2011年02月02日

冬菜(写生俳句の追求-シンプルなものに真実がある)

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この道や竹に冬菜に何もなし


手水鉢打ち凍りけりジョウビタキ庭に来たり去る朝の清しき

この句も写生そのものかもしれない、一見すればつまらない、要するにこの道を何度も通っている。余りにも見慣れた変化のない道である。それでも今日気付いたのである。農家の前に冬菜があり竹の茂る農家があると・・・それはあまりにも当たり前の光景だった。農家といっても六号線の近くだから今は農家らしい農家とは言えない、回りが田んぼであり畑になっていると農家と思ってしまうが今は農業だけをしている農家は少ない、昔ならみんな農家といえば農業だけが仕事だった。ともかく毎日見ている余りにもありふれた光景には飽きるからたいがい自分の住んでいるところは嫌になる。自分もだから旅ばかりしていたのである。つまり何にもない・・・それが田舎だとなる。でもその何にもないことこそが田舎のいいことなことに気付くのは老人になってからかもしれない、つまり東京をみたまい、そこはあまりにもありすぎて困るのである。家や都会がひしめき悲鳴をあげているようである。自分はもともと性格的に都会向きではなかった。だから学生時代に東京で暮らしたがあわないから田舎に帰ってきた。でも故郷には何もない、田舎には何もない、都会がいいと思っている人が多い、若者は今もそうである。ただ老人になると心境が変わる、どうしても田舎がいいとか故郷がいいとかなる。それは都会が好きでもそうなるのである。それが人間も生物だから自然の中に還りたいとなるからである。


俳句は写生だと書いてきた。冬菜と竹しかないその一画がかえって気持ちがいい、何もないことが気持ちいいのである。冬が爽快なのは何もないということにある。現代文明はいろいろなものがありすぎて困っているのだ。家事全般を掃除までやるようになってからゴミがこんなに出るのかと嫌になった。現代文明はゴミが出すぎるのだ。それも相当の無駄である。新聞もたまるから嫌になった。新聞は相当な紙の無駄だし文明は無駄が多すぎたのである。新聞がなくても今は暮らせる。新聞は紙の浪費になりつつあるのだ。人間はこれから無駄を省く生活を心がけねばならないだろう。今までの文明的消費的生活でいいのか問われている。それはまた都会的生活でもあった。都会がすべてが悪いとはならない、現実に今日も原町のカキフライのうまいレストランに行った。やはり原町くらいの方が住みやすいのだ。ただ原町とか5万くらいの都市と東京は比べ物にならない、仙台でもまだ田舎の都市なのである。現代文明を見直すというとき茶とか禅の精神とかが見直されるかもしれない、宗教はそもそもそうした簡素さのなかでの悟りとかを追求してきたからである。簡素さの中にこそ真実がある。それは明かに写生俳句に通じている。あまりにもありすぎる社会によって人間は疲れたのである。何もない世界がもともと自然である。あまりにもありすぎて複雑すぎるから苦しむのである。真っ直ぐな竹と冬菜だけの光景にシンプルな簡素な生がある。そういう世界ではありすぎる現代社会のように悩むことはない、鬱病になることはないのである。だから江戸時代が終わり明治に来た外国人が日本人はいい顔している、穏やかな顔しているとして驚いたというのはそのためである。貧乏であるにしろいろいろなものがありすぎて複雑で悩むことがなかったためなのである。文明はいろいろな過剰故に苦しんでいるからだ。


汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き-子規


上野ですらこんな状態だった。上野は淋しい場所だったのである。今からすると信じられないが実際にそうであり子規はそういう淋しい場所に住んでいたから風流もあったとなる。今は風流はない、汽車が真夜中まで行き来して今や車でも音が絶えることがない世界からすると考えられないのである。上野で汽車が過ぎ去っていってあとなかなか汽車が来ない・・・汽車もそんなに上野に来ないということが考えられないのである。


まあ、まだまだ冬は長い、それにどこにも出かけないとさらに時間が長くなり退屈になる。結局自分の状態は以前として変わっていない、介護になるとちょっとでも出かけられなくなるのだ。
病人は一人になると不安になるからだ。近くまでも出かけられなくなるなど考えもつかなかった。これが一番ショックだったのである。

初春-北から南へ城十句

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初春-北から南へ城十句

北の果雪に埋もるや弘前城


雪踏みて天守もなしや久保田城


盛岡の桜まだ見じ冬籠


春風やみちのく統べる青葉城


雪残る上山城電車過ぐ


白河城夕日のさして電車過ぐ


雪国の冬の長さや鶴が城


南へと春潮ひびく小田原城


大橋に吉田城かな春の暮


長篠を出でて豊橋春の風


春の川海にそそぐや吉田城


春の日や東海道の名古屋城


関が原こえて春野の近江かな


我も入る大阪城や花盛り


春の朝松山城の栄かな


海望み明石城や夕桜


春の夕船の往来明石城


車窓より春野のかなた姫路城


駅おりて福山城や花盛り



日本の特徴は北から南へと伸びて北国と熱帯まである変化に富んだ国なのである。桜にしても稚内では6月でも咲いていた。桜前線は稚内まである。その中でやはり日本では城も多い。
城を中心に見るようになるのも日本である。弘前城にも久保田城(秋田)にも行ったが久保田城には石垣がないとか天守がないとか古風な作りの城になっている。弘前となったら江戸時代にその遠さは本当に辺境の地である。赤穂浪士の討ち入りを伝える書状が残っている。そうした大事件でも伝達されるまで時間がかかるのが江戸時代である。それが新幹線の時代になるとあっというまについてしまう。みちのくの桜ではまだ盛岡と弘前の桜を見ていない、桜を見るには時期があるからなかなか見れないのだ。弘前の桜は新幹線が通じたから行きやすいことは確かだが介護になったら近くも行けないとしたらやはり行けないのである。これまで自由に行けたのだからその罰とし牢獄につながれたようになったのである。

みちのくの城は大きな城はない、電車から見える城として上山城と白河城(小峰城)があるが瀬戸内海の福山城は駅が城になっているのと同じであり天守が望める大きな城である。姫路城は車窓から遠くに見えたとき感動した。やはり大阪から南へと日本は栄えたから大きな城がある。大坂城の桜は実に見事であった。
歴史が地理だというとき飯山線で豊橋まででてくる行程はかなり長い、長篠がありここが武田と信長が戦った地点かと電車の駅名だけから想像する。確かにそこから豊橋は近く東海道に出る。東海道は江戸時代から日本の幹線であり今もそうである。山国から海にでてくる。吉田宿があったが感覚的に飯山線から山国から豊橋にでてくると感覚的には昔とはかなり違う。豊橋から名古屋は近いのだから武田と信長が衝突した地点が長篠だったということは地理的に納得がいく。新潟の小出から回ってきたが新潟はまだ雪であったが東海道に出たら春の盛りになっていた。こうして山から海へと変化があるのが日本なのである。


飯山線-飯田線の旅 
 http://www.musubu.jp/notetrip.htm

冬の暮(橲原と大原)

 
この道の冬灯を今日も見て帰る


飛び移る尾長美し冬の水


橲原と大原近し冬の暮


橲原に枯木二本や墓所暮れぬ


大原に古りにし家や冬籠もり


遠出して梅の蕾やふくらみぬ

橲原と大原は直通の道ができたから近くなった。あそこにそもそも道が必要かというとそうでもないだろう。今や道が必要だから道を作っているのではない、公共事業の一環としての道作りである。なぜ今は村に住むメリットがなくなったのか、昔は山の暮らしでも豊だったというとき燃料の材料となる木が薪があり炭焼きもしていた。薪や炭は街にも売っていた。他にも自給自足的経済で街に住むよりいい面があった。山には山の暮らしがあった。橲原だったら木材の供給源ともなっている。今は燃料は石油だ電気だとなり買物は車で街へ行くとか山村に村に住むメリットがなくなったのである。風流で暮らすわけにもいかないからである。ただ山村は暮らしにくいことだけが目立つようになってしまった。だから今では橲原と大原を結ぶ道路が必要なのかというと疑問である。橲原と大原を結んでも今は何か利益があるということはないだろう。


何度も行くたびにみている冬の灯・・・誰が住んでいるのだろう。冬の灯でも昔なら農業だけで暮らしていたのだから貧しい人が多い、そうすると一段と冬の灯は心にしみるものとなっていたのだ。子供の頃は裸電球であり電化製品はほとんどなかった。戦前になれば極力電気も使わない、電気にして今ありふれて過剰に使っているから過去のことが想像できなくなっているのだ。電気がない世界とか車のない世界が想像できなくなっているのだ。家で裸電球くらいしか使っていない時代が50年前くらいにあった。松下電器が電球から売り出したことでもわかる。戦後も葛尾(かつろう)村とかではなかなか電気さえ使用できないでいた。電気は山村になかなか普及しなかった。ともかく田舎は本来は冬の灯がにあう所であった。都会では冬の灯の感覚がでてこない、こうこうと不夜城のように冬という感じもなく照らしているからだ。モノがあふれている時代には質素な冬を思うべきである。むしろ過剰な消費の時代から昔の質素な生活をふりかえるときがきているのである。モノがあふれ豊になったが失ったものも多いのである。実際に村自体が消失するという危機にいたっている。これも深刻な問題である。上真野でも空家を活かすにはどうしたらいいとか都会でも空家がふえて困っている。土地や家には価値がなくなっている。ただでも住む人があれば住んでもらいたいとなっているのだ。


