2010年11月02日

病院を退院しました!



いろいろご心配かけました、昨日病院を退院しました
今回の入院は自分にとって大変な経験でした。
経験したことを随時書いていきますのでまたよろしくお願いします

病院を退院して短歌十首


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久しきや病院より帰り我が庭に山帽子の実なり手に触る

病院を退院せしも同室の人を思ふや秋深まりぬ


退院し我が寝しベッドや看護師の何か思うや秋深まりぬ


病室に日々に見ていし大原の方に広がる景色忘れじ


大原の方に秋の夕焼け美くしく病室に見て忘れがたしも


病室の窓に見にけり故郷の実りや農家の人とありにき


切々と妻は夫に絶えず語りかく声なき夫のあまりに悲し


病院に一カ月いしその日々の忘れががたしも故郷思ふ


我が家に帰り来るも耳聞こえぬ母と通ぜず家にしあらじ


病院に頼るべき人もなかりけり身寄りなき我悲しみをしる


病室に病をともに一カ月慰め合う人忘れがたしも


身寄りなき我をなぐさめし看護師や同室の人忘れがたしも



今回の一カ月の入院の体験は人生を変えるほどの大きな体験だった。一カ月ベッドに寝て思ったことは今までありえない経験であった。前に姉を介護に通った病院だったけど介護す身と介護される身、本人が入院して看護されるようになった場合とは全然違っていた。介護する方も苦しいが介護される方はもっと苦しい。自分は最初から食事は食欲あり食べられるし普通に歩けるし病気のように思えなかった。全部自分のことは自分でできたから誰も介護にきてくれなくても一人でやれたから良かった。ただ二週間すぎて退院近いとき40度の熱を三日だして寝込んだ。41度になったときもあった。この時は本当に病気になったのだ。心細く誰も頼るものもなく不安一杯で寝ているほかなかった。まず自分で自分のことをやれなくなったら身寄りがないということは悲惨になる。例え看護師が世話してくれるといっても家族が来ない患者は軽んじられる。


それより家族が患者となんらかでもやりとりがなければ自分で自分のことをできない人は悲惨になる。隣に寝ていた人はそうだった。94才で施設の人で身寄りがない、施設の人が二三回来ても家族は誰もこない、そして毎日鼻から栄養を入れられ痰が出るのでその時苦しいのか、毎日う-あ-うお-とか叫びわめく、それしかない、静かなときは眠っているだけである。
あとは何の反応ものない、こういう人は本当に生きているのだろうか?ただ無理やり生かされて死なされない、死ぬことができない、施設に入っていても金は入るから生かしておく、でも実際は死んでいる、でも死なされない、それは明らかに一種の過酷な刑罰のように見えた。今や長寿は祝福となるとは限らない刑罰の様相も帯びているのだ。その人は死なされないという刑罰を受けていたとしか思えないのだ。本人はただわめき叫びあとは眠っているだけで生きているとは思えなかった。

もう一人はしゃべることもできない、わずかに手を動かして妻が来たとき握るがこの人は死んだ人とは言えない、妻とは通じ合っているのだ。でも表情は出ない、笑う、ほほえむ、泣くという感情の表現が全くない、前には笑うことと泣くことしかない女性がいたがその人は言語のリハビリで言葉がわかっていたので回復していった。つまり感情は正常であった。この人は感情表出が全くないのだ。でも毎日妻がかたりかけわかっているんですよと言っているのも悲しい。


ともかく姉が認知症になってから自分に起きてくることは奇々怪々なことが多い。家に帰ってからもまた大事件だった。心配していたことがその通りになっていた。大金をなくしてしまった。額がかなり大きいからがっくりきた。でもこれも全く一カ月母とは耳が聞こえないので連絡がつかない、自分が死にそうだと言ったところでナニ・・・・わかんねえ・・・これですべて終わりである。このことが心配で急に入院させられたことががショックだった。脱水で何度死ぬと言われたので病院をでることができなかった。家とも連絡がつかないしどうにもならなかった。正直自分にはもう家はないと同じである。病院とかでも施設でもそっちのほうがましのようにさえ思えた。結局誰も頼りになるものがいないからだ。病院は自由はないから苦しかったが元気になれば自分も施設に入りたいとさえ思った。集団生活でも誰も仲間がいないよりいいなとつくづく思った。


