2010年03月01日

玉本あゆみ様へのコメント(死は愚かさの一つの終わり)

『死は一つの愚かさの終わり』から


しかし人間の愚かさは終ることがない
愚かさは人類が滅ぶまでつづく
一つの愚かさが終わり
さらに何万何十万何百万のの愚かさの始まり
ああ 人類はかくしてつづく・・・・』

http://musubu.sblo.jp/article/27303460.html


(玉本あゆみ様の文)
小林様は、とてもシビアに、神様が作られた現代社会に生きる人間の愚かさを直視しておられるのだと思います。人間は生きている間に、罪を悔い改めなければ、死しても罪に対する償いは残されているでしょう。私も職業柄、人の老いや死を真近かに拝見し、生きるとは何か、満足出来る老いとは…考えさせられます。一人では生きてはいけないから、誰かと共存していかなければいけません。メリットもあればデメリットもあります。
時代が変わっても罪びとは減少しません。
でも、自然界だけは人間の利己欲に破壊されながらも、忍耐強く姿や役割を変えません。与える事に徹し、死しても生き返る雄大な無限な命の展開を見せてくれています。自然界に学ぶべき事は、たくさんありますね。


 

・私も職業柄、人の老いや死を真近かに拝見
・し、生きるとは何か、満足出来る老いとは
・考えさせられます

私も今回は家族が認知症になったことは余りの衝撃でありそのことを延々と書いてきました。
未だに人間が認知症のようなもの痴呆になって死んでいったことが信じられない、何故なら
自分でも最後まで言っていたけど頭がいいし体力もあり他にも社会的にもしっかりした女性でしたから、看護婦から保健婦もしていた女性でした。それもあまりにも最後は無惨でした。


人間は愚かさ、罪、弱さを意識しない、そもそも自分で愚かだとか意識している、罪を意識している人は愚かでもないしまた優れた人でしょう、病気だったら精神病でも病識をもつと直りやすいとありますから自分が病気だと意識したとき回復する方向に向かっている。認知症の場合は最初自分が忘れたんじゃないかと言っていた、忘れることを意識していた、症状が悪化したら忘れたことを意識できなくなった、病識もない、自分が馬鹿に痴呆になったのにそう思わない、人間がこんなになってしまうことは信じられない、満足できる老いとかは認知症の人を見たら認知症にならないことです、痴呆にならなければ一応真人間として接してあの世に送ることができますが認知症になったら人間でなくなったのかということになりますから悲劇です

人間はいくら賢いと優れているとうぬぼれていても最後は認知症になったりするのだから人間の賢さなどあてになりません、神から見たら人間の賢さなどとるにたらない、人間が誇るべきものではない、人間はそして最後は老いは無惨です、結局は塵に帰るだけの存在です、これは延命治療とかいろいろしても無力です、人間は人間の力ではどうにもならない、最後は主・キリストを通じて神が支配しない限りどうにもなりません

・自然界だけは人間の利己欲に破壊されなが
・も、忍耐強く姿や役割を変えません。与える
・事にに徹し、死しても生き返る雄大な無限な
・命の展開を見せてくれています。自然界に
・学ぶべき事は、たくさんありますね。

忍耐強く姿や役割を変えません・・・・・・忍耐強くというとき石とか樹になるのですがこれも詩に書きましたが最近発見したことなのです、なかなか自然を理解するのはむずかしい、自然は長い時間をかけないと理解できない、老人になれば確かに自然をいくらか理解するようになる、それだけ奥深いのが自然だからです

看護婦(師)さんに病院で世話になりました、大変な仕事です、でも看護婦(師)さんの仕事はやはり女性が良かった。若々しい女性の声がきびきびして働く女性の声が元気を与えてくれた。
これは男性から見てそう思ったが女性からだとまた別になるのか?看護婦さんはやはり女性の天職なのでしょう。病院だと極自然に互いに患者同士がいたわり慰め合うことができた。そういうことも普通の社会生活ではない、競争社会ですから、
ともかくいろいろ経験しました、病院は看護婦(師)の役割が大きいです、ご努力ください。


コメント欄に書いたけど反映されなかった、実験したのでは新しい記事に反映していた
つづけて書いたのには反映されなかった、原因はわからない
だから改めてここに書いたのでご了承ください

プログ主(小林)

インタ-ネットの匿名と実名の問題


インタ-ネットの匿名と実名の問題

インタ-ネットでは匿名が主流だから問題になった。今はかなり現実の社会が反映されて実名の人が多い。ただインタ-ネットでは同姓同名の人がかなりかならずいる。これは同一人物なのだろうかという問題も出てくる。匿名と実名の差は匿名だったら架空の人間と話しているのかとなる。対話してもその人間が実在しているのかとなる。例えば人と人の対話は生涯つづく場合もあるし死後までつづく場合がある。その人が匿名で架空だとするとその場その場の電子空間で消えてしまうものとなる。対話するにしても真剣味はなくなる。話す方にしても真面目に話する気にはなれない、実在しているかどうかわからないものに真剣さはないだろう。
では匿名がすべて否定されるものかといえばそうでもない、若いときはどうしても浅薄だから馬鹿な発言も多いからそれをいちいちとがめることもできない、議論の訓練として最初、パソコン通信は機能していたのである。だから匿名でも良かった。それがだんだんインタ-ネットが社会化してきたときやはり実名化がまたとりざたされた。匿名だと発言しやすいということで反応も見やすい、実名になればコメントも慎重になるからなるべくしないということにもなる。自分はこれまで一方的に書いてきた。でも誰かが読んでいることはアクセス解析でわかる。なぜ「古池や蛙飛び込む水の音-意味」この記事がいつも読まれてていることの不思議である。これだけは常時読まれているのだ。なぜこれだけがこんなに読まれているのか不思議である。どこか有力なサイトにリンクされているのか?不明である。ともかく記事が膨大だから何かは読まれている。
でもコメントはほとんどないから誰が読んでどう感じたかわからない、でも読まれていることは確かなのである。本を読んでもいちいち作者にコメントとか感想を書いて送ったりしないからそれと同じである。ただ読まれていることは確かなのである。

人間が本を読むにしても他者の意見に耳を傾けるにしてもメデアが何であれ対話が基調としてある。本であれある有力な人との対話は延々とその人の死後までつづいている。その対話に終わりがないのである。軽いものはその場で対話も終わるが重い問題となると延々と対話がつづく、残した文にそれだけの重みと深みがあるからそうなるのだ。芸術作品でも芭蕉の句でも延々と語られつづけているのはそのためである。誰とも直接対話しないにしろ人間は本質的に全く孤独から始める人はいない、必ず先人と先人の残したものと対話して文章を書いているのである。書くことはそもそも直接対話しないにしろそうした人類的な知的共同作業なのである。

ただ一人でも偉大なる師をもちその人との対話を基本にすることは自分を明確化しやすいのである。膨大な先人の偉人の残した本を師とするとき目がくらんでその人たちが本当に生きた人間なのか、ただ本の中にだけ存在するものなのかと具体性がなくなってしまうのである。
本だけではなく誰か生きた人間を生き生きとイメ-ジできると本に埋没することはないのである。キリストでも本当に実在したのか?そういつうことも生きた人間を通じて語り伝えられたのであり
聖書だけを本だけを読んでも実感しないのである。現実に今生きている人間から過去の人間を知る。そういうことを人間はくりかえしてきたのである。

インタ-ネットではそうした重みのある深みのある長い対話をするには向いていないのかもしれない、でも今や浅薄なものばかりかというとそうでもない、出版されない、本にならなくても重い内容のものも出ているのだ。これは本に出るような人だと思ったがやはり特異なところがあり出版されないのだろう。異端的なものは出版されないからである。だからインタ-ネットがすべて浅薄なものとは言えない時代になっているのだ。 でもそういうものを読むだけで必ず思想的に左右される。自然とそういう異端的思想でも左右される。だから時の支配者にとっては自由な言論の空間は常に危険視されたのである。出版界とかマスコミは権力で支配されるがインタ-ネットはされないから危険視されるのである。でもそうした自由な空間がないと新しい創造はありえない、だからいくらでも自由に発言できたり作品を発表できるインタ-ネットは今までにないものでありどう解釈していいかまだ不可解なものとなっているのだ。
posted by 老鶯 at 23:07| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月02日

聖なる調和する樹々


聖なる調和する樹々

枯木の枝と枝の影さしぬ

冬菜の畑に長く伸びにし樹の影

静謐な陽は移りもの音もなし

ここの樹々の列の心にしみぬ

日々ここを行きて何事もなし

しかし我深く思いぬ

樹は樹を傷つけることなし

人はいかに傷つけあうことか

樹は決して他を傷つけない

それが奇跡的である

樹は聖者なのかもしれない

樹は何を語ろうとしているのか?

樹に寄りて耳を傾けよ

その素直なる直ぐなる静粛なるもの

欲少なき簡素な質素なるもの

その下に憩え癒されよ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日も陽はやさしく静かに照っている

樹はそのやさしい光に欲している

神の愛のようなその冬の日の光

そして山脈に満足に陽は沈んでゆく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

樹は決して他を傷つけない

枯木の枝と枝の影さしぬ

そこにいかに深い平和のありしや

調和の日々はここにある

自然の限りなき静粛の平和を知れ

そを知らずして真の平和なし

その身近にそが探せし平和はあるべし

平和は叫ぶにあらじ沈黙の中にあり

欲少なき質素なる生活にあり

その歩む足音のひそけさよ

今日もゆくさし交わす枝の影の下を・・・


posted by 老鶯 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般

2010年03月03日

残る雪(高平の墓地二つ)


雉子歩む羽鮮やかに残る雪


墓代々孟宗竹や残る雪

探梅やまた知られざる墓地二つ

紅梅や原町に今日も買物に

山陰の隠れし所墓地ありぬ雪の残りて夕暮れにけり
 
 

昨日は寒かった。今日はそれほどでもない、今年は寒さがつづく、だからこの辺でも雪は少ないのだけど残る雪が見られる。原町駅から高平にゆく、鉄道沿いにまた墓地があった。こんなところにあったのかとも思った。そこに古い五輪塔があったが名前は記されていない、これも相当古いのかもしれない、江戸時代の墓もあったから昔からあった墓だった。それからすぐ近くの丘に上ったら孟宗竹が生え隠れるように墓地がまたあった。そこには雪が残り梅林があった。
つくづく墓地をいろいろ見てきたけどいかに墓地が多いか?知られない墓地が多いか?人間の行き着くところ墓なのである。生きている人は誰もそう思わないが今日も葬式があり必ず誰かが死んでいる。要するに最後は墓に納まる。そして誰かが今自分が郷土史を調べるため墓を調べているが同じ様に調べている人が墓を見ているのだ。実際墓に入る日もそんなに遠くないのである。最近身内を墓に納めたから余計にそういうことを実感するのだ。

