2019年12月11日

相馬藩と伊達藩の境界の新地


 相馬藩と伊達藩の境界の新地

(廃藩置県で福島県になった複雑な経緯)

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境界を見ることが一つの地理の目安になるし歴史の目安になる
相馬藩だと伊達藩の境が新地になる
新地はもともと伊達藩に属していた
駒ヶ嶺城は伊達藩の城である、だから相馬藩との争いがあり興亡があった
でもそこは平地だから自然境界ではない
ただ相馬藩と伊達藩は飯館村でも争っていたし丸森でも争っていた
それは木材資源をめぐっての争いだった
丸森では米沢はんも加わって三つの藩で木材資源で争ったので知られている
それだけあの辺は森林地帯であり木材が多くとれた地域だったのである

丸森の金山城は峠を越えて入った所にありその城は一時は相馬藩の人が治めていた
それから伊達藩の侍が治めるようになった
だから一時は相馬藩領だったのである
それで面白いのは方言である
新地の人がだっちゃだっちゃという、仙台でぱ語尾にだっちゃというからわかりやすい
だっちゃという方言の語勢が何か攻撃的なのである
一方で相馬地域はんだんだであり口ごもるずーずー弁になる
だからちこのだっちゃは東北弁のズーズー弁と異質なのである
それで宮城県は東北ではない東北人ではないというのもわかる

第一伊達政宗のような国際人というか演技力まであり英雄は東北人ではないとなるからだそんな外交力が東北人にないからである
何か一般的に陰気で口ごもるとか口達者ではないからである
ただ相馬総合病院で入院して同室だった人が丸森の金山の人だったのである
それてんだちゃと言っていた
相馬ではんだんだというがんだちゃとは言わない、それは金山に城があり一時相馬藩の侍が城主ともなっていた
するとそこで仙台弁と相馬弁が合体したと推測できる
方言は訛りはお国の手形だともなり地域性を感じやすいのである
それで青森の津軽藩と南部藩の言葉は違っていてすぐにわかるという
ただ津軽藩と南部藩の境目に山があり自然境界として分かれている
丸森も峠を越えると相馬藩になり峠を下ると丸森に出る
自然境界としてある  

不思議なのは福島県と宮城県に分かれた経緯である

新政府は東北の広大な地域を分割して支配するために明治12年に磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥の五か国に分割した
角田県は磐城国に属した、今でも宮城県の南に入る名取郡各郡に,磐城○○という地名があるのはこのためである(新地史)

磐城太田駅があるけどそれももともと古代に磐城国があり名付けられた
ただそれは明治以降に名付けられた、最初は高駅であり古代の高郷に由来しているし近くに多珂神社がある
ただ磐城とつく地名は飯館村の落合とかにもあり磐城落合となっているのだ
だから磐城国は広い範囲でありその名がついた
でも古代からある国名でもそれは明治になって名付けられたのである
磐城とあるとき地名だけども姓ともにている、姓は一人のことではない一族を示しているからである

とにかく宮城県内に磐城とつく地名があるのはこうした経緯がある
新地は相馬藩内と伊達藩として分断されていた福島県に入った
でも境界地域として複雑な経緯をへて福島県になったのである

境界でも山とか川とかで自然境界になっているのはわかりやすい
でも政治的行政区域になるとわかりにくい、廃藩置県でそういうのが多くなったから県単位では県としての歴史とかでも地理でも一体感がないのである
ただ伊達藩と相馬藩は戦国時代は争ってもその後は隣り合っているから協力した
伊達藩から神様も勧請された、小牛田の山神信仰とかその他いろいろな仏教信仰とかも入ってきた、相馬から妙見信仰が勧請された
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こんなふうに協力して栄えたとなるからどうしても相馬藩は福島県ということに違和感がある、そもそも福島県は本当に一つの県にすることは無理だった
地理的にも歴史的にも無理だった
むしろ宮城県に属していた方が良かったかもしれない、廃藩置県になるとその範囲が広すぎたのである、だから人為的人工的行政区分であり未だに違和感があるのだ
それで今回の津波で太平洋に面しているから南相馬市の片倉のフラワーランドから見えたから牡鹿半島と金華山が見えたから一体感を感じた
相馬藩内には金華山信仰がありその碑もある、何か福島市となるとつながりがない
ただ霊山になると吾妻山が見えるから地理的一体感が生まれてくるのである

ともかく伊達藩は相馬藩より古いから歴史的に学ぶことが多い
新地にあった文禄の碑は私が見た碑では古い、他にも墓地とか碑を見れば古いものがある宮城県に関してはなかなかそこまで見ていない

屍骸骨山のいたるところに横たわり、鳥獣の餌となれり、屍を運び骨を拾い、累々これを一穴に埋める、これを戦死塚と称す

駒ヶ嶺城では町屋も火事になりかなり消失して数十名が戦死した、つまり民家も被害があり悲惨だった、丸森には伊達藩が大砲を備えて戦った跡が残されている
相馬藩は薩摩長州軍に早めに帰属して伊達藩と戦ったのである
駒ヶ嶺城は境の城だからそうなったのである
ただ新地になるとまだ地理的にわからない面が多い、この地理がわかるのが近くても容易ではないのだ

新地で印象に残ったのは街内の神社にあった「文禄の碑」である
それは明らかに検地のためだったのである、年号だけを記しているのはたいがい検地の記念だったのである、伊達藩では大規模に文禄に検地をしていたからである

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posted by 老鶯 at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年12月10日

国家自体が盗賊集団から起きた (追い詰められると個人も会社も国も盗賊化する)


国家自体が盗賊集団から起きた

(追い詰められると個人も会社も国も盗賊化する)


中華人民共和国は最後の「盗賊王朝」だ

個々人で盗んだり強盗すれば厳しく罰せられる、でもそれが大集団になって盗賊集団になると罰することかできない、むしろそれが正義となり国をのっとることになる
それが中国では常に起きてきた
中国とは常にそうした盗賊集団によって国ごと乗っ取られてきたのである
王朝はその度に変わる、今の共産党も王朝でありだからこそあれだけの格差になった
王朝になればそこに仕えるものは上層部は共産党幹部には莫大な富が入ってくるからである

つまりマルクス主義とはただ美名にすぎない、現実は盗賊国家なのだけでそれを隠すために理論でごまかしているともなる
中国という国柄がそういう歴史であったのだ
モンゴルでも満州でも周辺国に遊牧民がいてそれらも盗賊と化して襲ってくる
そして遊牧民では砂漠でぱ奪うことが正当化されているのである
奪って当然だとして罪の意識がない、関税のようにして奪ったとなる
女性まで略奪婚であり奪うのである、それが正当化されているのである 

中国だけではない、ヨ−ロッパでもスペインなどは本当に盗賊国家だった
それは南米でインカとかを亡ぼしたけどそこに侵略したのは本当に盗賊集団だったのである、国家というのはなかった、そこで馬と銃でわずかの人間でインカ帝国を亡ぼしたのである、そして黄金を奪い自国にもちかえりキリスト教会を黄金で飾ったのである
これも矛盾である、それでキリストが喜んだのだろうか?
そして異教徒は人間ではないとして殺戮したりした
それはスペインだけではない、ヨ−ロッパ全体が大航海時代にアジアの富を奪った
植民地化して奪ったのである、アメリカはイギリスなどの移民によってインディアンを滅ぼして根こそぎ広大な大陸を奪ったとなるからこれも盗賊集団だったともなる
オーストラリアでもアボリジニとかいてそれもイギリスの移民によって奪われた
その人たちは囚人だったともなるから荒っぽい人たちだったともなる
またイギリス国家の成り立ちが海賊から始まったというのもそうである
海賊もまた奪うことが正当化される
国が違えばもう法律は通用しないからである、力をある者が富を得るだけだとなる

盗賊とは個々人では罰せられる、でも大盗賊は罰せられないのである
むしろ崇められるのである、それは日本だって上級国民とかになれば警察も手を出せないと交通事故を起こして殺した人をみんなで言っている
社会というのはそういうものである
例えば戦国時代があるとする、それは何だったのか?
一種の盗賊集団の争いだったのか?権力を得るための殺し合いであり盗賊集団同士の戦いだったとなる
天下をとるとはまさにそういう盗賊集団の最も強い頭領だったともなる

そういうことは現代では社会が変わったからありえないとみる
でも人間は本質的に変わらないのではないか?
人間が富を得るというとき盗賊として他者の富を奪って富を得る
世界の富がなぜ数パーセントの大金持ちがもっていることでもわかる
それは巧妙な資本主義の制度の中で合法的に奪っているのである
だからいづれそういう人達が襲われて殺されたりするともなる 
株式市場が暴徒によって襲われるかもしれない、アメリカではデモでそれとにたことがあった
つまりそのわずかな人たちがそんなに富を得ているのか?
それがなぜ許されているのか?
これを世界の人がアメリカでも中国でも許すことはないと思うからである
そこで戦国時代のような内乱状態になってゆく
世界では今なぜデモとかが命がけで起きているのか?
それはそうした極端な格差に対して怒りはじめて抗議するようになった

そして日本も格差か階級社会になっているというとき底辺層は追い詰められて暴動化して盗賊化するかもしれない、革命という時、そうした不満層を集めることだからである
それが共産主義革命ともなっているが実質はこれも盗賊集団なのである
それは中国を見ればわかる、黄巾族とか宗教集団がもあったがこれも同じだった
盗賊集団なのである、今の創価とカルト集団もそうである
権力を狙い富を得よとしているからである  
要するに権力を得てその富を分配する御利益として分配する
そのために徒党を組んで毎日祈り選挙活動がすべてとなっているのである
仏教など何の関係もないのである、そんな人がいたら奇跡だというのがこの世である

それは戦国時代は念仏宗とかでもありそれが信長と対立したのである
島原の乱でもあぶれた浪人が集結して幕府と戦った
つまり失業しているということは侍でもそうなるのである 
アメリカでイラク戦争の時も下層の人たちが黒人が仕事を得て上の階層に入るために従軍した
だから人間社会で失業することは食べることができなくなるのだから一番深刻なのである
浪人は戦争がなくなれば失業する、すると戦争があった方がいいとまでなる
第一僧侶から侍になった人も多かった、寺という領域は一つの支配体制であり権力を有していた、僧兵もいた、無防備の集団ではない武装集団だったのである
だから信長が敵として認識したのである
人間が集団化するのはなぜなのか?利害とか利益で御利益を共同で得ようとする
それは盗賊集団でもいいとなる、ただ現代で権力を得るためには選挙でしかできないから戦国時代にならないというだけなのである
実質は変わっていないのである

そして今格差がこれだけ世界的日本でも大きくなると盗賊集団化する
金持ちを襲うこともありえる、金持ち自体も盗賊だと見るからだ
俺たちの富を奪っていると見るからである
そして日本でも貧困化すると生活が追い詰められると個人だけではない会社も盗賊化する富を奪うようになる
銀行でも地銀でも堅い職業として見ていたが今は違う、利益が得られないから投資信託とかゆうちょでもまやかしの保険を売り込んだりしてだまして金を奪う
人間は別に個人だけではない、追い詰められると会社でも盗賊集団と化すのである
だから追い詰められた個人も怖いが集団も怖い
国家自体が追い詰められれば盗賊集団と化す、遊牧民のように他国を攻めてくるのであるそのために万里長城ができたのである
それは別に南米とかでも大金持ちはガードマンを雇い高い塀をめぐらして富を盗まれないようにしている、強盗が入らないようにしているし金持ちがだけ住んで門を作りよそ者は入れないようにもしている
社会がそこでて分離して分断されている、アメリカなどでもそうなっているところもある  
生活保護あくまでも金持ち層でも犯罪を犯さないように最低限を供給するシステムである
でも氷河期世代とかロスジェネ世代が大量に高齢化すると生活保護ができなくなる
その時また危険な状態になる、追い詰められた老人でも何するかわからないとなるからだ

国家でも追い詰められれば盗賊集団と化して他国を攻める、その盗賊集団によって王朝が変わったのが中国だったのである
アメリカにしても今でも世界を支配するから富が集中するのである
ドルが世界の貨幣になっているのもそうである、金融でも世界を支配する
それでゴールドマンサックスがむずかしい投資信託を作りそれを地銀でもゆうちょでも農協にも売りつけて富を吸い上げているというのもそうである、アメリカは日本の富で容易に奪える、戦争に負けたらそうなっている  
アメリカに従わなければどうなるのか?日本はやはりアメリカに貢がないと自らの国すら守れない国はとなっているからだ
だから独立するにはアメリカと起き、中国とも距離を起きバランスを計ることだとなる
でもそれが日本が独立国で強国となればできることである、日本は敗戦でそれができなくなったのである
つまり地銀でもゆうちょでも農協でもそういうことで庶民の貯金がアメリカに奪われているのである
自分も投資信託を地銀から買って損した
それは地銀自体が証券のことをわからない、投資信託のことをわからないでアメリカの証券会社から買って庶民が貯金した金を投資して損していたのである

だからこの世とは何なのだろうとなる
人間の歴史とは何なのだろうとなる
ただ盗賊により政権の交代があり王朝の交代がある、ただ選挙制度ができて武力でそういうことがなくなっただけだともなる
そうなっても格差はなくならないからかえって増大しているからなんらかで革命が別な盗賊集団が台頭してくる
それが共産党でも公明創価でも同じである、それらの人たちは富を奪う集団だからである、そして仲間に分配するだけだだとなる
仲間に入らなければ奪った富は分配されないとなる  
罰当たるとか地獄に落ちるとか言うがその人間がそもそも地獄人間なのである、やはり本質的に変わらない人間の欲と業をもった人間でありその地獄人間がそんなことを言っているのだから異常だとなる
自分自身が親鸞のように地獄は一定の住処なりというならいい、それを他者に対して言うのは異常なのである
だからカルトでありファシズムともなる
いづれにしろ人間の社会は結局そんなものだったのかとなる
そこに主義主張とか何か大義名分と宗教とかかかわっても現実は富を得るための奪うための闘争だったとなる

そういう食うか食われるかの弱肉強食の世界である、だから格差社会とか貧困化は追い詰められ人間を大量に作り出すから怖いのである
そして失業がナチスが生まれた原因だったとか国が盗賊化する原因になる
他国に侵略する原因にもなる、日本が貧しい農民国家の時土地が欲しくて満州に浸出したそれも何か盗賊化してゆく原因である
それは世界中で同じなのである、それが世界の歴史だともなる

相馬藩の歴史でも野馬追いがあるように相馬氏が進出してこの土地を奪ったともなる
それは馬を操るのが得意でありまた強かったからである
だから地元の土着していた豪族も従うようになったのである
それはやはり奪ったとなる盗賊集団だったともなる、それは世界史でもみんなそうだったのである
ただその後に平和的な法的な支配体制が生まれたとなる
もともとの起こり侍でも盗賊集団だったとなる、それはみんなそうだったのである
結局これが人間の真実であり歴史だったともなる

維持維新でも革命でもそういうことがあった、富を奪うとは権力を奪うことでありそこで富を得ることである
薩摩長州が権力をとりそうなったからである
政治がもともと武力闘争で権力を得ることだったが選挙で決めるようになったのはそのためである
ただ選挙だって今や公平ではない、だから不満が鬱積している
それが暴動となり金持ちでも襲ってくる、そういう革命前夜にあるのが世界的にあり日本でもそうなのである
追い詰められ人間がそこらじゅうに増えてくるとそれがいつか爆発してくる
そういう恐怖の時代に突入しているのである

だから金持ちはむしろ戦々恐々としていなければならない、その不公平で得られる富に安住はできない
ただ下層階級を見下していることはできない、いつ襲ってくるかわからないからだ
日本が貧困化するとますますそうなってくる
だから消費税など上げてはならなかったのだ、何か買い物で10パーセントは大きいと思った
100円買って十円とられるのは日常的に大きいのである
毎日買い物しているから実感した、こうしたことで今度は自民党への不満が大きくなってゆく
これはもうさけられないのである

経済的に成功した層が激しい憤怒をもったアンダークラスに襲撃される日
posted by 老鶯 at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

墓の平成9年は平成29年の間違いだった (年号でも元号でも西暦でも何がその時代に起きたかで見ている)


墓の平成9年は平成29年の間違いだった

(年号でも元号でも西暦でも何がその時代に起きたかで見ている)

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これは平9年ではなく平成29年に建てられた


昨日の今日の一句一首で短歌の刻まれていた墓は平成29年であった
平成9年ではない、間違えでした
訂正しておきます

平成から令和になったけど年号は以前として続いている
でもこれだけグロ−バル化したりすると何か違和感を覚える
平成がどういう時代なのかなど私にはわかなかった
それはあまり時代が変わらなかったからだろう

時代が変化する時、時代を感じる
だから明治は記憶すべきとなっている
大正も私の母と姉は大正生まれだから記憶する
昭和は戦後生まれでありそれなりに意識する
でも実際は昭和でも戦前と戦後は全然違っていたのである
だから年号は何かそぐわなくなったのだ

時代はその時何が起こったか何が大きく変わったなど事件とかでも意識する
だから天明は飢饉の時代であり特に相馬藩では三分の一に人口が減ったから意識する
でもその後はあまり意識しない、ただ幕末の年号が一番多いから墓でも碑でも見る時
意識する
この辺では宝暦とか元禄とかほとんど見かけない
ただ私の住んでいるすぐ近くに天明の碑があったことに驚いた
とするとその頃この辺でも飢饉の影響があったかもしれない
天明の碑はここでしか見かけていないからだ
それはどうしてなのだろうともなる

いづれにしろ年号は必ず墓でも見ている、江戸時代の年号があれば古いとなるからだ
ただ年号が時代にそぐわなくなったのはグロ−バル化したからである
日本は江戸時代のような日本だけの社会として成立しない
必ず外国との関係で成立する、外国と必ず何でもリンクしているからである
だから日本独自の元号は時代にあわなくなったのである

そうなると天皇が必要なのかどうなのかという大きな問題につきあたる
元号は天皇と不可分に結びくついているからである
だからそれが今問われている
令和という年にすでに二人死んで墓に刻まれていた
でも令和というのがこれから何か時代を現すものとして社会に活きるものなのか?
平成とかは日本衰退の象徴のようになっている
失われた30年としての平成となる、この漢字は平らであり上昇しないというものにもなる、名は体を現すとなったともなる

令和はどういう時代なのか?令というのは何かクールだとなる、ただやはり何か時代にそぐわなくなった
平成29年にこの短歌の刻まれたのを平成9年と間違えて書いた
この間違えは大きかった、だから年代とは西暦でも元号でも大事である
全く違って意味をとられるからである

だから元号でも江戸時代になるとどっちが先なのか後なのか本当にわからないのだ
元禄とかなると目立つ年号だからわかる
その他は常に後先がわからない、その時代の何が変わったかもわからないのである
ただ天明だけは飢饉の年だと自覚している
そして天明の前のか後なのかで時代を見ているのである
だから年号でも元号でも西暦でもその時代に何があったのか何が変わったのかが大事なのである
それを知らなければただ元号でも名前だけであり西暦だと数字だけになってしまうからである

2019年12月09日

冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)


冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)    

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尚英中学校の脇の墓地

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百六歳は大正二年生まれなのか、私の母は百歳で死んだ
今生きて入れば百四歳になにる
これから百歳以上の年齢で死ぬ人が多くなる
それが令和の時代の特徴ごとなる
でも百六歳は長いと思う
これが110歳とかなってゆくのか・?


