2021年05月12日

貨幣でも紙幣でも使えなくなる (コンビニで小銭に異物が入っていて自動支払機が故障)


貨幣でも紙幣でも使えなくなる

(コンビニで小銭に異物が入っていて自動支払機が故障)

コンビニで小銭を整理しようとして失敗した
自動支払機に小銭を整理しようとして入れた、そしたらその中に10円玉とか一円玉とかくっついていた、またコインでないものが入っていて機械が故障した
それを直すのに手間だった、前もスーパーで同じことを経験していた
その原因は小銭一度にたくさん入れたことで故障になった
だから今回は少しづづ入れた、でもその中にコインではない異物が混じっていて故障になった

異物が混じる⇒認識できない⇒機械の故障

こうなったのだがそれがなぜめんどうになったかというとそのコンビニの機械が中央の本部とつながっていて直すことになったからだ
電話で連絡して修理の仕方を教えられてようやく直せた
パスワードを入れるとそれがわからず何度も聞いていた
このパスワードでは自分もパソコンのインタ−ネットの通信で苦労しているからわかる

結局何か機械にも弱点がありそれが修復するのに手間になる
特に通信の場合は不具合があると修復するのが大変な作業になる
それが複雑であり手に負えなくなる、そういう問題が通信では起きいた

この異物が混じるということが機械とコンピュターの弱点である

なぜならその異物を認識できない、判別できないことで故障になったからである
それはウィルスとにている、異物が体内にはいり人間の体の故障ともなるからだ
必ずそういう弱点が現代文明にはありインタ−ネットの通信社会にもある
また他の機械でもそういうことが起きる
それが原発事故という致命的なものとなる
だからインタ−ネット通信がどこかで破壊されると全世界に影響して使用不能になるとか大問題が起きる、戦争とかなる今でもサイバー攻撃してくるからだ

それで一番怖いのがデーターを壊されることである
自分もそれで戦々恐々しているのだ、せっかく書いたものが一瞬にして全部消えてしまうからである
そういうことが世界的に起きたら努力も水の泡になってしまうからだ
それで今何とかしよらとしているのはデーターの保存である
三カ所くらいに保存する、データー保存のため別なレンタルサーバーとかワードプレス専用のサーバーを借りる、そこでさくらのプログを全部一応移すことが有料でできるからだただまたワードプレスを使おうとして試したがめんどうになる
そういう時間の余裕もないとなる、そこに老人の問題があった

ともかくセブンエレブンで失敗したがそこではキクチスーパーのカードが使えるようになっていたのである
楽天のエディを使っていてそれはコンビニでも使えたのである
それが知らなかったのである
今スーパーキクチでは自動で支払いをする機械を使っている
慣れると意外と簡単だった、ここでも自動化するからもう現金は必要なくなる
現金はウィルスがつくとか何かコロナウィルス騒ぎでも嫌われるようになった

現金は紙幣でもコインでももう使えなくなる!

だからこれは老人が苦手である、でもなれるほかない、簡単な買い物はできるようするほかない、もうIT化社会に適合するほかない、それができないと生活すらできなくなる
電子化するのは情報分野でもそうなんている、新聞などでも一軒一軒配る時代ではない
ただコストがかかるだけである、そんな手間になる金になることはもうできない
そのために宣伝費でまかなうから会社のいいなりになるだけだとなる

ただ電子化社会にも弱点がある、異物混入したりするとシステム全体に影響して世界の通信がとまるともなる
でも不思議なのはそうした通信の防衛策としてインタ−ネットが生まれたことである
つまりインタ−ネットの通信は部分的な結合であり一部が通信できなくても通信ができるように軍事目的でできたものなのである
ただこれだけ世界的電子化通信社会になると異物が混入したりする世界的通信がとまり修復することも困難になりデーターが消失したり大損害になってしまうのである
それが一番怖いのである
そのことはウィルスともにている世界的グロ−バルに交流する世界になった時、ウィルスも世界的に瞬時にでも伝染しているからである
もう瞬時にでも世界をウィルスが伝播するとなる
だからその伝染を止めることでできなくなる、そうした負の面ももたらしているのである
インタ−ネットがどうしててきたのか?

その人物はTim Berners-Lee博士で、スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)という研究機関に在籍中、研究に関係のある文献やデータを互いに「リンク」させる仕組みを考案した。それが今では「ウェブ」と呼ばれるWWW(World Wide Web)のもとであり、ウェブという名前も同氏によって付けられた。

IT担当者なら知っておきたいインターネットの基礎:
その起源をざっくり振り返る -

なるほど研究データーのリンクからインタ−ネットが始まっていた
自分のドメイン名のmusubuなのである、リンクできるから研究者同士の研究を結びつけるリンクできることで知識が拡大して深化できる
とても図書館などに通っていてもこれはできないからだ
本というのは膨大にあってもリンクは簡単にできないからである
何かリンクすると自分の文脈の中で知識が拡大して深化できる、より深く知識を探求できるからである

自分がインタ−ネットにかかわったのは富士通のワープロ通信からだった
それはたまたまそうなっただけである、私は理系ではないし機械に弱いからである
でも本当にこのように学者でなくても田舎にいても知識を広く深く探求できるし別に本とか雑誌とかを発行しなくても個人ですらできる
それはyoutubeのように個人でもテレビ局が開業できる時代である
だから何かを発表する発信するには便利なものである
ただここにも弱点があるからデーターが一瞬にして消えるとかウィルス問題がありそれが大問題なのである

2021年05月11日

金があっても文化がうまれないのはなぜか (庭作りでも頼む人と作る人の心の一致が必要)


金があっても文化がうまれないのはなぜか

(庭作りでも頼む人と作る人の心の一致が必要)


今の世の中はなんでも金である、すると金を持っている人が例えば庭作りを頼むとなる
金も出すとなる、でもどういう庭にするとかとなると頼んだ人が庭作りに興味がありどういう庭がいいとかイメージできる人でないといくら金があってもいい庭は作れないだろう
そもそも金がある人がなんでもできるのだろううか?

確かに常に職人でも頼めば金がかかる、だから金のない人はそもそも庭作りを頼むこともできないとなる、金次第でなんでもいいものが作れる
金がなければ何もできないという感じになっているのが現代である

そのことは庭作りだけではない、技術者がいくら政府から金をだしてもらっていい研究をして成果を出せといういってもそんな簡単にできない
それで研究者は金を出す方が威張っているのはおかしいと言うのもわかる
いくら金を出しても成果がでないこともある、金の力で何でも成果が出せるとは限らないのである
金が万能ではないのである、それなら巨万の金をもっている人がなんでもできるとなるからだ

何かの発明でも金さえ出せばできるものだろうか?いくら金を出しても簡単に成果が出せるわけではない
例えは芸術家でもそうである、その人にいくら金を与えてもいい絵が描けるだろうか?
また文学作品でも金を作家でも出すからはしていい作品が生まれるだろうか?
そんなことはないだろう、かえってそんな金をもらったらいい作品が生まれない
なぜなら文学作品でもその人の苦しい体験を語る時訴えるからである
もし多額の金をもらったら楽するから人々に訴える作品は作れないのである

原発事故からもうすでに10兆円とかの金を使っても復興できなかったことでもそうであるただ補償金を与えれば金を与えれば復興すると政府では思っていたのである
その金でどうなったかをこれまで書いてきた
ある金は除染でも地元の会社に相双リテックに流れ幹部に億の金が入り山分けした
その金を今度は野球に趣味だとしてつきごんた、タニマチになった
6兆円もの除染費用がゼネコンとか暴力団にも流れた
地元の一般庶民には被害があっても30キロ圏内が厚遇された、それでもまた必ずしもみんなそれほどもらったわけでもなかったのである
その巨額の金は別な方に流れて復興はしなかったのである

なんか今何か金があればなんでもできる、金がすべてだという錯覚に陥っている
どうしてヨ−ロッパで芸術でも科学技術でも学問でも発達したのか?
金をもっている貴族がいてその貴族が音楽でも芸術でも理解があったからだとなる
つまり芸術を創造しなくても鑑賞する能力があったとなる
だから音楽でもパトロンになれた、金を出すにしてもその音楽を芸術を理解していたのである

ところがゴッホの絵が100億円になったとしてもそれを買う人はその絵を鑑賞できない
その絵の良さを理解できないということがある
芸術が鑑賞すること自体むずかしいからそうなる
それだけの金をだしてもその金を出す本人が理解していない、ただ投機として買っているだけだとなる
ただ一般庶民にすれば100億円もの値段がついたことに驚きそんなに価値があるのかとなる

庭を修復してもらった、その職人には多様なことができるから感心する
でも自分自身が庭作りに興味がありは何も興味があり建築にも興味がある
だから私自身が庭作りに関与する、それで金をはらってこそ職人と共同作業のようになるつまり何か様々な文化的ものが残っている
それは金を出したからできたものではない、金を出す方にしても何か庭作りでも建築でもかかわっていた、そもそも関心も興味もそういうものに価値を見出さなかったら頼むこともできないとなる
それより何かただ金にあかせて悪趣味のものを作ったりする、また遊興に金を使ってしまうとかなる、だから金があっても文化的ものは残らないこともある
ヨ−ロッパの芸術とか科学技術でも貴族が残したものだけどパトロンになったけどそれを鑑賞できる理解できたからである

ただ正直金が庭作りでも必要だから金持ちでないとできないということはある
それで昔は金持ちが職人を雇っていて庭作りでも家作りでもしていた
するとそこで職人は技を磨くことができたとしている
つまりそういう金持ちがいないとしたら職人は技を磨けないのである
現代はハウス会社がプラモデルのように家を一二週間で建ててしまう
すると職人も本当の家造りというのは学べないともなる
現実に今やそういう技をもった職人はいなくなりつつある
それは注文する人がみんな安く仕上げようとするからできあいのものになってしまう
個性的な家を作るとなると金がかかりすぎるから同じようなプラモデルのようにハウス会社が家を建てるのである

宮大工とか宗教建築でもそうして注文する人が金を払う人がいなくなればその技術も途絶えてしまう、金を払う人がいなくなれば確かにそうなる
でも建物でも実は信仰心があってこそ建物も維持できる、いくら金があっても信仰心がなければもう建築でも維持できないのである
まず信仰心があって教会でも寺でも神社でもある
その信仰心がなくなったらいくら建物があってもそれは死んでゆくことであり職人も維持できないとなってしまう

なんでも金でできるとはならない、信仰心がなくなれば寄進する人もなく金が集まらなくなるからだ
最初に信仰心があり学ぶ心があれば建物は小屋のようなものでも学ぶ熱気があれ松下村塾であれ緒方洪庵の適塾でも学問でも起こるし世の中を変えてきたのである
すべて金さえあればできるということはないがそう錯覚させているのである
原発津事故からの復興でも立派な建築物はできた、学校だったら肝心の生徒が集まらないとなっている
要するにその人の持っているもの心が何でも反映することがある
だから近くの家の庭は広い、一時は畑にしたりした
その家では金がないことは屋根を直していないことでもわかる
砂でもまいたりすればできる、小石をまけばそれでも庭になる
金がなくても簡単な庭作りはできるのである
ただその家の人にそういう趣味がないからできないだけなのである

そもそも茶室など贅沢なものではない、わびさびの世界であり金をかけないものだった
ヨ−ロッパとかの豪華な宮殿とはまるで違った世界である
でもそこに美を見出していたのが日本だからである、金閣寺もあるがわび、さびの茶室は金のかからない簡素なものである
だから金にあかせて作ったものが芸術からしたら評価されるとも限らないのである
だからすべて金で評価される資本主義社会から何か文化的のものは生まれない
かえって貴族社会からルネサンスが生まれたのもわかるのである

貴族社会というと批判はある、貧民を無視したとかある
でも貧民だけだったらもう文化的なものは生まれなかったともなる
民衆の芸術も民謡と別にあるにしても文化的なものは作りえなかったとなる
今でも文化財として残っているのは日本でも金持ちの家に庭とかである
それはやはり庭作りの趣味があった人が残したともなる
そこで職人をやとい家造りでも庭作りでもさせていたらである
そこで技を磨くことができたからである

結局現代の問題は金が集まるべきところに集まらない、だから文化が生まれないのである金が無駄なものに莫大に浪費されている、オリッピックもギリシャに生まれたがそこに大きな意義があり浪費ではなかった
今のオリッピックも莫大な浪費なのである、世界平和とかを標榜しても商業主義利権の祭典なのである、金儲けの祭典になっている
もう金メダルなど意味がないのである
現代はすべてが金となりモラルもなく荒廃してしまった、文化も育たない不毛の世界となったのである、こうなるときヨ−ロッパでも貴族社会が悪いともならない、良い点もあったとなる、それは江戸時代の見方でもそうである
現代は文化的には不毛の世界なのである、悪趣味が幅をきかすのもそうである
金にあかせて作ったものでもいいものは作れないのである





2021年05月10日

小高の人でも浪江、双葉でも原町とか近くに移住する人が増えている (将来的には避難区域は老人だけの町になり消失する?)


小高の人でも浪江、双葉でも原町とか近くに移住する人が増えている

(将来的には避難区域は老人だけの町になり消失する?)

今日聞いた話では小高の大工さんが5000万もした新築の家を捨てて原町の中古の家を買ったという、それは50坪だからとても広い庭は持てない、前は広い庭があり新築の和風住宅でありその家は立派なものだった
それが息子夫婦も外に出て帰ってこない、だからその新築の和風住宅は無駄になった
第一誰も住む人がいないからである、だからもったいないとなる

また家というのは建物だけではない、自分の家のことでも書いたがいつも家のことを親は自慢していたからである
それは50年前とかで私の家は一番土地が低い家で父親が双葉の酒屋で丁稚をしていて暖簾分けしてここに来た
だからその土地を手に入れるにも苦労して次に水害で二回も床上浸水したのである
去年の台風でも土地が一番低い場所にあるから水があふれて家に水が入って来たのである幸い床上浸水にはならなかったので助かったのである

家というのには何かそれぞれ歴史があり苦労話がある
だから親がいたときはいつも家のことを自慢していたのである
それは認知症になってもそういうことを覚えていてわかっていてそう言うのである
つまり家は何かしら人の思いがのりうつっているのである
だから単なる建物、モノではなくなっているのである

だから施設に入っている人でも「家に帰りたい、帰りたい」というとき家という建物ではなくそこで暮らした家族の思い出がありそうして暮らした時に戻りたいとなっているのだただそうはいっても時間をもどすことはできない、ただ家が残っているとその家を通じてやはりその人の記憶と思い出がありそこに存在感を見出すのである
そしてその息子でも娘でもやはり一緒に住んでいればその親の思いが伝わるのである
だから家というのは単なる機能的なものではなく精神的なものともなっている
だから認知症になっても自分が苦労して建てた家だ子供に自慢するとき喜ぶのである

ともかくその人が原町に中古の家を買っても息子夫婦はいない、そして苦労して建てた家でももう息子も孫もいない、仙台の方に行ったらしいからだ
そしてなぜこうして小高でも浪江でももう他に移って生活するのか、それはもう自分の町が復興しないと見ている、できないと見ている
本人もあきらめているというためである
何か人間で悲惨なのは王様で貴族とかでもまた金持ちでも零落したときなのである
召使とかを雇い贅沢していた人が零落することが最もみじめになる
だから豊かに暮らしていた原発避難区域では突然そういうふうに零落して荒廃してしまったのである
その時町を復興させる気力すらなくなったともなる

すなわちかつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
 もし原始林のたくましい成長力がなければ、放棄された耕地が荒れ果てていくのを防ぐことはお先真っ暗な絶望となるであろう。
 
彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである。
 しかし今では荒れ果てた「自然」が彼らの田畑に侵入し、<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>までになって、人口は以前の三分の一を数えるに過ぎず、貧困に陥った農民から取り立てることができるのは高々二千俵にすぎなかった。
 http://musubu.sblo.jp/article/176648961.html
 
