2010年05月02日

夏来る(近くが頼りが自然な生活だった)


若者のロ-ドに走る若葉かな


故郷の土手を歩めばあわれかな名残りの花の夕べ散りにき

青鷺の大空翔てかなたへそ飛び去り消えて夏は来にけり

町内にお手伝いさん住みて来る近くに親し蛙鳴くかな
 
 
ロ-ドは国道走ると危険である。タイヤが細いし事故になりすい、だからロ-ドは平坦な地でスピ-ドを楽しむのがいい、土手の桜も大方散った。人間も散り時が悪いと本人も他の人も大変なことになる。病院にはもう一年以上寝たきりの人がいる。一人は胃ろうである。その負担は金銭的にも一カ月三〇万とか払われる。しかし介護保険から出るから痛みを感じないのである。年金を一六万とかもらっていて実際払ったのは七、八万だから安いなと感じてしまった。実際に療養型の病院に入院していて息子が親の年金を頼りにしている人がいる。死んでもらうと困るというのも矛盾している。実際は国から保険から一カ月三〇万でていて払うのは少ないから金が残りそれをあてにして暮らしている息子がいるのだ。人の命も最後になると金のあるなしで多少の寿命を延長できる。医療は実際は金がかかるものなのである。胃酸過多症で最近ず-と苦しんでいて薬屋に行ったら胃酸の出るのを抑制する薬は太田胃散ではだめでガスト-フとういう薬は二〇〇〇円もして20袋とか高いのである。薬はこんなに高いのかと思ったが確かにこれは前に飲んできいたような気がした。運動してまた胃酸過多が悪くなった。人間は病気になると金の問題ではなくなる。人間は臓器移植しても生きたいと思う。簡単に死ねないのである。その時金で寿命を買うということになる。金には変えられないのが命なのである。
 
介護とか病気とか困ったことがあると近くが頼りになる。車で一〇分もかからない隣の市でも毎日通うとしたら手間なのである。老人になると近くが頼りであり大事になる。健康なときは家族が病気でないときはこんなこと考えなかった。自由に出歩き遠くへも旅していた。今やそういうことができなくなった。自分自身がひどい病気になったらなおさらである。田んぼに蛙が鳴き近くが親しいというのも当たり前のことだがそれが今は遠くが親しいとなっているのだ。近くは疎遠になっている。連休となれば近くにいない、みんな遠く遠くへ行ってしまうのが現代である。今になると近くに頼りになる、近くで共同する方が自然な生活だと思った。近くの方が頼りになる。
昔はみんな自給自足的生活だからそうなっていた。近くで何でも用を足すほかなかったのである。車がないとやはり病院に通うことが困るのである。やはり最低でも五、六万の都市でないと今では不便になるのだ。現代の田舎と都会の問題でも息子、娘が東京で暮らしている人が多い。田舎には高齢者が残され病気になったときなど本当に困るのだ。遠いと何か困ったことがあると助けにならないのだ。遠いところからいろいろ困ったことがあっても相談にのれない、近ければ会うことが簡単だから事情も良くわかるし相談にのれるのである。兄弟でも親子でも遠くなると事情もわからなくなり助け合うことができなくなるのだ。現代の生活はそういう点で不自然な生活になった。やはり近くで共同して暮らすのが人間的だったのである。
 
ともかく桜も大方散り夏になった。大空を高く飛ぶのは青鷺である。鷺は夏の季語であり青鷺は大きいから夏の大空を飛ぶにふさわしい鳥である。夏だから遠くへ行きたいとなるがそれもできなくなった。体の調子がもどればそれなりに遠くへ行けるかもしれない、人間の幸福の基は健康である。健康がそこなわれるとすべてがそこなわれる。
 


 

石と石はよりそっている

いつも隣にいるから頼りになる

遠くの石では感じられない

いつも隣にいるから安心感があり

頼もしさを感じる

近くだから信頼しあえる

遠くになると実体が見えない

何であれ近くにあるからこそ親しい
 

信頼感が生まれ安心感が生まれる

看護介護教育には平等の原理が必要


看護介護教育には平等の原理が必要

本当に困った人を助ける仕事がしたい
今の仕事(顧客は主に富裕層です)に嫌気がさしてきました。
http://questionbox.jp.msn.com/qa2407226.html

金持ちだと大金を払っているのから人から何かをしてもらうのが当然だとなる。その金に見合うサ-ビスをしてくれとなる。これが別に高価なモノを食品でも高いもの買うには問題ないのである。これが直接人と人が向き合う介護とか看護とかなると違ってくる。サ-ビスしてくれるのはモノではない人なのである。それも自分が弱い立場になったとき、すべてが金で解決すると錯覚するのだ。健康な時は金で解決した。でも介護とかなると病人になるとそうはならない、介護や看護してくれる人は機械ではない、人なのである。弱者になったとき金があるからといってそういう態度をとれなくなる。一方で貧しくても介護や看護されると申し訳ない、ありがとう、ありがとうと看護師さんに礼を言っていた老人はあわれだった。便の始末などしてくれたからいつも恐縮していた。その老人は意外とあっけなく死んでしまった。介護や看護にたづさわる人は金があるから大事にするとは限らない、介護する人や看護する人に好かれる人になれというのは本当だろう。金持ちは金さえ出せばサ-ビスを受けられると思っている。しかし介護の現場ではそうならない、もちろん誰でも金は欲しいにしてもでは金ですべてが得られるかとなると得られない、それが介護とか看護の現場である。相手がモノや機械ではなく人間だからそうなっているのだ。人間と人間が直接向き合う現場だからそうなっているのだ。どっちにしろ介護とか看護とかでも直接人間と人間が向き合う場所では相手はモノを買ったり機械を買ったりするのとは違う、つまり人間をモノや機械のようには買えないのである。もちろん金の力は大きい、でもそれにも限度があるのだ。金で全部まかなえるとはならないのだ。


金持ちはどうしても傲慢になりやすいのだ。だから福祉の世界は介護でも看護でも平等の原理が働くことが理想である。金持ちを優遇するということは介護とか看護とか医療とかにかかわる場合はモラルに反することになる。医は仁術とはそのことでありナイチンゲ-ルが敵の傷兵をも看護したことはそのことなのだろう。医療の世界でも内臓移植とかは特別でありそれは金がある人がやるべきものであり金のない人はあきらめるほかないだろう。何故ならそれは特別な高度な医療だからである。そういうことは別にして平均的な治療はやはり金持ちだけが優遇されることはモラルに反することになる。だから介護とか看護には宗教的なものがモラルとして必要になってくる。カルトのような悪質な団体に利用されるというのではなく万人を愛するとか慈悲の心とかそうしたものがどうしても必要になってくるのだ。そこが医療とか介護とかの世界が競争原理とは違った世界だった。


医療の現場でも介護でも報酬は給料は大きな問題であり関心の第一にある。それを否定することはできない、それ相応の報酬は必要である。でもここに生きるか死ぬかという人が救急車で運ばれるときこの人には金を払えないとかで拒否できないのが医療の現場なのである。ともかく命を助けねばならないとなるからだ。その時この人は貧乏で治療費を払えないとか言っていられないからだ。医療というと確かに今は技術的な問題が最優先される。モラルと関係なくまず病人を直せるのかというのが最優先となる。その医者の人格がどうのこうのは関係ない、技術的に神の手をもつ人こそ最も優れた医者である。みんな医者の人格がどうのうこうのよりどれだけの直せるか手術だったら技量をもっているかで医者の価値は判断されるのである。では技術的なことだけで医療や介護の現場が解決するのかとなるとならない、医者も看護師も人間であるし患者や看護介護される人も人間だからこうした問題が起きてくるのである。金持ちには特別良くして貧乏人には良くしないとしたら看護の精神に反するからそうなる。だからアメリカでも日本のような保険制度を導入するようになった。すべてが平等である必要はないのだ。金持ちには金持ちの役割がある場合がある。金持ちがいなかったら貴族がいなかったら学術とか芸術や天才などは生まれなかった。そういうものは貴族の子弟から家庭教育から生まれたからである。すべてが平等な世界からは共産主義のように労働者の蟻しか生まれないからだ。貴族にはモラルが要求された。アメリカの金融業でもうけるような人たちにはモラルがないから世界から批判されたのである。

