2011年05月06日

放射性物質が爆発したときどういうふうに流れたかの検証 (やはり風が影響した)

 

放射性物質が爆発した時どういうふうに流れたかの検証
(やはり風が影響した)

■3月12日午前10時17分■  東電が1号機のベントを開始。
■3月12日午後3時36分■  1号機原子炉建屋で水素爆発が発生。
■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。


■3月12日午前10時17分■  東電が1号機のベントを開始
1-soma.jpg


赤枠は南相馬市の放射線量


3月12日午前10時にベントを開始した、その時大量の放射性物質が放出された。
3月12日午後3時に一号機で水素爆発した。

この二つの事故によってその時風にのっておそらく東風より南風だったのかもしれない、南相馬市にその放射性物質が大量に流れてきた。だから夜の8時から11時ころまで17−20−12マイクロシ−ベルトを記録した。これは南相馬市では一番高い放射線の記録だった。
この時福島市といわき市は記録されていない。

 

3月13日は何も起きていないから放射性物質は流れてこない
南相馬市でも急速に4マイクロシ-ベルトかに下落している

福島市もいわき市も0・0代であり通常の放射線量だった。


■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生

水素爆発しても南相馬市でも3マイクロシ-ベルトとか下落したままである。
福島市でもいわき市でも放射線量は上がっていない


■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。

2-iwki.jpg

赤枠はいわき市の放射線量

この時いわき市で方放射線量が午前2時から3時代に急激に増大した。でも火災が発生したのは午前9時であり放射線量が増えたのは午前2時ころだった。火災の前に放射線量が増大した。その前に何らか燃料から放射線がもれたのかもしれない・・・
いわきでもここだけが放射線量が増大してあとは増えていない、南相馬市も最初の12日が増大したが増えていないのだ。

3-fukushima.jpg
赤枠は福島市の放射線量

3月15日午後4時から16日まで福島市で放射線量が増大している。福島市の放射線量はその後もなかなか減らない、ここでは郡山市と飯館村は計測されていない。

kazehoushasen1.jpg

南相馬市が放射線量が増大したのはベント開始した3月12日午前9時でありこの時一時的にでも南風が吹いた。次に午後3時に水素爆発した。南相馬市には午後8時から11まで放射線量が一番増大したがすぐに低下した。つまり風によって一時的に増える。でも継続的に南相馬市には放射性物質が流れなかった。その時福島市やいわき市には放射性物質が流れなかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。風の方向が違うと全然量が違う。ベント開始して水素爆発した日にいわき市には放射線量は計られていないか13日は南相馬市でも4マイクロシ-ベルトくらいに減っている。南相馬市ではあとはふえていない。
 


■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。


3月15日午前2時にいわき市で放射線量が増大した。水素爆発の影響だった。その時は北風だったのだろう。

3月15日午後4時から福島市で放射線量が20マイクロシ-ベルト代に増えた。それまでは平常だった。ここで急激に増えた。これは使用済み燃料の火災の影響でそうなったのだろうか?その時東風が吹いていたことが福島市に影響した。その時浪江の赤字木椚平など一番放射線量が高くなったところは計測されていない、飯館村も高くなって福島市も高くなったのである。その原因は東風にあった。なぜなら南相馬市も12日のベント開始したとき風の影響で20マイクロシ-ベルトにもなっていたからである。
その後放射性物質は浪江の赤字木椚平から手七朗や津島や飯館村の長泥に東風にのり堆積した。それでそこを中心として福島市に東風で流れて福島市で放射線量が高い日が長くつづいた。
やはり放射性物質は風の影響が大きい。南相馬市だって12日にベントが開始された日に20マイクロシ-ベルトと高くなっていた。その時南風だった。その後は一時北風になりいわき市が高くなりあとは飯館村から福島市に東風が吹き山が壁となり放射性物質を土に貯えてしまった。それで今もその土に堆積した放射性物質がセシウムなどが風にのって福島市や郡山市に拡散しているのだろう。南相馬市といわき市には堆積しなかったのは山がないからなのか、空中に拡散したのだろうか?ともかく放射性物質の流れは風の影響が大きいことは確かである。風向きで大きく変わる。同心円では計られないのだ。そして一旦密度が高く堆積したところは飯館村のようになかなか放射線量が低下しない、福島市も低下しない、でも1・5マイクロシ−ベルトくらいだからたいしたことはないようだが南相馬市よりは高いのである。飯館村が堆積したのは山間でありその山が壁となり放射性物質が堆積してしまった。福島市も盆地であり山が壁となり堆積したのだろうか?山は低くても壁となり堆積しやすいということがあるのかもしれない、とにかく風向きで変わる放射性物質の流れには注意である。