 本当にこのようになっていることが言っているからその洞察力には驚く
放棄された土地とかタヌキとキツネの住処になっているのも現実なのである
内村鑑三の場合はその原因を道徳の問題として語っている
ただこの土地の人でも道徳が関係しているとは思っている人はほとんどいないとなる
ただ単純いい暮らしをしたい、贅沢な暮らしがしたというだけである
それはどこでも同じだからそにれついて無闇に批判もできない
ただ欲望と原発が結びついた結果として悲惨なものになったのである

例えば時代が違えば戦後焼け野原の日本に戦争をまけて引き揚げた人たちが条件の悪い所に開墾に入った、そういう集落が日本の田舎には多いのである
知っている人では小池に開墾に入った、そこは街から近い、そんな所に開墾する場所があったのかとみるからである
でも仕事がなくどうにもならなくなりそうして開墾してなんとか暮らしたとなる
でも厳しいので半分くらいは撤退したとなる

原発事故から十年すぎても復興はしていない、このように避難区域から移住する人が実際は多くなっている、その理由は小高から原町だったら隣でありそこはたいがいそろっているから暮らしやすいのである、私も原町に住んでみたいともなるからだ
現代だったら便利な場所に住みたいとなる、仙台市とかに津波とか原発事故とかで移り住んだ人が多いのもそのためである、もともと仙台市に住みたいという人が多かったから
津波とか原発事故を契機にこの際移り住むという決断ができたとなる
原発事故の被害者は補償金を結構もらったからそれでまた移りやすいとなっていたのである

でもせっかく建てた立派な家を失うことはただ家という物を失うだけではない、そこで暮らした思い出も失うとなる、そこで生活した思い出は外に移るとだんだん消えてゆく
家とかその町が活きていれば思い出しやすいからである
そういう思い出は簡単に作れない、もう二度と作れない、60過ぎてから他の場所に移ったりしたらなかなかなじめないし思い出を作りにくいのである
ただ南相馬市内での移住だから楽だとはなる
浪江とかなると南相馬市の市民になっていないのである、宙ぶらりんな状態が続いているのである

その人はなんか大家族で住んでいたがそれが一人とかなり淋しいとかなる
何か妻も息子の所に行ったとかある、他の人でもそういう人も結構いる
つまり家族がばらばらになったのである
だから補償金を持乱たとしてもその失ったものは相当に大きいとなる
つまり補償金だけでは補いないものがある
また補償金がいいものとして作用してもいないのである
なぜなら補償金もらったから外に出た方がいいとなると町や村の復興はなくなったからである

ただこうなってゆくと復興できない、老人だけの町となると介護になったりまたそこで町を継続できない、そして南相馬市でもそういう小高のような区域をかかえることは負担になる、若い人がいないのだから町を支えられないともなるからだ
それは南相馬市全体の負担になってしまうのである
それはだから他人事ではない、相馬市でも新地でも移住した人たちが多いからである
だから周辺地域もまきこんで問題になっているのだ

こうしてもう町でも村でも維持できないというとき切り捨てるということも考える
なぜならここだけではない、負担が大きくなると町や村も維持できない
大きな地域の限界集落のようになってしまったのである
それで避難区域の復興をあきらめるということも考えられる
現実問題として維持できない状態に老人ばかりでなってしまうからである
もちろんそうならないのがいいしそうあってほしいが現実問題としてどうにもならない
切り捨てるということにもなる
ただ南相馬市なら原町に移り住むとかする、現実にそういう方向に向かっているのかとも見るからである

posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年05月09日

これまでの写真の絵画化


これまでの写真の絵画化


故郷編

cherrybrosom11.jpg
故郷の丘の桜

twobigtrees.jpg

two big tree in winter

丸森金山城

kanayamashiro.jpg


kanayamaoilpp1.jpg


写真を加工するソフトはいろいろある、写真から抽象画も作った
絵が描けなくても絵にできるのである
だからこれはコンピュターから生まれた新しい芸術なのである
ソフトもいろいろであり加工するとまた違ったものになる
ソフトの使い方によってそうなるからいかにソフトを使いこなすかが問題になる

There are various software for processing photos, I also made abstract pictures from photos
Even if you can't draw, you can make a picture.
So this is a new art born of a computer
There are various software, and if you process it, it will be different again.
It depends on how you use the software, so the problem is how to use the software.

2021年05月08日

人生を決める時間が短すぎる (30代でほとんど人生は決まる、婚期も30歳まで)


人生を決める時間が短すぎる

(30代でほとんど人生は決まる、婚期も30歳まで)

「結婚を急いでもうまくいくケースはあると思います。だけど私の場合はダメだった。急ぎすぎて相手をちゃんと見てなかったし、結婚したとたんに、あれ、これが目的だったんだっけと妙な気持ちにもなったし。何がしたかったんでしょう、私」

どうしても30歳までに結婚したかった女性。スピード婚から破局にいたるまで

結婚でもそうだけどその原因は何なのか?
結婚もしない自分が言うのは変だけど結婚だけではない、人生全般のこととして共通したものがあることに気づいた

人生は短い

チャンスは一回

青春はあっという間に過ぎ

婚期も短い


なぜ若い人に特に女性に婚期を言うのか、結婚を急がせるのか、それは女性の美貌でも若さでもその盛りが短いからである
30歳となるとおばさんだとか相手にしなくなるとか言われる
すると30歳までになんとか結婚しないといけないとあせる
ここで例にだしたのはそうである、30まで結婚しようとしてあせっていたのである

結局人間の一生が30までにほぼ決まるというのもそうである
そんな早い時期に決まってしまうのかとなる
人生は長いからチャンスはいくらでもあるとか思ってもチャンスは一回だけだったとかなる
結婚でも実際はそれほど出会いがないしチャンスもないのである
だから相手を良く見極めるとかの時間もないから判断を誤る
そうなるのは婚期でも短すぎる、青春は短すぎる、そういうとき未熟で判断するから失敗するとなる、それで離婚が三分の一もいるとなる
人生の速さは30過ぎるとわかる、そこからだいたい人生が決まり方向が決まってしまうからである
いくらでも人生にチャンスがあるとかやり直しができるとか言うがそうはならない

人生は一回でありやり直すことができない

これが厳粛な事実だったのである、確かに別に学ぶことは人生が終わるまでつづく
でも人生を決めるのは30までてありその後はすぐに40才になりもうおじさんだよとかなる、40才で人生が終わりに近づいたと自覚する
何かその頃白髪生えたりするし40才になるともう転職などしにくいのである
会社では若い人を採用したいからである
それで氷河期世代などは40とかなるともう正社員になることが不可能にもなってしまうその数が多いからまた社会的影響が大きいのである

つまり40才になったらもうおじさんであり老人に向かっているとさえなる
だから40代とかの氷河期世代はあせる、でももうどうにもならなくなっているのだ
これは時代の犠牲者でもありかわいそうだったとはなる
でもどうにもならない、時代の犠牲者というとき戦争で三百万人死んだ人達もそうだからである
人間は時代の子でありそれぞれの時代を生きるほかないのである 

人生を決めるのは30歳まででありそのあとは30歳までしてきた決めた道を行くことになる
つまり進む方向が30までに決まる、女性も婚期はほぼ30まであり多少は長くなっていてもそこを過ぎると結婚はできなくなる
意外とどういう方向に行くの決めることは大事である
方角でも方向を間違うと目的地につけないのである
東を目指していたのに北に行っていることが普通にありそうなると迷うことになるからだそして目的地につけないとなるからだ
赤軍派は飛行機をハイジャックして北朝鮮に亡命した
そしたらもう二度と日本にも帰れなくなったが帰りたいとして戻った人もいる
でもすでに老人になって成人した子供までいたのである
その人の一生の方向はハイジャックしたとき決まったのである
その方向をもう変えることはできなくなってしまったのである

こうして人生を決める期間が短すぎることで失敗する、結婚もそうなのである
まずその人にとって最適な人間など普通いないからである
男女ともいない、するとどこかで不具合が必ず起きてくる、そして嫌だとなり離婚する
離婚しなくても実質離婚状態の人もいるというのもわかる
たいがい女性だと子供ができて別れられないとかなり嫌でも離婚しないとかある
でも子供が成人すると熟年離婚にもなるのもわかる
もうがまんできないとなってそうなる
離婚しなくてもあの人の結婚は失敗だったとかみる、いびつな夫婦になっていたからである、結婚する相手によって女性も変わる、夫婦もそうしてともに曲がった夫婦となったのかもしれない、そういうふうに離婚しなくてもその人の結婚は失敗だったともみる

いづれにしろ30までに人生の方向が決まりそのあとは人生は簡単に変えられないとなる
自分にしてもそうだった、20代で就職せず無職であり遂に家庭環境にめぐまれて旅ばかりするようになったのである
20代で正社員とかまともに職につかないものは一生そのままになる傾向があるのだ
一旦引きこもりとかニートになるともう容易にぬけだせないということにもなる

つまり一生引きこもりになる!

そういうふうになった人たちが多いこともわかる、何か職業につけといってもできなくなっているのだ
それで小人閑居して不善を成すともなる、何か犯罪者にもなりやすいのである
そういう人は今までは極少数だった、なぜなら働かないと食べていけなかったからである今は親が援助して働かなくても暮らしていけるとかなりそういう人が増えたのである

ともかく人生を決める時間が余りにも短いということが人間の大きな問題であった
そこで何がなんだかわからず夢中に生きてるうちたちたまち青春は過ぎて30歳になり
すぐに40才になりおじさんだとかなり白髪もはえてきて人生も終わりに近づくとかなる

そしてもう二度とチャンスはない!

また引き返すこともできない、時間をもどすことはできない!

だからこそ信仰でも「若き時に神を覚えよ」「求めよ、さらば与えられむ」とは若い時のことである、いくら求めてその時期をすぎると与えられないともなるからだ
でも若い時はみなん別なことに心を奪われているのだ、女性に心奪われのが普通であり
また何かに心を奪われやすいのである
求道するとき何か若い時は関係ないと思っている、若い時求道するより女性に最大の関心がありさまざまなことに魅了するものがあり夢中になりたちまち青春は終わっている

そして二度と青春は帰ってこない!

カルト教団などでもやめないと一生狂わされてしまい人生を無駄にする
そんなところは宗教とか求める場ではないからだ
でもそれが見えないのである、そうしてオウムのように悲惨な結果として人生を浪費して終る、他でも宗教団体などはみんなそうなのである、一番宗教と無縁な場所が宗教団体だというのも現実なのである、ただ創価などは社会から公認されているから余計に道を誤るそこも巨大な宗教の詐欺集団だともなるからだ、そうした巨大なものにはだまされやすいのである、他にも保険会社とか大企業でも銀行でもゆうちょすらそうだった
経営が苦しくなりいかがわしい金融商品を売りつけていたからである
第一国家自体が国民をだますということがある、それが原発事故だったからである
権力で安全神話を作ったのは国家でもあったからだ
社会に公認されていても何かそこが正しいとは限らないのである
それはナチスをみればわかる、国民全員が認めていたものだからである

何か老人になっても70過ぎても空間はやはり移動できるから体験できる
だから一度旅した所にもう一度行けないことはない、その時本当に新たな感動を覚える
そこに同じ場所にありえたとういことで感動する
なぜなら次はその場所にいない、あの世に逝ってしまうからである
同じ場所でも年齢によってまた季節によって違ったものに感じるからである
でも時間だけは戻すことができないのである
それで江戸時代にもどることはできない、そこには想像でしか行けない
それで必ず大きな誤解が生じる、その過ぎ去った時代を経験できないからそうなる
本当にタイムマシンで江戸時代にでももどれば意外だったとなる
そこではいくら本でも映画でも見ても全く違った現実に遭遇して驚くのである



2021年05月07日

家族と同居しても孤独死 (妻が死んで弱っても家族と同居しても何もしてくれない)


家族と同居しても孤独死

(妻が死んで弱っても家族と同居しても何もしてくれない)

同居している親の死に気づかず子どもが放置するケースが各地で相次いでいる。一つ一つを詳しく調べたところ、仕事を持ち外からは「普通」の生活をしていると思われていた子どもが放置するケースが少なくないことが分かってきた。私たちは遺体を放置した人々を独自に取材。「早く気づくべきだった」「親に申し訳ない」。一つ屋根の下でも、生活は別々。互いに干渉しないようにして暮らしている親子。同居する親子にいま何が?

隣の人は突然妻が死んだ、残された夫は病気持ちである
今日ゴミのことで聞かれた、突然妻死ぬと家のことがわからないからゴミ投げるのにも困るのである
でもその人は家族と同居している、この前は孫と買い物しているのを見た
だから家族が世話しているのかとも見ていた
でも実際は息子夫婦と同居していても前から一つ屋根の下にいても別々に生活していたのである

それで妻が今まではなんでもしてくれた、それをしてくれる人がいなくなった結果
自分自身でするほかなくなった、これは自分自身が経験しているその辛さがわかる
でも家族がいるからいいと見ていたのである
その人は見た感じが相当に弱っている、痩せている、筋肉も弱ってまともに歩けないとも言っている、もう介護一歩手前なのである
でも息子夫婦はかまわないのである

何か今は家族でも家族だからと助け合うということもない場合が増えているのかばせしれない、だから家族遺棄社会とかの本も出ている
それは介護となるとその負担が大きすぎるからそうなる
子供には子供の暮らしがありとても負担しきれないとなる
その70歳の女性には息子がいる、でも全くかかわらないのである
親が困窮していてもなんら関係しない、絶縁になっている
それで何か息子が贅沢していたとかいい車とか買ったとか母親が言っていた
その母親は毎日食うためにかけずりまわっているのである
これもなんなのだろうとなる

もしかしたら家族崩壊現象が起きているのかもしれない
ただ家族は様々であり理解しにくくい、事情がありわかりにくい
だから一概に数式のようには家族は人間でも見れないのである
でも家族が何かおかしくなっている、家族の絆も消失している
それで家族と同居していても放置されて親が死んでいたとなる
そんなこと一緒に住んでいればありえないことだがそういうことが起きている

ただ隣の人の事情を見ればそれもカルマだったのかともなる
なぜならその人は妻に頼りきりで自分自身は働くこともなかったからである
だから妻がいて生活が成り立っていたとなる
だからこそ妻が先になって妻のありがたみを思い知らされたともなる
カルマとして苦しむことになったのかとも見る
何か個々人でも家族でもカルマが必ず苦しみとなって現れてくる
それはもう逃れようがないのだ

例えば若い時の不品業とかあまり若さまかせてその時何も思わない
でも老人になって後悔する、その若い時の若さに任せた不品業も今度は苦しみとなって
年老いて現れて来る、近くの人でもそうである
もう一人の人も今になって誰もめんどうみるものがいない
なぜなら息子が自殺したからである、その責任は親にもあったからである
その事情は良くわからないにしてもそういうカルマをつんで最後に苦しみとしてそのカルマを自覚させられるのである
因果応報が必ず人生にはあるのだ、それは自分自身でも家族でもそうでありそのことを書いてきた

母の継母は母をいじめたが最後に目がみえなくなり母に頼った
そして大学で解剖されて母が遺骨をひきとったのである
最後にその継母は悪かったなと母に言ったのである
何かそうして本当に頼れない人に頼る、普通だったら遺骨も引き取りたくないのである
親でも実際親に苦しめられた人は墓参りもしない、ただ苦しめられたということで親とも思わないとなる
そういう親子も相当に多いことは確かである

そして何か理由がわからないが非情化した残酷な人となった実家の兄弟の娘は育ての親も捨てた
病気になったときもめんどうみない、幸いすぐに死んだから介護もせずに死んだから良かったのである
そして最後に自分にその育ての親は「ひどい娘だわ」と恨みを残して死んだ
そもそもそう言われ相手として自分の家族はなかったのである
ただ自分に最期にそう言って死んだのである
そしてその娘が本当にひどい娘だ、非情な残酷な娘だということが私自身の家でもわかったのである
それは本当にどうしてそんな非情な人に残酷な人になったのか理由がわからない
三人母親が変わっても一番かわいがられたからである
もう施設に入って育った人もいるしそういう人ではないからだ
金に困ったこともないからそれもわからないのである 

