2019年06月17日

人間は自ら被害者になり困らない限り関心をもたない (津浪や原発に無関心だったのもそのため)


人間は自ら被害者になり困らない限り関心をもたない

(津浪や原発に無関心だったのもそのため)


人間は無関心なのか、津波で原発でもこの無関心から起きて大被害になったともいえる
それで災害は忘れたころにやってくるとなっていたのである
津波が400年前にあったとしても関心を持ち続けられない
それを伝えられないのである
そして400年前は戦国時代であり為政者の関心が戦争にあったから津波のことは相馬藩では700人溺死としか記されなかったのである
これは政治的問題としてあった、為政者が今のように選挙で選ばれるわけでもないから庶民は二の次になるからだ

ただ本当に津波と原発事故ではその無関心さが致命的結果を生んだのである
スマトラ津波であれだけ被害があったときもそうだった、津波がないところだから警戒を怠ったとか日本人自体が言っていたのである
日本の問題はとにかく島国であり外国に関心がもてないのである
陸続きの国は何かあると必ず陸続きだから影響する
食料がなくなれば襲われるしそういう恐怖から都市でも城壁で囲み万里長城が作られた
都市とは城壁で囲まれた場所をさしていたのである
大陸では常に外部に対して敏感だったのである、それは陸続きで攻められるからである
日本は海で囲まれているからそういうことがないからのんきだとなる
そして鎖国のように国を閉ざすこともできたのである
大陸では国を閉ざすことができない、陸続きで難民が流入してくるのを防げないからである
民族移動があればもうそれを防げない、戦争する他なくなる

日本は孤立した島として世界から離れてあった特殊な国だったのである
中国とかなるとそもそもが多民族国家であり絶えず他民族に侵略される国だった
それで外国に常に関心をもたざるをえない、それは自分たちの身を守るためにそうなったそれで「他山の石」という言葉が生まれる、他山の石でも関心をもてということである
日本は地震国なのに2014年スマトラ地震の津波でも危機感をもっていなかったのである
それは今回の津波の7年前だったのである

なぜ人間は関心をもたないのか?それは自分の身に及び困ったり苦しんだりしない限り無関心なのである、鉄道が無人駅になっても別に困らなければ無関心である
でももし他で鉄道が廃止になっている線がある、だからここもなるようなことがあれば困るとなるが実際はみんな車社会だから鉄道に関心がないのである
それで廃線になるとかなれば騒ぐのである

人間の弱点はとにかく体でも健康である限り病気に関心がない、病気になるとも思わないのである、でも実際は病気は知らずになっている場合がある
ただそれが苦しみとなり症状が現れない限り放置される
そして気づいた時は手遅れになっていることが多いのである
人間は自ら困ったり苦しんだりしないかぎり何でも無関心なのである
つまり病気になれば病気に異常に関心をもつ、なんとか直してもらいたいとなり関心をもたざるをえない、でも健康であれば病気に無関心なのである
そして何か苦しみがないかぎりカルマでも意識しない
何も苦しみがなければカルマがないと思うし第一意識しないのである
苦しみとして現れたときカルマを意識するのである

人間は自分が困ったり苦しまない限り無関心なのである、だから身近に病気の人がいても貧乏な人がいても何か困っている人がいても無関心である
でもそれが一旦自分の身に及ぶとき困ったり苦しむとき関心をもつのである
てもその時はすでに時遅しとなっているのだ
それが津波と原発事故だったのである
関心がないからこそ20キロ内に小高に原発の工事が始まるのにそれすら知らなかったのである、また知らされなかったのである
その知らせる役目がマスコミにあったが福島県の報道機関は知らせないのである

それで東電で13メートル以上の津波が来るという試算をして備える必要があると報告していたが東電はしなかった
そして地元の人たちそんなこと知らなかったのである
13メートルの津波が来るということをみんなに知らせていたら科学者が言っているから信用したからである、そうしたらこんな大被害にはならなかったとなる
この辺では津波の話など海に面していて聞かなかったのである
そうして老人は津波が来ないとして逃げないで死んだ人が多いのである

人間が関心をもつべきことはいくらでもある、芸能人に関心を持っている人もいるし様々なことに関心をもつのである、それは多様であり人によって違ってくる
でも逆に最も大事なことに無関心だったということがある
津波とか原発がそうだった、これは最もこの辺では関心を持つべきものだったのである
ただ大被害になって関心をもつようになったのでありそれまでは無関心だったのである
また無関心にさせられていたともなる  
すぐ近くのゴミを置く場所でも網をかぶせるが烏につつかれて散乱することがある
そのことを言っても困っていると言っても知っている人がいても何とかしようということがない、市役所ではゴミを入れるものは場所を決めれば置いてくれというが本当に困らないからそのままになる、私自身もいくら言ってもみんなで何とかしようとはならない
一人がいくら言ってもみんなでなんとかしようとしないかぎりどうにもならないからやめた、それは無人駅でも同じである、みんなが本当に困りなんとかしようとしないかぎり改善されないのである
そしてそういう無関心さが今回のような津波とか原発事故の大被害につながるから怖いのである

例えば灯台下暗しというのもそうである、本当にいつも住んでいる場所に関心をもたない見過ごしているのである、最近自分自身でもいつも原町に行く高平とか相馬市の道の駅の日立木とかに興味をもった、そこは一番身近でいつも通る場所だからである
でもそこでも良くみていないし無関心だったとなる
関心をもつには意識して関心をもたないと関心をもてないというのも人間なのである
ただ正直あらゆることに関心はもてない、でも無駄なことに関心をもつのも人間である
肝心の一番身近なのことに関心をもたないいことがあった
それが海に面していれば津波に一番関心をもっていもいいし原発に関心をもつのは当たり前でもそうならなかったのである
そして大被害になったとき関心をもつようになったが時すでに遅しとなっていたのである



posted by 老鶯 at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年06月16日

相馬市の日立木の柏崎のカフェドマニ (バラに囲まれた古風な館の喫茶店)


  相馬市の日立木の柏崎のカフェドマニ
  
  (バラに囲まれた古風な館の喫茶店)

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柏崎に喫茶店があることも知らなかった、薔薇の園の中にメルヘンチックな喫茶店があって食事を出していたのである
それは若い人向きのものである、あれも意外だった、あそこを通らなかったのが失敗だったのである
2013年に始めたというから津波の後でも早い時期に始めていたのである
道の駅では休んでいたがあそこでは休んでいなかった、私は喫茶店が好きである、あそこは高台にあり見晴らしが良かったのである
鹿島の海老村のニコニコ堂の喫茶店も納屋を改造したのもであり奥まった山陰にありその場所に特徴がある
でも料理は予約が必要であり二三回入って後は行っていない
ここも場所がいいのである、見晴らしがいいのである、それで試しに入って見たのである 
ただムーミンとか何か子供っぽいというか老人になると合わない、あれは若い人向きなのである
それで煉瓦のアーチの門とか作れば古風な感じになる、丘の上の古い館になる
ドマニとはイタリア語で明日となるとまた明日も来てみたいなともなる

何か喫茶店というかこれは場所がいいと価値が高まる

柏崎老鶯鳴くや喫茶店

こんな俳句を作った、そこは薔薇の園である、若い人向きでも老夫婦が経営していたのである
退職した人らしい、だから若い人向きだけど老人が経営して実際に仕事しているのである海老のニコニコ堂喫茶店も場所がいい、隠れたような場所にありわからない
二三回行ったが食事は予約制なのだが入りにくかった、そこも若い人向きである
何か隠れ家という感じなのである、前に庭があるのもいい
私は全国を旅行したときどうしても休む場所が必要になる、そこで考えたり詩作したりししていたからだ、だから喫茶店は好きなのである
ただ都会は景色がいい所の喫茶店には入れない、そこが問題なのである

とにかく人間は近くをかえって意識しないし見過ごしているのである
それは原町の高平の六号線脇の五輪塔のある墓地でもそうだった、あの辺は歴史ある場所だった
西殿とありそれから歴史を探った、あそこは西殿があり東殿があり沢田館があったから官衙とは関係なかった
そこでも最近発見して探求したのである
つまり一番近くにあるものがわからない、見ていないのである

相馬市の道の駅には良く行く、あそこまでは近いが相馬市までになると遠くなるからだ
あそこには五本松があり今は三本松になった、あれは枯れてしまうのだろう、それも残念である
何か松は人間に最も親しい木であり友のように見えるのである
だからいつもあそこを帰って行くとき松があるので家に帰ってきたような感覚になるのである
今は誰も家族が待っていないが松が待っているとまでなる

キーワード検索で五本松と入れると詩にしたものや写真がでてきます



2019年06月15日

相馬市日下石や柏アや磯部の歴史 (津波の被害があり海となった地域)


相馬市日下石や柏アや磯部の歴史

(津波の被害があり海となった地域)

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ここは津波で海となった

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かつて常緑樹の原生地で、柏が群生していたことから「柏崎」と呼ばれた

【カシワとは】

ブナ科の落葉高木で日本全国に分布する。食べ物を包むのに使われるほど大きな葉が南国風の印象を持つが、比較的寒冷な地に多く、かつては北海道の十勝平野に大木が群生していた。

柏崎の地名由来は柏の木が生えていた地となる、これは南国性とかではなく冬にも強い木である、この木の特徴は柏餅というように葉っぱに特徴があり名付けられた
堅い葉はきうことで葉っぱが利用されていたのである
新潟県の柏アは大きい市であり有名である
するとこの名がついたのはそこは中心地域だったからなのか?
要するに木の名前がつく地名も多い、それはたいがい田んぼでも原始の状態に植生に由来している名付けられている

堅い木というとき槐(えんじゅ)がある、これは北海道で見た

木材で灰皿!?と、思うかもしれませんが、槐という木はとっても成長が遅くて年輪が細かくとっても硬い木なので、直接火をつけても燃えにくい木なのです。

柏崎の前は湿地帯だった、それで津波の時、柏アの高台に住んでいた人たちは被害がなかった
その下は海となったことには本当に驚嘆した
それでその一帯は日下石(ニッケシ)村でありそのニッケシという地名が二ということで西なのかと推察した
海から見たとき本当に一帯が海となったからだ、そして太陽がその岸辺に輝き落ちていったのである、海から見れば確かに西なのである
でも普通は太陽が上がる所は東になるのである

それも不思議なのだがこの辺は綿津見神社が異常に多いのである
それは山側にもあるし飯館村にもある、そして山津見(山祇)神社が対となってある
松川浦にも山津見という地名と和田が残っているがこれは綿津見神社のことであり和田都美となる、これは安曇系統の海人族が移住してきたためなのである
だからそうした海人族がきて日下石(ニッケシ)と名付けたのかとなる
アイヌ語説だと二は木であり木が茂っている場所になる  

和田都美神社とはもちろん古事記に出てくる天孫ニニギノミコトの息子、山幸彦が兄の海幸彦の釣り針を探しに出掛けた「綿津見神の宮」を祀った神社ということになる。大綿津見神はイザナギノミコトとイザナミノミコトが国産みの後で神々を産み始めた最初の頃に生まれた神様であり、後になって山幸彦に霊力のある2つの玉を与えて助け、そのことによって山幸彦の孫であるカムヤマトイワレビコが初代天皇である神武天皇になるという大切な働きをしたことになる。つまり、綿津見神は山幸彦に力を与え、天皇家誕生に力を与えた海の神様ということになる。この綿津見神の働きの場面で古事記上巻である「神代の巻」は終了となり、このあと古事記は歴代天皇について書かれた中巻へと移っていくことになる。

つまり日本の古事記、神話と関係して古い神なのである

ともかく柏アは高台でありそこは古くから人が住んでいたとなる

「芦」「葦」「菅」「蒲」「荻」「蓮」「鴨」「鶴」「亀」など水辺に見られる動植物が付く地名も、要注意なのだ。台東区の「吉原」は、かつて「葦原」だったとされており、ヨシ(アシ)が生い茂る低湿地であることを示す。

これらにはすべて田をつけることができる、他に蟹田とか蛇田とかもある
湿地帯だったのでありそこが田になったからである 

柏ア村の地名をみると西原西台とかあり北向とかありまた表とある
中台が村の中心地になる、表とあるのは海側に面しているからである、浜通りでは表は海であり裏は山側になるのが特徴である
海から太陽が昇るから表になるのである

そして津波でわかったことは地ノ内に古墳があったことである、ここまでは津波が来なかった、でもその前まで津波が来たということは古墳があったときその前は海だったとなる、海だったということはそこで魚と貝とかでもとれていて食料にしていたとなる
奈良時代でも鹿島区の烏崎に船着という地名がありあれほど奥まで津浪が来たからこの辺もぎりぎりで古墳の前まで海だったとなる
ただあの古墳はめずらいしと思った、たいがい高台とかにあるのが古墳だからである
ただ明らかに生活がそこであったという証拠だから貴重である

そしてこの辺の一番の謎は磯部である、磯部村がいつできてなぜあそこに人が集中して住んだのかとなる
磯部村でも慶長津波の前から人が集中して住んでいたのである、なぜなら佐藤氏の館がありそれが高潮があり鬼越館に移ったからである、鬼とは北向きのことである
だから慶長津波の前に館を移したのか謎だとなる、その後に慶長三陸津波が襲ったからである
柏崎村にしても北側は新田村でありここに元禄の碑があったから古いのである
そこまで津波が来ていた、元禄頃にに開拓された村だったのである 
磯部村には二千人住んでいて250人が死んで被害が大きかった
二千人も住んでいたのは意外だったというか家が多いことはわかっていた
ただなんであそこに家が集中したのか?それは漁業とか水運とか関係してそうなった
船溜に松川浦がありそれで船を操作する人たちが住んでいたからだとなる

いづれにしろあの辺は良く通る場所なのだが浜街道を通り相馬市に行く、すると何かその辺全体を見なかったのである
道路中心に行くとメインの道路ばかりゆくから全体がわからなくなる
すぐ近くなのにわからないのはそのためであった、つまり灯台下暗しだったとなるのだ
つまり脇道を行きその辺の全体を見る必要があるのだ、それが失敗だった   



柏ア村(野馬追に出る旗印の武士と郷士の姓)


 江井

 荒

 桑折

 桃井

 佐藤 
 
 南相馬市の原町区に下江井という地名がある、するとここから移ってきたのか? 
荒という姓は相馬藩に多い、これはツノガノアラシトからきていて韓国系統を受け継いでいるとなる
桑折は鹿島区の真野の日吉神社に南北朝の戦いのとき霊山から落ち延びてきた氏族であるそれで日吉神社があるのかもしれない、山王神社も日吉神社なのである
佐藤氏は磯部を支配して館があった、これはもともと在地の勢力である  

日吉神社の碑には寛政の碑があった、江戸時代末期の碑が一番多い、元禄となると本当にこの辺ではめずらしいのである
だから柏崎の北側の下の新田にある元禄の碑はめずらしいとなる、なぜなら新しく開拓したにしてはすでに古いとなっているからである
磯部でも古磯部となるとこちらの方が古いのかとなる、新町があり古町があり古町が古いからである
最初に磯部に住んだ地域は高台ともなる、海に接して住むことがどれだけ危険なものか津波でわかったからである
郷土史でも歴史は新旧をまず知るべきなのである、だから碑に記されている年号が大事になる
ただ日吉神社の碑は幕末であり古くはなかった

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古き木の切られて残る根っこかな日吉神社や梅雨に入るかも

posted by 老鶯 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

13万プラス2万くらいが一人の老後で暮らせる (それがもらえないのが現実ー百年安心などありえなかった)


13万プラス2万くらいが一人の老後で暮らせる

(それがもらえないのが現実ー百年安心などありえなかった)


