なぜ共産主義革命が失敗したのか―一挙に社会を変えることで犠牲が大きかった
【創価公明も同じであり失敗】
●共産主義革命の失敗の原因
なぜ共産主義が失敗したのだろうか。それは一挙に極端に平等化を目指したからではないか。それはあまりにも強引だったのである。確かに社会の不平等はある。それを是正したいということもある。
でもそれを一挙にやろうとすると暴力革命になる。フランス革命でもそれは行き過ぎたものだったのである。貴族階級を殺すということで平等を実現しようとした。
また共産主義革命でもやはり一挙に富裕層とか支配者を殺すことで暴力革命で平等を実現しようとしたのである。でもそれもあまりに強引すぎて極端になって返って何百万もの人間が殺されたとなる。何か知識人でもその人たちは楽して得をして大きな収入を得てるとか憎悪のの対象になったのである
カンボジアでは眼鏡をかけているだけで何か気に食わないとなり粛清された
みんな黒い服を着るとか何でも一様化する。外国語を話す人も粛清された。また宗教でも弾圧された。それは中国でも前のソビエト連邦でも起きた。中国でも起きた.それはなぜなのか
人間を一様化平等化することを性急に実現しようとした
また社会の底辺層の不満分子を組織化して暴力革命を実行した
そこにも多大の犠牲者を出した。それはナチスとも似ていたのだる。つまり全体主義だったのである
人間の問題は何か一挙に解決できないのではないか?
時間をかけないと解決できないのではないか
解決を急ぎすると失敗するのではないか
●人間の運命の不可解
人間の問題は様々ある。そもそも人間の運命自体が不可解なのである。金持ちの家に生まれるものがあれば貧乏な家に生まれるものもある。その差も大きいのである。
それだけではないさまざまな不平等が人間にはある。金持ちの家に生まれても何か交通事故で早く死んだりするもするしすべて恵まれている人はいない
だからなぜそうなっているのかということが不可解になりインドではカースト制が生まれた。それは生前の行為がカルマとなってそうなったと言う事である。どうしても不平等がありその不平等はの原因がその人の生前の善行とか悪行とかカルマと関係してそうなったとする思想である
そういう思想が生まれたのはやはり人間の運命というのは不可解だからである。例えばフォーチュンというのは財産が運だというのもそうである。いろいろあってたとえその人が優秀で才能があっても必ずしも成功して富を得るわけでもないからである
だか運の作用が大きいとして理解したのである
人間の不平等とか様々な問題を一挙に解決しようとする時そこに無理があり返って多大な信じられない犠牲者が出たということである。それは戦争というのもそれと似ている。戦争で問題を一挙に解決しようというとき世界でも日本でも何千万人になるのか信じられない犠牲が出たということである。
何か共産主義でマルクス主義で一挙に社会の不平等でも問題が解決できると熱狂したがその犠牲者は膨大なものだったのである
だからといって資本主義がすべていいというわけではないし推奨しているわけでもない。何か理想の社会などどんな主義であり実現することはない。それを無理して強引に実現しようとしたのがマルクス主義でありその犠牲者は膨大なものだったのである。
この世の人間の問題は一挙には解決できない!
