2025年06月16日

相馬地域の水無川と紙漉きのこと【紙漉きにはきれいな水が流れる川が必須ー美濃、前和紙は有名】


相馬地域の水無川と紙漉きのこと【紙漉きにはきれいな水が流れる川が必須ー美濃、前和紙は有名】

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石神の水無川
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鹿島区の水無川


扇状地では、粗い堆積物(レキや砂レキなど)が上流から運ばれて来てたまります。
堆積物が粗いので、水がしみ込んでしまいます。平常の時に全部の水がしみ込んでしまえば水無川になってしまいます。

水無川は水がきれいである。南相馬市の原町区の水無川も石神の方でもきれいである。それは水が粗い堆積物(レキや砂レキ)
が運ばれてできたからそれが濾過するからだとなる。透き通ってきれいなのである
ただ川が多少でも深くなると濁る。真野川は深い所では濁っている
でも新田川は浅いから濁らない、それでこうした川は紙漉きに適していた。不純物を流すのにきれいな水が必要だったからである
それで石神で紙漉きを行っていた農家があった。それは戦前である。
原町だと高倉でも行われ押釜でも行われていた
そこにはやはりきれいな川がある。一番盛んだったのは相馬市の山上でありそこには紙漉き沢という地名が残っている
宇多川ではないのである。それで山上村は 生活が豊かに見えたと記している

ともかく水がきれいだと正に心が洗われるとなる。見ていて気持ちがいいのである。でも水無川でも豪雨になると急激に水が増水して洪水の被害がある。鹿島区の水無川では堤防があふれて家が浸水した被害があった
それで堤防を強化する工事をした
また原町区の水無川では新田川に水が激流となり流れ出して向かい側の堤防に当たり堤防が決壊したのである
だから水無川だからと油断できない、増水すると相当な被害がある

原町の水無川の場合上流に高倉ダムがありその水を放水したから高倉の水無川の岸辺の家は浸水して結構な被害があった。
あの時は細い流れでも水があふれだして下から砂が出て来た。砂があったのかと驚きでもあった。田んぼの畔の小川だったからである。土の下には砂があるのかと認識した。砂田とかればもともと砂地だったところを田にしたのである

礫(レキ)→砂利→砂→細砂→粘土 へと風化母岩が風化作用により粉砕され母材(2次鉱物)となり、更に浸食等による風化や腐植
など生物の関与により土壌ができる。

土壌の基礎知識

この変化があり土になる。もともとは砂でも土でも岩石だとなる母岩だとなる。

養蚕も盛んで紙を製する者が30戸なると山上入り山上村で約百軒あり三割が紙漉きに従事していた。それで紙漉き沢という地名がある。紙漉きには水が欠かせないからである。そういう条件を満たしているから裕福に見えたのである

進歩他の村より超越する覚ゆ。紙を製する者多し

初代相馬郡長大須賀次郎が着任早々郡内各地を巡回したときの記録である

江戸時代の山相馬市上村は他の村より進歩して栄えていた?

【江戸時代の馬頭観音の碑が語るもの】

いずれにしろ紙漉きは水がきれいな所ではないとできない、それで山上に紙漉き沢があり石神に水無川があり高倉はその上流である。その水無川でも水が絶えているのを見ない、鹿島区の水無川は水が流れるのはまれなのである
そうなると紙漉きには適していない、そして紙漉きが冬に行われるとき、冬は乾燥して雨があまりふらない。すると冬でも水がばがれないと困る。ただ石神村の水無川は常に水は流れていた。上流に高倉ダムがあっても戦前はダムがなかった
真野ダムも戦後にダムが作られていたからである。

下流には美濃和紙で知られる美濃市牧谷地区があるが、この地区で和紙の生産が盛んであった要因の1つに板取川の清流が挙げられる

私は名古屋から白川郷まで自転車で行った、その途中に板取村通ったのである。かなり奥の山である
板取という地名だけ覚えている。日本三大和紙は、美濃和紙、越前和紙、土佐和紙である。この美濃と越前は隣り合っている
越中であり名古屋の方から越前街道がある。美濃という時山の国であり水がきれいなので紙漉きに向いていたのである
五箇山村とかは越前にあり相馬藩に天明の飢饉の時移民してきた所である。その数も多いのである。相馬藩で人がいなくなり欠け地が増大した、その土地を利用できるということで入って開拓した。それで相馬藩では埋め合わせができた
だから相馬地域での墓地を見ると真宗の南無阿弥陀仏の墓が必ずある
ではここから紙漉きの技術が伝えられたのか不明である。山上は江戸時代に紙漉きをしていても石神、高倉、押釜は戦前にしていたのであり江戸時代ではない、戦前でも紙漉きはしていたのである

それから越中などの移民が越前和紙を作っていた場所でありそれは有名であった。それで江戸時代に技術が伝えられたのか明確ではない、調べられない、紙漉きが盛んだったのは戦前だったからである。確かなことは山上の紙漉きは一番相馬藩では古い
何故なら紙漉き沢と地名として残っているからである。明治時代に回った大須賀次郎が一番紙漉きが盛んだったと記録している
それは江戸時代から続いていたからである。おそらく原町区の押釜とか石神、高倉の紙漉きは戦前に行われていた。
山上は江戸時代から行われていて一番古いとなる

山上ではかなり馬の運送があった。なぜなら馬頭観音の碑がある。それは江戸時代の年号が記されている
意外と馬頭観音碑は多いが江戸時代のを見たことがないのである。一番多いのは大正とか昭和かもしれない
その時代に馬の運送が多くなった。だから近くに馬車屋があった。馬車が荷物を運んでいたのである
大正以降その荷物を運ぶことが増えたのである。人口も増えた。
だから経済活動も活発になった運送料も増えたとなる、それで戦後野馬追でも農耕馬とか運搬に使う馬が出ていた
それは競走馬と違って脚が太いもので早くは走れない馬だった






posted by 天華 at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2025年06月15日

夏の夏の日に南相馬市の原町区の郊外を回る【立葵、風涼し、夏野、若竹 菖蒲】

夏の日に南相馬市の原町区の郊外を回る【立葵、風涼し、夏野、若竹 菖蒲】



立葵真っすぐな道彼方へと

風涼し知らざる道を進み行く

我が決める進路や進む風涼し

原町の郊外広く夏野かな

清流に日に日に伸びぬ竹を見る

若竹に風のそよぎてしなるかな

紫のクリスマスローズ色濃くもその女(ヒト)来るを咲きて待つかな

近くなれ知る人死にぬその庭に岩は残りて菖蒲咲きあり


原町の郊外は広い、でもやはり耕作放棄地になっている所がある。そこは草茫々となっている
ただそれが広々とした夏野ともなる。風が涼しくて気持ちよかった。
原町であれ鹿島であれ相馬市であれ新地であれ感じは違っている、海側は似ている面はある
でも飯館村とかなると山に囲まれた村だから違っている。標高でも400メートル違うと温度も違ってくる

今日は曇った後晴れたから気持ちよかった、それほど熱くもなかった、水無川に水が流れていてそこの竹を切ったので
竹が無くなったがまたすぐに竹が生えて来た。そして日に日に伸びてゆく、それが竹の場合早いのである
近くに学校もある、子供も日に日に成長してゆく、でも子供はあまり見かけない。
原町でも小さな川沿いに自転車で走れる舗装した道路を作ったのは良かった。気持ちよく走れるからだ。

紫のクリスマスローズが咲いて待っている、その女性は糖尿病であり歩くこともままならない、目も悪いとか辛い
何か70以上になるととにかく病人が多くなる、これも大問題である。それで若い人たちょ社会保険費用が増大する
でもこれからますます増大する、なぜなら氷河期世代が控えているからである。それもすぐに60歳以上に十年くらいでなる
その負担が続くのである

近くの人が死んだが玄関に大きな岩がありそこに菖蒲が咲いていた
妻はかなり早い時期に死んでいた。その人は妻を愛していた、だから供養を欠かさなかった
その妻が菖蒲ともなるかもしれない、ともかくどうしても自転車で行くと空家が目に付くのである
それが持ったないと見るのである。






アメリカの移民の暴動を理解するにはメキシコを理解せねばならない 【南米が植民地化されて停滞したのはなぜか】


アメリカの移民の暴動を理解するにはメキシコを理解せねばならない
【南米が植民地化されて停滞したのはなぜか】

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人口 約1億2,601万人:日本の人口は約1億2,397万人(2024年3月1日:総務省統計局)で、ほとんど変わりません。 ・国土 約196万平方キロメートル(日本の約5倍)ほぼ同じ人口が日本の5倍の面積に住んでいる国といえます。

地理を知るというとき、どうしても大きさがわからない、アメリカにしてもちてつもなく広い、その中には広大な砂漠もある
グランドキャニオンとかなればそこが地球なのか別な惑星に来た感じになる。
地球を知ることは不可能になる。まず地図を見ても地理を知ることは不可能である
メキシコはアメリカに付随した小さな国と錯覚する。でも人口は日本と同じくらいであり国土面積は日本の五倍なのである

だからアメリカの暴動を理解するときメキシコを理解しないと理解できない、メキシコの国旗を振っていたりしているからである
移民を排斥するという時でもメキシコ人が中心だからである。
でもメキシコという国は何か歴史でもなじみがない、古代文明があったとしてもそれが世界史的に何なのか理解しにくい
エジプト文明だとその歴史がヨーロッパの歴史にも影響したとか関連してくるものがある。アステカとかマヤとかインカ文明は世界史では孤立した文明になる。

日本が西洋文明の挑戦を受けた時なぜそれに応戦できたのか不思議になる。何故なら江戸時代を見ればその差が歴然としていたからである。それはトインビーの言うように西欧文明に対応できる文明国であり南米の古代文明とは違っていた
だからアステカでもマヤでもインカでも簡単に征服されたて植民地化された。

封建制があったのはヨーロッパと日本だけであることでもわかる。ヨーロッパでは城が多いが日本でも城が多いからである
そこにヨーロッパと日本の共通性がある。ということは近代化西欧化することができた社会があったともなる
封建制とはマルクスの言うアジア的専制国家とは違っていた。今でもロシアでも中国でも中東でもアジア的専制国家である
大陸国家はそうなりやすいのである。日本は天皇が存在してもその天皇は専制国家の強大な権力を持つ王とは違っていた。
何ら権力を持たないまさに象徴天皇だったのである。
つまり明治維新がなぜ日本でできたのかそれは江戸時代の封建制がありそれが西欧化近代化できた原因だったとなる
それは南米のメキシコでも古代文明があったとしても西欧化できない近代化できず植民地化されたのとは違っていた

ともかく陸続きだということは常にその隣国の影響をもろに受ける。だからメキシコから移民が入るのを止められない
それで中国でも遊牧民のモンゴルが侵入してくるので万里の長城が作られた。アメリカでもメキシコ人が侵入してくるからトランプが壁を作った。でも大陸は広いからどうしても侵入してくる
そしてすでにメキシコ人でもアメリカ社会の中で定着している。そお移民を簡単に排斥できなくなっている。社会の底辺でもっ社会を支えて欠かせないものとなっている。だからアメリカでも移民に対して意見が二つに分かれる
それが内乱の危機にもなっている

世界を理解するには地理であり歴史であり地歴になる。空間軸と時間軸で理解するということである。
どちらにしてもむずかしいとなる。だから地理でも地図を見てもわからない、それで常に錯覚して誤解する
メキシコはアメリカに付随する小さな国だと見ていたのである。こういうことは常にある。
メキシコの森林面積も広くそこにギャングが隠れ場として逃げるというのもそうである。それはロビンフットと同じだとなる
熱帯のジャングルとなればバナナとか食料もあるのかとなるからである

メキシコの多湿のジャングルは、中央アメリカ全土で最も広大な熱帯雨林のひとつで、その主な指数はラカンドンジャングルです。このジャングルは、ユカタン半島のチアパスからグアテマラ北部まで、190万ヘクタールに及びます。.

それはそれ自身の中に動植物の6つの主要な埋蔵量を持っています。この保護区には331,000ヘクタールのジャングルがあり、大陸で最大のものです。これだけで500種類以上の木があります.