老後の金の計算はむずかしい、第一人生百年といってもいつ死ぬかわからない、それでいくら金をためても貯金があってもたりなくなることもある
だからつぐつぐ年金は老後にとって大事だなともらってみてわかった
年金の強みはし死ぬまでもらえることである、百年生きてももらえるのである
だから払う方にすると額が大きくなる
そういうふうに払う方が損する仕組みなのが年金なことがわかったしだからこそ政府でそれをつづけられなくなったことがわかる
若い人が今の65歳以上の人に払うのでありそれが若い人は将来もらえなくなるから損だとなる、世代間の差が大きいからそうなる
団塊世代は逃げ切りの世代というのもそうである
そして何よりも日本の経済が衰退してゆくし少子高齢化で働き手も減ってゆくから余計に年金を維持することや医療でも維持することがむずかしくなる

ただ老後の生活費がいくらかかるか、最低限になると使ってわかたっことは13万プラス2万くらいである、すると生活保護でもらえる13万がその金になっていた
でも実際は国民年金でもそれだけはもらえないから問題なのである
だから生活保護の方がいいとなる、でも生活保護は簡単にもらえない
例えば国民年金、4,5万しかもらてっていない人も結構多いのである
そういう人は生活保護をもらえないのである
ただ医療費が無料となることがありそういうこともある
何か生活保護を簡単にもらえると思っているが地方ではもらえないし福祉では地方で差がある、老後は医療費がかかる人が多いからそこは無料になるだけで楽になる

何か2000万はたりなくなるから貯金しておけというがそれは厚生年金と国民年金では差が大すぎるのである、厚生年金で夫婦で25万くらいもらっていれば十分のような気がする、一人暮らしで13万だからである、ただ実際はその他の物はレジャーの費用とか家の修繕とか交際費とかはかからないとして13万だともなる
だから確実に貯金は必要なのである
でも2000万の貯金は若い世代では今は苦しいとなる
なぜなら団塊の世代とかその後でも退職金が貯金すると倍になっていたのである
だからこれは大きかった、今は地銀に貯金すると投資信託などをすすめられて必ず損してかえって利子をとられる、なぜなら地銀などはもう金を貸してもうける先がなくなっているからだ、投資信託は銀行にとって確実に手数料がはいる利子が得られるもので損することは絶対にない商品なのである、それは証券会社とか銀行のために作られた商品である
正直よほどの知識がなければもうからない商品である
だから2000万得るために投資しろというのは本当に政府は何を考えているのか無責任だとなる

厚生年金をもらっている人は贅沢しなければ一応生活は成り立つが国民年金の人は絶対に生活すらできない状態に追い込まれる、そういう人を知っているである
老人はみんな金をもっているというすうに見るが現実は老人にも格差がありみんながそうではない、ギリギリの人も多いのである
そして金だけでは介護でもなんでもどうにもならないことがある
もし家族に人手あればなんとかしのげるがない人は悲惨なものとなる
いくら金があっても手厚い介護は望めないからである
だからすべて老後は金でなんとかなるとはならない、老後自体の生活でも文化的な面でもそうである、金があっても豊かな老後になるとは限らないからである

ただ正直未来はわからない、計算できないのである
例えばこれから10年生きるのか20年生きるのかもわからない
10年だったら半分ですむが20年だったらその倍の費用がかかる
そして私も金の計算をしょっちゅうしているが計算しきれない
それはこれからどのくらい生きるかわからないからである
そして不思議なのは一ケ月いくらかかるとか計算する
それで節約して一か月15万とするのだがこれを5日10日とか延長するとその分が節約できる、

150000÷30日=5000円

一日の費用が5000円かかる、でも15万円内で5日延ばすと一か月で2万5千円の節約となりそれが一年になると12か月かける25000円となり30万となる
                                                      
5×5000×12=300000円

これが10日延ばすと

5000×10×12=600000となる

一か月の費用を5日分を延ばすだけで一年に二か月分の節約になる
10日分だとその倍になる
一年分で計算するとこれだけ節約することが不思議だったし本当にこうなるのかと今でも理解できないところがある

つまり金の量ではない、日にちで計算しているからわかりにくくなるのである
それが納得いかない、間違っているのかと思うのはやはりそもそも日にちで金の計算しているから納得できなくなる
それだけ未来を計算することが何かわかりくいものとなっていたのである
でも一日の費用が5000円として計算に間違いがあると思えないのである

人間はつくづく金でも近い将来でもなおさら長い未来となると計算できないようにできている
なぜなら必ず不測の自体が起きるからである、計算し得ないことが長い人生で起きる
この辺で起きた津波とか原発事故がそうだった、完全にこれで計算が狂ってしまったからである、そういうことが起きるからこれから若い人が30年後にどうなるかなど計算できないのである、実際60になっても70になっても将来は計算できない

人生はそもそも計算できない、何が将来起きるかわからないからである
一寸先は闇だというのもそうであり世界情勢だって計算できない、必ず不測の自体が起きる、いくら貯金していてもそれも価値がなくなることもある
常にあらゆる価値が変動しているからである
正直未来に備えることもできないのが人間なのである
一億円貯金しても安心はないのである
人間は生きている限り安心が得られない存在なのである
だからあらゆることに備えることは老後でも無理だとなる
だから貯金しても年金を収めても無駄だというのではない、それですべて安心とはならないということである
百年安心などありえないことだったのである

ただ逆に何か長い時間の中で逆転が起きてくるのも人間社会である
10年前ですら中国があんなふうに発展するとは思わなったろう
それがみるみる日本を技術的にもぬいて先進国化していたのである
そういう逆転現象が人生でも個々人でも日本でも起きてくるかもしれないからだ
高いものが低くされ低いものが高くされるのがこの世である
それを操っているのは人間ではない、神だとなってしまうからである
いくら金があっても老後は病気になったら終わりである
寝たきり何なったら何もできない、ただ天井を見ているだけになる
金があっても何もできないとなるからだ
そういうリスクも老後は増えるからだ

それで認知症になったら最悪である、銀行から金を下ろせないとか看護婦だったのに病院に行ってもそこが病院だとわからないとか本当に最悪だった
金は何の役にたたなくなったのである、金をもっていても銀行から金を下ろせないのだから金は何の役にもたたなかったからだ
こんなことまで老後に起きるから金があるだけでも安心などないのである
ある人5歳で子供と離れて暮らしていたが金持ちの後妻に入っていい暮らしをしていた
でも認知症になり世話する人がいずその娘に頼った
でもその娘は異常人格者でありその人を母親だとは思っていない
ただ金をもっているから施設に入れているだけである
それも悲惨だとつくづく思った、認知症になったらこうして最悪になるから怖いのであるそれもこれかち800百万人もなる恐怖である、その時金があってもどうにもならないのである

人間にはそういう極端な逆転現象も起きてくる、だから大きくは国家でもその未来は神がにぎっているともなる、神のみが未来を知っているともなる
人間は十年先でも何が起こるからわからないからである、ましてや20年とか30年とかいろいろいうけどそれだってわからないのである、あくまでも予測だからである
ましてや100年後の未来などどうなっているから誰もわからないのである
そこに人間の限界がある

posted by 老鶯 at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2019年06月14日

ヨ−ロッパとか大陸国家と日本の歴史的根本的相違 (日本には都市がない、市民がいない)


ヨ−ロッパとか大陸国家と日本の歴史的根本的相違

(日本には都市がない、市民がいない)

ヨ−ロッパとか大陸国家から例えば中国から来た人でも日本に来て不思議に思うことがあるだろう
その大きな不思議が日本に来たら城壁で囲まれた都市がない街がないということである
そしてなぜか城だけがありそこは防御するようになっている
城門もあり厳重に敵から攻められるために備えているのである

でも街全体とかにはないのである、だから戦争という時、城に住んでいる侍と侍の争いでありそこに住んでいる住民は関係ないのである
ただ戦争の勝敗によって殿様が変わるから影響するだけだとなる
別に戦争に負けてもそこの住民は殺されたり奴隷にされたりしないのである

なぜヨ−ロッパとか中国でも熾烈な争いがあったのか?
それは中東でもそうであり大陸では熾烈な民族同士の争いがやむことなくあった
それは近代まで継続していたのである
そうした大陸国家の熾烈な争いに明治維新後に日本は世界史に登場しまきこまれたのである
明治維新からグロ−バル化がはじまったのである
そこで日本は相当にヨ−ロッパにおいつくために無理したのである
その無理がたたって70年後過ぎて太平洋戦争になり大敗北をして3百万人死んだのである、つまり大陸国家の歴史の興亡に巻き込まれたのである
なぜならヨ−ロッパとか大陸国家では戦争の連続であり何百万人の単位で死んでいるからである
それで思想でも中国なら三国志があり戦争の結果としていかに敵に勝つかと孫子の兵法が生れたりまたヨ−ロッパだとマキャベリズムが生まれた

そしてなぜ日本はヨ−ロッパとか大陸国家を理解できないのか?
日本には日本だけで海に囲まれて閉鎖した中で歴史がはぐくまれたからである
このために日本がは大陸国家の興亡を理解できないのである
戦争に負ければ奴隷にされる、そうなれば必死で戦争に勝つための方策を考えるし軍備でも備えるとなる
日本ではそうして他国に攻められて奴隷になる経験がないのである
ただモンゴルが攻めてきたとき一時その恐怖におののいたのである

なぜ大陸で階級制が生まれるかというと民族同士が国同士が絶えず争い優劣を決めるからである、負けたら奴隷にされたり下層階級にされる
大陸国家では必然的に奴隷を下層階級を作り出す仕組みがある
そして様々な民族がいるから混交するからそこで区別しり優劣を決めるのである
それはネパールでもそうだった、様々な民族の吹き溜まりのようになったのがネパールだからである、そこで階級制が生まれたのである
それで外国人まで日本人も階級のどこに属するから決められていたのである

ヨ−ロッパであれ大陸国家だとアメリカでも絶えず戦争がありそれで優劣を決める社会だとなる、また人種が混交するからそれで民族ごとに区別して差別して階級制になりやすいのである
これが世界の歴史であり普遍化したのである
だから日本人は外国で暮らしてメードを雇えない、使えない、なぜならそういう歴史を経験していないからである、武士は階級制ではないかともなるがそれも厳格なものではなく今では士農工商は職業で分けただけだとか見方が変わってしまった
第一侍でも大陸国家のような贅沢をしていないからである
また日本にはそれだけの富を生みだせないからである

大陸国家だと戦争に勝てば莫大な財産を得ることができる、奴隷もその一つであり他にも土地を奪うとしたら広いから莫大な収入になる
だからこそ戦争に勝つか負けるかでその運命も決まる
それで戦争は熾烈なものとなる、また中東などの砂漠では略奪は公然として許されている別に犯罪ではないのである、権利なのである
何かそうした大陸国家の成り立ちとか歴史が日本では肌で感じられないのである

だから大陸から来た人はなぜ城だけが独立してあって街を囲む城壁や市壁がないのだろうとなる、そして戦争でも別に殿様が変わるだけでありそこに住む住民は殺されたり奴隷にされないのである、だから戦争になってもそこに住んでいる人はあまり関心がないともなる
それで会津でもあれだけ悲惨な戦争であってもそこに住んでいる住民はその戦った侍に同情もしていないのである
それよりこれが好機として農民がヤーヤー一揆を起こしたからである
日ごろ税金に年貢に苦しんでいたからこの機に乗じ反乱起こしたのである
あれだけ薩長軍と官軍と必死で戦っている時、別に一緒に街を守るために戦うのではないかえってこの時こそ好機だと一揆を起こしていたのである
つまり城とか侍は一般農民とか庶民とかとは分離していたのである
侍同士の戦争でありそこに庶民とは関係なかったとなる
そして戦争に負ければ殿さまが責任をとり切腹して戦争は終わりになる
それから負けた方でも敵味方塚として供養されているので中国から来た人が理解できないとなるのである

この相違は本当に大きい、例えば資本主義とはこうしてヨ−ロッパから大陸国家から生まれたからこうした歴史を知らないと理解できないともなる
なぜなら資本主義とは資本を投下して巨利を得るということが基本にある
それは戦争とにていたのである、戦争に資本を投下して敵に勝てば莫大な利益を得るとなるからだ、そういうことも資本主義の背景にある
だから大陸国家とは格差社会が歴史的に基本としてあった
それはグロ−バル化経済でも起きている、世界的に格差が生まれる社会が欧米型大陸型の文明だからである、戦争とは敵をうちのめして収奪することでありそれが資本主義にもある、別な見方があるにしてもそういう側面もあることは確かなのである

それも大陸国家の歴史から生まれた弱肉強食の思想だったともなる
マルクスが階級制を打破しろというときそもそも階級を常に意識される社会だからそういう過激な思想が生まれたのである
日本だったら生まれにくいのである

とにかく日本には市民がいない、街を守る市民がいない、ヨ−ロッパの都市はそこに殿様も王もいない、市民だけの都市がある、それは市壁に囲まれていてそうした都市同士が争っていたのである、そういう歴史が日本にはないのである
それでシテズンシップとかはない、市民意識、市民共同体がないのである
パスポートにどこの出身ですかというとき国があって市があるが市が重要だからそうなっている、どこの市に属しているのか市が基本的な共同体でありアイディンティティになっているから大事になる
この点で日本は根本的にヨ−ロッパでも大陸国家の歴史でも肌で理解できないのである
だから外交でも戦争でもそうした大陸国家の熾烈な戦いを興亡を経験しないから何か甘いというか外交下手となる
つまり大陸国家の長い歴史の中でつちかわれた経験がないから他国に対してどう対処していいかわからないとなりグロ−バル化して戦争にも負けるしまた一時は電機産業で高度成長を遂げたがそれも衰退に向かうとなる

日本の特殊性を理解するにはやはり大陸国家の歴史を知りどういうことで歴史的に成り立ったのか知る必要があるのだ
日本は世界で極めて特殊な国の歴史でありそれを自覚する必要がある
だからグロ−バル化するということは日本に向いていないのである
そういう経験をしていないからである、外国人労働者でもどう扱っていいかわからない
大陸国家なら奴隷として階級制を作り対処していたからである
でも日本だと同じ人間じゃないかとなりそういうことはできない、そういう歴史がないからできないのである
だから明治維新後西欧化とかそういう課題は戦後でも続いているのである
何か日本が経済的に技術的にも衰退するという時、それがどういうことになるのか?
グロ−バル化のなかで三等国になり奴隷ともなり階級的に下層民とされるのである
それが大陸国家の歴史であり日本は鎖国もできないからそうされるのである
現実に観光でおもてなしとか言っているけどまさに日本が世界の中で経済的に技術的にも衰退しているからそうなる

金が落とす外国人優先になるのはそのためなのである、まさに外国人の奴隷にもなる
それは東南アジアで一時為替の差で安く女性を買っていたとかと同じである
これも日本人のカルマだったのである
それも世界史で繰り返されているのである、中東が優位だったときはヨ−ロッパの女性が下位になり5ドルくらいで買われていたとかあった
それだ逆転したのもまた歴史である、カルマはくりかえされているのである
必ず国家の興亡があり上になるものが下になり下にあるものが上になる
それで今や中国が日本を経済的にも技術的にも優れていて日本は中国の属国になり奴隷二されるとなるのである
グロ−バル化では鎖国はできないからである
グロ−バル化とはそういう熾烈な戦いから逃れることができないのである



ヤーヤー一揆

新政府軍と会津藩兵との戦いによって数多くの犠牲者が出て、以後会津地方の旧武士階級の人々は薩長土肥に対して恨みを抱いたという話はよく知られている。だが農民、特に戦場にならなかった地域の人々にとっては、かねてからの重税や物産の専売制度による搾取に加え、藩主松平容保が京都守護職として上洛して以来、その経費を賄うために行われてきた増税に対する不満に一気に火をつけることになった。9月22日(1868年11月6日)、会津藩が明治政府に降伏すると、たちまち藩政崩壊による権力の空白状態に乗じた民衆蜂起が勃発した。

