2010年01月01日

2010謹賀新年

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新年や海穏やかに陸荒れぬ


元旦に朝鐘鳴りぬ奥の寺

年明けぬ松風鳴りて雪野かな

千里行く寅年西行思うかな

寅年や晩年なおも飛躍せむ

元旦に墓に詣でて寒椿

新年や梢に高く鳥鳴きぬ

我が庭に葉牡丹植えて新年を迎えて雪や石の鎮まる

穏やかに波にゆれつつ鴨の群れむつまじきかな新年の朝

新年や松風鳴りて朝清し昨夜の雪の残りし野を見ゆ

今年の元旦は荒れ模様だ。昨夜雪がふり今朝その雪が残り今は北風がうなり吹いている。元旦から荒れ模様ということは今年も不況がつづきいろいろ苦しみ続けるのか?不思議なのは海は穏やかである。波もいつもとは違い静かであり鴨の群れがその波にゆられている。海が穏やかで陸が荒れているのはめずらしい、。たいがい海は波がここは荒い、これも例年にないことだろう。寺の鐘を元旦の朝に聞いたのもめずらしい、普通は大晦日だからである。 まず霊前に祈り近くの墓にお参りした。姉が死んで一周忌が終わったばかりでありまだ死んだ人は遠くに行っていない、やはり死んで三年くらいはまだまだ死者はこの世を彷徨っている。だからこそその三四年は死者は生者に相当な影響力を及ぼす、これは迷信とかではなく本当だと思う。実際姉が死ぬ前に親戚の人も二人死んだのである。ここ三四年の間に二人親戚の人が死んだ。それでなぜか自分は関係ないと思っていたが一人の親戚を殺したいくらい憎んだ、その因縁は親戚だから複雑にからまりあっていた。年月が相当すぎていたから自分には関係ないと思っていた。でも突然狂気の沙汰として襲ってきた。それでその人をどうしても憎んだ。憎まざるを得ない、突然通り魔に襲われるようなことを経験したからである。そしてその人をこれほど憎む原因がわかった。二三年前に死んだ人の凄い憎しみと恨みが自分にのりうつったのである。そうとしかいいようがない、今は関係を断ったからそういうことはなくなった。まちがいなく死んだ人は三四年は生きている人に強力影響する、もちろん現実問題として財産問題などで墓でももめるのだ。

今年は寅年だけどまた遠くに旅ができるのか?やはり介護になっているからできないだろう。介護になるとなかなか介護している人から離れることができないのだ。虎というと千里を行くというから電動自転車で旅をしたい、坂をぐいぐい上って遠くまで行きたい、西行は凄い人だった。
「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」その年になって当時旅することは本当に死の危険があった。旅人はやはり旅に死すのがあっている。旅に死ねれば本望だとなる。人間自分のように三十年間旅をしてもあっというまにすぎた。これで旅も終わりなのかということなのだ。まだまだ見ていない所がいくらでもあるじゃないかとなるのが人生なのだ。特に富士山など本当に美しい富士山を見ていなかった。富士山は見る場所が大事だからである。すると日本に生まれて富士山も良くみていなかったなとなりこのまま富士山も良く見ないで死んでゆくのかと思ったときがっかりした。なぜなら富士山の写真をとるために何カ月も寝泊まりしていた人をテレビで写していたからうらやましいと思った。そんなに富士山を見れるのかと思った。車を持っているからこんなことが今はできると思った。人生はつくづく短いのだ。百才を生きてもその間に病気になる。介護になる。そして何もできなくなる。そういう方が多いのである。自分のように幸運だったとしてもそうなのだからこれだけ旅をして仕事もしないでもそうなのである。

葉牡丹を植えたけどこれはなかなかいい、本当に冬ににあうし元旦にもにあう、元旦となるとやはり日本人は初詣でとなるが日本人は農耕民だから一年のはじまりとか季節の変わり目には敏感である。神社に参るとは信仰より習俗である。ただ天皇を現人神としたとき信仰になった。
神社もそこに組み込まれたという歴史がありその問題は継続されているからこれもすんなり受け入れられないものとなった。でも祭りは維持されるべきでありしかたないから元旦には一カ所だけ金は払った。今年も一周忌を終えたばかりであり死者のことをひきづっている。介護もつづいている。体も晩年になり弱ってきた。でもやはり電動自転車で遠くへ行ってみたい、それが今年の願いだ。

今年もプログを書き続けますのでよろしくお願いします

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2010 謹賀新年

2010年01月02日

新年に会津のことなど想う


新年にお手伝いさん勤むかな石に葉牡丹風唸るかも


舘岩の曲家に住み雪埋もる冬の長きをまた雪のふる

おやみなくしんしんと雪ふりにけり会津の奥の暮らし思いぬ

会津にも従軍看護婦の友ありし魚送るも姉は死ににき




お手伝いさんが家に来ること家のなかに人が入り家のことにかかわることは他の仕事とはかなり違っている。その家と深くかかわる。単に掃除したり料理したりとかそれだけではないものが生じてくる。家全体、家族とかその家の先祖とかもかかわってくる。現実自ら花を買ってきて大晦日にはその花を供えてくれた。家族の一員のようになってくる。でもこれは変わったことではなく昔ならみんな勤め先は大きな家だった。大地主の家で働くにしろ商家に働くにしろそこは一つの大きな家だったのである。工業だって家内工業であり大きな家に勤めることであった。農家でも・・・・・屋とかあるのはそこが今の会社みたいな存在であった。大きな家だからこそ使用人も一緒に墓に埋められたりしている。大きな商家でもそうなっていた。そもそも人間の歴史は家族から家から出発している。だからどこの国でも最初の国は家が拡大して発展したものなのである。国は家から起こった。日本では国家であり天皇家が最も古い家となって継続したとなるとその家に仕えているのが日本国家となっているのだ。大きな会社組織とかでも明治になってもやはりそうした江戸時代の家が継続されていたのである。武家社会でも家が中心となった社会である。武家に仕えていた女中や足軽とかみんな家に仕えていた、家に働く人々だったのである。それは極めて人間的な世界だったのである。そこは疑似家族となる、大きな家族としての集団形成だったのである。


会津と浜通りとなると相当気候が違っている。だから同じ福島県でも別な世界のようになっている。浜通りは文字通り海に面している。雪はめったにふらないし積もらない、会津では冬はしんしんとたえまなく雪がふってつもる。テレビで舘岩村の曲家の民宿を写していたがあそこには夏に行ったことがある。山の陰の奥深い所である。会津は夏だけ行ってはわからない、冬の雪深い時行かないとなかなか理解できないだろう。冬が長い、雪に埋もれてどんな暮らしをしていたのか、あの大きな曲家で一日泊まって見れば実感できる。そして車もないときの生活がどんなだったのかも想像するといかに雪に埋もれた生活が大変なものかわかる。その時茅葺きの職人が出稼ぎにでた。会津は茅葺きの家作りが盛んだった。何故なら昭和村の方に行ったら山一面が萱が繁っていた。萱が豊富である。もちろんその頃茅葺きの家が主だったからどこでも萱が必要であり萱場山とか萱とつく地名が多くなることは必然だった。あの雪深い時、越後でもそうだが江戸に出稼ぎに行くということがわかる。毎日のように雪降る中で暮らすことは閉塞感をもたらすし経済的にも苦しい。だからその雪の間に雪のない地域に出稼ぎにゆくことが習慣になることは自然なのである。相馬地方にも茅葺き屋根作りの職人が来ていたのである。ともかく浜通りでは確かに雪がふったがつもらない、すぐきえてしまう。雪を積ということが雪に埋もれる暮らしを実感できないのだ。これは雪国に住まない人はみんなそうである。天候でも毎日のように曇り雪がしんしんとふる世界が人間の心にどう影響するのか?それもなかなか推し量れないのである。


会津というと姉は従軍看護婦であり鳥取とかにも戦友がいて手紙のやりとりをしていた。でも認知症になってから年賀も書けず音信不通になった。会津には松川浦でとれた石鰈などを送り喜ばれていた。あういう魚はなかなか向こうでは食べられないだろう。姉は最後までシンガポ-ルで従軍看護婦をしていた四年間を忘れることができず死ぬ直前まで話していたのである。認知症になってもそのことは忘れなかった。85以上になると互いの消息もわからなくなっている。でも戦争の残した傷痕はまだまだ生々しいのである。テレビとかで見てもそうである。失明した人がいたりその人の姿を見たとき戦争は残酷だなとつくづく思ったりする。盲目の障害者まで戦場に駆り出されていたことには驚いた。傷痍軍人も戦争後まもなくは街に出ていた。戦争の現実はまだ本当のことは語られていない、余りにも残酷だから語られないということもある。ともかく身内が死んで何年かはなかなか死者のことは忘れられない、いろいろとひきずるのだ。


ただ戦争のことにしても戦争を経験した人が死ねばその人が語ったことを伝えることとなるからまた違ったものとなる。戦争のことを経験しないで聞いただけの人は冷静に判断するということもかえってあるのだ。戦争に参加した人はやはり自分たちがした戦争を否定することは簡単にはできない、冷静に見ることはできない、事の真実はあとからなるほどなと明瞭になることがある。それが歴史となる。今の時点のことが後世でどう評価するかは本当にわからないのだ。マスコミの判断に追従したことが全く批判されることもある。今の時点の事を評価することは本当にむずかしい。あとで評価することはいろいろなことを冷静に見て総合的に判断するからわかりやすいのである。それは別に歴史的な大きなことでなくても身近な家族とかでも死んでみると自分の親はこんな人だったのかと回想してわかる。生きている時はあんなにしかられて嫌だったけど今になるとその意味がわかったとかあとになってからわかることが多いのである。だからともかく平凡人でも死んでからその人についてわかることが多いのである。

2010年01月03日

寒椿(冬の街道の行き来-原町まで)

