2020年11月25日

大東銀行の危険 (SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)


大東銀行の危険

(SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)

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大東銀行もかなり危険である


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竹中平蔵とかこれらは仲間だとしている


youtubeのオリーブの木という新しい政治団体の説明がわかりやすい、まず金融を理解するのは至難である
福島銀行がSBIに買収された、島根銀行もそうである
零細な地銀はもう経営が成り立たなくなっている、結果的にどうなっているかというと
そうした地銀でも外資のSBI証券に買収されて合併してその持っている金が使われという

それはすでに農林中金でもゆうちょでも危ないCLOとかのジャンク債とかに投資している
その巨額のマネーが消失するとも警告している
それは優良な投資先がなくなった結果としてそういう危険なものに投資する
それは巨額な年金でもそうなのである
それはまた国際金融資本の餌食にされているともしている
国際金融資本とは何か?ロックフェラーとロスチャイルドと言った大財閥だとしている

そして現代の経済の矛盾は労働所得と不労所得があり金融など利子を得る不労所得が倍以上に増大している、つまり金利とか株で稼ぐことが増大している
それで不可解なのはこれほどコロナウィルスとかで経済的に困窮している時なぜ株が上がっているのか?
それは景気がいいからではない、何かここに現代の資本主義の矛盾が現れているのだ
要するに弱肉強食の資本主義でありそれで国際金融資本家が莫大な富を得るとなる

こういうことができるのはアメリカという覇権国家があってできることである
覇権国家というときドルが基軸通貨であり石油でもドルでしか買えない、するとドルの価値が高くなる、ドルが世界中で欲しいとなる、それでエジプトの端でロバに乗った少年がワンド―ラーくれとなるのだ、それはアフリカの果てまでそうなっているのだ
それだけドルは世界で通用しているのである

でも今やアメリカの覇権は怪しくなってきた、大統領選挙でもそうである、アメリカは分断しているのである
第一数パーセントの人がアメリカの富の50パーセントを持っているというのも異常である、そんな国が一体感をもくのかとなるからだ
確かに奴隷はいないにしろ実質的に奴隷にされていると同じだからである

アメリカは何かそうした矛盾があり内部分裂して国が衰退してゆく
それはやはりカルマなのである、これまでは日本がと戦争に勝利したとかアメリカの世紀だったのである、でもアメリカは間違えなく衰退してゆく
それはカルマの法則でもある、アメリカは世界に富をもたらすというより世界からの富を収奪して貯えすぎたともなる、だから本当はそうした金は世界に放出して世界を豊かにするべきものである、そういうこともあったが国際金融資本家とかはそうではなかった
金融を操作して巨額の金を得ていたからである
つまりそれがカルマとなり自らがそのカルマのために崩壊してゆくとなる

みんて金を欲しいというのはわかる、でも金がありすぎるのもカルマとなりそれが個々人でも家族でも国家でも災いをもたらしてゆくのである
たいした金ではないにしろそういうことを自分でも経験したからである
遺産で金が入りそこで大金を奪われたとか災いが生まれた、その金は家族の一人が公務員であり公務員は特権がありそれで金を残していたとなる
家族にとって自分にとってはいいものではあったがそれがみんなのためになったとはならなかった、その金でもみんなのために使うものとしてあったとなる
そのことは天文学的な金を集めた国際金融資本家にも言えるのだ
その規模があまりに大きいからそれが国家を圧迫して災いを生み大きな国家破綻でも起きてくるのである
みんなが苦しんでいる時株価があがりもうけて喜んでいることが人間としてまともな経済なのかとなるからである
経済とは経世済民であ民を救うものだからである
たた私的には株をもっていれば良かったとはなる

ともかく今起きていることは資本主義崩壊前夜として起きているのかもしれない、そして確実にアメリカの覇権国家の役目は終わりアメリカは衰退国家になる
アメリカは世界から富を収奪しすぎたからである、それがカルマとなり衰退してゆく
それがやはりカルマであり逃れることはできない

アメリカの時代は終わりつつある!

これを日本も自覚するべきである、では中国がアメリカに変わる覇権国家になるのか?
それもわからない、共産主義は過去に失敗したものでありその亡霊がまだ生きているとなるからである、それで世界を指導できるとは思えないからである
一応ヨ−ロッパであれそこに世界を主導するものがあった、アメリカでも民主主義とか世界を主導するものがあった、でもそれも消失しつつある
では中国の共産主義がその代りになるのかというとそれは過去に失敗したものでありその犠牲も死者が何千万とか粛清されたとか危険なものだった
だから中国にはついていけないとなる

では次に来るべきものは何なのか?

それはわからない、ただ資本主義は限界にきてアメリカは衰退する、基軸通貨のドルも信用されなくなる、次に代わるものが模索される時代になる
そういうときにコロナウィルスが世界に蔓延したのである
これによっても世界が変わる、グロ−バル経済は後退するしオリンピックは商業主義オリンピックであり平和の祭典などではない、だからこれも中止させられるのは神意だとなる
何か時代が変わる時人間だけの力ではない自然災害とか天変地異が起こり大きな変化が易姓革命が起きる、それに人間は逆らうことはできない、この世は人間の力だけで成り立っていないからである、それは津波で原発事故が起きたように原発をやめろという神の意志が現れたともなるからだ

ともかくアメリカの時代は終わりつつある、これを日本は自覚すべきである
だからアメリカは日本から軍隊でも撤退する、アメリカに日本を守る力がなくなっているからだ、そうなるとき日本はかなり厳しい状態になる
でもアメリカに頼ることはできなくなる、これは止めることはできない
アメリカは分断して衰退してゆく
希望的観測としては中国も分断して国力がそがれるとなると日本にはいいとなる
そういうことが神意として起きるかもしれない、ただ確かなことは資本主義は限界でありアメリカが衰退することは明らかである
そこから金融でも経済でも軍事でもあらゆるものを見なければならないとなる

なぜならSBI証券とか外資に日本の富が奪われるということはアメリカに富を奪われることでもある、それはアメリカが覇権国だからそうできた
でもアメリカが衰退することは経済でも頼るべきではない国となる
だから日本がの富を外資に売り渡すことは危険だとなる
それはただ大損になるだけだとなるからだ、金融でもアメリカに頼らない日本連合が必要だともなる
ただSBI証券とかまた竹中平蔵とかは外資のエージェントでありそれで私腹をこやすものとしてオリーブの木では批判している
そういう事なのかとyoutubeで理解した、説明がわかりやすいので百万以上見ている人がいる、それはマスコミでは一切報道されないのである

posted by 老鶯 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年11月24日

津浪は時間軸で見ない結果被害が大きくなった (人間は時間軸で積み上げるもの歴史が大事)


津浪は時間軸で見ない結果被害が大きくなった

(人間は時間軸で積み上げるもの歴史が大事)


空間軸と時間軸でこの世界は構成されている、時間軸で見ることが人間は苦手である
例えば磯部は津波で村自体が消失するような大被害だった、220人くらい死んだから多かった、他でも村自体が消失するような被害があった

ではなぜそうなったのか?

それは磯部とは松川浦の砂州に家が密集したのである、もともとは砂州であった
つまり時間軸で見ればそこは砂州だったのである
おそらく田んぼにする後ろの地域には家が建てられなかった、場所をとるから海岸の砂州に家を密集させた
日本がでは土地が狭いから危険な場所でも家を建てざるをえないのである

そもそも八沢浦でも明治以降に職を失った侍は開拓した場所だった、そこは海だったのである、入江だったのである、だから津波で本当に江戸時代の入江にもどったことに驚嘆した、こんなことがありえるのかという驚きである
比較的家が少ないからごちゃごちゃしたものではなく入江となったのである

ただここでも湊村が40軒ほど海岸線にあった消失した
これも別に漁業するのではないから海岸線に家が集中したのか解せない
海老村が古いからその延長としてそこから移り住んだとなるのか?
たた八沢浦ではそこが一番被害があった、後は被害があっても家が集中した場所はなく
散在していた、だからそれほどに被害がなかったのである

そして大失敗だったのは海老の断崖の上が高いとして津波の避難場所に市で指定していたそこに避難して30名が死んだのである
すぐ近くの百メートルも50メートルでも歩いて逃げれば助かる場所があった
そこを避難場所として指定したのは時間軸でのその土地をのことを見なかったということにあった
第一津波の記憶となるとないに等しいかったからである
津波の記録がこの辺では抜け落ちていたのである
それで津波の後に「生波(いくなみ)で700人溺死という記録が相馬藩政期で発見したのである

