2011年05月16日

放射性物質は南相馬市といわき市は半分は海の方へ風で流れた


放射性物質は南相馬市といわき市は半分は海の方へ風で流れた

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3月12日に女川の方向へ南風が吹いている、南風とはいってもより海側に吹く風もある。
一方は北風も吹いた。これも方向は一定していない、より海側に吹けば放射性物質は海の上に流される
それで南相馬市といわき市は放射性物質が山の中より堆積しなかった。?

参考にした地図とグラフ

http://lockerz.com/s/84349337

 


南相馬市で放射線量が増大したのは3月12日の20から23時だった。水素爆発したのは3月12日の06だとするとその間に時間差がかなりある。風は赤線と紫の線であり南風き北風が吹いた。同じ方向に風は吹かない、放射線量は14日にいわき市が増大して次に15日に浪江の山中から飯館村から福島市と増大した。南相馬市といわき市は3時間で急速に放射線量が低下した。南相馬市に一時期南風が吹いた、でも南風はすぐ北風に変わる。この時期一定して南風は吹かない、女川の原発で高い放射線量が計測されたのは南風の赤い線上に女川原発があるからだ。ただ06時に爆発したとしてなぜ20−23時に南相馬市で放射線量が増大したのか、時間差がある。南風とはいえ海岸線は海側による風だと海に流れてしまうのである。つまり海側に海の上に放射性物質は拡散されたのではないか?
なぜ南相馬市といわき市は意外と放射線量が少なくてすんだのか?それは風の影響もあったが海に半分以上拡散されてしまった。風は陸地より海に吹く時期である。海の方に吹いた風は放射性物資も海へ飛ばしたのでは?


一方で15日に放出された放射性物質は浪江の山中から飯館村から福島市に持続したのは
放射性物質は比較的低いところを飛び山にさえぎられ滞留した。谷間のようなところに滞留しやすいともあり浪江の山中の請戸川に沿う谷間に滞留して土に堆積してしまった。
そこが今でもセシウムなどの影響で放射線量が高いのである。放射性物質は風の流れに影響されまた地形に影響される。海岸線は半分は海の方へ流れてしまう。汚染水も海に流したように海に放射性物質を流してしまった。だから海が相当に汚染されたことはまちがいない、ただ海によって拡散されたことも確かである。海側に沿った所はだから海に放射性物質が拡散されるからそんなに飯館村のような山中のように堆積しないのかもしれない、南相馬市といわき市は3時間くらいしか放射線量が上がらなかった。あとは低下する一方だったのである。
チェルノブリは大陸であり地形も平坦であり風の影響もまた違っている。何より大きな海がない、海がないということはやはり陸地に放射性物質は堆積しやすい、それが雨もふらないとなると流れない、堆積したままにずっと長く影響する。だから放射性物質はそうした風土の影響も受けやすいから世界的に一様な影響にはならないのではないか?


日本の特徴は海に囲まれていることでありそれが今回も大きく影響したのでは?原子炉を海に沈めろというのは極端でも最後の手段としてそれも考えられる。ロシアの原子力潜水艦が事故で海に沈んだ。その後のことは不明なのである。放射能も海で浄化する。それは汚染であるけど陸地が汚染されるより救いがあるのか?飯館村は山中の村だから放射性物質が堆積してしまった。海岸線の街は放射性物質も海に半分は流れてしまうのではないか?人間は住んでいる場所で幸不幸がある。海側に住んで津波で悲劇が生まれ山の中に住んで放射能で悲劇が生まれた。必ず人間の事象にはいい面と悪い面がともなうのである。

