2010年08月01日

夏の蝶


朝の海波のしぶきて夏燕


サ-ファ-の朝の波にのる夏の蝶

海にまでなお行きにけり鬼百合の咲きて荒波の朝ひびくかな
 
 
鹿島区の右田浜のキャンプ場は廃れた。草茫々で使えない、去年あたりはキャンプする人いたけど今年はいない、でもあの河口に朝に波が打ち寄せて白波がたったときは涼しさを感じた。キャンプ場は火力発電所のある原町区の金沢に移動したのだろう。あそこはきれいにしてあるしキャンプの設備が整っているからである。眺めとしては右田浜もいいのだが設備がないので移ってしまった。サ-ファ-は右田浜でも波乗りしている。今年は朝の内に海の方に行っている。ただこの暑さと胃腸の病気でわかったことはある場所まで自転車で行くことは相当な運動でありそれが体を酷使していたのである。健康なときであれば問題がなかったが今年は春先から運動したあとが体調をくずしていた。暑いからまともに光線をあびると辛い、それと病気が重なって今年の夏は辛い、文字通り酷暑である。ここにきてぐったりと疲れるだけである。
 
やはりこうなると車がいい、遠い所に行くのに暑い陽差しをあびなくても行ける、涼しい場所にも行ける、自転車では電動自転車でも遠い所に行くまでが疲れるのである。ある地点まで行くのに体力の消耗が激しいのである。体力がある内は良かったが病気になったりしたらとても無理になる。そうなると車の方が楽だとなる。車が意外と老人にとっては便利なものになる。体力がなくても好きなところに行けることが便利なのである。ともかく海まで行ける体力があるのはまだいい、遂に近くまでも行けなくなる日が来る、高齢化するということは行動範囲が狭くなってしまうのである。とにかく今年の夏の暑さにはまいった、うんざりした。ク-ラ-あってもこれも何か体に悪い、だから頭を氷で冷やしてじっとしていたり寝ているほかないのである。

2010年08月03日

夏の蝶(原町区へ)

 
夏の蝶隣の庭の広きかな

日陰そう道や黒揚羽舞い飛びぬ

原町の郊外広し夏の雲

ひまわりの咲く家々や原町区

ふうわりと芙蓉の花びら風にゆる


隣の庭は緑の木立が茂り庭が広い、そこに夏の蝶が飛んでくる。庭だけは隣でも木立が茂り広いと隣も気持ちがいいのである。今日は午前中から原町に行った。やはり陽差しがそれなりに強かった。この陽差しを受けると体にこたえる。でもかなりひさしぶりで自転車で走った。この暑さの中自転車で走るのは体力的に限界に来ている。胃腸が悪くなってから余計にそうである。

自転車は老人になると向かなくなる。体にこたえてくる。原町の郊外は広い、原町と相馬市は相当に違った印象を与える。ひまわりが咲いている家が多いのも何か原町的である。それだけ家が多いし街の中の家にもひまわりが咲いているからだろう。今日くらいの暑さはまだいい方のなのだろう。また34度くらいになったらぐったりとして家にじっとしているほかないからだ。
こういう暑さでも前は結構自転車で走っていたけど冷たい水も飲んだりアイスも食べたり普通にしていた。去年までは確かにそうだった。それが今年は全く違っている。病人の生活になってしまったのである。

 

2010年08月04日

ひまわり(上萱から橲原へ)

