2017年09月22日

心の青雲の都築詠一氏の映画批評は面白かった (敬愛なるベートベンを見て)


心の青雲の都築詠一氏の映画批評は面白かった

(敬愛するベートベンを見て)

記録は、どれだけ時間が経過しようとも変化することはありません。記録を残すことによって、当時の自分を主観的ではなく、「客観的に」振り返ることができるようになるのです。

心に青雲の映画批評をしていたが面白かったしそんな映画があったのかとアマゾンで注文して買った,過去に作られた映画も膨大にあった,しかしそれを見るのはほんの一部だけどインターネットで注文できるようになった
映画は現代の代表する文化である。映像の時代になったのが現代だからである。
都築詠一氏の批評は様々な分野に及んでいた。
だから批評家として十分に一流になれた人だった
でもなんか中途で死んで終わったなという感じになる

ログがみんな残されていればいいのだがグーグルで確かに残っているが全部は残っていないみたいだ
そしてなぜ消したのか?死んだらすぐにプログとかインターネットは消されるのか?
全部保存してあとでみんながまた読まれるようにしておくべきだった
貴重なものが消失したとなると後世のためにもならない
ただどこかで記録しているところがあるのかもしれない。
ただ全部は記録されていないのである。

「敬愛するべートベン」でも批判している,芸術家でもそんなふしだらな生活をしてはいけない,まともな社会人であれということである。
確かに天才的芸術家となると社会人としての常識すらなくなる,だからこそ天才であり後世に作品を残したとなる。それでなければただ平凡な人として終わっているだけである。

一方では聴衆の質の低下を招く。こうなると繊細さや知的な面白さではなく、すごいといわせる一種のハッタリが有効になる。これが大音量と高度な演奏技術を発達させる。ストラディヴァリウスなどのバロック時代の名器も、音量増大のための改造がなされる。19世紀になると、音楽は途方も無い技術をもったプロがステージでするもの、になり、プロとアマが分離し、スター演奏家が誕生する。

信仰年のためのベートーベンの交響曲第 9 番のコンサートでの、教皇フランシスコの突然の欠席は、解読困難な彼の教皇職のスタートを象徴する出来事であった

ベートベンの時代は音楽も変わり目になっていた。社会が変わってきた。
教会一辺倒の世界から脱出する時代だった
ただなぜ教皇が第9の演奏に欠席したのか?映画では特等席に座っていた

自分は音楽には詳しくない,この映画で注目したのが家政婦が金を盗んだのかとか疑っていたことである。家政婦はまずやはりここでも危険な存在なのである。
インドネシアでも老夫婦が殺されたように金をもっていると危険になる
でもインドネシアとかでも家政婦を一人雇うことは決められている。
その家について詳しくなれるからだ,すると貧富の差が大きいと犯罪になるのである。
家政婦とかちょっと手伝う女性でも家に入れるとなると危険になる
そしてそういう人をかかえこむほどやっかいなことはないのである。
絶えず金を要求されるのである。それがないなら盗まれるということである。

一方でベードベンの音楽にひかれてきた音楽を習う女学生は別だった
譜面を書写する役だがまさにベードベンをその音楽を敬愛していたからである。
まず家政婦とかなるとただ掃除とか料理をだすだけでありか音楽とは関係ないのである。だから働く動機は金しかないのである。だから危険になるのだ

ベードベンも金に困っていたのか?アパートのような所で作曲できたのかとなる
第一ピアノの音がもれたらうるさい,そこで下の階にもれるから騒音問題になる
そんなことをベードベンは気にしない,今なら大邸宅で作曲していたろう。
ただ隣の部屋の老婆はベートベンの音楽が聞けるので不満があっても我慢していたのである
へたなピアノを聞かされたら嫌になる
あんな部屋で作曲すること自体,環境的には最悪だったような気がする
やはり芸術でも学問でもそれなりの環境が調わないとできないことはある
だから貴族の師弟しか昔は学問でも芸術でも習うことはできなかったとなる

映画は暇つぶしにいい,最近見ているのが「座頭市」である。
風景が江戸時代を想わせるように作られている,土橋を歩いているところなどうである。あんな橋がこの辺にかかっていたのである。
昨日見たのは親分が役人に追われて子分と二人で逃げていた
親分には百両の賞金がかかっていてねらわれていた
そしてつてを頼り前に世話した親分をたよる
でも子分はその逃避行に疲れていた,嫌になっていた
それで親分を殺すことにしたのである。それをつてを頼った親分と一緒になってしたのである。それで役人からもほめられたり得になるから共同でした

この裏切りも恐ろしいけど人間は利がなくなれば離れるのが普通である。
そんなに苦しい目にあってまで義理を果たすことはないのが普通である。
これは介護で疲れて親を殺すのともにている
あまりに苦しくなると人間は肉親でもそうなる
だからこれは特別なことではない
親分はもっと子分のことを考慮しないといけなかった
俺一人で逃げるからお前は別に生きろとか言うことも必要だったとなる
なぜならその子分は疲れ果てていたからである。

ベートベンでも家政婦は盗むことしか考えないがベートベンの音楽を敬愛していた女学生は違っていたのである。
そういうふうに動機があるなしで人間は違ってくる
女学生もベートベンを嫌ったけど音楽の絆で結ばれていたとなる
まず人間はあまり小さいことを言われると大物にはなれないかもしれない,日常のささいなことに使われていたらとても大芸術家などにも何か他でも大物にはなれない
社会をはずれたようにならなければ大物にはなれない
そういう環境にないと大物になれない
教育でもそういう教育をしないと大物になれない,平均的なことをして平均的なことを教えていたら個性的な人は生まれないのである。
人間は生まれつきですべては決まらない,平凡な人間でもあることをきっかけに変身するダビデは石コロをなげてゴリアテに勝ち一躍英雄になる
人間は人生の中で鍛えられ変化するのである。

天才も資質も大事だが環境も大事である。
もう毎日肉体労働に費やされたら知的な探求もできない,本すら読むことができないのである。
ただベートベンと普通の人と比べることはできない,同等に扱うことはできない
でも才能があったとしてもそれを開花させる環境がなかったらどうにもならないのである自分の場合は20代で書斎をもっていた,でも本を買うのでも少なかった
なぜなら本は地方では買えなかった,専門書は仙台まで行かないと買えないし今のようにインターネットもないから知識的には地方は不利だったのである。
今わかることは本は相当な量を読まないと知識の世界では狭いものとなってしまうことがわかった,あるものは深く読むにしても学問の探求とかなると相当な量を読まないと独創的にもなれないのである。
ただ自分は本は買ったけど読んでなかった,こういうことが結構多いと思う
不思議に今読みかえしてみると理解できるのである。
それで自分なりに引用して文を書いている

現代はそういう環境が調ってはいないか?若い者でも働かないものが膨大にいる
そうしていられるのはやはり豊かだからである。するとその中から独創的な人が出てくるかもしれない,社会性に欠けていても何か別な方で才能を伸ばすかもしれない
ただ天才と狂人は紙一重とういとき結局ニートなどは狂人に終わるのが大半だとなるかもしれない,アウトサイダーになったのはもともと資質的にも優れている故にそうなったのである。自分の場合は資質的には平凡でも社会に適応できなくても環境に恵まれて芸術とか学問を追及できたとなっているだけなのである。
それでもやはり環境に恵まれていると平凡な人でも何か才能が開花することはある
ただベートベンのような天才と比べることはできないのである。

中南米の悲劇はなぜ起きているのか? (文明の挑戦に応戦できなかった-日本は応戦できた)


中南米の悲劇はなぜ起きているのか?

(文明の挑戦に応戦できなかった-日本は応戦できた)


メキシコ、ブラジル、ホンジュラス、ベネズエラ。 
全部中南米ジャン。あと、西インド諸島の土人も来るな。 
キューバ、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ。 
何でアメリカの周りは、カナダ以外クズしかないのだろうか。 
統治を行った、スペイン様、ポルトガル様、フランス様に感謝しなくては。 
土人に文化を与えた、神の子供たちである、白人様。

スペイン人が入って文化、宗教をボロボロにしてしまった 
社会に相互の信頼関係がない 
インカ人やマヤ人のままだったら秩序を保って発展できただろう

カトリック教会は、「蓄財は罪」と教えました。 労働は「神から課せられた罰」でしかありません。 
男は額に汗して働かなければいけない。女には陣痛の苦しみを与える。そして、人類には死という罰を与える。これが基本です。 
だから、おカネが貯まったら教会に寄付することが奨励されていました。 
結果として蓄財や勤勉に働くよりも消費や道楽やサッカーに励み、教会にどんどん寄付するような国民性が育まれていったのです。

アルゼンチンは人種差別はあんまないけど階級差別が酷い 
使える店も階級ごとに決まってると言うか暗黙の了解みたいのがある 
下の階層の人が上の階層の人が使う店いくと出てけって言われたり 
物売ってもらえなかったりする 
その逆も当然あって、階層が上の人が階層が下の人が使う店に来ると 
ここはアンタみたいのが来る店じゃねえつって追い出される 
だもんで安い店に行くときにあんまオサレな格好していくと 
階層が上の人だと誤解されかねないのでNGらしい 
サッカーでも上流階層が応援するのがリーベルで 
下流階層が応援するのがボカってハッキリ分かれてる

"南"は圧倒的にカトリック教徒の入植だったのに対して、"北"にはプロテスタントが可成り入りましたので。
カトリックが中世以来の農本主義一本槍だったのに対して、プロテスタント達はやがて資本主義を持ち込む事に成りますので。
詰まり元からの拠って立つ、基本的な文明文化が違って居たとも言えます。

南"は圧倒的にカトリック教徒の入植だったのに対して、"北"にはプロテスタントが可成り入りましたので。
カトリックが中世以来の農本主義一本槍だったのに対して、プロテスタント達はやがて資本主義を持ち込む事に成りますので。



中南米は犯罪が一番多いとかギャング集団や麻薬組織とか何かいいものが伝わってこない貧乏からもぬけだせない,それはな何なのだろうとなる
そこは文明的に遅れたとも言えない国だった,インカとマヤは高度な文明をもって一千年とか栄えている,それがなぜ今も発展しないのか?
その原因は一つではない,人間の現象は複合的に起きてくる
犯罪の原因も一つではない,いろいろなものが重なって犯罪になる
だから何が原因でそうなったのかとなると簡単には言えない

明らかなことはスペイン,ポルトガルに征服されたことである。スペイン,ポルトガルの影響を大きく受けたことである。
一方北米はイギリスの影響を大きく受けてアメリカ合衆国になった。
ところがアメリカでも南部と北部は成り立ちが違っていた
南部は農業中心で北部は工業に経済の重心を移していた
南部は綿の栽培とかで黒人奴隷を使っていた,北部は工業化してゆくから南部とは違っていた。北部と南部の争いは農本主義と工業化という生活形態の相違から起きたともとれる人間の争いは人種とかよりそうした生活形態の相違で争いが起きる
遊牧民と農耕民は相いれないのである。だから万里長城ができた
日本でもヤマト王権は稲作を普及するために狩猟採集民族の蝦夷と敵対して争いになったそしてイギリスはいち早く産業革命を起こした国である。
その産業革命の基になったのが確かに石炭がとれて蒸気機関車が発明されたとかある
それは北部で鉱物資源が豊かだったこともある。

それと宗教が関係したということが意外と重要である。
中南米はカトリックであり北米はフロテスタンとなのである。
マックスウェバーが資本主義の基はプロテスタントから起きた,
神に奉仕するための勤勉な労働が良しとされた,カトリックにはそうした勤勉な労働を良しとするものがそれほどない,時間にルーズなものもそうである。
資本主義はまた農本主義とは相いれない,今でも土地を基にしたものに資本主義がなじまない,資本主義は通用しないのである。
勤勉とか効率を求めても土地は別物だしtime is moneyといっても作物を早く実らすことはできないからだ。
農本主義からは資本主義は発達しない,北米ではイギリス人が入ってきたりユダヤ人が入ってきて金融を発達させて資本主義が成立したのである。

そしてトインピーの史観によると

「挑戦と応戦」 ・・・ "challenge-and-response"

 「挑戦」・・・社会の安定した状態になんらかの攪乱的影響を与える刺戟。
 「応戦」 ・・・挑戦に対する人間の主体的な対応の試み

中南米は高度な文明があった,しかし新しい文明の挑戦を受けたときそれに応戦する力がなかったのである。
この中南米と比べるとなぜ日本がヨーロッパの植民地にならずにすんだのか?
西欧文明の挑戦に対して応戦できたのか?
これも一つの大きなテーマとして今もある
明治維新とは何かそれは歴史的に解明されたわけではないからである。
日本の社会は江戸時代は農本主義である。そこにヨーロッパの産業革命が入ってきた。
でもそれに適応したのである。社会制度でも藩を侍をなくして国民国家として平等にしたこうした大改革がなぜできたのか?
そして資本主義と民主主義を取り入れたのである。
日本には不思議に働くこと自体に価値を認める,勤勉民族だということも言われる
今でも過剰な労働国である。それはプロテスタントシズムとも通じているという見方もある

そして日本の歴史はマヤやインカのように断絶しないで今日にもつづいている
日本はなお日本文明として西欧文明の挑戦を受けたが応戦して継続しているのである。
日本は本当はこの日本文明に誇りをもつ必要がある
中南米を見ればわかる,あまりにも外来勢力によりその歴史のアイディンティティは破壊されたからである。そこは貧困と犯罪の国としてしか伝わってこないのである。
工業化もできていないのである。

アジアでもなぜ日本だけが西欧化工業化資本主義化民主主義化に成功したいうのもなぜなのだろうとなる,中国でもできなかったしアジアではヨーロッパの植民地化された
日本だけはヨーロッパの植民地にならなかったのである。
ただアメリカとの戦争になりアメリカに敗れて属国になり植民地とは言えないまでも
属国化したのである。
日本とはこれからどうするべきなのか?
それは日本が日本文明を新たに歴史の伝統をふまえて創造する
そして日本人として日本文明に誇りをもつことでてある。
その日本文明が日本人のみではないアジアにも普及して世界的になるとき日本は誇りをもつことができる
大きな視点に立てば新たな日本文明の創出が課題となる

一方で日本は衰退するだけだとか盛んに言われる,下り坂でありそんな日本文明もなにもない,三等国に転落するだけだというのが日本の現状である。
そもそも日本文明とは何なのともなる,日本人は戦争で負けたこととか日本に誇りをもっていないのである。だから国自体の自主性がないのである。
それは個々人にも波及して自立心がないのである。
アメリカの言いなりになるとか今度は中国の言いなりになるとか自主性がもてない
それは日本がそもそも日本の歴史に日本文明に誇りをもてない,また日本文明が欧米より劣った見方をしているからである。
日本は今日本文明の再興をして日本人の誇りをとりもどすことが必要なのである。
だから日本を否定する左翼でもアメリカ一辺倒になる右翼でも実際は従属しているだけの属国でしかない,日本独自の文明がありそこに誇りをもてるようになれば左右を越えて
日本の新しい時代がやってくるとなる
それは時間的に百年とか二百年とか見ないとわからないのである。
戦後70年はその節目であり次なる時代へ向かう時代の転換期なのである。
そこに世界情勢の変化がありまた強いられるともなる
posted by 老鶯 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2017年09月21日

「心に青雲」の都築詠一氏の早期英語教育の弊害について


「心に青雲」の都築詠一氏の早期英語教育の弊害について


早期英語教育の弊害
//kokoroniseiun.seesaa.net:80/article/373220605.html


認識の働きとは対象をわれわれの感覚器官に反映して、それが像として描かれる。この像を認識というのだ。認識は像である。
 像が五感器官を通して反映し、形成される。すなわち実体があって反映されるのが正常だ。

 母親が実際に手で触れさせたりしてイヌやネコを、「かわいいね」と教えながら分からせた言葉は本物になるが、英語はそうではない。

 一次方程式なんてものは、われわれが学校で教わるときに、何か現実の、実体の、像があるか? あるわけがない。


都築詠一氏の思想には常に像をもって認識しろ,像を描け想像しろとある,想像とはまさに像を想う像を創出することである。
犬という言葉の前に犬という実体がありその実体を通じて犬を認識する
現代の教育はこの実体から像から乖離している,言葉だけがあり数字の羅列だけがある
数学でも今ふりかえると小学生なら図形を学ぶとしたら常に図形を像として認識する
分数だったら具体的にボール上を二分の一なら半分にきるとか4分の一なら四つにきるとか具体的なものとして数字を認識する
そういう作業として数字を認識してゆく
教育とは実は教えるものの創造性が関係しているのである

