2011年05月28日

白薔薇(長門裕之死す・・・)


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雨しととしみ入るごとく我が庭に白薔薇二輪咲きつつ暮れぬ


石二つ隠れてひそか塀の内誠尽くして長くありしも


石二つ隠れてひそか塀の内忘れな草のここに咲くかな


苧環の花のひそかにここに散るその静けさや石見守りぬ


●長門裕之死す


長門裕之もあっけなく死んだ。死後も南田洋子さんのことを認知症介護のことで演技しつづけた。認知症の南田洋子を晒者にしたという批判があったが死んだ後も売り物にして演技しつづけた。やはり役者は現実世界を演技にするのは良くない、舞台やドラマならいいが現実を演技化することはできない、人生は演技ではない、真摯に生きることは演技ではない。ただシェ-クスピアのように人間は人生の儚い一場を演技するというのも真実なのだ。人間はみんな何かしらの役を演じて死んでゆく。人間は一人一人がそれぞれのドラマを演じて死ぬ。長門裕之はそもそも役者だから現実をドラマ化してしまった。夫婦の愛といってもドラマの中の愛のように演じてしまったのかもしれない、最後に美人で聰明な俳優も余りにも無惨だった。それは身近に自分も経験したからわかる。認知症は最悪でありこれほど悲惨に人間が死んでゆくものかということをプログを初めてから書いた。その後は自分の人生は信じられない事件の連続だった。そこからすべてが狂ってしまったのである。最後は津波であり原子力事故による放射能被害である。田んぼは田植えされていないし鷺が消えた。蛙も田んぼに鳴かない、津波の無惨な跡はまだ残っている。これは一体何なのか?これが現実なのかということが未だに理解しにくいのである。


誠を尽くすとは愛とは隠れたところにあるというのは本当だろう。愛も隠れたところに発せられる。愛している人への心使いなどは女性の細やかさは目立たない、自分が台所家事をやっているから気づいたのである。人間が愛し合うとか信頼しあうとか長い時間がかかる。だから家の中で働いてもちうことはむずかしい。家の中なくても人と人が信頼しあうには時間がかかる。その時間が老人になるとなくなる。すでに家族を作る時間も消失していたのである。金だけの関係ははかなく一時的に消えてしまう。金では人間の心は買いない、だから介護なんか親ですらなかなかできないというのはそういう隠れた愛をもつことがむずかしいからである。


●金メダルリスト ワンジル(20才)転落死


これは成功しすぎて女性問題でもめて死んだらしい。一夫多妻制とかも影響していたのか?
結局余りにも若く成功しすぎた結果としてこうなった。貧乏だったらこんなふうな死に方をしなかったろう。余りにも若くして大金が入ったり成功すると失敗する。これもやはり短い一生の役者を演じて終わったともなる。人間どんな死に方をするかは大事である。死ぬときにその人の一生が集約されるというのも本当だろう。人のことを言うのは客観的に見ているのは楽だけどやはりそこから教訓を得るというのも必要だろう。スマトラであれだけの津波があったのに地震があったのに日本人が警戒もせずのんきだった。今になると他人の不幸を関係ないと思っていたのである。人間はいつ危険な目にあうかわからない、この年までただ幸運で生きられたのかもしれない、今になると自分の病気だ、介護だ、回りもろくなことがない、人間ともかく最後はみんな儚い夢として終わる。


●沁み入る・・・は独特の大和言葉


デジカメ時代とパソコン時代になりこの技術がまさに新しいart(技術)を生んだ。ただ加工している過程で芸術が生まれる。まさに絵は描けなくても加工技術で芸術を作り出しているのだ。
人間は生活した所に何か生きた証が刻まれてゆく、庭一つとってもそうだとするとき町々に村々にも刻まれた歴史がある。そういうものがもし避難した人たちが帰れないとしたら喪失する。そんなこと誰も考えない、延々と同じ場所での生活はつづくと思っていた。一つの町や村ごと鳴くなということがありうるのだろうか?確かにダムに沈んだ村とかがあった。でも一万人以上の町がそっくりなくなるということはありえなかった。だから想像もできないことだった。これからそうした村や町は復活するのか?そんなことを考えもしなかったろう。


しみいるというとき、岩に沁み入る蝉の声のようにしみ入るというのは大和言葉であり独特のものである。しみ入れということは他の言葉には
訳せないのである。日本にはしみ入れということが多い土地ではないか?雨でも土に沁み入るになる。芭蕉の岩にしみ入ると表現したことは極めて日本的な感覚だったのである。日本の風土から生まれた感覚である。したたるとかしみ入るとかは湿潤な風土だったからそうなる。それがセシウムが雨でしみいるとなるとは思いもよらなかった。原発が近くにあっても放射性物質がどう影響するかなど農家でも漁師でも想像すらしなかったろう。でも放射能を知っている人はシュミレ-ションできた。こういうことはありえた。日々放射能を相手にしている人はそういうことを想像できたのである。もしメルトダウンしたらどうなるのか危険を知っていた。それを近くの人に教えなかったのである。教えれば危険だから原発は建てられなくなるからだ。安全だと言っていた人が危険を知りながら安全だと言っていたのである。だから罪が重いのである。

