になっているからだ。ただ混乱しているから自分たちがどういう立場に置かれて何をしていいのかわからない人もいる。


でも20キロ圏内が別に放射線量が高くないのに立入禁止区域にされたり避難準備地域の医療、福祉、教育が崩壊させられる。それは明かに政府の画策があるというのは本当ではないか?飯館村に核廃棄物の処分場にしたいということが現実にあったとしたらそういうことがすでに事故の前からも画策していたのだからこれは幸いと実行に移ったとも言えるのだ。立入禁止区域になればすべて政府の思い通りになる。核廃棄場にしても誰も反対するものもいないからだ。そういう企みがあって20キロ圏内の立入禁止とか避難準備地域とか設定して住民の追い出しを計っている。放射線量が高くないのにものものしい防護服を着させて2,3時間家に帰らせたりしている。それも政府の企みの一環として成されている。放射線量からしたらそんな危険な場所ではないからだ。だから政府の命令に唯々諾々と従っていたら政府の思い通りになりもう帰れるのに帰れなくなるし保証もわずかで終わってしまうかもしれない、なぜなら緊急避難地域には保証はない、病院に入院させないことや教育でも地元の学校に通わせない、会社も成り立たないとなれば出て行く人が増えてくる、そうなれば政府の企みにとって都合いいのだ。保証しなくても邪魔な住民を追い出すことができるからだ。だから原町区の避難準備地域という設定は政府の目論見でそうなったのである。住民を追い出して保証金を払わないためである

●東電も政府の命令に従わない


東電は東電で独自にヘリウムガスで冷却をしようとしている。

「政府はあてにならず、今回は意図的に米国を優先して外圧によって政府に行動をうながしいる。」サンデ-毎日でこういうことが書いてあった。野党の人の言として述べられていた。つまり政府があてにならない、原発の集束は政府があてにならないから東電独自でやりたいがそれができないのでアメリカ頼みでやるとなっている。アメリカ頼みだということは主導権がアメリカに握られることになる。そもそもアメリカのGE製の危険な原子炉であった。アメリカにも責任があった事故だった。でもアメリカの責任は追及できないのが日本なのである。日本政府がいかに独自性がなくその指示もアメリカに仰ぐだけだとなる。20キロ圏内の立入禁止もアメリカに指示されたからだと言う人もいる。日本政府の指示に従うことはアメリカに従うことだともなりかねない、だから政府の支持に従うことはかえって住民を苦しめるだけだとなる。政府の命令に従うだけだと住民の命すら守れなくなる。そういう非常事態、危機でありその対処はただ政府であれ東電であれ県であれ従うだけだと住民の命さえ守れなくなる。いつか帰れるんそれも近いうちだし保証金もがっぽりもらえるとか思っている人もいる。でもそうでない今まで述べたような政府の企みの上の立入禁止区域の設定とか住民追い出し作戦だったらどうするのか?確かにそういうことはありうるのだ。そしたら一方的に住民は犠牲にされるだけだとなる。原爆では広島、長崎が犠牲になったようにそれとにたようなことが浜通りで起こりうるのだ。そうなりつつあるともいえる。だから住民のしっかりとした自治がないと政府の企み通りになってしまうだろう。

posted by 老鶯 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年06月10日

アメリカのハリケ-ンでのカトリ-ナ被災と同じになる南相馬市 (30キロ圏内は人を住めなくさせるのが目的)


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アメリカのハリケ-ンでのカトリ-ナ被災と同じになる南相馬市
(30キロ圏内は人を住めなくさせるのが目的)

●政府は公的機関をつぶし住民を排除する


アメリカのカトリーナ被災でも同じで、際立って進められたのは徹底的な住民排除と公的機関の民間への売り飛ばしだった。救援隊を送らず、被災地を長期間放置したので、避難所の体育館に何体もの遺体が横たわっているテレビ映像は世界中を驚かせた。食料供給がないため避難民が店などを襲って略奪しはじめたところに軍隊を出動させ、反発する住民を撃ち殺した。その後、ほとんどの住民を州外に追い出し、黒人貧困層の多いニューオーリンズ市では、人口が被災前の約半分にまで減っている。


南相馬市でもこれとにたようなことが起こった。20キロ圏内は立入禁止区域にされ30キロ圏内は屋内退避にされ放射能を怖がった業者が物資を運ばなくなった。それで一時窮乏した。自分もなんとか地元から米をもらい食いつないだ。


救援隊を送らず、被災地を長期間放置したので、避難所の体育館に何体もの遺体が横たわっているテレビ映像は世界中を驚かせた


南相馬市で10人餓死したとか自殺した人が3人いたとか地元の国会議員が追求したのもそういう背景があったからだ。窮して南相馬市長がyoutubeで世界に訴えた。軍隊を主導させ反発する住民を撃ち殺した・・・・20キロ圏内の立入禁止は突然になされて住民は着の身着のままで追い出された。そして家に帰ることもできなくなった。警察官が入り政府が管理するようになった。同じ手法がとられている。その後、ほとんどの住民を州外に追い出し・・・正に20キロ圏内から南相馬市はそうなりつつあるのだ。住民追い出し政策がとられているのだ。公的機関も病院、学校なども30キロ圏内の南相馬市では使用禁止にされつつある。なんとか自力で病院を復興しようとしても県から通達で75日間しか入院してはいけない、病床は5つとか制限している。これも南相馬市の住民を追い出し作戦なのだ。放射線量もそれほど高くないのに何か理不尽であり急激すぎる。住民を説得することもしていない、強権発動であり政府の思いのままにされる。


●非常事態では考える余裕がないから政府にとっては好都合


大災害とか戦争とか大事件が起きたらそれをチャンスにして、人人が動揺している隙に、一気に政府、財界主導で市場原理改革をやるという手法だ。アメリカの新自由主義の旗手である経済学者ミルトン・フリードマンが提唱してきたものだ。1973年のチリのクーデター、2003年のアメリカによるイラク侵攻、2004年のスマトラ沖地震、2005年のアメリカ本土を襲った大型ハリケーン・カトリーナなど、世界各地の災害対応で実際におこなわれてきた。その乱暴さから「ショック・ドクトリン」ともいわれる。