つまり時間軸でもの歴史の記録が抜け落ちていたのである、では何か記録できないかというとそうでもない、とにかく戦(いくさ)のことは事細かく記されているからだ
その時の関心は戦国時代であり相馬氏がこの一体を支配することが優先課題だったからである
だから700人溺死としか記されないのは記すのは相馬氏の役人でありそれが戦争の記録より重要ではないということで二行しか記されなかったのである
庶民には記録として残す力もなかったとなる、何か碑を建てるにしても金がかかるからである、それだけの被害があったとき何か記録として残す財力も知力もなかったということである

時間軸でみるというとき地史になると億の年月をみる、それだけ長い年月で地球は変化する、そうなるとその時間軸で見るのはさらに困難になる
でももともとそこがどういう地形なのか知ることから時間軸で見ることになる
それは今回の津浪で海だった所は海に戻ったとういことでもわかる
塩崎の方が低いから船着辺りまで海になった、そこは古代に本当に船が着く場所だったのである、だから地名というのはそれだけ化石のように古いとういことである
それは地史の記録としてあるともなる

ともかく時間軸で見れないという時、不可解なのは磯部の佐藤氏一族が支配していた
でも高潮の被害があり今の相馬の道の駅の鬼越館に移った
そしてその後に大きな慶長津波が起きたのである
ただその記録は何もないからわからない、でもなぜ移ったのかというのが解せない、危険を感じたことはわかる
そもそも磯部とは海岸に接してあるのだから危険を感じたともなる
鬼越館なら津波とは無縁である、でも津波でも近くまでも来ていたのである

そしてもう一つ松川浦にあった諏訪神社である、それも慶長津波の前に今ある所に移動している、そこに津波で流された船がひっかかったとかの伝説がある
そんな奥に船が流されたのか?ただ小泉川があるから津浪は川をまず上ってくるから船でも津波に流されたことはありうる
でもなぜ慶長津浪の前に諏訪神社が移動したのも謎なのである

なぜそうなるかとなる人間は時間軸で起こることを明確に記録しない
そして奇妙なことは江戸時代の年号あるとする、すると時代順にも見れないおかしなことになる
それは明治時代と大正時代と昭和は区別する、でも江戸時代の年号だといろいろあって時間の順序を間違うのである、人間はその時代時代を生きる、明治に生きた人と江戸時代に生きた人はまるで違った環境で生きていたのである
でも時間がすぎるとそういうことすら不確かになる

人間個人でも人間が形成されるのは時間軸である、老人になってもそれまで時間軸で生きた経過がある、そして青春時代がみんなありここで基礎が作られ方向が決まる
だから十代から二十代は人生で一番大事な時だったとふりかえる
そしての時代は永遠に帰ってこないのである

時間軸で作れるたものがわかりにくい、消失しやすい、親でも死んでしまうと何か抽象的存在になる、でも親が作った家があるからその家に住んでいると親が残してくれた家があるとういことで家を通じて親を思い出す、つまり何か歴史で残された物を通じて過去の歴史を時間軸で残したもの自覚するとなる
それで結局古代とかなると縄文時代とかなると文書もなにも残っていないからその人たちが残した物で時代をみる、縄文土器とかかそうである
そこで何かあったのか記録もないのだからそうなる
そういう時代になると時間軸で見ることは至難になるのである

津浪は周期的ち3,400年に一回とか大きな津波がくる、でもその前に時間軸としてその記録がないのである、記録が消失しているのである
その記録が記憶でも失われたことが大被害に通じていたのである
過去の記憶でも記録でも失いやすいのである、津波でも十年すぎると一昔であり何か関心が地元でもなくなる、次々に新たなことが起こり関心がなくなる
常に今に追われているのが人間だからである
そこに人間の弱点があり天災は忘れた頃にやってくるとなる、台風だったら毎年来るから忘れることはない、でも津波となると三百然とか400年になるとそうなってしまうのである     




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磯部の高台の墓地は残った、墓地は高台にあり残るのが多い
佐藤氏の墓が多いのもわかる

諏訪神社御祭神・・・建御名多方神   八重事代主神

奥相志によると、神護景三年(769)信濃の諏訪より宇多郡尾浜村一二ケ所に勧請しましたが、天文七年(1538)四月一九日に黒木に遷座しました。

築城年代は定かではないが永禄6年(1563年)頃に佐藤伊勢好信によって築かれたと云われる。佐藤氏は源義経の家臣佐藤忠信・継信兄弟の後裔を称し、好信ははじめ岩城氏の家臣であったが、後に相馬顕胤・盛胤に仕えて軍奉行を務めた。天文11年(1542年)伊達輝宗との合戦の功により磯部・日下石など宇多郡の内六ヶ村を領しはじめ磯部館(佐藤伊勢館)に居を構えた。しかし、海水による浸食が激しく鬼越館を築いて居を移したという

1611年に慶長津波があった、でも諏訪神社は1538年に黒木に移っている

佐藤氏は1563年に磯部から鬼越館に移っている

70年とか50年とかのあとに慶長津波が来ている、でもなぜ移ったのかその理由がわからない、ただ佐藤氏は高潮のためだと明確に記している
この二つが慶長津波の前に移動している
それで慶長津波の被害はなかった、でも磯部にしろ慶長津波の記録は一切なのである
ただ諏訪神社に津波で船が流されてきたという伝説がある
小泉川を津波がさかのぼるにしてもかなり奥なのである
なぜそうした伝説が生まれたのか謎だとなる
つまりここでも時間軸で記録されるものが少なすぎるから不明になる
それで歴史がわからなくなるのである

posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)


冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)

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朝でも背景暗くしないと花びらの赤がでない
でも朝の感じではないのが困る
ただ朝まで残っていた、今日は北風吹いて寒いから散るのかとなる



目覚めればなお一片の冬の薔薇残りける北風吹きし今日の朝かな

時間軸の変化でみるとこうして一輪の薔薇でもすぐに散る訳ではない、それは人間でも似ている、なんでも徐々に変化してゆくからである
時間軸で言えばなぜ芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」とか「夏草や兵どもが夢のあと」とか時間軸で見れたのかとなる

1126 堂塔完成
1694 元禄7年 芭蕉死す

芭蕉が訪ねた時500年も過ぎていたのである、するとそういう感懐をいだくこともむずかしくなる、ただまだ時間軸で見るものがあったとなる
空間軸で見るのは空間は残っているから見ることができる、空間を移動すれば依然としてその空間は同じように残っているからだ
ただ時間軸で見ることは時間がたつにつれてむずかしくなる 

この薔薇にしても毎日見ていればこうして変化があり時間軸で鑑賞できる
空間軸だと旅人が来て旅人が去るという空間の移動なのである
だから空間軸と時間軸で見ることは相当に違う、なぜ歴史はわかりにくいかというと空間軸は今なら世界中移動できる、でもそこで時間軸であるものを見ることができないのである、芭蕉が時間軸でこの句を残すことができたのはやはり日本という空間で時間軸にも生きていたからだとなる
ただ日本人でも城があったしてもそれがすでに150年とかすぎるとこれも時間軸で見るのがむずかしくなる
ただ一応相馬市は六万石の城下町だから時間軸で残された雰囲気が残っている
それで「落葉して相馬の人と語るかな」という句でも生まれる
またお堀に冬の鴨がいるときそれが人間にも見える、忠実に仕える人間にも見えたのである、それは何か時間軸で残されたものがありそれが歴史なのである

ももづたふ 磐余の 池に 鳴く鴨を 今日(けふ)のみ見てや 雲隠(がく)りなむ
(大津皇子)

ももづたふ(百伝ふ)とはももは百年のことだとする、それが磐余の池の枕詞となっている、まさにここに時間軸としての池であり単なる池とも違っていたのである
その時間軸の中にいる鴨である、何か百年でも伝えられるべきものとして磐余の池でありそこに鴨がいるということである、時間軸の中に歌われたものなのである

何か作品を鑑賞する時空間軸と時間軸があり時間軸になると重みが生れて来る
例えばみちのくにしてもそこにみちのくという空間があるのだがまた時間軸でも形成された歴史がある、つまりどこでも空間軸と時間軸で風土は形成されているのである

みちのくの遠山望む冬霞

何かこれでも確かに空間軸で作られている、でもみちのくというときそこに時間軸で形成された風土があり歴史がある、そのみちのくの歴史と風土からこの句を鑑賞する
つまりみちのく・・・というときすでに枕詞であり独特の風土と歴史を示している
だからこれがわからないと鑑賞できない、それで外国の人が金色堂をたずねてもみちのくを理解できない、それが日本人が外国に行ってもその歴史を時間軸で形成されたものを理解できないと同じなのである
                