冬籠もりというときやはり薪を積んで囲炉裏であたたまる昔の農家なら本当に冬籠もりなのだろう。今は冬籠もりという生活自体がない、冬でも勤めに出ているのだから家に籠もっていることがないからだ。でも冬はやはりしんとして冬籠もりしているのがいい、自然のリズムに従い生きることが生物にとって人間にとってもいいのである。そういう自然のリズムから離れてしまった人口化した極度に工業化した世界ではとても精神の安定は計れない、鬱病になるのが当然なのである。不思議なのは石油に頼る文明は石油が使い尽くしたら滅びる。石油がなくなる、では次のエネルギ-は何なんだというときそれは実際は生み出されていない、石油に代わるような効率的な巨大なエネルギ-は生まれないのかもしれない、電気だって実際は火力が主であり石油がエネルギ-になっている。石油がなくなるととなると世界中で大騒ぎになる。エジプトで騒動になると石油の値段があがる。中東紛争が再燃するとか常に世界的政治問題になる。では不思議なのはエネルギ-を自国の薪や炭に頼っていた時代はそういう心配はなかったろう。

現実に石炭で走る自動車がかなりあった。これだけ石油や電気を使う時代はなかったのである。それだけ石油文明の時代は膨大なエネルギ-を消費している今までにない文明である。
だから石油がないと生きていけないとかなり石油の争奪戦になり戦争になるのは石油文明だからこそである。石油がなければ各国が薪や炭で暮らしていたら石油の争奪戦で戦争する愚行はありえないのである。そういう点からも文明は見直さねばならない、様々な弊害が人間の
モラルまで破壊する文明はいづれ滅びてしまう。限りない豊かさを求めた結果として人間の精神まで破壊されることはとめねばならない、資本主義も確かに恐慌があり破綻する運命にある。石油文明もまた同じなのである。


ともかく冬は質素、簡素の中に映える美が際立つ、今日は少しあたたくなったので橲原の方までやっと行くことができた。今年は寒いから自転車では行きにくかった。実際に今日はどこかの家の梅の蕾がふくらみ咲こうとしていたからこれだけ寒かったがやはり春は来ていたのである。

 
 
 
 

2011年02月03日

2011年 年賀状二枚目

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2011年 年賀状二枚目

2011年はどうなるのだろう、世界的にはエジプトのデモのように不穏なものからはじまっている。世界的には何か大きな異変が生じてくるのか?2012年が人類の総決算が起きるというが人間は人生の総決算とか起きる、自分の家の総決算が起きた。今もそれはつづいている。人類の総決算がいつか起きてくるのかもしれない、人生の総決算は必ず個々人で起きてくる。
日本だっていつまでも膨大な借金を背負っていることはできない、これもいつか総決算が起きてくる。


人類の罪の総決算も起きてくる。それが最後の審判である。実際にその日が近いのかもしれない、文明は飽和点に達している。それはあらゆる点でそうでありバベルの塔のような崩壊がはじまるのかもしれない、要するにこの世にある限りそうした危険から逃れることができない、つくづくこの世は危険に満ちていることを自らも犯罪の被害者になったりして実感した。人間は他の人の災難なら面白く見ているだけなのである。自分に被害が及ばない限り面白いとなる。

エジプトの争乱でも日本に関係しないなら面白いとなるがこれが北朝鮮や中国になるとそうはいかない、尖閣諸島問題のとき戦争になるのかとさえ戦々恐々となっていたからだ。

2011から2012は人類史の最大の危機がくるのか?自分は去年は人生最悪の年だった。その最悪はすぎたのか?まだ災難は終わっていない、なんとか体が普通に動けるから助かった。

兎年といってもぴょんぴょん動けないことは確かである。蛇年のようにどぐろを巻いて動けない年になる。兎年にはならない、ただ去年のような最悪の年にはならないだろう。それを願うほかない。


 

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2011年02月04日

春の鴨(松川浦十句)

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春の鴨(松川浦十句)


東風(こち)吹きて海に向かいて走るかな


広々と松川浦や春の鴨


船溜松川浦や春の鴨


海猫の春光あびて船溜


春潮や灯台に松の緑かな


春の日や大橋わたり沖に船


松川浦春光まぶし船帰る


春の日や大船泊まる港かな


原釜の春やここより塩の道

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昨日は海の方から東風が吹いた。福島県の浜通りは海から春がくる。京都辺りの山から吹く東風はわかりにくい,東風吹かば思い起こせよ梅の花・・・この東風は京都なら山から吹いてくる。東山の方から吹いてくるのだろう。盆地だから海は意識されない、でもこの辺では丸森だと山を越えれば海が見えるし海を意識する。丸森ならそうである。丸森で感じた東風はそうだった。山から吹いても海を意識するのだ。

松川浦の船溜(ふなたまり)は地名でもあり実際に船溜まりであり。そこに鴨が悠々と泳いでいた。鴨も広いから気持ちいいだろう。松川浦の青海苔が不作だというとき水温と関係していた。微妙に水温に影響されていた。今年は寒かったせいでそうなった。松川浦は特別風光明媚とはならないがこうした浦は太平洋岸にはまれだから貴重だとなる。大きな貨物船だが泊まっている。客船だったらいいが火力発電所があり石炭を積んだ船は外国からも来るのだろう。船の旅もずいぶんした。船には旅情がある。寝ころんだりしてゆったりできるのがいいのだ。東京から沖縄まで一週間かけて船旅したこともあった。貨物船みたいな船でありそんな船が通っていたときがあったのである。そういう時間をかけた旅が旅なのである。今は余りにも早すぎる旅で思い出に残らないのである。船旅ならやはり最後は世界一周の豪華客船の旅をしたい。三百万くらいだったらできないこともないだろう。この船旅は老人でも病人ですらできるだろう。船旅は楽だからいいのだ。この世の見納めにこの旅はいいかもしれない、ただ相当に暇だろうなと想像する。見るのは海ばかりだからである。ともかく旅は時間をかければかけるほど旅になる。その時間が勤めている人にはないから本当の旅ができないのである。旅は今や時間と金をかけて演出して作り出さないとできないのである。江戸時代あたりなら歩くことだからすでに遠くに行くことは時間をかけた旅になっていたのである。
松川浦から原釜からは塩を飯館や二本松まで塩を運んだ塩の道の出発点である。かならず飯館に行くまで一泊しなければならない、そこで助け小屋があった。その距離感覚が今の時代では感覚的に持てないのである。これも遠くへ旅に出るような感覚になっていたのである。行って帰るにしても日にちがかかるからである。

立春の連句 (日本人は大和言葉を根幹として成り立つ)


立春の連句
(日本人は大和言葉を根幹として成り立つ)

天地(あめつち)に四肢を伸ばしぬ春の風


天地の広きを望み春来る


春来る天地に湧きぬ力かな


春来る天地にひびく命かな


鳴動し日本列島年明けぬ


日本国装い新た春来る


みちのくの眠りを覚ます東風の吹く


火を噴きぬ九州の山や年明けぬ

 


推古天皇一五年春に詔(みことのり)を布告され・・


朕は聞く、むかし、我が皇祖(みおや)の天皇等(たち)の世を帝(おさ)めたまへる、天にせせくまり地にぬきあしして、あつく神祇を礼い、周(あまね)く山川を祠(まつ)りて、幽(はる)かに乾坤(あめつち)に通わす。是れを以て、陰陽開け和らぎて、造化(つくること)共に調(ととの)ふ。今、
朕が世に当たりて、神祇を祭祀ふこと、豈に怠りあらむや、故に群臣ともに為に心をつくして宜しく神祇を身拝(みやまいま)つるべし


日本人の日本人たる所以は何なのか?その根本に大和言葉があることはまちがいない、日本語はどこからきたのか不明である。韓国語と似ていると言ってもほんのわずかであり発音もほとんど違っている。日本語はそもそもいくら解明しようとしてもどこから来たのが謎でありそれが日本の起源を考える一番の不思議なのである。日本語は中国から漢字が入ってきたとき二つの言葉が融合した。その起源はすでに遠いから二つの言葉は本来相当に別々のものでありその観念も違っていた。そうした苦労と混乱がこうした文章に残されているのである。万葉集も漢字で記したときそうなった。今では意識せず使っている大和言葉と中国の言葉は実際は全く別々なものだった。だから漢字に大和言葉のふりがなをふっている。天地はアメツチであり乾坤もアメツチである。天地(テンチ)と乾坤(ケンコン)は中国語の発音である。アメツチが大和言葉の発音である。本居宣長が大和言葉の起源をたずね大和心と唐心を区別したことでもわかるように日本人を知るためには日本語の再吟味が必要なのである。

命(いのち)を生命と漢語で言うのとは相当違ったものでありそれをもう一度再考すると日本人の心が漢語が入る前の大和言葉にあることがわかるのだ。命はミコトともあてている。詔(みことのり)は今のような政治的政策ではない、天地からたまわる命に直結していたのである。ともかく日頃何気なく意識して使っている大和言葉は日本人を日本人たらしめているものなのだ。

春は張るであり天地に張るである。実際に体の血流が盛んになり張るとなり体自体変わってくるとも思える。体も自然のリズムに則って活動しているのだ。冬(ふゆ)がふゆるであるというのは冬の間は冬眠して英気を安なう季節、春へのふやす季節の準備だからである。これも漢語にすると春がシュンと発音するときそれは漢語であり日本語ではない外国語を使っているのである。漢語にしたとき大和言葉本来相当違った言葉でありそれを一致させようとしたとき大混乱があった。それを実際は今でも引きづっているのである。安らかが安心となるときかなり違った感覚になる。和らぐ(やわらぐ)とあるが平和だとするとまた違ったものになる。だから日本人が心が安らかになるといえばしっくりするが心が平和だとか言うとしっくりこない、安心というのも日本語とは違った感覚の漢語なのである。新年はあらたまであり魂が改(あらた)まるから来ている。魂にしても霊魂とタマシイというのは相当違った感覚になる。つまり漢語と日本語は本来英語と同じ様に別々の言葉だったのである。言葉が違うことはその言い表す観念もそもそも違っていたのである。だから大和言葉に大和心があり大和の精神があるということになる。平和というときかえって英語のpeaceがふさわしく感じられたり英語と漢語がしっくりいくものがある。ただ平和が漢語ではない、明治以降日本人が作った漢字も相当あるからまた混乱してくるのである。


