2010年02月01日

腕一本の誇りに生きた時代と仕事を嫌い鬱病になる時代

 腕一本の誇りに生きた時代と仕事を嫌い鬱病になる時代

 

江戸時代の職人の世界では腕一本で勝負していた。 大工調べでは、ある大工のところへ同僚がいくのだが この前俺がいったらあいつ本を読んでいるんだ 字が読めるだけじゃなくて書けるのだ ヤナ奴だね ことによると算盤もはじけるんじゃなかろうかと問いただしたらすまねえって謝るのだ
要するに、学があるのは職人として恥ずかしいという感覚だ。

http://www.nescom-asuka.co.jp/teacher/soliloquy/japan/beautiful.html

例えば、飛騨には昔から「貧乏したけりゃええ大工になれ」という諺がある。高山に近い国府町の岡村利衛門邸を作った広田藤兵衛という大工は、施主から与えられた材料で仕事を始めたが、どうしてもその材料に満足できず、色々工夫してみたがうまくいかない。そこで施主には黙って、高山八軒町あたりの材木店へ足を運び、やっと気に入った材料を見つけて普請した。そして、何喰わぬ顔で仕上げて帰った。
どっちみち、大工は貧乏するようにできている」という言葉を残して。こういう言葉の奥にひそむのは、すさまじいばかりの「誇り」なのである。

(飛騨の匠)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~fujii/s_hidatakumi.html

 男一匹、銭を持ってる訳じゃない。境遇に恵まれてる訳じゃない。ただ自分を信じて、腕一本で、たくましく根を張る伊佐次の生きざまに胸がすく。

戦前は職人が腕一本で多くの会社を渡り歩くのが当たり前であった。これくらい短い歴史の中で年功序列・終身雇用・首にされにくい制度が日本の文化によるものだというのは無理があると思う。
 昭和の日本には、旧きよき時代を腕一本で支えつづけた男たちがいた。 頑固一徹に磨き上げられた熟練の手技。 愚直なまでにひたむきに昔ながらの手仕事 ... 昭和の男たちは自信と誇りに溢れていた


   職人は腕一本の人であり今でもそういう人はいる。そういう人をまじかで見たとき今も腕一本の人がいると実感した。前にも書いたけどその人は庭作りもできるしリホ-ムできる大工であった。いろいろできるからめずらしいし仕事できる人だと見ていた。腕一本というとき腕が太くないと力仕事になるから職人にはなれない、畳職人でもそうだし職人は腕を使うのである。戦前から江戸時代にさかのぼるとそういう腕一本の職人が巷にあふれていた。その人たちは気っ風が良く威勢が良く職人気質であり町の中を誇らしげに自信に満ちて歩いていた。こんなことをなぜ今思うのかというと今はそういう仕事に誇りをもっている人が少ない、見えない、絶えず聞こえてくるのは仕事への不満、こんな仕事したくない、給料が安くてやっていられないとか不満ばかりなのである。職人の世界でもそうだろう。「大工は貧乏するようにできている」・・・貧乏より仕事に誇りをもち仕事にひたすら精を出す、そんな人がいたこと自体不思議になる。大工でも今は会社に雇われている人がいるのだから月給を給金をもっと高くしてくれとなる。自分の収入に今の時代満足している人はいないのである。「腕一本オレはどこに行っても食える」昔は一つの会社に勤める終身雇用などない、そんな保証を求めない、腕さえ良ければ仕事はある、それが誇りとなっていたのだ。一般的に仕事に誇りをもつというとき戦前から江戸時代の方がそういう人が多かった。まだ仕事は細分化されていない、職人でも一つのもの完成品として作っていた。一つの部品を作るのではない、完成品を作っていたことにある。字が読めなくても算盤ができなくても良かった。腕一本仕事一筋に励んでいれば良かったのである。仕事に誇りがもてないということはかなり深刻である。仕事が人生でもありもしその仕事に誇りがもてないとすると人生そのものが否定されるからだ。それで仕事しないニ-ト、フリ-タ-などが増えたのかともなる。