人々が動揺しているときに一気に政府財界指導で主導権を握ってしまう。その時住民は動揺しているし抵抗できない、放射線が危ないから逃げるほかないですよと言われれば従わざるを得ない、もちろんそういう危機的状態になったことは確かである。しかしその後の対応を見ていると不自然なのである。海側は放射線量はすぐに低くなって飯館村のように山側と違いたいして問題にする必要はないものだった。だか異常に危険な地帯として外部にものものしい防護服を着させてみせつけるそこは一マイクロシ-ベルトにもなっていなかったのである。20キロ圏内を特別危険地帯とするために意図的に政府で芝居をしたともとれる。あんなものものしい格好する必要はなかったのだ。浪江の山中の赤字木(あこうぎ)ならわかる。でも浪江の街中でも2マイクロシ-ベルトとか海側で一マイクロシ-ベルトの所もあった。地理を知らない外部の人は浪江は高いなと思うからその20キロ圏内の浪江に入っているからあんなものものしい防護服を来て入るのだろうと納得する。20キロ圏内は特別危険なのだと印象づける。しかし外部の人でも見ている人は見ている。憲法違反だという人もいる。



原町区に運よく見付かった物件だったのに、30キロ圏内の緊急時避難準備区域内と言うだけで家賃援助もないのです。
30キロ圏外だから、放射線は大丈夫と言われ実際は危険だったり、
30キロ圏内だから、家賃補助は出来ませんと言われる・・・

http://fisco-tyokusenn1500.seesaa.net/archives/201103-1.html


原町区に運よく見付かった物件だったのに、30キロ圏内の緊急時避難準備区域内と言うだけで家賃援助もないのです。 これも南相馬市に人を住まわせたくないから政府で援助しない、政府の意図でそうなっている。いつまで経っても、なぜ同心円にこだわるのでしょう?・・・・こう疑問に思うのは当然である。この人は最近飯館で農業するために移住した人である。南相馬市は崩壊しているのではない、政府によって崩壊させられつつあるのだ。鉄砲で住民が撃たれるまではないにしろ強制退去はそれとにている。民主主義の世界だったら議論したり討議したりいろいろ手続きがあって成されることになる。でもそういう余裕がない、非常事態だから政府の一方的命令が容易に通ってしまうのである。お前たちここにいたら死ぬぞ、早く出ろとなる。それに抵抗することはできない、最後まで双葉町に残った老人がいた。でも電気は断たれる水道も使えないとかなり暮らしていけなくなる。住めなくさせるのだ。あとでもうここは20十年住めなくなると管首相が言ったというとき本音が出た。20年も住めなくさせるというのが本音だった。そしてそこを核の処理場として永久的に政府が管理して利用することである。それが目的でそういうことを言ったのである。


●30キロ圏内は人を住めなくさせるのが国策


30キロ圏内は人を住めなくさせる、人が住んでない方が政府にとって好都合だから政府では住めないように画策している。そうみるとなるほどとその謎が溶解するように理解できるのだ。
これは南相馬市だけではない、宮城県でも三陸でも政府指導が発揮しやすい状態にあり、うちひしがれている住民だから抵抗もない、政府や財界やアメリカ主導にもっていきやすいのである。土地でも漁業権でもとりあげやすい、そうするとどうなるのか、原子力発電所などはさらに建てやすくなるのだ。反対する住民がいなくなるからである。政府はアメリカ主導のもとに原子力発電をやめるとは限らない、外堀が覚めたころにまた原子力発電をはじめるかもしれない、現実に地元にしてもやめられたら困るとなっているからだ。また原子力発電に国民すべてが反対というわけではないからだ。犠牲になる人たちとならない人たちの差もでてくる。犠牲にならない人たちは他人事になる。自分も広島とかの原爆は長崎は他人事だった。今になると浜通りは原爆の被害者と同じになりつつあるのだ。あの悲惨な状態からも放射能をあびつつも復興したように浜通りも飯館村も実際は復興できる。でもそうさせないようにしているのが政府主導の国策だというのはあながち偏った見方ではない、当事者になったときそういうことかと納得することが多いからだ。


予測されたルイジアナ洪水のための堤防強化の資金をカットした。被災者は全米に棄民され今も復興していない。黒人とともにヒスパニックも棄民されている。いい就職先は軍しかない。三章は医療保険がなく、高額な医療費で破産していく中間層が貧困層に転落して行く実態である-堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書、2008年)。


これからも浜通りは就職先は原発しかない、農業すら土地を放棄させられている。放射能汚染が低くてもである。黒人とともにヒスパニックも棄民されている・・・棄民化させられている。
仮設住宅にしても玄関まで必要なかと疑問に思ったがそれも大資本の会社を潤す公共事業である。


仮設住宅は無駄だ
http://d.hatena.ne.jp/manybook/20110423/1303528524


こういう様々な問題が今回の津波や原発事故にはある。つまり緊急なことだから人々はじっくり考える余裕もない、だからこれは何だろうとか思っているうちにあれよあれよという間に悪条件を受け入れ成すがままになっている。仮設住宅がいらないというのではなく、別な地元の人の意向にそった金の使い方があるのだがそれがうちひしがれているから考えることもできないのである。それで政府や利権をねらう大企業やアメリカの思う壺になってしまっている。非常事態では考える余裕がない、混乱状態のなかで黒人とともにヒスパニックも棄民されているという状態になる。30キロ圏内や南相馬市はそうなっているのだ。

参考にしたプログ(他にも同じようなことを言う人は多くいた)
http://lemon69.cocolog-nifty.com/kurobune/2011/06/post-a6b8.html

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八木沢峠でストロンチウムが1000検出された (南相馬市鹿島区の地蔵木は避難すべきか?)


八木沢峠でストロンチウムが1000検出された
(南相馬市鹿島区の地蔵木は避難すべきか?)

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危険派
ストロンチウムは内部被曝に限って言うと、10倍?100倍の危険がある。魚、海藻、貝類には多く蓄積される。魚等の放射能は、海水中の濃度よりも必ず高い濃度になる。

今おっしゃったのはkg当たり570Bq。
ストロンチウムというのは、セシウム134あるいは137に比べると、
内部被曝という事に限って言うなら、たぶん10倍100倍の危険があると思います
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/09/tanemaki-may9/

 