ともかくその娘は外面はつくろっている、葬儀もしたとか言っていた
でもその人は誰も愛していない、三人の母親も愛していない、はたしてそういう女性が墓を受け継ぐとかできるのか?
墓参りはしても別に愛情があるからではない、おそらく誰も見ていないとしたらやがて
墓も捨てるだろう、体面的にそうしていただけだからである
私は家族に愛されたし死んでも愛しているから供養している
死んだ人は供養しても何の返答もないしありがとうもないからいづれは供養もしなくなるでも死者を愛している人は供養しづづけるのである、愛しつづけるのである

ただ家族の事情はここに違うから理解しにくい、表面だけ見ても体面をつくろうとういことがありわかりにくいのである
家族が同居していても別居していると同じような状態の人が結構いるのかもしれない
すると同居する意味もなくなるとなる
そして放置されて死んでいるのもわからなかったとなるのはありえないことだからであるでもそういう家族になっているときすでに家族自体が崩壊しているとなる

私の家族は最後はばらばらになり悲劇だったけどやはり家族だった
一つの家族だったことを自覚できた、それは60年以上とか一緒に生活を共にしていたということにもあった、そこで争そっていてもそこに愛が生まれていたのである
複雑にしろ一つの家族としてありえたのである
ただこれも特殊だから外部から理解できないとなっている
そういうことが家族には多いのである

人間を理解するときその人がどうして育ったとかどうしてそんな人間になったとかある
その女性がもともと非情で残酷な人間だったとは思えないからである
誰でも継母にいじめられたとか貧乏で苦しんだとか何か過酷な運命の下で育ったら性格でも歪んでくるとなるからだ
ただ現代の家族は何かそのつながりが希薄化している、だから同居しても別居していると同じだとなっている人もいる

でも不思議なのは家族遺棄社会だとして遺棄した人を放っておくわけにはいかない
すると誰かがめんどうみなければならないとなる
それで家族は家族を捨てる、それで家族は楽だとなる、でもその捨てた家族を誰かがめんどうみる、そのことが理不尽となる
そんな勝手なことが許されるのかとなる、みんな福祉で自治体で国でめんどうみれるのかとなるからだ
またそういう人ばかり増えるとその負担が大きくなりできないともなっているからだ

高齢化社会の問題は深刻である、とうしても老いる人がこれだけ増えることは病気になる人が増える、すでに同級生でも脳出血になった人が近くに二人とか死んだ人もいる
自分自身でも弱っていく、だから恐怖なのである
そして家族遺棄社会というとき家族が同居しても遺棄されているのだからそうなる
また介護の負担が大きく負いきれないとなる
ヤングケアラーが問題になるのもそのためである
隣の人は孫と買い物に来ていたからもしかしたら動けなくなったらそうなるともみる
でもその負担は若い人になるのは大問題である
若い人が介護で貴重な時間を奪われるのは酷だとなる







夏雲雀、夏燕、白鷺、菖蒲、チューリップ (新しい鹿島の真野川の土手の下の通りに店はないから淋しい)


夏雲雀、夏燕、白鷺、菖蒲、チューリップ

(新しい鹿島の真野川の土手の下の通りに店はないから淋しい)

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菜の花になべかんむり山町暮れぬ

そちこちに鳴く声ひびく夏雲雀

朝日さし白鷺十羽まぶしかな     

庭に石風の涼しく午后下がり

菖蒲咲き横断歩道待ち渡る

チューリップ黒きや通り人行かじ

逃さじやシャッターチャンス夏燕


いつも行く木陰の道の長しかな街になじみて我が暮らしけり

鍋冠山(なべかんむりやま)というのがこの町の象徴である、この由来がわからない
誰が名付けたのかわからない、でも意外と古いのかもしれない
なぜなら近江の方でなべかんむり山祭りとあるからだ
だからこれがいつ頃名付けられたのか?それが問題なのである
近江との関係だとすると製鉄関係で技術者が古代に行き来していた
実際に近江に行っていたのである、するとそういう人達が名付けたのかとなる
それは古代だからずいぶん古いとなる
意外と地名は古いのである、古代に名付けられたのが結構多いのである
故郷でものたりないのが高い山がないことである
それで角田とか丸森に行くと蔵王が見えるからそれが心に反映して人格にも反映する
ここは海があっても高い山がないからそれが景観としてものたりないのである

夏になった、水張る田に白鷺が十羽朝日がさしてまぶしかった
純白の衣にまぶしかった、鷺は夏の季語である、夏になったのである
夏に白鷺は一番映える、真っ白なのが映える
写真を撮ろうとしたがカメラがなかった
いつシャッターチャンスがあるかもしれない、だからカメラは常に持ち歩く必要がある
写真をとることは結構な労働だと思った
ただ見映えする写真をとることは容易ではない

横断歩道を渡る所に菖蒲が咲いている、それでその菖蒲を見て渡る
その時何か落ち着いて渡るとなるが実際はその前を自転車で横切ったりする
田舎だからあまり車が通らないからだ
でも駐在所があり見ている時がある、こんな見方は俳句らしいとなる

庭では午后下がり涼しい風がそよぎ気持ちいい、外は暑くなった
年になり暑さに弱くなった、汗がでないから体温調節ができないのだ
それで家にいても熱中症になるというのがわかる
また紫外線にも弱くなる、それで春でも外を自転車で行ったとき痙攣をこしたことがあるだからこの熱中症は結構危険なのである

だからどうしても夏になると遠出できなくなったのが残念である
なんか丸森の方に行ってひどく疲れたからである
筋肉の痛みがとれないのである、やはり筋肉が弱ると老化のしるしだともなる
それで年取ると身近なものが大事になる
なじんだ場所とか街とか人とかが大事になる
そこで暮らしやすいと楽になる、それで原発事故で老人が残ったのがわかる
なじんだ場所や人と暮らしたいとなるからである

真野川の土手の下は新しい通りにしたけど店が一軒つぶれ新しい理髪店ができたけど
高齢のために閉店したと張り紙があった
つまりあそこには通りでも店がないから活きていないのである
場所としては真野川が土手がありいい場所なのである
散歩しているからである
でも今通りは店はだめなになっている、みんなスーパーに集まり小さい店は成り立たないからである
ただあそこに喫茶店があればいいなと思う、私は喫茶店が好きだからである
場所としていいとしてもまず客が来ないからやっていけない
前は喫茶店があったがやめたからである、どうしても客が来ないから通りの店はなくなったのである
でもあそこの通りは花が咲いていいのである、それがもったいないのである







2021年05月06日

数字に呪縛される現代文明 (放射線量でもコロナウィルスでも同じだった)


数字に呪縛される現代文明

(放射線量でもコロナウィルスでも同じだった)

健康診断の結果の数字で一喜一憂致しますが、存じ上げているお医者様に伺いますと、大きく変動がなければ少しの誤差はむしろ気にしない方が健康に良いそうです。


科学時代とかグロ−バル化とか広域社会とか何か社会の規模がこれだけ大きくなると常に数字が問題になる、人間はもう一人一人の人間などどうでもいい、頭数が問題であり人間は数字であり番号になる、それで議員すら病院で番号で呼ばれたと怒った
その政治自体が数で決まる、議員になるにも選挙でありどれだけ数を集めるかが最優先課題になる
それで田中首相は政治は金と数だと言ったのである
現実にそうなっているからである、その数はどんな人ても一票であり価値は平等である
一人が十票などもたないからである
その数の一人一人の中味など問わない、どんな人間でもいい同じ一票の価値だからである
現代社会はこうして常に数だけが問題になっている
だから一人など個人など政治家は相手にしない、いかにまとまった票を得るかが問題になる

宗教すら数である、何百万人を集めているカルト団体であるが社会で圧力となり権力となる
だから日夜祈り票を集めそれでさらに権力を増大させることを目的とするのが創価であれ他の宗教団体でも同じなのである
権力を得るために毎日祈り活動しているのである、そして毎日票を会員の数を数えるのが仕事なのである
つまり民主主義とは常に数で決まるからである
ただ選挙でも不正があり実際の選挙の勝ち負けは決まっているという人もいる
日本でもムサシという選挙を請け負う会社が操作しているという
だから実は数字も巧妙に操作されているから数字だけでは真実は見えないのである

民主主義が何か最高のものとして信奉するがアメリカでも選挙に不正があると騒いだ
確かにそれもありうる、実際は不透明なのである、だから何でも数だけで決めるのには限界があることがアメリカの大統領選挙で判明した
日本でも同じことが行われているという、それを請け負う会社がムサシとかがいてそうしているという、そこはマスコミで報道されないという
だからなぜ一パーセントの投票くらいで当選確実になるというのも不思議だとなる
実際はそういう報告がムサシとかの会社から報告されるからそうなる

とにかく現代は数字の世界てある、だからシュペングラーが数学から文明を解析した
数字というのがこれぼと幅をきかした時代はない、数学なしでは何も語れない時代だともなる、そうなると数学ができないものは相当に不利になる
貨幣というのも株でも常に数字が問題になる、グラフとかも数学の分野なのである
それで絶えずチャートのグラフを株をやる人は見ているのである
グロ−バル経済となるとその実体は誰もわからない、ただ数字として解析して読んで投資しているのである

そうなると逆に人間は数字にふりまわされ数字に一喜一憂するようになる
それはこの辺の原発事故で嫌というほど経験した
毎日放射線量を計る、それは機械で誰でも計れる、放射線は見えないのだから数字だけが目安となるからだ、数字によって恐怖して数字によって安堵する
でもこの数字も操作できる、モニタリングボストの放射線量は正確ではなかった
その下を掘って土をとったいたから低くなっていたのである
私がその近くの周りを計ったら倍あったからである
それをしていたのは飯館村などでは大成建設だったようである
他にもゼネコンが除染を請け負っていたからしていたとなる
まずモニタリングポストの放射線量はあてにならない
倍以上があると見ていた方がいい、飯館村では特にそうである、なぜなら特に飯館村では放射線量が高かったからである
ただ放射線量の場合素人でも機械があれば計れたから政府の権力でもごまかせないということがあった、素人の文系でも放射線量は計ることができたからである

とにかくこのように放射線量は素人で計れた、そして常に数字に左右され数字で恐怖して数字で安堵していたのである
武田邦彦氏は一ミリシーベルト男と揶揄されたのもそれを象徴している
コロナウィルスでも数字に左右され一喜一憂している
毎日何人感染したとかテレビで放送される、その数に釘づけになる
そしてわずかでも少ないとなにかほっとした感じになる
まるで数字の魔術にかかったようになる、千人越えたら大変だとかみんな見ている
そして数字にこだわると数学者が原発事故は確率論で百万年に一回しか起こらないと割り出したと言っていた、これも専門家が異常化することの見本だった
やはり確率論で対策しないと40万人死ぬと言った専門の学者もそうだった
かえって専門家はそういうことを平気で言うから専門馬鹿と言われる

ただここで疑問なのはどれだけの数を検査して本当にその数が恐怖すべきなのかその中味が良くわからないのである、ここでも放射線量のように政府で操作しているのではないかという疑問があるからだ、そんなに正確に割り出しているのか、その中味のことは良くわからない、ただ数字はわかりやすいからその数字の魔術にとらわれる
感染者でも百とか二百とか三百の差があったとしてそれがどれほど危険なのかもわからない、でも数字はすべての指標となる、それは経済とかでもそうである
数字を指標として見るからそうなる、個々の問題ではない、全体を見る時は必ず数字でみる、統計でみる、体でも血圧でも数字でみる、でも個々人で差があり数字がすべてではないとしている、多少高くでもその人にとってはかえって正常の標しだという医者もいる
つまり個々人で差があるから平均はありえないのである
数字で平均で見ることもまた実体からはなれたものになる

田舎だと確かに数が増えれば恐怖である、でもすぐ近くで感染者が出たとういことが恐怖になる、その家の窓ガラスが壊されて住めなくなって引っ越したとされるからだ
数の問題もあるが具体的に近くに一人でも感染者が出るのが恐怖になる
そこに具体性があり恐怖となる、東京のような大都会だと千人出たとしてもあれだけ数が多いのだから恐怖が希釈される、田舎だと隣に出たというとき一人でも恐怖になる
東京辺りだと一千万人もいるのだから誰が感染しているかもわからない
それで身近に感染した人がいないから恐怖を覚えないというのもわかる
やはり身近な人が感染すると恐怖を覚える、いくらテレビで千人感染したと放送しても
必ずしも具体的な恐怖とならないのである

ただ数字というとき津波の時がそうだった
テレビでNHKでも最初数メートルの津浪が来ると放送した
数メートルかそんなのたいしたことがない直感的に思った
でもそれは津波のことが知らなかったからである、そのあとに十メートルの津浪が来るという時驚いたのである、その時数字を知ることが生死を分けたともなる
なぜなら最初から津波のことを知っていたら数メートルでも危険となり避難したからだ
数メートルと最初に放送した時そんなものか逃げない人がいたからだ
その時危機感がなく逃げ遅れて死んだ人がかなりいたからである

こうしてとにかく数字に惑わされ数字に惑わされてきた、コロナウィルスでも同じだった毎日感染者の数字に一喜一憂している、でも数字と実体が乖離している場合がある
どこまで恐怖していいのか数字に惑わされて本当のことがわからなくなる
それはやはりコロナウィルスが未知だからそうなる
放射線でもそれも未知でありどこまで人間に影響するか明確ではなかったからどう判断していいかわからなかったから混乱した、今でもそうである
放射線被害は十年後二十年後ガンになるとか遺伝子が破壊されて子供に奇形が生まれるとか恐怖した、それで若い女性は脱出して帰らなくなったともなる

宗教でも罰あたるとか地獄に落ちるとかで呪縛される
現代は科学技術の社会だから数字に呪縛されている、数字が信仰されているともなる
ただそこにも落とし穴がある、すべてを数字では計れないのである
また数字は容易に操作されるからその実態を見えなくさせる
そしてだまされる、それは放射線量で原発事故でもそういうことがあったからである
数字は目安にはなっても絶対ではない、だから数字を絶対化することは危険なのである
でも現代はそうなりやすいのである、あらゆるものが数字を目安にして動くとなるとそうなる、そういうことがファシズムにもナチスのような全体主義になる
何故なら人間は一人一人血の通った別個のものではなく、ただ数字として計られる
その時人間は抽象的数字となり処理される
結果的にガス室に送られた人々はただ数字として処理されたともなる

人間を数字化したときすでに非人間化社会となっていたともなる
抽象的なものとして人間をみるようになったからである
社会が拡大してさらにグロ−バル化すればもう人間が直接接する世界ではない
ただ数として世界をみる、そこにもう人間は見えない、見えるのはモノと数だけだとなってしまう、精神と物はここで乖離する
だから人間を回復するとなるとそのサイズが問題になる
国(くに)というときそもそも日本とかの大きな国ではない、小さな国である
里とか村単位くらいの国があったとなる、小国がそうである
そういう狭い地域が国として意識された場だったとなる

そこでは一人一人が個々が見えて国を造っていたとなる
老子の小国寡民もそうである、大きな国が理想の国とはなりえないと見ていたからである数で計られるようなことがなかった、一人一人の顔があり密接に結び合った社会である
そういう場所が本来の国だったともなる
そして物量とか人の数とかからは文化は生まれない、その国から国土から文化は生まれるそれで飯館村とか丸森町とかなるとそこが一つの国として意識しやすいのである
日本の場合山が多くて森も多いからそういう場所で一つの国となり小国であり隠されていたともなる、そこは自給自足で成り立ち自立していたとなる
そういう所だと数としてみることはない、一本一本の木でも石でも数としてあるのではない、みんな形も違っているとか個性がある木とか石になる