仕事してオレは仕事に誇りをもっている、腕一本で生きている、給金は安いけど仕事が生きがいなんだという人は極めて少ない、嫌々ながら仕事して鬱病になったとか鬱病になる人が実に多い、それは仕事に誇りがもていない、仕事に充実感がないことなど日々の仕事に原因しているのだ。仕事に満足しない人は賃金が安いと訴えることになる。目的は仕事ではなく賃金を多くもらい別なことをすることなのである。なぜ現代の文明の空気が濁っているのか?爽快感がないのか?仕事に誇りをもてない人があふれているからだ。こんな給料で仕事していられるか・・・そういう声しか聞こえてこない、それは否定できないにしろ社会全体がどんよりとした曇り空、鬱病的空になっているのは仕事に満足している人がいないことなのである。仕事がいやでも金のためにはしょうがないとかそういう人が日々仕事しているからこの世はますます鬱病的になっている。出版社で売れる本を作れと言われできないからとやめた人が鬱病になった。売れなければ価値がない、その人の作るものも価値がないとなることが多い社会である。売れなくても価値あるものを作り出すことに意義がある、それができれば鬱病にはならない、現代はまさにそういう点で病的であり社会の空気も鬱病的に濁っているのだ。「腕一本どこでもオレは生きてゆく」そんな颯爽として生きている人がいないのである。ニ-ト、フリ-タ-、派遣と比べると余りにも違っている。そういう人たちがあふれている社会と腕一本で生きてゆくという人があふれている社会はあまりにも違っている。仕事に誇りをもてない人が余りにも多すぎるのである。

働いたら、負けだったのか。
俺はマンホール開けては中に入る仕事をしているが、
もう腰をいつやられるか心配で心配で。
着ている服は役所と同じだから公務員と思われているかもしれんが、
派遣会社からの契約社員で、保険も、年金も手取りの17万から出さなければならない。
腰など痛めてしまったら、労災も出ないだろうし、会社からは放り出されるだろうし
考えると鬱になる。
もう安月給でマンホール持ち上げて臭い中に入るの嫌なんだよーっ。
こんな仕事についた俺はまさに負け。
働かない方がまだいいかも。


マンホ-ルだけではない、こういう人が現代では多いのである。月給が安いこともある。それより仕事に誇りがもていなことが日々憂鬱になっている。それは医者の世界でもあれだけ崇められている人でも給料が少ないとかいろいろ不満なのである。それは逆な見方として自分の腕に誇りがもてないからなのだ。むしろ医者自身より機械の方が優秀なのじゃないかとか思っているかもしれない、オレなんか偉そうにしているけど人間のほんの体の一部しかわからない、でもわかったように偉そうにしていないと医者はまずい、医者もこんな給料じゃやっていけないよ・・・とか必ず金の問題としてすべてが提起されるのが現代なのである。年収一千万でも不満なのか?やはり不満なのだから今の時代、自分の仕事に心から満足している人はいないのである。
要するに自ら働いているのではない、働かされている、働きたくないのだけど金のためにしょうがない、食うためにはしょうがない、人に使役されてもしょうがないとかそうしたいやいやながらの労働に満ちているから鬱病の時代なのである。その影響は社会全体に及んでいるから空気まで濁ってしまうのである。


秋日和(かっこいい、粋な鳶職)
http://blog.sakura.ne.jp/pages/my/blog/article/edit/input?id=33101295

posted by 老鶯 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

蕗の薹と退職者


蕗の薹近くで探す退職者

 
蕗の薹がもうでていた。各地でも出ている。自分の通る道ではみかけなかった。やはり同じ道を行っているからみかけなかったのか、ちょっと道をそれたような所にある。なんでも蕗が一杯しげるところには蕗の薹がでる。そこを知っていて蕗の薹一杯でていたと退職者が言う、退職者というより現役をしりぞいた60代の女性だけど町に住んでいても近くにそうした食べるものを探して料理して食べているのだ。それが楽しみなのである。ともかく田舎だと半分が退職者かもしれない、そしてますます退職者が高齢者だけが増えてゆくのが田舎なのである。なぜなら田舎に住みたいという都会の退職者も増えているからだ。田舎の空家を探している人も多いだろう。都会では蕗の薹を探すことは無理である。また蕗の薹を探すということはやはり退職者は何か生きがいを求める。仕事という会社という生きがいがなくなると新たに生きがいを求める。そのために田舎暮らしが生きがいを与えるだろうという幻想を持つことになる。それが戒められるのもわかる。
 
そもそもその女(ヒト)は実家は農家でありもともと田舎に住んでいた。それと女性だと地域に溶け込みやすいことがわかる。シルバ-センタ-とかで仲間作りもできるし趣味でも仲間を作ったり仕事でも家の老人と仲よくなり簡単な仕事をさせてもらったりと女性の場合家に入るのも適合力がある。男性はなかなかこうはいかない、退職しても地域にも何か生きがいある場を見出すのもむずかしいだろう。これは人にもよるが女性の場合は適合力あるなと思った。
 
老後をどうするかは高齢化社会の大きな課題である。高齢化社会の問題は各地でいろいろ起きてくる。NHKのクロ-ズアップ現代の「フ-ドデザ-ト-食の砂漠」というのもそうだった。近くのス-パ-がなくなることは影響が大きい。ここでも遠いがショピングセンタ-がイオンができたことで二軒のス-パ-が影響しているかもしれない、通りはほとんど店が消滅した。水戸とかあんな大きな市で買物もできないとなるのはひどい。車が利用できないとあのようになる。今の社会は車を利用できない人のことを全く考慮しないのである。だから車の運転できない老人は弱者になる。特に一人暮らしの人は買物すらできなくなるのだ。自分も今度は蕗の薹を探しにでかけよう。確かに蕗の薹はある所にはあるのだ。この辺でも近くにあるのだ。

