2018年06月24日

東京一極集中が社会を歪めている−江戸時代との比較 (トラック運転手の過酷)


東京一極集中が社会を歪めている−江戸時代との比較

(トラック運転手の過酷)

 トラック過酷な労働−トラック列島3万キロ
                                              

一極集中の東京を考えるとき江戸八百八町の百万都市からはじまっている
その時も江戸は日本の中心としての機能があり栄えた
政治都市であり文化都市ともなる、江戸の日本橋を渡ることは日本の中心に来たという感激があった、それは天皇のいる京都が日本の中心だという同じであった
でも江戸時代の江戸百万都市と今の東京の相違はその規模でもそうだが景観でもそうであり全然違っている、だから同じ大都市なのにその様相はまるで違っていたのである。

江戸の回りは農民が住んでいた、それで江戸の町にきて肥料とする糞尿を運んでいたのである。そういうことは農民が深く江戸の町にかかわっていた
食料をどうしていたかというと回りの農民から供給されていた
ただ米は地方から運ばれていた、地方が飢饉のときも米は地方から運ばれていた
江戸では白い米が食べられるとなっていたのである。
それは現代の矛盾とにている,地方は江戸のために犠牲になったとなるからだ
でも野菜は遠くから運ぶことができないから近くでまかなっていた
それで練馬大根とか近くの野菜のいいものが売れることになる
米以外の食料は江戸の回りの農家から買っていたのである。
長崎から大根を東京まで運んでくるのとはあまりにも違っていたのである。

 吉宗が、鷹狩のため、享保4年(1719年)に小松川村を訪れた際、香取神社が御膳所となりました。
 この時に、香取神社神主の亀井和泉守が、地元で採れた青菜を入れた餅のすまし汁を吉宗に差し上げたところ、吉宗はたいそう気に入り、土地の名をとって「小松菜」と名付けたと言われています。

こういう話が伝わっていること自体いかに将軍ですら農民と関係をもつし近くで野菜がとれていたことの証拠なのである。

野菜は、タネの形で参勤交代などの際に全国から江戸へ運ばれてきたといいます。各地から集まったタネは江戸近郊で栽培され、よりおいしく育てやすい遺伝子を残すべく、原始的ではあれど選抜育種も行われました。こうして江戸とその近郊の土地の名前を冠した野菜が確立されていったのです。小松川(現江戸川区)の小松菜、亀戸(現江東区)の亀戸大根などが、その代表といえるでしょう。

 やがて街道沿いにはタネ屋が林立し、手軽な江戸土産として、江戸で確立した野菜は地方へも運ばれていきました

これでわかるように農業が主な産業の時は種は大事であるし肥料でもそうである。
だからこそ地方から種の多様な品種が集まり江戸でも品種改良されたりその多様な種が参勤交代などで地方へ伝播された
このことからちわかるように都市とは交流の基点とてり市場となりそこに農業技術を発展させた
つまり農業が主な産業の時は江戸は都市は世界的にもそうした機能をもって必要不可欠となっていた
つまり江戸に来れば地方では買いないものが買えるし見れないものが見れる
それは本でもそうだった、地方では置かれている本がわずかであり買えなかったのである。
それで仙台に一か月に何回も行っていたのは本を買うためだった

でもその本でも本の種類は膨大だから手に入れることができない、古本でもそうである
すると古本だったら古本屋街がありそこで買うほかなかったとなる
アマゾンでボタン押せば買える時代ではなかったからだ
そこに東京と地方の差が歴然としてあった、他にもありそれで田舎は嫌だとなって脱出したいとなったのである。
今は買い物でもなんでも困らない、東京に行って何か新しいものがあるのかとなるともうないように思う
だから東京に行きたいということがなくなったし仙台にすら去年一回行っただけで行っていないのである。
これはと年のせいもあるが田舎でも4,5万の都市が近くにあればそれなりに不自由しないのである。

地方創生とか盛んに言われるがこれだけ流通が発達していれば何も困ることがない、ただ物を買うにしても金がいる,その金になる仕事が地方にないということで地方創生になっている
原発事故のことで避難区域になっことを書いてきた、それが現代の問題を象徴したように起こった、それを社会学的に追求してきた
原発事故を様々な見地から研究できる,まず科学的な面から当然研究できる
でもここで起きたこことは社会学としても見本となったのである。
村や町が一挙に人がいなくなり住まなくなることはどうういことなのか私は追求してきた
それは放射能汚染だけではない科学的なば問題だけではないものを感じたからである。
なぜ簡単に共同体が崩壊したのかというのもそうである、それはやはり共同体が田舎でも喪失していたからではないかと追及した

このトラック運転手の過酷な労働を取材したユーチューブの放送でもそうである。
長崎から築城の市場にまにあわせるためにとか運ぶ眠ることもできずに運ぶ過酷な労働である
それは江戸時代などから比べるとあまりにも異常である
その距離も江戸時代とは比べようがないのだ、だから何かここに現代の文明の異常性に気づく
その過酷な労働を生んだのはまさに文明であり東京という肥大化した大都市だったのである。
地方はまた金を得るためにその奴隷となる構造ともなっていた
ただ東京という大都市にも様々な問題をかかえているからそうなる

原発事故だって東京で膨大なエネルギーを消費するからこそ危険でも必要になる、でも東京では誰も賛成しないから離れた福島に作ったのである。その時地方では出稼ぎが問題だったからである。
特に原発が作られた地域は過疎地域であり金になるもの仕事ができるものが欲しかったのである。
現実に浪江の前の親戚の人は原発関係に就職した、それで原発関係で仕事になっていた人が多かった
それが飯館村の、、、でも原発で働いていたのである。
川内村では三分の一が働いていたとか経済的効果が大きかったのである。
漁業関係者は漁業権を売り補償金で原発御殿が建っていてうらやましがられていた
だからこそ原発事故以後でも東電を責められないとか言っていたのである。
これも東京という大都市が近くにあることでそうなった
東京の問題が地方に波及してまた逆に地方の問題が東京に波及するのである。
それは江戸時代の江戸のように種を品種改良して東京−地方の流れでいい面もあったが
悪い面として現代では作用したのである。

明治維新以降は文明開化は鉄道の開始とともに新橋から汽笛一声ではじまった、歩いていた時代から鉄道という輸送がはじまり東京が一極集中になったのである。江戸もそうであったが明治以降は文化でも東京中心になった
なぜなら方言では意志疎通できないからと標準語東京語にしたからである。
文化も東京中心で発信される体制になった、出版でもそうであり最近のテレビ局が六局しか許可できないのも東京中心のためだったのである。インタ−ネットが普及するとそうした情報の一極集中も変わり地方からの情報の発信ができるようになったのである。

田舎でも仕事としてトラック運転手が多いということに気づいた、すでに四人くらい出会っている
それはなぜなのか?やはり東京の築地などの市場に地方から食料でも野菜でも運ばれるからである。
この辺だと石鰈などが運ばれて高く売れていたのである。地元では高くても買わないとしても東京だと買う人がいくらでもいるからだでも別に漁業関係者は東電から補償金を事故前も事故後ももらっていたから生活には困らなかったのである。

ともかくなぜトラック運転手が長崎から大根でも運ぶ、それは別に東京だけではない、全国的に運ぶ、それで過酷な労働となる
でもそうして広域経済が成り立っている、全国のいいものを食べられるとなっている
そのために過酷な運ぶ労働がトラック運転手に課せられているとなるのだ
こういう経済は何か自然ではない、文明とは自然なものではない必ず無理する、自然から発生した村はまさに自然村であり自給自足である,地産地消である、それが本当は自然な生活だったとなる
もちろん経済にはそうした物流が不可欠である、でも生鮮食料品となるとやはり地元で近くでとれたものでまかなうというのが自然なのである。長崎から大根を得るために運ぶというのは無理が生まれトラック運転手にそれが課せられることになる
そこに現代の異常性がある、いづれにしろこうした東京一極集中の時代は終わりつつある

実際は東京には人口は集中していないし若い人も減っている、そして意外と問題なのは東京が高齢化して老人が地方より増えてくるのだ,それが東京の重荷となってくる,逆に地方では老人が減ってゆくのである。そういう現象はすでに起きているのである。
それで今度は東京では老人を地方に移住させる,地方で面倒見させるとなるのも勝手だと思う
なぜなら若いときは積極的に若者を呼んで年取ったらめんどうみない、やっかいだから地方に帰りめんをとみてもらいとなるからだ
人間はやはりその土地で生きた場所に人生を過ごした場所が故郷になるからだ
そういうのもなにか東京一極集中の矛盾だったのである。ただ労働力がたりないとか会社や企業のためであり人間の人生のことなど考えていない結果だったのである。会社や企業の都合で人間がその一生を有意義に老人まで一貫したものとして過ごせないという矛盾を作り出していたのである。
老人だけが原発事故でも避難区域に帰っているというのは理解できる、なぜならそこで定着して死にたいとなるのがまさに自然な感情だからである。
なにか現代社会は経済は確かに全国と交通で結びつき物資の流れが盛んになったとしてもまたそのために矛盾を作り出していたのである。それが高齢化社会にもなりその矛盾が噴出してきたのである。



  

posted by 老鶯 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年06月23日

金のことまであけすけに話す復興住宅に住む浪江の人 (補償金で老後は金で困らない)


金のことまであけすけに話す復興住宅に住む浪江の人

(補償金で老後は金で困らない)


浪江の復興住宅に住んでいる大工の人は話すきである
だからなんでもあけすけに話すのである。
金のことまであけすけに話している

「俺は3千万円くらいもらったんだよ,それで金があってもしょうがないから新しい車買ったよ」
「車買った人が多いみいだ、それでねたまれたこともあるからな」
「俺も気をつけているよ,この前ジュースのぺットボトル盗まれたからな、それで警察に行ったけど相手にされなかった」
「警察は大きな盗みで証拠がないと相手にしないよ、この辺でも貧乏な人がいるから気をつけたほうがいいよ、近くでも今は安心できないよ」

その人は金のことをあけすけに言う

「この復興住宅は7年間家賃払っていると自分のものになるんだよ」
「そうなの,相馬市の津波被害者の復興住宅もこれとにているけど1200万とかで宇わなければ自分のものにならないと聞いた」
「でも電気でも水道料でも払わなきゃならない、俺は毎日風呂に入るからガスの風呂だと金がかかるんだよ、8000円とかかかるな」
「でもそのほか年金もらっているのか」
「大工していたからその時積み立てていたからもらえるよ、11万だよ
その積立ししていたとき高いとは思っていたがな」
「国民年金よりはいいよ,原発で補償金ももらったから金に困ることはないな」
 「知っている人だけだよ、妾もって暮らしている人いるよ」
 「ここでもフィリピン人の女を仮設に呼んでいた小高の人知っているよ、金回りが良くなってそうなった、厚生年金の上に補償金だからな」

何か金では補償金では浪江の人の方が恵まれている、浪江の人はまた小高とも違う、全部避難者にされたからである

「今度町長選挙あるけど浪江町長は病気だったんだ」
「癌だったんよ,外から来る人が町長候補になる,後は地元の農協の人だな」
「こうなるとかえって外部の優秀な人がいいということがあるな、何かとめんどうだからな、ここでも南相馬市長に不満が多かったからな
「浪江は町の通りをイノシシが歩いているよし家は荒らされている
ハクビシンとか他の野生化したものも増えている、復興住宅が建って帰った人もいるけど買い物に原町まで来るのが大変だと言っていた」
「買い物できないと生活できないよ,小高では小さいスーパーできるらしい、浪江はその点厳しい、原町まで車でも30分かかるからな」

最近その復興住宅がある近くの小高が住んでいた復興住宅は壊されて整地されている

「あそこにコンビニできるらしいよ」
「ええ、本当なの,ここにも家が増えたからそれを見込んでらしい」
「シシドのスーパ−できたのも鹿島は人口も減らないし新しいが今でも作られているからな、寺内で仮設が建ったときすぐにセブンエレブンができたんだよ」
「ここからは近くていいよ,歩いて行けるからな」

こんな話をしたが金のことまであんなにあけすけに言う人はいない
あういう状態だから原発避難者は仕事はしないのである。
でもあそこを見ていても中のことはわからないなと思った
車持っている人が少ないというが車が前に置いてあるのが多いとみていた
実際は老人がほとんどであり車を運転できない人が多いという
その人は娘と一緒に暮らしているがほとんど老人なのである。

浪江町の復興住宅でも住んでいるのは老人だし飯館村でも立派な復興住宅に住んでいたのは老人だったのである。
若い人たちは子供とともに方に移り住んで帰ってこないのである。
何かこの辺でおかしなのは前にも書いたが補償金をもらいすぎてもう仕事はする気ないのは浪江町の人でも同じである。特に老人ならしないのである。60代以上ではしない
こんな状態で復興などできるのかと前から書いてきたのである。
この大工さんなら一応年金をもらっているしその上に補償金をもらうし娘とも暮らしているし楽だとなる,老後の暮らしに困ることはないのである。
小高より補償金では恵まれているのである
ただそれが移り住んだところで貧乏な人もいるから良くは見られないのである。

とにかく原発避難者は恵まれている、相馬市の松川浦近くの復興住宅はにたような作りであり安物である。その大工さんもわかっている、これを作ったのは東京の会社であり復興住宅の見本として作ったとある
安上りに作る見本だと言っていたからだ
それでも7年間家賃を払って住んで自分のものになるのだから恵まれている
津波の被害者にはそういうことがないからだ
浪江と小高の人たちはにたような状況なのだが浪江の方がもっと復興することがむずかしい、ほとんど人が住んでいないくてイノシシが街を歩いているとなるからだ
そして帰るのは老人だけなのである。
まるでゴーストタウンに老人が住んでいるだけだともなっているからである

何か疑問なのは小高の人は一応南相馬市だから別である
浪江の人たちの問題は南相馬市民ではない,とすると介護でも市民サービスでも南相馬市でするほかなくなる
でも浪江町民だからそれがどうるなのか?
南相馬市民になればいいと言っても補償金とかの関係でなりにくいこともある
でもそこも何かわからない、南相馬市ではこうして老人ばかり残されても介護関係などで金がかかる、ただ別に浪江の人でもわずかでも若い人たちもいる
現実にその大工さんは娘と暮らしているからだ、他にもそういう人はいる
だから南相馬市の力になることはありえる
ただ行政的にはかなり問題をかかえているのである。
posted by 老鶯 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

近くの人呆気ない死 (死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)


近くの人呆気ない死

(死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)

一週間前くらいその人を家の前でみかけた、一時体が悪くて歩けなくなり姿を見なかったが歩けるようになり元気になったと喜んでいた
それから話していない、一週間前くらいに家の前に出たとき話していればよかった
なぜなら死ぬと思わなかったからだ

でも一週間前ほどに家の前歩いていた人が死ぬだろうか?
普通寝たきり何年とかで死んでゆく
どういう病気かわからないけどそういう死に方もある
その人の夫も急に体が悪くなり一週間ほど入院して死んだのである
その前まで仕事していたのである。

その女性のことは子供の時から知っている人であり世話になったこともあった
身近なのだけど体良くなって歩いているのだなと見ていた
だから別に気にもしない,死ぬなど思いもよらなかったのである。

人間の死に方はいろいろある、何年も介護されてなかなか死なない人もいる
何かこんなに呆気なく死ぬのかという人もいる
ただ何か近くで死ぬ人がいると呆気なく死ぬものだなといつも思う
80歳くらいだったのか?まだ平均寿命にはなっいないのか?