俳句にしてもこれは日本人のみが本当に理解できるものであり外国人には理解しにくい、これを中国語でも英語でも翻訳すると実につまらないしこれがどうして文学になるのかと外国人は不思議に思うだろう。それは季語一つ一つに日本の風土、季節を凝縮したものがあり日本独特のものだから理解しにくいのである。これは外国でもヨ-ロッパの文化はその地を踏まないと理解しにくいのと同じである。前にもヨ-ロッパの都市を歩くだけで都市が建築そのものでありシステム的にできているということを理屈なしに実感する。日本では理解しがたいものが大陸的に養われた歴史と文化がある。そういうものは風土と歴史が一体となり時間の中で育まれ作られてきたものだからその地を踏むと理屈なしで実感するのである。だから日本の文化も季語をしるためには一年間くらい住んでみなければ理解できないのである。


御民吾(われ)生ける験(しるし)り天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく(巻6-996)


宇宙、天地、自然の律動とともに律動している存在であるという自覚こそが「生ける験(しるし)」である。
今や人間はどこでも文明化して機械化した人間になっている。天地のリズムから離れて生活しているロボット人間と化している。天地を感じることがないということは人間は異様となっている。自然の奇形児化してしまったのが文明人なのである。機械化して文明化が極端化した結果、二千年前の老子がすでに警告したように文明化は人間を人間ならざるものにしたのである。

天地のリズムの中に生きることこそ本当に生きることなのである。だから都会的生活は生きることにはならない、一見そこに栄があるようでない、天地から離れた栄は本当の栄ではない、日本の自然と一体となった栄こそ本当の栄である。天皇は権力者の帝王ではなかった。日本の自然の祭祀者であり日本の自然を言祝ぐものだった。詩人もまた日本の自然を言祝ぐものなのである。詩人はもともと祭祀者だったのである。ただ今やそうした詩人はいない、結局現代文明から離れないと今や真実は見えなくなっている。アウトサイダ-となり文明を見ないと今の文明が何なのか見えないのである。それは自然から離れた奇形だということである。当然人間も奇形化してしまったのである。


まあ、なんとか病気になったけど普通に動ける、健康でいられる。やはり人間は健康でないと健やかでないと詩も病的になる。そして病的なものが文明では普通のものとしてもてはやされる。そういう不健康な老人ばかりと接していたし今も寝たきりになっている人をかかえているから同じなのだが自分が病気になっても普通に動けたということそしてやはり春になって動いたら力が湧いてきたことはうれしいことである。ただ今年も本当に早めに暗くなる前に帰らねばならないとなると外出することが近くでもできない、そういうことは考えられないことだったし実際にそういうことが五年間つづいているのだ。それが今年も自分の最大の問題なのである。

2011年02月05日

松川浦の暮らし


松川浦の暮らし

船迎え松川浦に妻たちの神社に祈る冬のくれかな


NHKテレビで松川浦のことを女性中心にして昨日放送していた。地元のことでも農家のことを街の人は知らない、漁師のことも知らない、庭作りして直接仕事してもらい話を聞いてわかったことがあった。やはり仕事としてかかわったからこそわかったのである。テレビを見ただけでもわからない、情報はすべて一部なのである。松川浦を語るとしたら実際はそこは現代の文明を反映した複雑な地域となっているのだ。地元の人ですらそこを全部知り得ようがない、今回のテレビでもほんの一部の情報にすぎないのである。ただもともと漁師と農民の相違は大きかった。仕事の性質が根本的に違っていた。でも日本は古来から海彦山彦の国である。海の幸と山の幸の国なのである。平地の幸は外国から米作りが導入されたできたものである。


貝を好むこの神は、その長い手を伸ばし、太平洋の貝を採って食べていたそうです。その手長明神が食べた貝が「新地貝塚」になったという言い伝えも残されています。 .


すでに縄文時代から貝を常食として生きていた。貝なら外海に出なくてもとれるからそうなった。縄文時代は入江とか湾が多かったし河口も広いからそこが生活の根拠になったことは今でも察しがつく。そこは外洋のように危険な地帯ではないからである。丸木船くらいでなんとか生活できる世界である。外洋に出るとなる大きな船が必要になるからだ。


漁師の生活は言葉にも残っている。シケているとはシケは海が嵐とかのことであり漁に出れない、それでシケているとは陸に出れば不況のことになる。それは漁師の言葉が陸地の言葉になった。漁師は天候に左右されることが多い、また遭難も定期的に起きている。海は昔から怖い場所である。不安定な場所である。だから今でも神社に妻が無事を祈っている。でも今はGPSとか携帯とか様々な機械が頼りになるのはどこも同じである。妻たちの仕事でもこの辺では普通の職より金になっている。魚はとれれば今は高いし売れるから金になる。それで多くとれたときはポ-ナスまで配給される。漁獲高によって収入が極端化することがある。大漁になれば普通の何倍もの収入になる、だから漁師の気質は農民は相当違って気が大きいとか性格が荒っぽいとかなる。松川浦でもどこでも神社があるときそれが生きているとしたらやはり妻たちが無事に帰ることを祈っているということで神社が生きていることになる。それは何に祈るにしろそういう海の暮らしは漁師の暮らしは変わらないためである。

 


何度も頭から波をかぶりながらの帰港
途中さらに大きい波くらって
樽が横倒し・・

台風で上げ網をしてから
そのあとは低気圧通過と
もう5日も水揚げをしていない
http://osakana83.no-blog.jp/nori/2010/11/index.html


相馬の水源地でもある宇多川の上流域に
産業廃棄物埋立処分場の建設計画があり
その阻止のためとか・・
-
それが建設されてしまったら・・

宇多川が流れ着くのは「松川浦」
海苔やアサリなど豊かな漁業資源
http://osakana83.no-blog.jp/nori/2010/03/index.html


ここのプログは本当に松川浦の漁師が書いているから実感がある。これを読んだだけでいかにこの松川浦だけでも理解するのに複雑なものとなっているかわかる。宇多川の上流が汚染されれば松川浦にその汚染された水が流れ込むから養殖の海苔の生産に影響する。橲原に産業廃棄物を埋め立て地を作ったから明かにあそこはきれいな場所でも下流に何か汚染されたものがしみだしてくるから汚染されているのだ。松川浦の場合はそこで漁業やノリの養殖をしているから余計に深刻になる。それから火力発電所から排水問題もあり調査している。それが漁業に影響しているかもしれない、また松川浦は干潟だからそこから栄養源が海に流れて魚が寄ってきたりと干潟はやはり人間にとって昔から生活しやすい場所だったのである。縄文時代はこの干潟や入江が多かったからこそ手長明神のような伝説が全国に残っているのだ。

松川浦というとあのテレビだけを見た人は鄙びたみちのくの漁港のように勘違いするだろう。実際は火力発電所があり工場地帯にもなっている。テレビで東京の工場の人が来て地元の青年に特別の技術を伝播しようとすることが放送されていた。これは相当な高度な熟練した技術である。それを東京から来た年配の技術者が地元の青年に伝えようとしている。それも漁師の生活とはまるで違う現代的な生活なのである。それから相馬港には「飛鳥」が寄港したこともあった。中国人が日本海の港に着くつもりが相馬港に流れ着いて「東京はどこだ」とか食堂の人に聞いてつかまったとかの話しがある。それから面白いのは


ランチョウ(変な魚)
http://osakana83.no-blog.jp/nori/2009/02/index.html


人間が流れ着くだけではない、変な見たことのない魚も流れ着く・・・

変な熱帯魚のような魚?
漁師も知らない魚
どっから魚はやってくるのか
魚の種類は多い
なお海は底知れない神秘
海は広いから得たいの知れないものが
流れてきても不思議じゃない
そんなものが漁師の網にかかる
鯨だって流れ着く
海はでかく計りしれない
太古の海にはフタバススギリュウが
波をきって大海を自在に泳いでいた
海は今も計りしれなく広いから
得たいの知れないものも流れ着くんだ

 


熱帯魚は現実に波立海岸に小さいのが流れ着く、親潮と黒潮の境目が松川浦にもあり魚資源が豊富である。でも今は松川浦の魚を食べている人は地元でも少ないだろう。相当に高いからである。行商の人も最近ずっと来ていないのはなぜか、また病気なのか、行商の人は生きのいい魚をもってくるからうまい、ス-パ-のは古くなっているからまずい、魚は新鮮なのが一番うまいけれども高いから買わない、でも魚は稀少になっているからいくらでも売れる、高く売れる、通信販売でも売れるし産地直送でも東京に運べば高く売れる、ただ今は魚がとれないから高いし魚離れになった。ともかく太平洋沿岸は浦とか湾になっているところがまれでるるから松川浦は小さいにしても貴重なものとなっている。浜通りには海の暮らしと山の暮らしがあるのが違っている。山の暮らしとして原町区の大原のことを聞いてそこの人が戦後の食糧不足の時、猿まで食べたというのは山だからこそだったのである。海だったら魚が食べられたからそこまですることはなかった。
posted by 老鶯 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2011年02月07日