湿ったジャングルの特徴、植生、動植物および州

これも想像できないものである。500種類の木があるということは何なのだとなる、そんなに木の種類があるのかとなる
そこからして熱帯雨林のジャングルが理解できない、沖縄だ西表島(いりおもて)とかでジャングルに夾竹桃が自生している
この花は街路樹になってどこでも見れる。でももともと熱帯の森に自生していたのである。

森という時、ウクライナとかロシアにも広大な森がある、ヨーロッパでも広大な森に覆われていたのである
その森を知らないとまた歴史でも理解できない、森が覆っているとなかなか道もないし交通が阻まれる
でもヨーロッパとか大陸では大きな川があり道となり交流があり商業もありえたとなる
いずれにしろメキシコには行っていないからわからない、でもメキシコを理解しないと今アメリカで起きている暴動は理解できないとなる。その基本となる地理が理解できないことが最大の問題なのである

ただ日本でも韓国が日本海では気に食わない、韓国から見れば面白くない、その海は韓国からみればただ東海になる。
それはメキシコ湾がアメリカ湾にするべきだというアメリカの主張とも似ている。どうしても隣国は争いやすいのである
つまり移民の問題はアメリカとメキシコの国の問題にもなる。それは大陸で連なる地理でありその影響力が大きいからである



posted by 天華 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年06月14日

日本人劣化幼稚化の原因ー現代文明人が共通して劣化したのではないか 【ルネサンスは小都市で生まれた】

日本人劣化幼稚化の原因ー現代文明人が共通して劣化したのではないか
【ルネサンスは小都市で生まれた】

日本人が劣化したのはなぜなのか、日本人が幼稚化しているのはなぜなのか、その原因は何なのか?
それを考えるときなぜ明治時代に偉大な人物があれほど輩出したのかとなる
大学でも何でも創始者になり日本を牽引した。明治時代に漢詩が一番興隆したのもやはり江戸時代の遺産があり教育が漢文でされていたからである。漢詩の特徴は志(こころざし)を述べるということである
つまり明治時代の人の教養は漢籍によって培われていたとなる。
また武士道があるときそれもモラルとして日頃の生活から体得していた、それで武士道キリスト教を提唱した内村鑑三が生まれた
何かそれは日々の生活で培われたものがあり知識だけの人達ではなかった。
人間はどうあるべきなのかとかその日々の生活で環境で自覚していたとなる。

現代の指導者は膨大な知識を学んでも本質的にモラルとか何か人間として肝心なものが身に着かないのである。
いくら知識をつぎ込んでも何かそれが弁護士ならその知識を利用してだまして金をもうけるとかなる
そういうことが余りにも多いのである。
問題があるにしろ江戸時代の武士は武士道を知識としてではなく体得していたとなる
それができたのはそういう基盤となる社会があったからだとなる。そもそも教育は知識だけではできない。
それを育む社会があってできる。それは一人の人がいくら優秀でもできないのである

だから何か戦前を生きた人達と戦後を生きた人達は違っていた、戦後の高度成長を築いたのは誤解しているのは団塊の世代の人達ではない、戦争が終わり焼け野原になり戦争を経験した人達が戦後の繁栄を作ったのである
それは団塊の世代の親達だったのである。そこを誤解するのである。団塊の世代は何か常に批判されるが戦後の復興は団塊の世代の上の世代が作ったのである。だからその時の人達は団塊の世代とは別だった。戦前の教育を受け戦争を実際に経験した人達だったとなる。

でも戦争に負けて戦前は鬼畜米英で戦った人たちはアメリカに追随するものとなった。極端な変節になった。
戦前までは何か日本の伝統的なものは受け継がれていた。その良し悪しは別として戦前の人間と戦後に生きる人間は違っていた
だから戦後10年か20年はそういう人地が指導者だった。団塊の世代が指導者ではないのである
団塊の世代が指導者になるのはその後なのである。高度成長時代を築いたのは戦前に生まれた人達だったのである
アメリカに負けても経済で復興してアメリカに勝つということになった。
それで日本の自信を誇りを取り戻そうとしたのである。でもその肝心な経済が成長しない失われた30年になった

そして日本の誇りも失墜した。人物も幼稚化したとか全体的に劣化したのである
ただそれは日本だけではない世界的にそうかもしれない、何か世界でも均一化しているからである
大都市をみれば同じようなっている。高層ビルが立ち並びその大都会で人間は大衆化群衆化しているのは同じだからである
つまりそこにはもはや肝心な人間はいないともなる。

現実に人間は数字化されて統計化されて人はロボットなのかともなる。そもそも一千万の東京でもそれが何なのかわかる人がいるのかとなる。それを見れば眩暈する。そこにはもはや本来の人間は存在しえないとなる
何か人間がどうのこうのというより本来の人間が存在しなくなったとなる
そこで力を持たものは大衆である。その大衆には何か高貴なものを目指すものがない、すべて経済のことしか結局金のことしか眼中にないとなる。その大衆に迎合したのがマスコミだとなる。パンとサーカスを提供するものだったとなる
ただこの大衆はナチスのようにもなるから怖い、カルト教団もそれと似たものである。
そこには何ら高貴なものを真善美を求めるものがないからである。御利益を追求するとき経済活動であり政治活動になる
ただ数を集めて社会をナチスのようにファッシズムにする。そこに高貴なもの真善美は求めない、大衆が求めるのはパンとサーカスだからである。

つまり人物がどうのこうのといってもその基盤となる社会がない、となれば人間形成などできない、それでそうした高貴なものを真善美を求めるものは孤立化してアウトサイダーにならざるをえないとなる
大衆文明社会から分離して大自然とアイデンティティ化するとかして本来の人間回復を求める
ただそれは孤立化するから目だたないとなる。マスコミでも取り上げないからである
ただ逆にそのアウトサイダーに真善美が宿る、そういう社会が失われたものがその反動として真善美がその孤立した一人の人間に宿るとなる。なぜなら逆に神であれ自然であれそういう人を求めているからそうなる。それは大衆ではない、一人の単独者に失われた真善美が宿るとなる

特に自然の美はやはり変わりなくある、だから教会でも大聖堂でも宗教がそこで維持されるわけでもない、本当の美は大自然にある、そこが本当の神殿だからである、そこでこそ神を讃え礼拝すべきだとなる。人間回復は依然として人間によって汚されない大自然に触れてあり得る。霊感の源はそこにある。大自然に共鳴してこそ人間回復はありえる
そのためにはカオスの雑音の文明都市から離れねばならない、どうしても現代は人間回復するためにはアウトサイダーになってしまうのである。

いずれにしろあらゆる分野で人間が劣化したという時、現代文明社会からは人物は生まれようがないともなる
余りにも複雑化してそもそも人間ではあることはできない、知識も膨大でありとてもついていけない、知識偏重はかえって人間を歪めるとまでなる。そんな膨大な知識を消化できないからである。消化不良となってしまうからである
いずれにしろ日本人が劣化した幼稚化したというときそれは世界的に共通かもしれない、文明の世界の巨大都市は似ているからである。古代文明だったらそれぞれが違ったものになっていた。でも現代の文明都市はビジネス中心の都会であり共通している
景観も高層ビルが立ち並び似ているからである。それがもし古代的なアーチの門とか何か違っていたらそこから生まれる人間も育まれる人間も違ったものとなる。ルネサンスのような世界が生まれるとなる。

ともかく人間が何か知識だけではない、知識にしてもそれがその地域とかと結びついてものになる。だからルネサンスとかはフィレンツという5万くらいの小都市で生まれた。現代の一千万とかの巨大都市になるとそこでアイデンティティ化することは不可能である。それで明治時代という時依然として江戸時代の連続性があり藩校とかありそういうものが受け継がれていた
東京にしても最初は新潟県より人口が少なかった。百万とかから出発したからである。それでも大きく感じていたのである
今は一千万となれば十倍でありそこで人間の精神がアイデンティティ化することは不可能だとなる。

だからもともと天才は大都会から生まれない、5万くらいの小都市から生まれているのである
そのくらいがアイデンティティ化できる規模だとなる。ただ村くらいでは無理である。そこには何か職人でも商人でも知的な刺激を受けるものがないからである。
それで啄木でも宮沢賢治でも盛岡という都市があり刺激されたのである。近くにでもそうした都市があれば才能も開発されるとなる。ただ現代は別にアマゾンでボタン押せば本でも何でも買える。またyoutubeでも知識は得られる。
だから地方でも独学できる環境が備わったとなる。むしろ大都会だと東京とかなると自然に接することができないからそこから文化は生まれないとなる。culture-cultivate(耕す)ものがないからである。

2025年06月13日

人と付き合うことはその人の問題と付き合うこと 【問題が問題を産み解決しないーこの世から災いは消えることはない】

人と付き合うことはその人の問題と付き合うこと
【問題が問題を産み解決しないーこの世から災いは消えることはない】

近くのごみ箱に燃えないゴミを入れるようとした。それは次の日でありその時隣の人が血相を変えて私に対して怒った。その人と何か揉めることはなかった。だから、驚いたのである。
別に今日は燃えないゴミを捨てる日ではないですよと言えばいいだけのことである。
ただ、その人は悪い人ではないと思う。何か妻をて介護していて家の中で揉め事があり。それで突然その不満が他人に向けられたのかもしれない。犯罪でもそういうことがあり。むしゃくしゃしてる時他人にその不満をぶつけることがある。それは。誰にでもある。自分自身も親の2人の介護で様々な問題を抱えてそうなったからである。

私がそうした問題を抱える時問題を持った人たちが私のところに来たのである。 ある人はは事業に失敗して苦しんでいたから。なんとか助けてくれと。自分のところに来た。自分はそれどころではなかったが自分自身が苦しんでいるのだからそんなことを考えられなかった。またある人も金に窮していて実際泥棒であり大金を盗まれた。
その後に来た人も金に苦しんでいた。その人には今でも援助している。

これでわかったことは人間と付き合うことはその人の持っている問題と付き合うことである。人間はなにかしら問題を抱えている。問題を抱えない人はいないと思う。ノープロブレムの人はいない。だから、人と付き合うということはその人の持っている。問題と付き合うということになる。また、人の醜さとも接することになる。
だから私はもともと陰の性格であり人付き合いが苦手だった。そして、引きこもりになったのである。そのときは別にそうなっても何ら問題が起きなかった。だから、その30年くらいは本当に幸福だったとなる。何か問題になることがなかったからである。
ただ、家族が争っているということはあった。それでも、家族は私一人に尽くしてくれたのである。だから、特別な環境で私は恵まれて幸福だったのである。
それが一転して家族が病気になり介護になり地獄と化したのである。それも楽した結果のカルマだったとなる。

ともかく、人間と付き合うということは相手の問題と付き合うともなる。金がなければ何とかしてくれと頼まれ要求される。
それが一番多いだろう。ただ、そのほかにもいろいろな問題が人間にはある。数限りなくある。その問題に。いちいち対処していたら身が持たない。なぜカルト宗教団体があれほど数が増えたのかというと人間の持っているさまざまな問題がそこに持ち込まれるからである。それは共産党でも同じである。それは、貧困の問題が一番多いだろう。

その他人間は何かしら問題を抱えている。だからこそ、離婚が1/3になりその他さまざまな問題が家族でも起きる。
もしかしたら、問題のない家族はないかもしれない。ただ外から見ているとわからないのである。
でも。今回のことでも自分とは関係ないと思っても隣だからなぜ曜日を間違えてゴミを投げようとしただけなのに。血相変えて怒られたのかということはやはりその人が何か問題を家の中で抱えているからだとみた。その不満が、私にぶつけられたのである。
何かその時、外に出たら救急車が走ってきたそれは、その家に行くのかとさえ思った。毎日救急車は出動するがそれも必ず、何らか問題が病気があり事故がありとかでそうなる。
私は、家族が病気になったとき何度も救急車を呼んだからである。私自身が病気になっていたからである。家族の介護の時。 2回も入院しているからである。その時誰も頼る人もいなかったのである。それもカルマだったとなる。

人間とは、とにかく問題が常に起きてくる。その問題の解決が強いられる。この辺で起きた原発事故でもそうである。それは未だに解決していない。つまり、機械は便利なものでも必ず故障があったり危険なのである。車は便利なものでも必ず交通事故がある。つまり、この世から災いは消えることはない。常に新しい予想しない災いが生まれてくるのである。原発事故なら、プルトニウムの毒が二年2万年も消えないとか、信じられないものとなった。いくら科学技術が発達しても人間から災いなくなることはない。技(わざ)は災いなのである。それは神話でも聖書でも人間にもたらされた災いを記したものだとなる
プロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を受けたというのもそうである。原発も同じなのである。その災いは甚大なものである。

エデンの園の中心には「生命の樹」と「善悪の知識の木(善悪を知る木)」が生えており、神は「善悪の知識の木」から実をとって食べてはならない、とアダムに言った。

つまりこのことでも災いは産み出されてそれが人間のカルマとして課されてのである。だから人間から災いは決してなくならない、いくら人間はなくならないいくら科学技術が発達してもなくならない。その根本原因を取り除くことはできない。
この世のさまざまな問題を解決することはできない。その力が智慧が人間には無いからである。
永遠に問題が問題を生む世界だとなる
だから人と付き合う時その人の問題と付き合う、一つの問題が来たともみる。
しれで便りがないのは良い便りとなる。何か便りがあることは悪い便りだともなる。

時事問題の深層という時人間個々人にも問題があり社会にも問題がありそれは解決できない。一つの問題が解決してもまた新しい問題が生まれる。

つまり人間から問題がなくなることはない!