だんだん身近な人がこの年になると死んでゆくことは確かである
同級生でも60代一割が死んでゆくとか70代と二割が死んでゆくとかなる
そうなると常に死者に接する年となり死ぬのもめずらしくなくなる
その人はすぐ近くだからびっくりしたとなる

死者のことを自分も家族が全部死んで常に考えるようになった
若いとき死を毎日のように考えていた,父親を早く亡くしたのでそうなった
その時は死そのものについて考えていた
それで宗教とかに入ったがそこはカルトでありそんなこととは何の関係もない政治団体だった、宗教の最大の問題は死の問題であり死の問題の解決なくして宗教はありえないと思う、その他に無数の問題があるが死の問題を解決しなければ宗教はありえない

ただ老人になって両親とか家族を亡くして死者のことを考える思うというのはまた別である。
死の社会的意義なども考える、あの人は生きて何だったのか?何のために生きたのかとか社会的に何を残したのか?何かそんなことを死とともに考える
不思議なのことは自分の場合家族が死んでから死んだ人のことを考えるようになった
生きているときはさほど考えなかったのである。
これも不思議だなとつくづく思う
それもやはり人間の生は死んで断絶しないからである。

死者は死んで勤めを終えぬ
生者は残され死者を思う
そして生者の勤めは
供養してその死を意味あらしめること

人間の営みはねそういうものだった、一代だけで生は終わらない、継続しているのであるそれが人間の生の営みであり歴史となる
だから先祖というのを重んじない社会は浅博なものとなる
死者は生きつづける、しかし忘れることもできる、死者を活かすのは生者の勤めなのである。
原発避難区域の悲劇はもう死者は重んじられない、若い世代が去ったとき継続するものがなくなり死者は本当に捨てられる、誰も省みないとなる 
だからその時死者は行き場を失い幽鬼のようになり彷徨い成仏しないとなるのだ

ただ現代は死というのが社会的意義あるものとなりにくい,死を考えるとき共同体の中での死がなくなったからだろう、村のような共同体での死なら別である
それで日本では死んだ先祖が春には山から下りてくるという信仰にもなった
それは死者が先祖が村の中で生きているということなのである。
村全体で死を先祖とつながりをもっていたということなのである。

現代は先祖と断絶している社会である。それは共同体が喪失したからそうなった
死そのものの問題が先にあるが社会的意義としての死がその後にある
現代では社会的意義あるものとしての死が喪失した
そこに生の継続がなくなり歴史が断絶することにもなる、今死者が省みられない、社会的意義が与えられないことは結局今生きている人でも死ぬのだから省り見られないとなる
それは今生きている人の問題でもある

2018年06月22日

丸森町の地名と歴史


丸森町の地名と歴史

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クリック拡大(手倉山への川を上る)

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丸森は伊達氏の城があった丸山城から発しているという、丸はここから来ていたのであるテレビで見た旧亀岡家住宅の贅沢に使用した木材は丸森から供給されていた
保原はなじみがないが丸森と近かったのである。
丸森はもともと木材の供給地で伊達藩と米沢藩と相馬藩で争っていたことは有名である

丸森は地理的に歴史的に相馬藩と密接につながっている、金山城は伊達藩と相馬藩で交互に城主となっていたからである。伊達藩との攻防が繰り返されていたのである。
そして相馬藩が明治維新の時官軍についたとき伊達藩は仙台藩は対抗して戦った
旗巻古戦場には仙台藩士の墓がある、最後まで戦ったのが仙台藩士だったとなる
それはやはり藩が大きかったせいもある、相馬藩は小さいから早い時期に官軍に従ったのである。
あの場所に木製の大砲を備えたりしていたからやはり武器でも官軍に劣っていた
ただ敵を防ぐには崖のようになっているから守るにいい場所だったのである。

丸森と相馬藩が密接に関係があったというとき方言で如実にそのことを示していた
相馬総合病院に入院していた丸森の金山の人が んだちゃという言葉を使っていた
これも奇妙だがんだんだは相馬の方言である,でも仙台弁は語尾にだっちゃだっちゃというからだ
それが何かかわっているなと聞いていた
んだちゃんだ+だっちゃちゃがついたものだった
そのことがまさに庶民として普通の人でも密接な交流があったことを示しているのだ

丸森は地形的に魅力ある場所である。入り口として相馬市の宇多川をさかのぼり筆甫(ヒッポ)に入る道がある

太閤検地や江戸時代前期の検地によって石高が定められた田畑のことは〈本田畑−ほんでんばた)または(古田畑−こでんばた)とよばれていた

この地名は古い地名なのである。

なぜなら伊達政宗が領内検地した際、最初に記入した土地である由縁で「筆の甫(はじめ)」を意味して名付けられたとされる。
検地は全国的に行われた大事業だった、だからその事業を記念した碑が多い
新地に文禄の碑がある,ただ文禄としか記されていないのである。
だからこれが何の碑なのかとなると検地をした記念なのかとなる
たいがい検地が大事業であり検地によって新しい時代が始まり百姓の家が生まれたとなればそれを記念するのは当然だとなる

前に古田のことについて書いた、古田口とあり入り口の地名である。
こんなところに田があるのかと見た
ただ地名の問題はそれが古いのかどれくらい古いのかが問題なのである。
田でも新旧を知ることが大事なのである。
なぜなら古町とあれは新町がある、古町は小さな町内でも一時栄えた町だった、にぎわった町だった、そういう街の変化は常にあるからだ
古田というのは学問的には検地とかかわって古いものだったのである。
それは筆甫の由来でもわかるようにその中に古田があったからである。
地名は地名だけから見ては歴史的に混乱してくる、まず歴史的に学問的にたどりその由来を知れば知識になる,ただあれこれ推測していると間違った解釈になる

丸森は地勢が複雑である。手倉山とあり天明山の近くに細い川がありそこをさかのぼって行ったことがあった、樅の木の原生林かある所にきたがそれはたいしたものではなかったそれよりそこで迷い樹海のような森に入って出れなくなったことだった
丸森はそれだけ森が深いのである。
天明山とあるのは飢饉の時なづけられたのか?天明の碑とかもあり天明というとき飢饉の年だと特に相馬藩ではみる
他に曲木などという地名があり木を曲げるから木の器を作る集団が住んだ、木地師の集団となるがこの辺では会津のような由来はない

四重麦(よえむぎ)とは麦の種類からきている、八重麦坂がある南相馬市の片倉村に入る所の地名でありその種類は長野県とかからもたらされたとかある
ともかく麦を栽培していたことは確かである。

他に丸森の地名の特徴として川張とか革踏石とかの地名がある、川張村は大きな村である川張は皮張であり動物の皮を張ってほしていたところとなる、川の岸でその作業をしていた、私の父親は一時戦後皮なめしをしてい、イタチとかとってしていた
だからそういう仕事は山でもイノシシとかほかいてそういう仕事があったとなる
それが生業としてあったとなる

日本の場合、大陸から渡来した「熟皮高麗(おしかわこま)」「狛部(こまべ)」といった呼称の工人たちが革の加工技術を伝えた。つまり、日本の革の歴史は、1000年以上も前にさかのぼることができるのだ。播州姫路地方で当時より革のなめしが盛んに行われ、なめしの工程は、瀬戸内海産の塩による原皮処理→浅瀬で洗い流し→石河原での川漬→脱毛→塩入れ→加湿→菜種の油付け→揉み→さらし→革洗いの反復作業で行われていた。海が近い姫路は、まさに革の加工にピッタリの土地だったのだ。

こんなものまで渡来人が関係していたのである。
ここでは石河原での川漬とかあり川がある所でしていた
阿武隈川という大きな川があるからそういう仕事が生まれたのか?
生業が地名になることはある
欠入(かけいり)は欠けた土地に入ったからその名になった
荒地化したような土地に入った、そういう土地は日本全国にある
相馬藩も天明の飢饉などで欠けた地に越中の移民などが入って定着したからである

丸森は地形が複雑であるから魅力がある、蔵王も見えるし阿武隈川が流れ森が深いのである。丸森は飯館村と隣り合っているのだからそれなりに放射能汚染があったが補償金は宮城県とかになっていてされなかったから損だったともなる
飯館村は被害が大きかったから補償金は手厚いから一億円もらったら若い村民は帰らないとなってしまったのである。
新しく建てられた住宅に住んでいたのは老人だったからである。


丸森町筆甫の古田口の地名の現代的意味 (田より水芭蕉が価値ある時代)

丸森の秘境へ(夏の旅-新地からのつづき)

2018年06月21日

抽象画は変化して何が現れるか予測できない (一つの例)


抽象画は変化して何が現れるか予測できない

(一つの例)

Abstract paintings can not predict what will appear as it changes

(One example)

undertrain111.jpg

↓↓↓↓ 変化

blackforesttttt123.jpg

↓↓↓↓ 変化
moonrockk111.jpg
two joint rocks
hosttttrr111.jpg

chineselandscape1.jpg

chienese mountains

rockcolour11.jpg
Earth's constituents


地下を走る電車の絵から次に変化したのが森の抽象画である
次に変化させると岩の抽象画になった
ただこれは岩と見ればだがそうなった
それは全く予想できないものだった

こういうことを随分してきた、第二次創作としても面白いとなる
私は全く絵を描けないからである
一応抽象画だと絵のようになるからである

人間の才能は技術によって相当に影響される、AIは人間の才能を実は発掘するということももある、それは人間の才能を発掘して高度な知能にする
人間の知能の強力な補助役になる
AIは人間に代わるのではない、人間の頭脳を知能の強力な補助役になる
それはいろんな分野で起きてくる、波及してくる
芸術の分野まで波及してくる、それだけ影響力が大きいのである。


The next change from the picture of a train running underground is the abstract picture of the forest
Then it changed and it became an abstract picture of the rock
Just watching it as a rock, it turned out like that
It was totally unexpected

It has been quite a lot like this, it will be interesting as a second creation
Because I can not draw pictures at all
Once it is an abstract picture it will look like a picture

Human talent is influenced considerably by technology, AI sometimes finds human talent in fact, it uncovers human talent and makes it highly intelligent
Become a powerful assistant for human intelligence
AI does not replace humans, the human brain becomes a powerful supporter of intelligence
It happens in various fields, it will spread
It spreads to the field of art, so it has a great influence.



