2011年05月01日

花散る(全国から集る建設業者)

habayoinn11.jpg

仮設住宅を建てるために来ていた全国の会社の車

oosaka11111.jpg
kasukabe.jpgchiba.jpg
aomoriii1.jpgadachi11.jpg

花散りしあとの余韻に夕暮れぬ今日もこの道我が行きにけり


一時的に体育館などに避難した人が今度は仮設住宅に移る。その仮設住宅の数が凄いのだ。この辺でも千人くらい入るとしたら300個くらい作るのか?それで車のナンバ-を見ると大阪から青森から埼玉から東京からと全国から建設業者がきているのに驚く、大阪からまできているのだから驚く、この業界は人手不足におちいっているらしい。需要が急激に増大したから一社ではやれない、全国の会社が参加してやっている。建設業界は活気づいた。いくらでも直すところがある。今回感じたことは経済は普通だったら競争とかいくらうけるとかそういう冷たいものだと思っていたが実際は経済は助け合いが基本になっていた。東北で困っているから東北のものを買ってやろうとかそういう助け合いの経済が生まれた。互いに助け合ってやっていこうということが全国的な運動にもなった。そういう心がおしつけでもなく生まれたことは今までとは違っていた。他者を追い落としてでももうけるんだというのが経済だったけど一旦つくづく店がないことがいかにこまるか、そこにモノがあるだけで買えるだけでもありがたい、感謝するという気持ちにもなった。いつも空気のあるようなものは感謝しない、しかしそういうものでも一旦なくなるとこんなに大事なものだったとかのか気づいたのである。それを運ぶ人など普通注目していないがガソリンがなくなったときそれを運んだ人にもありがたいとなったのである。まあ、今回の津波やら原発事故は悲惨だったけどいろいろなものを見直す契機になったことは確かである。

原町区でもス-パ-が開店したからだんだん日常にもどってくるが医療、教育は戻らない、悲惨なのは飯館村とかで避難を強いられた人達である。農業や酪農は土地と密接に結びついているから移動しにくい、だから酷だったのである。

桜は散った、その余韻はつづく、でも騒々しいことはつづいている。これは落ち着くには一年はかかる。延々と津波と原発のことにみんな忙殺されるのである。だから何か疲れる、何もしなくてもこういう被災地にいるだけで疲れるのである。

2011年05月02日

福島市から郡山市に風で流された放射性物質

kazenagarehh2222.jpg


わかりやすい放射線分布の地図
http://static.ow.ly/photos/original/aN0E.jpg


福島県は1日、県中浄化センター(郡山市)で処理する下水汚泥から
1キロ当たり2万6400ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。

放射性物質は風の影響が非常に大きかった。3月11日の時期は春の始めであり東風(こち)が吹きはじめる時期だった。東南の風も吹く、その風に乗って飯館村から福島市に流れた。でも郡山市がなぜ高いのかとなると解せなかったが今回の地図を見てわかった。つまり福島市の方に流れた放射性物質が今度は北風にのって中通りを流れた。福島市→郡山市だったのである。原発のある双葉町から風に乗って流れたのではない福島市から北風にのって中通りを流れた。なぜなら中通りは平地が多いのだから風に乗って流れ安いということがある。
一方田村市は山にさえぎられて風向きも違っていたので影響なかった。放射性物質はその時の風の影響が大きい。南相馬市も東風だから低かったのである。この東風は3月11日の時期はいつも吹いているわけではない、すぐに北風に変わるし4月まで春北風(はるきた)という季語があるように北風は吹きつづける、すると福島市から北風にのって郡山市に放射性物質が持続的に流れた。郡山市の下水道から高濃度のセシウムが検出されたというのも福島市から北風にのって流れた放射性物質が堆積したものなのだろうか?

ともかく放射性物質はチェルノブリでも同心円には拡散しなかった。だから20キロから30キロ圏内が南相馬市が緊急避難地域になっているが地図で見る限り相馬市も確実に放射線の量は同じであり変わらない、そしたら同心円で決めるのは科学的ではない、政治的判断でそうしているのだ。相馬市まで保証できないからそう言っているにすぎない、30キロから数キロ離れた鹿島区は保証の協議中だという。相馬市はなんの保証もないのかとなれば現実に土の中から南相馬市と同じくらいの放射線が出ているのだ。いづれにしろ緊急避難の命令が出たら相馬市に逃げてはだめである。それ以上80キロ以上逃げないと安全圏にはならない、仙台辺りまで逃げないと安全にはならない、原子炉が爆発したりしたらそこまで逃げなければ安全ではない。浪江の人は最初津島に逃げたのである。これも距離だけ計算して逃げたからそうなった。津島は最も放射線が高い場所だったのである。その人は次に相馬市に逃げた。でも相馬市でもこれからは安全ではない、緊急避難地域はこの地図で見る限り新地まで入る。政府で緊急避難地域と指定したのはあくまでも科学的ではない政治的判断である。指定すると保証問題が出てくるからしないだけで危険なことは危険なのである。避難命令を出したらあとの保証が鰻登りになり保証しきれなくなるからだ。だからあえて危険でも避難命令を出さないということがありうる。現実にそうしているのだ。何故なら福島市や郡山市の方が避難してもいいくらいに放射線が高いからである。