今日も感染者東京で600人だとか安心する、でも完全に安心の数ではないとか指摘される
だから本当にこうして毎日感染者の数で一喜一憂することが正しいのか疑問なのである
検査数だって外国のようにしていないしその実体は不明なのである
つまりこの数ももしかしたら操作されている、そして数に呪縛される
結局人間の感覚はやはりじかに友達でも会社でもどこでもいいから身近に感染者と接したという時実感する、数とかでは実感しないのである
これは放射線量のように素人でもじかに計れないことが問題なのである
そうなると調べようがないから常に数で不安になる、放射線でも見えない敵と戦っていたコロナウィルスも見えない敵でありこれと戦っている、でも数がすべてでないし数に呪縛されるのは問題である、でも死者の数とかは確実な目安になる
でもこの死者もコロナウィルスで死んだと限らない、別な病気でもコロナウィルスで死んだとされるからである、こうして不可解なものとなり不安だけが増幅するのである

ダビデが兵隊の数とか人口調査をした結果神から罰せられた
その罰が疫病だったのである、

 ダビデが選んだのは第三の罰、三日間の疫病でした。これは三つの内で一番期間が短いから、いちばん軽い罰をダビデは選んだのだ、とは言えません。疫病で死んだ人は七万人に及んだと15節にあります。期間は短くとも、これは相当に過酷な罰なのです。ダビデが敢えてそれを選んだ理由は、

ここに疫病が人口調査と兵隊の数を数えた罰としたことが書かれている
そして神に祈って疫病が消えたとされる
だからコロナウィルスも神からの罰だったのかともなる
七万人死んだということは人口比率にすると相当な恐怖である
小国で七万人となると七十万人とかになるかもしれない
また原発事故も神からの罰として起きたのかともなる
この疫病は特定の国ではない、人類的災禍であり人類に課せられた罰なのかともなる
何か津波であれ原発事故であれコロナウィルスであれ私の一身上に起きた災いも神からの罰だったのかともなる
カルマだったことは確かである、ただカルマはどんな家にもあり個々人にもあるから必ずカルマの清算を強いられる

確かなことは原発利権者への罰、オリンピックの中止はその利権者の罰、何か神が罰としてそうしたのかとなる
これらは深く利権がかかわりオリッピックでも国民が望んでいないのに利権者がいて強行される面があるからだ、オリッピックが中止になれば莫大な投資が無駄になるとして強行を望むものがいるからだとなる
要するにこの世のことは何か人間だけではできない、何らか神がかかわってそうなっているのかともなる
その神意に天意に逆らうことはできないとなる
コロナウィルスが未知で変異ウィルスとかでインドから拡散する、科学者も実際は未知だからわからないのである
ワクチンが絶対なものでもないことは確かである、それは即製されたもので必ずしも全部有効ではないからである
この世のことはべて科学でも解明されていない、未知なこがりその未知なことは永遠に未知なのである
だから神のみぞ知るとなるのである






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2021年05月05日

福島県のコロナウィルスの感染者数を見る (コロナウィルスは世界の人口を減らすためなのか?)


福島県のコロナウィルスの感染者数を見る

(コロナウィルスは世界の人口を減らすためなのか?)

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だいたい人口に比例している、これも数学の法則のようになっている
最初は会津若松市は感染しなかった、でも郡山市や福島市が感染者がふえてだんだん増えるようになった、だから伝染病と人の交流の多寡と関係していることは確かでありそれで計算することが予測することができる
ただ人口の割合で変わってくる、人口が少なければ比率的には少なくる
だから当然東京とか大阪とか大都市は比率的に数が多くなる
何かここに錯覚がある、東京大阪など大都市は多くなるのは当然だからである

江戸時代にコレラが流行したのは福島県では会津若松中心だった
それは北前船とかで新潟とも交流があり人が来ていたからである
つまり江戸時代の中心は福島県になると会津若松だったということなのである
今の福島市などではなかったのである
それは明治以降に県庁を福島市に置いたからである

とにかくウィルスは人が移動して伝染するのが基本である
だから人の流れをとめることがおさえることになる、でも現代だとこれだけヒトでもモノでもグロ−バルに移動するから抑えることが最高にむずかしくなった
何か必ずいいと思うことが悪いことにもなるのが人間社会である
全面的にいいとなることがないのである
科学技術は便利でいいとしてもそれも必ず交通事故とか原発事故とかかになり悪いものとして作用する

だから江戸時代が世界に閉ざしたとしても国内でも関所があって移動の自由がなかったとしても伝染病を防ぐにはいいものだったとまでなり見直されるのが不思議だとなる
そういう時代でもやはり長崎からコレラが入って全国に伝染したのだから止めようがないということである
もし長崎で厳しい水際作戦をしていたら止められたともなる
インドの怖い変異ウィルスで日本人が二人死んだということも怖いことである
東南アジアにもインド型の変異ウィルスが増えてきているのも不安になる

コロナウィルスに対処する方法はワクチンと後はヒト、モノの移動を制限する止めることなのである、これが現代では一番むずかしいとなる
いいと思えたものが一番悪いものとして作用したのである
関所があったらそこで調べてヒト,モノの流れを止めることができる
でもそれが現代ではできない、明治になって鉄道ができて関所がなくなったこと自由に藩の外と行き来することができるようになった
侍がいなくなったという変化もあったがこうした交通の発達が社会を大きく変えたとされる、こうして交通が発達すれば全国を自由に行き来できてそれで日本国民という意識が生まれたとされるからだ

要するに外との交流があるとして必ずいいものと悪いものがありそれも入ってくる
伝染病だけではない、グロ−バル化がいいようでも悪いものも相当に入ってきたのである日本の食生活を壊すような食べ物でも入ってきて日本人には少なかった病気がガンなどが増えたりしている、他に肉食を盛んになり何かそのために今までは少なかった病気がふえる
必ず外との交流があっても悪いものも入ってくる、これが問題なのでありコロナウィルスで意識された
だからグロ−バル化というのは全面的にいいものではなかったのである

そういうことで日本の場合は海に囲まれていてそれが障壁となり悪いものが入るのを防ぎいいものだけを取り入れる、取捨選択かできた
でもウィルスは長崎は外国に開放していたからそこからコレラが入ってきたのである
中国経由とかで入ってきたとなる
これは福島県内でも昭和村の人が感染したのは福島市とかで会合があって感染したとしている
昭和村は相当な奥地だからである、こうしてヒト,モノの交流があり感染する
江戸時代のコレラでは会津若松市が中心に増えただ桧枝岐は交通が閉ざされていた秘境だったから感染しなかった、つまり交通がない閉ざされた所ということが有利になった逆説があるのだ
南相馬市ですぐ近くで感染したのがすぐ近くの人が東京のライブハウスに行き感染した
それから最近近くの保育所でも感染したと聞いた
だから身近に迫ったきているとか不安にはなる
ただ日本は外国からすると人口比率からすると0・1%にもならない、0・001とか低いのである

何か江戸時代辺りだと自給自足の社会であり村々の交流さえまれだった
それで隣の村から麦つきに働きに来ていた人が大蛇だったとかの伝説が残る
それは人が村々でも行き来しないから隣の村でもそうして異様な人とまでになる
飯館村でも大倉村と佐須村が明治になっても合併しなかったのは民情が違うからだとしている、民情はなにかわからないが互いに情が通じない、習慣でも違うとかあったのだろう日本とはそういう社会だったのである、閉鎖的社会だったのである
そもそも村でさえそうならば国同士がわかりあうのがどれほど大変なのかわかる
民情というがあらゆるものが違ってくるからだ
それがウィルスとかの伝染病には守るのにはいいとはなっていた
でもやはり伝染病は常にあり被害が大きかったとなる
これも人類的災禍だとなる、ウィルスは既知なものとして現れるのではない
何か新しい新種のウィルスが現れるからとまどう、科学者でも解明できないものとして現れる、ワクチンを作ったとしてもそれがどこまで有効なのかもわからない
副作用もあり不安になる

いづれにしろこんなに災難が次々にふりかかるのは何なのだろうとなる
時代が大きく変わる時、易姓革命が起きる、それは天意であり神意であるともなる
モーゼの出エジプトの時も疫病のような災難が起きてファラオはお手あげになり国から出て行くことを許したとなる
サバクトビバッタとかの被害もありこうがいも起きていた、それが今も起きている
それは世界的にも大きな変化の兆しとして起きている

いづれにしろ人間は未知なものには弱い、それが不安をもたらす、それに対応するのは科学だとまたなる、ワクチンだとなる
でも原発事故となると放射線の危険性はわかったいたのである
全く未知ではない、その危険性もわかっていた、でもそのわかっていた危険に対処しなかった、確かに津波は想定外でもそれも科学者が十数メートルの津浪か来ると警告していたのである、その警告を無視した、だからその責任が人間になるとして問われた
今回のウィルスは未知だからその責任は問えない、ただこれも人間が故意に作ったものだという人もありわからないのである
そして様々なことを言う人たちがいる、それでまた混乱するのである
ただなぜこんなに次々と災難が来るのかそれが不可解なのである

ユーフラテス川のほとりに繋がれていた四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。
全世界の人口の三分の一が殺されるというと、驚いてしまう。

1802年 10億人、1927年20億人、1961年 30億人、1974年40億人、1987年50億人、1998年60億人となっている。50億人から60億人になるのに11年間、60億人から70億人になるのに13年間となっている。そして、将来の増加予測としては、2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人に達すると見ている
http://j-strategy.com/series/tf2/1566

ヨハネの黙示録に人口の三分の一が殺されるというのが気になる
つまり現在の人口は増えすぎて三分の一に減らされるのが適正人口なのである
日本の人口は江戸時代で3000万であり明治以降に4倍にも増えた
これは歴史上ありえない増え方でありそれはグロ−バルに起きたことである
インドとか中国は国土が広くても人口が多すぎる
2000年前に中国の老子が小国寡民を言っていたがその時は一億人くらいしかいなかった
それでも人口が多いと感じていた、だから今の人口は本当に異常でありその人口の多さが環境破壊とか資源をとりつくすとかの問題に発展する
もう一つは大都市の問題である、そこに一千万とかインドのニューデリーでも二千万人もいるというときその過密がウィルスの伝染を防げなくしている
大都会がウィルスに弱かったのである、だから東京でも大阪でも大都市から拡散する
福島県でも都市から拡散しているからだ
大正時代の東京の人口は百万だったのである、その規模なら問題なかったのである

この人口を減らすのは戦争とか疫病とかがあるともなる、でも簡単に人口は減らせない
だからこそコロナウィルスで人口減があるのかとなる
これはまた陰謀論にもなる、人口を減らすためにマイクロソフトのビルゲイツがたくらんだとか言う人もいるからだ
ただそれが簡単に陰謀論で片付けられないのは実際に人口が増えすぎてそれが地球で重荷になり災いをもたらすことは確かなのである
だからそれは自然の摂理でそうなったのかともみる
ただコロナウィルスの正体は未知でありそんな凶暴なものになるのか疑問はある
ただインドで猛威をふるっているから不安になる

ともかく福島県でも近くの保育所で感染したとか聞く、原町の介護施設のツクイでも感染者を出している、新田川の六号線の橋を渡った所にあるとか身近になり不安になる、田舎だと感染者とか近くに出るとすぐわかる、それで警戒が強くなるし不安も大きくなる、そういう点では抑えやすいともなる、何か外に出ること自体怖くなるからである
すぐ身近に感染しているとなれば田舎では都会より警戒するし敏感になるからだ
福島県は結構増えているのだ、宮城県は一時増えたが抑えているのはなぜかとなる
福島県は依然として増えているのが気にかかる
市町村の人口に比例して感染者は増える、これだけは確かである
だからある程度感染者の数は正確に割り出せる、統計的に比率として予想できる
ただやっかいなのはインドとかで発生した変異ウィルスである
それは今東南アジアに拡散しているとなるとやはり日本にも影響してくるしすでに影響しているとなり不安になるのである
posted by 老鶯 at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年05月03日

輸入ができない木材不足で家が建てられない (グロ−バル経済の矛盾がコロナでも木材とかでも表面化する)


 輸入ができない木材不足で家が建てられない

 (グロ−バル経済の矛盾がコロナでも木材とかでも表面化する)


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 [緊急]ウッドショック!!家が建てられなくなる?!
 https://www.youtube.com/watch?v=Qy7F4xOZT4A
 
  ここのyoutubeは興味深い、アメリカで木材需要が高まり輸出しない、国内優先になった家が建てられないということはその家を建てることで仕事をしている多数の職人たちの仕事が失うとういことである、それも大きな問題になる
 では国内の森林が豊富なのだからそれを利用すればいいと思うが国内の森林は放置されて利用されないから簡単に供給できない
運ぶ道も放置されて整備されていない、枝打ちもしていないから荒れているとかなる
それを準備するには数年かかるとしている
それよりそこに人材を集めて木材をとれるようにするのは相当な労力と時間がかかる

だから私の住んでいる森に入ったら確かに前はそこは林道があり木材をとっていたのである、なにしろこれだけの森林が日本にありその木材はみんな日本でとれていた
それより地域の家は地元でとれる木材を利用していたのである
だから私の家は親でも橲原とかからとった材料で作ったと自慢していた
それはどこでもそうである、地元でとれた木材で家を建てていたのである
建てるのも地元の大工さんが建てていた、それも何カ月もかけて建てていたのである

今はハウス会社はプラモデルを組み立てるように二週間くらいで組み立てて建てる
地元の木材など使わない、地元の大工さんもかかわらないとなる
これもなんかおかしいと前から私は指摘してきた
グロ−バル経済というのは一見いいように見える、でもそれが何か不自然なのである
本来地元にあるものが利用されないということが不自然なのである
何かもったいないと思うからだ、それはグロ−バルな価格競争で負けたから地元の国内の木材を活用しない、でも今になってもう外材が高くて買えない、家も建てられないと窮状を訴えている

こうして不思議なのはコロナウィルスでもそうである
グロ−バル経済に歯止がかかり自由なモノとヒトとの交流もできなくなった
そしてこれまでのグロ−バル経済が変わる、人の自由な行き来でも物流でも止められる

「SDGs(エスディージーズ)」とは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標です

このことが盛んに言われるようになった、木材でも外材が入らないということで持続可能に木材でも地元で育てねばならいともなる
もともと日本では木材などは持続可能なものとして育てて来た
第一木が育つには50年とかかかる、そうなると本当に持続可能にするには一代では実りが得られないのである、自然の時間にあわせるほかないのである
それで江戸時代とかなる何代も家がつづいていた
そうしなければ家業でも成り立たないからである
現代のように目まぐるしく変わらない世界であり気の長い人間であり社会になっていた
現代は凄まじい変化のなかで生きている、すると何か落ち着いたものがない
そこでうつ病になる人が多いというのもわかる
長い先が見れないのである、その時その時で時間が消費される、長い先を見れないのである

だから当然国家百年の計などできない、今の時間だけがすべてだとなってしまうのであるこれは人間の人格形成にも相当に影響する、なぜなら常に即製するもの、インスタントなものを作る、じっくり時間をかけて物つくりしないのである
もともと自然を相手にする農業でも例えば双葉の梨農家だったかそこでうまい梨を作るのに十年かかったとか言っていた、そういうふうに農業自体が自然相手だから自然の時間をに合わせる、種を蒔いたからとすぐに作物は育たないからである
そこに待つ時間がある、何かそこで農民は忍耐が養われるともなる
現代の人間が何か軽薄なのは常にインスタントに即製するものを求める
じっくり長い目でとりくむことはしないのである
そういうことは人間自体即製させることにも通じている
人間自体がそもそも即製できない、長い時間が何でもかかる
知識にしても即製で身につかないのである、長い時間かけて積み重ねてあることに詳しくなる、即製的に知識も身につかないのである