要するに現代はあまりにも世界が像として見るのではなく記号化した数値化したものとして見る社会である。それは教育のせいではない,社会そのものがそうなっているのである第一都会だったら田んぼがない,そしたらどうして田んぼを像として認識できるのか?
そういうことが非常に多いのである。
もっと人間は図形化とか絵画化とかすることが教育でも像として認識することに通じる

言葉を日本語でもそうだけど外国語になるとさらに像として認識することがむずかしくなる,ただそれが記号化したものだけになる
ある言葉の感覚というのが実際は像からイメージされる
映画で見たけど馬が暴れている興奮して落ち着かないとき「steady」という言葉を使ったなるほど「落ち着け」とか訳すが堅実とかの意味とかいろいろある
その言葉の感覚はそうした日常の行為とか具体的な像から認識され身についてくる
だから外国語の習得はむずかしいのである。
結局現代は数式とか化学式とかあらゆるものが数字化しているのである。

膨大なそうした記号の氾濫の中で教育もあり像をとした認識できなくなっている
毎日教室にとじこめられているのもそうである。
そこではひたすら像と結びつかない記号の学習なのである。
だからみんな学校嫌いになる,自分もそうだった
都築詠一氏も言っているように秀才を批判するときそうして受験勉強のみで記号の習得のみで官僚とか学者とかなった人は何か欠けた欠陥人間になっている
そういう人が指導者になることは国自体をゆがめると言っているのもわかる
明治維新で官僚が指導者になったときそういうことは起きていた
侍が指導者だったときは文武両道であり何か生活全体で習得したモラルであり身についていた,それがなくなり文官となったときただ法律とか記号の習得だけが優先されるようになったのである。

例えば山を像として認識するとなると容易ではない,まず高い山に上ってみる,すると山を立体的に感覚として認識する,山を知るには山を実際に上らなければ認識できない
そしてまた山は遠くからみるだけでも様々な様相を示しているのだ。
山の像は無限にあるのだ,それをハソコンで抽象画化したりした,こんなに山の姿があることに驚いたのである。一つ一つの山の姿も違っているしその環境でも違っているから山の像は無限である。だから山の絵は無限にあることになる

いづれにしろ現代社会そのものが文明が言葉が死んだとかいうとき具体的な像と結びつかないからである。イメージする力が貧弱なのである。そして記号だけが言葉だけがつめこまれているから外界を反映できないのである。
それはあらゆる面でそうであり社会というのも記号だけで数字だけで認識しているのである。
だから外界を反映するというとき原始人の方が外界をリアルに像として認識していたという逆説にもなる,言葉は密接に自然でも外界と不可分なものとして生れたのだし言葉と像は外界の事象は結びついていた,だから言葉と事物が乖離することはなかったのである。万葉集時代とかそうなっていた,古今集時代になると言葉の遊びになったというとき万葉集のように密接に自然と結びついた生活をせず貴族化して宮廷で暮らすようになったからである。

ともかく現代は外界を自然でもじかに認識できない社会になっている,電車でも風は入ってこないし坂を上るにしても電車に乗っていればその苦しさを感じない
峠があることもわからないのである。車だと風を遮断しているし閉鎖された密閉された空間となり旅は道連れとかにもならない,ただ通りすぎてゆくだけである。
だから江戸時代の歩いて旅していた時より外界の認識力が落ちているのである。
感性とかではむしろ後退しているのである。
一見なんでも進んでいるように見えてかえって後退してしまったいることもある
原始人の方が機械も何もない時代の方が認識力や感性にすぐれていたともなるのだ。

「心に青雲」の都築詠一氏のプログはいろいろ参考になった
ただ弁証法はわかりにくい,陰謀論もうけいれがたい,陰謀は陰謀を生み何がなんだか最後はわからなくなる,だからすべてを受け入れることはできない
人間はあくまでも他者の思想でも何でも批評してみる必要がある
ただ鵜呑みにしているだけでは本も何も読んだことにならないのである。

stonedface.jpg

a face of underground

自然界の多様な姿も実は人間の顔になる,アイディンティティ化されるのである。

2017年09月20日

報道はともかく事実を多面的に報道すべき (津浪(八沢浦)の自分の報道で責められたことについて)


報道はともかく事実を多面的に報道すべき

(津浪(八沢浦)の自分の報道で責められたことについて)


ポンプで海水を汲み上げたあとの光景は悲惨でした。
たくさんの瓦礫。
ボールのように丸くなった自動車。
たくさんの方達の思い出の品。

半月以上海水に沈んでいたので
自衛隊さんによる本格的な捜索が行われたのは
4月になってから。

そんな状況に置かれていた場所をあなたは

美しい元の風景に戻った

などと不謹慎極まりない発言をされたのですよ。
人として理解不能な発言ですね。


確かにこのことは相当に批判される
家が水に浮いていてそこにきらきら波が光たよせた光景は信じられない風景だった
なんかいろいろ言われるのは確かである。
小高の人にはお前は同情しないのかとかそんなことを書いて楽しいかとか批判される
人間はどんなことを書いても必ずそれにケチつける人はいるからどうにもならない

八沢浦が美しい入江にもどったというときそれは事実だった,その事実を報告したのである。一方でそれに感情を加えるのは事実ではないのである。
事実というのはそのままを報告することである。

だから一方で自衛隊の人が水が引いたとき泥のなから子供の死体を掘り出しというのも事実である。美しい入江にも一時もどったのも事実である。
そして子供を泥からかきだしていたというのも事実なのである。
つまり事実にはいろいろな側面が実際はある
でも一場面だけを事実として報道すればただ瓦礫の山しか津浪にはなかったともなる
まず自分のように津浪を報告した人はいない,ただ小高の干拓された井田川で縄文の海がよみがえったと報告した人はいた。

ともかく津浪は信じられない光景をもたらしたのである。
それを報告するとき事実にもいろいろな側面がある,その時そこに死んだ人がいるというのも事実である。
お前はそういう人達に同情しなかったのかとなる
でもその時津浪が来て人々がどういう状態になったかわからなかったのである。
あとでここで死んだとかいろいろ聞いたのである。

津浪とか原発事故の避難者に対してはただただまず同情すべきだかわいそうだと言うべきだとなっていた。そうしないものはお前はなんなのだ,非情な人間だとされて批判の嵐になっていた。
現実津浪で家を流されて家族を失った人達の悲しみは想像を絶する
そのことに関して他者が何か慰めの言葉も言えないような悲惨があった
その時かわいそうだとか同情してもとても慰められるような状態ではなかったろう

人間はそういう悲惨な状態になると容易に近づけないとなる,何かしようにも何もできないとなるからだ。
ただ津浪は自然の作用だから確かに一時美をもたらしたのである。
これが戦争だったら爆撃で焼け野原になり無惨なものしか残らなかった
津浪は自然作用でありそこに一時美が生れたのである。
もしそこが家が密集しているような石巻のような所だとただ家がめちゃめちゃになり流されて無惨な光景しかなかったのである。
井田川とか八沢浦とか磯部でも田んぼのあるところは一時湖のようになったのである。
その光景は信じられないとなるのだ。

その時自分がどういう状態にあったかを書いた,身体障害者となり病院に入院したあとであり介護状態にもあり苦しい状態にあった。
それも実際は事実なののである。そんな個人的なことは報道されないのである。
ただただ津浪の被害者が原発避難者に関心は向けられていたのである。
八沢浦が美しい入江にもどったというときそれを批判するのわかる
ではその人が自分の個人的事情とか事実を知らないのである。
なんだこいつは八沢浦が美しいとかどうかしているとなる
つまりなぜこうして批判が常にあり誤解があるかというと人は多様な事実を知らないからそうなる
報道は常に一面的だからである。
人が何か批判するとき必ず一面的なものしか見ず批判しているのである。
報道にはそうした一面的報道が多いからそこに真実が何なのか見誤るのである。

報道には多様な事実が実際にある,殺人事件がある,それがどういう場所で起きたのか?
どういうふうに殺されたのか,何か証拠が残っていないか?
一つの殺人事件でもそこにさまざまな事実がありそれを検証する
殺人事件でもリアルにものをみなければならないのである。
そこに感傷的にみるより冷静に事実を見ることを第一とする
そこから犯人を割り出してゆく,つまり報道するということもそういうことなのかもしれない,事実は多面的でありだからこそ現場に通って感を働かせるのが捜査だとなる
この辺で起きたことは例えば原発避難民がパチンコ屋通いであり多額の補償金をもらって遊んでいたとういことも事実なのである。そんなことを言うなとかかわいそうだとばかり言うのもまた事実を無視して感傷的になっているからである。

北朝鮮の報道でも多角的にみればその実情が像としてイメージされる,youtubeで見たが公園で草をむしって集めている人がいた,するとそれは草を食料とするために集めていたそんなに食料がないのかという事実に驚く
それから喜び組というのがあり女性が品定めされている,まるで江戸時代の遊女である。すると北朝鮮は奴隷国家だということがわかる,金王朝に仕える奴隷国家なのである。
そんな国がどうして国家として維持できなるのか?
やはり内部から瓦解してゆくのではないか?民衆は草を食べ幹部は女性を品定めして遊女のように扱う,そんな国が維持できるのかとなる

ともかくそういう事実はいろいろありそこから像を作り多面的に見ていくべきなのである北朝鮮の民衆は悲惨なのである。その支配者が悪いのであり民衆はかわいそうだとも見る
でも事実というのは無数にある,今でも無数の事実が産み出される,それらの事実を現実に確かめて知ることは不可能である。
事件にしても無数の事実である。それは毎日のように報道される
でも深くその事実を知ることはできない,次々に事実は新たに生れてきりないからである

ニュースで伊豆に東京の人達のために老人ホームを作る,そこに入る人は家族が行くのに遠すぎるとので困ると言っていた,ところが身寄りがない人も入るから家族は関係ないと福祉関係の人が言っていたのも納得する
身寄りのない人も多いのが現代である。事実として様々な事実がありいちがいに遠いから家族が行けないからと判断はできないのである。
伊豆がどういう所かまず地理とか環境もわからないからそこで報道だけを見ていると誤って判断する,何でも多面的な事実がある
報道は一面的報道になりやすい,次々に問題が起きるしニュースがあり事件があるからだ

津浪でも様々な事実があり海が近いのに前に山のようなものがありそれにさえぎられて被害少なかった家もある,そこには様々な事実が生れていたのである。
一時八沢浦が美しい入江にもどったというのも事実である。
そこであとで泥にうまった幼児を自衛隊がほりだしたというのも事実である。
死体を探していたというのも事実である。
そこには様々な事実がありそれを冷静に報告することが報道の基本としてあった
かわいそうだという前に現実を事実を写真で見せられればわかるからである。

ただ原発避難者がパチンコ通いとかギャンブルに興じていたことは事実であったけどそれは報道されていない,そういう事実を無視してかわいそうだとばかり外から感傷的に見られるとき事実が見逃されてそういうマイナスの面は隠される,事実は隠される
すると現実が見えなくなる,そこに報道の問題があった
報道は今までは個人ではしていないできなかった,マスコミだけがしていたのである。
それでマスコミによって操作されていたのである。
いろいろなことを解説するのにもいろんな手法がある,マスコミの解説とは違う解説の仕方がある,すると別な風に見えてくるのである。

だから本当はマスコミでも局によって違った報道するのがいいのである。
すると多面的な見方ができるようになる,でも見る方もそんな暇がない,時間がないからてっとりばやい一面的な報道で判断するのである。
要するにあらゆることに様々な多面的な事実がある,それをそのまま報道すれば何かが見えてくる,でもその事実の取捨選択はマスコミがしている
報道されないことでもある人にとっては重要かもしれないし本当にみんなにとって重要なものもある,でも報道されないとそれは闇に埋もれるのである。

八沢浦が元の美しい入江にもどった

「心に青雲」の都築詠一氏の死亡で生じた著作権の問題 (確立していないインターネットのルール)


「心に青雲」の都築詠一氏の死亡で生じた著作権の問題

(確立していないインターネットのルール)

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著作権は、通常の財産と同様に相続の対象となります。遺言によって誰かに譲り渡すこと(遺贈)も可能です。本コラム執筆時点までの報道によれば、やなせさんには法定相続人はいないようですが、遺言により受取人を指定していれば、指定された法人や個人が著作権を引き継ぐことになります。

著作権について複数の相続人がいる場合は、著作権は共有されることになります。著作権が共有されている場合、共有著作権者全員の同意がなければ著作権を行使することができません(法65条2項)。対象となる著作物の著作者(=著作権者)の死後、著作権保護期間中に著作物の利用を希望する人は、原則として全相続人から許諾を得る必要があることになります

著作権者が死亡し、通常の財産であれば国庫に帰属することになる場合、著作権はなんと消滅してしまうのです(法62条1項)。「著作権が消滅する」ということは、誰もその作品が使えなくなるという意味ではありません。著作権の保護期間が満了した状態と同様に、誰もがその作品を自由に使えるようになるのです

著作者の名誉・声望を害するような方法での利用は著作権法で禁じられているということは、心に留めておいてほしいと思います

「目的上正当な範囲内」の引用であることが求められている(32条)。ここから派生して、「人の作品を借りて来るだけのある程度の必然性・関連性が問われる」と説明されることもある。


本は出版社が仲介として大きな役割を果たしていた,出版社を通じてしか本は出せない仕組みになっていた,その前に取り次ぎを通さないとまた出版できない仕組みになっていたインターネットはそうした仲介者が省かれているのだ

そこで何が起きてくるのか?今回のようなプログだけに書き続けた都築詠一の死亡がなげかけた問題である。
グーグルですべてではないがログは保管されていたのである。
これも不思議なのだけど普通は本だったら図書館とか出版社で保管されている
でも本を出すことはむずかしいのでどこにも保管されていない場合だってあるのだ
ところがインターネットでは誰でも一庶民でも何でもくだらないものでもとるにたらないものまで出せるし記録されているのである。
なぜならインターネットでは記録するということは簡単だからである。
そしていくらでもその記録を残すことができる,本のようにもう国会図書館で収蔵しきれなくなるということはない,物理的に場所を全くとらないから無制限に貯蔵できるのである。
ではそれがどれくらいの期間記録されているかとなるとわからない,本なら50年くらいはもつかもしれないがその頃からぼろぼろになってくるのである。
電子空間では50年ももつのかとなるとわからない,電子空間は消えやすい弱点ももっているからである。

ともかくインターネット上にだけ公表されて本としては出版されないものがこれからは増えてくる,出版というのはハードルが高いからである。
インターネットだと気楽にいくらでも書ける,一人の人間が出版社ともなれるテレビ局ともなれるのである。youtubeがそうである。
かえって例えば武田邦彦氏はそうした放送局となっている,科学者として専門性があるから参考になる,テレビだと専門家を呼んでテレビ局の意向によって編集しているからかたよっているのである。テレビはその局の意向を報道しているのであり専門家はただテレビ局の意向のために使われているだけなのである。
だから最近はなるべくテレビは見ないようにしている
テレビを見ていると知らずに洗脳されていることが多いからである。

いづれにしろインターネットでは例えは都築詠一氏が死んでも著作権はあり全文転載はできない,心に青雲の旧フログが一部ログを他のサイトで保存されていたが許可があってできていた,なぜ全文転載ができないかというと宣伝に使われたりするからである。
引用は可能である。それも引用する方が主になり引用される方がその主文に従属するような文でないとできないのである。
なぜなら引用とはあくまでも主なる引用する人の創作の中で利用されるものとして許されているからである。

ただ都築詠一氏のプログの文を本に出すとなると著作権を受け継いだ家族の人とかの許可が必要になるだろう。
でも不思議なのは別に本にならなくてもグーグル内にログは全部ではないが保存されているのである。それは一種の図書館に本として貯蔵されていると同じなのである。
ただそれがいつまで保存されているかとなるとわからないのである。
グーグルというのはこうして何か実際は大きな権利を得ているともなる
まず国会図書館にいくちら貴重な資料があったとしても利用できないものが多い
図書館でも資料があってもそれを調べるのが容易でないから今は行っていない
自宅で調べて書けるようにならないと知的作業はできない
だからある程度の私設図書館が必要になってくるのである。

ともかくインターネットもすでに20年以上とか利用するようになっているしこれからも利用されるようになる,それは世界ともかかわりそのルールが確立されていない
そこに今回のような都築詠一氏の死亡などで問題が浮き彫りにされたのである。
死んだら死んだ人は何も言えないのである。
すると何かそこで問題が起きてくる,ただ何か今も死んだように思えない不思議があるのだ。

「心に青雲」の都築詠一の遺したもの (その死は何を語っているのか?)


「心に青雲」の都築詠一の遺したもの

(その死は何を語っているのか?)