森の中の変わらぬ石

森の中の暗闇にいくつかの石がある
石はここに変わらずにある
石はここを共に動かない
石は共にあって離れない
石はここにあって重みを増しぬ
暗闇がおおい重々しい石
石はいつもここにありて
深い安心を得る
それは石が変わらないからだ
ここに石は安らぐ
森の中に月が光り石がある


The unchanging stone in the forest

There are some stones in the darkness in the forest
The stone remains unchanged here
Stone does not move each other  here
Stones are here and do not leave
The stone is here and it does not increase its weight
The darkness is heavy stone
Stones are always here in stability
Get deep relief
It is because the stone does not change
Here rocks relax
The moon shines in the forest and there are stones


タグ:森の石

2018年06月20日

荒地が回復しないのはなぜ (村の共同性が失われたため)


荒地が回復しないのはなぜ

(村の共同性が失われたため)

この辺では原発事故以後荒地が増えた、一部は回復しても依然として荒地が多い、周りに荒地が多いと草が伸び放題であり畑にも影響してくる
草刈は今では村の農家の共同作業になっている
田んぼでも畑でも荒地になると困るから村の共同として荒地にしないことを村の共同体があったときはしていた
村の土地は農業中心の時は共同地の性格が強かった
明治以降の私的所有はなかったのである。
土地とかとは自然環境と一体だから私的所有になじまないのである。

飯館村は離れているから放射能が関係ないとはできない
回りの山や森から放射性物質が流れてきてダムにたまりさらにセシウムが泥に付着して川から流れてくる
それで放射性物質の貯蔵庫として土地を売るのがいいと飯館村の人はなる
なぜならもう住めないとなり一億円もらって村を出る方がいいという人が多いからである飯館村だとまだ昔の村落共同体のようなものが残っているようにも見えるが実質はその考え方でも生活でも変わりない面があった
腰化に山菜を食べるとかでは違っていたが工場もありそこが働き場所ともなっていたからである。原発事故後その工場では人が働いていたが牛を飼うと農業はできなくなったからである。
今も帰って生活している人は別に農業している人ではない、会社勤めの人だった

江戸時代の村は自然村でありまさに自然から自然に成り立った村であり人工的要素は少ないのである、生態系に制限されて作られた村なのである。
右田の農家の人が橲原(じさばら)に所有する山をもっていた、入会権をもっていた
それは草など運び肥料とするためだった、だから農業でも山と密接に関係していたのが日本の農業だったのである。
そして津波で家が流されてたので橲原に土地をもっていたので右田村の人はそこに家を建てているというのもそのためだったのである。
農業中心の社会ではそうして生態系に依存する社会だから自然から離れてありえない社会だったのである。

なぜ荒地が回復できないのか?
それはすでにそうした江戸時代からつづいていた村落共同体は喪失している
欠入りとかあるとき欠けた土地に外からでも入る人が江戸時代にはあった
この辺では天明の飢饉のとき越中から大量に移民がその欠けた土地に入ってきて荒地を開墾して元にもどしたのである。
それが今荒地のままなのか?避難区域でもない南相馬市では依然として荒地化したところが多い、放射能の影響がそれほどでもなくても荒地が多い
それは結局すでに農業社会から工業商業社会に田舎でもなっていたからだとなる
農業の生産力は一割にも満たないとか田舎が農民なのかというとほとんど会社員なのである。近隣でも何をしているのか働いているのかわからないのである。
最近ではトラック運転手が多いなと気づいた、田畑があってもすでにそれがしめる役割は十分の一とかに低下していたのである。
つまり田畑をもっていて耕作していても割にあわない,現金収入になりにくい、そして田でも委託する農家が多い、その家はサラリーマンになっている
農業だけでは暮らしていけない時代なのである。

大原の前田という地名のある所の農家は草分けだったのだろう、前田というときそこが最初に開かれた地名だからである。
なぜなら遠田という地名もありそれは前田からかなり遠くの山の中に田があったからである。村の中心がありそこが前田であったのだその家は古い家であり今は空家となっている、他にも三軒くらい空家になっている
その家の息子は市役所に勤めているから空家化したのである。

こうして共同体が喪失することの影響は実際大きい、それをあまりにも極端に現れたのが原発避難区域だったのである。もう農業は回復しない、田畑は数軒とかで回復してももともと農業はそんな数軒でなりたつものではない、村で共同で維持してきたからである。
水の管理でもそうだし草刈でもそうだしそれがもうできないから荒地になるだけだとなった

そしてもう一つ重要なことはそうした共同体が喪失したとき、歴史も消失するということである、農家では戦国時代が終わり百姓が家として成立した
それまでは農家は存在しなかったという、そこで文書の保存がなされた
それが郷倉に収められて保存されつづけてきた、その文書は重要なものでありだからこそ火事で焼失したりするから村人で郷倉に収めていたのである
郷倉とは村の歴史の保存蔵だったのである
それは図書館のように事務的に保存するのではなく村人の意志があって保存された
図書館には何かそうした村人の市民でも意志があって存在するとなっていない
図書館の成り立ちは本当は郷倉にあったとなる

それから江戸時代の村では先祖を大事にする、それは一つの土地に代々土地を受け継いで生活してきたことによる
現代のように人が移動するのか普通の時、先祖のことは考えなくなるからだ
先祖のことを考えないということは歴史的に長い目で社会を見れないことに通じている
今というときからしか何も考えられなくル、過去はそこには存在しなくなるのである。
その時ものの見方が浅博になってしまうのである。 
原発事故避難区域でもそうした共同体も丸ごと失われたのである。
するとその土地の歴史も断絶して喪失する、先祖がどう生きて何を残してくれたかも不明になる
その時先祖も死んで何もなくなったのではない、実は死者はその土地でも家族でも生き続けているものなのである。
でもそこに生きる人がいなくなれば死者もさらに二度死ぬことになる
そうしてそういう場所では死者も幽鬼のように彷徨うようになる,それは廃村化した村ではすでに起きていたのである。

この辺ではそれが大規模にそうなったのであり今まで経験しないような悲惨なものとなったのである。
津波の被害地でもそういうことが起きた、村ごとなくなれば同じである。
ただ津波だとまだ原発事故のように二万もいた住民が一斉にいなくなるようなことはなかった
だから原発事故の被害は計り知れないものだったのである。
ただその原因が放射能被害だけではない、そもそも昔からあった農村共同体の崩壊があり原発事故で拍車をかけて喪失してしまったと自分は見ている
だからこのことはどこの田舎でも現代だと起こり得る、村に人がいなくなり廃墟化して、土地は荒地化してゆくのである。
それを回復することができなくなるのである。   

この辺で起きたことも現代という時代を反映して起きたのである、避難して来た人が「私たちはここにきて回りの人も金を使って助けているのよ」こういうことは一見おかしいように見えてもそうではない,それは現代を反映しているからである。
消費者は王様だというとき金さえあれば王様なのである。その人が特別変わった人でもないのである。
都会では東京などでは田舎なんかインフラに金がかかるから俺たちの税金が無駄に使われるから田舎などなくてもいいと言う時もそうである、食料は外国から金で買えばいいとなっているからだ
江戸時代だともう食料はその土地でとれなければ飢え死になる、他から食料を簡単に得られないからだ
相馬藩が飢饉になっても伊達藩が援助しない、今ならかえって遠くの人が援助する

この辺では仮設に入った人たちを絶えず外部から来た人たちが応援し援助していたからである
肝心の仮設に入った人たちは毎日ギャンブルにパチンコ通いだったのである。
これも現代を反映した矛盾であり光景だったのである。
そして南相馬市は避難区域となった小高と鹿島に仮設に暮らした人たちとは補償金でもめて分断されて協力がなくなったのである。
小高の人たにすれば俺たちは困って苦しんでいるのに鹿島の奴らは何なのだ、情も何もないのか、遠くから来た人たちは同情して援助してくれるのに近くでも援助もしない、金のことで文句いうだけだとなっていたのである。
村が江戸時代のようにあればまず村人が共同しないかぎり生きていけない、今は金さえあれば共同はする必要ないとなる
だから一億円補償金もらったら若い人はみんな出て行って帰ってこないのである。
放射能の被害だけではない、こういう社会に生きているのだから何か万一こうした事故でも村でも市の単位でも崩壊することの見本なのである゜

百姓の力(江戸時代から見える日本)−渡辺尚志

この本はいい本だった,何かわからないことでもこうして本を読むと一気にわかることがある
これまでは田舎だとまず本が買えなかった、それで学問するには相当に不利だったのである。
仙台まで行かねばならないとなるとそれだけでもう学問できないとなる
今はアマゾンで古本がボタン一つで買える
それが安いから前より本を買っているのである。
今はインタ−ネットもあるから知的環境としては田舎が不利になっていないのだ
郷土史を研究するにも全国と連携できるからいいのである。

posted by 老鶯 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

権力の謎 (人の弱さから権力が生まれる)

権力の謎

(人の弱さから権力が生まれる)

権力がどうして生まれのか?暴力が権力になる、戦争で勝てば権力をもつということが人間の歴史だった、それは今でもある、暴力団がいるのは暴力で権力を持つからだ
でも権力は暴力だけではない,知識とかほかにもいろいろな要素で権力をもつことができる

例えば科学も権力の大きな要素である、ひめこが日食を予言して権力をもったというときとき科学の力で権力を持った、科学は権力を持つ大きな要素だから現代では科学技術社会となり科学者が神官のようになったのである。

なぜ仏教がこれほど栄えたのか?会津などでは異常に多いし薬師堂はどこでもある
仏教がこれほど普及したのは病気を治すことができないから神仏に祈ることになったためである
今でもなぜカルト教団がこれほどの人を集めているのか?
それもやはり病気が原因していることがある
直らない病気がありその為に神仏に頼ることになる
山伏とか法印とかは小さな地域に必ず一人くらいいた、その人の役目は何だったのかとなると病気を直す加持祈祷だったことでもわかる

なぜカトリックなどが権力を持ったのか?
これは科学技術ではない、神のことを司ることで権力をもった、天国に行くか地獄に行くかを僧侶が決めるとなれば当然それで権力をもつ
天国への鍵をもっているのは僧侶ではない、牧師でもない
ただそれをあるように見せていただけなのである。
カルト教団では成仏とかに異常にこだわるのもそのためである
それは日本でもそもそもなぜ奈良とか京都であれほど仏教が栄えたのか?
僧侶が権力をもったのかとなる
そのために信長は権力をもつ僧侶集団と戦わざるを得なかった

権力とは何かというとき様々な要素があるからわからない、権力を持つのが表だっては政治家が権力があるように見える、でも実際の権力は政治家にあるだろうか?
実際の権力は大企業にある、企業という存在は何かを産みだす力をもった集団である
東電だったら電気を産みだすから力をもつ、そこに検察から官僚でも天下りする
東電の力がどれほど大きいものだったか?
それは原発事故でわかった、その権力があまりにも大きいので小さな地域と自治体などつぶされるような巨大なものだったのである。

疑問なのはなぜ銀行とか何も産みださない作らないものが大きな権力をもつようになったのか?いくら金の世の中で金さえあればいいとなっても何も産みださな作り出さないものが権力をもちうるだろうか?
銀行でも今金を貸す先がなくなって窮地に追い込まれている
それは銀行が何も産みださない作り出さないからである。
企業なら何かを産みだし作り出して利益を出す、銀行にはそもそもそういうことがないからである。つまり金をもっていてもそれで何かを作り出すわけではない
紙幣はいくらでも紙なのだから作れる、それで豊かになるかといったらならない
金が何かを物を産んだり作り出したりしないからである
もしそうだったらこれほど楽な商売はないからである。

なぜ石工の団体がフリーメーソンが力をもったのか権力をもったのか?
それは城でも教会でも作る力をもっていたからである。
そして秘密をにぎるということもあり実質の権力を持ったとなる
だから何も産みださない僧侶とかが権力をもったというのがわからない
今になると僧侶はあからさまに穀つぶしだとされるからである。
ただお経を唱えているだけで何か役にたっているのか、産みだしているのかとなるからだそれは医療でも科学技術に頼るようになったからである。

理系と文系を考えると理系の人は何かを産みだし作り出している人たちである。
文系の人はそうではない、例えばマスコミにしても実際は何も産みだしたり作り出していない、車でも電気でも建築物でも作り出さてい、ただ口八丁で力をもっているともなる
だから実質の力は東電などの大企業にありそこから800億円もの金が宣伝費としてもらっていたのである。
文系は何も作り出さないということで批判されることもわかる
芸術関係だと美を産みだしているということはある、でも実質何も産みだして作り出していない、農民だって漁民だって食料を作り出しているとなるがマスコミが何か産みだして作り出しているとはならない

だから権力と何がというときいろいろな要素がある、医療関係では薬の会社が世界的に大きな力をもつ、結果的にいらない薬まで使用させられ巨額の税金が医療関係に使われるのである。何か恐怖をあおり効かない薬を飲まされたりされる
それは医者と結託していらない薬でも使用させられる
医者の言うことは聞かねばならないからそうなる
でもそれは実質的に病気を直す薬も産みだし作り出しているから権力を持つのである。

人間はなんらかの弱みを必ずもつ、すると権力をもつようになる
弱者化するとカルト教団がその弱さにつけこんで会員を増やすようにする
人間は悪質であり弱者化すると食い物にされるのである。
そういうことを自分が介護と病気で苦しんだとき経験した
助けるということは一切ない、ただその弱さにつけこむことしかなかったのである。

カルト教団でも政治団体でもそうした弱者を利用する、一見助けるようでもその弱者を利用して権力をもちたいだけなのである。だから権力を追求していることでは変わりないのである。権力をもつ立場にあれば役得があり利権も得られるからである。
だからこの世の中は変わらないのである。
なぜ変わらないのか?権力から脱することができないからである。
理想の社会は権力なき社会である。権力があるかぎりそこに必ず不正が生まれるし権力によって社会は歪められるからだ
かといってそんな社会はこの世に出現しないから絶望的なのである
だから権力というとき個々人の弱さから生まれているということもあるからだ
なぜなら個々人で病気にもならない、金にも困ることがない、何が困ることがない、弱みがなかったら権力も生まれないからである。

タグ:権力の謎

2018年06月19日

交通事故発生 (南相馬市鹿島区寺内)



交通事故発生

(南相馬市鹿島区寺内)

accident222.JPG

accident.jpg

レッカー車で白い乗用車が運ばれた
それは脇がへこんでいた

写真の車と衝突した
怪我はたいしたことかなかったらしい

毎日どこかで交通事故が起きている
それでデジカメをもって歩く必要がある

結局ボランティアの記者にもなっているからだ
今や一億総記者の時代に
タグ:交通事故
posted by 老鶯 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月17日

誰かが悪さをして自分が苦しむ (猫の尻尾が焼かれまた血が出ていた)


誰かが悪さをして自分が苦しむ

(猫の尻尾が焼かれまた血が出ていた)