豊かになるにしても一代では無理である、ある家が豊かになりその家から才能ある人が出るというのも一代では成らない、例えそこに才能がある人がいてもそういう環境に育たないと才能は開発できないのである
一代目が財を築いて二代目が芸術家が生まれたりする、最初は働きづめで一代目が創業して財を築く、二代目はその財を基に才能を伸ばすということがある
家でもそういう積み重ねがあって豊かになる
だから格差のことを盛んに言うけどどうしても格差はある、なぜなら親が財を築いてその二代目三代目がその財を基に才能などを伸ばすことができるからだ

現代だと団塊の世代は戦後の焼け野原から始まった、その時はみんな貧乏であり平等だったのである
でも高度成長時代があり豊かになった人たちがいた、そこから何か二代目はその財を基に才能でも伸ばす余裕が生まれたとなる
自分の親は大正生まれであり戦前から貧困であり何か余裕ないものとして生きた
他の人でも何かその家はケチだというときまともに食うものもなくて育ったためにケチになってしまったようだ
自分にしても何か大きな金が使えないのである
旅するにしてもいつも安宿を探していたり贅沢などしたことがないからである
こういうことは貧乏性となり大きな金を使えなくさせる、それでどうしてもみみっちい性格になると思った、そういう環境が人間形成に影響する

ともかくグロ−バル経済というのはそれがすべて悪いとはならないにしても行き過ぎたものとなっていた、自国でとれるものも利用しない、日本が森林が豊富であり木材もあったそれを利用しないで外材に頼る、いくら安いからといって日本の宝があっても宝の持ち腐れにしていたのである、これは本当におかしいと前々から思っていたのである
その矛盾が今露わになり困ることになる
そういうことは予想されていた、何か不自然であり理にも合わないものだったからであるコロナウィルスでも何か行きすぎたグロ−バル経済への社会への警告だったともなる
戒めとして現れたのかともなる
グロ−バル経済の問題はそのコミニュティとか社会とかまで壊すことが大問題だったのである、それは経済だけの問題ではない、モラルまで崩壊させることであった
そういうことはこの辺の原発事故でも起きた
町や村が崩壊ししてコミニュティも家族までばらばらになってしまったからである
過度に科学技術が信仰のように頼ることも危険であり見なおすことが強いられる

とにかく「SDGs(エスディージーズ)」が世界の共通目的となったことは世界の人たちもそういうことを共通のものとして認識したからだとなる
歴史をふりかえれば日本で鎖国していた、その時代は自給自足であり日本にあるものでまかなうほかなかった、だから貧乏だったということもある
でも不思議なのはその時は別に韓国とも中国とも干渉もしないから争うこともなかったのである、ただ欧米が進出して明治維新となりそこから変質してしまった
その原因は日本にあるより欧米の進出にあった、それに対抗して日本でもアジア進出になったからである
日本がはじめて世界の歴史にまきこまれてそうなったとなる

ただ江戸時代でも貿易は長崎の出島からしてたし全く閉ざしていたわけではない
そういう取捨選択する貿易の方がかえっていい面があった
なぜなら日本にあったもの日本に適したもの入れるとういことである
外国でも日本化して受け入れるとういことである
それは仏教でもそうだし日本化して受け入れるその国のものとなる
キリスト教でも内村鑑三の武士道を基にして受け入れたというのもそうである
それは日本的キリスト教になっていたのである
グロ−バル化とは外国と同じになることではないのである
欧米でもアメリカでも悪いことは見習わないことである

それが戦後戦争に負けてから余計にそういうことがなくなりアメリカ崇拝となりアメリカの金だけが唯一の価値とした社会に変質した
それがこれだけのモラルの荒廃を生んだ社会となったともなる
もう日本人は義理人情すらない、金しか見えない強欲人間しかいなくなったのである
原発事故でも実際は地元でも金になればいいしかなかったのである
限りない欲望の象徴として原発があった、そこに人々が群がった
それは官僚や政治家でもマスコミでもそうだったのである
その原動力は金になるということしかなかったのである
それが悲惨な結果となった、ただそれも地元でも反省していないしなぜそうなったのかも考えないのである、ただ結果として復興しない、家族はばらばらになり若い世代は帰ってこないとなったのである
グロ−バル経済でも何かモラルなどない、強欲資本主義になり金しか見えない社会になり人間になってしまったということである
金はアメリカの数パーセントの人たちに収奪され集められているのだ
そういう世界的歪みをもたらしたのがグロ−バル経済だったのである




 
posted by 老鶯 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

川は道となり海も道となり歴史を作る (阿武隈川から太平洋に出て塩釜から江戸へ船で荷を運ぶ道)


川は道となり海も道となり歴史を作る

(阿武隈川から太平洋に出て塩釜から江戸へ船で荷を運ぶ道)

山川海の道

山は閉ざす
川は道である
上と下とを結ぶ
山は閉ざす
峠を越えると
新しい世界が開け
そこに小国がある
川は物を運ぶ道
同時に心の通う道
はるか上と下とを結ぶ
山は閉ざす
川は山間を出て流れ
平野に導き
街に導く
山間ぬうて
何か蛇のように
道は曲がりくねる
道は分れ一時とどまる
どちらに行くか
道は未知である
分去(わかれさり)に旅人の思い
日永の春の日に
いづこへともなく旅をする
ああ、その日がなつかしい
山はとざす
道は外へ通じる
家と家をつなぎ
村と村をつなぎ
街へ出る道
道が違えば新たな世界が開ける
常に道に誘われ旅人は行く
その道は尽きることがない
山中深くさえづりはひびき
山は閉ざしぬ
草にうもれ墓あわれ
一軒の家の暮らしあり
石のかたえにシャガの花咲き
その家の古りしも
我は道をたどり旅をつづける

交通から自然と歴史をみる、地形とかからもみる、それは旅が仕事になっていたから自分に合っていた、これは興味が尽きないのである
日本では川が外国と違って急流となったり障害が多く交通路になりにくい
外国人からみると日本の川は滝だというのもわかる
ただそれでも最上川は交通路になっていた
そして阿武隈川も小規模であれ交通路になっていた
そこから歴史でも地域でも見る、するとわかりやすいとなる
なぜなら交通路になっていることは物流であっても人と人が結ばれることだからである

地形的には山は閉ざされる、そこで山形県出身の真壁仁が峠の詩を書いたことはわかる
山形県から宮城県に入るにはまた福島県に入るにも山がさえぎるからだ
鉄道がないときは山形県の山寺に出るにも山で遮られているから峠を越えなければ行けないとなる、それで福島県に出る山の上に鉄道の峠駅があるのもわかる
峠の字は国字なのもわかる、それだけ日本には峠が多いのである
だから山は閉ざすのである    

峠は決定しているところだ
峠には訣別のための明るい憂愁が流れている
峠を越えて
新しい世界が開ける
峠を越える時すぎこし道のなつかしく
開ける道は楽しい
道は答えない
道はかぎりく誘うばかりだ
(真壁仁)

峠はこういう場所である、峠というのは新しい世界に入る場所なのである

会津でも山国でも新潟と阿賀野川を通じて交通があり物が運ばれた
北前船が入ってきていたからだ
それと同時にコレラとかが流行したとき伝染病も入って来たとなる
疫病の伝染は交通路と深く関係していたからである

それで川は交通路になると外部へ開く道となる、阿武隈川だと福島市から米などを運ばれていた、板倉藩があり河岸に港があり梁川の方へ阿武隈川が流れて丸森へ運ばれる
丸森から岩沼へ運ばれ荒浜の港へと運ばれる
でもそこで問題だったのは阿武隈川を荷物をのせて下って来た船は小舟である
大きくはない、すると海を渡るのは無理だった
それで一旦塩釜の寒風沢島(さぶさわしま)に行って荷物を別な大きな船に乗せたのである、そこから江戸へ米などを運んだのである

その大きな船がなぜ作れたのか?
伊達政宗が慶長遣欧使節団をヨ−ロッパに送ることができたのか、太平洋を渡りメキシコから大西洋を渡ることができたのか?
それだけの雄大な発想自体できたのかとなる
それは造船技術がなければできないことである、その造船技術はスペインの宣教師が入って来て伝えられたからだとなる
海は日本だと島国であり閉ざすともなるがまた開けるともなる
海はやはり川と同じく交通路になる
ただ太平洋は波が荒く日本海が交通路になった、北前船が通ったからである

ともかく大航海時代の影響は日本がにもあった、キリスト教の宣教師が日本に来て布教した
それは信長が許可したからできた、実際にビスカイノとかが相馬まで来ている
それは慶長地震津波があったときでその報告をしている
そのスペインであれ宣教師の役割りがあり伊達政宗が世界に目を開かされたのである
ただ太平洋をわたり大西洋をわたりヨ−ロッパに行くということは容易ならざることである、それより第一そんな発想自体できないとなる
ただ信長の時代は意外と国際的な時代だったのである

結局海を交通路としたスペイン、ポルトガルが世界の乗り出して歴史を変えた
そのあとにオランダが貿易立国となり豊かになった、そして次にイギリスが七つの海を支配して覇権国になった、その次にアメリカが日本を支配して世界の覇権国になった
日本との戦争が太平洋戦争というのも海を支配したからそうなる
それは海が交通路として重要だからそうなる
今度は中東から石油を運ぶということで太平洋航路が重要になり中国とアメリカが争うことになる、つまり海をめぐっての覇権を争うことになる
海を制するものが世界を制するとなったのが大航海時代以来の歴史だった 
交通から歴史をみるとき世界は結ばれるのである
旅は遊行にしてもやはり現実の経済生活と関連している、旅と交通路と道は密接に関連している

ただ旅という時単に効率的に物を運ぶというのではなく、道を行くことで旅の気分になるそれも電車とか車と違って一番道を意識するのは歩く旅とか自転車の旅なのである
今回のその旅を思い出した、大張に来て道が分かれている
白石市に行く道と阿武隈川から梁川に行く道が分れている
そうして分かれ道でどっちに行こうかというのが旅である 
それで分去(わかれさり)という地名が残るのもわかる
歩く時代は旅は道連れとしても分かれたらもう二度と逢えないし連絡もとれないとなるからだ、その分去という場には人間の深い思いが残された場所なのである
それは決められ道ではない、道は未知であり未知にいざなわれるのが旅なのである
ただ鉄道とか車だとそういう旅がないのである、ただ移動するだけだともなる  

いづれにしろ近くでも旅がある、その旅でも車とか電車だと道を感じない
道に未知に誘われることがない、だから現代では便利になりすぎて旅人もいないし本来の旅ができなくなったのである
ただ正直この年になったら自転車の旅はきつかった、三日くらい足腰が痛く疲れがとれないのである、だから限界を感じた、でも近くでももし歩いてとか自転車だったら旅になるそれで折り畳み自転車ならなんとか旅になると思ったのである
でも坂を上ることがきつかった、七曲りの坂道が延々と続いていたのである
そこで疲れたとなる、でもその七曲りの坂を越えてこそ旅なのである 

春光のまぶしや峠のかなたにそ我があこがれて進みけるかな

この時は峠のかなたに行けなかった、とても一日では行けない行程だった
前だったら行っていた、やはり体力がないと旅はできない
でも一日でも歩いたり自転車なら旅になることを知ったのである

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川上とこの川下や月の友  芭蕉

これは大きな川ではない、小名木川だとしている

友思ふ舟行く後の松に月 (自作)

浮世絵では運河のような小さな川である、だから人間的だとなる
かなり身近で結ばれていた川であり最上川と大きな長い川ではない
日本だと長い大きな川がないからそうなる
距離もそもほどないから通えたともなる
そこに有名な松もそうである
松は何か人間に見えるからである、人間がそこに立っているという感じになるからだ

とにかく江戸時代の景色は本当に人間的であり自然と調和していたとなる
ただ江戸時代の花見とか枯野見とかまであったのは自然がないから自然に親しみたいとしてそういうことが生まれた
密集した江戸の町中にいるのは確かに閉塞感があり自然を求めた
ただ簡単に行けない、歩くから距離があるからである
つまり江戸では簡単に自然に親しめる環境ではなかったともなる

枯野見と江戸に感じる季節かな

江戸時代、枯野見の名所の一つに雑司が谷がありました。雑司が谷は現在の豊島区池袋近くで今はビルが立ち並ぶ所ですが、当時は静かな耕地だったそうです

とにかく交通路として川がここに現実あったがそれは小さい川であり距離もない
外国になると長大な河になるからだ、それで日本では川が交通路となれなかった
川は交通路となったとき文明が生まれたからである
四大文明そうである、その大きな川がないことで文明そのものを日本では理解しにくいとなっていたのである

芭蕉の川の俳句 小名木川

小名木川は江戸物流の重要河川と認識され、利根川東遷事業と併せて拡幅され、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が置かれた(幕府の役人がそこに駐在し、行き交う船の積み荷に江戸の治安上危険な物などが紛れ込んでいないか確認するために簡易な検査をしたのである)。新川、江戸川、利根川を経由する航路が整備されると、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米などが行き交う大航路となった。

2021年05月02日

マスコミテレビになぜ洗脳されるのか? (映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)


マスコミテレビになぜ洗脳されるのか?

(映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)

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【武田邦彦 5月1日】2日前にトンデモないニュースが放送された!
この衝撃的な映像の裏に隠された、奴らの恐ろしい正体を徹底暴露します!
https://www.youtube.com/watch?v=oiYpFquUOdM


子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった・・パヌンのかぼちゃ畑

ウルトラマンをどう心の中で昇華していいかわからないしモン族の世界では語りえないものだったのだ。テレビがいかに人間の心を惑わすものかわかる。モン族や昔の人が見ていた感じたのは風の精とか森の精とか花の精とか自然の中に息ずく精霊のことでありテレビとかに出てくる妖怪、偶像ではない、それはテレビに映るものよりリアリティあるものなのだ。現代はテレビとかゲームとか映画にでてくる妖怪である。人間は今かつてないバーチャル空間に生きていて現実味を失い妖怪化幽霊化しているのだ。湾岸戦争もゲームのように行われたし

現代の妖怪(メデアが育む妖怪)
http://www.musubu.jp/internetmedia.htm#youkai

テレビの特徴はいろいろあるが感情的メデアなのである。活字とかラジオとか文字と音だけのメデアだったら感情的にはならない、本や新聞を読んでもすぐに感情的にはならない、冷静にみる。

「なんだあいつの顔が気にくわねえ、もっと顔のいいやつを出せ、、、、」

顔とか表情がまず注目される、だからアナウサーは美人でないと勤まらないのである。
知性よりその顔をみるからそうなる。

そしてテレビは一方的洗脳メデアである。テレビは何か疑問に思ってもそれを追及できないようになっている、そんなことあるのと思っても追及できない、一方的にテレビ局に洗脳されるだけなのである。
http://musubu.sblo.jp/category/641983-2.html

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、
そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
http://musubu.sblo.jp/category/641983-3.html



海岸が侵食されているのではなく、波の作用によって、島の形が変わっているということです(面積としては上記から増えていることがうかがえる)

「地球温暖化により海面は上昇しているか否か」ではなく、リサイクルPETレジンのLCIデータの解明と、ツバルの問題を歪曲し、センセーショナルに取り上げ世論を誘導するというアプローチの違いです。
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1006/18/news007.html


武田邦彦氏がなぜNHKを批判するのか?それはNHKがあまりにも影響力が大きいからである、そしてNHKは公正な報道をしているわけではない、放送はすべて公正ではない
特にテレビの問題は映像が主体だからそれでだまされやすいのである
そのことを絶えず指摘している、意外とここが気づきにくいのである
人間は映像に目から入るものに一番だまされやすいのである

温暖化はないというとき南極であれ北極であれその土地は実際は広大でありそれを知ることなどできない、ただ常にほんの一部の映像によってきりとったわずかの映像だけ映されるからその影響が大きい、それは人間の心理として頭に刻印され洗脳効果が大きいのである、それで北極であれ南極であれ氷りは溶けないとオーストラリアでも氷づけになってしまうという、広大な氷原の端でも溶けないとそうなる
つまり人間の認識の弱点は常に大局的に見れないことなのである
テレビの小さい箱から見ても自然とか世界は理解できないのである
でも映像のインパクトは強力だからそれで誤解されやすいのである
だまされやすいのである

そういうことは常にテレビの放送である、イラク戦争で油まみれの海鳥がテレビ画面に映されてそれが世界で放送されたときイラクはひどいと感情的になりイラクは悪い奴だとされたのだからこれもあくどいとなる
実際はイラクには毒ガス兵器などなかったのである、それもアメリカによって大国によって強国によって力の強い者が報道でも操作できるからそうなった

地球温暖化でもツバルが海に沈むというときもそうである
確かに一部は海の水が入り込んでいたが全体ではない、またそれが温暖化の影響でもなかったのである
でもテレビでその水びたしになった映像を見るとそう思い込んでしまう、そういう影響力がある、だから人間は映像にはだまされやすいのである
そしてNHKは嘘をつかない、NHKはまるで聖人君子のように見られている
そのNHKを批判はできない、その影響力の大きさが問題なのである
だからNHKを見ている人はNHKを批判してもNHKの方を信じるのである

原発事故でも避難した人たちが相馬市にいた、その時津波の被害者も同じ仮設に住んでいた、一方は多額の補償金をもらっていた、でも相馬市の津浪の被害者はもらっていなかった、でも津波の被害者をトマト農家では雇った
そして飯館村の人は断られたとテレビに映りそのことを言わせた

でもその雇った人のいい分は言わせなかった!