あまりにもいろいろなことがあり病院からプログに書き込みたかったが今度はパスワ-ドを入れないと書き込めなくなった。古くても長く使っていなかったノ-トパソコンなのでそれかできなくなっていた。こういうときは次から次と問題が起きる。姉が認知症になってから今もその問題は解決していなかったのだ。最後は入院そして大金を無くすことで終わった。これもどうにもなない、運命だとしかいいようがないからあきらめた。額は大きいがこれも身から出た錆だったのだろう。
なくなるべくしてなくなった金だったとしか言いようがない、その原因は自分の家の崩壊からきていたのだ。誰も家を守るものがいない、その空白がそういうことをまねいたのだである。

これから病院で体験したことを随時書いていきます、いろいろ心配かけましたがまたよろしくお願いします

冬に入る別れ-短歌十首


冬に入る別れ-短歌十首


守の間に花は美しく咲きにしも人は悲しき永久に別れぬ


北風の吹きにしときに別れけりその女と会わじ冬に入るなれ


一時の出会いに別れあわざりきその厳粛さ人は思わじ


別れてもなお心の通じ合う人にしあれば別れの辛さ癒されにしを


短き日家族のごとにともにありその日もはやすぎ冬に入るかな


人生はその場その場過ぎ去る日軽く見しかな二度と帰らじ


頼もしと思いしその女去りにけり再び会わじ悲しかりけり


人と人別れは定めもその記憶心に深く残るべしかな


病室の人と別るもその人をなお思いつつ秋深まりぬ


病室になお残る人冬に入る大地を踏みつ我が思うかな



「さよならだけが人生だ」というとき老人になると痛切に感じる。どんなに人に会おうが結局、人と人は別れてしまう。例えそれが親密な家族でもそうだった。親子でもそうである。夫婦でもそうである。必ず別れがある。会うとは別れることを前提としてあるのだ。別れがあるから会うことに深い意味が出てくる。もし永遠に別れることがなければ会っているこの意味や重大さを認識することはないのだ。自分にも二つの別れがあった。病院で会った人との別れ、また家での別れがあった。一時は家族のようにあった女性とも別れてしまった。これもやむをえない、本当に出会いは病院では一カ月だったけどそれが一年とか非常に長く感じたのだ。一日同じ病室にいるから長く感じたのである。それだけ同じ病室の人は親密になる、家族の中で働く人も親密になる。しかしそれにもいつか別れがある。でも故郷との大地になお結ばれているということがまだある。農家の人が互いに親密なのは大地を共有する感覚からきている。病院も共同する意識が育つ、近くに住む人の別れはまた別なものになるだろう。漢詩にも別れの詩が非常に多い。当然あれだけ広いのだから別れがテ-マとなる、その広い土地で二度と会えなくなる別れだからこそあれだけ別れの詩が多いのである。


ともかく冬になってきているのだろう。寒い北風が吹いてきた。また淋しい冬がやってくる。晩年の自分の人生は本当に冬だった。自分は確かに世間の冷たい風や労働の厳しさを経験していない、20代に激しい労働をしたにしてもそのあと30年間は全く働かず生きてこられたことが不思議である。みんな営々と働いてきているからだ。そのつけが今回ってきたのだろう。自ら労働して稼がない金は身につかないのだろう。今や世間の冷たい風を一心に受けているのだ。これまでの五年間の経験はそうだった。ともかく人と人は常に出会い別れる、それは六十代でも七〇代でもつづいているのだ。むしろ老人になれば死ぬ人が多いのだから別れは日常的になってしまう。あの人も死んだかとか特別な感懐もなくなってしまう。遂にはこの世とも別れてしまうのが人生だった。この世の景色をもう見ることがないのだ。いろいろあった世間のことも断絶して終わりになる。死ぬときは何一つ持たず死んでゆくのである。死ぬときはこの世のものは何もいらないのだ。金も何も必要でなくなってくる。ただ死ぬとき己の成した罪を深く自覚する人もいるかもしれない、そういう内面的なものが死ぬとなるとき集中してでてくることがある。総決算としてでてくることがある。死ぬとはこの世との最後の別れなのだ。どんなにこの世に未練を残しても断ち切られるのが厳粛な死なのである。

