2011年05月03日

燕飛ぶ(南相馬市にボランティアは来る南相馬市鹿島区右田-被害写真)


(南相馬市にボランティアは来る南相馬市鹿島区右田-被害写真)

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2011年3月11日14時46分に地震が起こった。この時計ではそれから一時間くらい時間があったのか?そんなに時間があったとは思えない、でも時間差ではそうなる。一般的には三〇分くらいして津波が来たし二〇分くらいでも来たとか早くきたので逃げられなかった。この時計の示している時間は津波が来たときに壊れたのか地震が来たときではない、地震が来たときなら14時46分になっているはずである。
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遠くよりボランティア来て燕飛ぶ


家はなし津波に耐えし二本の木の残りて芽吹きけるかな


家はなしここに庭あり水仙の咲きてあわれも誰か住みしも


ここに倉ありしもなしも残る人何を語るや春の日暮れぬ


二本の松の残りてあわれかな右田の松原消えてなしかも


心地よき汗を流さむボランティア全国から来てタンポポの咲く

今日はまた鹿島区の右田の海の方に行った。何度も行ってみると奥まで津波が来たということである。おそらくあの辺に住む人は津波が来るとは思わなかった。想像すらしなかった。しかし海岸から3、4キロとか来ている。あの辺にも確かに家があったし何度も通っていた道である。
そこに確かに倉があり松があった。その家も跡形もなく流された。ただ残っている樹があった。その樹は春になり芽吹いたから生きている。右田の松原は消えた。何本か名残の松が残っている。あまりにも荒寥となった海岸線である。右田には家は少なかったが海老に多かった。
烏崎は一番被害が大きかった。いつも行っていたところがあんなふうになってしまったことが未だに夢見ているようである。でも現実として残った松がありそれがあとあとまで残ればそれで昔を偲ぶことになるのだろうか?家がなくなり庭があったところになんとか水仙が咲いていた。津波のあとにも咲いた。それも不思議な光景となっている。


ボランティアが全国から来ていて家のかたずけをやっていた。京都ナンバ-もあったし神戸もあった。ボランティアなど自己満足などというけど自己負担であり関西から来るとしたら金も相当かかる。無償で働くのだからこれは別な意義がある。そんな遠くから来て無償で手伝ってもらうのはありがたいとなる。かえって近くの人は手があいていても手伝わないこともある。日本全国から集まって助けてくれることはこんな大災害だからだった。自衛隊などは勤めとしてやっている。ボランティアは無償でやっている。無償でやっていてもその労働自体に満足を覚えることもある。すべてが金、金の労働になっているとき人はやはりそれだけではない労働に満足感を覚えたいのである。だから無償でやっているのだ。自己満足だとか批判もあるが何もしないで批判しているよりはいいことは確かである。この大震災で日本の力が一つになって働いていることに感動する。かえって東北だと何か固陋なところがありボランティアの精神とかホスピタルに欠けているかもしれない、関西の方などあけっぴろげであり現金でもかえって協力的なこともある。東北人が意外とボランティアに来ていないというのもそのためだろう。東北というと田舎でありこの辺でも部落内では助け合うがよそ者には冷たいのである。かえって遠くの人が今回助けてくれることを知った。ただ福島県に来たがらないというのはわかる。放射線が問題になるからだ。六号線も寸断されたから遠くから来るには不便なのである。


津波のあとにもタンポポは咲いたし樹が残り芽吹いた。復興の兆しはでてきているがこの辺は放射能の問題があるから困る。でも放射能で汚染されて草木が枯れるとか花が咲かなくなるとかなれば一大事だけどそういうものを感じないから危機感ももてないし何ら普通と変わらない、ただこの辺でも農家では耕すなと言われたから困る。やはり放射性物質は土にたまりやすいことがわかったからだ。

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                                                                                          京都ナンバ-(京)
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神戸