2011年05月20日

初夏十首-藤の花南相馬市(原町区へ行く)

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夏菊やなお原町に我は来ぬ



あめんぼう池に泳ぎて波紋たち鯉のはねにき夏は来たりぬ


ノウサギのはねてよぎりぬ夏の日やこの辺り隠る森のありしも


一本の松の静かに藤の花ここにそよゆれ行く人もなし


藤の花日陰にそよゆれ静かなり慣れにし道を我が行きにけり


藤の花散りて静けき公園に我は休みて菖蒲も咲きぬ


静かなる心にあれや藤の花風にそよゆれ垂れにけるかな


海よりの風の涼しき初夏や津波の被害ここにあれども


苧環のひそか咲きしを我が庭に見守りあれば今日散りにけるかな


黄金色海老根蘭咲き牡丹に映えまた芍薬に映えにけるかな


心地よく我が目に写る忘れな草朝の静かに我が庭にあり

原町の高見食堂の牡蠣フライ定食はうまいから食べに行った。途中の池に鯉が泳ぎはねあめんぼうが泳ぎ波紋をたてる。やはり夏が来ている。原町でもチェ-ン店のレストランがはじまったから正常化しているけどやはり完全には正常化していない、でも車の行き来は激しい、明かに災害関係の車が多いからだ。小高から立入禁止区域になっているからそんなに車が多くなることはない。原町でも高見町にある小学校に避難生活している人がまだいた。そこには洗濯物が干してあり笑い声が聞こえた。数は少ないが原町にもまだ避難生活している人がいる。その人たちも鹿島の仮設住宅に移るのだろう。原町では学校に通いないから鹿島区の学校に来ている。不自由な状態がつづいている。相馬市では市長が南相馬市の生徒を入れることを断った。それはなぜなのか?同じ相馬でも助け合わないということなのか?普通の生活なら村とか町とか市とか意識しない、でもこんなふうに災害になるとどこの市町村に所属するかが大問題になる。市町村ごとに待遇が違ってくるからだ。双葉町はいち早く逃げてそのあとも東電から保証があるからいいとかうらやましがられている。浪江町は損したのか、町長が鬱になったというのもわかる。こうなると市町村の公務員も楽じゃないなと思った。ともかく自分の所属している市町村で明暗を分けた。相馬市と南相馬市では相当に差ができたのである。
ともかく夏になったことは確かである。ただ季節すら変わってしまった。この辺は田植えがない、その変化は大きい。まだ津波の後は全部かたづいていない、船もかたづいていない、そもそも港が破壊されたところではもう船は使えないだろう。烏崎や新地などはもう漁業はできないだろう。壊滅してしまったからである。松川浦はなんとか再開するだろう。他の漁業は三割の人が廃業するというのもわかる。今回の原発と津波では今まで経営が苦しい所はやめたしまうし跡継ぎがない漁業とか農業もやめる人が多いだろう。大原の農家の人のことを書いたがあそこも放射能で汚染されたから跡継ぎもないからもう年で農業もできないから東電に保証してもらった方がいいとなる。そういう所は結構ある。ただどこまで保証されるのかわからないが30キロ圏内は保証される。

六号線の池のあるところにノウサギが跳ねて隠れ消えた。あんなところにもノウサギがでてくる。確かに背後には埋め立て地があるが森があるからだろう。前も町近くの田んぼにでてきたので驚いた。兎追いしかの山・・・という風景はあったのだ。そういう故郷があることは心なごむ。
飯館村なんかそういういい所だった。それが人がいなくなってしまうのか?その後一体どうなってしまうのだろうか?イノシシとかノウサギの楽園になってしまうのか?現実にチェルノブリは狼が住む原野に帰ったらしい。放射能に汚染されても別に草木か枯れて花が咲かなくなったりしないのである。わずかに茎の長いタンポポが咲いていたとか確認されている。これも奇形とは言えない、放射能はどういうふうに影響するのかはっきりしないのである。人間にしてもガンになる人が増えるといってもその因果関係も証明されていないのだ。子供に影響あることはわかっていてもその他わかっていない、人がいなくなり自然に戻れば飯館でも原初の森におおわれてしまったらそれなりにそこは憩いの場になるかもしれない、ただ放射能はなかなか消えない、30年後辺りにもし人が住めないで原初の森に戻ってしまうのか、それとも菜の花や向日葵などが除染のために植えられ繁茂するようになるのか?その後一体どうなってしまうのか?放射能汚染の問題ははじめての経験だから結局学者もわからないのである。10年後ガンになるといっても別に60以上の人ならガンになる確率は高くなっているのだから放射能が原因だとはならないからだ。

今日は初夏らしい、暑かった。浜通りは海から風が吹いてくるから涼しい。福島市とか中通りとか会津とか盆地だと暑いから嫌なのだ。この気候というのも影響が大きい。浜通りに住んだ人は山国には住みにくくなるかもしれない、海側に住んだ人はやはり海側がいいとなる。山国になると山に閉じ込められたよう気分になるからだ。もちろん山には山の良さがある。ただ海側に住んだ人はやはり海側がいいようになる。津波さえなければ山の方に移った人は早く海の見える所に帰りたいとなる、これはやはり習慣化する、気候の相違もなかなか移りにくい条件になる。どうししても北海道とか東北でも寒い地域には移りたくないとなる。仙台辺りならたいして気候も変わりないからいいとなる。ただ飯館村のような所に住んだ人は都会は嫌だとなるしなじめないとなるだろう。習慣の力は大きい、だから60以上になると新しい場所に移ることがむずかしくなる。現実放射能汚染で死んだ人より慣れないところに移住して死んだ人の方がチェルノブリでは多かったのである。60以上になると慣れ親しんだところが落ち着くようになる。一次産業に従事する人はそうなりやすいのだ。藤の花が垂れ咲くように何か静かな正常化した世界が戻りつつはある。でも以前として混乱はつづいているのだ。