2011年05月01日

花散る(全国から集る建設業者)

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仮設住宅を建てるために来ていた全国の会社の車

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花散りしあとの余韻に夕暮れぬ今日もこの道我が行きにけり


一時的に体育館などに避難した人が今度は仮設住宅に移る。その仮設住宅の数が凄いのだ。この辺でも千人くらい入るとしたら300個くらい作るのか?それで車のナンバ-を見ると大阪から青森から埼玉から東京からと全国から建設業者がきているのに驚く、大阪からまできているのだから驚く、この業界は人手不足におちいっているらしい。需要が急激に増大したから一社ではやれない、全国の会社が参加してやっている。建設業界は活気づいた。いくらでも直すところがある。今回感じたことは経済は普通だったら競争とかいくらうけるとかそういう冷たいものだと思っていたが実際は経済は助け合いが基本になっていた。東北で困っているから東北のものを買ってやろうとかそういう助け合いの経済が生まれた。互いに助け合ってやっていこうということが全国的な運動にもなった。そういう心がおしつけでもなく生まれたことは今までとは違っていた。他者を追い落としてでももうけるんだというのが経済だったけど一旦つくづく店がないことがいかにこまるか、そこにモノがあるだけで買えるだけでもありがたい、感謝するという気持ちにもなった。いつも空気のあるようなものは感謝しない、しかしそういうものでも一旦なくなるとこんなに大事なものだったとかのか気づいたのである。それを運ぶ人など普通注目していないがガソリンがなくなったときそれを運んだ人にもありがたいとなったのである。まあ、今回の津波やら原発事故は悲惨だったけどいろいろなものを見直す契機になったことは確かである。

原町区でもス-パ-が開店したからだんだん日常にもどってくるが医療、教育は戻らない、悲惨なのは飯館村とかで避難を強いられた人達である。農業や酪農は土地と密接に結びついているから移動しにくい、だから酷だったのである。

桜は散った、その余韻はつづく、でも騒々しいことはつづいている。これは落ち着くには一年はかかる。延々と津波と原発のことにみんな忙殺されるのである。だから何か疲れる、何もしなくてもこういう被災地にいるだけで疲れるのである。

2011年05月02日

福島市から郡山市に風で流された放射性物質

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わかりやすい放射線分布の地図
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福島県は1日、県中浄化センター(郡山市)で処理する下水汚泥から
1キロ当たり2万6400ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。

放射性物質は風の影響が非常に大きかった。3月11日の時期は春の始めであり東風(こち)が吹きはじめる時期だった。東南の風も吹く、その風に乗って飯館村から福島市に流れた。でも郡山市がなぜ高いのかとなると解せなかったが今回の地図を見てわかった。つまり福島市の方に流れた放射性物質が今度は北風にのって中通りを流れた。福島市→郡山市だったのである。原発のある双葉町から風に乗って流れたのではない福島市から北風にのって中通りを流れた。なぜなら中通りは平地が多いのだから風に乗って流れ安いということがある。
一方田村市は山にさえぎられて風向きも違っていたので影響なかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。南相馬市も東風だから低かったのである。この東風は3月11日の時期はいつも吹いているわけではない、すぐに北風に変わるし4月まで春北風(はるきた)という季語があるように北風は吹きつづける、すると福島市から北風にのって郡山市に放射性物質が持続的に流れた。郡山市の下水道から高濃度のセシウムが検出されたというのも福島市から北風にのって流れた放射性物質が堆積したものなのだろうか?

ともかく放射性物質はチェルノブリでも同心円には拡散しなかった。だから20キロから30キロ圏内が南相馬市が緊急避難地域になっているが地図で見る限り相馬市も確実に放射線の量は同じであり変わらない、そしたら同心円で決めるのは科学的ではない、政治的判断でそうしているのだ。相馬市まで保証できないからそう言っているにすぎない、30キロから数キロ離れた鹿島区は保証の協議中だという。相馬市はなんの保証もないのかとなれば現実に土の中から南相馬市と同じくらいの放射線が出ているのだ。いづれにしろ緊急避難の命令が出たら相馬市に逃げてはだめである。それ以上80キロ以上逃げないと安全圏にはならない、仙台辺りまで逃げないと安全にはならない、原子炉が爆発したりしたらそこまで逃げなければ安全ではない。浪江の人は最初津島に逃げたのである。これも距離だけ計算して逃げたからそうなった。津島は最も放射線が高い場所だったのである。その人は次に相馬市に逃げた。でも相馬市でもこれからは安全ではない、緊急避難地域はこの地図で見る限り新地まで入る。政府で緊急避難地域と指定したのはあくまでも科学的ではない政治的判断である。指定すると保証問題が出てくるからしないだけで危険なことは危険なのである。避難命令を出したらあとの保証が鰻登りになり保証しきれなくなるからだ。だからあえて危険でも避難命令を出さないということがありうる。現実にそうしているのだ。何故なら福島市や郡山市の方が避難してもいいくらいに放射線が高いからである。


この地図では飯館村でも8マイクロシ-ベルトと2マイクロシ-ベルトの地帯がある。大倉辺りは2マイクロシ-ベルトかもしれない、なぜなら山にさえぎられているからだ。ただ8マイクロシ-ベルトの帯は霊山の近くまで伸びているとする佐須辺りも8マイクロシ-ベルと地帯なのか?伊達の方にも2マイクロシ-ベルト地帯は伸びている。地形の影響もあったが第一に風の影響が大きかった。飯館村は風の影響で不運だったのである。大倉でも計画的避難地域になり避難することがうながされている。いづれにしろ福島市とか郡山市に風で放射性物質が流れたのは自業自得かもしれない、飯館村は全く不運であり同情するが福島市は県庁のあるところであり今の知事は原発を許可した原発利権知事だったしもし30キロ圏内しか放射線で影響しなかったらいかに原発が危険なものか体で知ることはできなかった。全国でも最初にアメリカが80キロ圏外に脱出しろといったのは正解だった。危険も最も見込んでそう警告した。実際に原子炉が爆発したのかと思ったしその時大量の放射性物質が流れた。だから80キロ圏外に出ろというのは別に大げさでなかったのである。地図をみても新地までは2マイクロシ-ベルト地帯であり危険地帯である。 政府からの避難命令は政治的判断が入る。保証問題が出てくるとめんどうだから危険を言わない、現実に東電の社員は危険をいち早く察知して子供を遠くに避難させて自分たちも逃げた。放射線の危険を知っていたからである。その恐怖は知っているからこそ敏感であった。放射能の危険を知らない人は今でも知らない、毎日数値だけで計るほかない、何かすぐに目に見えて被害がないのである。だから怖がらない人は怖がらない、自分も無知だから怖がらなかった。でも今度はいくらか学習したので怖がるようになったのである。


あとがき

地図を見ると福島市より流れたというより飯館村辺りからも風向きで北風が吹いて郡山市に流れた。地図ではそのような分布になっている。福島市まで流れて郡山市に流れたのではなく
途中風向きで北風になり郡山市に流れたのである。
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春の嵐(津波や原発事故で変革を迫られる)


吹きすさぶ風にゆすられ芽吹きかな


津波あと仮設住宅あまた建ち春の嵐や夜半に吹き荒る


ますぐにも大木立ちて風うなり芽吹きけるかな苦難の中に


金銭にあがなえざりし田畑なり牛と暮らせる村の一つに

夜は嵐だった。津波から原発事故からと風雲と動乱の時である。千人も被災者が町に集ることはかなりの変化である。ということはコンパクトシティとかコンパクトタウンとかになる。田舎も家々が広く偏在しているのかもしれない、それが不便になっている。ところがそれは自然の暮らしから必然的にそうなったのである。必ず前田とあれば山の中でも海に近い田んぼでも前田が生活の拠点となり村が広がり形成された。日本はどんなところにも田を作ることによって住む場所を広げていったのである。海岸地帯でも今度津波で被害にあったところも湿地帯を埋め立てて田にしたところだった。田を作れば米が主食となり生活が成り立つ。それで生活圏が山のの中でも海岸地帯でも田を作り拡大してきた。それから酪農というのも明治以降盛んになった。これも広い土地が必要だからそれぞれに広い土地を使うから住む家が広く山から海へと点在するようになった。それは自然なことであった。一方工業化とか商業化は町、街を形成するようになる。集約的な人口の集中化しやすいから街が形成される。

今回の津波で漁業でも農業でも個々人が船をもってやることはむずかしくなった。農業にしても個々人の力では無理になった。それは一つのチャンスだということと確かである。農業でも土地を集約化して会社組織にするとか農業でもそうである。街作りでも今がチャンスだという。計画的な街作りがそれぞれの人がまた自分の土地に家など建てない前にする必要があるという。つまりこういう大変革はこんな非常の時しかできない、平時には絶対にできない、完全に街が破壊されたから完全に新しい街が作れるという新しい発想が実現するということになる。

飯館村のようなところはそもそも避難することが無理である。あまりにも土地と一体化していたからである。それは金銭であがなえないものである。一億円やるから村を捨て仕事を捨てて都会で楽な暮らしすればいいじゃないかとなるのか?それより昔からの仲間と一緒に牛と一緒に貧乏でも暮らしたい、ここから移りたくないという人はでてくる。全部ではないに意識しないにしろそういうふうに生きていたものを果たしてその意識を全く変えることができるのか?

村を捨てられないというとき人間もその土地の樹木のようになってしまっている。つくづく団地のようなアパ-トには住みたくないというのはつくづくわかる。飯館村に行けばわかる、森につつまれて隣は離れている。一軒一軒がぎっしりと並びひしめいているような所ではない、森に隠れるようにして一軒一軒が独立してあるのだ。飯館村に行くとだからそういう点うらやましいとなる。そういう人たちがアパ-トのようなせせこましい隣の物音を気にするようなところに住みたくないというのがわかる。自分も田舎は人間関係は嫌だけど東京のようなところになると余りにもせせこましい窮屈に感じてしまう。そういう生活が豊かな生活だとは思えないのだ。それでも福島市とか郡山市は郊外が広いからまだいいかもしれない、ともかくこうした村一つが喪失すること、それをあがなえるものなどないのだ。北海道辺りに村ごと移住すればいいとなるがそれも簡単にできるものではない、村一つを消されることそれがどれだけ罪作りなことかわかる。双葉町は利益を得ていたからやむをえないとかなるが飯館村は全く何の利益も受けていなかったのである。


いづれにしろ山津見神社辺りまで放射能に汚染されたことが信じられない、ある意味で秘境のようなところだった。でもかえって風景のいいところに原発が建って所が多いというのはそこが過疎地域になっているためだろう。今回の津波にしろ原発にしろ現代の都会と田舎の問題とか様々なことを浮き彫りにした。大きな生活の見直し転換が迫られているのだ。

狭い地域でも放射線量は違っている謎

 

狭い地域でも放射線量は違っている謎
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以下も同じ

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赤字木手七郎から山木屋は山にさえぎられ
離れている
放射性物質も山にさえぎられた