安全派



ストロンチウムについて
http://tnakagawa.exblog.jp/15214540/


http://www.janjanblog.com/archives/41617


http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-04-07


八木沢でストロンチウムが1000というのは高いだろう。500を越えると基準値を越危険になる。
八木沢峠を下ってすぐに地蔵木がありその辺は放射線量が高く避難地域に指定されるべきだ、住んでいる人は計画的避難区域 に指定されて保証されて避難したいとあった。ストロンチウムがやはり1000も出たということは危険地帯である。ストロンチウムというのは危険を言う人は-危険派は大変な危険を言う、それほどでないとんう安全派を言う人の意見を読むとそんなものかと安心ししてしまう。結局のその幅が大きすぎるから不安になる。危険派の意見を言う人を聞いていれば極端な話、東日本は終わりだ、住めないとか言うし何で福島県人にみんな脱出しないのだとか盛んに面白がって言っている。そんな簡単にみんな脱出できないのだ。そんなに簡単に脱出できるなら放射能の問題は解決できる。脱出できないからこそどうしていいかわからなくなる。広島でも長崎でもそこに住み続けるほかない人はたくさんいた。放射能と共存して生きてきたのである。


南相馬市内でも飯館とか浪江の赤字木(あこうぎ)に近い山側は本当に放射線量が高い。だから子供をもっている人は避難する必要があるのだろう。30キロ圏から1、2キロ離れている乳幼児をもつ母親も脱出した。30キロ圏外は保証がないとか嘆いていた。30キロ圏外でも田畑は耕せないということで被害を受けている。そもそも緊急避難準備地域というややこしい設定が疑問なのである。いつ緊急事態が発生するかわからないというけどそんなに今福島原発が危険な状態にあるのか?爆発する危険があるのか?爆発してからすでに3か月だっているしそれなりに改善している。それほどまだ危険なのだろうか?避難させるのなら避難させるべきだが緊急避難準備地域という設定が不自然なのである。ここに住んでいいのか悪いのかもわからない、ただ病院やら学校やらが正常化しない、入院も制限されている。それも緊急避難準備地域に政府で指定したからでありその意図がわからないことを書いた。それは30キロ圏内をチェルノブリのように将来的には立入禁止区域にするためではないか?緊急避難準備地域にしていれば住みにくくなり自発的に住まなくなり保証しなくてもいいとなる。郡山市や福島市は南相馬市より放射線量が高いのに避難区域にしないのは政治的判断であり保証できないからだ。保証する範囲は20キロ圏内としてそこを核の処理場とする。飯館村にもそういう計画があった。そういう政府の画策があり緊急避難準備地域というあいまいなわかりにく設定となった。


南相馬市の八木沢から下った地蔵木では雨樋から114マイクロシ-ベルの放射線量が出たのは嘘ではない、雨樋を計ると10倍くらい高くなっている所が他でもあった。側溝でもそうである。雨で流れた放射性物質が側溝にたまっていた。それがさらに泥とか一緒になり汚泥となり下水処理場に流れた。森とかは葉につきやすく放射性物質がたまりやすい。放射性物質は消しようがない、循環している。元素として30年とか消えず循環している。この辺りで井戸水とか利用しているとストロンチウムがこれだけ出たら危険にならないか?水道水でも井戸水でも水の放射線の情報はあまりない、調べられていないのか?水は毎日飲むものだから不安になる。
地蔵木辺りの川の山女を調べたら放射性物質はどうなっているのか、ヤマメはとっても食べられないのだろう。あの辺の水は澄んでいたけど今も水は汚れていないけど放射性物質に汚された。


水もそうだが土にたまったら消えないから土から取り去るのは大変な作業になる。20年は人が住めないというのは浪江の赤字木(あこうぎ)辺りだとそういわれてもしかたないのだろう。でも他ではそうともいえない、放射線量は一マイクロシ-ベルトにも満たないとしたらその影響はどれだけあるのか?立入禁止区域でも南相馬市でも大半は一マイクロシ-ベルトにも満たない地域なのである。ただストロンチウムでも雨などで水に溶けて八木沢峠から橲原渓谷を流れて真野川に流れてくる。田の水を取水しているところもある。とすると危険になるのか、水に関してはあまり調べた報告もない、水を飲んだりすると内部被曝するから危険性が高まる。橲原でも子供がいるから避難したいという人がいた。結局その判断がわからないからむずかしいのだ。

そうして心配すればきりがなくなる。そしてあきらめるほかないとなる。50、60以上はそうなる。だからまだ千人近く飯館村には留まっている。でも生活しにくくなるからインフラも電気もとめられたりすると結局出ざるをえない、そして無人化するとそこは政府の思い通りになる。核の廃棄場として使用できるともなる。ただ保証の問題があるからそんなに住民を避難させてどうなるのかという問題がある。ただ保証にしても約束したわけではないし法律で決まっているわけでもない、非常事態だから平時とは違う。その責任もうやむやにさるかもしれない、

ともかく事態は日々変化している。ストロンチウムを計るのは時間がかかるからやっと出てきたのでありもっとこれからも出てくるのだろう。放射性物質の全容は誰もわからないのだ。素人なら余計に何を判断の基準としていいかわからないのだ。
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夏の花(アクセスが急激に増えた相馬郷土史研究)


夏の花(アクセスが急激に増えた相馬郷土史研究)]


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花に花そえて新し夏は来ぬ


一鉢に夏菊咲いて雀来る


遠くへと行きて帰りぬ夏燕


老鶯の日陰の長き森に鳴く


屋敷林農家囲みて黒揚羽

非常事態では俳句でも短歌でもゆっくり鑑賞したり作ったりできない、そんな風流に遊ぶよりなんとか苦しいのだから助けてもらいたいとか今なら原発関係で放射能のことをもとしりたいとかなる。それで自分もなんとか役にたたとうとして科学にはからきし弱くても書いた。ただ強みは地元だから地理に詳しいことが他と違っていた。あそこで放射線量が高いというとき具体的にイメ-ジできる。浪江の赤字木(あこうぎ)と言っても外部の人は浪江としかわからないから街の方だと錯覚している人がいるだろう。地理はなかなかそこに住んでいないとわかりにくいのだ。

最近津波やら原発事故で思ったことは相馬とか浜通りで地元の人が情報を発信する必要があった。外部からと内部から発信するのでは伝え方も伝わり方も違ってくる。自らが被災者になればさらにそうである。発信する情熱も違ってくる。最近毎日ニュ-スでも福島県でも浜通り中心であり南相馬市のことでも毎日伝えている。そうすると今注目されているのが自分たちの住んでいる身近な所なのである。それが毎日ニュ-スとなっているのだ。身近なところでも本当はわからない、被害にあった人の数も多いからだ。避難している人の数も多いからそういう人たちどうなったのか全部知ることはできない、ただ毎日は全国のニュ-スでも必ず身近な所が話題にならない日がないのだ。普通だったら全国で話題になるのは野馬追いくらいなのである。