原町へ用事の一日


原町へ用事の一日

今日は原町まで風が強くて大変だった。電動自転車はバイクとにているから風にも強い。ヤマハのパスブレイスはとにかく坂に強い。相当急な坂でも上るようにできている。急勾配でも上るようにできているのだ。別にまだ自転車にはのれる。でも松川浦まで行ったあとに筋肉痛で苦しかった。やはり時間的に長い運動すると筋肉が弱っていから筋肉痛になった。それでも運動はできるからいい、腎臓透析している人でも普通に運動もしているから不思議である。病気にもいろいろありかえって適度な運動をした方がいい病気もある。糖尿病とかそうである。腎臓や前立腺は適度な運動は影響しない、管を入れてもそんなに困ったということはないから助かった。
今日はまず私立病院で管交換してそれから高見ホテルのレストランでカキフライ定食を食べ次に3Dを見れるメガネを買った。最近ソニ-の新しい3D対応のテレビを買ったからだ。でも3D対応している番組やCDはまだ売っていない、ギャオというところでブレ-レイを借りた。ブレ-レイもまだ対応しているのが少ない、3Dもブル-レイもこれからのものなのだろう。立体になるとき地図が立体になるといい。地図は平面的ではものたりない、立体になるとわかりやすいからである。ただまだ開発途上のものである。人間の欲望は限りがない、こういう欲望は悪いものではないからいい。それからキクチス-パ-でパンを買った。パンが原町や相馬市意外ではいいのを売っていないので困る。今はパン食が多くなっている。朝はどうしても簡単だからパンにしてしまう。それよりもう自分の家ではご飯自体二分間でレンジでできるインスタントの米である。ほとんど寝たきりだからその介護になると簡単にすましたいのである。自分も今日は介護用品店で小便用の袋を買った。それから向かいのココスでコ-ヒ-を飲み休んだ。ここの石窯パンというのはうまい。これは焼きたてだからうまい。飯館のアグリでもこれと同じパンを出していた。そしてソフトバンクの携帯の解約を一つした。最後によったのがサイヤでおかず類を買った。あそこはいろいろあり食事の用意には便利である。ライスカレ-の弁当を買って家で食べた。


買物だけでもこれだけあった。まさにこれは現代の生活だった。今は一人暮らしでも困らないようにできている。ただ五、六万の市でないと現代の生活の標準的なものにならない、小高とか鹿島では相当にたりないものがある。郡山で駅前に病院とか図書館とかス-パ-が一緒になるビルを作ったとかあるが病院は今や一番街でにぎわう場所なのである。人の出入りが一番多い場所である。小高でも鹿島でも村でも病院は高齢化社会だから一番人の出入りが多くなるのだ。だから駅前にそういう施設をもってくれば人が集る。イオンの問題は六号線から離れているから問題である。車だったいいのだが自転車だと今日のような風になると行けなかった。自転車はここから5キロ先に温泉があるとわかってもその5キロが遠くなるのである。往復10キロになったりするからである。自転車は風雨にはやはり弱い。今日は風で大変だった。でも普通にまだ動けるからなんとか家で介護して自分のこともできている。それが救いだった。

 


今日の仕事


市立病院→高見ホテルレストラン(カキフライ)→電器店(3Dテレビメガネ)→ブル-レイレンタル(ギャオ)→キクチス-パ-(パン)→ソフトバンク(携帯解約)→介護用品店(小便袋)→ココス(石窯パン)

posted by 老鶯 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年02月08日

春の日(栃窪村の石)

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蔵古りて春の夕日や山の家

動かざる春の日ここに重き石


栃窪に重なる石や春浅し


川上に冬越したる親子石


栃窪の冠嶺(さかみね)神社の古りにけり重なる石に春となるかな


その土地に根を張るごとき組み合いぬ春の日さして山の村暮る


栃窪を通りてかなた飯館へ塩の道かな春の日暮れぬ




冠嶺(さかみね)神社は日本武尊(ヤマトタケル)の奥州蝦夷征服の伝説に由来するから古い、神社でも年代的に特定する必要がある。古代からの神社も多いが江戸時代からの神社も多い。御山神社は葉山信仰であり江戸時代だから比較的新しいとなる。冠嶺(さかみね)神社は古代だから古いからその村も古いとなる。村の古さは神社でわかる場合がある。でも外から来た人はなかなかわからない場合がある。上萱などは戦後開拓した村である。それも消失した。そういう村もある。やはり古いものには価値がある。村も古い由来があれば価値がある。八沢村なども明治以降干拓されてできたのだから新しいのである。郷土史は何でもまず新旧を知ることである。 栃窪村のあの石は石根(いわね)というのにふさわしい石だった。あれを見たのは今日がはじめてだった。故郷でも見逃していることがまだあるのだ。人間は灯台下暗しというとき本当にそうである。最も身近なことが知らず遠い地域のことに詳しい人がいる。現代のようなグロ-バル化しこ社会だと余計にそうなのである。自分の住んでいる場所について知っている人が意外と少ないのである。石にはそれぞれ表情がある。一つ一つの石にはやはり個性があり石がいくつか集まってまた個性を作る。だから庭はみんな違った石で構成されるから個性がある。家にはあまり個性が感じられなくても庭は狭い庭であれ個性的なものとして作れる。石の配置だけで個性が作れるからである。
底津石根。宮柱布刀斯理・・・・・・・石根-いわねである。あそこはそういう地名になってもふさわしい場所だった。ただそのことに気付くのが遅かった。藪があってわかりにくかったのである。故郷でも狭い地域でも発見されないことはあり自然でも人でも知らないことがあるのだ。
親子石は確かに真野川の上流にある、隠された大きな石のとなりに小さな石があった。これも見つけにくい、親と子のようにあった。小さいから孫のようでもあった。こういう命名の仕方は一般的である。兄弟石とかもある。アイヌ語では川まで親川があり子川があるのとにている。


 

2011年02月09日

蝋梅と雪

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蝋梅に朝静かにも雪のふり95才の母なお生きるかも


長寿社会もいい面と悪い面がある。まず誰もこんなに長生きすることを予想していなかった。社会全体でもそうだし個々人でもそうである。つまりこの高齢化社会は人類が初めて直面したことでありその解決方法も見出していないのである。経済的には負担ばかり増えて支えきれないというのも問題だし様々な問題が生じている。そもそも90以上も生きることを想定できないことから起きてきたのである。体が相当弱っているから余命幾ばくかにしても人間はこんなに長生きできるものかということをつくづくみんな実際に見ている時代はなかったのである。


人間は完全な人間はいない、どこか必ず欠けている。でもそれぞれにその人がどういう一生を生きてきたか魂に記されているのかもしれない、母の場合「忍耐」の徳が刻まれている。もう一人知っている人は「正直」の徳が刻まれている。その他欠けていることが多いがそれは90年生きて体得している徳だから見習うべきこととなる。戒名に記されるとしたら忍の字が入りもう一人は正直の字が入る。戒名に意味あるとしたらその人がどういう人か戒名からわかる場合だろう。その人にふさわしいものであればその戒名からどういう人だったかわかる。でもそういう戒名をつけられている人は少ないだろう。高い金を払って位の高い戒名をつけるのはふさわしくない、戒名商売など仏教にはそもそもなかった。僧侶につけるのが戒名であり一般の人はつけられないかったからである。


こうした完全ではないにしろ学もなにもない庶民でも徳を体現して死んだ人がいる一方悪徳をカインのように犯罪者の刻印を押されて死んでいる人もいる。死んですべてが終わるのではなくその最後に魂に記されものがあるのだろう。それをあの世にもってゆく、犯罪を犯して悔いることもなくそのまま死ぬことは怖いことかもしれない、なぜなら魂にまぎれもなく悪徳が記されているからだ。それは生きているときやこの世では見分けがつかなくても死んでからはあの世では偽れないものとなっているからだ。罪を犯している人はそういう自覚もない、でも罪を担っているのでありそれが死後に明るみに出されることは怖いことである。裁かれることは怖いことである。でもそういう自覚があれば罪など犯さない、犯罪者にはならないのだ。そういう自覚がないからこそ犯罪はこの世から絶えないのである。


この辺では浜通りでは2月になると必ず雪がふる、一月にはあまり降らない、二月なると雪が降る、東京で雪がふるときここもふるのである。蝋梅はやはり長寿にふさわしい花である。

2011年02月10日

色の波紋(抽象画)

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フリ-ソフトでピクシアとか三つくらい入れて合成すると抽象画や別な作品ができる。
これは化学反応とにている。ソフトの開発で違ったものの組み合わせができてくる。
基本は文字が入れるのには便利なのでペイントグラフィックである。
フォントも新しいものをインスト-ルした。
パソコンはビスタになったらかえってわかりにくくなった面があり操作ばかりしていると時間がとられるからしていなかった。操作をソフトを覚えるのがめんどうになった。
でもパソコンはソフトを使いこなすと新しい創造の世界が開けるので操作を覚えないとやはり活かされないのである。
最近3Dのテレビを買った、これも前よりずっと使いやすいから情報をとりやすくなった。まさに現代は情報化社会である。ハ-ド的なインフラは整備された。残された分野は知的な頭脳の面になるからだ。ここは無限の世界である。ハ-ドは道などでももはやもういらない、そうした公共事業は無駄になっている。知的な分野はモノとか土地とか何か物理的に制限がないから無限の創造がありうる世界なのである。

悪を成さざる石(詩)