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2019年06月13日

クルマ社会を見直すときが来ている (高齢化とかになり様々な弊害が大きくなりすぎた)


クルマ社会を見直すときが来ている

(高齢化とかになり様々な弊害が大きくなりすぎた)

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これだと車と対等になる

ヨ−ロッパでは自転車道路がかなりある


クルマ社会の到来は人々の精神の不自由化、すなわち人間の劣化を伴っていたのです。

改革すべきは、共同体を破壊するクルマ社会であることは明白です。現に、マイカーの普及とともに最も基礎的な共同体である家庭は崩壊に向かい、家族の紐帯から切れた個人はロードサイドを彷徨い、マイカーをもたない者は自室に籠もっています。そして、身近な地域からは相互扶助の精神が消え去ろうとしています。その様相は、都市景観の混沌、乱雑、無粋に端的に表れてもいます。 

クルマ社会がもたらす地方都市の荒廃   新しい交通システムLRTに未来はあるか

車道と歩道は物理的に分離するだけでなく、その間に緩衝地帯を設け並木を植えたりして、歩行者が直接自動車の排ガスをうけるようなことがないようにしなければなりません。住宅も直接車道に面している場合が多いのですが、必ずある程度の距離をとって、樹木なども植えて、人々の生活が排ガス、騒音、振動から守られるようにしなければなりません。」

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序章 成熟社会への展望
第1章 基本八策―百年の行動計画
第2章 有縁社会―コミュニティーの再生
第3章 安全社会―大震災を超えて
第4章 教育社会―次世代を育てる
第5章 長寿社会―人も物も長持ち
第6章 近接社会―歩ける暮らし
第7章 楽園社会―美しい国土の復活
第8章 和風社会―伝統文化の将来
第9章 成熟社会の世界戦略―日本モデルの提示

成熟社会―これから百年の日本 谷明

悲惨な交通事故が起きている、89歳になって親子を車で殺した高級官僚が杖ついて歩いて実況見分しているのも痛々しいとなる
そもそもあんな状態にまでなって車を運転していたということが信じられないとなる
それがクルマ社会の異常性なのである
身体障害者でも免許があれば運転できる怖さなのである

人間という生き物はなにか常に責任が背負っている、何するにも責任が課せられているのが動物とか植物と違っている、それが最大の相違なのかともみる
例えば道具をもつのは人間だけである
石を道具にしたときそれは魚でも肉でも切り裂き料理するのには便利である
でもそれは人を殺傷する道具ともなってきたのが人間である
猿も確かに道具を使うということがあっても殺傷まではしないできない

つまり人間には石器という道具をもったときからその道具をもつことで責任を課せられていた、使いようによっては強力な殺戮の道具となるからだ
つまり人間は道具をもつことによって大きな責任を課せられることになったのである
それは人間の業(カルマ)でもありそのカルマは遂には人類を亡ぼすまでになったのである、原発事故でもそうだし核兵器でもそうである

原発事故でもどれだけ責任を課せられていたか?
核兵器をもつことがどれだけの責任を課せられているか?
それを考えるともうその責任を果たせないから持ちませんとまでなる

原発事故は「安全神話」で百万年起きないとか確率で計算している科学者がいた

ではその発言に責任をもてるのか?

百万年原発事故は起こりません

責任をもてますか?
事故が起きたら切腹してもらいますが約束できますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

これほどの責任を課せられていたのである
するともうそんな責任が果たせないとしてやめるのが得策だとなってしまう
アメリカだと銃をもたせるがそれを持つことは大きな責任がある
人を殺せるからだ、現実に銃乱射事件が定期的に起きている
人間の道具は何かそうして石器が殺戮道具になってから変わらないのである
石器が核兵器になったのと変わりないのである
道具を持ったことにより過重な責任を課せられていたのである

クルマまたそれと変わりないのである、恐るべき殺戮の道具にもなるのだ
それが最近起きている痛ましい事件である
クルマは暴虐的なものであり恐ろしい殺戮の道具だという認識が必要でありそれに責任をもてないものは運転するべきではないのである
あんな歩くのがやっとの人がそもそもクルマを運転していることが異常だとなる
でも習慣の惰性があり今までしていたとはやめられないし継続するのである
ただそれではその責任が負えますか?
その責任を自覚したらもう運転はできないはずだったのである

でも交通事故は罪が軽すぎるのである、人を殺しても無罪にすらなる
金はそのために補償されているということで罪の自覚が薄い、責任の感覚が軽いのである
だからこそクルマがみんなもってクルマ社会になったのである
そうでなければクルマを簡単にもてないからである
そしてクルマをもたないと生活できないとなるまで社会が変わりすぎたのである
これまでの社会を根本的に変えてしまった
何かそれが今になってその異常性が露わになったのかもしれない
高齢化社会に車は向いていないということである
今の老人はクルマ社会に生きてきた、でも老人になってクルマ社会に適応できなくなったとなる、それもカルマだったとなる
道具は確かにいい面に働くと同時に悪い面として働く、それがあるときカルマとなって現れるのである

クルマというのがこれまで継続された社会を根本的に変えてしまったのである
そして人間そのものまで変えてしまった、クルマによって人格まで変えた恐ろしがある
キレルというときクルマに乗る人はどうしてもそうなりやすいのである
歩くとか自転車くらいだとそんなことにはならない、何か親和的情緒的にもなる
クルマを空間を切り裂くようにしてキレテ走る凶器ともなる
人間と人間でも自然との間でも切断する、溶け込まない親和的でないい道具なのである
クルマ依存から脱却すれば地方が再生するというのもあながち空想でもないのである
人間そのものまで変えた、人格まで変えたのがクルマだったからである

そしてなぜ原発事故でこんな簡単に故郷が捨てられたのか?
それは多分にクルマ社会であり分散社会でありもともとクルマと常に遠くに行く道具であり故郷とか近くではなく遠くへ行くものとしてある
するとクルマ社会だと狭い地域で暮らしていないのだから金さえあればどこに暮らしてもいいとなり一斉に蒸発するように人が流出したのである
それは原発事故だけでそうなったとも思えないのである
クルマが家だったとのかとまでなる、現実クルマの中で暮らしているホームレスもいたからクルマは家にもなるからだ

いづれにしろクルマ社会が根本的に社会を変えた、その影響は人間の人格まで変えたのである、モラルでもクルマによって喪失させられたのである
ただ異常なクルマ社会に住んでいる人はそれを感じない
異常社会でもそこに住んでいる人は異常を感じないのである

ネットを通じてできる仕事をしている人であれば、都会でも地方でも自宅でやりとりが可能ですよね。
しかし、仕事の息抜きに外(主に住宅街)を歩くといい感じに不審者に見えます。
というのも、地方の20代以降はほぼマイカーを所持しているため仕事休みの土日ですら「道を歩いている姿」を見かけません。(ゼロではないですが)

歩いているとすれば子供か高齢者の二択。
そのため20代以降の大人が犬の散歩などでもなく、のんびりと住宅街を歩いているとすごく違和感があるのですね。
「働いてないのかな?」「空き巣の下見かな?」「N○Kの集金かな?」



これも異常なことなのである、私は昼間住宅地を歩いているからこれを感じる
街を自転車で行っても人と会わないのである
街はもぬけの殻のような感覚なのである
それはみんな車を使っているから人は見えないのである、車に乗っていると人は見えないからである
だから歩いている自転車でも何か怪しい人なのかとなる
そういう社会は異常なのである、それで街道だとかなると歩いて行く人に感動しているのも異常だとなる、人が歩く姿に感動していること時代今がすべてクルマになっているから異様な社会なのである
そして旅人はいなくなった、江戸時代ならみんな歩いているから旅人なのである

だからこそ「草臥(くた)びれて宿かる頃や藤の花」−場所となる
そして江戸時代の宿は旅人のための宿だったのである
なぜなら長く歩いてやっと宿につくからそこでねぎらうとういことがあった
宿は旅人のための宿だったのである、なぜならみんな歩いていたからである
今の旅館でもホテルでも旅人の宿ではない、クルマ社会になれば別に疲れるということもないからねぎらうこともない、旅館とかホテルは保養の場所でありそれで金持ちのためのリゾートのようになる、うまいものを食べるとかに変わる
現代では本当の旅人は歓迎されない、江戸時代ならみんな同じ宿代だろう
特別な部屋はない、それは殿様くらいだった、今の旅館とかホテルは旅人のもののためではない、第一旅人はいないのである、車で旅する人は旅人ではない、楽に移動している人だともなる

いづれにしろクルマ社会からの変革が高齢化社会でも要請されている
でもまだその自覚がたりないのである、そしてクルマというのは金がかかりすぎるのである、すると日本が貧困化するときクルマは贅沢品になる、クルマにかける金が大きいからである、ただクルマ社会を批判できないのは、クルマをトヨタなどで外国に売っているからなのだ、それて国が成り立っているとかまでなっているからである
そこで凄惨な交通事故があってもマスコミではクルマ社会が悪いとは批判しない
それはタブーになっているのである
でもなんか現実的に高齢化社会になりクルマ社会自体を見直すことが要請されてきているのである

posted by 老鶯 at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

駅の短歌(常磐高速のSAと鉄道の駅(日立木駅)の相違


駅の短歌(常磐高速のSAと鉄道の駅(日立木駅)の相違
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日立木駅

ここにも引き込み線があって荷物を運んでいた



駅前につつじの咲くや今日もまたここに来たりて電車行き来す

藤の花たれてあわれや日立木駅なかなかに来ぬ電車待つかな

日立木の駅前の畑耕しぬ女(ひと)のありしも電車来ぬかな 


何か駅には人間的なものを感じる、今は常磐高速のSAにも行く、そことの人の出入りは百倍なのか千倍なのかそれだけの差がある
それでトイレだけ掃除するのには女性が二人働いているとか掃除専用の人でも働いている20人くらい働いているのか?

そこの経営者と親しい人がいて老人だけど4時間くらい働いている
いつもは何に水やりしている、花だけでも多いから水やるのが大変なのである
駅でも花を置いてあるが商工会とか前の自転車屋で水やりしていた

私は駅での案内はやめた、とにかくJRとか駅長でも目障りにされてうるさいのである
もしかしたら警察に通報したのは駅長かもしれないとまで思う
あいつをなんとか排除したいと見ている

それで自分で刷った時刻表を置いた時、ルールが置けないと断られた
でもばあちゃんが自分の刷った時刻表をもっていた、駅には小さな字が見えないような時刻表は措いてるが大きな文字の時刻表は置いてないからである
それを大事そうにもっていたのである
でも時刻表は配られていたのである、自分自身それをもっているからである
ただそれをわからなかったという人もいた
最近新聞をとってないから折込みの広告見ていないから問題だとは思った
新聞は新聞より折込みの広告などが重要な場合があるからだ

まず常磐高速では鹿島の街に来る人はほとんどいないだろう
それで観光のために真野ダムの方にサイクリングするとかの用意をするとかあった
でもまだしていない
ただ休憩のためにあそこは人は必ずよるのである、ここで休憩をとらないと四ツ倉の方になり遠いからである

私は鉄道の旅が長いから愛着がある、日立木駅は本当の無人駅である、一日の乗降客が何十人になるのか?駅には防犯カメラもない、本当に無人駅なのである
駅前には何もない、それで駅が壊されたのである
ほとんど人が出入りしないからそうなったのである
まず駅の中まで壊されることはありえないからだ、それだけ人の出入りがない無人駅なのである

そこで電車を来るの待っていた、藤の花たれてなかなか電車は来ない
畑を耕す婦人が見える、何かこういう無人駅でも鉄道マニア来たりするかもしれない
いつでもあそこで乗ったり降りたりするのは一人か二人なのである
それでも駅には何か人間的なものを感じるのである
それだけ鉄道の歴史が長いことにもある、百年以上とかあるからだ
そこで人間の生活が積み重ねられてきたからである

タグ:日立木駅

2019年06月12日

松坂市の正論おじさん”看板撤去は「お年寄りのため」 (高齢化社会で生きがいが喪失する問題も深刻)


松坂市の正論おじさん”看板撤去は「お年寄りのため」

(高齢化社会で生きがいが喪失する問題も深刻)

一切妥協せず三重・松阪市の商店街ののぼりを撤去していく89歳の男性、男性は旧満州生まれの89歳、貧しい中、戦後の復興を支えた自負があるという。

我々の時代は高齢者を尊重する心を持っているが、高齢者を尊重する心がないと話す


これも看板撤去だけの問題ではない老人問題なのだろう
この人は法務省に勤めていて法律の仕事をしていたこととも関係していた
それで今までしていた法律の仕事を役立てようとした

それはなぜか?

家にこもっているだけで法律の仕事も何もない、役立てることができない
それで法律を盾にして商店街にケチつけるようになった
つまり老人が尊敬されないというとき老人の用がない、居場所がないことなのである
でもこの人は夫婦で暮らしているから一人暮らしとは違う
一人暮らしだとさらにいろいろな問題が起きてくる
とにかく老人が増えてくるからこのような問題は増えるばかりだとなる

要するに私は法律に詳しいんだということを仕事してきたから言いたいのかとなる
それも迷惑なのだけどこれは社会全般で老人が増えすぎて用亡き者となっているからである、89歳となったら用もなにもないと思うがそれだけ長生きの時代だからこれからこういうこともありうるのである
それだけ老後の時間が長く暇をもてあます老人が増えるのである
だから金の問題もあるけどそれだけ長い老後をどうすごすのかも問題なのである

そして怖いのは仕事がない社会に用がない、家族でも夫婦でも夫が退職する邪魔者扱いにされる、でも今の社会は一旦退職するとまず今までの仕事を活かすことができない
駅が無人駅になったので私はボランティアで案内とかしたけどJRの駅長からにらまれて排除されることしかなかった
お前はそこで何しているんだとかなり警察が駆けつけて職務質問したりされたし誰も認めないから案内はやめた、ただ時々駅にきて話したりしてはいる
つまりボランティアというのは他でも正規に仕事している人たちにとって邪魔者扱いされているのである
たまたま無人駅になったから私は案内をするようになったが受け入れられない
今は高校生の見守り役が朝と2時半からいるからやめた

とにかく高齢化社会で老人ばかり増える、そこで様々な問題が生じる
老人だけではない、不満な人は執拗なクレーマーにもなる
その女性は田舎の最底辺だから執拗にスーパーとか他でもクレーマーになっている
それは店に行ってももともと貧乏だからまともに相手にもされないことにもある
田舎では何か底辺だと目立つなのである、田舎ではかえって資産とかないと暮らしにくいのである、そしてその人のことを知っているから地位とか資産とか何か役割がある人は暮らしやすいとなる、序列化されやすいからである
田舎でわかるのは市営住宅に住んでいる人たちは底辺なのである
そこには生活保護者が多いのでわかる

高齢化社会の問題は社会で無用化された人が膨大にいるという社会なのである
それで怖いのはそうして家族でも社会でも用なくなった人がぼけっとしていると認知症になり安いのである、そこで生きがいもなにもなくなるからだ
私の家族の一人は公務員だったけど早い時期にやめてから何もしていない、家事もなにもしない、やる人がいたから何もしない、そのうち認知症になったのである
認知症になった原因が後からわかったが何も用がなくなったことが大きな要因だったことは間違いないのである
そして認知症が800万人もなるというときこれは恐怖である
その介護のために社会自体疲弊して国力まで減退するとまでなるからだ

老人が尊敬されるべきだと言ってもこれだけ多ければ価値がないのである
そして法務所に勤めていたからとしてその仕事を継続して活かす場がないのである
昔の村の長老のような人なら村の掟(おきて)守る人として尊重されたかもしれないが
会社というか国家公務員でも一旦退職すると用なくされるのが現代社会なのである

だから私自身も駅のボランティアで経験したのでこのことが理解できる
おそらくこの老人は善意でしているつもりなのである
そして家では夫婦でいても妻に疎んじられる、何の用もないとなる
例えば仕事でも法律の仕事しても社会で活かされることはない
街に出ても何か尊敬されるわけでもない、ただの用なきありふれた老人であり無用の人にすぎないのである
でも客になればそれなりに受け入れられる、ただそういうこともなかったのか?
商店街を利用していなかったのかもしれない、今は商店街を利用しない
それでそんなところで店が潰れたという時、もともと客が少ないからそうなったと言う人もネットにいた

そして車社会になったことが商店街をさびれさせたのである
商店街にきてケチつける老人がいるということで商店街が目立ったが普通は目立たない
シャッター通りになっているのが多い
それも時代である、老人が運転することで交通事故が話題になっているのもそうである
高齢化社会はこれだけ老人が増えると当然様々な問題が起きてくるのである
現代社会は老人には合わない社会なのである
膨大な老人が無用となるだけではない邪魔者扱いされる社会である
だから若い人は老人は始末しろとまでなる、社会の害悪だとなってしまう
ただ東京の商店街でも老人が集まる食堂で繁盛したりと老人相手の商売も生れるのも高齢化社会である
でも商品でも老人用のものが作られていない、商品化されないのである

私は老人になってかえっていい面がでてきた、何かいろいろなことを深く理解できるのである、本でも今までただ買って積読だったが読み返してみるそれを自分なり解釈できるのである、これは何か不思議である、人間は老人にならないと理解できないことが相当あると思った、これは老人の強みとしてある
本でも一読して要旨がわかり評論もできる、それでアマゾンで1000円以下の本を買い集めているのである、それは読むだけではない、評論してアウトプットするためである
それがインタ−ネットでありプログになっているのだ
何か文章を書くということは理解を深めることである
文章にすることによってそれが何か形あるものとして現れるという感じになる
私は何か書くことは文章にすることは得意である、しゃべることはだめである
それでこうしてプログで書きつづけているのである
それも無料だからまた即座に反応できるから書いているのである
posted by 老鶯 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2019年06月11日

東京に原発を(広瀬隆)を読む (東京は原発と運命をともにすべき、そして地方はどうするのか?)

