2010年10月11日

緊急入院

 

南相馬市立病院に緊急入院!

プログに書き込みできるようになりました
無線通信なので不便ですが書き込みます

緊急入院

 

南相馬市立病院に緊急入院!

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無線通信なので不便ですが書き込みます

緊急入院

 

南相馬市立病院に緊急入院!

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無線通信なので不便ですが書き込みます

病院暮し


病名は腎不全だった、前立腺肥大から尿がたまっていた。手遅れになるところだった。腎臓の病気も悪くなると透析とか移植とか深刻になる。胃腸は胃カメラでみて悪くなかった。どのくらい悪いのかわからない。結構長くなるのがつらい。家を守る人も介護状態なことが一番不安だった。こういうとき家族がいないのが一番つらい。パソコン一つもってきてもらうのが大変だった。なんとかお手伝いさんにもってきてもらい病院からノートパソコンで無線通信している。これも長く使っていなかったが無線通信できたので助かった。かなり不便だがなんとかできる。とにかく寝ているわけでないから暇をつぶすのが大変である。入院することのつらい事は病院から一歩もでれないことなのだ。すぐ近くにコンビニがあっても行けないことがショックだ。病院は刑務所とにている。ただこの病院は見晴らしがいい事がすくいだ。今日も朝日が太平洋から昇るのを見た。この病院は姉が半年も入院していて自分も看護に通っていたから因縁の病院である。その同じ病院に自分が入院するとは思わなかった。
坂一つ超えたところで家に帰りたいと言ってついに帰れずに死んだ。その同じ病院に同じ景色をながめている。その気持ちが実感としてわかった。ただ食欲もあるし歩けるし病気のように思えないのだ。だから早く退院できると思ったが実際は腎臓病は深刻なものがある。点滴治療で時間がかかるのだ。

無線通信は時間で金がとられるので今までのようには書き込めない、すいすいとできないのだ。俳句とか短歌などは短いから病院でも作ったのでアップできる。ここは前にも短歌を作ったように景色がいい、それでなぐさめられる。外の景色が見えない病院もあったからあういうところに長くいたらショックだ。ともかくプログにアップできたので助かった。これでかなりの暇つぶしができる。





 

秋の病室の窓ー十首


ーーー秋の病室の窓十首ーーーーー


原町の病室の窓紅に雲の染まりて秋の明くゆく

秋の朝病院に目覚め原町の街に光や我は生きるも
  
鳩とびて明けゆく街を原町の病室に見ゆ秋の朝かな

鳩とびて健やかなれや秋の朝病室の窓に我はより見ゆ

病室の窓に見ゆかな山脈に秋の雲影落とす朝かな

病室の窓にあきつの番いとび夫婦はあわれ離れざるかも

原町の病院より見ゆ道の駅出会い別れに秋の日暮れぬ

原町の病室に見ゆともる灯は大原辺り秋の夕暮
  
ゆくりかに船一艘の進みゆく病院より見て秋の日暮れぬ

鹿狼山今日も見えつつ原町の病院に過ごし秋の日暮れぬ

原町の街の灯(ともしび)しとしとと秋の雨ぬる病室に見ゆ
 


 

南相馬市立からのながめはいい、六階でありまったく景色が違ったように見えるのだ。夜は前と同じように街の灯が下に灯っている不思議な感覚になる。
ただ病院に本当に病人になって入院するととなると結構つらい。
食欲もあるし歩けるし病気のように思いないにしても病院に実際に閉じ込められる事は辛い。でも正岡子規が病気で写生の句やら短歌を作ったように病気は写生に向いている。動けないからじっと対象物を見ているほかないからだ。
病気になったからこそ写生一筋に目覚めたともいえるかもしれない。


 

病室の秋(二組の夫婦)

              
  
病室の窓にあきつの番いとび夫婦はあわれ離れざるかも


病室に妻は夫をなぐさむる老いたるあわれ秋の夕暮


 

一日だけいた夫婦は夫は認知症だった。妻は80歳だった。夫は妄想を見て岩が落ちてくるとか大声で騒いだため拘束された。足まで縛られた。手錠をかけられたとかはりつけにされたか看護師に敵意をもつようになった。何度もそのこと言っていたからだ。いくら言ってもああなると看護師や医者は恐怖になる。認知症の人を拘束する事はあとあと介護しにくくする.
80歳の妻は夜も騒ぐのでこまったとか言っていた。娘が埼玉から来るとかいっていたけど遠いから介護の助けができないのも苦しい。80歳ではとにかくこれから介護つづけられるのだろうかと思った。ここで見た限りで愛情ある接し方だった。だから夫の言う事聞いて家に一日で帰った。病院では認知症の人は受け入れないのである。