この地図では飯館村でも8マイクロシ-ベルトと2マイクロシ-ベルトの地帯がある。大倉辺りは2マイクロシ-ベルトかもしれない、なぜなら山にさえぎられているからだ。ただ8マイクロシ-ベルトの帯は霊山の近くまで伸びているとする佐須辺りも8マイクロシ-ベルと地帯なのか?伊達の方にも2マイクロシ-ベルト地帯は伸びている。地形の影響もあったが第一に風の影響が大きかった。飯館村は風の影響で不運だったのである。大倉でも計画的避難地域になり避難することがうながされている。いづれにしろ福島市とか郡山市に風で放射性物質が流れたのは自業自得かもしれない、飯館村は全く不運であり同情するが福島市は県庁のあるところであり今の知事は原発を許可した原発利権知事だったしもし30キロ圏内しか放射線で影響しなかったらいかに原発が危険なものか体で知ることはできなかった。全国でも最初にアメリカが80キロ圏外に脱出しろといったのは正解だった。危険も最も見込んでそう警告した。実際に原子炉が爆発したのかと思ったしその時大量の放射性物質が流れた。だから80キロ圏外に出ろというのは別に大げさでなかったのである。地図をみても新地までは2マイクロシ-ベルト地帯であり危険地帯である。 政府からの避難命令は政治的判断が入る。保証問題が出てくるとめんどうだから危険を言わない、現実に東電の社員は危険をいち早く察知して子供を遠くに避難させて自分たちも逃げた。放射線の危険を知っていたからである。その恐怖は知っているからこそ敏感であった。放射能の危険を知らない人は今でも知らない、毎日数値だけで計るほかない、何かすぐに目に見えて被害がないのである。だから怖がらない人は怖がらない、自分も無知だから怖がらなかった。でも今度はいくらか学習したので怖がるようになったのである。


あとがき

地図を見ると福島市より流れたというより飯館村辺りからも風向きで北風が吹いて郡山市に流れた。地図ではそのような分布になっている。福島市まで流れて郡山市に流れたのではなく
途中風向きで北風になり郡山市に流れたのである。
posted by 老鶯 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春の嵐(津波や原発事故で変革を迫られる)


吹きすさぶ風にゆすられ芽吹きかな


津波あと仮設住宅あまた建ち春の嵐や夜半に吹き荒る


ますぐにも大木立ちて風うなり芽吹きけるかな苦難の中に


金銭にあがなえざりし田畑なり牛と暮らせる村の一つに

夜は嵐だった。津波から原発事故からと風雲と動乱の時である。千人も被災者が町に集ることはかなりの変化である。ということはコンパクトシティとかコンパクトタウンとかになる。田舎も家々が広く偏在しているのかもしれない、それが不便になっている。ところがそれは自然の暮らしから必然的にそうなったのである。必ず前田とあれば山の中でも海に近い田んぼでも前田が生活の拠点となり村が広がり形成された。日本はどんなところにも田を作ることによって住む場所を広げていったのである。海岸地帯でも今度津波で被害にあったところも湿地帯を埋め立てて田にしたところだった。田を作れば米が主食となり生活が成り立つ。それで生活圏が山のの中でも海岸地帯でも田を作り拡大してきた。それから酪農というのも明治以降盛んになった。これも広い土地が必要だからそれぞれに広い土地を使うから住む家が広く山から海へと点在するようになった。それは自然なことであった。一方工業化とか商業化は町、街を形成するようになる。集約的な人口の集中化しやすいから街が形成される。

今回の津波で漁業でも農業でも個々人が船をもってやることはむずかしくなった。農業にしても個々人の力では無理になった。それは一つのチャンスだということと確かである。農業でも土地を集約化して会社組織にするとか農業でもそうである。街作りでも今がチャンスだという。計画的な街作りがそれぞれの人がまた自分の土地に家など建てない前にする必要があるという。つまりこういう大変革はこんな非常の時しかできない、平時には絶対にできない、完全に街が破壊されたから完全に新しい街が作れるという新しい発想が実現するということになる。

飯館村のようなところはそもそも避難することが無理である。あまりにも土地と一体化していたからである。それは金銭であがなえないものである。一億円やるから村を捨て仕事を捨てて都会で楽な暮らしすればいいじゃないかとなるのか?それより昔からの仲間と一緒に牛と一緒に貧乏でも暮らしたい、ここから移りたくないという人はでてくる。全部ではないに意識しないにしろそういうふうに生きていたものを果たしてその意識を全く変えることができるのか?

村を捨てられないというとき人間もその土地の樹木のようになってしまっている。つくづく団地のようなアパ-トには住みたくないというのはつくづくわかる。飯館村に行けばわかる、森につつまれて隣は離れている。一軒一軒がぎっしりと並びひしめいているような所ではない、森に隠れるようにして一軒一軒が独立してあるのだ。飯館村に行くとだからそういう点うらやましいとなる。そういう人たちがアパ-トのようなせせこましい隣の物音を気にするようなところに住みたくないというのがわかる。自分も田舎は人間関係は嫌だけど東京のようなところになると余りにもせせこましい窮屈に感じてしまう。そういう生活が豊かな生活だとは思えないのだ。それでも福島市とか郡山市は郊外が広いからまだいいかもしれない、ともかくこうした村一つが喪失すること、それをあがなえるものなどないのだ。北海道辺りに村ごと移住すればいいとなるがそれも簡単にできるものではない、村一つを消されることそれがどれだけ罪作りなことかわかる。双葉町は利益を得ていたからやむをえないとかなるが飯館村は全く何の利益も受けていなかったのである。


