2011年05月31日

復興へ向かう短歌十首


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夏菊の白と黄色の風にゆる

この道や昨日の嵐に倒れたる菖蒲のあわれ我が見て通る


 復興へ向かう短歌十首


墓倒れ故人も驚く地震かな安らけき日のいつ戻りなむ


墓倒れ地割れの道や復旧の道のり長くこの道を行く


雨しとと蛙の鳴きて我が一人昼餉の用意なお余裕あれ


悲しみのなおも深きも生き残る人はひたすら生きるほかなし


生き残る人はなお湧きぬ力あれ樹々の芽吹きてここに生きなむ


家族をも家をもなくしこれよりは何をよすがに生きむとせむ


故郷に長くしあれば離れじを生きる力のここより生まれむ


よすがなる牛や土地や仲間とも分かれて生きる何を頼りに


その土地に長くしありし石なれば動けざるかなここに生きなむ


荒廃の津波の跡に芽吹きかな残れる人は生きるが勤め


復興の力の湧かむもろともに海と地と山再生へ向かふ

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昨日は嵐だだった。松川浦ではまた地盤が低くなった所が冠水した。毎日通るところにひっそりと咲いていた菖蒲が倒れていた。墓も倒れて直されていない、この災害は長く尾をひく、歴史的災害である。神戸の震災では商店が復興するのに10年かかった。長かったと言っていた。経験者の言葉だから重い。この復興には長くかかるということを覚悟する必要があるのだ。とても一年に二年とかで復興するものではない、長い根気のいる復興の時間が必要になる。
だから50代とか60代の人は第一次産業に従事している人はあきらめる人も出てくるかもしれないもともとも跡継ぎのいない人もあきらめるかもしれない、これから長い時間をかけても復興するという人でないとやっていけないかもしれない、即席には解決しない、嘆いてもどうにもならない、こういうときみんなあせっているけどかえって今なんとかしようとするとできないかもしれない、長い目で見て復興するならば復興できるかもしれない、その長さに耐えられるのか?それが問題になってくるだろう。神戸の商店街では10年かかったというときまさにそれだけの長さが復興には必要となる。だから途中で投げ出す人もでてくる。こういうときやはり50代以上になると苦しい、でも第一次産業は50代以上は本当に多いのだ。農業でもそうだしそこに大きな復興の問題がひそんでいた。かえって原発事故なら保証してもらった方がいいという人もでてくる。
そもそも跡継ぎがいない人が多いからだ。でもその土地に残る人は復興ということが課せられている。テレビでも地元の人が無償で便利屋を勝手でている。若いときはワルであっても今は違う。なんとか地元のために復興のために力をになろうとしている。でもこれは先が長い、ポランティアは遠くから来てくれたが一時的なもので終わる。ところが地元に住む人は延々とつづくのである。放射能汚染は元にもどるのに何十年かかるというからこれも先が長いのである。その頃、年寄は死んでいるのだ。そんな先の長いことに耐えられない人もでてくるのだ。


 

posted by 老鶯 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

瓦職人が屋根から落ちて死ぬ

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瓦職人が屋根から落ちて死ぬ

●瓦職人死す


瓦直してもらったけど瓦は今回の地震で軒並み壊れた。小高の瓦屋の人が忙しく一時的な処理をしてくれた。グシは曲がっていて直す必要があると言っても今はできない、瓦屋とか建築土木関係当分忙しい。その瓦屋が屋根に上がったとき怖かった。屋根の縁を歩いていた。自分の屋根は怖いくらい高い屋根だった。その縁を歩いていたのでびっくりした。前はグシを直したがグシは真ん中だから怖いとは感じないが縁を歩いていたら滑ったりするから怖い。


前にも書いたけどアンテナとりつけたアルバイトのように雇われた人60才くらいの人が屋根から落ちて死んだ。この人はプロだけど屋根から落ちて死んだ。42才だから若い。昨日は風も雨も強かった。こんなとき仕事していたのは仕事が忙しく休むなかったためだろうか?工事とか建築現場でも危険がある。頭を通う仕事は楽と言えば楽である。でも頭が良くなければ力仕事で危険でも現場で働くようになる。今回の原発事故では頭を使う仕事より現場で命懸けで事故をおさめる人の価値が高くなった。事故がなければ原子力となると人間の頭脳が作り出すものであり現場より頭脳の価値が何百倍もの価値があった。原子力は特に最高の頭脳が必要だからである。だから給料が高くても許されるし文句は言えないことがあった。それが一旦事故になったらその価値は現場で働く人より極端に下落した。現場で放射線の中でガレキでもとりのぞいてこいとかしきりに言われる。原子力を作り出した人の責任はまさにその頭脳をになった人たちだからである。

この時期瓦職人が屋根から落ちたというのも象徴的な事件だった。

地震保険で審査する人が見にきた。5パ-セントなら保険が出るがそれまでになっていまかどうかわからない、入院して保険に入ってたら保険金が出た。自分も入っていれば10何万かもらえた。保険は意外と大事なものであり得するものである。明日は仙台の交通事故センタ-に行き保険金の交渉である。
交通が相馬まで自転車になり相馬からバスになる。相馬まで15キロもあり自転車では疲れる。電動自転車は本当に役に立った。体もなんとか動けたので一人でも介護してやっていけた。
常磐線は亘理までは復旧した。そのあとはいつ復旧するかわからない、ただ原発事故の双葉などは見込みすらないが仙台の方へはいつか復旧するだろうがその先は長いのだ。

飯館方面も立入禁止区域になったり小高から先は立入禁止区域となり回りが通れなくなる。
この辺は塀の内の刑務所化している。もちろん一日足りも自由に介護になってから出れないことも刑務所になっていた。こんなことがあっていいのかということが未だにわからない。

まあ、旅も30年したから思い出が生きがいだともなる。刑務所で平和なときを思い出して過ごす、それも老後の楽しみだとなる。


●一週間くらいの備蓄は必要


南相馬市で10人餓死したというのはやはり津波があり原発事故がありその最初の一週間くらいで助けがなく衰弱死した人かもしれない、一週間の貯えがない人は食料を調達できなかった。幸い米が一袋くらいあったからそれでしのぐことができた。米が配布されたのはかなり遅かったのだ。一週間ではない、10日間くらいから後のことである。津波が起きてからすぐは回りの援助は全く得られない、救助されるまでは時間がある。その時間に間に合わなかったら死ぬ。津波にあった救助されない人は衰弱死したとしたら餓死とは違う。そのあとに食料が欠乏して死んだら餓死になる。ともかつ一週間分くらいの食料は備蓄しておくべきである。

 
posted by 老鶯 at 15:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事問題の深層