誰かが猫にいたずらして尻尾を焼いた、一か月くらいいなくなったので帰らないと思ったそれが尻尾が焼かれて帰ってきた、血が点々とついて汚れる
一時収まったがまた血が出ている、そして家を汚すので嫌になった
何かこの猫は飼うつもりでなかったがいついたのである。

家族が介護になってから何かこうしてめんをとなことが次々に起きてきた
犯罪にもあい、事業に失敗した人が来て金を要求される
自分が苦しいときそうして次々に問題をかかえた人が来た
自分自身のことで精一杯なのに問題をかかえた人が来る

ある人は飲食店で賃金を払われなかったといいその分を自分が払った
その後畑をしていてもキジに食われた、モグラに食われた、虫に食われたとその度に
肥料だとか薬に金をくれといい、払う羽目になる

要するにこの災難つづきは自分が起こしたことではない、でも自分のカルマがあってそうなっているとあきらめた
でもそもそも猫の尻尾を焼いた人こそ重いカルマを負うべきだし猫を世話すべきなのである。
でもいつかその人もカルマを背負わされる運命にある
カルマとは行為であり悪い行為は必ず苦しみとなって現れるからだ

ともかく自分だけではない、なぜこうして家族でも親戚でも災いとなる人が必ずいて苦しむ、それはなぜなのか?
そういう事件は日常的に起きている,家族にそうした人がいると終わりだというのもそのためである。へたすると殺されたりするからだ
実際に兄弟姉妹でもそういうことあった、姉が優秀でも妹はだめだ、弟がだめだとなり殺人までになった
障害者をもって苦しんでいる人もいる

だからこの理不尽は何なのだろう?
悪いのは猫の尻尾を焼いた人であり自分ではない、賃金を払わなかった人が悪いのであり自分ではない,でも自分が払うことになった
猫の尻尾を焼いた人は誰かにそのカルマ(行為)を負わせたとなるのだ
借金した人もまたカルマだけど他者に負わせるのである。
実際他者のカルマによって何の罪もないのに殺されるという事件がある
なぜそうなるのか?それが不可解になる
それもやはり本人にカルマがあってそうなっているのか?

自分は家族がいたとき何かそうした災いとかにあっていないのである。
家族が介護になってからそうした災いが次々に起きてきた
それも終わったかと思ったら猫に苦しんでいるとなる
それはたいしたことがないにしろやっかいだなと思う
自分はペットを世話できる人ではない、ルーズだし自分のことをやるだけで精一杯だからである
家事もやらなければならないしいろんなことができないのである。

いづれにしろ人間は誰かのカルマ(行為)は必ず他者に及ぶ、悪るいことしたら当然だし善の行為でもそうである。
でも悪い行為は誰かが負い償わさせられるというのもどうしてなのだろうとなる
その行為をした本人こそ償わねばならないのだ
それはただいづれ否応なく償わさせられる、それがカルマだからである。
でも何の罪もない人がなぜ償わさせられるのか?
結局キリストが人々の罪をになった死んだというとき犠牲になったというときそのことかもしれない、何か猫とキリストは関係ないにしろそうかもしれない
人々の罪を背負って死んだとされるからだ

この世の災いはどこから生まれてくるのか?
誰かが悪をなす、それでその周りもカルマを負わされて苦しむ
だからこの世でいくら一人が罪を犯さないにしても災いを受けるのである。
災いから逃れようがないのである。
原発事故だって関係ないと所で飯館村とかで一番被害が大きかった
全然関係ないと思っても災いによって苦しみが与えられる
それにしても30年間はこうした災いが自分にはなかった
それは奇跡的なことだったかもしれない,ただその楽なことがカルマになっていたのである。

人間は生きている限り楽していても金をもちすぎてもカルマになる
つまりどう転んでもカルマから逃れられないのである。
それは死ぬことによってしかカルマから逃れられない
たかちいづれこの世は大きなカルマによって滅びるのである。
この世に天国など出現しない、なぜなら自分が罪がないように生きても回りがそうではない、そのために他者のカルマを受けて苦しむのである。
最悪はそのために殺されるとまでなっているのだ
〈地獄の道連れにしてやる)とか言う人がいるからだ
この世に災いは限りなくあり消えることはないのである。


失われた共同体を考える−(家族が共同体の基) (第3の経済を読む)


失われた共同体を考える−(家族が共同体の基)

(第3の経済を読む)

第3の経済

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金の切れ目が縁の切れ目である。しかし、共同体というのは全人格的に関わってくる関係によって成り立っている

今の事業、経営で一番問題なのは、志がないことである。志を失った原因の一つは、共同体、コミュニティの一員としての自覚がなくなったことである。

優秀な人材があれば、資金を出し合って中央の学校へも出したのである。また、有為な人材は、故郷に錦を飾る、あるいは、郷土に戻って働くことを誉れとした。医学などその典型である。

誰も他人のことを思いやらなくなった。そして、思いやるゆとりさえなくしてしまった。そして、他人と関わり合うのさえ厭(いや)になってしまった。親は子の世話をしなくなり、子は、親の面倒を見なくなった。それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになった。会社は、会社の都合だけで社員を雇い。社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなった。国に、国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れた。


このサイトで語られることに共感する、なぜ自分がこんなに今になり家族にこだわるのか?
現代ではもう共同体というのはないとこの著者も指摘している、家族も人間の基本的な共同体でありそこから故郷でも江戸時代の藩でも明治維新以降の国でも天皇を親として国民は赤子という国家を家として意識させたのである。
そして家制度を国家の根幹にしたのである。

なぜなら墓のことで考察したように江戸時代ではみんな個人墓なのである。
墓を持った人は侍であり侍でも特別な人なのである、後は僧侶であり上流階級しか墓をもてない、経済的にも墓を作ることは金がかかるからできない
でも不思議なのは明治以降に家というのもに共同体の基とした
しかし江戸時代の共同体は家族があったとしても村が共同体だったのである。
だから一見墓もないことは家族共同体もないのかとも見える
むしろ村という共同体があったから個々の家族の墓も必要なかったのである。
村の共同墓地がありこの辺ではホトケッポという所に埋められたからである。
個々の家族が墓になると墓は増えるばかりだが今になると跡継ぎとがいなとか墓じまいするようになる、江戸時代の村だったら村全体で供養するからかえっていいとなる
個々の家族だったら後継ぐ人がいなくなると供養もできなくなる、墓は維持できなくなるからだ、墓にも家族としての共同性とか村の共同性とかが関係しているのである。

現代は共同体がない限り生きていけない、自分がなぜ共同体のことを考えるようになったかというと家族がみんな死んだとき一人取り残されてしまった結果である
家族という共同体があって自分は守られて楽していたのである。
だから自分は何か社会の非情さを感じなかったし社会はいいものだと思っていたのであるそれが親の病気や介護や自分の病気で今の世の非情さを身をもって知った
そのことを延々と書いてきた、人間がこんなに非情なのか結局金しかないのかということだった、そんなことはみんなわかっているということはあった
しかし現実に自分がそういう苦しみを受けたとき具体的に理解した

今はどんな田舎だろうが都会と同じである。共同体は喪失しているのである。
拠(よ)り所となる共同体はもうない、その代わりにあるのは金だけである
金をすべての拠り所としている、だから金の切れ目が縁の切れ目になる
現代社会ではより冷徹に貫かれている
共同体とは何か?それはいろいろあっても家がその根幹にある、家族が根幹にある、
その波及したものとして会社があり国家もある、国家も家なのである。
だから江戸時代では会社がないにしろ店があったとしたらそこは家族形態として経営したとなる

家族共同体というとき血縁とばかり思っているが違う、血縁を基礎にしても結婚自体が別に血縁ではない、他人同士が共同生活することであり子供をもつことで共同体を形成することである。子供でも養子とかもあり養子でも家族共同体になる
ただ家族共同体になるとどうしても排他的になる、自分の家族のことしか思わない、他者の家族は敵対するものにもなる、家族の利益だけを考えればそうなる
だから実は家族共同体だけでは共同体は維持できないようになっている
会社に勤めればそこがやはり共同体ともなるからである
江戸時代の侍社会では御家大事でありその共同体を維持するために人柱となり死ぬ人もいたし強制もされたのである。

共同体というときそれがある期間を共同することではない、学校でも会社でもそれは会社でも長いにしても一期間になる、でも家族は祖父母がいて両親がいて子供がいてと世代の継続がある、そこにまた家の重み生じる、それは故郷とか江戸時代の藩とかでもそうである。先祖がいて死んだ先祖はその家に死んでも生き続けることがある
そこに家の重みがある、そのことは死んで母を思うということで短歌俳句の部に書いた
家族がみんな死んでそのことを痛切に感じたからである。
家族の共同性は時間軸でも継承されている,事業を起こしても会社でもそうして何か継続されものがない、トヨタでもあれだけ大きくても車が売れなくなればそれでなくなる
でも家族はなくならないのだ、それは物による紐帯ではない、精神的なものだからであるもちろん物質的なものとしても経済的なものしとても家族はありうる
経済的破綻すると家族も崩壊する、事業に失敗したりすると家族が崩壊する
それでも家族のつながりは依然として維持されるのである。

いづれにしろ今は家族でも共同性を失い、ただ金だけだとなる
それで原発事故で避難区域になった所はなぜあんな簡単に住むことが放棄されて残されたのは老人だけになったのか?
それは放射能も確かに原因しているがそれだけではないものを感じていた
なぜなら今一億円もらうならこんな田舎を出て暮らすとかいう若者が普通にいる社会である
それは若者だけではない、そういう人はやはり多くなっている
だからこそ多額の補償金をもらった人はなんの抵抗もなく故郷を出てほかの土地で新しい生活をはじめたのである。何か未練もないとなる、そのことは何を意味しているのか?
それももともと田舎でも共同性は失っている,昔のような村もないし共同体はない
ただ金だけを求める社会になっていたのである。

それでみなんで共同して復興しようとする意志もないのである。
一番働いたのは地元の人ではない、外から来た労働者でありボランティアだったのである地元の人は毎日パチンコでありギャンブルしていたのである。
それは現代を象徴している奇妙な光景だったのである。
身近な共同体は喪失しているが広域的な経済でありそれで外部からの援助があって生活していたのである。
地元の人が復興するのに働かない、その意志もなくなりただ外部の人にまかせきりになったのである。
そして地元の人は補償金をもらうことしか頭になくなったのである。
これもやはり現代社会でもともと共同体が失っていたからそうなったのではないかと考察した 

人間はいづれにしろ共同体無くしては生きられない、上野霄里(しょうり)氏でもあれだけ家族にこだわっているのもそのためである
社会から離脱する強烈なアウトサイダーでも家族という共同体にこだわりそこに自分の最後の砦としているのである。
現代はとにかくグローバル経済になってもそこには共同体はない、共同性はない、ただ金が動く非情な市場があるだけだとなる、共同体の中で金は動いていない
非情な金の市場の論理だけが支配しているのである。
家族共同体であれその延長したものに波及した社会で情が通うことはある
それは家族の延長として見るからである。
手伝いさんが家族の一員になると書いてきた
でもまた金だけの関係となりそれも一期間でその関係も切れる
金持ちの家でもお手伝いさんに家族のようにやさしくしてもそれを感じない
要するに金さえもらえばいい,もっと金が欲しいとなり盗めばいいとなるだけである。
そうして関係は簡単に切れてしまう、同じ田舎に住んでいてもそうである
そこには共同性がない、共同体ではないからである。
ただ金をやりとりする関係に過ぎないからそうなってしまう

金の切れ目が縁の切れ目である。しかし、共同体というのは全人格的に関わってくる関係によって成り立っている 

つまり侍の共同体は全人格としてかかわっている,だから白虎隊が城が燃えたというときもう終わりだとして自刀したのもそのためである。
侍共同体は全人格的なものとして一体だったからそうなった
金だけをもらう関係とは違うからである、そういう関係はやはり戦国時代から江戸時代を通じて社会が作られたのでありそういう社会を明治以降日本では喪失したから理解できないものとなったのである
今は全人格的にかかわり生きる場も共同体もないのである。
ただ個々人は金を求め金がすべてとなる、金をより多く持ったもの稼いだものが勝者でありそれ以外の価値は認めない社会である。
金でも共同体の中で稼ぎ使われるのとただ個々人が金を求めて使うことには大きな落差がある。
共同体の中で人格を育成すること共同体を維持して発展させることになると金だけがこれほど突出して猛威をふることはない、もっと高い価値にあるべき価値に金はただ下僕のように使われるが今はみんな金の下僕になっているから殺伐としているのである。
こいつから金をとればいい、後は関係ないという社会なのである。

posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年06月16日

スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


顔見せぬこの家の人やシャガの花

夏草やイタチめずらし顔見せ

忍耐の岩にスミレや母思ふ

我家に70年ありし母なりき死して思いぬその重みかな


家が何かと考えるとき前にも書いた、ホームとハウスは違う、ハウスはただの建物であり箱でもある、ただ日本では家というときまた別な感じになる
嫁の字を見ればわかる、女に家になっているからだ
家はホームという感覚である。家というときだから家に帰りたいというときそこは単なる建物だけではない、あたたかい家族がいる場所がホームなのである。
だから家族がみんな死んでいなくなった自分の家はホームがなくなったともなる

でも不思議なのは人間はやはり死んでなにもなくなるということはない、家には何か死者がまだいるという感じになる、母が死んで3年とかなるが生きているときその存在をあまり感じなかった、それは特殊な家の事情でそうなった
でも70年間家に尽くして働いてきた、それを感じたのは全部家事をするようになってからである。まず誰も自分のためにしてくれない、それで皿洗うを頼むと金をとられる要するにもう今は他者との関係は金しかないのである。
それで金の切れ目が縁の切れ目となる
そういう人は生きているときでも死んでからも何の関係があるのだとまでなる
そういう殺伐としているのが現実社会である。