赤々と夕日は没りぬ大阪城花の盛りの終えて散りなむ

それは大阪城の花盛りに夕日が赤々と沈んでゆくのを見た時、そこに時間軸で見た歴史を感じたのである、その時盛りの花が散っていた、その光景がなんともいえぬ歴史を感じたのである、そこに沈む夕日は歴史を偲ばせたとなる
大坂は秀吉に栄えた、でもそれは一時の夢だったともなる
ただ大阪が栄えのは秀吉だけではない、それだけの時間があって栄えたとなる

いづれにしろ時間軸で感じるものがあればそれは深く鑑賞できる、それがなかなかできない、それが問題なのである

2020年11月23日

冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)


冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)

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今日一日の変化



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冬薔薇花びら二片残るを見る

冬薔薇花びら一片夜に見る

冬薔薇花びら一片月光る



身近だと人間は時間軸で見ている、この冬薔薇は花びらが二片残り散ってゆく
回りでも葉っぱが徐々に枯れてゆく、色が変わってゆく、昨日はあたたかったが今日は
北風が吹いて寒くなった  
そして夜見たら残った二片の花びらが一片になっていた
それを写真にとった
おりしも丁度三日月がでていた、こういうふうにリアルタイムで報告できるのがインタ−ネットなのである、また写生にもなる、刻々の変化を写生して報告しているのである
だからそれに合わせて見るには日々プログを見るのがいいとなる
でもそこまで見ている人はいない、見るにしても時間がとられるからである

人間は時間軸と空間軸で見る、でもA地点からB地点へ移動しても時間軸で見れないのである
それは短い時間でもそうである、この庭を見ても刻々変化しているからだ
時間軸で見れないことは浅薄になる
時間軸で形成されたものが見えない、理解できないのである
ヨ−ロッパとかは2000年の歴史があってもその遺跡が残っていても理解するのがむずかしいのである

時間軸で形成された街があってもそれを理解しにくいのである
相馬市は六万石の相馬藩の城跡があってもそこが外から来た人が城下町として意識しにくい、城自体も残っていないからだ
ただ地元になると何か相馬市は違うなといつも思うのである
そこがやはり城下町だったということを意識するものがあるということである
何か時間軸で形成されたものが雰囲気としても残されている
でもそれを外から来た人が感じるのはむずかい
それは海外旅行してわかる、ヨ−ロッパは古い歴史があるとしても時間軸で形成されたものを理解するのがむずかしいからである
そもそもどうして2000年もの時間軸で形成されたものを理解てきるのかとなる

京都も千年の歴史があるから日本人だとその時間軸で形成されたものを感じる
それもは人によるがやはり雰囲気として残っているからだ
でも東京には江戸百万都市を感じられないのはなぜだろうとなる
皇居がしったとしてもあそこに江戸時代を感じないのである
それは結局高層ビルとかビルに埋め尽くされた結果、昔を偲ぶものが消失したからだとなる、ただ現代だけがそこにあるのである

いづれにしろ時間軸と空間軸で形成されるの世界観である
だから原発事故で避難して故郷を失った人たちがいる、そこで失ったのは空間もあるが
時間軸で形成されたものである、そこは江戸時代から人が住んでいたからである
そこでも代々時間軸で形成されたものがありそれが失われたのである
ただ時間軸で形成されたものは理解しにくいのである
ただ失ったものが何であったかそれを考えるとそれが金では買えない貴重なものだったともなる、それは意識されにくいからである

ともかく庭の冬薔薇は二片残して散る、でも散ったあとでもここに咲いていたな意識する余韻を残すのである、それが時間軸で見ていることなのである

旅人の平泉去る秋の蝉

これは自作だけどここでは空間軸と時間軸を現した句なのである
空間的に平泉を去る、その時時間軸としては夏から秋になっていた
つまり旅は空間軸で行われるがまたここでは季節の移り変わりも感じていたのである
何か自分の句を自分で鑑賞したとなる、この鑑賞とか評論することも相当に理解力がないとできない、そういうことがインタ−ネットでは欠けている
深く読んだりしない、表面的なもので終わっているのである 

まず創作しなくても評論できる人は芸術家と同じだともなる
なぜなら芸術そのものが鑑賞することがむずかしいからである
また小説などにしてもそれを理解することがむずかしいからそうなる
ただ年になると鑑賞力がついてくるから評論家に向いてくるのである
自分自身の俳句を評論しているのも奇妙だけどそうなる
第一こういうふうに鑑賞している人はいないともみるからだ

そもそも芸術となると鑑賞すること自体むずかしいのである、でも本当の芸術は芭蕉の
奥の細道のようにそれが400年とかの時間を過ぎてもそれが古くならない
深みをましているというのが真の芸術だとなる

2020年11月22日

冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る (写真十枚ー俳句、短歌連作)


冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る

(写真十枚ー俳句、短歌連作)

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クリック拡大-八沢浦
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かすかに山頂に雪が見える

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これは磯部の墓地にあった墓

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ボラが跳ねる

相馬の城下町

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クリック拡大-高い空に白鳥が飛んでいた

白鳥は夕暮れになると群れて飛ぶ



浜通り冬タンポポや望む海

松川浦小春日和や釣りの人

残菊や誰が眠るや墓一つ

とある村墓も根付く冬薊

金華山遠くに望み冬の暮

かなたかな泉が岳も見ゆ冬霞

みちのくの遠くの山や冬霞

城下町忠義に仕ゆ冬の松

城下町六万石や柿に松

城下町お堀に数羽冬の鴨

落葉して相馬の人我が語る

冬の夜の三本松や雲に月

繊細に枯木の枝伸び月光る


三県にまたがり蔵王大なりき相馬しよりも冬の日望む

安政の墓や磯部の古りにしを村は津波に流され消えぬ

ボラ跳ねて松川浦に船あまた小春日和や人多く来る

冬の樹の堀に映して枝々の交差し伸びて城下町暮る

白鳥の夕空高く飛びにけり月光り星いくつか煌めく
                                              

今日は朝が寒かったが昼になりあたたかくなった、それで磯部を回り松川浦を回り相馬市の城下町を巡った
あたたかいから冬タンポポが咲いて海を望む、これが浜通りであり会津とかとはかなり違った風土なのである、あたたかいということである

蔵王は八沢浦から結構大きく見える、今日も見えた、磯部からも見える
実際は冠雪しているのだがそれが今年はまだはっきりしない

みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌は山形県と宮城県と福島県からは見える、あとは見えないのだからあっていない
また松川浦の高いところから金華山が見えた、遠くが霞んでいたが金華山は形が三角になっているから判別しやすいのである
さらに遠くに泉が岳も見える、1100メートルになると遠くから見えるのである
400メートルの鹿狼山でもいつも遠くから見えるからだ
ただ山でも常に注意して見ていないと見えないのである
今回は冬霞になっていて見えにくいが私は心の眼で見たとなる
薄い雲がかかって冬霞になっていた、でも冬霞は春まじかにふさわしい季語らしい
でも今日はまさに小春日和だから冬霞になったのである
霞というともともと春であり冬にはふさわしくないがあたたかい冬でも霞になる
季語はいろいろあって解釈がむずかしいのである
                                                        
磯部では高台の墓地によって、ここには安政時代の僧侶の墓があったからここも古いのである、寺島という姓は石巻から移住してきた人の姓である
あとは佐藤氏が多いのは佐藤氏が磯部氏を支配していたからである
相馬氏が支配する前は相馬市辺りを支配していたのである
何か高潮の被害があり今の相馬の道の駅の鬼越館に移ったのである
そのあとに慶長津波が来たのである、だから予兆を感じて移ったとかとなる
いづれにしろ磯部は古いのである、でも津波で村は根こそぎ流されたとなる
ただ高台の家だけが残ったのである

松川浦ではバイクが百台くらい終結していた、何かバイク仲間の会合があったらしい
それでどこもレストランとかは満員だった、並んでいた
新しくできた市場も行列して並んでいた、いろいろ復興はしてきた
ボラが群れなして泳いでいた、そして跳ねた、前は広い海で魚が跳ねるのを見た
その時、生命の躍動感を感じた、広い海原でトビウオが跳ねるのは躍動している

松川浦から相馬市街に入る、相馬の城跡の紅葉が美しかった、ちょうど冬紅葉になっていた、写真を撮った所は一番いい場所だった
城跡の石垣も見えるからである、相馬の城跡は石垣があまり残っていないから貴重だとなる