ここにNHKによって操作された編集された映像が流されて誤解になった
それはNHKの上層部で原発避難者側に立つということで編集したのである
だから津波の被害者には何も言わせなかったとなる
それはいわき市でも起きていたのである
だから原発避難者が過度にかわいそうだと全国で見られるようになった
実際は津波の被害者の方がかわいそうな人たちだったのである
別に原発避難者が悪いというのではなく公平な報道がなかったことを私は指摘した
そこに別に悪意はないのである
ただその後はNHKでは公平に報道していた

でもこういうことは地元でないと気づきにくいのである
なんでもそうである、テレビで映し出すのは全体のほんの一部なのである
その一部がクローズアップされるから誤解しやすいのである
人間の認識は全体があってその全体のつながりの中で物事を理解する
土地はつながっているし一地域も全体の中で認識する

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる

つまりテレビの映像は実際は非現実の世界でもある、なぜなら全体を知ることはテレビからはできないからである、そこに映像の錯覚が生まれる

子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった

原始的な部族で生活している人がウラトラマンを認識できない、奥深い自然に囲まれた中で閉鎖されて生活していればそれが何なのか認識できない
それは全く非現実の世界のものだから理解できない
むしろ自然の中では精霊とかがいてそれが現実的である、森の精霊とかが現実に感じるものである、それは非現実ではない、やはり森があって認識するものだからである
何か現代文明こそが非現実の世界、バーチャルの世界になったのである
第一一千万の都会とかなるととてもそれ自体が現実と思えないからだ
そこが人間が住む世界として現実に思えない、摩天楼でも幻想に見えてしまうのである
だからこそ文明人はロゴスを失ったとか、言葉が喪失した連関性のない世界に生きているとか言われる、つまり言葉と事物が結びつかなくなったのである
アイディンティティ化される自然の事物が喪失した
大都会では何とアイディンティティ化するのか、そういう場所からウルトラマンとかゴジラとか異様なものが生まれる
それはヒットラーにもナチスにも通じる不気味なものなのである
現代文明が膿む妖怪なのである

一つの例として

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先日私は阿武隈川をさかのぼり道に迷い丸森の大張村に出た
それは偶然だったがその大張村に一本の木があった
その木を見て短歌を作った

大張に一本の木の根付くかな春の夕暮れそを見て帰りぬ

その一本の木があったがこの木でもやはり全体の中にある、大張村がありさらにその周りの自然があり山に囲まれている、そこに到達したのは急な坂を七曲の坂を上ってきてその村に出たのである
その過程でその土地の地勢を体でしりその一本の木を見たのである
写真でみればただ一本の木だけが目立つ、でもその一本の木を人間が認識する時はこうして全体から認識する、その過程がテレビにはない、写真にもない

だからどうしても写真を見たりテレビの映像を見ても俳句とか短歌でも詩でも作れないのである、それは認識するということは部分ではない、全体から人間は認識するからだとなる
人間は見るということはカメラで見るのとは違う、心の中で見るともなる
人間は事物がある、それを見るということは心で見る、心で一体化することである
アイディンティティ化する、自己同一化する、それで物は物が憑くとかなり物は単なる物ではなくなる、人間の心がのりうつり人間化するともなる
それで原発事故で避難して人がいなくなった飯館村とかで一本の木があったがそれが人間に見えた、何か淋しく感じたのである、だから村とかにある木でも石でも人間化したからそうみえる、それは庭の石とかでも人間化している、木でもそうである
だから人が住まなくなったとき何か一段と淋しく思えるのである

人間存在はその土地から場から遊離して孤立して存在し得ない、土地の全体の中にあって活きてゆく、その場から何事も認識する
だから事件でも災害でもテレビでは切り取った一部分が放送される
するとそこに必ず誤解が生まれる、誤った認識になる、それで起こるとはtake placeであり場所から離れて事は起こらない、場所と結びついて事件でも災害でも起こる
その場から現代人は遊離しているからこれだけ情報があふれていても実際は認識力が深まっていないという逆説がある
テレビとか写真の映像はあくまでも一部分切り取ったものであり全体を知ることはできない、だからいくら世界の情報があふれても必ずしも世界の理解が深まったとはならないのである、むしろ世界となると誤解が大きくなってそれが問題を引き起こす
それがイラク戦争の油まみれの海鳥の映像だったのである
その一羽だけがクローズアップされて世界中が誤解したのである、回りの状況が映されなかったからである

武田邦彦氏が紹介した南極でも北極でも氷が崩れ落ちてゆく映像は衝撃的である
その映像を見た時、一瞬南極でも北極でも氷が溶けてなくなるのかと見る
でも広大な氷原の大陸がありその氷が崩れているのはその端のほんのわずかな部分なのである、でも一瞬氷りが溶けるということで恐怖を植え付けて温暖化してそうなった世界中の人を洗脳してしまうのである
そこにテレビの映像の報道の根本的な問題がありその映像を使ってNHKが主導的立場になり誤った方向に導く、それが怖いのはラジオからナチスが生まれたとかピカートが指摘したようにファシズムを誘導する、それが恐ろしいものを産むものとなる
ただでは映像の時代はその映像の洪水の中で生きる
私自身も映像に魅力を感じるからカメラにこるようになった
でも自分が撮った写真と他人が撮った写真は違っている
自分が撮った写真はその場の全体を記憶して撮っている、一部分だけを見ているのではない、全体がイメージされるものとして記録としても撮っているからだ
ただ他人の映像だとそこの場で自分が撮ったものではないから全体を認識できないから
誤解を生むのである


2021年05月01日

コロナウィルスが現代文明を宗教も変える (東アジアが少ない、アーリアン人、欧米人に多いのはなぜか)


コロナウィルスが現代文明を宗教も変える

(東アジアが少ない、アーリアン人、欧米人に多いのはなぜか)

新型コロナは“神が与えた罰”? せめぎあう科学と宗教
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200507/k10012419091000.html

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これが感染しやすいとしていたがかえってしなかった
むしろコロナウィルスに感染しない部類の人種だったのである
ただ遺伝子に共通性がありそうなったことは確かだった

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コロナウィルスの影響はグロ−バル化しているからグロ−バルに影響した
ともかくウィルスの伝染病を防ぐ手段は人と人の接触をなるべく避けることが最良の手段なのである
でもグロ−バル化するということは世界中に人が密に接触することになる
だから日本がでも今度はインドの悪性の変異株が入ってくるとか警戒している
それは世界中の人が交わる社会だとさけようがないからだ
オリッピックでも一人の感染したインド人が入ってきたら広がるとしている

ただ不思議なのは明らかにアジア系統特に東アジアでは抗体をもっているとされ感染者も死者数も増えないのである、これはこれから増えるのかもしれない、日本ではその兆候が見えてきている
ただ中国でも増えなかったのは不思議である、中国はあれだけ人口があって衛生環境も悪いからだ、何か汚れに無関心なのである
黄砂がとんできたりして常に汚れるのが日常化しているかもしれない
その点私はなぜ10数年前とか中国が発展しない後進国の時代に旅行した
その時なぜ犯罪にあわなかったのか?
それでも二回くらいカメラをとられたとかひどい目にあった
でも比較的中国で危険な目にあわなかったのは汚れていて中国人にしか見えなかったのである
街を歩いていても中国人と日本人の区別がつかないのである
だから夜とかアメリカとかで日本人はチャイニーズとなる、中国人に見られるのである

どうも人種的にはここの図のように東アジアは同じ系統なのだろう
それで最初に同じ遺伝子から成っているから感染しやすいとと神王テレビで分析した
それははずれた、むしろこの遺伝子をもっている人種はコロナウィルスにはかかりにくかったのである
ただ共通の遺伝子をもっていてそれがコロナウィルスに抗体があったと結果的には証明されるともなる

何かこのコロナウィルスの不思議は欧米にアーリアン人種系統に被害が大きかった
今インドで猛烈に感染者と死者数を増やしている
インドはドラビダ族とかアジア系統がいてもアーリアン人が白人が入ってきて彫りの深いヨ−ロッパ人の体と顔をしている
だから人種的には欧米系であり言葉でも印欧語族を形成している
主語の次に動詞がくる語形である、そしてまたわからないがアイヌ語にもhave動詞のようなものがある、この    haveの意味は広範囲であり独特である
羊を飼うということが基になって育てるとかいろいろな意味がある
そしてアイヌは縄文人とか蝦夷とか言うが違っている
顔の彫りがやはり欧米人のように深いのである、だから大陸伝いに日本に入ってきたヨ−ロッパ系統だともなる
ただ人種が交わり混交したから日本人的な顔もいる
一般に漢族でもアジア人でものっぺりした顔で彫が深くないのである
だから何かこういう顔は彫刻に向いていないともなる
だからギリシャ人はアーリアン人系統であり彫が深く彫刻に向いていたからギリシャで彫刻が発達したともなる

いづれにしろなぜインドに猛烈に増えてきたのか?死者も増えているのか?
インドは衛生状態が悪い、中国も悪いがインドはさらに悪い
そういう環境もあるがやはり欧米系の人種の遺伝子が影響しているのではないかというのは合理的である
そして密集することがウイルスを蔓延させる、ところが宗教でも密集して礼拝する
これは本来の宗教とは違ったものである
とにかくユダヤ教でもイスラエルで伝統的な宗教行事で集まることが禁止されたとかあるアジアでは韓国のキリスト教系統が集団で礼拝してそこから感染が増えた
それでその教祖が国民に謝ったのである
それが今インドでも起きている、ヒンズー教の祭りで人が集まるからそこから蔓延したとされるからだ

イスラム教でもモスクで集団で礼拝するから伝染する
何かこうして宗教が集団化することは本来の宗教に反する行為だともなる
神は集団に語らない、個人を通してしか現れない、最初はアブラハムという個人に神が現れた、あくまでも個人を通して神が現れた、その人が予言者になった
それはイスラム教でもモハメッドが洞窟で神から啓示を受けた
仏教でもシャカは洞窟で一人悟りを開いたのである
だから宗教が集団化したり組織化したり団体化して集まることは本来の宗教ではない
キリストも二人三人いる所に私がいる・・と言った時たった二人三人なのである

だから現代の宗教は何か本来の宗教とは違ったものになった
集団示威行動することなど宗教ではありえないことだったのである
だから宗教もファシズム化する、ナチスと同じようになる
何百万人の信者が示威行動すれば恐怖である、それは神とか仏とか関係ない
その集団的示威行動によって社会に恐怖を与えて権力を得るためなのである
それで創価では都議会選挙で東京以外から応援を頼めないとして困っているというのもそうである、何か週刊誌ではいろいろ場所、理容院とかでもまわり投票を頼むとしているからである
創価は24時間360日選挙運動のためにある、それが権力を得ることに通じているからである
何に祈っているのかとなると権力を得るために日々祈っていると同じなのである
一人でも票を得れば権力を拡大することになるからだ

そういうことまで戒められたということはコロナウィルスが必ずしも悪いことばりに作用したともならない、何か現代文明自体への戒めともなっている
第一人間が一千万も集中している密になっていることは異常なことである
そこではとても人と人の接触を無くすことなどできないからだ
そういう文明都市こそもう限界であり分散して暮らすことをコロナウィルスで強いられことは悪いことではない、まず東京遷都が言われたがこれも簡単にはできない
よほどのことがないとできない、強制されなければできない
だから遷都の話しなど聞かなくなったのである

このコロナウィルスは現代文明に対する警告でもあったかもしれない、何かそういう作用が現実にあったからである
グロ−バル化社会とか経済はいい面もあっても悪い面も目立つようになり社会が変質してしまった、一見いいようでも何か本来の人間生活を逸脱したものにもなっていた
本来人間はやはりその土地に根付いてその土地にあるもので生活するのが自然の理にかなっているからだ、ただそれがグロ−バル化したということの影響が大きかった
日本にこれだけ森林があっても外材で活用されないとかあり不自然になったのである

コロナウィルス⇒ (地域性)(人種ー遺伝子)(文化)

こうして総合的にかかわるものだった、とにかくグロ−バル化を一時とめた
またオリッピックなどは一握りの利権者のためのものであり国民は賛同していなかった
それをこれまでこだわるのは後にひけない、利権集団がいてそうなる
大損失になるとしているからだ、電通とかマスコミでもそうである
それは原発でもマスコミは巨額の宣伝費を東電とか電事組合とから800億円とか流れていた、それで危険を報道しなかったのである
これは天の意志だ神意として停止させられたともなる
それは悪いことではない、人間は天の意志に神の意志に逆らうことはできない
何か津波でもコロナウィルスでも天意として神意として起きたともみる
それに人間は逆らうことはできない、いくら科学が発達してもワクチンができたとしてもそれで全部解決しないということもありうる

要するに現代文明社会を変えねばならない、それが神から強制されているのかもしれないコロナウィルス後の社会が世界が悪い方向にばかりゆくとは限らない
かえって行き過ぎたグロ−バル化の弊害を是正して新たな社会を構築するようになる
そういうことは人間の力ではできない、それでコロナウィルスが謎になる
恐竜が滅びたのは神意だった、それは神の意にそわないものだったから神が滅ぼしたのである、それと同じようなことが現代文明にもいえる
神の意にそなわないからコロナウィルスによって世界を変えさせるともなる


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梁川は地理的要衝の地 (会津と米沢と伊達正宗が争った地)


梁川は地理的要衝の地

(会津と米沢と伊達正宗が争った地)

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伊達政宗の初陣は伊具郡(宮城県丸森町)での相馬氏との戦いであったが、その時に伊達軍の拠点となったのが梁川城で、政宗は梁川八幡宮に戦勝祈願をしたといわれている。また、その政宗が田村郡の田村氏から愛姫(めごひめ)を正室として迎えたとき、花嫁の受け渡しがおこなわれたのも梁川だった。

奥州仕置によって伊達氏が岩出山城へ移ると、梁川城は蒲生氏郷の領地となり、氏郷の死後は、上杉景勝の領地となって、梁川城には須田長義が置かれた。現在の梁川城の遺構は基本的にこの時代の城主(蒲生氏郷家臣の蒲生喜内か上杉景勝家臣の須田長義)によるものと考えられる

寛文4年(1664年)、上杉綱勝が後継者を決めぬまま急死し、本来ならば改易になるところを吉良義央の長男・綱憲を養子に迎えることによって上杉家の存続が認められるという騒動の際に、上杉領は30万石から15万石となり、梁川城を含む伊達郡(および信夫郡と置賜郡屋代)は没収され、天領(約20万石)となった。この時、梁川城は廃城となった。