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寒椿最期を全うする命かな


溜め池の凍り忘れられる馬頭の碑

枯芒隣の街へ行き来かな

蝋梅や還暦過ぎし男女かな

我が庭に蝋梅の蕾かそけきや母なお生きて家のつづきぬ

今日も見る街道の松枯れにしを朽ちゆく命あわれなるかな
 
 
最近イオンができたので近道として植松の方を回る。あそこに広い溜め池があり馬頭観音の小さな碑があった。これは普通気づかない、馬頭観音の碑は多いのは当時の交通は馬車であり馬が主役だった。今の車が馬だったのである。だからこんなに多いのだ。これも大正時代であり江戸時代の馬頭観音はまれだろう。明治から大正、昭和、昭和からまもなくも馬車が交通の主役だったのである。小さいとき馬車の後ろにのって遊んだ記憶がある。馬車屋も必ずあった。この道は鹿島から一石坂(いちごくさか)を上る道は坂が多すぎる、その坂もかなりきついから今まではこの道はさけていた。電動自転車になり坂を上りやすいのでこっちの道を頻繁に行くようになった。あそこもなかなか見慣れた風景でも風情ある場所だったかもしれない、意外と人間は近くの魅力に気づかない、かなたは山は飯館の方は雪がふぶいていた。
 
冬の風情もしんみりとしていいものだと思った。それにしても五本松に残っている一本の枯れそうな松をまた見た。あれを見ているともう一年も療養病棟にいる近くの知り合いの老人を思う、一人は胃ろうでもまだ生きている。なかなか死なない、人間は今なかなか簡単に死ねない時代である。93才になってもまたなんとか生き延びている。こんなに人は長生きするものかと不思議である。嵐で倒れる樹もあるが樹も簡単には倒れない、これもいいのか悪いのかわからない、経済的には相当な負担だから社会的に見ると高齢化社会はいいものではない、今年は寒いから寒椿の赤さが映える。寒椿のようにやはり最期を全うしたいとなるがこれがむずかしい時代である。人間の最期は認知症になったり無惨になっている。潔いものもない、見事に死ぬということはまれだろう。認知症になったら早めに死ぬのが救いである。姉も二年半ほどで死んだからそんなに禍とは今では思えない、南田洋子さんも二年半くらいで死んだから良かったのである。介護は長引くから今悲惨なのである。三年くらいならなんとか我慢できるからだ。
 
庭の蝋梅が蕾となって咲きだした。この寒いときに咲くのが蝋梅である。それを還暦すぎた男女が見ている。蝋梅は確かに長寿の花なのである。庭にリホ-ムしたのは良かった。ここに蝋梅もあっている。老後の生活に庭は必需品である。老後は狭い範囲が生活圏になる。するとどうしても身近に接するものが大事になるのだ。ただこの庭は余りにも狭すぎる。庭を造り楽しむまでになっていない、でも一応庭は庭である。老後は高齢化社会はスロ-社会だとすると茶の湯があっている。茶室に一回も入ったことないし茶をたしなんだこともないが茶の湯のことがわかるのである。日本人ならやはり別に茶の湯をたしなまなくても俳句とか短歌とか庭に親しんでいればわかる世界である。これからは江戸時代の隠居文化とか高齢化社会の文化になる。狭い範囲で濃密な時間を過ごす、やたら移動する時代でなくなってくる。郷土史研究が盛んになるのも必然だった。身近なものの価値を見出す時代になったのである。
 

2010年01月04日

寒椿(寝たきりでもボケない人-義理と人情の老人)


寒椿ぼけずに生きる寝たきりも

療養病棟で一年もいる老人を見舞った。病院にそんなにいるとどうにかなる、ボケる人が多いというのもわかる。でもその女性の老人はボケていない、はっきりわかっているので驚いた。
ぼけたら認知症になったらまずそんなに親しくない人、家族でないなら見舞っても誰かわからない、その人がどういう人かもわからない、認知症は過去との記憶の継続がなくなるのだ。
だからその人がどういう人だったのか理解できない、特に最近知った人は理解できない、昔から長く継続してつきあっていた人はわかる、幼なじみでも遊んでいたとかその人は老人になってまでつきあいが継続したのだからわかる。でもその人は認知症になってから全く来なくなった。他にも子供の頃からつきあっていた親戚もこなくなった。そこに入院している老人は不思議だった。認知症になって頭がおかしくなっても話をあわせてくれた。おかしくなったことを知っていたのである。かわいそうだなと言って話をあわせてくれた。変なことを言っても嫌わずにあわせてくれたのである。だからその人のところにだけは毎日のように行っていたのだ。それで助かった面があった。その人には特別世話になったわけでもない、金を全と貸しているくらいだった。でもその人は律儀であり馬鹿正直なところがあり必ず少しの金でも感謝して返していたのである。そして感謝もしていた。世話になったといって姉がおかしくなっても普通に相手していたのである。たいがい認知症になると嫌がるのが普通だから不思議だと思っていた。あとでおかしくなったことを知っていてかわいそうだとつきあってくれていたのである。認知症の人を家族さえかわいそうだと思う人は少ない、嫌悪されるのが普通である。だからこういう人は特殊であった。

それよりその人の性格自体が現代では特殊だった。わずかの金を貸したからと感謝している恩を感じる人はいない、良く姉は貸していたけど誰も感謝しない、でも返さない人がいたからいつも金を返してもらうのに苦労していた。人間はいくら世話したって恩をいつまでも感じている人はまれである。恩も忘れるのだ。また恩を返す人もまれである。だから恩を徒(あだ)で返すとかもなる。恩と義理など日本人の堅苦しい昔の言葉になっている。恩とか義理もすたれたのではないか?そんな古いことを今や守る人もいない、でもどこの国でも昔から伝えられたモラルはあった。恩と義理を守らないということはその代わりにどういう道徳がモラルで生きるのか?恩受けても恩を感じない、恩を返さない、感謝もしない、そこには荒廃した人間関係しかなくなる。人のために何かするものは助けるものは馬鹿だともなる。そんなことをししても一文の得にもならないとかなる。現実そうなってしまったのが現代の社会なのだろう。だから索漠とした潤いのない世界となっている。義理も人情もない社会となっているのだろう。だから宗教などありえない、宗教の目指すものは余りにも高すぎるからそうした恩とか義理、人情もない人はとても宗教の愛とか慈悲など何かをしることすらできない、宗教団体にもそんなものを追求していない、自分の利益だけを権利だけを追求しているだけである。その人は一見馬鹿のように見えても日本人の古いタイプであり恩と義理と人情の人だったのだろう。だからあまりにも珍しい特殊な人となっていた。むしろこうした人が特殊な例外的になったということ自体、日本人の良さがなくなった。明治人にはこうした人が多かった。明治は本当にあらそる意味で遠くなった。人間そのものが明治人と今の人ではあまりにも違っている。今の人はあまりにも利益人間一方になってしまった。それもそういう社会なのだからやむをえないいえばそれまでだがそういう昔からあったモラルを馬鹿にして自分たちが昔より進歩した人間だと思っている。でもモラルの面では後退しているのだ。だから人間はいくら科学技術が進歩しても人間そのものが変わらないというのは本当である。


こうしてその老人のことを自分が生きている今も世話になったとか感謝している。何かその人のためにしてやることもできなかった。それは見舞いに行ってちょっと金をやるくらいでは返せないものである。ただ一方で多額な金をやった人はそれなりに返したとかなる。ところが恩とか全部返せない方がいいのだ。恩になった感謝するという心が大事である。なぜならその心はいつまでも金銭でも返せないものとしたら死んでも継続する。死んでも感謝の心が継続するということは恩になったことを忘れないことでありその人を思いつづけることになる。その方がかえっていいともなる。これだけの金を払ったのだから恩は返したというよりいつまでも金では返せない恩を継続された方がいいともなる。何故なら他人が死んだらそんな恩などすぐ忘れてしまうからである。いづれにしろいかに自分が困った状態にあったか理解する人はいなかったし助けてくれる人もいなかったことをこれは物語っていたのだ。自分が困った時しか人間は助けてもらうことに感謝しない、それは家族さえそうである。介護とかになると家族でも一人の人にまかせられる場合があり助けがなくなるからだ。


ともかく人間はぼけることとぼけないこと認知症になることとならないことの差が大きい、これは一見たいしことのないように見えるが全く違っている。認知症になったら人間失格である。人間として通じなくなる。この人はだから本当に人間なのだろうかという疑問、廃人になってしまったのではないかとか見るようにもなる。あんな寝たきりでもあれだけわかっていれば恩になったからどうだこうだとか通じているのだから人間としてやりとりもできる。認知症の人にはもはやできない、全部できないというわけではないが人間として通じなくなるから悲惨なのである。

 
聖書の言葉の謎(神のみが善行を知る?
http://musubu.sblo.jp/article/34578059.html

2010年01月05日

聖書の言葉の謎(善行を知るのは神のみ?)


天に宝を積め(マタイ)
http://nagosui.org/Toseisho/daily-words/97

 
●報酬ないのが本当の善行? 
 

昨日書いた義理人情に厚い老人のことのつづきだけどその人がしたことはそもそも善行をしようとしてしたのではない、オレはこれからあなたに善を愛をほどこすとかそんな大げさなことではない、ボランティアとかでも宗教団体でもそういうことが多すぎる。お前のためにしてやるのだから感謝しろとかだから俺たちの団体に入り支持しろとかなる。その人はたまたま善行をしたのであり意図したものではない、「右の手のしていることを左の手に知らせるな-マタイ6-3」この老人はそうした善行を成す意図もないしまた善行をしている意識もそれほどなかった。ただかわいそうだなと認知症になった姉のことをさけることはしなかった。おかしくなったけど話をあわせてくれた、というよりはそれは強制的なものでもなかった。例えは福祉関係となると介護関係でも実際は強制的であり金になるため、生活のために仕方ないとか、みんな強いられて福祉の仕事に就いているのだ。それは賃金労働でありだから当然報酬をもらうのが当然であり生きてゆく手段でもある。現実に福祉関係では福祉を口実に施設でモノを高く売りつけているとかいろいろもうけるための工作をしている。福祉でもそれがビジネスとなり仕事となれば誰だって報酬を追求しているのだ。そもそも仕事で報酬を追求しないこと自体ありえないし誰もしないだろう。
宗教団体でもあくなく報酬を追求している。現世利益を追求している。つまり天に宝を積むことではない、地に宝を積むことに毎日あくせくしているのだ。それが仕事であり生きることだから悪いとは言えないのである。それか普通の経済活動であり日々の仕事なのである。報酬を否定したら生きていけないからだ。医者だろうが福祉関係でも利益をよりよい報酬を追求している。だからこそ介護士は仕事がきついわりには報酬が少ないとやめる人が多いのもわかる。そんな過酷な仕事を無償でやれというのかと言ったら誰もしなくなる。そしたら誰も世話しない膨大な弱者が放置されることになる。だから聖書で言うような善行をやれとなど言えない、ただ本当に聖書の言葉はわかりにくい、天に宝を積めと言っても天に宝など積めるのか・・・となる。これは明らかに死んでも人は死なず天で生き続けることを想定しての発言なのだ。ところが人はこの世のことに執着して生きるのが普通であり天とはいかなるところか誰も知らない、そもそも人間は死んでも生き続けるのか、そのこと自体自覚しえないのが普通である。だからこそ人間はこの世がすべてだと思いこの世の価値観でもって日々生きているのだ。天に宝を積め神が報いて下さるということよりこの世での現実としての報酬を得たくてみんな日々あくせく働いている。


