2011年04月09日

椿(南相馬市原町区小浜村を津波のあとに訪ねて)


南相馬市原町区小浜村を津波のあとに訪ねて

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白木蓮蕾ふくらむ太平洋


海よりそ椿百輪そよぐ風


海岸の高きに松は七八本残り鶯なきそめにけり


近く住み小浜は知らじ古き碑のここにもありて津波にのまれぬ


古き碑や津波の後に残る松小浜村のここにありしも


南相馬市小浜村は江戸時代からあったことが碑を見てわかった。寛永 (1624-1644) とあったからかなり古い村だったことがわかる。あそこにはずっと行っていなかった。普通の生活が全く失われた。今までの日常生活が断たれることにとまどう。津波がなければ原子力の事故がなければ平和な村としてあった。そこに平和な詩が生まれた。そのギャップが大きいのでこうして今までのように書けないのである。津波がきてここにあった三本の松が必死に大地にしがみついて根を張り残った姿がまさに如実に示している。津波の猛威がどれほどのものだったか、ただ無傷で残った松もあった。高台の松は比較的残っていた。陸前高田で一本だけ松が残った、奇跡のように残ったと報道されたが今回の津波で様々な松の物語が生まれたのである。海岸の高台では松が残り鶯が鳴いていた。小浜村は山陰に隠れるようにあり隠れ里のような所だった。近くでも知らない村がある。それにしても向かいの小沢地域を白い防護服の警察官が死体を探しているのは異様である。ここは丁度20キロ内で立入禁止になっている。

どうしても平和なときと一転しして変わってしまった平和な時とのギャップが大きすぎてとまどう。普通に田畑を耕して農作業をして漁港があり漁をしていたことがあるとき消失することが信じられないのである。働く場を失うこと自体深刻なことはない、農民や漁民が一体どこに移動して仕事するのだろうとなる。ただ今回のことはいろいろな前からあった問題点を浮き彫りにした。

死んだ人は78割は高齢者だった。60才以上がいかに多いか、これも現代の縮図だった。農家でも60才以上の人がになっている。だからその打撃も多いしもうやっていられないという人もででくる。農業や漁業の後継者がいないということもあった。この辺でも原子力関係で働く人は少なくとも火力発電所に津波で千人取り残されていると聞いて驚いた。そんなに人がいたのかとそれだけの人の雇用がある。農業の比重は収入でも相対的に低くなっている。漁業関連の団体の人が漁業を馬鹿にするなよと東電の会長に言ったときそのことを象徴している。東電のような電力事業の方が雇用でも社会で果たす役割もずっと大きくなっているからこそそうなる。


津軽方面では深浦の椿崎、小湊の椿山などがめずらしいものに伝えられる。後者は近年の保存方法によりて天然記念物として指定されたがこれらが天ねであるかどうかはすでに解決した問題ではない・・・・・南人が北の国に入って来るのに、その習俗、信仰とともにかつて崇敬する植物の種をたずさえ適地を求めてこれを養育したことは決して五穀実用のものとは限らなかった。椿もまた特別の樹木の一つとして社に植え家に移し園芸の先駆を成したように、若狭の八百比丘尼のごときの伝道者が手にもつ花の枝も椿であった。(柳田国男全集二巻)


南相馬市鹿島区の南限の地としてマルハシャリンバイがあるがこれは自生したものだが椿の場合は違っていた。人が移住してもたらされたものである。人が移住してもたらされたものが園芸種で膨大になったのと同じである。青森というと相当に寒い地域でありそこに自生するということは無理だったことは容易に想像できるからだ。椿は南国産でありもともと海沿いに咲くのに向いていたのだ。潮風、海の風が吹いている海に向いて咲く花にふさわしいかった。


いづれにしろ今回のような大津波やら原子力事故やらとなると平和時の営みができなくなる。普通に行われていた農作業すらできていないと同じように学問とか芸術とかそうしたことをつづけることも影響が大きいのだ。そもそも人がすめなくなったら郷土史も喪失する。そこでの歴史が断たれることになる。だからこそ原子力事故の放射能問題は余りにも深刻だった。故郷に住めなくなる。そして移住した人たちがどうなるのか?ちりぢりばらばらになり相馬の歴史も失われる。まるで世界を彷徨うユダヤ人みたくなってしまうのだろうか?そうした信じられない動乱のなかにありこういうところでは落ち着いて学問とか芸術とかの探求はしにくい、そんなことやっていられるのか、体育館で避難生活している人のことを考えてみろとか津波の被害にあった人のことをどう思っているんだとかなる。これは東北以外でも自粛となっているからにたところがある。

違うのは被害を受けている当事者というのは他者から見て面白がることなどできない、放射能問題にしても自分が住んでいる大地が汚され空気が汚され水が飲めなくなくなるということは日々の生活ができなくなる。当たり前の生活ができなくなった衝撃は大きすぎるのだ。その現実が重すぎるのである。毎日自分の体に針が刺されるようにじかに痛みを感じるから苦しいとなるのだ。だからこうなると空気も水も汚されているようなところには住みたくないとなる。実際にこれほど深刻なことはなかった。空気が汚されているまともに空気も吸いなくなると思いもよらなかった。そんなことがあるのか?実際にあった。それが信じられないのである。


元のきれいな空気を返せ
水をかえせ
土を返せ
・・・・・・


こんなふうに叫ばねばならなくなるとは思いもよらなかったのでありこれ以上深刻な問題はないのである。まともに呼吸できないほど苦しいことはないのである。そうはいっても放射能は目に見えないから風景は元のきれいなままなのである。だから放射能を気にしなければ風も空気も汚れたものと感じないのである。煙も出ないし何か汚れを直接感じないからである。だから海に映える椿も美しさは変わっていない、でも津波の被害の跡を見れば地獄になっているのだ。


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これは松の樹だったのだろう。津波に耐えて必死に大地に根を張り残っている。いかに津波が激しいものだったか
如実に物語っている。こうしてなんとか耐えた姿は痛々しい、ここにまた人は放射能でも住んでいけるのだろうか?
簡単に長く住んだ土地を離れることはむずかしい。先祖代々いた土地を離れたくないというのが農家の人がみんな言っていたことがわかる。
この松の樹のようにしがみついて根を張り離れられないのだ。