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涼しさや大木に一日そよぐ風

ひまわりと鬼百合我に向きつ咲く

ひまわりの千輪一斉に我を見る

ひまわりの千輪に目あり我を見る

額紫陽花夕べ青しも山清水

峰々を夕べ仰ぎて時鳥

合歓の花深山に知れず月を見る

ひぐらしや山の高みにひびきあう

御堂一つソバナの花や夕暮れぬ

大男眠るや夏の陽燃えて没る

上萱をおりきてあわれ影深く流る清水の今も清しも

上萱に人の住まずも清水のみ流れて清し我が冷しけり

橲原に夕べ流れのひびきつつ合歓の花咲き山の湯屋あり

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今日は栃窪から塩の道をたどり助の観音を上って上萱から下りてきて帰ってきた。庭の工事などや胃腸の病気などで山の方には三カ月くらい行ってなかったから気持ちよかった。午後から日がかげったのでそのまま電動自転車で山の方に向かった。山の方では合歓の花が盛りだった。途中上真野で小さなひまわりが一杯咲いていた。そのひまわりが何か生き生きしている。目がついて自分をみんなして見ているようだった。

助の観音の手前の清水では顔と頭を冷やした。これは最高に気持ちが良かった。あそこの清水は流れの水より冷たい。そこに額紫陽花が咲いていたのもあっていた。その上萱から橲原渓谷の方におりてきた。滝があり御堂が一つありソバナの花が咲いていた。それから橲原渓谷を下ると流れがひびき夕べ湯屋のあるところで合歓の花が満開に咲いていた。平地では合歓の花は散っているが山の方では満開である。今回は本当にひさしぶりで山の方に行けた。やはり人間健康が第一である。健康がなくなると幸福の基は崩れる。肝心の食事だってまともにできない、夏だったらやはりある程度は冷たいものを飲み夏らしさを味わいたいがそれもできない、胃腸が悪くなったら冷たいものを一気に飲むのは良くない、それは気をつけないと必ず胃腸を悪くすることがわかった。一病息災とかあるから一回病気になると体のことを気をつけるようになる。これも悪いことではないかもしれない、でも神経質になりすぎるのも困るのだ。
ともかく今日は生き返ったような気分だった。

今年は雲が夕方毎日のように変化している。毎日写真をとれば良かったがうまくとれなかった。今日は帰りにとれた。大男が寝ているような雲である。なぜこんなに雲が変化するのか、変容するのか?これは明らかに熱帯地方化した暑さのせいなのだ。暑いから雲がいろいろな形を作っているのだ。熱帯化すると雲でも空でも自然が変化するのだ。
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2010年08月05日

人間の最後から人生を考える


間違いのみ生きにし我や最後には正しきことを語り死ぬべし

人間は間違いが多いし罪を生きるのが人間である。でも人間がどんなつまらない人でも最後は死ぬときは正しきこと、嘘のないこと、真実を語り死ねばその人の生きる価値はあったとなる。
だからどんな人でも最後は大事なのである。でも実際に最後に正しいことを語ろうとしても最後まで語れずに死んでゆく人も多いのだろう。ともかくカルト宗教団体に入っているような人は嘘でぬりかためられている。そこに真実は全くない、組織人間は概してそうである。真実は個々にあるがその個々が抹殺されるから個々の声はないから真実もない、ただ一様な画一的なシュプレヒコ-ルになっているのだ。組織集団化すると人間そのものが非人間化する。このことは上野霄里氏が何度も言っていた。そういう集団に属した人から最後の死ぬときも真実の声は聞くことはできないだろう。そういう人は嘘偽りの中で死ぬのである。何一つ真実はない、自分の言葉がそこから生まれないのだ。人間の最後くらい自分の言葉を語り死んでゆきたいが組織集団に属していればありきたりの決まり文句を言うことしかなく死んでしまのうだろう。ロボットのように死んでゆくのだろう。そこに生きがいがあるのか?生きた価値があるのか?一つの組織の機械としてロボットとして死んでゆく生に意味があったのか?