では家はホームはそうした関係ではない、なぜなら金だけの関係ならその人が死んでも何にも思わないからだ、死んだとき心配するのは財産のことくらいである。
でも家族となると死んでもその家に家族に生き続けている
供養もしているし何か死んで重みが出てくるということもある
生きているときより死者のことを思うようになる
自分は生きているときは家事をして毎日食事用意してくれたことをなんとも思わなかったそれが死んでから65年間とかそうしてくれたことがありがたいことだと思うようになった

人間は家でもそうだし国とかでもそうだし必ずなんらかの犠牲の上に成り立っている
母も家のために犠牲になったという面はあった
国でも戦死者とかあり歴史をみれば犠牲になる人がいる
それで城を作るのに人柱伝説があるのはそのためである。
それは家でも人柱になる人がいる、犠牲が生まれる
母はやはりそうして犠牲になった女性だったともなるかもしれない
ただ自分の家に来てすべてが悪いことばかりではなかった
何かかよわいし世間を渡っていけるような女性でなかったからだ

ただ母の性格は忍耐強いということだった、派手なことはないが大人しいが忍耐強い性格だった、人はその性格もいい面と悪い面が必ずある
外交的な人間がすべていいとはならないのである、でも社会では外交的な陽気な人がどうしても好かれるし評価される
内向きな人は好かれない、そこにも大きな問題がある
営業とかでも必ずしも外交的な人だけが成功するとは限らない、内向きでも誠実な人が成功するということもある、外交的性格の人は人の話をしまり聞かないとこすがあるからだ
人間は死んですべてが消えるわけではない、必ず何かを残してゆく、残りつづける
母のことをあまり生きているときは思わなかったがやはり70年家にありつづけた重みを感じた、歳月が重みを生む、家というのはだから今生きている人だけ成り立つものではない、死者も家に生きているとなる
それは大きな国家でもやはり死者が生きていて支えるともなる
それが歴史の重みとなる、ただ人間は死んだからといってみんなそうして死者を思うことはない、ふしだらなでたらめな人生を送った人は死んでせいせいしたともされる
だから人生を軽んじていい加減に生きると死んでも何も残らないとなる

人間はやはり母から受け継ぐものが大きいのかもしれない、もちろん生きているときは母とか父でも嫌う人はいくらでもいる、自分もそういう面はあった
人間はどうしてもいい面と悪い面があるからだ
でも死んでから母を意識するというのも不思議である。
だから人間は死んですべてが終わるということはないのである。
後世まで影響してゆく,生きている時そこまで考える人はいないのである
だから自殺するとかするとそれが自分だけのことではなく周りの人にも特に家族に影響してくる、やはり人間の生というのは人生は自分だけのものではないからそうなっている
自分だけで終わればいいのだがそうはならないのが人間なのである。

忍耐の岩にスミレや母思ふ

この句にふさわしいのが母だったなとつくづく思う
岩にスミレが咲いているのを見かけるからだ
自分も性格的ににているから石とか岩と一体なるように詩でも書いてきたことでもわかる地味な性格なのである。そういう気質も受け継いだのである。
ただ人間は生まれつきですべてが決まらない、社会という場で人間は人生は作られるのである。天才というのは例外なのだろう、資質的に特別恵まれているからそうなる
でも普通は人生は生まれつきでは決まらない、人生をどう生きたかで決まる
ただ母というのはやはり子供の犠牲になるということもある
一方で逆に子供を犠牲にすることもある、母性はエゴだという人もいる
そう感じて肉親を嫌う人もいる,でもやはり70年家に生きて死んだという重みは死んでも残るものだなと思った

俳句というとき過去の思い出と結びつく、イタチは子供の時自分の家で飼っていたのだ
でも母が毎日餌をやっていたのだが慣れることはなく逃げたのである。
なぜイタチを飼っていたかというと皮をとって売っていたらしい
戦後まもなく何も仕事がなくそんなことをしていたみたいだ
そういうことでも思い出がありイタチが偶然草むらから出てきたので俳句にした
だから俳句はこうして鑑賞するにもその説明がないと鑑賞できない文学だと思う
それはあまりにも短いからそうなっている







2018年06月15日

野馬追いの旗は種類が多く由来がわかりにくいのか? (スコットランドのキルトのタータンとの比較− 南朝の霊山から落ち延びた武士はわかりやすい))


野馬追いの旗は種類が多く由来がわかりにくいのか?

(スコットランドのキルトのタータンとの比較−
南朝の霊山から落ち延びた武士はわかりやすい))


●スコットランドのタータンの由来

イングランドとスコットランド間では宗教・人種的な対立があり、ハイランダーたちにとっての"キルト"とは
 強大な権力をもつ中央集権へ対する反逆精神であり "アイデンティティー" を示す大切なものだったのです。

 決して「タータン・チェック」と言ってはいけません。。タータンは布地の柄というよりも、 氏族ごとに定められた家紋に相当する模様の総称なのです。

基本的に上下左右が対象になった連続模様で、 その連続する模様のパターンを「セット(sett)」といいます。

また、家紋に相当するといっても、 ひとつの氏族にタータンはひとつだけではありません。

 ビクトリア朝時代の「タータン熱」以来、特定のクランに属し、特定のクランを示す「クランタータン」はスコットランドのクランの重要な要素となっている。タータンの着用やそのデザインならびに命名は自由だが、クランのタータンを「公式に」定める権限は族長の仕事と考えられている。リヨン卿がそのタータンをスコットランド紋章院に登録したように、実際に族長がそのクランのタータンを登録した例もあり、これはタータンが紋章に並ぶクランの権威ある意匠であることを示している。


野馬追いの旗の種類が多くなぜ由来がわかりにくいのか?スコットランドのキルト、タ−タンとにているのだがまた違っている
ただヨ−ロッパの歴史と日本の歴史はにている、封建制があり城が本当に多いのである
日本も小さな城でも多いからだ、中国とか他でも城があったとしても性格が違うがヨ−ロッパの城は日本と成り立ちがにている
ただ城壁に囲まれてそこが市民共同体ブルジュアとなったのとは違う、burgとは城のことだからである。
ヨ−ロッパでは市の紋章があり市が一つの国を形成した、そういう歴史は日本にはないのである。

野馬追いの旗の系譜をたどると相馬氏一族の旗となるがなぜ旗の種類が多いのか?
それはもともと家族の家の旗に由来している
鎌倉時代のいざ鎌倉というとき自分の家の旗印をかがげて馬で集結した
そのときの旗印が家の旗印でありそれで手柄をたてて恩賞を賜るということで旗の種類が多いとなる,相馬氏一族の旗だったら一つでもいいはずだからである

スコットランドのキルトの紋様は部族に根ざしている、その部族の根拠地になった土地がある、土地に由来している
野馬追いの旗は相馬氏一族がこの地に移り住んで支配した
もともとこの地を支配していたのではない、後から征服したのである。
その前に館と地名がある所には在地の勢力があった、それで海側には泉氏とか磯部では佐藤氏とか協力な在地の豪族が住んでいたのである
それで相馬氏の進出経路で書いたように深野には館という地名が二つありそこには入れなかった、大原に進出したのである。
大原から小池から相馬市の方に進出した、相馬市には伊達氏の支配地ともなっていた

スコットランドの部族はもともと在地の勢力でありイングランドに支配されていない
もし相馬氏のようにスコットランドに入って来たら相馬氏の一族がスコットランドの地に部族に入り込み子孫となっていたからである。
それで相馬藩は相馬氏によって支配されたのだがもともと在地の勢力ではない
だから後から在地の勢力の中に入りその一族の人たちが郷士として土着したのである。
そこで姓も受け継がれその子孫が村を作ったのである。
ただもともとそこに住んでいた人は郷士の監視下に置かれたのである。
それで野馬追いの旗はもともとの地域に由来していないからわかりにくいのである。

A村B村C村の中に相馬氏の一族の人たちがはいりこみ土着した
その時の家の旗印がもちこまれたのである。その土地に由来するものではない
ただ村に入り込み土着したとき分家するからその分家した旗印はにているのである。
でもそれはもともとの村から発したものではない、スコットランドのキルトはもともとその土地に住んでいた人たちの部族に由来しているのとは違うのである。
つまり野馬追いの旗の由来はその村とか土地にないとしたらその由来は相馬氏がもともと支配していた千葉県とかになりさらに家の旗だから鎌倉時代にさかのぼりその旗印は関西方面にも由来しているのである。いろいろな家の人が相馬氏の中に組み入れられたからで知る。そこでその由来をたどることがむずかしくなっているのである

●南北朝の争いで霊山炎上して落ち延びた一族の旗はわかりやすい
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山王神社日吉神社の由来

山王権現日吉大社は、日本全国にある日吉、日枝、山王神社の総本宮で、東本宮に大山咋命(オオヤマクイノミコト)、西本宮に大己貴神(大国主神)が祀られています。

創祀は崇神天皇7年、およそ2100年前とされる。古事記に「大山咋神、此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあり、これが東本宮の大山咋命のことですね。で、ここに記されている日枝の山(ひえのやま)というのが比叡山のことなのですが、日吉大社が、元は日枝大社といわれていたのは、ここからきていたんですね。

、“神猿(まさる)”さんという神の使いの猿がいらっしゃいます。「まさる=魔が去る=勝る」として、魔除けの象徴となっています。境内地で2匹の猿が飼育されて、可愛かったですよ〜(*^_^*)

豊臣秀吉は、幼名を「日吉丸」、あだ名が「猿」ということで、日吉大社を特別な神社としていたらしく、織田信長の比叡山の焼打ちで焼けてしまった日吉大社の復興に尽力したという話です。

日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮。
比叡山の延暦寺は16弁菊の中に輪宝。或いは寺紋として単に「山」の印。
此れは日枝山王の神が大山くひの神であるからです。


南北朝の争いで落ち延びた武士が鹿島の真野に住んだそこに日吉神社がある
菊の紋は天皇に由来している、だから菊の紋は天皇の紋でありそれを利用しているのは南朝側であり山王とか王という旗もそうである。
霊山から落ち延びるとき今の玉野村で二手に分かれたからである。
山上と卒塔婆峠を通る道に分かれて落ち延びた、卒塔婆峠を通って落ち延びた武士は鹿島の真野の中館に住んだ、そこには日吉神社がある
それから鹿島村には只野氏一族が住んだ、その只野氏の先祖だった人が同級だったのである。
鹿島には只野、但野姓が本当に多い、その由来は郡山の多田野村から来ていたのである。只野氏の旗印は杉の紋でありその旗印があるのは只野氏由来のものである。
だからこの紋はわかりやすいのである。

それから山王とある旗印もそうである、王とあるのもそうだろう
例えば菊の紋で菊池とあるとき菊池氏は九州に存在して菊池という地名もある                          
肥後菊池に土着した勢力が菊池となり全国に散らばったし陸奥には菊池姓が多い
陸奥菊池氏も肥後菊池氏と同族で、建武の新政に関った人々の中に菊池一族も名前を連ねていることから後醍醐天皇の多くの皇子に伴って全国各地に散らばったとされる。
ただ菊池姓がいても紋は違っている、菊の紋ではない、別な紋である、ただ菊の紋は天皇に由来していて南朝である

野馬追いは旗祭りだというとき旗のことがわからないとつまらないと思う
誰でもなぜあんなに旗の種類が多いのだろうと疑問に思う
しかしその由来がわからないとつまらないとなる
旗とはスコットランドでもそうだがキルトはタータンはイングランドに対抗するものとしての土地のアイディンティティとして作られていた
とするとわかりやすいが野馬追いの旗印はもともと村に土地に根ざすものではない
この地を支配した氏族でありその由来をたどるとこの土地にはないとなるからわかりにくいのである。

ただ南北朝の争いで霊山が炎上したとき落ち延びた時の武士に只野氏とか桑折氏とかの姓は明確である。その子孫がこの地に増えて只野氏の姓が多いのである。
野馬追いは戦国時代に軍事訓練として始められた
それが伊達に対抗するためそうした、それを否定する者もいるが例えば北朝鮮に対して日韓で合同で軍事訓練をするのはやはり北朝鮮が攻めてくるとしているからそうなったのである。
スコットランドでもやはりイングランドとの対立でそれに対抗するための民族衣装としてキルトのタータンが生まれたのである。
なぜなら後でイングランドに負けたときその民族衣装が禁止されたからである。
民族同士の争いだとそういうことが世界で起きている   

●北郷鹿島村の旗印   
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北郷の行列(鹿島区)

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二本の矢から三本の矢になったのか?
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鹿島街内から出陣

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鹿島の一石坂を上る(鹿島からヒバリが原に出陣


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自作の菊の紋

鹿島村で顕著なのは杉の紋の只野氏である、只野氏については前にも書いた、それから菊の紋があるとき菊池氏がいる
それから桑折氏もいる、これらの武士は南北朝の争いの時鹿島に落ち延びた、日吉神社のある中館に住んだ
ただ鹿島村るも住んだ、それが同級生の只野氏だった、おつづら馬とういう荷物を運ぶ役をお浜下りの祭りで担っている重要な一族であり只野氏一族は鹿島に多いのである。