とにかく医療とか介護の分野ではまた教育とか分野では平等の原理が必要になる。貧乏人の子供は高度な教育は受けられないとかなると差別になる。だから高校無償化などはいい政策なのである。奨学金制度などもそうである。病院とか施設とか教育でも相手が人間であるということ、そこがモノを作ること機械を操作することと違っているのだ。そういう所ではどうしても医者であれ看護師であれ介護士であれ教育者も人間性が問われることになる。医者の人格が変だというときやはり人間と人間が向き合う現場だから指摘されたのである。「医は仁術」というとき医者自体がそういうことを感じていたからこの言葉が生まれたのである。人間をとして扱うからこの言葉が生まれた。一方で医療の現場でも人間をモノとして扱う、処理するということがある。
病院で死んだら一刻も早くかたずけてくれ、病室に置いておくなとか何か人間を死んでもモノのように扱われたのは医は仁術から離れたものとなっている。一見科学が急速な進歩をしても江戸時代の方が人間を人間扱いした面もあったから進歩とは何なのか疑う、もちろん江戸時代など医者すらかかれないという現実があるから一概には言えない、モノ扱いでも医者にかかれるだけで幸せなんだよそんな贅沢を言ったらきりがないといわれればそうかとなる。 でも医療とか介護は人間と人間が向き合う現場だからどうしても技術的な問題だけでは解決しない、モラルが問われることは変わりないだろう。

posted by 老鶯 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2010年05月04日

延齢草(ボケにならないためには仕事をつづける)

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石の庭延齢草や長寿かな


夏の蝶流れにそいて舞い下る

朝の風若葉にそよぎ町内に山鳩鳴きて燕飛び交う

石に向き水仙咲きてその下にスノ-フレ-クのうなだれ咲きぬ

 
生まれたばかりの夏の蝶が二三羽飛んだ。田植えもはじまった。今年はめずらしく延齢草の花が大きく咲いた。庭を改造したから肥料などやったから花が大きく咲いた。延齢草は葉に特徴がある。なんともいえない大きな葉である。いい写真がネットでみられる。写真をとるヒントがある。花も葉を大きく写せば見栄えがする。この花は北海道に一面に咲いていた。オオバナエンレイソウである。北海道には檜扇菖蒲も平地に咲いているから見物である。
 

ボケにならない方法はある。女性なら台所などの仕事をつづけることだし男なら仕事をつづけることなのだ。退職したら仕事しなくていいから楽だというとき危険状態がはじまる。
女性では普通嫁にもうおばあちゃんは台所仕事しなくてもいいですよ、楽にしてテレビでも見ていてください・・・こういわれと一日テレビばかりを見ているようになるとボケ安くなるのだ。
何か趣味でも本格的なものならいいが暇つぶしのようなものではだめである。台所仕事は相当に頭を使う、料理はさらに頭を使う、それを90すぎても今も苦しくても半分やっているからボケなかったのだ。台所仕事をつづけている限りなかなかボケないと思う。台所仕事はかなり頭を使うからだ。ボケの原因はわからないにしろ明らかにそういう面はあったのだ。

 
人間の不思議は何が幸福につながるかわからないことなのだ。そんなにしてまでその年まで働かなくてもいいだろうとかなるが実際は違っていた。例えば知的障害者とかかかえていて90にもなっている人がいるがボケていない元気なのである。今でも世話しつづけている。外から見れば不幸だと思うがやはり世話しなければならないという責任感があり仕事があるからボケないとなるのも本当に不思議である。人間はともかく仕事をもち仕事を最後まで死の間際でつづけた人はボケない幸せである。男でも親父もういいよ、俺ができるし代って仕事やるから隠退してのんびりしてくれとなるときボケ安くなるのは確かなのである。 嫁に息子に仕事を奪われたときボケ安いのである。
 
人生は仕事(work-作品)である。作品の追求でもある。芸術作品だけではない、何かを作り出すいいものを作り出す努力はつづいている。農作物にしてもいつも同じものではない、違った味のものいいものを作り出そうと努力している。仕事というとき最高の仕事はミッションを持った使命感を持った仕事だろう。そうなればまさにその仕事に命をかける死ねるとまでなる。そういう仕事をしている見出した人は幸せだとなる。報酬の問題もあるが報酬の過多だけでは使命感をもった仕事は持ち得ない、富裕層を相手にしている仕事が嫌気がさしたというのはそのためだろう。
 
 

掲示板閉鎖のお知らせ(インタ-ネットの責任問題)


掲示板閉鎖のお知らせ(インタ-ネットの責任問題)

 

メデアとは媒介するものだけど自分の掲示板を通じて他人の主張をのせたら掲示板を主催した人の責任も問われる。だからこれまでのメデアではメデア側で取捨選択していたのだ。
新聞であれテレビであれ雑誌であれその会社で慎重に採用するものを取捨選択していた。
だから新聞やテレビや雑誌にのらないもので大事なものはいくらでもあったが報道されないのだ。新聞とかテレビとか雑誌はこれまで報道をになってきたから影響力が大きかった。マスメデアでとりあげられれば社会に大きな影響力がもてる。マスメデアはだから実際に第三の権力とかなり選挙も左右することができた。そもそもマスメデアを通じてしか判断材料がない場合があるからだ。いづれにしろ媒介するものは単に媒介するものではない、新聞でもテレビでもその取捨選択はマスメデア側で行われるのであり個々人ではない、報道の自由などなかったのである。

 
インタ-ネットがでてきたときマスメデアを仲介しないメデアが生まれたのである。最初はニフティなどがメデアとなっていたから媒介するものとしてニフティの責任問題が問われ次に2ちゃんねるなどの主催者が責任を問われるようになった。これはこれまでのマスメデアと同じである。主催者が責任がないといってもそこに自由に書かせているということで問題になった。読む人が多いから余計に責任問題になった。インタ-ネットは自分でメデアをもつことができる。それも簡単であり金もかからない、ただニフティとか通信を一会社が支配していたときとは全然違う。今や簡単にニフティになれるのだ。ホ-ムペ-ジはちょっとむずかしいにしろプログとか掲示板など誰でも簡単に即座に作れる。自分でメデアを簡単に作れる、放送局さえ作れる。実際みんな私的放送局になっているのだ。そこでインタ-ネットでも報道のモラルとかが問われるようになる。勝手に何でも放送していいのかとなる。著作権の問題も新たな問題として新たな法律を作ることが要請されている。インタ-ネットは無法地帯であり規制できないからである。それが全部悪いのではない、やはり何らかのモラルというものが必要になってくるのが人間社会なのである。
 

今回の私に訴えた玉本様の問題は現実の重みがあった。実名で訴え攻撃しているのも実名だとするとその重みは大きい。ただ名字だけだとわかりにくい面はある。実名を出して相手を殺すと掲示板で書いて逮捕された人がいた。インタ-ネットでも恐喝とか悪質なら逮捕されるのだ。匿名でも逮捕されたのである。いくらバ-チャルだと言っても生きた人間がかかわるのだから必ず現実が反映されるのである。今回は現実そのものだった。だからそれに答えることは責任があるし重苦しいものとなる。実際はどうにもならい答えようがないというのが結論だった。
無言電話とかストカ-行為は社会的に犯罪であり日常生活に支障をきたすなら警察でとりしまられるべきものである。ただストカ-行為は相手がはっきり見えないから訴えにくいし警察でもとりあげにくい。特に背後に宗教団体などがかかわると警察もかかわりにくいのである。宗教団体は権力をもっているからだ。

 