悪を成さざる石


その石の他者を傷つけじ

その石の偽りを言わじ

その石に悪念生ぜじ

千歳の石こそ祀れ

しんしんと雪こそふらめ

残れる雪の浄らかさ

人の悪は念より生ず

その悪しき念の収まることなし

その石に悪念生ぜじ

ゆえに悪を成さざり

小鳥来たりて鳴く声を聞きつ

かたえに可憐な花の咲き

常なる謙虚さのここにあり

夏になれば日陰に休らふ

その石の森の奥にし鎮まりけるかも

posted by 老鶯 at 21:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 詩全般

2011年02月11日

葛尾(かつろう)村で野馬追いの草鞋作り

葛尾(かつろう)村で野馬追いの草鞋作り

山の暮らしでは葛尾(かつろう)村で野馬追い使う草鞋を作るところを放送していた。特別な草鞋で野馬追いに使われるようになった。


刈り取った稲わらを乾燥させ貯え、農閑期の冬、翌年に自分が使う分だけのワラジを作ったといわれる。わらを編み、結び、自分のための自分に合ったワラジを作る、その行為は翌年も農作業を快適に行なうことの祈りが込められていた。ワラジが奉られていることが珍しくないことでも、豊作の願いをワラジに込めていたことが理解できる。
http://www.asics.co.jp/walking/concierge/waraji/01/


野馬追いに使う草鞋を冬の暮葛尾(かつろう)村の人の作りぬ


農家の人は冬は仕事しないと言っていたが草鞋作りなどをしていた。靴がない時代は草鞋だった。草鞋は実際に大事なもので草鞋祭りがあることでもわかる。


夜なべ
http://sogyusha.org/saijiki/03_autumn/yonabe.html


明治44年に出版された唱歌の国定教科書には「手本は二宮金次郎」という歌が載せられました。

  
      芝刈り縄なひ草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、
   
     兄弟仲よく孝行つくす、手本は二宮金次郎。

   骨身を惜まず仕事をはげみ、夜なべ済まして手習読書、


 酒匂川の堤防工事に、尊徳は父の代わりに出るのですが、1人前に働けません。申しわけないと思い、夜なべでつくったわらじを村人にはいてもらいます
http://www.moralogy.jp/moralogy/cocoro/nm/nm246_01.html


樹木とその葉(草鞋の話 旅の話) 若山牧水
http://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/2211_20321.html


 私は九文半の足袋を穿く。さうした足に合ふ樣に小さな草鞋が田舍には極めて少ないだけに(都會には大小殆んど無くなつてゐるし)一層さうして捨て惜しむのかも知れない。
 で、これはよささうな草鞋だと見ると二三足一度に買つて、あとの一二足をば幾日となく腰に結びつけて歩くのである。もつともこれは幾日とない野越え山越えの旅の時の話であるが。

千曲川の流域から荒川の流域に越ゆる間など、ほゞ二十里の間に郵便局といふものを見なかつたのだ。

今度通つた念場が原野邊山が原から千曲の谷秩父の谷、すべて大根引だいこんびきのさかりであつた。枯れつくした落葉松林の中を飽きはてながら歩いてゐると、不意に眞青なものゝ生えてゐる原に出る。見れば大根だ。馬が居り、人が居る。或日立寄つた茶店の老婆たちの話し合つてゐるのを聞けば今年は百貫目十圓の相場で、誰は何百貫賣つたさうだ、何處其處の馬はえらく痩せたが喰はせるものを惜しむからだ、といふ樣なことであつた。永い冬ごもりに人馬とも全くこの大根ばかり喰べてゐるらしい。
 都會のことは知らない、土に噛り着いて生きてゐる樣な斯うした田舍で、食ふために人間の働いてゐる姿は、時々私をして涙を覺えしめずにはおかぬことがある。


草鞋は今の靴と同じだから大事なものだった。だから草鞋はどこでも作っていた。夜なべの仕事として作っていた。戦後まもなく上萱でも草鞋を作っていたという、その頃は草鞋を作っていても使われなくなっていたろう。それでも草鞋を作ったから買ってくれと言われ買ったとか言っていた。今は山の暮らしとか何をしているのか見えない時代である。昔はそもそも自給自足的生活となるとその狭い村でもそこで暮らすほかないのだからどんな暮らしをしていたか外から来るものでもわかったのである。

牧水の旅の記録は興味深い、足に合ふ樣に小さな草鞋が田舍には極めて少ないだけに・・・というとき今だって自分にあった靴を探すのは苦労するのだから同じだった。ただ草鞋は痛みやすいから一日で履き替えたとか長持ちするものではなかった。だからたくさん作る必要がありもっても歩いていた。草鞋にまつわる話しはその歴史も長いからいろいろあるだろう。こうして草鞋について調べるとそれだけで草鞋のことがわかる。

二十里の間に郵便局といふものを見なかつた・・・というのもその当時郵便局すらなかった。郵便局は最近まではどんな辺鄙な所にもあり一番目につくのが郵便局だった。最果ての与那国島でも船をおりたら郵便局があった。その郵便局も辺鄙な地方に行くとなかったのである。
今は電話から携帯となっているから時代は通信の面では変わってしまった。山で遭難しても携帯で連絡して助かった人もいた。
でも旅するなら不便でも牧水のような旅が本当の旅だった。その土地土地で漬け物だけはうまかったというのはわかる。その土地の味が漬け物にあったのだ。今はそうした味すら一様化しているから土地の味を味わえないというとき何も漬け物だけではない、土地の味が一様化していることが旅を面白くなくしてしまったのである。


俳句を調べると


こそこそと草鞋を作る月夜ざし 凡兆


泣く泣くも小さき草鞋求めかね 去来


これは女性であり自分にあった小さな草鞋がなくて困った。今も自分にぴったりあう靴を探すのは苦労だからここは時代が変わっても変わらないものがあった。月夜ざし・・・というのは夜なべして草鞋作りしていたから月の光がさしこんでくる。

こうして草鞋について調べるとそれだけで草鞋のことがわかる。インタ-ネットは編集しながら読むとき活きてくるのである。これは本ではなかなかできない、牧水のこの文だって全集がないと読めないしそんなに本もそろえられないし第一どこに草鞋についての文があるからわからないから本は調べるのには不便である。
posted by 老鶯 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2011年02月12日

犯罪被害者になることは避けられない( 目黒の老夫婦殺傷事件の謎)


犯罪被害者になることは避けられない

「高級住宅地で金欲しかった」目黒夫妻殺傷
読売新聞 2月11日(金)15時46分配信
 
東京都目黒区の大原道夫さん(87)夫妻が自宅で殺傷された事件で、警視庁に10日、殺人などの容疑で逮捕された福島県いわき市常磐西郷町、無職木村義昭容疑者(65)が同庁の調べに対し、「高級住宅地に行って金が欲しかった。抵抗されたので刺した」と容疑を認める供述をしていることが、捜査関係者への取材でわかった。



この事件の動機は借金だった。金絡みの事件が多いからめずらしくはない、これも一種の通り魔事件と同じである。何か怨恨とかではない、この人とは全く前に面識がなかったのに殺されたからである。東京だとそういう事件が多くなる。突然全然見知らぬ家に高級住宅街だからと侵入して殺害される。これもそこに住んでいる人は恐ろしくなるだろう。金持ちが住む住宅地はアメリカのように中国でも塀で囲み警備員を配置しなければならなくなる。そういう物騒な時代になったことを知る必要がある。犯罪は犯罪にかかわらなけれは無関心なのである。犯罪の被害者になったとき犯罪にその危険性に敏感になる。一回怖い目にあった人は凄く警戒するようになるのだ。自分も犯罪は他人事だった。でも一回被害者になれば違う。そして経験からもう人間は犯罪の被害者になることは避けられないと実感した。秋葉原無差別殺傷事件でもそうである。そんなもの関係ないと思っていたがその被害者になることはありうることだと思った。強盗の被害者にもなりうる。そういう危険に満ちているのが今の社会である。これは田舎とかも関係なくなっている。この世から犯罪が決してなくならない理由は人間から不満をとりさることができないからである。


一番わかりやすいのは貧富の差である。最近はモノ余りでも格差社会になり貧困に陥る人がふえている。派遣とかフリ-タ-とかパ-トとか時給で働く人はたいして金にならない、それらの人は疎外感をつのらせる、そういう不満は鬱積してくる。正規社員と不正規社員は階級のようになってしまう。不満はいつの時代でも常に存在した。現代の不満は江戸時代より大きいかもしれない、江戸時代なら身分が固定化して世襲社会でありそれは運命でありそのことにいちいち文句を言う人はいない、定められた運命であり侍の子は侍であり農民の子は農民である。その身分に対して不満を言う人は少ない、インドのカ-スト制のようにあきらめていたのだろう。それがすべて悪いとはならない、身分の格差はあってもそれぞれの階級で分を守り生活していた。精神的にはかえって安定していた。それが明治以降身分制がなくなりみんな平等だとなったとき問題が生じた。戦後アメリカに負けて民主主義の社会になりさらに混乱した。みんな平等だというときあらゆることに対して平等を主張するとなると不満が爆発的に増大したのである。そこにはもうその人のもっている定められた運命はない、ある人が金持ちになったらどうしてその人は金持ちなのだ、自分も金持ちになれる、ある人が才能があったら自分も才能がある、ただ金がなくて教育されなかったためだとかあらゆることで平等を主張することになる。どんな優れた人でも優れた人など認めない、ありえないのだ。俺とお前は同じだ、すべての点で経済的にも才能でも同じであるべきだとなる。もしそうでないことは運命がないのだから社会的不公正のためだとなり不満は増大する。江戸時代のようにあきらめることはないからだ。