放射性物質の分布は一様でなかった。放射線は飯館村で高かったのだけど飯館村全体で高いかとなるとそうでもなかった。5月2日のモニタリングでは赤字木椚平が37マイクロシ-ベルトで以前として一番高いのである。その線に沿って赤字木手七郎から長泥への道が高いレベルになる。ここのところは福島の第一原発が水素爆発してからずっと高いし変わっていない高レベルの放射性物質が堆積していて放射線を出している。ただ放射線はどういうふうに計っているのか、土から一メ-トルなら高い、それはビデオでも写していたが土に接ししていると20マイクロシ-ベルトとなっていたが土から離れると高さにより1マイクロシ-ベルトとか下がっているのだ。つまり放射性物質は土に堆積して放射線を出し続ける。セシウムなどは半減期が長いから一旦土に堆積したものは消えずに放射線を出しつづける。ここは土ではないけど舗装した道路でもレンガでもそうしたモノにも付着して放射線を出しつづける。土でないから水で洗いばいいのか?放射性物質は落下して下にたまることは確かである。


これを見ればいかに地表面から放射線が強く出ているからわかる。
http://www.monipo.net/blog/monipo/20110424/


そして放射線で注意しなければならないが一様に分布するのではない、スポットスポットで放射線の量が違っているのだ。特に阿武隈山中に放射性物質が流れたとき非常に複雑に分布した。赤字木椚平は37マイクロシ-ベルトだから以前として一倍高い、そこから塩浸(しおびて)に行き津島方面と手七郎とかの方面に分かれる道がある。ここに店があり良く休んでいたから知っている。津島の方へ行く道は広い道であり三春まで通じている。普通だったらこの広い道に沿って放射性物質も流れるはずである。ところが細い道に入っていったことが不思議である。人の感覚ではそこは細い道であり風の流れがそこに入ってゆくように見えない、ただ塩浸が別れ道であり方向が違ってくる。そこで風の方向が分かれたのだろうか、東から吹いた風が北西方向に向かった。その風の別れ道が塩浸だったことになる。津島方面は5マイクロシ-ベルくらいだからあの辺では低くなっている。東風、東南の風が影響してあの細い道に風と共に流れていったのだろうか?実際は放射性物質の流れは相当な謎である。そんなふうに山間を謎のように流れてゆくものだろうか?ここが気になったのはあの辺を何度か確かに行っているからである。人間的感覚でも風のあの道を山間を選んで通って行ったのかと思うしミステリ-なのである。塩浸から赤字木手七郎への道がありその道をたどって飯館村の長泥へ出た。とにかくその辺に放射性物質が一番堆積したのである。セシウムだとするとなかなか消えないのだろう。


それから川俣町の山木屋は5月2日の時点で2・7マイクロシ-ベルトであり長泥からなどからすると低い。高太石山などにさえぎられているからだろう。つまり放射性物質とか放射線はかなり隣接した地点でも違っているのだ。飯館村が高いと言っても全部が平均して高いわけではない、南相馬市では大原台畑が2・1マイクロシ-ベルトで一番高い、大原は八木沢峠に近い方だが台畑はどの辺かわかりにくい、大原について書いてきたがあそこも汚染されたのかと思う。伊達の霊山の石田は2マイクロシ-ベルである。南相馬市より高いのである。今回なぜこのように放射性物質の分布が一様でなくて複雑化したか、それは阿武隈山中に流れて地形に影響されたことは確かである。その阿武隈山中をどうして風が流れて放射性物質が赤字木付近に一番堆積したのか、雨もふったせいだとある。ともかく気象条件と地形とかなどが影響し合ってそうなった。


そして恐怖のシュミレ-ションはこれだった。南風だと明かに南相馬市は飯館村と同じとなり相馬市もそうであり完全な避難地域であり南風だと仙台も安心できない、風で放射性物質が運ばれる。百キロでも二百キロでも運ばれる。新宿辺りで放射線量が高かったというのもそのためである。つまり放射性物質は一様に流れない、分布しない同じ近接した地域でも違ってくることが今回の事故でわかったのである。だから逃げるとき風によくよく気象に注意する必要があるのだ。


ここの風のシュミレ-ションでは相馬地方は放射能の影響を受けていない?
http://ribf.riken.jp/~isobe/mon/sim/comp.pdf


ドイツのシュミレ-ションでは海に流れのが多い-南風だったら゛相馬市から仙台まで危険地帯
http://ameblo.jp/hope-after-despair/entry-10831522449.html


ともかく科学音痴でも地元の地理とか地形はわかりにくいのだ。それが関係していたとしたら多少発言できることになる。放射線は学者でも言っていることが違っているしその影響はすぐに現れないからますます今の時点は言い放題になる。結果は五年十年後だとすると余計に今の時点では言ったことの結果は出ない、出るのは二〇年後にもなるとしたらもうどうでもいいとなる人はでてくる。放射能はだから騒ぎだけで終わってしまうこともありうるのか?なんだ何人か癌になったけどそれは放射線の影響だったのかないのか誰もわからないとなってしまうのだろうか?
結局放射能の怖さはまさにそうして意識化できないことにあった。水が汚れるという現象もない、空気も何かスモッグや黄砂のように汚れることを感じない、まさにそのことがかえって恐怖となっている。恐怖する人はだから恐れなくてもいいのに百倍の感覚で恐れる。そういうふうにどう対処していいかわからないから困るのである。


ふるさと林道栃窪橲原線の放射線量
http://blogs.yahoo.co.jp/ht_sue/27698256.html

これは個人で計ったものである。でも正確みたい、橲原(じさばら)とか飯館に近く山が高くなると放射線量が高くなるのだ。
信田沢(しだざわ)が高くなっているのは注目である。山側といかわけでもないからだ。

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大原台畑-信田沢---この辺が2マイクロシ-ベルトのスポットになっている
最近は南相馬市は0・6マイクロシ-ベルトである。
ここだけがなぜか高いのも不思議である。放射線が高いスポットができる
そこには放射性物質セシウムなど堆積している。


posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月03日

燕飛ぶ(南相馬市にボランティアは来る南相馬市鹿島区右田-被害写真)


(南相馬市にボランティアは来る南相馬市鹿島区右田-被害写真)

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2011年3月11日14時46分に地震が起こった。この時計ではそれから一時間くらい時間があったのか?そんなに時間があったとは思えない、でも時間差ではそうなる。一般的には三〇分くらいして津波が来たし二〇分くらいでも来たとか早くきたので逃げられなかった。この時計の示している時間は津波が来たときに壊れたのか地震が来たときではない、地震が来たときなら14時46分になっているはずである。
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遠くよりボランティア来て燕飛ぶ


家はなし津波に耐えし二本の木の残りて芽吹きけるかな


家はなしここに庭あり水仙の咲きてあわれも誰か住みしも


ここに倉ありしもなしも残る人何を語るや春の日暮れぬ


二本の松の残りてあわれかな右田の松原消えてなしかも


心地よき汗を流さむボランティア全国から来てタンポポの咲く

今日はまた鹿島区の右田の海の方に行った。何度も行ってみると奥まで津波が来たということである。おそらくあの辺に住む人は津波が来るとは思わなかった。想像すらしなかった。しかし海岸から3、4キロとか来ている。あの辺にも確かに家があったし何度も通っていた道である。
そこに確かに倉があり松があった。その家も跡形もなく流された。ただ残っている樹があった。その樹は春になり芽吹いたから生きている。右田の松原は消えた。何本か名残の松が残っている。あまりにも荒寥となった海岸線である。右田には家は少なかったが海老に多かった。
烏崎は一番被害が大きかった。いつも行っていたところがあんなふうになってしまったことが未だに夢見ているようである。でも現実として残った松がありそれがあとあとまで残ればそれで昔を偲ぶことになるのだろうか?家がなくなり庭があったところになんとか水仙が咲いていた。津波のあとにも咲いた。それも不思議な光景となっている。


ボランティアが全国から来ていて家のかたずけをやっていた。京都ナンバ-もあったし神戸もあった。ボランティアなど自己満足などというけど自己負担であり関西から来るとしたら金も相当かかる。無償で働くのだからこれは別な意義がある。そんな遠くから来て無償で手伝ってもらうのはありがたいとなる。かえって近くの人は手があいていても手伝わないこともある。日本全国から集まって助けてくれることはこんな大災害だからだった。自衛隊などは勤めとしてやっている。ボランティアは無償でやっている。無償でやっていてもその労働自体に満足を覚えることもある。すべてが金、金の労働になっているとき人はやはりそれだけではない労働に満足感を覚えたいのである。だから無償でやっているのだ。自己満足だとか批判もあるが何もしないで批判しているよりはいいことは確かである。この大震災で日本の力が一つになって働いていることに感動する。かえって東北だと何か固陋なところがありボランティアの精神とかホスピタルに欠けているかもしれない、関西の方などあけっぴろげであり現金でもかえって協力的なこともある。東北人が意外とボランティアに来ていないというのもそのためだろう。東北というと田舎でありこの辺でも部落内では助け合うがよそ者には冷たいのである。かえって遠くの人が今回助けてくれることを知った。ただ福島県に来たがらないというのはわかる。放射線が問題になるからだ。六号線も寸断されたから遠くから来るには不便なのである。


津波のあとにもタンポポは咲いたし樹が残り芽吹いた。復興の兆しはでてきているがこの辺は放射能の問題があるから困る。でも放射能で汚染されて草木が枯れるとか花が咲かなくなるとかなれば一大事だけどそういうものを感じないから危機感ももてないし何ら普通と変わらない、ただこの辺でも農家では耕すなと言われたから困る。やはり放射性物質は土にたまりやすいことがわかったからだ。

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                                                                                          京都ナンバ-(京)
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神戸

 

2011年05月04日

世界的に注目される福島県-南相馬市 (自分のプログがノルウェ-語に翻訳されていた)


世界的に注目される福島県-南相馬市
(自分のプログがノルウェ-語に翻訳されていた)

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原子力の事故の原因の一つ En av arsakene til atomulykker

http://translate.google.no/translate?hl=no&sl=ja&u=
http://musubu2.sblo.jp/article/44557564.html&prev=
/search%3Fq%3D%25E7%25A6%258F%25E5%25B
3%25B6%25E7%259C%258C%25E5%258E%259F
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(福島県の地形が意志疎通を阻(はば)んだ) (Barrierer a kommunisere topografien i Fukushima Prefecture (ikke hvis) jeg)


●ハマ、ナカ、アイヅに分断された福島県の地形 Hama ●, Naka, Prefecture ble Fukushima delt inn i terrenget Aidzu


地理はそこに住んでいるものさえわかりにくい、福島県は広すぎて山も多いからわかりにくい、まず会津は別の県として地形的にも地理的にとらえるべきである。 Geografi forvirrende selv de som bor der, Fukushima Prefecture fra mange obskure fjell for bred, er First Aizu menneskeheten geografisk ulike provinsene, sa vel som geografisk. 地形的にも会津は会津県なのである。 Aizu er ogsa et topografisk Aizu prefektur.