ともかく人間の最後はその人の一生の何かを語る、間違いのみ罪のみの人生でも最後に真実を語り死ねば大きな意味をもってくるかもしれない、何故なら死をかけて語る言葉は誰であれ重いものである。こういうことはその人が特別優れているとか才能あるとか関係ない、その人がただ自分に正直であるということだけでありそれができないのが人間社会の現実なのである。でも人間は最後そんな嘘偽りのなかで生きて安らかに死ねるものだろうか?やはり最後に真実を語ることによって心も救われる。その時その顔もまともであり正気でありその顔でもって天に上ってゆく、人間は常にその最後を考えることが必要なのである。若いときは人生の最後は先の先で関係ないと思っているがすぐに最後が身近となり最後を生きることになる。そして若いときのことがただ大きな後悔として残ることになる。人間は言われてきたように死という時点から生を考えて生が充実した緊張したものとなる。人間は死ぬからこそ真実を充実した悔いのない生を送りたいと思うのである。

2010年08月06日

失われた郷土の文化(郷土料理-木曽町)


失われた郷土の文化(郷土料理)

一般に漬け物と言いますと塩が付き物なんですが、塩を全く使用しないで作る物もあります。
長野県の木曾地方、王滝、開田、三岳村等で漬けられている「すんき」がそれに該当するそうで、新潟にも「ゆでこみ菜」という似たものがあるそうです。

京都に「すぐき」という漬け物がありますが、すんきの名前はこれから来ているのだろうとのことです
http://ao_zatsu2.at.infoseek.co.jp/write/tuke_26.htm

木曾町に我が一夜泊まりあわれかな塩を使わぬ漬け物ありと

テレビで木曾町の町おこしのことをやっていた。町長は企業誘致より地元の資産を活かして町おこしをするべきだと地元の資産起こしをしていた。その中でスンキという塩を使わない漬け物があることを発見した。これは江戸時代からある古いものである。ここで塩を使わないのは塩が貴重であり塩を使えないからそうした漬け物が生活の知恵で生まれた。必要は発明の母ということになる。企業誘致というと外からくるものでり企業に利がないと他所に移る。永続性がないから地元の資産を活かす町起こしを目指した。地元にしかない変わった祭りを売り物にしているのもそのためである。その土地にはその土地にしかないものが必ずある。でも今はそれを見出すことがむずかしい。地元のことをかえってわからなくなっているからその資産探しをしてるのである。人間はなければないなりに何かを生み出してゆく、旅をしたとき今は地元のことがなかなかわかりにくい、特に大きなホテルなどに泊まったら地元のことなどわかりにくい、観光化しているからまた余計にわかりにくい、つまり江戸時代より今は旅をしても地元のことがわかりにくいのだ。生活も全国共通化しているからどこにいっても同じだとなる。食べ物にしてもそうである。山形には味噌にクルミをまぜた味噌がある。バンケ味噌とかもインタ-ネットにでていた。これは大工さんの親戚が山形であり弁当にもってきて教えてくれた。つまりこういう郷土料理は江戸時代辺りは普通にあったから旅をすれば旅籠でも出されたろう。それが今はない、郷土料理みたいなものは嫁にきた人が土地の郷土料理をもたらしてくることがある。嫁が文化の伝播者になる。ただ江戸時代などだとあまり遠い所の人と結婚しないから同じ様な生活様式になる。現代は普通に遠いところの人と結婚するのが普通となったのである。


郷土料理にしてもそれが失われるのはやはり郷土料理は土地の人が生み出すものだが今はス-パ-で買うことなのである。自分も毎日買い物に行っている。この買い物が今や大変な仕事になっていることがわかった。そして毎日ス-パ-で買うものを探しているのだ。そして買い物の量が多いのである。なぜこんなに買い物があるのかとなる。その中でいいものを探しているのであり自ら作り出すということがないのだ。こういうことからも地元の文化が喪失したといえる。買うということだけでは文化は生まれない、自らないはないなりに知恵をしぼって作り出すのが文化なのである。それが外からス-パ-に行けばなんでもあるとなるとただ消費する文化になる。消費する文化は文化にならない、最近異常に暑いからインドや熱帯地方化したのかと思う。こう暑いといかに涼しくなるとか食欲もないから暑さに適した食事が必要となる。それは沖縄の料理やインドの料理になる。カレ-が発達したのも暑い国だからである。それも環境に適応してそうなったのだ。文化とはみんなそういうものである。日本ではこんな暑い国ではない、東北などでは食事も塩分の濃いものになったのは寒い国だったからである。文化はそうした様々な悪条件のなかで知恵をしぼり作られたものでありそこに意味があったのだ。なんでもありすぎる容易に手に入る時代には文化が育たないというのも皮肉である。