もう一人の同室の人は重症に見えた。口開けて何も話さない、でもいっている事はわかっているという、70歳の妻がかいがいしく介護している。おじいちゃんは広い土地を使い働いたんですよと言う、それで介護するのもそれほど苦にも見えない、やさしい目をして手をにぎったりさすったりしているのだ。


夫婦でもいろいろであり妻が夫がかいがいしく介護するの姉を介護するとき見てきたからうらやましいとなる。意外なのはあの状態で三日後に退院できるという、あとは訪問看護婦とヘルパーが一日二回とか来て下の世話などしてくれるという、あの状態では介護もかなり負担に見えたがそんなに苦にしていない、ともかく妻は愛情に満ちているから夫は幸福だとなる。

無線通信は速度も遅いしノートパソコンは使いにくいだから長い文は今は書けない、前のようには書き込めない、でもなんとか書き込みできたからよかった。

2010年10月13日

入院して思ったこと

 
 
寝たきりの夫は話さず妻は手を握り通じ合うあわれ

我が体気ずかう医者や看護師になぐさめられて日にちの過ぎぬ

同室の話せない人は重症だと思った。全然しゃべれないから植物人間のようにも見えた、でもわかっているですよと妻が何度も言うのでそうかなとたおもっていたが手を握ったとき確かに手を握り返したのである。反応はしているのだ、おじいちゃんは人一倍働いた人なんです、大事にしますよというときそれを実行している。家族みんなで大事にしている。それでもその世話は大変である、家族だけではできないから訪問看護婦やらヘルパーの援助が必要である。そして最大の問題いつまで介護がつづくかなのだ、一年たったというがすでに五年とか10年とかなる場合がある。そうなるといくら愛情があるとはいえいやになるのはさけられないしそれをとがめることはできない、ここに介護の大きな問題があるのだ、介護となると家族だけではもはややれないのだ。
その労力と金は大変なものになるのだ。でもこうした家族にしてみれば手を握りあうだけでもまだともに生きているという感覚になる。私も姉が意識不明になったとき手だけ二カ月間握りしめていた。でもすでに反応はなかった。それでもその手のあたたかさを覚えている。まだ生きていたぬくもりがその手にあったのだ。

病院でこういう家族の愛情を見るとき自分は悲惨だと思った。親戚もないし家族もいないとおなじであり見舞いにくる人もいなかった。でもそれほど苦痛でないのは症状が軽いからであり病院にホテルのように泊まっている感覚があるからだ。自分の事は自分でやっている。人間はどんな場合でも環境に適応して自助努力ができれば生きていくことができる。それができないと悲惨な状態になる。認知症になるとその自助努力が全く失われるから悲惨なのである。今病院に入院して重症になったら恐怖だとつくづく思った。家族がいないと病院では患者も大事にしないという事がある。介護する家族が以前として重要な役目をになっているのだ。病院では治療はしても家族の様な愛情は受けられない、だから重症になると悲惨である。だから孤独死というけどみんなが重態になったら手厚い介護ができるわけではない、それならほっておかれて死んだ方が楽である。介護の負担はあまりに大きいからそう考える様になる。
いずれにしろ身寄りのないものはある程度は金が頼りでありそれでもかなりやってくれる。金ですべてはできないにしても現実的には金の力は大きいのである。日本人に今や義理や人情などない、近所でも助け合うということもない、車を頼むのにもただとはいかない、車は金のかかるものだからそれなりの金を払って頼むのが当たり前なことがわかったからだ。 

ただ人の情を感じるのは最も弱い人でもある。家族がいないとなると他人でも人一倍情を感じる事がある。病院では病人の事を心配するには当たり前だけど医者も看護師も自分の体の事をきずかってくれる。それが仕事にしてもうれしいとなる。家では今や自分の事を気づかう人がいなくなったからである。




 
 


原町の灯(病院より見た)

 
 
退院し空となるベッド看護師の何か思うや秋の夕暮

退院の日を待ちわびて原町のともる灯見つつ秋も深まる

原町に実家の墓の残りけりあわれなるかな病院に思う。


病院といえば病気の話になる。腎臓にガンができていて切除した人がいた。でも小さいから簡単でありいたくもなかったという。10日くらい入院したのか退院した。ガンも早期検診で小さい内なら簡単である。あとは前立腺が多い。自分の方が腎臓では重症だった。腎臓機能が一時的に不全にな
ったことは結構重症になる。