死者のほとんどはもっと生きていたいと願いつつ、この世を去ったのであろうし、災害や戦争の死者はさらに非業の死を遂げたので、その無念の思いは強かろうと想像する。
人間は必ず死ぬけれど、死に甲斐というものはあったほうがよい。この世に生まれて証を遺すことが、後世の人間への贈り物である。

 震災の慰霊はほどほどに

こういった残された文章を読むと不思議である。

この世に生まれて証を遺すことが、後世の人間への贈り物である。

それは「心に青雲」の都築氏の場合はプログしかない,でもそれも消してくれとか言っていたのがわからない,ここでは証を遺すことだと言っているからだ

人間はつくづく自分のプログでもそうだが自分の書いたものが読み返してみてこんなことが書いていたのとなる,忘れるのである。
都築氏のプログだって読んでいても忘れていた,だから記録すること何かに文章でも人間は遺さない限り何も残らない,忘れるからだ。

今読み直してこんなこと書いていたのと再認識する,その時読んでいても忘れるのである都築氏はいろいろなことを言っていた,その言い方が卑近な例から語りわかりやすいのである。学者のような言い方をしないからである。

でも自分の書いた唯一の生きた証であるプログまで消してくれとういかのがわからなかった
人間の不思議は死んだらその人をどう評価するかは生きているときわからない,だから死んでみて本当に不思議になる
とても死んだとは思えないのはなぜなのかとなる
何か今でも継続して熱く語っている感じになる,死というのが意識されない不思議がある第一インターネットの中で書いて死んだというのはあまり経験しないだろう
癌を告白して死んだ人などそういう人は増えているかもしれない
ただ病気が苦しいとか病気のことばかり書いていたら読むの嫌になることがあるだろう

都築氏は一切病気のことを語らなかった,透析のことはたまたま語っているがそのことは語らず様々なことに評論をしていたのである。
その見識の深さは瞠目するものがあった,だから毎日読んでいたのだけどやはり読みかえすと忘れていたことが多いなとつくづく思う
人間は忘れやすいのである。それが人間の大きな弱点なのである。
あれだけ悲惨な戦争のことだって忘れる,時間がたつにつれて人間はあらゆることを忘れてゆく,忘れるからこそ嫌なことを忘れるからこそ生きていられるともなる

無念の死のことを語っているけど自分自身もそうだったのではないか?
70くらいまで生きたとしても今の時代なら早いとなってしまう。
何かもっと書きたいこと言いたいことがあったと思う
それが途中で中断して死んだのである。
現代は長生きだから成果を示すのは遅くなる
人生50年とかなると早い内に示さないと死ぬから違っていた
斎藤茂吉は長生きだったと言われるが70才で死んでいたのである。
あとは40代50代で死んだ人が実に多いのである。
今の時代は普通に80才まで生きるから成果を示すのは遅くなる傾向があるのだ

都築氏の評論はいろんな分野にわたっていたのである。
空手をしていたからスポーツ評論があり文芸評論が人物評論があり科学評論まであった。これだけ多岐にわたる評論をできる人は今の時代でもそんなにいないだろう。
ただ死ぬとは思っていなかった,だからそんなに真剣に読んでいない,突然死んだので
驚いた,そしてプログの記録が貴重なものとなったのである。
インターネットにはグーグルでは全部は記録されていない,省かれているが要旨になるような所は残っているみたいだ
だから再検討できるのである。

プログはなにか本とは違う,生放送のようにリアルに今が伝わってくるメデアである。
だから死んだように思えないのである。有名な俳優でも死んでテレビの画面でドラマに写っていると死んだように思えないのである。
プログでしか知らなければやはりこれと同じように死んだように思えないのである。
ただ死んだ結果,こうして自由に語れるとなる,生きていればこきおろされるからできないとなっていたのである。
だから人間は生きているときは評価しにくいのである。

いづれにしろこうしてまたインターネットで自分が都築氏のことを語っているのをあの世でどう思っているのだろうと不思議になる
インターネットだけで語り死んだということが不思議である。
たいがい今までは本で遺していたからである。ただ本は限られた人しか出せないのである過激なものは出せないのである。
それでインターネットだけで語り記録して死んだということは今までにないことかもしれないと思った。
もちろんプログは無数にあるがこれだけのものを語れる人はいない,病気をのことを延々と語っても後世には残らないと思う,なぜならみんな病気になり死ぬからである。

ともかく都築氏の遺したことの再検討は必要である。ただ死んでもやはり著作権があり
そっくり転載することはできないだろう。
だからインターネットだけで語り文章として遺して死んだ場合そういうものがどうなるのか?それもまたわからなくなる,インターネットというのはそういうルールが確立していないからである。

自分がインターネットにある写真や絵から抽象画をソフトで変化させているのもこれも何なのだろうとなる,そこには何かしら著作権が関係している
そんなことしてそれが創作品になるのかとなる,そんなこと今までありえなかったのであてる。
ただアメリカの人たちが定期的に見ているのである。
だからなんらか評価されているとなる
でもなんらか著作権の問題が生じているかもしれないのである。
それもやはりインターネットという空間が何なのかわからないからそうなっているのだ。いづれにしろ都築氏の死はそういう点でも考えさせられるものだったのである。

2017年09月19日

看護のための「命の歴史」の物語を読む (都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)


看護のための「命の歴史」の物語を読む

(都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)


はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた

地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。



「心に青雲」の都築詠一氏の評論のバックボーンになったものは「看護のための命の歴史」の物語という本にあった,それで早速アマゾンで注文して読んだ
アマゾンの便利なのは自分の関心ある本を読めることである。
だから今になって読む本がまた増えて困っているのである。
安いなら買う,古本だと買いやすい,なかなか全文を読むとなると苦労になる

都築氏が言ってこと相互作用相互浸透とかの言葉はこの本を参考にして生れている
ただなぜこの本が看護と関係あるのかというとわかりにくいだろう
相当に難解になるだろう。
わかりやすいのは母乳が必要だというとき牛乳ではなぜだめなのか?
それは命の歴史にかかわっていたからである。
人間が母乳を飲むということ母乳には人間が生れた地球の歴史とかかわっていた
人間から出る乳と牛から出る乳は違っていたのである。
そういうことは確かに看護と関係していることは確かだかその他のことはわかりにくい

ただ聖書の天地創造と一致していたのは水の重要性だった,聖書でも最初に水があり
地球とは水の惑星だったのである。水はまた生命の源だから水の重要性を聖書で記していることは一致しているのである。
そこにも聖書の不思議があるのだ,なぜ科学が発達しない時代に水の重要性を指摘したかも不思議だとなる
何か水の中で生命が育まれたことをこの本でも書いてあるからだ
水の作用の中で相互作用して相互浸透して生まれのが命だとなる
水の中でこそ命はまずありえたのである。陸地で命が存在することはできなかった
地球創生時代の陸地は非常に危険な場所であり生物がまともに棲めない,まともに光を受けるし暑いし火山の爆発もあり危険な場所だった,水の中は安全だったのである。
放射性物質も水の中にあるとき冷やされ放射線がさえぎられるというとき何かそうして防護の役割を果たしていたのである。

太陽の光に直接さらされることは生命にとって危険だったのである。
それで両生類が水の中でも生きられる陸地でも生きられる,でも陸地で生きるためには危険だから厚い甲羅で皮膚で覆われることになったのである。
紫外線とか光を直接受けることは生物にとって危険だった,今年は自分も熱中症になった恐竜がなぜ陸地で生き延びられなかったのか?
陸地は危険な場所であり水生動物のように水では保護されない,するとまともに光でも何でもその体に受ける,すると陸地では耐えられずに滅びたとなる
だから何か急激な変化,小惑星の衝突とか火山の爆発とかで滅びたというのもそのためだろう。

その時ものすごい熱になりその熱に耐えられないのである。
水生動物だったらそうした熱から守られるからである。
哺乳類が生き延びたというときネズミなどは激しく動き回る,その動き回ることによって生き延びたというのも面白い説だとなる
そして多産であり常に若い新鮮な命が送り出される,その命は激変する陸地でも生き延びたとなる,ネズミが生命連鎖では餌になるからネズミが生き延びることは他の動物も生きることになる
相互作用相互浸透するというとき水がその最たるものなのである。
水の中で命が作れたということは聖書とも一致している

聖書では段階的に水が作られ光が生れ陸が生れ草が生れ動物が生れるとかなる
ここでは混沌から水の作用で生命が誕生して適応してゆく
段階的に考えるのは西欧的科学技術の思考である。
荘子の混沌から生れというのは東洋的思想になるかもしれない。
生命を地球でも分離して分けるというのは分子を分けてまた結合させるというのににているのだ。
この本ではそうではなく相互作用相互浸透の中で生命が生れたとなる

確かに猿と木の関係というのも面白い見方である。木と猿は同時に生れた,木と猿は相互浸透して生れたというのも興味深いとなる
猿と木は一体のものだというとき世界もそうみている
それは東洋的思考なのかもしれない,部分に分解しないからである。
では猿が人間に進化したとか動物が進化したとかの説はありえないのである。
様々なものは神が別な種として創造したのである。
猿から人間が進化したのではない,人間という種は別個のものとして神が創造したのである。
なぜなら神は自分の姿ににせて人間を創った,人間は猿とは全く別物なのである。
そして人間として創造されたのはアダムからでありその前の北京原人とかジャワ原人とかピテカントロプスとかなんとかは人間の亜種であり人間ではないのである。人間を塵から創造してそこに霊を吹き込んだとき人間になったのである。

だから魚から両生類になり動物になり猿になり人間になったという進化論はありえないのである。確かにそういう過程が人間の中にふくまれたとしても人間は猿とは別個の種であり進化して作られたものではないのである。
人間とはみんなアダムの子孫であり進化した猿の子孫ではないのである。
だから魚から両生類へ進化して両生類が鳥になったとか動物になったとかないのである。神がその適した場所に創造したのである。
人間の中にそうした進化の過程がふくまれていたとしても人間は別個の種であり進化してできたものではないのである。

これは別に異論はあるが進化論はまた唯物論とも通じているのである。
都築氏は神を信じていない唯物論者だった,ただそれは宗教があまりもに歴史でもゆがめられたものとなっていたからとういことはある。
今でもイスラム教徒のロヒンギャを仏教徒が惨殺しているというのも信じられないとなる仏教もそんな残酷なことをするのかともなる,他にも虐殺の原因があるにしても仏教徒がそんなことをするのかということにもるな,そういうことが宗教を毛嫌いする原因になっているのだ。

人間は魚から猿に進化したとなると人間は魚の子孫なのかともなる,猿の子孫なのかともなる,そういうことはないのである。
人間は神がアダムを作ったその子孫なのである。神の系統に入るものであり進化した猿の子孫ではないのである。
進化論と唯物論が通じているのかというと要するに生命も生物も物質であり人間も物質であり原子でありやがては消滅するという思想になる
ところが人間は肉体は仮のものであり神が霊を吹きこんだものでありそこが根本的に違っているのだ。
そこに結局進化論とか唯物論とかの限界があり都築氏の限界もあったとなる

ただ批評する価値はある,大きな存在だったとはなる。批評するというときまず対等かそれより上にたつと批評はできない,一段上にたたないと批評はできない,そこに批評のむずかしさがある。だから若いときは批評はできない,ただまねるだけなのである。
それで師でも偶像化したりいろいろな論があるときただそれをまねるだけになるのであるともかく批評精神をつちかわないと結局カルト宗教団体とか権力集団組織にとりこまれて自主的に考えることもなにもできなくなるのである。
だから右で左でも何かの団体に所属している人は信じられないのである。
それらは集団で組織で圧力をかけるからである。

その点,都築氏にはなかったから好感をもって読んでいた。相いれない所があってもそういう組織団体に属していないことで自分は評価していたのである。
別に敵でも高邁な敵だったら剣の世界でもおのしやるなとなりかえってそういう手ごわい相手との勝負を望むのである。それは学問とかでもそうなのである。
論敵がありかえってそれで説が磨かれるということもある
世界を見ることは様々な視点があり一つではないからである。
死んでしまったけど都築氏はそういう手ごわい相手であり評論に値する人物だったとなるのである。



ただこの本などは知らない人が多いのではないか?
つくづく本というのはその数に種類に今になり驚くのである。
こんなに本があったというのが驚きなのである。
それがボタン一つで配達されるとなると知の世界が飛躍的に拡大した
自分は本を買うために仙台に行かなければならなかったし本は高いから買いにくいこともあった
でも仙台の本屋でも今になると本当にわずかの本だけだったのである。
それでベストセラーになって百万部売れた本などがあった
冠婚葬祭の本とかである。なぜそんなに売れたのか?

地方の小さな本屋でしか本が買えないとういことがあったからだ
だからそうした本屋ではベストセラーだよと置けば商売になったのである。
あと専門的な本など小さな地方の本屋にはなかった
このハンディキャップは大きかったなと今では思う
古本も膨大であり安く買える,これも知的な世界を追及するには有利である。
何か興味がありそれと関連したものが読めるということがいいのである
だから田舎でも今までのような知識のギャップを感じることがなくなっているのだ
こうなると別に文系などなら東京の大学などに行かなくても学問はできなるとなる

文明は滅び生態系は残る (原子力文明は生態系を破壊し滅びる)


文明は滅び生態系は残る

(原子力文明は生態系を破壊し滅びる)


文明とは何かというとき様々な見方がある。だからいちがいには言えない,でも幾多の地球上の文明は滅びたのである。

文明を作ったものは人間である

生態系を作ったものは神である

文明の象徴としてエジプトのピラミッドなどがある。エジプト文明は三〇〇〇年つづいたというから寿命が長かった,その寿命が長いのはもともとエジプト文明はナイルの賜物というとき生態系に依存して作られていたからである。
その生態系を壊さないように作られた文明なのである。
だから今になると様々な動物が神になっているのはそれは生態系の中でこそ動物は生きられる,生態系が破壊されたら動物は生きられないのである。
農業は生態系に依存している,そしてこの辺で鷺が一時いなくなった
それは田んぼがなくなったからである。田んぼには鷺の餌となる蛙とかがいたからであるその田んぼが回復したとき蛙も増えて鷺も増えたのである。
そして元のように川の竹藪の所に鷺の塒ができてコロニーが回復したのである。
飯館村では田んぼもないから蛙もいてもわずかだし鷺もいないとなる

生態系があって生物は生きられる,人間もその生物の一種だから生きられる,ただ現代はその生態系が文明の系統になっている
東京など大都会には田んぼもないし土も見ることもできない,だから生態系とは関係なく存在しているように見える
時々ダムの水が渇水状態になったとき水がなくなるということで生態系に依存しているということを意識する,でもなかなか大都会では生態系を意識するということができない
でも上流の水がやはり放射能で汚染されたとき生態系が汚染されたということを東京でも意識したのである。

生態系が破壊されたら文明も滅びる,なぜなら文明は人間の知恵で作ったものであり生態系は神の知恵で作ったものだからである。
人間は絶対に神の知恵を越えることはできないのである。
たからこそ人間の知恵で作った文明は滅びるのである
不思議なのはマヤ文明でもピラミッドに神殿が森に埋もれてしまった
同じように原子力文明も森に埋もれるというのもにている

チェルノブエリでは森が復活してヘラジカがもどりそれを餌とする狼がもどってきたのである。田んぼが復活して蛙が増えて鷺がもどってきたのとにている
ただ放射能汚染で怖いのは遺伝子が損傷すると次の代からさらに次の代まで影響するとも言われる,それはどうなるかはわからない未知のものとしてある。
原子力,核の恐ろしさは生物の種を絶えさせるとかなることにある
もうそうなるとその土地には人は生きていけないのである。

文明とは何か?それは人間の知恵で作ったものであり人間が神のごとくなることである。
神のごとくなるとはどういうことか?原子力文明では科学者が神のごとくなることである
マヤ文明ではやはりテクノクラートが天文学の高度な知識をもったものが支配階級になっていたのである。
文明が崩壊するとは滅びるということはどういうなのか?
マヤ文明は何か最後はカルト宗教のようになり迷信的になり滅びた
それはそこに知の限界が生じたからである。
原子力でも人間では操作できない,知の限界が生じたのである。
人間の知恵で作ったものが崩壊して滅びるということである。
ただ生態系に依存した文明は農業文明は長寿になる
でもその上に築かれた文明は崩壊して滅びているのだ

そして資本主義は農業に関しては土地に関してはなじまない通用しない,物を効率的に製造するようにはいかないというとき農業は生態系に属しているからである。
生態系を離れてありえないのである。資本主義は土地の生産性をあげようとしても生態系に依存しているからできない,二十日大根があるとすると大根を早く作ろうとしてもできない,それは土という生態系に依存しているからである。
資本主義もまた反生態系であり資本主義が生態系の環境を破壊するというのもそのためである。経済をすべてとする原理は生態系とは相いれないのである。

