2011年04月13日

春の月(原子力事故で避難した人が帰ってきている)

 

避難して帰れる人や春の月

避難せずに我が家すみぬ春の月


ようやくに開きし店や春の月


南相馬市の原町区でも相当避難所から帰っている。全国に避難したことには驚いた。広島まで避難して生活保護申請しているとかの人もいる。広島は原爆の被害者だから同情する。娘とか息子を頼り各地に避難した人も多い。でも一か月ともなると疲れるから帰ってきている人が多くなった。原町区がある程度正常化すると南相馬市で暮らすのは楽になる。原町区が今までのように避難して人がいなくなれば南相馬市はもはや市として機能しなくなる。小高区は立ち入り禁止地域となり市自体が小さくなったからだ。今度は計画的避難地域が設定された。それは赤字木(あこうぎ)椚平(くぬぎだいら)が一番放射線が多いからそこから南相馬市の山の方が計画的避難地域に入る。そこは人が住んでいるのがまれだからほとんど影響しないだろう。
でもあそこにも人は住んでいる、飯館村では全村が計画的避難地域に指定されたから一か月以内に避難しなければならない、これも不運だったというか辛いことである。山木屋も川俣だが避難地域になった。あんなところが放射能のために移住せねばならないとは思いもよらなかっただろう。


やはり店が開きはじめると元にもどってきたようになる。六号線のホテルのメヒコでは350円のポ-クカレ-を災害のために出している。高見のビジネスホテル内のレストランでも開いていた。道の駅はまだ開いていない、チェ-ン店は大きな所は開いていない、鹿島区から大木戸の方にでていたバスは鹿島から買物に行くのではなく原町から鹿島のス-パ-キクチに買物に来るバスだった。いつも混んでいるから原町から買物に来ていたのである。原町は人口が多いのだか当然混むようになる。ともかく避難して帰って来た人が多い、その人たちはほっとしているだろう。それで今日は春の月が出ていた。20キロ圏内はもう帰れないとなると悲惨である。60才以上とかなるとなかなか他に移り住むことがむずかしいだろう。農業だって60才以上だとあきらめる人もでてくる。


南相馬両市の一部地域、いわき市については全体について、避難準備区域の指定から外れ、屋内退避指示も解除される見通しだ。

「緊急時避難準備区域」とされた地域と南相馬市でも一部それも解除される地域がでてきた。南相馬市長は前よりは楽になったと言っていた。元の生活に戻しやすいということは確かである。でも全部元のままに復旧することはできない、それでも原町区でもなんとか生活ができると思う人は増えてくる。人間は生活の拠点を簡単には移せないのだ。このまま自宅退避地域に指定されていたら南相馬市は消滅して相馬市に合併されていたろう。すると鹿島区などは不便になる。でもすべてが解決したわけではない、不安定な状態はつづくし何か不便になった。

常磐線は亘理から仙台までは通じたがここは損害が大きいからなかなか通じない、相馬市からバスで行くのも不便である。交通的には孤立化している。通信販売もこの辺は正常化ししていない、六号線がイワキまで来ても原発で寸断されてしまったから不便なのである。

ともかく帰ってきてほっとした人が多い、でも帰らない人もでてくる。仕事を失った人がいる。近くの人は松川浦で魚関係の仕事をしていた。未だに帰っていない、仕事がなくなると困る人がいるからそういう人は移住してしまうかもしれない、松川浦が復興するのは放射能問題もあって大変である。これからどうなるのか、自分もどうなるのか、どうしたらいいのか、不安定な状態はつづく。