かそけくも現れ消えぬ冬の蝶

顔見せぬ隣の女(ひと)や冬の蝶

朝望む蔵王に雪や初冬かな

蔵王見ゆ険しき嶺に雪覆う

新地にそ葱の匂いや家まばら  

冬の海新地の墓地や静まりぬ

名もしれぬ墓のあわれも冬の草

木の根っこ墓に残りて冬の暮


水戸の姓墓地に多しや伊達藩に謂れのあれや冬の日くれぬ

宝暦と記せし墓や我がたずね落葉を踏みて帰りけるかな

人死ねば騒がぬものや昼の月落葉をふみて我が帰るかな

墓あまた落葉にうもれ宝暦の年号見ゆや新地の墓地かな

たずぬれば倒れし墓や冬のくれ遺すものなく何を語らむ  

106歳と令和に死ぬや冬の暮その生思えば長くもあるかな

墓とても後継ぎなくば捨てられる参る人なく冬のくれかな 


今日は風もないので新地まで行った、冬の蝶を一羽八沢浦で見つけた
これはめずらしいかった、隣の女性は本当におとなしい人である
同級生の人がそういう人だったと言っている
ほとんど顔も見たこともないのである
すでに30年以上か40年いてもまともに顔を見たことがないのである
これも何か不思議である

蔵王が磯部から大きく見えた、結構険しい嶺が見えた
あんなふうに全容が見えたのは記憶しない、というより自然は山でもその時々で違ったように見えるのである、その印象が違ったものとなるのだ
蔵王は本当は厳しい山なのである

新地の駅前に行ったら葱が強く匂った、葱畑があった、どうしても新地だと田畑が目立つからそうなる、葱があんなに匂うとは思わなかった
私は鼻が蓄膿症で悪い匂いを感じないのである、でも今回は葱の匂いを感じたのである
葱(ねぎ)がこんなに匂うとは思わなかった

葱白く洗ひたてたる寒さ哉芭蕉 「韻塞」
葱買うて枯木の中を帰りけり蕪村 「蕪村句集」
うら町に葱うる声や宵の月蕪村 「蕪村句集」

葱は冬の季語なのである

それから尚英中学校の裏の墓地をたずねた
そこからは海が見えた、前にも来たことがあったが詳しく見なかった
今回注目したのはこの墓地は結構古い、なぜなら宝暦の墓があったからだ
一か所に墓が集められていた、それは塚というか粗末な石である
そこに宝暦とあった、隣はわからない、ただ宝暦だと古い

   1763年宝歴13年癸未  
  1771年明和8年辛卯  
  1780年安永9年庚子  
  1781年天明1年辛   
  
天明の20年前になっている、天明は飢饉の年である
宝暦は日立木の薬師堂にもあった

それから感心したのは短歌が真新しい墓に刻まれていた   

吾子逝きてななとせ過ぎし朧月時めぐりきて君を偲ばむ 七回忌

これは秀作である、このような秀作だと墓に刻んでも価値がある
朧月というのが良かった、何か死んでから七年くらいすぎると記憶が朧になるからだ
この吾子とはどのくらいの年だったのか若くて死んだのだろう
短歌を墓に刻むのも一つの記念になる
墓は何か無味乾燥だからである
この墓は平成29年とかに作られた、だからこれだけ新しいし立派である

ただ問題はこういうのは許可がないと出しにくい、姓は佐藤とあった
場所はわかっているし誰なのか地元の人だとわかる
貶めるわけではない、ほめているのだから許可されるかもしれない
後で文句言われるときはやはりその人が不満だったり名誉を傷つけられたときである
でもネットだとわからない場合がある、それも問題なのである
例えばこれを新聞に出したら目立つから勝手には出せないとなる
インターネットは本当に気軽に書いたり発表できるのである
そして自由にいくらでも書けるし写真でも出せる、まずマスコミだったらそんなこと絶対にできないからである

普通の町とか村でも見る物がない時、墓地をたずねるのがいい、今回は詳しく見た
水戸という姓がその墓には多かった
それで伊達藩と水戸家との関係からなのかとも見た
つまり墓地から郷土史が探れるのである
墓誌にその家の由来を記してあったりもする、それは古い家である

墓という時、それが何代も残っていればその家はやはり継続したものがあり家系としていいものを持っているとも言える
すべてではないにしろ必ずなんでも例外があるから数学の公式のようにはいかない
でもわかることは別に先祖でなくても両親のことをその息子でも娘でも語らない時
その両親のことを良く思っていない、だから語らないのである
そこにその家の問題があることは確かである
必ず両親のことを語るからである、そういう家は家系は残らないと思う

私の母の実家はめい子が墓を継ぐと頼まれて金をもらったが継がれないと思う
やがて無縁墓になるかもしれない、なぜなら何か不和分裂の家系だったのである
私は今はめい子と会うのも嫌だし墓参りもしなくなった
あの人は本当に異常である、あんなになることが信じられないとなる
人間はそれほど変わってしまうのかということである
ただ自分は子供の時しかあっていないからその後のことはわからないからなんともいえない
でもその変わり方は本当に異常である
とにかく何かそういう家系がありそういう墓は残らないともなる
ただ今は墓を受け継ぐ人がいないから一般的に墓を残していけなくなっている
だからこれからは墓が残る家はまれになってくるだろう

新地までは何回も行ける範囲である、何回も言うが今度乗っている電動自転車は楽だから行けるのである
でも暗くなるのが早いから冬は遠出ができないと思った
それでこの前ライトがなかったので側溝に転んだ
これは思った以上危険だった、側溝に落ちて死んだ人もいるからだ
側溝は意外と自転車にとって危険なのである
狭い道になるから暗いと見えないからである

この墓地については何かもっと詳しく知りたいともなる、そこで新地の歴史がわかると
新地について興味が深まるのである





ボランティアの最大問題は責任問題? (中村哲氏に日本政府は警告していた、受け入れ側にも責任があった)


ボランティアの最大問題は責任問題?

(中村哲氏に日本政府は警告していた、受け入れ側にも責任があった)


退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。

 もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょう

 車を乗り合いにしないといけなかったり(人を乗せての事故は怖い)
子供のプールの監視も、何かあったら監視の責任らしく、「ずる休みした人勝ちじゃん!」と思ったり。

 ボランティアの者に子供任せる保護者の方のなかにも、なんと無責任なことか!と思う家庭があります。


 まるで学徒動員…日本五輪委員会の嘘が招いた過酷ボランティア

 。無償ボランティアが貴重な経験とは聞いて呆れる。強制であろうがなかろうが、”タダ働き”というボランティアそのものが罪なのだ。

 役員の報酬が悪なら、無償ボランティアの精神も結局は悪なのだ。つまり、タダほど高く付くものはない。


ボランティアはなぜいろいろ問題になるのか?
ここでは危険があるからその危険の保証をどうするのかが問題になる
またボランティアを頼む人にも問題がある

ボランティアはなにかあいまいな無責任が問題

それは頼む方でも頼まれる方でもそうである、人間社会は必ず責任が問われる
だから駅で案内のボランティアしていたがそれも受け入れ体制もないのに勝手にしていたら怪しい奴だと誰か見ていて警察に通報されてみんなの前で職務質問されただけだった
でも自分の場合はなんの危険もないしわずか数十分の案内していただけである
それは無人駅になって駅に立ち寄ったら自然とそうなったのである
今はほとんどしていないけど私は駅でどんな人がくるのか興味をもった
それで話したりしていて後はたまに案内していた

でも相手が必ずしも案内を受け入れるとは限らないから声をかけるのをはばかるときがあった、そのかねあいがむずかしかった
結局案内できたときありがとうと言われただけである
それを認めている人はいない、あの人何しているのというくらいである
だから怪しいとして警察に通報されて職務質問されたのである

人間の社会は何か本当に責任問題が大きいのである、誰が責任をとるのか?
それは原発事故のような巨大事故でもそうである
原発を作るのはいい、でも事故になったら誰が責任をとるのか?
結局誰も責任をとらなかったのである、それは戦争するのもいい、でもこれも300万人死んでも実際は責任をとっていない
でも人間は必ず誰かが責任をとらされるのである
戦争では国民が300万人死んで責任をとらされた、原発で故郷に住めなくなるという責任をとらされた、地銀の人が私はプロですからまかせてくださいと投資信託を頼んだら
損しても絶対に責任はとらない
手数料は確実にもらいあとは顧客のことはあなたの責任ですとなる
つまり責任は銀行ではとらない、頼んだ人がとらされるのである
それは原発でも同じである、安全神話を作り絶対に事故は起きないとしていた
でも事故になっても責任は誰もとらなかったのである
でも地元の住民は責任をとらされたのである

おそらくボランティアの最大問題は責任問題なのかもしれない
それは危険な場合がある、千葉県で屋根にシートを張るにしてもそこに危険がある
子供の世話ですら危険がある、何か事故があったらボランティアがとらされることがあるでも頼んだ親も無責任だとしている

ボランティアをする方にもされる方にも問題がある

そのボランティアで深刻なことが起きたのが中村哲氏が殺されたことである
政府ではテロ組織が狙っているから危険だと警告して行くなと言っていてもあえて行った結果的に殺された、それもガードマンを6人とか道ずれにしたのである

この責任は誰にあるのか?

中村哲氏の行動はただ賛美されるだけであった
でも今回は何かそれだけではない、ボランティアの問題が浮き彫りにされたのである

まずそうした紛争地域にはボランティアが入れるような地帯ではない

つまり受け入れ体制がないのである、中村哲氏はアフガニスタンの英雄とまでされていたからあんなことが起きないと思っていた
でもすでに仲間の若い医師が殺されていたのである
そして政府ではテロ組織の危険を忠告していたがあえて行った
そしてガードマンを6人も道連れにして死んだのである
やはりここにはどうしても手落ちがあった、中村哲氏の責任が問われることにもなった
その功績はあったとしても何かボランティアの問題が浮き彫りにされた事件だった

ボランティアは何か軽いものならいいような気がする
それだって子供の世話だって何かあったら責任が問われるから簡単にできない
私のした駅の案内など何も危険がない、でもそうなると誰も認めない
あの人何しているというだけになる、でもただそうでも何かどんな人が来ているのか話すことで情報を得る、それが目的としてもあったからいいとなる

ボランティアはいかにも何でもいいように見えてそうでもない
だから何かつくづく昔の諺はここでも活きてくる

ただほど高いものはない

人間は無料ですることがかえって高くつくとなる、それはオリンピックのボランティアでもそうだとしている、熱中症の危険があるとしているからだ
だから金を払うべきだとしている
人間のむずかしさはただ無料でしているからほめられるとかにならない
そこに責任が問われるから簡単に何でもボランティアがいいとはならないのである

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これは何を意味しているのか?

駅の業務をしないとこれほどまで書いているのか?
それはJRでは責任を問われることを恐れている、駅の業務を頼むとJRの責任になるからだだから高校生の見守り役に限定してNPOをに頼んでいる
その金はJRでは払わない、市の方で払っているのである
でもなにかしら駅の業務が駅員いれば聞かれたりするし何か案内があったりする
それで盲人が一人通っているから案内をすることを言ったらその人はしたのである
別にそれは危険ではないのである

とにかくボランティアで最大の問題は責任問題なのである

一体中村哲氏が殺された責任をどうするのか、誰がとるのか?

ガードマンが6人殺された責任は誰がとるのか?

政府がとるのか?

何かそれが問われる、ボランティアだと別に政府でも責任をとらないということも問題になる、でも政府にしてもアフガニスタン側でも責任があった
アフガニスタン政府でも危険だらか断るということも必要だったとなる
でも日本政府はテロ情報を伝えていて警告していたから日本政府には責任はなかったとなる
こういうことは前も危険地帯に行って殺された人がいたから問題になっていたのである
ただこんなふうに問うと人間は何もできなくなる
現実に今や子供に声をかけもできない時代である
みんな怪しいとされる時代だというのもそうである、それだけ人間の信頼関係が喪失した時代だから

ボランティア自体が盛んなようで実行することはむずかしくなっている
それはあらゆることで責任が問われるからだとなる
そうなると何もしないのが無難だとなってしまうのである
この駅の高校生の見守り役のように仕事を限定してあとは何もしない
それより何もしないことがかえって安全であり責任も問われないからいいとなる
そういう何か窮屈なものにもなってしまうのである
とにかく人間は人を何かしら責めたい、その非を責めたいのである
マスコミ自体が常にそうして人を責めている、それが仕事なのである
でもそんな資格があるのかとなると無責任だからそうしている

ただ人の口に戸はたてられない

必ずなにかにと言う人はいる、そういう人たちはとにかく相手の非を責めることが快感なのである
そして良き行動でも難癖つける、それは自分にもある
そういう人はケチつけるだけで何もしないのである





posted by 老鶯 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年12月08日

新しい産業が起こらない、フロンティアがない、投資先がない (停滞社会、中世社会へ逆行か?)


新しい産業が起こらない、フロンティアがない、投資先がない

(停滞社会、中世社会へ逆行か?)