原発事故は原子力文明の崩壊現象が起きたのである。
なぜなら原発を支えてきたのは科学者であり政治家であり官僚でありマスコミであり今の支配体制を作るものが一挙に崩壊したからである。
その誇りも砕かれたからである。
それられの人達は国家を形成するものたちでもあったからだ
だから国家自体の崩壊現象が起きたのである。

つまり必ずしも国家と生態系は今や一致しない,江戸時代あたりの農業社会だったら一致していた。これだけの科学と技術とか大規模な経済をになうとなるともうそれは今までの農業文明などとは桁の違う世界に生きているのだ
この辺では国家権力によって地方の生態系が破壊されたのである。
国家権力が地域を破壊する,地域の生態系を破壊するのである。
それは一種の人間の奢りに対する神からの罰だったともなる
それはギリシャ神話時代から指摘されていたことである。

人間の知恵で作った文明は滅びる

神の知恵で作った生態系は残る

ただ神の知恵で作った生態系も実は完全ではない,弱肉強食の世界は神の御意にかなったものではないから是正されることを聖書では説いている
いかなる文明も砕かれその誇りも砕かれる
これからもそうである。AI文明人工知能文明だろうが何かの原因でつまずき崩壊する
AIといったってそれもしょせん人間の知恵で作ったものだからである。
神でもなんでもないからである。

人間はいくら努力しても理想社会は生れない,人間の知恵では作れないからである。
最終的には神による天国の創出であり神の業による天国の形成である
だから人間の知恵ではできないのである。
いくら文明が発達したといってもただ実際は変化しただけであり人間の心は罪に汚れ変わっていないのである。ただその形が変わっただけであり人間の悪はぬぐいされないのである。機械が発達すればその機械で悪いことをする人がいる
核を発明すれば核を悪いことに使い核戦争になり人類が滅びるとなる
いくら科学技術が発達して人類には平和は来ないのである。
そこに人間の限界がある。その限界の故に必ず文明は滅びてきたしこれからも滅びるのである。
posted by 老鶯 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年09月18日

原町の道の駅で山口県の人と会う (自転車で日本一周四〇日目)


原町の道の駅で山口県の人と会う

(自転車で日本一周四〇日目)


原町の道の駅では自転車旅行している人と会う,その人は学生であり日本一周四〇日目だという,これから帰るが四国の方にもよるからまた三〇日くらいかかるとか言っていた。自分も30日くらい自転車で旅したらくらくらしてきた。
これから飯館の方に行くと行ったが坂を上るのが大変である。
その坂は予想もしないような坂がある,それが自転車旅行では怖いのである。
若い人はまだそうういことができる,でも若い人でもみんなが日本一周しているとは限らないのである。それがどのくらいの冒険になるのかわからないがそれなりの冒険にはなる
その学生が山口の宇部だというとき山口県というときまず萩とかをみる,そこから明治維新が起きたからである。
そして下関からは韓国への船がでている,自分も行ったことがある。
その時ははじめてで滋賀県の大津の人に助けてもらったのである。
そのお礼も言わないままになっていた。

山口県をみるときつくづくそれもわかりにくいのである。
萩は日本海の方であり何か繁華な所には見えなかった
ただ山口県は長州だがなぜそこから明治維新が起きたのか?
それはやはり地の利だったのである。

下関から韓国への船が出ているようにそもそも韓国も外国であり外国が身近なのである。九州でも古代から密接な関係が韓国とあった
それが東北辺りの地理感覚とは相当に違っているのである。
会津と比べればわかる,歴史はだから地理が基になっているのだ

なぜ薩摩と長州が手を組んだのか?
それもなぜ高知から出た坂本竜馬によって薩長同盟ができたのか?
それも地理からみればわかりやすい
薩摩も中国とかの貿易があり外国が身近なのである。
長崎も出島があり鎖国していても外国に開いていたのである。

外国がそれだけみじかになるときいち早く時代を感じた
それは江戸幕府があった江戸や会津よりもその外国が身近だったのである。
歴史が地理が基だというとき地理がわからないと見当はずれの見方をするのである。
そしてなぜ坂本竜馬が薩長同盟の担い手になったのか?
それも四国の高知だということでわかる
薩摩があり長州がありそれを結ぶものとして四国があったとなる

四国がそういう位置にありそこから担い手の人物が生れたとなる
地理と密接に結びついて人物も生れているのである。
だから地理がわからないと歴史もわからないのである。
だから自分は外部の人と駅でも道の駅で話するときそこがどういう場所なのか
全国を行っているから考える

では山口県というときこの山口県全体を知ることはむずかしい
それは福島県全体を知るのがむずかしいと同じなのである。
宇部というと何かなじみがないからである。
でもそうして全国の人とあって話するとき自分は全国に実際にその土地を踏んでいるので旅したことを思い出してイメージするのである。
一回も行っていなかったらイメージもできないのである。
山口県の像をイメージできないのである。

原町の道の駅は車でとまる人も多い,あそこに自転車旅行でテントを張る人もいる
道の駅は外部の人のたまり場になっている,特に原町の道の駅は便利なのである。
スーパーも近いしホテルの湯も入れるよと言った
その学生は入ることはなかった

原町の道の駅で案内のボランティアをするのもいい,あそこでは自転車旅行の人と会うからである。そういう人とは話しやすいとなる
ただ学生が多いからあまり相手から話は聞けない
ただ山口県の宇部から来たというだけで宇部はどこなのだろう,何なのだろうと考える
地理からまずイメージするのである。

原町の道の駅は外部から来る人が多いから鹿島の駅より話できるということはあるかもしれない。そこで道案内のボランティアをする
あそこではあやしいと通報されることはないかもしれない
いろいろな人が出入りするところではかえってそういうことがないのである。
あまり人が出入りしない本当の田舎になると変わったことをすると目立つのである。
ただ原町の道の駅が近いとしてもそんなには行けないから困るとなる

原町でいいのはマルマツとか簡単に食事する所があることなのである。
食事を用意するのが一人だとめんどうになるからだ
あそこでは納豆定食など安いものも出しているからである。
一人暮らしはある程度,都会の方がしやすいことがある
食事関係ではそうである。鹿島にはマルマツとか外食する所が少なすぎるのである。
二三軒しかないからである。

ともかく一人で家にいると誰かとしゃべりたくなる,それで駅で気晴らしに話したりしていた,道の駅でも原町辺りは外から来る人が多いから話できるということはある。
ただ自転車旅行の人などは話やすいが車の人となると別である。
車の人は車の中にいるからわからないのである。
車は開かれた場ではなく閉鎖された空間なのである。
車は外部との交流も遮断している感覚になるのである。

だからテントを張ったときそこに止まっている車に人がいたことがわからなかったのである。だから旅では車の人との交流はあまりないとなる
ただ別に自分は旅してそんなに話したりはしなかった
それはなぜかというと疲れて話する気にもなれないということもあった
自転車旅行はぐったりと疲れるからである。

話するにもやはり余裕がないとできないのである。
地元にいるからこっちは疲れていないから話ができる,相手は疲れているのだから話たくないということもある,駅のような所は別に相手も疲れていないのである。
駅で休む人は車で来たりしている人だから疲れないないから話しやすいとはなる。
ただ道の駅に車を止めている人は疲れてはいない,だから話はできるがしにくいとなる
ともかく駅でも道の駅でも外部との接点になる場である
そういう場所は自分にとって見聞を広める場だともなる
内部だと同じような話になるが外部だと広い世界の話になるから面白いとなる

2017年09月17日

秋の夜の大河(big river at autumn night)


秋の夜の大河(big river at autumn night)  

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big shokking waves

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大河の対岸に家の灯がともる
月の明かるく星はきらめく
その岸は遠く大河のはばむ
そして秋の夜はふけゆく

on the opposite side of the big river 
a few houses lighted on in the distance
clear moon and strary sky
the deepening gloom at autum night

moonlightrrr1.jpg
moonlight

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railway at night
タグ:大河 big river
posted by 老鶯 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・) 死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・)


死から偲ぶ俳句と短歌

(心に青雲の都築詠一氏を偲びて・・・)



空に伸ぶ竹や秋風にそよぎゆる

ふるさとや夕日のさして実りかな

虫の音の今日は聞こえず夜のふけぬ



「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎


壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりそ死を育みいしは

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかな妻に子にしたたりて

上田三四二


「心に青雲」のプログの著者の都築詠一氏の死は衝撃だった,直接かかわったわけでもないし相手自分に関心は全然なかった,ただもしかしたら一〇年くらいも毎日読んでいたのかとなる,とするとその影響はやはり知らず受けていたことになる
相当に人間としても文学関係でも造詣が深くハイレベルの人だった
だから近づきがたいとなる,陰謀論になると特にそうだった

インターネットは何かレベルが低いということがあるし言葉の遊びとか匿名でいい加減なものが多いとか無責任でその場限りの発言で終わるとかある
だから言葉の重みが伝わらないし発言する責任も薄い
誰でも発言できるのだがそれだけ大衆化して低レベルにもなっている

ただではマスコミとかその他が高レベルかとなるとそうでもなくなっている
芥川賞などは出版社が売るために企画されているから低レベルになった
ただ本になるとやはりレベルが一定の高さにあるとみる
都築詠一が死んでも空手関係では暴言を今も吐いている
その人たちは空手には通じていても文学関係など何も知らないとなるからだ

ともかく何か文学関係などは俳句とか短歌でも低レベルなのである。
ただ歴史関係,古代史などは密度が相当に濃いから参考になった
その他で参考にするものが少ない感じがする

俳句とか短歌は短いから鑑賞する方が相当によみこまないと鑑賞できない
その人の鑑賞の仕方によって価値が生れる文学だと思う
読みを深くするというとき死というのは人間にとって最大の変化である。
その死からみるとき物事でも俳句や短歌でも平凡なものでも平凡なものでなくなるのだ。

都築詠一氏が死んでそのことを感じたのである。

空に伸ぶ竹や秋風にそよぎゆる

これは今までなら単なるそれだけの俳句とかなる,でもこれを都築氏の死から読むと「心に青雲」はそうしてまっすぐな竹が空に伸びるという感覚になる
そういうものが文章から感じられた

ふるさとや夕日のさして実りかな

都築氏は人工透析をはじめてからプログをかきはじめた,二〇〇二年でありそして二〇一七年に死んだ,それも長いなと感じた,透析もやはり闘病だったのだろう。
ただ闘病しているという感覚はプログにはなかった
それはすでに晩年のことであり遅かったとなる,現代は長生きだから実りとなるのはそうして遅くなる傾向がある
実りに夕日がさしているというのも自分と重ねて見ているのである。

虫の音の今日は聞こえず夜のふけぬ

虫が今は盛んに鳴いているけど今日は聞こえなかったなというときプログをあんなに盛んに書いていたのに中断してしまい死んでしまったとなる
それはやはり一人の人間の死から感じたものである。

「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎

この俳句はたまたまインターネットで発見したが深い俳句だなと思った

空蝉(うつせみ)は蝉の殻でありそれが柱にすがっている,それがなんとも不思議である。それは一つの命を象徴して人間と重ね合わせる

例えば柱というとき一家の柱とかいう,空蝉はその柱にすがり死んでいたのである。
柱は残っているのである。
俳句は短いから相当に読みを深くしないと鑑賞できないのである。
死から人間でも事物でもなんでも見ると深いものになる

壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりそ死を育みいしは

上田三四二

この人は四〇代で死んだからしきりに死と病気のことを語っていた

壮年になってわかやぐ老人になって若やぐということもある
都築氏のプログの発言にはそうした若やぎがあった,ただ死はその時育まれていたとなる透析が長いからそういう死を身近に感じていたかもしれない,ただ死は急激だったと外からは見る,とても病人が発言しているようには見えなかったからである。
病気だと延々とその苦しみを書くプログが多いだろう。
そういうのがないから死ぬとは思えなかったのである。

死を意識するとき時間は貴重になる,その時やはり重い言葉となり深いものができる
啄木などでも死が迫ったときあれだけのものを書いたということでもわかる
死がなかったら人間の生は何か緩慢なものとなってしまうだろう。
死が人間に緊張をもたらしているのである。

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかな妻に子にしたたりて

刻(とき)はいま黄金(きん)の重みよ惜しむべきかなプログにしたたりて

こんなふうになっていたのかもしれない,ただ読んでいる人はそんな重いものとして意識していない,でも死んでみてそれを意識したのである。
死というのは人間に重さを与えるのである。

都築氏は文学にも通じていた,ただ「風雅和歌集」などを評価して写生をリアリティあるとしていたので写生についてもっと書いてもらえばよかった
ただ写生俳句の元祖の正岡子規などを評価しなかった
それだけの時間がなかったともなる,それが惜しいなと思った
十分な評論の展開ができなかったのが惜しいとなる

いづれにしろインターネットではまだレベルが低いし大衆化している,マスコミも大衆化して視聴率をかせぐ,それをまねたのがyoutubeだとなる
テレビも大衆向きに作るし硬いものは視聴率がとれないから出さない
結局なんでもこの世の中低レベル化して俗化する,カルト宗教団体でも大衆化して低レベル化して俗化する,それがこの世だからどうにもならないともなる

ただ今回の「心に青雲」の都築氏の死は高邁なものを追及して死んだので違っていた
インターネット上でもこういうことが起きたということで衝撃を受けたのである。

2017年09月16日

病気とブログと私 (心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)


病気とブログと私

(心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)

//kokoroniseiun.seesaa.net:80/archives/201112-1.html

ここに都築氏の病気の姿勢が書いてあった。


私は平成14(2002)年11月に腎不全で入院し、人工透析を受けなければ死ぬと言われて、とうとう障害者の仲間入りをしてしまった。

なにも社会に恩返しもせず、ただボケ老人となって週3回、病院のベッドに寝そべってカネをかけてもらうというのはみっともない。なかには完全にボケ、植物化しているのに、家族の「生きているだけでも…」というわがまま、もしくは生きていさえすれば年金をもらえることを狙いに、意味のない透析をさせられている者もいる。

返す刀でというか、私はブログでしきりに弱者の甘えを叱った。不妊症の女性が人工授精に走ることや、鬱病、ボケ老人、被災地の避難所で昼寝している怠け者などを叱った。
 それに対して、お前は健常者だから他人の痛みがわからないのだと、猛烈な罵倒を浴びることとなった。

 私だって障害者なんだ、弱者なんだとは言わなかった。



この姿勢には感心する,人間はどんな人でも病気には弱いのである。
自分も自分の病気と介護で苦しんだことをプログに書いた
都築氏からはそうした苦しみが伝わってこない,プログを読む限りそういう弱さを感じない,吐露していない,だから何か病気なのかと読んでいた
ただプログからだけではその人のことはわかりにくい

そもそも人工透析でそんなに生きられるのかということが理解できない
2002年からはじまり2017で死んだとかなる
30年も透析していた人もいるから驚きである。
要するに他人の病気というのも理解しにくいのである。
自分の病気なども何の理解もされなかった,ただその病気をいいことに責められたたげなのである。
人間は他人の苦しみを理解することはむずかしい

都築氏の感心するのは死ぬ直前までそういう病気の苦しさをプログではみせなかった
そして体の調子が悪いと書き込みがなくなって一カ月くらいで死んだのである。
寝たきりになり介護状態にもなっていない,死ぬ直前までプログに書くことに情熱を注いでいたのである。
それは意味あることだった,透析で金を使わせてもらい生かしてもらっているからという負い目がありそれで何か社会に役立つことをしてたいとそうしていたのである。

だから他人の介護と老いとか病気に厳しいから批判があった
自分が病気になのにそういう人達に同情しなかったからである。
現実に最後まで強気だったしそういう同情も要求していない,俺はこうして病気で苦しみながらプログを書いているんだよとか同情をかうようなことをしていないのである。
自分などは延々と書いていたのである。別にそれで同情されたこともないけどそうだった

死んでから思うのはそういうふうに苦しいものとして読んでいなかった
今思うと必死になって書いていたのかとなりそのことで書いたことの重みが残った
もっと日本文化面でも展開することがあった,それだけの多様なことに造詣が深かった
日本文化を追及しているのでそのことに共感していた

なぜこういうことがプログで起きたのか?
それはインターネットはプログは生放送なのである。
本とはできあっがものであり性質が違っているのである。
刻々自分の生きている,感じていることを書いているのである。
だからそうして日々書いていることは日々生きていることを伝えていたのである。
それが突然中止となったとき死んでいたのである。
本だったら有名な人でも日々は出していない,一年に一回とかだろう。
本は一冊で完成されたものとして書いてあるし死んでもそのように読んでいる