それがフクシマ自体、世界でもその名が悪名が知られるようになったのである。チェルノブリと同じである。アクセス数も「相馬郷土史研究」は普通はユニ-ク数が百くらいでペ-ジビュが400とかくらいである。今は訪問者がユニ-ク数で400を越えていた。本プログは300くらいである。あわせると700人になるから多い。インタ-ネットだと全国の人がやはり相馬に関心をもって読んでいるのだ。ペ-ジビュ-1000くらいであり本プログとあわせると2000になる。相当関心をもって読まれている。また書くことも多いのである。

明かに相馬とか浜通りの郷土史を基礎にした雑誌の発行なども必要なのである。ただ雑誌の発行は個人ではできない、そして毎日報告することは雑誌ではできない、インタ-ネットだからなんとかやれている。今は結構インタ-ネットで情報を得ている人も多いから注目されることにもなる。今は普通だったら何でもない人まで話題になる。みんななんらか伝えたいことがあるからだ。それでそうした人たちの要望を反映した情報誌が必要になってくる。それを相馬郷土史を基礎にして発信する必要もありインタ-ネットでしている。科学には弱いし自分一人ではそうしたことは無理である。でも地に足をついた発信をするのには地元からでとないと伝わらないものがある。地理に関してはそうだった。風がどういうふうに吹くかなどなかなか地元でないとわかりにくかったろう。他にも地元でないとわかりにくいものがある。単に情報を伝えるだけではない、なんとか復興していこうという気持ちが地元ではあるのだから外部から見ているのとは意識が違う。

マスコミでは報道しても全部が地元のためにとはならない、何か面白いことがないかとか話題がないとか売れる記事やテレビでもやはり視聴率を稼げるのを放送しようとかなる。しかし地元だったらそういう興味本位よりなんとか今の苦しい状態をともにきりぬけようとかの意識がでてくる。こういうことはやはり被害者にならないかぎりどうしても外部だとただ自分たちには関係ないから面白い見せ物のように見る場合があるのだ。だから地元からの発信は違ってくる。
広島と長崎があれだけ深刻な被害にあっても遠いと現実味がない、神戸地震の時もそうだった。今や自分たちも原爆ではないにしろ放射能の被害で共通の被害者になったのである。


NHKでも磯部小学校のことをやっていたけどテレビや写真の画面では高低がわからない、あの小学校はかなり高い所にある。磯部村は海岸に接して壊滅した。あれだけのショック受けたら子供だったら病気になるのもわかる。大人だってショックから立ち直れない、一軒も家なくなったのだからショックである。でも学校は一番高い所にあった。平地には作らなかった。高台にも家はあるがほとんどの家は平地にあった。小学校だからやはり高台に作ったのか、作るときそういう配慮があったのか?それにしても本当に津波にはあまりにも無防備だった。それが悔やまれる。あそこでも校庭で遊べないのか、やはり放射線量計ってそうしているのだろう。あそこはそんなに高くないと思うけどやっぱり
原発事故の影響も受けていた。


 

2011年06月11日

南相馬市に住みつづける意味なんてあるの? (今津波や原発事故でめお土地に住む意義がとわれている。)


南相馬市に住みつづける意味なんてあるの?
(今津波や原発事故で土地に留まる意義が問われている)

 



家畜に関しては簡単に言うと東電側や政府は安上がりに済むから
一頭あたりいくらいくらの計算ができる


これが移動OKとなると移動にかかる料金
移動したあとにかかる受け入れ先の手配
移動したあとの餌代や飼育費
さらに売れないのでその補填と
雪だるま式に支払額が増えるのを嫌っている


日立工機って、40人位しか居ないよね?
大内新興も休業。フジクラも小高工場は移転するって。
タニコーは小高工場分を鹿島へ。
ジャムは、横浜とどっかに移転予定。
原町電子も一部移転。
デルモンテは、先月で残務終了。
工場がどんどん無くなりますね!
その辺市長は対策考えてるんかね


悲しいけど原町に職はないよ。
ハローワーク行けば
現実を見ます。

南相馬市の求人募集は震災前の日付で止まったままです。

俺は小高だけどもうこの地域にこだわる意味無いよ
事故前は、不便で雇用は無くても空気、水は旨かった
だけど、今では雇用は無い、空気は汚染されてる、水も怪しい
故郷を捨てるしかないな。だから他地域に家買えるだけの賠償金どうにかして
くれよ


結局、千葉の一戸建てなんか築10年で600万くらいなわけ
んだから俺は、小高の実家の家屋賠償金1000万を東電からもらえれば許す
ほかに住めばいいし
津波で家を瓦礫にされた石巻、気仙沼よりマシだろ
金貰って他に小高よりも利便性の良い家が買えるんだからな


南相馬に何があるっていうんだよ。
先祖の墓!?今までの思い出?母校?故郷?
そんなのな、一円の価値も無いんだよ
さっさと金貰って他の地域に住居買えれば好都合だろ

問題は金額なんだよ

だけどうちの親とか、ここのところ原発事故の情報にはあんまり興味示さなくなったのに
補償金だけ注意深く様子を伺っている。

自分からそんなことしたことないのに、申請書もらってきやがったよ。

656が、勝手に頑張ればよいだろう。他人を巻き込むなよ
南相馬を捨てて他地域で人生をやり直したほうが安全で豊かな生活が出来る
南相馬に何があるって言うんだよ。
教育水準は低い。水も空気も汚染されてる。政府から見捨てられた地域
原町に住んでも南にいったら検問。


南相馬に新築の一戸建てを立て替えするよ
りも賠償金で、競売の物件をキャッシュ購入したほうが安い。
建替え資金に1500万借り入れの30年ローンで総支払額2300万になる
しかし、競売なら600万で築10年の一戸建て選びたい放題
東海村の時の弁護団に一括して頼むか。
去年裁判終わったばかりだし、肩は冷めてないんじゃね?
20km圏内は一人当たり1億円
30km圏内は一人当たり5000万円
飯舘、川俣は一人当たり5000万円
こんな感じになりませんか?
損する被害も居るだろうから、高い基準に合わせる方向で。
http://www2.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1303630677/

 