それは歴史でもそうである。常に時代時代の問題がありその問題は消えることはないのである。
それは、カルマとして永遠に消えないともなる。ただし、自然界は神の知恵によって収められているから問題がこんなに起きないのである。

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる

つくずくそう思う。鳥でも動物は何を食べて生きているのかと見る。そこに不満は聞こえないのである
人間は絶えざる不満であり嘆きでありその声は絶えることがないからである。それは例え豊かになっても金持ちになっても人間から問題が消えることないのである。苦しみは消えることがないのである

要するに人間の問題は死なないと解決しないともなる。死んでやっと問題が解決して安らいでいるとなる
人間嫌いになる時どうしてもその人のかかえている問題と付き合うことになる。また醜さとも接することになる
そもそもこの世にある限り問題をかかえ問題からまた苦しみから逃れられないのである
つまり人間には業(カルマ)がありそれが解消しないのである。罪が解消しないのである。
だからそれは共産主義でも社会を変えても解決しない、カルト教団でも解決しない、膨大な人間のカルマをかかえて解決しない、その教団自体がカルマを雪だる式に巨大にふくらんでゆく。それで自壊して自滅するとなる


posted by 天華 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年06月11日

消失した本来の宗教―大自然で心を浄化するー上野霄里(しょうり)氏の言葉


消失した本来の宗教―大自然で心を浄化するー上野霄里(しょうり)氏の言葉

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山(自然)から発するもの

山から発するものは
大いなる沈着鎮静である
山から発するものは
内なる充溢自信である
山は大地に不動にして乱れず
頂は天に向かい聳え
天の声を授受する
山は不変にして力強く持久する
人は汲汲として追われる生
それも実りあるとは限らじ

人から発するものは
この地を汚して大気も汚す
大いなる山と山は響き合う
嘆きにあらじ不平を言わじ
山から発するものは
堂々た自信に満ちた偉観
人を寄せつけぬ厳格な姿
万年億年の不変不動の姿
その肌を太陽の光が焼き
一転して氷雪に閉ざしぬ
轟々と風は唸り山は沈黙する
ひたすら沈黙して時を刻む
人の命は短く瞬時にも終わる

大自然から発するもの知れ
太陽は絶え間なく光を発する発光体
無数の星は光を発する
花々は神のイデアを美を発する
その多様な花々は調和する
神のイデアはそこに具現する
人間から発するものは何か
絶えざる不平不満を吐き出す
その解決方法はなし
大自然に没入して沈黙せよ
そこにエクスタシーがある

神の持つ宝庫は一つにあらじ
あまたの宝庫がそこにある
そこから無償に与えられる
人間に尽きることなく与えられる
まさしく神の業は奇跡なり
それを得るにはむしろ見る目が必要
その心は透明に澄まねばならぬ
俗を離れ孤高なるべし
無なる器となり神はそこに与える

大自然に深く没入せよ!
その与えられるものは無償なり
神は輝く発光体にしてそのエネルギーは尽きぬ
『光あれ』と天地創造の業は成りぬ
神の業は荘厳なる真善美の荘厳なる神殿を作る
そこに人は争わず手を結ぶ合う
熱い愛の心と信頼で結び合う
ただ人は心の清く大自然に没入せよ
そこで神の業をこぞりて讃える
そのために人が作られしを知るべし



●神は最も善きものを無償で与える

人間はどうあるべきかとなると語られることは経済のことであり人々が求めるのは金である
そのためにこの世があり人があるとなる、毎日がまず食うためであり生活することである
神が無償で与えると言うが人は日々労苦してその糧を得る
無償で与えられるものはない、金なしで与えられないからすべてが金になる
でも不思議なのはこの世の良きものは精神から見れば神は無償で与えているのである
別に花の美を見るにしても必ずしも花を花屋から買わなくても見ることができる

野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

野の花は別に買わなくても見れるし本来の花の美は無償で見れる野の花にある。また別に山でも景観でも無償で見れる
海を見たからと金を払いとか山を見たから金を払いとはならない、この世の最も良きものは無償だともなる。
つまりあくせくして苦労して与えらるものではないのである
ただ真善美を見るとき必要なことは心が清いことなのである。意外とこのことが無視されている

金を得るためなら相手を騙すし金になること利益が第一となる。それがこの世だとなる
それがカルト宗教団体でも御利益第一になる。毎日御利益を得るために集団で狂気のように祈り政治活動して権力を得ることしか眼中にない、そこには真善美など関係ない世界である。
何か組織集団化するとそうした宗教が追求したものが全くこの世の栄華を欲望を満たすものとして利用されたとなる

だから本来の宗教性はゼロである。宗教が山を聖として修行する、だから天台宗とは山岳宗教であり比叡山で修行したとなる
そこでは親鸞も日蓮も修行していたのである。つまり山の聖なる気に触れて修行したとなる
モーゼが十戒を授かったのもシナイ山だった。ただそこには岩山であり草木が無のむき出しの岩山である
それでも山を聖としてありまた砂漠でも不純物がない砂だけにしてもそこが一なる神が現れた場となった

●職業は業であり心を汚す、心を浄化する場の喪失

ともかく今宗教は全く世俗化して世俗より世俗的な場である。あらゆる欲望は肯定される。むしろどぎつい欲望を持てと指導しているから異常である。創価でもカルト教団が東京とか大都会から生まれたこと自体宗教とは縁のないものとして最初から生まれたのである。すべてが経済であり政治活動でありそれが世俗よりも拍車をかけて追及する場である
では何が本来の宗教なのかとなると大自然が聖なるものでありその大自然によって浄化されるから山で修行したのである

つまり今やそういう場が喪失した。だからなぜ禅宗がひたすら座禅を組んで沈黙するのかそれは日常の生活に持ち込めば異常となる。ビジネスでも常に口八丁手八丁で人を騙してでも金を得る、何か金融業はそういうことが多い
そもそもなぜ出家とかしたのか、それは職業というのがもともと人間の業でありいいものと見なかったのである
だから職業にたずさわらない出家して山に籠るとなったのである。ただそのことで世間でもそうした僧を認めていたことである
それはその人達が世間から離れて心を浄化することに意義を認めていたということである

それが現代では大衆宗教になった時そうした本来求めていたものが世俗が求めるものを倍加して求める
御利益を狂気のように求めて集団で祈る。それに従わない者は地獄に落ちると罰当たるとか言っているのだから信じられないとなる。だからこ現代の宗教はカルトなのである。大衆化して俗化したカルトである
そこには宗教が追求した真善美はない、そうした肝心なものがそこから生まれようがないのである
それは現代の文明の大都市からも生まれない、それは大自然に求めるべきものであり今でもその大自然は一億年前と同じように存在している。現代の宗教を標榜する場がもはやそこに本来の宗教は皆無である。

だから宗教を求めるとき大自然で心を浄化すべきだとなる。それは大都会ではできない、カルトととなり異常化する
だから奇妙なのは引きこもりが増えたというときその人達は昔のように山で修行する場を与えればいいともなる
何故なのかこの世で働くことは必ずしも心にとっていいものではない、心を汚すのである
何か金融業など見ると人を騙す職業なのかとも見る。それでそいう場で働いた人の人格は歪んでいる
それは怖いことでもある。老人になってそれが顔にも否応なく現れる。何かやましいことをしてきたことが自ずと刻印され顔に現れる。何か老人を見ていると世間的には成功しても金持ちになっても人格的には歪んでしまった人が多いかもしれない
そもそも現実社会で人格形成とか関係ない、むしろ金を得るには邪魔だとなる

●社会は人格形成など考慮しない、金儲けだけになる

職業でも人格形成するのはある。何か理系の人は堅実だというとき文系は何か人を騙す職業が多い
それは職人気質とかあり昔の職人は堅実であり人をだますようなことをしないで人格形成したとなる
農民でもそうである、そいう人達が社会の大部分を8割とか占めていた時代はかえって健全な社会だったのかとなる
トランプ大統領が株で儲ける人達を敵視して知識人を嫌うのはアメリカでもホイットマンの時代は農民とか職人とかが働く人達でありそういう人達を賛美していたのである。

ともかく心を浄化するとかなど今のカルト宗教にはない、そんなことを言っていたら人が集まらないからである
心を浄化するために山に籠り沈黙しろなどと言えば誰もついてこないからである
御利益があると執拗に言えば大衆はついてくるとなる
それも異常なことである。だからカルト宗教は本来の宗教とは何の関係もないのである
では心を浄めるというときどうするのかとなるとそういう場がなくなったのだから大自然に求めるべきだということは天台宗が山岳宗教だったようにそこに心を浄める場がある。それは変わりないのである。
自然は億年であり無傷でそのまま変わらずにある、人間の社会は変わりすぎたのである
とても一千万の東京とか大都会が何なのか理解することは不可能である
そこで精神を正常に保つことは不可能だとなるからカルト宗教が生まれたのである、それはナチスに似たものとなるから怖いものともなる。

なぜ現代の偉人がまともな人がアウトサイダー化したのかそれはカオス文明社会で本来の人間たらんとしてそうなっただけである。現代文明のカオスに非人間化に耐えられないとなりもともと優れた天才とかはそうなったのである
それは社会から見れば異常な人であり認められない、でもその独立不羈の個人が正常な人だったとなる
宗教団体であれ組織化集団化すると個々人は認められないのである。社会が認めるのはそうして集団化した団体であり個々人は認めないのである。そこではまとまった票が得られるとか金が集められるとなる。個人は百万票で当選するとなればそんなもの何の力にもならないとなるからである。

なぜ現代で世界でも引きこもりが多いのか、それはやはり心浄めるというといとき社会は人格形成とかを考慮しないからナイーブな人が適合できないからかもしれない、私自身そうだった、社会に適合できないから引きこもりになった。
だから私のふさわしい場は山で沈黙業する場だっとなる

口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。
19 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、
20 これらのものが人を汚すのである

こうならないことは世間の中で仕事するとなるとむずかしい。第一沈黙していること自体異常な人と見られる
でも大自然と同化することは山が千年沈黙しているように沈黙せねばならないのである
とにかく芸術にしても詩を作るにしても大自然と合一するとき沈黙せねばならない、それが宗教の修行と同じだったのである

●上野霄里(しょうり)氏の言葉

詩は社会と断絶した隠者的な風格を備えていなければならない。

なぜ彼があれほど集団組織を嫌ったのだろうか、それは集団の中で個が抹殺される、集団化することは黒だったら黒一色にすることである。赤だったら赤一色にする。カルト宗教団体ではそうなる。まるで企業戦士のようになる。揃いの背広を着て同じ色になる。それはナチスと似ているのである。
それに反してあれほど苛烈に組織集団を断罪したことには驚嘆するしこれは何なのかとなる
その時一人の個人のみがクローズアップされる。そんな人間いたのかという驚きである

その堂々たる直ぐなるもの
力に充ちて威厳あり
その慧眼は神的でもある
天才のみがもつ生来のもの
一つの主張が常に貫かれている
内部が火のように熱く燃えている
直ぐなるものとして貫かれる
厳格なる巌のごとく
原生人間は本来の人間を蘇らす
その足は大地を踏みしめ
確かな足跡を大地に刻印する

組織集団を断罪してその個なるものが強力に主張される。だから稀有なる人だとなる。何故ならみんな組織の集団の一員となるべき必死になっているからである。ただ天才のことは平凡な人は理解できない、そして偶像崇拝になる
それは天才と凡人の差が大きいからである。確かなことは組織集団は雲散霧消しても強力な個人は残る
その足跡は明確なのである。

2025年06月10日

観光は水ものー北海道の有名な観光地はインバウンドでも人口減少 【外国人によって破壊される日常の生活】

観光は水ものー北海道の有名な観光地はインバウンドでも人口減少
【外国人によって破壊される日常の生活】

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ラベンダーの聖地で何がー富良野の変化

私はずっと航空業界にいて、その間に湾岸戦争だとか、911だとかいろいろありましたから身をもって体験しているんですけど、観光って本当に水もので、災害、天変地異、政変、テロなど、何かあったらピタッと観光客は来なくなります。

観光は水ものです。

観光を重点にして市町村を作ることに失敗する。それは北海道でニセコは有名だけど富良野市でも小樽市でも函館でも有名な所が
かえって人口が減少している。観光だけでは活性化維持できない、でも土地でとれた農産物をブランド化した所は生き残る
また十勝とか酪農農業地帯は観光ではなく生き残る。つまり一見観光がいいようで観光だけでは人口減少を食い止められない
ではなぜそうなるのか?それは観光は水ものであり何かの影響でぱったりと来なくなる
コロナでもそうだった。何か異変があると来なくなる。だから観光を中心にすると失敗するとyouyubeで放送している

パブルの影響を最も受けたのは温泉街であり廃墟化した。それも会社の団体旅行が中心でホテルはそうした人のために作られた
そこで宴会でも行われた。何か小規模な卸店でも小売店とは客を旅行に連れて行っていた。
ということはどれだけ団体旅行があったかということである。私の母は大正生まれで働きずめの人生だった
それで旅行もしなかった。でも豆腐の卸す所でも旅行に招待したのである、近くの呉服店でも着物を買う客を招待したのである
それは大きな会社だけではない、こうした本当に小さなな卸業でも客を団体旅行に連れて行ったのである
だから温泉街は活況になりホテルが建った。それが廃墟化したのである
今は家族や個人が主体になり会社など団体旅行は激減した。