プログは毎日書いている,それは本とは違って日々の生きているその人の鼓動が伝わるようなものになっている
ただそうして他人のプログを毎日読んでいるのはわずかである。
自分は三人しか毎日読んでいない,第一それだけのものを書ける人はプログを書く人ではまれである。
だから熱心にアジ演説をしていた人が急に倒れて死んだという感じになったのである。
だから今でも死んだように思えないのである

ただインターネットは今までとは違いそういう人もでてくる。軽いメデアとも違い命をかけて書いている人もいるということに気づいた
それは日々の生放送なのである。
ただ都築氏の場合,他だったら癌のことをプログに書いているがそれは苦しみを書く,そういう病気のことはほとんど書いていない,文章からそういうものが全然感じられなかったのである。
だから死んでみてそこが一番不思議だった,自分は直接つきあいがないからわからないこともあった
でもプログを読んでいた人がみんなつきあいがあるわけではない,ただプログからしかその人のことはわからないのである。

だから都築氏のインターネット上でのプログで書き続けた死というのは今までにはありえない死だったともなる
今までインターネットは架空のことだとか重いものと感じていない人が多かった
今や命をかけて書いている人もいるという時代にもなったのかとなる
日々の生放送として伝えることができるということが今までのメデアと違っている
ただインターネット上でプログを書きつづけて死んだということが今でも何かその意味がのみこめないのである。

いい自転車に乗っている人がいた (駅はいろいろ人がきて休んだりする場所でもある)


いい自転車に乗っている人がいた

(駅はいろいろ人がきて休んだりする場所でもある)


「これは外国製だな」
「フランス制か」
「自転車はヨーロッパがいいですよ,本場ですから」
「でもシマノはやはりこのロードにも使われているな」
「シマノはたいだい使われている」
「自分もドイツ製の折り畳み自転車買ったけど
これどこで買ったの?」
「相馬市だよ」
「どこの店?」
「相馬市に外国製の自転車買える所あるんだ,原町に佐藤自転車屋あるけど,あそこでは外国製の自転車売っているよ,いつも試乗して買ってくると言っていた」


あのロードはいくらくらいしているのか?値段は言わなかったが30万以上しているかもしれない,相馬市でも高いロードに乗る人がいる,この前きたのは仙台からかもしれん,
自転車はまず高い自転車は確実にいいのである。それは間違いないのである。
いい材料も使っているからそうなる。高いものを買って損することはないのである。
自分も25万でヤマハの電動自転車のロードを買ったがいいものであり損したとは思わないのである。
その人は電車できたのではなく駅に休むために来たらしい
駅は何か街の中心でありランドマークとしてくる人がいる
そういう機能がある,ここには道の駅はないからだ

あといたのは病気になっているとか生活保護受けている老人だった
前も事業に失敗した人も病気で生活保護だったらしい,何か外から来る人はそういう人が多い,落ちこぼれた人が多い,
第一履歴書も書かなくても働けるのはこうした建築関係とか除染でもそうだがそういう人である。

もう一人はいわきナンバーの人であり双葉とか大熊とか浪江辺りの人である。
原町から待っている人が来た,車で乗って去った
いわきナンバーの人達も相当来ているのがこの辺である。

ともかく駅は警察に通報されたり嫌な目にあったがいろいろな人の出入りがある場所なのである。
今まで駅は電車に乗るだけの場所だとして利用していたのである。
駅で話したことないのである。
ふらっとちょっと寄ってもいろいろな人がいるのである。
相馬市から来る人が結構いた,厚生病院に相馬市から来た女性もいた,それはなぜか?
この女性もなんらかの関係で相馬市にいても鹿島の病院に来る必要があった
この人もやはり大熊や双葉や浪江などから移住してきた人なのである。
そううい人がこの辺では多いから当然いても不思議ではないのである。

今日は駅内に原町の駅員が来てビラ張りをしていた。駅は人の出入りが多いか宣伝の場にもなる,あれは結構目立つだろう,インターネットだと宣伝してもなかなかわかりにくいのである。使わない人もいるから宣伝効果があるとも言えない

ともかく駅は電車に乗るだけではないその他に人が集まる休む場にもなっている
毎日ジュースを飲みに来る老人がいる,あの人は毎日何もしない,何か生き生きしていない,人間は目を見るとそれがわかるみたいだ,何もしないと生きがいがないと目が死んでくる,とろんとしている
自分の家族で認知症になったのも退職してから生きがいをあるものを見いださずなまけるばかりだっからである。それが実際は老後で怖いことのなのである。
だんだん心も死んだような状態になり認知症になる度合いが強くなるから怖いのである。これは明らかに高齢化社会の大きなテーマとなっている
その準備は退職してからでは遅い,老人になったからといってすぐに何かできるわけではない,今まで積み重ねたことしかできないからだ
パソコンだって自分ができるのは今まで20年とかしているからである。
でも実際はパソコンのことは良くまだわからないしめんどうなのである。
自分は機械が苦手だからである。

ともかくふらっと駅によりそこに誰かがいて話したりするのは気張らしである。
社会にはそうした場所も必要なのである。小さな街だってどういう人が住んでいるのかもわからない,それが多少でもわかるし外からの人も来て生の情報を得ることもある
実際原町でも相馬市でもわからないことが多いからだ
外国製の自転車を売っている所があるというのもわからなかったからである。
近くでも意外とわからないことが多いのである。

南相馬市の萱浜はカイハマでありアイヌ語地名か? (真野の萱原の歌は萱浜(カイハマ)のことか?


南相馬市の萱浜はカイハマでありアイヌ語地名か?

(真野の萱原の歌は萱浜(カイハマ)のことか?

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●東北地名に残るアイヌ語地名

アイヌとエミシの先祖は、後期旧石器時代あるいは縄文時代において、かなり近縁な種類の人々であったと思っています。

そして、同じ「蝦夷」でも中世以降の北海道人は「エミシ」ではなく「エゾ」であり、「エゾ」の子孫はアイヌだと思います。「エミシ」と「エゾ」は違います。


 この本では、東北地方でドングリの総称を「シダミ」と呼んできたと記している。そう言えば、岩手や青森には「豆シトギ」という餅状のお菓子がある。大豆を素材とする甘味としては宮城・山形の「ずんだ」よりも洗練されているとの評価もあるが、この「シトギ」は「シダミ」と語感が似ているが何か関連があるのだろうか?

 アイヌ料理にも「シトギ」という餅料理があるが、こちらは、大和語の借用と言われている。



アイヌ語のオタ(砂)オル(多い)からタルに変化して「垂る」の字をあて「垂れ」とよみかえたものか。

- 比内
φ 佐比内。比の沢
A 小比内
圃火沢
φ 猿飛来
. 檎(ひ) (沢) (内)
. 檎(ひ)の沢
。檎(ひのき)(沢)
{F 槍木(ひのき) (内)
~ (沢)

福島県以南の分布は以北との聞に断絶があるようでもあり,あるいは北関東にまたがる分布は文字通りの「ひのき」の意かもしれ
ない。しかし・南の分布も「沢」地名であり,文字の構成も北の分布と共通している。

これがアイヌ語地名に由来している,秋田県と青森県に多い,檜(ひのき)は木のことではない,檜枝岐(ひのえまた)もそうである。


●南相馬市のアイヌ語地名?

最近江垂について書いた,江垂(えたり)はタルがアイヌ語のオタ(砂浜)がなまったものだという指摘,それはその地形からしてあっている
江垂は海に面して砂浜のあったところだとなる
それは津浪で六号線の江垂りまで来ていたから具体的にわかった
そして桜田山の下に縄文人の遺跡がありそこから魚の骨や鹿の骨などが発見された
つまりちょうどその江垂から砂浜になった奥でありそこに住居があったとなる
位置的にあっているからだ

shidokeeee1111.JPG

そして原町の海岸に雫(しどけ)とある,これはシダミでありそれがシドキとなった,アイヌ語から来ている,それは食料だったのである。
東北地方にはアイヌ語が地名として残されているというとき蝦夷とはアイヌなのかとなるそれは学問的にもわからないのである。
わかっていることは漁労とか狩猟とか採集であ生活形態が同じなのである。
それは縄文人もそうである。つまり人間を分類する場合人種ではなく生活形態で分ける
羊を飼う遊牧民と農耕民でもそうである。それは人種より差が大きいのである。
だから遊牧民と農耕民は互いに理解できなものとなり争いとなる
それが万里長城を作ったのである。

だから日本でも蝦夷とかアイヌとかあれば稲作をする,米を食べる人達との生活形態の相違で区別されていたのである。蝦夷とはアイヌのように漁労,狩猟,採集を生業としている人達のことである。
だから同じ日本民族と同化させようとしたとき稲作を普及させたのである。
だから原町に雫(しどけ)とあるときそれは採集を生業とするからそういう地名となったのかとなる。
蝦夷(エミシ:エソ)は海岸を中心に生活していたからエのつく地名が多いとなる
海老でも(エヒ)でありエは海の意味だとなるからだ
そういう地名はだから一番古い,縄文時代にも通じる地名だともなる

●真野の草原(かやはら)と萱浜(カイハマ)の謎

この謎は深い,北海道は北加伊道が北海道となった,加伊はそこに育ったものとか住んでいるものとかなる,カイとはアイヌ語でありアイヌの人達はカイとも呼ばれていたのである。
原町の萱浜(かやはま)は前はカイハマだった,そのカイは甲斐の国にこじつけられて地名伝説が生れた,その地名伝説はたいがいあとから来た人がこじつけてつくられたものなのである。
カイとはアイヌ語なのである,そしてなぜカイがカヤとなったのか?
それはやはりなまったからだとなる

そして真野の草原という万葉集の歌は草原という地名が真野郷にはない,これが最大の謎だった,でもカイが萱浜(かやはま)になったように草原(カヤハラ)も同じだとなると
そもそもこの辺にカイというアイヌの人達が住んでいたのかともなる

説としては

●カヤはカイでありアイヌ語である(有力)

●草原(かやはら)-萱が繁っていた

●伽耶(かや)国に由来している

●ツノガノアラシト系の渡来人の系統に由来する

まず草原(かやはら)というとき真野郷内に地名がないということが最大の謎であった
でも真野郷の隣にカイ浜があり萱浜(カヤハマ)になっている
それは近辺に雫(しどけ)でもアイヌ語系統の地名がある,とするとすぐ隣のだから真野の草原(かやはら)とは広い地域としてあり萱浜(カイハマ)も入っていたとなる
そう解釈すると地名が確かにあり説得力がでてくる
ただ石巻には真野という地名がありその中に萱原(カヤハラ)があり一致している
致命的には一致している,ただ発掘物とか最近の研究ではどうしてもこの辺が真野の草原の地域だとされる,石巻の真野の萱原だとすると遠すぎるのである。
ヤマトから進出した人たらは渡来系のツノガノアラシト系などは末続とか小高の角部内(つのべない)とかありこのナイは小さな川の意味があるからツノベとナイというもともとあったナイとアイヌ語の川という地名が合体したのかもしれない

このツノガノアラシト系に津神社(つのみや)神社が海岸線に多い,これはツノミヤでありツノガノアラシト系の神社だった,それは青森の津軽(ツガル)もツノガノアラシト系であり青森と交流も福島県であった
そしてアイヌ語圏は北海道から東北地方にありその境目がこの辺だった
つまり真野の草原(かやはら)の地点だったのである。
ヤマトの勢力圏に入るのとアイヌ語圏との境目が真野の草原(かやはら)の地点だったのである。
海老が車輪梅の南限の地としてあった,それは自然境界であり歴史的境界ともなり一致していたのである。そういうことは自然境界と歴史的境界が一致することがある
ライン川はローマ帝国とゲルマン民族を分ける境界であり自然的境界であり歴史的境界となっていたのともにている

そして確かに伽耶国というのはなじみがない,でも笠女郎(かさのいらつめ)は前にも考察したけど吉備の出身でありそこは伽耶国と深い因縁があり歴史的にもその証拠がの残されているのである。
笠というのは笠とはなんの関係もなく加佐という韓国の地名だったのである。
笠と名のつくのは韓国系統の名なのである。
埼玉の稲荷山鉄剣に記されていた名に加差披余(かさはよ)がいる,これは笠になった,笠原氏なのである。それは明らかに吉備の国の笠に通じて真野の草原の万葉集の歌を残した笠女朗に通じている,笠女朗は笠系統の人でありそれは渡来人系統にもつながる女性だったのである。何か遊行女婦(うかれめ)のうような女性ではない
古代にあれだけの歌をそういう女性が残せるわけがないのである。
相当に教養がないと残せな歌だったからである。
なぜ古代に渡来人がこんなに関係していたのかとなると産鉄族として鉄を作る技術集団だったからである。だから一方でカヤは鉄と関係していたともされる
海岸沿いに砂鉄があり鉄作りしていたことは遺跡からも明確であるからだ。
そして笠女朗というのは吉備の出身でありここは伽耶国の人が移住した地域であり吉備は真金吹く・・・の歌で有名なように鉄の生産が盛んな所だったのである。
そして吉備は会津とも深い関係があったから福島県全体に深い関係があった

ただこの四つの説でどれが有力かとなるとなかなか判定しにくい,伽耶国といってもこれまた何かまだ証明するにはむずかしい,有力となるのはやはりこの辺一体にアイヌ語地名が残されているというときやはりアイヌ語のカイが有力になる
つまりこの辺全体の地名からその共通性があるからだ
ただ問題は真野郷からはずれているがすぐ隣なのだから辻褄はあうのである。
そこは桜井古墳もあり泉官衙(かんが)跡泉廃寺跡もあり真野郷として一体であったのかもしれない

いづれにしろアイヌ語だとするとそれは今北海道にいるアイヌのことかとなるとこれも研究者の間では明確にされない,今いるアイヌとは別だとされている
その謎は解明されていないのである。

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2017年09月15日

戦後70年で迫られる変革 (男女平等の弊害ー北朝鮮のミサイル-内憂外患)


  戦後70年で迫られる変革

(男女平等の弊害ー北朝鮮のミサイル-内憂外患)


●男女平等の弊害

結局戦後70年は大きな節目になった,明治維新から70年で太平洋戦争になり敗戦から70年でまた大きな変革が迫られる,70年後ごとに大きな変革が起きてくるのが歴史だった。
戦後70年の結果が今現れている,それはいい面と悪い面として必ず現れる
要するにこれもカルマなのである。

戦後は何でもアメリカに負けたのだからアメリカをいいものとして習い取り入れたのである。男女平等とか民主主義の自由だとか権利の主張とかいろいろそうである。
その結果として今がある。
男女平等というとき戦後は教育でも男女平等となり男女が席を同じくするようになった。男女共学になった,これもいいものかどうかわからない,結果的にかえって男性は男らしさがなくなり女性は女らしさがなくなったということもあった
そもそも男女の機能が違っているのだから男女平等というのは女性が男性と伍して働くことは女性にとっても苦しいものでありいいものではなかったのである。

男女平等というとき男性が結婚しないというときいろいろ理由があるにしろ女性の要求があまりにも大きくなりすきだことがある。
女性は男性にとって腫れ物にさわるようなものになりみんなめんどうだから嫌がっているだから結婚しない男性が増えるというとき女性はめんどうだからである。
そして家事も一人暮らしでも困らない社会になったとき余計に一人でいいともなる
そんなめんどうなもなら一人の方がいいとなる

昔だったら女性を召使のようにして使うというかそういう風潮があった,家事が女性の主な仕事であり中流階級でも女中を二人雇っていたのである。
そういうとき女性は男性にとって召使のように見ていたということもあった。
そうなると男性にとっては結婚は必定となる,結婚は今のように女性を特別扱いすることはないからである。それが問題があるにしろ戦後は何でもまた極端になったのである。

いづれにしろ男女共学にしても例えば痴漢でも一緒に電車に乗るから問題が起きる
男女別々の車両にすればいいというのもそのためである。
女性は腫れ物に触るように接していなければならないからだ
女性の要求が大きくなり強くなり男性は小さくなっていなければならない社会になると
男らしさもなくなるのは当然である。
そこにも社会の歪みが生れた,男は男らしくとか女性は女性らしくとかもくなる
だから女性にも異常な人格が増えてきているのかもしれない
女性でもちょっとでも不満があれば離婚するとかなる