こうして金の計算ばかりしている人はすべて金に換算する人は別に南相馬市に住まなくてもいいしどこでもいい。都会でも田舎でもいい、小高に住まなくてもいい、そういう人はすでに立入禁止区域から避難して帰ってこない、そういうふうにあきらめる人もでてくる。それが政府の思惑かもしれない、帰ることをあきらめる人が増えてくれば核廃棄場にしやすいからだ。そもそも今回のことではいろいろなことが問われている。当たり前に田を作り米を作ってきたし畑で野菜を作り果物を育て花を栽培したり魚をとったりとそんなこと当たり前のことだから自分たちのしていることがどういう意味をもっているかなど考えたこともないだろう。でもそうして当たり前にしてきたことが実際にできなくなったときどうなったのか?今やそのことが毎日問われているのではないか?もちろんその日常の生活なのかで言われるのは米作りは金にならない、野菜作っても金にならない、もうやっていけないよとかそういうことも常に言われてきた。誰も好き好んで農業などやる人はいないよとかも言われる。これは漁業でも同じだろう。だから後継ぐ人もいない、親も生計を考えるとすすめられないということをいやというほど聞いてきた。だから原発事故で30キロ圏内は政府と東電から保証される、これ幸いと他で暮らそうという人もでてくる。もともとここて暮らすことがいやだった人はそうなる。ここにいつづける理由がないからだ。


では長年いつづける人はどうなるかというとそれも惰性なのかもしれない、ずっとなじんできた土地だからそのままいたい、知り合いも多いしなじんだ人も多い、そういうなかで暮らしたい、都会のような誰も知らないところではもう暮らせないというのもいつづける大きな理由である。認知症なんかはなじんだ所にいるのが一番の治療である。自分がどこにいるのかさえわからなくなるからだ。なじんだ人といることも治療になる。認知症でなくても60過ぎると環境の変化に弱くなるからそうなる。チェルノブリでは放射能の被害で死んだ人よりなじんだ故郷から出て心労やら病気で死んだ老人が多いのである。それは特別にそこにいつづけるというのではなく惰性もある。ずっと住んでいたから住んでいたいとなるのは人情である。別にそこに特別住みたいというのでなくてもそうなのである。また介護している人などは出にくい、自分もそうだったが他の人もそうだった。そういうやむをえない事情で出れない人はいた。それは別に特別な理由もない、長年の習慣がなかなか変えられないと同じように慣れた所にいつづけたいというだけである。


しかし今回の本当に不思議である。牛と別れるとき悲しむ人、牛は家族と同じだ、牛に活かされ牛と共に生きてきた。外から見る人はそんなに牛は大事なものだったのかと思う。牛は肉牛もいて屠殺するし、乳牛にしても乳を出す機械のようお思っている人もいる。女性が子供を生む機械だと言った人がいるから別に動物だとそういうことはできる。ただ動物も生き物だから機械とは違うから人間の情がうつり人間化した動物となっている。でもあらためて牛と別れるとなったとき牛をいとおしむ、牛は大事なものだった再認識したのではないか?それは牛だけではない、実りをもたらす大地が大事なものと認識した。先祖代々の土地だからなとという農民特有の言葉も何度も聞いた。果たしてそういう第一次産業にたずさわる人は自然とじかに接触して仕事をしている人たちである。戦前なら第一次産業にたずさわる人がほとんどである。だから土地がなくなると土地を求めて満州やブラジルに移住したのはそのためである。土地がなければ農業はできないからである。高度成長時代から工業化すると第一次産業の価値は極端に低くなる。だから常に農家でも漁業にたずさわる人でも収入の面で不満がたえなくなったのだ。漁業組合の人が東電の社長に向かって俺たち漁師を馬鹿にするよなと面と向かって言っていたのでもわかる。双葉町で原子力に頼るようになったのはそのためである。それは地方ではみなそうである。豊になりたいという気持ちが一致している。第一次産業では豊になれない、それで原発を誘致したのである。それは金だけを言う人とさほど変わりない、原発だろうが何だろうが金になればいいということがあったのだ。


そうならばそういう人たちは政府であれ東電であれ保証金さえもらえば別にそれでいいとなる。仕事は別にどこでもあるところで見つけて住めばいいとなるのだ。若い人だったらどうしてし南相馬市のようなしょぼい街にさらに衰退する街にはいたくないとなる。それをとがめることもできないだろう。そもそも農業の跡継ぎなどしたくないと親が言っていたからである。収入の面でどうしても成り立たないということで子供に言っていれば見ていれば農業などでは食べていけないということで農業を捨てるのは当然である。でも一旦田植えも、米作りもエチゴ作りも、畑での野菜作りも土地と結びついたことができなくなったときどうなったのか?やはりそういう仕事をしたい、今までしてきたというのもあるがやはりその仕事がいい、その仕事自体が生きがいなのだ、収入の面は今はさておき仕事がしたい、土にかかわる仕事がしたいとか言う人がいる。簡単にそういう仕事をしてきた人たちが職業を変えることはむずかしい。それは単なるスキルの習得であるだけではないやはり何か根源的な問題としてある。仕事は常に言われるけど収入だけではない生きがいが大事なのだと、でも実際に自分の仕事の価値を知ってしている人は少ないだろう。どれだけの価値があるかなどわからない、たいがい金銭に換算している。こんな収入じゃやっていけないというのが常に農業だけではないどこでも言われている。収入が少なくても足りなくてもここに住み牛と田畑と自然環境のいい所で暮らすのがいいのだと言う人も確かにいる。それは少数者になる。


不思議なことは今回のことでそういうふうに農業でも漁業でも他の仕事でもこの土地に働きここから離れないという人がどれだけいるのか、保証金もらえばこんな所にいたくないという人が多ければ市町村は崩壊するだろう。分離解体するだろう。つまり双葉町でもどこでも原発を誘致したような市町村はすでに分離解体させられていたのではないか?
そんな農業や漁業や林業やその他野菜作り果物作りで豊にはなれないよ、それに比べれば原発の電気事業はとてつもないもの、その金は巨大なもので市町村の財政も潤すとなるとそっちにみんな目が向くし簡単に今の状態のように牛も殺されたり農地が使えなくなったりひどいことになっても保証金さえもらえばどこかに移ればいいと若い人ならそうなり事実テレビでも仕事がないから南相馬市から人口が減ってここは衰退してゆくから出て行こうとなる。そういうことが今までなら知識人が頭の中で考えて言っていたから現場の人は聞かない、でも今やそれが現実なのである。頭の中ではない、牛は殺される、土地は田植えもできない、耕すこともできない、そうなったとき単に収入がないということだけで終わりなのだろうか?何かそうした根源的なことが問われている。これはお医者さんとかもそうである。医者は市町村にはなくてはならない中核的な存在である。医療が崩壊すると市も崩壊することでわかる。お医者さんは医者不足だからどこでも給料が良くて暮らせる。ここに留まる理由もないのだ。でもここに留まる医者もいる。
長年やってきたから奉公だといって戻ってきた老人の医者もいた。奉公だというとき何かこの土地に市に奉公したいとうい古いモラルの持ち主だった。そういう価値観をもっていたのである。そういう人はこの土地を離れないしまた老人ということで離れにくいのだ。