二本松、若松及 び 平 の 3 県 に統合された。 Nihonmatsu, integrert i de tre provinsene Wakamatsu og及.
しかし、 間もなく二本松県は11月14日 に福島県に改称、また、平県も同月28日 に磐前県と Men snart ble omdopt i Fukushima Prefecture Nihonmatsu 14. november, og Bandai den 28. september for fylket og prefekturs av

改称され、 更 に明治9 年 8 月21日には若松及び磐前の 2 県 は福島県に併合されるに至った。 Har fatt nytt navn, den 21. august 1876 til ytterligere to foregaende prefekturene og Bandai har fort til annektering Wakamatsu i Fukushima Prefecture.
会津は若松と言われていた。 Aizu Wakamatsu hadde blitt fortalt. 磐城は平であり平駅があった。 Rettigheter av stasjonen og hadde Zyou Iwao. この中に相馬藩は入っていない、相馬藩は福島県に入るのには地理的にも無理な面があったのだろう。 Soma klanen har ikke inngatt, a ga inn i klanen Soma, Fukushima Prefecture, var det et fly ville vare geografisk umulig. かといって伊達と争っていた歴史から宮城県に入ることもできない中途半端な地域になっていた。 Jeg var ikke engang halvveis inn i omradet i Miyagi Prefecture, var pa kant med historien eller Dato a si. 今でも地理的には交通的には福島市より仙台が近く感じられるし実際に仙台に勤めて通っている人も多いのである。 Geografisk og transport er fortsatt mange mennesker som arbeider gjennom a faktisk fole seg nar Sendai fra Sendai Fukushima City. 実際に新地は伊達藩の境にあり代々の武士の家系の古い家があり伊達氏に属していると言い張っていて相馬藩と合併することを拒んでいた。 Shinchi hadde faktisk nektet a fusjonere med Tei Souma klanen insisterer han tilhorer familiens gamle hus har en dato, en samurai klan fra generasjon til generasjon i grensen til Italia. それだけ伊達家への思い入れが強い家があったのである。 Familien hadde sterke folelser at mye av Date familien.

福島県はハマ、ナカ、アイヅと三つの地域に分かれている。 Hama Fukushima, Naka, og er delt inn i tre regioner Aidzu. この三つの地域は気候的にも明確に違っている。 Disse tre omradene er ogsa klart forskjellig fra klimaet. 会津は雪がふっても浜通りはほとんどふらない海洋性の気候なのである。 Aizu sno som faller fra himmelen selv som stranden er litt Furanai havklima. 浜通りは気候的に本当に住みやすい場所だった。 Som stranden var virkelig et sted a bo klima. 福島県が最初二本松県であり若松(会津)と平県に分かれていたことが地理的にもそうなった。 Og Wakamatsu, Fukushima Prefecture, den forste Nihonmatsu (Aizu), sa var ogsa at det var geografisk delt inn i provinser og flat. 二本松のあの天守閣のあったところから回りを見回すとここが福島県の中心だったことが実感できるし十万石となるとその規模も大きいから歴史的にもそうだった。 Det gjorde historisk og fra en storre skala til hundretusen stein og kan fole at det var sentrum av Fukushima Prefecture, hvor rundt her og se deg rundt slottet som var Nihonmatsu. でも福島市の人たちから見ても浜通りの人たちから見ても阿武隈山脈、高原が横たわっているから交流も地理的にさえぎられるから少ない、磐城と郡山は鉄道が通っているが相馬と福島市には通っていない、交通的にも不便なところなのである。 Abukuma Fjell som folk selv fra stranden selv fra folket i Fukushima City, men ogsa mindre geografisk blokkert fra borsen fordi de lyver plata, og Soma har Kooriyama Zyou Iwao og jernbane gjennom Fukushima City, ikke gjennom, noe som gjor dem vanskelige er et sted for trafikk.
福島県はこうして地理的に隔絶されているから県としての一体感をもちにくかった。 Risen var hard, Fukushima Prefecture, fra en folelse av samhold er dermed geografisk isolert. 会津はさらに高い山々がありその地理はさらにわかりにくい。 Aizu er et hoyt fjell geografi som har enda mer forvirrende.


南相馬市の市長が窮状をyutubeで訴えて世界的な話題になった。原子力で福島県が実は世界的に注目されている。世界的に福島県の原子力発電のことは大きな話題になった。だから福島県は第二のチェリノブエリになったのである。福島県の南相馬市が有名になったのは野馬追いとかではない、原子力事故の被害のためである。津波も世界的関心だがこの原子力は世界的には関心が強い。何故ならどこの国でも原子力発電しているからだ。そこで関心が大きいのだがなかなかその土地の地理のことなどわかりにくいから自分のプログにアクセスしたのかもしれない、福島県の地理について書いたからである。

ノルウェ-語はデンマ-ク語から分離したものでありドイツ語が根幹にある。英語がわかるとドイツ語もわかりやすいのである。この訳をわからないにしても読んだら翻訳でも大意がわかるのかな、結構良く訳されているようだ。相当いい翻訳のソフトを使っているようだ。翻訳もかなり進んでいるからノルウェ-語にも訳せたのか、おそらく一旦英語に訳してそれからノルウェ-語に訳したのか?英語からだと欧米語ならかなりの精度で翻訳できているだろう。日本語となると翻訳はむずかしい。とにかくこういう時期だか福島県でも南相馬市でも世界から注目されていることは皮肉である。南相馬市長が一躍世界の十人にニュ-ヨ-クタイムズで選ばれたのもそのためである。インタ-ネットは世界とリンクしているグロ-バルなものだけどももう一つ利用していなかった。言葉の壁が大きいのである。いちいち翻訳していたら疲れるし能力がない、翻訳の機械化が進むから多少は改善されるかもしれない、世界的に発信するとなると英語になる、世界的に発信できれば凄いものになることは確かである。


 

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巨龍は千年海底深く眠っていた(大津波の詩)


巨龍は千年海底深く眠っていた(大津波の詩)

巨龍は大海深く眠っていた
その間に人はせせこましく
その上で暮らしていた
巨龍はそれらを知らず無視していた
海岸近くを田にして米を作り
松原を作り調和した美を作り出していた
でもそこはもともと海だった
人は人口が増えたためやむなく
そういう適地でない所に田を作りはじめた
それも千年巨龍は無視して眠っていた
そして田だけではない
人間は電気を発明して文明を作った
夜も皓々と電気の灯は地上を昼のようにしている
一千万の大都会の灯は宇宙からも見える
そのエネルギ-は莫大なものだった
その電気は危険な原子力から作られていた
そして遂に巨龍は千年の眠りから突然目覚めた
大津波は千年間に築いた人の暮らしの場に襲いかかった
一瞬にして海であった原始の状態に戻した
何万人の命は津波に一気にのまれた
その時海岸に電気の元の原子力発電所があった
そこが地震津波にやられ爆発して故障した
危険な放射性物質はまきちらされた
大都会の燎原のような電気の灯は
まるで一吹きで消され元の暗い闇に帰った
大地は沈下して陸はずれて動いた
その凄まじいエネルギ-に驚嘆するばかりだった
人間の力は小さい、文明も簡単に滅ぼされる
自然の神の力のとてつもない巨大さを見せつけられた
千年また巨龍は海底深く眠ってしまうのか
元禄と安政の津波を警告する碑は隅に忘れられていた
四五百年の時間がたてば忘れてしまうものなのか?
いつも人は目先のことで四苦八苦するだけである
人間がいくら科学者が合議しようが
自然の力には知恵にはかなわない
科学者よ、原子力の核など弄ぶな
神の力ははるかに人間の知恵を凌駕する
計り知れぬ宇宙、底知れぬ海、底知れぬ大地・・・
神は人智を越えてなおそこに住む
世界は決して人間の知と技で解明されない
故に神を畏れねばならない・・・
神は人間の奢りをたやすく打ち砕く
科学者の奢りも簡単に打ち砕く
今回の津波以上のものが襲いかかる
文明はそれで簡単に滅びるのだ
文明はアトランティスのように海の底に沈み
宇宙の伝説として語られる
この大津波により神話と伝説が復活した
自然のスケ-ル、神の力のいかに偉大なるか
非情の神を呪うとともに賛嘆する
文明は人の奢りの故の産物
そんなものは簡単になみすることができる
人よ、神を畏れつつましく暮らすが良い
文明は神の世界を地上を汚しすぎた
一挙に洗い流す大津波が大都会を襲う
恐るべき力を知るべしなり
再び原初の世界に戻す神の力を知るべし

posted by 老鶯 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

原子力事故で見えてきた権力の構図




原子力事故で見えてきた権力の構図
http://musubu.jp/jijimondai-41#atom3(時事問題の深層41)

今回の原発事故では権力の構図が否応でも見えてきたことは救いである。そうでなければ闇はさらに深い闇になり何がどうなっているのか不明のままで終わっている。戦争の敗戦のように何がこのような事態を作り出したのかその権力の構図が暴かれたのである。それぞれに出てくる情報がみんなかたよっている。それは必ず背後にそう言わせる組織がかかわっているからである。組織なしで発言することはできない,その組織がなかなか今回のような事故にならないと見えない場合がある。今回の事故はあまりにも深刻だったので隠すことができなくなったのである。それでも様々なかたよった見方はでてくる。それはやはり背後に大きな組織があり隠されるからだろう。個人が発言しているようでもある組織の不利になることは言わないとかある。マスコミでも言わせないということがある。そのために安全神話は作られたのである。この世が闇の主-サタンによって支配されているということはそのことである。闇の主は誰という特定のものではない、それは一般大衆の欲望であったりする。地元の人が双葉町の人はさらに7号8号機の原発を要求していたのだからその責任はある。原発利権が麻薬のようになっていたのである。そういう利権の構図がピラミッドとして形成され人災として事故になったといえる。
情報とは様々であり今回のような放射能騒動になるとますます混乱する。素人にはわからないし学者すら見解が分かれている未知の分野が放射線の問題にある。真実はかたよったところではなく中間にあるというのも真実なのだろう。ただ今までは全く安全を言うものしか出る幕はなく危険を言う人は表に出れない、出ていてもほとんど気づかないようにしか出れなかった。それでますます安全神話が強化されて見えないものとなってしまったのである。
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2011年05月05日

余震もおさまったようだが・・・


それぞれに色をつくしてチュ-リップ明るき陽ざしに喜び咲きぬ


二本の松の残りて余震なく静まりけるかな春の日暮れぬ

余震はおさまってきたみたいだ。地震の余震がおさまっても人間の余震は当分おさまらない、放射能問題もありおさまらない、この騒動は簡単におさまらない、あまりにも被害が大きかった。鹿島区に千人も仮設住宅に入るとしたらかなりの影響がある。実際に300戸くらいたつのかもしれない、南相馬市の被災者が鹿島区に集めるのかもしれない、今相馬市に避難した被災者は飯坂温泉に移っている。そういう人たちが今度は仮設住宅に入る。相馬市ではすでに仮設住宅に入った人がいる。仮設住宅も凄い数が必要なのだ。それが建ってみると本当に数が多いと思う。しかしその後もさまざまな問題が生じてくる。二年くらいを期限として入ってもその後どうするんだろうかとか就職とか生活の問題が山積みなのである。今回の地震津波原子力事故では本当に社会自体の大きな変革が要求されている。そして高齢化社会の問題もそこにあった。3分の2は60才以上の人が死んでいることでもわかるし復興するにしても高齢化がはばむことになる。戦後の焼け野原から復興したのは若い人が多かった、団塊の世代が生まれたときであり人口爆発の時代だった。今は逆に高齢化でありこれが前に進めない要因ともなる。ともかく明かに社会の時代の変わり目になることはまちがいない、そういう大きな変化の浪に見舞われたのである。