結婚しないことで少子高齢化が国力を衰退させるというときそれはいすいろ理由があるにしろ女性の要求が大きすぎて男性はめんどうになる,それに答えられなくなる。
そして家事は自分でしても一人でできる,選択でも食事でもオカズを買えばいいし女性がいらないのである。そうなるとめんどうな女性をかかえることをあえてしないとなるのだ性欲は別な方で処理するとか生身の女性はとにかく男性にとってめんどうであり腫れ物に触るようなものとなっているのである。

● 北朝鮮のミサイルは国難

ともかく現代はあらゆるものが大きな曲がり角にきている,大変革が迫られている
戦後70年の結果が出ている,その弊害が顕著になっている
それはアメリカに負けた結果として日本の主体性が喪失してそうなったのである。
日本には日本独自の国造りがあって良かったのだが敗戦の結果としてアメリカ一辺倒になってしまったのである。
それは教育だけではない,あらゆる分野でそうなのである。
男女の在り方でもそうだし社会そのものの根本的な改革なしでもう日本は存続できない状態になっているのだ。

北朝鮮のミサイルにしても日本では何ら防ぎようがないという,要するに外交とか防衛でもアメリカ一辺倒の時代では成り立たない,何か今日本独自の外交が防衛でも必要だというときもそうである。日本が北朝鮮に働きかける立場にあるというときもそうである。
中国とロシアとアメリカの中で日本が独自の外交が要求されているがこれまではアメリカ一辺倒の外交しかない,だから変革が迫られているのである。

北朝鮮のミサイルにしても防ぎようがない,その国難にもなんら対処できないのである。それはただアメリカ一辺倒の外交しかしてこなかったからである。
そして津浪とか原発事故もやはり大きな変革を迫られる具体的な問題である。
それが自分の住んでいるところにふりかかった大問題である。
これもまた戦後の経済とか科学技術の結果としてカルマとして現れた問題なのである。
個人的にそうだが戦後70年のカルマの総決算みたいなことが起きているのだ。


日蓮の言うように

仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。
賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。
天地怪異し、二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊起こること有らん」と。

国土乱れるのは鬼神だとしている,賊とは国をおびやかすもの,北朝鮮とかである。

臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん

これは上に立つもの政治家,官僚や経済界の指導者とか資本主義社会で暴利をむさぼるものとか格差社会になりそうしたものへの反発が大きくなり社会が乱れる
金持ちから盗んで当然だとかもなり金持ちも危険になる
天地怪異しとかはこの辺に起きた津浪とか地震とか原発事故だったのである。

国難が内部からも外部からも起きてくる,それに対処するにはどうしたらいいのかとなる日蓮だと法華経を信じろとなるが創価などは宗教と何の関係もない,利権とご利益を目指すだけのカルト団体である。
つまり国難の時日蓮系が出てくる,太平洋戦争でもそうだった,日蓮の思想が戦争の理論的なものとして利用されていたのである。
これをすべて現代にあてはめることはできないのである。
時代的に必ず同じようなことが起きるのは歴史もカルマの繰り返しだからそうなる
でも同じようでも時代によって違ったものだから日蓮の言っていることは現代にあてはまらないのである。

●右傾化するのは日本独自の道を見いだすため

ただ日蓮の国粋主義とか国学とか神道系が国家神道化したようにそういうことが起きてくる。つまり明治維新のようにそこに争いも起きてくる
現代は鬼神乱れる時なのことは確かである。
それは個人的にも経験したことを書いた,自分の家が介護状態になったとき狂気のような鬼神が現れたのである。弱者になったとき信じられない人が来た,泥棒がくる,借金した人がきて脅迫する,それは金に狂った人達だったともなる,それも現代の世相である。何かわからないがそれは本当に鬼が自分の家を荒し回ったのである。これせ自分のカルマだといえばそうだった
金のためにすべてが狂わされている,この辺は原発事故の補償金でもめて分断された
人間は金のために狂気化しているのである。

国が弱体化すると鬼神が乱れる

これは家でもそうであり国でも同じである。弱体化した国がどうっないるのか?
それは世界の大国からでも強国からでも内部からでも食い荒らされるのである。
鬼神が跋扈して乱れに乱れるのである。
弱者化することはそれだけ怖いことなのである。それは国にもあてはまるのである。
国が弱体化するというとき軍備力のことではない,国自体が内部から乱れることなのである。

だから明治維新の大改革,戦後焼け野原からの復興,そして今度は戦後70年で日本は大改革が迫られている,だからどうしても右寄りになるし右に同調する時代である。
アメリカ一辺倒時代から離れるには精神的にもそうなるからだ
日本はアメリカ一辺倒であり精神さえもそうなっていた
日本独自の道を進めなかったのである。だから日本独自の道を鼓舞するとき右寄りになる
日本精神を復古させることが維新になる,明治維新に the Meiji Restoration という「回復」と英訳されている,維新というのはすべてアメリカ流にすることではなかった
古来からある日本精神の復古の意味があった
だからそういう日本精神の復古とともにあらゆるものの改革が制度でも望まれているのである。それは戦後の焼け野原となった時代や明治維新の時と同じなのである。
もし日本が改革できなかったら衰退して三流国になり中国とか今度は他の国の隷属国家となる,そういう大変革が望まれている時代だとなる
ではそれを担うのは誰かとなると今の若い人だといときそれだけの気概とエネルギーがあるのかとなるとそうは見れない,そういう自覚もない,ただ本当にそういう危機が目に見えるとき北朝鮮からのミサイルが本当に落ちてきて多数の死者が出たりしたら目覚めるかもしれない,日本は本当に危機を体験しない限り目覚めないからである。

それでもなぜこれだけの原発事故の被害があったのに原発がとめられないのか?
それだけの危機を体験したのに日本国民は原発を止められないのか?
それはすでに原子力文明となっているからなのか?
つまり今の文明に核は兵器としても必要であり核なしでは国が成り立たないということがあるからやめられない,それは滅びに通じている
人類自体が核を捨てられない,そのことが人類滅亡になってゆく

男女平等の履き違いもやはりそれは単に男女の問題だけではない社会全体の問題として生れているのである。国家の問題としても生れているのである。
確かにだから国家としての存立こそ優先されるべきだという「心に青雲」の都築詠一氏のような思想傾向が強くなる,死んだけどやはりそういう人の思想の影響は大きくなる
それは戦後否定されてきたことである。国家とは悪いものだと敗戦の結果否定されてきたからである。それも北朝鮮から実際にミサイルが飛んでくるとなると見直さざるをえないのである。
posted by 老鶯 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年09月13日

東京から故郷に帰る老人が増える (それも困ったことになるのでは?)


東京から故郷に帰る老人が増える

(それも困ったことになるのでは?)


今日駅であったのは昭和11年生まれの人だった,若く見えるから集団就職で東京に行ったと思った

「この駅は変わっていないな」
「これは明治30年建って以来変わっていないです,鉄道マニアが写真とりにきまから」
「わたしは東京に出て帰ってきたんです,東京では車が走っていました」
「そうでか,車は田舎ではみかけなかった,荷車とか荷馬車の時代だった
車がそんなに走っていたんですか」

戦前となるとこれもまた集団就職とは違う,それにしても昭和11年生まれでどうして東京に行ったのか?子供のとき東京に行ったとなる,それはわからないが東京に戦前でも働き口を求めて出た人が結構いるのだ,東京の工場で戦時中働いていた人も知っている
その人はしきりに車に乗っている東条英機を見たと言っていた
自分の母親は女中の仕事で東京に出たのである。
姉も看護婦の免許をとるために東京に出たことがあった
東京とのかかわりはなんかあったのである。

ここで考えたのが一人は集団就職の人だったが実家があって帰ってきた,この人も実家があり帰ってきた,どちらも老人になっているのだ。
するとこれから田舎は東京からなど帰ってくる老人が増える
東京より田舎の方が今度は住みやすくなるからだ,でもこれもまた田舎にとっては困ったことになるかもしれない,なぜなら若い者が働き手がなくてこの辺では困っているからだ80才ともなると介護とかなれば世話する人が必要になる
つまり若い人と違って負担になってくるのである。

何かこれも戦後であれ東京一極集中の経済の問題があった

戦前の銀座通り
戦前の東京

銀座となれば車が結構走っていた,荷車に自転車も走っていた,人力車も走っていた,荷物を運んでいたのが多いかもしれない,その頃自転車自体が相当に貴重なものだったろう。
自転車自体がそんなに普及していない,戦後自転車を自分の家でも買ったが買い換えることはなく,毎日みがいて手入れして使っていたのである。
自分は子供の頃から自転車に乗るのが好きだった,ただ今のような自転車ではなく何か
ごついというか軽快に走るものではなかったのである。

その人は孫か誰か駅に迎えに来ていたのである。
故郷に帰ってくる老人はなまえが消えて東京弁に標準語になっているからわかるのだ
でもしばらくいるとなまりがもどるのである。でも東京弁というか標準語は消えないのである。
だからつくづくなまりは国の手形だというのは今でも変わらなかったのである。

今は駅には長くいない,でもふらっとよると誰かがいる,駅は人が出会う場所なのである警官がきて誰かがあやしいと通報されたことはショックだった
今の時代,みんなあやしいと見れられる,子供や若い女に近づいただけでそう見られる時代である。
だから痴漢を疑われて犯罪者にされるとか問題が起きる
何かそうしたことが常に報道されるから過敏になりみんなあやしいと信じられない時代になっているのだ。
でも信じられる人間も肩書ある人間も著名人でも犯罪はあるのだからこれまたそうなると誰を信じていいのかさえわからてぐなるだろう。
情報にふりまわされ過敏になるのも問題だとだから指摘したのである。

法律ではなんでもあやしいと通報して警官がくるのは「害悪の告知」とかにもなる
害悪がないのに告知する,通報するとそれも犯罪になるのである。
だから警官が来たら氏名を聞いてカメラで写真をとり対抗措置をとる必要がある
なぜなら通報した人は害悪の告知で訴えられるということも知るべきなのである。
そうしなければ田舎で公共の場に出入りできなくなるのである。
現実自分がそうなったのである。その被害は実際は大きかったのである。
ただ今はあまり長居はしない,ふらっとよって誰かいたら話する
そんな程度だと誰もあやしいとはならないだろう。
こうなるとボランティアでもないとなる
ボランティアだったらもっと何か役にたたないとならないからである。

いづれにしろこんなに小さな田舎でもいろいろな人が出入りしていることは意外だったのである。

失われる文化の多様性 (交通,科学技術の発達で一様化される社会)


失われる文化の多様性

(交通,科学技術の発達で一様化される社会)


多様性とか文化とかはどうして作られるのか?
その基本は地理と地形とかがベースになる
相馬藩内で多様な場所に住んでいるのである。
その住んでいる場所で気持ちが変わる

大倉村でも戦後開墾に入った木戸木は大倉村から七曲がりの坂を上りまた草野に行くのにも七曲がりの坂を上る,大倉に店が一軒あったからそこまで買物に行くのにも半日かかりになってしまうだろう。車がなかったらそうなる
今になるとなぜそんな所に住んでいたのだろうとなる,それは戦後は働く場所がないのでやむなくそんな不便極まりない所に住んだのである。

あのような場所に住んでいると人間はどんな気持ちになるのか?
そこには確かに何度も行っているけど住むとなるとまた違う。
まさに秘境なのである。ただ日本は地形が複雑でありこうした辺鄙な所に住んでいる人がいくらでもいる,日本の多様性は日本の風土から作られたとなる

相馬藩では飯館村は一番特殊な地理的環境にあった,高原の村であり夏でも涼しい,そして森におおわれた村である。それでいつもそこは花が他より美しく咲くのである。
その環境が花を美しくさせていたのである。
その土地土地に独特の気がある。その気が飯館村では違っていた
それが原発事故でだいしなしにされたのである。

人間はそもそも多様な地域に住み生活していた,世界的にみればさらに多様な風土に住んでいる,草原で遊牧生活するもきもいるし砂漠でも人は生活している
多様な風土で暮らしていることに文化の多様性が生れる
その多様性があって人間の生活は文化が形成されて人間を豊かにしていった

ところが交通とか科学技術が発達すると鉄道とかでも世界を均質化するのである。空間の均質化が起こる,その土地土地の個性的なものが均質化してゆく
沿線には同じような街,銀座通りとか東京のまねをしたようなものができる
江戸時代だったら村でもみんな違っていた,それは他の村と交流もないとういことで個性的になっていた。
鉄道が通ると均質化してみんな同じようになってしまうのである。

そして国自体が無個性化してゆく,国は日本などでは戦争に負けた結果,常に否定されてきたのである。国家とは悪いものだとすりこまれてきた,だからアナーキーになっている無国籍だとかしきりに言うのがかっこいいとなったのである。
それは世界的兆候なのである。第一グローバル社会といのうは国家の障壁をとりはらうことを目指しているからだ,
国家より多国籍企業のように国家を越えて活動することを望むだから国家を否定するようになる,
資本主義社会でも共産主義社会でも国家は否定されているのである。
マルキシズムの思想には国家と民族は否定されるからその文化も否定される
それは資本主義でもグローバル社会でも同じなのである。

そして移民も受け入れて多様性を受け入れるとなったがその反動がきている。
移民の国,アメリカですらトランプがでてきてそうなっている
文化はcultureはその土地土地をcultivateすることによって作られてきた
例えばワインなどでも土地の名前がつけられたものがある,日本酒でもそうである。
その土地土地によってその土地で耕したものたcultivateしたものから生れてくる
別に文化というとき芸術というのではない,全体のことだからである。
ただその時相馬藩内とか狭い所でも多様性が失われるのである。
相馬藩内と三春藩内では家の作りまで違っていた,それは文化が違っていたことなのである。

だから少子高齢化で限界集落が増えて消滅してゆくことはそうした多様性が失われる
でもその多様性がありえたのは貧しくてもその土地に根付いた自給自足の生活がありえたからだったのである。
そこに便利な生活になったとき,交通も発達したとき,電気なしで車無しで生活できないというときそうした地域の生活は失われる
そのインフラ維持するだけで100倍のコストがかかるとかなるからである。
その負担は都会の人が東京の人が払うとなると不満が生れる

そんな限界集落などいらないとなるのである。
そしてコンパクトシティにしろとなる
それだとインフラでも福祉でもやりやすいからである。
飯館村辺りだと一軒一軒離れていると回るだけで時間がかかるからである。
現実に原発事故で避難区域になった町や村はそうならざるをえない
農業とか林業していた周辺地域には人は住めず町の中心に人が集まって住む

飯館村だと草野辺りが中心となり周辺の広大な地域は元の森にもどってしまうのかとなる
日本では狭い国土でも風土が多様性に富んでいる,沖縄と北海道は別世界にもなる
相馬藩内でも飯館村は別世界のようになっていたのである。
だから日本は意外と中国などを旅するより変化に富んでいるからあきないということがある,どこまでも平坦な土地がつづき大きな川が流れているだけの風景は飽きるのである。
ともかくその土地土地の風土とか文化があることによって世界は豊かなものになる
それが失われるとき世界は文化的には貧しいものとなる

熊の湯に蝦夷竜胆や羅臼かな

熊の湯というのは羅臼にある露天風呂である。 蝦夷竜胆というのが羅臼に咲いていた,それは普通の竜胆より大きいのである。
蝦夷とつく名が多いからいかにも北海道らしいとなる
その土地土地ににあった花が咲くというのも文化なのである。
都会というときどこも均質化しているからかえってつまらないとなる
京都とか奈良とかは歴史がある故に違っているが他は何かにたものが多くなっているからである。均質化して多様性が失われる
posted by 老鶯 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2017年09月12日

都築詠一氏の芸術論などの再検討 (習うから技を創りだす・・・)


都築詠一氏の芸術論などの再検討

(習うから技を創りだす・・・)


人類はこのスポーツでも藝術でもなんでも技の創出は「創る」と「使う」が意識されずに要するに習えばよし、努力すればよし、繰り返せばよし、としてなされてきた。
//kokoroniseiun.seesaa.net:80/article/435441083.html

都築氏は天才ではない,普通の人である。人間が模範にできるのは天才ではない,天才は異常なエネルギーが生来与えられた人である。
天才は努力なしで会得する,武道でもそうである。宮本武蔵などももともと天才だったのである。武道家になるために生まれついていたのである。
そういう人はスポーツ界でも芸術分野でも仕事の分野でも医療界でもいるだろう。
何か仕事をさせるとできる人とできない人がいる,それは大工などでもそうである。
でも最初からその人ができる人とは限らない,仕事をしているうちに内なる才能が目覚めることもある,だから学問だけでは人間はものにはならない