長野県の塩の道は遠大であり日本海から遠い、その塩の道も延々と長いのである。この辺の松川浦から飯館村までの距離とは違う、その中で木曾町とかなると海からの距離が長いから塩もなかなか手に入りにくいから塩の使わない漬け物が生まれた。でもこの漬け物の由来がスンキが実は京都由来だったということ-スグキからきていたということは京都も山国だから塩を使わない漬け物を作った元祖だった。でも京都と長野県が離れているのだからなぜ同じ名前になったのか?京都には塩を使わない漬け物があると誰かが教えたのだろうか?やはり遠くても文化の伝播はあった。文化というとき京都から伝播したのが実に多いのである。だから京都はやはり地本の文化の元祖になっているのだ。

いづれにしろ旅をしても何かその土地のことを知ることがないとその意義がない、今あらゆるものが画一化して土地の特徴がない、その土地のことがわからない、ただ地形だけは変わっていないから地形は特徴あるものとして感じるがその地理や地形がわかることはなかなかむずかしい。地図をみてもわからない、栃には高低があるだ。栃窪から上萱(うえがや)へは相当な高低差がある、その高低差がわかりにくいから一回でもこの高低差を感じればええこんなに高い所だったのか感じれば自分の書いたものでも納得するのだ。他の書いたものでもなかなかその土地の地形はわかりにくい、写真でもほとんどわからないからなかなか理解しにくいのである。
一夜泊まった木曾町の宿は古い宿だった。ホテルではない、今ではあういう古い宿には泊まらないだろう。でもそこでは泊まっただけであり別に泊まっても何かその土地のことを知ることはむびかしい時代である。出される食事も土地のものが出されることはほとんどないからだ。だから旅からその土地のことを知ることは今はむずかしいのである。だから江戸時代の時旅したときは今の人が旅したより多くの体験をしたのである。その土地にしかないものを多くあったのである。今のようにこんなに物流が盛んでないからだ。その土地でしか食べられないものが常にあったのである。

posted by 老鶯 at 07:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

雲の峰


大木に風のそよぎて雲の峰


雲の峰さらに一段と高くなる

雷鳴りぬ雲の白さや真昼かな

グラジオラス真昼の明るさ色映えぬ

墓所の側今日も一枚病葉散る

夏の蝶町中に出会い真昼かな

打ち水や狭き庭持つ我が仕事
 
 
毎日雲の峰を見ている。もくもく白い雲がわき上がる。今日も暑いから余計に雲が躍動的になっている。熱帯化しているから生物や自然が躍動感にあふれということがある。でも今日は一度くらい昨日より温度が低いからク-ラ-を使わなかった。それでも一日保冷剤で頭を冷やしていたりしているほかない。日中の陽差しを受けると短い距離でも体がばてる。なんとかあと数日でこの猛暑も一段落らしい、それまでのがまんだ。ともかくこれだけ暑いと南国になってる。光が明るい、一段と明るいのだ。乾燥していることもある。光に透明感がある。そこに夏の蝶が飛んでくる。今年は何でも夏らしくなる。南国化しているのだ。今日も33度はあったが昨日は34度から35度はあった。こうなると耐えられなくなる。33度までが限度のように思える。でも37度くらいまでになっているところはもう耐えられない状態である。熱中症になり死人が出てくる。