2010年02月02日

雪の朝

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蝋梅に墓に雪積む朝かな


生き生きと犬の足跡雪野かな

葉牡丹に雪積む朝や石の庭
夜ここでは雪が降っていた。結構積もっていた。それで朝マウテンバイクで雪の中を走った。太いタイヤだから走れた。これは相当太いのでないと滑るから走れない。蝋梅に雪であり墓にも雪が積もっていた。ただ見た通り写生に心がけて作った。蝋梅に雪--墓石にも雪-朝-これは何か作ったものがない、まず写生に心がけた結果できたのである。つまり想像で作ったものではない、写生なのである。ここでは余り雪は降らない、降ってもすぐ消えている。でも二月とか三月にふる。東京がふるとここもふりやすいのである。会津や中通りがふってもここはふらないことが多い、東京の方がふるとここもふるのだ。今日は朝まずこの辺の雪景色をみて次に仙台の松島にでかけた。仙台の方は夕方から夜に雪になっていたがここは雪になっていない、晴れて星がでていた。こういうふに天気はどこも一様ではない、近くでも変化がある。松島の方は夜も雪がふっているのかもしれない、雪景色の松島となっている。

雪の松島-俳句短歌-政宗のこと

雪の松島-俳句短歌-政宗のこと

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走り去る電車や雪に椿かな

みちのくに金の障壁画冬鴎

抹茶飲む観欄亭や冬障子

鴨群れて観欄亭や冬障子

秀吉の威勢及ぶむ冬障子

政宗の伊達も威勢や冬障子

松に雪観欄亭に藩主の座

さしだせし名器の茶碗松に雪

みちのくに島の少なし冬鴎

松島や雪に散り赤し椿かな

尋ねざる奥松島や雪となる

松島や雪また雪や夜の更けぬ

塩釜に海見つ墓所や冬深む

雪となり夕べ遠しや石巻

北上川上の遠きや冬の月


松に雪かもめ飛びつつ松島や瑞巌寺の門古りて暮るるも

松に雪鴨の群れつつ波にゆれ松島暮れて旅人の去る

小松島小さく見えぬ幾度も松島たずね冬のくれかな


ねんごろに茶碗を手にし島望む観欄亭の冬のくれかな


老木の枯木の磐に根づきつつ雪の積るや松島の海

文永の碑のあり遠き松島は祈りの島や雪のふるかな

大いなる港ととならむその跡やみちのくの海に雪のふるなり

夏の日に一度はたずぬ鳴瀬町松に家古り冬となるかも

石巻冬に遠きや葛西氏の城跡古りぬ河口の島に

葛西氏は滅びけるかな石巻その跡たずぬ冬のくれかな

勝つものの陰に滅びしもののあり政宗たずぬ冬のくれかな

さらに遠し石巻より平泉北上川 に雪のふるかな

小牛田の碑相馬にあれや山神を祈り祀るや冬深むかも



歴史を知るというとき例えば伊達(だて)は派手好みとして中央に秀吉などに見せて有名になったけど実際は東北は貧しい農民がほとんどであり財力はなかった。それでも政宗は財力あるように装うために伊達者を演出した。そういう歴史的背景を知らないと歴史は全く違ったものとして解釈してしまう。また逆に秀吉の時代でもみちのくのことは情報が入りにくいからわからない、すると派手な格好した伊達者がいるので陸奥は裕福なのかと思うこともある。一方で葛西氏などは秀吉を見くびり秀吉を甘くみて滅ぼされた。その当時社会情勢を理解すること自体むずかしいことを物語っているのだ。地理的に隔絶された世界であり時代の情勢を読むことはむずかしいからそうなる。葛西氏は相当な有力な氏族でも滅びた。石巻を中心にして領地をもっていたが滅びてしまった。政宗は常に脚光をあびるが葛西氏はその陰に歴史の地層の下に埋もれてしまったのである。こういうことは歴史には常にある。政宗は余りにも華やかであり常にスポットライトをあびる存在である。でもその陰に必ず滅びて埋もれた人々がいた。観欄亭にしても冬だと冬障子であり確かに金の障壁画が残っているが秀吉の豪勢な安土桃山文化からすればとるにたらないものとなる。だからむしろ冬障子というものがにあいだとなる。みちのくには豪勢な城も文化も残らなかったのである。平泉にしても金色堂だけが辛うじて残ったように関西や京都と比べるとの規模は余りにも小さいのである。ただ政宗の時代に世界まで羽ばたこうとしたことは政宗だけだった。それだけの世界的視野を陸奥でもち得た人だったのである。