手術がうまい人はもともと手先が器用でないとできないとされている
だからいくら一流の大学を出てもものになる人ならない人がいるのである。
それはどの分野でもそうであり農業だってそうなのである。
農業で成功するのも相当にむずかしいから成功する人と失敗する人がある。
料理の分野でもそうである。個々人でも料理を創り出すことはむずかしい
介護してから長い間料理しても一つも自分の料理を創りだすことができないのである。
そういう人はまさに天職としてその仕事についたとなる

ともかく天才的な人はいる,そういう人は模範にできない,そういう人は努力なしでなれるからである。普通の人は努力するほかないのである。
都築氏は武道にしても空手でも努力して会得していった人である。
もともと虚弱だったというのもそうである。すると虚弱でも強いものになれるという南郷派の教えに共感したというのもわかる
そして毎日裸足で歩いていたとか絶えず鍛練していたのである。
強くなるために涙ぐましい努力をしていたとなる

ただ技を創出するとなるとよほどの人でないとできない,なぜなら武道でも型を覚えることでありその型を覚えるだけで精一杯なのである。
そこから型を一歩踏み出して新しい技を形を作り出すことは至難なのである。
だから良く古い武道を伝える家で模範演技の形を演じるけどそれは代々伝えられたものであり新しい型を作り出していないのである。
それはあらゆる分野でも伝統芸でもいえる,華道でも今はフラワーアレンジメントとなったように今までもの華道と違ったものとなっている
新しいものを取り入れるようになる,和洋折衷になるのである。

でも基本的に習えばよし,努力すればらし,繰り返せばよしというのがある
技を「創る」となると実際はその形を習うだけで精一杯でありそれを越えてまた新たな技を作り出すことは並大抵のことではないのである。
自分のパソコンのソフトを使っての抽象画は技を創りだしたものかとなる
それは自分でも不思議だったのである。その評価はやはりアメリカの人が定期的に見ていることである程度は評価されているとなる
ただ著作権違反になるかもしれないこともありわからない面がある

都築氏で興味をもったのは陰謀論などではなくこうした芸術とか人生とかを語る時であるただどうしてもプログは時事問題が日々のことを書くから入ってくるのである。
だから時事問題について書いたものも多いのである
ただ時事問題について書いたものは後世に残らないかもしれない
なぜなら次々に事件は起きるし時事問題は限りなくある
そして事実は無数にあるというときその事実をとても検証などできないのである。
歴史が事実だというときでも事実は無数にあるからそれをいちいち知ることも取り上げることもできないのである。

ただ彼の芸術論と人生論とかはそれは人間の普遍的な問題だから後々まで残るということがある。それを残されたログから再検討してゆく価値はある
都築氏の全貌はまだわかりにくい,ただ死んだことで検討しやすくはなったのである
タグ:芸術論

2017年09月11日

戦後引揚者の歴史は見逃せない (飯館村の大倉の木戸木は最も辺鄙な開拓者が入った土地)


戦後引揚者の歴史は見逃せない

(飯館村の大倉の木戸木は最も辺鄙な開拓者が入った土地)

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真野ダムから木戸木に入る

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木戸木にあった半鐘 -ここはそれなりに一部落を形成していた 



飯館村の大倉から七曲がりの坂を上ったおりた所に共栄橋とかありおそらく十軒くらい家があったかもしれない,今でも家五六軒残っている
ここは草野まで行くにもまた七曲がりの坂を上らねばならない
本当に閉鎖された最も交通不便な土地である。
地名として木戸木となっている

飯館でも長泥とか比曽とか佐須とかあるけどそれらは比曽とか佐須は焼畑地名である
そのことは何を意味しているのか?焼き畑していたということはそれだけ古くから人が入っていたということであり人が住んだのは実際は相当に古いのである。
飯館村は縄文時代でも浜通りより古いとかあり山の幸があり暮らしていたとなる

飯館村は新しいようで意外と古い時代から人が住んでいたのである。それは縄文時代にさかのぼる。大倉村というときこれも相当に古い,大倉の葉山ごもりという祭りも古い。
真野ダムができる前に集落がダムの底にあった,その時から自分は行っている

ただ山村でも誤解しやすいのがそういう古い村があるのだが戦後に戦争からの引揚者が土地を求めてどこにでも入ってきたのである。
戦争から引き上げても街は焼け野原になっているし何も仕事かない,どうして食べていこうとなれば農業しかない,それで開墾に入った歴史がある
それは街から近い鹿島なら今菅野漬け物屋の倉庫がある所にも戦後引揚者が開墾に入っていて自分はその家に子供の時行っていたから知っている,家で店をはじめて卵を買いに行っていたのである。その時真野川をわたる橋は土橋であり時代劇にでてくるような危険な橋だった,ゆれるし怖い橋だったのである。

卵は自転車で運び糠に入れていたのだが必ず割れていたのである。
そもそもなぜあんな近くに開墾に入ったのかというのがわからないがとにくか農業するために土地を求めて入ってきたのである。
その人は父親が双葉の新山と酒作りしていた仲間だったのである。
その生活は実際は貧困のどん底だった,子供のときだから良くわからなかったが戦後十年は何度も書いているが日本全体がどん底だったのである。
自分の家は店をはじめて早めに豊かになったが山村が豊かになるのは遅れたのである。

それより不思議なのは大倉からさらに七曲がりの道を延々と上る,そしてそこにわずかに開けた土地がある,そこで田んぼがある,そこからまた草野に行く道はさらにもっときつい七曲がりの道なのである。
そして最近できたのが別な道である。そこはまっすぐなので車も通りやすいのである。
今は道になっているがそこは森におおわれて小川にそって隠された細い道があった
そこは神秘的な場所だったのである。人がまだ踏み行ったことがないような神秘的な場所であり春になると大石がありその脇にキクザキイチゲが残雪のように咲いていた
そこはまず人はほとんど通らないのである。
そこはまた山の陰になっていて何かそれで神秘的な場所だったのである。
飯館というときあそこは一番神秘的に感じていたが舗装された道になって失われたのである。

ともかくあそこには人が住んだのは戦後である。共栄橋というのは戦後開墾に入った人達が住み名付けたのである。そういう場所は日本中いたるところにあるのだ。


全国で21万1千戸が開拓地に入植し、105万6千戸の既存農家が開拓地に農地を取得した。開墾施行面積は、44万9千haであった。しかし、開拓地の営農は困難を極め、開拓を諦め離村した者も多く、21万1千戸の入植者のうち開拓行政終了時点で入植を継続している戸数は9万3千戸と、半分以下に減っていた

戦後開拓地のうちには、大規模な国営開拓により、酪農等のモデル的な大規模営農が成立した地域[1]がある他、入植者の努力により畜産や果樹・蔬菜などの産地形成に成功した地域[2]もあるが、一方で営農条件の悪い地域も多く、特に山間部の小規模開拓地においては、開拓行政に基づく手厚い営農指導にもかかわらず、土壌や気候等の劣悪な環境の下営農基盤を確立できず、全戸離村に至った開拓地も多い

この戦後引揚者の問題は戦後の大きな歴史である,なぜなら今の山村であれ街の近くの農地でもそうした引揚者が開墾に入っているからその影響が大きかったのである。
もともと古い村があってもそのあとに開墾に入ってきた人達が必ず村には混じっているからである
相馬藩では天明の飢饉で三分の一に人口が減ったが越中からの移民で穴埋めできたのともにている,相馬藩ではそうしした越中からの移民などはやはり耕作には適していない土地を開墾するほかなかったらかである。それで苦しいので加賀泣きという言葉が残っているのである。

21万1千戸の入植者のうち開拓行政終了時点で入植を継続している戸数は9万3千戸と、半分以下に減っていた

これほど厳しかったのである。

これでもわかるようになぜ大倉村でもそこから七曲がりの道を越えたわずかな土地を開墾して暮らしたのか?あんなところでどうして暮らしたのか?
炭焼きなどで煮炊きはできた,清水が流れているから利用した,全くそこは自給自足しないかぎり生きていけいなのである。田んぼで米をとれたとしても土地が狭いからわずかなのである。
ただ戦前から戦後は木材の需要が多いから大倉のばあちゃんが俺は相馬の女学校出たんだよと言っていた,山持ちで金持ちになっている人が山にはいた,なぜなら木材は日本のものをみんな利用していた時代だったからである。
なんか自分はそうしたそこに暮らしている人に興味をもたなかった
自分は森に覆われた小川が流れている原始のままの自然状態に惹かれていたのである。

でもそこに人が住んでいて暮らしがあった,それは地形的に隔絶されていたのである。
でも十軒くらい家があった,自分が行ったとき車で帰ってきて家にいた人が見えた
何か半鐘などもあった,だから開拓村として一部落を形成していたのである。
でも交通が不便だから大倉に草野に出るだけで大変な労力が必要だった
車がないのだから徒歩なのか馬なのかそこは地形的に閉ざされているのである。
飯館村でも他は古い村であり昔から生活していたのである。

人間はなぜそんな不便な土地にあえて住んだのか?それは住む所がない生活する場がないから住んだのである。
田から前にも書いたがそういう時代と比べると飯館村でも原発事故で避難区域になった所は確かに無惨なのだけどその当時の開墾者比べればましだともなる
贅沢しすぎてもうそんな極貧の生活などしたくないのである。
隣の街に行けば今まで通りの贅沢な暮らしができる,補償金もたんまりもらったらそこで暮らした方がいいとなるからだ
その時代の差があまりにも大きい,だから越中の移民を見習いとか戦後の開拓者を見習いといってもそんなことをあえてする人は誰もいないとなる
その時そういう生活するほかない,強いられた時代だったのである。

とにかく飯館村は本当に広い,木戸木というところは自転車でまず大倉まで上り次にまた長いまがりくねった坂を上り出る,そこからまた七曲がりの道を上ってゆくから閉ざされた秘境だともなる
戦前でも何かこうした閉ざされた秘境のような所に住んでいた人は多い
なぜなら農業とか山林でも林業とかなればそうなる
福島県の檜枝岐は秘境というけど近くにそうした秘境があり人は自給自足を基本にして生活していたきである。
つまり秘境はいたるところにあった,それがあまりにも便利になり車でどこにでも行けるとなったとき秘境は日本から消えたのである。
自分としてはだからそういう社会はつまらないともなる
ただ飯館村は広いからまだ未知の場所がある,今回草に埋もれ石も発見したことでもわかる
道は未知への世界いざなう,それが飯館村とか阿武隈高原にある,いく筋もの道が山間に通じているからである。そこを自転車で行くとき未知(道)への旅をしているのである。
サイクリングだったら飯館の阿武隈高原を行くのが楽しいと思う
六号線とかなると車だらけであり嫌になるからだ。

いづれにしろずいぶんなの辺を自分は自転車で走った,それで今回久しぶりで遠くに行ったのである。十年間は介護で遠くに行けなかった,そのうち体力がなくなり行けなくなった,でも今回は前に気ままに阿武隈高原の道を自転車で行ったことを思い出したのである
posted by 老鶯 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2017年09月10日

飯館村の道の駅,までい館オープン (久しぶりに飯館村を回る)



飯館村の道の駅,までい館オープン


(久しぶりに飯館村を回る)


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山鳩は飯館村にあって良かったが男女の像は都会的であっていなかった


夏菊や明るさ満ちて遠出かな

黒揚羽とまる朱きや彼岸花

黒揚羽日影の長く舞いてゆく

黒揚羽舞いて隠りぬ森深し

道の駅人々休み芙蓉かな



峠越え森の中にそ石一つ苔むし静か秋の日さしぬ

秋の蝉鳴くもあむれも飯館に帰る家や夕暮れぬかも

森深み秋の蝉鳴く余韻かなその声聞きつ夕暮れぬかも

石一つ草に埋もれて奥の道野菊咲きそめ人知らじかな

この辺り人の住まじも草うもる石の一つに野菊咲きそむ

道遠く我が迷えるや秋の陽の山の間に没り我がひきかえしぬ

飯館は実りもなしに荒れ果てぬいつ帰らむや秋の日暮れぬ

草埋る石一つ

人の汚き息のかからじ
しんとして人も通らぬ
奥の山の道の辺に
草に埋もれて石一つ
人知らずありぬ
野菊数輪はやも咲くかな
その花けがれなきかも
その石に向かいて咲きぬ
人住まずなりしも
花は変わらずここに咲くかな

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飯館村へ一年半ぶりとかに行った気がする,それより今年は7月ころから自分は病気になっていた,熱中症にもなり暑くて体が弱り遠出できなかった
今日は秋めいて涼しいのででかけた,まだ夏のような感じもして夏菊が栃窪に咲いていたとき気持ちよかった,そして飯館村をまわりひさしぶりに旅の気分を味わった

飯館村の道の駅はすばらしい,ただあそこだけが飯館では復興した感じである。
近くのきれいな住宅は子供も一緒に住めるように作ったと聞いたが住んでいたのは老人だけなのである。それは小高とか原発避難区域とにている。
若い人たちは帰らないから子供も帰らないのである。
学校がまだ開校できないのか通っても外から通うし飯館に住まないのである。

つまりどこでも立派な建物は作る,肝心のその建物を運営する人がいないのである。
飯館村には立派な建物が老人ホームでもできている,ではそこに働く人がいるのかとなると不足しているのだ。そもそも肝心の人が帰らないし住まないのだから復興はないのである。

道の駅のまでい館は立派である。釣り花とか芙蓉が咲いていた,芙蓉は前にも飯館村で書いたがあった花である。おおらかにゆったりと山中に咲くということであっていた
飯館で常に感じたことは花が他に咲くより何か本来の野生の美しさをもって咲いていた
それはいつも不思議に思ったことである。
それは森が深いと草深いとか何か原始性が残っているためである。
雰囲気が他と違うのである。

彫刻として山鳩をあしらったのは良かった,森が深い飯館村には山鳩が塒(ねぐら)となりあっていた。ただ男女の像は何か都会的であっていなかった。
やはり都会人が作ったものだかそうなったのか,何か木とか花とかをイメージしたものが良かった。こういうのはそこに住んでいる人が作るのが理想的だしそうでなくても
そうしたことを聞いて相談して作るべきではあった
その土地柄にあったものはなかなか外部の人にはわからないことがあるからだ。
ただあの釣り花とか芙蓉を飾ったのはあっていたのである。


それで今回感じたのは道に迷ってずいぶん遠くに行ったなと見たら草に埋もれた石があった,そこにすでに野菊が数輪咲きそめていた,それが他で見るより何か汚れなくきれいに見える,その辺りの雰囲気がそうさせているのである。
それはいつも感じていたことでありまた発見したのである。
ただそこに人が住んでいないということは奇妙なのである。
一応家々があるから人が住んでいないとも見えないのである。
わずかだが帰っている人はいる
でも荒れ果てた荒野にもどっている

そして人間は村でも人が住まなくなるなるとどうなるのか?
例えば秋の蝉が鳴いている,それは人が住んでいてその声がひびくとき人にひびいているのである。
では人が住まなかったらどうなるのか?それは原始の森にもどりそこにひびくことになる
でもその声を人の住まない森で聞くのとは感じが違ってくる
秋の蝉というときやがてはもう聞こえなくる消えてゆく蝉をイメージする
それは人間でもそうイメージしているからである。
人が住まなくなればそのようにイメージできなくなるのである。

ただ道がつづいていて人がまれではあるが通る,でもまだ除染の人とか家の解体工事とか仕事している人がいるが人は住んでいないから変なのである。
ただ人がまれでも通ることで死んだとはならない,完全に原始状態にもどったとはならない,だからこそ草に埋もれた石を詩にした,詩にすること絵にすることそれは人間化しているからである。

そしてもうこの年になると自分は旅してきたが遂に伝説化してくる,自分は何かその草に埋もれた石となってそこに埋もれてゆく感じになる
旅路の果てに遂には遠い奥の道の人もまれにしか通らぬ,草に埋もれた石となる
それが自分にふさわしいとつくづく思った

ともかく久しぶりに旅の気分を味わった,日差しが弱くなったのとやはり秋なので風が涼しいからそれほど体は疲れなかった,まだ行けるのかとも思ったがあとでまた疲れた
旅は道に迷うがそれが旅なのである。気ままに別れ道があったらどっちに行こうかとか行くのが旅である。車だと旅にはなりにくい,別れ道といっても何か歩いたり自転車で行くのとは違う,前に阿武隈高原の魅力は道にあるということを書いた
道が延々とつづいている,それも山の中でありそれが魅力なのである。
浜通りになるとそういヴ魅力に欠ける,やはり山の中ということでその魅力が生れていたのである。だからまた飯館から川俣とか三春とか行ってみたいとなった
そうなると一日では行けない,体力的にはかなり苦しくなった。

阿武隈高原の魅力は道にある
posted by 老鶯 at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2017年09月08日

ソバナの花-月(小池の墓地)


ソバナの花-月(小池の墓地)