 
 

セシウムは雨で流れるのか流れないのか? (セシウムは不溶性)


セシウムは雨で流れるのか流れないのか?
(セシウムは不溶性)


福島市で浄水過程でできる不純物から、20万ベクレル/kgを超える高濃度の放射性セシウム等が検出されたようです。


福島県郡山市の下水処理場の汚泥24000ベクレル/Kgもの放射性セシウムが検出された

 


屋根や舗装道路に降り落ちた放射能は雨水に洗い落とされ、洗い落とした水の中の放射能は排水溝中の汚泥と結合して不溶性となります

地では耕作を行いますので、その結果として耕土はかき混ぜられ土壌の遮蔽効果により外具線量率が著しく低下しました。
http://www.enup2.jp/newpage55.html


生体に吸収されるには水に溶けなければいけないので、不溶性の物質は植物に吸収されない。そのため、セシウムはピート(泥炭)地帯で一番よく植物に入り込む。
http://blogs.yahoo.co.jp/hatsugenya/3349264.html


森林や山岳地帯の土壌は泥炭土のような有機質土壌の上に腐植した落ち葉が重なっている。このため森林の草木や動物は放射性セシウムの吸収が特に高い。また森林生態系における放射性セシウムの永続的なリサイクルも放射性セシウムの蓄積を加速している。
http://www.enup2.jp/newpage31.html

 



今日の週刊新潮には梅雨になったら飯館からセシウムが雨とともに南相馬市に流れてくるから注意しろと書いてあった。一方で土に付着したセシウムは雨で流れないということも学者は言っている。週刊新潮では
「放射性物質で汚染された土壌や汚泥が濃縮して堆積されたものが雨によって徐々に流出することは過去のデ-タ-でも示されている。特に南相馬市と相馬市は水源が飯館村にあるから雨がふると放射能に汚染された水が平地に流れます、相馬市などの農業用水を使う場合は十分に注意が必要です」学者の名前もでている。でも過去のデ-タ-とは何なのか?これを知ることはここからはできない、チェルノブリしかないのが普通である。相馬市では田植えしているからやはり危険をともなうものなのか結果を見ないとわからない。

なぜ福島市とか郡山市の下水処理場か高濃度のセシウムが発見されたのか?それは都会のコンクリ-トととか舗装道路から側溝に流れ下水管を伝わって流れてきたセシウムではないか?

道路より側溝は10倍くらい高くなっていた場合を放送していた。下水に泥に交じり流れたのではないか?下水は糞尿など流れるようにそいうものについてセシウムは流れやすいと学者が言っていた。雨と交じって流れることはない、土に堆積したセシウムはなかなか土から離れない、その土の性質によるが粘土質になると余計に離れない、不溶性の性質があるからだ。だから山とか森からは汚泥炭のような土壌からセシウムが流れにくいだろうと言っている。ただコンクリ-トとかアサファルトからは流れて下水の水道管に流れ汚泥化したのが高濃度のセシウムとして発見されたのである。

土の塊りとともに付着して一体化して流れてきた。水に溶けては流れにくい、セシウムが不溶性だということがポイントではないか?

飯館の山中から流れるとしても泥のよう交じって流れて来たら高濃度のセシウムが発見される。でも田んぼに流れるのは水であり水に溶けてセシウムは流れない、だから田んぼの影響は少ないのか?やっぱり放射能問題はチェルノブリの報告を詳しく読むと参考になる。そこしか実際に実験場になった所はない、土への影響もそこで研究されたし日本人も放射線問題ならチェルノブリに実際に行って研究する。結局福島もそうなる、放射能の研究の場になるのだ。特に飯館村は一番放射能の研究の場になり研究所ができるようになる。世界中から研究者が来ることになる。チェルノブリになってしまうのである。


ともかくもし水に溶けてセシウムが流れたら水道が一番問題になる。水が飲めなくなるから大変である。一時期そういうことがありパニックにもなった。でもそうならないのだろう。多少の変動はあるかもしれないが梅雨の雨で大量の雨でもセシウムが雨とともに流れだすということはない、ただ実際のところはわからない、インタ-ネットからだけでもわからない、もちろん自分のようなのは科学ということが余りにも疎いからわからない、それでも自分なりに辻褄を合わせるとどうもセシウムは不溶性であり土に付着して離れない、泥のようなものに付着したら余計に離れない、セシウムの団子のようになり下水処理場からの汚泥に非常に高いセシウムが発見されたことがそれを証明している。

posted by 老鶯 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連