今回、雪ふってきたので奥松島から石巻に行かなかった。この頃何か近くでも遠くなっている。一日泊まることさえ容易でないから近くでも遠くなってしまった。奥松島から鳴瀬町から石巻まで自転車で行った。石巻からは必ず北上川をさかのぼる、すると石巻から平泉までイメ-ジする。それは北上川を通じてイメ-ジされるのだ。石巻からは平泉は北上川を通じて結ばれている。そうでなくても石巻からは平泉をイメ-ジする。芭蕉も石巻から平泉に行ったからである。石巻は地理的に特殊なのだ。その港は江戸まで通じていた。仙台平野の米が運ばれていた。
 

川上とこの川下や月の友 芭蕉


これは隅田川でありここでは船の行き来が多かった。北上川はそんなに多くはない、でも川が道として結ばれていた。 でも平泉となるとやはり相当奥なのである。それで「北上川上の遠きや冬の月」とかイメ-ジして作った。陸奥は奥深いのだ。平泉よりさらに奥に広がっていたのが陸奥である。芭蕉の奥の細道でみちのくの地理的感覚の基礎が作られた。だから石巻は重要な地点だったのである。宮城県関係の神の碑が相馬には多い、館腰宮やその他いろいろある。それだけ宮城県とは密接な関係が江戸時代からあった。相馬藩は伊達藩との関係が深いのである。地理的にも一体化しているのだ。いづれにしろ冬になると近くも寒いとか雪がふるとかさらに私的な事情で家から離れられないとかなり遠く感じてしまった。冬はやはり近くでもこれだけ交通が発達しても遠い感覚になる。新幹線で近いじゃないかともなるがやはり冬は遠出しにくいから遠くなる。いづれにしろ宮城県の神社が江戸時代では相馬藩の人がお参りしたとしてもやはり遠いのである。ともかく今日は夕方から松島が雪になり奥松島も雪になり石巻も雪となり平泉はかなたであり遠く感じた。でも相馬の方は夜は晴れていたのである。東北でも広いから遠いなと感じることがある。それが普通の感覚なのである。

2010年02月04日

寒さ(芭蕉と類想俳句)


もの言わず石にしみいる寒さかな

 

[類想俳句] 


物言えば唇寒し秋の風  芭蕉

もの言わず石にしみいる寒さかな


俳句の鑑賞として対称的なものとして類似俳句とは違う、類想俳句である。共通性を見出す鑑賞方法がある。芭蕉の句はもの言うと何かとさしさわりがでてくる。だからもの言わない方がいいという日本的なものなのかもしれない、日本人は自分を主張しない、外国人は常に自分の正当性を主張する。異民族と絶えず交わっていたから自分の正当性を主張しないと生きていけない、だから謝ることはない、謝ったら負けになり財産は没収され命までとられる。日本人はかえって何か言うと生意気なやつだとか責められる。何か自分を主張して言えない文化があり何も言わなくてもわかるとか空気を重んじないものは排斥されるとかもの言えない文化がある。文化というとこのように奥深いのである。もの言わずただ寒さが石にしみいる、これももの言わぬことの類似した俳句となる。これも理屈というのではない、一つの類想俳句である。二つを比べて鑑賞するとより深くみることができる。 ものを言っても寒しでありもの言わなくても寒しであり人の世は生きにくいとなる。


川上とこの川下や月の友 芭蕉
 

北上川上の遠きや冬の月

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これも類想俳句になる。芭蕉の方は隅田川だからかなり船が行き来しているから川上でも川下でも友を思う川になっている。北上川となると確かに平泉があり交通があったとしてもなかなか川上と川下がそれほど人が通い結ばれていたとはならない、それで冬の月になったのである。

とりわきて心も凍みて冴えぞわたる衣川見に来たる今日しも 西行法師

 

平泉は冬になれば一転してこのような歌がにあう場所だった。皓々と冬の月が冷たく冴えわたり光っているということにもなる。
 

寒々と御池凍りて平泉柳の御所も名ばかりなるも


今日は立春とはほどとおい、しみ入るような寒さだった。

2010年02月05日

愛しあい調和する家族(詩)

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愛しあい調和する家族

春の日が部屋にさして

花が二つ明るくよりそい咲いている

赤い花と紫の花

ともに映えつつ咲いている

そこに争いはなく調和の美

花はともに愛し合っているよう

その色を尽くしてともに咲いている

家族すらともに愛し合い調和しない

長い間私はそういう家族にあった

他にもそういう家族はある

家族すら愛し合えない調和しない

それがこの世の家族であった

その期間は余りにも長かった

私の願いは家族が愛し合い調和すること

この二つの花はよりそい愛し合っている

だからさらにここに美しさは増している

いつくしみ愛し合うのが家族

それがない家族は家族だったのか?