ただまぎらわしいのは戸川とあるとき川の字をとって旗印にしている、そういう旗印もほかにある
それから星が三本の矢になっているが菊池氏の紋は二本の矢だからここから波及したのかとなる
とにかく鹿島には南北朝の争いで霊山が炎上したとき落ち延びた武士の子孫が土着したということは明確なのである。
その旗印もわかりやすいのである。   

野馬追いの旗印をなんとか分類しようとするがむずかしい、でも野馬追いの旗は勝手に作って祭りに出れないというときそれは歴史の保存の役目を担っているからである。
なぜなら勝手に旗印を作って行列に参加したら訳わからなくなるからだ、その由来も混乱してくるからだ
それはスコットランドのキルトのタータンと同じであり正式に歴史的認められないものは許可されないのと同じである。
ヨ−ロッパでは紋章がありその紋章の由来を調査する機関もある、勝手に貴族の紋章が使えないと同じである。
ともかく南朝の旗印はわかりやすいから見ておくべきである。 




 菊池氏一族とは

 南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎

  (お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)  









posted by 老鶯 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

人殺し医療(ベンジャミンフルホードを読む) (巨大企業が現代社会を世界を牛耳る)


人殺し医療(ベンジャミンフルホードを読む)

(巨大企業が現代社会を世界を牛耳る)


>たかが〈肺炎〉で年間12万人死亡する疎の訳は

>どうしして肺炎が死因の第4位なのか

>実は肺炎感染につながっているのがいわゆる〈院内感染)である

知っている人が63歳くらいで肺炎で死んだ
肺炎で死ぬ人が多いことは確かである。
肺炎がそんなに怖い病気なのかという認識がない
癌ならあるが肺炎にはない、それも不思議である。

肺炎が院内感染だというとき自分も病院で40度の熱が三日くらいつづいて出た
何か病院は危険な場所なのである。
院内感染で耐性菌は抗生物質がきかない、そういうことも関係している

医療ギルドの形成

>すべての医療行為は「西洋医学」の傘下に組み込まれ西洋医学の価値館、考え方のみが>「正しい」とされそれ以外は非科学的で野蛮とされた

日本は江戸時代以降過度に西洋かぶれになってしまってこれまであった価値観を否定した、日本の場合それは極端なのである。
漢方とか蘭学とかあり医療をしていた伝統を捨てたのである。
一段低いものとして見るようになった
だからそもそも江戸時代のことがわからないのはこうして明治にすべて西洋のものが価値がありこれまであったものがまるで価値のないものとしたからである。
江戸時代と明治時代では歴史の連続性が絶たれたのである
その影響は非常に大きいと思う
それは別に医療の分野だけではせない日本文化全体の問題である。
例えば政治でもなぜ朝鮮とかアジア進出を吉田松陰などが明治維新の時に主張したのか?そのことが太平洋戦争に通じていたのである。
江戸時代では朝鮮通信使とかあって友好関係にあったからだ

また江戸時代は健康的な生活をしていたと指摘するときもそうである。
とくに現代と全く違うのは当時の人は怪我や病気に対して(完治)目指していなかった
まず日常生活に復帰すればらしとしていた病気と怪我とつきあいながらゆっくりと完治をめざす、これを(養成)とい

江戸時代だと今から比べるとあらゆるものが遅れているというふうに見る、ところがそれは明治以降に極端に変化して西洋化された結果なのである。
最近江戸がなぜ繁栄したかというnhkの番組で格差社会になったが金持ちの商人が米蔵まで作り貧乏人を助ける組織を作っていたとか江戸時代にはいろいろな日本人の知恵がありそれがあって明治維新もできたという、つまり江戸時代のことはあらゆることで劣っているとすりこまれてしまったのである。
だから漢方とか何か今まであったものがインチキ臭いとなる、それは自分にしてもそうなっている、だからそうした教育の洗脳は恐ろしいのである。
東洋医学はあったとしてもそれは補助としての一段劣ったもはのとしてしか見られていないのである。

それは日本でもあまりにも西洋一辺党になってしまったからである
だから日本の文化は明治以降歴史の継続性が絶たれたのである。
江戸時代がなぜこれほど日本に住んでいてまるで異国のようにわからなくなったのはそのためなのである。
だから自分は国風文化の再興を言ってきたのである
東洋でも日本の良さがあり伝統があり見直すべきだとでもそれがむずかしいのは日本にはそうした伝統的なものが失われてしまったからである。

過剰な医療が薬でもそれは医薬品会社と結びついている、それでいらない薬をうりつけてもうけていくる、それは世界的組織化して会社がもうける仕組みを作っている
それはフリーメーソン、石工の組織と同じだという、石工は城などを作るとして建築を受け持つから秘密に通じたりするからギルドとして力をもっていた
医師会のギルドは強固である、政治も従わざるを得ない、それは患者のためというより医師会のためであり医師会の利益のためであり医者の利益のためだとなる

それは他の会社ともにている、巨大な企業が社会をギルドと化して支配する
多国籍企業でもそうである、原発事故を起こした東電でもそうである。
もうそうした巨大企業に一自治体では対抗できないのである。
だから巨大企業が事故を起こしたりすると今回のように被害も甚大になる
それはそもそも巨大企業は政府とも政治化して結託しているからである。
それは医療の世界でもそうでありそれが世界の構造になっているからだ
アメリカが軍需企業と一体であり戦争を望んでいるというときもそうである
銀行だってそういう世界的システムの中で資本主義を支配するものとなる
現代は政治とか国の力は弱体化して巨大企業に多国籍企業に支配されているのが現実なのである。

それだ医療でも国民の税金の負担が膨大になる原因なのである。
もうその負担に耐えられなくなる,それはこうして医薬品会社とか医者とかギルド制となり過剰な医療をしているからである。
もちろん延命治療とかにはむずかしい面があるから一概に言えないにしても過剰治療で国が潰れるまでになっているのは
医療のギルド制がありそれは大企業でもあり組織化して無駄に金を使われて吸い上げられているともなる
それは個々の医者とか病院の問題ではなくそうした体制そのものにもあるとてるからだ



読書の方法

本の読み方としてこうしてパソコン通信のように答える作業するのがいい
ただ漠然として読んでいても読んだことにならないからだ
答える作業が必要なのである。それはフログなどでもそうである。
何か自分で答えてゆく作業が必要である。
そうしないと実際は読んだことにはならないのである。
なぜなら膨大な本があってもただ積んでいるだけだったとなるからだ

本は自分の文脈の中で取り入れ消化するべきものなのである。
だからネットでこうして書けるのがいいのである。
自分がこうして書いているのは書きながら考えるということがある
だから書くということは理解するのに効果的なのである。
それで読んでくれる人があるということはまた励みにもなる
自分はこうしてこれだけ書き続けているのはそのためなのである。

2018年06月14日

AIで抽象画は作れる (でもAIは抽象画を鑑賞できない)


AIで抽象画は作れる

(でもAIは抽象画を鑑賞できない) 

Abstract painting can be made with AI

(But AI can not appreciate abstract painting)    

perpleseadepth.jpg

これが変化したものが下の抽象画である

What this changed is the abstract picture below
↓↓↓↓

mashine11122.jpg
powerful mashine

moutconst11122233.jpg

enlarge

windline1.jpg
wind

flamereddd123.jpg

flame

抽象画がAIで作れる、なぜならだいたいソフトの三つくらいの操作でできやすいことがわかった
それは創作ではない、ただ機械的に一つのソフトでも三段階の過程を経てできやすい
でも百回捜査して変化させてもできないこともある
何か抽象画ができるのは全くの偶然なのだ

頭の中で画家がイメージして作るのではない、何もイメージしない
機械がソフトの操作で作り出す、それをみてこれは川だ山だとか今回は機械だとみる
でもAIがコンピュターが作りだたとしても作り出したコンパトシティ自体は鑑賞できない,どの抽象画が優れているのか、その抽象画が何を意味しているのかわからないのだ

私の作った川とかの抽象画でもそれをコンピュターは川と認識するのか?
この抽象画は何を現しているのか?それがわからないものがある
抽象画はそういうのが多い,ではそれを見た人がどう鑑賞するのかとなるのだ
どうしても自然の中にあるもの、自然の中から生じるものとしてイメージする

ただ不思議なのは一番上の抽象画が機械に変身する、変形するとそうなる
でもこれが明らかに機械に見えるのである。
これは全く私自身がイメージして作られていないのだ
全く偶然の結果なのである。
でもこれは明らかに機械に見える、抽象画でも何かわからないと鑑賞できないということがある

ともかくAI化されて抽象画は現実にソフトで大量に生み出される
でもその中から選び取るのは人間である。コンピュターにはできないのである。
つまり川とか山とかなんでもそうだがイメージとして像として人間は頭の中に蓄えられている、それで判断するのである。
そういうことがAIにできるのかとなるとできないだろう
医療分野では癌の映像を大量に見て判断することはできるが
一つの抽象画を鑑賞することはむずかしい
ただ川でもこんなに多様な姿としてコンピュターのソフトの作用で現れたことに驚いているのである。

Abstract painting can be made with AI, because it turned out that it is easy to do with about three operations of software
It's not a creation, it's easy to go through a three-step process even with just one piece of software mechanically
But there are things that you can not do even if you investigate a hundred times and change it
It is quite a coincidence that you can do something abstract

I do not imagine like a painter in the head, I do not image anything
Machine produces with software operation, seeing that it is a river mountain and this time it is a machine
But I can not appreciate the work produced by the computer even if it is made by the computer, AI do not know what abstract picture is better, what the abstract picture means

Even the abstract paintings of rivers I made make it recognize it as a river?
What is this abstract picture revealing? There is something that I do not know of
There are a lot of abstract paintings, so how will those who saw it appreciate
I will imagine what is in nature absolutely, what arises from nature

The mysterious thing is that the top abstract painting turns into a machine, when it transforms it becomes
But it apparently looks like a machine.
This is totally myself imagined and not made
It is a coincidence result.
But this is clearly visible to machines, there are times when you can not appreciate that you do not know anything about abstract paintings


In any case AI is created and abstract paintings are produced in large quantities in software and in reality
But it is human beings to choose from among them. It can not be done to the computer.
That is, human beings are stored in the head as images as rivers and mountains, whatever they are, so judge it.
It will not be possible if AI can do such a thing
Although it is possible to judge a large amount of images of cancer in the medical field and judge
It is difficult to appreciate one abstract picture
I am surprised that it appeared with the effect of the computer's software as a diversity in the river.
タグ:mashine

相手を見て商品をすすめないのは誠実 (銀行はただ投資信託をすすめることしか頭にない))


相手を見て商品をすすめないのは誠実

(銀行はただ投資信託をすすめることしか頭にない)

スマホをやろうとしたがやめた、自分はパソコン20年とかしていると説明しても
実際は携帯もほとんど使っていない、遠出しないし旅にも10年くらい出ていないからである
だから携帯も最低の月2000円のでしていた,ただソフトバンクのはつながりふにくいauはつながりふすいということで聞いてみた

ケーズ電気でも聞いてみた、そしたら女の人がしない方がいいと言ったのでやめた
普通なら金になるのだからすすめるがすすめない
何か自分の話を聞いてこの人はスマホはしない方がいいと判断したのである。
前にもそういうことでしない方がいいと言われてやめた
パソコンでしているから必要ないと判断したのかもしれない
それとどうしても毎月5000円くらいかかるから無駄だと判断した
契約をとれば店の利益になるのにすすめなかったのである

かえってそのことがケーズ電気でもほかの店の人も誠実だなと思った
実際自分にしてもスマホは今は旅もしないし必要がない
やはり二年間くらい契約するから途中解約がむずかしいからすすめないということがあった、それは対応が誠実なのである。
とにかく契約をとればいいんだというのではない、相手をみてすすめないのである。
相手の話を聞いてすすめないのである。

一方で銀行では投資信託を強引にすすめる、それは客のためではない
銀行のためであり自分の利益を優先してそうなっている
とにかく契約すれば手数料が大きいのである。
その後も手数料が入る仕組みになっている、銀行にとっては損しないのである。
銀行は今窮地にたたされているから投資信託をすすめる
銀行は金を貸すの商売だけど貸さないと批判される
実際銀行でいくらでも金を集めても有効に使えないとする銀行に金をあずける意味があるのか?それは貸金庫なのかとなる
銀行でもうけを出せないということがあり金をただ集めてどうするのか?
銀行が社会でどういうい役割を果たすのか?それが問われている

客のことを考慮しないで投資信託をすすめる、それは銀行では絶対に損しない商品だからである。手数料が確実に入る銀行が得するものなのである。
家電の量販店の人はスマホを相手を見てすすめない,銀行では相手など見ていない
考慮していない、ただ投資信託を売ることで契約をとることである
だから株が上がったのに投資信託に回したのである、そのままにしてた方がよかったのである。銀行は不誠実である
ただ自分はそのとき銀行にまかせたのである。
でも銀行が投資を知っていると思ったし時間がないからまかせたのである。
いちいち調べるのが手間だからである。それが仇になった

ケーズ電気で相手の話を良く聞いている,若い女性だけど落ち着いて聞いていたのである銀行では相手の話を聞かない、ただ頭に契約をとることしかないのである。
それはノルマが課せられているからである。その重圧がありもう客のことを考えないのである。話でも聞かない、まず投資信託をすすめて手数料をとればいいだけなのである。
それも銀行は投資のことはほとんど素人と同じレベルだったのである。

結局個人的に余裕がない人は相手の話など聞けない、相手の身になって聞けない
追い詰められた人はただただ自分が苦しいことしかないからだ
そういう人が自分が病気で介護の時来たから最悪だったのである
要するに自分のところに来た人はそうして余裕がない人たちばかりだったからひどいめにあったし損もしたとなる