2010年11月03日

初時雨


大輪の菊に小菊の調和かな


晩年ににじむ苦労や時雨かな


田舎には空き地の多し時雨かな


茶室への細道あわれ初時雨


石二つ隠されかすか時雨かな

今日はまさに初時雨だった。早く冬がきているみたいだ。病院は閉ざされた空間だった。外の景色が見えても一歩も外に出ることができない、刑務所と同じだった。だから病院を出て地に落ちた木の葉や自然にふれたとき新鮮だった。自然は病院の窓からしか見えない、風にふれたり花を見ることもできなかった。病院はもっと自然をとりいれたらすごしやすい、贅沢でも中庭とかありそこに花々が植えられていたらどれだけなぐさめられるだろう。点滴されるから歩くのも容易ではない、でも病院は殺風景だからそうした自然をとり入れてなぐさめられる場所が必要なのである。特に病院が死に場所になっている現在では病院の役割は大きくなっている。単にモノのように治療だけでない、死に場所としての環境の整備が必要になる。タ-ミナルケアの病院もでてきているからそういうところでただ人間を治療するだけのモノではない、最後まで人間として自然の中に人間の中に生きる環境が必要なのである。医療の問題は広く病気を直す治療だけではない、人間全般にかかわるものとしてとらえるべきなのである。


ともかく今日は本当に初時雨だった。病院では感じられない、自然を感じた。病院をでてきて自然が新鮮だった。一カ月間病院の窓から自然をみていたのであり今までのように普通に自然にふれられなかったのである。病院と刑務所はにている。鎖につながれないにしろ点滴は鎖と同じなのである。そして塀の外、病院の外には一歩も出れないことでも共通していたのである。

タグ:時雨

崩壊する農家(南相馬市の原町区の大原の人の話しを聞いて)


崩壊する農家(南相馬市の原町区の大原の人の話しを聞いて)


●大原は山と結びついていた

南相馬市の原町区の大原の人と病院で同じ部屋になりいろいろ話を聞いた。その話を病室で聞いていると不思議に自分も大原の人となるような錯覚に陥っていった。それは特殊な病室という環境からそうなった。その病室から原町の市街と大原の方が見えたのだ。そして毎日その大原の方を見ていた。見るべきものもそれしかなかった。そしてその大原に住んでいる人の話を聞いたときまるで自分も大原の人のようなってゆく不思議さを感じた。その人は大病になり同じ部屋に来たときしばらくしゃべることもできなかった。ところが突然しゃべることができるようになった。それを見ていて奇跡のように驚いた。二カ月間くらいは意識がなく何がなんだかわからなかったという。その人が急に正常にしゃべりだしたので驚いたのである。それからその人の話をいろいろ聞くことになった。話しやすい人だったし病院は暇だから親密になり話するのに向いていたのである。それで何度も大原のことを聞いた。意外だったのは山に近く猿やイノシシがでてきて農作物を荒すということを何度も言っていた。猿は柿を食い種は鳩が食うとかイノシシはマムシまで食うとか戦後は食い物がなく猿まで食った。脳味噌は傷を直すのに利用したとかいろいろ話があり興味がつきなかった。今でも薪を割って風呂をたいているのも燃料の節約になる。