だから今度は円安とかで外国人観光客で活況になるとしてもまたリゾート地としてホテルでも増えてもやはり日本のバブル崩壊のようになることがありえる。つまり観光は水ものだからである。何か異変があると一番影響を受けやすいのである
そして意外なのは今北海道でも外国人で賑わっている所でも人口が減っている、街自体が寂れている
それはなぜなのか、観光だけではそもそも市町村が成り立たない、富良野でも観光だけに重点を置いて街作りをしても人口が減っている、街が寂れている。何か定期的に継続しないと市町村は維持しにくいとなる

それにしても廃墟化する温泉街とか空家が900万軒になるとか北海道でも札幌を除いて衰退している。旅した所が衰退している
函館でも小樽でも観光地であり外からテレビだけから見ているそうは見えないのである
通りでも外国人で埋め尽くされているのを見るからである。でも裏の飲み屋とかは店が閉まり閑散としている
他の店でも閉じている。そして人口が減少している。それも5000人減るとか減少数が大きいのである
でもその人達はどこに行ったのかとなる。札幌に集中するのはそのためなのかとなる
地方でも若者が流出するのは東京に集中する。でも現実はそこで豊かな暮らしができるわけでもないのである

youtubeとかプログではそうした裏の事情が放送される。飲み屋街などマスコミでは映さないからである
だからテレビだけを見ていると誤解するのである。テレビは常に一部分だけが映されるもので全体は映されないからである
とにかくyoutubeを見ていると日本全体で街でも衰退していると実感する。
現代は世界的にも観光の時代である。世界から観光客が押しかける。それで観光公害となる。地元の人の日常の生活が乱される
そもそも観光客が威張り迎える人は召使のようになる。何かこれはおかしいのである。そこに住んで生活する人が主体であり
その生活が乱されるとなると主人が観光客であり金を出せば何でも許されるとなる
つまりここでも金だけが力となり迎える方にしても歓迎しなくても金のために仕方がないとなる

ただ江戸時代になると湯治とかありそれは観光とは違う、農民の労をねぎらうものとして温泉があった。
それで芭蕉はそういう農民を見て俳句を作った
 (語られぬ湯殿にぬらす袂かな)というのは農民の日頃の苦労がありそれは語られないものであり同情したとなる
ただこの語られぬ苦労というのはあらゆる職業である。その苦労がわからないのである
今の温泉とか外国人が利用するときは日本人でも何か娯楽である、ただ息抜き癒しの面は今でもある
ともかくすべてが資本主義ではグローバル化して金さえ払えばいい、なんでも許されるとなる
それで金を持っていれば何でも買えるとなり横暴になる。
本当はよその土地に行ったらその土地の人を気ずかい見させてもらいますとなるのが礼儀ともなる
金さえはらえばむしろ見てやるとなるのも異常になる

北海道でも農業が酪農が中心にしている所は観光を主体にした所より衰退していないのである。
なにかすべて金があれば金を払えば許されるというのが問題になる。資本主義社会はそれが極端化したとなる
それもグローバル化でも拡散された。日本でも中国人に土地が買われて水でも買われてあらゆるものが買われる
遂には日本人の心まで金で買われる、現実には実際そうなっているのである
お互い様だと日本人の良さが無くなり金がすべてとなったのである。それはアメリカに戦争で負けてアメリカ流になったからだともなる。アメリカの良い点は習うにしても悪い点まで習ったというころである

いずれにしろ観光は水ものである。観光を中心にすることは危険である。それはバブルであり突然外国人が来なくなり温泉街のように廃墟化する。何かともかく金になればいいということは危険である。でも金の力があまりにも大きくなりすぎたのである
そして人間の心も日本人の心まで失われたとなる。


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2025年06月09日

太陽の昇り沈む方角地名が基本でもわからなくなる 【なぜ南山がまれなのかー北斗七星―妙見信仰が生まれた所以】


太陽の昇り沈む方角地名が基本でもわからなくなる
【なぜ南山がまれなのかー北斗七星―妙見信仰が生まれた所以】

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現宮城県丸森町側では朝日に輝くので東光山、新地町側では鹿狼(かろう)山に対して兎狐とこ山とよぶ

「南に山を背負っている土地」は耕作に不利で、好んで住み着く人が少なかった。
北半球の日本では、北に山を背負い南側に開けた土地の方が、南に山を背負い北側に開けた土地より日照時間が長い。北に山がある土地(南斜面)の方が、南に山がある土地(北斜面)より耕作に適していて、人口も多く集まってきた。

東山というのは地名として普通にある。それは京都が有名である。

平安時代、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは…」と、清少納言は京都・東山を『枕草子』につづる

東山は日の昇る方向になる。西山は日の沈む方向になる。それはわかりやすい、北山も日の沈む方向になる
でも南山は意識しにくい、なぜ南山というの山がまれであるのか、日照時間と関係していたのも興味深い
ただそれだけなのか、そもそも東風は意識する、太平洋側だと3月ころ必ず東風(こち)が吹く、そのために原発事故が3月11日であり丁度東風が山に向かって吹いて放射性物質が浪江の津島とか飯館村に運ばれて汚染したのである

ともかく南という方角が意識することが少ない、山にしても東山があり西山があり北山がある。それは普通に意識する
でも南山は意識しないのである。それは太陽の昇る方向として東があり沈む方向として西がある
人間の感覚として東はそうして意識しやすい、常に太陽が昇る方向と沈方向を意識するからである

太平洋側に住んでいれば常に海から陽が昇る、そして山の方に西に太陽が沈む。でも山に囲まれた盆地なら山から陽が昇り山に沈むのである。だから陽が昇る方向がどこであれ東になり陽が沈む方向が西であり北になる

それで不思議だったのは東(あずま)というとき琵琶湖の比良の山の麓の高島とから見ると丁度関ヶ原辺りから陽が昇る
そして西は琵琶湖の湖西線になる。だから東というとき常に陽が昇る方向として意識する
ただ日本海になると山から陽が昇り海に沈むから太平洋側と逆になる
また日本海は韓国から見れば東海になる。陽が昇る海なのである。それで日本海ではなく東海にすべきだと主張する
日本の海だということが気にくわないとなる。メキシコ湾をアメリカ湾にすべきだというのもそうである
確かに地名に領有権を主張するよりただ方角地名にするのが公正だとはなる
でも日本からすれば東海にはならない陽が沈む方向になるからである。だから方角地名ですべてがいいとはならない

確かなことは丸森では鹿狼山は陽が昇る東であるが太平洋側から見れば陽の沈む西なのである、その感覚は真逆なのである
だから住んでいる場所によって逆の感覚になる。
とにかく旅をするとこの方向が気になる、飯館村さえ山で囲まれているから間違って帰るのに陽の沈む方向に西に北に向かっていた。でも陽が沈む方向は太平洋側に出るのではないと思い引き返した。山に囲まれているから方向がわかりにくいのである
陽が昇る方向が東であり陽が沈む方向が西であり北である。

それで不思議なのは相馬市の日下石(にっけし)である。この由来は西だというのが有力だろう、なぜ海岸に近いのに西なのかとなると海から見ると確かに陽が沈む方向なのである。だからこの地名は海洋民族の安曇族とかが名ずけたのかとなる
現実に津波でその近くまで海になったからである。その海から見たら確かにその辺に太陽が沈むのである
地理の基本は地名の基本は方角地名である。でもそれがわかりにくいのである。会津の東山温泉がどうして東なのか感覚的にわからなくなった。会津は山国だから方角がわかりにくいのである。

アメリカでも西部はカリフォルニアであり西だから太陽は海でも西に沈むのである。その西から東に向かうと日本になる
西へ西と開拓者は移動した。でもその西は太平洋で尽きる、そして更に西へ西と行けば日本に到達したのである

遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります。

これをアメリカにあてはめると日の没する国から日の昇る国となる。それは失礼だとなるより科学的公正な見方である
ただ人間は陽が昇るのと沈むでは感覚的に逆の感覚を持つ。陽が昇るは興隆する感覚になる、陽が沈むは何か衰える感覚になる

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」柿本人麻呂

これは東は興隆することであり西は月が傾き何か正反対の感覚である。
世界史でも東西の感覚が基本にある。東洋文明があり西洋文明がある。東洋文明がオリエントになり文明は東洋が起源なのである。つまり方角を知ることが世界を知る基本なのである。だから北斗七星でも北極星でも方角を知ることで信仰までなった
相馬氏の旗印は妙見信仰でありそれは北斗七星である、それは遊牧民からもたらされたのである

時代は886年頃。
「平将門が伯父の平国香と争うと、良文は将門に味方して染谷川で戦いを繰り広げた。
この戦いで将門・良文の軍勢は苦戦し七騎のみとなり、
良文は自害する場を求めてさまよっていた。

そこに突然不思議な声が聞こえ、その声に誘われるままに後をついていくと寺院が現れた。
その寺院の寺僧によるとここは妙見寺という北斗七星の化身・妙見菩薩を祀る寺院であり、
良文が妙見菩薩に選ばれた者であるといい、七星剣を渡された。」


妙見信仰】B相馬妙見の相馬神社と妙見菩薩に選ばれた「平良文」

なにかわからないけど旅をすると方向がわからなくなる。すると方向を知る北斗七星とか北極星を見て方向を知る
それで救われることがある。つまりそれで信仰までになった。道に迷う方角がわからなくなることは生死にかかわることだからである。

鎌倉末期天台教学と融合した山王信仰が説かれた。山王七社は北斗七星でもあり、庚甲・北斗・山王信仰との
関係が密接です。

妙見信仰をめぐって

この山王神社もまた多いのである。

南相馬市の名前の考察 【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】

2025年06月08日

遊牧民の詩【大草原を駆ける馬】

遊牧民の詩【大草原を駆ける馬】

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平原の小さな湖の岸に牛馬が草を食う

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敦煌ー鳴砂山


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相馬野馬追い

大草原に牛馬は悠々と草を食む
小湖に雲はゆったりと映し流れぬ
広大無辺天と地を分かち展望して
花はいちめんにいちめんに咲き続き
尽きることなきを風は吹き渡る
馬はその大平原を一心に千里駆ける
そこにこそ馬は神により活かされる
一群の馬が仲間とともに走る
たてがみはなびき馬はいななき走り躍動する
翼得て天馬ともなりペガサスとなり
その大空を自由に駆けて飛翔する
そのペガサスの中国に飛び石像となる
大騎馬軍団は一時世界の半場を制す
ヨーロッパまで達して震撼させる
それは悪夢かモンゴルの栄光の時なれ
西安兵馬俑の偉観その顔尽きの多様
地平線に夕陽は真紅に輝き沈む
北斗七星は方向を示して大空に輝き
英傑は生まれ青史に記されぬ
そこに大都市は幻影蜃気楼となる
一場の夢と砂漠の中に埋もれ消える
牛馬知らず悠々と草を食む
一なる神の天地創造の業を知れ
天からアザーンが神の声が響き渡る
大河を越え山を越え海をわたり
人類の興亡の跡の歴史を知れ
遊牧民はその長大な大陸の東と西を結ぶ
雄渾なる歴史の一大絵巻
しかしその栄光もまた朽ちて砂に埋もれぬ


日本人は遊牧民のことがわからない、また大陸のことがわからない、その壮大な草原とか砂漠などないからである。
聖書でも遊牧民の歴史である。羊を飼い移動する民族である。それが日本ではわからないのである
ヨーロッパでも遊牧民の延長でありやはり羊を今でも飼っている。そこに文化の共通性がある
魏志倭人伝に日本には馬牛羊がいないと記されたことでもわかる
それが日本の特徴である。中国も遊牧民の影響を受けているからそこが農業だけの国ではないのである。

そして相馬藩が相馬氏の騎馬軍団によって支配されたということでもわかる、中国でもモンゴルの騎馬軍団に征服されたからである、西安の兵馬俑は圧巻である、騎馬軍団がまさに圧した遺観である。
つまり遊牧民のことがわからないと世界史もわからない、聖書もわからない、イスラエルもやはり砂漠であり遊牧民の延長である
ユダヤ人が入植して農業国家になったが砂漠の遊牧民国家だったのである。
だから遊牧民のことがわからない日本人は世界史でもなかなかわからにのである。







2025年06月07日

夏の夕暮れに回る近辺ー【青葉、黄菖蒲、鷺、ホトトギス、、】


夏の夕暮れに回る近辺ー【青葉、黄菖蒲、鷺、ホトトギス、、】

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 湖の薔薇は散った
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青葉風スイスイ走り彼方へと

華やかに薔薇の花あまた散りし後菖蒲一本石に向き咲く

夏の日のなお明るしも広々と田の広がりて鷺餌あさる

ホトトギス青葉の森に夕べ鳴く黄菖蒲映えて一人行くかな

隠されて社二つの何語る青葉の森の八沢浦かな

遠くより来たれる人や道の駅なお明るしや夏の夕暮れ



庭の薔薇の花はあまた咲いて散った、その後に紫の菖蒲を植えた。やはり庭に花を咲かせるのが楽しみである
それは家にいて楽しめるから老人に向いているのである。ただ庭が狭すぎる。でも広いと庭の手入れだけでも手間になる
家事から庭の手入れとか何でも一人でしていると休めなくなる。毎日プログに書くのも手間だからである