●善行を知るのは神であり人間ではない 

 

だからこの言葉一つとっても聖書は実際は全く不可解なものとなるのだ。聖書の言葉をわかりきって説いている人自体も本当にそれを実行しているのか定かではない、誰も報酬なしでは働かないし働くことが成り立たないからである。ただ善行したとか善行しろとか声高に言っているところでは善行はない、そもそも「右の手のしていることを左の手に知らせるな-マタイ6-3」
隠れた行為を神は見ている・・となると誰も人間の善行を知るものがないときそれが本当の善行となっているからだ。それは今生きている人間にはわからないし天でしか死んでのちしかそのことがわからないのである。それがこの世で善行と認められたとき善行でなくなっているからだ。昨日書いた私自身が経験した具体的な例からするとその人は無意識的に善行をした。報酬を得たとしてもわずかなものである。実際に私は他の人には多額の金を報酬として与えた。不思議な話はその人は借金までしてきたからその報酬がこの世で過分に得て借金だけが残ったという不思議があった。恩を返すからはじまって恩を着せる遂には最後は借金だけが残った。報酬を過分に受け取りさらに過分に受け取りそれが借金として残ったという不思議がある。むしろ人の弱みにつけこみ報酬を過分に得たとさえいえる。あなたを助けたんだからそれくらい当然でしょうとなる。こういうことは普通にあるしとがめることともならない、絶えず人間は報酬を要求されているしそれが仕事となっているのだ。ただその時そんなに過分の報酬を得たら天に宝を積めとか天で報いを得ることはありえない、この世ですべて報酬は支払われてすでに借金まで残してしまったからだ。いづれにしろ現実はそういうものであり神が認める善行などありえない、というよりはこの世では善行は明確化されない、知り得ないのが善行なのである。私が接した恩になった老人でもかえって報酬を得ないならその人の感謝はいつまでも残る、心の中に残る。いくらかの金を与えてこれで恩は返した報いは与えたのだからこれで貸し借りはないから終わりだ。それよりも報いを得なかったから感謝され続ける方がいいとなる。その感謝が天での報いににている。この世で金銭であれモノであれ報いを得たものはあの世では天では何も得られないとなる。

 
●来世に天に生が継続されてこそわかること
 

このように聖書の言葉わかりにくい、この世の価値観と全く異にするからだ。そこでは人間は死んでも天が確実に存在しない限り理解できないものである。その天のことが地上の生活から全く別の世界であり理解しにくい、全く見えないからそうなっているのだ。もし天のことがありありと見えればそういうことかならば死後の天に重きをおき地上の価値に重きおかない生活ができるのである。でも人間は決して生きている間は現実の価値観でしか生きられない、また人間が死ぬと全くその人の存在がどこで継続しているのか全く見えなくなる。そのつながりを求めることもできなくなる。そのギャップが大きいから人間は現世の価値観に左右されて生きている。ただ今回の実際の例からそういうことかと理解できるものはある。やはり現実の生活に聖書でも読み解くヒントはある。それは卑近な例でもそういうことかとわかる場合がある。
このようにもし無意識的にこの世の善行が報いられるなら逆に借金などをして返さないものはどうなるのか?たいがい借金も死んだら終わりだ、御破算だとなるのが普通である。でも天ではこの世で借金を返さないものは何十倍にして利子がついて返さなければなくなるかもしれない、借金を返すための労役を課せられるかもしれない、もちろん罪を犯した人も天で裁かれるとなるとその裁きは過酷なものとなる。もし人間が死んでも天で生が継続するならそうなる。でも普通はこの世の生は一旦死んだら御破算になると考えるのが普通である。天まで死んでまで生きることを具体的に考える人はいない、だからこそこの世から罪がなくならないのだ。神は天と地を創ったというとき人間には地しか具体的に見えない、天は仮想であり具体的に見えない自覚できないから聖書の言葉がわかりにくいのだ。ただこの世ですでに悪の報いを得て死んだ人も多い、子供からも縁を切られて無縁仏になり墓参りすらされくなった。またある常識もなにもい女性の顔を見たらなにか今になると奇怪だった。顔に現世の悪しき生活の痕跡が記されたのかもしれない、それが最初は良くわからなっかった。その人も一応親戚になっていたからいい人だと思っていたのである。でも何であんな変な顔になったのかと思う、別に悪人という顔ではないが奇怪な顔だなと今になると思うのである。すでに50年も生きているとその人のこの世での生活の履歴が顔に刻まれ記されるかもしれない、ただ顔をみぬくことは暴力団のような一見みてわかるような場合しかこの世ではわからないだろう。福祉関係の人も同じである。福祉の仕事をしても善行しているけではないのだ。あくまで日々の糧を得る報酬を得るための仕事でありビジネスでありそれは善行とは違ったものだから神から見れば評価できないとなる。

 

寝たきりでもボケない人-義理と人情の老人
http://musubu.sblo.jp/article/34558623.html

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2010年01月06日

「名医のうそ」児玉知之を読んで・・・自分の経験から納得


「名医のうそ」児玉知之を読んで・・・自分の経験から納得

 
「名医」のウソ・・という本を読んだけどいかに医者に対応することがむずかしいか実感したからわかる。それなりに症状とか正確に伝えないといけないとか質問してもいいとか書いてあるけど医者に下手に質問すると嫌がられるし相当にうまく聞かないと気分を害される。医者とはそもそも対等に話せない、気を使いすぎる。ここには確かにその方法が具体的に書いてあるからわかりやすかった。薬も医者がわからない薬剤師もわからないとかめんどうなものなのだ。でも勝手に素人判断で薬を飲むことを中断することはまずい、実際に血のめぐりがよくなる薬を原町の心療内科からもらっていた。それをやめたのがまずかった。脳出血になったのはそのためだったかもしれない、薬はやはり大事なのである。それから紹介状を書くことでその医者のことがわかるというのも本当だろう。原町の皮膚科専門医では南相馬市立病院の麻酔科に紹介状を書いてくれた。神経ブロックの治療はそこでしかできないからだった。そこではもう治療できなかったからである。でもそれは入院しないとできないものだった。だから救急車で麻酔科のあるところに帯状疱疹は入院しないとだめなことがわかった。その南市立病院の麻酔科では薬の副作用を良く説明してくれた。他の薬ではだめだからこの薬を飲めというのも説得力があった。薬の副作用のことを詳しく説明する医者はいい医者なのだろう。その人は研修医らしいが研修医がすべて頼りにならないということではない、研修医は若いから情熱があり一生懸命みるというのも本当だろう。麻酔科の研修医はそうだった。だから副作用について熱心に説明したのかもしれない、年寄りの医者はそういう患者への病気を直すことへの熱情が薄れてしまっているかもしれない、適当にみるということもできる。若い人はどこの分野でも最初は仕事に熱心なのである。
 
それから胃ろうの手術のとき南市立病院で合併症のことを詳しく説明していた。私たちは万全を期してやりますが万が一失敗あります、合併症は万が一生じますと説明していたから手術について詳しく説明する医者は病院はいい病院だというのも本当だろう。でもその医者は一言質問したら「では手術をしない」とにらめつけて言った。その時こちらも医者は怖いと思った。一言だけ質問することはこのように怖いことなのである。だから医者に何かを聞くことは細心の注意が必要である。実際はこの本に書いたように気軽には聞けない、かなりの危険性をともなうものなのだ。「手術をしない」ええ、医者にそんな権限があるのかというのにも驚いた。危険だからやめてくれというのでもない、年だから失敗してもしょうがないとか思っていた。老人は医療ミスししてもあまり責任を問われないから医者は楽だと書いている人もある。一言質問しただけで「じゃ、手術はしない」と怒鳴られたときはびっくりした。そんな権限が医者にあり患者はその時手術をしてくださいともいえないのか?だから医者は怖い存在であり簡単に質問などできないと思った。そんな権力を権限ももっているのかとそれで病院の事務に不満を言ったら名前と住所を言いなさいとさらに脅されたのである。つまり病院には一言も不満など言えない仕組みになっているのだ。権限はすべて病院側にありそこでにらまれたら診療すら受けられないというのが現実である。
 
ただここで私が言っていることはかたよった見方ではない、この本を読んで確かに合併症のことをあれだけ説明していたのだからそれは信頼できると納得したのである。私自身別に他の人でもいい面は誰でも認めるのである。故意に中傷しているのではない、ともかくいくら医者とうまくやれと言っても本当にこれはむずかしすぎる。そこがやはり患者側としては納得いかない、ともかく医者とは仲良くしておけというのは本当である。相手も人間だから好感をもっていればいろいろ良くしてくれるからである。ただ自分はそういうことが苦手だからなかなか医者とは打つくつきあえないだろう。医者だけではないそうしたコミニケ-ションがへただからだめだとなる。

2010年01月07日

初乗り(仙台で昭和の回顧展を見る)


初乗りやイタリア人の乗り合わす


仙台に店新しく年明ける

新年や我を迎える黒い肌

広瀬川岸辺の枯木つづきつつ長町により帰りけるかな
 
新年に仙台に行く電車にイタリア人が乗っていた。明らかにイタリア語であり日本人の女性と話していた。ブックオフでは中国人の女性がアナウンスしていた。発音は違うにしても通じている。コ-ヒ-店では色の黒い女性が給仕していた。仙台になるとウエトレスまで外国人になっている。ここでは工場で働いている。とにかくいかに日本に外国人が多くなったか、東京だと本当にここ日本なのかとさえ思うようにもなっているだろう。あらゆる人種の人が入り交じっているのだ。


