2011年05月02日

狭い地域でも放射線量は違っている謎

 

狭い地域でも放射線量は違っている謎
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以下も同じ

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赤字木手七郎から山木屋は山にさえぎられ
離れている
放射性物質も山にさえぎられた

放射性物質の分布は一様でなかった。放射線は飯館村で高かったのだけど飯館村全体で高いかとなるとそうでもなかった。5月2日のモニタリングでは赤字木椚平が37マイクロシ-ベルトで以前として一番高いのである。その線に沿って赤字木手七郎から長泥への道が高いレベルになる。ここのところは福島の第一原発が水素爆発してからずっと高いし変わっていない高レベルの放射性物質が堆積していて放射線を出している。ただ放射線はどういうふうに計っているのか、土から一メ-トルなら高い、それはビデオでも写していたが土に接ししていると20マイクロシ-ベルトとなっていたが土から離れると高さにより1マイクロシ-ベルトとか下がっているのだ。つまり放射性物質は土に堆積して放射線を出し続ける。セシウムなどは半減期が長いから一旦土に堆積したものは消えずに放射線を出しつづける。ここは土ではないけど舗装した道路でもレンガでもそうしたモノにも付着して放射線を出しつづける。土でないから水で洗いばいいのか?放射性物質は落下して下にたまることは確かである。


これを見ればいかに地表面から放射線が強く出ているからわかる。
http://www.monipo.net/blog/monipo/20110424/


そして放射線で注意しなければならないが一様に分布するのではない、スポットスポットで放射線の量が違っているのだ。特に阿武隈山中に放射性物質が流れたとき非常に複雑に分布した。赤字木椚平は37マイクロシ-ベルトだから以前として一倍高い、そこから塩浸(しおびて)に行き津島方面と手七郎とかの方面に分かれる道がある。ここに店があり良く休んでいたから知っている。津島の方へ行く道は広い道であり三春まで通じている。普通だったらこの広い道に沿って放射性物質も流れるはずである。ところが細い道に入っていったことが不思議である。人の感覚ではそこは細い道であり風の流れがそこに入ってゆくように見えない、ただ塩浸が別れ道であり方向が違ってくる。そこで風の方向が分かれたのだろうか、東から吹いた風が北西方向に向かった。その風の別れ道が塩浸だったことになる。津島方面は5マイクロシ-ベルくらいだからあの辺では低くなっている。東風、東南の風が影響してあの細い道に風と共に流れていったのだろうか?実際は放射性物質の流れは相当な謎である。そんなふうに山間を謎のように流れてゆくものだろうか?ここが気になったのはあの辺を何度か確かに行っているからである。人間的感覚でも風のあの道を山間を選んで通って行ったのかと思うしミステリ-なのである。塩浸から赤字木手七郎への道がありその道をたどって飯館村の長泥へ出た。とにかくその辺に放射性物質が一番堆積したのである。セシウムだとするとなかなか消えないのだろう。


それから川俣町の山木屋は5月2日の時点で2・7マイクロシ-ベルトであり長泥からなどからすると低い。高太石山などにさえぎられているからだろう。つまり放射性物質とか放射線はかなり隣接した地点でも違っているのだ。飯館村が高いと言っても全部が平均して高いわけではない、南相馬市では大原台畑が2・1マイクロシ-ベルトで一番高い、大原は八木沢峠に近い方だが台畑はどの辺かわかりにくい、大原について書いてきたがあそこも汚染されたのかと思う。伊達の霊山の石田は2マイクロシ-ベルである。南相馬市より高いのである。今回なぜこのように放射性物質の分布が一様でなくて複雑化したか、それは阿武隈山中に流れて地形に影響されたことは確かである。その阿武隈山中をどうして風が流れて放射性物質が赤字木付近に一番堆積したのか、雨もふったせいだとある。ともかく気象条件と地形とかなどが影響し合ってそうなった。


そして恐怖のシュミレ-ションはこれだった。南風だと明かに南相馬市は飯館村と同じとなり相馬市もそうであり完全な避難地域であり南風だと仙台も安心できない、風で放射性物質が運ばれる。百キロでも二百キロでも運ばれる。新宿辺りで放射線量が高かったというのもそのためである。つまり放射性物質は一様に流れない、分布しない同じ近接した地域でも違ってくることが今回の事故でわかったのである。だから逃げるとき風によくよく気象に注意する必要があるのだ。


ここの風のシュミレ-ションでは相馬地方は放射能の影響を受けていない?
http://ribf.riken.jp/~isobe/mon/sim/comp.pdf


ドイツのシュミレ-ションでは海に流れのが多い-南風だったら゛相馬市から仙台まで危険地帯
http://ameblo.jp/hope-after-despair/entry-10831522449.html