●農業の機械化も昔からの大家族を崩壊させた


その人は一年前くらいに妻をなくした。それから一人きりの生活だった。近くに娘がいても息子がいても大きな家に一人暮らしだった。息子は市役所勤めで街内に住んでいる。でも市内まで車があれば大原が近いのに一緒に住まないというのは変だと思った。でもみんな今は親とは一緒にすまないという、そこで猫を飼っていて猫のことを心配していた。留守にしている内障子を破られていたとか言っていた。毎日息子か誰かしら親族が来て話ししていた。自分にはうらやましいと思ったのだが一緒に娘と息子などが近くにいても住まないというのは変だと思ったが今はこれが一般的だというのも時代である。みんな会社勤めが優先される、現金収入が優先される、金の時代となった。農村にも貨幣経済が入り込み金中心の世界になった。農業より土地より会社勤めで金を得ることが優先される時代になった。労働の単位も機械化により小さな家族単位になった。今高齢化とか小家族でも農業が継続できるのは農機具のおかげである。昔は大人数で協働しないかぎり農業はできないものだった。それで今でも農家は連帯することが多いが昔は協働労働だからさらに連帯感があった。この農機具が金のかかるものなのだ。部品を取り替えたりするのに一〇万とかいろいろともともと高いのに金がかかる。七〇〇万の使っていたとか15町分の田や畑をもっていた人は二千万だった。協働労働の人力より機械に頼る結果そうなったのである。機械貧乏で農業をつづけられない人もでてきた。これも工業化によって農業を変えてしまったのである。


●資本主義の金中心の経済でモラルは崩壊した


大家族制でありえたのは農業は多人数でしかできない、子供は労働力として貴重なものとして育てられた。当然会社勤めはないから働く場は村であり家だった。その中で老人もありえた。老人が家と別個になるということはなかった。大家族制が農業を生産の基盤にしたとき成り立っていたのである。工業化が大規模になり農村から人々が都会に出てきて団地に住む核家族が生まれた。農業の崩壊、家族の崩壊は社会の変化のためでありそういう社会作りを推進してきたからである。その結果として豊になった。でも人間はつくづく考えるけど豊になることと幸福の度合いは比例しない、そもそも人間にとって幸福というのは計れないものである。現代は確かに便利であり豊でありこれほどいい社会はないというのも本当なのだろう。貧乏を知らないからそういう人はノスタルジックに昔を偲ぶというのも本当である。でも幸福は計れないものであり豊になったからといって比例して幸福になったとはいえない、社会自体も良くなったとはいえない、社会は本当にモラル的に貧乏な時代よりも低下した、金中心となり義理人情など昔から人間が美徳としていたこともなくなった。ただ素へての人が金を追い求めているだけである。金の力が余りにも大きくなりすぎたのである。その前にモラルは簡単に無視される。人間の関係も金であり金で破壊される。


最近自分の家でもつづけてそのことを経験したからわかった。人に親切にするのもあくまでも金であり老人でも親切にする人などいないのだ。そのことを現実に目の当たりにした。あまりの衝撃だったが人間の関係も金であり金で破壊されてゆく、そして行き着く所は無縁社会だというのも本当にうなづける。資本主義の世界はモラルなき世界となり崩壊するのだろう。金は否定できないにしろ金がモラル的なもの人間がもともともっていた正直さや素朴さを完全に破壊したのである。人間は豊かさを求めて本当に心は貧しいものとなった。モラルも崩壊した。モラルというとき道徳というとき別にむずかしいことではない、義理人情も道徳であり嘘をつかないとか弱者には親切にしろとか人間として当たり前のことが崩壊したのである。奇妙な話だが刑務所や病院のようなところに人間の人情が残っているというのも現代を象徴しているのかもしれない、そこでは人間は辛うじて人間としていたわりあい助け合うということがある。だから世間に出ても刑務所に帰りたいという心境がつくづくわかるほど人間社会は金中心の世界となりモラルなき無縁社会となったのである。豊さ便利さを否定しなくてもそれ自体人間を幸福にしたかどうかは計れないのである。