いづれにしろ山津見神社辺りまで放射能に汚染されたことが信じられない、ある意味で秘境のようなところだった。でもかえって風景のいいところに原発が建って所が多いというのはそこが過疎地域になっているためだろう。今回の津波にしろ原発にしろ現代の都会と田舎の問題とか様々なことを浮き彫りにした。大きな生活の見直し転換が迫られているのだ。

狭い地域でも放射線量は違っている謎

 

狭い地域でも放射線量は違っている謎
fukushimaradio1111.jpg
クリック拡大
以下も同じ

shiobede1.jpg
teshichi.jpg
nagatoro33.jpg


akougi.jpg
赤字木手七郎から山木屋は山にさえぎられ
離れている
放射性物質も山にさえぎられた

放射性物質の分布は一様でなかった。放射線は飯館村で高かったのだけど飯館村全体で高いかとなるとそうでもなかった。5月2日のモニタリングでは赤字木椚平が37マイクロシ-ベルトで以前として一番高いのである。その線に沿って赤字木手七郎から長泥への道が高いレベルになる。ここのところは福島の第一原発が水素爆発してからずっと高いし変わっていない高レベルの放射性物質が堆積していて放射線を出している。ただ放射線はどういうふうに計っているのか、土から一メ-トルなら高い、それはビデオでも写していたが土に接ししていると20マイクロシ-ベルトとなっていたが土から離れると高さにより1マイクロシ-ベルトとか下がっているのだ。つまり放射性物質は土に堆積して放射線を出し続ける。セシウムなどは半減期が長いから一旦土に堆積したものは消えずに放射線を出しつづける。ここは土ではないけど舗装した道路でもレンガでもそうしたモノにも付着して放射線を出しつづける。土でないから水で洗いばいいのか?放射性物質は落下して下にたまることは確かである。


これを見ればいかに地表面から放射線が強く出ているからわかる。
http://www.monipo.net/blog/monipo/20110424/


そして放射線で注意しなければならないが一様に分布するのではない、スポットスポットで放射線の量が違っているのだ。特に阿武隈山中に放射性物質が流れたとき非常に複雑に分布した。赤字木椚平は37マイクロシ-ベルトだから以前として一倍高い、そこから塩浸(しおびて)に行き津島方面と手七郎とかの方面に分かれる道がある。ここに店があり良く休んでいたから知っている。津島の方へ行く道は広い道であり三春まで通じている。普通だったらこの広い道に沿って放射性物質も流れるはずである。ところが細い道に入っていったことが不思議である。人の感覚ではそこは細い道であり風の流れがそこに入ってゆくように見えない、ただ塩浸が別れ道であり方向が違ってくる。そこで風の方向が分かれたのだろうか、東から吹いた風が北西方向に向かった。その風の別れ道が塩浸だったことになる。津島方面は5マイクロシ-ベルくらいだからあの辺では低くなっている。東風、東南の風が影響してあの細い道に風と共に流れていったのだろうか?実際は放射性物質の流れは相当な謎である。そんなふうに山間を謎のように流れてゆくものだろうか?ここが気になったのはあの辺を何度か確かに行っているからである。人間的感覚でも風のあの道を山間を選んで通って行ったのかと思うしミステリ-なのである。塩浸から赤字木手七郎への道がありその道をたどって飯館村の長泥へ出た。とにかくその辺に放射性物質が一番堆積したのである。セシウムだとするとなかなか消えないのだろう。


それから川俣町の山木屋は5月2日の時点で2・7マイクロシ-ベルトであり長泥からなどからすると低い。高太石山などにさえぎられているからだろう。つまり放射性物質とか放射線はかなり隣接した地点でも違っているのだ。飯館村が高いと言っても全部が平均して高いわけではない、南相馬市では大原台畑が2・1マイクロシ-ベルトで一番高い、大原は八木沢峠に近い方だが台畑はどの辺かわかりにくい、大原について書いてきたがあそこも汚染されたのかと思う。伊達の霊山の石田は2マイクロシ-ベルである。南相馬市より高いのである。今回なぜこのように放射性物質の分布が一様でなくて複雑化したか、それは阿武隈山中に流れて地形に影響されたことは確かである。その阿武隈山中をどうして風が流れて放射性物質が赤字木付近に一番堆積したのか、雨もふったせいだとある。ともかく気象条件と地形とかなどが影響し合ってそうなった。


そして恐怖のシュミレ-ションはこれだった。南風だと明かに南相馬市は飯館村と同じとなり相馬市もそうであり完全な避難地域であり南風だと仙台も安心できない、風で放射性物質が運ばれる。百キロでも二百キロでも運ばれる。新宿辺りで放射線量が高かったというのもそのためである。つまり放射性物質は一様に流れない、分布しない同じ近接した地域でも違ってくることが今回の事故でわかったのである。だから逃げるとき風によくよく気象に注意する必要があるのだ。


ここの風のシュミレ-ションでは相馬地方は放射能の影響を受けていない?
http://ribf.riken.jp/~isobe/mon/sim/comp.pdf


ドイツのシュミレ-ションでは海に流れのが多い-南風だったら゛相馬市から仙台まで危険地帯
http://ameblo.jp/hope-after-despair/entry-10831522449.html