今回の提示された問題の何であったのか?最初に身内の最愛の人が死にいたらしめたのが医者や宗教団体がかかわっていたことに問題があった。医者とか病院とか宗教団体は大きな権力の場所である。前にも書いたけど医者の権力は政治家の権力よりも大きいと思ったし病気になれば必ずかかわるのだから絶えずそこでは問題が起きているのだ。ただ表面に出ないのが多い。巨大な権力によって表沙汰にならないのである。これは一個人の特殊な問題ではない、他山の石とすべき問題である。こういうことで他にも苦しんでいる人がいる。自分もそうだったが知的障害者をかかえる病人や弱者となるとその本人よりそれをかかえた人が責任を問われるよようになるのだ。回りから危険だとか差別偏見やらいろいろ責められるのである。つくづくだから認知症に家族がなったりするとその病気を介護する人が担うことになるのだ。ハンセンシ病などでもそうである。そういう深刻な病気になると社会が同情して助けるわけではないのだ。
ハンセンシ病がそれを物語っている。もう家の中がガタガタになってしまう。ハンセンシ病の悲劇は家族からも縁を切られて隔離されたことなのである。ともかく医者でも宗教団体が背後でかかわったりするとめんどうになる。弱みにつけこまれていろいろ介入されて金でもいろいろ問題を起こすし踏みにじられのである。でも弱い立場にあるから抵抗もできない、そういう不満が恨みがあとで噴出したのは自分も経験したから同情したのである。ただ自分としては実名で相手を一緒に攻撃することはできない、やはりその相手のことを深く知り得ないし自分も責任を問われるということは簡単に介入できないと思ったからである。

 

「時事問題の深層」で社会問題を追求してきたが今回は正に現実問題として私につきつけられた。どこでもこうしたこと特にストカ-問題はとりあげない、裏で宗教団体などがかかわると余計にそうである。インタ-ネットもこれだけ普及するといろいろ責任問題が生じてくる。私自身も時事問題の深層で書き続けてきたのだから実際の時事問題として取り上げることになったのである。今回は実名であり一対一の対話だから相手のことがわかった。匿名で断片的発言だと相手のことがわからない、断片化した情報だけになってしまう。今回は相手のことがあれだけ書けばわかる。一方で実名で実名の人を批判すれば架空のことではない、実際に仇討ちではないが仇討ちの助っ人を求められるのも困る。実名で実名の人を批判したら真剣勝負になる。
本当に死まで覚悟せねばならなくなる。そもそも報道には命がかかっていることがある。現実に殺害された記者もいる。真実を報道することは相当危険なことがあるのだ。しかし報道をミッション、使命として仕事に殉じるとなればそれもまた大きな意味をもつ。仕事もミッション、使命感で成す時大きな意味を帯びてくる。

posted by 老鶯 at 19:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2010年05月05日

なにやらゆかしすみれ草


何やらの花咲きそえてスミレかな


タンポポや朝風切ってロ-ドかな

涼しさや夕風切ってロ-ドかな

夕陽さし手植えの人や疲るかな

写真とるのに失敗した。白い小さな花が咲いてその後ろにスミレが咲いていた。白い小さな花は確かに一人静かににていたがはっきりしない、近くなので明日もう一度行ってみよう。
コゴミなども近くの山でとれていた。日陰に咲くのときれいな流れに咲く食べられる野草がある。そういうのも探せば近くにあるから自然はまだ身近にあるともいえる。


山路来て なにやらゆかし すみれ草   松尾 芭蕉

よく見ればなずな花咲く垣根かな
なにやらゆかし・・というときゆかしとは極めて日本的な言葉、美学から出てきたのである。奥ゆかしがそうである。奥ゆかしいとは奥に隠れるようにあることであり目立たないくさりげなくあること、これは謙遜の美である。人間はともかく誰でも目だちたいというのが普通である。また自分のしていることを認めてもらいたいというのも普通である。隠されて目立たず勤めることが一番むずかしいのだ。それはどこの分野でもそうである。「なにやらゆかし・・」と野草のように咲いていることがむずかしいのが人間である。しかしあえて目だとうとしなくても誰かが見ているかもしれない、そこにこの句の深い意味があった。

電動自転車は坂を上るのにはいいが平地ではスピ-ドが出ない、本当の自転車の醍醐味はロ-ドにあった。軽く風を切って走るとき気持ちいいのだ。乗って気持ちいいのは爽快なのはロ-ドである。ただこれは国道など走ると危険である。だから平地の人の少ない所で走りを楽しむのにいいのである。
手植えで田植えをししていた人がいた。わずかに今でもいる。それを夕陽を受けて疲れるだろうなと思った。実際機械がないときの農民の労働は過酷だったのである。休むことが最大の楽しみともなっていた。一日働くとぐったりしてしまうのが普通である。ただ田んぼは他のもの、畑や果物を作るより楽だという、野菜とか果物は絶えず手を加えることが必要だからめんどうだが今は野菜と果物を作らねば農家ではやっていけないだろう。梨の花が盛りとなった。浜通りでは梨作りは盛んである。梨は安く食べられるのである。

2010年05月06日

隠れた石(月と蟹)

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石一つ奥に隠れて鎮まりぬ誰か知るべし月影さしぬ


自分のテ-マは石だった。石が性格的にあっていたのだろう。石と月のとりあせだがこれも自分の内面的なものにあっていたのだろう。自分は蟹座生まれとすると確かに蟹的なもの知性がそこから出ているのかともなる。いろいろな星座の影響でその人の人格が作られることもある。これは生まれつきのものである。何だか自分は隠微な性格なのだ。蟹と月は密接な関係があることは間違いない、蟹と石も相性がいいのかもしれない、蟹は清流にも棲む、水が恋しいしそういう場にいると気持ちがいい、蟹は常に水の中にいて月と深く関係しているのだ。
 

人間の性格とか知性とかも神秘的な面がある。蟹座生まれとすると生まれつきそういう性格や知性をもつのかとなる。不思議なのと蟹がキャンサ-であり癌になっているのも不思議である。
蟹と癌がどういう関係になっているのか、どうして同じ言葉になっているのかも不思議である。
いづれにしろひっそりと森の中に石のように隠れているのが向いている。

 
俳句は写生が基本だからその人の個性的なもので作ってはいない、短歌だとやはり内面的なものを作れるのだろう。人を知るときやはり星座や血液型を聞くといい、血液型が同じなら相性がいいのかもしれない、星座も相性があるのかもしれない、ただこれもすべてではない、ただ確かに自分の場合、蟹的なものが芸術創作の面で出てきているのかもしれない、最後はいろいろ科学的に説明しようとしても自然も人間も神秘的だとなってしまうのだ。

2010年05月07日

白椿(長引く胃酸過多)

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白椿一輪散りぬ石の上 


白椿庭に散りけり雨しととぬれつつ静か夕暮れにけり

今回胃酸過多がなかなか直らない、確かにガスト-ルという薬は効くが20袋で2000円は高い、そんな高い薬を今まで使っていない、でも直らないとなると金をケチることができないのが医療の世界なのだ。だからだまされても薬などのために金を使っている。病気が直れば金は高くついてもやむをえないというのがわかる。病気はたいしことなくてもみんな切実なものとなるからだ。
胃酸過多もインタ-ネットでいろいろ調べるとでてくる。全然知識がなくてもそれなりの知識は得られる。やはり食事療法なのである。酸が出すぎるから酸を抑える食品がいいとなる。

炭酸水素ナトリウムというのが200もしないで売っている。これも薬であり酸を抑えるのにはきくらしい。そういう安い薬でも効能はたいして変わらない場合もあるだろう。人間はつくづく金を出したくない、病気になっても金を出してたくない、家族が病気になっても大金がかかるとすると金を出したくない、一カ月入院していたら30万かかりますよとかなると入院させないことは間違いない、なんとか家でもやるほかないとなる。金のない時代はみんなそうして早く死んでいたことは間違いない、医療はそもそも金のかかるものなのだ。そういう認識が保険制度でなくなってしまったのである。保険だとほとんど自分で金の痛みを感じないから無駄な金を使いすぎるようになった。人間は自分が金を出すとなるとシビア-になる。税金は他人の金だから官僚は湯水のように使い無駄をするのは当然なのである。全然自分の懐が痛まない金だからである。
梅干しは健康にいい食品だった。梅干しは胃酸過多にもその他いろいろ効能がある。胃が弱い人は梅干しを利用するのがいいのかもしれない、果物好きだから果物は甘いからあまり胃には良くなかった。リンゴはいいがその他は良くないものがある。でも好きでうまいものはどうしても食べてしまうのである。まあ、今回の胃酸過多が長引いたり持病が出たり60代になるといろいろ病気が出てくるから困るのだ。食事制限でゴルフができなくなったとか有名なテレビの司会者が書いてあった。ゴルフは若いときからやれたしやっていれば良かったとか書いてある。