仙台ではなつかしい昭和20年30年代の催し物が行われていた。飯台一つでその前にテレビが置かれていた。テレビの画面は小さい、ええ、あんな小さいテレビだったのかずいぶん見ずらい、あのテレビを食いいるように見ていた。案内する人が蚊帳を釣って蛍が来たというけど確かに川には蛍がまだいたし蛍狩りをしていた。ほ-たる来い・・・ということが本当にあったのだ。その頃は飯台一つでもにぎやかな家族の団欒があった。その真ん中にテレビが置かれたことが一番印象的なことだった。そしてあらためてテレビがどれだけ社会に影響したか再認識した。茶の間にテレビが入って来たことはテレビ中心の世界が形成されたことだったのだ。テレビなしではありえない、テレビに明け暮れたともいえる。最初に鉄道の影響がこれも大きかった。鉄道村などができたり汽笛一声新橋・・こそ本当に文明開化の音だった。次にテレビの影響が大きかった。そのあとは車だったのである。鉄道→テレビ→車が社会を変えたのである。すでに昭和は遠くなりにけり・・・とかなってしまいつつある。

 
最近家族を一人亡くしたから特にそうである。子供の頃からその飯台を囲み一緒に生活した人を亡くしたから余計にそう思う。人間はこうして一つの時代が終わってゆく・・そのくりかえしだった。一緒に暮らした家族もなくなるということは本当にショックである。それで施設に入った老人が家に帰りたいというとき昔あった団欒があった家族の生活のなかに帰りたいとなるのはつくづくわかる。家族さえ遂に別れなくなってしまうことはあまりにショックなことなのである。ただ茫然自失しているほかないショックなことなのである。家族がなくなることはすべてが失われるなくなることに通じている。 要するにあとは思い出だけになってしまうのである。まあ、認知症の介護として回想療法としてこういう場で昔の話を聞けば臨場感がでてくるからいいとなる。
 
今回駅前だけで用をたして帰ったきた、いつも広瀬川を通り枯木にそって長町により帰っていた。仙台はだいたい駅前でほとんど用がたせるようになっている。今日は古本展があり「奥相茶話記」がのっていた福島県資料集の古い本を買った。これは高かった。一万五千円は高すぎたが資料が多くのっているのでしかたなく買った。そもそもこうした資料とか記録はインタ-ネットで公開すべきなのだ。図書館にあってもいちいちとりだして調べるのがめんどうで最近は介護とか忙しくなり一回も行っていない、図書館で調べるのは相当な手間暇なのである。郷土史関係の研究は本とか資料に頼ることが多い、だから手元にそうした関係の資料や本があれば研究は進むのである。インタ-ネットで自分がやったように進むのである。


 

2010年01月08日

橲原村冬の短歌十首(村に生きる意義)


村に生く人の絆や冬深む


橲原に隠さる墓地や冬木立


街にのみ我が通いつつ橲原に久しく行かじ冬深まりぬ


橲原に生きにし人のあわれかな粗末な墓や落葉に埋もれぬ

この村に生きつつあわれ名もなきに粗末な墓や冬の日暮れぬ

橲原の入り口にし立目石バス停一つ冬の日暮れぬ

橲原に増えし一二軒家の灯や誰か住むなれ冬の夕暮

橲原は町より遠き車なき我に遠しも年は明けしも

橲原の樵の選ぶ木にあれや柱となりて我が家を支ゆ

鹿島町町誌に残る鹿島村橲原田なれあわれなるかも

鹿島区の奥座敷なれ橲原や水透き通り冬の静けき

橲原に何をし見なむ山の上に蛍袋や草深きかな

 
最近は電動自転車で原町の方へ毎日のように買物とかに行っていた。やはり今は山の村と街の交流は経済的に少なくなっている。昔なら炭焼きとかあり薪を供給したり密接に生活の中に山村も結ばれていた。もちろん家を作る木材を供給していたから山は資源で豊になっていた人もいたろう。日本に森林鉄道が多かったのもそのためである。それが外材となったとき失われた。40年前はまだ橲原に樵(キコリ)がいて地元では地元の木材を利用してしいたのだろう。自分の家はそうだった。地元の産物を利用しているときは地産地消していれば人間のつながりも強いものとなる。それが今までの村や町の生活であった。橲原や栃窪は鹿島区の奥座敷である。特に橲原渓谷は水が清らかである。ここは奥座敷だから茶室のようなものがあって心安らぐ場所としたい。ただ高速道路がここにもできたから風致は乱されたのが残念である。産業廃棄物の場所になったことも残念である。あれには反対した人もいなかったみたいだ。橲原村はやはり鹿島の奥座敷だからあそこはまずかった。どんなところもどうしても経済が優先されるのだ。地元の人も経済が先になるから自然は無視されるのである。
 
橲原には何もないのだが橲の字がめずらしくて検索している人が多いことに気づく。どうしてこういう字をあてたのか謎である。橲原というとやはりなぜか墓地が気になる。杉木立のなかにある墓地は自然石の粗末な墓である。ここの墓が行き来して心に残る。今風の墓がある方は普通の墓である注目していない、杉木立の中に隠れるようにしてあるのでいつもその墓地のことが気になっていた。でもその墓地には江戸時代のものはない、明治以降のものである。というのはここは江戸時代から村があってもその後開拓に入った人の墓かもしれない、江戸時代の墓があればそこは古い墓地である。だから墓地を見るときは江戸時代のものがあるかどうかまず見るのである。葛尾村の落合に元禄時代の墓があったのは意外だった。あういう山の奥でも古い地域なのである。
 
橲原で気になるのは入り口の立目石くらいだろう。そこのすぐ近くに新しい家が増えた。普通新しい家は山村では今はなかなかふえない、それでその家のことが気になる。都会だったら一軒新しい家が建っても気にしないが山村だと気になる。そんなこと気にしてどうなるんだというがやはり田舎では新しく住む人は注目されるだろう。監視さえされるようになるのが田舎である。田舎では特に農山村漁村など職住一体だから強固な一体感があって生活していた。だからよそ者は入りにくい場所だった。でもそういう村での生きる意義は存在感は重かった。貧乏でもそうだった。いや貧しいから余計に互いに支えあって生きていたのだろう。


町との交流では江戸時代の鹿島村の時、橲原田という地名を町誌に残しているのは面白い、鹿島村で田を拓いて住んだというのもその頃鹿島村でも田にすべき土地があった。その土地を求めて移住した人がいた。そうしか考えられない、普通だったら町に移住する人は職人とか商人である。町がたいがいそうして成り立っていた。 それが田を拓くために鹿島村に移住しているのだからいかに土地があれば田にする歴史が長かったことを示している。ともかく田舎では一体人が何しているのか気になる。それは普通の感情であり変わった人は住みにくい、それは良くとれば人がその土地に生きる意義を自然と問うためだろう。山村などでも石一つも何か意味が与えられて存在している。人間となれば余計にそうである。そんなむずかしいことなど誰も考えて生きていないというのもそうだが一方で限界集落など経済的効率的に考えたら必要ない無駄だというとき東京に生きることこそ存在意義が見出せない、人間は巨大な社会の部品と化して流砂のように土地との結びつきも失い、人間は無縁化社会になりやすいのだ。


NHKの無縁化社会というのもつくづく現代はこれは一部のものではない、そういう傾向は全体に広がっているのだ。会社から離れたら職住分離では土地からも社会からも結びつきがたたれる。東京などでは本当に人間の根源的アイディンティティ-存在感が見出せない世界である。経済的価値が肥大化した異様な世界なのである。だから限界集落や過疎問題を経済的合理性からだけ議論していることが何か歪んでいる。そなむずかしいことはどうでもいい、そうした村を支えているのは都会なんだよという都会の主張が一方的なのである。あんたもしょせん部外の人と言えばそうなんだがしかし常に行き来しているのはやはり山村的な所だったのである。

 


冬木立の村(詩)
 http://musubu.sblo.jp/article/34630977.html

 

 橲原(じさばら)のジサはエゴの木の古語
http://musubu.sblo.jp/article/12899121.html


 


 

冬木立の村

 
  冬木立の村
 

村人は支えあって生きている

冬木立のようにしんみりと

その中に名もなき人の

粗末な墓が埋もれている

村は互いに支え合い成り立っていた

都会は流砂のように人を押し流す

一つの経済的単位部品として

もはや人は人としてありえない

人と人が支えあうには巨大すぎる

人はそこで盲目の働き蟻とされる

摩天楼が何を意味するのか

それは意味なき蟻塚なのかもしれない

村は人が一本一本の樹のように

深く大地に根付き質素ながらも

冬木立のように支えあっている

一つの岩は時間の中で忍耐を刻み

岩と岩が向き合う存在の重さがある

村は代々支えあって成り立っている
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2010年01月09日

相馬市成田冬の短歌十首(竹(武)内氏の墓-続編)

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相馬市成田冬の短歌十首(竹(武)内氏の墓-続編)
墓一つ何を語るや故郷にたずねてあわれ年も暮れにき

高松に我が上り来て知られざる墓地の静けき冬の日暮れぬ

街道よりわずかはずれて成田なる墓地の古りしも冬の日暮れぬ

三十三才ここに埋もれぬ女あわれ二つの姓や冬深まりぬ

ここよりか竹(武)内一族起こりしや街道近み冬の成田に

街道を相馬の殿の行きにしを見送る人や冬の日暮れぬ

熊川の姓は相馬の境より起こりて残る武士の裔

六地蔵街道に古り柳枯れ冬の日長く城に待つかな

相馬藩郷士の多く城勤む人は少なく刈田の道行く

成田の墓地は古い、竹内氏が竹の内から起こったということを書いた。ここに竹内→武内と変わった姓の人の墓もあった。これは明治時代のものでも江戸時代からの継続がある。
安政 (1854-1863) の僧侶らしい墓もある。ここは旧竹内氏の墓であった。江戸時代の墓は個人の墓か夫婦の墓であり一家の墓は明治以降作られた。その名残として岸家武内家のと両家の姓が記された墓がある。これは鎌倉時代にもあり武家の家では実家の姓をひきづっていたのである。一つの家を姓にした墓の形態は新しいのである。岸タミと刻まれている墓は三十三才と記されていて武内は五十三才である。先に夫が死に明治二十二年に妻のタミが死んだ。タミは若くして死んだ。この竹内氏は竹の内から起こった姓であり相馬氏の系統の姓ではない、例えば熊川という武家は熊村から起こったのでありそこは岩城氏の領地との境であり境川ともある。熊川家老文書として残されているから熊川家は相馬藩で重きを成した人である。日本では姓はその土地の地名からとったものが多い、黒木氏でも黒木という地名が先にあり姓となった。ともかくこの成田の墓地からここが歴史的に興味ある場所として見出された。街道にも近いし相馬の城にも近いというのも魅力なのである。相馬藩では城に専門に勤めた武士は少ない、ほとんどは郷士であり農業をしていた武士だったのである。郷土史はこの成田の墓地のように知られないものが相当埋もれている。もちろん土の下に発見されない過去の痕跡が埋もれている。今回発見した古い墓地でも誰もまだ注目していないのである。郷土史にはそういうことがいくらでもあるのだ。人間の膨大な記憶は忘れられ埋もれてしまっているのである。