 
あの辺に竹下という地名があったが竹下というのはどこにでもある。やはりそこには竹が生えていたのだ。川の側であり竹が生えやすい、そこから竹下という姓も生まれる。駅の近くに原町区のあの辺の墓地が江戸時代のものであり古い、あの五輪塔は誰のものなのか気にかかる。原町史を調べないとわからない、これも結構めんどうである。本もないし図書館で調べるのも今や手間なのだ。やはりこういう基礎資料は手元に置かないと調べにくいのだ。郷土史研究は資料を読むことが基礎としてある。高平村の歴史がどうなっているのか探るのは資料をどれだけ解読できるかにある。ただ新し始めるとなると手間がかかるのだ。郷土史など狭い地域と思っていても結構知らないことが多い、一番身近なのは墓地を調べるのが何か具体的でいいのである。だからまたあそこの墓地に行ってみよう。
 

2010年03月04日

夏の旅短歌十首(奥会津)

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     夏の旅短歌十首(奥会津)

 
木陰なす樹影の深く奥会津杉の林に隠さる村かな

奥会津古沼にあわれ菖蒲咲き訪ねる人の心にしみなむ

奥会津倒れし墓や鬼百合の咲きて暑き陽山間に没る

十数輪鬼百合咲きていづこかな会津の村々巡り来たりぬ

断崖に激流ひびく奥会津鬼百合咲きて旅路ゆくかな

夏の日に尾瀬より流る水清し揚羽とまりて旅路つづきぬ

夏の日に聳え鋭し蒲生岳つばめの飛びて我が仰ぎさる

夏の日に会津の峰々競いつつ聳えけるかな清水手に飲む

はるけくも会津の境我が越えて越後に入りぬ夏の夕暮

小出にて只見を思う遠きかな夏の夕べの魚野川の岸


会津は尾瀬があり二三回自転車で旅しているけどどこをどういったのかもわからなくなった。山が多く坂が多いからふりかえるとその道のりがわからない、でも自転車とかで行った旅は体で記憶していることがある。それであとでどこだかわからないにしろふりかえり創作する。小出については書いたが小出からは必ず只見を思う、只見からさらに会津若松や喜多方は遠くなるのだ。実際その距離は遠いのである。ともかく本当に旅することは今は相当に演出しないとできない、無理やり不便な旅をしないと便利すぎるから旅にならないのだ。だからかえって時間もかかるし金もかかったりするのだ。何より自由な時間ないとできない、つくづく今旅ができなくなっていかに自由な旅をすることがぜいたくなことかわかった。普通の人は自由な旅はできない、わずかな暇をみて休養するだけだからだ。会社を一週間など休むことできないからだ。それだけ自由な旅をすることはぜいたくなことだったのである。でもこうした自由な旅をしないかぎり会津も広いから会津の地理もわからない、もし地理をわかろうとしたらこうした不便な旅をする、坂を越え坂を越えて旅するとある程度わかる。でも旅が終わって回想してみるとどこをどういったのかわからなくなっているのだ。車などだと余計にわからなくなる。それだけ旅したことを記憶することはむずかしいのである。
 

玉本様へのコメント(タンポポ(マウンテンバイクの記事から)

玉本様の(タンポポ(マウンテンバイク)の記事のコメント 


私も自転車が大好きです。
真正面から受ける風の気持ち良さは、何とも言えません。寒い冬でも、体がポカポカと温かくなりますので、自転車は心身共に健康的な乗り物です。今迄、ママチャリだったのですが、兄の形見でもある、前傾姿勢をとるスポーツタイプの格好いい、兄の体に合わせた大きな自転車が大のお気に入りで、大切に大切に愛用しております。乗りこなせるまでは、5回も転倒し2回怪我をして出血しました。そういえば、兄はバイクが大好きだったのですが、マウンテンバイクを乗りに行った事を楽しそうに話していました。私はバイクは嫌いなのですが、兄は車やバイクが大好きな人で、メカにも詳しい人でした。楽しそうに得意な話をしていた時の、兄のキラキラ輝いていた顔や話し方を今でも鮮明に思いだします。一生、大切な宝物です…。


プログ主(小林)のコメント


お兄さんは自転車好きでしたか、お兄さんには特別な思いがあるようですね、よそ様の家族についてはわかりにくいです、私が死別したのは姉ですが事情が複雑であり外から理解できないです。玉本様もそれなりのお年のようですがお兄さんがやはり精神の病で死んだことはショックだったことわかります。私の姉も優秀な女性だったから未だにあんなふうに痴呆になって死んでいったことが信じられません。死別の悲しみはなかなか癒されませんね、今は思い出を語るだけです。思い出を語っているとき死んだ人も活きてくる、お兄さんがどういう人かわかりませんが兄弟でもいろいろでありあるやはり人間はある人に特別な思いを抱くことはわかります、特にそういう人と死別すると悲しさもなかなか消えない、年をとると思い出だけが人生だとなってしまいます。それで自転車で旅したことを思い出してプログに書いています。

死んだ人にもう一度会いたいというのは本当に痛切なことです。いくら頼まれても相談されてもそれはできないことです。死別した人が集まって悲しみを語っているような掲示板あります、やはり若くて死別した人はなかなか忘れられないみたいです。一応天寿を全うした老人ならそれなりにあきらめがつくでしょうが若いとき愛する人と別れたらなかなか忘れられない、癒されないことわかります。

お兄さんについての特別な思いは伝わってきます、お兄さんが残した自転車に乗っているとお兄さんを思い出す、お兄さんもあの世から妹さんのことを見ているのかもしれません、
「あいつ、オレの自転車に乗っている、あの自転車にずいぶん乗ったな・・・」残された自転車を通じて死者との会話もあります、そんなにお兄さん思いの妹がいたことはお兄さんも幸せではないですか?兄弟でも姉妹でもその情はみんな一様ではないようですし外からみてそういうことわかりにくいですから・・・


 

タンポポ(マウンテンバイク)
http://musubu.sblo.jp/article/28785624.html

この記事のコメントでしたがこれも反映されなかった、まずメ-ルでコメントは送られてくるから即座に反映されるからわかりやすい、プログにも即座に反映されるのでわかりやすい、でもさくらのプログはコメントがつづけて反映されないことがある、これは困ったことである。
反映されないものはまた新しく記事を作り直してアップするほかない、新しい記事の方を見てまたコメントしてみてください。

2010年03月05日

春の日八木沢峠を越えて飯館村へ

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春の暮別れる道の三つかな
 

three parting ways
in the evening of spring
in the distance


春日さし細枝の影交わりぬ橲原村の午後の静けき


橲原に春の日さして細枝の影交わりて墓の眠りぬ

午後静か春の木漏れ日苔にさし木の根露に流れひびきぬ

八木沢の峠に望む海なりき冬の名残りの雲棚引きぬ

二筋の滝のひびけり八木沢の峠を越えぬ春の日さして

春の鳥夕べ静けくなきにけり家のともしき飯館村かな

飯館の深谷淋しも一二軒ゆく人まれに春の日翳る

飯館の森に鳴きける春の鳥その声のみそひびき暮れにき

残雪の安達太良見えてなおはるか会津の方に春日沈みぬ

飯館に二本の木静かなり春の日影の移ろい暮れぬ

飯館の森に鳴きける春の鳥その余韻の深く静まり暮れぬ

飯館の深谷に入り春の鳥鳴くや静けく我が聞き入りぬ

飯館の森の広しも春の鳥また一羽鳴きひびき暮れにき

飯館の森の静けく春の鳥遠くにひびき友を呼ぶかも

飯館に心鎮めよ春の鳥森の深きに鳴きて暮れにき

飯館の池の氷も溶けにけり一本の松夕暮るるかも
電動自転車で午後から飯館に出かけて7時ころ帰って来た。八木沢峠を上ることができた。ここがやはり飯館には一番近道なのだ。この坂は長いから予備の電池をもっていってもやっとまにあうくらいだった。やはり坂だと電池をくう。でもこれだけの坂もスイスイ上れるのだから気持ちいい、眼下に太平洋が見えたが以前として冬の名残りの鈍い雲がなびいていた。阿武隈からここに出たとき海を望めるから海に出るという気分になるだろう。浜通りの人はここから見ると以前として冬の名残りの雲がたなびき山は閉ざされた感じになる。海はやはり解放する感じになるのだ。

飯館はいつ来ても何かしんみりとしてしずまりかえっている。街すらないのだから森が覆って家が点々と離れて置かれている。春の鳥の声だけが澄んでひびいてくる。あとは何も聞こえない、森閑として静まりかえっている。飯館だけは他の村とは違い特別に静寂につつまれている。
何も変わったものがないのだけと常に特別な静寂を感じてしまう。今どきこうした静寂境の村は貴重な存在だろう。電動自転車だと半日で来れるようになったから気楽である。深谷というところも何かその地名にあった場所だった。ほとんど通る人もいない、車も通らない、まさに谷はないが深い谷の感じである。その道をゆくと道は三つに別れていた。月館と霊山の方にゆく道である。春だからなんだか遠くに誘われてゆく・・・でも今はなかなか行けないのだ。とにかく電動自転車は役に立つものだった。気楽に飯館まで来れることは行動範囲が広まる。なんと言っても坂をスイスイ上れることが行動範囲を広めるのである。近くでも坂が多いからなかなか行けないところがかなりあったからだ。

 

短歌とか俳句はやっぱり縦書きがいい、縦書きだと頭に記憶されやすい、横書きは記憶しにくい、やはり日本人の文化は縦書きだから頭もそうなっているのだ。だから今度縦書きにして出してみる。
                                                                                      
 

posted by 老鶯 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2010年03月06日

神話の村 (飯館村の早春)

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神話の村 (飯館村の早春)

森に覆われ家のともしも

その静まる森の上に

その澄むみ空の中に

神の鳴らす弦の置かれみる

そこにただ妙なる楽を奏でる

オルフェスのそこに住むかな

美しき音色に鳴きつつ暮れぬ春の鳥

その声の余韻深まる森の静寂

新たな神話の村にこそあれ

人よここを乱すなかれ

その微笑みを池に写して

春の陽は輝き山間に没る

飯館村の紋章(3)
http://musubu.sblo.jp/article/36057011.html


posted by 老鶯 at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

飯館村の紋章(3)

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posted by 老鶯 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