ともかく科学音痴でも地元の地理とか地形はわかりにくいのだ。それが関係していたとしたら多少発言できることになる。放射線は学者でも言っていることが違っているしその影響はすぐに現れないからますます今の時点は言い放題になる。結果は五年十年後だとすると余計に今の時点では言ったことの結果は出ない、出るのは二〇年後にもなるとしたらもうどうでもいいとなる人はでてくる。放射能はだから騒ぎだけで終わってしまうこともありうるのか?なんだ何人か癌になったけどそれは放射線の影響だったのかないのか誰もわからないとなってしまうのだろうか?
結局放射能の怖さはまさにそうして意識化できないことにあった。水が汚れるという現象もない、空気も何かスモッグや黄砂のように汚れることを感じない、まさにそのことがかえって恐怖となっている。恐怖する人はだから恐れなくてもいいのに百倍の感覚で恐れる。そういうふうにどう対処していいかわからないから困るのである。


ふるさと林道栃窪橲原線の放射線量
http://blogs.yahoo.co.jp/ht_sue/27698256.html

これは個人で計ったものである。でも正確みたい、橲原(じさばら)とか飯館に近く山が高くなると放射線量が高くなるのだ。
信田沢(しだざわ)が高くなっているのは注目である。山側といかわけでもないからだ。

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大原台畑-信田沢---この辺が2マイクロシ-ベルトのスポットになっている
最近は南相馬市は0・6マイクロシ-ベルトである。
ここだけがなぜか高いのも不思議である。放射線が高いスポットができる
そこには放射性物質セシウムなど堆積している。


posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春の嵐(津波や原発事故で変革を迫られる)


吹きすさぶ風にゆすられ芽吹きかな


津波あと仮設住宅あまた建ち春の嵐や夜半に吹き荒る


ますぐにも大木立ちて風うなり芽吹きけるかな苦難の中に


金銭にあがなえざりし田畑なり牛と暮らせる村の一つに

夜は嵐だった。津波から原発事故からと風雲と動乱の時である。千人も被災者が町に集ることはかなりの変化である。ということはコンパクトシティとかコンパクトタウンとかになる。田舎も家々が広く偏在しているのかもしれない、それが不便になっている。ところがそれは自然の暮らしから必然的にそうなったのである。必ず前田とあれば山の中でも海に近い田んぼでも前田が生活の拠点となり村が広がり形成された。日本はどんなところにも田を作ることによって住む場所を広げていったのである。海岸地帯でも今度津波で被害にあったところも湿地帯を埋め立てて田にしたところだった。田を作れば米が主食となり生活が成り立つ。それで生活圏が山のの中でも海岸地帯でも田を作り拡大してきた。それから酪農というのも明治以降盛んになった。これも広い土地が必要だからそれぞれに広い土地を使うから住む家が広く山から海へと点在するようになった。それは自然なことであった。一方工業化とか商業化は町、街を形成するようになる。集約的な人口の集中化しやすいから街が形成される。

今回の津波で漁業でも農業でも個々人が船をもってやることはむずかしくなった。農業にしても個々人の力では無理になった。それは一つのチャンスだということと確かである。農業でも土地を集約化して会社組織にするとか農業でもそうである。街作りでも今がチャンスだという。計画的な街作りがそれぞれの人がまた自分の土地に家など建てない前にする必要があるという。つまりこういう大変革はこんな非常の時しかできない、平時には絶対にできない、完全に街が破壊されたから完全に新しい街が作れるという新しい発想が実現するということになる。

飯館村のようなところはそもそも避難することが無理である。あまりにも土地と一体化していたからである。それは金銭であがなえないものである。一億円やるから村を捨て仕事を捨てて都会で楽な暮らしすればいいじゃないかとなるのか?それより昔からの仲間と一緒に牛と一緒に貧乏でも暮らしたい、ここから移りたくないという人はでてくる。全部ではないに意識しないにしろそういうふうに生きていたものを果たしてその意識を全く変えることができるのか?

村を捨てられないというとき人間もその土地の樹木のようになってしまっている。つくづく団地のようなアパ-トには住みたくないというのはつくづくわかる。飯館村に行けばわかる、森につつまれて隣は離れている。一軒一軒がぎっしりと並びひしめいているような所ではない、森に隠れるようにして一軒一軒が独立してあるのだ。飯館村に行くとだからそういう点うらやましいとなる。そういう人たちがアパ-トのようなせせこましい隣の物音を気にするようなところに住みたくないというのがわかる。自分も田舎は人間関係は嫌だけど東京のようなところになると余りにもせせこましい窮屈に感じてしまう。そういう生活が豊かな生活だとは思えないのだ。それでも福島市とか郡山市は郊外が広いからまだいいかもしれない、ともかくこうした村一つが喪失すること、それをあがなえるものなどないのだ。北海道辺りに村ごと移住すればいいとなるがそれも簡単にできるものではない、村一つを消されることそれがどれだけ罪作りなことかわかる。双葉町は利益を得ていたからやむをえないとかなるが飯館村は全く何の利益も受けていなかったのである。


いづれにしろ山津見神社辺りまで放射能に汚染されたことが信じられない、ある意味で秘境のようなところだった。でもかえって風景のいいところに原発が建って所が多いというのはそこが過疎地域になっているためだろう。今回の津波にしろ原発にしろ現代の都会と田舎の問題とか様々なことを浮き彫りにした。大きな生活の見直し転換が迫られているのだ。