磐城-相馬街道(大熊町)
http://hyakkaido.travel.coocan.jp/

iwakisoumakaidou11tomiokanagatuka.htm

2010年01月10日

陸奥凍雲の空(訓読風短詩)

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  陸奥凍雲の空


長々と凍雲棚引く陸奥の空

今日も寄る真野川の岸辺に

群れにし鴨や静かなる日々

鴎数羽飛びきてうかがいしも

奈良の都は遠く遥けき船は来じ

古の辺境の地冬の眠りの深し

北風鳴りて老母待つ旧家に帰る

訓読風短詩
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/goyou/kanngetu.html

ここは四行詩になっている。その中味はあまり感じるものがない、ただ漢詩は韻を踏むから簡単にできない、相当な訓練が必要である。漢詩を作る素養があれば詩の世界はさらに広がる。
自然は毎日同じように見えるけど冬でも長々と今日は凍雲が棚引いていた。雲の様子でも雲は天才であるというごとく表情が毎日違っているのだ。だからデジカメは毎日持って歩いた方がいい。なぜならその雲の様子でも一日限りで終わる場合がある。あとは見れないのだ。明日はまた違った雲になっているのだ。同じ場所に住んでいれば同じ景色だから写真にとることもないとなるが雲は違っている。毎日違った雲がでているのだ。今日出た雲は長々といかにも凍雲らしく棚引いていたのである。真野川の橋をいつも渡っている。そこには鴨がいつも群れている。白鳥も最近来ている。やはり鴨は冬の季語なのだろう。みちのくの冬もいい、南国だと冬がないから変化がなくなる。冬は心静まる、茶の湯に向いた季節なのだ。みちのくは風土的に茶の湯があっているのだ。

 寂しさのたへたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里  西行
この歌に一番あっているのがみちのくなのかもしれない、でも日本海側には住むべきではない、冬は雪に閉ざされてしまう、福島県でも会津もそうである。気候的には福島県の浜通りとか宮城県がふさわしい。退職者が住むとしたらやはり気候が一番問題である。ただ庵をならべる人が誰になるのか?それにふさわしい人は誰なのか?そういう人を隣に庵をならべるとは限らない、それはどこに住んでも同じなのである。ともかく大都会は冬でも眠らない、冬は大地も眠る、英気を養うために眠る、それが自然のリズムなのだ。冬でも眠らないから疲れる、鬱病になる。文明には停滞した時間、眠る時間ないのである。神経がすりへってしまうのも当然である。冬は眠り休む時間なのである。


 

2010年01月12日

松島瑞巌寺の歴史的背景(伊達政宗について)

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松島瑞巌寺の歴史的背景(伊達政宗について)
 

●政宗の松島を賞す漢詩

    中秋月を松島に賞す   政宗
  
    今宵月を待って吟きょうに倚(よ)れば
  
    蒼海茫々一気濃(こまや)かなり
  
    思ひ見る清光佳興しきりにして
  
    道人も緩く打たん五更の鐘

この漢詩も佳作なのだろう。五更の鐘とは朝四時頃とある。蒼海茫々としてあるごとく瑞巌寺は海に面した寺だった。BSの朝日テレビで放映してたように瑞巌寺は政宗が建立したものであり伊達家の菩提を禅宗の寺だった。武者隠しなどがあるからそもそも戦国時代から寺は武士の菩提を弔うことを第一とした建てられていた。また金沢の寺町とかあるけど要塞としての役割もあった。城の延長として寺があった。だから戦国時代が終わると役所の役割も果たしたのである。瑞巌寺がどうして青葉城近くに建てられなかったのか、海に面して建てられたのか?やはり政宗はスペインに支倉常長を派遣したように海を意識していた東北ではめずらしい英傑だった。戦国武将で漢詩を作ったのは政宗くらいしかいないということでもいかに文武両道の達人だったかわかる。文に優れていれば武に劣るし武に優れていれば文に劣るのが普通だからだ。
 

●瑞巌寺は第二の城だった

 例えば、参道が途中で屈折して本堂が見通せないことや、庫裏の「煙出」は事実上の望楼であること、巨大な武者隠しの存在や矢弾の貫通を防ぐ厚い畳など、単なる菩提寺とは思えない防御が整えられている
http://golog.nifty.com/cs/catalog/golog_article/catalog_002888_1.htm?page=2


大軍を御引受。御境目之御一戦。万一御おくれの刻。右に書付御内試之通。横川筋へ御馬を被入候節。御定かかりの地と申候。自然御運命尽夫も不被為叶時節に候はば。御最期之場と思召にて、瑞巌寺御菩提所に御取立被成候よし」(政宗は幕府軍に敗れた場合は、松島瑞巌寺にて自害するつもりだった)。(『東奥老子夜話』

 ここは寺というより第二の城郭だった。しきり民衆の安寧を祈ったというのも違うだろう。東北の民は貧乏だったし伊達家が華々しく装ったのは無理をしていた。それは参勤交代が影響していた。江戸では見すぼらしくしたくない、諸国の大名と威勢を張らないとならない、伊達者というとき派手にしたその裏はかえって東北の貧しさ故だった。これは宮本常一の指摘である。これは別に一国のことではない、個々人でも家族でも見栄を張るのは普通である。近親者にそういう人いたしそういう人は普通にいる。実際に金がないと思えなかったのである。実際に見栄を張って家業が倒産したとかもある。つまり江戸で伊達者とか派手な姿をみていれば事情を知らない人は豊かな暮らししているのかと錯覚するだろう。その頃情報が不足している。でも実際に東北に来た人は仙台でも貧しい街だったと驚いている。実際に東北を見た人はすぐに貧乏だとわかったのである。東北の民衆は疲弊していたのである。東北にはそもそも関西のように豪商が育つことはなかった地域である。中産階級が育たない、侍と貧乏な農民しかいなかったのである。だから会津が薩長に攻められても町民は傍観していたしかえって歓迎したというのはそのためである。会津の北にむしろ喜多方が町人の商人の街として栄えることになったのである。喜多方-喜び多い町になったのである。
 

大軍を御引受。御境目之御一戦。万一御おくれの刻。右に書付御内試之通。横川筋へ御馬を被入候節。御定かかりの地と申候。自然御運命尽夫も不被為叶時節に候はば。御最期之場と思召にて、瑞巌寺御菩提所に御取立被成候よし」(政宗は幕府軍に敗れた場合は、松島瑞巌寺にて自害するつもりだった)。(『東奥老子夜話』
瑞巌寺も豪壮なものにししてもやはり民衆の犠牲があった。殿様の間を作るのは普通だがその臣下の集る間まで作るのはまれだろう。ここは伊達家の重臣が集る場でもあった。だから仏教的色彩より武家的な豪壮なものとして作られている。安土桃山文化の華やかな色彩が黄金の襖に残された。それ以上にここが第二の城だからこそここで政宗が家康の幕府に攻められたら自害まで覚悟していたのだからやはり第二の城のような作りになったのである。

いづれにしろやはり民衆的な寺ではなかった。そもそも寺は民衆的な場所ではないのだ。武士にはたいした戒名をさずけるが民衆は姓も戒名も格が落ちるとか差別があった。それで明治時代になり民衆が豊になり立派な墓を造りたいとか武士と並ぶ格の高い戒名をさずけてもらいたいとかなった。これも馬鹿げているのだ。また廃仏毀釈が起こったのは神社側が江戸時代に武士社会で不遇だったからその恨みだったというのもやはりそれだけ寺が武家の菩提寺として優遇されていたからである。だから瑞巌寺に参るとき伊達家の菩提に参るのかということにもなる。歴史的にそういう性格の寺になっているからだ。純粋に僧が修行する寺とも違うのである。仙台の定禅寺通りも有名で度々書いてきたけどやはりここも政宗が禅宗を学んだから禅寺があったところである。宮城県には禅宗が多いのもそのためである。
 

●伊達政宗の側室に朝鮮人?
 

伊達政宗にしても歴史的人物ならいろいろな見方がでてくる。政宗の側室は多い。
新造の方、飯坂の局(松森御前)、塙直之女、阿山方、弘子姫、香の前(お種)、勝女姫、妙伴、
朝鮮人女子某
朝鮮人側室とともに、隠居所である若林城(現宮城刑務所)と政宗が再建した松島、瑞厳寺に、朝鮮から持ち帰らせた「臥龍梅」が残っている

政宗正室。三春城主田村清顕の女。母は相馬氏である。文禄・慶長の役で秀吉は朝鮮が陶工を連れてきたことは知られている。女性も連れてきていたのだ。女性は戦国時代では戦利品の一つだったのである。側室というのも政治の道具として女性が使われていたから多かった。必ずしも色欲からではない、戦国時代の習わしだったのである。ただ今からすると和歌もうまいし漢詩もたしなみ武将として優れているし政治家としても抜群だとなるとそういう人は今の時代にはいないのだからいかにその当時は総合的人間として育つ環境があったことを証明している。現代ではこうした総合的人間が育たない、育てられないということにかえって後退しているのである。武士の教養はやはりその生活そのもの城の中で武家の屋敷で自ずと育つ環境に庵たのである。学校とかでは養われないものが日々の生活の中で養われていたから違っていたのだ。安土桃山時代は国際的な時代でもあった。武士の間では絢爛豪華なものが好まれたのである。

滴水瓦が日本に普及するのは16世紀末で、文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)に従軍した武将が帰国後に城郭建築に使い始めた。これは異国趣味がブームとなった桃山時代の気風を反映しており、それ以前の日本建築にはこのような異国的な瓦は受容されていない。高麗瓦とも呼ばれている
http://musubu2.sblo.jp/article/29286555.html

相馬藩の大手門は大手高麗門と呼ばれているから明らかに伊達藩から朝鮮出兵の折りその技術が伝わり作られたのである。伊達藩と相馬藩は常に密接な関係があったことの証明である。
松島は古くは中世は霊場であった。