なぜ梁川城をめぐって伊達と米沢と会津がみつどもえで争ったのか?
そこが。地理的要衝だったからである
その城自体が前に広瀬川があり阿武隈川があり後ろが山であり要衝の地に作られていた
だからここは前々から地理的要衝の地だったのである
それで私が阿武隈川にそって丸森の大張とか耕野から出ると梁川に出て平野が拓ける
そこが春野となっていて気持ちいい光景になる
山に閉ざされたところから出てきて平野に出たなと解放された気分になる

つまりそういう所に梁川城があったということがまさに地理的要衝になっていたのであるだからこそ会津藩でも米沢藩でも伊達藩でもここを支配したいとなったのである
そうなるとここで覇権争いも起きてくる
そのことで丸森の木材をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が争ったのである
そういう要衝の地だからこそここが中世から重要な地点となり城がすでに築かれていたのである
そういうことで本当に歴史でも地理がわからないと理解できない、地歴なのである
その地理を理解するには電車だけではわからない、車でもわからないのである
閉ざされた丸森の山間の部落から出てきて峠を越えてそれが体で理解できる
電車だとトンネルをくぐるから峠の感覚がわからないのである

伊達正宗はまずこの梁川をおさえた、それから丸森に入り筆甫に入り相馬氏と戦う
初陣の地が筆甫だったとなる、相馬氏も金山城の城主となっていた、相馬氏も丸森の木材をめぐって争っていた、そういう場所だったのである   

梁川城は古い城下町なのである、足軽町とかある、こんなに足軽が住んでいたのかともなる、なぜなら相馬藩だと中村城は城下町でも足軽町とかないのである
城跡があっても何かそうした城を囲んで足軽町がない
それは相馬氏では野馬追いに見られるように農業をして侍だった郷士が多いからである
城勤めではない、もともと農民であり侍であり給金を支給されていてもその土地に土着する農民だったからだとなる
だから野馬追いには農家から出るのがほとんどであり街内から出ないのである

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ともかく伊達氏だと白石には伊達政宗の片腕の片倉氏がいて補佐した
それで白石城がある、白石にも丸森から道が通じて近いとなる
そして白石市の菓子屋には足軽まんじゅうを売っていた
足軽が食べた饅頭だからとなる  

足軽の庭は、観賞用ではなく

主に生活のため

果樹を植え、畑もしていたそう

下級武士でも内職していたし庭には必ず柿の木などを植えていた、それは食べるためのものであり鑑賞用ではない、柿は果物がない時代には貴重だったのである
それで大正生まれの母の好物は柿であり干し柿だったのである
果物というときその頃柿を主に食べていたとなる
みかんなどは東北ではとれこないから簡単には食べられないからである
伊達市があんぽ柿で有名である、柿は干し柿として御菓子にもなっていた
それで私の家の庭にも渋柿だけど柿の木があったことを思い出した
農家では今でも柿の木はあるけど街内ではめずらしいとなるがやはり食料として植えていたとなるのかもしれない、とにかく何でも自給しないと生活できない時代が長くつづいていたからである

江戸時代の暮らし
http://hiariya.com/asigaru-haken   

ここは結構江戸時代を語っているから面白い、何かあらゆることにいろいろな見方がありそれで検索するとそれなりのものに当たりそれで今はインタ−ネットで編集する
出版社の編集者のようなことができるようになったのである
知識のネットワークができているからそういうことができる

いづれにしろ昔を偲ぶというとき何か手がかりが必要になる、戦前の暮らしとか戦後十年は燃料は炭であり山では炭焼きをして暮らしていた
それから全国的にも養蚕が盛んであり生糸を作ってアメリカなどに輸出していた
それは戦後の日本が電器製品を外国に売り高度成長した時代と同じである
生糸を輸出することでそれが日本の財力となり軍事にもその金を使い拡張したのである
そういう時代が戦前だったのである、梁川でもそうして生糸生産で豊かになったということがある
山の中でも養蚕が行われていてそれで金になり山の中でも暮らしていけたということがある、時代が変わり山で暮らすことが容易でなくなり過疎化している
材木でも外国から輸入するから森があっても木材があっても活用されないからである

ともかく時間軸でその土地を知るのと空間軸で地理からその土地を知る
この二つがあってその土地の理解を深めることができる
だから地歴だとなる、それでできれば歩いて旅するとか最低限でも自転車で旅するとかすると地理がわかる、電車でも車でも峠を越えるという感覚がもてない
電車だとトンネルをくぐるということでトンネルの向こうは雪国だったとかなる
でも江戸時代ならみんな峠を歩いて越えたのである
そういう旅は体で記憶しているから忘れないのである
私の場合は飯館村へ長い坂をのぼり峠を越えることをしているから峠を意識する
丸森だとやはり必ず峠を越えて相馬の方に帰る、その時春だといつも夕桜になっていて
心に染みるとなる
山に遮られているから山を歩いてでも越えるということでその地理を体で理解す


相馬藩玉野村の境界争いはなぜ起こった?
相馬藩、伊達藩、会津藩の攻防
http://musubu.sblo.jp/article/33335256.html

2021年04月30日

Greece Temple-canola flower

Greece Temple-canola flower



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greece temole over canola flowers

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japanese letter KANA -canola flower

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spring mountains

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菜の花の俳句(外国でも菜の花が咲いていた)


菜の花の俳句(外国でも菜の花が咲いていた)

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 ギリシャのドルフィ神殿



菜の花や油乏しき小家がち    安永2(1773)

なの花や昼一しきり海の音    安永3(1774)

なのはなや筍見ゆる小風呂敷

蕪村


菜の花に かこち顔なる 蛙哉

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな  

菜の花の 盛りに一夜 啼く田螺(たにし)

菜の花に かこち顔なる 蛙哉

(一茶)


寺ありて 菜種咲くなり 西の京 

菜の花の 野末に低し 天王寺

寺ありて 菜種咲くなり 西の京

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

(正岡子規)



中には「油成金」のような人も居たかもしれない。その人たちにとって菜の花は単にその景観ばかりでなく、実質的にも富をもたらす特別な存在として意識されていたはずであるhttp://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/buson/NanohanaBuson3.html

郷土史家若林泰氏はその著書の中で、

……紀州出身の田林勝右衛門が享保15年(1730年)に油水車12輌の取立てを許され、同享保20年(1735年)に菟原郡五毛村・治助、原田村・善十郎によって油水車5輌の完成をみたのが、「水車稼一業の村方」水車新田の始まりである……

と記述している。つまり水車専業の稼ぎをした農民のことである
https://ameblo.jp/motoyamakitamachi/entry-12550326894.html


菜の花に遺跡うもれてギリシャかな

菜の花やギリシャの島にロバ休む

菜の花や小舟に豚運ぶ運河かな

菜の花や運河の長く尽きじかな

船行くや菜の花うもる島一つ(瀬戸内海)


菜の花のイメージは何か庶民的なことではないか?
ただ菜の花の種が菜種油として利用されて大阪の方で財を成した人がいてそれで蕪村は
その成金に受けるように菜の花の俳句を作ったというのは違うだろう
菜の花でうもれていて油がとれてもそこに住む農民は油が不足していたからである
当時の油は相当に貴重だったからである、爪に火を点すとかもそうである
パトロンが金持ちになっても蕪村は小家に注目していた、商人の邸宅とは違う貧しい小家である、それもそれだけ菜の花に囲まれていてもそこに住む農民は大方貧しかった、筍を大事に小風呂敷につつんでもってゆく姿もそうである
ただ菜の花は今のように無用のものではない、暮らしの中で金になるし生活があった
ただ鑑賞しているのとは違っていた
人間の生活が生業として菜の花でも実用となっているとき見方が違ってくる

菜の花という時、何か庶民的な花なのである、なぜなら一面に黄色にそめるからである
一つ一つではない、薔薇だと高貴な花とかなるが菜の花は庶民のように平民のように大地をそめる、そこに一つ一つの花として見ないからである
この菜の花は外国でも咲いている
それをギリシャで見たのは意外だった、ドルフィの遺跡とかでも菜の花にうまっていた平地でも菜の花に埋まっていた、それは何かギリシャだと文明発祥の地として見ていたから意外だった、それだけ自分は外国には疎かったのである
学問の発祥地でもあるギリシャが本当に田舎だったことの不思議である
羊とかロバがいてあとは遺跡だけでありそこに先進的な文明はなくなっていた
ギリシャでは工業製品など作れない、売り物となっているのは遺跡であり観光だけなのである、現代の発展からは取り残された国でありそれがかえって牧歌的ともなっていたのである

菜の花の思い出では中国に行った時、運河を豚をのせた小舟が行く、農民がのっていた、それも奇妙な光景だった、そしてもう大地一面が菜の花だったのであるそれはスケールが違っていたとなる
それで阿武隈川の岸辺に菜の花が咲いていたのでその中国の光景を思い出したのである


足立惣蔵作、漢詩「野沢菜の花(のざわなのはな)」

(書き下し文)
長江の沿岸 漸く春装       ちょうこうのえんがん ようやくしゅんそう
忽ち菜花開いて 純黄に輝く    たちまちさいかひらいて じゅんこうにかがやく
美を競う花中 異彩を呈す     びをきそふかちゅう いさいをていす
鮮なり 色沢の 斜陽に映ずるは せんなり しきたくの しゃようにえいずるは

ここの長江は千曲川である、私が出した阿武隈川の岸辺の写真のような風景である
ただもっと菜の花でうめられいたのだろう
今は菜の花は実用ではないから一面に菜の花の風景は見ない


謂れある古き桜に菜の花の段々畑や筆甫の里

菜の花はどこでも咲いているが一部である、それは実用ではなくなったからである

寺ありて 菜種咲くなり 西の京

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

正岡子規


菜の花にタニシとか蛙が鳴くとか西の京とか都を離れた土地に菜の花が映える、そういうのが菜の花である、庶民的であうり平民の花だとなる
つまり平民の花であり人間は大方貴族でもない、平民であり菜の花に埋もれるというとき平民の世界なのである、ただ平民でも庶民でも群衆とは違う、群衆とか大衆は何か人間ではない、異様な集団であり今までにない集団の表象なのである
何か異様なものであり異常なものでありそれがナチスとかイメージするようになった
それは現代文明から生まれた異様な異常な集団である
江戸時代とかなると菜の花があっていた時代である、侍の時代でも周りは庶民と平民と農民の社会だったからである
ただほんの一部が財を成した商人だったともなる
菜の花にうまり小家の中に人は住んでいたからである

いづれにしろ時代が変わるとその風景でも見方が感じ方が違ってくる
だから時代を読むことが必要なのだがそれが一番むずかしいのである
同じ風景を見ても時代により感じ方が違ってくるからだ
でも江戸時代でその時代を知ることは容易ではない、やはりそこに明治のような大きな変化がないからである、だから江戸時代は何か時代の変化もなく同じように見えるのである
菜の花に変化少なき江戸時代

やはり菜の花の光景がありそれは変わらなかった
現代はもう変わりすぎる、津波や原発事故で風景まで変わった
松原は消失したり村自体がいくつも消失したり変わりすぎたのである
だから菜の花といっても江戸時代に見ていた菜の花とは余りにも違うのである
まず車社会になると菜の花でもあわない、馬車でも行けば菜の花がにおいあっているとなる
つまり現代は自然の風景にとけこむような生活をしていないからそうなる
それで人は疲れているのである、何かなごむ風景がないのである  

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

都の都会の喧騒を離れて群衆を離れて菜の花を見る、まさにこれは現代に通じている
ただ当時の都は今とは全然違う、むしろ都の方にあこがれる
都こそ必要なものだったともなる、ともかく菜の花は何か心いやすものがある
心をやわらげるものがある、大河がゆうゆうと流れその広い岸辺に咲いているのがふさわしかったとなる

インタ−ネットではこうして編集して自分なりに読む必要がある
編集は今まで出版社でしていた
これから個々人の個性でインタ−ネットを読む、編集して読むことになる
検索するとそれなりのものが出て来るからアレンジしやすいのである
「菜の花」というキーワードで探せるからである

菜の花や蔵王の映えて川広し

菜の花や阿武隈川のとうとうと流れてその岸広く映えしも

あの光景が印象に残る、電車からいつも見ていたがやはり川の側に来て見るべきだった
電車からでも車からでも見る感じが違ってくるからだ
川の広さをその流れを感じるには川の側に立たないとわからないのである
川と一体化するにはやはりその川岸を歩いたりしないとわからないのである

いづれにしろ人間の最後は記憶したものが生きたことになる
だから旅でもいかに記憶に残る旅をができるかが問題になる
ただ記憶と記録は違っている、記憶は部分ではなく全体の雰囲気とかを記憶することである、写真をとったとしてもそれは部分なのである
こうして私が書けるのも記憶をたどり書いている、インタ−ネットで調べて自分の記憶とつなぐ、そういう回想する旅になる、でも記憶していないと書けないのである
 

見渡す限りの菜の花のじゅうたんと上海・蘇州・無錫 の旅
https://4travel.jp/travelogue/10662020



2021年04月29日

阿武隈川船運の論文を読む (石巻の寒風沢から船を代えて江戸に運ぶ)


阿武隈川船運の論文を読む

(石巻の寒風沢から船を代えて江戸に運ぶ)

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それによると'阿武隈川水系には亘理( 現宮城県亘理郡( 7 艘)
丸森町) 、川張( 同)( =高野壱岐守分)に五艘、ある程度利用されていたことが確かめられるのである。
慶長五年の時点で既に仙台藩領内の藩米輸送に阿武隈川舟運があった
慶長五年の時点で既に仙台藩領内の藩米輸送に阿武隈川舟運が開始されていた

天和二( 一 六八二)年八月'江戸の商人で福島に店を持つ 商人上総屋
荒浜の武者宗三とが伊具郡耕野村( 現宮城県伊具郡丸森町)の改修しなければならなかっ たのであろう。
 旦水害が起こると'再び通航不可能となってその都度改修しな
修を行っている。藩境付近の難所は'一 応友以らによって開整されたち

阿武隈川の下流と上流それぞれの舟運の性格の相違は、ほぽこの二点
こうした地域的特性によるところが大きいのは事実である。
各々の舟運発展における格差は、は米不足に悩む幕府が信連両郡を天領とすることにより、その産米を城れたからであろうし、寛文年間、下流において舟運が急速に発展したの
は、滝や急流等の航路障害の為に領主米廻漕には利用できないと考えら
二百年以上の開きがあるが、上流で近世初期に舟運が行われなかったのに集約されるであろう。

又、 城米を江戸へ 廻漕する際の積み換えについては' 「 文化十二年御廻( 6 3 )れられた米は'小廻船( 一 五浜の蔵に入れられる。ここでは出役の浦役人が受け止める。更に蔵に入た米は、水沢・ 沼ノ上で 肺船に積み換えられ'肺船で荒浜迄運ばれ'荒する詳細な説明がある。まず'信連地方の諸河岸から小鵜飼船に積まれ米拘仕方」に、水沢・ 荒浜・ 寒風沢での積み換えの際の請払の手順に関
〇 0二三〇石程度を積む)に積まれ'寒風沢(さぶさわ)溜所があり'ここで俵検査を外海用の元船に積まれるのである

安永八年「 風土記御用書出」によれば'阿武隈川沿岸には'藩の穀蔵( 6 7 )( 6 8 )( 6 9 )が岩沼郷藤場に五棟'荒浜に十三棟'雑穀蔵が伊具郡尾山村に五棟、同( 7 0 )( 7 1 )
館山村に五棟'城米蔵が同耕野村に一 棟あっ た。
れは'正徳元年十二月'伊具郡金山郷の領主中島氏の迄の間、藤場穀蔵を1 時借り受けたいと願い出たものである。
蔵で引渡されるという取引であり'大文字屋の指配で江戸へ 出荷される 