自分はさほど被害を受けなかった。だから余裕がまだある。15日間くらいは介護しているから食料に困った。それから温水器が壊れて風呂に三週間くらい入らなかった。ただ三食用意すること結構楽じゃない、今もそうなんだけど食事の半分を弁当にしているから楽になる。米だけでもたくのが面倒で三十分でたける簡単な電気炊飯器買ったがやはりうまくはたけない、どうしても自分はマメでないから料理もできない、だから弁当になるのである。弁当だと本当に楽になるからいいのだ。


まあ、これから何らか援助せねばならなくなるだろう。義援金5万もらったが別に必要ないからこの辺で震災孤児が出たのか?寄付をつのっているからそういう方面に多少援助すればいいかもしれない、その他何かするにも体がまともでいなのでできない、でもこういう被災地に住んでいれば今は何か助け合うことが強いられることも確かである。ただどういう被災者がいるのかわからない、南相馬市の被災者はこの辺にいない、原発事故で避難した人もいない、ただ明かに仮設住宅に千人も入るようになることは確かなみたいだ。


右田の松原は消えて名残の松が残っているだけである。これは海岸線はどこでもそうなっているのだ。だから残った松をしみじみと見るようになるのだ。

2011年05月06日

放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)


放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)

市町村調査学校名 ※測定値(μSv/h)(調査日:4月5日)
浪江町津島小学校 1m高さ 23.0、1cm高さ 30.1
浪江町津島中学校 1m高さ 18.8、1cm高さ 22.9
浪江町津島保育所 1m高さ 22.8、1cm高さ 27.9
飯舘村飯樋小学校 1m高さ 9.6、1cm高さ 10.7
飯舘村飯樋幼稚園 1m高さ 10.0、1cm高さ 11.3
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5
飯舘村臼石小学校 1m高さ 11.5、1cm高さ 12.5
飯舘村草野小学校 1m高さ 14.0、1cm高さ 18.2
飯舘村草野幼稚園 1m高さ 12.1、1cm高さ 14.7
飯舘村飯舘中学校 1m高さ 9.7、1cm高さ 12.2

南相馬市 児童館・児童センター 上町児童センター 1.2 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 高平児童館 0.59 4月29日
南相馬市 児童館・児童センター 仲町児童センター 1.4 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 橋本町児童センター 0.67 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 東町児童センター 0.68 4月29日
南相馬市 放課後児童クラブ 千倉臨時児童クラブ 0.61 4月29日
南相馬市 児童デイサービス あ一す 1.5 4月29日
南相馬市 児童デイサービス のびっこらんど愛愛 0.78 4月30日
南相馬市 その他 原町学園 0.61 4月30日


横川ダム5.98〜6.14
高倉ダム7.41〜7.88


えーと私のカウンタでは本陣前で累積1.5mSv前後だよ
もちろん配給で外にいるときも測ってる
でも風で数値は変わるんで絶対とはいえないですが・・・
で現在部屋の中では0.43μSv/hです


福島市と郡山市の放射線レベルは一定の数値まで下がったけれども、それ以後全く変化が無く、原発事故前の平常値の40倍で止まったままだ。この事実が何故報道されないのか不思議だ。


福島と郡山の中通りは盆地だから高いのかなぁ〜
そして原発から近いいわき市や田村市常盤町、小野町は低いんだよな


5月1日から1年間の大学屋外での被曝予測量は15.0mSvから6.8mSv,屋内では2.3mSvから1.1mSvとなっており


放射線はわかりにくい、放射線は地域によってかなり違っている。測り方によって違ってくる。土から一センチだと高いが一メ-トルになると放射線は弱くなっている。ただ飯館村では
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5・・・これは高さによってたいして変わっていない、ということは強い放射性物質が高いベクレルのものが土に堆積している?放射性物質から離れれば離れるほど放射線は弱くなる。屋内だと 半分以下になったりする。ガイガ-カウタ-では足を計ることでもわかる。足に一番放射性物質がつきやすいのである。何故なら地面から舗装道路でもそうだが土から堆積した放射線が出る。表土を取り除いたら放射線が下がったことでもわかる。放射線は土から何センチとして計るのが目安になる。空中から放射線は飛んでこない、一時的には水素爆発などしたときは飛んできたが今は地面に堆積した放射性物質が放射線を出している。そして郡山市と福島市では放射線の量が変わっていないのはセシウムなどが半減期が30年とか長いものが堆積したためだろうか?なぜ屋内退避になるのかといったらやはり外は土などに放射性物質が堆積して持続的に放射線を出すからだろう。


ともかく飯館村も高いが津島が高いのはわかる、赤字木椚平が一番高いし塩浸の別れ道で津島に行く方面は道が広いから風の通り道になる。南相馬市では山の方が特に横川ダムとか高倉が高いのはわかる。赤字木に近い山にあるからだ。浜通りは海にそった所は低くなっている。阿武隈山脈の山側が高いのである。それは飯館から霊山とか月館や伊達も高いのだ。山が壁となり風や雨などの気象条件で放射性物質が土に堆積した。もし平坦な地だったらこんな分布にはなっていない、チェルノブリなどロシアのような大陸だとどこまでも平地がつづく、すると300キロとか離れた地点に放射線が高い地帯が生まれた。つまり山がないから放射性物質が留まるところがなかった。遠くに飛んだのは障害物がなかったからである。20メ-トルくらいで飛んでゆくとしたらそうなる。またそのくらいの高さだとどうしても山があれば壁となり堆積する。赤字木の椚平とか手七朗の山中に一番高い放射性物質が堆積したのはそのためである。南風になったら浜通りの平地に風の通り道ができたら仙台も危険かもしれない、山のような障害物がないと風に遠くまで飛ぶかもしれないからだ。茨城県も山がないから磐城辺りを越えて海側に風が吹くと東京辺りまで飛ぶことはありうる。風に影響されることは確かである。そういうことはありうる、離れれば離れるほどいいというがもし平坦な地だったら百キロ二百キロでも風にのって飛んでゆくのである。

放射線の地図では一番高い赤字木椚平とかから等高線のように放射線量が高くなっている。つまり中心点は原発のある所ではない、放射性物質が一番堆積したところから等高線のように分布しているのだた。ただ福島市とか郡山市は風にのって飛んだのだろう。東風で流され北風が吹いた。東風より北風が常時まだ吹く時期だったからだ。放射線はやはり風がどうなっているか一番問題になる。浪江の人が津島に逃げたのは一番危険な地帯に逃げたのである。
放射線は素人には説明されてもわかりにくい、放射性物質は体内被曝の方が危険である。体内被曝のキ-ワ-ドでいくらでもインタ-ネットで説明がでている。放射性物質が体内にとりこまれると細胞やDNNをきずつける。たとえ一ミリしか飛ばなくても細胞を持続的に傷つけるから怖いのである。体内被曝は体外被曝よりずっと怖い、体内被曝が細胞を傷つけて癌などにするからである。染色体も傷つけるとか遺伝にも影響する。一旦放射性物質を体内にとりこむと持続的に放射線をだしつづける。それで細胞が長い年月の間に傷つけられ癌になりやすいとなる。

放射性物質は空中からとりこむより土に堆積したもの埃などが舞い上がり口などから入りやすい、だから放射線の危険は土や水や食べ物や牛乳などから体内に取り込むことが危険なのである。放射線のやっかいなのは土や水や空気や人間にとって欠かせないものを汚染するからである。水を飲まないわけにいかないし空気も吸わないわけにいかない、土も食料を得るには不可欠である。そういうものが奪われたら人間は生存できなくなる。いづれにしろ土が一番危険だとすると耕すこともできなくなる。土からは埃が立ち放射性物質を一番吸い込みやすいから学校の校庭で規制したのである。南相馬市の校庭は危険にはなっていないのだろう。3マイクロシ-ベルトとなると危険領域になる。ただ放射線については学者でも言うことがまちまちなのはしっかりとしたデ-タ-がないのである。どうにでも解釈できる分野なのである。確かなことは微量の放射線は体にいいというときそれは体外の被曝であり体内被曝でないことである。体内被曝だったら持続的に放射線を細胞が受けるのだから影響は一時的なものでないからだ。


浪江の山中から等高線のように拡散する放射性物質
http://www.sss.fukushima-u.ac.jp/FURAD/FURAD/data-map-datail.html

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牡丹(平和の日がもどるのか)

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長々と虫蜜吸いぬ牡丹かな


虫の来て牡丹にさしぬ朝日影


我が庭に忘れな草や誰かしる苧環の花うなだれ咲きぬ

ようやく多少落ち着いてきたのかな、三〇年間くらい平和な日がつづいた。この五年間は介護やら自分の病気やら様々な問題に翻弄された。最後に来たのが津波と原子力事故だった。そしてどういうわけか自由気ままに旅しつづけたが全く自由がなくなった。五年間の内やっと一回だけ三陸の方に旅したことがあった。それ以外遠くに行ったことがない,近間は行っていたが遠くは行けない、そしてどうなったかというと近間すら行けなくなった。自分の事情ではなく原子力事故で立入禁止区域になってしまったのである。飯館も浪江の高瀬川も葛尾(かつろう)
村もそうである。立入禁止区域になって行けなくなった。この辺は交通も常磐線はいつ通るか見通しがたたない、だからアマゾンなどでも通信販売はしにくくなっている。配達区域として除外される。六号線が通らないことは東京と直結する道路がないのだから東京からの物流は支障をきたす、六号線沿いの店も困る。仙台にも行くのにも相馬から臨時バスが出るにしても相馬まで行くのが大変なのである。だから介護になってからこれは刑務所に入れられたとにていたと思った。介護は他の人でもそう言っている、自由がなくなるのだ。それが今度は回りから交通網がたたれ立入禁止区域になってしまうのだからますますここは刑務所化してゆく感じなのだ。塀の中という刑務所の小説があったけど交通的にも遮断され孤立化している。でもインタ-ネットは通じているからそこで情報を分析している。


今日は仮払い金の申し込みをしてきた。東電では30キロ圏内は百万払うとか言っていた。でも30キロから2、3キロ離れるとどうなるのか、南相馬市を全体として払うとなるのか?その辺がまだ決まっていないらしい、仮払金は損害を与えた分は払って返してもらうことにもなるとか言っていた。明確に具体的に損害を与えた分だけ払うことになるのだろうか?自分の場合は避難もしていないからもらえるかどうかわからない、この保証問題は広範囲である。福島県だけではないし損害を与えられたといえば日本全国ですらそうだった。観光業などもそうである。そういう人たちが全部損害賠償を請求したらとても払いきれない、原子力事故は東電が一番責任があっても国民全部が責任あるともなる。何故なら国民を原発を容認していたからである。今でも敦賀の原発で原発をやめるなと知事が関西電力よ要望していることでもわかる。危険より金なのである。福島の事故があってもそんなことを堂々と請求しているのだから原子力事故の怖さがわかっていないのだ。自分の所だけは事故にならないと思っているのだ。


ともかく多少落ち着いてきたから庭の花なども鑑賞できる。花すらゆっくり見ていられなかった。今でも何かと回りに追われる感じになる。毎日原子力事故のことや津波のことを考えさせられる毎日だった。やはり写真をとってみて発見がある。牡丹に朝日がさしてこれはきれいにとれていると思った。苧環の花もうまくとれている。ごちゃごちゃしているからその辺はだめだった。