世界史をふりかえると大航海時代とかアメリカ大陸発見からフロンティアがありヨ−ロッパは栄えた、オランダで航海するには危険であり沈没すると大損になる
でも成功すれば大儲けになる、それで株式会社として共同で出資して成功すれば株の配当でもうかる、オランダそうして栄えた
東インド会社とかを作り成功した
大航海時代はそうした世界がフロンティアとなっていた
その最大のフロンティアがアメリカ大陸だったのである

スペインは略奪国家だったけど南米で富をえた、ただそれが継続しなかったのはただ奪う国家、海賊国家だったからである
次にイギリスは自ら産業革命を起こして七つの海を支配した
それはただ奪うだけではない技術革新があった、今のITの技術と同じである
アメリカが開発したのでありそれで世界を支配する
鉄道の発祥の地はイギリスだったのである

日本では江戸時代までは新田開発でありそれで人口を増やした、一番栄えたの元禄時代だったのである、それは地方でも同じだったのである、葛尾村にも元禄の碑があったし相馬市の新田にも元禄の碑があった、この辺ではめずらしけど元禄の碑があるということはやはりこの辺で盛んに新田が作られたということなのである

明治になると個々人の家で零細な絹織物などの手仕事が大規模な産業となった
絹織物は養蚕農家を日本全体で作りだした
今でも兜形の家はいたるところに残っている、そこは養蚕がされた場所なのである
その絹織物はアメリカに輸出されたのである
原町の原町紡績(原紡)はこの辺では有名である
私の母はそこで糸取りとして十年働いた、それまでは農業が中心で現金収入は得られなかった

特に女性はそうだった、だから女性に働く場を与えたということで大きな変化だった、女工哀史とかあるけど全部がそうではない、そういう面はあったにしろ農業しか働く場がない時代から脱出したのが養蚕と絹織物産業だったのである
その後私の母は東京で女中になった
この女中もその頃女性の働き場だった、電化製品などないかである
それで中産階級でも二人も女中を雇ったいたのである
それだけ家事自体の労力がかかっていたのである
第一洗濯板で洗濯するだけで手間なのである、それはフランスのセーヌ河でも選択する女性がいた、それがルーブル博物館に絵として残っている
インドでは洗濯するカーストがあった、洗濯自体一仕事だったのである

戦前まで依然として農業に従事する人が8割とかの社会だった
そこでいかに農業で苦労したか?農民詩人を見ればわかる、食うや食わずであり小作が過酷でありその恨みが残った
その後戦争に負けて日本は焼野原になった、そして引揚者が開墾者となりやはり農業で生活しようとしていた、それも過酷で半分はやめた
でも戦後十年くらいから電機製品が世界で売れて高度成長時代になった
その後日本は電器製品から自動車産業が輸出産業となった
でも失われた30年となり日本が経済は停滞した
IT化にもおくれてスマートフォン時代にも乗り遅れた
そして新しい産業が起こらない、そして今は株が上がっていても好景気感はない
それはなぜか?歴史をみても新しい産業が起こらないとういことである
日本はITでは後進国だからである

そして自動車産業も衰退しつつある、そもそも自動車が自動運転化すると車の使い方が根本的に変わり車自体の数は必要ないという、車を実際に利用しているのは4パーセントであり家で使わないのである、ただ高い車を使わずに置いてある度合いが高いのである
ここでもAI化とかでかえって雇用する人が減ってゆく、人はいらなくなってくる
新しい産業は雇用を増大させるがAI化はかえって雇用する人を減らすのである

そして今金はどこでも余っている、その使い先が投資先がないのである
大企業でも膨大な金を留保している、それを社員の給料にもまわさない
保留しているだけで金が回らないのである、それだけ投資できない、保守志向になっている、銀行でも金が余っている、でも投資先がないのである
それで投資信託などを売りつける、それはゆうちょでも農協でもアメリカのゴールドマンサックスなどの餌食になっているという、投資信託とはそういうアメリカの頭脳となる人達が作り出したものでありそれで日本の金融機関から金を奪われるだけだとしている
金融とは金を右から左に回して差益でもうけている詐欺のようなものである
投資ではなく投機なのである、円高差益でかせぐFXのようなものである
だからもう地銀とか金融機関は必要なくなっている
かえって追い詰められているからそうした詐欺商品を売りつけるから害毒になる
それは医者がいらない薬を患者に与えて製薬会社と結託してもうけているのとにているのである
つまり社会に有効に働かない時、その人間は害になってくるのである
会社でも害悪として社会に働く、むしろそこで働くことは社会に害悪をもたらすだけだとなるから怖い存在になる

その仕事が害悪になるというとき例えばアフガニスタンで大麻を売らざるを得ない、栽培しなければならないのは食べるためにそうなっている
職がないからそうなったのである、メキシコで大麻でギャングがいるのはそれしか仕事がないからだとなる、それを簡単にやめさせることができないのである
だからそうして戦争でも失業者のために兵士にさせて仕事を与えるとまでなる
ナチスは失業者救済のため兵士にして戦争したとかなる
失業者が大量に出ると戦争にもなるのである
なにしろ追い詰められた人間は一番怖い、何でもするようになるからである
今日食べるものがないとしたらわずかの金でも殺す、そういう人に出会ったら最悪だとなる、でもそういう人が増えることはその社会はアフガニスタンやメキシコの麻薬社会にもなる、食べるために善悪もなにもなくなってしまうのである

だからこうして新しい産業も起こらないとか日本でも衰退してゆくばかりとなると非常に危険な状態になってゆく、それが金融機関にも現れているし社会が不安定になり犯罪も増えて来る
でも日本の場合は米が余っているとかとても食料不足になるとは思えない
アフガニスタンなどは食料すら確保できないから絶望的だからテロ国家になっている
ただ世界的に見て新しい産業はもう起こらないのかもしれない
AI化があってもそれは人力をますます減らすのであり今までの産業とは根本的に違うからである

するとどうなるのか?中世のような停滞社会、ゼロサム社会になる
そこでは何か内面性が追求される、精神世界の開発になる
第一パソコンとかITとかAI化は頭脳と関係して物つくりではないからだ
それに日本では追いつけなかったのである、物つくりが得意でもそうした頭脳となると苦手になる
ただ未来はどうなるかわからない、必ず予測しえないことが起きるからだ
津浪とか原発事故でもそうだった、予測し得ないことが人生では起きる
まず70年生きたら必ず戦争であり大災害であり何か大きなことがそのサイクルで起きているからだ
明治維新から70年後に太平洋戦争があり次に70年でまた大きな変化に見舞われている何か2019年も終わるけど2020年は本当にその節目であり大きなことが起きる
そうして時代が変わるのかと思う





posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年12月07日

中村哲氏の殺害と原発事故周辺の事情とはにていた (マスコミの一方的報道も危険)


中村哲氏の殺害と原発事故周辺の事情とはにていた

(マスコミの一方的報道も危険)

この事件を見ても人間に起きることがいかに複雑なのかわかる
例えば毎日起きている事件でもニュースでも本当は複雑怪奇になる
その事情に通じることは事件が起きたらとしてもわかりえようがないのだ
だからマスコミでもただ事実を報道することはいいとして
何かわかったような解説はしない方がいいともなる

何かマスコミは必ず裁判官のように価値づけして格付けして事の善悪を判断する
それが何百万とか一千万単位で見ていたらそれをそのまま脳裏に刻まれる
何も考えないとそのままマスコミに誘導されてそのまま受け取るのである

マスコミの危険性はそうして一方的に報道することである
何をどのように報道するかをまず決めて報道する
そこでNHKの幹部が決める

原発避難者側にまずつくということでこの辺でも放送した
原発避難者様としてあつかった、ある意味で原発避難者に逆らうことは非人間だとまで言われた、そうしむけたのはマスコミである、NHKでもそうである
でもそこには複雑な事情があった
津浪の被害者も同じ場所に仮設に入っていたけど補償金がもらえなかった
そこで補償金を高くもらった津波避難者とは口をきかなかったとも言っていた

でもNHKではまず方針を決めていたのである
それで飯館村の人がトマト農家に採用してくれというとき断った
その時、NHKの放送を見ている人は全国の人でもどう思ったのか?
なんという冷たい農家だと見たのである
でも別に冷たくも何もなかった
津波の被害者は補償金ももらえないから苦しかったから当然だったのである
でもそこでNHKによってそのテレビを見る人は頭にすりこまれたのである
それがもしネットのように何も津波の被害者が優先するのは当然ではないですか
そういうコメントもあったらまた別だがマスコミは一方的なのである
その価値判断を優劣とか善悪をマスコミが決めているのである
ここにマスコミの危険があった、それは一千万との人間見ているからそれによって
その見ている人もそのように見るからである

だからなぜ中村哲氏があれほど命がけで貢献したのにアフガニスタンで殺されたのか?
それは中村氏本人を狙って銃撃していたのである
その解説がここでしていた
nakamuratetu1.JPG


不毛の砂漠で灌漑事業して作物がとれるようになった
そこでその利益配分をなのかで土地のものが争うようになったという
それがこの辺の事情と似ていたのである
中村哲氏が外部の者でありそれも外国人である
その人が善意でしたことは受け入れられると思った
だから実際に地元の人に英雄のように讃えられていた

ではなぜ狙われて殺されたのか?

これが本当に外部からするとわかりにくくなるのである
そこにボランティアでもそうだが複雑なものが地元の事情があった
ただこれは本当に外部からでは理解できないものである
ただ作物が取れるようになりそれでかえって争いになったというのも何かそこにアフガニスタン特有の貧困からそんなふうになった
それだけ貧乏だとなると少しの利益でも争うことになる
それは遺産相続でもわずかでも争っている時代になっているのとにている

とにかく人間の世界は善意がそのまま何でも受け入れられることはない
かえって反発する人も内部の事情でそうなる
だから外部の人がいくら善意でもかかわることは慎重さが要求される
マスコミにはそういう慎重さが欠けているのである
その影響力が大きすぎたのである

マスコミは価値づけとか格付けとか善悪とかを判断するべきではない

事実を報道するのはいいとして何かそれを意図的に操作している
だから番組を作る前に方針を事前に幹部で決めているのである
ただそれがわからないように巧妙にしている場合がある
つまりマスコミは何らか必ずマスコミの報道方針を決めていて報道しているのである

今回の事件は果たしてそんな危険な複雑な場所に善意であれ援助するということが正しかったのか?
それが判断しにくい、それはなぜこんな目に合わねばならなかったのかということであるそれは自分自身が駅でボランティアしていて怪しいとして警察に通報されて人前で職務質問されたことである
それであいつは怪しいとなりそこで駅にいることもできなくなったこととにている
自分のしていることはそんなものであったし中村哲氏の命がけの貢献とはまるで違っていた
ただ善意がすべて受け入れられるとは限らないことである
それが人間の世界なのである
だからなぜキリストが十字架になったのかもそういうことがある
愛を実行してもそれは受け入れられないことがあるし何でもいいことが受け入れられる
訳ではないのである

家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました
ごん狐ー新美南吉  

善意でししていたことだったが殺されてしまった
そういう悲劇を中村哲氏の事件で感じた
善意は必ずしも通らないしその逆にもなる、それが悲劇となる
何かそういうことがここにもあった、地元の複雑な知りえない事情があった
それほどもしかしたら深刻な貧困があり争いがあり荒れ果てた世界がアフガニスタンなのかとなる
絶望的地獄になっているのかもしれない、ただ日本では安逸に暮らしている時そうした
深刻な事情を察することができないのである
本当になぜそんなことをとこれは簡単に理解できないからである

今回の問題もいろいろ考えさせられる事件だった
それはこういうことを地元で経験したから外国でも同じようなことが起きるのかと思った
ただまずアフガニスタンとかシリアとかのことを理解することは不可能である
そこは奇奇怪怪な世界であり理解不可能になってしまうのである
だからそういうところに安易に入り何かをしようとすることは善意でもできない
善意が善意として通るような世界ではない
そのために敵に味方したとか殺されることもある
それだけ人間社会は複雑なのである
善意が善意としてそのまま通るような世界ではないのである
だからといって中村哲氏を批判するというのではない
そういうことを批判はできない

ただなぜ地元の人に殺されねばならなかったのか・・・・

これが本当に理解できない、そのことがやはりここがどれだけ複雑で深刻な事情をかかえているかわかる
そういうことを示した事件ではなかったか?
お前らは俺たちの本当の窮状を知っているのか?
そういうことを示した事件だったのかもはしれない、そんなことをとてもアフガニスタンの内部から起きるとは思えなかったからである
それは謎であるが自分の経験と照らし合わせてもそういうことが推理できるのである



 今回の件に関してはアフガン当局も日本政府も事前に“襲撃計画”を把握しており、
それを本人に伝達して注意喚起をしている訳だからね。
紛争地域で偶然に出会して襲撃を受けるのとでは、全く意味が違うんだよ。
だから、犬死とは言わないが… って書いたんだよ。
謂わば、周りが身の危険を案じ、忠告をしてくれている訳だから
理解をしていれば、死ななくて済んだ。

とあるイスラム学者が言ってたけどアラブの争いは基本的に水なんだと

この人がお花畑の9条信者じゃなくてもう少しリアリストだったら、

周囲にいたボディガードも死ななくて良かったかもな。
いくら仕事とはいえアフガン側の犠牲者の家族とかマジでかわいそうだよな。

こういう見方もあるのはわかる
水の利権争いは砂漠では一番深刻になる

そしてここで中村哲氏の死を大々的に日本では報道しているが
そこで巻き添えをくって死んだ5人とかはどうなるのか?
無謀な行動で六人を死に追いやった
ということは中村哲氏は軍隊なら上官だった
その部下のことをきづかな分ければならない
もし襲われたら部下も死ぬからである

自分自身だけではない、その人たちの命もあづかっていたとなる
そこで独りよがりな行動はつつしむべきだったとなるのか

だから独りよがりの行動が周りにも犠牲者を出した
もし一人だけで死んだらそうは言われなかった
ただ危険の中で行動して来たのだからそれに慣れていたのかもしれない
でもやっぱり慎重さを欠いていたのか?

俺はアフガン人にはアフガンでぱ襲われない

そういう自身が今までの活動で生まれていたのか?

そういう奢りが油断がまねいた事件だったのか?

これはいろいろと議論をになる事件だった






posted by 老鶯 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

グロ−バル化広域社会化で失われた絆と連帯 (原発事故が家族や地域の分断をもたらした訳ー真宗移民と比べて)


グロ−バル化広域社会化で失われた絆と連帯

(原発事故が家族や地域の分断をもたらした訳ー真宗移民と比べて)

現在の居住地が 5 年前の居住地と異なる人は 24.7% であり,
居住地が,出生時からずっと同じ人の割合は約 1 割にしか過ぎない(国立社会保障・人口問題研究所 2013).

風雪帯びた樹々の連帯

大地に根付く樹々は
風雪を帯びて定着する
そのためには長い時間がかかる
木の生長が50年とかかかるように
一代でその実りを見ることはできない
そして人々が連帯するということは
風雪を帯びた樹々のように
大地に深く根を張り
その土地に連帯を深める
そこに一つの連帯の殿堂が生まれる
それがその土地の歴史である

盛んに震災以後絆のことが言われた、その絆とは何であったのか?
それは外部がそういって外部との絆が生まれたのである
なぜなら実際に復興させたのは外部から来た人だったからである
そこにはいろんな職業の人たちがいた
その時内部の人は何をしていたかというと何もしない
ただ仮設に住んでギャンブルに興じていただけである
だから奇妙なのは外部との絆が生まれても内部ではかえって分断したのである

その分断は市町村内部でもそうだが家族だと若い世代が流出して親子とかでも分断されたのである

外部とは絆が生まれる

内部は分断した

それは地区によって状況が違っている、ただ原発事故は放射能汚染は人を住めなくさせるから分断される
それと多額な補償金をもらったことでも深刻な分断が起きたのである
それは飯館村などは牛を飼っていると軽く億の金をもらったとされている
大熊では牧場経営者が5億円もらったとか噂が飛んだのである

そして南相馬市だと鹿島地区と小高地区は分断された
鹿島の仮設に小高の人たちが住んだとき補償金を小高の人は多くもらっているとして分断された、小高の人たちはそういうことは避難したのだから当然だと思っていたから
なぜ苦しんでいる時そんなことを言うのかと分断されたのである
そして毎日のように仮設には外部から応援に来る人がいたのである
つまり外部との絆は生まれたのである
外部の人にとってまず仮設に住んでいる人が援助の対象になったがその他の人は関係ないからである

でも連帯とか絆を考える時それがどうして生まれるのだろうか?
農業社会だったら村中心の自給自足経済だからそこで自ずと助け合うとなるしそうしなければ生きていけない事情あったろう
でもグロ−バル経済広域社会になるとその経済交流の範囲は地球全体になる
その差がまた大きかったのである
だから南相馬市で一番問題だったのは外部から放射能汚染を怖がり物が運ばれなくなったことだったのである
つまり外部からの流通が断たれるともう生きていけなくなるのが現代である
それで三陸なのか裏山の清水を汲んで薪を用意して米を炊いてしのいだ部落があった
それは交通が遮断されたからそうなったのである
そこでまだ水があり裏山から木材をとり燃やして燃料にできたから生き延びた
でも都会だとそういうことはできないからお手上げになるということがある
グロ−バル社会が広域社会がいい悪いという前に今はみんなそうした中で生活しているのである、だから流通を断たれると生きていけなくなる
そういう社会だから外部との絆の方がここで生まれたというのはそういう社会だったからである

一方で絆とか連帯はどうして生まれるのだろうか?
内部的にはとうしても樹々のように大地に根を張りそこで風雪に耐えて成長するとき連帯がありうる、それで浪江の奥山の津島に開墾に入った人はともに苦労したので連帯が絆があったということになる
しかし今の社会は移動が自由だし農業社会ではないからそうした絆とか連帯は希薄化している
つまりコミニュティはつながりは希薄である
第一家を建てるにしても地元の大工はもう関係ない、大手のハウス会社にみんな頼む
それで大手のハウスは部品を組み立てるように一二週刊で家を建てるのである
すると地元の人に世話になったという感覚もないのである
そして人は別にどこに住んでも金さえあればできる
故郷でもこだわる必要はないとなる、結果的にそうして若い世代は流出したとなる

ただ人間の絆とか連帯は簡単に生まれない、それで農民は三代つづかないと仲間になれないというのもわかる
農業は共同作業なのである、それで限界集落に入った都会の人はうまく協同できずに去って行ったのはそのためである、そうした狭い世界の村社会に耐えられなかったのである
でも相馬地域だと天明の飢饉からさらにその後でも飢饉があり三分の一が流出したのである、その後の欠け地に越中の真宗移民などが入ってきて開墾して住んだ
なぜそんな厳しい場所に来たのかというと土地をもらえるからだった
越中などではもう生活が成り立たなくなっていたためでもある