posted by 老鶯 at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

飯館村に行く

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飯館村のコンビニにとまっていた

山の村石に風鳴り菖蒲かな

何残す人去るあとにすみれかな


山の道行く人まれに鶯の警戒音のみ高くひびきぬ


声合わせ蛙の鳴きて春の来ぬ飯館村に我は休みぬ


飯館に耕す人も見えずして春になれども淋しかりけり


飯館を去りにし家やとりどりに庭に花咲く春になれども


飯館に生まれ育ちて暮らせしにいでよと酷し春となりしも


飯館を人は去りゆく石のみそここに残りて帰るを待つかな



飯館村ではセブンエレブンとス-パ-一軒しかやっていない、ス-パ-の品物は減っている。昨日から計画的避難がはじまったらしい、引っ越しの会社の車がきていたのもそのためらしい。
今日テレビでそのことをやっていた。役場の方に行けばそのことがわかった。あいのさわで休んで帰ってきた。あそこにいい石がある。飯館は石の村としても石の彫刻が多い。ともかく飯館村は確かに山の村はどこにもありこの辺でもあるが何かが違っている。病気の人がいて風にあたると気持ちよくなるとか言っていた。何か特別な自然の癒しの効果がある。それは説明つかないものであり自然の神秘の作用である。自然の中に説明のつかない場の効力がある。同じ山の村でも違っている。おそらく標高が一番高いということで空気がより新鮮に感じるためでもあった。飯館村はまた広いから一軒一軒が森に隠れるようにある。川俣町とは全然違っている。川俣町は町のなかは狭苦しい感じになる。飯館村は街といってもコンビニとス-パ-一軒くらいしかなかったのである。人より牛の方が多い村でもあった。そういうアルカディア、桃源郷的な村が放射能汚染の村になったということが信じられないのだ。何の因果でそうなったのかとそこに住んでいる人もわからない、なぜ移り住まねばならないのかわからないと言っていた人がいたが当然である。突然一か月以内に村を出なさいということを簡単に受け入れることはできない。放射能にして俺はもうたっぷり放射能すったよと笑っていた年配の女性がいたが放射能に対してそんな感覚しかない。


実際は飯館村はやはり放射線量が異常に高かった。だからどうしても子供には影響するから問題になった。老人はもう放射線なんか関係なく移りたくない人はいる。おそらく最後まで強制退去になるまでいるのではないか?ただみんないなくなるとどうしても生活しにくくなるからこまる。ス-パ-でも閉鎖されてしまったら困る。車があれば川俣とか買いにいけるのは行ける。でもやっぱり村の人がいなくなり村が機能しなくなるのだから暮らしにくくなる。やがて電気が水道もとめられることになるかもしれない、人がいなくなればそうなる。
そして20キロ圏内と同じように立入禁止区域になるのだ。ここがまた立入禁止区域になると交通の問題がでてくる。20キロ圏内が立入禁止区域になった結果六号線は閉鎖され物流や人の出入りが制限される。飯館村が立入禁止区域になるとやはり福島市とかの物流や人の出入りが制限される。一体飯館村に人が住まなくなったらどうなってしまうのだろうか?ある人はイノシシ料理を出している人はイノシシの楽園になるだろうとか言っていた。イノシシは人がいなくなったら我が物顔に里にでてくるのだろうか?立入禁止区域は将来的にどうなってゆくのだろうか?ここでも隣が緊急避難準備地域とか回りが立入禁止区域とかそんなふうになっていることは暮らしにくいのだ。介護するようになってから刑務所に収監されたような状態になりさらに回りが立入禁止区域になり身動きがとれず刑務所に入れられたようにさらになってしまった。海の方に行けば津波の被害でありその避難者が千人も町に来る。やはり350戸くらい仮設住宅が建つ。


つくづくなぜこんなふうになってしまったのかと思う。仙台に行こうとしたら相馬市からバスしかない、亘理までは復旧している、四倉までは常磐線は復旧しているがここはいつになったら復旧するかもわからない、刑務所に入れられたと同じになっている。自由にしていた自分の生活にしてもここ五年間は介護になってから刑務所に入れられたと同じだったがさらに回りが立入禁止区域になりそこを通ることもできなくなってしまった。こういう状態は一体何なのだろうかと思う。今や自分だけではない津波の被災者でもそうだし原発で強制的に避難させられる人もそうである。浜通りは気候的には住みやすい場所だった。海が見えるということはやはり山だけの閉ざされた世界と違い心を解放する、自然は心に大きく影響する。会津のわかりにくいのは山国であること、山だけに囲まれ生活しているとどういう気分になるのかわかりにくいのである。高い山があるからその高い山を見ているとこれも心に影響することはまちがいない、でもそこに住んでいる人でないとわかりにくいのである。ロシアでは海に接していないから海に憧れるというのはわかる。海は人間を開放的にする。山でもそうだが自然に心に影響する、性格も作る。

ここは海もあり山もあるからいい場所だったのである。それが立入禁止区域になり行くことさえできない、それが信じられないのである。こうして何か毎日疲れてしまうのだ。人を助けるといっても自分が疲れてしまっていてはできない、とにかく閉塞された世界でありそれがますますひどくなってしまったのである。

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posted by 老鶯 at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村