写真はやはりとってみてこれはきれいだなと再発見することがある。人間の目でみても写真で発見するものがある。今回の津波ではそうした信じられない光景が写真に残された。でももう瓦礫の山には疲れた。正常な風景に戻ってほしいとなる。正常になるのは普通になるのはまだまだ時間がかかる。千人が入る仮設住宅はやはり多いなと思った。避難所から仮設住宅と被災者の生活も変わり気持ちも変わってくるのだろう。これからはもう津波は千年来ないのではないか?もしかしたら千年の平和がつづくかもしれない、あんな大きな津波はもう来ない、やはり千年に一度の津波だったのだろう。あとは平和の日がつづいてほしいとなる。


 

放射性物質が爆発したときどういうふうに流れたかの検証 (やはり風が影響した)

 

放射性物質が爆発した時どういうふうに流れたかの検証
(やはり風が影響した)

■3月12日午前10時17分■  東電が1号機のベントを開始。
■3月12日午後3時36分■  1号機原子炉建屋で水素爆発が発生。
■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。


■3月12日午前10時17分■  東電が1号機のベントを開始
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赤枠は南相馬市の放射線量


3月12日午前10時にベントを開始した、その時大量の放射性物質が放出された。
3月12日午後3時に一号機で水素爆発した。

この二つの事故によってその時風にのっておそらく東風より南風だったのかもしれない、南相馬市にその放射性物質が大量に流れてきた。だから夜の8時から11時ころまで17−20−12マイクロシ−ベルトを記録した。これは南相馬市では一番高い放射線の記録だった。
この時福島市といわき市は記録されていない。

 

3月13日は何も起きていないから放射性物質は流れてこない
南相馬市でも急速に4マイクロシ-ベルトかに下落している

福島市もいわき市も0・0代であり通常の放射線量だった。


■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生

水素爆発しても南相馬市でも3マイクロシ-ベルトとか下落したままである。
福島市でもいわき市でも放射線量は上がっていない


■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。

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赤枠はいわき市の放射線量

この時いわき市で方放射線量が午前2時から3時代に急激に増大した。でも火災が発生したのは午前9時であり放射線量が増えたのは午前2時ころだった。火災の前に放射線量が増大した。その前に何らか燃料から放射線がもれたのかもしれない・・・
いわきでもここだけが放射線量が増大してあとは増えていない、南相馬市も最初の12日が増大したが増えていないのだ。

3-fukushima.jpg
赤枠は福島市の放射線量

3月15日午後4時から16日まで福島市で放射線量が増大している。福島市の放射線量はその後もなかなか減らない、ここでは郡山市と飯館村は計測されていない。

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南相馬市が放射線量が増大したのはベント開始した3月12日午前9時でありこの時一時的にでも南風が吹いた。次に午後3時に水素爆発した。南相馬市には午後8時から11まで放射線量が一番増大したがすぐに低下した。つまり風によって一時的に増える。でも継続的に南相馬市には放射性物質が流れなかった。その時福島市やいわき市には放射性物質が流れなかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。風の方向が違うと全然量が違う。ベント開始して水素爆発した日にいわき市には放射線量は計られていないか13日は南相馬市でも4マイクロシ-ベルトくらいに減っている。南相馬市ではあとはふえていない。
 


■3月14日午前11時1分■  3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。


3月15日午前2時にいわき市で放射線量が増大した。水素爆発の影響だった。その時は北風だったのだろう。

3月15日午後4時から福島市で放射線量が20マイクロシ-ベルト代に増えた。それまでは平常だった。ここで急激に増えた。これは使用済み燃料の火災の影響でそうなったのだろうか?その時東風が吹いていたことが福島市に影響した。その時浪江の赤字木椚平など一番放射線量が高くなったところは計測されていない、飯館村も高くなって福島市も高くなったのである。その原因は東風にあった。なぜなら南相馬市も12日のベント開始したとき風の影響で20マイクロシ-ベルトにもなっていたからである。
その後放射性物質は浪江の赤字木椚平から手七朗や津島や飯館村の長泥に東風にのり堆積した。それでそこを中心として福島市に東風で流れて福島市で放射線量が高い日が長くつづいた。
やはり放射性物質は風の影響が大きい。南相馬市だって12日にベントが開始された日に20マイクロシ-ベルトと高くなっていた。その時南風だった。その後は一時北風になりいわき市が高くなりあとは飯館村から福島市に東風が吹き山が壁となり放射性物質を土に貯えてしまった。それで今もその土に堆積した放射性物質がセシウムなどが風にのって福島市や郡山市に拡散しているのだろう。南相馬市といわき市には堆積しなかったのは山がないからなのか、空中に拡散したのだろうか?ともかく放射性物質の流れは風の影響が大きいことは確かである。風向きで大きく変わる。同心円では計られないのだ。そして一旦密度が高く堆積したところは飯館村のようになかなか放射線量が低下しない、福島市も低下しない、でも1・5マイクロシ−ベルトくらいだからたいしたことはないようだが南相馬市よりは高いのである。飯館村が堆積したのは山間でありその山が壁となり放射性物質が堆積してしまった。福島市も盆地であり山が壁となり堆積したのだろうか?山は低くても壁となり堆積しやすいということがあるのかもしれない、とにかく風向きで変わる放射性物質の流れには注意である。



福島県放射線量の変化
http://www.pref.fukushima.jp/j/7houbu86.pdf

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放射線量は最初のベントや水素爆発-燃料棒の火災のとき大量に放出されたがその後積算では一定であり
その後は原子炉から放射線はそれほど流出していなようである。
やはり最初の爆発など放出が大量の放射性物質の流出が起きた。

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2011年05月07日

爆発時の時系列での風の影響の分析(訂正)


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時系列で説明が間違っていた。

一号機で3月12日に二回放射性物質大量に放出された
10時にベント開始→15時に水素爆発→20時に南相馬市に到達
時間差が5時間で到達

3月14日午前11時に3号機で建屋が水素爆発→3月15日午前2時から5時に
いわき市に大量に放射性物質が北風で流れる
ここで時間差が14時間くらいある。この理由はわからない。
この時の水素爆発で北風が吹きいわき市に流れた。


■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。
このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。

3月15日午前9時に燃料プ-ルで火災が発生→3月15日午後4時から福島市で放射線量増大・・この時東風が吹いた。途中の浪江の山中や飯館村に大量に流れ山が壁となり堆積した。福島市ではなかなか放射線量が下がらなかった。その原因は浪江の山中や飯館村の土にセシウムなどが大量に堆積したためなのだろうか? それとも燃料プ-ルに本尊されていた1300本の使用済み燃料から大量の放射性物質がもれたのか?なぜならいわき市は3月14日午前11時に3号機で建屋が水素爆発の時の放射性物質が北風にのって流れた、
■3月15日午前9時38分■  4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。このプールには1300本以上の使用済み燃料が保管されていた。
この時水素爆発より大量の放射性物質が放出されたのだろうか?ここは量が原子炉内にあるものより非常に多いからである。火災が発生したとき東風であり大量に流れ山が壁となり土に堆積した結果、継続的にセシウムなどから放射線が出て浪江の山中や飯館村では放射線量が下がらない、今でも土から近くで計ると相当に高いのである。


ベントや水素爆発ではそんなに放射線は出なかったのか?4号機の燃料プ-ルから出た放射性物質が一番多くそれが浪江の山中から飯館村に堆積して福島市に東風で流れたのだろうか?つまり南相馬市といわき市の放射線量は水素爆発が影響したものであり燃料プ-ルのは影響していない、なぜならその時の風で何時間か大量に流れてきたがすぐに低下しているのだ。でも飯館村から福島市はなかなか低下していないのである。やはり放射性物質は風に影響されて一時的に爆発したりすると増大する。でも空中を流れてしまいば土には堆積はしない、土に堆積したら持続的に放射線は放出されるしセシウムなどだったら半減期が30年とか長いから放射線量が減らないのだ。おそらく南相馬市やいわき市には風でちょっとの時間流れたが土にはそれほど堆積しなかった。いわき市は地理的には近いのだが今は南相馬市の半分くらいしかない、この時期は風は北風の方が多い、そしたらいわき市にはもっと放射性物質が流れてもいいはずなのである。放射性物質は爆発したりするとき一時的に大量に放出するからその時風が影響するのか、それとも水素爆発ではそれほど放射性物質は放出されなかったのか?その辺はわからないが南相馬市といわき市は水素爆発の時風の影響で増大したが土には堆積されなかった。


3月の初旬の時期は一番多いのは北風でありこの北風は持続して吹いている。だから春北風(はるきた)という季語がある。次に西風が吹くのか東風(こち)は確かにこの時期に吹き始めるのでありでもすぐ北風や西風に変わる、継続しては吹かない、そして南風は一番吹く量が少ない、この時期に南風はほとんど吹かない、でも東南の風は吹く。南相馬市には南とあるごとくベント開始して水素爆発したとき南風にのって放射性物質が大量に流れてきたが3、4時間で急速に減少した。いわき市も急速に減少している。ところが浪江の山中と飯館村と福島市と郡山市は減少しても長くつづいて高かった。これは山中の土に堆積してそれがのちのちまで影響したのだろうか?結局放射性物質はセシウムなど土に堆積することが怖い、ヨウ素は消失しやすいからいつまでも影響しない、ヨウ素からの放射線はすぐに消えてしまうのである。ヨウ素とセシウムなどがどういう割合で流れたのかも問題になる。南相馬市の場合はベントした時と水素爆発した時だからその時ヨウ素の方が大量に流れてきて土に堆積しても消えやすいから放射線が低下したのか?いわき市もそうだったのか、燃料プ-ルの火災の時はセシウムが大量に飯館村や福島市に流れて土に堆積したのか?こういうことはこれから専門家が解析してくれるのだろう。素人としてはやはり風に注意することくらいしか深い所はわからない、ただ放射性物質は目に見えないのだから常に数値として判断することになる。数値で安全したり恐怖したりしているのだ。2マイクロシ-ベルか、ここは0・6だから安全だな、こっちは0.3だからさらに安全だよとか数値だけが頼りなのである。だから異常に数値にこだわるのが放射線の問題だった。実際どこまで数値で安心できるのかとなるとこれもわからない、目安がないからそうしているだけなのである。

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3月初旬は東風が吹きはじめるが北風が主に吹き西風も吹く
南風はめったに吹かない、放射性物質は風だけではなく地形が影響する
それで飯館村や福島市は持続的に放射線量が放出され減らなかった。?