その不満を埋めるためにどうなるのか、犯罪になる。なぜ俺はこんなに恵まれていないのだ、金が入らないのだ、なぜ派遣で使い捨てにされるだけなのだとか長引く不況はますます不満を増大させてゆく、その不満の極端化したのが犯罪となり殺人となっているのだ。他にも女性ならいつも美人でちやほやされるのがだとかうらやんだりすることは昔と変わらない、女性のもっている不満も実に怖いものである。そうして殺人も昔から起こっているから現代だけではないにしろ不況になり格差が広がると犯罪は増大してゆく、つまりこの世から決して犯罪はなくならない、不満がなくならいからだ。例えみんなが豊になっても犯罪はなくならない、別な不満が必ず生まれてくるからだ。人間は決して満足することはない、その欲望には限りがないからだ。すでに優れた人は貧乏でも欲望を抑えた高貴な貧者が存在した。しかし現代ではかえって貧乏にがまんできない時代なのだ。一度豊かさを経験したから貧乏なことに耐えられないのである。
80代の人はもともと貧乏が常態だったから耐えられる、今の時代は豊であることが常態である。だから田舎だったら一人に車一台必要となり減らすことができない、でも実際は町方に住んでいれば車なくてもなんとか暮らすことができるし一台だけでも暮らすことはできるがそうしていない、減らすことができないのである。


そして現代で怖いのは凶暴化する老人である。60代から70くらいまでの犯罪が倍増している。凶悪化した犯罪が増えているのだ。老人の間でも経済的な格差が広がっている。その差が極端な場合もある。公務員は恵まれているというとき地方ではそうなるのだろう。一方でそうでない人は地方では時給だけでは金にならず格差が大きくなり不満が増大して都会だけではなく田舎でも60代の犯罪は増加してゆく。今の60代は50代とみていいからである。まだまだ欲望も深く色恋沙汰の犯罪も起きている。枯れて隠居するとはならないし隠居というのんきな身分でいられる人は少ない、経済的にそんな余裕がない人も多いからである。そこで老人間の格差でも犯罪が起きやすくなるか。老人になって怖いのは怖いもの知らずになる傾向があるからだ。もうこの先が短い、やりたいことをやって死んだ方がいいとかかえって将来がないからこそがまんできない、切れやすい犯罪に走りやすくなるのだ。若い人の場合は先が長いという重圧間で苦しんでる。この先どうしして生きていけばいいんだとかなる。老人の場合はそういうことより先が短いからそうした時間感覚がなくなる。やりたいことをやらなきゃ損だとかそれができないなら手っとり早く犯罪に走るとかなる。それが凶悪でも怖いもの知らずになる場合があるのだ。一生棒に振るというよりすでに棒にふっているとかなるから怖いのである。そういう自暴自棄から極端な犯罪に走るのである。殺人を犯すような人、強盗をするような人はせっぱつまって追い詰められているからこそする。自暴自棄になっていにからこそ犯罪を恐れないのである。

窮鼠猫を噛むとかなり本当にそういう自暴自棄になった人は怖い、そして何ら関係ない人もそうした人の犯罪にまきこまれるのだ。被害者に誰でもなりうるのである。この世にいる限りそのリスクから逃れることはできない、それは各自覚悟せざるを得ないのだ。殺人にならないにしてもそにに近いことはいつでも田舎でもどこでも起こり得るのが現代である。そうした狂気にまきこまれるのは誰にでもおこりえる、安全圏はない、田舎にもない、そして人間に不満がなくなることはないから犯罪の被害者になることもさけられない、それは各自覚悟するほかないのである。


自己中、周りを気にしない、思い通りにならないとキレる!そういう人も多いみたい!?

利己主義 + エネルギー = 犯罪 


民主主義は利己主義の欲望の追求でありそれに歯止めをかけるのがどこの国でもモラルがあったのだけど日本にもあった。80代の人はそうした日本的道徳を体得していたから違っている。しかしその後はそうしたモラルがない、宗教的にもない人が多いのだ。そういう教育も受けていないから犯罪を恐れない、特に60代になると自暴自棄になるから怖いのである。

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2011年02月13日

消えぬ雪(母の介護)


積もりにつ消えざる雪や介護かな


寒々と消えざる雪や誰かみる弱りゆく母一人介護す

胃が悪くなって一日一食も食べられないとしたらだんだん弱って死にいたるのだろうか?
そんな状態で医者に見せず会社から帰ったら死んでいた。それで警察が来て医者に見せなかったのはなぜかと罪になった人もいた。そんなことで罪に問われるのだろうか?

病院で三食食べていたのは無理して食べていたためだったのだろうか?家に来たら自由になり食べなくなった。いづれにしろそう長くはない命なのだろう。やはりだんだん食べないのだから衰弱してゆく、近くでもそういう人がいて、食べなくなりやせて衰弱して死んでいった。その人も90近くだったから一種の老衰のような死に方だったのだろう。癌とか何かの病気ではなく食べられなくなることはやはり死に向かっている。自分は前立腺とか腎臓悪いと言われたけど退院してから腹がへって食欲がでて太ってきた。腎臓悪いと太れないとも書いてあった。病院でも三食食べても太れなかった。10キロやせて太れなかった。家に帰ってからも二か月以上太れなかった。最近三キロくらい太ってきた。


人間はやはり食欲がないということは病気である。でも糖尿病とはかはかえって喉が乾くとかあるが一般的に病気になれば食欲がなくなり体は太らないだろう。太る力が体になくなってくる。それは明かに病気なのである。だから自分の場合はそんなに悪い病気ともいえないのかもしれない・・・まだまだ生きるのかもしれない、一回大病して直ったような人は一回死んだような経験している人は今生きていることがとにかくありがたく思える。自分は生きているんだ、生きられるんだという喜びで一杯になったりする。一か月の入院で自分もそういう経験をした。確かに大病ではなかったが今生きているということが喜びとなっている。実際に運動できなくなるのじゃないかと不安だった。でも自転車で普通に運動できる、ただ何か筋肉痛になり疲れる。これも腎臓が悪いからとはいえないだろう。さほど生活に支障がないことが救われた気持ちなのだ。悪いことばかりでもこのことだけはいいことだった。


家に介護する人がいるだけで疲れる。息が苦しくなっていているだけで疲れるのだ。問題は暗くなると誰かいないと不安になるから困る。近くさえ外出さえままならぬことになった。誰かに頼むわけにも今はいかない、介護は一人だと負担が大きくなるのだ。確かに介護度三だからヘルパ-などたのめるのだが今日帰りが遅くなるから見ていてくれとかできないからだ。介護は交代する人がいないと負担が一人にかかるから大変なのである。でも年だからそう長くはないと思うときしかたないとなる。いろいろあっても自分はよくしてもらったから介護せざるをえないのである。


今頃になりまた雪がふり積もって寒くなった。冬に逆戻りである。簡単には春は来ないということである。ここでは雪は長く積もっていることはない、日本海側だと雪が溶けないとなると雪にはうんざりしているだろう。浜通りでは雪では苦しむことはないのである。

犯罪を犯す原因は性急さにある(目黒の老夫婦殺傷事件の謎)

 
犯罪を犯す原因は性急さにある(目黒の老夫婦殺傷事件の謎)
東京都目黒区の元会社役員、大原道夫さん(87)夫妻殺傷事件で、殺人容疑などで逮捕された自称無職、木村義昭容疑者(65)=福島県いわき市=の長女が韓国で入院し、木村容疑者が韓国に渡航しようとした直前に任意同行されていたことが12日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁目黒署捜査本部は、木村容疑者が娘の入院費用を捻出するため犯行に及んだとみており、
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110213/crm11021302010001-n2.htm


この事件は動機がはっきりしない事件とは違っていたようだ。通り魔事件とは違う。娘のためにという明確な動機があった。いわき(磐城)というと相馬からも廃品業者が来ていた。自分の家にも来たのである。そんなに遠いところではない、木村容疑者は近くの人から金を盗ろうとしなかった。何か近くではやりずらいはばかるものがあった。今は大都会でなくてもそういう遠慮もなくなっているのが現実だから金が欲しかったら近くでも強盗になっている。実際に近くの人がコンビニに強盗に入ってつかまったこともある。そういう点では近くの人はほっとしているかもしれない、一方で金持ちが住む公共住宅地では戦々恐々とすることになる。いわきは東京からの通勤列車の終点にもなっている。複線でありいわきから岩沼までは常磐線は単線になっている。いわきは東京を近くに感じる場所である。東北の湘南だというときいわきは温暖だから住みやすいからそうなる。


そもそも木村容疑者は金が欲しくてあせっていた。それは韓国で娘が入院したからどうしても緊急に入院費が必要だった。それでどうしても早く金が欲しかった。それで金を手に入れることで性急に犯罪に走った。頭が今金が欲しい欲しいと一杯になっていたのだ。これは大きな犯罪を犯す人でも共通の心理としてあるみたいだ。この場合は本当に緊急に金を用意せねばならなかったから他の人とは違うかもしれないが一般的に犯罪の原因として性急さがあることはまちがいない、今金が欲しいという一念が犯罪に走る、自分が接して金を要求してきた人たちもみんなそうだった。今すぐ金をくれ金をくれだった。何もそれほど緊急ではなくてもそうなのである。今金がないなら死ぬということではない、娘の教育費のことだったりと今すぐ命にかかわるようなことではない、でも頭が金が欲しい欲しいの一念になっているからそれしか見えないから犯罪に走る。昔から確かに「あわてる乞食はもらいが少ない」と言われてきた。これは真実である。犯罪まで犯す人は性急なのである。自分の欲望を抑えきれないから性急になるから犯罪を犯すのである。人間が罪を犯す要因として待てないということがあることはまちがいない、待つ余裕がなくなっているから犯罪に走る。今の時代は特にそうである。待つとか忍耐するとかがなくなった。80代以上の人は忍耐するということを生きる中で体得してきたから違っていた。

60代は団塊の世代でも欲望を抑制すること忍耐することがない、60代以下も忍耐することがなくなった。欲望でもすぐ手に入られないと不満になる。待つことができなくなっているのだ。キレやすいというのは60代でもそうだが80代以上をのぞいてはみんなそうである。とにかく待てないのである。人間は何もしなくても待っていると自ずから解決することがあるのだ。時間のなかで解決しないことがいともたやすく解決していることがあるのだ。貧乏の問題でも農業だけでは豊になれなかった。工業化して豊になった。農業に依存していた時代はいくら豊になやすうとしてもなれなかったのである。それは工業化する時代を待つほかなかったのである。