東京に原発を(広瀬隆)を読む

(東京は原発と運命をともにすべき、そして地方はどうするのか?)


東京に原発を作れというとき何かそれがありえないものとして無関心だった
そもそも原発がある地元でも無関心だったのである
だから衝撃的でも関心がないし関心がないようにさせられていたのである

東電では科学者がいて専門家が13メートルの津波が来ると試算していた

でもそのニュースすら大々的に取り上げられない、福島県の報道機関は全くあてにならないものだったのである
福島民報は県の出資が50パーセントであり県の広報と変わりないのである
そんなところで報道の自主性は完全に奪われていたのである、民友でも自主性はない
それから雑誌でも東北政経とかふくしま財界とかあったとしてもあてにならないものだったのである
東北政経はなぜ渡辺恒三のことを伝えている、何か後ろ盾になっている
日刊現代でも小沢が後ろ盾になって資金援助しているとかなる

マスコミとか報道機関がなぜ自主性が独立性がないのか?

それはそもそも会社と企業の広告費でなりたっているからである
それは報道に新聞でもテレビでも雑誌だって一か月一回だして金になるのかと疑問になるからだ、そんなことで生活できるのかと疑問になるからだ
するとこうして報道機関はマスコミの資金は大企業とか中小の会社とか政治家とかの援助があって成り立っているとしたらもうそこには何かを真実を追求することは不可能であるだからただ官報のようになっていたのである

そしてマスコミの90パーセントというか百パーセントに近く原発には反対していないのである、広告費をもらっているから反対しないし追求しないのである
それで朝日新聞社の幹部まで東電から中国に招待されていたとき事故が起きたのも象徴的だった、電事連合から800億円が宣伝費広告費として支払われていたのである
その額に驚く、それでマスコミは何も言えなくなったのである
今自分でもインタ−ネットだから報道できる、そうでなければ金がかかりすぎてできないのである
新聞などは本当に紙に刷って配るだけで莫大な金と手間がかかるのである、そんなこと一個人ではできないからだ
      
でも新潟の巻町で原発反対で住民が拒否して建てさせなかった、それを新潟日報は応援したのである

笹口町長のもとで八月に住民投票を実施。東北電力の買収・供応、利益誘導、締め付けと、国も乗り出しての激しい切り崩しがおこなわれました。しかし、投票率が89%に及び、反対が61%(一万二千四百七十八人)を占め、賛成の39%(七千九百四人)を大きく上回りました。

これは日本では例外的なのである、だからどうしてできたのかとなる
なぜならこの辺では積極的に誘致して危険をかえりみないことでわかる、ただ金になればいいしかなかったからである
小高で東北電力の原発の工事がすでに開始されるところだったのである
そのことを自分も知らなかったが家に来た大工さんが「小高に原発が建つから景気良くなるよ」と言っていたがそうなのかとしか思っていなかった、危機感がなかったのである、何かこの辺では報道もされないし反対もしないのである
この辺はとにかく金、金、金であり貪欲なのかともなる
だからどうして巻町で反対するだけではない原発を建てさせなかったのか不思議だとなる 
そして恐怖はこうして原発がまだまだ増えてゆくことだったのである、事故がなければ歯止がなく日本に原発が増えていた
するとどうなるのか重大事故がその中で起きれば日本が壊滅とまでなる、そういう恐怖も何もなかった
この本では日本が壊滅すると警告していたが福島原発ではそうはならなかったが事故がなければまだまだ増えていた
そういう危機感が日本全国でまるでなかったのである

第一報道するにも原発は政府で立ち入り禁止にしているから入れないのである
厳重に閉ざされた秘密の空間なのである、すぐ近くにあっても何をしているのかも皆目わからないのである
原発自体が専門家でしかわからないものなのだが何か核分裂させて熱をだしてタービンをまわすということでは原理としては石油でも石炭でもソーラーパネルでも風力でも同じなのである、だから必ずしもわからないということでなかったのである
熱をだしてエネルギーを電気を作り出すということは誰でもわかることだったのである

この本で本当にその危険性を鋭く指摘していた、それが原発事故前だったからやはりその功績が大きいとなった、その評価が大きくなった
この本が出たときはほとんど注目されていなかったかもしれない
ただ東海原発のことを中心に被害が東京に及ぶとか日本全体が汚染されるとか書いてあったが実際の範囲は東京まで福島原発でも影響がほとんどなかった
チェルノブイリの事故がありそれを例に誇大化されていたことは確かだが地震のことや津波のこともでもわずかだ書いてあった
パイプとかパルプでも1000とかあり津波の前に地震の揺れで壊れたとされる
そして日本の原発は老朽化しているから危険としている
東海原発は東京に近いということで危機感を感じていたのである

いづれにしろ

東京に原発を作り運命をともにしろ!

では福島とか地方は原発を拒否してなくなればどうなるのか?
それを考える人はまた少ない、そこにはやはり経済的に地方にも痛みがくる
電気はどうするんですかとか地方の財政はどうするんですかとか金の成る木の原発がなくなると地方はどうなるのですか?
何かそういうことが深刻な問題になる、なぜなら双葉とか大熊辺りは相馬地方だと都市部から離れていたからである、それで出稼ぎに行かないように地元で働き住みたいということで積極的に誘致したからである、その結果原発成金などが生まれたのも事実なのである
船主などは原発御殿を立ったとかり津浪で流されて罰あたったとか言う人が磯部とか海岸部に住んでいた人が言っていたのである
よほどその家を見てうらやましいからそうなった、今でも津波の後でも漁業関係者は特に船主は補償金が入るから豪邸を新しく建てたの知っている

ただ原発で働く人がこの辺では多いから経済的に相当な打撃になる
何も石炭でも石油でも今ならソーラーパネルでも風力でもいいじゃないかとなるが
それだって輸入すると金がかかる
太陽光とか風力は景観を壊すから自分自身は嫌なのである
ただではどうしたらいいのか?
それで家族一緒に暮らせるなら蝋燭でもいいやとか言った人がいた
つまりそういう極端な変化でもいいとかなったのは原発事故で家族が住めなくなったからである

とにかく原発とは一企業だけでできるものではない、国策として防衛としてやっている
原発からプルトニウムが生産されて核兵器に使用できるからである
そういう核の潜在力をもつことで韓国であれ中国であれロシアであれ威嚇できるということでそうしている、だからこんなに50基も日本に原発があるとなる
それは日本の防衛のためだからだとなる
そうなると日本の防衛をどうするのかという問題にもなる
核を持たないで国を防衛できるのかとか議論になる、そうなるからこそ原発は単に電気のためだけではないからこそやめられないとなる
電事連だって多くの人が働いているからこそ共産党でも原発自体には反対していない
ただ安全に稼働してくれということで追及していたのである
原発を日本からは石炭でも石油でも自然再生エネルギーでもいいとはならないのは日本の防衛問題があるから簡単ではないとなる
日本が回りは核兵器をもっているのに丸腰で守れるのかとなるからだ
だからさ右派は核兵器を持つべきだとなり原発をやめるなと言っているのである

いづれにしろ東京に原発を作れとういとき何か送電線問題だけではない、熱がでるからスチームとしても利用できるとか極めて効率的なのである
その場所がないというけどあると説明している
東京は一千万とかその周辺地域で神奈川県とかで3000万人とか住んでいればそこに原発があるのは極めて効率的なのである
そこが一番日本で電力を昼夜必要としているからである

では地方はどうするのか?それは地方の課題としてつきつけられている
経済が衰退しているのにこれ以上衰退していいのかとか地方の問題があるからだ
ただまず東京に原発を作れというのは正論でありその後に地方は地方で考えるとなる
その時地方にも痛みが生まれる、そうなると地方に住みたくないという人もでてくる
それはそれでやはり地方に住みたい人は住む、でも今までのような豊かな生活はできないともなる、ただそれでもいいという人は住むとなる
そして東京に住んで原発とともに運命を共にするのは嫌だという人もでてくるから何かそこで二つに分かれるかもしれない、何かそこで価値観が分かれる

そこで住み分けが生まれるかもしれない、何か映画で核兵器を原発を守り神のように信仰までになっているのを見た、それが東京になる
それが嫌だというとう人は地方に逃れるとかなるかもしれない、それもまた社会を変える日本を変えるものとなる、確かなことは東京に原発を作ってこそ原発は容認されるとういうことである、そうでなければ容認はできないのである 
地方の守り神を原発にしてはならないのである
東京は原発と運命をともにする、でも重大事故になったら東京に住めなくなり今度は地方に移住するようになる
それも大量の移住でありそれでようやく東京一局集中が消失するのかともなる
その未来はわからないが原発を作りたいなら東京に作れというのが一番効率的であり合理的判断なのである
できなければ原発はやめろ、地方には作らせないとなる

posted by 老鶯 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり津波のことだったのか? (津浪で死体を処理した日下石のばあちゃんもショックで後で死んだ)


海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり津波のことだったのか?

(津浪で死体を処理した日下石のばあちゃんもショックで後で死んだ)






円光塚よりいず。転々として大いなること茶銚のごとし

また垣の如きもの路に横たわる。善次中刀をぬきこれを切って
通行す、・・・・

転々として大いなること茶銚のごとし

これは津浪で流される様を表現したものではないか
津浪によって転々と大きなものでも日用品でも流されたからである

垣の如きもの路に横たわる

これは垣とは壁だとか垣根であり津浪で流されて道をさえぎった様を言っている。
これも津浪の被害をその様子を知っていて記されたのかもしれない
ただ本当に津浪の被害のことは資料がないから知りえようがないのである。
これも謎である

日下石で聞いた話ではばあちゃんが磯部から流れ着いた死体を積み重ねて処理した
でもそこで心労も大きくまもなく死んだという話である
磯部は2000人住んでいて250人死んだとか悲惨だった
完全に村は壊滅して跡形もない、その後はソーラーパネルが敷き詰められた
あそこで農家の人にここに死体が流れ着いたんですよと聞いた
墓地で語ったばあちゃんはぎりぎりで助かりそのことを語った


その後善次病死して棺を出す。時に大原村の森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。

棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。
知らず「おいか」とは何の言なるか。
ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。

大工の善次がなぜ死んだのか?これも謎である
つまり怪異ありとは磯部のばあちゃんが死体を処理してそれで死んだのと状況が似ている何か異様な状況がそこにあり死んだ、それが津波で死んだ死体を見たのかもしれない

ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。

これは津波で死んだ人のことだったのか?

大原が関係しているのはその時、相馬氏は大原から小池の方に進出した
海側はまだ中世時代の館があり入り込めなかったのである
八沢浦の柚木は相馬市になっているけどあそこが鹿島(北郷)の境だったのである

「おいか」これが何を意味しているのか?

これがわかれば何かヒントなり謎が解けるかもしれない
ともかくあれだけの被害と人間が死んだのだからそれで祟って死んだということも信じられないことではない、死体の山になったのだからショックだったのである

それが、生まれ故郷だしここで頑張ると言っていた人たちが、一人欠け、二人欠けしていく。

 出る、のだと言う。

 夜、寝ていると足元から津波で亡くなった隣人たちが這いすがってくるのだと。

 とてもじゃないが、こんな幽霊が出るところで暮らしてはいけないと、集落には誰もいなくなった。

 ともかくあれだけ人が死ぬと何かしら怪異があっても不思議ではない
それを簡単に迷信だとかなんとか片付けられないのである
死者の霊が海辺に被害の地に漂っているという感覚になるからだ
ただ今はソーラーパネルとかになって磯部でも全く昔の面影は何一つ残っていないのである


posted by 老鶯 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2019年06月10日

相馬藩の慶長津波の証拠 (津波の前と後で石高が大きく変化したーその詳細の検討)


相馬藩の慶長津波の証拠

(津波の前と後で石高が大きく変化したーその詳細の検討)  

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  慶長奥州地震と相馬中村藩の復興( 岡田清一)
(グーグルで検索)

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慶長16年 1611年(11月13日)慶長三陸津波 相馬藩700人溺死、伊達藩5000人死亡とも
慶長 1611 12月 中村城に移転
慶長18年 財政困窮 給人、寺社方、職人にいたるまで役金を義務

慶長19年 大阪陣に参加 


中村城普請、江戸屋敷の普請の費用、参勤交代による費用などがあり在郷給人にその他寺社方、職人などに至るまで百石につき山両一分の割りで慶長18年から元和二年までの間、役金をおうせつけられた。
さらに財政が苦しく二分増しの三両三分とされた。
給人はこれまでも困窮していたためにその収入で上納もできかね、重代の大刀、刀、武具、家財まで売り払い下男下女まで売り払って役金を収めた。
これでは苦しいと役金の免除を申し出た。
でも殿は参勤交代の金も工面できないと許さなかった。
その後役金が免除されないなら知行地を返上したと再三訴えた。
このために他藩に行く者もあった。 

慶長津波の7年後に役金を課している、それは津波の被害が影響して財政的に苦しんだためか?その頃外部から他藩からの援助はないから相馬藩だけでまかなうことは苦しい
だから無理しても役金を課したとなる
戦国時代でありまず軍事費が優先されたのである、それは日本の戦争のときもそうだった戦争になればまず軍事費に予算がとられるからである 

相馬藩では700人溺死という記録しか津波ではない
その証拠となるものはない、でも岡田清氏が津浪の前後の石高を計算した
これは有力な証拠となる、目に見えて明らかなのである
津浪の前後で極端に石高が変化している
そしてその後に寛永16(1639)に津浪から28年後に倍増している
その変化を見ればやはり慶長津波がこの辺にありその時石高が極端に減少した
米がとれなくなったのである、それで財政が逼迫して津波の後なのに役金を課した
今ならそういう大きな災害の時は政府が援助するし外部の人が援助する
でも戦国時代であり援助はされない、だから苦しくても相馬藩内でなんとかしようとして役金を課したのである

これだけ苦しいのに役金を課せられたから過酷だった、それで相馬藩では伊達領に開拓のため移住した藩士がいた、それは伊達藩でも津波の被害があり人手を要したからである
そこにこういう相馬藩の事情があった、役金に税のとりたてに苦しんでいたためなことがわかる、郷士などは給人などは下級武士であり税のとりたてに耐えられなくなり伊達藩に移住したのである

でもなぜその後20年後には石高が倍増した、それはなぜなのか?