ともかく科学音痴でも地元の地理とか地形はわかりにくいのだ。それが関係していたとしたら多少発言できることになる。放射線は学者でも言っていることが違っているしその影響はすぐに現れないからますます今の時点は言い放題になる。結果は五年十年後だとすると余計に今の時点では言ったことの結果は出ない、出るのは二〇年後にもなるとしたらもうどうでもいいとなる人はでてくる。放射能はだから騒ぎだけで終わってしまうこともありうるのか?なんだ何人か癌になったけどそれは放射線の影響だったのかないのか誰もわからないとなってしまうのだろうか?
結局放射能の怖さはまさにそうして意識化できないことにあった。水が汚れるという現象もない、空気も何かスモッグや黄砂のように汚れることを感じない、まさにそのことがかえって恐怖となっている。恐怖する人はだから恐れなくてもいいのに百倍の感覚で恐れる。そういうふうにどう対処していいかわからないから困るのである。


ふるさと林道栃窪橲原線の放射線量
http://blogs.yahoo.co.jp/ht_sue/27698256.html

これは個人で計ったものである。でも正確みたい、橲原(じさばら)とか飯館に近く山が高くなると放射線量が高くなるのだ。
信田沢(しだざわ)が高くなっているのは注目である。山側といかわけでもないからだ。

ooharashida1.jpg

大原台畑-信田沢---この辺が2マイクロシ-ベルトのスポットになっている
最近は南相馬市は0・6マイクロシ-ベルトである。
ここだけがなぜか高いのも不思議である。放射線が高いスポットができる
そこには放射性物質セシウムなど堆積している。


posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月03日

燕飛ぶ(南相馬市にボランティアは来る南相馬市鹿島区右田-被害写真)


(南相馬市にボランティアは来る南相馬市鹿島区右田-被害写真)

クリック拡大

mebukiiii123.jpgnagorinoki.jpg
suisennnn123.jpgmatubara1111112.jpg

asobiii123.jpgtokei1111111.jpg

2011年3月11日14時46分に地震が起こった。この時計ではそれから一時間くらい時間があったのか?そんなに時間があったとは思えない、でも時間差ではそうなる。一般的には三〇分くらいして津波が来たし二〇分くらいでも来たとか早くきたので逃げられなかった。この時計の示している時間は津波が来たときに壊れたのか地震が来たときではない、地震が来たときなら14時46分になっているはずである。
jimjia.jpgkowasuie.jpg



遠くよりボランティア来て燕飛ぶ


家はなし津波に耐えし二本の木の残りて芽吹きけるかな


家はなしここに庭あり水仙の咲きてあわれも誰か住みしも


ここに倉ありしもなしも残る人何を語るや春の日暮れぬ


二本の松の残りてあわれかな右田の松原消えてなしかも


心地よき汗を流さむボランティア全国から来てタンポポの咲く

今日はまた鹿島区の右田の海の方に行った。何度も行ってみると奥まで津波が来たということである。おそらくあの辺に住む人は津波が来るとは思わなかった。想像すらしなかった。しかし海岸から3、4キロとか来ている。あの辺にも確かに家があったし何度も通っていた道である。
そこに確かに倉があり松があった。その家も跡形もなく流された。ただ残っている樹があった。その樹は春になり芽吹いたから生きている。右田の松原は消えた。何本か名残の松が残っている。あまりにも荒寥となった海岸線である。右田には家は少なかったが海老に多かった。
烏崎は一番被害が大きかった。いつも行っていたところがあんなふうになってしまったことが未だに夢見ているようである。でも現実として残った松がありそれがあとあとまで残ればそれで昔を偲ぶことになるのだろうか?家がなくなり庭があったところになんとか水仙が咲いていた。津波のあとにも咲いた。それも不思議な光景となっている。


ボランティアが全国から来ていて家のかたずけをやっていた。京都ナンバ-もあったし神戸もあった。ボランティアなど自己満足などというけど自己負担であり関西から来るとしたら金も相当かかる。無償で働くのだからこれは別な意義がある。そんな遠くから来て無償で手伝ってもらうのはありがたいとなる。かえって近くの人は手があいていても手伝わないこともある。日本全国から集まって助けてくれることはこんな大災害だからだった。自衛隊などは勤めとしてやっている。ボランティアは無償でやっている。無償でやっていてもその労働自体に満足を覚えることもある。すべてが金、金の労働になっているとき人はやはりそれだけではない労働に満足感を覚えたいのである。だから無償でやっているのだ。自己満足だとか批判もあるが何もしないで批判しているよりはいいことは確かである。この大震災で日本の力が一つになって働いていることに感動する。かえって東北だと何か固陋なところがありボランティアの精神とかホスピタルに欠けているかもしれない、関西の方などあけっぴろげであり現金でもかえって協力的なこともある。東北人が意外とボランティアに来ていないというのもそのためだろう。東北というと田舎でありこの辺でも部落内では助け合うがよそ者には冷たいのである。かえって遠くの人が今回助けてくれることを知った。ただ福島県に来たがらないというのはわかる。放射線が問題になるからだ。六号線も寸断されたから遠くから来るには不便なのである。


津波のあとにもタンポポは咲いたし樹が残り芽吹いた。復興の兆しはでてきているがこの辺は放射能の問題があるから困る。でも放射能で汚染されて草木が枯れるとか花が咲かなくなるとかなれば一大事だけどそういうものを感じないから危機感ももてないし何ら普通と変わらない、ただこの辺でも農家では耕すなと言われたから困る。やはり放射性物質は土にたまりやすいことがわかったからだ。

bbbbbbbb.jpgkashuwa.jpg
mikawadai.jpgkyoto111123.jpg
                                                                                          京都ナンバ-(京)
koube11111.jpg

神戸

 

2011年05月04日

世界的に注目される福島県-南相馬市 (自分のプログがノルウェ-語に翻訳されていた)