相馬市の謎は何かいつ来てもしんみりするのである、原町も市街があるのだがまるで違った雰囲気なのである、それがいつ来ても不思議だとなる
城下町の雰囲気を残しているともなる、高いビルなどが建つと雰囲気がなくなることは確かである
ただ城下町といっても城もないし石垣にしてもわずかだし何か歴史を偲べるともならないでもやはり城下町でありその雰囲気が残っている
お堀に鴨が数羽いる、するとそれがまるで忠臣のようにも見えるから不思議である
それが歴史というものなのだろう
何か相馬の人と語る、落葉している城跡で語る、するとそれが歴史を語ることにもなるのである、そういう雰囲気があるからそうなる
何か語る時そうした雰囲気がある場所で語るとはずむ、それはその雰囲気がそうさせるのである

それから冬の樹が堀に夕べ映っていた、それを見て中村草田男の「冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男 」を思い出した、ただこの堀の水は濁っているからそうともならない
ただ水に移る冬の樹はそういう感じになる

日は短い、5時で真っ暗になった、月が雲に光っていた、木の枝に月が光る
写真に撮ろうとしたが失敗した、だいたい夜の写真は相当にむずかしい
これはプロ級でないとうまくいかない、いつも失敗している、カメラでもレンズでも夜の写真用でないとうまくとれないのである

ともかく相馬市の道の駅の近くの五本松があった所を帰る、でもその松は三本しか残っていない、だから三本松になったのである、でも三本松でも何かその松に親しみを感じるのである







寒雲、冬薔薇(御田母神の社)


寒雲、冬薔薇(御田母神の社)

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寒雲の流れずとどまる街の上

寒雲や老婆一人街を行く

寒雲や耕作放棄地に小屋一つ  

家に籠る女性一人や冬薔薇

落葉してゲートボールや山の村 


北風に松一本や紅葉映え御田母の社残りけるかな

冬の薔薇一輪あわれ今しばし我が庭に咲き見取り散りなむ


昨日はそれほどでもなかったが今日は朝から寒いし北風も吹いている
冬らしいとなる、ダイユーエイトの前に御田母神の碑がある
そこに松一本がある、隣の店の紅葉に映える
御田母神とは三春に由来するらしい、そこから移住した人が祭ったともなる

「田母神」姓は福島県に縁のある姓である。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区がある。同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれている。また、福島県内には同じ地名が他にいくつかある。意味は、「田を守護する神」から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれている。

郡山市立田母神小学校

田母神俊雄 - 航空自衛隊第29代航空幕僚長

田母神は間違いなく三春から発して郡山に移る、だからそこから移住してきた人があそこに祀ったのである
今は田はなくなったけど社は残っているのである
姓にしても自衛隊の幕僚長は有名だったけどそれはまさに郡山の田母神(たもがみ)村から由来しているとなる、姓の基は村だからである

都会にも社があるけどその周りは市街化して元の状態が失われた、田畑もなくなってビルなどが建つともともとあったものがイメージできなくなる、東京とかになるとそうである
寒雲が街の上にとどまる、耕作放棄地に寒雲がとどまる、何か現代社会の風景である
街はさびれているし耕作放棄地も現代を象徴しているからだ

冬薔薇が一輪咲いて散らむとしている、この薔薇の色はいい色である、赤でもないが明るい色である
また60以上で一人暮らしの女性も多いのである、それが現代を象徴している
俳句とか短歌でも現代の社会を反映する、それが逃れることができない
江戸時代だったら江戸時代の社会を反映する、時代を反映する
その時代のことか時間がすぎるとわかりくくなるのである
現実に高度成長時代が過去の物語になったことでもわかる  
その雰囲気は今とは相当に違っていて活気があったとなるがその時代の雰囲気も何か不確かなものになる、私の場合は会社員でないからその時の景気の良さとかはわからない
でも東京で土地が馬鹿高くなったのは覚えている、土地バブルになったのである
金余りになり土地に余った金が投資されてそうなったのである
でもそれは田舎では関係ないことだったのである

2020年11月21日

耕作放棄地の増大ー三人の老人がやめる (高齢化社会、介護社会、病人社会)


耕作放棄地の増大ー三人の老人がやめる

(高齢化社会、介護社会、病人社会)

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この時はカンナもさいて野菜もわずかとれていた
その時花も活きていたのである

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いかにも荒れ果てものとなった

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知っている女性がしていた畑も遂に耕作放棄地になった
まず隣の畑が娘の車できて這って畑を手入れしていた80以上の人が遂にできなくなり
耕作放棄地になった
次に前の畑は結構広いがその人も腎臓を悪くして透析になっていた
顔が黒くなると死ぬんだよと言っていた、その女性はひどくその人を嫌っていた
田舎だと畑にも隣がありいろいろと付き合いがめんどうなのである
そして隣の畑の影響がある、耕作放棄地になると種とかいろいろ飛んでくる
雑草をとなりから生えてくるとか影響がある

ともかく本当に高齢化社会とは介護社会であり病人社会なのである
同級生でも脳出血になったとかそのために足が悪くなったとかひどい人は口もきけなくなったとかある、ただ脳出血でも軽くすむと普通に生活している
その畑ができなくなったのはその女性が70くらいになりいつも腰が痛いとかなりできなくなった
またその知人も糖尿病で何回も長く二カ月以上とか入院している
何か手術したとかで長引いている、手術となると糖尿病はめんどうになる
他に一軒ある自転車屋の人も60歳以上で病気である、でも仕事は普通にしているから不思議である

自分自身も自転車で大倉の方に行っただけで体中が痛くなったのである
筋肉が弱ってきたためだと思う
こうしてとにかく高齢化社会はなんらか病気になり病人社会でもある
介護社会というとき息子が親を青森の施設に入れている、でもそこでも何か必ず金が要求される、もう一人の母親もその息子に金をもらわないと暮らせない
つまり2025年問題がすでに現実化しているのである
40代とかの人が丁度団塊の世代とかの子どもになるからである

そして超ソロ社会というのもそうである、一人暮らしの人が多いのである
一千万人いるとか多い、だから孤独死も増える、何か社会自体が異常化している
このように病人が多いと病気の治療にかかる金がまた大きいのである
60以降はなんらかで病気になりやすいのである、自分自身もそうだった
それで薬とか医者の費用がかかる、それが馬鹿にならないのである

これはまさに高齢化社会の縮図だった、畑をやろうとしたのは良かったができなかった
70以上とかなると何かしようとしてもできない、いろいろ機械を買っても使いこなせないとかなる、畑をしようとしても体がついていけないのである
農業は体を使う仕事だから体が資本だから高齢者はつづけることができずまさに放棄するのである、それをまさに身近に知った

高齢化社会はただ高齢になるのではない、みんな病気になる確率が高いのである
だから2025年問題は団塊の世代が介護状態になりその子供の負担となるのである
こういう社会が維持できるのか?こんなに高齢者が増えてそれも健康ならいい、何らか病気になりまとせに活動できなくなる
そして介護になったらその子供に負担がかかる
その子供がちょうど氷河期世代とかなり独身が多いしまた収入も少ないのである
引きこもりとかも多い、すると地獄の様な社会になるかもしれない
それを自分自身が経験した、二人の親の介護でもう家族崩壊になり死ぬような思いをしたからである

日本の経済でも弱体化するのは少子高齢化である、耕作放棄地でも若いならやることができる、しかし年になれば体がついていけないのである
つまり一人は透析となりつづけることができなかった、隣は80以上になり這ってしていたができなくなりもう一人は体が悪くなりやめた
そしてそこは耕作放棄地となったのである

こういうことは全国的にあり耕作放棄地が増大する、特にこの辺は原発事故以後田畑でもやめる人が増大した、結果的に耕作放棄地が増えた、避難区域になったところはほとんど回復していない、草ぼうぼうなのである、そこに放射性物質の土を貯蔵する場所となったでも避難区域でない所は10年過ぎて最近土は運ばれて元にもどりつつある
でも避難区域になったところは回復していないのである
膨大な土地が耕作放棄地となり放置されているだけなのである
少子高齢化社会の現実が具体的にこの耕作放棄地に現れている

でも一方で国際的に活躍していた銀行マンが農業を実際に5年くらいしていたとかある
それは銀行業というのに嫌気をさしたことと紙幣がもう価値がなくなる、金に価値がなくなることを実感したからである
食糧飢饉になることも予想して農業をはじめた、銀行員が自ら田んぼで働くということもしている、農業に投資するためである
それだけの耕作放棄地があるのだからそれを活用させるべきだとなる