木村容疑者の問題は詳しくはわからないにしても緊急に金が必要でも性急になりすぎた結果として大犯罪を犯した。そんな犯罪を犯すような人ではなかったというのは本当だろう。娘のことで気が動転してしまったのだろう。そもそもそんなだいそれた犯罪に走るような人ではなかったが娘のことで頭がパニック状態になった。そして性急に金が欲しい欲しいという一念であのような事件を起こす結果になった。それはやむをえない事情にしろ一般的に犯罪を犯す大きな要因は性急さにあることはまちがいない、待つことができない、耐えることができなくなる。それが犯罪になる。人間は待っているだけで耐えているだけでいつか好転することがあるのだ。その時点で解決しないことも時間が経つと自然と解決していることがある。長い目で見ると解決していることがあるのだ。今貧乏でもいつまでも貧乏だとは限らない、ただ運がなくて貧乏だということもあるのだ。金は天下の回りものだというとき待っていれば金も回ってくるということもある。
いくら努力しても働いても金が回ってこないということもあるが待っていると耐えていると金が回ってくることがある。でもみんな金が今欲しい欲しいと性急になっているからそれがだいそれた犯罪にもなってしまう。


60代以上になるとそれだけ生きているんだから実際は待つことを学んでいるはずなのだが今はキレやすい老人が多くなっている。60代以上になれば何かジタバタしてもどうにもならないという心境になるのが普通である。もうあきらめて待つ他ないとなる。諦観の心境になる。でも今の60代は欲望が強いからそうならない、若い人と同じように欲望を充たそうと性急になっているのだ。木村容疑者の場合は事情があったから違うにしろ性急さが犯罪に走る大きな要因である。エジプトのデモにしても確かに大統領を追放してもすぐ問題が解決するわけではない、貧乏の問題などそう簡単に解決しない、するとそのためには特効薬はなく時間がかかる忍耐力が要求される。一時的に騒いでもそれで根本的解決なるわけではない、でも性急に豊になりたいとなるときその解決方法が極端化してくる。外国が悪いためだとかなり外国攻撃のテロになったりするのだ。それは犯罪者の心理と同じなのである。性急に問題を解決しようとするときそうなるのである。人間は長い目でみることが苦手である。目の前のことで精一杯である。
今すぐどうにかしなければならない・・・・それが犯罪に走る大きな要因になる。しばらく頭を冷やしているだけでも犯罪は少なくなるだろう。激怒が抑えられない、その性急さが犯罪になる。
「あわてる乞食はもらいが少ない」というとき今欲しい欲しいとなるからそうなる。今は少しでも少しづつでも貯えて多くしようと考えない、今大きな金が欲しいとなるときそれが強欲になり犯罪になる。


急いで富を得ることはできない
http://musubu.sblo.jp/article/41830381.html


東京都目黒区の老夫妻殺傷事件についての真相はわかりません
(私の発言は犯罪者の一般的心理についての考察です)
http://musubu.sblo.jp/article/43407483.html

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2011年02月14日

東京都目黒区の老夫妻殺傷事件についての真相はわかりません


東京都目黒区の老夫妻殺傷事件についての真相はわかりません
(私の発言は犯罪者の一般的心理についての考察です)



娘の件にしてもそうだし先に韓国へ渡航させてるってのも胡散臭い
普通の親なら娘の病気のために他人を殺そうなんて考えるわけがない
しかもなぜ韓国で入院?
裏は絶対にあるだろう
ただ、今の状況で木村容疑者が在日だったかどうかまでは発表されてないから決め付けずに様子見しておくべきだとは思う
在日だったら酒鬼薔薇とか光母子殺害のクソみたいにそのうちバレるよ


目黒区民だけど「高級住宅街といえば中目黒」なんて思い付かないよ普通。
ましてや地方在住の人間が真っ先に思い付くとか不自然すぎ。
絶対誰かから依頼されてるだろこれ。


自分の親が自分の病気のために人を滅多刺しして刺し殺しして、ワイドショーで大きく取り上げられるって、病気の娘とやらは心労で死ぬわ。
病気を呪い親を呪い自分の境遇がしんどすぎて俺なら死ぬ。


元厚生官僚殺しの小泉といいコレといい、引退した年寄りを素人使って殺してる
本体がある。
カネ目的ではあるまい。歪んだ使命感みたいなものを感じる。
今回はターゲットを余りにあなどって墓穴掘ったわ。
小泉はブレイクしなかったが、このオジさんはどうかな?


娘は韓国に住んでるの?
それとも福島に住んでてわざわざ韓国の病院に入院したの?

この場合一般に浸透してるイメージが問題なんだが、
目黒=金持ちを知ってて、その他交通手段を知っててなお
田園調布がわからねえとか、容疑者の認識が総体として
かなり矛盾を孕んでる。
ちぐはーぐ。


この事件は謎が多い。マスコミ通りにみていたが辻褄が合わない、そもそも2ちゃんで言っているように目黒は金持ちの住宅街ではない、田園調布がわからないというのも変である。殺された人はなぜねらわれたのか、ただ通り魔的偶然だったのか?本当に辻褄が合わない、韓国に入院した娘というのは作られたものであり在日が関係しているとかにもなるのか?唐突に韓国が出てくることが辻褄があわない、普通韓国に入院することなどないというのも本当である。

イワキから明確な目的をもって目黒に行き殺人を実行したというのが真相なのだろうか?
その方が辻褄が合うし納得がいく、韓国に入院した娘のためというのはあとからつけくわえられたのが本当なのだろう。事件の真相を隠すためだったのか?
何かの確実な見返りのために計画的に殺人が実行された、その理由は謎である。

私が書いたことはあくまでも犯罪を犯す一般的心理を解明しているのでありこの事件の真相とは特別関係ないので誤解しないようにしてください、誰か特定の人のことではなく人間一般の犯罪を犯す心理に重点を置いていますので誤解しないでください
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医者の権限の大きさ、警察、マスコミの力の大きさによる隠蔽の事件


医者の権限の大きさ、警察、マスコミの力の大きさによる隠蔽の事件

多刺しにされて、首がちょん切れてても、医師が肺炎って書いたら肺炎で死んだ事になる。 借金がある医者とか、借金を作らされた医者が、都合の悪い死体の死亡診断書を病死として書いてるよ。
法律上、医者が書いた診断書だけで通るから、何万人殺されてもわからんよ。
裁判でも、どんな証拠を出しても、裁判官は、「医者の死亡診断書があるから」でつっぱねる。

顔がわからないくらいぼこぼこにされて殺された相撲取りのリンチ死亡事件でも、

そういう医者(たしか警察関係だったか)が、外傷無しで死体検案書だか死亡診断書出してた。
何で逮捕されるの?たとえ誰かが死体の写真を撮ってても、証拠能力としては医師の診断書のほうが上。

交通事故で、どれだけ目撃者がいてビデオ映像が残ってても、警察官が書く紙切れ一枚の方が証拠能力が上なのと同じ。
四国の白バイ事件とかでも見たでしょ。

警察官とか医師が何かやったら、基本的にはまずどうすることも出来ないよん。

ついでに死体なんて焼き場で焼いちゃったら骨しか残らんからどうしようもないよ。
リンチ死の時は、ぼこぼこになった死体をあまりにも早く焼きたがるので葬儀屋が不審に思って家族に連絡したのが発端で発覚しただけだった。

それでも診断書だか検案書書いた医者やら警察官が処分されたって話は聞かないでしょ。


暗殺業請負う医者がいることなんて
割とよく知られたことだろ


http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1297586144/


医者の権限は大きい。死んだとき死亡診断書を書いて死亡が認定される。それは医者しかできないからだ。その時自殺でも病死とされることは近くでもあった。これはかえって医者が隣近所で親切だからそうしてくれたのである。もし医者が悪意でそうしたら怖いことである。医者はどうしてもちょっとの間でもいいから家に帰ってから入院したいと言ってももだめだった。あなたは脱水症状で死ぬと言われたからだめだった。そのことで大変な事態になったがどうにもならなかった。その後も一度でもいいから家にちょっとの間だけでも帰りたいと言っても帰れなかった。そんなに様態は悪いと思いなかったが点滴していて許されることはなかった。でもそのことで大損失になった。刑務所ではないのだからちょっとの間なら帰してくれてもいいと思った。実際はどうしても重大なことがあることを認めてくれなかった。医者はただそんなことを考えずにともかく体が大事だから優先してそう言ったのだからこの場合特別責めることはできない、それにしても刑務所じゃないのだから病院から自分がどうしても出たいといえば出れたかもしれない、しかし医者は何度言ってもどなりつけるようにしてちょっとの間も家に帰すことをしなかった。それは刑務所に突然収監されたと同じだった。相手は当然であり害もないと思っていたが実際はそうではなかった。そんな権限が病院にあるのかと思った。一旦入院したら外出も容易にはできない、刑務所に入ったと同じになる。もちろん入院することの怖さはその他にもいろいろある。
してもらくたない延命治療もされる。死んだ方が自分ではいいと思っても死ねない、それは地獄の詰問とにている。入院したら退院させる権限は医者にあるからだ。特に親族などがいない身寄りがいない人は悲惨だった。おそらく生活保護だから金のために生かされている、苦しむ体をもてあそんでいるような詰問状態だった。延命治療はその人を苦しめるだけのものさえあると思った。これも一旦入院するとすべての権限が病院に医者がもつからそうなるのだ。