世界的に注目される福島県-南相馬市
(自分のプログがノルウェ-語に翻訳されていた)

nordst11111.jpg

原子力の事故の原因の一つ En av arsakene til atomulykker

http://translate.google.no/translate?hl=no&sl=ja&u=
http://musubu2.sblo.jp/article/44557564.html&prev=
/search%3Fq%3D%25E7%25A6%258F%25E5%25B
3%25B6%25E7%259C%258C%25E5%258E%259F
%25E5%25AD%2590%25E5%258A%259B%25E4%
25BA%258B%25E6%2595%2585%26start%3D10%26hl


(福島県の地形が意志疎通を阻(はば)んだ) (Barrierer a kommunisere topografien i Fukushima Prefecture (ikke hvis) jeg)


●ハマ、ナカ、アイヅに分断された福島県の地形 Hama ●, Naka, Prefecture ble Fukushima delt inn i terrenget Aidzu


地理はそこに住んでいるものさえわかりにくい、福島県は広すぎて山も多いからわかりにくい、まず会津は別の県として地形的にも地理的にとらえるべきである。 Geografi forvirrende selv de som bor der, Fukushima Prefecture fra mange obskure fjell for bred, er First Aizu menneskeheten geografisk ulike provinsene, sa vel som geografisk. 地形的にも会津は会津県なのである。 Aizu er ogsa et topografisk Aizu prefektur.


二本松、若松及 び 平 の 3 県 に統合された。 Nihonmatsu, integrert i de tre provinsene Wakamatsu og及.
しかし、 間もなく二本松県は11月14日 に福島県に改称、また、平県も同月28日 に磐前県と Men snart ble omdopt i Fukushima Prefecture Nihonmatsu 14. november, og Bandai den 28. september for fylket og prefekturs av

改称され、 更 に明治9 年 8 月21日には若松及び磐前の 2 県 は福島県に併合されるに至った。 Har fatt nytt navn, den 21. august 1876 til ytterligere to foregaende prefekturene og Bandai har fort til annektering Wakamatsu i Fukushima Prefecture.
会津は若松と言われていた。 Aizu Wakamatsu hadde blitt fortalt. 磐城は平であり平駅があった。 Rettigheter av stasjonen og hadde Zyou Iwao. この中に相馬藩は入っていない、相馬藩は福島県に入るのには地理的にも無理な面があったのだろう。 Soma klanen har ikke inngatt, a ga inn i klanen Soma, Fukushima Prefecture, var det et fly ville vare geografisk umulig. かといって伊達と争っていた歴史から宮城県に入ることもできない中途半端な地域になっていた。 Jeg var ikke engang halvveis inn i omradet i Miyagi Prefecture, var pa kant med historien eller Dato a si. 今でも地理的には交通的には福島市より仙台が近く感じられるし実際に仙台に勤めて通っている人も多いのである。 Geografisk og transport er fortsatt mange mennesker som arbeider gjennom a faktisk fole seg nar Sendai fra Sendai Fukushima City. 実際に新地は伊達藩の境にあり代々の武士の家系の古い家があり伊達氏に属していると言い張っていて相馬藩と合併することを拒んでいた。 Shinchi hadde faktisk nektet a fusjonere med Tei Souma klanen insisterer han tilhorer familiens gamle hus har en dato, en samurai klan fra generasjon til generasjon i grensen til Italia. それだけ伊達家への思い入れが強い家があったのである。 Familien hadde sterke folelser at mye av Date familien.

福島県はハマ、ナカ、アイヅと三つの地域に分かれている。 Hama Fukushima, Naka, og er delt inn i tre regioner Aidzu. この三つの地域は気候的にも明確に違っている。 Disse tre omradene er ogsa klart forskjellig fra klimaet. 会津は雪がふっても浜通りはほとんどふらない海洋性の気候なのである。 Aizu sno som faller fra himmelen selv som stranden er litt Furanai havklima. 浜通りは気候的に本当に住みやすい場所だった。 Som stranden var virkelig et sted a bo klima. 福島県が最初二本松県であり若松(会津)と平県に分かれていたことが地理的にもそうなった。 Og Wakamatsu, Fukushima Prefecture, den forste Nihonmatsu (Aizu), sa var ogsa at det var geografisk delt inn i provinser og flat. 二本松のあの天守閣のあったところから回りを見回すとここが福島県の中心だったことが実感できるし十万石となるとその規模も大きいから歴史的にもそうだった。 Det gjorde historisk og fra en storre skala til hundretusen stein og kan fole at det var sentrum av Fukushima Prefecture, hvor rundt her og se deg rundt slottet som var Nihonmatsu. でも福島市の人たちから見ても浜通りの人たちから見ても阿武隈山脈、高原が横たわっているから交流も地理的にさえぎられるから少ない、磐城と郡山は鉄道が通っているが相馬と福島市には通っていない、交通的にも不便なところなのである。 Abukuma Fjell som folk selv fra stranden selv fra folket i Fukushima City, men ogsa mindre geografisk blokkert fra borsen fordi de lyver plata, og Soma har Kooriyama Zyou Iwao og jernbane gjennom Fukushima City, ikke gjennom, noe som gjor dem vanskelige er et sted for trafikk.
福島県はこうして地理的に隔絶されているから県としての一体感をもちにくかった。 Risen var hard, Fukushima Prefecture, fra en folelse av samhold er dermed geografisk isolert. 会津はさらに高い山々がありその地理はさらにわかりにくい。 Aizu er et hoyt fjell geografi som har enda mer forvirrende.