ここも謎なのだが当時は農業しか仕事がない、農業で食べていくほかない時代である
そういう時代が長かった、だから戦後の引揚者でも荒地を開墾して農業をはじめたのである、津波の被害があっても開拓して田を広げていった
そして1688年(元禄)に津波から77年後になると開拓は進んで日本が繁栄した次代なる、元禄文化が華咲いた時代であり、その時芭蕉が生まれたのである
それは江戸だけではない、地方でも開拓が進んで豊かになったのである

それで日下石の新田には元禄の碑があった、新田だから新しく開拓された場所だった
そこまでも津波が来ていたのである、だから慶長津波でも被害があった地域かもしれないが開拓されて元禄になると津波の被害からは完全に立ち直り石高倍増したのである

ただ石高の変化の図をみてもそれぞれに差がある
なぜ宇多郷(相馬市)では10分の一以上も石高が減ったのか?
つまり相馬市地域は一番被害が大きかったとなる
今回の津波でも被害が一番大きかったのは相馬市である、だからこれも共通しているのか?
なぜか北郷(鹿島)は被害が少ないしその後に石高が倍増している
まずその時八沢浦は開拓されていない、入江であり港があった、だから港という地域には人は住んでいない、明治以降開拓されて住んだ人が多いからである
また右田地域はおそらく津波の後に開拓された地域である
だからそこの被害も少ない、海老とか烏アは被害があっても田んぼはないから石高に影響しなかったのか?
何か慶長津波の被害が北郷は少ないのである

中ノ郷(原町)の被害も大きかった、これはなぜなのか?
今回も萱浜などが大きな被害になった、でもその頃萱浜は田んぼになっていたのか?
萱浜は越中などの移民が入ってきて開拓された土地でもあるからだ、ただ北泉辺りが被害があったのか?金沢地域でもここも開拓された地域である
相馬市(宇多郷)地域が被害が大きいことがわかるが中ノ郷(原町)が被害が多いことが良くわからない、そして小高郷も被害が大きかった 

小高の特徴は寛永になっても石高が減っている

これは何なのか?なんの理由なのか?
津浪の被害で石高が減ってその後になぜ回復しなかったのか?
小高は鎌倉時代以降港の機能があり蔵院とかまであった
船運が盛んにあった地域である、それでそこに多数の船があった、それでおんふねと相馬藩政期に多数記されているのである
その船も全部津波で流されたのかもしれない、なぜなら小高の海の方の駅前まで津波が来ていたからである、津浪で港の機能は失われたとなる
そしてなぜ小高だけが寛永時代になっても石高が増えないのである
他では増えているのに増えない、減っているのだ
これも理由がわからないが港の機能を失ったことと関係しているのかもしれない
海側に開拓できない事情があったのかもしれない、浜通りでは海側を開拓して田んぼを広げてきたからである、それができなければ石高は増えないからである
事実に大正時代にも井田川は開拓されていたからである
ともかく小高は石高が寛永時代にも回復しなかったのである

まず津波の後に中村に城を移転するにしても費用がかかる
大阪陣に参陣とかもつづきとても津波の被害に金を回すことなどできない
それより役金をう課してもう給人でも耐えられなくなっていたのである

重代の大刀、刀、武具、家財まで売り払い下男下女まで売り払って役金を収めた。

ここまでなっているということはどれだけ窮迫していたか察せられる
とにかく慶長津波で何があったかその時代を再現してみないとわからない
そして何かそうした歴史でも必ずカルマがある
カルマとは繰り返すことなのである、また一旦カルマが生じるとそれが消えることはないのである、天安門事件でも一旦そうしたカルマが生じると消えることはない
そこで無惨に死んだ人たちの怨念を消すことができないのである
だからまたそのことで政権が危うくなる、呪われるのである
歴史的カルマもある、それが津波だったのである
そこで省みられることもなく死んだ犠牲になった人たちは語られず忘れられていたけどまた津波が来てこうしてその時あったことを死んだ人たちをのことをふりかえることになったのである  
     

 
ビスカイノの報告

ビスカイノのことです。相馬藩に到着した翌日にラシャや衣類を貢ぎ物として相馬利胤に面会しました。この目的は相馬藩と友好関係を築いて海難事故の時に支援を要請し、キリスト教への改宗も考えていたようです。
彼は、其城内に於て快く司令官を迎へ、城は破損し、再築中なるを以て城内に迎へさ゛るを謝し、同市も海水の漲溢に依り、海岸の村落に及ほ゛したる被害の影響を受けたりと言ひ、其通行の際竝にイスハ゜ニヤの船又は国民同所に来る時は、全領内に於て喜んて゛十分なる給与をなすへ゛しと述へ゛たり。而して翌月曜日我等か゛行きて海岸及ひ゛余り用をなささ゛る二つの入江を測量する為め、同市に滞在せし時に其約を果したり。
相馬利胤はヴィスカイノを歓迎し、城が破損して再建中のため城外で面会したことを謝ったと記されています。この城とは同年に小高城から本拠を移転したばかりの相馬中村城と思われます。面会した場所は「城塞の入り口」(a la puerta de su fortaleza)と記されており、大手門周辺であったのではないと思われます。         

相馬市宇多郷地域は確かに津波が来ていた、これも証拠である、だから慶長津波がないとはありえないとなる
ただそれが伝えられない、民間でも伝えられないことの謎である
それは記録するものがその時戦国時代であり津波の被害を重視していなかったからだともなる
そして庶民は文字を書けるものがなくできなかった、伝説が残ったにしてもそれも忘れられた
ただ伝説といっても鹿島の八沢浦にだけ残っているのである
相馬市の諏訪神社の船が流れ着いたというのはいつのことがはっきりしていない、松川浦から1500年以降移転したとなるとやはり慶長津波のものかとはなる、ただそれも証拠とはなりにくいのである

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2019年06月09日

以前として解き明かされない津波の謎 (柏崎と日下石により話を聞くー死体処理した人がショックで津波の後に死んだという)


以前として解き明かされない津波の謎

(柏崎と日下石により話を聞くー死体処理した人がショックで津波の後に死んだという)

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地の内古墳

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日下石まで海になった





●小城の小高城では領地支配に心もとなく、義胤はより堅固な場所に本拠を移そうとする まず、小高城の東、太平洋に面した独立丘に目をつけ、慶長元年(1596)村上城を 築くが、火災で資材を焼失し、不吉として移転を断念。

●築城年代は定かではないが永禄6年(1563年)頃に佐藤伊勢好信によって築かれたと云わ れる。佐藤氏は源義経の家臣佐藤忠信・継信兄弟の後裔を称し、好信ははじめ岩城氏の 家臣であったが、後に相馬顕胤・盛胤に仕えて軍奉行を務めた。天文11年(1542年)伊達 輝宗との合戦の功により磯部・日下石など宇多郡の内六ヶ村を領しはじめ磯部館(佐藤 伊勢館)に居を構えた。しかし、海水による浸食が激しく鬼越館を築いて居を移したと いう。

●相馬市黒木の諏訪神社の社頭の松は「桃井の松」と呼ばれる。諏訪神社は、もと宇多郡 尾浜村(相馬市の松川浦北部)にあり、天文七年(1538)に西方の黒木に遷座になった といひ、当時の歌が伝はる。桃井とは神官の名前らしい。(諏訪神社由緒)

 1611年12月2日(慶長16年10月28日)、慶長三陸津波

 なぜ慶長津波の前に館とか神社が移ったのか?
それも謎なのである、特に相馬市の諏訪神社が慶長津波の前に移転したのは謎である
なぜなら諏訪神社がそこまで舟が流れ着いたという伝説があるからだ
実際相当奥であるが小泉川をさかのぼって津波がおしよせてそうなったのかもしれない
仙台でも砂押川が小さいとみてもまず津浪は川から押し寄せるからである
それじ自分の住んでいる所が川の側なので川が大変なことになっているというとき見に行かなかったが真野川を津波がさかのぼりおしよせた恐怖である、川下では津波は土手を越えたからである
だから諏訪神社に残された伝説は全く作り話とも言えないのである

仙台の多賀城の末の松山の歌 

わが袖は名に立つ末の松山か空より波の越えぬ日はなし(後撰集、恋二、土佐)

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(後拾遺集、恋四、清原元輔 百人一首)

これは貞観津波のことであり慶長津波ではない、貞観津波は多賀城に都の人が赴任してきたからいろいろ伝えられたのである   

でも不思議なのはなぜ慶長津波の前にこうして不吉だとか高潮だとかまた松川浦にあった諏訪神社も移転している
それはみな海側の神社なのである、村上城は1596年に不吉だとして移転している、これも慶長津波の10年前くらいなのである
ささに何らか津浪に関する謎が移転したことである

それから今回地の内という所の墓地でこの辺に住むばあちゃんと話しした
そこに五輪塔の立派な墓があった、その墓があまりに立派だったので話ししたらそれは嫁いだ人が故郷を出て成功して財を築き建てたという、もう一つも立派な墓である、それも兄弟だとか言っていた
何か事業に成功した人で先祖の地にあのような立派な墓を建てたとなる、他の墓は普通の墓だからである
それはまるで殿様のような大きな墓なのである

そのばあちゃんが言うにはここまでは津波は来なかった、でもぎりぎりだった、磯部から死体が流れてきてそれを積み重ねて処理したそのショックで津波の後すぐに死んだという、私もあの辺で死体が流れてきた聞いた
とにかく磯部の被害は大きかった、人家が多いから大きかった
死体でも相当に流れてきて処理していたのである、その時一番活躍したのは自衛隊だった、そして過労で自衛隊員が三人死んだのである

ただ地の内とかに古墳がありあれこんなところにあったのかと発見だった、相馬市にはあまり古墳がないからだ
そしてそこに古墳があるということはそこまでは津波は来ないのである
近くまで来ていても来なかった、でもなぜあんなところに古墳があるのか不思議だった
それから諏訪神社がありあそこにも津波は来ていない、でも磯部の近くの神社には津波が来ていた
神社だからだとすべて津波が来ないとういわけではなかったのである

いづれにしろ津波の謎は解けていない、今回でも柏崎から磯部を見たとき柏崎は高台だから被害がなかった
そしてあそこは畑しかない、そしてそこに住んでいた人が津波を来るのを見ていた
あそこなら見晴らしいいから見える、そして柏崎には田んぼがないのである
だからそもそもそこでどうして暮らしていたのか?田んぼになったところはもともとは湿地帯であり埋め立てて田にしたのである
ただ田にすることによって高台に住んでも米を食料として住むことができるようになった
それでもなんらかあれだけ海が近いのだから磯部の方でも魚をとりに行ったかもしれない
縄文時代に住んでいたかどうかわからないけど今田んぼになっている所は海だからなんらか漁をして魚をとって食料としていたことも考えられる

でも湿地帯の所に古墳があったということはそこに古墳時代に人が住んでいたのである
南相馬市の鹿島区の横手古墳でもそうである、海から遠いにしても海が見えるような地域でもあるからだ
ただあそこは海に結構近いのであく、津波が来た地点に近いのである
そして日下石という地名はニッケシであり二シのことである、説はあるにしてもそのニッケシがなぜ西になるのか?
それは海洋民は海から渡ってきて名付けたからだと推測した、なぜなら津波で海になったとき太陽がその海になった岸の方に沈んでゆくのを見たからである、これは海から見ない限り知り得ないことである、またありえないことなのだ

その裏付けとしてとにかくこの辺には綿津見神社が多いのである、山津見神社も対になってある、それは安曇族などが渡ってきたためだとなる、海洋民だと海からの視点になるからニッケシが西であり海から見たときその岸は西になるのである
そして実際にあの辺一帯が海になったときは驚いたのである、ニッケシだけはあの辺で変わった地名なのである
アイヌ語説もあるがやはり安曇族などが渡ってきてつけられた地名なのかともなる  

とにかく磯部の被害は大きすぎた

相馬市磯部地区では約2000人の住民のうち、251人が大津波の犠牲になった。市全体の死者・行方不明者458人の半数を超える。

村は全部壊滅して消滅した、250人の死体が流されたのである、それがちょうど今回ばあちゃんから聞いた墓地の地点辺りだった
相当数の死体が流れてそれを積み重ねて処理した、それでそのショックで津波の後に死んだという
それだけ磯部は悲惨だった、自衛隊は泥の中から死体を掘り出していたのである、その中には子供の死体もあったのである
そして自衛隊員も三人過労で死んだのである
津浪の記憶もだんだん忘れつつあるがまだまだ簡単には忘れられない記憶である、被害が大きすぎたからである
そして慶長津波のことが溺死者700人とか記録されていないのでその実態が解明されていないのである





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「天安門事件」から30年の経過 (中国の目覚ましい経済発展で恐怖政治の共産党が問われる)


「天安門事件」から30年の経過

(中国の目覚ましい経済発展で恐怖政治の共産党が問われる)

人間は過去を忘れやすい、自分自身書いたものすら忘れている、それでホームページとかプログは人に読まれる前に記録することで有効だとなる
第一これは自叙伝みたくなっていてあまり人が読まないからである
ただ人間は意外と記録することが大事だともみる
旅したことでもこんなところに行ったのかと全く忘れている
それでその時写した写真が残っていて辛うじて思い出しているのである
人間は常に忘れらさてゆく存在なのである
人間は一旦死んだら急激に忘却されて伝説の人にもなってしまう
その人について身内でもあいまいになってしまうのである
なぜならこの世に生きていれば次々に人でもなんでも変化するからそうなる
すると常に今に追われて過去は忘れられるのである

それで「天安門事件」が30年過ぎたのか?
その時どうだったのかということが思い出せなくなる
ただ現代でわかったことはテレビの映像は頭に焼き付けられるということである
戦車の前に立った青年のことは誰でも思い出している、何か学生が軍隊に抵抗して兵士も殺している、戦争状態になっている
人間が焼かれて吊らされたとかそこは地獄絵だったのである
ただそれから30年も過ぎたとなるとあれは一体何だったとなる
それより自分自身の30年前は何していたのか?
それすらわからなくなる、結局自分はどこかに旅していた、どこかに泊まっていいた
そんなことは記憶している

その後10年過ぎて中国に旅したのである、中国には三回旅している
何か中国は日本の親だと思うから行きたかったのである
それもはじめての旅で中国を旅することは間違っていた、それも何も知らないで行ったのである
中国の20年前は今とは全然違っている、鉄道の旅になったが一般庶民が乗るのと観光客が乗る車両は全く違っている、一般庶民が乗る車両はすしずめでありそこには乗れない
死んでしまうかもしれない、家畜のように庶民が詰め込まれていたのだ
車掌が実際に鞭で打っていたから家畜と同じだったのである
大陸では中国でも人民を家畜と扱うこと奴隷と扱うことが歴史だった
なぜなら民族同士の激しい争いの歴史であり負ければ奴隷にされる

それは大陸全般の歴史である、なぜ奴隷がいるのか?
そしてなぜカースト制があるのか?
これが大陸の歴史から生まれたものであり階級制もそうである
それは民族同士の熾烈な争いの結果そうなったのである
負けた者たちは奴隷にされるのが大陸国家だからである
それは中国でも同じだしインドのカースト制もそうである
共産党の国家でも幹部は兆もの金をかせぐ特権階級になって階級制を作る
第一中国とは多民族国家でありそういう国家はみんな階級制になる
始皇帝の最初中国の統一国家でも長安(西安)は国際都市だったのである
だから兵馬俑には外国人が混じっていたのである
中国自体が多様な民族であり漢民族が中心にあっても常に多民族が進攻して
王朝を建てたから多民族国家である

中国にはペルシャ人が何十万人もいた地域があると伝えている。シルクロードを介してペルシャやギリシャの人々や文化が入って来ても不思議ではない。
その流入の地であった秦の国に最先端技術(優れた製鉄技術、牛耕技術)を持った渡来人(西アジアの人々、イスラエル移民と想定)が大量に流入し、新しい文化を持った国を造り上げたとしても不思議ではない。
現に、秦の始皇帝の実の父は荘襄王ではなく“呂不韋(ロフィー)”と言われている。この名前は中国人ではなく外国人の名前を中国語で表記したと思えるのです。

大陸国家の特徴は多民族国家である、多民族をどうして治めるかということで歴史があるローマ帝国でもそうである、多様な異民族を支配する政治があり法律が生まれた
それで今でもローマ法が成立する、ただそこでも奴隷が容認されていた
異民族がいてそれと戦争して負けたら奴隷にされるから常に奴隷がいて階級制が生まれるオスマン帝国外伝のドラマでもそうだった、イスタンブールのハーレムには外国人の戦争に負けた国から女性が連れてこられていたのである
そこには宦官がいたのも中国と同じである、つまりこういうことで大陸国家は共通しているのである

なぜ奴隷がいるのか?