しかし農地でも勝手にできない、それぞれの所有者がいて許可をとるとか簡単にできないそれも耕作放棄地が増えている理由である
土地をもっていれば宅地化したりできるとか売るために耕作放棄地でももっている
するとそこを農地として貸すとか売ることが簡単にできない
だから何かこれは自治体とか国で国策として強制的に解決する方法を見出すべきだともなる、日本の国土の利用は国の問題であり個々人にまかせていらないともなるからだ

ともかく農業をすることは容易ではない、だから農家でありそれを受け継ぐのが楽だとなる、なぜなら土地という資本を受け継ぎそのノウハウを受け継ぐことができるからであるこの辺では梨栽培が盛んだがいい梨を作るのに十年かかったという
つまりそれは野菜でもそうして時間がかかるのである
だから特産品というときその土地にあったものを時間をかけて作ってきたからそうなったそれは江戸時代からもつづいてそうできたのである
土地はみんなその土地土地によって地味を違っているしまた肥料などを工夫するとかノウハウが意外と大きなものとして農業があるからだ
だから農業は簡単にできないのである     

ただ一方で都会の人でも紙幣とかが紙切れになるとか不安になっている
貯金しても預金封鎖があるとか紙切れになるとか盛んに言う
だから農業が注目される、食料はつねに価値あるものとなるからだ
他に現物をもっている人が強いというのもそうである、また何かを生産している人も強いただ金をもっている人は弱いのである、インフレなれば紙幣は本当に紙切れになる
いくら紙幣を積んでも紙切れにすぎないともなる
その時現物をもっている生産している人が強いとなるからそうなる
そうはいっても農業は簡単にできない、まず農業法人とかに会社員のようにして入る他ないと思う、とても一人でするのは無理がある
農家の後継ぎならそれができるが素人になるとできないからだ
農業も体力も必要だし汚い仕事にもなる、蛇とかアブとかブヨとか動物とかに荒らされるまた盗まれるのも普通にある、その話を菊だけでんざりしたからである

人間は目の前の利益しか見えない (津波を警告しても誰も聞かなかった)


人間は目の前の利益しか見えない

(津波を警告しても誰も聞かなかった)

仙台市の海側の若林区なのか郊外の住宅地化した所があった
そこを津波が来るとして学者が警告した、すると不動産屋とかから抗議があった
地価が下がるからそんなこと言うなと抗議されたのである
これも人間は自分の自分たちの利益しか見てないから起きる
学者の人は預言者のようになると言っていた
それは津波は400年前に起きたとしても忘れられていたからである
だから津波が来るというと誰も信じないとなり危機感もないのである
ただ損になるからそんなこと言うなとなるだけだったのである
つまり人間が一番敏感なのは目の前の利益なのである
そのために他でも毎日働いているからだ

原発にしても目の前の利益しか見ない、利益になればいいとかしかない
安全がどうのこうのより目の前の利益が優先される
そこに目の色を変える、その利益を得ることに反対すれば村八分にされる
原発でもやはり利益優先であり東電の社長はコストカッターとしてのし上がったというのもそうである、だから科学者が十数メートルの津波が来ると警告したのにその備えもしなかった、それはコストが金がかかるからである
でも今になって防波堤を作っていたのである

このように安全は金にならない、それが致命的結果ともなる
それは危機感の欠如からそうなる、たいしことないよ、そんな津波など来ないとか原発でも事故など起こらないとか危機感がないのである
現実は現場の人が技術者が配管が危ない、老朽化しているとか事故前もすでに警告していても幹部は見過ごしている、取り合わないのである
「安全神話」は徹底的に安全に配慮した結果できたのではない
様々な危険な要素があったとしてもそれをごまかすために権力で操作されただけなのである、それは政治家と官僚とか検察とか海上保安庁とか官僚とマスコミでも一体となりそれも自分たちの利益を優先して作られたのである
東電は有力な天下り先になっていたからである

だからここでも自分たちの利益優先としてありそれが大事故につながった
そして誰一人として責任はとらないのである
それは戦争と同じだった、でも必ず誰かが責任をとらされる
戦争では三百万人の国民が死ぬという責任をとらされたのである
原発事故では故郷に住めなくなるという責任をとらされたのである 

人間は目先の利益しか見ない、見えないとなる、原発事故後でも補償金をどれだけもらうかしかない、市町村をどう復興するかより個々の利益しか見ない、だから一早く若い世代は故郷を脱出して補償金で他で暮らすようになり生活が別になり老人だけが取り残されたのである、家族でもばらばらになったのである
市町村全体をどうしようとかとか考えない、目先の個々人の利益しか見ないのである
それで目先の利益となれば補償金をいかにとるかしかなくなる
それで原町区では補償金をもっとよこせとなり訴訟になっても鹿島区は30キロ圏外だから除外されているのである

人間は全体を見ることができない、今はあまりにも複雑であり誰も全体を見れる人はいないのである、社長でも見れない、それは一部分しか知らないのである
吉田所長が復水器のことを知らなかったというのもそうである、それは最も肝心なことであっても知らなかったのである、資材関係が専門だとかなり知らないとなる
無数の専門に分化しているからその全部を知る人などいないのである
ただコストには敏感だからいかにコストを減らすかには熱心になるのである

そもそも人間は大きな巨大なものは認識できないのである
何かインドの哲学者が海岸に来た大きな船のことを知らなかったという、認識できなかった、小さな舟は常に見ているから認識できた、でも大きな船となると見たこともないからそれが幻のように見えたのだろう、見慣れていれば別だがその小さな漁港ではそんな大きなものを見たことがないから認識できなかったとなる
人間は自然でも宇宙でもあまりにも巨大だから認識できない、鳥でも大鵬のような巨大なものもは認識できないのである 
そこに人間の限界がある、日々の目先の利益にとらわれて生活している
だから大きなことに対処できないとなる

自然災害でもそうだが何か大きなことになると戦争とかなると理解できなくなる
国にしてもアメリカがどれだけ大きな国だったか理解できない、それで中国の野郎自大国のように漢の鉄器に対して青銅器で戦い敗れたのである
何か大きなことは理解しにくいのである、人間は俯瞰することが不得意である
常に空から下を見ているわけではない、狭い範囲で生活しているからである
それで大きなことに対応できないとなる

つまり目先の利益は常に見ているが大きなものは無視されるのである
でもそれが致命的結果になったのである、個々の利益は見えても全体の利益は無視されやすいのである、その調和を計ることが難しいのである
明治になってから山でも海でも私権が認められて山でも無数に土地が個々人に分割されて所有されて山を共同で利用することができなくなった
それが今でも問題になる、誰の所有の土地かわからないとして利用できないのである
入会権があり村の人が共同で利用していた時とは違うからである
それで家の前の海は自分のものであり補償しろとまでなったのである
海まで分割して私的所有とされる、それは異常だとなるが目先の利益を求めるからそうなる

いづれにしろ危機感を感じないという時、それが日ごろ生活している狭い範囲のものではなく自然という大きなものであり外国でも大きなものだからそれが理解できないからそうなる、アメリカでも中国でも日本の様な島国からするとどれだけ大きいか認識できない
その差が大きすぎるのである、砂漠とか平原とか大河が日本にないからそれを理解するのがむずかしい、その風土から感覚が全く違ったものとなるのである
人間は大きなものを理解できない、だから大きな自然から来る災害でも弱いし他国が攻めてくるということにも危機感を感じないとなる
中国という大きな国を理解することがむずかしいからそうてるのである



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2020年11月20日

国家存亡の危機 (国家を今まで考える必要もなかった)


国家存亡の危機

(国家を今まで考える必要もなかった)


戦前は日本国民が国家のことばかり考えて行動していた、何事も国家のためだった
国家こそ最も重要なものであり国家があって家族があり個々人もあった
だから戦前は四六時中国家のことを考えていた
経済でも絹織物の生産はアメリカに輸出して外貨を稼ぐものとしてあった
それで軍事力を強化していたとなる
国家が最優先課題であり他は二の次三の次になっていた
そんな社会は全体主義であり間違っていたということを今では言う

でも逆に戦後はアメリカに負けてから日本から国家がなくなったのである
国家というのは常に否定されるものとしてあった
戦争を悪いものだ、戦争をした人は犯罪者であり罰せられるべきだ
世界から日本は謝罪しろとなって日本の外交もそうなった
日本は悪いことしたから謝れとなり賠償金を取られることになった
でも日本はそういうことに対して逆らうことはなくなったのである
日本は戦後に焼野原になりアメリカに支配されたとき国家自体消失していたのである