南相馬市の市長が窮状をyutubeで訴えて世界的な話題になった。原子力で福島県が実は世界的に注目されている。世界的に福島県の原子力発電のことは大きな話題になった。だから福島県は第二のチェリノブエリになったのである。福島県の南相馬市が有名になったのは野馬追いとかではない、原子力事故の被害のためである。津波も世界的関心だがこの原子力は世界的には関心が強い。何故ならどこの国でも原子力発電しているからだ。そこで関心が大きいのだがなかなかその土地の地理のことなどわかりにくいから自分のプログにアクセスしたのかもしれない、福島県の地理について書いたからである。

ノルウェ-語はデンマ-ク語から分離したものでありドイツ語が根幹にある。英語がわかるとドイツ語もわかりやすいのである。この訳をわからないにしても読んだら翻訳でも大意がわかるのかな、結構良く訳されているようだ。相当いい翻訳のソフトを使っているようだ。翻訳もかなり進んでいるからノルウェ-語にも訳せたのか、おそらく一旦英語に訳してそれからノルウェ-語に訳したのか?英語からだと欧米語ならかなりの精度で翻訳できているだろう。日本語となると翻訳はむずかしい。とにかくこういう時期だか福島県でも南相馬市でも世界から注目されていることは皮肉である。南相馬市長が一躍世界の十人にニュ-ヨ-クタイムズで選ばれたのもそのためである。インタ-ネットは世界とリンクしているグロ-バルなものだけどももう一つ利用していなかった。言葉の壁が大きいのである。いちいち翻訳していたら疲れるし能力がない、翻訳の機械化が進むから多少は改善されるかもしれない、世界的に発信するとなると英語になる、世界的に発信できれば凄いものになることは確かである。


 

posted by 老鶯 at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

巨龍は千年海底深く眠っていた(大津波の詩)


巨龍は千年海底深く眠っていた(大津波の詩)

巨龍は大海深く眠っていた
その間に人はせせこましく
その上で暮らしていた
巨龍はそれらを知らず無視していた
海岸近くを田にして米を作り
松原を作り調和した美を作り出していた
でもそこはもともと海だった
人は人口が増えたためやむなく
そういう適地でない所に田を作りはじめた
それも千年巨龍は無視して眠っていた
そして田だけではない
人間は電気を発明して文明を作った
夜も皓々と電気の灯は地上を昼のようにしている
一千万の大都会の灯は宇宙からも見える
そのエネルギ-は莫大なものだった
その電気は危険な原子力から作られていた
そして遂に巨龍は千年の眠りから突然目覚めた
大津波は千年間に築いた人の暮らしの場に襲いかかった
一瞬にして海であった原始の状態に戻した
何万人の命は津波に一気にのまれた
その時海岸に電気の元の原子力発電所があった
そこが地震津波にやられ爆発して故障した
危険な放射性物質はまきちらされた
大都会の燎原のような電気の灯は
まるで一吹きで消され元の暗い闇に帰った
大地は沈下して陸はずれて動いた
その凄まじいエネルギ-に驚嘆するばかりだった
人間の力は小さい、文明も簡単に滅ぼされる
自然の神の力のとてつもない巨大さを見せつけられた
千年また巨龍は海底深く眠ってしまうのか
元禄と安政の津波を警告する碑は隅に忘れられていた
四五百年の時間がたてば忘れてしまうものなのか?
いつも人は目先のことで四苦八苦するだけである
人間がいくら科学者が合議しようが
自然の力には知恵にはかなわない
科学者よ、原子力の核など弄ぶな
神の力ははるかに人間の知恵を凌駕する
計り知れぬ宇宙、底知れぬ海、底知れぬ大地・・・
神は人智を越えてなおそこに住む
世界は決して人間の知と技で解明されない
故に神を畏れねばならない・・・
神は人間の奢りをたやすく打ち砕く
科学者の奢りも簡単に打ち砕く
今回の津波以上のものが襲いかかる
文明はそれで簡単に滅びるのだ
文明はアトランティスのように海の底に沈み
宇宙の伝説として語られる
この大津波により神話と伝説が復活した
自然のスケ-ル、神の力のいかに偉大なるか
非情の神を呪うとともに賛嘆する
文明は人の奢りの故の産物
そんなものは簡単になみすることができる
人よ、神を畏れつつましく暮らすが良い
文明は神の世界を地上を汚しすぎた
一挙に洗い流す大津波が大都会を襲う
恐るべき力を知るべしなり
再び原初の世界に戻す神の力を知るべし

posted by 老鶯 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

原子力事故で見えてきた権力の構図




原子力事故で見えてきた権力の構図
http://musubu.jp/jijimondai-41#atom3(時事問題の深層41)