おそらくAYUMI様の事件の真相は他者からはわかりにくいにしてもこうした医者の権限とカルト教団が結びついた結果として悲劇になった。カルト教団も大きな権力をもっているからそうなるのだ。もちろん警察は最高の権力機構でありそこで犯罪があればもうどうにもならない、誰もそれを正せなくなる。「警察官とか医師が何かやったら、基本的にはまずどうすることも出来ないよん。」警察官と医師・・・医師とカルト教団が結びついたりしたらどうにもならないよとなる。
医師とか病院での犯罪を暴くことは最高にむずかしいだろう。カルト教団を隠れ蓑とした犯罪もありそれも暴くことはできなくなる。今回の目黒の老夫婦殺傷事件の謎も在日が関係していたりマスコミも故意に真相を隠すように働いた。これもマスコミによって操作されていた。最初は新聞の記事をうのみにして書いたけど実際は違っていた。マスコミを鵜呑みにすると操作されことになるのだ。自分のかいたことはまさにマスコミの操作通りの論評となったことでもわかる。
でも変な事件だなと疑問にもてばこうはならなかったろう。何かしっくりこないものがあったしみんなもあったはずであるがマスコミの操作にのせられたのである。いかにマスコミの力が大きいかこれでもわかった。


最近増税より減税だと河村たかしが主張して当選したが減税論者と増税論者でも増税論者がいかにも理が通っているようでも実際は違っていた。それは「心に青雲」のプログでも書いてあったのでそうかなと納得する。増税論者は元の自民党や官僚側の論理であり利権増大のために主張していたのである。これもマスコミと一体となりそうした世論が正当化されるのである。マスコミだけだとどうしても一方的になる。時の権力に都合いいものだけになるのだ。マスコミは中立でもない自分たちの利権と結びついているいかがわしいものだという目で見ている必要がある。一般的に言論は裏で必ず何かの利権と結びついている。マスコミは大きな利権と結びつきやすい、宣伝が飯の種だから当然そうなるのだ。そしたら必ず報道は曲げられたものとなっているのだ。大企業がバックにあったり宗教団体があったり大きな団体の利権が関与してマスコミもある。だから創価の聖教新聞は地方の新聞社で刷っている。だから創価の悪口やカルト宗教団体の悪口は書かない、宣伝をのせているのだからその宣伝費を払ってくれる会社の悪口は書かない、そういう自分たちの利益第一であるからそうなる。だからマスコミに操作されることは目黒の老夫婦殺傷事件の謎のように全くマスコミにのせられた論評になってしまうのである。いづれにしろこの世は闇の力によって支配されているというときそれはいつの時代でもそうであった。その闇を全面的に暴くなどこの世が終わらない限り不可能でありだからこの世はいつでもサタンの支配下にあるのだ。真相は闇の中に葬られてしまうのである。犯罪にしても明かにされのはほんの一部なのである。ただ来世で最後にそうした犯罪はすべて明るみに出され裁かれるということに希望がある。そうでなければ犠牲になった人は浮かばれないからである。

posted by 老鶯 at 02:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

動機が見えない目黒老夫妻殺傷事件の謎 (人間は作られた嘘の話でも信じやすい)


動機が見えない目黒老夫妻殺傷事件の謎
(人間は作られた嘘の話でも信じやすい)

この事件は謎が深い。


捜査関係者によると、右脇腹から腹に向かって刺された傷が肝臓まで達し、致命傷となった。倒れた大原さんが、逃れようと身をよじって半身になったところで、ほぼ真上から刺された可能性が高いという。血は比較的低い位置を中心に飛び散り、倒れた状態で刺された疑いを裏付ける。



確実に殺すためにここまでした。生半可に生かすことを許さなかった。最初から確実に殺すことが目的だったのである。あわてたりしたらここまではしないだろう。そういう冷静さと残酷さをもちあわせていた。下見もしていた。中目黒の次が田園調布だから田園調布がわからないということはなかった。長年東京に住んでいたから東京にも詳しかった。でもいわき市に住んでいるのをみている人はそんな人にはまるで見えない、趣味は自宅での家庭菜園でこんな事件を起こすような人にはまるで見えない、金に困っていた様子もない、でもいわき市には引っ越してきて住んだのだからその前に何をしていたのか東京暮らしが長いとするとその間に何かあって被害者との接点があったのかもしれない、それともヒットマンだったという、誰かに頼まれて組織に依頼されて殺人を請け負ったという説も有力である。何か殺す理由があって殺した。その動機は不明でも必ずある。若いなら通り魔事件ということもあった。殺してみたいと殺した若い人がいたからである。これは65才にもなっているのだからそうした殺人とは違う。明確な目的があり動機がある殺人である。推理小説では動機の必然性が問題になる。殺人となると相当深い恨みがないと動機の必然性から犯人をわりだすことはできない、ただ殺人でも金にからんで簡単に殺すことはあるからいちがいには言えない、この場合は金が目的ではなかった。だから何かそれ以外の動機があった。その動機が全く見えないから謎が深いとなる。


それにしても人間は作られた嘘の物語でも信じやすいことがある。それを図らずも今回自分が証明した。韓国に娘が入院して困っているから金欲しくて殺したというのは全くの嘘だった。娘は日本にいるし金目あての殺人ではなかった。でもそれが新聞で流されてそんな理由があったのか、美談にさえ思わせるから人間は嘘でも作られた物語を信じやすいことが自ら証明した。歴史でもそうした無数の物語があり作られた物語を信じている。うば捨て物語は親孝行を奨励するために作られた物語だけどみんな信じる結果になった。そういう歴史的事実ではないものを特に歴史をドラマ化して見るようになってから多くなった。歴史は創作されたドラマとは違うのである。だから歴史は歪曲されたものとなり事の真実を見極める力が弱くなってしまったのである。すでに過去は事実であることを証明すること自体が大変な作業である。だからかえって創作された歴史的事実でないものでも信じるようになってしまうのである。


いづれにしろ最初から計画的犯行だった。下見もしていたし逃走経路も計画していた。高速バスの予約すらしていたからだ。いわき市に逃げればわからないと思ったのかもしれない、ところが監視カメラに写されていてそれが命取りになった。今はどこにでも監視カメラが設置されているから犯罪の抑止力になっているがプライバシ-も奪われている問題がある。でも今回は監視カメラで犯人が割り出された。いわき市だと東京に行くにも逃走するのには距離的にいい場所だった。なぜいわき市に住むようになったのか?田舎だと5万5千円であれだけ大きい家に住めるのである。東京なら一間になってしまうからその差は大きいのだ。この事件の謎は65才にもなってそんな危険なことをしなければならなかったかという謎である。ただこの年になるとかえってもう先がないということで大きなことをすることはありかうる、最後の賭けにでることはありうるのだ。とにかく娘の病気のためというのは嘘であり借金のためにしてもそこまでする必要はないし実際は金目的ではなかったのである。となると何か過去の恨みなのか、組織や誰かから頼まれた殺人なのかになる。直接知っている人でないと組織や誰かに頼まれたかとなる。では頼んだ組織や人は誰なのかとなる。そして何のためなのか謎が深い。


これは動機が見えないから謎なのである。金目的でないとしたら何の動機があったのかとなる。65才ともなると動機なき殺人はありえないからだ。ドラマでもこの人はひどい人だから殺されてもしかたないとみる。動機の必然性が明確なのである。だから動機から犯人を追い詰めてゆくがこの場合は最初から動機が全く見えないから五里霧中の状態から出発することになる。霧が深い、何を手さぐりにしていいか不明だから迷うことになるし犯罪者の嘘の発言でもそれが唯一の手がかりだとなるとその話を信じてしまったのである。何か外から見て客観的にみえるものがないから犯人の作り話を信じてしまったということもあった。客観的証拠というときやはり歴史でもそうだが事実として証明されることが必要なのである。史実かどうかが問題になる。それは郷土史とも関係しているのだ。推理小説から事実をみるより事実から推理小説をみる作業が必要なのである。推理小説だって事実から作られているからである。
「事実は小説より奇なり」というとき本当である。いくらでもこんなことがありうるのかという奇怪な事実が次々にでてくる。今回の事件だって謎ばかりなのである。



うば捨て山伝説は作られたものだった
http://q.hatena.ne.jp/1129508302

posted by 老鶯 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2011年02月15日

蝋梅

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母は寝て蝋梅咲きて石一つ


寥々と松風鳴りて残る雪浪の音ひびき夕暮れむとす

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介護になると石のようによりそい動けなくなる。暗くなると不安になるから近くにも出れなくなる。自由に外国まで出歩いていたのにこうなったのも定めなのか?一種の牢獄に入ったような状態にされるのが介護なのだ。これが若かったらとても勤まらない、それでも若くて介護している人がいるからこれは辛いし問題である。若い人は別なことをやるべきである。なぜなら貴重な時間がそこで失われてしまうからである。
右田浜の松原はいい松原である。松川浦の松は細い松が多い、やはり松は年期が入らないといい松とはならない、松は太くないと松らしい松にならない、細いと貧弱になる。だから松川浦は松になっていても魅力を感じないのだ。松島の松にはいい松が多い。太い松が多いのである。だから右田浜の松原はいい松があるのだが意外と見逃されている。キャンプ場も閉鎖されたからくる人もまれである。でもどこがいい場所かは外から来た人はなかなかわかりにくいのだ。松川浦に行っても松川浦の松はいい松がない、それはやはり地元の人でないとわからないだろう。そういう場所はいくらでもある。名所に行ってもつまらなかったというのはどこにでもある。でもちょっとはずれたところにいい場所があったりするのだ。でも一回くらい行く旅人には発見できないのである。


今日はまだ寒い、冬である。風が冷たいし浪も荒れていて冬の海だった。この頃また冬に逆戻りである。