だから左になると9条で国家を守れとなった、それが可能だったのは米ソの冷戦で日本はアメリカに守られていたからである
だから高度成長時代があり平和な時代が70年もつづいたのである
平和の時代を享受できた時代だとなる
それは時代の幸運でありでもそれももう続かない
70年過ぎた結果、国家存亡の危機に直面する
それは明治維新の時も国家存亡の危機だった、太平洋戦争も国家存亡の戦争をアメリカとして負けて焼野原になったが幸運にも高度成長時代があり70年の平和がつづいたのである

でもそれも終わった、70年毎に大きな変革が起きる、明治維新から七〇年で太平洋戦争でアメリカに負け焼野原になった
そして立ち直ったがまた七〇年過ぎて大変革の時代になる
そのために津波と原発事故とかコロナウィルスとかの災難にも襲われる
それは時代が変わる時、そうした自然災害も起きて来るとなる
つまり動乱の時代になる

そして国家というのをこれまでは意識したり考えたりする必要もなかったのである
それはあまりにも国家を意識した戦前とは大違いだったのである
国家は常に否定するものとしてあったし国家は悪いものだということがすりこまれたのである
ただそれは国際情勢で幸運がもたらしたものだったのである
今や国家存亡の危機になれば嫌でも国家を意識せざるをえない時代になったのである
でもその変化はまた大きい、それで今まで通りのままに流される
第一そもそも国家というのが日本人が意識しなくなったときどうして意識させられるのかとなる、左からは国家否定がある、国家自体を意識することもできなくなっていたのである

それも現実に中国が攻めてくるということが迫っている、インドの国境では二〇人もインド人が死んでいるのである、だから尖閣でも実際は海警が中国人の軍隊が武装して来る
そういう危機的状態になっているときアメリカが守ってくれるともならない
日本人が池を血を流してこそアメリカもその背後から助けることができる
アメリカが先頭に立って血を流すことはしないのである

私自身は国家をそれほど意識しない状態がいいと思う、私自身追及してきたのは国家ではなく風土と一体化した(クニ)である、これまではアメリカの庇護の下にまた中国が台頭する前だったからそれができたのである
中国の脅威はもう身近に迫っている、中国の厄介なのはアメリカと違って隣であり中国人が日本に住むことである、それが現代では可能になっている
大量の移民政策で中国人が日本に住むことができる、それが今までとは違っている
それがやっかいなものとなる、アメリカ人は日本に住むのは極少数だから日本社会を支配するまではならなかったのである
でも中国人は違う、日本に住んで日本人を直接支配するようになる
中国の要人が主要な地位を得て日本人を支配するのである

結局日本人はあまりににも七〇年間平和になれて危機感が消失したのである
それは津波でも原発事故でもそうだったのである
津浪はこの辺がは来ないとして逃げないで老人が死んだ、原発事故も「安全神話」を作り事故が起きないと権力で作った、それが一挙に崩壊したのである  
何か日本人は危機があることを忘れていたのである
つまり危機感がないことが大惨事になったのである
それだけ平和だったのが日本であった

でもその時代が終わった、国難になり動乱の時代となる、コロナウィルスもそうである
動乱の時代になると様々な災難に襲われる
そして日本人は日本人のモラルが戦後消失した、金しか経済しか関心がなくなったのである
国家は常に否定されモラルも消失していた
原発事故でもモラルが消失していたからだともなる、技術的問題があるにしても「安全神話」を作り危険をごまかしていた、見せないようにしていたのである
つまりモラルが消失していたことが大事故につながったともなるのだ

そしてこの辺の原発事故の復興でもモラルが消失してできないということもある
家族がばらばらになり老人が取り残されて妻がいないから女性をひきこみ退廃している
何かモラルが崩壊して復興もありえない、何か一眼となって復興しようというものがないのである、あるのは補償金をもらうことで団結することだけなのである
でもまたその補償金は南相馬市なら三〇キロ内と外では大きな差がありそこでもめて一体化しないのである
だから原町区と鹿島区では一緒になり東電に訴訟したりできないのである

いづれにしろ日本は様々な点で内部的にも危機である、モラルも消失して愛国心などない金を愛すことはあっても第一国家とは何か意識できないからである、意識させなくされていたからである、だからそうして心の問題としてモラルの問題として日本は危機になる
その方が大きな問題ともなる、日本人が一つになり戦う意識もないのである
だから日本が滅んでいないのが不思議だと右翼の人が言うのもわかる
心がないからすでに日本人は滅亡しているともなる

ただ本当に中国が攻めてきて危機に瀕した時、救国の英雄が現れるかもしれない
それがまた日本だともなる、自分の場合は年だから無理である
動乱の前に死んだ方が楽だとなる、ても確実に動乱の時代が来る
様々な災難はその前兆なのである、日本は心から立て直す必要に迫られている
日蓮が正法を法華経を信じよとしたのは国の問題も心の問題として起きるからそう言ったのである、ただカルト教団はこれも御利益とか金しかない、愛国心など一切ない
自分たちが得にすることしかしない、国のために犠牲になるような人は一人もいないのである  

そもそも愛国心ということ自体が死語になっていないか?
戦後は自己愛しかなくなっていたのである、それは国が平和だからありえたのである
でも国家存亡の危機になると自己愛だけではもう国家を維持できないのである
だから日本が滅んでいないのが不思議だともなるのである
ローマ帝国が滅んだのも贅沢にふけり軟弱となりモラルが消失したからである
そこに蛮族が侵略してきたのである
日本も同じなのである、モラルが消失したときそこに蛮族ではなにしろ中国とかが攻めてくるということである 

とにかく人間の弱点は常に危機感をもてない、確かに一時的にはもつ、でもすぐ忘れる
戦争で3百万人死んだとしてもそれもあいまいとなり忘れてゆく
津浪の被害でも十年過ぎると地元でも関心がなくなる、常に事件があり関心が移ってゆくからである、だから人間が常時危機感を持つとは不可能だともなる
コロナウィルスでもなれて大したことかないとなるのもそうである
それはあらゆることでそうなのである、常時危機感をもって生きることはできない
ただそれでも危機は確実にくる、容赦なく襲ってくるともなる
そのことは津波でも原発事故でも証明されたのである 

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鈴木傾城

武闘派の意見だけど結局日本人は戦争に負けて自立心とか日本精神とか消失した、日本人としてモラルも消失した、軍事力とか経済力もあるが精神の面でもう滅んでいるのかとも見えるのだろう、それが危機なのだけど日本人は自覚していない
だから中国にでも簡単に侵略されて滅びて亡国の民になるともなる

日本がはこれだけ自然災害のあるクニなのに津波でも危機感がなかった、原発事故でも「安全神話」を作り日本の技術は優秀だから事故はないとして安全を怠った
それは戦争にもいえる、アメリカに頼るだけでありそのアメリカも撤退する
すると巨大化した中国とどうして対峙できるのか?
それは軍事力とか経済力だけではない、心の問題として危機感をもっていないのである
それでエレミヤが北から攻めてくるとして警告していたが民は無視して聞かれなかった
その危機感がないことが最大の問題だったのである
それは余りにも平和に慣れ過ぎてしまったためである、戦後の七〇年間は特別恵まれた時代だったのである、それも終わり激動の動乱の時代へと突入する
その時本当にあっけなく日本は滅んでしまうかもしれない恐怖になる、現状を見ればそうなる、危機感がないからである

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posted by 老鶯 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年11月19日

abstract painting-iced man

                          
 abstract painting-iced man

 (世界からのアクセスが増えた-Increased access from the world

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Budda mountain


頂き(いただき)はいただくなのである

いただきますとなる、それは何を意味しているのか?

天から食べ物をいただくということなのか?