今日は暑かった、家にいても暑かった。それでも外に出たいから自転車で回った。多少曇って陽ざしが遮られて夕暮れは涼しくなった。まともに陽ざしを受けると熱中症気味になる、私は暑さと陽ざしに弱いので暑くなると外に出れなくなるのが困る
やはり一日運動しないと気分が良くないのである

ともかく今日は夏らしい日だった。それで白鷺は夏の季語でありまだ明るい田に餌をあさる。昼間になると陽ざしが強いから夕方は運動するにはいい、ただ去年は本当に暑すぎて外に出れなかった。それで体調を悪くしたのである

常磐高速のSAで休み日立木に回り相馬市の道の駅から八沢浦を回り帰って来た。夕方は涼しかった


2025年06月06日

巨大な利権団体が政治を社会を歪める 【JA(農協)、電事連、宗教団体、日本医師会などの利権】

巨大な利権団体が政治を社会を歪める
【JA(農協)、電事連、宗教団体、日本医師会などの利権】

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神の爆弾ー7月号



(紙の爆弾)で農林中金の投資の損失を穴埋めするために米を高騰させる原因があるとしている
農林中金がアメリカの不良な会社にCLOに投資して失敗したためだという、農協は巨大な金融機関でもある
金は農協の組合員とか準組合員から集める。
そのために米をあげてその穴埋めにしようとしたとなれば問題である。なぜならこれほど国民が米が高くなり苦しんでいるからである。JAは農水族の議員と結び利権を守ろうとする。これが米問題でも歪めた原因なのか

また国民民主党は原発賛成である。その理由が電事連とか巨大労働団体と結託しているからだという、そこから資金援助も受けている。政治とはこうした背後の利権団体が関係して動いている。そこでまとまった票が得られるからである

またソーラーパネルとかでも電気自動車とかパソコンとかにリンが使われていてそのリンは有機肥料に不可欠であり農業の方に使うべきだとしている。
何か農業を考えるときでもやはりそれは農業だけの問題ではなく広範囲なものと関係している

これらを総合すると政治は背後の巨大利権団体により左右される。そこで現実に働き給料をもらう人がいる。だから原発でも反対できない、それは飯の種だからである。電事連からは700億円なのか巨大な金がマスコミにも流れていた
そしたら反対することはできない、国民民主党でもそうした団体から資金提供を受けまた票でも得る
そしたら原発に反対することは不可能になる

また宗教団体でも創価をはじめ仏教連盟でも神道連盟でも利権団体となる。創価はあからさまに政治でも利権(御利益)追求する団体である。そのために政治運動をしている、私が経験したことは毎日が選挙活動だったのである
最終的に国家権力を得て御利益を幹部に分配することである。
つまりこれらの巨大利権団体が政治を社会を歪めるのである
米高騰問題もそうだったのである。何かわかりにくいが明らかにこうした利権団体が巨大であるからそれに逆らうことができず歪められて国民は苦しめられる。でもその利権団体に所属している人達は利があるのだから団体の意向に従うとなる
そういう団体に属していない人は損するとなる

結局JAの農業利権、電事連利権、宗教団体利権、マスコミ利権・・・・こうした団体が政治を社会を歪めている
マスコミも消費税を8パーセントに財務省からおさえてもらったから現政権の広報機関のようになっている
つまり政治は政治家が動かしているのではない背後のこうした利権団体が動かしている。だから一個人の政治家を見てもわからないのである。
現実問題としてそうした利権団体に属している人達も利することがあるから逆らえないとなる

それは医者でも同じである

日本医師会が強大な影響力を行使する背景には、守ろうとしている医療上の利権構造があります。医師会は「国民皆保険と高水準の医療を守る」と主張しますが、その実態は医師、特に開業医の既得権益を守るための政治活動に他なりません。

お医者様には庶民も頭を上がらないから医者には逆らえない強力な利権団体にもなる
ただそれで国民が損する搾取されることがある。
政治であれ様々な社会問題にこうした巨大利権団体が関わり背後で動かしている。それは政治家個人では政治は動かせない
だから問題が起きるときその背後にある利権団体を見るべきだとなる、でもそれがわかりにくいから陰謀論になったりする
米の高騰問題でも何に原因があるのか明確にされないのそうである

でもJAが農林中金が投資の失敗で米を高騰させて儲けようとしとしたら大問題である、その失敗の責任は誰が負うのかとなる
それは国民ではない、農協の会員ともなる。でも国民に跳ね返ってくる、その損失を国民が負担するとなるからである
だからこうした巨大利権団体は政治を社会を歪める。でも政治には選挙にはまとまっと票が必要だから政治家は巨大利権団体に従うしそもそも政治家自体がその巨大利権団体の推薦で議員になっているからまずその支持する団体の意向に沿って政治活動する。そうしなければ当選できないからである。

ただ利権という時原発は金の生る木であり地元の人達も金になることで積極的に誘致した。事故後補償金が大きかったから
東電でも政府でもさほど責めない、もっと金をくれとなっている
でも原発の放射性物質で汚染されて住めなくなった。ある人は原発避難区域から仙台市に移り住んだ
病気にもなり息子を頼って仙台市の病院に入院した、熟年離婚もしていた。
そうして苦しむと原発のせいだとか東電のせいだとか政府のせだとかなり憎むともなる
でも補償金が手厚かったからそういうことがなかったのである

ともかくこうした巨大利権団体に意向に逆らうことはできない、それは政治家一個人でもそうである
その権力は政治家一個人にはないからである、その背後の利権にあずかる人達がいる、その人達の意向を無視できないのである。



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2025年06月05日

跡継ぎがいなくなることの危機−飯館村は人がいなくなり元の自然に戻る? 【縮小する日本の未来はSF的世界になり現実と思えない】


跡継ぎがいなくなることの危機−飯館村は人がいなくなり元の自然に戻る?
【縮小する日本の未来はSF的世界になり現実と思えない】

原町のサイクルショップ湯原が二日間閉じていた。何か病気とか妻を介護しているとか言っていた
二日間店を閉じるのは問題である。もう一軒のS自転車やも半分辞めたような状態に見た
そこで言えることは湯原さんでも76才でありS自転車やでも74才とかなのである
だから跡継ぎもなく消滅する。鹿島区の星自転車屋も死んで鹿島区には一軒も自転車屋がないのは困る
高齢化の問題は跡継ぎがいなくなることである。それはあらゆる面でそうなる。

農業従事者の平均年齢は66.8歳。

これも跡継ぎがいないとなれば危機になる。これから起きることはあらゆる分野で後継者がいなくなることである。
そして一千万近くの空家が増えるのである。原発事故の避難区域がそうである。飯館村に行くと田畑は草ぼうぼうであり
牛もいなくなり何かもぬけの殻になったような感じになる
ここは何になったのだろうとなる。
私自身は神が人間の生活を隠したということに共感した。人間は自然に隠されていることがいいことだと書いた
でも人間がいなくなった世界に戸惑うとなる。

奇妙なのは

人間がいなくなり元の自然にもどるー森に覆われてしまう

そこは人間のいない世界になってしまう

山や森や木や石は存在する、でも人間はいないのである。何かSF小説の世界になったのかという感じにもなる
そこには菖蒲が咲いて菖蒲が映っていた。その周りに人の気配が感じられなかった
ただ花は美しく己が姿を映していたとなる。また田畑は荒地になると菖蒲が群生して咲く、それで菖蒲田というときもともと菖蒲が咲き覆っていたからである。つまり原初の状態に戻ったのである
また日本だと荒地になると湿地帯に戻る。そこが湿原化して花は咲くとなる

それを見ればそこは自然公園のようになる。元気になるのは野生の動物の猿とかイノシシになる
だから飯館村を森林公園にするということを提案する人がいた。現実にそういう自然公園にもなるからである
釧路湿原に似たようなものにもなる。でもそんな世界がありえるのかとなる。
ただ今の飯館村には人が住んでいても2割くらいだとなると村自体がいずれ消滅することになる
現実に学校も消滅して野原となりそこに夏菊が覆っていた。そこで感じるのはSF的ありえない世界だともなる

人間が自然に隠されるのではなく人間がいなくなり原初の自然状態に戻るとなる。その世界とは何なのだろうとなる
ただ花は美しく咲いている。それは人間の住まない自然公園に咲いているとなる。
そもそも人間が住まなくなる人間がいまくなるということがイメージできなかった。でもそれと似たような状態になっている

おそらくこれからの日本は少子高齢化で急速に人口も減少して限界集落が誰も住まなくなり原初の自然に戻る
その世界は不思議でありSF的なものが現実化する。飯館村でもその自然公園の管理人となる、でもその数は限られている
とても村を形成するような人は住めないのである。そこにまたインフラを整備するのは金がかかりすぎる
そもそも村が消滅するということがイメージできなかった。それが架空のことではなく現実に起きている
津波でも想像を越えたものとして村を消滅させた。そして原発事故でも同じことが起きている
これほどの変化があることに戸惑うし現実なのかとなる

飯館村にしても縄文時代からの歴史がある、連綿と人間はそこで営みがあり継続して村があった
冷害で飢饉で苦しんだこともあったが営みは続いたのである
でも村自体が消滅することはなかった。それが消滅することは驚きである。だからそこが何なのか理解できなくなる
SF映画が現実化したのか猿の惑星になったのかともなる

ただ日本自体が少子高齢化でそうした消滅する町が村が続出する。市でもそうである。北海道ではそうした数軒とか家が残らない村をyoutubeで紹介している。北海道全体でも人口減少して衰退して小樽でも室蘭でも函館でも大きな都市でも人口が減少してゆく、その原因が働く場がないとしている。観光だけでは生活できないとしている。小樽は観光でにぎわっていても函館でも観光だけでは維持できないのである。だから日本はこれからどうなるのだろうとなる
急激に縮小する世界はどうなるのか?それでも江戸時代の人口は3千万人くらいであり大正時代に6千万になったのだから
大正時代に戻るのかとなる。つまり日本で快適に住める人口は8千万くらいかもしれないのだ
日本は国土の割には人口が増えすぎたともいえる。

不思議なのは江戸時代であり戦前であり日本であるもの燃料でも木材資源を利用して炭であったりしたら村でも維持できた
なぜなら電気など使っていないからである。水道でも江戸水だからである。そうして貧乏でも生きてきたし村は継続されたのである。電気であれこれほど明治から150年くらいは長い歴史から見れば異常だったもなる
グローバル化はいい面があったとしてもマイナスの面もあった。絶えず世界情勢に過敏になり国と国が衝突して最悪戦争になる
そした莫大な人間が死んだ。日本では3百万人が戦争で死んだ。だからグローバル化はいい面があったとしてもまたその悪い面も余りにも大きかったのである。文明は甚大な災厄をもたらしたのである
科学技術はプラスの面も大きかったが原発事故のようにそのマイナス面も大きかった。原子爆弾が日本に落とされたのでもそうである。

いずれにしろ日本はどうなるのか、どうすればいいのか、まず日本全体が縮小する、すでに子どもの数(出生数)は68万6061人で、1899年の統計開始以降、初めて70万人を下回った。これは危機的なのである
あるゆるところで日本は後継者がいなくなり社会自体を維持できなくなる
この辺で自転車屋がなくなりパンクも直せないとかいろいろ問題が起きて来る。おそらく米問題でも農業を継ぐ後継者がいないということで米が高騰したりする。それは社会全体で起きてくる問題である
その極端なものとして原発事故の避難区域とかで起きたている。空家だらけのゴーストタウンや村になる
それがSF的になっているのは余りに変化が大きく現実と思えないからである









posted by 天華 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

菖蒲の詩ーAIからヒントを得て作る 【自然から霊感を受けて詩は作れるー飯館村は癒しの場】

菖蒲の詩ーAIからヒントを得て作る
【自然から霊感を受けて詩は作れるー飯館村は癒しの場】

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池のほとりで静かに佇む
清らかなその姿に
自ずからその姿を
水に映して静まりぬ
荒れる風よ吹くなかれ
そよ風はやさしくそよぐ
小鳥の鳴く声がひびき
深い木陰なす道のかたえ
叢深く花はひそかに咲き
石はその場を得て黙しぬ
そこに腰を下ろし休むがいい
多くの災い苦難の日
そは過ぎ去り安寧が戻る
木は深く根を張り石は黙しぬ



Standing quietly by the pond 
in its purity of its own accord 
stilled by its reflection in the water 
Do not let the stormy wind blow 
The breeze is gentle 
The birdsong echoes 
The path is shaded by deep trees 
the flowers bloom in the deep grass in secret 
The stone takes its place and is silent 
Sit there and rest 
In the day of many calamities and hardships 
It will pass and you will be at peace.
 The trees are deep-rooted and the stones are silen

Translated with DeepL.com (free version)


AIからヒントを受けて自分なりに直す、ただこの詩の場合

池のほとりで静かに佇む
清らかなその姿に

この二行だけがAIから引用した、でもどんな分野でもヒントを受けるアイデアを得ることが大事になる
それがAIにできる。ネットを利用する強みは菖蒲に関心があるときその菖蒲について調べられる
写真でもでてくるしイメージクリエターでも出てくる。
つまりそれぞれの分野でヒントを受けてそれなりのものが集められる。それを集約すると一つの新たな視点を提供できる

