2011年04月16日

春雷(南相馬市原町区の桜見る)

 
原町に人の戻りて桜見る


朝桜枝をゆらして鳥移る


春雷に追われ帰るや原町を


コンビニの一部開きて燕来る

今日は六号線から火力発電所のあるキャンプ場になっている所に行ってきた。あの辺に家があったが津波で破壊された。ただ家はそんなに多い所ではなかった。火力発電所には津波で千人が取り残された。千人もいたのかと驚くが警備員とかして働いている人が多い、新地であった人も退職したあとに火力で働いていた。火力発電所が南相馬市にも相馬市にもある。
双葉などでも原発で働いていた人が多い、原発の町となっていた。それが今回の事故で原発でゴ-ストタウンになった町として歴史に残すとは思いもよらなかったろう。火力も原発もこの辺では大きな雇用の場なのである。あそこにも一本の松が残っていた。写真はデジカメの電池が切れてとれなかった。どういうわけか必ず松は全部津波にもっていかれたわけではなく一本くらいは残っている。陸前高田でも奇跡の松として一本残った。陸前高田は特別風光明媚な所だった。大きな広い湾がありその前に松原があり静かであり落ち着いた所だった。そこには火力発電所とかもちろん原発のような危険なものもない、鄙びた感じのいいところだった。三陸でも津波がないなら風景としていい所だった。陸前高田には湾の方を回ったが街の方には行っていなかった。そこに街があったということを覚えていなかった。だからあんなに街が破壊されたことに驚いた。美しい穏やかな湾だけが記憶に残っていたのである。


原町は桜井古墳の所まで津波がきていた。あの辺まで大昔は海だった。縄文人なら危険な所には住まない、というよりは住めなかった。白砂青松の景観は人間が作ったものである。田を海岸の湿地帯に作り塩害を防ぐために防潮林としても松原を作った。その松原が今度の津波で壊滅した。白砂の景色がなくなったというけどそれは人間が海だったところを埋め立てて田にしたりしたからであり今津波になったところを見れば別にそこを田にしないで人も住まなければ砂浜は残っていた。防潮堤は松原は人間の作ったものであり自然のままにしていれば浸食されても砂浜は残っていたのではないか?防潮堤も作る必要もなかった。現実に今回の津波で海岸沿いの集落が砂に埋もれてしまって元の原始の状態に帰ってしまったことに驚いた。そして松だけが一本くらい残っているのである。


ともかく津波ほど恐ろしいものはなかった。この世には病気でも恐ろしい、認知症なんかも実際に接してみれば恐ろしい病気である。単なる年をとって馬鹿になったというだけではない、精神の病でもありそういうのは身近に接していて怖いことなのである。なんか知らないけどここ五年間くらいは家族が認知症になってからその介護やら何やら追われるようになった。その時から平和に暮らしていた歯車が全く狂った。自らの病気から入院してその入院している間に犯罪にあうとか信じられないことが次々に起こった。退院したら家族が交通事故になったとか災難がつづくだけだった。つくづく人間も恐ろしい、人間は結局先が読めない、何になるかわからない、今回の津波の災厄は信じられないことであり生死を分けた話も信じられない、一瞬にしてすべてを失うことが信じられない、ある人は入れ歯まで津波に流されて避難所で難儀していた。

あまにりも極端だからそれが悪夢であり現実だと未だに思えない人もいる、被害がなくても被害にあった光景が現実に未だに思えない、被害にあった人の話を聞いてもそれが現実なんだということがまだしっくりこないのである。要するに今までの現実とのギャップが大きすぎるからそうなっているのだ。認知症の姉を介護したときも書いてきたがそうだった。頭のいい特別しっかりした人が馬鹿になるということが信じられなかった。それも現実とのギャップが大きすぎたからそうなっていたのである。突然そうなってしまうから余計に信じられない、現実として受け入れられないとなるのだ。これからも津波のことは延々と語られつづける。これだけのことを経験したのだからとても誰も忘れることはできない、やはり神戸の地震を経験した人もそうだったことがわかる。こういうことは身近に経験しないと実感としてわからないのである。神戸の地震も実際にテレビで見たが恐ろしいものだった。そういう恐ろしいことは経験した人しかわからない、広島、長崎の原爆もそうだし神戸の地震もそうだった。今になるとそうした災難のことが身近になってしまったのである。広島の原爆でもまさか30キロ離れても放射能に脅えて避難騒ぎになると思えなかった。そういうことが経験すると身近になってしまったのである。


今日は春の雷が鳴った。桜は満開だった。最初は雹だった。それから雨になったが稲光が走り途中雨宿りした。そこがトタン屋根の倉庫でもの凄い雨音がした。自転車で雷に追われ懸命に走った。まさに未だに何かに追われている自分の姿がある。悪鬼にでもつかれたのか?絶えず追われる生活はつづいているのである。認知症の介護で苦しみ狂気の人間に苦しめられ自らの病気に苦しみ犯罪者に苦しめられ今度は放射能に苦しめられ避難準備地域とか指定されまた親の介護に追われてとか・・・・・一体なぜこんなにことになったのか?これはもはや自分のことだけではない、自分の住んでいる回りが全部そうであり立ち入り禁止区域となりゴ-ストタウンになるなど考えられなかった。立入禁止区域で野犬にかまれて治療したとか、この世も末だと思ってしまう。実際に原子力の事故は簡単におさまらない、最悪の自体さえ予想されるのだ。ここ5年間平和の日は全く去ってしまったのである。でも原町に人は戻り店も開き桜が咲いた。それでも小高区は立入禁止であり20キロ圏内はゴ-ストタウン化しているのだ。原町は今度は避難準備地域だから前よりはましだとなっている。それでなんとか桜を見て帰ってきたのである。