家族が愛し合うからこそ

この花の美は家に映える

家族がいさかうなら花も映えない

家族でなくてもこの世に自然の美は映えない

国と国は争い、争いはやむことがない

愛し合わない争い憎しみが絶えない

だから自然の美は映えない調和しない

その痛みは深く傷は癒えない

望むものは愛と調和

平和の日が長くつづくこと

その傷痕は余りに深きが故に・・・・


posted by 老鶯 at 19:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 詩全般

spring stream2(抽象画)

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                      宇宙の芽吹き
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        spring stream

2010年02月06日

家族は不幸でも逃れられない宿命を背負っている


家族は不幸でも逃れられない宿命を背負っている

●ゆがんだなりの美しい実
 
家庭  室生犀星


 家庭をまもれ

悲しいが楽しんでゆけ
それなりで凝固ってゆがんだら
ゆがんだなりの美しい実になろう
家庭をまもれ
百年の後もみんな同じ諦めきれないことだらけだ
悲しんでいながらまもれ
家庭を脱けるな
ひからびた家庭にも返り花の時があろう
どうぞこれだけはまもれ
この苦しみを守ってしまったら
笑いごとだらけになろう  

 
室生犀星は妻をなくした旧武士の小畑弥左衛門吉種が六十四歳の時、身の廻りの世話をしていた女中のハルにうませた子である。女中の子ということが生涯ついてまわる。そして吉種の死と共に、吉種の長男たちによって泥棒呼ばわりされ追い払われた女中であった自分の生母への思慕と悩みを持ち続けた。女中なるが故の不幸であり、悲運であり、

生まれてすぐに生家の体面上、他家にやられた作者にはほとんど母親の記憶がない。わずかな記憶は、「殆醜い顔に近い母親だった」ことくらいだ(『紙碑』)。

室生犀星は、複雑な家庭の中で私生児として育てられた。兄(後に金沢裁判所書記の職に就く)と姉(後に娼婦として売られる)がいたが、二人とももらい子であった。実母も、はっきりとはわからず、終生彼の詩の中にも母に対するあこがれが歌われているように思える。

 普通の家庭は両親がいて兄弟姉妹がいる。そういう普通の家庭でもインタ-ネットだけなのだろうか、匿名になるから親の文句を言う人がかなりいる。その憎しみも強い。家族自体がおそらくみんな違ったものとしてあるのかもしれない、トルストイが「幸福な家庭はみなおたがいにかよっており、不幸な家庭はそれぞれその家なりに不幸である。」と言ったとき家族というのがやはり千差万別だからかもしれない、家族とは例え外から幸福に見えても不幸を内在しているかもしれない、なかなか家族はわかりにくい、自分の家族も外から理解できるとは思えない、こんな家族もあったのだということを自分自身でつくづく矛盾してもふりかえるだけである。姉が死んでわかったことは自分には正常な家族がどういうものか知らなかったことである。そういう人はやはりいるのだ。家族の愛を受けて育たない人もいる。親がいない人は家族とは何か知らない、親の愛とは何か知ることはできない、兄弟姉妹のない人は兄弟愛とかも知り得ない、両親がいても絶えず喧嘩ばかりしているとそこにも愛と調和の家族はない、そういう所で育った人は喧嘩が普通であり家族は喧嘩する場所として育つのである。でもそれが嫌でも異常ということに気付かない、それが当たり前になってしまう。両親が愛し合いいつくしみあうことがあるの?とかなる。もちろん具体的に継母とか昔から問題が置きやすいからその不幸が語り伝えられてきた。


そういうのは外からみてわかりやすいから理解しやすいのである。ところが家族の問題は外からはどうしても理解しにくいものがある。その一つが自分の家族だったのである。でも自分自身にとっては全部が悪い家族とは言えない、ただ正常な家族がどういうものか自分は知らなかったのである。だからその不正常さが最後に悲劇を生んだともなる。人間は異常でも矛盾でもそれが長くつづくとその異常さが普通になってしまう。戦争すら余りに長くつづくと戦争が普通であり人がバタバタ死ぬことすら驚くこともなくなるかもしれない、もはや平和と何かも理解できなくなっているのだ。人間の社会は本質的に平和はない、家族にすらないから平和がないのだ。だから天国に行ったら驚くだろう。ええ、こんな人が愛し合う平和な世界があったのかとそれは全く地上では経験しえない世界である。はじめて経験するものであり地上の経験をそこであらためてひどいものだったとわかるのである。

ゆがんだなりの美しい実になろう
家庭をまもれ
百年の後もみんな同じ諦めきれないことだらけだ
悲しんでいながらまもれ
家庭を脱けるな
ひからびた家庭にも返り花の時があろう