ただこれだけ暑いと夜と早朝が涼しく天国のように思えるのも不思議だ。地獄の熱から解放されて天国のように思えた。その時なんとか掃除とか書き物とかをした。真昼は何もできない、ただひたすら保冷剤などで冷やしているだけである。どうしたら涼しく過ごせるのか?これだけ暑いとそういう知恵もでてくるしそういう関連のものは売れる。保冷剤はもっと工夫してもいいと思う。小さいし何かもっといいものがあってもいいはずである。これだけ暑さがつづくとそうした関連の品物が開発されるのだろう。でも期間が短いかし予測がつかなかったろう。これからも夏がこんなに暑かったら事前に涼しくなる方法を案出するようになる。やはり体自体を冷やすものが一番いいみたいだ。

 
墓所の側の公園に毎日行っているがあそこが風通しが良く神社には欅の大木がありいつも葉が風にそよいでいる。そして毎日病葉が一枚は散る。何か墓所にあっいる。こう暑いとなかなか遠くには行けない、陽差しが一番の問題である。陽差しをまともに受けると体力を相当消耗するからだ。でもなんとか上萱まで行けたので良かった。あの清水のあるところでもう一度頭から顔から手まで冷-たい水に浸ってみたい、これもやはり熱い中を上ってきたから余計にそう思うのだ。涼しい場所はある。今年は滝なんかに打たれみたくもなる。暑さを吹き飛ばす滝に打たれてみたい、それほど暑いから涼しさを求めるのだ。ただその場で行くのは車がないので行けないのが残念である。
 


 

2010年08月07日

躍動する夏の雲

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若竹に朝風そよぎ夏の雲

若竹に朝風そよぎ夏の蝶

若竹の緑鮮やか夏の空

夏菊や雲わきあがる朝の陽に

夏の雲今日も形を変えるかな

はるかなる海を望みて雲の峰

太平洋のひびきし波や雲の峰

一番星夏の夕空に映えにけり

夏の夜やス-パ-ヒタチ上野へと

空高く蜻蛉(あきつ)一匹飛び来る我が見つけて七日盆かな

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鳥がとまっているように見える
今日も暑かった。ただ3時ころから雲が出てきて太陽が隠れ涼しくなった。今年の暑さは強い陽差しのためなのである。こんなに強い陽差しは今まであまり経験していない、日本は湿気が多いからこんなにからっと晴れない、それが大陸の空のように乾燥している。だから雲が躍動的だし光が一際明るいから写真をとるときれいにとれる。写真をとるにはいい天気なのである。日本ではどうしてもぼやけた写真になりやすいがこんなにからっと晴れて乾燥しているからクリア-に写るのだ。そして毎日雲が変化している。雲が躍動的なのである。竹の写真でもやはり光の関係でくっきりととれている。今年はどこでもいい写真がとれていることはまちがいない、輪郭がはっきりとした写真がとれるのだ。夕方からも今日は昨日より涼しい、涼しいということが普通の夏より一段と気持ちいいのだ。涼しいことが天国のように思えてくる。灼熱地獄から解放された涼しさである。

七日盆だとお手伝いさんに言われて供え物を霊前に備えた。七日盆ということは自分にはわからなかった。一応一周忌はやったから次は余り考えなかった。七日盆は立秋となると空を一人夕方近く見上げていたら蜻蛉(アキツ)が一匹空高く飛んできたのをみた。やはり秋はすでに来ているのだ。後何日かでこの暑さもおさまるのだろう。 明日は朝六時に墓掃除である。暑いから早くなるのもしかたがない、今や家のことをやるのは自分しかない、一部お手伝いさんに手伝ってもらうがほとんど自分でやらねばならない、母はこの暑さで病気のようになり一日寝ているのが多い、他の高齢者もこの暑さにはまいっている。この暑さで死期を早めた人もいたろう。ク-ラ-とかでなんとか暑さをしのいだがク-ラ-はあまり体に良くないから使わない、ともかくあと何日かのしんぼうでありこの暑さも苦しかったがいい体験だった。こんな暑い夏をなかなか体験できないからだ。インドに行ったと同じである。この暑さで自然が一段と躍動したことを感じた。
いいことと悪いことは一緒にくる、いいことばかりはこない、これだけ暑いからこそ躍動した雲の姿を見ることができたのである。