 
文部科学省は7日、福島第1原発周辺の土壌に含まれる放射性物質の調査で、
原発の北西24キロの福島県浪江町で6日に採取した土1キログラム当たり、
セシウム134とセシウム137を合計で78万ベクレル検出したと発表した。
原発の半径20キロ圏外の土壌調査では最高値となった。

半減期約2年のセシウム134を35万ベクレル、半減期約30年の
セシウム137を43万ベクレル検出。同地点で3月30日に採取した土壌と比較すると、
半減期約8日のヨウ素131の検出値は10分の1以下で、文科省は
「減少していくヨウ素より、セシウムが放射線の主な放出源となる」としている。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011050701000372.html

浪江町というとき平坦な町のあるところではない、赤字木椚平とか手七朗とか津島の山中だよ、浪江全体じゃないんだよ、そこがいつも誤解するんだよな、全国的には、スポットスポットで放射線量は違っている、やはりヨウ素は減ってセシウムは減らないから問題になっている。
 

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2011年05月08日

南相馬市は避難する必要なかった!(福島市は避難地域だった)


南相馬市は避難する必要なかった!(福島市は避難地域だった)

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●政府の支持は信用できない


南相馬市は12日の3時間くらい放射線量が高かった。最高20マイクロシ-ベルトになった。それも3時間くらいで5マイクロシ-ベル以下に下がりあとは下がる一方だった。
一方福島市はグラフで10日間の推移を見ても放射線量が高いのである。
この放射線量から見れば福島市が避難地域に指定されのが一目瞭然である。
飯館村は計られていなかったが飯館村も福島市以上に高かった。浪江の山中はもっと高かった。浪江は避難指示になった。飯館村と福島市はなっていなかった。
南相馬市はほんの一部が放射線量が高いところがあったがほとんど高くなっていない
3時間くらい高かったが急速に低下してあとは5-4-3マイクロシ−ベルトと低下する一方だったのである。これはいわき市も同じであり3時間くらい高い時があったがあとは低下する一方であり南相馬市よりさらに半分以下になって低下している。
すると同心円の30キロで避難地域を決めることは何ら根拠のないものだった
肝心の避難地域は飯館村や福島市になっていたのである。
でも南相馬市の人が避難した地域が福島市だったというのもおかしなことになる。
放射線の高い領域に避難したのである。郡山も南相馬市より高かったのである。
南相馬市は屋内退避とかいろいろ政府から指定されて混乱した。
それは実際は科学的には根拠のないことであった。
政府の一方的指示で混乱させられたのである。
もちろん風向きが変われば30キロ圏内は危険だからそうしたことはわかる。
でも南相馬市といわき市は水素爆発の影響を最初の一回だけ受けてあとは全く受けていない、放射線量は低下する一方だった。
それに比べ福島市は10日間からさらに10日間となかなか低下しなかったのである。
風向きしだいだから政府も避難指示をだしにくいことはあった。
でも明かに福島市は高いのだから避難指示が出ても良かった。南相馬市より高い日が持続したのだ。それをしなかったのとは福島市を避難指示にしたら人口が多いから混乱するからである。郡山市もそうである。中通りを避難地域にしたら大混乱になるからしなかっただけなのである。おそらくこれからもそうである。避難指示にしたら政府に保証問題が生じる。
人口が多ければ保証しきれないから避難指示はこれからもしない、
東京なんかもいくら放射線量が高くても避難指示は最後までしない
安全です、安全ですと言いつづけるだけである。
放射線量はガイガ-カウンタ-があれば個々人でも計れる。
そうした自衛手段も必要になってくるかもしれない、政府では危険でも避難指示をしない
30キロ圏内だけしかしない、でも実際は30キロ圏内の避難指示は全部必要ではなかった。
政府は放射線の後遺症とかについても責任はもたない、因果関係は今も証明されていないからもつよう必要がないからだ。


●放射線が一番高い地点

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南相馬市原町区の片倉村から横川ダムを通り原浪トンネルを通って浪江町の昼曽根に出て津島の方に行く椚平(くぬぎたいら)が一番放射線量が高い。原浪トンネルは原町区と浪江の境目にあった。ここのトンネルは新しいトンネルである。そしして今日NHKのテレビで浪江の請戸地区に入った人を見たが原浪トンネルを出たところが20キロ圏内の立入禁止区域になっていた。
あの辺が同心円で20キロ地点だった。あそこは何回も自転車で行っていたからわかっている。
梅林があったからまちがいないだろう。あの辺にもまばらに家はあることはある。もう誰も住んでいないだろう。あの辺は人が住めなくなってしまうのか?

南相馬市では横川ダム近辺の片倉村などが放射線量が高くなることがわかる。一番放射線量が高い椚平に近いからである。だからこの辺は飯館村と同じ計画的避難地域に指定されている。
 
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菜の花(飯館村の悲劇)



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春の日や牛の啼く村座る石

菜の花の匂いや村を離れざる


風そよぎ巌の堅く芽吹きかな


飯館の土に放射能春なれば鳥は知らずにさえづりにけり


飯館に長くも住みてあわれかな牛とも別れ悲しみ深し


飯館の石にしよりて春の日の暮るるはよしや村隠されぬ


二輪草の一輪残りひそけかりこよなく愛す我が庭にあれ


鶯にヨシキリ鳴きて我が里の季(とき)の移るや夏となるらむ



飯館村に起きていること、それが何なのか?住んでいる人も理解できない、長泥に子供も住んでいる。それが20シ-ベルくらいでありものすごく高い、土から近く計ればさらに高くなる。南相馬市に水素爆発したときも20マイクロシ-ベルトになっていた。これは非常に高いシ-ベルトだった。しかしこれは3時間くらいで急速に低下した。いわき市も一時期爆発したときそうなった。
しかし浪江の山中から飯館から福島市は長く高いレベルがつづいた。飯館はその後も長くシ-ベルトが高い。それでもなかなか離れられないのは農業とか酪農の村だからである。もう一つは高齢化が影響しているのだ。実際に102才の人が村から出るのが嫌だと言って自殺したことでもわかる。60以上になったら住み慣れた所を移りにくくなる。そこで若い人は子供をもっている人など移りたいのだが村長は移らせないように縛っていると文句を言っている。放射線とか60以上の人には影響しても5年後10年後にガンになるとか言われても危機感がないのだ。放射線については様々な学説もあるし何を頼っていいかわからない、現実に飯館村で講演した長崎の学者は体に何の影響もありませんと安心させた。でも放射線は20マイクロシ−ベルトととなったら異常に高いのである。今は3マイクロシ-ベルトくらいに落ちているがこれでも高いと言われる。飯館村はまちがいなく土にセシウムなどが堆積してしまったことが問題なのである。そこから持続的に放射線が放出されつづけているのだ。そして体内被曝も怖いからどうしても土の埃からセシウムなどを吸い込むから怖いとなる。


でも放射線の怖さをいくら言っても危機感をもてない、目に見えないしすぐに何か症状として現れないのだ。そして60以上とかなるとたいして影響もない、5年後10年後20年後にガンになるかもしれない、その確立はいくらだと言ってもピンとこないのだ。放射線をあびなくても60以上になるとガンになる率は高くなる。今60以上で死ぬ人はほとんど癌である。癌でし死ぬ人は増えている。放射線に関係なく増えているのだ。その増えている癌にわずかにまた増えるだけだとなれば高齢者はいくら危険を言っても危機感をもてないのである。そこに今の飯館村がなかなか避難できない理由がある。


飯館村はアルカディアであった。それが一転して放射能汚染の村となり世界的にも有名になってしまった。そして村を廃村にするとか信じられないことが起きている。村人も今の自体をどう理解していいかわからないことがある。放射能の影響が実際はどのくらい出るのか誰もわからない、だから鳥が知らずに同じように鳴いている。でもあとで奇形の鳥が生まれただとかチェリノブエリでもあった。しかしそれもどれくらいの割合なのか放射能汚染にはデ-タ-がないのである。いづれにしろ60以上とかなる気にしてもしょうがないということがある。だからそうした年寄主導の村だと若い人も村から離れられずに悲劇を生むかもしれない、それでも結果を見ない限り誰もあとのことはわからないのだ。

牛を育てて牛に恵みを与えられて生きてきたとか泣いて語るとき悲劇である。放射能の悲劇は汚染された土地に住めなくなることである。飯館村は悲劇の村となってしまった。土に密接にかかわって生きてきたときその土が最も汚染されてしまったことが致命的である。それは福島県の半分くらいにそういうふうに汚染された。その中に風評被害もあるが汚染されたから農家では困る。この辺でも土を耕さないでくださいと役所から言われること自体信じられないのだ。農業で生活している人が多いから困る。でも60以上とかなると汚染された食べ物を気にしないで食べる。5年後であれ10年後とか20年後ではいづれにしろ死ぬのだからかまわないとなるのだ。た40以下の人は怖がることはやむをえないが60以上の人はどうでもいいとあきらめがつく、だから村を離れられないのだ。


季節は夏になっていく、ヨシキリが鳴いたら夏である。そういう季節の変化は別に放射能あびても変わりがない、放射線というのはそれを知らされない限り何にもわからない、結果としてガンになった、奇形の子供が生まれてはじめて放射線の影響だったのかとなる。おそらく草が生えなくなったり木が枯れたりもしない、花は咲くし自然にも変わりないのだ。そのことがかえって怖いといえば怖いのである。木が枯れたり花が咲かなくなったり水が濁ったりすれば感じるのだが感じるものがないから困るのだ、ただ毎日数字だけを追っているのであり数字からしか危機感を感じないから困るのである。

今日は強風である、風が唸ってふきつけている。そしてまた原発で黒煙が出た。東電でも放射性物質を放出すると連絡した。黒煙が出るということは何か異常なのである。でもライブカメラはとめられた。以前として改善していないのである。午後から放射性物質を放出するとしたら今日はモニタリングポストで放射線量が増大するかもしれない、ただ風向きは西風だとすると
陸から海に吹くから影響ないのか?ただ放射性物質を放出するとなると多少はどこかで影響する。モニタリングポストの放射線量に注意する必要がある。それにしてもこんな日がいつまでつづくのだろうか?放射線は数字でしか感じない、それでも心労がでてくる。やはり絶えず注意していないと飯館村のように知らないまに大量の被爆をするかもしれない、自分も水素爆発があった時、この辺が20マイクロシ-ベルになったとき屋内退避が命じられたとき外に出ていた。危険性をまるで感じなかったのである。放射線は目に見えて危険を感じないのである。
だから学者が危険でないと言えば簡単に信じてしまうのが放射線の問題だったのである。

飯館村では本当に村から離れにくいだろう。長く住んでいると樹とか石のようになってしまう。菜の花とかなりににおう、長年親しんだ所を一カ月くらいで離れてください、ここには住めませんと言われても戸惑うだけである。放射線の問題は人間の五感では意識化されない、数字だけでは危機感を感じないから困るのである。

posted by 老鶯 at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2011年05月10日

放射性物質の風と雨との影響は?


放射性物質の風と雨との影響は?