いづれにしろこうして南相馬市であれ浜通りであれ津波の被害にあった宮城県沿岸であれ岩手県であれそこに留まることの意義が問われている。もちろんもう仕事がないとか家もないとか何もないとかで移る人はでる。でも何かそこに留まる強いモチベ-ションとかさらに高等にはなるがミッション(使命感)がなければ留まることはできなるのではないか?そうでなければ30キロ圏内の市町村は政府の意向によりつぶされ解体され核の廃棄場となるのではないか?それより双葉町などは別にその場所に住む必要が前からなかったのだ。多額の保証金をもらって他に移り住んでも良かったし政府でも東電でもその方が好都合だったのである。

住む人にそこに住みつづけるモチベ-ションとかミッション(使命感)とかがないとそうなるのではないか?そんな高等なものはわからないともなるが現実にとそれぞれが問われているのではないか?野馬追いに出たいからここに留まるという人もいていい、それも一つの明確なモチベ-ションである。それでも野馬追いには武家の出の一部しか出れないのだからみんなのモチベ-ションになりえないからそれだけで市は維持できないだろう。おまえはどうなのだとなるが、自分もまた同じである。やはり問われているからこうして考えてプログに発表しているのである。 自分の場合はここの土地を基にして芸術とか学問の創造をしてきた。でもまたそれはこの土地には限らないことである。ただ基本的にこの土地を基にしている。自分にしてもここに本当に留まる強いモチベ-ションがあるのかとなるとわからないのである。年取るとどうしてもただ継続としていることがある。何かの継続としていつづけるのだ。その継続が歴史であり留まる動機にもなっているのが老人なのである。その土地の石や樹のように自然となっているのが老人でもあるのだ。

いろいろな人がやはりここに住む価値が問われている。

一千万もらった方がそこに住みつづけるより良いというのはもともと原発の事故で住めなくなるということを苦にしていない人である。ここに住むこだわりがないから一千万の方が価値があるのだ。そういう人が多数になれば市は解体してゆく。そういう市町村なら簡単に核の廃棄場に政府でも電気会社でもできる。金で買収できるからだ。


近くに老いた哲学者がいて同じことを考えていた。ともかくいろいろな人がその立場立場で取り上げられているから毎日考えることになるのだ。


モノディアロゴス
http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/3561

 
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2011年06月14日

南相馬市鹿島区右田に残った松


南相馬市鹿島区右田に残った松

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家がなくなった人がここに鯉のぼりを置いたのか?
ふつうこんなところにこいのぼりをしないから


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クリック拡大

前畑にダリヤ明るし朝に映ゆ


凄まじき枝折れあらわ凛々しくも津波のあとに残る松かも


今はなき右田の松原防波堤崩れ打ちよす浪の音かな


なぎ倒す松数しれず根のあらわその一本のまた残り見ゆ


家はなく庭石残る茫然と石も驚く津波なるかな


もともとは庭にありにしその石の荒野に残りあわれなるかな



右田の松原は松が太いからいい松原だった。あまり注目されていないがいい松原だった。松川浦よりいい松があった。松川浦の松は細かったのである。だからいい松原とは思わなかった。ともかく今回の津波では松の被害が甚大である。どれだけの松がねこそぎ倒されたか数しれない、何十万本の松が津波で根こそぎ倒された。松原は防潮林として植えていたからその松がすべてなぎたおされた。津波の威力をそこでまざまざと見た。陸前高田市では7万本の松の一本が残ったがそれも危うくなっている。あの辺この辺より津波が激しかった。街自体が壊滅した。まるでポンペイの跡である。この辺でも磯部とか烏崎はそうなった。街とか村ごと一瞬にしてなくなったた恐るべきものだった。身の毛のよだつような津波の猛威だった。


右田だとしょちょう行っていた。駅近くの踏み切りからまっすぐな道だったが家は少なかった。
それでも家はあった。一千万で最近リホ-ムして売り出していた家があった。あの家を売った人は運が良かった、命も助かり財産として価値あるとき売ったからである。海老にあった喫茶店などをしていた別荘も1200万で売り出していた。それも土地だけは残ってももはやあんなところには誰も別荘は建てない、別荘は海側に建てる人はなくなる。日本では結構津波のことを考えず別荘を建てていた。こんな金銭的な大損失はいくらでもある。一瞬にして家も土地も財産もなくなった人たちが何万人といるからめずらしくもない。


あそこに大きな石のある庭があった。その石はどこにいったのか?写真のよりもっと大きい石だった。庭の石も津波によって流された。庭の石は荒野の石とは違う。人間の情がうつった石になっている。ペットと同じである。石に情がうつらないというかやはり庭の石は人間化した石なのである。いづれにしろ以前として異様な光景は変わっていない、これも何年かたつとそんなものかと日常化するのだろうか、それにしても一本残った松はまるで戦場で必死に生き残った侍のようである。なぎ倒された松、殺された松は部下だったのだろうか?凄まじい津波の猛威にたえて残った一本の松、痛々しくもしかし凛々しい松である。これを画家が絵にすれば名作になるかもしれない、一幅の絵になっているのだ。右田の松原は消えただ今はこの残った松の英姿を見るだけである。


前畑や前田というときなんともないようだが農家だったらまず前田が前畑が映える。そこが昔なら生活の拠点となったからである。今は遠くの会社に通うから自然な生活が失われた。前畑や前田を生活の拠点にすることが自然な人間の生活である。あそこは田中城があったところでありあそこまでは津波が来なかった。その手前まではきていた。やはりあそこは高くなっているから城が作られた。あとは低く湿地帯だったのである。


ともかく前田や前畑が生活の拠点となるのは自然であった。車や交通の便がよくなったから遠くが生活の拠点になる、それは人間にとって不自然なことである。都会では今回の地震で帰宅できない人があふれた。そして自転車通勤した人は帰れたのである。便利なものに頼っていると災害のとき困る。便利なものに頼れば頼るほどそうなるのだ。原発の事故もそうだったのだ。その災厄は何百年つづくとか土地まで耕せなくなった。津波の荒野に原発事故の放射能汚染の荒野の世界である。こんなこきになるとは誰も想像もしなかった。でもそれが今の現実なのである。


 

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福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」