退院した人の空になったベットが一つ見えた。早く退院する人も多い。病院の一日は長い。看護師は世話した人が退院したとき何を思うのか?次々と人が変わるので覚えていないのが多いだろう。ここに姉が半年もいたから
男の看護師は自分を知っていた。でも姉のことは記憶していない、いちいち患者のこと記憶することはないのかもしれない、ただ長くなればどうしても記憶されるはずだが仕事に追われて記憶することもむずかしいのかもしれない。それでも死んだりしたらどうなるだろ、これも仕事として死者をかたずけるという感覚かもしれない、というのは病院では死は日常的なものだからだ。ともかく病院で多く死ぬ時代は病院は大事な場所になる。そこまで用意されているのはわずかしかないだろう。ホテルのような病院も紹介されていた。病院は確かにホテルともにたところがあった。ただホテルでも監禁状態のホテルだった。
この病院にいることは本当に不思議である。特に病室の下に原町の街の灯が明るくともるとき本当に不思議な気分になる。前にもこの病院に泊まってそのことを書いた。原町はやはり相当に縁が深い。今や実家の墓があるだけで親戚もいない、それでも原町は縁深い場所である。人間はこうして病院でもその土地にあればその街の住民意識が自然と生まれてくる。これは大都会になるとそういうことはない、ある狭い地域だと自然とそうした郷土意識が生まれる。ここの病院は地元の人が入院するからそのあとも全然関係ないとはならない、大都会だったら退院したら関係なくなるかもしれない、実際にこれまでも道の駅から何度もこの病院を感慨深くみていた。それが今時分がこんなに長く入院するとは思わなかったのである。

このつづきはまた・・・・
 
長い文がかきずらいのでかきたりないけどどうにもならない、通信速度も打鍵も遅いので文がかきずらい、でも病院から書いて毎日通信するというのも得難い経験だともなる。


 
 
 

2010年10月16日

原町大原の農家の人の話


原町の病室に見ゆともる灯は大原辺り秋の夕暮



霊(たま)あはば 相ねむものを小山田の 猪田禁(も)るごと母守らすも

 

説明はここに
http://www.hitohaku.jp/news/docs/hm17-3.html

 
 
同室の人は最近きたのだけど息するのに苦しいし呼吸困難の様になっていた。ぜーぜーとなりそのたびに看護師を呼んでいたし看護師が絶え間なく世話していた。しゃべることが全くできなかった。よほどの重態だとみていた。ただ体はそれなりにうごいてはいた。でも今日耳鼻科で診てもらったら普通に話す様になったのには驚いた。そして今までのように苦しい状態が6カ月もつづいていたという。そんなに長く入院していたのである。それが突然耳鼻科に診てもらったらしゃべれるようになったのだから奇跡的である。自分でも突然こんなに良くなるのが信じられない、そんなに突然なおることがあることの不思議である。草刈りしていて倒れた。腸捻転になりばい菌にやられ敗血症になった。敗血症は全身がやられる危険な病気である。実際は死線をさまよってたのである。突然よくなったのではない、6カ月間治療して良くなったのである。


その人は原町の大原の人で農家の人だった。家の人がきて話していた。これまで田畑をやていたがもうやれない、草刈りもやれないと・・・・
際はだめだ、猿から猪からハクビシンから狸から農作物が食い荒らされる、猿は柿を食う、頭がいいから種をだしてくようになったとか豆の束をもっていったとか、猪もでてくる。
猪を捕らえて殺して街に売ったら警察につかまったという、鳥獣は許可がないと殺すことはできないからやっかいである。この問題はすでに人間が稲作を田を作り始めたときから始まった。縄文時代は共生していたのである。田を稲を猪が荒らすようになったとき問題が生まれたのである。稲作は自然の破壊でもあった。今でも稲作は農薬やそのほか自然破壊になっているがすでに田を作り始めたときからそうなっていたのである。


大原というとき前にも書いた。病室の窓から大原の辺りが見えるのだ。その大原の人が同じ部屋にいた
のである。それも今日六カ月間しゃべれない人がしゃべりわかったのである。

原町の病室に見ゆともる灯は大原辺り秋の夕暮

まさにこの歌のとうりに大原の人が同室にいたという不思議があった。病室では病気で親しくなりやすいからこうした話しを聞きやすいのである。
 
故障になった・・・・・プログが操作できない・・・小文字だがこのままだすほかない・・


 