●福島市が放射線量が高かったのはやはり東風のため


燃料の余熱でプールが沸騰し、露出した燃料棒が過熱して被覆管が水と反応。水素が発生し爆発したとされる。その後、コンクリート圧送車で水を補給し、事態は落ち着いたとされていた。
ところが、今月12日に燃料棒の損傷度を調べるためプールの水を遠隔操作で採取した結果、水温が爆発前日の84度を上回る90度と判明。プールの約6メートル上空で通常の10万倍以上の放射線量が計測された
http://blc.dreamlog.jp/archives/51877962.html


放射線は水でさえぎられるとあるから水に入っていないと空だき状態になり放射線も空中に出る、放射性物質も放出される。浪江から飯館村から福島市に流れた放射性物質は4号機のものだった。その前に1号機であり3号機でもあったがこの時は相馬といわき市に流れても3時間くらいしか放射線量は上がっていない、あとは急速に低下する一方だった。爆発したときに南相馬市は南とあるごとく南風の影響を受けた。いわき市は北風の影響を受けた。そして最後の4号機爆発の時は東風の影響を受けた。それで浪江町の山中や飯館村から福島市が東風の影響を受けて放射線量が高かった。


福島市の放射線量の推移と風向きの図
http://www.rb.sss.fukushima-u.ac.jp/user/taka/radiation/
kazegraph1.jpg
これはだいたいの風向きの感じをグラフ化したものであり正確ではない
でも3月は北風と西風が大部分である。東風は吹きはじめても割合は少ない
すぐに北風、西風になる。陸から海の方に風が吹くのが多かったから陸地にはすくなかった。
チェルノブエリではすべてが陸地だから陸地に放射性物質が堆積したため
被害が大きかったともいえるのでは・・・

この図を見ても東風がこの時だけ多く吹いた。この時期はグラフでもわかるように北風、西風が多いのだ。東風はそれほど吹かない、南風はさらにめったに吹かない、自分でグラフにしたのは正確な数値のグラフ化ではない、だいたいの感である。風といっても東風といっても完全な東風はない、北東の風とか東と北の間の風が多い、東風が吹いてもこの時期すぐに北風に変わり西風になる。この時期は実際は圧倒的に北風、西風が多いのである。だから陸から海の方へ吹く風が多いから放射性物質が海の方へ流れたから良かったのかもしれない、南相馬市に吹いた南風はこの時期めったに吹かないから本当は南相馬市は風の影響を受けないはずだったのである。ただ夏になると南風の影響を受けるから爆発したりしたら福島市のようになるかもしれない、だから海から山へ向かって吹く、ヤマセが危険だというのもわかる。
4号機の爆発のときの影響で福島市方面が最も影響を受けた。そして爆発したときだけではなくその後も放射線量がさほどへらず持続したのか?東風はその後そんなに吹かないからだ。放射性物質は爆発したとき大量に放出され流れる。その時風の影響を受けたとなる。南相馬市は爆発のときわずかに流れただけだった。チェルノブリも風の影響だったのだろうか?するとその時の風しだいになる。特に4号機からの放射線量が特別高かったとするとそこから放射性物質が他の原子炉より多く流れたとなる。燃料棒が保管されていたしそこから出たものが大量だったとなる。


飯館村では長泥が10マイクロシ-ベルトくらいが平均して今でも下がらない、津島も高く津島から一山越えた葛尾(かつろう)村の柏原も8マイクロシ-ベルトくらいと今でも下がらない、飯館村の役場のあるところは3マイクロシ-ベルトくらいと低下している。やはり土に堆積したら下がらないのだろうか?これだけ日にちがたって放射線量が下がらないのセシウムなどが土に堆積してしまったからとしか考えられない、原発からは放射性物質は流れていないからだ。


●放射性物質は雨で流される?


福島県は1日、同県郡山市の下水処理場「県中浄化センター」で、汚泥と汚泥を焼却処理した溶融スラグから高濃度の放射性セシウムを検出したと発表した。県は、降雨により地表の放射性物質が混入したとみている。

 県によると、汚泥からセシウムを1キログラム当たり2万6400ベクレル、溶融スラグから同じく33万4千ベクレルを検出した。原発事故前の溶融スラグは同246ベクレルだった。


チェルノブイリでは雨はほとんど降りませんし、海からも離れています。
これでは撒き散らかされた放射性物質はそこに残ったままです。
日本では年間2m近い雨が、特にこれからの梅雨時に集中して
降ります。河川も短くすぐに海に拡散してしまいます。
原発周辺の汚染も意外と早く10年程度で洗い流されてしまうのでは
ないでしょうか?


東京の場合にはコンクリートやアスファルトで覆われていますので、激しい雨が降ればあらい流されるかもしれません。雨が降らなければ、原則的には道路や壁等に放射性物質がついていますので、なかなか放射線が減らないということに .


科学音痴でも風土的なもの地形とか地理に旅をして興味をもった。ロシアのチェルノブリは大陸であり日本とは全く違う地形であり風土なのだ。日本のような地形と雨の多い風土では放射性物質は雨に流されるものなのか?郡山市の下水処理場の汚泥から高い放射性物質が堆積していたのが発見されたのはそのことを裏付けている。そして日本は湿潤な地域であり雨が多い、これから梅雨にかけて大量の雨がふる。その雨が放射性物質を洗い流すものなのだろうか?それから日本の地形は海に直結している。川でも日本の川は滝だと外国人が言ったように滝のように海が近く山からの水が海に流れだしてゆく、その時土の中の放射性物質は流れだしてゆくものなのか?道路や壁等に放射性物質がついていますので、なかなか放射線が減らないということに ・・・これはわかるが土に堆積した放射性物質はどうなるのだろう?地中深く水で浸透してしまうこともあるのか?雨の影響がどうなるのかも注意である。

こうして科学でもいろいろな事象というものは歴史もそうだったが地理や地形や風土の影響を受けるのだ。日本人が海産物からヨウ素を十分にとっているから外国人のように甲状腺癌になるのはまれだろう。何かそういうとき信じてしまうのだ。日本人の腸が長いのは米食のためであり体が外国人と違っているから当然放射線の影響も一様ではないのだ。

そもそも日本のような地震国に原発を作ること自体風土にあわないことだったのである。
日本でトンネルの技術が発達したというのも当然である。山だらけの地形だからである。オランダとかは風車が発達したのも風を受けやすい地形だからである。技術的なものもその土地や地形にあったものが発達する。日本は地震国だから地震に強い建築は発達した。しかし原子力発電に備えるまでの技術力はまだ未熟だったのである。今回のような津波も想定されていなかった。技術もその国の風土に見合って発展する。アメリカや大陸のような所では巨大技術が発展する。だから原子力発電などには向いているのかもしれない、ただ完全に安全なものは人為的ミスもあるから作れないのである。

チェルノブリでもスリ-マイルでも自然災害で事故になったのではなく人為的ミスだったのである。風土にあった人間の生活を考えることは大事である。津波でも地形によって被害が違っていた。牡鹿半島の小竹浜では被害が少なかった。前の弁天島が防波堤の役割を果たした。
松島もそうであり塩釜も被害が少なかった。地形の影響が大きかったのである。地形と地理は宿命であり人間では変えられない、だからそれに見合った村作り街作りをする他ないのである。石巻市など海の前になんにもなくもろに海に接していて街になっていたから被害が甚大だった。海に接して前に島などないところはみんな壊滅したのである。

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緊急避難準備地域は政府の都合で指定されただけ (相馬市(新地)も避難準備地域に入る)

 

緊急避難準備地域は政府の都合で指定されただけ
(相馬市(新地)も避難準備地域に入る)
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今回の放射性物質の図からは相馬市も緊急避難準備地域になる。最も放射性物質が堆積したのは今回は浪江の山中と飯館村と福島市だった。この図から南風だった場合の予測をするとこのようになる。この図からだと南相馬市だけではない、相馬市も緊急避難準備地域なのである。今回の爆発で浪江とかから相馬市に逃げた人がいたが爆発した時点で南相馬市が3時間くらい10-20マイクロシ-ベルトと高かった。南相馬市だけではない、新地辺りまで今回のような爆発で放射性物質か拡散したらそうなる。辛うじて山元町辺りに逃げれば安全圏とは言えなくても一応安全だとなる。でも風はどうなるかわからない、チェルノブリでは200キロまで飛んだ。大陸だから大陸の風にのった。日本でも海岸線は山がないからどうなるのかわからない、結局風次第であり予測はできない、ただ今回の場合がらシュミレ-ションすればこうなるのじゃないかということである。南相馬市と相馬市は完全に避難準備地域なのである。30キロ圏内で区切っているがそれで安全ということはないのだ。政府では保証するのは30キロ圏内だけだと言っているだけなのである。より安全圏を求めるなら山形とか会津や日本海側に逃げるほかないだろう。今回のことでわかったように福島市も郡山市も中通りも緊急避難地域なのである。だからその辺に移動するのは安全とは言えない、安全圏は風によって違うがまちがいないのは会津や山形や日本海側ならそうなる。今の状態だとまた爆発しないとも限らない、ふりかえると一機だけではない四機もあって三機も爆発なるなんていかに危険だったか今になるとわかる。
四機もあって燃料プ-ルもある。それらが不安定な状態にあるのだ。

津波でも災害の避難訓練をするが原子力事故の場合はその時の風向きに大きく影響されることがわかった。飯館村はそのために大被害を受けた。福島市も60キロでも南相馬市より実際は危険地帯になった。30キロ圏では決められないものだった。緊急避難準備地域とは突然双葉町や浪江町など20キロ圏内のように避難させられ立入禁止区域にされる。家にも戻れなくなる。緊急避難地域はそういう地域だから子供を原町区の学校に通わすことができない、医療も崩壊している。自分も相馬市の病院に移る他なかった。でも緊急避難地域のあいまいさは30キロ圏外でも相馬市から新地までも緊急避難地域なのである。なぜなら爆発したら結局逃げるほかないからだ。放射線量はほぼ同じ地域になる。ただ政府の都合で30キロ圏内にしているだけである。爆発したとき相馬市の人も逃げたということは正しかった。南相馬市から相馬市に逃げても放射線量は変わらないのである。だから緊急避難準備地域という政府の指定はただ政府の都合であり安全だという基準とは何ら関係ないのである。安全を求めるとしたら自分で決めるほかなくなる。


今回のことでわかったことはそもそも原子力事故ははじめてであり政府自体が混乱していた、もちろん東電もそうである。命令すべき人たちが混乱していた。そもそも東電の社員はいち早く危険を察して逃げた。残ったのは50人だった。つまり危険なときは誰も安全を保証しないということだった。事故を起こした当事者自体が何かわからない、制御できない、逃げるほかないとしたらその回りの人にどう指示していいかもわからないのだ。その混乱は今でもつづいている。
もちろん放射能のことなど全然わからない人たちは自分をふくめどう対処していいかなどわからなかった。要するに安全だ安全だとか教えられていない、危険じゃないですかと口に出すことも地元ですらできない、だから津波のように危険な場合、事故が起きた場合どうしたらいいのかとか何の対策もない、百億円かけたスビ-ディは何の働きもしなかった。それだけ安全安全というだけで危険な場合の用意はゼロだったのである。津波でも絶えず危険を言われても危険を感じなかった。


原発の場合はそういう危険を言うこともできないしそのために準備しろなどと言ったら誰も容認しないから言わないのである。それが事故が起きた場合の対策は何もない、ただ混乱があるばかりであり安全も自分で判断する他ないのである。しかし安全のためにどうしたらいいとか教えられてもいないから対策などないのだ。御用学者が放射能が異常に高くても安全ですと言えばそうかなと思うだけだった。素人には判断しようがないからだ。今度大爆発起こしたらどうなるのか?もはや政府でも命令すらできなくなるかもしれない、放射能を抑えることもできない、そして原子炉が爆発する。それも一機だけではない6機もあるのだから連鎖的に爆発したら東日本は人が住めなくなる。原子力事故とはそういう危険なものだということを今回の事故でみんなわかったのである。そんなときはもはや政府は指示すらできない、逃げる奴は勝手に逃げろとなってしまう。それともチェルノブリのように決死隊が人力で抑えるしかなくなる。
日本でそれができるのかとなるとそれも予測できない、英雄的な行為に出る人もでてくるかもしれない、それにしても六機もあるということは空恐ろしいことだったのである。これからもどうなるのかわからないから原子力は恐ろしいものだということを肌で感じたのが今回の事故だったのである。

 


 

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2011年05月11日

飯館村の価値は何なのか?