ただどうしてそこで相馬地域に根付くことができたのか?
それは地元の農家に指導を仰ぎそこで耐えて土着するようになった
それは苦しいものであり加賀泣きということが伝わっているからだ
つまり地元の人たちに泣かされたとういことである
でも都会から限界集落に来た人はそういういじめにもあってすぐにやめて都会に去ったのである
でもそうした移民は帰る場がないから必死でこの土地に生きようとして土着したのであるそういう移民は大熊とかにもいたという
広範囲に相馬地域に土着した、三分の一はその人たちの子孫なのである
これは他の土地とは違うこの相馬地域の特殊な成り立ちであり歴史である

shinshuuimin11.jpg

移民はここでは地元の人に指導されて従った


これと比べると現代は移動社会であり条件のいいところに住めばいいとなる
それは中国でも起きている、移動が楽になると人は住みよい場所に住む
海南島などはいつもあたたかいから北方の寒い所に住んでいる人は移り住んでいるというそれは日本だんたら沖縄に移り住むとにている

ただ人間は本質的に絆とか連帯はただ楽をしたいかとして楽しみたいからと連帯が生まれるだろうか?
樹々が風雪がありそこで大地に強く根を張る、そういうことがないと連帯は育まれない
それは家族だってそうである、家族は共に助け合うからこそ連帯が生まれているからである、そうでなければ家族ではないとなるからだ
だから移動が自由でありどこに住んでもいいとしてもそれで連帯をかえってつくりにくいコミニュティを作りにくいからこそ孤立人間が増えているとなる
人間が家族でもばらばらになっているとか地域社会もないとかなる
つまりグロ−バル社会の負の面が増大してきたのである

そして金といかのも人間を分断してばらばらにする、遺産相続のように兄弟でも醜い争いになる、それと同じようなことが原発事故の補償金で起きたのである
金に目がくらみ他のことは見えなくなる、もう絆も連帯もない
ただ金さえもらえばいいしかなくなっていたのである
そうして若い人は親世代を置いて流出した、若い世代は故郷に戻ってこないのである
何かそこにグロ−バル社会の広域社会の資本主義の矛盾が露骨に現れたともなる
街すら仮りの街だったのかとも思えるほどあっけなく人がいなくなり回復しなくなった
それは今でも避難区域ではつづいているのである 

話は変わるが中村哲氏がなぜあれほど貢献したのに殺されたのか?
それはニュース解説では灌漑事業で何もとれない砂漠に作物がとれるようになって
そこで利益を生んだので争いが起きたと解説している
何かこれもわかりにくいがこの辺で起きたことと似ている面があると思った
何もない砂漠で作物がとれた、利益を生んだ、それで何かその利益をめぐって土地の人が争いになった
ここでも補償金でももめたのとにている、何か善だと思ってもそれが必ずしもその土地の人にとって全面的に受け入れられないのである

つまりその土地のことは外部の人にわかりにくいということである
だからそういうことに手をつっこむと意外なことが起きてくる
ここでもなぜ原発避難者の仮設に住んでいる人ばかりに注目して援助したのかとなる
外部から見ればそういうことは全面的に受け入れられると思ってそうしていたのである
でも地元にすると複雑なものがあった、それが無視されたのである
NHKでもそういうことで私は批判した
マスコミでも地元の事情がわからずに介入してくることは一面危険なのである
見方が一方的になっていた、原発避難者側に完全になっていたからである
利害争いがあるとやはりそこで公平に見れないのである
その是非をマスコミが判断してしまうことが危険なのである
なぜならそのためにそれが全国で放送されて正しいとなるからである
今はその反論をネットでなんとかできるがマスコミの影響が強すぎるからそうなっていたのである
マスコミによって格付けされたり価値づけされる、それが一方的になる
なぜならそれを何百万人とか千万人でも見るからである
ネットだと百万見るようなyoutubeはほとんどゼロだからである

nakamuratetu1.JPG

ともかくその土地土地にはこうして歴史がありそれがその土地から離れればその歴史が失われる
私の家は真宗移民でありこの土地に苦労して根付いた暮らしてきた
そういう先祖をもっている、でもその土地を離れたらそういう歴史は消失する
この土地に生きてこそその歴史が意味をもつからである
先祖が苦しくても頑張ったからここに根付いて暮らすことができたということがなくなるつまり歴史を失うということはそういうことである
その根となるものを失うことである
ただなぜこんなにもいくら原発事故であり放射能被害があるにしても崩壊したのかは解せないことがある

言えることはいろいろな社会の変化でそういうことになりやすかったとは言える
でもそんなに簡単に町や村から人がいなくなるということが意外だったのである
それは金の唯一の力となった社会だからこそともなる
つまり人々の結びつき希薄化している、だから何か事があったら今回のように連帯することもなくばらばらになり市町村でも消失してゆくという不安も他でも感じるだろう
内部での絆がむしろなくなっている
いくら外部の絆が生まれたとしてもそれは一過性である、長くは継続しないからである
現代は孤立社会孤絶社会無縁社会ににもなっているのはとそのためなのである








posted by 老鶯 at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

地理の不思議 (平面的ではなく立体であるから地図にできない―南相馬市の位置)


地理の不思議

(平面的ではなく立体であるから地図にできない―南相馬市の位置)

kinkasannnn222.jpg

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南相馬市の位置

南相馬市の丘から冬晴れの日に
牡鹿半島と金華山が見えた
すると心はそっちに向き
心は海に向かって開ける
でも太平洋は広く荒い
いつも波が荒く打ちよせる
そして津波の記憶がまだ生々しい
多くの命が無情に奪われた
心はまた海に開けても
心は閉ざされる
阿武隈高原に視界が閉ざされる
福島市の方は見えず
心はそっちの方に向かない
心は常に海の方に向く
伊達政宗が太平洋を渡るべく
メキシコを経由してはるか
ヨ−ロッパに視界を広げた  
それは東北ではありえぬ快挙なり
常に海に向かう土地がそうさせたのか
ただ太平洋は荒々しく
冬の海に鴎が一羽とんでゆく
そして東北の海は閉ざされている


人間はその人の住んでいる位置が大事である、そこをベースとして起点として世界を見るからである、だから同じ地域でも山側から見るのと海側に住んでいる人とはかなり感覚が違ってくる、その地理からアイディンティティが作られてゆく
人間はまず初対面ならどこに住んでいるかを聞く、どこの出身かを聞く、そこからその人のことを推察する、私の場合は日本だと全国を旅したからだいたいどんなところか推察できる、外国になるとまだまだわからないが一応主な所を回った
外国にうとかったがそこで見聞を広めることが50からでもできたので良かった

まず自分の住んでいる所はどうしても一番影響しているのが阿武隈山脈というより高原となっている、ここで中通りと福島市とさえぎられている、視界に入らない
すると福島県は横に広く地理的一体感を感じないのである
詩にしたようにむしろ仙台の方に視界が開けているし交通でも常磐線があり仙台に通じている
そして津波でわかったように石巻辺りが震源地になっていた
その石巻の牡鹿半島と金華山が片倉のフラワーランドから見えたのは意外だった
新地から見えていたがあそこから見えるとは思わなかったからである
そこまで見えるということは地理的一体感を福島県より宮城県に感じることになる

そして宮城県に津浪伝説があり津浪が来ると警告していた市井の学者がいたことでもわかる、海に面していて地理として一体感があったのは宮城県の方だったのである
でも行政区分としては宮城県と福島県は歴史的に相馬藩と伊達藩に分かれて争っていて継続して相馬藩は福島県に属した
ただそれはあくまでも廃藩置県で無理やりに分けたから不自然なのである
地理的な自然境界がありそういうものを考慮していなかったからである

宮城県だと本当に海に面している面積が大きい、そしてそこは海産物が豊富であり縄文人が前期には多く住んでいたことが理解できる、海の方が住みやすかったとなるからだ
ただそこは津波などが来る場所だったのである

いづれにしろいつも海を見ている人と山に囲まれて毎日過ごしている人では相当に感覚的に違ってくる、海は何か心を解放する気分になるが山だとどうしても閉ざされた感覚になる、だから阿武隈高原によって浜通りは閉ざされるのである
おそらく双葉や大熊辺りに原発が建っていても見えないし無関心だったのかもしれない
全く見えないし阿武隈高原に閉ざされているから見えないし危機感を感じなかった
これは別に浜通りでも30キロ離れた私の住んでいる場所でも危機感がなかった
そういうふうに何でも地理が影響するのが人間なのである

ただ一方で太平洋は荒々しいから何かここを渡って行けるその向こうに国があるとなど思えない
だから伊達政宗がヨ−ロッパまで船を作って送り出したのは快挙だった
そんな視界を普通はもていない、海もまたこの辺では閉ざす世界である
津浪でもわかったように海は本当に恐ろしいものだったからである
太平洋は心を閉ざす海なのである、日本海は比較的冬以外は穏やかだから青森の方まで縄文時代でも行き来があったことでもわかる、太平洋だととてもありえない海であり閉ざされていたのである

そして地理で不思議なのは地理が平面ではない、立体だということである
だからどんなにしてもこの立体感覚は地図では経験できない
なぜなら土地の高低を実感できないからである
だから自転車で狭い地域を回る時、一つの球体を上ったり下りたりして回っている感じになる
それは原町でも鹿島でも相馬市でもそこが一つの球体に感じるミクロコスモスに感じる
それはとても地図を見てもわからないのである
地理はまずこの高低とか隈なくその土地を行き来しないと実感できない、体得できないのである、だから未だに故郷でも狭くてもわからない所がある
そして車だと乗っていないからわからないが土地の高低など坂を上る感覚もなくなるからわからなくなる
鉄道でも坂の感覚がわからないのである

結局学問というときなぜ面白くないのか、それは学校だと記号の勉強でありただ地理でも紙の上でしか見れないからである、あとは受験勉強になる
現実世界から隔離された記号だけの世界で学ぶから興味がなくなる
まず地域でも回っていたら地理に興味をもつ
第一今になってやっと片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えたことを発見したからである
それだけ地元に住んでいても地理のことがわからないのである
丸森の絶景ポイントも最近発見した
そこからは大平洋を一望にできるし蔵王を見えたのである
阿武隈川も流れているから丸森は景観が一番いい場所である

地理がわからないというとき世界が理解できないのはまず広すぎて地理がわからない
中国なども理解できないのは地理がまずわからない
それであるゆる世界のことでも基本がわからないから理解しにくい
それでなぜ香港であのような激しいデモが起きたのか?
その説明で面白かったのはそもそも中国は南と北では違った国であり北は軍事力の騎馬民族が支配して南はその北京などの騎馬民族に支配されて搾取されつづけてきたという
また言葉も違っていて別な世界を形成していたという
それを読んでなるほどなと思った
南船北馬というのは聞いていたけど北は馬であり騎馬民族が支配した国だとなる
そういうことが根底にあり中国は対立しているのかとなる
そして北に黄河あるとしてもそこは不毛の地だという、ヤオトンとか洞窟の中に住んでいるとか貧しいのである、第一木もない黄土高原を見たらとても豊かになれないと見る
でも南は揚子江はそれとは別な世界である
それで世界でもtake place(起きる)は場所が大事なのである

いづれにしろ地理を知るには机上の学問では不可能である
旅しない限り実感して知ることはできないのである
だから世界旅行は必ずしないと何もわからないままで終わる
ただ一回くらいしてもまた地理はわからない、それだけ地理を理解することはむずかしいのである
それがわかるのは狭い地元すらわからなかった、それが如実に示しているのである

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原町でも鹿島でも相馬市でもそこは一つの別々の球体という感じになる






2019年12月06日

中村哲氏はなぜそこまで行動できたのか? (ボランティアの行動とその動機、心の謎ー時にかなった死だった)

  
中村哲氏はなぜそこまで行動できたのか?

(ボランティアの行動とその動機、心の謎ー時にかなった死だった)

今回の中村哲氏の死にしてもそうである
まずその行動に注目している、アフガニスタンでなぜそんなに尽くすのか?
それは度がはずれている
なぜならすでに若い医師は死んでいるからである、殺されているからである
すると普通だったらその時点で危険だからとやめるのが普通である
ペシャワール会でももうこれではやれないとなり協議してやめるようになるのが普通である、そこまでアフガニスタンで働く必要があるのかとなるからだ
日本人の命をそれも医者の命を犠牲にしてまで尽くす理由があるのか?
何かそれが問題になったはずであり議論もしたのだろうがその後も続行したのである
それはペシャワール会の意志として一致して続行したのである

そこまでして続行する理由があったのか?

その行動からみれば感嘆することであり称賛されることである
ただすでに日本人が一人殺されている、そして中村哲氏だけでなくガードマンとかも六人とか射殺されている、その人たちはただガードマンとして金で雇われた人かもしれない
その人たちはアフガン二スタン人でもただ金のために働いたとなる
そういう場では生活が苦しいのだから金になればなんでもやるとなる
第一大麻を作っていたというのは貧しく売るものがないからそうなった
それからイスラム国のテロになったのは若い人でまともに働く場所がないから兵士となり金をもらうとなっていた
テロが生まれるのはそうした貧乏が原因になっている
それで中村哲氏がそういう人達のために水路をひいて自らその工事にたずさわっていた
医者だけでなく土木工事も指導していたとなる

ただその一人の行動は一人だけではできないから回りをまきこんでゆく、日本人でも寄付したり応援している、アフガニスタンでも犠牲者が出たのである
だからそこまでやるべきなのか?
それが疑問として残った、別にそういうことが悪いというのではない
つまりその動機とか理由がわからないのでそうなる

それは三島由紀夫の死でもそうだった
なぜそんな過激な行動をして自ら自死したのか?それが良くわからなかった
ただあの時三島由紀夫は老いることの恐怖を語っていた
それで肉体を鍛えてボデービルダーのような肉体を見せていた
そして老いる前に死にたいと思っていたことは間違えない
老いるということに耐えられなかった

つまりそれが自ら死ぬという決断になった

でもそんな理由であんな事件を起こして巻き込まれるのは大迷惑だとなる
外に向かっては確かに右翼で日本を守るべきだとか言うが現実問題として老いることの恐怖がありまた最後に有終の美を飾りたいということがあった
それは利己的な動機だったとなる、そんな個人的理由で華々しく死にたいということで
そんなことをするとなると大迷惑だとなる
だから彼に関しては独りよがりな行動であり評価できない
それがどんなに過激な行動でも評価できないのである

ただ正直人間は老人になるとわかる、そういう心境になるのである
もう生きる時間も限られている、そして病気で寝たきりとかになったら怖いとか介護状態になるのが怖いとかなる
その前に元気なうちに華々しく死んで生を全うしたと思う
ただそういう動機は社会にとって迷惑だとなる
それなら自殺がいいとなる、それが社会をまきこんでその死を日本の愛国心からであり
日本の国のために犠牲になったとはならない
何かだから独りよがりでありみんな演技だったのかと見たのである
それは三島由紀夫はテレビにしょっちゅうでていた有名人だったから余計にそう見えたのである、盾の会とかも演技なのかとも見ていた
何か滑稽で笑っている人が多かったのである
でもオウムでもそういうことがあった、何か漫画などで宣伝していたから何かあんなに怖いものだとは誰も最初の内は見ていなかったのである
でも殺人集団だったのである、そして優秀な理系の若者が浅原にだまされたとして叫び死刑になったのも重い事実だったのである

人間はなぜあんな行動したのだろうか?