福島・相馬市の玉野の酪農家自殺=乳牛処分し廃業、「原発なければ」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011061400329

霊山から玉野も放射線量が高くその近辺では避難するようになった。飯館村に近いと放射線量が高い、3マイクロシ-ベルトになっていると住んでいられないんだろう。特に子供いる人は避難するようになる。玉野でも子供がいる人は市の仮設住宅に避難するという。3マイクロシ-ベルトでも子供はその3倍くらいの影響がある。子供をもっている人はみんな避難している。飯館村でも残るのは最後に老人である。もう老人は石のように動けないのだ。ここで自殺があったのは牛乳を廃棄していたこともあるがテレビのニュ-スではフィリンピンの妻が原発事故以来放射線のことでフィリンピンに帰ったこともその一因になっている。浪江の津島でも前に中国人妻が東京に住みたいとナタで夫に襲いかかった。あんな山奥とは思わなかった。その女性は都会に住みたかったのである。山村が嫁不足で外国人が結構入っていることがこれでもわかる。原発事故関係で自殺したのは須賀川と飯館村の102才の人と今回は玉野で三人目である。
酪農は草から放射性物質がとりこまれてミルクになるから危険である。チェルノブリではそれを政府で黙認して牛乳を飲ませていたから子供が甲状腺ガンになった。日本では最初段階で乳牛の原乳をとめているから安全である。


この放射能はかえって自然と共に暮らしていたところに甚大な影響があった。土とか水とか植物に影響があった。そして土とか水が一旦汚染されたらなかなか消えない、百年も消えないとか、地下水の汚染はやがていわき市や郡山の方に浸透ししてゆくとかその全容は誰もわからない、百年後にも地下水から放射性物質が発見されたとかなる。地下水には江戸時代に降った雨がたまっているのも神秘的だがそこに放射性物質がたまる。それはなかなか消えないのである。森の中でも葉にたまり葉が落葉になり循環して放射性物質は消えないやっかいなものなのである。広島と長崎の原爆とは違った放射性物質の被害が延々とつづくのである。広島とか長崎は都会であり草木も生えないというとき土とかが汚染されたのとは違っていた。都会だとコンクリ-トのビルでも洗い流すことができた。でも土や木や地下水となると放射性物質を取り除くことができない、結局時間が解決するとなるがこれも長い。そもそも森をどうして除染するのか?森を切ってできるというが森の樹をみんな切っていいのかとなる。森が枯れるわけではないのだから自然の浄化作用にまかせればいいともなる。そのためには30年から100年かかるとなるが森の木を全部切るようなことをしていいのか?そのことが疑問なのである。結局チェルノブリのように荒野化野生化するほか、放置しておくほか手段がないのかもしれない、それでもそこには生物は繁茂している。死の世界にはなっていないのだ。狼が戻ってきたということがそこが野生に戻ったということである。自然が死に絶えるわけではないのだ。飯館村の佐須の山津見神社には狼を祀っていて狼の伝説があり白狼というどぶろくを作っていた女性が紹介されていた。狼はもどらないにしろ正に狼の伝説がある場所にふさわしいとなる。


ともかく飯館村でも悔しいとかモノを投げつけていた人がテレビで写っていたり酪農家の被害も大きすぎた。原発事故で起きたことは様々なことを示唆ししていた。豚が死んだ豚を食べていたとか信じられない凄惨なことが報告された。豚は肉食だからそうなった。一方で牛は餌がなく力尽きて死んでいた。牛は肉を食べないからとも食いは起こらないのだ。人間は飢饉になり人間も食った。人間は肉食だからである。草食動物と肉食動物の違いがある。人間は肉食動物だからとも食いにもなるのだ。津波であれ原発事故であれ日常的なことから非日常的なことが起きている。高度化した文明は高度成長以後は第一次産業が経済のしめる割合は極端に低下した。現代では石油が電気がどれほど大事なものであるか、米や野菜や牛乳はありあまにほどある、だからその価値は低く見られていた。それで漁業組合の人が漁業を馬鹿にするなよと東電の社長に言っていた。そうした価値観の相違が露骨に現れたのである。生命を維持することに直結する第一次産業が低く見られ工業化によってその他のものの価値が高くなりすぎた。そして原子力の事故ではその低く見られていて第一次産業が一番打撃を受けたのだ。

社会でも農業や漁業などより電気がエネルギ-が大事だとなっていた。都会の田舎の対立もあった。そうした諸々の価値の相違による社会も原発事故と関係していたのだ。命と直結する第一次産業の基盤が失うと人間はもはや生きていけないということに気づいていなかった。それで双葉町の人が家族がばらばらになり苦しんでロウソクでも家族一緒に暮らせた方がいいと言っていた。家族まで崩壊させた。ここに移り住んだ人も会津に祖母がいて二本松に会社があり通っている。浜通りから二本松に通っていたら大変である。でも原発事故でそうなってしまったのである。様々な悲劇を生んだのが原発事故だった。その被害は一時期のものではない,百年もつづくというから放射能の怖さを今になって被害を受けてはじめて知ったのである。


核戦争の中で死ぬことは三度死ぬことである。自分自身が死ぬことであり子供たちの世代において死ぬことであり、是自然と共に死ぬことである。
ああ、友人たちよ、高く見上げたまえ、まだ空が相討ちに高く空をみあげたまえ、大地がぼろぼろに崩れないうちに、大地に触れたまえ、

泉が汚染されないうちに、走って清水を飲みたまえ、海が荒されない前に思い切り泳ぎたまえ
とりわけ、あなたの子供たちがぐったり倒れないまえに、ようく遊んでいる姿を見ておきたまえ
(ランザ、デル、パスト)


本の山からこんな言葉が出てきた。ガンジ-の時代の人だとするずいぶん古いがフランスの人だった。フランスの核実験反対運動した人だった。核戦争ではなく原子力発電も同じだった。
子供たちの世代にもの凄く影響する。放射能もそうだし放射能は子供の世代にも消えずに影響する。子供が外で遊べなくなったのもにている。ただ福島で起こった原発事故で違っていたのは放射性物質汚染は目に見えないから広島や長崎の被害と違っているからあれこれは何だと思う。何ら風景は変わっていないのだ。水は澄んでいるし大気も澄んでいる、森も変わらずに水々しい緑である。どこが汚染されているのかと思う。現実にチェルノブリは原始の森に戻って野生の楽園になったという。つまり生物が死に絶える世界ではない、長崎と広島ではそういうふうに思った焼け野原になり生物は生きていけないと思った。でも原発事故ではそうならなかった。そこがどうしても深刻に考えないことにもなった。飯館村でも老人は残るというのはそのためである。老人は放射能の影響を受けないから別に住んでもいいのである。放射性物質に汚染されたものを食べても別にあと10年でガンになるといってもその頃はみんな何かしら病気になって死ぬから同じなのである。だから広島と長崎と比べるとずいぶん違っているし深刻なものとそこに住んでいる人は考えない、ただ避難させられたり農業ができないということで深刻になる人はいて自殺したのである。放射能に直接やられて死んだというのではないのだ。放射能の影響がどうこれから現れるかはわからない、その結果により今回の事故の大きさがどれほどのものだったか判断される。