若いときやっていれば良かったとみんな公開している。40代で自転車旅行をはじめたのが自分も失敗だった。自転車旅行などできないと20代で電車に乗り見ていたから馬鹿だった。それなりに激しい運動なことは確かでも50代でもできたのだから20代だったらもっとできたのである。そして60代とかなると体がついていけなくなるのだ。今や電動自転車でなんとか近間を行くだけになった。ゴルフは若い内にやれた、・・・・は若い内にやれた・・・・今は食事制限だ・・・
すべて人生は後悔なりになる。若い内に激しいことや海外旅行などしていないと60代以降は病気が出たりしてやれなくなる。その時後悔しても時すでに遅しなのである。時間は二度と戻ってこないのである。

小倉・・・食事制限の辛さ
http://www.toyokeizai.net/life/column/detail/AC/9d0c8d74a360ccf4d42ec6a9a0220ba2/

有名人のことを引用したことはあまりないけどインタ-ネットというメデアはその人個人が発信するからその人の個人的なことに興味をもつようになるメデアである。つまりテレビでそんな個人的なことばかり話していたら
ニュ-スを報道できなくなる。でもインタ-ネットだとそれができるしそこに興味をもつのがインタ-ネットのメデアなのである。


 
20分くらいたってまた庭を見たら石の上に一輪白椿が散っていた。これはわざとしたように見えるが
自然にそうなっていたのだ。それですぐに写生の一句を作って書き加えた。こういうことができるのも
インタ-ネットなのである。実況放送ができるのだ。

2010年05月08日

新緑の南相馬市鹿島区真野川上流

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新緑の真野川上流
山吹や古峰の碑大きかな

藪深く老鶯鳴くや眠る石

山吹や佐須への道の奥深き

新緑に頂上高く陽の昇る

新緑や大岩に鳥の声ひびく

山の家木陰の深く墓一つ

そこかしこ八重桜かな癒されぬ

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水張りし田に朝日のきらめきて雲雀鳴くかな働く人見ゆ


真昼間の日のさし高みに山桜流れ轟き奥に入るかも

散り安き桜のあとは八重桜里のそこかしこほのぼのと咲く

鶯の隠るる茂み深きかな鳴く声ひびき夕暮れにけり


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真野川の上流に行った。新緑の盛りである。あの大岩のあるところは絵になっている。画家だったら絵にできる。新緑の勢いが写真でもわかる。もう一つは横になって隠れている大岩である。夏になれば老鶯となるがどうしても老いた鶯というイメ-ジになる。夏鶯と老鶯では漢字のイメ-ジで相当違ったものとなる。新緑と同時に山吹の季節である。栃窪の古峰神社の碑は大きい。江戸時代は法印の墓が多いように必ず山伏がいた。加持祈祷が仕事だった。これはたいがい病気の加持祈祷であった。なぜなら今でもそうだが病気が一番人間にとって切実なものでありそれは今も昔も変わらない、違うのは江戸時代には医者にかかれなかった。だから法印などの加持祈祷に頼るほかなかったのだ。法印が医者の代わりになっていたから多かったのである。
 
敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 本居宣長
 
朝日ににおう山桜は新緑の中に点々と咲いている山桜であることがわかる。桜が日本の象徴となったこともわかる。染井吉野は山桜ではない、山桜は淡白な白い花であり染井吉野となると色が濃くなっているのだ。山桜は山の高みに人から離れて咲いているのが特徴なのである。そこは人によって汚されない高みに咲いている。平地に咲いている花見をする桜とは違っているのだ。平地に咲いている染井吉野は人臭い桜なのである。
佐須の山津見神社は奥深い地である。だから山吹がにあっていた。阿武隈川でも梁川から細い道を下り山深いとき山吹があっていた。今日は天気がよく山桜も山吹も八重桜も日に映えて美しかった。桜は散りやすいが八重桜は散らないでほのぼのと咲きつづける。
 
いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
 
奈良の都は八重桜のイメ-ジだった。当時は桜は山桜であり八重桜は平地に咲くから人になじみやすいからこの歌ができた。
 
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2010年05月09日

カ-ネション(母の日)

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それぞれに母の思いやカ-ネション

親子がすべて同じかといったらそうではない、親に対してはそれぞれ違った思いがあるのだ。テレビで母と離されてひきとった家の女性の中学生がバスケットの試合を母に見にきてくれと頼んだが母は来ないのでずっとひきとっている世話している女性にもたれ泣いていた。
これを見ていてあとでとうなるのか?必ずそうしたことが母への恨みともなっていくから怖いと思った。母を母と思わないようになる。血がつながっていても親を憎んでいる人はそれなりにいるのだ。こんなに親を憎んでいるのかと驚くこともある。インタ-ネットではそうしたことが出やすいからそれだけ見て親を憎んでいる子供が多いとはならないだろう。

自分の場合は複雑すぎて他から理解できない、結局二人の母親がいたことになる。これもしかたない事情でそうなったのだ。一人が死んだが母の役割もしていた。だからお墓に行ってカ-ネションを挿すことにした。そしたら喜んでいるかもしれない、ゆがんだ愛とかで書いたけどそうした家族がそれなりにいるのだ。これもやはり家族だったのである。
このガラス制の壺は函館で買った。カ-ネションの花にこんなものがあったのか?この花は落ち着いていい花である。カ-ネションは普通は派手な花だがこれは落ち着いている。貴婦人のような花である。同じカ-ネションでもいろいろ今はある、母もそれぞれに個性的だから一様な花でない方がいいとなる。
ともかく写真でも一旦万華鏡で加工してみると意外なもの予想しないものができる。これは別に何の才能でもない。ソフトの操作で無限の変化を作り出すのである。だから意図してできるものではない、偶然であり偶然にちょっと加工するだけである。

2010年05月10日

牡丹十句

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牡丹咲く一日一日や栄(は)ゆるかな


一日一日おろそかならじ牡丹咲く

幾日や陽に輝きて牡丹かな

牡丹咲く歓び深く真昼かな

いづこにも栄はありぬ牡丹咲く

牡丹咲き姉は亡きかな家つづく

牡丹咲き死者は眠りて苦は消えぬ

牡丹咲き白椿咲き夕べかな

金色のエビネランと栄ゆ牡丹かな

中国や牡丹千輪の栄かな


ゆるやかに時は流れむ我が庭の牡丹四輪に朝の日さしぬ

森の中山桜咲くはや散りて葉桜となり知られざるかも
 
 
人間は還暦をすぎるといくら長生きでも死が近くなる。すると一日一日時間が貴重なものとなる。牡丹が咲いてもその牡丹を見る時間がなくなってくるときがくる。病院で寝たきりの人は牡丹も見れない、誰かが見舞いで花をもってくれば見れる。でも日のなかに見る牡丹とは違う。花も見れなくなる時が来る。牡丹を見ている時間がなくなる。一日一日牡丹を見る時間が貴重になる。まだまだ先は長いではないかとなるがそうでもない、ずっと家事に追われたりしていると意外と時間は早く過ぎてしまうのだ。花も見ず家事に追われて一生終わっている人もいるのだ。牡丹は中国の国花であり花の王者にふさわしい。牡丹も散りやすいからいつまでも明るい日の中に見ていられない、その栄華の日は短いのだ。
 
牡丹一輪筒に傾く日数かな 太祇
 
これなどと通じる。牡丹を見ている日数は短いのである。女性でも牡丹のように美しく咲いている時は本当に短い、特に若いときの輝きはまたたくまに消える。牡丹を見るのにも年齢によってかなり違った見方をしている。老人が牡丹を見るときは特に貴重な時間を意識して見ている。