それを問うときそれがわかりにくいのである、だから常にボランティアが偽善だと糾弾されている、それは何か純粋ではなく何か意図があるとかなる
それは善意であってもあからさまに表に現れてそれをまた強制するように見えるからかもしれない、なんだ善人ぶってとかなる
現実問題としてボランティアより自衛隊とかの方が金をもらっていても奉仕しているし役にたっている、震災で一番役に立ったのは自衛隊だったとみんな言っている
ボランティアはあくまでも脇役なのである
でも自衛隊を賛美する人はいないのである、税金もらっているんだからこんなときくらい働けよとか言われるだけである
おそらく戦争になったら真っ先になって死んでこいとか言われる、それが当然でありお前らの仕事なんだよなとる、今でそめういうことを言っているからだ

これと同じようになぜ中村哲氏でも自衛隊のように他国で援助している場合もある
でも自衛隊の人はその国の人に感謝されたり日本人からも称賛されないのである
それが税金で食っている、お前らの仕事なんだよで終わりである
だからなぜボランティアだけがそんなに称賛されるのか?
それで嫌われるということがある、、善人ぶってたいしたこともしないのにほめられたいのかとなる

ただ中村哲氏とかペシャワール会はすでに若い医師が一人殺されていたからボランティアにしても厳しいものだったのである
ボランティアでも命がけになったらやるのか?
第一建築現場とかでは仕事は命がけにもなる、そんなところで仕事できるのかとなる
安全な仕事の補助はできてもそういう危険な仕事は普通はできないのである

そしてなぜあのように称賛されたかというと外国で仕事したからである
日本でもいくらでも困っている人が苦しんでいる人がいるが日本でボランティアしても
称賛されることはない、だからノーベル賞をもらえる人だとなっていたのである
いろいろな賞をもらっていたのである
だから日本でボランティアしていたらそんなことはなにもないのである
だからこそ外国でボランティアをしたのかともなる

こんなふうに考えるのはその行動はあまりにも目立つものでありそんなことまでしてやれるのかという疑問になったからである
その人の心は動機がどういうことでそんなことまでできたのかと問うようになる
人間は行動は目立つし見えるからそれに衝撃を受ける
でもその人の心は見えないのである、だから心とか思想とかはどうだったのか?
それを理解することができない、ただそれだけの行動したということで称賛されるのである

いづれにしろ中村哲氏の行動はボランティアとかでもない、もう医者としてもそうだしプロとしての活動である、現実に医者が一人殺されてやめることもできたのに継続していたそれはもう国連の一員のように仕事として働いていたともみる
ただそうなると保証が必要になる、ボランティアも危険があるから保険に入ることが義務化されている
政府でも外国に阿部首相は特に援助している、それも莫大な金になっていた
それは政府主導でありそれは国民の税金なのである
それでダークネスでは貧乏人に援助する必要はない、税金を払っているのだからそこで
支援しているのだから何か援助する必要はないとしている

いづれにしろボランティアというのが何なのだろうというとき

俺たちは善意の人間であり俺たちはほめられるべきだ

ますこうなってはじめている、何も金を払って仕事するならそんな気持ちにならないのである、家建てるとか土木工事をするにしてもそれは金をもらってしていから誰も危険な仕事でも称賛したりしないのである
別に何も特別なことなどしていないのである、社会では金を払って終わりでありそれ以上のことを求めないのである
でもボランティアは最初から善人として認め称賛されるべきだとなっているのである
ボランティアでも社会が認めない限りまず続けることもできない
現実に自分の駅での経験ではそうだった、怪しい奴として警察に通報されただけなのである
そんな仕事であれそこまでされたら継続できないのである
あいつは何をしているんだ、必要ないことをしているとなったら続かないのである
それも中村哲氏のように命がけとはならない
そこに何かボランティアのむずかしさがある 
中村哲氏の場合はボランティアの域を越えていた  
ただ賞をあれだけもらい天皇とも合いとか並外れて認められたということは大きかった
そういうことがないならそんな命がけのことはできないのである
それだけの大きな仕事をしていたからそうなった
それが生きがいにもなったのである

だから危険な場所にあえて若者は行って殺されたりとか戦争に憧れるとかある
死地に生を求める、またその人生を命を有意義なものにしたいとして
73歳までも過酷な現場で働いたとなる
それが生きがいになっていたのかもしれない
高齢化の深刻な問題として金の問題もあるが生きがいの喪失がある
老人は無用だとか邪魔だから早く死んでくれとか現代では普通にある
それだけ老人が増えすぎたからである
それで死ねない人間が増えたのである、延命治療とかもそうである
そんなことに労力を医者でも費やす方でも嫌なものになるだろう
でもアフガニスタンで中村哲氏のように働けばアフガンの星となりたたえられるしその生が輝かしいものとなる、そうなるとそういう生を求めて選んだ死んだのかとなる

ともかく同じ年代なのでこんなことを考える
老人は死が身近だからである
では退職したからすぐにそんなものを見つけられないのである
中村哲氏の場合は継続してやっていたからそれができたとなる
第一73歳から始めたからできないからである
つまりそういう継続の中でできた行動だったとなる
だから不自然さはあまりないのである、そう望んでいて望み通りの死となったのではとないか?とすると何か後悔とかもなかったとなる
それはかなった死だったともなる
何かそういう死をなかなか今はできない、だらだらと長生きして後は介護でめんどうをかけ延命治療してようやく死ぬとかなっているからだ
そういう面から見れば時にかなった死だったともみる
そうなったのはそういう人生を送ってきたからだとなる

旅ばかりしていた自分などは旅で死ぬのがいいとかなる

ただ現代はそうして死ねる人はまれになっている、何か不本意に生かされる
もう生きなくてもいいのに生かされる、そういう死をニーチェは批判していた
                                                                        
時にかなって生きなかった者がどうして時に適って死ぬことができよう

われわれはもうあまりに疲れて、死ぬことさえできない、それでわれわれは目覚めたままで生きつづける
ー墓穴のなかでーツアストラ

現代の死はそうなっている、高齢化の膨大な死がそうなのである
本当に病院に入ったら入院したら死ぬことすらできなくなる、延命治療でそうなる
それを治療する医者よりアフガンの星となる医者の方がいいとなったことは確かである
ともかく高齢化社会というのは金もあるがこの生きがいが大事である
そして認知症になる原因が社会的役割の喪失が原因していることを書いた
家でも無用となり何も生きがいもなく脳も働かず痴呆化してくる
それも怖いのである、それが生きながらの死のようになるのがまた多いのである
でも継続したことができるが新たなことを退職したからとして簡単にできないのである
だから長生きはマイナス面として生き地獄のようにもなる時代なのである






posted by 老鶯 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年12月05日

中村哲、アフガンで死すー「死地に生を求める人だったのか」 (アフガンの星となる?)


 中村哲、アフガンで死すー「死地に生を求める人だったのか」

 (アフガンの星となる?) 


 この人についてはわからないので語れない、でもこれだけのことをできたのはなぜなのか?
 よほどの動機がないと普通はできない、でも語っていることでぱパキスタンで貧民の医療活動をしていてそこから成り行きでそこまでなったらしい。
 だから何か強力な動機があるというものはなかったのかもしれない

でも感心するのは73歳で砂漠の暑いところで活動していたことである
73歳になったら苦しい、私は情けないけど海外経験がないからもう介護を十年とかしたら気力なくなったからだ
だからこの人の行動を見たら超人的にすら思える
なぜこんなことまで命が危険な所まで行って活動できたのだろうか?
その動機は何だったのだろうか?
それを知りたくても知り得ないからいろいろ言えない

そういうのは中村哲氏はアフガンで死にたいと自ら言って死んだからだ
そこまでアフガンへの思入れが生まれたのだろうか?
その動機がイマイチわからないのである
例えばあまり行動を評価するなということが宗教では言われる
なぜなら神はその心を見ているというとき実際の行動より心を重んじているからである

人間には善を成すにしても偽善的に必ずなっているのである
だからこその善の成したことを誇ったりしない、隠せとなる
ボランティアが問題になるのはそこにある
俺は善を成していると行動でも見せる、それで称賛される、称賛してもらいたいともなるからだ

この人は立派な人と言われてるが
日本にも困っている人はたくさんいるのに
何でよその国まで行って余計なお節介してるのかわからん
それほど立派なことなんだろうか? 

今はどんな人でもどんな立派なことをしても必ず難癖がつけられる
何でも一言でも言えるからである、つまりキケルゴールの言うように水平化するのであるもう生きている限り必ず批判がある、それは抑えることはできないのである
ネット時代になるとますますそうなった、youtubeで若い人が一言言って得意になっている
何か内容無くても批判したりして注目をあびようとしているのである

この批判となるとやはりなぜそんな危険な所に行くのか
身近でも困っている人はいくらでもいる

それは注目されたいためなのか?

イラク戦争まえにイラクとかに行って首切られて無惨に殺された人もそうだった
その人については批判しかなかった、なんでそんな危険な所に行くのだと自己責任だ迷惑だとして批判されるだけだったのである

でも中村哲氏の場合はこれとは全然違う、称賛のみがあるとなる
だからそこに疑問を感じている人がいないかとネットを調べたがあまりなかった
前にどこかで死んだ都筑詠一氏がやはり批判していたようだが死んでログも残らずわからなくなった

人間が行動するときどういう動機でしているのか?
それを追及して来た、仕事でもどういう動機でしているのか?
結局金だけなのが多いからそれが世の中の現実である、金を得ればあとは何でもいいとまでなっているのが今の社会である
でも中村哲氏はそうではない、なぜなら死ぬ危険をがあったからである
前にもペシャワール会の若い医者が死んでいるのである
すでに犠牲者が出ていたのである、それでもアフガンに支援に行っていたのである
すると命がけの仕事なのである

それはよほどのミッションがないとできない、使命感がないとできない
ただその行動に目を奪われる、ではどういう動機でそこまでできたのか?
それが謎なのである
ただアフガンでは英雄的存在であり讃えられる、でもそんな人をなぜアフガン人なのか殺したのかとなるのも解せないのである
そうしたらアフガン人全員に恨みに思われるからいいことがないからである
そして同行の六人とかも死んだことも犠牲になったとなる
犠牲に巻き込んだのかとなる、なぜなら外国人を標的にしたみたいだからである

ただアフガン人からすると

アフガンの星となり永遠に輝く
その命はアフガンに捧げられたり
その日本人は長く記憶にとどめられる
医者の鏡なれや、日本人の誇りでもある

なんかそうなふうにもなる
ただ一人の人間を知ることは容易ではない、だから知らないで人を語ることは危険である行動ばかり見ていてその動機を知らないと危険である

例えば三島由紀夫の行動は衝撃的であった、でもそれが本当に評価できるのか?
その動機は何であったのかわかりにくい、三島由紀夫は老いることを異常に恐れていた
それて肉体を異常に鍛えていた、自分も若い時体が弱いからそういうことをしていた
彼の行動を目立ち衝撃的だけど本当にどういう動機で行動を起こしたのかわかりにくい
だから人間は行動だけから判断できるのか?
でも人間は行動に目を奪われるのである

ただ人生は本当は行動した方がなんであれ勝ちだと思った
自分は何か旅したが外国を50歳でバックパッカーになり行動したことがひどい目にあったが良かったとなる、なぜなら今になるとできないからだ
親の介護になってからできなくなったのである
そしてその気力もなくなったから中村哲氏のような行動力には感嘆したのである

とにかくなにかにやと理屈とか言って行動しない人は後で損する、なぜなら肝心の行動ができなくなるからだ、だから間違っていても行動していた方がいいとなる
というのは人間の行動は経験は個人的にはわずかしかできないのである
そうして結局超緒していたら何もせずに終わったとなってしまうことが怖いのである
もう老人になると体力もなくなるし気力もなくなる、でも若い時には絶対にもどることができないからである
すると何であれ行動した方が勝ちだったとなるのである

ただ人間の評価とか判断は本当にに難しい
特に行動を評価することが一番むずかしい、例えば芸術作品だと絵画にしろ小説にしろ詩にしろその人の作った作品で評価できる、でも行動はどうしてそういう行動になったのかとか動機がわかりにくいし評価することがむずかしいのである
それで歴史上の人物でも評価が分かれるのである  

死の風に吹かれて (ハンス カロッサ)

鎮火半ばの煙の前に
兵隊たちは立ち尽くし
農婦は納屋の戸を開けて
耳に手をあてて外を窺う

窓は鳴り壁は震う
我らの立場いかなるか
今や君らにも知られよう
死の風に吹かれれば
おと 命の力いかばかりか増さむ!

理解されなかった存在の
あらゆる時が、聖なる愉悦 聖なる傷とともに
力強く輝き出るーーー
友よ 我らに役立つのはただ一つの事

われらは夢見つつ始めたことを
目覚めつつ築き上げねばならぬ
その勤め大いなれば
恐れが我らの勇気を殺(そ)ぐことなし


何かこの詩が中村哲氏にささげるのにふさわしい
なぜならハンス カロッサは戦場で働いた医者だったからである
それでそういう深刻な経験から詩を書いたからひびくものがある

つまり中村哲氏も死の風に吹かれればといいう状態で活動していた
それも73歳でも砂漠の不毛の地帯で働いていた、それも命をかけて働いていたとなる
ただそれだからこそ命の大切をその過酷な世界で感じることがある

今の日本はそうした惰弱な安悦をむさぼる社会である、でも日本でも戦争の時は若者はそうした生きる死ぬかのなかで戦場の露と消えたのである
だからかえって戦場に命のかがやきが瞬間的にも強烈に輝くことがあった
その負傷した傷でも聖なる愉悦ともなるということは逆説である
それだけ大いなるものに命を捧げる時そうなったのである

「死地に生を求める 」  

窮地に追い込まれたからこそ、そこに生きる意義を見つけ、経営者として本来やるべきことは何だろうか?と考える、

今はただ個々人の利益を追求するだけの社会である、あらゆることに金しかない
金を得て贅沢して安悦をむさぼるしかないのである
そこにかえって生が輝きを失っているのも逆説である
だから中村哲氏の死はそうして安悦をむさぼる死ではなく、輝ける死ともなった
そしてアフガンの星となり永遠に輝くとなる
ただその動機はイマイチまだわからないから称賛するのはまだ憚れるということがある
前らその人物に傾倒して追っていれば書けるがわからないからそこに正当な評価ができないのである

いづれにしろ現代は原発事故でもそうだった、ただみんな安易な道を求めている
だから多額の補償金をもらったら若い人は故郷を捨てた
そこで苦しむことが嫌だからである、他に移って楽に暮らしたいしかなかったのである
苦難の道をともに行くことはなかった、そして街は廃墟化したともなる
別な見方があるにしろ現代は何かそうして苦難をさける
日本人は戦後は特にそうだった、ただ経済の追求であり安楽の追求であった
だから中村哲氏は何なのだろうと理解できなくなったのである
そこまでなぜするのだとなるからだ、でもこの詩のような感覚があったのかもしれない
そこに生きがいを見出していたのかもしれない、また称賛されることもありあえて医者ということを活かしてそうしたとなる
実際73歳でもとにかくそんな過酷の世界に行くことは尋常な精神では行けないと思うからだ、自分の場合はとても行けないと思ったからだ










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中村哲、アフガンで死す (アフガンの星となる?その人物評価のむずかしさ)


 中村哲、アフガンで死す

 (アフガンの星となる?その人物評価のむずかしさ) 

 この人は立派な人と言われてるが
日本にも困っている人はたくさんいるのに
何でよその国まで行って余計なお節介してるのかわからん
それほど立派なことなんだろうか?

 この人についてはわからないので語れない、でもこれだけのことをできたのはなぜなのか?
 よほどの動機がないと普通はできない、でも語っていることでぱパキスタンで貧民の医療活動をしていてそこから成り行きでそこまでなったらしい。
 だから何か強力な動機があるというものはなかったのかもしれない

でも感心するのは73歳で砂漠の暑いところで活動していたことである
73歳になったら苦しい、私は情けないけど海外経験がないからもう介護を十年とかしたら気力なくなったからだ
だからこの人の行動を見たら超人的にすら思える
なぜこんなことまで命が危険な所まで行って活動できたのだろうか?
その動機は何だったのだろうか?
それを知りたくても知り得ないからいろいろ言えない

そういうのは中村哲氏はアフガンで死にたいと自ら言って死んだからだ
そこまでアフガンへの思入れが生まれたのだろうか?
その動機がイマイチわからないのである
例えばあまり行動を評価するなということが宗教では言われる
なぜなら神はその心を見ているというとき実際の行動より心を重んじているからである

人間には善を成すにしても偽善的に必ずなっているのである
だからこその善の成したことを誇ったりしない、隠せとなる
ボランティアが問題になるのはそこにある
俺は善を成していると行動でも見せる、それで称賛される、称賛してもらいたいともなるからだ
またキリスト教徒でもイスラム教の世界で親身になり貢献した、そこに宗教的動機があったのか?
宗教を越えたものとしてヒューマニズムからそうしたとなる
ヨ−ロッパとかアメリカ人だとここまでしないだろう

この人は立派な人と言われてるが
日本にも困っている人はたくさんいるのに
何でよその国まで行って余計なお節介してるのかわからん
それほど立派なことなんだろうか? 

今はどんな人でもどんな立派なことをしても必ず難癖がつけられる
何でも一言でも言えるからである、つまりキケルゴールの言うように水平化するのであるもう生きている限り必ず批判がある、それは抑えることはできないのである
ネット時代になるとますますそうなった、youtubeで若い人が一言言って得意になっている
何か内容無くても批判したりして注目をあびようとしているのである

この批判となるとやはりなぜそんな危険な所に行くのか
身近でも困っている人はいくらでもいる

それは注目されたいためなのか?

イラク戦争まえにイラクとかに行って首切られて無惨に殺された人もそうだった
その人については批判しかなかった、なんでそんな危険な所に行くのだと自己責任だ迷惑だとして批判されるだけだったのである

でも中村哲氏の場合はこれとは全然違う、称賛のみがあるとなる
だからそこに疑問を感じている人がいないかとネットを調べたがあまりなかった
前にどこかで死んだ都筑詠一氏がやはり批判していたようだが死んでログも残らずわからなくなった

人間が行動するときどういう動機でしているのか?
それを追及して来た、仕事でもどういう動機でしているのか?
結局金だけなのが多いからそれが世の中の現実である、金を得ればあとは何でもいいとまでなっているのが今の社会である
でも中村哲氏はそうではない、なぜなら死ぬ危険をがあったからである
前にもペシャワール会の若い医者が死んでいるのである
すでに犠牲者が出ていたのである、それでもアフガンに支援に行っていたのである
すると命がけの仕事なのである
それはよほどのミッションがないとできない、使命感がないとできない
ただその行動に目を奪われる、ではどういう動機でそこまでできたのか?
それが謎なのである
ただアフガンでは英雄的存在であり讃えられる、でもそんな人をなぜアフガン人なのか殺したのかとなるのも解せないのである
そうしたらアフガン人全員に恨みに思われるからいいことがないからである
そして同行の六人とかも死んだことも犠牲になったとなる
犠牲に巻き込んだのかとなる、なぜなら外国人を標的にしたみたいだからである

ただアフガン人からすると

アフガンの星となり永遠に輝く
その命はアフガンに捧げられたり
その日本人は長く記憶にとどめられる
医者の鏡なれや、日本人の誇りでもある

なんかそうなふうにもなる
ただ一人の人間を知ることは容易ではない、だから知らないで人を語ることは危険である行動ばかり見ていてその動機を知らないと危険である

例えば三島由紀夫の行動は衝撃的であった、でもそれが本当に評価できるのか?
その動機は何であったのかわかりにくい、三島由紀夫は老いることを異常に恐れていた
それて肉体を異常に鍛えていた、自分も若い時体が弱いからそういうことをしていた
彼の行動を目立ち衝撃的だけど本当にどういう動機で行動を起こしたのかわかりにくい
だから人間は行動だけから判断できるのか?
でも人間は行動に目を奪われるのである

ただ人生は本当は行動した方がなんであれ勝ちだと思った
自分は何か旅したが外国を50歳でバックパッカーになり行動したことがひどい目にあったが良かったとなる、なぜなら今になるとできないからだ
親の介護になってからできなくなったのである
そしてその気力もなくなったから中村哲氏のような行動力には感嘆したのである

とにかくなにかにやと理屈とか言って行動しない人は後で損する、なぜなら肝心の行動ができなくなるからだ、だから間違っていても行動していた方がいいとなる
というのは人間の行動は経験は個人的にはわずかしかできないのである
そうして結局超緒していたら何もせずに終わったとなってしまうことが怖いのである
もう老人になると体力もなくなるし気力もなくなる、でも若い時には絶対にもどることができないからである
すると何であれ行動した方が勝ちだったとなるのである

ただ人間の評価とか判断は本当にに難しい
特に行動を評価することが一番むずかしい、例えば芸術作品だと絵画にしろ小説にしろ詩にしろその人の作った作品で評価できる、でも行動はどうしてそういう行動になったのかとか動機がわかりにくいし評価することがむずかしいのである
それで歴史上の人物でも評価が分かれるのである  


死の風に吹かれて (ハンス カロッサ)

鎮火半ばの煙の前に
兵隊たちは立ち尽くし
農婦は納屋の戸を開けて
耳に手をあてて外を窺う

窓は鳴り壁は震う
我らの立場いかなるか
今や君らにも知られよう
死の風に吹かれれば
おと 命の力いかばかりか増さむ!