だから鎌倉後期にこの島を訪れた一遍上人(時宗の開祖)の高弟、他阿弥陀仏(たあみだぶつ)は

        紫の雲の迎いを松島や仏みるてふ名さへなつかし

と詠んでいる。

  (松島三句)

みちのくの松島に満つ淑気かな

松島に鴨の百羽や暮れにけり

冬の海鐘鳴り暮れぬ瑞巌寺
 
 
冬の短歌十首-東北の歴史的地政学
http://musubu2.sblo.jp/article/33693754.html
 
雪の松島-俳句、短歌-政宗のこと
 http://musubu.sblo.jp/article/35083956.html


 

2010年01月13日

南相馬市長選挙の街頭演説を聞いて


南相馬市長選挙の街頭演説を聞いて

 
●渡辺氏の政策
 
南市長選挙はこれが合併して二回目なのか?合併して4年でありその評価は鹿島区ではいいことがなかったとかある。合併するとどうしても中心となる街が得をする。もともと小高と原町と鹿島があったときすでに原町が中心となっていたから当然だったのである。近くで街頭演説ししていたけど市営住宅の利用のことを言っていた。鹿島区にも市営住宅が百軒くらいある。それが築50年くらいになって老朽化してぼろぼろになっているのをかなりみかける。それを改築したりして利用することなど訴えていた。現実に3400円で入っている人もいる。2000円のもあるとか安いのである。ただリホ-ムしないと入れなくなっている。風呂を設置するのに十万かかったとかかかる。なぜこんなに市営住宅が多いのかというと当時家をもてる家庭がまだ少なかった。そして高度成長期で人口はふえたのだからこれだけの市営住宅が必要になったのである。それが今や半分は空家であり老朽化してどうするのか問題になった。市営住宅の数を見てもいかに高度成長のときは人が多く活気があったかわかる。原町では駅前通り地域に6000人住んでいたのが半分になったとかその影響が著しい。
 
今や少子高齢化で田舎は老人社会になる。渡辺氏はその解決策としてグル-プリビングとかの政策を提示していた。みんなが施設に入れるというわけにいかないのでその前に小グル-プで共同生活をする。そういう所を市で応援するということだろう。これも一人暮らしの人が65才で二割になるとか切実な問題となってくる。自分もその一人になってくる。今は大家族でないし子供と一緒に暮らすのをさける人も多い時代だからそうなる。つくづくゲ-トボ-ルなどしている元気な高齢者が多いのに少しでも介護で困っている人を助けてくれればいいとか思ってしまった。つまり高齢者同士が何らか助け合わないと高齢化社会は若者に負担ばかりかけて高齢者は責められるだけになる現実があるからだ。ただこの政策は具体性に欠けるしいろいろ実行しても問題が生まれている。女性同士はすでに行われているが男性は省かれているのである。一人暮らしでは男性の方が多くの問題をかかえるかもしれない、それにしても600億円も借金財政になっているとはここも財政は逼迫している。
 
●二人の立候補者の経歴
 

二人の立候補者の生い立ちは桜井氏は岩手大農学部を卒業後、農業に就いた。自宅近くで産廃処分場の建設が決まり、それに反対することで政治に参加するようになった。鹿島区の橲原だって自然がきれいなところである。特に橲原(じさばら)村は橲原渓谷があり特に水がきれいな所だった。でもここでは反対運動をしていなかったようだ。こっちの方が反対運動をしてもいいように思えた。田舎では農学部というか農家の人が市政に参加することが普通である。
一方渡辺氏は東北大中退でも一級建築士だとすると建築土木関係になる。建築関係は親の跡を継ぐ人が多い、親の仕事を見ているからそうなりやすい、医者もそうだが第一子供が仕事に興味を持つのはその仕事を良く見て知っていないとどの仕事についていいかもわからない、自分に向いたものに自由になれということ自体余りにも親の無責任なのだが現代はそうなっていてニ-ト、フリ-タ-が増えたともなる。職業を具体的にイメ-ジできない時代なのである。二人の目指したものは田舎では実際の職業に結びつきやすいものだった。建築土木関係と農業が田舎の仕事の基本になっているからである。それに医療や介護が働く場になったのである。そしてここでも建築土木関係の仕事、公共事業がなくなったことが一番の問題なのである。だから小高と浪江に原子力発電所ができればいいとかなる。前は反対して中止になったとかあるが今なら賛成する人も増えてくるだろう。どうしても経済優先になるからだ。ただそういう問題があれば政策的にわかりやすいから投票もしやすいとなる。今回は特に政策もそれほど違いがないとなるとどうして選ぶのか迷う人も多いだろう。

 
●公共事業(図書館建設の是非など)
 
公共事業で前にも書いたのが鹿島駅の踏み切りのことだった。一年近く工事して都会なみの立派な地下歩道を作った。今見ると入り口が二つあり実に立派なのである。これは二つも地下道を作ったからかなり費用もかかった。今でも夜蛍光灯がついて明るくしているから維持費がかかる。その割にはここを利用する人はわずかな人なのである。小学生が通るから安全面では良かったとなる。でも新しく住宅地にした真野川沿いの下に鉄道の下に車を通る地下道を作る方が先決だったように思える。現実踏み切りでは事故も起きた。あそこは車が通りにくいからだ。自転車で通ってもいつもすれすれになり通りにくいのである。公共事業とかは別に減らす必要はない、田舎にとってはある程度無駄なものでも必要なことがわかった。それで生活している人が多いからだ。公共事業は減らさないで有効に使う方法が必要なのである。民主党のコンクリ-トから人へというときやはりそれも税金の使い方を問題にしたのである。総額がなかなか減らせないのだ。
 
合併して市議会は26名になったがこれで組織票をもつ人は有利になった。26名の内公明と共産が4名というのは多い。鹿島区では公明は最近一人もいなかった。地域が広がって組織票をもつと有利になる。 渡辺氏は自民党公明だったが今回は無所属である。自民となるだけでイメ-ジ的に悪くなる。ただ渡辺氏が有利になっている。でもやはり民主主義は必ず権力の癒着が生まれるから時々交代しないと腐敗する。そのために選挙がある。民主党はただ「政権交代」をかかげて勝った。さほど期待しなくても「政権交代」は権力が変わるのだからこれまでの権力の癒着を変えるだけでも効果がありそれが民主主義なのである。
 
最後に渡辺氏は図書館建設を功績として主張しているが立派な図書館がIT時代に必要だったのか?情報化はハコモノを作ることではない、最近インタ-ネットで自分が郷土史研究をしているように費用は極端に少なくてすむ、一人でさえ資料のデ-タ-ベ-ス化すらできる。膨大なハコモノを作る必要がない時代なのである。結局これも公共事業優先の延長だった。公共事業は地元ですらそれを使う人より事業者のためであり有効利用していない、それが財政赤字になるのが問題なのである。ただ公共事業費は減らすべきではない、有効利用であり今までのただハコモノを事業者のために作るというだけでは地元の人すら納得しないだろう。

  新図書館建設工事入札


>市と同社の担当者が市文化センターで話し合い、市側は「入札が成立するために
>何が必要か、市と市民が望ましい提案を検討してほしい」と依頼した。


たかが1市民の意見だが、俺は建設しないのが望ましいと言っておこう。
更に言うなら何で今?この原材料高の時期にわざわざ高値出して造る理由も分からない。
1年前と今とで完成までの費用がどれだけ差があるか計算してないの?出来ないの?


この地区もそろそろ若手の議員を輩出すべき。

30代くらいで何もしがらみのない奴がいいな。
もう土建屋がらみの議員はいらないって。
そんなやつが議員になったって、一般市民には何の恩恵もないよ。
次の選挙のときは、皆でロートルじじいどもを追い出して俺たちの代弁者を送り出そうや。


駅前だから高校生の待合室、たまり場になるんでは、最近図書館に忙しくて行っていない
図書館は調べものするには不便なんだよ、資料があってもそれを引き出すの面倒なんだ
コピ-もめんどうで手間暇かかりすぎる、図書館は本のただ読みとか待合室とか暇つぶしとか
にはいい、でも意外と何かを郷土史でも研究するとなると手間なんだよな
ただ郷土史は資料を良く読まないとだめだし資料は大事である
だからこそそうした資料はいつでもインタ-ネットでも読めるようにしておく必要があるんだよ
 

 

近くの地下歩道は必要だったのか
http://musubu.sblo.jp/17471729article/.html

 

南相馬市鹿島区の踏み切りで交通事故
http://musubu.sblo.jp/article/29848104.html

 
posted by 老鶯 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

既得権を奪われるものの犠牲(小沢は既得権の破壊者)


既得権を奪われるものの犠牲(小沢は既得権の破壊者)(時事問題の深層40)
http://musubu.jp/jijimondai40.html#kitoku

キ-ワ-ドで意外と驚く場合がある。「酒販店 自殺」などとあるとびっくりする。それでそのキ-ワ-ドで検索するとそれなりの記事がでてくる。やはり自殺している人がいるとわかった。そして酒販店は既得権者の最たるものだったということに気づいた。そして今の社会の状態はどうなっているのか、JALの問題でも既得権をもったもの議員が地方にいらない空港を作ったりして今日の結果となっている。公共事業は大きな既得権としてあった。日本には様々な既得権がありそれで官僚が天下りとかで富の収奪があったりマスコミも既得権に守られて大きな権力をもつことになった。なぜなら新聞でもテレビでも新聞を配る、テレビで何百万の人に知らせる力をもっていてテレビ局で世論を操作できたからである。広告でも何百万人に知らせることができることで収益をあげていた。そしてその権力故に力をもつことができたのである。それは出版社でも音楽の著作権をとりしきる会社でも同じだった。既得権によって守られていて報道は規制することもできたし収益を独占できたのである。作家などは出版社の奴隷でありもうけていたのは出版社だったとか報道する権利はこうした巨大な既得権をもったものによって支配されていたのである。


そういうものが民主党の小沢主導で破壊される。民主党がこれは革命だというのはそういう面があった。創価などの宗教団体も巨大な既得権をもった団体でありビジネス化権力利権団体でも税金を納める必要はない、他の宗教団体でも税金を納める必要がない、これも既得権だったのである。つまり日本にはそうした既得権の上にあぐらをかいたものが支配する結果、膨大な借金国となった。無駄な公共事業でも既得権をもっているものに金をだし続けねばならなかった。公共事業が必要であっても有効に働かなかったのである。その既得権の構造を変えようとすれば抵抗するものがでてくるのはしかたがない、それを変えること自体容易ではない、西南戦争のように武士の権益を階級を守る命をかけた抵抗もありうる。小沢はそういう既得権を破壊しようとしているから恐怖している人たちが多い。天皇も一つの既得権でありそれを守ることで利益を得る人があったから小沢氏が天皇のことで文句を言ったら抵抗があったのである。