この世の中無限の時間がない、美しいものを見る時間も限られているのだ。だから無駄な時間を費やすことはできない、人間が一番浪費するのは時間である。時間は金のように貯蓄もできない。この世の自然でも美しいものに目を注ぐことに注意を傾けるべきでありこの世の汚いものにまみれていたらたちまち時間はすぎて美しいものももはや見れなくなる。だから何であれ恨みがあってもともかくそうした低俗な人達からは離れ美しいものに目を注ぐべきである。つまりそれが時間の浪費なのである。この世の中いくらでもそうした醜悪なものはどこの世界でもありそれにかかわっていたらきりがない、醜悪なものに埋没してしまう。おそらく醜悪なものをなくそうとしても無駄である。それより本当に美しいものに目を注ぐことである。時間を醜悪なものによって奪われるべきではない、美しいものを見る時間を奪われてはいけないのである。

 

野犬も参加して吠えたギリシャのデモについて


野犬も参加して吠えたギリシャのデモについて
http://musubu.jp/jijimondai40.html#greece(時事問題の深層40へ)

ギリシャのアテネでデモを見た、そのデモが異様なほど熱狂していた。これは普通のデモと違っていると思っていた。あの時は何に抗議したデモだったのかわからない、ギリシャではデモが激しいのだ。今回はあの時よりさらに激しいものだった。死者も三人も出た。事態が前より深刻だからそうなる。普通でもデモがギリシャでは激しいのだ。だから野犬まで興奮して警官に歯向かって吠えたのである。それで犬もデモする側からすると英雄にされる。これも勝手な話である。犬はただ回りの状況に反応して興奮しただけである。それを都合いいように利用されたのである。デモでも熱狂するともはや歯止めがきかない、ただ興奮して破壊してゆく、怒りが集団的に爆発したら止めようがない、それがエスカレ-トすると戦争になってしまったというのがセネカの「怒りについて」いう本に書いてある。
日本の戦争もそうだったのだろう、アメリカの9・11のニュ-ヨ-クのテロもそうだった。アメリカ人は怒り感情的になり勝手に危険な兵器があるとかされてイラクが標的となりアメリカ人の怒りの感情が向けられたのである。日本も真珠湾攻撃でアメリカの怒りをかい原子爆弾を落とされた。怒りが集団的に爆発するときほど怖いことはない、誰も止めようがないからだ。正当な怒りはまれであり集団的な怒りは一体感を生み破壊衝動となり止めることができなくなる。それで問題の解決になるかというとならない、戦争となり莫大な犠牲者を生んだ。こうした怒りの感情は政府でどこでも利用する。中国も反日のデモでそうだった。


政府が怒りを日本に向けさせたのである。その時本当に歯止めがきかなくなりそれが政府への抗議までになることを恐れ政府が停止させたのである。中国では言論の自由がないから中国では政府によって煽動されるのである。人間は個人でも自制心を失うとき暴力となり破滅に向かう。宗教と哲学は自制心を養うことにあった。でも宗教団体など全く自制心などない、感情的になり凶暴なものとなってゆく、そこではマインドコントロ-ルされたロボットの集団だからそうなりやいのである。

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2010年05月12日

白藤と菖蒲(墓所について)

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白藤に菖蒲や墓所のひそまりぬ


白藤に午後の光や菖蒲咲く


夕影に枝垂桜の幽艷に


 
写真は光の関係で微妙に変わってくる。これはまだ夕日がさしたのとは違う、でも5時近くだから日も沈みはじめている。この時間帯の光がいい感じにとれるのか?枝垂桜もいい感じにとれたからそうかもしれない、白藤と菖蒲は墓所ににあっている。もう死んだら何も言わない、ただ無限の沈黙があるだけである。墓を考えるとき墓は家に遺影を飾るのとは違う。墓はそれぞれが家の墓でもどうしても隣の墓とかここの墓は誰の墓だとか必ず自分の家の墓だけではない他の墓も意識するのだ。墓所は知らずと共同的なものなのである。必ずあそこの墓は陸軍兵長とある墓を意識する。そして姉も従軍看護婦だったし最後までシンガポ-ルのことを言っていたから戦争の時代をともにした人が眠っている墓所だともなる。

ともかく墓所は共同的なものである。子供が東京に出て帰ってこないから墓の跡を継ぐ人がいないと墓を廃棄して全然見知らぬ人と共同の大きな墓に骨壺を納めることにしたこともわかる。そこなら誰かがお参りしてくれるから安心だとなる。一方個々の家族の墓は跡継ぎがいなくなれば無縁化してしまうのだ。今は大家族でないし子供が離れて住む場合も多いから墓が無縁化かやすいのである。現代は無縁化社会になりやすい、その土地との一体感や共同性が失われているからだ。あの墓にはすでに同教生だった人も死んで埋まっている。自分もあそこの墓に入る。その後は無縁化してしまう。もしれない、そしたら墓に金をかけるのも損だとなる。共同墓ならそういう心配はないのである。墓の形体も社会が変われば変わってしまうのだ。
つまり墓でも何でも無常であり、常に社会が変わるから墓も変わらざるをえないのだ。そもそも家族の墓となったのは新しいのだ。明治以降であり百年くらいの歴史でありだから墓は固定されたものではない、墓の形体も変わるのである。

いづれにしろ墓所には前にも書いたが白藤がにあうしそれと菖蒲もにあっていた。黄色の菖蒲はにあわないが紫の菖蒲はにあうのである。今日は雨になり午後からやっと晴れたが風が強かった。

白藤(死人、病人の花、幽玄の美)
http://musubu.sblo.jp/article/28873238.html

白藤の句(続)

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白藤や夕闇つつみ仄かなり
 

しら藤や奈良は久しき宮造  黒柳召波 
http://www.geocities.jp/haikunomori/shundei.html
 
この人は蕪村の弟子で京都に住んでいた。宮造は地名なのか神社なのか、宮造神社は他にあるからそうなのだろう。久しく訪れなかった宮造に来たとなる。宮造りとはまさに神社はみな宮造りである。奈良は久しきというとき京都と奈良は江戸時代なら遠いのである。だから久しくになるのだ。その頃はあるところ今のように頻繁に訪れることができない、だから久しくとなりやすいのである。それでかえって遠さかくる情緒が生まれ俳句になる。あるところに一回しか来れない、何回も遠くだと来れないのである。
 
高橋の神の御橋の袂なる白藤の花いまさかりなり 伊藤左千夫
 
これも宮造とにているのか?神聖な場所に咲く花が白藤でありイメ-ジ的にそうなっている。白藤であとはインタ-ネットではいいものが見つけられなかった。

 
白藤はやはり死者の花である。幽玄の美である。夕闇がつつみ夜の闇がつつみ近くに墓所がある。性格的にこういう花が自分にあっているのだろう。紫の藤の花は一般化しているが白藤となるとそうでもない、でも江戸時代にも白藤はあった。白藤はそこに死者の顔がぼ-と浮かんでくるような気がする。そこに紫の藤のような艷なるものがないのだ。死者の花にふさわしいのがありあまり派手な花を墓に捧げるべきではない、菊が一般的なのはそのためである。
 
 

ここの白藤はいい
http://ameblo.jp/donta61/

お手伝いさんが保険金をかけられて殺害された事件の謎


お手伝いさんが保険金をかけられて殺害された事件の謎


大阪府高槻市の淀川堤防で4月、宇野津由子さん(36)の遺体が見つかった殺人死体遺棄事件で、宇野さんが今年2月ごろ豊能町希望ケ丘に住む夫婦と養子縁組し、親族になった後で保険金をかけられていたことが12日、捜査関係者への取材で分かった。複数の保険に加入し、死亡時の受取金は計数千万円に上ることも判明。府警は、保険契約の経緯や宇野さん失踪(しっそう)前後の足取りを調べている。

 捜査関係者や宇野さん宅の近所の住人らによると、宇野さんは約1年前から豊能町希望ケ丘の養父母の自宅に住んでいたとみられ、今年2月ごろ養子縁組をした。
 親族は、「宇野さんはインターネットで養母と知り合い、希望ケ丘の家で住み込みで働いていた」と府警に説明しているという。