犀星は家族の愛を知らないで育った。自分は家族の愛を複雑でも受けすぎて育った。矛盾の愛の中で育った。その期間があまりにも長すぎた。つくづくだから「ゆがんだなりの美しい実になろう」というのも実感としてわかる。ゆがんだ矛盾した家族でもそれが与えられた家族であり逃れたくても逃れられないのである。悲しいことでも逃れられない、家庭を脱することができないというのが真実なのである。家庭とはそういう宿命的な場所なのである。それが自分一人の力では変えることはできない、それでも調和させようと努力する他ないのだ。そうした家族にもゆがんだ家族でもゆがんだなりの実がなる。それは生前ではなく死んだあとに経験することもありうる。ゆがんだ家族であり矛盾していたけどやはり家族は家族であり全うした家族だったとかなる。
 

●知的障害者をかかえた立派な家族

兄が知的障害てんかん持ちです。
子どもの頃は兄に暴力振るわれたり、近所や学校でも兄の事で苛められたり、
家の中は滅茶苦茶で、親はいつも謝って回っていましたし。
普通の子どもの生活ではなかったな〜と今思います。
今でも皆さん同様、両親は大変な思いをしています。
でも、私は不思議な事に一度も兄を疎ましく思った事もなくて、
むしろ、人の痛みを分かる様になったのは兄のお陰だ、とすら思っています。
それもこれも、両親が偉かったな、と今自分が子どもを持って改めて感じます。
もちろん、両親も歳をとって来て、これからは悠長ではいられないかもしれません。
夫も夫の両親兄弟も、事情をよくわかってくれていて、
「みんなで力を合わせれば、苦労も減るよ」と言ってくれます。
そんな言葉に甘えるつもりはありませんが、私は幸せだなと思います。
今後、どうなるかは不安ですが、あまり先の事は考え過ぎない様にしています。
母が「先の事を考えると、今日生きていられないくらい不安になるから、
せいぜい一ヶ月先の事しか考えない様にしてるのよ。」とよく言っていました。
兄も今は私が一番好きな様で、遠方ですがたまに会うととても喜び、
私の子ども達の事もとてもかわいがります。

子どもの頃から、人がしないで良かった苦労をして来たここの皆さんが、
少しでも、哀しい思いや苦労をしないで生きて行けるといいなと心から願っています。

こうした知的障害者をかかる苦労は並大抵のものではないことを自ら実感した。認知症もやはり幼い時から知的障害者とは違うが症状は同じなのである。そうして普通知的障害者をもっている家族のことなど外からわかりにくい、その苦労もわかりにくい、そういう人はでも近くにいる。すでにその障害者は65才とかなり親は90才でなお世話しているのだ。その苦労は並大抵のものではない、これも近くにいてもその苦労を察することはできない、それぞれの家族の不幸がありそれは外部からは察しにくいのである。自分の家族もそうだったのである。障害者をもっていてもこうして親がしっかりしていればいい家族になっている。一般的にはみんなこの反対になっているのが普通だからだ。この文章を読むだけで感動的なものではないか?泣けてこないか?

夫も夫の両親兄弟も、事情をよくわかってくれていて、
「みんなで力を合わせれば、苦労も減るよ」と言ってくれます。

こんなふうに言ってくれる兄弟がいるということ自体他の家庭とは違っている。

身寄りがなくなれば一生施設にいるだけよ
障害者も高齢になれば兄弟すら面倒みないよ
私は姪の立場だが、障害者の兄である父が死んだあとに
縁切りということで。
母には姻族関係終了届けを出させました
すごーーく嫌なことです
親族にそういうのがいることって
いない人にはわからないだろうがね
結婚にも足かせになると思う
いとこも嫌がっていたからさ

こうなるのが普通であり例外的なのだろうか?知的障害者の問題はふつう家族にそういう人をかかえないと無関心である。むしろ知らず差別などししているのが普通である。自分もそうだったけど家族にアルツハイマ-の患者をかかえたので関心を持つようになった。認知症は生まれつきの知的障害者とは違うがやはり症状は同じである。違うのはこれまで優秀な人でもなる。それも単に学問ができるとかではない、しっかりした人でもなる。特別優れた人でもなることが違っている。社会的に家庭的にも頭脳的に優れた人がなる。それでなぜ知的障害者になったのか、ジキルとハイドのように一人の人間に起きてくるからただ茫然として唖然するだけだった。実際にレ-ガン大統領でもサッチャ-首相でもなった。両方とも特別強く優れた人だった。それでもアルツハイマ-になり知的障害者になったのである。ということは認知症とかは老化が原因だからどんな優秀な人でもなりやすいという恐怖があるのだ。知的障害はだから今やすべての人にとって身近な問題になったのである。人間とはそれほど完全なものではない、弱いものであり知的障害者となるリスクもかかえている。それが高齢化社会で数がふえるから人間の無惨さを目の当たりにすることが多くなるのだ。