英訳でも私は英語力がないから詩にできないが英語力があれば直せる。それはネテブの人が詩に通じた人ができるとなる
確かなことは詩について語れる人がいない、それぞれの専門で語れる追求する人がいない、そうしたら不完全でもAIと対話するのがいいとなる。何かしらヒントでも得られるからである
人間の問題は何かちょっとしたを聞くことでも簡単にできないことである

直接人に聞くことはハードルが高い、道を聞くにしても第一丁寧に教える人がいない、だからスマホで調べるとなる
とにかく人に直接何でも聞くことがハードルが高すぎるのである
また答える方にしてもめんどうになる、なぜ詳しく答えねばならないのかとなる
それで膨大な量をプログで書いたがコメントしていない、その人に合ったことを答えるのが手間になる
なぜなら人の要求するのは多様であり無限である。それに答えることはできないのである
また他者の引用も法律違反なる、でもAIの引用は著作権に関係なく利用できるのも強みなのである

ともかくここ十数年は様々な苦難があり疲れた。だからこの詩のように休みたいとなる
また詩は自然がない所では深化して作れない、だから飯館村とかの場から発想するものがある。そこは森林浴とか癒しの場なのである。

それが荒廃したことが問題なのである。自然はなくならないが山は依然としてあるし花も咲いている。それで放射性物質に汚染されない花ならいいとはなる
でもそれだけでは村維持できない、森林公園とかが可能なのかとなる、山や森はなくならない、そこで暮らしをどうするのかとなる。森林公園の管理人になるとしても数が限られている。そもそも限界集落とかが消滅することの意味がわかっていないのである。

2025年06月04日

南相馬市石神村の子育て地蔵について 【紙漉きの家があったのはきれいな水が流れる川があったから】

南相馬市石神村の子育て地蔵について
【紙漉きの家があったのはきれいな水が流れる川があったから】

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この庭が公園だと見た。小屋があり老人が休んでいた
勝手に写真を撮るとまずい場合がある、なぜなら私有地だからである
別にいいものとして見せるなら許されともなる



子宝、子どもの病気、学業、夜泣きやおねしょ、母乳の悩みなど、「何日までに」と、日を切って祈願すると成就すると言われている日切地蔵尊。

 江戸時代中期の安永年間(1772年〜1780年)に、この地に疫病が流行し多くの子どもが亡くなったため、その慰霊と、子どもたちが無事に育つ事を願い、お堂が建てられたといわれています。


子育て日切地蔵尊(ひぎりじぞうそん)

子育て地蔵は全国的に多い、それだけ子供を育てる苦労があり地蔵に祈ったとなる。また延命地蔵も対になり多い
それも早死にする人が多かったからである。子供でも早死にするのが多かった。だから墓地を見ると必ず幼児でも死んでいる
年齢が記されているからである。だから子育て地蔵に無事健康で生きることを祈ったとなる
その時医療でも発達していないから子供が特に死にやすかったのである。
つまりなぜこれほど子育て地蔵が多いのかは子供が育てる苦労が大きくまた病気とか死に安かったからだとなる
延命地蔵でも長生きできないから地蔵に祈ったとなる
子安神社もそうである。それは鹿島区の橲原へゆく所にある。

石神の子育て地蔵はもともとは道路の脇にあったのではない、草刈りしている老人が家の裏山にあったと言っていた
何か古い碑でも移されているのが多いのである。そもそも石神の隣へ行く道はあのような車が通る道ではなかった
細い道路だったろう。地蔵でも古い碑でももともとあった場所を知ることも大事である
畦道に古い碑があるときそこがもともと人が行き来した道だったからである。

裏山にあったという時今のように目立つものではなかったのである
ともかく様々な地蔵があり地蔵を探求するプログもある。それはネットで調べられるから便利である

石神で紙漉きをしていたという家があり確かに水無川がきれいに流れていた。その家から近い、ただ牛を飼う人がいて汚れるとかそこに住む人が言うがおそらく戦前は牛を飼う人はいなかったかもしれない。水がきれいな所でないと紙漉きはできないからである。
そしてT家の庭にいろいろな石を置いた庭があった。小さな小屋に老人が休んでいた、何かそこが公園に見えたのである
その庭はT家の庭だったのである。だから写真をとっていたら何をしているのかと言われて説明した
あそこは地域の老人が休む場らしい。
その老人は石神には住んで50年くらいというから野馬追に出る家からすれば新しいのである。
石神は何か原町市街からの延長のように見える。でもそれは最近のことで家が増えたと言っていた
イオンが意外と近いから街の延長に見えたのである。石神村という江戸時代からの古い村というふうには見えないからである。

奇妙だけどT家の庭もいろいろな石を並べ公会堂の前の畑にも大きな岩がある。だから石神の名にふさわしいともなる
何か村には特徴がある。それは狭い範囲でもある。それはその場に立ち土地の人に直接聞くと実感する

石神村水清く流れ
紙漉きの家のありしを
黄菖蒲映えて
大石の重くもあり
子育て地蔵やその母の苦労かな
紫の文目も色を深め咲き
ここに刻める歴史かな

何かその場に刻む歴史がある。場と一体となった歴史がある。ただ現代は移動する社会だから農民社会とは違う。
農民は生活自体がその土地と一体化するからである。
今のように移動できない農民社会だとどうしてもその土地と一体化する。紙漉きにしてもその材料は身近にある木なのである。
だから地産地消になる。ただ今の村はそうした生業とかなくなり限界集落となりソーラーパネルが置かれて変わった
石神村何か街の延長してありイオンも近いから街から離れた村とは違っている、だから学校も二つとかある

大原村とかなると街からかなり離れているとなる。だから限界集落とはならないのである。
鹿島区の八沢小学校は廃校になったしもう村の学校でも維持できないのである
ただ村々にはそれぞれ生業があり成り立っていた。それも原発事故でこの辺は大打撃を受けた
飯館村は悲惨だった。ここでは極端なものになったが全国的に空家が増大するし村が維持できなくなっている
石神村は街の延長にも見えるから維持できるとなる



2025年06月03日

和紙は紙漉きは土地により違ったものとなる特産物となる文化だった 【文化の意味ー大量画一生産からそれぞれの土地の歴史を文化を見直す時代】


和紙は紙漉きは土地により違ったものとなる特産物となる文化だった
【文化の意味ー大量画一生産からそれぞれの土地の歴史を文化を見直す時代】



和紙を作る工程で行われるゴミや不純物を取り除く作業は、川の水がきれいでなくてはできません。
良質な和紙作りのために清らかな清流は必要不可欠だったのです。

現在でも全国各地で作られており、各産地で原料や水質、製造方法にそれぞれの特長があることから、産地ごとの呼び名があります。

特に、2014年にユネスコの無形文化遺産に登録された岐阜県の「本美濃紙」、島根県の「石州半紙」、埼玉県の「細川紙」は、原料である楮を国産の物のみとし、良質な水源を持ち、世代間で伝統技術が受け継がれていることが高く評価されています。

原料や用途によっても異なりますし、一つひとつが手作業で仕上げれらていることから、産地の土地柄、水質によって多様な性質をもっています。

和紙に魅力を感じるとき今の紙のように一様のものではない、大量生産もできない、その土地土地の特徴があり手作業で作られる

麻紙・黄麻紙・白麻紙・緑麻紙・常麻紙・短麻紙・白短麻紙・穀紙・縹紙・加地紙・加遅紙・梶紙・檀紙・眞弓紙・長檀紙・斐紙・肥紙・荒肥紙・竹幕紙・楡紙・朽布紙・布紙・白布紙・本古紙・藁葉紙・波和良紙・杜中紙・松紙

中国における麻紙は,唐時代(618‐907)までは盛んであったが,北宋(960‐1127)以後は減少して,楮紙や竹紙が主流となった。日本の麻紙の製紙は長く絶えていたが,大正時代に越前紙(福井県今立町)の岩野平三郎によって復興され,現在も同家が日本画を中心とした書画用紙としてすいている

自然素材と地域資源の活用

和式の紙漉きでは、主に楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などの植物繊維が使用されます。これらの植物は、日本各地で自生しており、地域資源として手に入れやすかったため、紙漉きが盛んに行われました。また、これらの素材は、湿気や温度変化に強く、耐久性に優れているため、書物や文書の保存に適していました。

陸奥紙(みちのく紙)

陸奥国紙で厚ぼったい紙に、香りだけは深く焚きしめ ていらっしゃる。とてもよく書き上げてある。和歌も(源氏物語)

恋の歌は薄い紙に書かれていてその対称的なものとして陸奥紙があった

平安時代に陸奥(むつ)国で産出された、コウゾ(楮)を主原料とする上質の和紙。「みちのくにがみ」ともいう。衣(ころも)川流域の平泉文化圏で漉(す)き始められたとの説もあり、その紙質が都の紙屋紙(かんやがみ)に匹敵するほど良質なため、平安京の貴族の間でもてはやされて、やがて紙屋院を衰退に導く結果ともなった。王朝文学にしばしばその賛美のことばとともに用いぶりが表れており、厚くてふくよかな、しかも白くて清らかなその麗しい紙は、懐紙として詩歌を書いたりするのに愛用されたことがわかる。はるかな奥羽地方をしのんでか、唐様(からよう)に檀紙とよんだり、あるいは真弓紙(まゆみのかみ)といったりしたようである。

[町田誠之]

書画用としてだけでなく、紙子(かみこ)、紙布織(しふおり)の二種の紙衣料も産しています。丈夫で夏は涼しく、冬は暖かいという特性を生かして、紙子は江戸時代の庶民大衆の防寒衣服として愛用されました。また、紙の織物として有名な白石紙布織は、公卿将軍家諸大名衆などに夏の礼服として着用されました。

奥州白石手漉き和紙


和紙の歴史は古い、和紙が地域によって違ったものになった。それが材料とか水質と関係しているのも興味深い。
要するに和紙は今の大量生産の一様なものではない、日本の地域の文化なのである。culture-cultivateでありその土地で育むものが文化である、その土地の特産物が文化である。だから和紙は地域によって違ていて味わいがあるというときそである

陸奥国紙で厚ぼったい紙に、香りだけは深く焚きしめ ていらっしゃる。とてもよく書き上げてある。和歌も(源氏物語)

というとき厚ぼったいとなると何か陸奥の素朴さがにじみでるとかなる。確かなことはきれいな水が流れている所が和紙の生産には必須である。だからこの辺で紙漉きが行われていたのは細い流れであり支流であり沢である。それは本流となると大きな川になると川の水が濁るからである。新田川より水無川とかいいとなる。それで高倉村でも紙漉きが行われていた
そこはかなり奥まった所であり清流がある。相馬市の山上村では紙漉き沢があり清流が流れる場である
でも宇多川ではないのである。

それで飯館村でも葛尾村でも紙漉きはなかった。それは飯館村とか見ると紙漉きにふさわしい細い清流がなかったからなのかとなる。また急流となると紙漉きに向いていないからなのか紙漉きはなかった

水と関係するという時米でも水質が相当に関係している。この辺で鹿島区だと栃窪村は山の村だから水質がいいとして米がうまいとされて買っていた。また水質は会津だといいから米もうまいし酒でもいいものがブランド品ができる
それは山国であり水が豊かで水質がいいからである。ともかく農産物は風土の影響を受けて独自の物ができる
風の具合とかまで関係する。それは風土の微妙な影響を受ける。
だからワインでも葡萄は光の影響を受ける、川や湖の岸で作る葡萄は光の反射が影響するとかまでなる
それでワインには土地の名がついている、つまりcultureなのである。

そうなると今の大量生産の紙には文化がないともなる。みんな同じであり規格化されたものだからである。
工業製品は規格化されやすいのである。そうなるとそれは文化ではないともなる
文化とはその土地土地から生まれたものであり違っているから価値がある。だから世界的に共通化した食は文化がない
その国独自の文化がない、フランス料理があり中国料理があり日本料理がある。アメリカ料理とかはないのである
だからコカ・コーラとかハンバーグとかアメリカ料理がグローバル化したものはそれは文化と言えないのである
お茶は文化だとなる。日本だと茶道まで生まれたからである。アメリカには歴史が短いから文化がないのである

つまりアメリカは広大な土地があるが文化が育まれないともなっていた。今何か物が大量に生産されてもそれが規格されて一様化されて文化が消失したともなる。それで不思議なのはなぜスーパーの時代で商店街が廃れた時代にお菓子屋だけはどこにんでも残っている。それは村単位でも残っている、丸森の大内にも菓子屋がありと辺鄙な所でも残っている
それはその菓子屋で独自の味の菓子を作っている、その味は代々伝えられて作られたものでありその家の土地の文化だとまでなる、大量生産されたものはみな同じ味であり安いとしても価値がないとなる

何か情報に関してもそうである。全国版になるとかならず大谷翔平一色になる。むしろそうしたマスコミより地域からの発信が新鮮だとなる。それはやはり地域地域ですべて違ったものがありその土地土地が違っているからである
それでtake placeが起きるというとき場所が関係しているからそうなる。その場所のことを知らないと実は何が起きたのか理解できないのである。テレビを見ても切りとった映像を見てもその場のことがそこに立たない限り理解できない。
でも一回でもその場に立ったらその場所をイメージできる。それは外国になると余計にその場のことが理解できないから誤解するのである。