看護師を思う


我が姉の入院せし病院に我も入院して秋深まりぬ

 
母は老い見舞いにくるは手伝いの女のみなりき秋の日暮れぬ
 
看護師は男なりけり故郷の病院に語り秋の日暮れぬ
 
姉のこと覚えて語る看護師や同じ病院に秋の日暮れぬ
 
姉ににし看護師の顔見つめたる我を見舞いる人もなければ
 
姉ににし看護師のをり若き日のの働く姿思い浮かぶも
 
病院に長くしあれば太りたる看護師姉ににてなごむ


自分には病院には見舞いにくる人もいない、他の人は娘や息子や孫とか妻が来ている。確かにうらやましいとは思うけど淋しくはない、姉は淋しいとしきりに言っていた。病院で退屈を感じても淋しさ感じていない、看護師をコスモスの花の様にと表現したコメントをもらったけどむしろ病院は自分にとってにぎやかで華やかにさえ感じるのだ。それも家では若い人がいないからなのだ。ただこれも自分は病院にいても病院に思いないのだ。何か苦しむこともないしほとんど看護師の助けがいらない、だから気楽である。これが重症だったら家族がいなかったら悲惨になる。そのことは恐怖にもなっている。身寄りがない人が重病になったら悲惨である。だからぽっくり死ぬとか長くわづらわなくて死ぬことなのだ。でも現代は長く入院させられからかえって身寄りのないものにとっては恐怖なのである。

 
ともかくこの病院には半年も姉の看護で通ったから因縁深い。姉も看護婦していた。そして太っていたからどうしても太った看護婦を見ると姉を思い出すのだ。実際二人は本当に姉ににている。顔もにている。その看護婦をみていると姉がいるような気がしたから不思議である。でも自分の担当になったことはない、看護師はやはり女性の天職なのだろう。職業を通じて人間の生も代々あり得る。人は死ぬけど看護師という職業は変わるずにありつづける。ただ人は死ぬから人は変わるがその仕事はなくならない、看護師は病人をなぐさめいやすという仕事の性質は変わらないのである。そして看護師には男も必要なことがわっかた。男同士話せることがある。男同士だと気軽に話せることがある。部屋でも男女に分かれているのだから男もそれなりに必要なのだ。今回は余裕があるからこんな感想になっているのだ。
 

2010年10月17日

浪江の請戸の農家の人

大原に住む農家の人ともに病室に過ごす秋の夕暮
大原に住み仕事をやめると後を心配する農家の人
 
十五町の田畑を持ちて働きし男も悲し言うことなしも
 

請戸は浮渡神祠が由来ではないだろう。請け負うから請戸になった。
くさ野神社は、浪江町の海岸部請戸にある。請戸(奥相志には受戸と記す。)

浮渡神祠が由来なのだろか?請戸は請け負うからきている。では何を請け負うのか?相馬藩で請け負わせた、土地を貸して開拓させた。請戸は港を思うけど田を請け負ったところである。請戸は請戸という地名が先にあった。四国に請谷(うけたに)などがあるにもそうだろう。つまり請戸が先にあり浮渡神祠があった。ただ請戸というとき地形ではないからそれほど古いとも思いないのである。浪江についてはまだ詳しくないから詳しい人に聞く他ない。
 
なぜ今いま請戸に興味を持ったかというと病院の同室の人に請戸の人がいたからである。この人は十五町もの田畑耕し乳牛もやっていた。すごい働き者だった。妻が毎日きて一生懸命介護している。子供も娘が四人いてみんな大学にだしたというからすごい。だからいつもこのこといい介護している。でも本人はしゃべることができない、わずかに手を握ると握り返すくらいである。それでもわかっているんですよと何度言っては介護している。今日は娘が二人きて介護している。ほんとうにうらやましいと思う。今どきこんなに手厚く介護している家族はいない、となりの人も重傷なのだが娘が近くにいても一緒に住んでいないのだ。
 