日本語は謎である



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iced man into frozend rock 

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hidden waterfall

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世界からのアクセスが増えた

セーシェル、パナマ、ベルーナ、スイス、スエデーン、ルーマニア、ボーランド ロシア
ドイツ、カナダ、台湾、香港、韓国、フランス、イギリス eu、アメリカ、ルクセンブルグ

抽象画の部のアクセスが増えた、国名も増えた、セーシェル、パナマ、ベルーナとかルーマニアは変わっている、そんな国があったのかとなる
ただインドからのアクセスがない、ということはインタ−ネットがまだそんなに普及していないからか?
中国も大きいのにアクセスが少ない、おそらく抽象画の分野の興味が少ないのか?
インタ−ネットの検索にのれば世界からアクセスが来る
抽象画でも画像検索に出ればアクセスがある

アメリカは前からアクセスがあった、ただ一時多かったが急激に減ってわずかだった
ただ今度はいろいろなこれまで来なかった州の人が来ているのだ
今までは単発的にアクセスがあったが継続してアクセスしていることは興味をもって見ているとなる

インタ−ネットは世界的な表現の場だというとき音楽とか絵の分野ではそうなっている
他の詩とかなるとむずかしいから翻訳できないからアクセスがない
でもグーグルの翻訳が進歩したからそれで読んでいるのかもしれない
原発関係でマサセッツ大学からアクセスがあった、でもグーグルの翻訳でも日本語を読むことはむずかしい、でもインタ−ネットは世界的なものであることがこれでわかる

だから音楽部門だと何百万のアクセスが世界からある、それは音楽は言葉と関係なくわかるからそうなる 
ただ私の抽象画は全く絵が絵が描けないのにソフト操作でしている
つまり全く絵の才能がなくても創作できているのが特徴である
つまりれはAIか作った作品だともなる

Increased access from the world

Seychelles, Panama, Belluna, Switzerland, Suedeen, Romania, Borland Russia
Germany, Canada, Taiwan, Hong Kong, South Korea, France, United Kingdom eu, USA, Luxembourg

Access to the abstract painting department has increased, country names have increased, Seychelles, Panama, Belluna and Romania have changed, I wonder if there was such a country
But is it because the internet is not so widespread yet because there is no access from India?
China is also big but has little access, maybe there is little interest in the field of abstract painting?
Access comes from all over the world if you search the internet
Even abstract paintings can be accessed by searching for images.

The United States has been accessed for a long time, it was only temporarily high, but it decreased sharply and was slight.
But this time, there are people from various states that have never come.
Until now, there was one-off access, but it is interesting to see that it is being accessed continuously.

When the internet is a place of global expression, it is so in the fields of music and painting.
There is no access because it is difficult to translate other poems
But maybe I'm reading it because Google's translation has improved
It was accessed from Massachusetts University because of the nuclear power plant, but it is difficult to read Japanese even with Google translation, but this shows that the Internet is global.

So in the music sector, there are millions of accesses from all over the world, because music can be understood regardless of words.
However, my abstract painting is done by software operation even though I can't draw at all.
In other words, the feature is that you can create even if you have no talent for painting.
Wife This is also a work made by AI

大倉から真野川渓谷の紅葉


大倉から真野川渓谷の紅葉  

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大倉の碑
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これに気づかなかった、葉山祭りと有名だったら葉山という地名があった


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冬の日にここに動かず鎮まる石

冬日さし大倉に並ぶ古き碑 

大倉に古き碑並び落葉かな


一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

山に入り冬の蝶あわれ一つ飛ぶまもなく消えむさらに分け入る山

大倉に三匹ほどの虫の音を耳をすまして聞きて帰りぬ


大倉への坂を上る所にこの大きな石が隠れるようにしてある
この石は貫禄がある、だからいつも注目して見ている
でも他から来た人だと隠されるようにしてあるからわかりにくいのである
その隠されているところがいいとなる

大倉から霊山の方に行こうとしたが去年の水害で交通止めになり行けなかった
普通は自転車だと行けるが奥の方がさらに崩壊が激しく行けなかった
でも紅葉はきれいだった、写真を撮った所は車では入れない所がある
この工事は長くつづくから当分は通れないのが残念である

大倉の消防署とかあるとこにこの碑が並んでいた、寛政とか慶応とあり江戸時代のものである、大倉の歴史は古い、葉山祭りなどがあり古い、葉山橋とかあった
でも今はどれくらいの人が住んでいるのか、ただ新しい牛舎が作られていたからまた牛を飼うことを始めている、だから人は住んでいる
でも減ったことは確かだろう

とにかく霊山まで行けなかったことは残念である、紅葉の盛りであり歴史の道となっているのがこの辺だからである

2020年11月18日

大倉で出会った南三陸町の津浪の被害にあった人の話


大倉で出会った南三陸町の津浪の被害にあった人の話

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この辺の被害は大きかった



今日大倉であった人は宮城県の人で志津川の人であった、今は南三陸町になっている
その人は土木関係の仕事をしているらしい
志津川で現実に津波で家が流されたという、そこに家を建てようとしても土台が問題で困っているとか言っていた
南三陸町も被害か大きかった

何かアメリカの友達作戦でフィリンピンから船がきて援助にきた
それは衛星からの写真で上陸地点をピンポイントで決めて上陸したという
気仙沼でも船が入れないが軍事用の船だと上陸する船が容易してあるからできる
つまり緊急時には日本でも自衛隊が橋を作ったりして道路を整備して車を通せるようにした、そういうことが軍隊ではできる

何かその人はいろいろ詳しい人だった、会津の阿賀野川から放射性物質が流れて新潟の河口に放射性物質が蓄積されて放射線量が高かったという
会津はたいして被害がないと見ていたがそういうこともあったのかとなる
阿武隈川の河口は放射線量が高かった
なぜなら放射性物質はセシウムなどが泥に付着して流れるからである
そこじ河口が異常に高かったのである
それと同じことが阿賀野川で起きたのか、でも会津はそんなに放射線の被害がないと見ていた、ただ実際は広範囲にあったともなる

あの辺の地形はすぐ後ろが山になっている、そこでその山を這い上がるように津波が押し寄せて上った、津波はこの辺でも坂があった所に津波がその坂を這うようにして高く上ったことに驚いた、だから津波は地形に影響されるのである
水の流れが地形によって予想もつかないものになっていたのである

1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震 - 岩手県綾里(現・大船渡市)で津波の遡上高38.2m、死者不明者22,000人。津波地震とされる。ハワイおよびアメリカ西海岸でも遠地津波が観測された。
1923年(大正12年)9月1日 大正関東地震(関東大震災) - 津波の最大波高は静岡県熱海で12m。数百人が犠牲となる。
1933年(昭和8年)3月3日 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。

この辺が非常に被害が大きかった、もともとここは津波の常習地帯でありだから女川の原発は5メートルくらい高くしてぎり4ぎりで助かったのである
そこはすぐ近くが明治にでも津浪で2万人くらい死んでいるのだから危機意識があった
石巻でもそうだが仙台から相馬地域とかいわき市の方になるとそうした危機意識がもてなかったのである
だから津波が来ないとして老人は逃げることもしなかったのである

そして400年前の津波の記録が二行だけ相馬藩政記に津波の後に学者が発見したのである
そこに津波でなく生波(いくなみ)で700人溺死と記されていたのである
その津波はたまたま伊達藩に来ていた三河藩の人たちがその津波を経験して伝えた
それ以後慶長津波となり津浪という言葉が普及したのである

ともかく女川原発はすぐ隣で明治にでも大きな津波の被害があったのだから危機意識をもったのである
宮城県でも石巻から仙台市の海側とか名取でも亘理でも山元町でも三陸のような危機意識がもてなかった
それは400年前とかになり忘れてしまっていたからである

とにかく三陸は湾がありそれが穏やかで風光明媚になっていた、でもそれが津波には弱い場所だったのである、陸前高田の広田湾でも南三陸の湾でも穏やかであり風光明媚である仙台からの海沿いにはそうした湾が入江がないことが景観としてものたりないものだったそれで南相馬市の鹿島区の八沢浦が前の入江になったときほど驚いたことはない
そこは明治以降に干拓されて田んぼになった場所だったのである
それが江戸時代の入江にもどったのである、穏やかな波が朝日がさしてけきらきらは寄せてきたのを見た時、奇跡が起きたのかと見た

ただその時その入江に家が浮かんで被害があったのでそこで被害にあった人からの抗議があった、それも当然だったけどとにかくたいがい津波は悲惨な光景しかなかった
でもそこは家がないのでそういう無惨な光景ではなかった
きれいな入江になっていたのである、もちろん湊という所では40軒が消失して村が壊滅したとかあったがどろどろとした津波の無惨な光景ではなかったのである

津浪原発事故から十年すぎると一昔であり忘れられる、何か報道があっても地元で被害があっても関心が薄れたのである、人間は忘れやすいのである
ただ原発事故の放射性被害とかは継続しているので関心がある
津波の被害自体は何か地元でも関心がなくなっているのである
次々にまた新しいことがコロナウィルスなどが起こり忘れられてゆくのである
それが人間の問題である、こうしうて災害も忘れてまた大きな災害にあい苦しむとなる
だから歴史を知るということが大事なのである
でも戦争で三百万人死んだというのも七十年過ぎるとそれが実感できなくなる
これは津波の被害より大きいのである、こんな大きな被害でも忘れてゆくのが人間だとなる、だから天災は忘れたころに来るという格言が生まれたのである

posted by 老鶯 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

橲原渓谷と真野川上流 (大倉から佐須ー霊山の道は通行止め)