ともかく現代はグローバル化して大量規格生産の時代だった。これからその土地土地の特色を生かしたもののが見直され追求される。ここでも価値観が変わって来たのである。だから歴史を過去を振り返り見直す作業が必要になる
紙漉きが石神村で行われていたという時それをふりかえり石神であれその村全体であれ見直す、そこに子育て地蔵があるというときもまた古い碑などでもそこにつづいた歴史を見直すことである。子育て地蔵があれば江戸時代の子育てはどうだったとかイメージするのである。文化の時代という時情報時代でもマスコミの時代は終わった
誰でもテレビ局youtubeで放送できるとかプログでも無料で個々人が地域から発信できることができる
地域の歴史でも遺産でも掘り起こす文化の時代なのである。

だからコンパクトシテイとかなると経済合理性の追求でありそうするとグローバル化経済のように文化が失われるのである。
ただ便宜性経済合理性を追求することは文化の荒廃を産んだ。そこに何か無理があったのである
農産物でもそれはその土地土地と密接に結びついたものであり単純にグローバルに見れないのである
第一アメリカとか中国の広大な土地と日本の山国の狭い土地とではあまりに違っている。農業は工業のように画一化しにくいのである。世界的分業は成り立たないのである。

ただグローバルな視点は必要である。それでグローバルとローカルは結びついたグローカルという言葉の発明があった。また地理と歴史が結びついた地歴という言葉もそうである。今は振り子がグローバルからローカルの方にシフトしてきたと見る
だから和紙とかでも見直される、地域の特産物などでも見直されるとなる。米でも地域によった味が違うからである
そしてその背景にあるのが自然があり地域地域で住む自然環境が違うから文化が生まれる

だから相馬藩でも飯館村とか葛尾村だと山国であり自然環境が海に面した平地とは違っているのである
ただ山というのはわかりにくい、飯館村の山は海側から見る山とは違う、何か身近であり親しい山になる、穏やかな山なのである。だから気軽に登れる山ともなる。だから飯館村には別な文化が育まれるとなる
でも原発事故でその良さが活かされなくなった、荒廃した。でも山とか森の景観は失ってはいないのである
でも今でも山菜とかは放射性物質に汚染されているとかこれまでの食生活ができないことがあり問題なのである

石神村の紙漉きの歴史
(天明の飢饉の時移住した越中などの人が伝えた)







2025年06月02日

夏に小川町石神を回るー紙漉きをした水無川ー 鹿島区の水無川【夏菊、黄菖蒲・・】


夏に原町の小川町石神を回るー紙漉きをした水無川ー
鹿島区の水無川【夏菊、黄菖蒲・・】

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街中を流れる川の清しかな黄菖蒲咲きし小川町かな

石神に夏菊映えて清らかに流れる川や真昼明るし

石神に大石ありて菖蒲咲く紙漉きの家ここに古りしも

石神に子育て地蔵あわれかな黄菖蒲咲きぬ母そありなむ

夏菊の白と黄色や木陰あり道の明るく我が走り来ぬ

水無川今日は流れぬ清きかな竹そ伸びなむ学校のあり


原町の小川町を流れるのは水無川である。水無川は結構全国的にも多い、南相馬市の鹿島区の水無川はいつも見ている
この水無し川は水が透明である。濁らないのである。大きな川は真野川でも濁る
水無し川は浅いので濁らない、新田川も浅いので濁らない、だから石神で紙漉きの家があるというとき紙漉きにはきれいな水が流れる水がないとできない、ただ紙漉きは冬に行われていた。水が冷たいからかえって仕事としては辛いとなる

紙漉女さつと手風呂をしてゆきぬ

紙漉きは厳寒期の仕事なんですよ。原材料の植物性の液が
夏場は腐敗しやすい、冬には繊維が締まって品質の良い和紙が
できる等の理由によります。

冷たい水に手を浸し続けて紙を漉くから、手がかじかんでしまう
わけです。それで、時折、湯に手をつけて手を温める。
その情景を詠んだ句でしょう。

飯山市は、日本でも有数の豪雪地帯。冬には2メートル以上の積雪を記録することもあるこの地方では、紙漉きは冬場の仕事として貴重な収入源でした。

紙漉きは冬の仕事である、それが農家の副業になっていた。だから相馬市の山上に紙漉き沢がある
そこを訪れた江戸時代の人が山上は比較的裕福に見えたというとき紙漉きをしていたからだとなる
全国的に紙漉きをしていたからそれは冬の風物になっていた。それで紙漉きの季語は冬なのである

確かに石神で紙漉きをしていた家に嫁いだ女性を知っている。その家は相馬藩の郷士の家であり鎧とかを博物館に寄付したという、かなり由緒ある家である。でも今はサラリーマンであり田は委託して農家になっていないのである
だからそこに農家の生活感はないのである。
石神に子育て地蔵があるのはそこで昔の子育ての苦労を偲ぶとはなる
今は石神は街からの延長のように見える。昔だったらほとんど農家だったのである

とにかく冬だという時夏から紙漉きをイメージできない、でも紙漉きしたところは必ずこうしてきれいな水が流れている
でも水無川といっても数年前には小川町でも恐ろしく水が出て新田川に流れ出してその水も関係して堤防が決壊したのである
それは鹿島区の水無川でも同じである。堤防から水があふれ家に浸水したのには驚いた
だから水無川でも油断できない、鹿島区では堤防をコンクリートにした。そこの竹を切ったがまた生えて来た
そこに鹿島中学校がある

近くでも街でも何かしら特徴がある。小川町は名の通り小川が流れている場所だった
ただ街中だからそれほどきれいだと見ていなかった。場所には村でも街でも何かしら特徴がある
自然でもありそれがやはり多様性を作る、盛岡市は街中を二つの川が流れている

中津川や月に河鹿の啼く夜なり涼風追ひぬ夢見る人と

明治時代だから今の川とはまた違っていた

だから自然を感じられるから外国人にも人気になっていることがわかる
また京都でも街中を高瀬川が流れているし大きな川もながれているのでやはりそれが魅力なのである
東京でも江戸時代は水路が張り巡らされていてベネチアのようになっていた。
今は確かに神田川とかあってももはや自然の川とも見えないのである

今日は結構暑かった。それで海からの風が涼しく吹いた、

海からの風の涼しく浜通り海の方にそ向かいて走る

暑くなるとこの辺は海に向かうとなる。

2025年06月01日

スマホは失くしたり使わなかった 【スマホは画面が小さく見づらいのが弱点―タブレットも使いにくい】


スマホは失くしたり使わなかった
【スマホは画面が小さく見づらいのが弱点―タブレットも使いにくい】


何かタブレットを通信販売で買ったが使えなかった。スマホもほとんど使わない、でも毎日プログに長文を書いている
それでパソコンに半日以上作業している、まず文章を書くことが容易ではない、結構私の場合長文だからである
スマホは今は家にいることが多いので使わない、長い旅もしていないから使わない、また連絡する人もいないから使わない
そのスマホをまた失くした。これですでに三回紛失した。今回見つかっていない、それでAUの店に行った
するとスマホがどこで失くしたか調べられるという、そういうことができるのかと思った

スマホは意外となくしやすい、それは小さいからである。それで大型のスマホがないのかとauの店で見たら二つに折れる
スマホは大きくなるがタブレットのようにはならない、タブレットの大きさのスマホはない
でもタブレットではインターネットにつなぐことはできても電話はできない、タブレットの広さだと外で操作しやすい
スマホが苦手なの小さくて見ずらいからである。この画面の大小がかなり影響する
小さい文字を見ていると疲れる、文字を大きくできるにしてもそもそも画面が小さいのだから見ずらいのである

小さい文字を追って読むのではなく本だったら一ページ全体に目を通して読むとかある
そういうふう全体を見るということがスマホの画面が小さいのでできない、小さい字を追ってゆくとまた疲れる
でもタブレットの大きさになると通話はできないしパソコンと違って使いにくいとなる
つまりいろいろな使い方がありそれがスマホだけではできない、タブレットでは通話はできないとかなる

それで今日本で作ったガラケーが外国人に使われているという、それはシンプルであり通話用であり補足してインターネットも見ることができる。それで携帯電話は私の母が90才でも利用できたのである
それは電話を携帯化したものでスマホのように様々な機能がないからである
つまりスマホになると様々な用途がありソフトがありそれが強みなのだが複雑になり面倒になり疲れるとなる

携帯+スマホ+タブレット+・・・を一体化して使えない。それで困ったとなる
ともかくあらゆる用途に使えるものはない、スマホがタブレットのように大きなものはない
タブレットではパソコンのように使えないとか一長一短なのである

私の場合スマホをほとんど使わない、でも連絡だけに用途をしぼれば別にガラケーでもいいとなる
それでシンプルに携帯電話だけの使用にしぼるのもいいとなる
ただ私はプログを長文で書き続けているからパソコンだけではなく外に出てでもプログに写真でも文でもアップしたいとなると
小さな画面のスマホでは疲れるとなる。

何でもそうだがあらゆることに使えるものはない、どうしてもガラケーとか返ってシンプルなものの方が使いやすいということになったのもわかる。スマホはいろいろできても疲れるとなり脳に悪いことは確かである
そしてネットでつながることにも疲れるとなる。
だからは私は今一方的プログに書くがコメントもみていいないし答えていないのである
それは長文を書いているのでそれだけで一仕事でありその反応をいちいち見ていられなくなったのである

ただ対話的メデアだからまずいとなるがこれだけ大量の文でものせると答えるのも容易ではない
そして何か批判がありそれに答えるのも疲れたとなる、だから何か感想の書き込みでも読んでいないのである
一方的にかいているだけだとなる。その辺をどうするか問題である
対話するときは何か相手のことも知らないとできない、二三行書き込みがあっても相手のことがわからないからである
そして相手のこと他者のことを知ること自体容易ではない、だから対話したい人はプログで自分が何者であるかを示すべきだともなる、そうすればその人のことがある程度はわかり対話できるとなる

でも私は長文を書いているとき必ずウィキペディアを参照して他者のプログを参照している
それがインターネットではしやすいからである。
ともかくスマホであれタブレットであれ使うこと自体うまくいかなかった。でも必要だから新しいのを買うほかない
旅に出た時は必要である、でも介護になってから十四五年旅をしていないのである
何かできないのである。家を留守にできないこともある。家を空にすることが不安になる
だから60歳まで旅していら私が旅をしない、できなくなったとうのもカルマだった

お前は十分に旅をしたからもう十分だともなる

それより体力気力もなくなり旅できないともなったのである。


2025年05月31日

大陸国家が広すぎるために理解できないのが問題 【アメリカでも中国でもその広さの感覚がわからない】

大陸国家が広すぎるために理解できないのが問題
【アメリカでも中国でもその広さの感覚がわからない】


輸送コストが高い
アメリカは国土が広大なため、生産地から消費地までの輸送距離が長くなります。輸送コストが価格に転嫁されるためです。

人件費が高い
農業従事者の人件費が高いため、生産コストが上がります。

なぜアメリカとか中国とかロシアとか理解しにくいのか、その国土は余りに広いために理解できなくなる
野菜でも食料でも広いから輸送費が高くつく、ただ近くでとれるものだとそれほど高くならない
カリフォルニア州だけでも日本より面積が広いという時たったの一州だけでもそれだけ広いしその中に不毛の砂漠ある
その広さが理解できない、だからそういう広い国は一回くらい旅行しても地理はわからないのである。
つまりそういう広大な国に住む感覚がわからない、距離感がわからない、そこで必ず誤解するのである

日本は最近限界集落には住めないとしてコンパクトシテイが推奨されるが大陸国家と比べれば国自体がコンパクト国家だとなる
移動するにも車があればそれほどでもない、でもアメリカだったら移動するだけでその距離感覚が違う、中国でも同じである
中国人が青森まで遠いと言うが近いというとき中国人は火車(鉄道)で一日であれ二日であれ移動する
火車内で寝て食事をする、何か弁当売っていても日本ような駅弁などない、簡単なものでまずいのである
ただそうして二日であれ車内で過ごすことが苦痛ではない、日常的だとなる

要するに距離感覚が違っている。それは余りにも国が広いからそうなる。だから大陸国家と比べれば日本は国自体がコンパクト国家なのである。確かに都市部から離れると不便である。でも大陸国家からするとそんなに離れた感覚はないだろう。
それはあくまでも比較してそうなる。確かなことは日本人の距離感覚は昔から大陸国家とは相当に違っていた
飯館村で大倉村と佐須村が5,6キロくらいしか離れていないのに民情が違うと合併に反対したのである
大陸国家ならその十倍くらい離れているのが普通だともなる。だからアメリカでは州ごとに法律も違うしいろいろと違ってくるのである。別々の国だともなる。日本では県が変わってもたいして変わりないのである。
地理がわからないうときなかなか実感できないからである。