玉本様へコメント(認知症の暴力の原因)


認知症の暴力の原因(プライドを失わない)
http://musubu.sblo.jp/article/6623991.html

 
>認知症の高齢者は、皆さんプライドをお持ちです。それをポキ〜ンと折り曲げようとする言動は、
>余計に神経を逆なでてしまい、二次的・三次的被害が発生します
 
認知症の人に接して一番不思議だったのは自分が銀行からも金をおろせないとか記憶もできないとかいろいろ障害、できないことが多くなっているのに人に頼らざるをえなくなっているのにプライドは変わらずあるということ、これが認知症の一番の特徴だと思った。子供のときから知的障害の人にはプライドがない、認知症にはこれまで生きてきたことへのプライドは変わらない、痴呆になっても変わらないのです、だから今までと同じ様に接してもらいたい、尊敬されていた人はやはり演技でも尊敬されることを望む、これはみんななかなかできないことです、家族ですといろいろ家族に尽くしてくれた人だからとがまんして相手を馬鹿になってもたてることができるけど他人はそんなこと関係ないからたてることはむずかしい、単なる馬鹿になった人として扱いやすいでしょう、だからその人がどのうよに生きてきたか、家族がどういう家族なのとかは認知症になってからの介護に深く関係してきますね、介護する家族に恵まれていたら症状も緩和するでしょう。そうでないと認知症はかなり悪化してしまうみたいです。でも理想的に介護できる家族はまれでしょう。自分も代わりに介護する人がいない、一人だけだったから困りました。誰か代わりになる人がいれば楽でした。介護は一人だけだと重荷になり事件が起きたりしています、認知症は特にそうですね、認知症の介護は本当にむずかしいです
とにかく認知症の人にはこれまでしてきたことを思い出させてほめれば喜び症状が改善する。
でもなかなか馬鹿になった人をほめることはできない、家族だったら嫌でもいろいろしてくれた人だからやれるけど他の人はなかなかできない、それより馬鹿になったと今まで親しかった人も離れてゆくのが普通でしょう。特別世話になった人が演技してほめたりしていたけどその他はよりつかないし回りは偏見、差別ですから認知症についてはまだ回りでも理解がないです、病気がわかりにくいですから
 

反映されない自分のコメントについて 
 
マウテンバイクについての返答はつづいてできたが「認知症の暴力の原因(プライドを失わない)」は反映されない、即座にメ-ルで連絡がくるからコメントされればわかるのだ、自分のコメントもメ-ルで即座にくる、でも記事が多いし前の記事はかなりコメントがつづけて反映されない、最初のコメントは反映されても自分のコメントはつづけては反映されない、それでまた別の新しい記事としてアップするほかない、プログでもコメントとはほとんどないので気にしていなかったがコメントで応答するのにはさくらのプログではめんどうになる。できないことはないがつづけてコメントは反映されない、まだ一人ならなんとか応答できるがその他はむずかしくなるかもしれない、掲示板の問題は人が多いと互いに何を言いいたいのかとか混乱してわからなくなる。もし一人の発言を深く考察すればわかりやすい場合があるのだ。それとインタ-ネットは掲示板でも何でも自分なりに編集しないと見えないものがかなりあるのだ。いろいろな情報を編集すると活きてくるのだ。編集がないからインタ-ネットは情報のカオス、混乱になってしまいもったいないのである。

2010年03月07日

図書館は前時代の遺物になる ?(南相馬市の図書館での講演会に参加して)


図書館は前時代の遺物になる ?(南相馬市の図書館での講演会に参加して)

 
●電子化で問われる図書館の役割

南相馬市の図書館で講演会がありはじめて図書館に入った。中には集会所がいくつもあり建物自体は利用しやすいように作られている。講演会でも前に映像を写すスクリ-ンがありそれが自動的に上がり講演者が現れる。これは珍しいですとか言っていたからあのような仕掛けは他ではあまりないのだろう。図書館自体は立派だしその建物に文句を言うことはない、良く設計されて作られている。それよりも今や図書館とは何なのか?図書館の役割は何なのか?そのこと自体がインタ-ネットの普及で電子図書館を推進した方がいいという時代に問われている。図書館は図書だから本が主役であり本なしでは図書館は成り立たない、図書館だけではないこれまでは本が知識の主役であったから図書館の役割は大きかった。
それがインタ-ネット時代になったとき一体図書館が必要なのか、本も消えるとかなってその役割が問われるようになったのだ。現実に書棚に「本は消えるのか」という本が飾られていること自体それを象徴している。これまでは本に紙にすべの情報が知識があったのである。それが知識がインタ-ネットとかで電子化されると本にとらわれない知識の探求が可能になったのである。これまでは本と比較する知識は存在しない、メデアもない、テレビとかビデオとかのメデアは確かにあったが活字メデアではないから活字は文章は本とか紙に印刷されたものでしか吸収することはできなかった

図書館は何かかつての映画館とにていないこともない、映画館でしか動画のニュ-スが見れない時代があったのだ。テレビがでてきて映画館のニュ-ス放送は廃れたのである。貸本屋というのも街にあったのは本が高いから借りて読む、漫画すらそうしていた。図書館も無料の貸本屋のような機能があった。とにかく図書館の有用性を疑うようなことはなかったのである。図書館自体の有用性が問われるのは本が消えて電子化されるということにあった。本自体の有用性が疑われているから図書館の有用性も問われる。図書館は何かというとき、本は何かと問われているのだ。図書館は何か古い本を博物館のように蒐集している感じに見えた。無料の古本屋のようにも見えた。本というのは情報を簡単に提供するより一冊一冊が装丁などに凝っているから美術品でもある。だから本は気軽に知識を吸収して読むというより美術品でありそれはもう手軽に読むというより博物館に展示する稀少な美術品のような感覚にもなっている。

●図書館は本が主役だから廃れる

図書館や本はインタ-ネットの世界とかにのめりこんでいる人にとっては何か前時代の遺物の保管場所のように見えるのだ。時代が変わると携帯電話から今の電話の違いや鉄道と馬車や人力車の時代とかの違いになる。図書館自体は本を蒐集して所蔵する機能であるがインタ-ネットのなかに電子化すれば知識はいくらでも所蔵できる。それも全国に全世界までその知識は利用できる。つまり情報や知識は場所に制限されないものだった。今までは情報は江戸時代なら立て札が高札場まで出向かねばならないし映画館の時代なら映画館まで行かないとニュ-スを見ることはできない、場所に制限されていた。一冊の本でもそれが物だから物として運んだり並べたり物を扱う不便がある。でも電子化されるとモノという物体の感覚は消えて頭脳に直接正に電子回路に頭脳が組み込まれる感覚になるのだ。確かに一冊の本の持っている意味も未だに大きい場合もある。一人の個性的な人格を示すのには本の方がいいとなる。電子空間だと全人格的表現よりペ-ジだけが一記事が百科事典のように読まれているだけで放送する方は何だ百科事典の一制作者なのかとなってしまいやる気がなくなることもある。一冊の本を出せる人はそれだけ社会に認められていたというのが今までの感覚である。だから未だに自費出版にこだわる人が多い、そして今やその人たちは本が売れなくなった出版社のカモなのである。本を出したいという人につけこんだ出版詐欺まがいのものが多くなったのである。それだけ出版社は読者より本を出したいという要望に答えてもうけることを画策するようになったのである。ベストセラ-とか馬鹿げた大衆向きの本を出して宣伝で売れる時代は終わった。出版でもうけることはもともとむずかしいものだったが今はもっとむずかしい、そもそも本を読まない時代になっているからだ。情報や知識をてっとりばやくインタ-ネットでとり入れてすまそうという時代になったからだ。だから大衆向きの本すら売れないのである。エロも売れない、だからと言って本の価値がすべて失われるのではない、古本として美術品としての価値はまだつづくのである。
 

●利用されないものはすべて廃れる


国指定になった泉官衙跡についての保存について岡田茂氏が語ったことで長崎のハウステンボスやユニバーサル・スタジオ・ジャパンは一回見て終わりである。それはイベントがない、建物があってもイベントがない、デズニ-ランドがイベントがありそれで入場者が絶えない、建物だけではない、継続してイベントがあるから入場者が絶えない、建物だけだったら一回見れば飽きるから行かない、ハウステンボスの失敗はそこにあった。遺跡の保存でもそこに建物を再現しても建物だけなら一回見て終わりである。継続して人を呼ぶにはハ-ドではないソフトの面、何かイベントとかその歴史を現在の生活と結びつけるとか工夫が必要になる。過去を活かすのも現在生きている人間であり生活だからでてある。図書館というハコモノの建物よりそこで提供されるソフトが大事になる。そこでだから今までのように一冊一冊本を置くだけでいいのかともなる。大きな画面でスライドや動画を写す場所があることはいいことである。何故なら大きな画面だと記憶しやすいがパソコンの小さい画面だと記憶しにくいという面がある。でも個人レベルでもプロジェクタ-で大きな画面で写すことができるのだ。インタ-ネットの放送もできる。すでに今日の講演会でもインタ-ネットで放送すれば全国でも聞く人がでてくる。それは別に動画も投稿できるのだから簡単なのである。とすれば講演する人自体わざわざ南相馬まで来なくてもいいしインタ-ネットだったら印刷物を無料で配っていたがインタ-ネットでもまにあうとなる。ただインタ-ネットにアクセスできない人もまだまだいるので印刷物は必要なのである。印刷物だとまた金がかかるがまだ印刷物から離れることはできないだろう。つまり図書館やその他の施設が本当に有用なのかどうか問われているのはインタ-ネットの情報空間が拡大化したためである。

自分が郷土史で発信しているのも今やインタ-ネットであり図書館では知ることはできないということもそうである。インタ-ネットでグ-グルのブックレビュ-で相馬藩政記が読めた。キ-ワ-ドから調べて一部が引用もできた。グ-グルのブックビュ-はすでに本を買う必要がない、図書館にいるように本は無料で閲覧して引用できる。だから著作権違反だというのもわかる。ただ調べるものにとっては便利なのである。そういうことが大規模に行われたら本を買う人はいなくなるというのも本当である。ただ世の中、利用されないものは使用されないものは廃れる。それが例え金になるならないの問題ではない、無数に読まれる本があるとしても無駄である。読まれてこそ本も生きてくる。だから知識はインタ-ネットのように無料化してゆくのが増大してくるのかもしれない、なぜなら金にならないとしても利用されている、読んでいる、見ている、活用されていれば価値があることなのだ。自分のサイトでもプログでもそうである。だからアクセス数が常に問題になる。誰かが読んでいるとすれば価値あるものであり利用されないなら価値がないのである。インタ-ネットが金にならないというときそれ金にならない仕組みができていないだけであり一ペ-ジ読んだら課金されるような仕組みができれば金になる。利用されていることは価値があるからだ。膨大な死蔵された本には価値はないのである。「相馬郷土史研究」でもこれが地元の人に全国の人に利用され読まれていれば価値があるのだ。金になる前にそうなのである。
これが図書館では読めない、図書館に行かなくても家で読めるから別に図書館も必要ないとなる。ただまだインタ-ネットをできない人も多いから図書館はまだ必要だったがこれを10年前に計画したときはまだ図書館の有用性を疑う人はいなかった。でもその後インタ-ネットの普及で600億円も借金している市の財政でこうしたハコモノを作ることの批判も多かった。それで前市長の渡辺氏が選挙で負けた一因になった。