いづれにしろ農家の跡継ぎ問題は深刻である。大原の人も土地があってももう跡を継いで農業を維持できなくなる。一人だけ大きな家に住んで病後の体で自分のことをするだけでももはやできない、そしたら土地も活かされないし家も空家となってしまう。農家も崩壊してしまい村も過疎化して崩壊してしまう。街の近くでもこうした農家がふえてゆく、農業は土地と密接に結びつき代々土地を耕し守るものであった。そういう人間の生活が崩壊したとき昔からあった助け合うとかいうモラルも崩壊する。都会の人にとって常に農業など生産的にあわないとか批判しているが都会の行き着く先は金だけが頼りの無縁社会となってしまう。別に農村がすべていいとかいうのではなくその差が大きくギャップも大きくなりすぎたから問題なのである。都会もあり農村も並行してあるのが理想である。それがかたよりすぎて農家が農村が崩壊してゆくのが問題なのである。

タグ:農家
posted by 老鶯 at 20:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2010年11月04日

冬に入る南相馬市原町区大原村


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大原に二三羽見つけし秋の蝶


大原や朝水清く秋の蝶


大原やみな旧知の人や柿なりぬ


大原や日さし静かに秋薊


大原や家のまばらに刈田かな


大原や刈田となりてあわれかな我が知れる人の農家ありにき


杉の木の二本残りてあわれかな刈田となりて廃屋淋し


大原や確かに遠しも海近く桜井古墳秋の日暮れぬ



やはり病院で知り合った大原の農家の人の家は奥だった。すぐ後ろはまでゆきづまりであり新田川の上流の水が流れるところで水がきれいだった。すぐ近くは県道で車が通るからそこはにぎやかであり淋しいとはいえない、でも川の方に入ると淋しいのである。だから猿とかイノシシがでてくるということに納得した。猿とかは県道の家の多い所まででてくるというからずいぶんずうずうしいと思った。それだけ人を恐れなくなったのだろう。イノシシは川沿いに孟宗竹がありその竹の子を食べるから竹のあるところにでてくる。また川岸に竹が多いのは竹は根を強く張るから堤防を強化するからだといいうのもなくほどなと思った。相馬の宇多川でも川沿いに竹が多いし「竹の内」という地名が各地に多いのはそのためなのである。


それにしても大原ではなくても三キロくらい離れた地点で農家の人に家を聞いたのだがすぐわかって教えてくれた。入院したこともわかっていた。なぜかいうとこの辺で広く農地を請け負って仕事をしていたからである。ずいぶん広い範囲でザイのほうになると知り合いになっていることに驚く。どこでその人が何をしているかすぐわかるのである。それも相当に広い範囲でわかってしまう。でもそこに住んでいる人は孤立しているとは思えない、すぐ近くに娘の嫁ぎ先があるからだ。そしたら頻繁に寄れるのだから孤立した老人とは違う。家で一人で住んでいても孤立しているとは思えない、ただ意外と原町市街までは遠いことや家の作りが昔風のただ広いというだけで現代風ではないから若い人は街の現代風の家に住むようになったのかもしれない、あの辺でもすでに廃屋になったのが三軒あるという、一軒本当に幽霊が住んでいるのではないかと思うような淋しい廃屋だった。