2010年08月08日

躍動する夏の雲(詩)


 

  躍動する夏の雲

躍動する自由奔放なる夏の雲よ

今日も空前面にわきあがる

神のキャンバスは空全体だ

無限大の空がキャンバスだ

夏の雲は思い切りその空に

思いのままの形を作る

地上では向日葵に鬼百合にグラジオウラス

今は盛りと競い咲き真昼の陽ざしが明るい

雲の峰はぐんぐんと高くなり雷が鳴る

神の声のごとくに雷が轟きわたる

かなたには大洋が広がり波がひびく

高く飛翔する鳥よ、太陽が眩い

大空に大洋に轟く雷よ

新たなる力を放て放電せよ

神は力に満ちて衰えを知らじも

灼熱の太陽は神の巨大なエネルギ-なり

そのエネルギ-の尽きることのなし

太陽は燃え盛り雲は躍動し樹林に風はそよぐ

壮大なる大空のキャンバスよ

今日も思いのままに躍動する雲の姿

力に満ちて自由奔放なる夏の雲よ

神の声のごとくに雷が轟きわたる

小さき殻を破れ、大いなるものに触れよ

汲々として世を脱しえざるものよ

大空に轟きわたる神の声を聞け

そは何故に地上に綿々と呻吟したる

人は地上に蟻のごとく生きる

大いなるものの声を聞け

停滞と頽廃を打ち破る雷の轟き聞け

躍動する地球の鼓動を聞け

見よ、あんぐりと口を空けて神は空に眠る

そこから大きな笑いが木霊する

自由奔放なる夏の雲よ

自然のエネルギ-は尽きることがない

神のエネルギ-は尽きることがない

神の声は大空と大洋にひびきわたる

神のエネルギ-に満ちた世界に生きよ

そのエネルギ-は無限大にして尽きることがない

常に新たなる力がそこからわきあがる





posted by 老鶯 at 07:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 詩全般

2010年08月10日

夕蝉(お盆のことなど)


夕蝉や興亡ありし田中城跡


七日盆我も年ふる墓掃除

空高く勢い良くも飛び来るあきつ(蜻蛉)一匹秋を告げるも


鹿島駅の近くにある田中城跡はそれなりの興亡があった。意外と駅から近い場所でありそこが湿地帯であり湿地帯が堀のようになり城があったのである。あの辺が湿地帯だったということは鉄道の線路から海に向かった地点は広範囲に湿地帯だったのである。一般的に常磐線でも海に向かっている地帯は湿地帯だったのである。
 
今年はともかく暑すぎる。今日も33度以上あった。結局家に一日中いるほかなかった。陽ざしが強いから出れないのだ。夕方になりかなり涼しくなった。それで田中城跡辺りで夕蝉の鳴く声を聞いたのである。七日盆のことは知らなかったがお盆の飾りつけをする時だという。丁度お盆を前にして墓掃除する時なのである。墓掃除は七日盆にするのが一番いいのである。お盆に掃除するのでは遅いのである。お盆にはみんなきれいになった墓参りをする時である。実家の墓と自分の家の墓の掃除を自分がした。墓掃除も一つの供養なのである。ただ墓掃除は身近に住んでいる人でないとできない、東京とか離れてしまうと掃除もできないから業者に頼むようになったりする。墓はやはり時々見て回り掃除する必要があるのだ。
 
お盆は何なのか?とかテレビで説明していたが仏教に由来していることはわかるが日本では日本的に風習化したのであり必ずしも仏教に由来しても仏教の行事とはいえなくなっている。要するにお盆は死者を年に一回手厚く供養して死者をみんなで偲ぶことなのである。だから悪い風習ではない、だから司会者が言っていたが土地土地によって違った風習があり親戚が墓の前に集まりどんな人がこの墓に埋まっているのか、その死者の履歴を語るという風習があるという。これはいい風習だなと思った。どういう人が埋まっているのかわからないから説明するのはいいことである。