理解されなかった存在の
あらゆる時が、聖なる愉悦 聖なる傷とともに
力強く輝き出るーーー
友よ 我らに役立つのはただ一つの事

われらは夢見つつ始めたことを
目覚めつつ築き上げねばならぬ
その勤め大いなれば
恐れが我らの勇気を殺(そ)ぐことなし

何かこの詩が中村哲氏にささげるのにふさわしい
なぜならハンス カロッサは戦場で働いた医者だったからである
それでそういう深刻な経験から詩を書いたからひびくものがある

つまり中村哲氏も死の風に吹かれればといいう状態で活動していた
それも73歳でも砂漠の不毛の地帯で働いていた、それも命をかけて働いていたとなる
ただそれだからこそ命の大切をその過酷な世界で感じることがある

今の日本はそうした惰弱な安悦をむさぼる社会である、でも日本でも戦争の時は若者はそうした生きる死ぬかのなかで戦場の露と消えたのである
だからかえって戦場に命のかがやきが瞬間的にも強烈に輝くことがあった
その負傷した傷でも聖なる愉悦ともなるということは逆説である
それだけ大いなるものに命を捧げる時そうなったのである

今はただ個々人の利益を追求するだけの社会である、あらゆることに金しかない
金を得て贅沢して安悦をむさぼるしかないのである
そこにかえって生が輝きを失っているのも逆説である
だから中村哲氏の死はそうして安悦をむさぼる死ではなく、輝ける死ともなった
そしてアフガンの星となり永遠に輝くとなる
ただその動機はイマイチまだわからないから称賛するのはまだ憚れるということがある
前らその人物に傾倒して追っていれば書けるがわからないからそこに正当な評価ができないのである

いづれにしろ現代は原発事故でもそうだった、ただみんな安易な道を求めている
だから多額の補償金をもらったら若い人は故郷を捨てた
そこで苦しむことが嫌だからである、他に移って楽に暮らしたいしかなかったのである
苦難の道をともに行くことはなかった、そして街は廃墟化したともなる
別な見方があるにしろ現代は何かそうして苦難をさける
日本人は戦後は特にそうだった、ただ経済の追求であり安楽の追求であった
だから中村哲氏は何なのだろうと理解できなくなったのである
そこまでなぜするのだとなるからだ、でもこの詩のような感覚があったのかもしれない
そこに生きがいを見出していたのかもしれない、また称賛されることもありあえて医者ということを活かしてそうしたとなる
実際73歳でもとにかくそんな過酷の世界に行くことは尋常な精神では行けないと思うからだ、自分の場合はとても行けないと思ったからだ











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店が見せる(魅せる)になっている (常に新しい価値を提供しないと生き残れない)


店が見せる(魅せる)になっている

(常に新しい価値を提供しないと生き残れない)


店というのは見せるからきている、売る物をまず集めて並べる、そしてまず見てもらうことが売ることに通じている
だから店(みせ)がもともと見せるから来ていたのである
棚というときはそこに在庫があるということである

でも最近ただ店で買うのではなく見るということが多くなったのだろうか?
原町のスポーツ関連の商品を売っていた大きなチェーン店がようやく原発事故から8年も過ぎて開店した、それにニトリの家具店だった
だからそこでまず商品を見る、店に入って見る、買うとういのではなくまず見る
ここから商売がはじまる、だからこそ店は見せるだったのである

そして街全体を考えるとそうして大きな店が廃墟になっているようなことが何か街がさびれた感じであの前を通ると嫌だったのである
それが8年もつづいたかからである、でも新しい店ができてそういう感じはなくなったから良かったと思い入って見たのである
でも買ったものは意外と高かった、あそこは高いと思った

ダイユーとかの方が安いし品物も同じでありかえって買った短い絨毯はいいものではなかった、それが長いと思って買ったが失敗だった
ふりかえれば通販だったらそこで寸法が出ているから自分の家で長さがわかったのであるすると通販の方がいいとなる
とにかく通販が多くなった、特に私が通販になるのは車がないからである
原町の店で運送費がとられるから損なのである
この辺も変だなと思って量販店でそのことを言ったら無料で配達してくれた

ただ初めてできたから最初はものめずらしくて入る、買う人もいる、何か多少高くても買っている人はいるだろう
それは悪いことではない、どうも通販だけだと街自体がさびれてしまう
シャッター通りになってしまうのが嫌なのである
原町も駅前通りはそうなっている、だから店はあった方がいい、街自体が活気が出てくるからだ

ただ問題は

店が本当に見せるだけになったこと

売る側にしたらただ見せるだけでは商売にならないのだ
買ってもらわなければ店を維持できないのである
書店にしても今はただ見るだけである、専門書は置いていないからである
本というのは天文学的量があることに驚いた
こんな本があるのととても読み切れない買い切れないのである
ただ安いものを古本化したものを買っている、それで十分だともなる
要するに本でもただ見るために店に入っているとなる

その店で見るにしてもその量が通販と比べると比べようがなく少なすぎる
だからとても通販にはかなわない
そして本当に東京辺りで店が見せるだけになり後は通販で買ってもらうようになった店がある、これまでの店というのがデジタル化で通販と結びついたのである
一応それで商売が成り立つ、そこで買ってもらわなくても通販と結びついて買ってもらうとなる

まさに店は本当に見せるだけで魅せられて買う場となった

ウィンドウショッピングとかあったからそうなったともなる
店は見せるであり街はそうして商品を見せることだともなってしまう
見せることは現物を見るのと通販のように写真で見るのとは違う
手触りとか何か大きさとか現物にふれる魅力がある
だから現物を見るということはそれなりの価値を提供している
つまり通販だけではすべての価値は提供できないのである

とにかく価値は様々なものがあり多様化したのである
だから今までの小さな商店でも勝機はある、街の電気店でも高い値段でもその操作とかアフターサービスを充実した結果成り立っているとかある
何か老人になると簡単なことでも操作できないのである
その操作することを教えてくれるのは助かるからそのサービスに対して金を払うのであるそれも大きな価値なのである
価値というのは本当に多様でありあらゆる価値を提供はできない
いくら通販でも提供できない、だから小さな商店でも勝機がでてくる
それを島倉とかのyoutubeでしきりに訴えている、あれも説得力がある
そもそもyoutubeは新たな価値を提供するツールとなっているからそれ自体新しい価値を提供している、それはテレビとかマスコミではできないものの価値を提供して金をもらっているのである

レストランでも食堂でもそこに料理だけの価値ではない、その食堂であれレストランでも何か店によって雰囲気がある
そこに仲間が集う場になって価値があるとか内装がいいとか広いとかある
私の気に入っているのは原町の高見ホテルの高見食堂である
それはホテル内にある、そこは広々して広いという価値がある、そこでは広いからゆったりできるのである
料理としてはいまいちだというとき何か決まりきっているからである
ても味噌汁はいつも同じではない、魚のアラとかアサリ貝とか蟹とかの味噌汁を大鍋で提供している
自分が一番気にいっているのは広いから気持ちいいとういことである
その広さが私が一番価値を認めているのである
ただ料理は決まっていてイマイチである、ただサシミ料理などはお得な感じがする
ただ料理は決まっているのであきるのである、それで日替わりでカレーを出している所が繁盛しているのもわかる
あきるから毎日変わるものを出すことが価値を提供していたのである
ただそうなるとそれだけのものを毎日提供するとなると大変な労力が必要になる
でもそれが新しい価値を提供することなのである

まず価値は無数にあり価値はいくらでもあり見出されていないのである
故郷にしても田舎にしてもその価値と魅力をそこに住んでいる人すら知らないのである
最近秘密の小径を発見した、それは地元の人もほとんど通らない場所でそこは魅力ある場所だった、しかしその価値を発見して見出している人はいない
それを私は詩にしたりしている
美的な詩的な芸術的価値も無数にあり近くの平凡な場にもある
しかし地元の人すら発見していないしその価値を認めていないのである

いづれにしろIT化して多様な価値がまた発見される、でも旧来の価値もまた活きてくる
それは店が見せるからきて魅せるになることでもわかる
その言葉の成り立ちをみれば昔に帰ったともなるからだ
つまり見せるということ店はそれなりに価値を持っているのである
でもただ見せるだけでは商売にならない、そこでデジタル化した通販と結びついたのである

ただあまりにも商品の種類が増えすぎた、とても店だけでは展示できない
そうなると通販はどうしても有利になる、でもまだ小さい店でも勝機はあるとなる
第一チェーン店でも商品を展示するには限られる、ニトリでもそうである
そこでは通販もしている、通販でも買えるとなる
通販だと大量の商品から選べるとなる、どうしても通販なしでは成り立たなくったのである
でも旧来のものがすべてだめかというとそうではない、何かそこに勝機がかえって逆に出て来る


この人の説明は説得力がある



starcicle111122.jpg

鹿島駅前の星自転車屋は他店で買った自転車でも修理を受け付けている
そういう表示を店前にしている
今日は休みで写真がとれなかった
必ず病院に行くとき休みなのである

原町の自転車屋では自分だけではないそこで買わないと修理を受け付けないのである
だから自転車屋は困る、また近くにないと困るのである
今は鹿島には一軒しか自転車屋がないからなくなると困るのである
でもいづれはなくなる、なぜなら跡継ぎがいないからである
何かこうして高齢化と少子化で跡継ぎがいなくなり中小企業でも大量に廃業化してゆくのもまた耕作放棄地とかと同じように問題なのである

ここはヤマハの販売店でありヤマハだと買いやすい
そしておすすめが老人向きでもあるYPJ-XCなのである
ただ高いから買うとなるとむずかしい、でも同級生がすすめたから買ったのである
そして喜んでいた、なぜなら脳卒中になり一命をとりとめて運動のために自転車にのるようになったからである
つまり走した人でも乗り安い自転車だったのである







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2019年12月04日

経済活動には本当は動機が大事になるのでは? (目先の利益にふりまわされている、老人になってみんな人相まで悪くなる)


経済活動には本当は動機が大事になるのでは?

(目先の利益にふりまわされている、老人になってみんな人相まで悪くなる)

●まずは利益だ

経済活動は金を得るためである、仕事も金を得るためである、会社も金を得るためであるだから最優先課題はいかに利益を出してもうけを出すかであり
そもそも儲けがなかったら利益がなかったち社員に給料すら払われないからだ
社長でもそして第一に利益を出すことを考える
会社は利益を出さなかったらつづけられない、社員にも給料も払われないからである
福祉事業でもないのだからまず利益を出すことだとなる

でもそこから何か経済活動が歪んたものになっている
それがあらゆる職業に及んでいるのだ、それは一番尊敬されている医療関係者、特に高給取りの医者でもそうである
今の社会で…様と言われるのはお医者様くらいだろう
そのくらい尊敬されているのに医者も金になっている
患者にとって有害な薬を出しているのは金になるからである
そして製薬会社と結びつき金が入る仕組みになっている
そういうことが慣習にもなる
ところが江戸時代は医療技術も貧弱だから医は仁術になっていた
医者に望まれたのは人徳であった、だから貧乏人からは金をとらないということもあったそれで医者はやはり尊敬されていた

そもそも医者になる動機はなんなのだろうか?
給料がいいとかが第一になる、それはみんなそうである、また医者だけは尊敬されるということもある
まず現代では尊敬されるということはほとんどない、平等社会だからである
ただ給料が高いということが一番の目的になる
それがみんなそうなっているとき社会自体が歪んでくる
もう頭の中が金しかないのが現代である

まず利益だ、金だ

これしかない、でもそれで社会の賛同が得らるのか?
利益があって当然でありそうしなければ会社が成り立たない
でも社会的有効性とか利益を得るにしてもそういうものがなければ果たして消費者が支持するだろうか?
何かその人が例えば経営者であり社長だとする、するとその人の頭の中が利益だけなのか、金だけを考えているのか?それがその会社全体に影響する
学習塾を経営するにしても経営者は何か蘊蓄を言っていたけどその人の中には金のことしかない、教育自体に何の興味もなかったのである
だから生徒を獲得させるばいいと思っていたのである
それで営業をさせてただ生徒を獲得して金になればいいと思っていた
そういう人に教育者となる資格があったのだろうか? 

●会社はただ金儲けの手段

もちろん自分自身は仕事も会社に勤める経験もないのだからたいしたことは言えない
でも私が教育に関心をもったのはもちろん金が欲しいということがあった
それは同じである、でも何か面白い教育をしたい、何か子供に創造的なものを喚起したということがあった、それも実際は頓挫していたし経営能力もなにもなかった
それで失敗して終わった
でも何か多少はそういう動機があったことは確かである
じも経営者でも社長でも教育自体になんら興味がない、ただ教育というのは金儲けの手段とういう人も多いのである

会社は仕事は金儲けの手段である

何かそういう人が現実に多いのではないか?
それが何か社員でもそうなる、まずは売ることであり銀行なら貯金を増やすことであり
今なら投資信託を売りつけることだとなる
それはゆうちょでは保険だったのである
ゆうちょまでそんなことしているのかと社会の顰蹙をかった
でもそれもまた利益を出せない時代だから追い詰められているからそうなったのである
本来の仕事とは関係なくなっていたのである
銀行とか金融関係がもうけを出る会社に金を貸せないからそうなったのである

地銀とかは元来地域の会社を育てる、地域に貢献することを第一として仕事があった
でも地域に金を貸して利益を出せなくなり投資信託とか売りつけるようになった
社員はそのためにノルマを課せられて顧客のことなど関係なくなった
もはや銀行は客から金を奪うことを目的にしているとまでなる
それも高度成長時代は恵まれていたのである
顧客に貯金するだけで利子をつけられていたからである
今は顧客から投資信託などをすすめられて手数料という利子をとられる時代になったのである、だからめうう時代だからいちがいに責めるということもできないことある

でも頭の中がとにかく金をとれば利益をだせばいいんだということしかなくなることは異常ではないか?
何か個人でも会社でも社会の役割があり仕事する動機がある
それか金だけになって頭の中が社会的役割社会に貢献するとか全くなくなり金を引き出し奪うという感覚にすらなっている
医者でも地銀でも他の会社でもそういうことが多くなる
でも利益を出さなければどうにもならない、給料を支払えないとなっているのだからしょうがないとしてあきらめ働くとなる
それはでも社会にとって有害になり社会の人々に損害を害を与えるものにならないか?
医療関係でもいらない薬を与えてかえって病気が悪くなり薬を減らしたら良くなったというのが結構あるからだ
そこに金しか動機がなくなったらもう社会の害毒になっている
そういう人たちを容認していたら害毒がありいつかみんな被害者になる

●人間の日々の仕事や生活がその人を作る

資本主義社会がウェバーの言うようにキリスト教の精神から修道院ではじまったという分析がある、つまりキリスト教の愛の精神で他者に尽くすということから始まったのが資本主義だとしている、でも今はそんなことは全くない、ただ強欲資本主義になった
金さえ得ればいいという資本主義である、株式でも何か本来の投資ではない
ただ投機なのである、FXとにている
株が上がったり下がったりする、だから巨額の金があればそこで買ったり売ったりしていればもうかるのである、その上下しているから必ず上がったら利益確定すればいい
そしてまた上下するらか安い時に買い高い時に売ればいい 

これは単純なのである、だから資金がある人はそうしてこまめに株の上下を利用すればもうかるのである、ただ一億以上とかの資金がないとたいしてもうからないのである
まず素人はそういう株の世界にはのれない、一日パソコンを見ていなければならなとなるからだ、一億でもたりない、会社だったら百億とかで売り買いして利益をあげている
それでも投資信託でアメリカのゴールドマンサックスのような世界銀行に投資信託をうまくうりつけられてゆうちょでも農協でも地銀でも投資して大損しているというから
普通は株では素人はもうけられないのである

いづれにしろ経済活動には動機が必要だけどそれが失われた
その時この社会の根底が成り立たなくなっているのではないか?
もうあらゆる人が頭の中が金しかない、他所でも別なものが動機があればいいのだが全部金が動機になっているのである
そこに現代の資本主義の退廃が極点に達しているともなる

それで面白かったのは「安曇の白い庭」で丸山健一が言っている

彼は間違いなく肉体は若者のようにひきしまり、贅肉などかけらもなく、肌にしみひとつなく、黒髪でふさふさしててその目はきらきらとかがやいていた
それより、何より、精神が全く穢れていないことに驚いたという

その人は蜂家でミツバチとともに花を求めて北から南まで移動する日々を送っているという
同級会で集まった人はみんな肉体も老いていた、それより心がみんなけがれて人相に現れていたという
丸山健一と私は年齢的さほど差がないのである

これは何を意味しているのか?その日々の性格の結果が肉体に心にも集積して現れたということである
だから人間とは何でも日頃の日々の生活が体でも心でも作ってゆく
だからこそ職業とは大事なのである、職業によって人間はかえって作られてゆくからだ
しかしみんなおかしくなっていたというときそれだけ現代の社会は体でも心でも歪めてしまう社会なのである、それが何か恐ろしいとも思った
第一株でも一日パソコンで株のことを見ていて億万長者になってもその人がどんな人になってゆくのか?何か人格的におかしくなってゆく、そしてその結果が老人になると現れる本当に老人になるとあらゆる結果が現れてくることが怖いのである
つまらないことでも老人になると結果として現れるのである
でも資本主義社会ではどんなことしても金にけがされる人が多いのである

つまりみなんその顔が金だけを追求する社会では悪相になっているというのだ
それこそが今の社会を如実に示していると思った
そういう会社で働いていたら自ずと悪相になってゆくのである
それが社会全体がそうだというとき生き苦しいものとなってくる
そういう社会ではモラルが失われていてもうまともにも生きられくなる  

ただお前の言っていることは甘いだよ
世の中そんなものじゃない、食うか食われかなんだよ
そうしなければ生きていけないんだよ

そういう反論になる、でもそうした社会がどうなってゆくのか?
社会が結局そうして金ばかりの悪相の人間を増やしてゆく

それは地獄社会になってゆくのではないか? 