今回の原発事故では権力の構図が否応でも見えてきたことは救いである。そうでなければ闇はさらに深い闇になり何がどうなっているのか不明のままで終わっている。戦争の敗戦のように何がこのような事態を作り出したのかその権力の構図が暴かれたのである。それぞれに出てくる情報がみんなかたよっている。それは必ず背後にそう言わせる組織がかかわっているからである。組織なしで発言することはできない,その組織がなかなか今回のような事故にならないと見えない場合がある。今回の事故はあまりにも深刻だったので隠すことができなくなったのである。それでも様々なかたよった見方はでてくる。それはやはり背後に大きな組織があり隠されるからだろう。個人が発言しているようでもある組織の不利になることは言わないとかある。マスコミでも言わせないということがある。そのために安全神話は作られたのである。この世が闇の主-サタンによって支配されているということはそのことである。闇の主は誰という特定のものではない、それは一般大衆の欲望であったりする。地元の人が双葉町の人はさらに7号8号機の原発を要求していたのだからその責任はある。原発利権が麻薬のようになっていたのである。そういう利権の構図がピラミッドとして形成され人災として事故になったといえる。
情報とは様々であり今回のような放射能騒動になるとますます混乱する。素人にはわからないし学者すら見解が分かれている未知の分野が放射線の問題にある。真実はかたよったところではなく中間にあるというのも真実なのだろう。ただ今までは全く安全を言うものしか出る幕はなく危険を言う人は表に出れない、出ていてもほとんど気づかないようにしか出れなかった。それでますます安全神話が強化されて見えないものとなってしまったのである。
posted by 老鶯 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2011年05月05日

余震もおさまったようだが・・・


それぞれに色をつくしてチュ-リップ明るき陽ざしに喜び咲きぬ


二本の松の残りて余震なく静まりけるかな春の日暮れぬ

余震はおさまってきたみたいだ。地震の余震がおさまっても人間の余震は当分おさまらない、放射能問題もありおさまらない、この騒動は簡単におさまらない、あまりにも被害が大きかった。鹿島区に千人も仮設住宅に入るとしたらかなりの影響がある。実際に300戸くらいたつのかもしれない、南相馬市の被災者が鹿島区に集めるのかもしれない、今相馬市に避難した被災者は飯坂温泉に移っている。そういう人たちが今度は仮設住宅に入る。相馬市ではすでに仮設住宅に入った人がいる。仮設住宅も凄い数が必要なのだ。それが建ってみると本当に数が多いと思う。しかしその後もさまざまな問題が生じてくる。二年くらいを期限として入ってもその後どうするんだろうかとか就職とか生活の問題が山積みなのである。今回の地震津波原子力事故では本当に社会自体の大きな変革が要求されている。そして高齢化社会の問題もそこにあった。3分の2は60才以上の人が死んでいることでもわかるし復興するにしても高齢化がはばむことになる。戦後の焼け野原から復興したのは若い人が多かった、団塊の世代が生まれたときであり人口爆発の時代だった。今は逆に高齢化でありこれが前に進めない要因ともなる。ともかく明かに社会の時代の変わり目になることはまちがいない、そういう大きな変化の浪に見舞われたのである。


自分はさほど被害を受けなかった。だから余裕がまだある。15日間くらいは介護しているから食料に困った。それから温水器が壊れて風呂に三週間くらい入らなかった。ただ三食用意すること結構楽じゃない、今もそうなんだけど食事の半分を弁当にしているから楽になる。米だけでもたくのが面倒で三十分でたける簡単な電気炊飯器買ったがやはりうまくはたけない、どうしても自分はマメでないから料理もできない、だから弁当になるのである。弁当だと本当に楽になるからいいのだ。


まあ、これから何らか援助せねばならなくなるだろう。義援金5万もらったが別に必要ないからこの辺で震災孤児が出たのか?寄付をつのっているからそういう方面に多少援助すればいいかもしれない、その他何かするにも体がまともでいなのでできない、でもこういう被災地に住んでいれば今は何か助け合うことが強いられることも確かである。ただどういう被災者がいるのかわからない、南相馬市の被災者はこの辺にいない、原発事故で避難した人もいない、ただ明かに仮設住宅に千人も入るようになることは確かなみたいだ。


右田の松原は消えて名残の松が残っているだけである。これは海岸線はどこでもそうなっているのだ。だから残った松をしみじみと見るようになるのだ。

2011年05月06日

放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)


放射線は体内被曝が危険(逃げるときは風向きに注意)

市町村調査学校名 ※測定値(μSv/h)(調査日:4月5日)
浪江町津島小学校 1m高さ 23.0、1cm高さ 30.1
浪江町津島中学校 1m高さ 18.8、1cm高さ 22.9
浪江町津島保育所 1m高さ 22.8、1cm高さ 27.9
飯舘村飯樋小学校 1m高さ 9.6、1cm高さ 10.7
飯舘村飯樋幼稚園 1m高さ 10.0、1cm高さ 11.3
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5
飯舘村臼石小学校 1m高さ 11.5、1cm高さ 12.5
飯舘村草野小学校 1m高さ 14.0、1cm高さ 18.2
飯舘村草野幼稚園 1m高さ 12.1、1cm高さ 14.7
飯舘村飯舘中学校 1m高さ 9.7、1cm高さ 12.2

南相馬市 児童館・児童センター 上町児童センター 1.2 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 高平児童館 0.59 4月29日
南相馬市 児童館・児童センター 仲町児童センター 1.4 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 橋本町児童センター 0.67 4月30日
南相馬市 児童館・児童センター 東町児童センター 0.68 4月29日
南相馬市 放課後児童クラブ 千倉臨時児童クラブ 0.61 4月29日
南相馬市 児童デイサービス あ一す 1.5 4月29日
南相馬市 児童デイサービス のびっこらんど愛愛 0.78 4月30日
南相馬市 その他 原町学園 0.61 4月30日


横川ダム5.98〜6.14
高倉ダム7.41〜7.88


えーと私のカウンタでは本陣前で累積1.5mSv前後だよ
もちろん配給で外にいるときも測ってる
でも風で数値は変わるんで絶対とはいえないですが・・・
で現在部屋の中では0.43μSv/hです