福島県放射線量の変化
http://www.pref.fukushima.jp/j/7houbu86.pdf

.houshasuui.jpg

放射線量は最初のベントや水素爆発-燃料棒の火災のとき大量に放出されたがその後積算では一定であり
その後は原子炉から放射線はそれほど流出していなようである。
やはり最初の爆発など放出が大量の放射性物質の流出が起きた。

posted by 老鶯 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

牡丹(平和の日がもどるのか)

bbotannm1.jpg

wasureodamakii123.jpg
長々と虫蜜吸いぬ牡丹かな


虫の来て牡丹にさしぬ朝日影


我が庭に忘れな草や誰かしる苧環の花うなだれ咲きぬ

ようやく多少落ち着いてきたのかな、三〇年間くらい平和な日がつづいた。この五年間は介護やら自分の病気やら様々な問題に翻弄された。最後に来たのが津波と原子力事故だった。そしてどういうわけか自由気ままに旅しつづけたが全く自由がなくなった。五年間の内やっと一回だけ三陸の方に旅したことがあった。それ以外遠くに行ったことがない,近間は行っていたが遠くは行けない、そしてどうなったかというと近間すら行けなくなった。自分の事情ではなく原子力事故で立入禁止区域になってしまったのである。飯館も浪江の高瀬川も葛尾(かつろう)
村もそうである。立入禁止区域になって行けなくなった。この辺は交通も常磐線はいつ通るか見通しがたたない、だからアマゾンなどでも通信販売はしにくくなっている。配達区域として除外される。六号線が通らないことは東京と直結する道路がないのだから東京からの物流は支障をきたす、六号線沿いの店も困る。仙台にも行くのにも相馬から臨時バスが出るにしても相馬まで行くのが大変なのである。だから介護になってからこれは刑務所に入れられたとにていたと思った。介護は他の人でもそう言っている、自由がなくなるのだ。それが今度は回りから交通網がたたれ立入禁止区域になってしまうのだからますますここは刑務所化してゆく感じなのだ。塀の中という刑務所の小説があったけど交通的にも遮断され孤立化している。でもインタ-ネットは通じているからそこで情報を分析している。


今日は仮払い金の申し込みをしてきた。東電では30キロ圏内は百万払うとか言っていた。でも30キロから2、3キロ離れるとどうなるのか、南相馬市を全体として払うとなるのか?その辺がまだ決まっていないらしい、仮払金は損害を与えた分は払って返してもらうことにもなるとか言っていた。明確に具体的に損害を与えた分だけ払うことになるのだろうか?自分の場合は避難もしていないからもらえるかどうかわからない、この保証問題は広範囲である。福島県だけではないし損害を与えられたといえば日本全国ですらそうだった。観光業などもそうである。そういう人たちが全部損害賠償を請求したらとても払いきれない、原子力事故は東電が一番責任があっても国民全部が責任あるともなる。何故なら国民を原発を容認していたからである。今でも敦賀の原発で原発をやめるなと知事が関西電力よ要望していることでもわかる。危険より金なのである。福島の事故があってもそんなことを堂々と請求しているのだから原子力事故の怖さがわかっていないのだ。自分の所だけは事故にならないと思っているのだ。


ともかく多少落ち着いてきたから庭の花なども鑑賞できる。花すらゆっくり見ていられなかった。今でも何かと回りに追われる感じになる。毎日原子力事故のことや津波のことを考えさせられる毎日だった。やはり写真をとってみて発見がある。牡丹に朝日がさしてこれはきれいにとれていると思った。苧環の花もうまくとれている。ごちゃごちゃしているからその辺はだめだった。