人間は意外と自分の住んでいる場所のことがわからない、歴史は地理だと言ってきたけどその地理が地元でもわかったようでわからないのだ。例えは新田川の病院の近くに東北でも三番目くらいの桜井古墳があるけどやはりはやく開けたのは海側であり大原のような奥ではない、でもすでに江戸時代から大原村はあった。その距離感がわかりにくいのだ。大原はやっぱりずいぶん古代からすでに奥地だった。この距離感はやはり身近でもわかりにくいのだ。いつもあの道は通っていても大原を意識して通ったことがなかった。なるほどここは地名的にも広い原だったことが実感されたのである。郷土史研究というけど本当に地元のことがわからない、そこに住んで生活した人は自分より体でその土地のことを知っているのだ。特に農業していた人は回りの自然と一体となり住んでいるから余計にそうなるのだ。地理というとき全体を立体的に体でしることであり例えば国道とか県道を通っていてもわからない、そこから脇道にそれて全体の村の地理をしることなのだ。・・・・村というときその村全体が一体となり生活していたのであり地理的にも村の全体を知る必要があるのだ。現代はどうしても部分的な把握にあ終わってしまうのである。全体を見る努力が必要なのである。


まあ、なんとか電動自転車で行けたけどなかなか遠くなると辛い、でもこんなに動けることが不思議である。腎臓はそんなに悪くならなかったのだろう。でも正常ではない、小便袋ではなかなか大変である。でも自転車にのれたことは本当にうれしい、自転車に乗れなくなるのじゃないかと心配したからである。農家の人は冬は仕事しないとうのも不思議だった。今は会社勤めだから仕事している。だから冬は昔はみんな出稼ぎに東京に出たのである。自分は回りが農家でも農家のことをしらない、街の人は農家のことを知らないことがあるのだ。都会の人はもちろん農家とはなになのか知らないのである。この世には知らないことが非常に多いのだ。この年になっても回りが農家でも農家のことを知らないということ自体おかしな話しだったのである。

2010年11月06日

白鳥来る


大原ゆ街は遠しも冬に入る


この道や石に晩菊また通る


晩菊や一軒の宿我が町に


夕闇に白鳥来る飛行かな

大原は今ならそんなに辺鄙でない、県道がありひんぱんに車が通っている。すぐ近くには小さな町がありそこに店もいくつかある。ただ昔だったら相当街までは遠い、滅多に街には出てこれない。病院で知り合った人は一人暮らしでありオカズなどちょっと買うこと弁当などコンビニで買うことなど不便かもしれない、自分は辛うじて町内に住んでいたからそれが自転車でもできた。冬になれば昔はどうしていたのか?農家は冬は仕事しないとしたら暇にもなる。その辺がまたわからない、それでも薪割りとか自自足的生活だから仕事はあったのだろう。街にあれだけ遠ければみなそうならざるをえない、車がないときの生活自体が今では考えられなくなっているのだ。

白鳥が夕闇の中に五六羽は飛んできた。白鳥はいつも夕闇の中に飛んでくる。やっぱりもう冬になった。今日は体調が悪かった。まだまだ病み上がりということがある。それより心労が重なった。神経性胃炎になって夜に吐いた。これは病気ではない、ともかく小便袋では正常な生活ではない、痛むことが嫌なのである。


一軒の宿がわが町にもある。その前をいつも通っている。あそこに泊まる人はスポ-ツ大会があったときのような時しか泊まっていないのかもしれない、となりの街が大きいからそこにはビジネスホテルもあるからそっちに泊まってしまうし六号線にもホテルがあるからあそこに泊まる人はまれだろう。でも六号線のホテルより情緒的にはいいかもしれない、旅はやはり情緒が大事だからである。今あまりそれを考慮する人はいない、大きな観光ホテルは旅の宿としては情緒がない、なにかものものしい感じがする。騒がしい感じがする。その点昔の旅館とか江戸時代なら本当に旅の情緒があった。だからこそ「一つ屋に遊女も寝たり萩と月 芭蕉」が生まれたのである。今はこうした句はホテルに泊まってはできない、隣に誰が泊まっているかもわからないからだ。すでに情緒という点では現代は相当喪失している。旅の情緒を味わうことはなかなかできないのだ。便利になりすぎて旅の情緒が失われたのである。旅そのものが喪失したともいえる。

タグ:白鳥

邪心なきもの(野の一輪の花)-(詩)