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秋の雲ホールにねらい定かな

にぎわいぬパ-クゴルフ場秋の蝉

夕月や数羽の鷺の巣に帰る

虫の音や大き家に我が一人かな


月澄みて今日ものぞくや我が部屋をものしずかにして文を書くかな

小池なる墓地にあわれや草むしてソバナの花あまたうなだる


今年はなんか天候が変だった,梅雨が長引いた8月末までつづいたようになり最近晴れた感じは秋なのだが夏のような気もする,今日は残暑のような気もした
パークゴルフ場はにぎわっている:そこで鳴いているのは秋の蝉なのか夏なのかわからない,蝉といえば夏だからである。

ソバナの花といえば墓地にあっていた,死者は何も言わない,ソバナの花がそこにうなだれ咲いている,小池に行ったのはコモドインの食堂に行ったのである。
小池ではあの墓地が目立つ,あとは古墳くらいである。
自転車だと結構遠い感覚にもなる
土地土地に感じるものが違う,だからそうした部落がなくなったりした田舎の魅力は半減するだろう。

月がものを書く自分の部屋をのぞいている,やはり月は秋である。
虫の音が大きな家に一人いる自分に向かって鳴く
その声に耳を澄ます,何か一人くらいならなんとか世話できる
家に来ているのは一人だけだからである。
それもいろいろ問題がある
今日も今も窓には月がでている,満月である。 

水墨画

水墨画


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タグ:水墨画
posted by 老鶯 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年09月07日

土手 の道でで同級生と昔話する (病気から見違えるほど回復していた)


土手 の道でで同級生と昔話する

(病気から見違えるほど回復していた)


今日土手で自転車に乗っている脳出血で一命をとりとめたきいた同級生とあった
その人は只野という人で南北朝時代,霊山から逃れてきた人を先祖にもつ古い家だったのである。
鹿島には只野性が本当に多い,それはその時逃れてきた武士の子孫なのである。
ただなぜ鹿島の街内だったというのが謎だった,というのは街内は新しい人が入ってきているのが多いからだ。
ただ鹿島でももともと鹿島村だったのである。でもその規模が大きいのである。
そこは平地が広がっていたからそうなる,それで橲原田(じさばら)とうい地名が鹿島町誌に残っている,今はない。
橲原の人が土地を求めて開いたからその名がついた,なにかこれもわかりにくい,
右田の人が橲原に肥料として草刈る場を所有していた
するとそこに右田という地名がついてもおかしくないのである。
ここに橲原田(じさばら)となった理由はわからない。

その同級生は例えば駅前の自転車屋が実は自分の家を間借りしてはじめたという,それは今自転車屋をしている人の父親である。だからその子供のときを知っているという。
ゆして不思議なのはそこに開業医があった,それを知っている人はもうかなり少ない
それをなぜ自分が知っていたかというと母親からそこで幼児の時注射してその傷跡が今でも太股に大きく火傷のようにして残っているからである。
だから医者は下手の人にかかるとひどいことになる
その頃はおそらく医療の技術は遅れていたからである。
つまり医者で一生の傷を負う命取りにもなるということである。

何かその頃町医者が多かった,それは今のように大きな病院がないからである。5軒以上はあった,内科であり歯医者も多かった,それだけ子供が多い時代であり繁盛した。
その時は主に子供とか若い人が医者にかかっていたのである。
今のように老人ばかりがかかっていたのではないのである。
そういう時代の差があった
自分の姉は保健婦だったから医者とはかかわっていたのである。

その人は相馬高校を出て東北学院に電車で通っていた,東北学院はこの辺ではポピュラーな大学である。ただ東北大学とかなると雲泥の差がある。
この辺がまぎらわしいのである。京都大学と京都産業大学とかなると雲泥の差があるのと同じである。
その時大学に出る人はクラスで4,5人だった,その人は兄は東京の法政大学に入ったので
地元の東北学院に入ったという
ただあの人は故郷を出て生活をした経験はないみたいだ,東北学院に通ったとしても故郷を出たとはいえない,自分は大学は東京だから同じ程度の大学でも違っていた
その相違は自分にとって郷里を出て一人生活することはやはり精神的自立することになったからである。故郷を一度も出ないものは何か精神的自立をしにくいように思う。
ただあの人もともとコミニケーション能力があった,そういう性格は変わらない
自分には社会性とかコミニケーション能力が欠けていたのである。
こうして他人と話するようになったのは60代以降強いられてそうなったのである。

自分にとって大学に入ったことは勉強することではない,勉強は嫌いだったし学校にはなじめない性格だった,ただだから家を出ること故郷を出ることが自分の望みだったのである。今でも故郷を出るという志向が自分にはある
あの時代は東北大学に入る人が4,5人でもいた
原町高校と相馬高校でもいたが今は全くいない,それだけ高校生の数が減ったからであるあの時は人が多いからその中に優秀なものも出たとういことである。

ともかくあの人も郷土史を勉強している,あれだけ古い家の生まれだから当然家には一番興味をもつからである。何か古いもの,お宝が残っているらしいがそれがいつの時代のものかはわからないらしい。
郷土史とかはおばあちゃんとかおじいさんとかの話を聞いて興味をもつということを前に書いた。
その人の父親は戦争の空襲のことをノートに書いていたという,鹿島でも爆撃されて死んだ人がいたのか?そのノートに記してあったという,原町の被害は大きかった
飛行場もあり相馬農業学校は爆撃で燃えた,その近くに母の実家があり母から防空壕に逃げた話を聞いている,防空壕の蓋が飛行機が飛んできて舞い上がったとかあるから相当に低空飛行したのかもしれない,そうなったのは相馬農業高校が近くにあったからである。その実家も今はない,墓だけが残っている

自分の家のことも二代くらいだが一人になって昔をふりかえる
家で店をしたとき姉が古い自転車で農家に野菜を買いに行ったことが思い出される
それは役場に出勤する前でありその野菜を積むにも相当な力が入る,女性では簡単にできないのである。その量も多いからだ,でも姉は力持ちだからできたのである。
その野菜を売っていたのが母だったのである。
何か必ず家々にはこうした物語が残っているのである。
一軒一軒の家が郷土史なのである。この辺ではどうしても原発とかかわることが郷土史になってしまった,原発の恩恵を受けていたことが多いのである。
だからあまり東電を批判できないとなっているのである。

その同級生は本当に二年前にあったときよりすっかり回復していたのは驚いた
一時間以上立って話しているのに疲れたとも言わない,二年前だったら立っていられないだろう。二年間の間に相当回復したのである。
もともと脳は損傷しなかったからそれが良かったのである。
そして脳出血は時間との勝負であり早く治療して南相馬市は前に新しく脳出血センターができたように副委員長が専門的に優れているから若い研修生も習いに集まるほどである。そういうことで幸運が重なりあんなに回復したのかもしれない

いづれにしろ団塊の世代も年でてある。昔を語る人となった,まず自転車屋の前に開業医院があったことを知っている人はほとんどいない,自分は母親から太股の傷のことで聞いてその医者のことを思い出したのである。
注射によって傷が広がったのである。
その医者によってつけられた傷だったのである。
それを恨みに思うももうその医者は5とっくの昔に消えているのである。
ただなんらか昔のことが傷として体に残っている人はいるかもしれない
そういうことは長い一生の間にはある

その人はおくさんもいるし子供がいるから娘は千葉にいて常磐高速でしょっちゅう行っているという,世話する人がいるから病気になっても良かった,今はのんびり庭の手入れをしたり自転車に乗ったり車を運転して楽しんでいる
それにしてもあんなに回復することは驚きである。
やはり脳がやられないから良かったのである。脳がやられると体が麻痺するからである。
やはり近くの同級生は隠れ脳梗塞があるということを言っていてそれがずっとあとにまた脳梗塞になり脚に麻痺がきてびっこになりやっと歩いて買物していた
車があるから買物もできている,まだ車は運転できているのである。
近くでもあれでは買物もできなくなる,一人暮らしだけど一週間に一回くらい弟が世話している,その人も最近母親も死んだので一人暮らしなのである。

団塊の世代は過去をふりかえる時代になった,その歩んだ人生は違っている
その人は普通に勤めて結婚して子供をもうけていたから変わったものではない
最近インターネットだけで知ったプログを最後まで書き続けた人も死んだが同じ世代である。その人は透析を17年間もしていたというからこれも驚きである。
必ず60代から病気がでてくる,そして死ぬ人も出てくる
タグ:団塊の世代
posted by 老鶯 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

死後にひびく言葉 (「心の青雲ー都築詠一氏へ献げる詩)


死後にひびく言葉

(「心の青雲ー都築詠一氏へ献げる詩)

(君のからだ,日常振る舞いは極上のものか,死んだら君は極上のものとなる)
ホイットマン(草の葉)
  

死後にその人の
重い言葉がひびきわたる
崇高なる峯のように
荒々しい山嶽のように
そそり立つ巌のように
不浄を拒否して
そは天に聳え立つ
風雪を帯びて厳しく
烈風はその高峰に唸る
氷河にも閉ざされて
銀河をちりばめる
崇高なるもの目指せしもの
そはその途上に倒れぬ
高潔な死者の霊はそこに宿る
しかし死後その言葉は
荘重にひびきわたる
硬質な鋼鉄のような文体
その言葉を受けるものは誰か
その厳しさには人は耐えかねる
それは天上よりの声となりしや
死後にその言葉は重くひびきわたる

死んだら極上のものになるといってもみんなそうとは限らない,その人が生きたものが極上だったら極上になるん,生と死は切り離せないのである。
ただ死ぬとその人を客観的に見れる,生きている内はその人の欠陥などの方を指摘する
でも死ぬと人間は美化され祭り上げられたりもする
過去が江戸時代でもみんないいものではないが過去を理想化し美化しやすいのである。

「心に青雲」の都築氏はプログでしかしらない,ただずいぶん長く読んでいた
旧プログ時代からも読んでいたとする長い
するとそれだけ毎日読んでいたらその人の思想とか何かに染まる
何か文章に独特の張りがあった,やはりプログで表現するものと本とかで表現するものが違っていたためだろう。その文体が過去の伝統的なものと現代的なものがミックスされたということもあるだろう。
インターネットだと生放送のようにもなり話し言葉になりやすい面があるからだ

何か近寄りがたい厳しさが文から感じた,人間も簡単に近寄れるような人,語れる人だとたいしたことがないともなる,彼はマスコミでも何かバーに出入りする文人仲間でも
そういう人と相互浸透するから交わらないと言っていた
A型で潔癖症だったともなるがそもそもマスコミでも何か商業主義の場だから汚れる
そこでは出版社でもそうだがもうけるために適当な大衆受けする人を作り上げるのである芥川賞なんかそうである。そういう世界を相互浸透するからと嫌っていた
結局そういう世界を拒否するとき孤高となり社会から隔絶してしまう
でもまた逆にしきりに社会性を言っていたのはアウトサイダーとは違っていた
その辺が良くわからないことがあった

いづれにしろ死んだということでその人のことを語り安くなることは確かである。
生きていたらとても語れないからだ,現代では70才の死は早いとなる
ただすでにその年で死んでいる人は結構近くにもいる
自分もすでにそうして死は真近なのである。
タグ:都築詠一

2017年09月06日

談論サロン天寿道(掲示板より) (立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)


談論サロン天寿道(掲示板より)

(立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)

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木を降りることになりますが、サルは本来の足も手になってしまっているので、歩くのは得意ではありませんので極めて危険です。そこで木からあまり離れたところには行けませんが、この木に登ったり下りたりの繰り返しの中で、認識的には木の上にあやふやに認識と降りてのしっかりとした認識の繰り返しの中で、天空のあやふやの像と地上のはっきりとした像との交互的相互転化の繰り返しによって、その中で、空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって、

この人間の見方も面白いと思った,前に歩くことの効用を書いた
人間は猿のように木に留まっていたら人間にはならなかった

人間は大地に立ち歩くことによって人間になった

立つこと歩けることが人間の認識と精神を作ったとなる
動物を見れば四つ足であり立つことはない,ただ歩いてはいる,しかし立って歩くのとは違う。動物は常に下を見て餌を探すために歩いている

人間は立ち歩くのは上を見るためである。上には実際は天であり銀河であり餌となるものがないのである。でも人間は天を仰ぐのである。天なる所にいる神を仰ぐのである。

そして立つということは人間を人間たらしめたというとき木をみればわかる
木は立っているのである,すると人間は立つことによって木と同化する
木の上にぶら下がっていたらそういう認識は生れない
大地の上に木のように人間は立つのである。木は最も人間に親しいものとなるのはそのためである。

英語でもstandからunderstandとかは理解する,認識するとなっているからだ
そして立つことから人間の自然への認識がはじまった,まず木の上にぶらさがったり四つんばいの状態では認識は生れない,ただ日々餌を探すということに終始しているだけになる,立つことは天を仰ぎ星を見ることにも通じている
そして立つことによって木への認識が生れた結果神殿も生れたとなる

そもそも神殿の柱は木を模したものだからである。木が実際に人間になっているのもあるからだ。立つことにより木の認識が生れ神殿が生れたともなる
列柱というときそれは森の木が列を成していることだからである。

心に青雲の都築氏の弁証論などはわかりにくい,ただこうした立つこと歩くことから認識論を展開するとわかりやすいのである。
自分は常に田舎で木とか石とか森とか山とかと同化することで詩を書いたりしてきた
だから自分の思考は自然の像と常に結びついているのである。

ところが東京とか横浜であれだけの大都会になるとそうした自然の像がないのである。
像で考えろというときその像たるものがないのである。
そこに「心の青雲の都築氏の認識論が深まらなかった結果なのだろう。

哲学があるとする宗教でも詩が必要なのである。そうして総合的なものとして学問でも芸術でも何でも結ばれるときルネサンスが生れたのである。
そういうことで都築氏は何か理解しにくかったのだが社会性とか歴史の中での芸術を見ていた,芸術でも社会と切り離せずあるというのは本当である。

例えば絵画は建築の一部としてあり荘厳なカテドラルは一つの総合的なものとして結実である。ヨーロッパの社会歴史と不可分なものとして生れた,だから絵は絵とか音楽は音楽とか単体では存在し得ないものだった,そこに荘厳な文化が形成されたのである。
文化とは俳句とか短歌という一部分のことではない,全体のことだからである。
その全体が興隆するものが現代にはない,社会が無数のパーツ化していることでそうした荘厳な文化が形成されないのである。

いづれにしろどうしても東京であれ横浜であれ認識論を深めてもそこに自然というバックグランドがないとき人間はいくら努力しても偉大にはなれないのである。
つまり巨大な都会の中で混沌の中で一機械の部品となり歯車としてしか生きることができないのである。高層ビルを見ても認識が深まることがないからである。

でも人工的なものでもヨーロッパには日本と違って建築が人間に威厳を与えていたのである。駅まで立派なローマ風のアーチの建築になっていてそれでラファエロの「アティネィの学堂」の絵のように威厳が与えられていた,だからそういう感覚は日本ではもてないのである。そこにはヨーロッパの社会と歴史が一体化して結実したものとして荘厳なものが華開いたのである。
「心の青雲」都築氏はそういうことが語りたかったのだろう。
ただそれを展開するには不十分であったのはバッググランドとしての自然の中に生きていなかったからだともなる
ただ批評家として優れたものがあったとしても文芸批評でも十分な展開はできないなかった

ここでわからないのは

空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって

空間的なものが時間的なものへ質量転化するとは何なのか?

動物には時間がないという,歴史もないのである。
ところが人間と木と同化するときアイディンティティ化するとき木に年輪があり時間とともに成長する,大地に根を張り時間軸としてその土地に根を下ろすのである。
大地に根を下ろすことによってその土地は一体化して認識を深化させるのである。
それが都会だとしにくい,だから文化は田舎から生れる
都会化したとしても神殿の柱は木でありゴシック建築はゲルマンの森を象ったものとして造られたということでもそうである。

ただピラミッドとかアーチの建築には精神性が何かしら備わっている,それは技術的なものとしてだけ見るのではない,機能的なのもから建築が発展したとしても精神性が備わるだからラファエロのアテネの学堂は建築と人間が一体化した荘厳なものを表現したのである。



この引用もまた問題あるかもしれない,これの著作者は誰なのか?
ニックネームだとわからないからまた著作権の問題がでてくる
掲示板だとまたわかりにくくなる
ただ「心の青雲」は死んだので引用しやすくなった
生きていたら攻撃されるし許可も必要だしできないのである。
天寿堂さんからはコメントがあったし都築氏と親しいということで
この発言は都築氏なのかとも思う

「心に青雲」都築詠一氏の部をはじめました

ここにまとめることにしました