十五町というと感覚的にわからないが隣の人も5町といっていた。それも古い農家と言っていたから15町の田畑は相当に広い、現実に2千万の機械を使っていたという、隣の人は7百万だった。いかに規模が大きいかわかる。農業は機械の費用も大変なのである。年取ると農器具に頼らざるわえないとか農業は高齢化しているからそうなる。最近農器具を操作して事故で死んでいる人が多くなっているのもそのためである。機械に金を使い農業をやめた人もいる。農業も今は農器具と密接に結びついているのだ。大原に住んでいる人は大きな家にすんでいるが後継ぐ人がいないといっている。農家の人でもいまや大家族でなくなっている。大家族というのは農業を根幹としていたときありえた。大家族でなければ労働力がたりなくなるからそうなる。現代のように極端に工業化したとき核家族がうまれたのであり家族も社会の変容で変化するのであり大家族がいいといっても昔に帰れないのはそのたあめなのである。みんな女性も会社勤めの時代だからである。だから請戸の人のような家族は今では少ないのである。親とも別々に暮らす人が多いのだ。家族が変化したのではない、社会が変化して家族が変化したのであり家族も社会の一単位であり大きく視野を広めれば国がなければ家族も維持できないともなる。
郷土史も過去だけからは興味をもてない、現実に住んでいる人がいて過去に興味を持つのである。
posted by 老鶯 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2010年10月20日

退院できない恐怖


40度の熱を出して病室に我が打ち伏して秋空曇る

 

あと二日で点滴をとる予定が最高41度の熱を出してできなくなった。
風邪だった。病院はばい菌が多い、感染しやすい、マスクをしないで病院を歩いていたのがよくなかった。注射とか小便の管とかからも感染しやすい。
これでまた点滴を増やしたから退院が遅れる。そもそも入院しても病気を感じなかった。家にいるときはづーと食欲なくて困っていた。それが病室に来て食欲がでたから病気のように思いなかった。しかし41度もの熱がでればほんとうに病気であり一日寝ていた。はじめて病院に来て病気になった感じだった。それで心細くなった。こういうとき家族がいないと悲惨である。しかし自分の場合はもう自分の体を気ずかう人もいないのだから病院ではいろいろ気ずかってくれるからかえって気持ちいいということがあるのだ。

 
入院で感じたことは退院できない恐怖だった。自分ででなったからといっても医者がだめだといえばできない、医者 傲慢とかで書いたけど実際入院すると医者の権限はより大きなものとなる。医者の許可がなければ退院ができない、自分は直ったからといってもだめなのである。その理由としていったん入院したら軽くても二週間は退院できないかもしれない、入院料が二週間までは高いからである。そして故意に退院が伸ばされるのも怖いことである。入院を長引かせてもうけた病院のこともでていた。一方で病気には長くいられないというのこともある。だんだん入院が長くなると入院費が安くなるからだ。いずれにしろいったん入院したら医者の権限はより大きなものとなる。通うだけならだいたい直ったからと医者に行くことも自らの判断で止めることができるし他の医者にかかることもできる。入院したらそいうことはできない、担当した医者は別に傲慢とかではない、入院するとますます何もいえなくなると思った。従順に従わざるをえないのだ。薬も増えて今や10種類くらいになっていう。こんなにのんでいいのかとも思う。でも薬はめんどうだから飲まないことがある。なぜ医者が傲慢になるかと入院すればわかる。患者は医者に絶対服従になる。一人だけ患者に礼していた、若い医者だからそうだったのか、めずらしいし気持ちよかった。
 
自分にとって病院でもおそらく施設でも悪いとはいえない。家では全く自分をきずかう人がいないから自分にもきずかってくれるということでありがたいと思うのだ。それにしても隣の人は悲惨である。痰のために苦しんでいる、毎日苦しくうめき叫んでいる。94歳であり施設の人で身寄りがない、こんなに苦しんでいるのに誰も見舞う人がいない、こんなしてもはや生きること生き地獄ないかと思った。最後治療されても生き地獄だけじゃないかと思うことがある。施設に入ることの怖さは自分の意志が奪われることにあるのかもしれない、もう寿命ですから治療はやめてくださいとは言えないのでる。施設では義務でもう寿命だからと治療を打ち切ることはできないのである。それがいいことに見えても本人にとって生き地獄になり苦しむだけだおなる。そして社会的に負担になる。でもそういう治療をやめることができないのだ。
ともかく今度の風邪は高熱の風邪だった。でも薬が効いたのか熱が下がり助かった。それでもまた点滴をとるのが伸びたからもう一カ月は退院できない、いったん入院したらなかなか退院できない、その恐怖を感じた。でも世間の冷たさに刑務所がいいとわざわざ犯罪を犯して刑務所に入る人の気持ちがわかる。身寄りのない人は体でもきずかう人もいない、三食付きであり寝床も用意されているいろいろきずかってくれるからありがたいと思うのだ。