昭和14年(1939)5月11日、ハルハ河東岸の国境線係争地区で、20〜60人のモンゴル人民共和国(外モンゴル)軍と、満州国軍の間で武力衝突が起こった。
モンゴルと満州国との国境は、もともと牧草地帯であり、加えて中国がモンゴルの独立を認めていなかったため、極めて不明瞭だった。それは満州国の場合も変わらない。
日本軍は満州国を支配したことで、ソ連・モンゴルと直接境界を接するようになった

モンゴル人が長城を超えて中国内地に侵入するのみならず、中国人が長城の外に逃れ込み、ハーンの保護のもとで中国風の城郭都市を建設し、農耕や交易をおこなうという形で、諸民族の雑居が進んだ。そうした中、1646年、満洲の女真人が内モンゴルと手を結び、明を倒し、清の時代が始まる。

内モンゴルまで行ったが外モンゴルには行っていない、内モンゴルにしても中国領土になったが広いのである
そうした草原地帯では国境を意識しにくいのである。だからこそ万里長城を作り国境人為的に作ることになる
でも草原ではなく万里長城は山の尾根に沿って作られている。平原とか草原ではないのである
日本軍がモンゴルでもロシアと衝突して戦ったというのはそれだけ戦域を拡大したのである。

それより長安に今の西安に日本軍が進軍していたことに驚く、そこは上海なのか北京なのか火車(鉄道)で二日くらいかかる
そんな遠くまで日本兵が行っていたことに驚くのである、西安からは広大な砂漠が広る西域へシルクロードになる
日本兵はそのときそんな広大な地で戦争するということをどう感じたのか、距離感覚が余りにも違っていたからである

ともかく日本は海に囲まれた島国であり大陸国家を理解できないという時その広さにある。そんな広い土地で生きる人の距離感覚が理解できなくなる。なぜ漢詩で別離の詩が多いかとなるとそれだけ広いとなればなかなか会えないとなる

故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
烟花三月下揚州 烟花三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽 孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流 唯だ見る長江の天際に流るるを

こういう感覚が日本人にはわからない、常に日本では山に遮られて天際に流るるとかないからである
日本では地平線が見えるのは北海道の一部だけである
日本ではそうした大陸文化と関係ないかとなるとある


汗山ハンオーラ

茫々たるところ
無造作に引かれし線にはあらず
バルガの天末。
生き抜かんとする
地を灼かんとするは
露はなる岩漿(マグマ)の世にもなき夢なり
あはれ葦酒に酔ふ
旧き靺鞨の血も乾れはてゝ
いまぞ鳴る風の眩暈。
  逸見猶吉  ――山汗は蒙古語にて興安嶺の意なり――


造作に引かれし線にはあらず・・・・草原でも平原でもそこに歴史的国境があった
世にもなき夢なり・・・とは日本ではありえないことを感じたということである、そういう大陸で眩暈するのもわかる
日本人の感覚を越脱しているからである。

北斗七星に対する信仰は、主に「妙見信仰」として知られています。 妙見大菩薩は北斗七星を象徴とし、天空の中心をつかさどる仏様として古くから信仰されてきました。また、北斗七星に祈る信仰は「北辰信仰」と呼ばれ、東アジアに広がり、古代の日本にも伝わっています。さらに、北極星と北斗七星の信仰は、中国の儒教や道教と結びつき、「北辰北斗信仰」として発展しました

これは遊牧民から伝わった、遊牧民は広大な地を移動するから方向を知ることが一番大事なのである、方向を誤ると死ぬことにもなるからである。それで中国で羅針盤が発明されたの中国は遊牧民と交わりその影響を強く受けたからである
方向を知ることが命に係わるということで発明された。北斎とかも北極星のことである
相馬市の旗印は妙見信仰の北斗七星なのである。そもそも馬は草原地帯の遊牧民からもたらされたものである
相馬氏が騎馬軍団を持ちそれでこの地を支配できて強力な伊達正宗と対抗できたのである










2025年05月30日

なぜ飢饉が起きるのか?食料があっても政治的要因でも流通問題でも起きる 【カルマとして起きる人間の問題】

なぜ飢饉が起きるのか?食料があっても政治的要因でも流通問題でも起きる
【カルマとして起きる人間の問題】

ゆっくり大江戸 その69飢饉の時代江戸時代〜何故江戸時代には飢饉が多かったのか?

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なぜ飢饉が起きるのか?これも一つの原因ではない、複合的要因で起きる。この世の問題は複合的要因で起きる
あらゆる問題がそうである。原発事故も複合的要因で起きた。それは津波だけの原因ではない、津波に備えることができたが
備えなかった。現実に科学者が津波が来ると東電に警告していたのである。でも無視された。
その原因は安全対策に企業として金を使いたくなく利益優先になったからである
つまり何か問題がある時必ず利益優先になる。それで安全対策は疎かにになる。

だから原発事故は科学技術の問題ではなくそうした経済的要因がありまた政治的要因があり複合的原因で起きたのだる・
政治的要因としては核を作るために軍事力のために必要だという人もいる
何故なら原発から核を作ることができるからだとなる。
また原発はアメリカから最初マーク1という古い型の安全ではないものが買われたとかある。それは政治的要因だとなる

飢饉もまた同じなのである。食料がないから飢饉になるのではない、食料があっても飢饉は起きているのである。
江戸の庶民の間では「米の値段が上がったのは、米商人の高間伝兵衛が将軍吉宗に協力して米を買い占めているせいだ!」という噂が広まります。

『江戸四大飢饉』

これは流通の問題として起きた。それは今の高騰で騒がれた。つまり米があっても誰かが買い占めているとされたからである、これも今仲介業者が米を買い占めているのが原因だというのと似ている。
飢饉の後も米は江戸に売る商品作物になっていたことは変わりなかったのである

食料でも米だけに頼るのは危険なのである。また食料が不足する原因として家畜の餌としてトウモロコシを作る
その量が膨大なのである。豚であれ牛であれ鶏肉であれそれはトウモロコシを食べているから実際は植物があって成り立つものである。つまり肉食動物は植物を食べる動物がいてその動物を肉食動物が食べる。だから植物が食料の基本だとなる
だからこそ中国の満州に行った時広大な地が延々とトウモロコシ畑になっていた
肉食なのは欧米人であり肉を消化する酵素がでるといとき体がアジア人とは違っているともなる
要するに肉食ではなく植物を食べていれば十分に食料は足りるとなる

もちろん天候不順とかも飢餓の大きな要因である。でもあの広大な満州はトウモロコシ畑になっているのはそれは人間が食べるのではなく肉食のためだとなる。ここにもただ仏教が肉食を嫌った原因がある。動物が食い合いしていることが残酷でありそれを受け入れることができずベジタリアンの宗教にもなったとなる
つまり仏教の起源は動物が殺し合い食い合いしていることを残酷と見て生まれた宗教だともなる
やはり理想としては植物を果物でも食べて生きられる世界だとなる、それは柔和なものが世界を継ぐということにもなる
植物を食料とする草食動物は肉食動物より繁殖力が強く生き残るが肉食動物はかえって生き残れないことでもわかる

ともかくこの世に起きることはカルマである。繰り返し起きる。それは個々人でもそうだし社会に起きることでもかつて同じようなことが起きていたのである。その再現が今の社会で起きている。疫病でもそうだったし戦争でもそうだった
カルマは繰り返し起きることであり歴史でも繰り返し起きて来る
そしてその原因も共通していることがある
江戸時代に起きた飢饉は米が大消費地に売られる商品化作物だったからである。だから飢饉が終わっても依然として米は商品作物であることに変わりなかったのである。

そして飢饉の原因は食料があっても起こる、流通の問題としても起きる。今か韓国で飢餓に直面しているという時もそうである。それは工業を重んじ財閥を重んじ農村を軽視したからだという、輸出産業となる工業製品を重要にして農業を下位のものとして自国生産を起こったためだとしている。それは日本でもあったが日本では国家政策として農業を守ることはしていたから韓個々ような飢餓状態にはならなかっとしている

いずれにしろ米ばかりの単一化は実際は危険があった。米は冷害に弱い、ヒエとかアワとキビは寒さに強いから冷害でも食料となった。つまり多様性という時その基本は食の多様性にある。米のような単一化してそれが商品化して江戸の大消費地に売るというのが飢饉を産んだのである。だからグローバル経済になれば世界が分業化して日本は車だけ作っていろとかなる
食料はアメリカに頼るとなると自立できなくなる。なぜなら何かあれば今度は食料を輸出しないとか馬鹿高い金で買わされるとなるからである

やはり基本は国ごとに風土も違うからそこで食の多様性がありそれで文化も培うことができる。どうしてもアメリカの広大な土地と日本の山が多い狭い土地では国土が余りにも違っているからである。
ただわからないのがそのアメリカでなぜ卵が馬鹿高くなり物価が高くなり苦しんでいるのかとなる。
アメリカでもまともに食えないというのは何なのだろうとなる、そこに何らかの歪みがありそうなった

それは人為的なものであり天候不順とかではないのである。つまり飢饉は天候不順だけではない政治的な要因でも起こるし
流通の問題でも起きる。また食の多様性の喪失でも起きる。食料でも単一化することは危険なのである。
グローバル経済は単一化されやすいのである。そもそも世界的分業など成り立たないからである。
それが成り立つのは国土があり風土に適して作られた国家がありその内なら可能なのである

それにしても戦後80年とかなるがかつて起きたことがカルマとして起きている。だから飢饉でも起こりうる
それもやはりカルマとして起きる。だから津波から原発事故からコロナの疫病かあ戦争から米騒動でもそうである
カルマは繰り返し起きることである。だから飢饉も起こらないとは言えないのである




posted by 天華 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年05月29日

夏の日に飯館村を回る【菖蒲(文目)が映える淋しい道】


夏の日に飯館村を回る【菖蒲(文目)が映える淋しい道】

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北山一族の墓地

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塩の道がなぜここなのか

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小宮小学校の門の脇


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開店したドラッグストアー



飯館の広さや回り夏つばめ

黄菖蒲や一軒の菓子屋の開くかな

夏の夕花買い去りぬ飯館を


池映す黄菖蒲見るは誰なりや水に映してひそまりにけり

木陰から木陰へ移り我が一人行く道あわれ文目咲くかな

紫と白の文目の咲きにつつ飯館淋し我が一人行く

点々と家のともしも草深く文目の咲きて心に沁みぬ

点々と家のともしも文目咲き道に木陰や行く人もなし

何故か休むに良しも石一つここにありしも文目咲くかな

学校のここにありしと山の村夏菊覆い何か偲ばむ

夏草に埋もれる古碑や何記す小宮小学校の跡地に残りぬ

夕暮れの青葉の森にホトトギス甲高く鳴く声響き夕暮れにけり

夕暮れの道の辺に咲く萱草や心に留めて我が帰るかな



飯館は広い、飯樋の方まで行ったがそれも遠かった、それから引き返して草野に戻った
そして鹿島の方に帰るとすでに薄暗くなって7時くらいになっていた
ともかく飯館から飯樋とかまで荒地化している。点々と家があるにしても人が住んでいるのかとなる

二つ三つの学校がなくなっていた。

平成14年度から令和2年度までの廃校の延べ数は8580校にのぼることが明らかにされています。
このうち、校舎が現存している施設は7398校。

これもすごい数である。何か長野県の生坂村とかで宿舎になって泊ったことがあった。飯館村が廃校になったのは原発事故の影響もあった。8580校も廃校になることは大きな問題である。相馬市の玉野村とかでも結構大きい校舎が廃校になっている
あのような辺鄙な所でも学校はあったのである。それがほとんど山間地の不便な学校は廃校になった
ということは村継ぐ子供がいなくなっているのである。

それでも飯館村の草野ではドラッグストアーとスーパーが今日開店した、スーパーが無かったから買い物では助かる
ただ飯館村にはどれくらいの人がまだ住んでいるのか?それがわからない、飯館村は広すぎるからわかりにくいのである
ただその広い所でも耕作放棄地になっている。それを利用することもないだだろう。そこで生活するには仕事が必要である
飯館村は補償金が大きかったから新築の家にできた。でも補償金が無くなったら何で暮らしを立てるのかとなる
菊池製作所は原発事故以後も働き口としてあった。土地は奉仕性物質に汚染されたけど関係なかったからである

とにかく飯館村はどういう復興の構想があるのか、相当にむずかしい。農業だけではどうにもならない時代だからである
それでも戦後は戦争の引揚者が開墾に入り生活した。炭とかを街に売ることができた時は自立できだとなる
また林業もあったから自立できたのである。それがなくなったとき牛を飼うことで生活した。それも原発事故以後失われた
牛は見かけないからである。だから飯館村の再建はどうなるのかかなり難題なのである

何か元気がいいのは猿とか野鳥である。ホトトギスの鳴く声は青葉の森にひびていた。それから帰る道に萱草が咲き出した
飯館村は広いから回ると一日かかる。道もわからなくなることがある。それだけ広いからである。
ただ残念なのは木戸木(ことぎ)の隠された清流が道路になりなくなったことである。あそこは神秘的な場所だった
でも赤字木(あこうぎ)から津島に行く方には清流があった。あそこはいい場所である
)







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