愛し合い調和する家族
http://musubu.sblo.jp/article/35142957.html

posted by 老鶯 at 19:37| Comment(4) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2010年02月07日

冬障子

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石に雪家に籠もりて珈琲飲む


つつがなく家に籠もりて冬障子


ものの影写りて静か冬障子


冬障子の中は金箔の障壁画

石二つ晩年静か冬障子


幸せはいづこにあれや石二つ耐えつつ北風唸りけるかも

 
冬障子という季語も最近はじめて使ったからこれもぴんとこない、松島の観欄亭の障子はいかにも冬障子という感じがしたので使った。昨夜は異常に寒かった。エアコンしてすきま風が入ってきても寒い、こんなに寒いのは余り経験していない、今年は寒いときは寒かった。会津とか雪深い所の感覚はここではわかりにくい、すでに今日は雪はとけて残らない、寒さの峠は越したみたいだけどまた北風が吹いた。これは春北風(はるきた)となるのだろう。季節の変わり目だから気候も変わりやすい、雪の深いところだと家にこもってコ-ヒ-を飲んでいるのがふさわしい。冬が長い、雪が深い、そいういうところでは物語が生まれやすい、ロシアの小説が延々と語り長いのは冬が長いせいなのである。単調な寒い冬にはただ暖炉とかであたたまり回想に耽ったり物語するのに向いているからだ。実際に会津や日本海とか雪の深い地域は日本でもそうなる。雪に閉ざさされる感覚はここではわかりにくい、この世の中幸せをあえて探してもない、かえって幸せを探しにゆくと不幸をもらってくる。幸せを探しにゆくこと自体が間違っているからだ。


幸せはおそらく北風に吹かれてじっと耐えている石にある。何かに耐えなければ幸せはないのだ。幸せはそうした長い忍耐のあとにやってくるのだろう。苦労したから苦しんだからそのあとに幸せがある。冬があって春がくる。寒さの峠は越して春になってくるのだろう。今日は風は吹いたが寒くなかった。晩年はあまり動き回るのが向いていない、人によっては違う、スポ-ツとかする人もいるがどうしてもじっとして回想したり思考したりするのが向いてくる。

冬障子に写る竹
http://blog.goo.ne.jp/kurumiruku1016/e/fd7dc854e3f649e43ee5f05b18f145e3

2010年02月09日

グロ-バル化の過酷な就職難の時代


グロ-バル化の過酷な就職難の時代


●江戸時代の職業は世襲
 

 生きかはり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城

高卒でも就職できないことをNHKのクロ-ズアップで放送していた。製造業は時代の波を受けやすい、不況の影響を受けやすいから農業とか介護の分野に仕事を広げて就職させて地元密着型にすべきだという意見がでていた。トヨタのリコ-ル問題でもそうだがその影響は下請けなどでも大きい。製造業は一旦落ち目になると簡単にリストラされて職を失う、地元に工場を誘致してもグロ-バル化の影響で仕事を失う、仕事は継続性がないと安定性がなく社会も安定しない、江戸時代は代々親の職業を継ぐことが多いから仕事に関しては安定していた。親の職業を子供の頃から見ていて受け継いだ。侍にしても親の跡を継ぐのであり全く異業種から入ってきて侍になるのではない、代々受け継がれたものを受け継ぐことが仕事であり仕事を選ぶことはできない、仕事はインドのカ-スト制のように生まれた時から日本でも決まっていたのだ。そこには今になると洗濯屋は未来永劫まで洗濯屋なのかという理不尽があった。でもカ-スト制でも仲間の連帯感が強いから助け合いがあるから社会的安定をもたらしたという面はあった。日本でも江戸時代は大工だったら大工同士で職人同士で農家同士で結婚することが多かった。同じ職業の人が結婚するから代々その仕事を知っている人が結婚するからうまくいくということがあった。江戸時代までは職業選択でそれほど悩むことはありえなかった。だから社会的に安定していたのである。「あなたの好きな職業を選びなさい」と言われてもとまどってしまう。一体自分は何に向いているのか自分で判定することは若いなら無理である。そして今は職業が見えない、親がどういう仕事しているのか見えにくいのだ。だから親を模範にすることはできない、江戸時代なら親を模範にして入れば良かったのである。そこに親子のつながりも自然とできたのである。江戸時代までは仕事は代々受け継がれるものであった。 田でも畑でも何代も受け継がれて耕していたのである。江戸時代までは農業社会であった余計にそうなった。