いづれにしろ時代が変わると,無用の長物にてってしまうものがある。青函トンネルなどもあれだけの労力を使ったのに無駄だったとか言うのは鉄道の時代から車の時代に変わってしまったからである。計画したときはそうではなかった。技術が十年単位で大きく変わる時代にはそうしたものが前時代の遺物になってしまう。それも遺跡となるのか?ピラミッドでも万里の長城でもその他前時代の遺物はある。図書館もそうなっているかもしれない、本を所蔵、貯蔵するのではない、電子図書館にすれば場所もいらないし一カ所で統括して情報は整理管理できるのだ。インタ-ネットだったら膨大な情報を発信することも簡単である。個人レベルでさえ郷土史の情報をデ-タ-ベ-ス化できるのである。いづれにしろトルコのエフェソスの図書館も実に立派である。蔵書12万冊を誇り、アレクサンドリアやベルガモと並ぶ世界有数の図書館だった。それだけ図書館を有用性を古代からすでに誇っていたのである。ただ電子化したインタ-ネットの時代にそうした図書館も前時代の遺物となってしまう、むしろ著作権がないなら電子化した方が全国的にも広く利用されるのである。ともかく知識でも利用されるからこそ価値があり死蔵された資料や本や情報でも価値は帯びてこないのである。
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春の雪(南相馬市の図書館)

 
図書館に古き本読む春の雪

図書館や電車のひびく春の暮

春の雪歩道をぬらし消えるかな

原町に来たりて去りぬ一本松春の雪ふり夕暮るるかも


 

図書館の中に喫茶店あった。あそこは学生の待合所には最適である。あそこで電車を待っているのが一番いい、図書館は無用の長物だと書いたが何事にも場所のもっいてる意味がある。インタ-ネットの電子空間にはバ-チャルな空間であり場所とか空間意識とか現実のリアリティはない、知識の流通に便利でも無機質だとなる。遺跡にも場所のもつ意味は大きい。泉官衙跡はなぜあそこの場所にあるのか近くに火力発電所が建った所に大規模な製鉄遺跡がありそのためにあの位置に新しく作られたのである。郡の役所はもともと軍であり軍の駐屯地のような役割を果たしていた。歴史が地理であるというときまさに郷土史でも狭い地域でも場のもつ意味は大きいのである。
 
今日はまた午後から雪がふった。自転車だからぬれて帰ってきた。すぐに溶けるから春の雪である。

春の雪というとき歩道にふって歩道を歩いている人がいれば春の雪にぬれるのもいいとなる、風流だとなる。ところが車だとそういう情緒がない、車にはそういう情緒を破壊する。バ-ンと突っ走ってさる暴力的なのである。浮世絵であれ戦前であれ人が歩くことは当たり前であり歩くことが基本にあった。車時代になり歩くことがなくなったということこれも不思議である。人間歩くことに感心するということ自体ありえなかったのである。昔の人が現代に来たら信じられないとなる。江戸時代の浮世絵の歩く姿はなんともなく情緒があふれている。その歩くことに感心していること自体歩くことが現代ではなくなったからである。通りはシャッタ-通りになったのもそのためである。人間が歩く姿は一つの絵だった。その歩く姿がない、ただ車が行き交い通りすぎてゆくだけなのである。
 
あの図書館もこれからそれなりに歴史を刻んでゆくのか、場所的には前よりはいい位置にある。でも車の時代になると駅前より郊外でもかまわなかった。シャッタ-通りになったからあそこにあえて作った。でも図書館だけでは活性化にはならないだろう。そもそも本を読む人は少なくなった。本が重要な意味を持っていた時代は終わったのである。ただ人間はモノとか建物とかだとフェテシズムになり愛着をもつ、愛書家となると本がモノだから本自体に愛着をもつことがある。だからなかなか本を手放せないともなる。だから本は一つの美術品的要素があるのだ。現実に図書館に飾られている本は美術品として飾っているように見えたのである。本の博物館のように見えた。本を活用するより本の博物館のように見えること自体、本の役割が変化したのだろう。現実の情報の知識の流通はインタ-ネットの方に移っているのだ。今日すでにこうして講演会の感想とか図書館の感想を書いていること自体、今までならありえないことである。リアルタイムで発信されることの意味は大きいのである。
 
南相馬市は古代の行方郡の領域と一致していたから南相馬市という合併した名前はどうかなとか言っていたがやはりここにも古代からの歴史的な考察が地名には必要になってくる。とにかく合併した結果としては原町に施設でも集中してしまう。特養の老人施設も新しく原町にできた。小高と鹿島には施設はできない、予算の配分がない、それで合併して損したという声も多い。結局合併は大きな市に併合されることだったともなる。それで飯館村は合併しなかったのかもしれない、地理的な問題もあったがそれなりの独自性を維持したかったのかもしれない、原町だけに予算が使われその他は使われない、全国的にそういう問題が起きているかもしれない、得したの原町だけだとなる。
 


 


 

2010年03月09日

南相馬市図書館での泉官衙跡の講演の要旨

南相馬市図書館での泉官衙跡の講演の要旨 

泉官衛跡は行方郡の役所として製鉄遺跡と密接に関係 

今回の南相馬市の図書館での講演会の要旨を説明すると泉官衙跡は明らかに金沢地区の大規模な製鉄遺跡と関連して新しく設置された官衙であり役所である。磐城の根岸郡家跡などはもともと土地の豪族の住んでいたところに建てられた。泉官跡は全く新しく設置された。その理由は大規模な鉄の生産が蝦夷征服に緊急に必要とされたからである。その前は宇多郡の新地の武井製鉄遺跡が先であった。

 行方郡は宇多郡から分離してできた後発の郡だったのです

http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20829241.html

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 真野郷の前に「浮田国造」がありこれは毛野氏系統に属している。在地の勢力として存在した。つまり宇多郡の方が行方郡より先にあり新しい勢力が入り宇多郡と行方郡に分割された。行方郡は常陸に行方がありそこに住んでいた人たちが移動してきたから名づけられた。その移動の目的は製鉄事業に参加するためである。 今回の講演でも他の論文でも小高の横大道遺跡で新たに製鉄炉跡を発見したということがかなり重要な意味を持っていた。何故ならこれは関東から来た人たちがたずさわったものでありより新しいのである。最初に来たのが岡山県とか滋賀県の人たちであり次に関東の人たちが来た。関東の人たちでも技術者は渡来系だった。なぜこの地域に製鉄のために移住する人が多かったかというと蝦夷征服のために多賀城が作られる前の前進基地として作られた。中国でも郡は軍なのである。つまり郡は郡の駐屯地の意味だった。そして泉官衙に米が運ばれ倉に納められた。その木簡が発見された。 

「嶋□郷□□里」の「□□白人」□一石□□十一日 

という名は渡来人に間違いないだろう。これは小高の横大道遺跡の製鉄にかかわった人かもしれない、この時関東から米が運ばれてきたという。米がまだこの地でどれくらいとれたのかわからないし米自体とれたかどうかわからない、米を納めたというとき関東の方から運ばれて納められた。その米を食料として金沢遺跡の大規模な製鉄が行われたとなる。現実に金沢製鉄遺跡に通じる官道が作られていたのである。製鉄所と密接に結びついて泉官衙跡はあったのである。米を倉に納め食料として鉄生産の管理所みたいになっていたのが泉官衙だったのである。泉官衛は中央の役人がかかわった具体的なものとして明確化された。

奥國行方郡火、焼穀穎二万五千四百餘斛

という記録も米がいかにここに貯えられていたかわかる。この神火と呼ばれる事件は全国に起きていて神の祟りとしたが裏には複雑な利権、不正があった。その不正ごまかすために倉に火をつけたのである。確かなことはこれだけの米を貯蔵していたのだから製鉄にかかわる人の数も多いし食料を供給せねばならない、泉官衙はその基地であり金沢遺跡と頻繁に行き来する役所だった。この食料を米を調達することは民を疲弊させた。それで神火もそのことと関連して起こった。なぜなら全国的に起こったからである。つまり泉官衙跡とは具体的に蝦夷征服のための武器(矢じりなど発掘)農具や仏具の調達拠点でもあった
運河があり木材も運んでいた、川を通じて物資も運び込まれていた。海からではない川が交通路になっていた。新田川は短い小さな川じゃないかと思うが古代では道はない、短い所でも川をつないで物資を運ぶと楽なのである。奈良とかでも川で物資を運んでいた。川をつないで物資を運んでいたのである。

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 笠原使主 かさはらの‐おみ
 6世紀前半
豪族
武蔵国造(
むさしのくにのみやつこ)埼玉(さきたま)郡笠原郷(鴻巣(こうのす))本拠とした。同族の笠原小杵(おき)と国造の地位をあらそう。隣国の上毛野小熊(かみつけのの‐おくま)支援をうけた小杵に謀殺されかかったが、大和朝廷の裁断により国造となり、小杵は殺された。恩に感じて安閑天皇のために4ヵ所の屯倉(みやけ)をもうけたという。 


この事件が行方郡と宇多郡に分割されたことににている。ここも毛野氏が在地勢力としてあり後続の大和王権の大伴氏などの進出により勢力が拡大化されたからだ。その時みちのくの真野の草原が中央の奈良に知れ渡った時期だった。そして真野郷の寺内に前方後円墳金銅双魚佩が発見された。この前方後円墳の主は大和王権系から金銅双魚佩を授かった。草原とは地名であり伽耶のことであり製鉄技術者の渡来人が集中して移住した地域として草原があった。百済郡とか大阪(攝津国)にあるのと同じである。そうでなければ草原という地名の謎がとけないのである。


  

講演者−岡田茂

 

講演内容とほとんど同じものがインタ-ネットの中にあった。

 