それは大陸国家の共通した歴史から生まれていた、だから黒人を奴隷としてアメリカに連れていったのもそうである、それが大陸国家の歴史なのである
なぜそうなるのかというと現実に日本でも外国人労働者が多くなった
先日も7,8人女性がいた、それはベトナム人だった、ネパール人も三人知っている
何か増えてきた、この辺はまだ原発事故処理の仕事があるからともいえる
それで黒い顔の人がいるから最初はスリランカ人かとも思った、前に来ていたからであるネパール人が最近増えてきたのである
そしてネパール人で面白いと思ったのもここにも階級制がある、カースト制がある
人種が混交しているから人種色分けしてカースト制が生まれる
日本人も色分けしてある人種と同等とされてカースト制に組み入れられていることも奇妙だと思った
それだけ人種が混交しているから色分けされるのは大陸国家なのである
日本がだってこんなに外国人が増えてくるとそうなりやすいのである
白人は優遇されるというのは歴史的にそうである
ではネパールとかベトナム人は一段劣ったものとしてみる
それは経済的なもので低いとみる、現実に出稼ぎに来ているから一種の奴隷なのである
つまり民族が混交すると階級制とか奴隷制とかカースト制が必然的に生まれるのであるそれが大陸国家の歴史なのである

日本は島国でありそういう歴史がないのは特殊だったのである
それで中国人が敵味方塚として敵まで墓を作り供養していることはしりえないとなったのである、中国人は敵だったら墓をあばいてでも罰するからである
日本はそれだけ世界にない特殊な国なのである、それは島国で2000年前とかにすでに民族が一つになっていたためである、そういう国は大陸にはない
日本には奴隷の歴史がない、だから外国人でも奴隷として扱えないのである
外国で召使を使うこともできないのである、それはそういう歴史がないからである
第一まず普通の人が家で人を使うことはむずかしい、古い旧家だったらそういうことになれているからできる、でも普通はそういう家はまれだからできないのである

いづれにしろ天安門事件がなぜ起きたのか?
それは中国の歴史がありそういう歴史の延長として事件も起きる
共産党は平等を目指してもやはり権力を握ったら共産党王朝になったともなる
中国は独裁政治がいい、良く言えば君主制にあっているとなる
あれだけの人民をどうして治めるのかとなると強権しかないともなるからだ
20年前でも人民が貨車に家畜のように鞭で打たれて詰め込まれ移動する
その数が膨大でありそれが流民のように都会に出稼ぎに来ていた時代だったしそれは継続している
中国では飢饉などあると膨大な数が食料を求めて流民化する、その時戦争にもなるのである、だから中国では経済がうまくいっていればいいが習政権でも経済がうまく回らないと危険になるというのはそのためである
中国の歴史はどうしたら膨大な数の人民を食べさせるかが最優先の課題なのである

結局天安門事件がなぜ起きたのか?
それは中国ではまだそうした民主化運動は時期が早かったとなる
経済の復興の方が最優先課題だったのであり人民をそのデモを支持したともならない、
学生主体だから日本の全学連の学生運動とも共通していた
誰も庶民は学生運動など支持していなかったからである、インテリを支持していなかったからである、むしろ警官は反発していた
なぜならその時大学に入っていた人たちは恵まれた人たちだったからである
中卒で金の卵で働いていた人たちが相当数いたからである
だから国民に共感されていなかったのである

いづれにしろ「天安門事件」から30年過ぎたというのも早いと思う
その間に中国がどれだけ変わったか?それも信じられないとなる
日本がよりもう中国が技術でも優れているし経済力ではもうかなわない
それが20年くらいでそうなったのである
日本の高度成長を20年で成し遂げたと同じである
それだけ今はグロ−バル化しているから追いつくの早いとなる
ただあれだけの巨大な国だからその潜在力があったとなる

そして中国が世界のリーダーになれるのか?

こんなことまで言われる世界になった、それで天安門事件が取りざたされる
中国が世界を支配すればどうなるのか?他民族はあのように殺されたりする
ウイグルとかもそうである、共産党一党独裁で反対は許されないとなる
ただ中国自体が世界のリーダーになるということを自覚していない
経済が猛烈に発展してそういう立場にあることを世界が見るようになったが政治はそうなっていない、その前に経済発展が急速に進んだということである
経済と政治はまた別問題なのである

いづれにしろ共産主義とかは世界共通のイデオロギーにはなれないことは証明されているそれは一党独裁を生みかえって階級制を生んだともなるからだ
では中国の民主化が可能かとなるとあれだけの人口と国土を一つにまとめるには強権しかないともなっている 
中華思想しか中国にはない、でもそれが現代の世界に通用しないのである
でも世界のリーダー国になるとしたらそういう恐怖政治の国にはついていけないともなるだから世界からの目が厳しくなっているのである
ただそういう自覚は中国にはない、共産党一党支配で甘い汁を吸いばいいとしかないのである、もちろんアメリカもまた強引な世界へのイデオロギーの押しつけだったのである
民主主義でもイデオロギーでありそれが世界にすべて適応できるともいえない
アメリカだけが善だということはなかったのである、それを強引に押し付けたのがアメリカだったのである
中国が経済的に軍事的にも科学技術的にも一等国になり世界を支配するとなったらそれに従うのか?
ヨ−ロッパでも周辺国でもやはりそうした恐怖政治に従わない
その歴史の実例として天安門事件が共産党一党独裁の強権政治の汚点として見られるのである、そしてその後は天安門事件が無かったようにされ監視が強化されて忘れられる
しかし30年過ぎてその亡霊に共産党は悩まされているのである
やはり死者の怨念が怖いとなる、それを消すことが簡単にできないということである

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2019年06月08日

初夏から梅雨へ短歌五首(我が家に籠る日々)


初夏から梅雨へ短歌五首(我が家に籠る日々)
   

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夏菊や真昼の光受けて映ゆ                      

黄菖蒲や草むらいでてキジの鳴く

街道を歩む人あり松に藤


夏菊に夕日のさしぬ田の面かな浜風吹いて海の近しも

影と添い石は黙(もだ)して我が庭に舞い去り消えぬ黒揚羽かな

死す人のなお面影にその家に残るやあわれ春は逝きにき

雨のあと濡れにし薔薇に夕日さし我が籠りし家なりしかも

我が一人籠りし家そなおここに齢(よわい)重ねむ薔薇雨にぬる  


老人になると家が大事になる、それで子供がいなくなって広い家だけど家賃が10万かかるけど他に移れないという人がいた、愛着があるから移れないという
その家は借りているでもそうなる、思いがそこにあるからだ
家には死んだ人も六〇年も住んだとなれば思いが残っている
その家から離れたくないとなる、最後は施設に入っても家に帰りたいというのもわかる
ただこの世の無常は家さえ実際はなくなっているのだ
家族はそういう人も死んでいるからだ、ただ昔一緒に過ごした家族のもとに帰りたいということなのである

何か私の母は目立たない女性でありだから影のように添うともなる
それは自分もその性格は受け継いでいるのである
何か引きこもりというかそれは批判されるけどそういう性格の人はいるのである
そういう性格はそれにあった生活がするのがいいのだが何かそれが社会ではできないのである
だから陰性の人は内向的な人は損なのである、どうしても外向的な人が好まれるからだ
自分にしてもいつもにこにこしている四〇くらいの女性はいいなとか思うからである
でも人には生来の性格がありそれを変えようがないしそれを批判してもしょうがないのである

暑かったが寒くなり梅雨入りになった、街道を歩む人は絵になる
何か歩いている姿が絵になる、歩いている姿に感動するというのも変なのである
車が道路を突っ走っているからそうなる、道路は歩く場所でなくなっているからだ
だから歩いている姿に感動するというのも本当に変な社会なのである
ただそれを異常だとは誰も車社会だから思わないだけである

草臥れて宿かるころや藤の花(芭蕉)

この句は歩いているからこそできた、歩いている人を見ていると藤の花の季節には自ずとそうなる、

旅の宿奥の小部屋や藤の花

こんなふうにもなる、旅するということも現代は失われているのである
電車の旅でも旅人にはなれない、やはり歩くと旅になり絵になるのである
そして今は旅人は歓迎されない、金持ちの保養する人が歓迎されているのが旅館でありホテルなのである、ホテルとなるとまた旅情がないのである
旅に明け暮れたがここ十年は介護とかでしていない、何か疲れたとなる
遂に旅する気がなくなったともなる
ただ今度の新しい自転車は楽なので遠くに行けるがその気力がなくなっている
旅も遂にはできなくなる、人生も何しても短いなと誰でも最後には思う

花吹雪過ぎく時の早しかな

本当に過ぎゆく時は早い、この句も誰か作っているようにも思う
ただ感じ方が違ってくる、人生の華やかな時は花吹雪のように知ってしまうとういことである



「貧乏生活ほどお金がかかる」 (地方の貧困はますます厳しくなる)


「貧乏生活ほどお金がかかる」

(地方の貧困はますます厳しくなる)

●車代の出費が大きい

お金がないと、この「移動手段」には隠れたコストが2つあることに気がつきます。1つ目は、車には高額な修理費が避けられないこと。私はブレーキパッドの交換時期を無視していたせいで、キーキー音が鳴るようになりました。その音は嫌でしたが、お金が出ていくことはもっと嫌でした。そこで、音楽を大音量でかけてごまかしていたのです。

車にもよりますが、ブレーキパッドの交換には平均145ドルがかかります。それは、1カ月分の食費に相当します

破産経験者の私が語る「貧乏生活ほどお金がかかる」という現実

●通信費の出費(老人も携帯は必需品)

iPhoneだって、日本全国どこに行こうがiPhone XSは10万円するわけで、物価の安い田舎に行ったからと言って3万円に値下がりするものではありません。

●医療介護費用が大きい

これも節約できないので負担が大きい 

●水道、電気代などが大きい

これを止められれば生活できな


その家族はまず一人の非正規の労働に頼っている、その人は建築関係であり常に移動しているから車が欠かせない、でも車は結構金がかかる代物なのである
もし車を使わないと30年くらいで一千万くらい節約できるかもしれない
私は車は使っていないからその分節約していたとなる
私は仕事もしなかったけど金も使っていない、旅行したとしても最低の金しか使っていないからである、それで海外旅行では意外とバックパッカーで安くついたので金が残ったので高いヤマハの最新の電動自転車を買った 
介護を二人したがそれもそれほど金を使わずにすんだので助かった

その人は親が青森の介護施設に送られた、安いのとこの辺では人手がなくて受け入れる施設がない、ではそれで何もしなくてもいいかというと何かと金が要求される
つまり施設ではあくまでも基本料金だけではすまない、その他にかかるので要求される
その負担もあるから苦しい

そしてその女性は70近くであり絶えず体の不調を訴えている、それもこの辺では治療できないからと東京に行ったり仙台に行ったりしている
この辺ではめんどうな病気は仙台に行かないと治療できない
この負担が老後になると大きいのである
月三万で病院通いしている老人がいたとか病気になっている人が多いからである
一旦家族でも自分自身でも病気になると金だけでも解決できなくなり破産するようにもなる

通信費というのも老人でも携帯は必需品であり欠かせないとなるとそれも負担になる
それは都会と田舎に差がないのである、田舎だから安くつくものが現代では少ないのである
そして現代では水道、電気代が大きい、それで金が底をつくと必ず水道や電気をとめられ生活できないと泣きついてくる
結局現代は貧乏でも金がかかる時代なのである
これらの費用が欠かせないからである

戦後十年では電気は裸電球一つであり飯台一つでありエネルギーは炭だった
水は近くの井戸水をもらっていたから無料であり糞尿は近くの農家の人がもって行った
それも無料である、紙は新聞紙でありトイレットペーパーがなかった
もちろん車がない、自転車があったがそれも一台を修理してみがいて長く使っていた
新しいものを買うというのはほとどなかった
風呂は外風呂であり鉄砲風呂であり私は子供の頃風呂焚きが仕事だった
その燃料は近くの木材店でバタを買ってなのかもらったのかそれが燃料だった

その時は本当に金を使っていない、また使いようがない時代だった
現代はこうした金の使わない生活がそもそもできないからさらに苦しくなっているのだ
これらのものが最低限必要でありそれだけで昔のような貧乏生活ができないのである
だからなぜその人が東京までわざわざ医者に診てもらうために行ったのかと何か贅沢に思える、ただ江戸時代でも医者に診てもらうためには遠くに行かざるをえなかった
特に目が悪い人が多く、そのために遠くに行って医者に診てもらわないと直らなかったからだ

結局現代の生活が貧乏といってもその基本料金自体を省くことができない、するとどうしても節約もできないのである
それらは現代生活の必需品だからである、それで最後は水道と電気をとめられるのであるそれでその人が貧乏だということを知るのである
そうでないと貧乏が見えないのである

自分自身はある程度は余裕があってもそういう人とつきあっていると自分自身にも影響する、そしてそういう人が家に入り込んできて大金を盗まれたとか事業に失敗した人に苦しい時に借金を頼まれたかと地銀に投資信託を買わされて大損したとかなる
なぜなら地銀自体が追い詰められているからもう地方で投資する先がない
金を貸す先がないとか苦しいから詐欺的な投資信託を売りつける
第一地銀の支店長自体が株のことを知らないとか投資信託をのことを知らないと言っていたのである
素人並みでありそんな人がなぜ売ってもうけさせてくれるのか?
金融のプロでもなんでもない、素人なのである、ただ手数料をとればいいとしかないのである

こうして地方でも金がかかるから原発は金になるということでとびついたのである
積極的に誘致したのである、そこに誤算があった
でもこの辺で成金になっているのは原発にかかわった人たちが多い
この辺で有名な建築土木会社の創始者は原発の工事がありそれで資本ができて大会社にした、それから船主は原発事故前も多額の補償金で原発御殿が建っていたとか事故後もそうだった、補償金は継続的にもらえるから金には困らないのである
烏アは漁港であり原町火力発電所が作られたとき補償金がかなり入った
その人の親は漁師でありそういう人は金を相当にもらった
でも海で死んだのである、その時近くの呉服屋が着物を売ってもうかったのである
その人が40年前とにかヨ−ロッパに海外旅行に行っていたのには驚いた
この辺でそんな人がいたのかと知らなかった、なぜなら飛行機代が50万とかになっていたからである、だからその時自分は海外旅行はできないと思っていた
それが何か尾をひいて海外旅行するのが遅れたのである
1ドルが240円くらいの時代だったからである