写真はやはりとってみてこれはきれいだなと再発見することがある。人間の目でみても写真で発見するものがある。今回の津波ではそうした信じられない光景が写真に残された。でももう瓦礫の山には疲れた。正常な風景に戻ってほしいとなる。正常になるのは普通になるのはまだまだ時間がかかる。千人が入る仮設住宅はやはり多いなと思った。避難所から仮設住宅と被災者の生活も変わり気持ちも変わってくるのだろう。これからはもう津波は千年来ないのではないか?もしかしたら千年の平和がつづくかもしれない、あんな大きな津波はもう来ない、やはり千年に一度の津波だったのだろう。あとは平和の日がつづいてほしいとなる。


 

放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)


放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)

市町村調査学校名 ※測定値(μSv/h)(調査日:4月5日)
浪江町津島小学校 1m高さ 23.0、1cm高さ 30.1
浪江町津島中学校 1m高さ 18.8、1cm高さ 22.9
浪江町津島保育所 1m高さ 22.8、1cm高さ 27.9
飯舘村飯樋小学校 1m高さ 9.6、1cm高さ 10.7
飯舘村飯樋幼稚園 1m高さ 10.0、1cm高さ 11.3
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5
飯舘村臼石小学校 1m高さ 11.5、1cm高さ 12.5
飯舘村草野小学校 1m高さ 14.0、1cm高さ 18.2
飯舘村草野幼稚園 1m高さ 12.1、1cm高さ 14.7
飯舘村飯舘中学校 1m高さ 9.7、1cm高さ 12.2

南相馬市 児童館・児童センター 上町児童センター 1.2 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 高平児童館 0.59 4月29日
南相馬市 児童館・児童センター 仲町児童センター 1.4 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 橋本町児童センター 0.67 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 東町児童センター 0.68 4月29日
南相馬市 放課後児童クラブ 千倉臨時児童クラブ 0.61 4月29日
南相馬市 児童デイサービス あ一す 1.5 4月29日
南相馬市 児童デイサービス のびっこらんど愛愛 0.78 4月30日
南相馬市 その他 原町学園 0.61 4月30日


横川ダム5.98〜6.14
高倉ダム7.41〜7.88


えーと私のカウンタでは本陣前で累積1.5mSv前後だよ
もちろん配給で外にいるときも測ってる
でも風で数値は変わるんで絶対とはいえないですが・・・
で現在部屋の中では0.43μSv/hです


福島市と郡山市の放射線レベルは一定の数値まで下がったけれども、それ以後全く変化が無く、原発事故前の平常値の40倍で止まったままだ。この事実が何故報道されないのか不思議だ。


福島と郡山の中通りは盆地だから高いのかなぁ〜
そして原発から近いいわき市や田村市常盤町、小野町は低いんだよな


5月1日から1年間の大学屋外での被曝予測量は15.0mSvから6.8mSv,屋内では2.3mSvから1.1mSvとなっており


放射線はわかりにくい、放射線は地域によってかなり違っている。測り方によって違ってくる。土から一センチだと高いが一メ-トルになると放射線は弱くなっている。ただ飯館村では
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5・・・これは高さによってたいして変わっていない、ということは強い放射性物質が高いベクレルのものが土に堆積している?放射性物質から離れれば離れるほど放射線は弱くなる。屋内だと 半分以下になったりする。ガイガ-カウタ-では足を計ることでもわかる。足に一番放射性物質がつきやすいのである。何故なら地面から舗装道路でもそうだが土から堆積した放射線が出る。表土を取り除いたら放射線が下がったことでもわかる。放射線は土から何センチとして計るのが目安になる。空中から放射線は飛んでこない、一時的には水素爆発などしたときは飛んできたが今は地面に堆積した放射性物質が放射線を出している。そして郡山市と福島市では放射線の量が変わっていないのはセシウムなどが半減期が30年とか長いものが堆積したためだろうか?なぜ屋内退避になるのかといったらやはり外は土などに放射性物質が堆積して持続的に放射線を出すからだろう。