福島市と郡山市の放射線レベルは一定の数値まで下がったけれども、それ以後全く変化が無く、原発事故前の平常値の40倍で止まったままだ。この事実が何故報道されないのか不思議だ。


福島と郡山の中通りは盆地だから高いのかなぁ〜
そして原発から近いいわき市や田村市常盤町、小野町は低いんだよな


5月1日から1年間の大学屋外での被曝予測量は15.0mSvから6.8mSv,屋内では2.3mSvから1.1mSvとなっており


放射線はわかりにくい、放射線は地域によってかなり違っている。測り方によって違ってくる。土から一センチだと高いが一メ-トルになると放射線は弱くなっている。ただ飯館村では
飯舘村やまゆり保育所 1m高さ 8.3、1cm高さ 9.5・・・これは高さによってたいして変わっていない、ということは強い放射性物質が高いベクレルのものが土に堆積している?放射性物質から離れれば離れるほど放射線は弱くなる。屋内だと 半分以下になったりする。ガイガ-カウタ-では足を計ることでもわかる。足に一番放射性物質がつきやすいのである。何故なら地面から舗装道路でもそうだが土から堆積した放射線が出る。表土を取り除いたら放射線が下がったことでもわかる。放射線は土から何センチとして計るのが目安になる。空中から放射線は飛んでこない、一時的には水素爆発などしたときは飛んできたが今は地面に堆積した放射性物質が放射線を出している。そして郡山市と福島市では放射線の量が変わっていないのはセシウムなどが半減期が30年とか長いものが堆積したためだろうか?なぜ屋内退避になるのかといったらやはり外は土などに放射性物質が堆積して持続的に放射線を出すからだろう。


ともかく飯館村も高いが津島が高いのはわかる、赤字木椚平が一番高いし塩浸の別れ道で津島に行く方面は道が広いから風の通り道になる。南相馬市では山の方が特に横川ダムとか高倉が高いのはわかる。赤字木に近い山にあるからだ。浜通りは海にそった所は低くなっている。阿武隈山脈の山側が高いのである。それは飯館から霊山とか月館や伊達も高いのだ。山が壁となり風や雨などの気象条件で放射性物質が土に堆積した。もし平坦な地だったらこんな分布にはなっていない、チェルノブリなどロシアのような大陸だとどこまでも平地がつづく、すると300キロとか離れた地点に放射線が高い地帯が生まれた。つまり山がないから放射性物質が留まるところがなかった。遠くに飛んだのは障害物がなかったからである。20メ-トルくらいで飛んでゆくとしたらそうなる。またそのくらいの高さだとどうしても山があれば壁となり堆積する。赤字木の椚平とか手七朗の山中に一番高い放射性物質が堆積したのはそのためである。南風になったら浜通りの平地に風の通り道ができたら仙台も危険かもしれない、山のような障害物がないと風に遠くまで飛ぶかもしれないからだ。茨城県も山がないから磐城辺りを越えて海側に風が吹くと東京辺りまで飛ぶことはありうる。風に影響されることは確かである。そういうことはありうる、離れれば離れるほどいいというがもし平坦な地だったら百キロ二百キロでも風にのって飛んでゆくのである。

放射線の地図では一番高い赤字木椚平とかから等高線のように放射線量が高くなっている。つまり中心点は原発のある所ではない、放射性物質が一番堆積したところから等高線のように分布しているのだた。ただ福島市とか郡山市は風にのって飛んだのだろう。東風で流され北風が吹いた。東風より北風が常時まだ吹く時期だったからだ。放射線はやはり風がどうなっているか一番問題になる。浪江の人が津島に逃げたのは一番危険な地帯に逃げたのである。
放射線は素人には説明されてもわかりにくい、放射性物質は体内被曝の方が危険である。体内被曝のキ-ワ-ドでいくらでもインタ-ネットで説明がでている。放射性物質が体内にとりこまれると細胞やDNNをきずつける。たとえ一ミリしか飛ばなくても細胞を持続的に傷つけるから怖いのである。体内被曝は体外被曝よりずっと怖い、体内被曝が細胞を傷つけて癌などにするからである。染色体も傷つけるとか遺伝にも影響する。一旦放射性物質を体内にとりこむと持続的に放射線をだしつづける。それで細胞が長い年月の間に傷つけられ癌になりやすいとなる。

放射性物質は空中からとりこむより土に堆積したもの埃などが舞い上がり口などから入りやすい、だから放射線の危険は土や水や食べ物や牛乳などから体内に取り込むことが危険なのである。放射線のやっかいなのは土や水や空気や人間にとって欠かせないものを汚染するからである。水を飲まないわけにいかないし空気も吸わないわけにいかない、土も食料を得るには不可欠である。そういうものが奪われたら人間は生存できなくなる。いづれにしろ土が一番危険だとすると耕すこともできなくなる。土からは埃が立ち放射性物質を一番吸い込みやすいから学校の校庭で規制したのである。南相馬市の校庭は危険にはなっていないのだろう。3マイクロシ-ベルトとなると危険領域になる。ただ放射線については学者でも言うことがまちまちなのはしっかりとしたデ-タ-がないのである。どうにでも解釈できる分野なのである。確かなことは微量の放射線は体にいいというときそれは体外の被曝であり体内被曝でないことである。体内被曝だったら持続的に放射線を細胞が受けるのだから影響は一時的なものでないからだ。


浪江の山中から等高線のように拡散する放射性物質
http://www.sss.fukushima-u.ac.jp/FURAD/FURAD/data-map-datail.html

posted by 老鶯 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連