労働者のモラルの崩壊へ

採用側は、パート優先で労賃を切り下げようとしており、若い
労働者を長期にわたって育成する姿勢などなくしているのが現実である。
欠員が出ても、即戦力となるパート経験者で補充する。
http://www2.odn.ne.jp/~oginaoki/seito15.html


終身雇用の時代は、入社後に教育をし人材を育成することが可能だったが
今は終身雇用が崩壊しつつあり、しかも高卒の離職率が高い。

高度成長時代には会社が即戦力ではなく教育をもになっていた。それは結局江戸時代が子供の頃からすでに家庭が職業教育の場となっていたことの代わりとなった。家庭中心から教育は学校へ会社へとか移っていったのである。 今の若者は会社ですら仕事を受け継ぐ教育すらされない、ニ-ト、フリ-タ-、派遣とかになり仕事を通じて社会性やら人格形成ができないのである。経済的にも問題だが社会的にそうした人間形成の場から放逐されたらどうなるのか?みんなアウトサイダ-になってしまうのか?・・・・・という単に職業が食うためだ賃金をもらうためだというだけではない、社会の基礎をモラル的にも作っていくものだとしてあるときこれは深刻な問題となる。これは社会の崩壊に通じてゆくのではないか?終身雇用だったらそこに安定した社会が一応形成されていた。日本が企業社会、会社社会となっていてもそこに安定がありそれなりのモラルも形成された。長期的視野で人生設計もできた。それが今やできない、そのあとに何が起きるのか、遂には暴動のようなものさえ起きてしまうかもしれない、やけくそになり無法化してしまうかもしれない、するとますますそうした日本人でも不穏分子が外国に追放ささるかもしれないのだ。グロ-バル化とはそういう厳しい過酷さを世界的に実現してしまう社会である。グロ-バル化には経済合理性の追求でありそこにモラルを追求できない、労働力でも安ければいいというだけで労働者のモラルを培うものはない、働くということにはただ賃金を得るというだけではない精神的要素も大きくあるから問題なのである。職人気質というときやはり仕事を通じて人格が形成されたからである。
 

●中国人の研修生と同列化する就職難の過酷さ
明治時代から急速に社会が変化して職業は自ら選び自分に適したものを才能を伸ばして職を得るものとなった。福沢諭吉の「学問のすすめ」はまさに学問で立身出世をして官吏にでも博士にでもなれるということを示したのである。でも反面そこから職業を選ぶとなると自らの才能を伸ばすことを強いられた。親の仕事を受け継ぐことではない、厳しい勉学やらを強制されるし才能や実力ないものは生きていけない厳しい社会になったのである。それは欧米に追いつけということでも余計そうなった。そして日本人はそうした懸命の努力の結果欧米に追いつき豊になることができた。そして今は中国が日本や欧米においつけということで凄まじい追い上げをして日本は中国に追い越され属国になってしまうとまでなってしまった。製造業や商業は厳しい競争の世界である。他国に他社に負ければたちまち職を失う世界なのである。世界的不況でその製造業が一番影響を受け職を失ったのである。それはすでに中国などが製造業で日本の代わりになっているから余計にこの失業は一時的なものではなく長くなる。不況ではなく日本の衰退となっているから今までの一時しのぎの対処ではおいつかない、日本の製造業がもはやグロ-バル化の競争に一人勝ちはできない、むしろ中国などに追いこされとって代わられるとなるとそこで失業問題はさらに深刻になるのだ。 グロ-バル化とは実際は相当に厳しく過酷なものであった。中国人の研修生が一杯の所に高卒の人が一緒に働かねばならない、これがグロ-バル化の現実だった。
中国人の方が日本人より懸命に働く、日本人は日本人というだけで何の特権もない、労働力として中国人が安価で使いやすいとなる。日本人は10万で保証も何もないというから現在の雇用状況がいかに厳しいか実感した。ニ-ト、フリ-タ-は逆に役たたず、用なしとして外国に中国に追放されるかもしれない、移民一千万となれば現実的にそうなる。 グロ-バル化の是非はともかくそういうことが現実化することであった。だから高度成長時代の方がみんなが企業戦士にならなくてもいい、ニ-トとかフリ-タ-、派遣でもいてよかったのである。そういう余裕が社会にあったのである。でもほとんど全員が正社員でありはずれた人はほんのわずかだった。今になると逆なのである。なぜこんなにニ-トとかフリ-タ-とか派遣が多いのか?それはもはや自由に個性的に生きる人たちではない、社会からはじき出された人でありグロ-バル化になれば日本には無用となり日本からもはじきだされる恐怖が迫っている。そしたらよほど自分の能力を磨かなければもはや日本ではやっていけない、底辺労働は中国人や外国人の低賃金でまにあう、日本人でも同列でやってもらうとなる。それは日本の物価からしたらあまりにも過酷だとなる。
posted by 老鶯 at 01:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事問題の深層