この事件もやはり現代的なものを反映している。インタ-ネットで募集したのか知り合いになりそこで仕事するようになった。これは極めて現代的である。インタ-ネットの出会いは今までの出会いとは違う。相手の素性が良くわからないことである。そもそも相手が保険金をかけて殺害する意図あったことを察知することは不可能である。そんなこと予想しえようがない、しかしインタ-ネットで知り合いすぐに養子縁組するということは何なのだろうか?そこに疑問を感じていいかもしれない、養子縁組など簡単にできないはずである。今年2月頃とするとまだ日が浅いしそんなに親しい間柄ではない、養子縁組はそんな簡単にしないはずである。なぜ相手が養子縁組しようとしたのか?別にそんなことをする必要もないのだ。おそらく財産を相続させるとかだまされたのだろう。財産あげるにしてもまだ交際してから日が浅いのだからそんな簡単に財産をあげるとはならない、実際は養子縁組した方が親の方が金がなかったのである。だから養子縁組したら親になったら子供が死ねば保険金が入るからだった。

その家ではそもそもお手伝いさんを住み込みで働かせるような金はなかったのである。一人お手伝いさんを雇えば月に十何万とか払うだろう。そういう家は金持ちなのである。その家が金持ちかどうかは最初の内はわからない、近所に住んでいればなんとか土地持ちだとか資産持ちだとかわかるが全くわからない土地から来たらその家が金持ちかどうかわからない、こういうことはヘルパ-として入ってきて
女性に多額の金をとられた老人がいた。 これも騒いだがすぐ忘れられてしまった。最近介護とかヘルパ-とかお手伝いさんが家に入ることが多くなっている。住み込みとなると少ないが一時間くらいなら介護関係で家の中に入ってくる人がふえたのである。

養子縁組は金がからむことが多いのだ。子供でも子供に金がある場合、養子縁組すれば子供の金がもらえるからだ。養子縁組は財産があれば実子と同じように遺産を相続できるのだ。それで養子縁組は財産相続のためにだけされることもある。この女性はどういう女性だったのか?どういう経過で養子縁組されたのか、今年2月だとするとつきあっている期間は余りにも短すぎる。その間になぜ養子縁組までしているのか不可解である。やはりうまくだまされたのだろう。もし介護とかで長く世話になるとかなると世話になるからということで養子縁組して財産が有れば財産を分けるということがある。しかしそんなにつきあって3カ月くらいで養子縁組することは何なのだろうと思う。そこまで頭が回らなかったの巧妙にだまされたのかもしれないが謎である。
海外で養子縁組をしている554人の子どもについて、年間8642万4000円の『子ども手当』を申請した男が現れたようだ。あまりの数の多さに受理されなかったが、男性は「どうして対象にならないのか」と不満を漏らしたという
養子縁組は財産的なものが関係している。幼いときから子供をひきとるならそれほど問題ないだろう。財産と関係なく子供がなくて欲しい人はいる。そういう人は子供に愛情をそそぎ実の子供と変わらないように養育する過程でなってしまうからだ。36才になってから養女にするというのは何だったのだろう。それも付き合いが浅いのにそんなふうにはなかなかならない、養女にしたいというのが養親の方であり養女になった方ではない、とすると養親の方に養女にして保険金をとることを目論んだとなる。36才で養女にしてくださいと頼むわけがないからだ。とすると最初からインタ-ネットでお手伝いさんを募集して知り合いになり保険金をかけて殺そうとする意志があってやったとすると相当に悪質である。養子縁組する必然性が全くない、ただ養子縁組をして保険金かけて殺害して金をとるということだけだった。ただそれにしてもそういうことはすぐにわかってしまう、疑問にもたれるはずである。動機が十分にあるからだ。そういう複雑なものがないかえってわかりやすい事件だったともなる。保険金殺人では保険金の受取人が一番疑われるし目をつけられる。それも不自然な養子縁組をしているから複雑な事件ではなかった。

完全犯罪でもない、どちらも幼稚だったのかともなる。この事件に興味を持ったのはインタ-ネットとか養子縁組とかお手伝いさんとかの殺人事件になったことで興味を持った。前の金をもっていた老人がヘルパ-の女性と親しくなり何千万をだましとられたとか家に入ってくるから問題になる。アメリカでは裸で家の手伝いをしてくれる女性を募集したのも盗まれるからだという。
確かに金持ちの家には高価なものがあるし暮らしに差があるから盗みたくもなる。お手伝いさんであれヘルパ-であれ家の中で働いてもらうことはめんどうなのである。家の中のことがみんなわかってしまうからである。相手がボケていなくても80以上とかなるとだまされやすくなるからだ。今回の事件はヘルパ-やお手伝いさんが金を持っている老人をだましたり殺害したのとは違う、お手伝いさんが雇い主からだまされて殺されたという事件だからあまりこうした事件は起こらない、自分の家のこととも関係していたから興味を持ったのである。

 

事件を起こしたお手伝いさんは単独でこの家に入ってきた。家政婦の組織とかにも入っていない、ヘルパ-なら会社と関係している。ヘルパ-でも事件を起こしているからどうともいえいな、
家に入ってくる人も問題であり逆にそこで働く家もお手伝いさんやヘルパ-でも深く関係するのだ。その家がどんな家なのか深く関係する、単に掃除洗濯台所をやればいいというのではない、それも住み込みだったらその家の一員ともなりうるのがお手伝いさんである。
だからその家のことを良く知らないで住み込みとまでなるのは問題があった。
逆に家に入るお手伝いさんも簡単に家の中に入れることは金をだましとられて殺されたとかになる。どっちにしても家で働いてもらうことはこのような問題が起きるのである。

posted by 老鶯 at 23:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2010年05月14日

夏の闇(春は逝く)


死者達の墓地に語らう夏の闇


街中の墓地に通うや夏の闇


蛙の声四方よりひびき夏の闇


若やぎぬ光と風や桜かな

義仲や木曾の濁流桜咲く

木曾川の夏の濁流沿い下る

 
夏の闇は生き物の気配がするもので、・・・・夏の闇は暑いときの夏の盛りの時なのだろう。梅雨闇は五月闇だった。どんよりとした梅雨の時期の闇であり病院に通った時、五月闇の俳句を作ったが五月ではなく梅雨闇だから五月闇というのは季語としては廃れたのだろう。
 
今日はまた寒いから夏の闇というのはふさわしくない、桜も終わり夏であるがまだ本格的な夏とはならない、今なら春逝くという季節だろう。何か桜も散り虚脱感がある。激しい夏は実際これからであり今は春が逝ってしまったという時期である。だから夏の闇とはそぐわないのだが墓地をテ-マにしているから夏の闇をとりあげた。墓地は家にあり遺影を飾るのとは違う。墓には隣があり必ず隣の墓が気になるし墓参りに行けば自分の墓だけではない、必ず回りの墓も気になるのだ。死者たちも夏の闇の中では互いに語り合っているかもしれない、「陸軍兵長」と墓に記されていれば戦争のことを必ず語る。姉も従軍看護婦だったし最後までそのことを語っていたから死んで墓地が同じだから語りあっているかもしれない、墓地にはそうした共同性が自ずと生じるのである。墓地は村ではそもそも家の墓がなく村共有の墓地だったこともわほかるしそれが自然だったのだ。そうした地域的な共同性がなくなったとき代々の墓の跡継ぎがいないと墓を廃棄して新しい共同の墓に骨壺を納める。そうすれば誰かがお参りしてくれるから跡継ぎの心配もいらないからそうなった。家が共同性を失い継続しないとそうなってしまう。墓もやっぱり現実の生活の反映だから時代によって変わってしまうのである。家の墓になったのは明治以降でありまだ百年とかでありその百年経過してまた社会が変わり墓も変化せざるをえないのである。
 
濁流のときも桜は咲いていた。その時は自分が苦しい介護のときだった。いろいろ書いて来たがまさに濁流だった。そういう時が人間にはある。木曽川の濁流となるとスケ-ルが違っている。ここも自転車で行ったことがあった。木曾義仲もこの濁流のように下り京都に出て波瀾の生涯を終わった。川は長いから川の大きさは全体を見ないとわからない、阿武隈川でも電車で見ただけでは一部を切り取ったようにしかわからない、延々と流れる川をしるには川に沿って上り下る必要があるのだ。真野川にしても小さな川に見えるが奥深いのである。ともかく春は逝ってしまった。春の間はずいぶんあちこち電動自転車で行くことができた。それから胃酸過多になり療養していた。これは今までのとは違う、胃酸過多という病気ではなく一週間くらいで胃の調子が悪いなというくらいで直っていたが今回は直らなかった。やはり体全体が弱ってくるとこうした病気にもなりやすいのである。今でも食事療法ししているから無理できなくなった。何か無理できない体になっていることは間違いない、それでもこれだけ旅行すれば悔いはなかったとなる。
 