近世舟運の研究
-阿武隈川舟運の開始と展開ー斎藤賢之

(リンクできないがこの題でインタ−ネットで読める)


阿武隈川に船運があった、それも慶長5年とかから始まったとすると古い
江戸時代の前だからである、福島市の板倉藩に属してそこに蔵があり船着き場があった
ただ二本松の方へは船で通れない難所があった
そこは東和町に行った時見た、滝になっていて段差がありとても船は通れない
だから船運は福島市から下流に向かう地域、丸森とか岩沼とかに港があった
特に岩沼に船を扱う人たちが集中していたのも地理からわかる
阿武隈川は丸森までくると川幅が広くなり海に向かっていることがイメージできる
海が近いのである、岩沼になれば特にそうである

ただ荒浜から直接荷物が米でも運ばれたのではない、一旦塩釜の寒風沢(さべさわ)によってそこで外洋に行ける船に変えて荷物を積みこんだ
江戸まで行く大きな船がなかったからそうなった、でも荒浜から塩釜までは遠いともなる運河があったにしてもそれを利用したより小型の船で塩釜まで行ったとなる
塩釜とか石巻からは伊達藩が江戸に大量に米を送っていたからだ
そして太平洋をわたりメキシコ経由で欧州にまで伊達政宗は派遣していたからだ
それだけの造船技術があった、それはスペインのキリスト教徒がいて技術を伝播したからできたともされる

船運でも川をそのまま日本では行けない、途中に難所があり通れないとなり工事が必要になる、外国だったら川は運河と同じであり急流とかないし船運が発達して都市間の交通網ができて商人のハンザ同盟とかできた、それは川が運河の役割りを果たしたからである
日本ではそうした川がない、海が交通路になってもその海は大平洋だと荒いから発達しなかったのである、日本海だと北前船の交通路ができた、冬をのぞいて穏やかだからである
何か私はこれだけ旅しているのだから交通に興味をもつようになった
寒風沢にも行った、塩釜の入江の入り口にある島である
たいがい日本なら実地に行ってからイメージできるのである
でも一旦塩釜の方に行くのは難儀である、でも造船技術がなかったらそこまで行くほかないとなる、だから船運というのは交通は大きな役割を担うのである
金山城がある所からも

伊具郡金山郷の領主中島氏の迄の間、藤場穀蔵(岩沼)を一時借り受けたいと願い出たものである。

中島氏というのは筆甫にも墓があり有力な氏族でありそれが船運にかかわっていたとなる船運にかかわることはそこで農業以外でも仕事ができて収入になる
それは経済的にも重要なことである、なぜなら農業だけの収入では限られているからである、積み荷も最初は米だったがそのあとは米以外の商品になった
つまりそこで商品として売れるものを作り収入でも増えるとなる
つまりか船運が発達すれば商品化する作物でも作ることになる
もともと伊達藩では江戸に米を送るために石巻に大きな港を作り伊達藩の米は商品化していたのである、そきために米がとれない飢饉になったとき他の作物がとれなくなったのが飢饉の要因だったとしている
それはグロ−バル経済の中で起きている、コーヒーばかり作っている国では他の作物がとれない、するとコーヒーが売れなくなると値段が下がったりすると影響が大きくなる
地元ではコーヒーしか作っていないからである
そういうふうにグロ−バル経済の危険はその土地土地でとれるものをもっていないとそうなる

それで大張とか耕野とかに迷って今回入ったがそこでも船をもっていて船運に関係していた、ということはなんらか山仕事農業だけではない仕事がもてたともなる
川張でも一掃船を所有していたとか書いてあるからだ
どうしても川が長いと中継地点が必要になる、それが川の港なのである
最上川でもそういう川の駅のような所があった、ただそこは秋で虫が鳴いているだけで
何もなかった
川張りとか阿武隈沿いに兜の渡しとかあった、そういえば阿武隈川のように川幅が広いと橋をかけることができない、そこで渡しが生まれた
そして橋は頑丈なものが作れないので流されやすいのである
そこで八島屋という店がありそこは結構高い場所だが去年の台風で被害があった
水がその店の高い所まで来ていたのである 

それで一部被害があったがインタ−ネットで寄付を集めて修復したとある
あれだけこ高くても水があふれて入ってきた
そこはやはり川幅が狭い場所だったからあふれたのである
丸森の街の方では川幅が広くなるからあふれることはなかった
あふれたのは山の方からの支流だったのである
ともかく去年の台風の被害は思った以上大きかった
いたるところ相馬地域でも道が崩れて未だに直されていない、交通止めになったままなのである、ただ阿武隈沿いの道は直していた、でも新しい道はトンネルが多かった
ずいぶん前に通ったが記憶がないが何か細い道がつづいてトンネルはなかったように記憶する,道も絶えず変化しているからわからなくなる
大型のトラックも通れたのかとも見た、やはり道は改善している 

私は地理とか交通に興味をもったのはこれだけ旅したからである、当然旅は地理とか交通と一番深く関係しているからだ
地理はやはり地図見ただけではわからない、実地にそこに行かない限りわからないのである
だから外国もある程度旅したから地理をわかる範囲が増えた
それがいいのは外国と日本を比べたりできるからである、それで日本を知る人は実は外国で実際に住んでいた人たちなのである
つまりそういう経験は日本を比較して良く見えるようになるからだ
それは地理でもそうである、外国の河と日本の河はまるで違っているからだ
第一世界の四大文明の発祥地が大河の側で生まれたというときもそうである
その大河が日本にはないから根本的に外国を理解できないものにしている




                                                                    

2021年04月28日

角田から丸森へ阿武隈川を行き大張村から梁川へ (新緑と残雪の蔵王と阿武隈川―短歌連作)


角田から丸森へ阿武隈川を行き大張村から梁川へ

(新緑と残雪の蔵王と阿武隈川―短歌連作)

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迷った道

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大張村

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この二つの石が良かった、石も人間に見えるからだ
夫婦石とかなんか二つの石だとそうなる
丸森には何か多様な石がある、それが魅力だともしている


梁川へ

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クリック拡大で鮮明に見える


八重桜電車に映し通うかな

普通車や各駅とまり八重桜

通学や夕べ電車や八重桜

赤味帯び春の満月山に出る


(岩沼)

阿武隈川流れゆるやか残雪の蔵王堂々とゆるがざるかも

春日さし水面光りぬ大河かな岸辺広々と菜の花咲きぬ

阿武隈川広々と流れ春の朝鴎一羽の飛びきたれるかも

残雪の蔵王の映えて電車来る音のひびくや新緑の朝

阿武隈川岸辺広々菜の花や朝の光りに水面きらめく

阿武隈川流れは遠く広々と海にそそぐや春野拓けぬ

(角田市)

阿武隈川岸辺の広くうぐいすの鳴く声ひびき水面光りぬ  

残雪の蔵王の迫り悠々と阿武隈川や朝雲雀鳴く

雲雀鳴く声のひびきて川広く蔵王の威厳ここにますかな

阿武隈川その土手長く広々とつばめ飛びかい走り行くかな

渡り鳥調べる人や北へにとつくつぐみ帰ると教えられるかな

(迷った山の道)

春の日や分るる道のいくつかな八重桜咲き案内(あない)されけり

延々と坂を上りてさえづりのひびき閉ざさる山の家かな

一本の細道つなぐ山中の家々や我がたどり春の日たずぬ

山中に深く分け入り家一軒石のかたえにシャガの花咲く

名もしれぬ人の墓かなたずぬもあわれ山に閉ざさる

先みえず迫れる山や家数軒ここに閉ざされ畑耕しぬ

山間のわずかなる畑春なれば耕す人ありさえづりひびく

(大張村)

一本の山間ぬいし道たどりたどりつく大張村や春のくれかな

一本の八重桜咲き山の径一軒の家になごみけるかな

山中に我が奥深く分け入りて木の根元に石二つかな

石二つここに並びて離れじと木の根元や大張村かな

迷いしも春の夕暮れ大張村道をたずねて帰りけるかな

大張に古き碑ありぬ小学校ありて春の日我がたずねけり

大張の皮張り石とその昔暮らしのあれや春にたずねぬ


(梁川町)

広々と阿武隈川のたぎちつつ新緑映えて吾妻峰も見ゆ

吾妻嶺見えて梁川春の日や拓けし平野我は望みぬ

丸森の山間いでて梁川や春野拓けて街のにぎあう

阿武隈川水面きらめき春の陽の山に没り梁川に来る

梁川に柳青々と夕べかな街のともしび桜咲き暮る

梁川に城の跡かな桜散る相馬の方へ我は去り行く

丸森へ電車に帰る学生の吾とのりあわす春の夕暮れ

丸森へ電車に帰る夕暮れや八重桜のほのぼのと咲く



折り畳み自転車で今回は岩沼から阿武隈川沿いを丸森までそして梁川まで行った
途中道が途絶えて大張村の方に迷ってついた
かえってそれが良かった、思わぬ出会いがあったからだ
山は地理がわかりにくくなる、方向もわからなくなる、それでいつも難儀する

最初で出会ったのは阿武隈川沿いで大きな望遠鏡を設置して観察している人だった
土浦ナンバーであり遠くから来て何しているのか思った
渡り鳥を観察しているという、ツグミを見ているという、ツグミは近くでも良く見かけるツグミも渡り鳥であり渡り鳥を観察しているという
ツグミは北へ帰る渡り鳥だという、これは別に街の郊外で普通に見られる鳥である
でもわざわざ阿武隈川で見ているのか、渡り鳥だからどこにでもいる
そんな仕事をしているのが不思議だった

民間会社が政府から委託して調査させているという、大学もそういう関係の学部を出ているから自分にあった仕事をしているからいいと思った
なかなか自分にあった仕事につけない、私は大学を卒業してから職についていない
なぜこんなに旅するようになったのか?
それは20代の仕事が関係していた、流れ作業ばかりさせられて仕事が嫌になったのだ
だから仕事にひどく嫌悪感をいだくようになり仕事しなくなった
仕事しなくても自由になんでもできる家庭環境にありそれで旅が面白いからそればかりするようになったのである
ただ面白い自分にあった仕事が与えられれば仕事に没頭したともなる
そういうことはなかなかできないのが現実社会である

その阿武隈川沿いを行くとトンネルとかあり一回通った
トンネルは自転車にとって鬼門である、車の音がすごく怖いのである
そして脇の狭い歩道を行くのがめんどうなのである
だからトンネルをさけて脇の道を行ったらゆきどまりになった
すると一軒の家がありその家の人だろう、その家の前に道がありそこを上ってゆくといいと教えてくれた
その道が延々と坂だったのである、それもかなり急な坂がつづいていた
そこは歩くほかなかった、今回の折り畳み自転車はBD1はいい自転車である
でも電動でないから坂は上れないから歩くほかなかった
自転車は坂には弱い、だから電動自転車は坂も上れるからいいがこの坂は急であり電動
自転車でもきつい坂だった
こんな所に住んでいた人がいたのも不思議だったとなる
丸森は相当に奥深く山中に人が住んでいる

そうして迷って出た場所が大張村だったのである、そこはそれなりに家があり一部落を形成している、小学校もあった、子供数人みかけた、でも小学校に何人いるかはわからないそこで暮らすにしてもおそらく梁川とか白石の方に勤めに出でいるかもしれない
みんな今は車をもっているからだ
阿武隈急行に夕方乗っていたのは高校生である
それは自分の住んでいる常磐線の沿線でもそうである
そこで鹿島駅が無人駅になりそきあと高校生の見守りとして南相馬市でNPOの人を配置した、最近は障害者の学校もできたから利用している

特に阿武隈急行の駅はさびれていた、梁川希望の公園から乗ったがそこは猫の巣になっていた、がらんとした駅があってもほとんど人がのらない
だからそもそもそうした民間の鉄道を維持すること自体むずかしいと見た

とにかく自転車だと丸森に行くには山を越えてゆく、でも今回は途中電車であり楽ではあった、でも峠を越えて行く、それが旅になる
この先に何がある未知の世界が開ける、そのためには車とか電車でもそういう感覚がもてない、自転車だとなんとかもてる、つまり道は未知であり未知を旅する人となることができる、それで旅に魅せられて遂にはもう人生も尽きるとなってしまったのである

今回は桃の花を見よとしたが終わっていた、意外と早いと思った、今年は春がはやかったせいだったろう、それが残念だった
電車と自転車の旅もいい、両方を楽しむことができるからだ
これなら一日でも結構旅した感じになった、ただこういう旅は遠くなると無理だろう
その場所まで電車に行くにしても遠いからだ
ここ十年とか介護で旅をしなかったから旅を思い出してまた旅したのである
ドイツ製のBD1は作りがしっかりしているから乗り安い、15万したがそれだけの価値はあったとなる
ただ坂は上れない、歩くほかなかったからこれだけでは本当の旅はできないと思った

日本は山が多い、四国の祖谷(いや)を旅したとき相当な山奥から平地に下ってきたときほっとした
そこからは春野が拓けて城もあった、それと丸森の大張とか耕野から出て来たときも同じ感じになった

祖谷(いや)をいで春野拓けて城もあり電車に見てそ過ぎ去りにけり

こんな感じでありとにかく日本は山が多いから平地に出てきたとき何かほっとするともなる、外国だったらどこまでも平坦な土地だからこういう感覚はもてない
日本は山国だから山国特有の感覚になるのである
国のまほろばでも山々の間に隠された地域になる、そういう村も多いということである
それは小国ともなる、そういう地形が多いからそういう地名も多いとなる
小さな閉鎖された一つの国だともなる








          





2021年04月26日

八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)


八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)

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母と子と八重桜見るその道を今日も我行く心あたたむ

桜散るあとにほのぼの八重桜母と子の連れ立ち見るかな

今朝見れば牡丹は散りぬ早きかな栄一時風のうなりぬ

散る牡丹残る花びら今朝見えてまもなく散らむ風の唸れる

我が庭に輝き映えしは一時や牡丹は散りぬ夢のごとくに

五六輪赤き百合咲く我が居間に匂いは満ちて家を継ぐかも

飛び交いぬ燕にあれや小さなる街の行き来や我は忙し

庭に咲くタンポポやはや綿毛飛びまた他にそ種を運びぬ  


母の思い出の赤い百合
https://ameblo.jp/teddypapa/entry-12441751163.html

ここではこの赤い百合から母を偲んでいる
こうして死んだ人でも偲ばれる時、何かその人はなお生きている
ところが肉親だろうがなんだろうが全く偲ばれない人がいるのだ
それは肉親でもそうなのである、迷惑ばかりかけたとか親を恨んでいる人がいるからだ
そういう人は肉親でも死んだ偲ばれないのである
そうなると死者も浮かばれないとなるがそれは自己責任だったとなる
何か後世に後のものに何も残さなかった、というより不快なものとしてあり思い出したくないとなっている

百合というと白だと見ていた、こんな赤い百合があるとは思わなかった
これは匂わないと言うが結構匂っている
こういう大きな花にはやはり大きな家が広間があると映える

庭の牡丹は今朝見たら散った、花びらが残っていたが散った
そして今日も風が朝から唸り吹いている
この家を作ったのは父であり次に継いだのが姉ともなっていた
姉は気丈夫でこの家をもりたてたとなる、だからその時輝いていたのだ
それも80年とか戦前から家にいても死んだら呆気なかった
でもこの家に姉は輝いていたのだ
つまり人間は栄えるのも一時である、女性でも輝いているのは一時なのである

タンポポでも庭に咲いたが綿毛となり飛び他に移って咲く、常にこのように自然でもとどまらない、移ってゆく、ある所が栄えてもそれも一時であり他に移るのである

ともかく今日はまた朝から風が強い、そして結構寒くなっている
季節は移っている、桜が散り八重桜が咲きそこに母と子がいた
八重桜を母が示して幼子がいた、何がそこに平和を感じた
こういう光景が原発避難区域にない、子供がいないからだ、いるのは老人だけだとなる