邪心なきもの

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。マタイによる福音書 第6章25−34節 

美しき花に雀のよりくる

山帽子の実にヒヨドリのついばむ

何事もなけれど邪心なき姿

花は汚れなく咲き汚れなく散る

人は罪深く罪に汚れて死ぬ

エデンの園はアダムの罪の故に汚れた

人間の罪の大きさ

この世に悪と罪はなくならない

ただ自然はエデンの園のまま

邪心なき雀は花によりくる

何事のなけれど調和している

人間社会のみが調和しない

神の御意にかないて

罪なく汚れなく咲き散ること

それが幸いである

それがなければこの世の栄華も虚しい

この世の栄華も野に咲く一輪の花に及ばない

失われしエデンの園よ

来世では天国では回復して輝いているだろう

そこにのみ安住がありこの世にはない

この世は去るべきところなり

ただ来世の神の真の栄光を望むべし

タグ:エデンの園
posted by 老鶯 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の言葉と詩など

2010年11月07日

天の栄光の国へ (聖書と詩)


天の栄光の国へ



苦しみ悲しみの日は終わり

新しき栄光の朝は来たらむ

諸人こぞりて歓ぶ

神の栄光の朝は来たらむ

実りの平野に鳩の群れ飛び

主キリストを迎える朝の来たらむ

コスモスの花々はそよ風にゆれ

一面に花園はつづきぬ

苦しみ悲しみの日は終わり

その涙はぬぐいいやされむ

その新しい朝を待ち望め

天に成る影なき神の都よ

神の手になる栄光は隅々に満ち

諸々の才は活かされむつみあう

なべて調和して慈しみ愛に充たされし世界よ

絶えまなく力強き詩はわき上がる

清冽な泉のようにこんこんとわき上がる

まことに天使は臨在して詩い踊りぬ

無垢なるものの力の尽きることなしも

愚かなるもの悪しきものに未来はなし

我等は限りなき神の栄光に向かって前進す

天の都に我々の顔は永遠に輝く

大きく虹はなり神の約束は天に成る

天にこそ永遠に栄光の主をたたえむ


 

タグ:天国

晩菊


晩菊や故郷に暮らし落ちつかむ


晩菊や我が姉や父眠る墓


晩菊や我が墓の前悲しかな


裏切らる我が悲しみ深きかな誰に訴えむ墓に向かいぬ

つくづく人間は悲しい、人間の関係はすべて金になってしまった。裏切られたことが余りにも悲しい、信頼する人は自分には一人もいなかった。そこで姉とか父の墓に向かい信頼して愛情あったのは自分の家族だけだったと思い悲しくなった。これも世の無情、非情、無慈悲な世間なのだろう。結局訴えることもできない無情だった。本当に誰に訴えたらいいのだろ。神に訴えるのか?
しかし神は何かしてくれるのだろうか?神がどこに働くのかわからない、ただあきらめろというのが神の言葉なのだろう。世の無情に泣くこともなにか意味あることなのだろうか、多分そうだろう。世の中が人が無情であり非情だからこそ天国を求める、この世はそういうものでありとても天の国とはかけ離れている、だからこそ切実に天の国を求めるのだ。


晩菊となると故郷に落ち着き暮らしたい、年になればみんなそうである。でも故郷もみんないい人ではない、そんななかで落ち着き暮らせるのかともなる。でももうどこにいけないだろう。どこにいっても人間が落ち着いて心地よく暮らせるところはない、つまり人が問題なのだ。心地よく落ち着いて暮らせるそういう人に囲まれることはない、だからどこにいっても人の住むところ住みいいところなどないのである。それは故郷でも同じである。人はどこも変わりがない、そんないい人ばかりいるところなどいないのである。田舎の人の方が人が悪いというときそれも本当である。都会の人がみんな人が悪いとはならない、人自体どこでも同じなのだろう。だからどこに行ってもこの世に安住の場所はない、天の国にしか安住の場はないてのである。

タグ:晩菊