ではその他はどうかとなると田舎ではいろいろあっても貧乏な人が多いとなる
ただ何か現代の貧乏は見えにくいのである、外から見てていもわかりにくいのである
昔だったら乞食がいたからそれなら見えるからである
生活保護などがあるから最低は維持できるから見えにくいとなる
ただこの生活保護も医療費は無料だとかその他はもらえないという人もいる
地方では生活保護は都会のようにもらえない、最低が保証されない

現代の生活は貧乏でもさらに金がかかるというときもしこれらのものにかからない昔のような生活だったら楽なのである、それができないから追い詰められる
水がないとなくなればその時生活すら生きることもできなくなる
水は昔は無料でもらっていたからである、水だけでも無料でもらえたとなるからだ
電気もないから裸電球一つだから電気代もかからない、もちろん車もないからかからないトイレも無料で使用する、ただ医療とか介護になると医者代はかかる
でも60くらいで死んでいれば介護というのはそれほどなかった
また医者にはかからないのが多かったろう、そんな金がないからである
でも脳卒中になって藁で便をとってふいていたということも聞いた
紙が貴重な時代でありそれもなかったからだ、それだけ昔の生活からすると贅沢しているからである
そういう生活を子供の時小学校の時していたからその経験は貴重だった

「貧乏生活ほどお金がかかる」というとき現代ではそれだけ基本的にかかる金が大きいのである
もしそれが昔のようにゼロだったらこうはならないからである

現場の近くには、広範囲に渡って「ネマガリダケ」というタケノコが繁殖している。犠牲者4人は全員、ネマガリダケの採取に訪れていた。このタケノコを採りに来る人の中には車で3時間以上かかる秋田市内からやって来る人もいるというが、労をいとわず遠方からも訪れる理由は、それを売るためである

ツキノワグマ「山林の人喰い現場」を決死ルポ!(1)事件の深層にある地方の窮状

秋田となるとここも過疎化が東北では一番厳しい地帯である
人口減少で働く場所もない県となっている、青森でもそうである、青森とか長崎から原発に働きに来ていた人がいたし北海道の室蘭かも来ていた
そういう地域から来る人の事情は察せられる

山の生活では山菜が食料になるということがあった、それで飢饉になると山に逃げたとかあったのはそのためなのか?でも山菜だけでは腹の足しになるとも思えない
飯館村では山菜は料理の定番になっているのもそのためである
タケノコだと腹の足しになるからそれが貴重だというのはわかる

いづれにしろ現代の便利な生活は金がかかる、最低限でもかかる、すると貧乏だとしても昔の貧乏とは大違いだとなる、昔の貧乏は金がなくてもなんとかあるもので暮らせるということになるが今の貧乏は金がなければどうにもならないという貧乏なのである
そこが大きく違っているのである、農業でもハウス栽培になれば石油を買う金が必要だとかなる、電気が必要だとかなる、エチゴ栽培ではそうである

ともかく地方の窮状はこれからもっとひどくなる
地銀がもうなくなるというのもそうである、何か地方には成長産業がないからだ
何か昔のようにかえって自給自足していた農家が裕福だったということがない
その時裕福だったと感じたのはその時代の感覚である
農家でも今は老人でも軽トラがないと農業もできない、トラクターがないとできないとかなっているから金がかかる割に収入が少ないとなっている
昔は機械がない代わりに村全体で田植えしたり稲刈りしていたのである
そういうこともなくなるとまた機械に金がかかるのである
だからこそ原発に頼るということが起きてきて事故になり故郷に住めなくなった
そして農業とか一次産業が衰退して軽視されるようになったのである
それで地方をこれからどうするのか?それが大きなテーマとなる
なんらか今までの生活を見直さないともう生活自体成り立たなくなるかもしれないからだ






posted by 老鶯 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年06月07日

風力・太陽光発電の無駄―原発が一番効率的 (ならば東京に原発を作るべき)


風力・太陽光発電の無駄―原発が一番効率的

(ならば東京に原発を作るべき)

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日独大失策か!?増えすぎた太陽光・風力発電がもたらす未来予測[H30/2/19]

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津浪の時に原町火力発電所が火事になる


ヨーロッパは一年中台風でもないのに 
平均的に風吹いてくれるけど 

日本は台風ですごく強すぎたり全く無風だったり 
極端すぎる  

本当は地熱なんだけど温泉利権屋がうるさい

電気ってのは必要な時に必要なだけ発電しなきゃならんからな 
風力発電だったら、大きなバッテリーをもれなく付けないと役に立たん 
夜中にブンブン回っても無駄だから、それを溜めて日中に出力しないとね


桜チャンネルでの専門家の説明はわかりやすかった
いつも風力発電を見ているし浜通りは電力の供給地である
だから関心がある、松川浦に火力発電所があり原町にありすぐ近くで見れるからである
こうして見える範囲にあれば理系でなくてもじかに脅威を感じる
毎日見ているからである
原町の火力発電所は一時津波で火事になったのである、その煙を出たのを見た
もしあそこにも原発があったら大変なことになった
でもすでに小高に東北電力で原発を建てて工事はじまるときだったのである
でもそれすら知らなかったし誰もそのことを危険だとも言わない
マスコミも騒がなかったのである

そして小高の大工さんが「原発できるから景気良くなるよ」と言っていたがそうなのかとしか思わなかった
その大工さんは金のことしか考えていない、そもそも金になればいいということしかないそれは小高でも浪江でも原発立地地域でもそうだったのである
頭の中が金、金、金になっているときそこに原発が来れば飛びついたのである
おかしなのは浪江の人が街中に住んでいたけどもその人も原発で働いていたけど
老後の資金をもらったからみんな良かったとか言っていたことである
あんな人もいない街に住んでいいものだろうか?

あの人は町全体のことを考えていないのだろう、そんな極端な過疎化した地域に電気とか水道とかインフラを整備するだけで莫大な費用がかかる
それで葛尾村とかでは介護費用が倍になったとかある、一万とかになったとかある
介護費用は65歳の人口が多ければどこでも高くなるし自治体で差があるのだ
南相馬市などは老人が多いから高くなる
ただまだ葛尾村の用地なはなっていないがこれかはなってゆく

あの人の言っていることは何なのだろうと思った
何にも悪いことがないとしているのも全く理解できなかった
回りを見たら田畑でも草ぼうぼうでありそんな所に住んで金をもらったからとしてもいいものだろうか?それだけ金さえあれば後はどうでもいいという社会になっているからだともなる

このyoutubeの番組では太陽光とか風力発電はかえってコストがかかるということをわかりたやすく説明している、ドイツの例をとって説明している
ドイツが再生エネルギーの先進国だからである
でもそこにもいろいろ問題があることを指摘している
南相馬市の右田に風力発電が4基作られた、その時駅で会ったのはドイツ人であり技術者だったのだろう、風力発電でも先進国だったからである
原町の火力発電所にもドイツ人が来ていたから電力関係ではドイツが進んでいるのかもしれない、だからドイツを例にしてこの番組でも説明していた
つまり太陽光発電とか風力発電は効率的ではない、またそれで電力料金に付加金が課せられていて実際は高くついているだけである
蓄電できないので一時的に風が強く吹いたりしてもそれを利用できないのである
ドイツではそうして余剰化した電力を他国に金を払って売っているという
電力が余ると放出しなければならないからそうなっている

風力発電というときドイツとかヨ−ロッパでは一定の風が吹いているという、日本は台風とか何か風が極端に強く吹いたりする、でもその電力は過剰になり利用できない
何か風力発電とか太陽光発電は砂漠のような所に平原のような所に向いているのかもしれない、ただ砂漠だとは砂嵐とかあるから太陽光でも影響を受ける
そもそも風車というのは中東から生まれたのである、そこはやはり風が一定して吹くからいいとなる
技術でも必ずその土地の風土と関係して生まれているのである
日本でトンネル技術が発達するのはこれだけ山が多ければ当然だとなるからだ

送電線の問題でもこの番組で指摘していた、ドイツでもその距離が長くなるから莫大な費用がかかるとかドイツにはもともと森がありそれで環境に影響するかと反対する人達がいるとかある
再生エネルギー自体これも本当に環境破壊だった、丸森のところのメガソーラーでもそうである、第一日本では平坦な土地がないからあのように山の斜面とか利用するから環境破壊になる、中国とかアメリカとか大陸だったらどこまでも平坦な土地があるからいいのである
それで日本では北海道と秋田とか日本海が風が吹きやすいのでそこがいいとなっているが問題はそこは人工的過疎地域だから需要がない
需要があるのは東京だから東京まで送電線を作る必要がある、その費用が一兆円以上になるのである、そのコストも馬鹿高くなる
この番組では

原発は一番安上りなんだよ

このことを暗に言いたいことがわかる
右は未だに原発賛成なのである

それはそれでいいとしてそうなら

原発は東京に作れ!

それが一番効率的でありコストもかからなかったのである
送電線をわざわざ福島まで300キロありそれを作るだけで馬鹿高いコストになったからである
原発は安上がりだなどといいたいのである、その後始末に20兆円とかかかるのである
一旦事故になったらこの辺のように住めなくなるのである
この辺の惨状を見たら原発は何が何でもいらないとなるのが普通である
それでこの辺で田畑が回復して田んぼに蛙が鳴き鷺が帰ってきたとき復興したと感じた、田毎に満月が皓々と輝き映った時元に戻った感じたのである
田は自然の一部であり生態系を形成していたのである
だからその蛙の声を聞いた時人も動物も植物でも復興したと感じた

風力発電にしろ原発を作っても東北と北海道では需要がない、東京にはある、でも送電線のコストが高くつくという
そうなら東京に原発を作れとなるのだ
でも危険だから誰も賛成しないから作らないとなるのがずるいのである
そして事故になって福島の原発立地地域は住めなくなったのである
故郷を消失したのである、生態系を破壊されたのである
これは東京一極集中の弊害がエネルギー分野でも生まれていたのである
一千万も住んでいるからである
ただ東京という地域は意外と土地としては狭い、その隣の神奈川県は広いのである
すると神奈川県でもいいではないかともなるが東京に隣接しているから原発は作れてなかったのである

とにかくエネルギー問題は日本だと地熱発電いいとしても温泉で観光で生計をたてる所で反対がある、岩手山の麓あたりで地熱発電の工事なのか調査している人にあったことがある、地熱発電は日本の風土にあっているのだがこれも問題がある
ではお前はなにかエネルギーの将来像を提示できるのか?
それはできないとなる、ただ日本を東京中心に考える、東京中心の経済が歪みをもたらしているのである、だから長い送電線を作るのでもコストがかかる

では原発が結局いいんだというとき

原発は東京に作れ!

これが最も合理的判断なのである、それができなければ別に考えるべきだとなる
そこに右の原発をまだつづけるべきだという矛盾がある
そのリスクを引き受けるのは東京であるべきだしコストとして東京に作るのが一番効率的なのである
それができないならやめろとなるのである

そういうことを指摘していたジャーナリストもいたがこれも無関心だった
原発は「安全神話」てすりこまれて地元でも危機感を感じていなかったのである
ただ求めていたのは金だけだとなっていたのである
今でも結局補償金をいくらもらうしか頭にないのである
そういう人たちは容易に金さえばらまけばなんでもできると政府でも東電も見てしまうということである
だから地元では原発反対を言える立場にあってもできないというのもわかる
あいつら原発乞食であり金が欲しいだけなんだよとなる
一緒に反対運動もできないよ、原発乞食にまた補償金を追加させるだけなんだよとなってしまうからである

ヒロシマの原爆被害者は原爆反対を言える立場にある、それによって多額の補償金をもらったともならない、それよりその犠牲が20万死んだとかあまりに大きかったからである
なぜ原発が対外的にそんなに被害がないと見られないのか?
それは原発事故で誰も死んでいないとか見られているからである
でも故郷の自然が生態系が破壊されたことは大きな被害だったのである
そんなもの都会に住んでいる人は関係ないともなる
そういうことでその被害が見えないのである
でも田舎だと田畑があって田舎でありその景観が安らぎを与えていたのである

とにかくエネルギーは必要でも原発しか効率的に作れないというのは危険である
コストがかからないというが莫大な国を傾けるほどの税金を使っているのである
そしてまた東京から来た人たちゼネコンに除染で何兆円も使われて地元にはその金が回らなかった、復興費用に回らなかったのである
結局日本は東京一極集中で地方は収奪されてきたのである
人でも若い人が中卒で金の卵で送られたようにその後も東京に地方から出稼ぎとかで人が送られてきた
そしてまたオリンピックとかで東京中心に経済がまわる
復興には回らなくなっていたのである、つまり東京中心になんでも日本はなっているから歪(いびつ)なのである
そして東京には何か文化が起こらない、ただ貪欲な胃袋となっている
一千万の怪物都市となっているだけでありそこに安らぎもなにもないのである
何かそういう点地方中心に江戸時代が国土を利用するのには良かった
新潟県で百万といて東京も百万とかだったのである、それは大正時代とかでそうだった
もし東京が百万の規模だったらこんな問題は起きなかったのである





posted by 老鶯 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

イノクの星(Enoch Star)

イノクの星(Enoch Star)

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 「あれはイノクの星だ
神に召されて地上から取り上げられて消えて
聖書に記されるているイノクだ」      

「何かあるのかないのかわかなんないな」

「イノクは目立たない人だったんだよ
性格的にそういう人がいるよな」

「おとなしいというかつつましいという人が女性でもいる」

「星にもいろいろあるんだよ」

「そうだな星の数は無数だからそれだけ性格も違う」

「人間の数も何十億だからな」

「死んだら星になるといってもいろいろだとはなるな」   

That is the star of Enoch
Called by God, taken from the ground and disappear
It is an innoc written in the Bible

I have no idea if there is anything

Enoch was a person who was not noticeable
There is such a person by character

There are women who are gentle or humble

There are many things on the stars

Yes, the number of stars is infinite, so their character is different

Because the number of humans is billions

If it dies, it will be various even if it becomes a star

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私の母の性格は目立たない、おとなしい女だった、何かいつも陰になっている人だった
そういう性格の人はいる、イノクというときそういう人だったのかもしれない
人はいろいろな性格の人がいて千差万別なのである
そして死ぬと星になるというけど星も無数であり星にもいろいろあるとなる
これもソフトの操作で偶然にできた抽象画である

My mother's character was unremarkable, a gentle woman, someone who was always in the shadows
There are people of such character, it might be that kind of person when saying Enoch
There are people of various characters and there are many different people.
And when it dies, it will become a star, but there are an infinite number of stars and many kinds of stars.
This is also an abstract image created accidentally by software operation




2019年06月06日

今までの日本人の労働観は通用しない (労働する価値とか意味が見いだせなくなっている)


今までの日本人の労働観は通用しない

(労働する価値とか意味が見いだせなくなっている)
   

ニートは憲法違反なのか?
(誰でも労働したいがそのしたい労働ができない) 


「よくわからない」からとりあえずやってみる。
実際にやってみないと、労働が何であるかはわからない(やってもよくわからない)。



laborー(名) 労働 (=labour) laborious  (形) 骨の折れる

ラテン語系の labor を見ると、これには古代の奴隷制を連想させる苦役のイメージが色濃く付きまとっている。要するに、堪え忍ぶ苦しい仕事の意味合いが強い。労使関係、労働運動、革命運動等の文脈における「労働」は基本的に labor である。ちなみにドイツ語の Arbeit の語源的意味も 辛苦、困苦であり、フランス語の travail にいたっては責苦、拷問という恐ろしい意味が語源にある。この系列では、働くことは「苦」なのである
一方、ゲルマン語系の work の方にはあまりマイナス・イメージはない。同語源のドイツ語 wirken にも見られるように、その意味するところは何らかの自主的・能動的な活動をなすということである。その活動の結果としての作品が名詞としての work(Werk)である