●みんなが善人だと思っていることが間違いを産む

ただこの世はそもそも地獄だという人も普通にいた、親鸞などがそう言っていた
「地獄は一定すみかぞかし」と言っていた
人間はみんな悪人だとも言っていた、それが世の中の変わらぬ真相である
資本主義がもともとキリスト教の奉仕の精神で始まったのだが結局金だけを追及する
強欲資本主義になったり共産主義が大格差を産んだりとなっている
だから社会は変わらない、世の中は変わらない、変えられないとなり無常だとなる
みんな悪人だというときそうだとなる、ただ悪人だと自覚していないのである
親鸞は悪人だと自覚していたし他の優れた宗教者も自覚していた
その差が大きいのである                
たいがい善人だと思ってしているのである、だからかえって扱いにくいのである
カルト教団とか宗教関係者がかえってそういうのが多い
善人だと思ってすすめているけどそのすすめている人間が大悪人なのである
だからこそ善人は扱いにくいのである
俺たちは善人だ、全部善人だ、だから善人の言うことを聞けとなるからだ

地獄への道は善意で舗装されている

内的な確信が、間違った政策や行動によってなされた危害を正当化することがある。善意あるものは、その行いが集団に対して良いと信じている。それはかれらにとっては自明である。かれらはよりよい善をなしたためと信じた結果の巻き添え被害を正当化する。

善意だいうことで善人だとなりそれが災いとなる、善意なら通るべきだと従うべきだとなり強制される、そういうことが歴史上に常に人間には起きて来ていたのである
カルト教団になるとナチスもそうだけど善意が強制されて人殺しまでさせられるのである俺たちは善人で正しいから反対するならボアしてもいい殺してもいいとなるからだ
それはまず人間は親鸞の言うように悪人だとしないからである
そういう個々人で反省がないからである、そして集団の善意は一番恐ろしいものとなったのである、善意だから相手を殺ししてもいいとまでなったからである 
結局この世自体がダンテの地獄編だったのである
地獄人間の中に生きているということである
そういうことは人生をふりかえり老人になると不思議にわかるのである 

動機が大事だという時そもそも宗教というとき動機を一番重んじている、それはキリスト教でも仏教でも同じである
「神はあなたの心を見ている」とかいう時その動機を見ているのである
「心の清い者は神を見るだろう」というときもそうである
だから資本主義が修道院から始まったとしてもその逆になってしまったのである
共産主義でも同じだったのである

例えば宗教というときどうして生まれたかというと法華経になると飢えた虎にその身を与えたという故事がある、それは親のトラが植えて子供を殺そうとしたからだとされているその生まれ変わりが釈迦だとしている
なぜそういうことになったのか?それはインドでは動物を大事にする、動物を人間のように見ている、今でも牛でも猿でも大事にする
それから牧畜社会では動物を扱う、羊でも牛で豚でも飼っていて食べることがある
すると動物を殺して食べることに罪悪感をもつ、血を流して殺されてゆく動物を見る
そこで動物に対しての罪悪感を自ずともつ、動物を殺して自分は生きているのだという
ことになりそこで動物に悪い感じがする、動物の命を殺して自分は生きている

だから動物に感謝しなければならないとかなる、ただ植物だと野菜だけならそういう感情をもたないのである、魚でもやはり多少はもつが動物だと羊とかなるとより人間に近い感情になるからである
だから罪の意識が牧畜民族からより強く生まれて宗教になったともなる
現代の人間はそういう感情をもたない、ただ肉を貪り食うだけなのである
その動物を殺している現場を知ったらそうはならないのである
何か動物の接点がなくなる、するとただ肉の断片を買って食うだけになりそめういうことを感じないのである、命がどうして維持できるのかをやはり知ることが必要なのである

結局この世はダンテの地獄編なのである、そこにいるのは地獄人間だった
その地獄がこの世で現実にあるのだ、地獄編の人間のようにみんななってゆくことが怖いのである、でも本人はそういうことを自覚しないのである
そして老人にてったときみんな地獄人間となりその人相がダンテの地獄編にいる人と同じになっていたのである、宗教にかかわっている人もそうだったのである
だから日々生活する仕事が大事になる、それが結果的にその人を作ってゆくからである
でもそういう職業が資本主義では汚されているから大問題なのである






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2019年12月03日

時間とイデア論(時間とはエネルギ―のことである)

  
時間とイデア論(時間とはエネルギ―のことである)

●時間論

ヒンドゥー教では、1劫(カルパ) = 1000マハーユガ (mahayuga)、1マハーユガ = 4ユガ (yuga) = 神々の12000年(4つのユガは不等長で、1ユガ =神々の4800、3600、2400、1200年)、神々の1年 = 360太陽年とされている[1]。

つまり、1劫 = 43億2000万年である。

日常的に使われる億劫(おっくう)や永劫(えいごう)などの言葉は、この「劫」に由来する。億劫は本来「おくこう」と読むが、「おっこう」を経て「おっくう」に転訛したものである。これは百千万億劫の略語で、数式にすると100×1千×1万×1億となる     

星は、生まれたときの重さでほぼその一生が決まります。例えば、太陽の場合には、今45億才くらいですが、あと50億年くらいもすると、水素がたりなくなって、その一生を終えます。


時間は何かというときこれも不可解なのである
つまり決まった答えがなのが時間なのである
その人の考え方で決まるのが時間だとなる
ただ共通なのものとして一年を360日にしている、それは太陽の運行で決めているのである
一日とは太陽が昇り沈むことで一日である
でもその前に太陰歴があり月の変化で時間を決めていた
共通しているのは時間は何かの変化なのである
月が満ち欠けがあり変化があるから時間がある、もしいつも満月が出ていたら変化がないから時間もなくなる

例えば石があるとするとそれは千年とかでも動かないから時間を感じられないのである
植物でも花になっり実になったり20日大根とか40日大根とか時間で計る
それは変化して大きくなるからである、変化しているからなのである
木が成長したりするのもそうである、木が成長するのに50年とかかかるというとき
そうである、でも一年で木が成長したらどうなるのか?
熱帯では木が早く成長するから木の時間の考え方が変わる
いづれにしろ何かしら変化することで時間を感じている
石は変化しないから時間が感じられないのである
だけど君が代のように石も変化すれば苔むす磐となるように変化すれば時間を感じる
それは長い時間をかけて大きくなって苔むしたとなる変化があるからである  

君が代は 千代に八千代に. さざれ石の 巌となりて. 苔のむすまで

さざれ石から巌となり苔むすというまでの変化で長い時間を現しているのである

ピラミッドも一部が崩れているとかで時間を感じる
でも何かそれは4千年前のものでもそんな時間を感じないのである
作られたときとたいして変わらないからである、それは固定して動かないからである
変化がないから時間が感じられない、でも崩れているから時間を感じるのである

いづれにしろなぜインドではそんなにとてつもない長い時間を考えたのか?
そんな時間をまず思いつかない、宇宙的時間を思いつかないのである
それも不思議だとなる
宇宙でも変化するから時間がある、でも宇宙の変化を地球から見えるのか?
星がなくなることなど見えないのである、今なら星が一つ消滅したなど観察できたとかなるけど当時ではできない、でも宇宙の変化から時間を計っているのはなぜだろうとなる

日本に仏教が入ってきているのだからインドの思想が入っているけどわからなくなっている、億劫(おっくう)はこうした時間の長さから日本語化していたのである
他にも仏教が日本語化したのはある
でもその思想内容を深く考察していないのである
何か明治以降は西洋の学問しか検討しなくなったのである
そしてたいがい仏教でも現代では宗教はカルト団体宗教となり組織化政治化してその内容など関係なくなったのである

わかりやすいのは一つの星が生まれて消失する時間が一劫かもしれない
すると無数の星が生まれてまた燃え尽きて消失する、すると一つの星が生まれて消滅するのには一億年なのか十億年なのかとなりわかりやすい、太陽も一つの星だからである
すると宇宙には無数の太陽があり生まれては消えてゆく
そしたらその時間は永劫だともなってしまう     

核融合してもエネルギーを放出できない鉄が生成され、鉄や鉄に近い質量を持つ原子核のみが存在することになり、太陽は燃えなくなります

鉄が残るということは変化しないことかもしれない、鉄が錆びるのは酸素があるからである、でも酸素がない世界だと錆びない、すると石すら変化するが鉄は変化しないから時間を感じないとなる、科学はわからないにしろ常に化学反応でも変化するということが時間を作り出している、変化しない物には時間が感じられないのである
無常だというとき常なきもの、変化する世界だから無常だとなった、科学的にも世界は化学反応であれ物理反応であれ変化するから無常の世界だとなる

そして不思議なのはその星が太陽がなくならない限り時間があるとなる

最初に時間ありきではない、最初に星が太陽がありき

「光あれ」が最初であり時間が生まれた

ここが勘違いしているのである、太陽が変化を産んでいるから時間を感じている
時間を作り出しているのはそうした変化である、物質の変化でもある
そうして時間を考える時、

時間とはエネルギーだともなる

つまり宇宙であれ地球であれエネルギーがあれば時間が生じる

星は太陽は巨大なエネルギーである、でもいつか消滅する
でも宇宙には星がいくつもの太陽があるとするとエネルギーは消滅しないのである
死ぬとは時間が消滅することである、生きられる時間がないということは生きるエネルギーが消滅するからである
もし人間が老いることもなく活動できればエネルギーがあれば時間もなくなるのである
だから永遠の命というときそういう状態になるから人間から時間が消滅するのである
神の世界では時間がないのである、天国でぱみんないつも若いという時そうである
年取らないのが天国になっている、だからそこに無常もなくなる

●イデア論

また不思議なのはイデア論である
人間は花を見ている時花だって咲いて枯れて死ぬ
でもイデア論から花を見る時、花のイデアは永遠なのである
神がそれを地球に作りだしたけど神が示したかったのは具体的に地球に現れる前にイデアとして頭にイメージしたものを地球で現実化したのである
だからその頭に浮かんだものイメージしたものは神であり神はそのイメージを地球が滅んでもまた再現できるともなる
どうして多様な生物でも植物でもあるのかとなる、それはもともと神がイメージしてそれが地球で現実化したからだとなる

例えば何でも何かイメージしたこと想像したことは現実化できる
創造することは想像することと同じである
考えてみたまえ、動物でも象であれタコとかであれ
どうしてそんなものを創造できたのか?
それは神が想像して現実化したのである
どんなことしたって人間の頭では想像できるものではないからだ
そして人間の想像力(創造力)はすべて神に由来している
全くあらたな生物を現実にありえないものを想像することができない
たいがい現実にあったものから二次製作として創造しているだけなのである 
変なのは自分の製作している抽象画も二次製作である
写真であれ絵であれそれをパソコンのソフトで加工しているだけであり自分がイメージしたものではないのである 
でもそれなりりアートになっているのが不思議だとなる

人間は新たな生物の種を作り出していない!

確かに人間はいろいろなものを作り出した、でもそれはあくまでも神が作ったものでありその二次製作である、全く新しい種を作っていない、作れないのである
カーネーションでもいろいろな色のものを作り出したとしてもその種には変化ないのである、果実でも全く新しい種類の果実は作れない、種は作れないのである
果実を大きくするとかうまくするとかはできても全く新しい果実は作れないのである
そこに人間の限界がある

とにかく星が太陽があれば時間は消滅しない、時間とはエネルギーなのである
エネルギーが消滅したとき星が死に宇宙が死ぬということはエネルギーが消失することである
でもまた星が太陽が突然その暗闇の宇宙に生まれる時時間が始まるのである、時間が生じるのである       
つまりエネルギーが永遠であり時間が永遠だともなるのである 

例えば人間はみんな死ぬとしてもそもそも宇宙が消滅しない限り命がありエネルギーがあり時間があるとなる、でももし宇宙が消滅して時間がなくなれば命もありえないとなる
でも命がなくなることはない、永遠の命があり命は消えることはない
エネルギーが消失することはない、だから神の世界は永遠にありうる
そしてイデアが不滅だという時、それは時間と関係ないからである
確かに地球の生物は植物でも花でも枯れる死ぬということがあるがやはりまた同じように咲いているし見ることができる
そこで示しているのは現実の花ではなく神が創造したイデアなのである
そのイデアは消えない、だから地球が滅びてもそのイデアは再現される
イデアか不滅だということはそのことなのである
人間も一種の神が想像(創造)したイデアなのかもしれない、それが地球で現実化したのである

でも人間はイデアを見ない、毎日思うことはそんなことではない、食べることであり生殖でありショーペンハウエルの言うように生きんとする意志の世界に生きている
それが現代の資本主義になると金に転換されている
生きんとする意志は普遍的なものとして金になったのである
イデアを見るより花より団子になっているのである、神の目的は本来はそうして食べることではない、イデアを見ることなのである
それは人間にしかできない、動物にはできない、動物は神のイデアを見ることはできない花を見てもただ食料となっているだけだからである
だから神のイデアを見ない者はある意味で動物の生を生きているだけだともなる





冬菜(冬の田舎の風景)

                        
冬菜(冬の田舎の風景)

carnetionwhite1.jpg

貧思うここに生きなむ冬菜かな

寒烏誰か見ている田舎かな

残菊の通りにあわれ店閉める

カーネーション無垢の白さにそえる花

冬薔薇一匹虫や無人駅

冬の海沖に漁船や港かな  
                                              

烏崎枯野となりて人住まず防波堤のみ高くなるかな


田舎でも現代は別に土地のものを食べていないのである
みんな外から入ってくるもの食べている
知っている女性の畑では結局何もとれない
ただその畑で仕事することを聞いているだけだった
でもそれだけでも直接聞いたので多少農業に詳しくなったとなる

ただ本当に昔のように生活している場でしか食料が得られなかったらどうなるのか?
それはもう生き死にかかわってくる、だから真剣になる
なぜならその生活している場で食料が得られなかったら江戸時代では餓死して死んでいたからである、他藩でも助けないからである
だから自給自足社会と広域社会では農業自体が相当に違ったものになっている
第一貧思うなど客観的に見ていられないからである

そうなるとここに冬菜がとれてここで生きていけるんだとと切実に思うからである
そこで農業していなくてもそこに住んでいればそうなる
それで農民が多いときは何か天候のことでも切実になる
何か農民にそういうことで天候が悪くて不作になるということでしかられたことがある
今は別にここでとれなくても他から外国からでも食料が入ればいいじゃないかとなる
だからこそ都会では日本の地方のことを重要と思わないのである
食料だったら外国から安いのが入る、日本は高いとかなってしまうのである
そして日本の地方は軽んじられるのがグロ−バル化社会なのである
このことマイナス面は結局人間どこに住んでもいいとなり金が異常に大事になる
金さえあればいい、ここで食料が得られなければ他に移ればいいという気持ちになっていた
だから原発事故になり多額の補償金をもらったとき他に移り住む人が多かったのである
それもまた問題だったのである