営業とか医者とか介護士とか人と直接接する人は相手の話を良く聞く、相手のことをしる必要がある、相手と通じ合う必要がある
これはなかなかむずかしい、相手のことを知るにも話を合わせるにもみんな違っているからむずかしい、だからトラック運転手は同じトラック運転手と話が合うし同じ仕事をしている人はその仕事で同じ経験しているから通じあわせやすいのである。
自分も工事現場で働いたから危険なことを知っているから話を合わせるとなる

結局現代は職種が無数に増えて他者のことが理解できなくなったのである
江戸時代ならみんな農民だとすれば理解しやすいしやっていることがわかる
これだけ職業がふえるともう理解できない、何しているかもわからない
だから現代は意思疎通がむずかしい時代なのである
そもそも銀行の仕事は本来何なのかということもわかりにくいのである
地銀は地元の中小企業を育てるために金を貸すというけどそういうことを具体的に理解することが経験ないものにはむずかしい
銀行は今どういう役割を社会でになっているのかもわかりにくい
銀行とか証券会社とかは理解しにくい、それは虚業なのかともなる

頼母子講などはわかりやい、相互扶助の組織であり銀行の基になっていた
江戸時代だと人間のしていることはだいだいわかっていたのである
代々後継いで仕事していたし農民だったら農民が集まり代々暮らしていたからである
そこで人心も安定していたのである,それで江戸代の日本人はいい顔していた、幸せそうな顔していたと外国人が見ていたのである
それは相手のことをとにかく誰でもわかりあえるという社会だったからではないか?
今はわかりあうことが難しい社会なのである

いづれにしろ現代はいらないものを多量にすすめられる時代なのである。
医者にしてもいらないくすりをすすめる、それで金になるからだ
でもそのことで医療負担も増えてくる
いらないものはすすめるべきではないし売るべきではない、現代は多くのいらないものをすすめられる社会なのである。
いらない需要が宣伝も作り出されて買わされる時代なのである。
だからすすめないということがかえって誠実になる
売らないということが誠実になる、でもそうなると売れないから商売あがったりだともなる、経済が停滞するとなる、無理に売らねばならない,買わされるのは会社でもうけるために強制されるからである
需要というのは自ずと生まれるのであり強制するものではない
そういうことを言う人がいた

医療自体が本当に病気でないものまで病気にしている、つまり無理やりそうして医療で需要を作り出して患者にして医療関係者もうけているとなる
強制的に医療でも患者が作られているという側面があるのだ
なにかすすめないということも現代では必要である。カルト教団なでも勧誘して会員にするためにすすめる
ところがそのすすめることが社会悪になっている
裏で信者を操作している、背後に韓国とかアメリカがかかわっているのではないかとも疑われる
今や現代ではなんでもすすめる時代であるがすすめないということが社会悪にならないともなる
それは何も成さずして成るとかの老子の思想に通じているのである

posted by 老鶯 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

鉄道俳句(3分5分とまる駅) (鉄道は人間的なものとして愛着がある)


鉄道俳句(3分5分とまる駅)

(鉄道は人間的なものとして愛着がある)


(逢隈(おおくま)

蝉の鳴く三分とまる電車かな

(亘理駅)

亘理駅車窓に一羽秋鴎

(山下駅)

通勤の人や菖蒲の列をなし

(新地駅)

蛙鳴き5分とまりて夏の月

月照らし5分とまりて虫の声

新地駅二本の木植え冬の暮



タンポポや一挙に遠く新幹線

暑き日や鉄路はつづく旅路かな

駅の名を一つ覚えて春の雲

雪うもれ乗る人数人小国へと


鉄道の旅が長いから鉄道には思い入れがある、鉄道に勤めた人も思い入れがある
人間は何であれそこで長い間働けば勤めればそれが人生だったとなるからだ
高倉健の「鉄道員」はそういう映画だった、最後は北海道の辺鄙な駅でしんだ
そして遺体は一両の電車に乗せられて真冬の雪の北海道に消えた
そのシ−ンがまさに鉄道とともに生きた人間を表現していたのである。

鉄道でもいろいろ興味の対象がある、車両とか機械に興味を持つ人もいる、マニアックな人もいる、
でもいくら機械が発達しても便利になってもそこに人間が生きているということを見るべきである。
この世界は機械がロボットが生きる場所ではないのだ
人間が生きる場所であり人間のドラマなのである
だからかえって辺鄙な駅で一両の電車が来るような所が人間的になっていたのである。
この辺で一時原町から相馬市の区間しか電車がはしらなかった
そのとき二両の電車でありそれがが人間的になっている、人間に見えたというのも不思議だった
時雨がふったりしてもそれが人間に見えたのである
ところが四両になるとそうはなりにくかった、6両になると余計にそうなっていたのも不思議である。
それで一両の電車はまさに人間が走っているように見えたのである
とことこ走ってくる姿は人間そのものなのである

何か駅は送り迎えしたりする場であり人間的な情がしみこんだ場所なのである
それが車の道の駅とは違う、そこに出会いとか別れもあまり感じないのである。
見送りで迎えるというものではない、駅には常に人が出迎え別れる場だから人間的な情がある

駅はまた必ず10分でも待つ場所なのである。その待つことで人間的なものが生まれてくる、道の駅では待つことはないのである。
そういうふうに鉄道は120年とかそうして人間的場として機能してきたのである。
だからこそ鉄道を廃止させたくないというときただ便利でなくなったからというだけではない、そうした人間と一体化したものがなくなることが淋しいのである。

それで新地駅が津波の後に新しくなったがその前の駅の方が人間的だったとなる
仙台から帰る時必ず5分停車するのである
その5分が人間的なものにする,ホ−ムに出ると海が近く津波の前は集落があって屋根が見えた、そこでカエルの声とか虫の音とか聞いていた
月が上って照らしてもいた、要するにその5分とまることによって自然を感じていたのである

それは阿武隈川をわたる手前の駅の逢隈(おおくま)駅でも待ち合わせのために3分とまる、すると蝉の声がそこでひびくのである。
こういうことは車で経験しにくいのである。
ともかく人間はなんでも自然が反映することで情緒が生まれる
東京となると地下鉄とかなると何にも自然が反映しない、そういうのは便利でも嫌だとなる、だからもう自分は東京には行きたくないのである
人ばかりで嫌になるからだ、ただ大江戸線ではトンネルをぬけて隅田川に出て公園になっているとこすは開けた感じで良かった、隅田川のところはまだ自然がしるからだ
百羽の鴎が群れていたことでもあそこは自然がある場である

自分は鉄道には思い入れがある、だから駅でもボランティアするようになった
要するに自分は鉄道が好きなのである。鉄道というときメカだけではない、何か人間的なものが鉄道にはあるからだ、今駅に行って人と会って話したりするものそうである
そこは広場とか出会いの場でもあるのだ
高速のSAがセディティは人で賑うが何か人間的ではない,ただ人がちょっと休憩して去るだけだと感じてしまうのである。
だから高速と鉄道はかなり違ったものなのである




タグ:鉄道俳句

2018年06月13日

米朝会談は成功したのか? (国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)


米朝会談は成功したのか?

(国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)

米朝会談にくいて武田邦彦氏は平和に向かっているからいいではとないかと指摘しているなぜそんなに水をさすような破断を望むようなことを言うのか?
アメリカでもトランプを批判する人たちがいる
一方的に妥協させられたのだとアメリカは損しただけだとアメリカのマスコミでも騒ぐ
日本でもそういう人たちがいる
アメリカと北朝鮮は一触即発の方がいいという人いる
アメリカは攻撃することを期待していく人達もいた

ネットだとそうして無責任にあおって面白がっている人たちがいる
それが現実に戦場に送られたり面白がっていられないのである。
つまり北朝鮮がアメリカに爆撃されて焼野原になっていいというならその人も戦場で戦い死んだり傷つくべきだとなる
ただ無責任にあおるのは自分の身に直接ふりかかってこないからである

武田邦彦氏は右だけど北朝鮮が爆撃されて焼野原になった方がいいというのも過激な右なのである。でも武田邦彦氏は必ずし右とはなっていない
右はこんな言い方をしない、北朝鮮を信じてはならない、爆撃しかないと言っているからだ
右にも実際はいろいろある、一つではないのである。
心の青雲の都築詠一氏もそうだった、死んだけど昭和天皇をあれほど批判するのか?
それも右だとすると理解しかねるものがあった、だから右でもいろいろあるのだ
第一右だ左だと分けることはできない、右でも左でもあることには同意するし同感する
原発には自分は反対でも賛成する人もいる,でも左は原発反対であり反対でない人は話し合うこともできない、受け入れられないというのもおかしいのである。

日本でも外部から国際的に公正にみれば戦争で原爆で悲惨なことを経験したがそのあとはアメリカに守られて冷戦の中で得したのである。
鉄くず拾いした子供の時を書いたがソレで財を成したのが和歌山の野崎氏であった
朝鮮戦争があり日本は特需で復興したのである
朝鮮戦争で鉄でなんでも日本から調達することで復興した
でもそのとき朝鮮半島は分断されたのである。民族は分断されたのである
それが冷戦が終わってもそうだった、北朝鮮は経済発展からも取り残されていたのである北朝鮮は忘れられていた国にてっていたのである
それで核をもちだして世界にその存在をアピ−ルしていたのかとなる

日本は戦後高度成長できたのはアメリカに敗北したが守られていたということもある
自立して守るということはなかった、それで経済だけに専念して高度成長を遂げたのである、ベトナム戦争でもそうである、日本はここでも特需がありベトナム人が苦しんで死んでも関係なく経済に専念して成長できたのである
そういう歴史的カルマを国は個人と同じように持っているのである

ただネットでは常に過激な北朝鮮でも批判しかない、それも一理ある
でも日本にもそうしたカルマがあることを言わないのである
もちろん慰安婦問題などは過剰であり韓国にも問題がある
そういうことは日本では受け入れられないのである。
そういうことはしこりになってただ反駁しあうだけだとなる
韓国でも北朝鮮でも常に日本を標的にして陥れるだけだとなっているから徹底的に対抗すべきだかとなる
それはdarkness tigaでもそうである、徹底して対処すべきとだと絶えず主張している
同じ右でもこのように違ったいるのである

自分にしてもイラク戦争を見ているあのように一方的に難癖つけて戦争するのは疑問だった、そこでアメリカには不信だったのである。
アメリカでは軍需産業が盛んだから武器を売る会社が戦争を欲しているという
トランプはその軍需産業の会社と距離を置いているという
それでその方面からの批判があるのか?マスコミも軍需産業の息がかかっているから反対するのかとなる
だから反対する声が大きくなるにはマスコミが利用される、どうしたら大きな声なるかというと依然としてテレビでありマスコミがまだその力をもっているからだとなる

ただ冷静に見るにはやはり右でもいろいろあり見方がある
その多様な見方がで可能になった、その都度テレビの様にリアルタイムで放送されるのが強みである。
ただユーチューブでも何百チャンネルも千チャンネルとかあると見切れないんとなるのも問題なのである。
そうなるとやはり人気がある人は読まれがある人は読まれないとなり選別される
ただマスコミとは違って独特の意見を言いやすいのである。
でも見られるのは和歌山ドンファン事件とかに注目が集まる
そこでは見る人が何十万とか百万人にもなっていたのである。
それだけ注目されるのに見る人が集まるのはマスコミと同じだったのである。

とにかく一触即発から平和に向かう作業はいいことでありこれを否定するとまた悪化するどうせ裏切られるだけだと右の過激派が言うときそうなのかとも思う人はいる
でも戦争を回避する方向に向かっているのだから日本でも後押しすべきだとなる
ただ右の強硬派はアメリカ軍が撤退すると日本が危機にさらされるとして反対しているのだろう、それも確かにある、常に日本は反日で批判されているからアメリカ軍が撤退すれば中国が韓国が北朝鮮が一体となり攻めてくるという恐怖におののいている
だから中国でも韓国でも北朝鮮でも過激な敵対感情を抑制すべきだとなる
でもそれができないから日本は断交すべきだとしている

そうなるとやはり敵対がエスカレートするだけだとなる、北朝鮮でも経済援助を受けるとそれなりに融和してくるのではないか?
ただ拉致問題は解決していないから問題である。
日本も戦争で悲惨な目にあったのだがやはりカルマがあり朝鮮半島が分断されたけど日本もそうなるところだったのである。
朝鮮半島は大国の対立の中でシリアのように犠牲になったのである
そういう点では武田邦彦氏の意見に同調するのである。
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高齢化社会で車に乗らない人が増えている (電車とかバスの利用も必要になる)


高齢化社会で車に乗らない人が増えている

(電車とかバスの利用も必要になる)


その人とは良く駅で会う,この前は仙台の方に温泉巡りに行っていた
その人は大型トラックの運転手だったのである
東京にトラック運送していたのである
でも運転したくないと言ってやめた
そして自転車を買っていたのである

トラック運転手となるとぐったり疲れて一日働くと後二三日働くことができないとか言っていた、前にもトラック運転手にあったことがある
その人も同じようて仕事をしていた、それで水戸街道とかのかとを良く言っていた
標識のことをよく言っていた
その人も今は仕事はしていない,何か孫に金をふるときだけ喜ぶんだとかボケたようなことを言っていた

これでわかることは田舎でもトラック運転手が多い、田舎だと農業のように思うが実際は違う、農業だけで食べている人はわずかである、一割にもみたない、
つまり金にならないからだ、その人は今は温泉とか回りで金回りがいいみたいだ
もうトラック運転手で根詰めて働いたから車にも乗りたくなったとなる
それがやはり老人になると同感する