 

一つ屋に患者といねし五月闇
http://musubu.sblo.jp/article/15630340.html

 

岩手山短歌十首


   岩手山十首

 
岩手山常に迫りて北上の流れ早しも夏は来たりぬ

夏の日や岩手山に我が登り火口に立ちぬ若き時かな

岩手山濃霧の覆う岩盤にタカネツリガネの青き花咲く

岩手山荒々しくも聳ゆかも神の手になる彫塑のごとしも

岩手山轟くごとく聳えけり一つの峰の荒々しかも

岩手山隙もなきしに張りつめて造形されぬ厳美の極み

小岩井や枯木に風の唸りつつ岩手山の聳え厳しき

岩手山荒々しくもよせつけぬ急峻にしてはや冬に入る

岩手山雪の覆いて小岩井も雪に埋もれて朝望むかな

一面はただみな雪に埋もれけり岩手山の純白に映ゆ



山は見て登れば一番いい、岩手山には確かに二回くらい登ったから登った山として記憶している。山は本当に早く冬がくる、紅葉だと思ったら厳しい広い斜面が雪におおわれてしまった。その時山の厳しさと美を体感した。山岳の美は体感しないと実感できない、その時確かに実感したのだ。実際に登ったのだから体で実感したのだ。登山の魅力は山の本当の姿を体感することである。遠くからながめても山の美は際立つのだが実際に上るとまたさらに山の厳しさを実感する。ただ体力なくて山登りはやめた。山は上るのも厳しい、山はそんなに登ったとはいえない、アルプスにも登っていないし、富士山には一回登っただけであり富士山というのは良くみていないのだ。山はやはり身近にいつも常に見ていると山と人間が一体化する。岩手山のいい点は盛岡のような街からでも見えて常に迫ってくることなのだ。そして山は連峰より独立の峰がいい、岩手山は彫塑的であり厳しい山容がいつも迫ってくるからそれが何らか精神にも影響する。この辺ではそうした独立の高い山がないから平凡なのである。阿武隈山地は山ではない、阿武隈高原なのである。会津には2000メ-トル級の山があるが阿武隈山地にはない、蔵王は確かに高いにしろ独立峰ではない、やはり富士山とか岩手山とかは山らしい山なのである。


尾瀬の燧山も若々しい溶岩色の迫真的に迫る山である。あの山をまた見るには結構大変である。高い山はそんなに見れるものではない、上るとなるさらに今や大変である。ヒマラヤを見て残念だったのは3000メ-トルまで登って曇って見えなかったのである。あんなところにもう行けないのだからがっかりした。10月ころ行かないとなかなか見れないらしい。こんなに旅をしたにしろ人間はいろいろ見れるものではないと思った。

山でもそうだが写真を見ただけで感動するということはないだろう。その大きさと立体感を感じることはむずかしい。山は遠くから見て実際に登ればその山のことを実感する。しかしこの両方をすることはむずかしい。山はともかく厳しい、厳美渓などとあるが正に厳美の世界なのだ。隙間だらけの軟弱な人間とは余りにも違っている。全然隙がない、厳しさでこりかたまっている。岩手山を登った時もさらに厳しさを感じた。 自然の美は厳しい、近くにある樹だって一つの石であれ樹であれ実際に隙がないのだ。ぴっちりと完全に治まっている。人間はだらだらと無駄が多くしまりがない、何かさも働いているものが有用な人間だと誇るが自然から比べると人間は働くことだって無駄が多すぎるのだ。人間が毎日こんなに働いているのに美が作り出せないのか?ただ醜悪なものしか作り出せないのか?そこに労働の意義はあるのかと疑問になる。


自然はそれらは労苦もせず、紡ぎもしないのに美がある。人間の労働はそんなに賛歌すべきものなのか常に疑問である。それほどに苦労して働いているのに現実世界は醜悪なものとなっている。もしその労苦の故に美が創造されるなら報われるだろう。それがないとしたら労働は報われない、東京は日本の労働の集結している所でも醜悪な場所となっていることがそれを示しているのだ。

 
短歌の連作で岩手山を現そうとしたが言葉だけでも自然の美は現しきれない、何か常に不満が残る。それだけ岩手山一つとっても人間が現す力を越えているからそうなっているのだ。
 
 

2010年05月15日

7年過ぎた相馬市の道の駅


夏菊や若き父親赤子みる


八重桜午後の陽さして相馬かな

相馬なる道の駅かな七年の過ぎしとあわれ菖蒲咲くかな

相馬なる道の駅かな蛙鳴く声のひびかい夕ぐるるかも

紫に赤の牡丹や街中の家に咲きつつ相馬市暮れぬ

紫と白の菖蒲とシャガの花道沿いに咲き相馬に入りぬ

若者の戸外に語り夏の日のなお明るしや燕飛ぶかも
 

   

南相馬市原町区(原町市)と相馬の違いを何度も書いたけどこれは外から来た人にはわからない、ただ南相馬市の前の原町市にある道の駅と相馬の道の駅は相当雰囲気が違っている。
原町は街のなかにあることが特徴なのである。街と通じている、街と一体化してある。六号線でもあそこから鉄道の駅に通じて駅前通りになり昔の街道に通じている。相馬の道の駅は回りが田んぼだから相馬市街とは離れている道の駅なのである。相馬の道の駅が7年過ぎたというのも早いなと思った。月日が過ぎるのは早いし人も常に変わっている。若い父親が赤子をみている、そこに夏菊が咲いている。それは未来を見つめているから明るいのだ。一方介護となるともはや未来はない、死があるのみだから暗いのである。イオンの中の新しい喫茶店に入ったけどあそこはアイスクリ-ム200円でうまかった。何種類かある。でもあと飲み物も注文しないとまずい、200円だけで喫茶店に入れるとしたら安い、これだけでもいいがやはり飲み物が必要になる。今都会なら200円でコ-ヒ-飲めるが田舎だとかえって高い、400円は必要になるから喫茶店は利用しにくい、相馬市にはどういうわけか六号線沿いに喫茶店がある。原町には六号線沿いにはないから困る。喫茶店はやはりぜいたくだけど必要である。ただ最近高いから喫茶店だけをやっているところは少なくなったのが残念である。コ-ヒ-一杯で400円となるとなかなか入れなくなる。

 
相馬市は紫と白の菖蒲とかシャガの花が今の時期にあっている。そういうしんみりとするのは城下町だからである。街中に高いビルがないせいもある。相馬市と南相馬市は外から見たら名前からも区別がつかない、地元だったらやはり原町市の方が良かったなと思う。なぜなら相馬市と原町市はやはり歴史的に違ったものとして発展したからである。原町市はいち早く近代化した街として発展した。相馬市は城下町の継続として街があったのである。だから原町市と相馬市であれば区別がついたのである。やっばり名前には歴史の積み重ねがあるから簡単に地名を変えるのは問題だった。ともかく相馬市の道の駅が7年も過ぎたと知ったとき本当に時の過ぎるのは早いと思った。何か催しものをやるらしい。子供だった人も親になりすぐに老人になってしまう。そういう繰り返しが人間だったから当たり前のことでも自分が老人になるということはショックなのである。こんなに年取ってしまったのかと愕然としてしまうのだ。相馬市の道の駅も7年すぎた、それなりにすでに歴史を刻んだとなる。
 
 