なぜ労働を問うのかとなると人間日々働いているからである、毎日どこかで日々働いている、それが社会だからである、労働無くして人間もありえないとなるからだ
ただ労働とは何かとなるとそれが本当にむずかしい、いろいろいくらでも理屈が言えるからである
労働を苦役としてとらえることはその起源も古い、つまりエデンの園から神がアダムを追い出して労働させられるようになった、それがlabor(苦役)なのである
罰として労働をさせられているのである
エデンの園では苦役の労働はない、でも何もしていなというのではない、苦役の労働がないだけだった、でも一日何していたのだろうとはなる
何かいろいろな花が咲いていてそれに名前をつけるとか知的な活動はしていたともいう
でも苦役としての労働はなかったのである

労働というときその要素は様々であり正直一つのものとして語れることはできない
労働は多様でありその価値も多様だからである、時と場合によっても意味と価値が違ってくるからである、つまり労働は何かと定義することは不可能だとなる

多様な価値観をふくむ人間的活動となる

労働をみるとき欠かせないのは他者のためにとか家族のためにとか地域のためにとか国家のためにとか自分自身のためではないものが必ずそこにある
そもそも働くとは端(はた)を楽にするということから出ている言葉である
それは身近な人が働いていて苦労しているから楽にしたいとして生まれた言葉である
働くとは必ず家族であれ村であれ地域であれ国家であれ広く関係していて労働が語られるのはそのためである
だからつくづく労働は何か語りつくせないし定義もできないしその意味と価値もすべて語りえないのである

基本的には労働しなければ今日の食べ物がえられないから労働するとなる
腹減ったからに狩出て獲物をとらえる、農業になると米や野菜を作る、それはある程度の日数がかかる一か月とかもかかるとなるとそこに計画性が生まれる
それで農業となる暦が大事になりいつ種をまくとか時季が大事になる
それを基にして文化化したのが俳句の季語だとなる

民族的に働くということの意味も価値もとらえ方も違う、そもそも大陸の国を見る時大事なのは日本のように海に囲まれていないから民族同士の争いがたりない、すると戦争で負けたものは奴隷とされる、その奴隷は戦争で皆殺しにされていたが温情で奴隷として使ってやるとなったのである、そこに人権の進歩があったとみるのも歴史である
またなぜ貴族と平民とかに別れるのか、階級制があるのかというのも民族同士が戦争して優劣を決めるからである、それで面白いのはネパールである
インドからカースト制がもたらされているからいろいろ人種でカースト制が作られる
それが外国人にも適応されている、日本人もカースト制に入りどういう位置にあるか決められているというのも奇妙である
それは民族が混交してくるとどうしてもその差で色分けしてカースト制が生まれていたのである、だから外国をみるときこのことが背景にあることを知らなければならない
日本では特殊であり日本は階級制もない平等な国なのは日本人は早い時期に人種が混交してみんな日本人になったからである
そういう歴史や文化の差があるということを知らねばならない
つまり日本は大陸と比べるとありえない特殊な国柄を歴史を文化を作ってきた国になる
敵味方塚がなるのも日本だけである、だから中国人が敵の墓まで作っているのが理解できないのである
それは日本人は一つの民族であり争っても仲間だということでそうなっているのである
中国人は敵の墓まで暴いて罰しているのだからそこが歴史と文化の大きな相違なのである

外国では戦争に勝てば負けた人は奴隷にされる、そして本当はみな殺しにするのだが温情で活かすが奴隷として使われるとなったのである
その奴隷に働かせて貴族が労働しない階級制が生まれた、だから奴隷を使うことに罪悪感がないのである、日本ではそうはならない、そういう歴史がないためなのである
労働が苦役とするとき奴隷にやらせればいいという労働観になる、そして労働しないから暇が生まれ学問が生まれたとなる
なぜならスクールとはスコーレであり暇の意味だからである、それは奴隷がいたことにより獲得されたのである
今でも働く者は奴隷だ、社畜だとかになる、自らそういうものもいる
ということは戦争に負けたわけではないが働かされているという感覚になる、では苦役でも働いているのか?
それは戦争に負けたからだとなるが今ではまた違った意味でそう強いられているとなる

この奴隷労働をふりかえるとき常に労働にはそういう要素がある、働かせられているとは強いられているのだから奴隷なのである
もし働かなくてもいいとしたら働かないからである、奴隷だから働かさせられるのである
奴隷でなくても借金したりすると嫌でも働かせられる、借金の奴隷となるのである、それは苦役でしかないのである

ともかく働くことにはいろいろな要素があるから一概には言えない

今何が働くことで問題になっているのか?
それは働くことが生きがいが感じられないと何か意味を価値を感じられないとか労働疎外が起きているためである
村とかの共同体があれば村を維持するための労働となりそこに労働疎外は起きない、苦役でもそこに労働の価値と意味を感じるからである、溜池でも共同で作るという時それと村を維持するためにみんなで働かねばならないものだからである
そういう目的が明確でありその労働の意味と価値を求めることをしなくても明確だからである
だから労働が苦役でもあってもそのことで悩まないのである、ただ苦しいから楽でありたいというのはいつでもある
今の労働は何か労働自体がそうした意味と価値が感じられないのである
その例だ非正規の労働なのである
正社員なら高度成長時代の会社なら終身雇用であり会社が村のようになっていたのである
会社とは社(やしろ)に会すだからまさに村なのである
村でも終身雇用だからである、そういうことで働くことは会社のためでありそれは村のためだということに通していたのである
そこに共同体があり共同体を維持するために働いていた協働していたのである
  
Love & Freedomの非正規労働者の絶望は何か現代の労働を象徴しているのである

彼は働くも
妻もなく子もなく
親もなく親類もいない
ただ一人働く
今日の糊口をしのぐために
それは会社のためでもない
誰かのためでもない
社会のためでもない
孤立して今日一日分の金をもらう
働いたからと人からの感謝もない
ただ一日分の食べる住む金をもらう
そこに協同で働くことがない
孤立した労働であり
誰からの感謝もない労働
ただ一日分の賃金をもらう
労働の価値はそれだけである

非正規労働者が会社のためという動機がない、だから働く仲間がいない、決まった場所で働くわけでもない、どこに派遣されるかもわからない、日々違った場所に派遣されるからである
何か達成感もない、そして最後は孤独死だとなるだけであり捨てられるだけだとなる
そこには労働の共同性が奪われた孤立した労働だともなる
無数のパーツ化した分解された労働でありアトム化された人間となる
その個々の労働につながりが見いだせないのである
そうなるとエジプトのピラミッドを作った人たちは奴隷だったとかなるがそうでもない
その目的は王の墓ではないとすると宗教的建造物を一致して作っていたともなる
それはカテドラルを作った人たちの労働とにている、また古墳でも共同の産物でありその時代の共同性の証として残されたものだとなる、すると今の孤立した無数に分解された苦役の労働よりは意味と価値があったとなるのである 
この人の希望はFXでの一攫千金なのである、つまりそれだけが希望だけだという時何か切ない悲しいとなる
金さえあればというのがまさに資本主義での幸福になっているのだ
でもこの人がでは何をしたいのかというと金が入ってどうするのかというと見えない
ただ苦境から脱したいから金が欲しいというだけになる

例えばそういうことは田舎でも起きている、田畑があってもでは地元の田んぼからとれた米を食べているかというとそうではない、いくらでもうまい米は売っているから、地元の米を食べて地元の人に感謝することもないのである
第一私が援助して畑に野菜を作らせている人はそもそも何ももらっていないからである
そしたら何のために金を払っているのだとなるからだ、田舎でも村でも今はその土地でとれたものを食べていないのである
かえって外国から来た野菜でも果物でも食べているのである
グロ−バル化経済では日常的にそうなっているのである、そしたら地元の人が働いていてありがたいとかならないのである
そして地球の裏側から来た果物でも食べていてもその食べ物を作る人のことなど知り得ようがない
つまりそこで労働しているもののことなどわかりえようがないのである
ただ食べ物だけは入ってくるのである、それでもバナナ農場で働いたから苦役だったというから労働に苦役がつきものなのであるこういうグロ−バル化経済が今は労働疎外を生んでいるから社会が変わっているから労働は義務だとした今までの価値観は変わる
こういうことは商品としての労働となり貨幣の物神化とかでマルクスが説いた
ただマルキシズムでもまたその労働は共産党のための共産党の金持ちのための労働になった
兆もの金を共産党幹部は得たからである、極端な格差は平等の共産主義にも生まれたのである

現代の労働がなぜ疎外が生むのか?ただ金だけを得る労働になりかつてのような労働の意味と価値が生まれないのか?
労働をしたくないというとき苦役だから常にそういうことはあった
でも家族のために村のためにかんばらねばならぬ、働かねばならぬきということで働いていた
それは原発避難地区に起きている、なんとか働いて田畑を復興させてくれと願っても若い世代でも働く人でも流出したらできないのである、こういう場では働いてもらいたいし働いた人に感謝するとなる、それで働き甲斐があるとなる

グロ−バリゼーションと資本主義が危機だというときそれは労働観に現れている、働かないという時なぜなのか?
働きたくないのはなぜなのか?このことを追求することが大事になる
私自身は働きたくなくなったのは底辺労働でありロボットのように流れ作業しかししていないからである
これが仕事なのかとなるとしたくないとなった、でも何かそこで生きがいのある労働であれば自主的にする
でもそんな仕事は与えられないのである、それは能力がないからそうなっているのだともなる
能力がある人は生きがいのある仕事をしているとなる
それで私は引きこもりになり家で好きなことをしていただけだとなる
学問とか芸術をの追求をしていたとなる、それは創造的仕事だからしているとなる
何か私は文章を書くことが好きである、しゃべるのは不得意である、だからこうしてプログで書き続けているのである
ただ金にならないから価値と意味を与えられていないとはなる、与えているのは自分だけだとなっているのだ



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野馬追いの起源 (馬に乗る人侍でありそれに従う人が御徒町(おかちまち)とかに住む)


野馬追いの起源

(馬に乗る人侍でありそれに従う人が御徒町(おかちまち)とかに住む)


この御徒士組は幕臣の中でも下級の武士でしたから、江戸の中頃になると彼らの生活は苦しくなり、さまざまな内職にはげみました。中でも有名なのが屋敷の庭を利用した朝顔の栽培です。今でも行われている入谷の朝顔市のために、最初に栽培しはじめたのは御徒町だったといわれています。


江戸時代、江戸城や将軍の護衛を行う下級武士、つまり騎乗が許可されない武士である御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する。 御徒町周辺に於いては長屋に住み禄(現在の給与)だけでは家計を賄い切れず内職をし生活していた下級武士を指す 。 なお、現在は町名としては消滅し、台東区台東、および東上野の一部となっている。また、この地名は城下町であればどこにでもある地名でもある。


「御徒(おかち)」「御徒士(おかち)」「徒侍(かちざむらい)」「徒組(かちぐみ)」「歩行衆(かちしゅう)」
と呼ばれる幕臣が住んでいたところ、つまり「御徒士」たちの社宅があったのが、現在の御徒町あたりだと言われています。
下級武士で、徒歩で行列の先導などを務めていたそうです。

召馬預が二百俵級の旗本の役だと前回説明しました。ここで、二百俵(二百石も同じ)級の旗本の生活を整理してみましょう。

@屋敷の門は長屋門で片側に番所付だ。広さは六百坪くらいと、かなり広い。
A生活はぎりぎりで苦しかった。侍1人、甲冑持1人、槍持1人、馬の口取1人、小荷駄1人の計5人を使用人としていつでも動員できるようにしておかなければならなかったが、実際は馬を飼っている者は少なく、登城時に不可欠な槍持と草履取以外は使わなかった。

 武装することの根本に、やっぱり馬がある。武士はね、馬に乗る資格のある者(侍)と資格のない者、という区別が、江戸時代も、もっと前も、ずっとある。その、馬に乗る武者が、戦力の中核で、それに歩兵や従卒が従っているのが、武士の戦闘集団のもともとの姿だった。
 
なぜ野馬追い祭りがここに残っているのだろうか?
そして野馬追い祭りが馬の祭りだいうことである、馬なくしてありえない祭りである
これが今の時代と何の関係があるのかとなるとあった

馬をもっている人と馬をもっていない人の身分差別だったのである、侍はそもそも馬に乗って戦う人だった、馬をもたなければ侍とはなれなかったのである
足軽というのは馬をもっていない、だから歩くほかない、つまり馬を持つ人と馬を持たない人で身分差があった、だから野馬追い祭り馬を持っている人の侍の祭りだとなる
馬を飼うには費用がかかる、だから専用に馬を飼う人を雇うとかなる
野馬追いでもそうである、馬を野馬追いのために飼っていると金がかかるのである
だから野馬追いに出る人は金がかかるから困るがどうしても出たいとなって無理しているなぜ出たいとかなると馬に乗ると昔の侍になり偉くなった気分になれからである
馬に乗るとそのこと自体目上になる、馬上から庶民を見下ろすことになるからだ
実際に野馬追い祭りでは行列の前を横切るなとか二階から見るなとか禁止事項がある
それはやはり侍は身分的に上だということを示すからである

ともかくこれは今の時代と関係ないのかと思ったらあった
現代では車がない人は一段劣った人と見られている、そして何事も車優先の車社会であるそれで歩行者と自転車は目障りにされているのだ
それはつくづく自転車とか歩行者は車がない人は身分に差があるとなる
それで御徒町(おかちまち)とあるのはまさに馬を持たない人たちが歩くことしかできない人たち住んだ場所でありそこに明確な身分差があったのである
足軽というのもそうである、足が軽い人たちというのはまさに足を使って馬に乗っている侍についてゆく人だったのである

だから歴史とはつくづく継続しているのである、第一野馬追いと車社会が関係しているとは思わないだろう、でも関係していた
私は車がないから自転車の人と良く話する、この自転車はどうだこうだとか話する
自転車を通じて仲間になりやすいのである、車を持っている人も常に車の話になるのとにている、昔なら馬をもっている侍は常に馬の話になるのと同じなのである
馬というのはそれだけ人間の生活を左右しした、歴史も左右したのである
それでモンゴルは馬で常に移動したからそれがそのまま軍隊となりジンギスーハーンの帝国が生まれたのである、また昔の始皇帝が生まれた長安(西安)に兵馬俑の馬の軍隊が発見されたのである、それはまさに馬があってこそ始皇帝も中国を統一できたとなるからだ

とにかく明確に馬を持っている人が侍であり馬を持たない人は馬を持っている人に従うというのが武士の時代だったのである、だから歴史的にここを抑えておかないと野馬追いとは何なのだろうとなる
馬の祭りだということは馬を持っている人が社会を支配したからそうなっていたのであるそれは世界史的にもそうである、だから日本でも騎馬民族征服説が生まれたのである
馬と車が関係ないようで関係していたのである
馬の代わりになったのが車だともなるからだ、それだけ車社会ということは車が社会を変えてしまったのである、お前は車がない車に乗れないということは御徒町とかに住み足軽だということになるからだ

ただ馬とは何なのか理解できなくなっている、馬と直接接するのは競馬だけになったからである、野馬追いでも競走馬を使っている、それ皐月賞をとった馬を見に来た人がいた
その人は相当に馬に興味があるからしげしげと見ていたのである
今は競馬を通じてしか馬に興味をもてないのである
だから歴史的に馬が人間の生活を左右したのか理解できなくなっているのだ
野馬追いの時だけ馬に興味を持つのである、でもあとは馬とは関係ないのである
競馬だけが馬と関係している、そこに何か野馬追いでも盛り上がらない理由だとなる

ともかく今のことでも歴史的にみると何か見えてくるのもがある
現代と江戸時代なども関係ないということにはならないのである
やはり人間の生活はつくづく継続であり関係している、歴史的な目で見ることが何でも必要だということである

posted by 老鶯 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)