福島市から郡山市に風で流された放射性物質

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わかりやすい放射線分布の地図
http://static.ow.ly/photos/original/aN0E.jpg


福島県は1日、県中浄化センター(郡山市)で処理する下水汚泥から
1キロ当たり2万6400ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。

放射性物質は風の影響が非常に大きかった。3月11日の時期は春の始めであり東風(こち)が吹きはじめる時期だった。東南の風も吹く、その風に乗って飯館村から福島市に流れた。でも郡山市がなぜ高いのかとなると解せなかったが今回の地図を見てわかった。つまり福島市の方に流れた放射性物質が今度は北風にのって中通りを流れた。福島市→郡山市だったのである。原発のある双葉町から風に乗って流れたのではない福島市から北風にのって中通りを流れた。なぜなら中通りは平地が多いのだから風に乗って流れ安いということがある。
一方田村市は山にさえぎられて風向きも違っていたので影響なかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。南相馬市も東風だから低かったのである。この東風は3月11日の時期はいつも吹いているわけではない、すぐに北風に変わるし4月まで春北風(はるきた)という季語があるように北風は吹きつづける、すると福島市から北風にのって郡山市に放射性物質が持続的に流れた。郡山市の下水道から高濃度のセシウムが検出されたというのも福島市から北風にのって流れた放射性物質が堆積したものなのだろうか?

ともかく放射性物質はチェルノブリでも同心円には拡散しなかった。だから20キロから30キロ圏内が南相馬市が緊急避難地域になっているが地図で見る限り相馬市も確実に放射線の量は同じであり変わらない、そしたら同心円で決めるのは科学的ではない、政治的判断でそうしているのだ。相馬市まで保証できないからそう言っているにすぎない、30キロから数キロ離れた鹿島区は保証の協議中だという。相馬市はなんの保証もないのかとなれば現実に土の中から南相馬市と同じくらいの放射線が出ているのだ。いづれにしろ緊急避難の命令が出たら相馬市に逃げてはだめである。それ以上80キロ以上逃げないと安全圏にはならない、仙台辺りまで逃げないと安全にはならない、原子炉が爆発したりしたらそこまで逃げなければ安全ではない。浪江の人は最初津島に逃げたのである。これも距離だけ計算して逃げたからそうなった。津島は最も放射線が高い場所だったのである。その人は次に相馬市に逃げた。でも相馬市でもこれからは安全ではない、緊急避難地域はこの地図で見る限り新地まで入る。政府で緊急避難地域と指定したのはあくまでも科学的ではない政治的判断である。指定すると保証問題が出てくるからしないだけで危険なことは危険なのである。避難命令を出したらあとの保証が鰻登りになり保証しきれなくなるからだ。だからあえて危険でも避難命令を出さないということがありうる。現実にそうしているのだ。何故なら福島市や郡山市の方が避難してもいいくらいに放射線が高いからである。


この地図では飯館村でも8マイクロシ-ベルトと2マイクロシ-ベルトの地帯がある。大倉辺りは2マイクロシ-ベルトかもしれない、なぜなら山にさえぎられているからだ。ただ8マイクロシ-ベルトの帯は霊山の近くまで伸びているとする佐須辺りも8マイクロシ-ベルと地帯なのか?伊達の方にも2マイクロシ-ベルト地帯は伸びている。地形の影響もあったが第一に風の影響が大きかった。飯館村は風の影響で不運だったのである。大倉でも計画的避難地域になり避難することがうながされている。いづれにしろ福島市とか郡山市に風で放射性物質が流れたのは自業自得かもしれない、飯館村は全く不運であり同情するが福島市は県庁のあるところであり今の知事は原発を許可した原発利権知事だったしもし30キロ圏内しか放射線で影響しなかったらいかに原発が危険なものか体で知ることはできなかった。全国でも最初にアメリカが80キロ圏外に脱出しろといったのは正解だった。危険も最も見込んでそう警告した。実際に原子炉が爆発したのかと思ったしその時大量の放射性物質が流れた。だから80キロ圏外に出ろというのは別に大げさでなかったのである。地図をみても新地までは2マイクロシ-ベルト地帯であり危険地帯である。 政府からの避難命令は政治的判断が入る。保証問題が出てくるとめんどうだから危険を言わない、現実に東電の社員は危険をいち早く察知して子供を遠くに避難させて自分たちも逃げた。放射線の危険を知っていたからである。その恐怖は知っているからこそ敏感であった。放射能の危険を知らない人は今でも知らない、毎日数値だけで計るほかない、何かすぐに目に見えて被害がないのである。だから怖がらない人は怖がらない、自分も無知だから怖がらなかった。でも今度はいくらか学習したので怖がるようになったのである。


あとがき

地図を見ると福島市より流れたというより飯館村辺りからも風向きで北風が吹いて郡山市に流れた。地図ではそのような分布になっている。福島市まで流れて郡山市に流れたのではなく
途中風向きで北風になり郡山市に流れたのである。
posted by 老鶯 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連