これなどが詳しい

http://www.mahoron.fks.ed.jp/kaisetsu/14_tetsu.pdf

posted by 老鶯 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

玉本様へのコメント二つ(連続してコメントできないので)


玉本様の発言

相馬のお掘りの菖蒲
http://musubu.sblo.jp/article/29286725.html#comment

人って、良い時はチヤホヤして、悪い時は離れてしまう、とっても身勝手な生き物だ思います。私の父は自営業で成功していた時は親戚にも他人にも大盤振る舞いをしていました。父も母も、御馳走はみんなで分けて食べる様な人でした。父が蒸発して母が邸宅を売却した時は、親戚や赤の他人達は高価な品物を欲しがり持ち帰りました。当時、私の両親をチヤホヤしておきながら、父がいなくなり亡くなってから、彼らは180度態度を変えてしまい、利用価値が無くなった時点で離れて行きました。父の通夜には父が自分で作った梅酒まで持って帰ったり、高価な品物も持ち帰っていきました。母もお人好しでしたから。その後は、何の音沙汰もなく手のひらを返されました。私も、昔は「社長の娘」でチヤホヤされました。だからと言って、高慢な態度をとった事はありませんが、やはり掌を返されました。だから、差別や偏見や良い時しか集まってこない人が嫌いなんです。ましてや、知的障害者や認知症など御本人や御家族の責任ではありませんから。私は、偏見や差別と闘います。
小林様の貴重な経験も宝物に、相手が例え同業者だろうが、世俗と闘います。小林様やお姉様が味わった屈辱を味わう人が減少する様に、私は「認知症の人と家族の会」や組織と一緒に闘います!見守っていて下さい!


プログ主(小林)の発言
人間は弱者に本当に同情することはできない、自ら弱い立場に経済的なことでも病気でも何か弱い立場にならないと経験しないと弱いということがいかに辛いか実感しません、姉自体がそもそも弱さを知らない女性でした。自らも優秀だといいつづけ最後に認知症になりぼろぼろになった。自らもできなくなり銀行のことなどがわからなくなり悔しがっていました。わからなくなる、できなくなることに自ら憤りを感じていた。その不満が他者への暴力へとなりやすいのが認知症だった。何度もいろいろ書いてきたようにどんな優秀な人も強い人も弱者になることがあるのだとショックでした。認知症はレ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも相当な優秀な人もなっていますから人間は誰でも弱者になる、弱いものだと実感しました。姉はそもそも人に差別されたりいじめられたりするような女性ではない、強い人でしたからありえなかった。だが一転して弱者になり差別されみじめなものとなった。あれだけ優秀な強い人が知的障害者になることなど今でも信じられません、認知症の人の不思議は知的障害者になっても人から馬鹿にされたくないというプライドを持ちつづけることでした。それが生まれつきの知的障害者と違っていた。だから正常の時のように接しないと怒ったりするからめんどうであった。
玉本様もいろいろと辛い経験なされたようでですね、「社長の娘」として扱われていたのが一転して変わってしまった。私も弱者になったものをかかえこんだとき、人間はそうなった時、助ける同情する人より弱みにつけこむという人が結構いることです。笑っている人もいました。人の不幸は蜜の味とかいいますがそういうこと経験しました。弱者になったから平身低頭することが多かったです。姉もいろいろ正常の時は援助したり助けたことがありましたが認知症になってから逆によりつかなくなった。確かに人間いい時だけ見ていたら人間のことはわかりません、一旦窮地に陥り弱者になったときどういう態度に出るのかそれで人の真価がわかるということあります、弱者になることがどれだけ辛いかこれはそういう体験をしないとわからないです、弱みにつけこむということは本当に人間はひどいと思います、でも人間は必ず弱い立場になる、一生のなかで強い立場で生き続けられる人はまれでしょう。最後は結局死ぬのですから人間は弱いものです。どんなに強い人でも最後は弱いことを自覚させられる。体験に裏付けられた同情は本物だしそこから行動されることは心強く思います。そういう人が現実にいたということも心強いことですし認知症や弱者になったことも励まされることでしょう。

玉本様の発言

冬障子より
http://musubu.sblo.jp/article/35186163.html#comment

私は、まだ41年しか生きていない未熟者です。でも、41年の間に、同級生よりも倍の苦労を味わいました。幸せは歩いてこない…だから、歩いていくんだね♪という水前寺清子さんの歌にもありますが、歩いても歩いてもなかなか見つかりません。小林様や、他のコメンテーターの方がおっしゃっておられる様に、きっと、幸せは雪が溶けて寒い季節を乗り越えた後に、忘れた頃に訪れるものなのかもしれませんね。幸せの価値観は各々違いがあるでしょうが、我先にと、悪質な手段を使ってでも目先のメリットを狙い人の幸せさえ奪う悲しい世の中です。
私が望む私生活での幸せとは、好きな学問に没頭し感受性を育てる為に、普通の穏やかな静寂な生活を守りたいだけです。元々高齢者さんが好きなのですが認知症の方の前では、心からとびっきりの笑顔になれます。私自身の自然な笑顔を守っていきたいです。贅沢な望みだとは思いません。雪解けを待ちます。人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です。



プログ主(小林)の発言
>人生の酸いも甘いも御存知な小林様の表現は、難しい事もありますが、素敵です

私も確かに長く生きてしまった老人だけど実際は他の方と比べてそれほど苦労したとはいえません。もっと苦労している人を見ていますから、苦労人とは言えないです。その証拠に本当に
弱者としての経験をしたのは姉の認知症の介護をした時でありそれまでは本当に弱者としての痛切な体験をしていません、弱者になることはこういうことか本当に実感しました。そして姉は優秀であり強い女性でしたから人間はこんなに弱くなるのかということを身近でまざまざと見てショックでした。人間は弱者となる体験を心底していないと人間のことはわかりません、それが老人になって誰でも自覚させられる。でもその時はすでに遅かった。人間の弱さは老人になるまえに、80過ぎてからでは遅い、その前に自覚させられれば人間として酸いも甘いも御存知な人となる。こういう人は他に結構います、それは学問なんかない人です、現実近くに知的障害者を90才になってまでめんどうみている女性いますからこういう人は人生の酸いも甘いも御存知な人でしょう。学問あっても人生のそうした経験がない人はいくらでもいます、40才ということですが40才でもそういう体験を積んだ人はいますから必ずしも年齢だけで決められないです。
年取ったからといってみんなが成熟した酸いも甘いも御存知とはならないでしょう。自分の場合は20代では辛い経験を結構していますがその後はしていませんから他の人の方が苦労している。人間は苦労しすぎて性格が曲がったりしますから余り苦労を背負わされるのもその人によるでしょう。自分は老人でも正直人生の酸いも甘いも御存知な・・・とはなっていません。


その他哀月様とウィナー21小八木店様の発言がありました。ありがとうございます

コメント欄につづけて反映されないのでこちらに別にまた書きました

2010年03月10日

管 茶山「冬夜読書」の漢詩を読んで・・

 管 茶山「冬夜読書」の漢詩を読んで・


石川忠久著「日本人の漢詩」(大修館書店'03年2月20日発行)から抜粋
管 茶山(かんちゃざん)の七言絶句「冬夜読書」


雪擁山堂樹影深 (雪は山堂を擁して樹影深し)

檐鈴不動夜沈沈 (檐鈴動かず 夜沈沈)

閑収乱帙思疑義 (閑(しず)かに乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思う)

一穂青燈万古心 (一穂(いっすい)の青燈 万古の心) 

 雪が山中の庵を囲み、外の木々の影もこんもりと見える
 

  軒端(のきば)の鈴もひっそりと音を立てず、冬の夜はしんしんとふけゆく

 取り散らかした書物をしずかに片付けつつ、疑問の点を考えると

 じっと燃える青い燈火を通して、先哲の心が伝わってくる

 

この漢詩が福島県の県立高校の入試に出ていた。 高校入試にしてはむずかしいだろう。なぜならこの内容を自分は老人になって理解できるものである。これが今の季節にぴったりなのだ。今年は寒い、昨夜も雪であり今日も外の風は冷たい、現実に雪がとけずに残っている。
これと同じことを昨夜は夜遅くまで起きて経験した。どういうわけか自分が一番読んだ本は聖書ではない、ショ-ペンハウエルの本を一番愛読した。おそらく気質的にあっていたのだろう。他にも確かに古典を読んだが若いときは理解できないことが多かった。でもわからなくても古典を読むことには価値があるし家に良書をおくこと自体、価値あることなのだ。何かの折りに手にとることがあるからだ。「じっと燃える青い燈火を通して、先哲の心が伝わってくる」夜の暗闇の中の灯火に先哲の言葉が伝わってくるというのは今でもそうである。江戸時代の闇はさらに深いから余計そうなる。「取り散らかした書物をしずかに片付けつつ、疑問の点を考えると」というのも部屋に本を重ね散らかしている、その一冊一冊をランダムに読んでみる、すると記憶が蘇りこんなことが書いてあったのかと見直すことがよくある。本の読み方としてランダムにペ-ジを読むことも読書の方法なのである。これは相当読書して老人になったとき特にそうなのである。やはり読書も積み重ねであり努力なのである。いい本を古典をある程度若い内読んでいないとあとで読めなくなる。

そして人間はいかに本を読むにしてもその本が限られているかわかる。今や知識は江戸時代の億倍になっている。だからつまらない情報、本に映像に浪費されること多い。もう映像が主流となるとき読書はしない、本は読まない時代ともなっている。映像を見て本を読んで音楽を聴いて・・・・そんなに人間いろいろなことを消化できないのだ。情報過剰化の世界で何を読んでいいか誰に習うべきなのかさえわからない、本も無数に出てくるし情報も毎日のようにあふれだしてくる。そういう時代に的をしぼって読むということも大事になる。ただその的をしぼることがむずかしい。結局老年になって読書の総決算が生じてくる。あなたが何を読んだのか?それが問われる。漫画ばかり読んでいたらあなたが老年で゛ふりかえるのは漫画である。老人になるとあらゆることの総決算が起きてくるのだ。読書というけど人間が吸収できる知識はほんのわずかである。青年時代はそんなことは思わない、時間はたっぷりあるし本なんていくらでも読めると思っている。実際は遂には本すらわずかしか読めないし印象に残るものもわずかなのである。そしていかに人間は多くのことを知らないか理解していないか老人になっても知るだろう。


