2011年04月30日

余花(浪江の人の原発からの逃避行を見る)

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この道や行く人まれに余花ひそか

弘前の桜を見るや三陸の被災者あわれ生きむとするかも

桜も終わった。今年はゆっくり桜など見ていられなかった。実際に西町に仮設住宅がかなりの数がたつ、鹿島区には施設が何も建たないとか嘆いていたけど千人くらい住むようにならしい。千人という数はかなりの数である。人口が一挙に千人増えることなど今の時代にはありえない。原町区は緊急避難地域だから仮設住宅を建てられない、学生も鹿島区に通うようになっている。緊急避難地域という設定も変なのである。もし原子炉が爆発したら今度はみんなわかっている、80キロ圏外に逃げねばならない、大量に一時的に被曝する恐怖があるからだ。だから緊急避難地域は相馬市もそうだし80キロ圏内はみんなそうである。そして風向きにより福島市や郡山市が放射線量が高かったように20キロから30キロだけが特別危険でないことをみんな学んだのである。


桜前線は弘前まで到達した。それで三陸の被災者が弘前に招待された。その被災者が桜を見て生きていこうかなと言ったのをテレビで見ていた。今回は九州から奄美大島からまで全国の人の救援があった。こういうことも経験していない、一方で人間の暗黒面も露骨にでてくる。火事場泥棒とか弱いものを食い物にすることである。こういうことを経験しているからこれからも弱者を食い物にすることがでてくる。これは神戸の地震の時もいろいろと起こった。今になると神戸の地震もいかに大変なものだったか同情した。それで興味深かったのは浪江の人の逃避行のビデオである。新潟の方に避難したのだがホテルで7千円のところを1万2千円にふっかけられたとか放射能検査で差別されたとかその後大阪で用意された部屋には何もなかったとかいろいろ体験した。

特に私設の保育所でもしていたのか東電の奥さんたちと関係していた。
東電の子供さんはいち早く逃して自分たちも逃げたらしい、その時わからずに浪江の人は逃げていなかった。双葉の原子力発電で何があったか正確な情報が入らなかった。東電社員はいち早く危険を察したから逃げたのである。爆発したときは本当は相当危険だったのだろう。
もし原子炉が爆発したらチェリノブエリと同じになった。その時東電社員は放置して逃げる。放射能がとめられない、そこで誰か決死隊で放射能の拡散を防がねばならない、それを誰がやるのか?ロシアでは軍隊などがやった。そこで死んだ人が今もたたえられている。日本もそうなることがありえた。たまたま水素爆発して建屋が破壊されたからそうならなかったらしい、原子炉が爆発する寸前だったのである。今その恐怖を知らねばならない、そしてそのことは原子炉を作ったGEの技術者が原子炉が古く危ないから警告していた。その技術者はGEをやめていた。福島の原発はすでにいろいろな故障もあり危険は何度も警告されていたがそのまま何ら改善もされなかったのである。



浪江の人の原発からの逃避行
http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903050002-n2.htm