ともかく飯館村も高いが津島が高いのはわかる、赤字木椚平が一番高いし塩浸の別れ道で津島に行く方面は道が広いから風の通り道になる。南相馬市では山の方が特に横川ダムとか高倉が高いのはわかる。赤字木に近い山にあるからだ。浜通りは海にそった所は低くなっている。阿武隈山脈の山側が高いのである。それは飯館から霊山とか月館や伊達も高いのだ。山が壁となり風や雨などの気象条件で放射性物質が土に堆積した。もし平坦な地だったらこんな分布にはなっていない、チェルノブリなどロシアのような大陸だとどこまでも平地がつづく、すると300キロとか離れた地点に放射線が高い地帯が生まれた。つまり山がないから放射性物質が留まるところがなかった。遠くに飛んだのは障害物がなかったからである。20メ-トルくらいで飛んでゆくとしたらそうなる。またそのくらいの高さだとどうしても山があれば壁となり堆積する。赤字木の椚平とか手七朗の山中に一番高い放射性物質が堆積したのはそのためである。南風になったら浜通りの平地に風の通り道ができたら仙台も危険かもしれない、山のような障害物がないと風に遠くまで飛ぶかもしれないからだ。茨城県も山がないから磐城辺りを越えて海側に風が吹くと東京辺りまで飛ぶことはありうる。風に影響されることは確かである。そういうことはありうる、離れれば離れるほどいいというがもし平坦な地だったら百キロ二百キロでも風にのって飛んでゆくのである。

放射線の地図では一番高い赤字木椚平とかから等高線のように放射線量が高くなっている。つまり中心点は原発のある所ではない、放射性物質が一番堆積したところから等高線のように分布しているのだた。ただ福島市とか郡山市は風にのって飛んだのだろう。東風で流され北風が吹いた。東風より北風が常時まだ吹く時期だったからだ。放射線はやはり風がどうなっているか一番問題になる。浪江の人が津島に逃げたのは一番危険な地帯に逃げたのである。
放射線は素人には説明されてもわかりにくい、放射性物質は体内被曝の方が危険である。体内被曝のキ-ワ-ドでいくらでもインタ-ネットで説明がでている。放射性物質が体内にとりこまれると細胞やDNNをきずつける。たとえ一ミリしか飛ばなくても細胞を持続的に傷つけるから怖いのである。体内被曝は体外被曝よりずっと怖い、体内被曝が細胞を傷つけて癌などにするからである。染色体も傷つけるとか遺伝にも影響する。一旦放射性物質を体内にとりこむと持続的に放射線をだしつづける。それで細胞が長い年月の間に傷つけられ癌になりやすいとなる。

放射性物質は空中からとりこむより土に堆積したもの埃などが舞い上がり口などから入りやすい、だから放射線の危険は土や水や食べ物や牛乳などから体内に取り込むことが危険なのである。放射線のやっかいなのは土や水や空気や人間にとって欠かせないものを汚染するからである。水を飲まないわけにいかないし空気も吸わないわけにいかない、土も食料を得るには不可欠である。そういうものが奪われたら人間は生存できなくなる。いづれにしろ土が一番危険だとすると耕すこともできなくなる。土からは埃が立ち放射性物質を一番吸い込みやすいから学校の校庭で規制したのである。南相馬市の校庭は危険にはなっていないのだろう。3マイクロシ-ベルトとなると危険領域になる。ただ放射線については学者でも言うことがまちまちなのはしっかりとしたデ-タ-がないのである。どうにでも解釈できる分野なのである。確かなことは微量の放射線は体にいいというときそれは体外の被曝であり体内被曝でないことである。体内被曝だったら持続的に放射線を細胞が受けるのだから影響は一時的なものでないからだ。


浪江の山中から等高線のように拡散する放射性物質
http://www.sss.fukushima-u.ac.jp/FURAD/FURAD/data-map-datail.html

posted by 老鶯 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連