この漢詩にしても有名だから普通文学をたしなむ人なら知っているはずである。ところが自分は知らなかった。基本的に知っているべきものを知らないことが多い、それは教養がないということなのだ。江戸時代の人間は現代のような膨大な知識とか技術とかの世界ではない、極めて人間的世界に生きていた。例えば春の雪の俳句で書いたけど歩くということが江戸時代では普通である。今は歩くことがない、だから歩道を雪がふりぬれて消えてゆく、歩道だからそう感じる。雪の中を歩く姿に情緒があふれている。今は車が走るだけであり人の歩く姿が見えないし歩いていても車が絶え間なく行き来しているから情緒が消されるのである。こうして人間の情が破壊されるているのだ。キレル人間になるのも車社会が影響しているのだ。人間と人間が相対することがないからである。歩くということなくなったということ自体そのことを物語っている。もはや商店街を歩くということがないのである。シャッ-タ-通りとなり歩く姿がないのだ。

今本の時代からインタ-ネットの時代となったとき昔からの読書という感覚も消えてゆく、キ-ワ-ドで調べることが 「取り散らかした書物をしずかに片付けつつ、疑問の点を考えると」はと通じている。キ-ワ-ドから共通なものがクロ-ズアップされるからだ。
管茶山という人も知らなかったけど結構有名な人だった。江戸時代の漢詩界では有名だった。江戸時代の方が情操的な面の教育では恵まれていた。先生でもそれほどの知識は必要がない、塾の先生でも人柄がいい人が選ばれていたということでもわかる。今は知識優先であり英語なら英語を外国人を相手にしゃべれるくらいだと最高の先生とされるし他でも同じである。人格など関係ないのである。学校自体受験勉強が主であり情操的な教育が最初から全くない、志の教育もない、江戸時代は最初に志の教育、武士とはいかにあるべきとか人間とはいかにあるべきとかを知識ではなく日頃の生活から教えたのである。これは戦前までもそういうところがあった。国家主義的教育でもそういうところがあった。今は全くない、団塊の世代からでも受験勉強であり知識の競争で勝つことだけを他者をだしぬくことだけを教えられた。一点でも点数を稼ぎいい大学に入りいい会社に入ることこれしか何も勉強の目標などないのだ。知識が膨大となり知識優先となったのである。

人間はやはり天才でない限り教育は大事である。凡才でもそれなりの教育するとそれなりのものになることはある。自分はいい教育はされなかったけどその後自己教育したとなる。現代では学校とかその他社会でまともに教育されるところなどない、結局自己教育しか方法がないのだ。でもどうしたって若いときは自己教育はむずかしい、回りの影響を過度に受けやすいのだ。それでカルト宗教団体に入ったりして青春を浪費する、そもそもそういう場所しか教育の場がなくなったということもいかに今の社会が異常か示しているのだ。だから受験が人生のすべてだと思わされて暗記とかの勉強に追いまくられ勉強嫌いになる。でも教育は知識の前に人間とはどうあるべきかとが問題になる。それが全くない一点の点数を稼ぐことしかないのだ。それが将来のすべてを決めると思わされている。日本にはすでに団塊の世代から教育はない、団塊の世代を今の若者は責めるけどそうしたのは団塊の世代ではない、受験勉強を強いたのはその前の戦争に負けて全く方向転換した戦前戦中世代であり団塊の世代はその方針に従っただけなのである。

江戸時代の魅力(江馬細香の漢詩から)
http://www.musubu.jp/hyouronedokanshi.htm

寒戻る


抹茶飲むあとの余韻や残る雪


五輪塔名もなく大きく寒戻る

手伝いの女の通うや寒戻る

石の鉢幾度も凍る記憶かな
 
一人で簡単に飲める抹茶を茶の湯用の茶碗で一人飲んだ。やはりそれだけでも心落ち着く、今日は本当に寒い、春寒しではない、寒戻るである。今年のような寒い時はあまりこの頃経験していない、手水鉢というか単なる石の鉢が今日も凍っていた。これだけ凍るのはめずらしい。これだと凍るのがこの石の鉢に記憶された。ちょうど凍土のように地面の下に氷河期が記憶されているとにている。そこにマンモスが氷漬けになっていた。
 
原町駅の近くの五輪塔は大きなものである。ただ名前がない、故にこれの由来を探るのはむずかしい。鹿島区の五輪塔の岩松氏のも大きいがこれは由来がはっきりしている。墓は家がなくなっても長く残る。実家の墓も実家そのものはないが墓だけが残っている不思議がある。墓だけといっても墓があるからまだ実家として墓で意識している。もし墓もなくなったら何か実家があったということをそこに埋まっている人も意識できないのである。謂われもわからない墓だけ残されているのも相当ある。でもなぜか実家の話を30年前に死んだ人の話を何回も今頃聞いてそういうことがあったのかと納得するのも不思議である。話は聞いていたが詳しく何度も聞いていると過去の実体が浮かんでくる。そうした過去は生きている人から何度も聞かないと理解できない、歴史を知るにも相当何度も訪ねて調べない限りわからない、それだけの情熱をもって調べられるかとなる、たまたま自分と関係した実家だったからしつこく聞いて理解したのである。
他の歴史的なことを知るのはやはりそれだけ関心がないとできない、でも何回も行く所はやはり謂われを必ず知りたくなる。近くの田中城跡は最近はじめて行って土塁が残っている所にたった。ここはずいぶん近くだったけど今頃はじめてそこに行った。あんなに近くにありあそこが湿地帯だったことはいかに湿地帯が広がっていたかわかる。鹿島駅からそんなに遠くないからである。
 
まあ、一人でも毎日家に来てくれる人がいると心強い、一人欠けてしまいまた一人欠けてしまいそうになっているのが我が家なのである。ともかく老人の病気は直らない、死ぬほかないのだ。直りようがないから生きていてもただ苦しむだけだとなる。死んでやっと安らかになるというのが現実である。死はさけられない、どうにもならない、死んでしか老人は楽にならない、認知症なんかもやはり死んで安らかになる。長く生きても苦しむだけだとなる。


 

2010年03月11日

南相馬市原町区上高平の五輪塔の謎

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南相馬市原町区上高平の五輪塔の謎




 鎌倉時代、青田常方(兵衛)が相馬郡領主となった相馬師常に従い、その曾孫・常永(右兵衛)は相馬胤村の老臣となっている。その子・常平(次郎兵衛)は相馬重胤に仕え、常平の弟・常清は相馬重胤とともに奥州へ下り、行方郡小高郷耳谷村山沢に館を構えて代々居住し、嫡流の子孫を「山沢青田家」とよぶ。

享保14(1729)年3月22日、扶持米で御広間番を務める七十歳以上の者に、大儀であるとして御広間番を免ぜられた。その時の高齢者筆頭として「八十六歳 山澤六右衛門

牛越城主・牛越定綱(上総介)の謀反に、相馬高胤はみずから出陣して牛越堡を攻めたが、猛将として名高い定綱に手をこまねいていた。このとき、文間胤久(萱浜五郎左衛門)は青田清弘(豊田三郎左衛門)と謀って牛越堡に偽って降伏し、定綱の首をあげた


  相馬青田氏略系図(3)

 青田常久―常義―常高―常清―常治―高治―赤沢常治………青田常美
http://members-abs.home.ne.jp/bamen/ichizoku2.htm

上高平の五輪塔の主はこの青田氏ではないか?天保で青田六右衛門(六右エ門)と記した墓誌がある。そのすぐ前の脇に五輪塔があったからだ。ここにはしかし江戸時代からの青田氏の墓は絶えたのかもしれない、これは江戸時代のものでもその後現在に受け継がれた墓でなかったかもしれない、ただすぐ近くの家の前に馬頭観音の碑がいくつかありそこに「青田常太郎」が建てたとある。これは明治以降でも常という字が受け継がれているのだ。相馬師常から常は始まっている。だから青田常太郎は武家なのかわからないが常を受け継ぐからその系統であることは間違いない、青田氏は牛越城の謀叛で功績があり相馬藩で重きを成したから今でも相馬藩全体でその姓は残されているし墓もある。ただ野馬追いの旗帳には青田氏はない、岡和田氏、小林氏はある。今もここの墓所にはこの姓の墓がある。下高平には青田氏が旗帳に記されている。青田六右衛門(六右エ門)は 山澤六右衛門でもある。これは同一人物なのかもしれない山沢に土着した青田氏が山沢の姓を名乗り移動したからである。ここは牛越城とも近いからあの五輪塔は青田氏である、その他誰になるのか考えにくい、歴史は地理であるとき狭い郷土史でもそうだった。牛越城を見てこの五輪塔があった。だから歴史は実際にその地を踏んでみないと実感しないのである。
 

上高平村の五輪塔
 

この五輪塔の名もなく古りしも

相馬四天王の牛越城の謀叛に功あり

青田氏なれや近くにその裔の常の名記す碑

今もここに牛越城を望み残りぬ

相馬藩上高平村の春田の中かな

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千葉氏のサイトは世話になったいて著作権違反の指摘があった。あそこはただ歴史的事実の記述かと思ったがそうでもないのか?歴史的な創作として記してあるのか、なんらか断りが必要なみたいだ。引用が長いからリンクだけだったらいいのか、その辺が今のところわからない、ただ指摘があれば消すほかないだろう。ただサイトはリンクできるから読めるだろう。

 
これはまだ自分の推測であり確かな考証ではありません・・・興味のある方は詳しく調べてください
posted by 老鶯 at 22:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2010年03月14日

春うらら(六号線であった歩く老人の旅人)


 

新田川流れ落ち合う春うらら

忘れ物盗まれざるや春うらら

春眠や我が恵まれし一世かな

初蝶の我によりそい旅の人

旅人や昨日は荒れ今日は春うらら

春北風に吹かれすすむや浜通り

風光る旅人歩む六号線

六号線桜の蕾ふくらまむ

旅人や今宵の宿は相馬かな

風光る梢をわたる風の音鳴きつつ鳥の渡り飛ぶかも

街道に松風鳴りて坂越えるかなたに光る春の雲かな

旅路来て何をし心に留めなむ春の日にあう道の駅かな


春眠だった、一日寝ていた。昨日は荒れ模様だったが今日は春うららである。鬱病のテレビドラマ見たけど悲惨だった。夫がうじうじ鬱病になって若い妻が働かねばならない、夫は自分は役に立たないとか社会に申し訳ないとか責めさいなまされている。こうなったら妻は夫にとって無言の圧力となるだけである。夫の分まで稼がねばならないしそれが夫に全圧力となるのだから鬱病が悪くなるだけだろう。社会に申し訳がないというとき社会を代表しているのが実は妻なのである。そういう点自分は相当恵まれていた。30年間も無職でありえたこと、旅行したこと、ほとんど無職ということで圧力をかけられていない、これは結局家庭の特殊な事情からそうなった。もしかえってまともな家庭だったらこうならなかったかもれない、あまりにも変わった家族であり自分が働かないということに関心が向けられなかったのである。そして今でも一時間ばかりでも無職だった人間がお手伝いさんを雇っていること自体奇妙に感じるのだ。暮らし自体にも経済的には困っていないのである。そもそも人間の境遇は謎であり不思議そのものである。人間の境遇はみんな違っている。トヨタのラインで硫化水素を出して自殺した人もいるがそこで親のありあまる資産で働かないで暮らしている若者も発言する。一人はそういうふうに働かざるをえない状態に追い込まれるのだ。一方では30年間働かないで暮らせた、おそらく自分はまともにできる仕事もなかった。人間がだらしなさすぎるのだ。だからこそ無職で過ごせたからこれまで生きられたともなる。ともかく眠りたいときは眠る、春眠はやはり眠りが深くなり夢のなかにあった。