2010年05月16日

牡丹散る


夕暮れの長き木陰や鳥の声


我が庭の牡丹一輪夕べ散りなお三輪の残り咲くかな
 
4か月ぶりとか見舞いに行ったけどもうすでに一年以上も脳出血げ寝たきりである。でもやはりボケていなかった。ボケるとすぐわかる、どんな親しい人でも一日二日会わなくてもその人が誰かわからなくなるのだ。その人は自分がどういう人なのかちゃんとわかっていた。あんなに病院に寝たきりでもボケない人はボケないのだ。半身不随でも脳出血でもボケない人はボケない不思議がある。
自分の家の方もだんだん胃が悪くて食べられなくなっているし限界状態が来ている。嚥下障害ではないにしろ胃が悪くて食べられなくなることはやはり死につながる。そこから胃ろうとか点滴でしか栄養がとれなくなるからだ。あとどのくらい生きるのか?一年は無理なのか、そうも年だから考える。ただ人の寿命は86過ぎてもやはりわからない、それにしてもいつまでも寝たきりだと病院での世話が延々とつづくのだから大変だとなる。近くの胃ろうになっていた人はやはり一年以上いても死なない、ただ苦しい表情だけでありあのように生きるのも大変だと見ていた。人間は今や寿命の限界以上を生きている。本来なら死ぬべき人が生きている。これはおそらくやはり自然の摂理に反するのだろう。死ぬ時期がありそこを越えても生きているということはやはり本人も苦しいし回りも負担が大きすぎる。人間食べられなくなったら死ぬほかなかったがそこからなお生きるから大変だとなる。
 

四輪咲いていた牡丹が夕べ一輪散った。でも三輪はまだ咲いている。それを見ていると頼もしいとなる。一輪散っても三輪あるからまだいいやとなる。一人死んでもまだ支える人がいるならいいとなる。いづれにしろそれは一つの解釈でありやはり俳句も短歌も写生なのである。
四輪咲いていたのが一輪散ったというのは写生である。その説明は不用なのである。

 
六号線かから入った産業廃棄物になった川子の高台のところの森の道は木陰がつづくから気持ちがいい、夕方になり多少暑くなった。それにしてもあんなに大規模な産業廃棄物の場所が必要としている。産業廃棄物は今やどこでも問題になることがわかる。どこに作ってもそこが汚染されるからだ。南相馬市の原町区の大甕辺りでも産業廃棄物問題でもめて選挙の争点にもなった。日本は狭い国だから捨てる場所がない、中国やアメリカ辺りだと広大な砂漠とかありそこで核実験したりている。日本には砂漠がない、砂漠なども無用ではない、使い道がそれなりにあったのである。


 

夏の星と月

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  お月さん、こんばんわ


お星さん、こんばんわ

どっちもぴかぴかきらり

田舎の町の夜の空

ケロケロ蛙が鳴いて

なんていい夜なんだ

お月さん、こんばんわ

お星さん、こんばんわ



今日はあとから晴れた、夜の空を見たら細い三日月の真上にきらきら星が一つきらめいている。これはめずらしいなと思い写真とってみたが夜はうまくとれない、キャノンの一眼レフで
error99がでたけどあれは問題らしい、不良品として日本の製品もそれもメ-カ-で出しているのでとまどった。今までそういうことはなかったからだ。error99がでるとなかなか直すのがむずかしいらしい。そういう不具合があるのにメ-カ-の製品として売ることもあるのかと思った。
日本のメ-カ-品だと信頼しているからだ。


インタ-ネットでは確かに同時にあの細い月と星を全国でいや世界中で見てるはずなのである。やはり同じ様に見えているのだろうか?ツイッタ-などで世界中からつぶやきでも報告があればわかりやすい、星とか月はやはり地球からだと同じように見えるから共通のものとして認識しやすいのである。インタ-ネットでは同時にリアルに存在している、今の時間を共有できる。それはどんなに離れていてもできるのだ。その同時間を活かすことがインタ-ネットを活かすことになる。あの月と星をみんなが見ているはずだからだ。ただ都会だと見えにくいから違っている。田舎だったら同じように見えているはずである。

月の真上に星が一つきらめいていたけど今見たらまた変わっていた、位置がずれている。
あれだと面白くない、ちょうど三日月の上に星が輝いていたのがめずらしかったからだ

八時半現在の状態
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2010年05月17日

亘理から阿武隈川を下り海へ(夏の短歌)

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阿武隈川大橋わたる夏雲雀


夏の日や大川二つ渡るかな

郭公や大川二つ渡るかな

名取より飛行機雲や夏の空

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山下の駅にはおりず朝静か菖蒲咲きにき電車過ぎさる

夏の朝阿武隈川の広々と太平洋に注ぎ入るかも

夏の朝まばやく光る太平洋阿武隈川のここに尽きにき

阿武隈川流れは尽きて海見えぬ蔵王を仰ぎ船はいでゆく

松原の影長々と涼しかな白波のよす仙台までも

松原の朝の緑の清しかな蔵王を仰ぎ波のひびけり

夏の日や海岸線に波白し仙台までもつづきけるかも

阿武隈川河畔の広し競い鳴く雲雀の声や朝に行くかな

阿武隈川河畔の広し郭公の声のひびきて大橋渡る

阿武隈川土手の袂に社古り夏の日よりぬ日影涼しき

荒浜や河口に浪のひびくかな夏の海より鴎とびくる

阿武隈川河口広がる郭公の鳴く声遠くひびきけるかな



(二木の松)

岩沼の女しあわれも日傘さし二木の松の下を行くかな

二木の松謂われも深き岩沼に夏の真昼や旅人よりぬ

岩沼に藤の花咲くあわれかな二木の松より旅人去りぬ

二木の松芭蕉のよりしと夏の日や汗をぬぐいて我が寄り去りぬ

二木の松我が立ち寄りぬ岩沼の相馬に近き夏の日暮れぬ


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阿武隈川くらい大きいとやはり川のドラマがある。人の一生にもにている。遂に最後に太平洋が開けて大河は海にそそぐ、荒浜からは船が江戸まで出ていた。仙台藩で米を運んでいたのだ。大河が海にそそぎ海は江戸に通じていたのである。阿武隈川の土手はサイクリング道路として整備している。平らなところはサイクリングに向いているのだ。そして必ずビュ-ポイントがある。阿武隈川では梁川で写真を出したけどあそこの大きく蛇行して急流となるところがビュ-ポイントだった。最後は海にそそぐ阿武隈川もビュ-ポイントである。ただ鳥ノ海は大きい自然の海かと錯覚していたが小さい漁港の湾だから景色的には良くない、蔵王は見えるが景色的にはそんなに良くない、むしろ岩沼に行く一面の松原の海岸線が見物だった。その松原から残雪の蔵王が美しかった。あそこがビュ-ポイントだった。あそこは車からは見れない、車が通れない所になっていた。ビュ-ポイントは実際に地元の人でないとわからない点があるのだ。鳥ノ海より松原から蔵王を見ると美しいし海岸線もどこまでもつづいているので夏らしかった。


阿武隈川の土手を上って行ったらいつのまにかに岩沼についていた。そこで二木の松というのがありあれこれが二木の松かと思った。確かにそれらしい松になっていた。阿武隈川に出て河口から岩沼に来て二木の松を見るのも不思議だった。あれもやはりみちのくの歌枕だったのだ。この時期確かに芭蕉が寄ったのだ。
 

名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて四五日逗留す。

あやめ草足に結ばん草鞋の緒

菖蒲が咲いているとき確かにここを通ったのだから今の時期だったのである。その二木の松の下を日傘をさした女性が歩いてゆくのが絵になっていた。今日は本当に夏らしい夏がもどってきた。こういうふうに電車だけでは旅にはならない、電車からおりて二木の松を見るのとはるばる歩いてきて二木の松にたどりつくのとは大きな感興の違いがでてくる。旅は過程でありアプロ-チの仕方で同じものを見ても違って見えるのだ。今の時代は旅をするには自ら回りくどく演出しないとできくなっているのだ。余りにも簡単に行くことができるし通りすぎることも多いからである。
今日は朝六時の電車で行った。やはり朝は気持ちいいし蔵王がどこからも見えた。亘理から見える蔵王はきれいである。でも松原の上に見えた蔵王の写真は蔵王そのものが写っていない、今回は景色はそれなりに良かったがいい写真がとれなかった。遠景はなかなかいい写真がとれないことがある。