寒烏が一羽とまっている、これがただとまっているのではなく誰かを見ている監視していると見るのが田舎である
見ていないようで田舎では本当に見ているのである、誰もいないようで見ているのであるまず一万くらいの町となると誰かが見ている,監視しているのである
近くの人はまわりの人が家に入るの監視している、だから女性など入ると問題になる

新しい通りのクリーニング店が閉店になっていた
ただ新しい通りでもそこは店はなかった、理髪店とか薬屋とか二三軒あるのみだった
でもそこに残菊が咲いていた
どうしても小さな店はなくなりやすい、ただ理髪店とか美容店はどこでも多い
過剰だとされている、コンビニより相当に多いから全国的に過剰なのである

カーネーションの白いのがある、何か白もすきである、純白であり穢れないとなる
それでそこにまた花を添える、その純白な花にはやはり穢れない花をそえる
フラワーアレンジメントはそうした無垢な花とふれるとういことが楽しみになる
ただ最近あまりフラワーアレンジメントをしていない
何か私は家事がいろいろあって忙しくてできないのである
まず食べることが優先されるからである、こういうのもつくづく暇がないとできないと思った

冬薔薇は無人駅に咲いている、そこに虫一匹がとんでくる
それだけしかない、人は一人とか二人くらいしか駅にはいない
そういう田舎がかえって自分にはあっている、、淋しいともなるが遂に今年は仙台に一回しか行ってないような気がする
こんなこときありえなかった、少なくとも一か月一回は行っていた
なぜそうなったのか?それは本を買う必要がなくなったことである
アマゾンでいくらでも本を買える、古本が安いから買って本屋にまでなれると思う
だから仙台に行く用事がなくなったためである
何か余計に人ごみが嫌になったということもある
結局老人になると人ごみとかが嫌になる、自分にはそういう性格があった
人がいないような場所を好んでいた、せいぜい人と接しても一人か二人くらいとかになる現実に家族がいたときはほとんど他人と接していなかったのである
なぜなら家族がいたからそうなっていたのである 

烏崎はもう家はない、ただ港が残り漁にででいるらしい
でも枯野であり家は全くなくなった、無惨である
そしてコンクリートの防波堤のみが高くなって完成していた
あんなに変わりはてるとは思いもよらなかった
まずあそこに家があったという記憶すらなくなってしまう
ただ防波堤のみが高くなったて見上げるようになっている



2019年12月02日

みちのくの真野の草原(かやはら)の境界地図 (なぜ北と南の境界になっているのかの謎)


みちのくの真野の草原(かやはら)の境界地図

(なぜ北と南の境界になっているのかの謎)

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この図もちょうど真野の草原の地点が縄文時代前期で境界の地点になっている
それは前は気候でもそうだった、ここが気候的に南と北の分かれ目になっていた
シベリアから寒さがこの地点までおりてくる
そしてマルハシャリンバイが奄美大島から種が流れ着いて根付いたとかされる
南限の地としてあるとされる、それが海老村だった
そして海老とはエヒであり蝦夷のことだった
そこは古くから人が住んでいた、それでその先端に最近古墳が発見されたのである
だから弥生時代から人は住んでいたのである

ではなぜこの図を見たとき北の方に縄文時代前期に人がかえって多く住んでいたのか?
宮城県の海岸線の方に人が多く住んでいたのは海産物がとれたからだろう
それで新地の手長明神の伝説が残された
長い手を伸ばして貝をとっていたという伝説である
その伝説は全く架空のものではない、高台に貝塚があり貝を食べていた
貝を主食としていたのである、海産物が豊富にとれていたのである
そこは高台であり新地の地形は海に近くても高台になっている
だから何か津波とかでもその高台に住んでいれば被害にあわないのである
松川浦はその頃海とか湿地帯とになっていて広い地域である
だから住みにくいことがあったかもしれない、その頃海が深く陸に入りこんでいたからである

この図からみたとき明らかに新地辺りまではかえって人が多く住んでいた
宮城県の海岸線は人が住みやすい地域だった
ただなぜ寒い地域に人が多く住み始めたのか?それが良くわからないがなんらか食料でもかえって多くあったのかとなる
とにかく日本列島は最初は北の方に人口が多く西は空白地帯だった
それで青森に三内丸山遺跡がありそこが縄文時代の国として認識された
そこから日高見の国があった、荒脛(アラハバキ)の国があった

「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権によって東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とするもの。荒脛巾神(あらはばきがみ)ではなく「アラハバキカムイ」といい、遮光器土偶の絵が付されている(遮光器土偶は、『東日流外三郡誌』の地元である津軽の亀ヶ岡遺跡のそれが特に有名である)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD

arahabaki1111111.jpg

本来のご祀神は、アラハバキノ大神威。

大宮氷川神社の、門客人神社
(大宮)中山神社の、荒脛(アラハバキ)神社
の、ご祀神と同一。

出雲が本来の場所なのに、
天孫族から追われた、東北の土着神…国津神。
西アジア発生の、製鉄の一族とも
いわれている。

この神社は猪苗代湖畔にある、これが神社として残っているのはまれである
ただ氷川神社は多い、その元は荒脛(アラハバキ)神だとされる
その氷川神社は南相馬市の原町区の高平にもある
氷川神社は相当に多い、荒脛(アラハバキ)神はあるにしてもまれである
それは多賀城跡にもあり何かしらこれは蝦夷が祀っていた神である
つまりこの神は関東にも残されていて伝えられていたから関東まで広がりがある
実は出雲と蝦夷は同盟関係にあったとか蝦夷は出雲であったとか言われる
東北弁と島根とかの言葉がズーズー弁として共通性があるとかも言われる
その出雲からなぜ渡来人が関係しているのか?
そこは新羅とか韓半島に近かったからである
それで伽耶の王子のツノガノアラシトがやってきた
その渡来人は製鉄の技術もっていて東北にやってきたのである
末続(すえつぐ)という駅があるがそこも出雲系統のものである
小高の角部(つのべ)というのもツノガノアラシトのツノなのである
浪江の苕野神社(くさの神社)の起こりもツノガノアラシトなのである

元禄年間に藤橋月船という者が記した「標葉記」によれば、古老の話では、苕野の神は新羅国からやってきて請戸の小島に現れた女神であるという。この時初めて、阿部氏と荒氏はこの女神を信仰し、阿部氏は特に何もしなかったが、荒氏は小島に社を設けて女神を祀った

つまり蝦夷とは(出雲+渡来人+物部系統+東北の原住民(縄文人)+アイヌ・・・)とかの連合体だったのである
だから大和朝廷に対抗する強力なものとなっていたのである、鉄製の武器も作れていたからである、蕨刀とか自前で作っていたのである
それは製鉄技術のある渡来人が連合体の中にいたからである

棚倉に残る伝説のこの地に8人の土蜘蛛がいた。黒鷲、神衣媛、草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、神石萱(かみいしかや)、狭礒名と具体的に述べている。ところが征伐に来た磐城の国造が敗れたので天皇は日本武尊を使わした。8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した。そこで彼は槻弓 槻矢で8本の矢を放ちたちどころに射殺した。そして土に刺さった其の矢はたちまちに芽吹いて槻木となった。そこでこの地を八槻の郷という 

福島県の歴史の道の旅の回想 (棚倉→白河→会津ー(白河街道)

8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した

つまり津軽の蝦夷とあり蝦夷連合が津軽までありだから日高見の国とか荒脛(アラハバキ)国があったとされる、、そうでなければそんな遠くから援軍が来るのか?
道のない時代にどうしてそんなところまで来れたのかとなるからだ
この意味しているのは広範囲な連合体があった、日高見の国、荒脛(アラハバキ)の国があったからできたとなる
そして津軽(つがる)はツノガノアラシトのなまった言葉だとも推測した
ツノガノアラシトはこうして広範囲にその跡を残している
ただそれは伽耶というのが必ずしも外国というのではなく日本と一体化した国だったからそうなった、その主導権はむしろ日本の方にあったともされるからだ
日本府の任那があったとされるからだ
蝦夷が強敵だったのはそうした連合がすでにできあがっていたからである

そして真野の草原(かやはら)の地点がその境目であり大和朝廷下に服属する北の境目となっていたのである
なぜなら地図を見れば宮城県まで縄文人がすでに多く住んでいて真野の草原から南に人が住まない空白地帯になっている
とすると空白地帯だから大和朝廷でもそこに入りやすいとなる
宮城県のように先住民が多く住んでいれば簡単には入りこめないからである

とにかく真野の草原の地点はそうした境目であることで奈良の人たちに知られていたのである、そして多賀城の周辺はもともと縄文人が住みやすい場所として多数住んでいたのである、それは海産物が豊富にとれるから住んでいたのである
ただ岩手県の方は北上山地辺りに多く住んでいたのかその辺は良くわからない
ただ北の方に栗とかどんぐりとか何か木の実でも豊富にとれていたからだともなる
西が優勢になったのは稲作が導入されてからである、それは気候があたたかいから向いていたからである、ただ北は稲作と関係しないからその時代はかえって北が狩猟でも動物が多いとか鹿でもなんでも食料になるものが多かったためだと推測する
ただこの辺はまだよくわからないことがある

南相馬市教育委員会は、線刻で「船」を描いた古墳時代前期(4世紀)の土器が同市鹿島区八幡林で出土したことを明らかにした。同時代の線刻絵画土器の出土は西日本中心で、船の絵は東北で初めて

これは男山八幡神社の辺りとなる、そこは寺内であり古墳が多い地域として知られている
でも4世紀となると古い、そんな時代にこうした船の絵が描かれたものが発見されたことは貴重であり驚く
この辺は前から海が深く入り込んでいて船の行き来があった
それは塩崎の方であり船着の地名が残っていて船が頻繁に行き来していたのである
それは入江内で今の東北電力のある所に大規模な製鉄遺跡があり鉄を運んでいたらしい
だからそうした船の絵がそんなに前にあったということは早くから技術が伝わった地域だったのである
それだけ古いということはここにすでに文化の積み重ねがあったとなる
それも真野の草原として万葉集に歌われた証拠ともなりうるのである
それは寺内の前方後円墳から金銅双魚佩が発見されたと同じである
なかなかこうした船の線刻画のようなものは東北では発見されないからである


terauchiship11.jpg


ここはやはり古代の先進地域であった
前方後円墳がありそこに金銅双魚佩が発見されてその隣り合う地域に船の線刻画が発見された
棒状の線は(かい)のようでありそうだとすると数が8くらい見えるからそれだけの人数が乗れた船となれば
それなりに大きい船だとなる

真野明神は古代のものであり古い謂れがある、この三つとなり合う地区にあったからここが最初に開かれた場所であった
とにかく寺内から小池には古墳が多いのである、だからここは古墳の町になっている




posted by 老鶯 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年12月01日

無人駅でまだ案内があった (人が少ないと人間的になる逆説)


無人駅でまだ案内があった

(人が少ないと人間的になる逆説)

noonest111.jpg

sttaxno1.jpg

ここがわかりにくい

railopen11.jpg

こんな電車が走るのか・
スーパーヒタチが走るのか


昨日はばあちゃんが障害者用のトイレの前に立っていた

でもドアが開かない、そこは手で押しても開かない

手をかざすと開く

これも意外とわかりにくい、普通は押すからである
その隣に普通の人が使うトイレがある
そこの女性用のトイレは小さいのである
この障害者用のトイレは中が広々としている
それは車椅子でもはいれるからである
でも車椅子で入っている人も見たことがないのである
これも考えてみると矛盾である
普通の人のトイレをもっと良くしているべきだともなる
ただ車椅子利用のためにそうなった
そこを毎日掃除しているのがあさがおという障害者の人たちなのである
こうしたちょっとしたことでもはじめての人はわからないのである

その人は何かを探していた、駅の前うろうろしていた、それで聞いてみた
そしたらまずタクシーに乗りたいが乗る方法がわからなかった
普通はスマホを見て呼ぶ、その人はスマホをもっていなかった
それでタクシーの番号を教えた
それが駅を出た前にありわかりにくかったのである
それは前から知っていた、それをタクシー会社に言って中に案内を羽ってけといったがしていない

その人はどこに行くのかと聞いたら「香の蔵」でお土産を買いたいと言ってタクシーを呼んだのである、そこまでは結構遠いのである
前にもお土産を欲しいという人がいた
駅ではどうしてもお土産が欲しくなる買いたい場所なのである
でも原町には多少お土産を売っているが駅では売っていない、そもそも無人駅だからである、駅前にはお菓子屋があるが店はない
その人は食堂のことも聞いた
それですぐ前の鈴木食堂があると案内した、そういうこともはじめての人はわからないのである

ただ今はスマホを見ている、それも無人駅だったら当然そうなる
今日は日曜日で高校生の見守りがいない、昼間はいない
その人たちはそんな案内をしない、ただ高校生の見守りとして仕事を限定しているのである
でもこの前盲人の音楽家が来たときは荷物などをもって送った
だから今は駅の案内も多少はしている

お土産だったらまず常磐高速のサービスエリアまで行くのが一番いい
そこには何でもある、相馬地域のお土産もあるし食堂もあるし休む場所もある
その相違が大きいのである
もし駅でも客が高速のように来れば必ず店でもなんでもできる
でも無人駅なのだから何もできない

ただ奇妙なのはそうして人が少ないこということはかえって人間的になる
そもそもサービスエリアでは話することがほとんどない
ただ人が流れてゆくだけだからである
ちょっとしたことでも話すことはできないからである
だから時々無人駅でどんな人が来るのかちょっと立ち寄っている
でも最近は高校生の見守り役がいるから買い物帰りちょっとよるだけである

駅前には冬薔薇が咲いている、そこに虫一匹が飛んでいた
なにかのどかなだなとなる、でもこれでは商売にはならないのである

無人駅虫一匹飛び冬薔薇

記憶に残る境の旅の短歌十首


記憶に残る境の旅の短歌十首


面白山ぬければ山形春なれど残れる雪の心にしみぬ

区堺に電車とまりぬ雪厚くなほも残れり境なるかな

関ケ原なお雪残るここ越えて近江の春の山々望む


上野去り平野開けてみちのくに我が帰るかな秋の陽没りぬ

いわき駅(平駅)北の方へと鉄路見ゆ仙台近く秋の夕ぐれ

飯館の峠を越えむその手前常に休みぬ秋の蝉鳴く


国分けるライン河やオランダへ荷船の行くや秋の夕暮

ケルンの塔高く望みてオランダもイギリスも見むラインも流れて

ヒマラヤの峰々空より望むかなインド中国分けて聳え立つ

大陸や大河さえぎり向い岸望みて帰る秋のくれかな


旅をすると境が記憶に残る、関所がある時代はそこで止められるから必ず記憶に残る
今は関所がないから何か通り過ぎるだけになる
でも境は節目であり記憶に残り安いのである

だから旅を思い出すとき界が記憶になりこうして思い出して短歌にしたり詩にしたりできる
でも記憶していないと後だ思い出すことがないから書けないのである
だから旅というのは意外といかに記憶に残る旅をするかが問題になる
それで余りにも便利な車だとただ通り過ぎて記憶に残らないのである

第一旅という時どういう経路で行ったかが問題になる
ただ目的地につけばいいとなぱビジネスライクな旅でありそれは旅ではない、用事を果たすためだけだとなるからだ

だから新幹線で三時間くらいで平泉についたというだけでは何の感懐もないから芭蕉のような俳句は作れないのである

とにかく人間はその場所によって心も変わる、いわき駅というとき同じ福島県でも相馬も遠いし仙台もさらに遠いと感じた
でも相馬から仙台までは遠く感じられないのである
そのことでもいかに相馬地域が仙台に近いか宮城県に属しているようにもなる
なぜなら福島市は阿武隈高原に遮られて見えないからである 

常に何か旅をしても印象的なものが心に残る
上野からみちのくに向かう時、東京のビルの街から離れて平野が広がり秋の夕日が輝き落ちてゆく、その光景がいつも心に残り思い出すのである
その光景が心に刻まれている、だから忘れられないものとして何度でも心に浮かんでくるそういう場所が確かにある、ただ旅をした後にその場所が思い出すのである
でもいくら旅をしても忘れてしまうものがある

この差は何なのか?

やはり景観とかが印象に残り安いのと残りにくいのがあるのか?
それはいろいろな要素でそうなっている、それは旅の仕方によって決まる
だから思い出す旅も不思議なのである、全然記憶に残らない場所もある
本当に思い出せなくなるということはそこに行ったのかとまでなる
外国だと特に変わっているからそうなりやすいのである
日本だと何度も行けるし記憶がそこで蘇るからいい、外国だと一回行って終わりとなるのが多いから思い出せなくなるのである

外国でも川は長大だからそこが境界となる、父なるライン川がそうである
ケルンの塔に上った時、その川はオランダに流れさらにイギリスも見えるように思った
イギリスに海峡があっても30キロくらいだからである
今は海底トンネルが通っているから遠いというものでもないからだ
イメージのなかでイギリスはヨ−ロッパ大陸とつながっているという感じになる

スケールが大きくなるとヒマラヤ山脈はインドと中国を分ける
それは空からその頂上が見えた、ヒマラヤは空からしかその全貌は見えない高さである