今日原町の道の駅であったのは唐傘をさしてリュックを背負った老人の歩いて旅する人だった。。この人はお江戸日本橋から来た。東海道とか中山道とか山陽道とか歩いたというから歩きなれた旅をする人である。東京からここまで6日かかったという、一日50キロ歩いているという、300÷6=50キロ になる。相馬から江戸までは8日間かかったというとき昔の街道は今の六号線とは違う、距離的にも長いし歩きづらい道である。だから300÷40=7.5日間になる。約8日間になる。つまり6号線だと6日間で相馬で来た、昔の道だったら追加で2日間必要であり計算上あっている。この人はホ-ムレスではない、相馬で泊まると言っていたから金があり旅人なのである。途中旅館がなくて困っていた、街の方に行けばあると言ってもなくてこまったというのは15キロ先にちょうど旅館があるということはない、自転車でも旅館が見つけにくいのはあとに二三キロでも疲れて遠く感じるから見つけられないのである。歩きだったら余計にそうなのだ。相馬までも遠いその途中にホテルがない、この先どれくらい歩いたらホテルがあるのかと不安になるし歩きでは見当つかないからそうなる。普通はみんなテントとか寝袋を持ち歩いているのだ。さすが老人では無理だから泊まっているのだ。
あの旅人も昔の街道の松並木などを歩けば一幅の絵であるが六号線だと絵にはならないのだ。
 
自分も30年間旅したから春になったら旅だとなったが今やそういう旅ができないことが不思議である。旅って簡単にできると思った、それができないのか、こんなことがあるのかとつくづく思う、なんとか日帰りと一日くらいはできるかもしれない、しかしめんどうみねばならない人がいるとなかなか遠くに行きずらいのである。それで今や遠くに旅することがいかに恵まれたことか何度も思う、もう一度もし遠くに旅できたら本当に不思議に思うだろう。ええ、また旅できた、これはもう最後の見納めの旅だ、何かそれは奇跡的にさえ思うかもしれない、実際病気になったりした人、癌になってまで富士山に上る人の気持ちがわかった。病院で寝ているより最後の見納めとして富士山に登ったのである。自分もいくら旅したからといって旅もまたそんなにできるものではない、富士山などは一回上ったきりであり良くみていないのである。だからもう一回富士山をゆっくり見たいな、見て死んでゆきたいとまでなるのだ。こんなふうに老人になると最後の時期になるとみんなそうなるのだ。だから西行は凄いとなる。67才に小夜の中山を旅した、命なりけりであった。その年は今に換算すると77才にはなる。その年で良くまた最後の旅路にたったのか本当に旅に生きた人だった。これは相当体力がないとできない、西行の旅も実際は東大寺大仏殿復興資金の勧進を為さんが為だつたとなると何か実利的な目的があった。でも商人でも実利的でも昔の旅は歩くのだからみんな旅人になるのだ。ともかくまたうずうずと旅したくなった。旅したというとき自分は体力がないあのうよに歩いてはできない、旅には相当な体力が必要なのだ。体力差は老人でも相当ある。まあ、せいぜい近辺を今度は電動自転車で走るくらいだろう。
 
今日は本当に初蝶を見た。アカタテハかヒメアカタテハかヒオドシである。その紋様は記憶している。とにかく春らしい一日だった。

              夏富士の影の大きく登頂す

春夢-春胎動

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のうのうと眠り春夢や我が一生


春胎動地震二回も無事なりき

お江戸より旅人来る春の風

春 夢              岑参

洞房昨夜春風起   洞房 昨夜 春風起こり
遙憶美人湘江水   遥かに憶う 美人湘江の水
枕上片時春夢中   枕上片時 春夢の中
行盡江南数千里   行き尽くす 江南数千里


美人は関係ないけど「行盡江南数千里   行き尽くす 江南数千里」自分もある程度日本は行き尽くした。ただ外国は50才からでは遅すぎた。それでも一応一回でもそれなりに回ったから満足している。アフリカ大陸とか南米が行くことができなかった。スペインにも行っていない、世界を行くことなど今はめずらしくない。貧乏人の若者すら世界一周してしいる。百万もあればできる。ただ旅もきりがない、旅もいづれは終わる。もう一度見たいのはやはりヒマラヤだった。あそこは別世界だった。
とにかくも あなたまかせの 年の暮れ(一茶)
こういうのもあるけど一茶は貧乏だから今とは余りにも違う、苦渋に満ちた人生だった。それでもあなたまかせで生きることができたことはそれなりの幸運があったのかもしれない、今ニ-トとかなんとかそんなもの無数にいる。ただ親まかせだからいづれ今度はあなたまかせ社会まかせになるから困る。一茶のような人間が百万単位で社会にあやれだすのである。生活保護も百万以上いるのだからこれもあなたまかせなのだ。そういうものを許容できる社会でありこんな社会は今までなかった。それだけ不景気を騒いでもいるのだから不思議だとなる。江戸時代なら飢餓だった。働かない高齢者だとかニ-トだとかとにかく生活していけるのだから豊だとなる。

地震が昨夜もあり浜通りが一番揺れた。震源地は福島県の沖であり自分の住む場所だった。
春雷ではないがこれも春の兆しなのか何なのか、自然現象も明らかに社会に影響して何かが変わってゆく、春はやはり必ず何かが変わってくる。地震も夢の中で終わればいいが現実になれば悲惨である。要するに春の夢の中でいつのまにかにあの世に逝っていれば幸せである。
その前に介護だとか延命だとかそういうものになったら地獄である。あれよあれよというまに死んでしまうのが一番いいが今はそれがなかなか許されないから一面残酷とさえなっているのだ。世話する人がみんないるわけじゃないからだ。春の夢の中に死んでいれば・・・・ねがはくは花のもとにて春死なむ・・・・西行はそう夢見たのである。桜の吹き散るなかに死ぬ夢を見たのである。死というものも生きた結果としてそうなったのかもしれない、花を求め花を歌いつづけて花に死んだから本望だとなる。やはり最後は何を求めて生きてきたかが死にも現れたのかもしれない、あくことなくあなたは何を求めたのか?この世の欲を求めたらその欲があなたの最後として現れる。最後にスシもってこいと形相を変えて死んだ人がいた。やはりスシをそれほど食べたかった。餓鬼となって死んだ。やはり桜の花の夢を見て死ぬということはそれだけ美しい最期だったのである。願わくは・・だから西行はそう死んだかどうかはわからない、でもその一生からししてそう推測できるのである。

"玉本様へのコメント二つ(連続してコメントできないので)"へのコメント(弱者について)

 
 
この記事のつづきです 
http://musubu.sblo.jp/article/36170587.html#comment

人間は弱者となる体験を心底していないと人間のことはわかりません、それが老人になって誰でも自覚させられる。」

玉本様の発言
兄の訃報を聞いた時、自宅に一人でいたのですがパニックに陥り、母に連絡する前に、近所で可愛がってくれていた独居のお婆ちゃんのところに駆け込みました。相手が認知症だという事も忘れて膝元でワンワン泣き崩れてしまいました。
(そのお婆ちゃんは、私が認知症だと分かり御家族に介護サービスの利用を勧め、今は機嫌よくサービスを利用しています。)やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。
私は、認知症の方でも一人の人として接しています。そのお婆ちゃんの魂と私の魂が調和した安心感を得たせいもあって、人前では泣かない私が涙腺が壊れてしまったように大声で泣き続けました。

>やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や>御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。

人間はみんな弱者だということを知らないのです。一生強者で終える人もいないでしょう。でも強者であるときは弱者になるということを自覚できない。それが突然病気で倒れたり老人になると体が弱り弱者だと自覚させられる。しかし弱者に本当に同情することはむずかしいです。
いろいろな団体があっても党派があってもそういうところでは勢力拡大が目的で会員にしたくて同情したふりしますが本当の同情はそうした弱い立場にあった人の個人的なものでしょう。
私も近くの人が「かわいそうだ」と姉に同情してくれ辻褄の合わない話にもつきあってくれた。姉はそれで機嫌がよかった。結局今まで親しい人でも相手にされなくなった。でもその人は相手にしてくれたし話をあわせてくれた。それで最期に近くの病院に入ったときその人とあってなぜか笑ったというのも不思議である。