最近はプログの方が中心で本サイトのホ-ムペ-ジは2カ月ほど書いていなかった。ともかく延々と書き続けていたのが自分だった。ただホ-ムペ-ジが結局いくら書いても読まれているかどうかわかりにくい、前はキ-ワ-ドで調べていたが一つの記事に反応を得るわけにいかない、時事問題の深層でも一ペ-ジに量が多いしタイトルが別れているからどの記事が読まれたかわかりにくい、プログは一タイトルごとに読まれたことが確認はできる。コメントはないにしろこれは読まれているなと一応反応があるのでホ-ムペ-ジよりはいいと思いプログ中心になった。でも長くなるとやはりまとめるのにはホ-ムペ-ジの方がわかりやすくなる。長い文や論文はホ-ムペ-ジがいいのである。
posted by 老鶯 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2010年01月14日

寒風(紙漉きのことなど)


キ-ボ-ド打つ手の寒く夜の更けぬ


我が家に手伝いに通ふ女ありて石に葉牡丹氷張るかも

寒風の中を帰れる手伝いの女(ヒト)を見送り今日も暮れにき

山上に炭焼きの烟紙漉や昔の暮らし寒さ身にしむ
 

お手伝いさんとかヘルパ-とかが最近使う人が増えているだろう。家事すらもちょっと手伝ってもらうと楽になる。女中と昔は言っていて必ず金持ちの家では雇っていたのだ。電化されていないから掃除、洗濯、料理でもそれが一仕事だったからである。江戸時代に女中であった。
武家の女中とか奉公人とか足軽とかいたが身分が明確であり主人に仕える人、使われ人は言葉使いから違っていたし住む場所も違っていた。武家屋敷の奉公人や女中が住んでいる部屋へ入ると一段と低くなっていた。暮らしも別々だった。食べるものも違っていた。今は別に暮らしでも食べるものはそれほど差がない、何かあったらいいものでも分けてやったりしてしいる。別にそうしなくても住居には差があっても食べ物にそれほど差はないのだ。毎日家にちょっとの時間でも来てくれると何か頼もしいと感じる。それでわかったけど一人暮らしでも家族が少なくてもお手伝いさんとかヘルパ-とか雇っていると孤立しない、共同生活みたいになってくる。南相馬市長選挙の立候補者がグル-プリビングのことを言っていたけどそういうのも模索する必要が出てきている。ただ家に仕えるとなると家には必ず家の歴史がありその中に入るということもある。そこが新たに共同生活するのとは違っている。

 
それにししても寒い、車だと見送るということがない、歩きだとか自転車だと見送るということがある。車だと何かキレてしまうのだ。別れるときでもその人を見ている。遠くに消えるまで惜しんで見ていた。それは茶の湯の出会いと別れでもあった。車で来て車で帰ったりすると茶の湯の心もわからないような気がする。寒いというとき相馬市の山上とかなるとそこでも炭焼きと紙漉の仕事があった。紙漉きは冬の寒いとき冷たい水で紙漉きをするから冬の風物詩だった。今年は寒いから昔はこんな寒いとき紙漉きしていたんだなとか実感がこもる。紙漉沢と名前が残っているがこれは寒いとき一段と感じる名前だったのである。昔は自給自足だからこそかえって自分の暮らしに誇りをもっていた。炭焼きしていれば山の中でも食べていけるという自負があった。それがなくなったとき、無駄な公共事業で都会の人の税金で生活しているとか批判されるようになったのである。だから現代の経済は全体に歪んでいる、自然ではない、不調和なのである。それは大都会だって歪んでいるのだ。やはり自然に則した生活から離れた結果こうなったのである。
 

今部屋をエアコンであたためていない、二酸化炭素で空気が悪くなり頭痛くなるからだ。
「風流は寒きものなり」というとき、やはり寒いからこそ感じるものが失われる。寒いからこそ紙漉きのことが心にしみるのだ。でも食器洗うにしてもお湯を今は使っているから霜焼けにならないから楽である。キ-ボ-ド打つのも手がちょっと痛くなっている。これくらいはたいしたことはないが寒いとそれなりにいろいろ苦しいこともでてくるのだ。寒さが苦手なので暑い所に移住したいともなるが季節の変化がなくなるのでどうかなと思う。

冬は冬なりで楽しめるものがあるからだ。四季がない世界を考えられないのである。

2010年01月15日

冬の暮(原町の路地裏)

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冬の日や蔵に眠れる宝かな

色違う五つの石や冬の暮

原町の路地裏行くや冬の暮

冬の暮原町村の昔かな

冬の灯やここまた通る裏の道

原町は原町村であり淋しい宿場町から発展したのである。大町とかは原野だったのだろう。残された絵を見ると本当に街道沿いに家が並びそこだけが家がある淋しい宿場町だったのである。野馬追いにも一つの家しかでていない、明治以降鉄道ができて急速に発展したのである。
この黒門のあるところは何なのか?本町の辺りであり何かの記念なのか、何か謂われがあるのかただ石を並べるだけで落ち着く、石には心を鎮める作用があるのだ。庭作りはこると手間がかかる。でもこれでは芸がなさすぎる感じもする。砂利でも小石でも並べたりすればいいだろう。下をコンクリ-トにしたから何か石を展示するだけのようになった。石屋かと思った。黒門は何なのか?何か意味があるのか、それなりにここに石を置いただけでやはり何か効果がでてくる。


原町には路地が多い、そこにこうした石を置くだけで路地にも魅力が出てくる。ス-パ-とか大通りだけに街の魅力があるのではない、路地裏にもある。そこに歴史的謂われがあればもっとよいとなる。路地裏とか街道沿いは人間的なのである。人間の匂いがする、義理と人情の世界である。だから一杯飲み屋とかがあっているのである。つまり街でも村でもその場にあったものがあれば生きてくるのである。

江刺市でも蔵の街として街作りをしようとしている。NHKで写していた。嫁に来て50年とかいう女性が蔵を案内した。そこには思い出の品がつまっていた。蔵とはそうした思い出のものが貯えられた場所である。実用的なものとしては防火とか金庫の役割も果たしていた。今になると思い出の品物をしまっておく場所である。旧家だと江戸時代の宝物、資料などがでてくるから郷土史発掘の場所となっている。つくづく嫁とは女-家であり女性は家と一体化する。だから施設に入ってもそこには家がない、暮らした家の思い出がないから家に帰りたいとなるのだ。認知症になっても思い出の家に住んでいれば症状も和らぐことがありうる。施設ではそうした記憶と一体化していないから回想してもなかなか記憶が蘇らないということがある。女性は家が家族が暮らしの中心であり仕事は男である。田に力はやはり仕事のことである。女性にも仕事に向いた人もいるが一般的には家庭の中でこそ女性の資質は生きる。それがなくなるとき生きがいが喪失するのである。

冬の日の岩一つ(詩)



冬の日の岩一つ

one big rock
the deeply silenced strength


一つの岩


何もまとわない岩

その硬質な岩

原生質の岩

冬の日の静寂

ただ光を帯びて

厳然として

重みをまして在る

黄金の光につつまれる

一つの岩

何もまとわない故に

その岩は岩たりえる

その岩にしみ入る寒さ

氷柱が垂れる

そこに岩は動かず

ただ深く黙して

ここを我が場所と

千歳動かざる

黄金の光につつまれて

患いなくもここにし眠る

夜更けてかなたに

誠実な星が一つ輝いている


心強くも頼もしく

石は知り星も知る

たとえかく離れていようとも

真実なるものはひびきあう

静粛な冬の夜更けひそかに・・・

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石川議員逮捕の裏側(検察の暴走を止めるのは誰なのか?)

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石川議員逮捕の裏側(検察の暴走を止めるのは誰なのか?)


田中首相のロッキ-ド事件も中国と国交回復したときアメリカが検察を通して陥れた。その構図は今になるとはっきりしている。今回も歴史はくりかえすで検察と官僚を通して小沢を追い落としを図る。これは別に陰謀史でもなく今になると素人にも明確に見えているのだ。アメリカと結託した検察の構図が見えてきている。検察は正義の見方ではない、時の権力によって左右されるのが検察である。また官僚の権益や既得権の維持に働く自分たちの組織の既得権、権益を守るために働く、すべての組織は自分たちの権益を守るために働く、権力を動かす力があるものと結託して権力の構図ができあがる。アメリカは巨大な権力だからこれに左右されるのは素人でもわかる。もちろんそれに対抗して中国が大きな権力を左右するものとして台頭してきた。今回の逮捕劇は複雑ではない、見え見えなのである。金沢とかいう自民党にだきこまれた元秘書は民主党に公認されなかった私怨がありうさん臭い人物だった。それも見え見えなのである。検察の強引さも自分たちの権益維持と背後のアメリカとの結託であり自民党を復活して生き残りを図る無謀な権力行使にでた。小沢を追い落とすためにマスコミと組みドラマを演出したのである。検察は西松事件では自民をうやむやにしたし検察は自民に甘い、利害が一致しているから甘いのである。政治と金の問題を公平に追求してはいない、小沢憎し小沢に検察の人事をにぎられ小沢の言いなりになるより検察の権力を示して小沢を追い落とすことを実行した。権力と権力の全面的対決が起こった。


自民党は正義を主張しえるのか、検察に見逃されて検察と結託して自分たちの古い政治勢力の復活を図る。やっぱり既得権を破壊しようとすれば西南戦争のように戦争にもなる。既得権を守るために法の正義などない、権力と権力の戦いがあるだけである。その権力は正義ではない、検察の利権、官僚の権益、アメリカの権益を守るために法を盾にする。政治と金の問題は自民党にもありそこは曖昧にされたからである。国民は今回は検察の横暴を見ている。前のように簡単に騙されない、マスコミにものせられない、インタ-ネットでもそのことは明らかにされている。検察の権力が絶対的なものなのか?