自分は遊びで旅行していただけだけど何かふりかえると旅行も乗り物は疲れるなと思った電車だって長く乗ると疲れるしバスは一番疲れる、自転車旅行はもう最高に疲れる
それ以上に疲れたのが登山だった、だから登山は早い時期にやめたのである
そして自分も今は乗り物にも乗りたくないとかなった
旅に行きたくないというのも不思議である。
それは介護十年して気力が喪失したのである

だから老人も働けというけどできない、その人は十分に働いたからである
だから老人も働けというのは酷だともなる、それはみんながそうではない、自ら遊んでいるのも良くないとス−パ−で掃除している人もいるからである
ただ事故で死んだ人もいた,やはりなれないところだとどうしても反応が鈍くなるからどうしても危険になる
なぜ原発避難区域で復興できないかというと残るのは老人だけだからである
老人はこの人のように十分働いたからである。

確かに80過ぎても90でも運転する人はいる,でもこの前も80歳の女性が危ないからと運転をやめた
その人も駅に電車を利用してきていた
つまり高齢化社会はこうした車を運転しない人が増えてくる
すると鉄道とかバスなどの交通の便が必要になる
車というのはいくら老人より若者が事故の割合が多いとしても負担になるからだ

老人向きの社会は車社会とは違ったものとなるのだ
老人に向いた社会は住みよいのは田舎であるが田舎は交通の便が悪い
そこが問題なのである。車なしだと暮らしにくいからだ
電車も利用するのだが駅からの足となるものがないことが最大の欠点なのである
ただイオンのように郊外でなく駅の回りにあると便利なのである。
そういう駅中心に老人も住める街を作った市もある
原町クラスの街ならできるが一万くらいだとできない
コンパトシティである

駅は鉄道を利用しなくてもこうして人が集まり情報を交換するのにいい
その人はスマホをもっていてドコモのがいいと言っていたので自分も聞いてみようかと思った
自分はこうしてその人が何をしたかと聞くのが楽しいのである
それが一つの郷土史にもなるからだ
前は馬車の仕事をした人にも出会った、ただなかなか気軽には話せないのである
駅のような場だと外からの人でも話せることがある、それが面白いのである。
何か老後の楽しみとはいろいろあるがこうしていろいろな人と話すことが面白いとなる
ただその人は話しやすい人だからできた、気さくな人だからできた
ともかくあの人とは駅では暇だから会うのである
何かそうして老人は暇でありそういう人が集まる場が必要になる
その一つが駅だともなる

楽で終わらない人生 (苦は楽の元)


楽で終わらない人生

(苦は楽の元)

その女性は5歳まで娘と一緒に生活していた
でもその家に厳しい姑がいて家を出たのである
その事情はわかる、その姑は普通の人ではなかったからである。
それで自分の母親が継母になったからひどいめにあった
ただそれなりに気丈夫で家を支えたということはあった

それで家を出たというのも理解できる、でも家を出て苦労したかというとしていない
金持ちの家の後妻に入ったのでずっと楽していたのである。
そして認知症になったとき頼るものがなくその5歳の時別れた娘に頼ってきたのである。認知症なる前に頼ってきてその後に認知症になった
施設に入れたのは金があったからである。
地位ある人の後妻になったからである

でも長い間5歳の時別れた娘とは会ってもいなかったのである
その後娘は新しく嫁に来た女性に育てられた、その女性はずっと母親になっていたのである。でも何か理由がわからないが反発してその母親にもひどいことをした
病気になったとき放置したのである
ただその病気になってすぐ死んだから良かったのである。
介護などとてもできる女性ではないからだ
その育てた母親は「ひどい娘だわと最後に自分に言って死んだのである。
自分の家でもその娘の母親とは家とはうまくいっていないからそうなっていたことに意外だったのである

それが自分の母親が病気になったとき
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」
と血相変えて去って行った
それでその女性の異常性に気づいたのである。
自分の家の場合はいい関係でないからしかたがない面があった
でもなぜ一番長く母親としてあった育ての親にそこまでするのか?
別に愛情がないのでもない,ただかわいがりすぎて母親の意のままにしたということで反発したとかはあった
でもあまりにもひどすぎたのである。
何か異常化した人間の心まで失った人に見えたのである。

こうして実の母親は娘に頼ったが後妻に入った家の子供と財産争いになっている
後妻の家でも子供は金にしか関心がないからだ
そういう状態でもう誰も金しか関心がない,それで認知症になっているからしょっちゅう電話来るとこぼしていた、自分は何も介護などしないがそこで苦しんでいる
なら自分は何もしないで施設にあずけて金さえもらえればいいと思っているからだ
実の母親でも全く愛情がないからである。

結局このように人生の最後にその人のカルマ(行為)の総決算を強いられる
それは自分でも書いてきたがそうだった、青年時代は20代は苦しんでいた
それも強いられたのではなく自ら苦しみを求めたともいえる
若いうちは望んでも苦労しろとかかわいい子には旅させろとういのは今もそうである
若いとき楽して高い地位についたりしたら傲慢になってしまう
なんらか傲慢さを打ち砕かれないと人格形成はできないのである。

ただ30以後は旅ばかりしていて楽したのである。
楽することもカルマとなっていたのである。
金あることもないこともカルマとなる、楽することもカルマとなる
社会性の欠如もあり七転八倒したのである。
介護で自分も病気になり誰も助けてくれないという苦境にあった
そういう時来たのは犯罪者とか借金に苦しむ人とかこの女性のような異常な人だったのである。それもつくづく自分のカルマだったのである。
だから自分はそのことについてひどいめにあったが恨んだりしない
人間はなんらかで苦しむのもカルマなのだ、それはもう逃れられないのである。
生きている限りカルマがある、そのカルマの故に苦しむのである。

ともかく人間は楽では終わらない、どんな金持ちでも恵まれていてもその恵まれたことで後で苦しむことになる,金持ちの娘が社会性がないとかで財産をとられたとかあった
それも社会性がない社会でもまれていないからそうなったのである。
自分も社会性が欠如しているから苦しんだのである。
旅ばかりしていては社会性は身につかないからである。

若いときは苦しむのはいい、また肉体的にもきついことは若いときしないとできなくなる登山などは特にそうである。海外旅行だって自分は50歳ではじめたから苦しんだのである。
大学で武道部に入って苦しんだのも良かった、体力がないのに良くやれたなとふりかえるそれは体力なくても若いということでできたのである。
若さはそれだけのことを成すということである。

ともかく苦は楽の元なのだ、苦しまないものは後で必ず苦しむ、それは人生の公式のようなものである。自分の母親は大正生まれで苦労の連続だったけど最後は百歳まで生きて楽に死んだ、眠るように死にたいと口癖のように言っていたが実際にそうして死ぬことができたのである、最後だけは願いがかなったとなる
それは苦労した結果として最後に神様が楽させてくれたともなるのだ

人間はだから楽ばかり求めるのも問題なのである。
原発避難区域とかで復興できないのはもう楽しか求めないからである
それは時代であるがそのために復興などできないのである。
一方であまりに苦労ばかりていると自分の母親のように庭はいらていと何にも興味もない人になってしまう、それも問題なのである。

ともかく人間には時代が変わっても変わらない教訓がある,それはことわざとしても活きつづけている

(鉄は熱い内に打て)(楽は苦の種)なのである


2018年06月12日

団塊の世代の少年青年時代の変化をたどる (戦中派とは違う団塊の世代)


団塊の世代の少年青年時代の変化をたどる

(戦中派とは違う団塊の世代)

90歳くらいの人はまだ戦争を経験していることがある。
18歳だと志願兵になった人がいたからである
それから小学生10歳くらいまでは戦中派である
子供心にも戦争を経験して空襲にあったり疎開したり苦労している
戦中派はギブミーチョコレートの時代でもあった
それは戦後5年くらいが進駐軍がきてそうなっていたが
誤解しやすいのは団塊の世代がそういう時代を生きたと思っていることである。

ギブミーチョコレートの時代は団塊の世代ではないしそういう経験をしていないのであるただ小学校で脱脂粉乳のミルクなどを飲まされた時代である。
何もないときに育ったのである。
家には飯台一つであり裸電球があるだけだった
それはみんな同じでありそこでまず物がそもそもないのだから贅沢しようがないのである買うにもバナナは売っていない,バナナのたたき売りとかあっても秋市とか特別な日にしかないのである。バナナそのものがないのである。

ただ人間は5年違っても生きた時代が違っているのだ
ギブミーチョコレートを言って人が5年違いでも団塊の世代とは違っていたなと思う
だから人間は本当に十年違うとかなると違ったものとして時代を生きている
5年違っても時代感覚が違ってしまうのである。
戦中派は戦争を子供のとき実際に戦場に行かなくても体験している
当時の時代の雰囲気を肌で知っているのである。
団塊の世代は戦争が終わって生まれたから戦争のことを肌で知らない
ただ親が戦争に行ったり経験しているから身近ではある
戦中派には貧乏がしみついている時代である。
飢えていたという時代でもはある

戦争が終わって生まれた団塊の世代は戦争のことを聞いても実際には体験していないのである
ただ中学生になる頃にテレビが入っていきて熱中したのである。
その頃からテレビ時代がとじまったのである。
だからそのときテレビを食い入るようにみんな見ていたのである。
野球も見たし相撲も最盛期であり国民で長嶋だ王だ若乃花だ栃錦だとかのことを知らない人はいなかった、子供では誰を応援するかで喧嘩になっていたのである。
テレビの影響はそれだけ大きかったのである。
その延長として東京リンピックがあった
テレビの前は小学校の時はラジオだったのである
天皇の終戦の玉音放送もラジオだったのである。

中学になると高校にも入れないと大騒ぎだった,そのとき受験戦争になったのは田舎でも中学生だと8クラスもあった、今は30人規模で3クラスとからしい
一クラス50人規模で一クラスだったから数が多かったのである。
自分はそのとき勉強を強いられたからそこでエネルギーを費やして失敗だった
受験戦争は本来の勉強ではなかったからだ、それから学校不適応症になった
自分はそもそも学校にあわなかった、団体生活にあわなかった
椅子にじっと座っていることが苦痛だったし体もそうだった
だから学校にいい思い出はないのである。
勉強そのものに興味をもったこともなかったからである。

中学校を卒業するときクラスの三分の一は集団就職だったのである。
中卒が当たり前だったのである。
大学に行けたのは四五人だったのである。自分は優秀でないし勉強嫌いになっていたから本当は大学に行けるような者ではなかった
わがままでもあり学校になじめなかった
ただそのとき自分は親から離れたいとか東京に行きたいという願望が強いから東京の大学に行くとなっただけである。
それは正解だった、やはり人間は親元から離れることは必要なのである。親から経済的ににだけでなく精神的に必要なのである。
それは集団就職した人たちよりずっと楽だったのである。

自分はでも結構楽でいないものを感じていた
大学は遊びだったけど一年くらい武道部に入って鍛えられたのが良かった
それまでは自分はあまりにも軟弱であり気弱すぎたのである。
もともと体力がないのだがふりかえるとそこで良く耐えたなと思う
一年でもそこで自分は変質したのである。
だから人間は教育でもその性格でも変えられる、弱気な体質でもは性格でも強気の性格に変えられるのである。

そのとき学生運動がはじまっていた、盛りにもなっていた
その一つの原因が大学を変えようと始まった
マンモス大学となり3000人に講堂で講義しているとき勉強に興味を失うということは自然なことである。勉強に熱が入らなくなって学生運動になったという背景もあったのである。そのとき高度成長の時代でありみんな就職できた時代でありそんな時代の不満はない、だからこそあっさりと就職すると企業戦士になったのである。

ただ人間は30までその基礎がつくられる、信仰の求道でも30超えたらできない
30で人間の骨格は決まり変えられなくなる
人生百年だとしてもそれだけ少年青年時代が人間を作る
それをもっと意識させるべきだと思う
いづれにしろ日本はそのとき上り調子だった、ただまだ車に乗っている人は少なかった
これも急速に普及したのかもしれない,まだインフラとして道路が整備されなかったからであるである、もちろん高速道路などもなかったからである。

国鉄が民営化するとき車時代になっていたのである。
国鉄一家とかが存在したし国鉄が社会党を支えていたのである。
その鉄道の国鉄時代も終わりモータリゼーションの波が全国に波及したのである。
そのときトヨタが日本の代表的メーカーとなったのである
時代の変化というとき明治以降は便利な道具が情報でもテレビのように視覚化される時代になった,ラジオで音で聴いているのと新聞で活字で読んでいるのでは相当に違うからである。テレビで視覚化されることの影響が大きかったのである。
それでラジオの時放送していたアナウンサーの出番がなくなったのである。
ラジオでは人気だったがテレビだと人気がなくなったのはメデアか変わるとそさに対応した人が人気になる、女性だったら美人でないと映えない

ラジオだったら声だけだから容姿は男女で関係ない、それより声がいいと人気になる
声優のようなのがいいとなる、容姿は関係ないからである。
そういう時代の変化に対応できないと時代に適応できないと価値もなくなる
つまり時代の変化によって価値観が変わるからである。
映像の時代になるとやはり見栄えがいいものが受けるからである。
映像の時代になるとデジカメで拍車がかかりスマホでもさらに写真投稿が活発になった
テレビの時代から継続して映像の時代は進行したのである。
テレビは放送局でしか放送できないが今度はインターネットでいくらでも放送できる時代になったからである。
もう情報はマスコミの独占ではなくなったのである
これも時代の大きな変化だったのである。









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posted by 老鶯 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)