鬱病とか認知症の人は普通は微笑んでも大きな声で笑ったりしない、最後に大声で笑いあとは意識不明になり二カ月後に死んでしまった。ともかくその老人はよほど気の許す人になっていた。あとは相手にされなくなった。その人は今思うと特別な人であり一般的には認知症になったり知的障害者は普通のようには相手にされないのはやむをえないとあきらめた面はあります。唯一同情してくれた老女も今は脳卒中で病院で一年寝たきりであり不思議なのは今もボケていない、認知症になっていない、脳卒中になっても認知症にならない人はならない、平凡な人であれ意識がはっいりしている。過去のことをはっきり覚えている。一方で意識が混濁して何言っているかわからない人も脳卒中だと出でくる。
ともかく人間は病気だけではなく弱い立場の人を理解するには自らも弱い立場にならないとわからないでしょう。後進国でも先進国は弱い立場の人を経済的差で売春とかいろいろ支配できますから、一時日本が強いから中国でも韓国でも日本に虐待されたと恨みをもていますし今度は日本より強くなるから日本が虐待されるようになる。つまり世界史でも強いものも必ず弱いものになるし弱いものもいつまでも弱いものでありえない、強いものなってくる。そういうことは人生の中で常に起きてきますからやはり人間は謙虚であるべきなんですが謙虚であることが一番むずかしいんです、有能な人は奢りがどうしてもでてくるしもちろん権力がある人は当然奢りがでる。
貧しき人が幸いである・・とキリストが言った時、経済的に貧しいのではない、精神的に心の中で自分には何もないということ、才能もない、何か自分でもっているものがない、空虚なことが貧しい意味だたった。だから貧乏でも奢りをもっている人はいますし、精神的なものとして心の貧しいことなんです、自分が何もない何ももっていないという人に神から良きものが与えられるのです。
正直弱者にどう対処するかは非常にむずかしいです。知的障害者など認知症など迷惑だから抹殺ししてしまいとか極論もあります。弱者に光をあてたのはやはり宗教である。人間は一生強者ではありえない、必ず弱者になる運命にある。だかこそ強者の時奢ることは危険なんです。でも実際は自分が弱者になるということは弱者になってみないと自覚できない、自分自身もそうでした。認知症とか知的障害者をかかえることはこんなひどいことなんだと自覚させられましたから、ということは知的障害者がなぜこの世にいるのか?知的障害者などこの世にいないにこしたことがない、病人もそうですよね、ではなぜいるのか?それは結局人間は認知症のように知的障害者にもなりうる、レ-ガン大統領でもサッチャ-首相でも優秀な人でもなりうるんだということ、それはもはや一部の特殊な人ではない、万人の問題として認知症によってつきつけられたのではないか?人間はいつまでも強者でありえない、どんな人でも認知症のような無惨な敗者になるということを神から示されたのかもしれない、人間の知能も体もあてにならないということです。そして結局、NHKでももう新薬が作れない、たいがいの新薬は作ってしまってもう作れないとか人間の病気に対する科学も限界にきているのかなとも思いました。人間の力だけではどうにもならないのか、努力は必要にしても人間にはやはり限界があるのだ。神が創造した人間を唯一知っているのは神しかありませんからそこに限界が生まれる。

金がもっているひとは金があてにならない
からだの丈夫なひとはごろっとやられる
あたまのいいものはあたまがよわい
あてにするものはみんなあてにならない

宮沢賢治となると能力に恵まれ金にも恵まれ様々なものに恵まれた人だった。しかしこういうことを書いているのだからやはり普通の人とは違っていた。からだの丈夫なひとはごろっとやられる。本当に突然に倒れる、
ごろっとやられるから病気は怖いのだ。

あたまのいいものはあたまがよわい
あてにするものはみんなあてにならない

これが認知症だったのです。あれだけ頭のいい人がこういうことを言うんだからやはり並の人ではない、普通頭がいい人はこういうふうに謙虚になれませんから・・・・
時事問題の深層
http://musubu.jp/jijimondai39.html#risk

「人間は苦労しすぎて性格が曲がったりしますから余り苦労を背負わされるのもその人によるでしょう。自分は老人でも正直人生の酸いも甘いも御存知な・・・とはなっていません」

玉本様の発言


性格が曲がった人も知っています。
自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人も。
生まれた時から親も兄弟もいない可哀想な人もいます。今にも飢え死にしそうな子供もいます。私には筋ジストロフィという先天性の病気で生まれた時から、普通に過ごす事が出来なかった友人もいます。
ですから、私の苦労も苦労の内には入らないと思っています。嫌な目に合わされて、少々、人に対して臆病になった事もあります。弱肉強食の時代ですから、確かに苦労をした人は性格が歪んでしまって、悪事を働いても強い立場に立とうとします。政治家にも似た事が言えるでしょうね。私にも自分に負けて歪みたくなった事は多多ありました。でも、いつも際で引き返すんです。歪めないのは、弱者の立場が分かるからなんです。目先のメリットに目がくらんで、神様の言い付けを守らずにリンゴをもぎ取ったエバにはなれないんです。いやしい人間は最終的には信用を無くしてしまい裁きを受けて、本当の孤独を一生味わう事になると思えるからです。ライブドアの堀江氏や音楽家の氷室氏のように頂点から坂を転がり落ちるような生きかたを見て思いました。損して得を得るといいますが、私は今の世の中を生きて行く上で必要な、温かい心をもった信用出来る人を見つける事が出来るだけで得を得たと喜んでいます。小さな幸せで良いんです。小さくて平凡な普通の幸せを築いて守れるだけで。


やはり、人の痛みが分かる方の口から出る言葉は、温かくて説得力や共感出来る事が多いです。占い師でも外れる事もあります。ノストラダムスの大予言も外れました。人は自分で計画していたことでも外れてしまう事もありますし、未来の事は確約できないのかもしれません。私も、若年性認知症にはなるまい!と予防していても絶対的な確約はしてもらえません。そして、初めての経験は誰でも戸惑い困惑してしまうと思います。小林様も、精一杯出来る事をされたのですから。ブログで文字に残すという事だけでも、お姉様や人を大事にされておられるお人柄が伺えます。そういう温かい御気持ちが持てるという事は、年齢的にも余裕がなければできない事だと思います。年をとっても、いつまでも自分の事しか考えられずに弱い者を食い潰し天国には行けないような生きかたをいている人もいます。

私は、私の事も気にかけてくださりながら、御自分の心も正直に語り謙遜されておられる小林様の存在にも感謝しております。世の中、捨てたものではありませんね。人を思いやりながら共存共栄できれば平和で穏やかな世界になるのに…自分の事しか考えられない横暴な人が減って、お互いを大切に出来る思いやりのある人達が増える事を願って止みません。
温かいお返事、有難うございました。感謝。

Posted by 玉本あゆみ at 2010年03月12日 20:54
(訂正)音楽家の氷室氏ではなくて、「小室氏」の間違いでした。すみません。

プログ主(小林)の発言 

>性格が曲がった人も知っています。
>自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人
>生まれた時から親も兄弟もいない可哀想な人もいます。今にも飢え死にしそうな子供もいます

>私には筋ジストロフィという先天性の病気で生まれた時から、普通に過ごす事が出来なかった
>友人もいます。
商売柄というのはなんですけどいろいろな人と接していられんですね、実際にそういう悲惨な人と接するのは辛いです、脳出血になった老人で泣くことと笑うことしかできなくなった女性がいました。本当にかわいそうでした。でも泣くことができて笑うことができることが人間であるということも認識しました。泣くことも笑うこともできなくなったら人間じゃないのかなとも思いますから、しゃべれなくても泣き微笑むということは人間が人間であることの最後の条件だったのかとも思います。 筋ジストロフィというのもテレビで見ていますからわかります、いろいろ悲惨な人がでてきます。そういう人と接することは本当にむずかしいです。生半可な同情でできないですから・・・看護婦(師)さんには頭が下がります、過労死になる看護婦さんもいたとか実感しました。病院にまかせきりにする人が今多いですから、最後は病院で死ぬのがほとんですからこれからは看護婦さんは最後の看取りの現場にいることで重要な役目をますます担うようになります。だから人手がたりないとか余裕がないと本当に大変だと思います。

>性格が曲がった人も知っています。
>自分が作った苦労なのに甘えが出過ぎて歪んでしまった人

人間やはりあまりにも過酷だと耐えられなくなる。その人によりますけど介護とかで若年性認知症の夫なり妻なりを介護したりするのは経験したから本当に大変です。まだ若いのに親の介護をさせられるのも大変です。十年とかしている人も今ではいますから、そしたら自分の人生が犠牲にさせられますから・・・本当にそれでいいのかどうか疑問にもちます。いくらかわいそうだとと言っても若ければ若いほど自分の人生がありますから、まあ、介護は60以上になると世話になったしいろいろなこともしたからしょうがないかなともなるが親のためでも30代とかなるときついですね・・・
性格が曲がった人というと若いとき夫が大病になりその夫がそれで性格が歪んでしまった、自分が障害者となり妻に頼るようになりプライドがそこなわれた、それで妻に背中を蹴飛ばしたりと何かと妻にあたるようになり妻の性格も歪んでしまった、一生その人は障害をもっていましたから・・テレビドラマでもやっていました。鬱病になった若い夫を若い妻が働いてめんどうみなければならなくなった、夫はうじうじオレはだめなんだとか妻に文句いい、暴れるだけであり妻も若いし耐えられない、これも悲惨です。これもどちらも性格が歪んでしまうんです。なぜなら夫婦でも家族でも一時的にも離れることができなくなる、そういう閉ざされた環境でいることは本当に良くない、必ず介護する人も鬱病になるんですね、自分もなっていましたから・・・これはどうにもならないです、これが長くなると本当に辛いです。
これは身をもって体験しないとわからないです。自分は2年くらいで限界になっていましたから・・・他の人はもっと大変な人はいくらでもいます。本当にとを慰めていいかとまどうでしょう。でもそういう時外部の人のちょっとした支えでも励みになる。それはささいなことでもそうなんです。一言元気かいとか認知症の人にでも声をかけてくれれば本当に支えとなります。でもそれがないんです、かえって偏見、差別になるんです。人間ってそういうものなんだということが身にしみてわかりました。弱者のことは自ら弱者にならないとわからないんです。だから弱者で心が歪んでいないとしたらそういう人を見たら救いでしょう。かえってそういう人に励まされることあるでしょう。これほどの障害をもっていても必死で生きているとなると健康な人は恵まれているとか・・・・・障害者にも教えられることがある。
そういう報告もインタ-ネットとかであります、看護婦さんだと日常的に接しておられるから障害者をいろいろ見ていられるからそこにもいろいろな人間がいることで何かかえって健常者のためになることもあるでしょう。障害者が全く社会にとって人間として役にたたない、邪魔者だということにはならない何かがやはり人間だからある。ただこれは口で言うのと実際に介護する人とでは温度差がかなりありますから軽々には言えませんが・・・・・

インタ-ネットは編集で活きてくる 
変則的になるが自分がつづけてコメントできない、どうしようもないからまこ新しい記事としてアップするほかない、今のところ二人の対話だからいいかもしれない、でもこの対話を読んでいる人もいる
こうして一対一で長い対話することはインタ-ネットではないが二人の対話だとできる
こういう長い対話も必要なのである。その対話の中で明らかになるものがある。
ただあまり議論みたいなものはしない方が良い、たがいに納得し合えることがいい。
掲示板を作ればいいが今はできない、だから会話がつづくならこんなふうにするほかない・・・・
読んでいる方はめんどうになるだろう。
インタ-ネットは常に思っているんだけど常に会話でも編集するとわかりやすくなる、別な意味をもてくることがあるのだ。編集がないからただばらばらにまとまりがないものになってしまうのである。
インタ-ネットの中の医療プログでも何でもそうである。いろいろあってもどこにあにがあり何が注目すべきなのかわからないのだ。誰かが編集すると意味を帯びてわかりやすくなるのである