これに対抗するためにはどうするのか、法律で立法府、議員の方が権力的に優位に立てるのか?そういう戦いであり正義のための戦いではない、素人にもその構図が見えすぎているからだ。検察が政局を左右して日本を支配できるのか?民主党は自分たちを選んだのは国民だというのもわかる。検察は誰に選ばれたのか?アメリカなのか、公正な法なのか、そしたら検察権力が一番上なら選挙も必要はない、検察が法の名のもとに絶対権力をもち支配できてしまう。しかし法を作るのは選挙で選ばれた議員であり議会である。民主主義において検察権力とは何なのか問われている。誰も今回は検察の権力行使を法による正義の行使だと単純に認めないだろう。創価も権力奪取を目指したけどやはり選挙に勝てないと権力を手中にできない、無血革命で権力奪取しようとしても選挙があるからできなかった。検察は自ら選挙もなしで権力を与えられている。しかしその権力は正義の法を実行するものではない、それを制御するものは誰なのか?検察の暴走を止めるのは誰なのか、国民は検察にもマスコミにものせられず注視する必要がある。
 
 


追記
 
西南戦争は国民軍と武士階級を維持しようとするものの戦いだった。武士にはとてもかなわないと思ったが国民軍が勝ち国民軍が武士の役目を果たすことになった。国を防衛するのも国民になった。江戸時代までの政治は武士がとりしきりお上が決定することでありその他は何ら政治に関与することはできなかった。国民意識などもなかった。つまり革命というとき既得権を廃止する戦いだったがそれは武力で行われたのだ。国民軍が勝ったとき国民が権力を手中にしたのである。
 
でもその後三権分立の民主主義が施行されても権力は国民にあったとはいえなかった。その最たるものが検察だったのだ。検察は神聖犯さざるべき権力となっていた。民主主義は法治国家だから法を第一にする。ところがその法も人間が決めて人間が判断するものだから絶対ではない、特に国家の重要事とを決めるとなると法は無力なのである。民報では比較的公平であるが国家的政治問題になるとそうはいかない、だから検察は江戸時代のお上になっていた。国民が選挙で決めたものでも国の方向を決めるような大事は検察が官僚が決めるのであり国民はそれに従いばいいのだということになっていた。検察をおさえる者が権限を有する者がいない、検察は絶対権力になっていた。天皇すら今や小沢の天皇発言で権力を失っていたことが判明したが検察だけは以前として江戸時代のお上だった。検察もやはり権力であり権力は絶対的に腐敗するというとき法だけでは監視できないから監視する仕組みを作る必要がある。つまり検察官を検察する、尋問することが必要なのである。

 

検察の強大な権力は常に国民の側にいるべきで、 
検察の意に沿わないような政治状況・社会状況が出現した時は、『独善に陥る危険性があるため、 
検察権の行使は慎重であるべき
 



検察のトップになる奴はみんなCIAに留学するからね 
そこで脅しや買収でアメリカへの忠誠を誓わされてスパイになる 
これを断った奴は決して出世できずに終わる 

東京地検は正義なんてものではなく 
アメリカの都合によりそれまでアメリカ大使館が収集してストックしてきたネタで 
アメリカにとって不都合な政治家を 
アメリカの都合の良い時期にマスコミと検察を使って潰すだけなんだよね 

田中角栄という国益の為に戦った日本のニッポンの政治家もロッキード事件で潰された 
こういう構造を全く理解せずに政治家に潔癖を求める馬鹿の多い事多い事
 


今回の石川議員逮捕の意見の例


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091108/1257679366
http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/23702699.html
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/03/post_53.html
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-1991.html
http://askazeera.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-8cd1.html
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/nhk-49a4.html

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2010年01月17日

枯木の影

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それぞれの枯木に癖あり影写す


黒々と影交わりぬ枯木かな田舎の町に我が住みつきぬ

長々と枯木の影の真昼間に前の畑に伸びにけるかな

蝋梅の墓の近くに濃密に匂いてここを我がまた行きぬ
 
真野川の土手にある桜の枯木の十数本は今ただ影が伸びているだけである。でもあそこに樹があることは落ち着く、その影が黒々と交わっている。こういう小さい町にいると人の暮らしは本当は濃密に交わる。でも町と在では相当違っている。在はさらに濃密な交わりになる。都会だったら別に枯木の影を見てそんなふうには感じない、ビルとか車ばかり通る道ではそういうのんびりした時間感覚がない、木一つでも回りの環境に左右されているのである。田舎では時間がゆっくり流れているのだ。悠長な時間がまだあるのだ。時間の感覚は住んでる場所で違ってくるのだ。良く見ると一本一本の樹にも表情がある。癖がある。これも人間と同じかもしれない、石もそうである。石一つ一つにも表情があり人間を見るのである。樹もこういう田舎でこそのびのびとその本性を現して生きているのかもしれない、騒々しいビルの谷間では活きてこないのだ。仙台の枯木並木はそれなりに都会に融合して活きている。今はともかく見るべきものがない、蝋梅は墓の所に今年も咲いてにおっている。それ意外代わり映えしない、でも今日は市長選挙だった、これは日記のカテゴリ-でちょっと書いてみよう。
 

南相馬市市長選挙終える(争点は産業廃棄物問題)


 南相馬市市長選挙終える

 

 南相馬市原町区大甕の産業廃棄物処分場建設をめぐり、産廃処理業者、原町共栄クリーン(同市、新倉春彦社長)が建設に反対し建設予定地の一部を買収した 住民ら6人に3億円の損害賠償を求めた訴訟で、地裁いわき支部(鈴木尚久裁判官)は29日、請求通り6人に総額3億円の支払いを命じる判決を言い渡した。 住民側は即日控訴した。
http://ameblo.jp/penynetpics/entry-10200240041.html
 (2009年1月30日 福島民友ニュース)

産業廃棄物の場所
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col18198.htm
 
これをやめると金を払わなければならない、この工事の中止で会社は11億円損した。今回の南相馬市市長選挙の争点の一つはここにあったのか?住民側は3億円払うとなると大変である。それで桜井候補側は住民側だったのか?渡辺氏は会社側についていたのか?一人はそのことを聞いて渡辺氏に入れた。産業廃棄物ではここでもいろいろもめていた。東京から産業廃棄物が運ばれて田んぼや海が汚染されるとか桜井候補が産業廃棄物が住んでる近くで問題になり反対の立場で議員として運動していた。確かに東京から産業廃棄物をもちこまれるのは問題である。場所はなかなかわかりにくい所だった。ここだと確かに海に汚染物が直接流れる。他に作っても必ず汚染されたものが流れるのだ。魚は食べない方がいい、ダイオキシンで汚染されて食べられるものではないとかインタ-ネットのサイトにあったのでびっくりした。ええ、魚も食べられないのかとショックになる。ここのサイトは何も安心して食べられなくなる。こうした汚染のことは公にされないからわかりにくいのだ。現市長の渡部氏がすすめた大きな立派な図書館などいらないというのが大方の人の意見だったみたいだ。600億円も借金財政なのに無駄だった。そんなに必要性があるものではなかった。文化的なものなら街作りでありところどころに路地裏でも庭を造り木を植えて石を置くだけでも安らぎの場所が作れる。ITの時代に立派な図書館は無駄だったのである。
 
今回の選挙では争点が明確でなくて正直どっちに入れていいかわからなかった。情報不足であり市長選挙を知ったの二三日前だった。こうなると調べて考えている暇もなかった。だから本当にどっちにしていいかわからなかった。渡部氏の政策もいいと思うのがあったし桜井氏については政策もわからない、ただ今日来た90才の老人は政治に関心がありいろいろいつも言う。その人がなぜ桜井氏に投票したのかその理由もよくわからなかったが産業廃棄物のことで桜井氏にいれたのかもしれない、もう一人は逆に渡部氏に入れた、市で会社に金を払うようになるから税金の無駄になるからということなのか?ともかく今回の選挙はここが争点だったのか?良く調べられずどちらに投票していいのかわからないが一応批判票ということで投票した。投票率も50パ-セントとかと言っていたからみんな関心が薄い、結局何が争点かもわからなかったからだ。
 

90才の老人は子供手当てなど必要ない、子供には金がかからない、俺たちは子供を生んだが金などかからない、俺たちは先がないんだから老人に金を使うべきだと言っていたし90になってもまだ生きたいということを常に言っている人だった。現実に背も曲がっていないし投票してきた人だった。これも時代が違うのだから子供に金かかる時代なのだから90なっても老人に金を使いというのは疑問である。もう一人は投票所にも行くことができなかった。最近は寝てばかりいるからだ。いくら老人に金は使うなと言っても90になってもこうして選挙に行く人がいるのだから数ではどうしても老人を味方にしないと選挙に勝てないから老人に金を使うなと政策的には成りにくい、ただ民主党は子供に金を使うべきだとしたのはやはり方向としては正解なのだろう。若者は老人の奴隷だとか常に不満を延々と書きつづけているがそれもわかるのだ。
老人はあまりにも生きることに強欲であり節制がない、長生きすることはいいとしてもその負担が若い世代にのしかかるとしたら社会全体の問題になるからだ。

 

もう一つは粗末な施設でもいいから安くて入れる老人施設を作ってくれというのは切実だろう。療養型とか老健とかもう満員で入れないという、なぜか、皮肉なことに一旦そういう施設に入ると手厚い介護をするから長生きになる。すでに一年も脳出血の人が寝たきりになり介護されている。そんなに長く入っていられるのかと思う。このまま死ぬまでとなると実に長くなり金もかかるのだ。一方で今日近くの老人が肺炎であっけなく死んだ。こうして簡単に手もかからず死ぬ人もいる。これが不思議なのだ。
その人がどういう人だったその生前のことなど関係ない、簡単に死ぬ人は死ぬのである。でも死なない人はなかなか死なない、寝たきりで十年とか死なないのである。この差は大きいのである。

 
渡部氏が財政赤字で公務員をリストラするというのもこれも地方では影響が大きいだろう。地方で金を使うのは公務員である。理髪店に来るのは公務員が多いというのもわかる。公務員がお得意さんになっているところは飲み屋とかでもかなりあるだろう。地方では公務員がいないと余裕のある家庭はなくなる。そしたら消費も落ちるしみんなが困ることになる。公務員はいらないと言っているのは都会の人である。それは地方交付税など都会 で税金を使っているから常にそういうのだろう。こうした問題も地方から考えると違ったものになる。それでも600億円の借金をどうするのか、国で支払ってくれるわけではない、夕張のようになる危険性もある。だから図書館に金を使ったのは無駄だった。地方が自力でやれという時代に無駄はできないのである。
posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層