●猫にも運命が作用していた
そこには時間が必要である。時間によっておのずと解決するかもしれない。それを個々人の運命でも人生でもそうなのである。何か一生苦労するということはないかもしれない
私が経験したことで不思議なのは猫を一匹飼っていた。その猫はなついていたのである。でも黒い猫が餌をやっているとき必ず来て奪おうとしていたのである。
私はその黒い猫を追い払っていたのである。ところが私の家で飼っていた猫は死んだ。その結果として私はその黒い猫に何か知らないが餌をやるようになったのである。でも一年なのか二年なのか餌をやり続けてもその猫は慣れることはないただそれでも餌
をやり続けているのである。
これはだからこれは何なのだろうというとき一つの運命だったともなる。何かい人間でも人が死ぬと誰かが得するというか変わるということがある。私の父親違いの兄は東京で父親が死んでその妻だった私の母親を私の家の後妻となったのである。
でも私の家はその兄を良くしなかったのである。私は特別良くされたのである。そして兄は40歳くらいで交通事故で死んでしまったのである。そもそもは本人の不幸は実の父親が事故で死んだということだったのでそしてその子供も事故で死んだのである。だからこれは何なのだろうとなる。
その人は近くの男性と親しくなったのはその男性は妻を亡くしてから親しくなりその家にも手伝いとかに行っていたのである。そうなったのはその男性の妻は死んだためそうなったのである。それで恩恵を受けたのである。
何か誰かが死ぬと誰かの運命は変わり恩恵を受けるということがある。それは何なのか良くわからない。でも何らかのことで人の運命は変わるもちろん悪い方にも変わるのだが良い方にも変るのである。
現実自分自身のことだがなぜその貧乏な人に私が応援して援助しているのかというのも不思議になる。それは私の家族が全部死んだ結果としてそうなったのである。だからそれ私は特別親切だとか何かそういうことでもない何もないのである。一つの運命としてそうなったとしか思えないのである
もしかしたらそういう風に人間というのは何かの運命に強制されている神に強制されているのかもしれない。そうした運命を無視して人間の力で強制的に運命を作る平等化するということがうまくいかないのはそういうところに原因があるかもしれない。
●一挙に社会を強引に変えることはできない
つまり何か人間というのを社会を一挙に強引に集団的に組織的に変えることは何か無理がありそれが多大な犠牲を生んだのかもしれない。例えばそれはカルト宗教団体にも言える。宗教だからマルクス主義のように平等目指すということはない。カルマだとしてその人の前世の行為だとなればそうなる
でも創価などを見ればそうした宿命論ではない何か共産主義と似ているのである。そうした底辺層の不満を政治によって権力を持って一挙に解決しようとする。それは何か共産主義と同じではないか。つまり何が共通しているのかというとそうした不満分子を集めて一挙に社会を変えようとすることである。
それが共通しているのである。
ただそうしようとするのは幹部たちがそうした不満層に訴えて政治的力を持ち自分たちの権力を得て得するという目的にもなる。だから中国でも共済党の幹部になれば莫大な金を得ることができそしてまたそこに不平等は生まれているのであるみんな共産党の幹部になれば金持ちになれるとなったなっているからである。
ともかく社会はそんなに一挙に変えられものではない
もしそれを強引に実行するとカンボジアやロシアであれ中国でも多大な犠牲者が出したのである。金持ちを血祭りにあげるということは何かやはり問題があった。それが行き過ぎたものになったのである。でもそうした不平等とか問題は時間をかけて解決するということができないからそうなった。
●時間をかけないと裕福にもなれない
何か裕福になるにはとても一代ではできないように思うからである。私の家でも父親は酒屋の丁稚である貧乏で苦労してきたしほかの人も苦労してきた。でも日本でも高度成長時代がありみんなは裕福になれたということがあった。その時戦前ならば地主と小作がいてこれも不平等だったがアメリカの支持でで地主がなくなり小作に土地が与えられて不平等はなくなったのである
でも戦前でも共産党は暴力革命を目指していたのである。そ。れで取り締まられたこともあった
ただ民主主義の社会では暴力は許されないから選挙活動で平和革命を行うようになったのである。
だから何か共産党と創価公明党は似ているのである。どちらにしろ社会を性急に変えれば不平等はなくなる。その事では一致しているからである。創価公明というのは仏教だから平和革命などと言っているが現実はその組織団体は軍隊と同じなのである参謀とか隊長とかがいて軍隊組織になっているからである
その組織団体を権力を奪取して社会を一挙に変えて不満分子に恩恵をもたらすものとするからである、御利益を与えることができるからである。宗教は個々人の心の内面を問題にするがカルト宗教は創価でも社会を改革すれば改善するとなるから共産主義と似ているのである。
確かなことは人間個人であれ社会であれ一挙に変えることはできない。裕福になるしてもまた一代でよってできない。つまり時間がなくてはそもそもは人間の問題では解決できないのである
だからまず一生不遇でも不遇に終わる人はない。どこかで好転することがある。ただみんな不満なのはそうして長い時間を待てないということである。だから一挙に解決しようとして返って大きな災いを社会であれ人間にももたらすのである
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