 飯館村の価値は何なのか?

スティムソンは1920年代、少なくとも三回京都を訪れていた。その美しさに魅了された彼は、その文化的・宗教的重要性を認識していた。ある日、もし自分が提案されている標的リストから京都を除外したら、君は私を「感傷的な老人」と思うかとマクロイ陸軍次官補に尋ねたことがある。(『アメリカの日本空襲にモラルはあったか 』235p)

人間の価値観はいろいろである。一定した価値観はない、常に東京の人などが言うのは限界集落みたいなものは何の価値もない、経済的価値がない、お荷物だからなくなってもいいという発言である。これは経済的価値からだけみている。一千万の大都会の方が経済的価値などからした比べようがない、ちっぽけな村など経済的には何の価値もない、だからこの世から消えてもたいして問題ないとなる。経済的統計的価値から見ればそうなる。それはあくまでも経済的価値かみ見たものであり文化的価値となると違ってくる。また自然的価値というものもでてくる。自然景観の価値は計りしれない、富士山は正に日本の自然的価値の最大のものである。

価値観は多様なものであり自然がない所は本質的に価値を作り出せない、だから東京には経済的価値はあっても自然がないから自然的価値からみたら価値がない、例え経済的価値があっても自然的価値はゼロに近いのである。アメリカが京都に原子爆弾を落とさなかったのは日本の文化的価値が京都に凝縮されていると知っていたからだろう。外国でも文化的価値観があり文化は尊重される。ヨ-ロッパに原子爆弾を使わなかったのはヨ-ロッパは歴史的にアメリカの故国にもなるからまた文化的歴史的価値がアメリカに通じているから落とさなかった。アジアはそうみていなかった。ただアメリカ自体に経済的科学的価値はあっても文化的歴史的価値にともしいということもあった。文化の面からしたらヨ-ロッパのように芸術も哲学も文学も何も世界だった。だから今でも経済的価値、金であり軍事的価値が突出して文化的価値はともしい、ないに等しいからアメリカという国は金持ちでも成り金であり文化的価値がない国だとなる。


人間の価値観は多様であるからこそ文化になっている。文化がcultureがcultivate-耕すからきているように土と関係しているのだからその土地土地に個性が耕す個性が生まれる。文化とは土地と密接に結びついているのだ。土地とは自然のことであり自然が作り出す景観などは人間には作り得ようがない、どんな価値も神から与えられた自然を基にしているのであり自然がなければ人間は美など作り出せないのである。高層ビルディングを背景にして美がありえようがない。そこには確かに経済的価値はあっても美は生じない、東京タワ-にしろ最近できたスカイツリ-にしろくだらない、エップェル塔には美はあっても鉄骨の塔でただ高いというだけで美が感じられない、京都にある五重塔には文化的価値がある。現代の文明に欠落しているのは美がないことなのだ。東京に美を見出すことはむずかしい。ヨ-ロッパの街には歴史的価値があり文化的価値がある美しい街並みがある。日本にはそうしたものが欠落している。街が猥雑するぎるのである。日本の首都である東京には文化的価値がともしい。全然ないとはいえないが経済的価値だけぬきんでいて文化的価値はともしい。ただ江戸時代だったら浮世絵のように美しい所が各地にあった。それは百万都市の江戸でも回りは豊かな自然にかこまれていたためである。だから江戸時代の江戸なら行ってみたいとなるが今になると東京にゆく魅力がないのである。ただビジネスとしては東京は価値がある。


飯館村なんか何の価値もない、限界集落であり日本から消えても何の痛手もないとなりうるのか?東京から経済的価値だけ見ればそうなる。逆に東京なんかなくなってもかまわない、あんな醜悪な街は消えた方がいいということさえ言える。文化的手自然的価値は東京にはないからこの世から消えても痛手にならないとさえ言える。それは極端にしろ文化的価値として東京には価値があるかといったら非常にともしいのである。前にも飯館村には俳句や短歌や詩に書いたけど人間として理想的にな住み方をしている村だった。一軒一軒が離れて森につつまれていて静かな村である。田舎でも街の中に住んでいると狭苦しい、隣が家でさえぎられる。それが悠々として一軒一軒が離れてある。ずいぶん贅沢だなと都会から来た人も思うに違いない、だからこういう所で暮らしてきた人はアパ-トなどに都会の団地などに住みたくないというのがわかる。あまりにも違いすぎる環境なのである。田舎は今では都会より豊かな生活をしている。車を一人一台もっているし持ち家をもっていれば農家なら悠々として暮らせる。今は専業農家は少ないから現金収入もそれなりにある豊に暮らせる。田舎でも団地のようなものが増えてきたけど持ち家が多くそれなりに現金収入があれば今は交通も発達して何不自由しないから田舎の方が暮らしやすいのである。田舎がすべていいとは限らないこともいえるが物にしろ情報にしろ今は都会と同じような生活をしているから都会自体にそんなに憧れる人はいなくなっている。


今回の原子力事故で飯館村が放射能に汚染されて突然住めなくなったということが信じられない、そこに住んでいる人も何でそうなったのかということが納得がいかないし何になったのだろうと今も理解できない人はいる。放射能自体理解することがむずかしいからだ。自然の景色は何ら変わっていない、緑は豊だし花も咲いているし水はきれいに流れている。放射能は一体どこに影響あるのだろうかと今も行ってみてもわからないのだ。広島や長崎の原爆だったらその衝撃は余りにも大きいからその悲惨さもこの世の地獄だから否が応でも原爆の恐ろしさを知る。ところが今回のような原発事故はその悲惨さすぐ目に見えて現れないのである。あれ、何にも変わりない、どこが問題なのだとなる。だから放射線は健康にいいんだといって信用する人もいるし別に村を出なくてもいいんだと思う人はいる。ガンになると言ったって今のことじゃないから10年後とかなると被害を直接感じられないのである。でも実際は放射能は恐ろしいものである。ただ原爆のようにすぐに大量の死にいたらしめるようなものではない、チェルノブリのように人も死んでいないから何か切迫感がない、住民にもそうである。ただ土が汚染されたことが致命的であり住めなくなるということが原子力の怖さだった。その土地が文化の基となるものが根こそぎ破壊されるのが原子力事故の放射能だった。だった。もう何十年も住めないということが信じられない、だから村を離れない老人はでてくる。人間そのものがそうなるとその土地の石や樹のようになっている人がいるからだ。だから村を離れろというのは一番酷なことになる。いづれにしろ限界集落のようなものは経済的荷物だから一つくらい消えてもいいという価値観は傲慢である。東京のような都会の方が消えてもいいということさえ言える。しかしこのような自然と調和した村は残されるべきだとも言えるのだ。

 


 

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2011年05月12日

立正安国論を読む-日本の国難(津波、原発事故が国の転機に)

 

立正安国論を読む-日本の国難
(津波、原発事故が国の転機に)

http://musubu.jp/jijimondai-41#ankpku(時事問題の深層41へ)

今起きたことは何なのか?いくら考えても理解に苦しむ。こんなことがありうるのかということで何度も考える。一気に万単位の人が死ぬということも経験していない、こんなに一度に人間が死ぬものかとなる、そうなると個々人の問題は小さいものとなる。いろいろ個々人には悩み苦しみをかかえているが万単位で人が死に家族が死んでいるのだから個々人の問題などどうでもいい、目の前の大きな問題にエネルギ-は注がれる。今回の津波と原発事故は戦後の焼け野原から始まった日本とにている。戦後60年の幸運な日本の繁栄は去った。日本の技術もあんな脆弱なものだったのかと落胆した。著しく国位は喪失した。立正安国論というときまさに蒙古襲来とかの国難の時に書かれた。今はまさに立正-安国が必要なときなのだ。国が正しく立つ-そして放射能に汚染されない安国が求められる。現代はまさに国難の時なのである。個々人の問題もあるが国難となると個々人の利益だけの追求とは違うものが要求される。そういうことが確かに全国からの東北を支援するということで起きている。日本も一つの体であり傷ができれば白血球が集まりその傷と戦っているのと同じである。そういう中で外国人は危険だからいち早く日本を去った。やはり外国人はただ金だけであり愛国心は自分の国にあるから利がなければ去るのである。利としてしかかかわらないからである。
ともかく津波難民、原発難民とか立入禁止区域とか身近で起こっていることが信じられない、だからこれは何なのだと何度も考える。指針をどこに求めればいいのか?その時立正安国論が今の時期にはふさわしい指針として蘇る。別に宗教にこだわらない、日本の危機の時書かれた愛国者の書だから日本人には通じるものなのである。カルト団体が利用するときはまた権力的利用になってしまうのである。
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2011年05月14日

夏の月(津波のあとに・・・)

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家もなき津波の跡や夏の月

根っこごと津波に流され芽吹きかな


手水鉢にアメンボウ来て泳ぐかな


四輪の牡丹や石の重さかな


牡丹散る残る片割れ夕べかな

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今回の津波は未だに信じられないことである。津波のあとの光景も毎日見ていても不思議としかいいようがない。田んぼは塩がしみこんで地割れしている。根っこごと流れ着いた樹が芽吹いている。ソファが一つあってこれも団欒していた家族があった。それがなんともいえず不思議である。今日は夏の月がでていた。すっぴんになったとか川柳を読んでいた人いたけど笑ってもいられない、被害を受けた人の悲しみはなかなかわかりにくい、一瞬の内にしてすべてを失うということがどういうことなのかわからない、現代はもっているものが多すぎるからモノへの喪失も大きい。江戸時代ならみんな長屋住まいであり火事になれば何も持ち出すものもない、身一つ逃げるだけでありあとはまた長屋に住めばいいからモノを失うことはない、モノの喪失感はないのだ。現代は家でも何でももちすぎるからモノを失うことが大きな痛手となる。南の国だったら掘っ建て小屋のような所に住んでいれば津波で流されてもまた掘っ建て小屋を建てればいいとなる。暑い国だとそうなる。住まいの心配はない、現代はあまりにももつものありすぎるからそれが失うことも大きな喪失となる。


もともと何もないならそんなに嘆く必要もないかもしれない、それにしても津波のあとの風景はあまりにも不思議である。家も何にもなくなり夏の月が今日は出ている。もう夏になった。 アメンボウはどこからか飛んでくる、手水鉢に一匹泳いでいるのも不思議である。茶室がどうだとかやっていたが今は茶室はなくなった。そこには一日寝ている。介護している自分がいる。あまりにも悲惨だと俳句とか短歌も作る余裕もなくなるだろう。俳句とか短歌でも余裕があるからできる、川柳でもそういうものを作るのは心に余裕がなければできない。その余裕をもつことが被災した人がもつことはむずかしい。そんなとき文学なんか役に立たないというのも本当である。ただやっぱり月は同じようにでている。季節は変わる。そして悲惨な津波の跡も一つの光景になってゆく・・・つくづくこれから津波に襲われた所はポンペイの跡のように観光地化してゆくのではないか?今は悲惨すぎるのだけどそこで語られることは生き証人が語ることは重みがある。広島、長崎のようにもなってしまうのである。


夕べの庭に牡丹は散った、 今年も四輪の牡丹は咲いて散った。