 
 
 
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2011年06月15日

南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


南相馬市(鹿島区寺内の仮設住宅→原町区大原→鹿島区橲原村を回る)


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鹿島区寺内仮設住宅



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大原から橲原地区

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通行禁止-橲原渓谷



深々と森に流れや夏鶯


草深く馬頭観音菖蒲かな


大葦にパス停残され菖蒲かな

橲原や二羽交じるや黒揚羽



南相馬市の鹿島区の寺内の仮設住宅は人が相当入っていた。朝日新聞社の人が原町区の雫(しどけ)の人をたずねていた。地図で見てもあの辺に津波が来たとは思えないが広い地域では来ていたのだろう。あそこは道路が広く一つの街になっていた。道路に駐車もできるし車をもっている人も多い。比較的恵まれた人が入ったのかもしれない、玄関のあるのとない部屋があった。車が町の真ん中を通れるというので便利である。西町と千倉では囲われたようになっているから車も人も外部から入れない、ただ千倉には樹があり木陰になるので夏は気持ちいい、ここは新し町ができたということが不思議である。

そこから小池を回り原町区に出て大原の方に行ってきた。何軒か避難しているかもしれない、でも車がある家は避難しないのか、よくわからない。病院で知り合った人の家はどうなったのか、寄らなかった。そもそも年で病気なのだからとても五町あるとしてもできない、市役所で息子が働き街に住んでいるとしたらそっちに移ったのかもしれない,廃屋になっている家が三軒くらいある。そこから橲原の方へ上ってゆくとやはり空家になった家がふえてくる。家は少ないにしろ明かにふえている。牛車には牛はいない、牛はもうここでは飼えないだろう。放射線量は高い地域になっている。大原から大葦は前のバスの停留場だけど廃止になってから一年くらいになるだろう。そこに馬頭観音と草深く菖蒲が咲いていた。馬頭観音でもバスでも交通があった標である。 ここに一回だけおりたことがあった。折り畳み自転車で飯館村に行っていたからである。まだ車の行き来は盛んである。でも飯館村が立入禁止区域になったら極端に淋しくなる。まだ交通は遮断されていないからかえってここは車の行き来が激しく山の村とも思えないところである。警察の車も多いのだ。見回りをしているからである。もともとこの辺は家がまばらでありこの辺でもう酪農とか肉牛でも生活できないとか避難したいということを報告があった。相馬市の玉野も相馬市街から離れた辺鄙なところであり原発がなければとか書き残して自殺した人がいたがそれだけの理由とはいえないだろう。フィリンピンの嫁と子供が故国に帰ったことも痛手だった。その方が一層死んでしまうとした原因かもしれない、借金もしていたとかやはり今は農家でも酪農家でも苦しかったのである。東電で国で保障されて移った方が楽な人もいることは確かである。ただつづけたいという人もそれなりにいるからその事情はいろいろなのである。

この辺では確かに井戸水を使っていた。井戸水は地下水は放射能に汚染されているから危険で飲めないだろう。山の湧き水をとり入れて所もある。そういうのも危険になるのだろう。ということは山で暮らすメリットがなくなる。なぜなら水道代を払わないで良かったからである。

それから橲原渓谷は通行止めになっていたが自転車ならそういう場所でも行けるから下ってきた。落石があり木も崩れ落ちていたところがあった。橲原に出たがここでもテレビで写していたが放射線が高く子供がいるという家は移ると言っていたから移動した人がいるのだろう。空家になっている家があるみたいだ。道路の脇に九輪草が一杯咲いて夏の蝶が乱舞していた。
あそこに蝶だけが集まりあとは今は耕されない畑に田植えされていない田があるだけである。
でも蝶があんなに飛んでいることでほっとした。自然は放射能に汚染されても表面上は何ら変わっていないのである。だから俳句でも短歌でも詩にも絵にも写真にもなる。放射能汚染だからといって森の樹を全部を切って除染すべきだと学者が言うがそんなことしたら森がどうなるのか?むきだしの土のはげ山になってしまう。第一そんなことができるのかと思う。


橲原村というと何か隠棲するのには一番いい所であった。大原などもそうだったがあそこは車の通りが激しいからそんなにいい場所とは思えなかった。今はどこでも車が騒々しくするから隠棲するのにふさわしい場所はまれである。ただ橲原村というときその場の雰囲気を知るのにはどうしても一回はたずねる必要がある。テレビとかではわからない、なぜならテレビを見て俳句や短歌を作れないからだ。確かに震災の映像を津波の被害の映像を見て作ったがやはりリアルな表現に写生の表現にはなりにくい、真実味が出てこないのだ。ともかく橲原村でも大原村でも人が流出すると村自体がなくなる危機になるかもしれない、前から山の暮らしは単に単に風流で見ているならいいが実際に暮らす人には大変だった。だから保障さえあればこのさえ街に出ようとする人が増えてくるかもしれない、回りの人がいなくなると余計に住みにくくなるからだ。今回のことで不思議なのはこうしてなれ親しんだ所に住んでいた人がいなくなるという不思議である。最後の見納めのように見ている不思議である。大げさになると人類最後の日を見ている、人が住まなくなるということはそういうことでもある。

まあ、人類がいなくなっても放射能汚染でも自然は残るし回復する。死に絶えることなどないのだ。自然のスケ-ルは千年から一万年だからそのうちにまた回復するからだ。だからその間に人間の住む街や村が消えても不思議ではないのかもしれない、こんなとき俳句など作っているのがおかしいのかもしれない、ただ習慣で作ってきたから作っているのだ。それもやはり自然が別に枯れてもいない表面上は同じだから作れるのである。ただこういうとき俳句とか短歌を作るために見て歩くというのは不遜になるのかもしれない,みんな困っているとしたらそうである。ただ報告として出しているのである。

posted by 老鶯 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連