実家の墓については何度も聞いていることがあるが不幸なのは実家の墓は前にも書いたが親戚もみんなばらばらになりもう互いに顔を会わすことがない、一人は確実にそうである。ただ墓参りはする。でも一緒に墓参りすることはないから墓に埋まっている人も悲しんでいるだろう。
先祖のたたりなどない、関係ないなどと言うがあの人は例外だと思った。どんなことしたって先祖の恨みを受けないことはありえないと思った。それほど非道な人だった。そんな人が身近にいたことのショックだった。

 
死者を愛せというがまず生者を愛さない人は死者も愛さない、生前に愛さない人は死んでもやはり愛さないのである。家族でもそうである。親でも生前に放置されているような人は死後も放置されて供養も手厚くはされないのである。それは親子のどっちが原因なのかわからない、でも生者を愛さないものが死者をあいすことはありえない?なぜなら死者を愛すといっても死者はどこにいるかもわからない、余計に愛すということが不確かな存在になっているからだ。死者を愛しても実際は一文の得にもならないからだ。だから死者を愛すことはなかなかむずかしいことである。
 
でも死者は全く何もないものかというとそうでもない、もしそうなら墓参りとか供養してもむなしいとなるだろう。やはり人間は生前でも死後でも誠実に対処することが大事なのである。死者に対しも誠実でありつづける。もちろん生前も誠実でない人は死後はその人が消えてしまうから余計に誠実であり得ることはむずかしくなるのだ。死者はいくら何もないと言っても死者を畏れることはやはり何か死んでもありつづけるものを意識するからそうなるのだ。祟りだと死者から恩恵を受けるとかいうのもそのためである。全く何もなくなってしまったらそんなことがありえないからだ。それは理屈を越えたものとしてあるからお盆の風習はつづいているのである。
 
ともかく早く涼しい秋が来てほしい、もう暑さにはうんざりだ。赤蜻蛉が一匹勢い良く飛んできたのは秋を告げるためだった。でもまだまだ暑さはつづくらしい、今度の暑さだけはまいった、これほどの暑さを経験したことはないだろう。秋が待ち遠しい、頭もぼ-とすると何かを書けなくなる。この夏はそうなっている人が多いだろう。熱中症でこれほど死者が出たと言うの前代未聞だったことでもいかに酷暑だったかわかる。

2010年08月11日

鬼百合(海の方へ)

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夏の蝶二羽舞い入りぬ朝の庭


一直線夏ロ-ドに走る朝燕

朝走る松影涼しロ-ドかな

朝の蝉ひびきて走るロ-ドかな

鬼百合に朝日のさして砂焼ける

鬼百合や若き女の肌を焼く

朝からに海風涼し蜆とり

百輪の鬼百合咲きし散り残るなお多しも燃えて咲くかな
 
 
庭に朝に二羽舞いいる。海の方に行ったが今日も日ざしが強く暑い、平らなところはロ-ドが軽快に風を受けて走るのでいい、右田浜は砂浜が変化して遊泳禁止になっていた。それでキャンプ場も荒れてしまった。あそこは前から石ころだらけになっていた。サ-ファ-だけが10人くらい波乗りしていた。やはり四倉のように砂浜が広くないと海で泳げないと観光客は来ない、右田浜は松原の影が涼しいのと河口があり船の出入りがありそれなりにいい面はあった。


朝涼し白波たちぬ河口かな」あの河口に一瞬波が寄せてきて白波がたったときは涼しさを感じた。今日はしじみとりの人がいて海からの風を受けている。蜆も一般の人はとれなくなった。
漁業権が必要になったからだ。ともかく今日も暑い、明日は台風で一雨欲しい、雨が降っていないから野菜にも影響するからだ。