橲原渓谷と真野川上流

(大倉から佐須ー霊山の道は通行止め)

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橲原(じさばら)渓谷

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大倉から佐須-霊山の道

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この二つの道は自転車でも通れなかった
ここは通れても奥は通れなかった



この二つの道は当分通行止めほ工事している所もあるがまだしてない所もあり
長引く、工事が難工事になっている、崖崩れであり高いからである

この辺は今は紅葉であり景色のいい場所なので残念


posted by 老鶯 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年11月17日

アクセスされた外国の謎 (少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)


アクセスされた外国の謎

(少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)                 


OrgName:        Massachusetts Institute of Technology
OrgId:          MIT-2
Address:        Room W92-167
Address:        77 Massachusetts Avenue
City:           Cambridge
StateProv:      MA
PostalCode:     02139-4307
Country:        US   → (アメリカ合衆国)

全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者を多数(2014年までの間に1年以上在籍しMITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名で、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回る[11])輩出している。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds(QS)による世界大学ランキングでは、2012年以来2019年まで、ハーバード大学及びケンブリッジ大学を抑えて8年連続で世界第一位である。 

ケンブリッジ市にマサチュウセッツ工科大学がある、そこからアクセスがあった、おそらく原発関係だろう
でもここは相当に優秀な大学である、ノーベル賞受賞者は81名というのには驚く
一時外国からも原発で注目されたようだ
ただ私は文系なのだから研究に役立つような知見が得られるのだろうか?
ただこういう大学からアクセスがあることはやはり私のプログがテーマとしていたからだろう
でも前からすると最近ページビューは半分に減った、ただ訪問者は300以上とかなんとか維持している

そしてなぜか世界中からアクセスが増えた、世界からのアクセスは必ず忍者の分析で出る
日本はもれるのが多い、ただedとあると教育関係のアクセスが多い
つまりアクセスが減っても良質な人の何か目的がある人のアクセスがあるとなる
その世界からのアクセスはここ何日かつづいている、それは原発関係ではない
抽象画関係しか考えられない、抽象画が認められて世界からのアクセスが増えた、その国も多様なのである
パナマとかウクライナとか今日はルクセンブルグとかからもアクセスがあった
それは一回限りではないことが特徴である、だから何か抽象画が注目されたのだと思う
抽象画とか絵画とか写真は言葉がわからなくてもわかるからだ

ここでわかったのはインタ−ネットは世界的な表現の場だということである、それは前からわかっていたがこんなにアクセスがあることで注目されていることを認識したからである

ただ正直アクセス数が相当数減った、半分以下とかなった、訪問者はそれほど減っていないにしてもこれだけ減った
その原因はこれまで津波とか原発関係でずっと増えていた、震災から十年過ぎて関心が薄れたのである
あとは俳句とか短歌だと関心があるのは少数者である、詩などでもそうである
こういうのはアクセスが増えない、ニュースとかは増えるがそれも新聞のようにテレビのようにならないのでアクセスが少ない
だからどうしてもアクセスが減ったのである、ただアクセス数は関係なく中味のある、代々読まれるようなものを出してゆく
たいがいyoutubeでもプログも一過性になるのは価値がないのである
その時その場限りになってしまうからだ、そういうものが膨大に多いのである
ニュース解説でそこに歴史的に考察して普遍性がある解説が必要なのである、それは相当に経験とか学識とかがないとできない
それができているのは五六人しかいない、それは自分が毎日アクセスしている、ただ他にいるがそれは自分はアクセスしていないのある

でも何か百万とかまでアクセスがあるのはそれは芸能人のようなつまらないものなのである
だからアクセス数からだけでyoutubeでもプログでも判断することはできない

正直特別関心がある人とか何か俳句とか短歌でも詩でも創作しているとか宗教なら求道心があるとかそういう人たちを対象にして発信する、ただ数だけを集めるのではない、中味がある、その場限りのものではないものを追及する
youtubeなどでもそれはその場限りで消えてゆくものが多いだろう、何か何度も読まれ代々読まれるものを目指す
そうなると少人数になる、そういう人たちを集めて内輪で研鑽すするというのも考える  
これからどうするかは来年のことになる、何とか詩集は出したいと思っている、これにしてもなかなか一般的には理解されない
でも膨大なものになったのでまとめたいとは思っている


消費と節約ー緊縮財政の失敗 (金は天下の回りもの)


消費と節約ー緊縮財政の失敗

(金は天下の回りもの)


お金を貯蓄に回すのではなく、買い物でお金を使うことは、お金が滞ることなく回ることになりますので、みんなにお金が回りますから、社会経済全体にとっていいことですよ。
経済を理解することは本当にむずかしい、例えば消費という言葉が翻訳が良くなかった
消費には消すということで悪いイメージとして使われた
それは江戸時代は物不足で節約、倹約の時代がつづいたから消費ということが悪いものとしてイメージされてこういう漢字を当てたのか?

消費というとき前は生協から伊達の醤油とか買ったことがあった、生協はやめたのでヤクルトでも売っているので買った
別に醤油など安いものでもいいとも思った、でもこれはいいものだから買うとなる
するとそれを生産している伊達市とか生産地に金が回る、売れるということで励みになるまた売る方でもヤクルトでももうけになる、つまり消費することで金が回るということである
もし節約して贅沢しなくてもいいとかなると金が回っていかないのである

金は天下の回りもの

こういうとき節約ではなく消費して金を回すということかもしれない、また金は一か所にとどまること個人でも貯めることは良くないものとしてこの諺が生まれたのかもしれない第一天下というとき日本全国から世界をイメージする、世界に金が回ることで世界が栄えるともなるからだ

消費することは何か非生産的イメージがまとわりついている
それで日本人が貯蓄好きというのは江戸時代からの継続としてすりこまれてそうなった
人間は意外とそうした習慣は歴史で作られたともなる
だから江戸時代が今と関係ないということはない、お上に従順だというのも江戸時代の継続として日本人の国民性を作ってきたからである
現代にも江戸時代の影響があり国民性を作ってきたとなる、それはいい面にも悪い面としても継続されている
消費が悪くて節約、倹約がいいというのは江戸時代に培われたてものだからである

そして徳川幕府が明治維新で倒幕派によって変わられたのは経済政策の失敗だった
そういう理論も成り立つのは政治と経済は密接に結びついているからである
つまり緊縮財政による節約、倹約の精神により経済が停滞してそれが幕府が行き詰まった原因とされる見方がある、経済というものが何かわからないからそうなったとなる
でも庶民の中では「金は天下の回りもの」という諺が生れていたのだから必ずしも節約、倹約をいいものとしてはいないともみれる
お上による節約、倹約が奨励されていたのであり庶民はそう思っていなかった
お上により贅沢が禁止されていた、いい着物を着るなとかいろいろ贅沢が禁止されたことがあったからだ、そこで贅沢は良くないものだ、消費は悪いものだとということが日本人に刷り込まれたともなる

消費というとき実際は生産と結びついている、パソコンを買うということはこれは使いこなすことが苦労である、でもこれによって知的生産が飛躍的に増大したのである
インタ−ネットができてから情報は膨大に流通するようになった
知識の量は江戸時代の一億倍とかにもなったかもしれない、情報洪水の中に日々いる時代である
パソコンを買うことでもカメラを買うことでも消費ではない、知的なものでも情報でも芸術としても生産することである、生産するために消費するのである
ギャンブルなどは消費になるが他は何かかえって消費は生活を向上するためにある

節約、倹約するのはやむをえずそうしている、もうぎりぎりの生活をしている人は節約も倹約もない、食べるものすら減らしている、電気を使わない人もいる
そういうのは節約でも倹約でもない、貧困を強いられてそうなっているだけである
余裕があれば人は消費する、生活向上のために消費するのである

資本主義社会では貯蓄というものをいいものとみていない、必ず投資することで経済が回るようになっている、第一銀行に貯金していても必ず銀行でも投資しているのである
なぜ高度成長時代に7パーセントとかの高い利子がついたのか?
それは金を貸す投資する会社がいて利益を出して利子を払っていてくれたからである
その時銀行はただ金を集めるだけで良かったのである
いくらでも借りて利子を払ってくれる会社があったからだとなる

でも今何が起きているのか?金あまり状態である、金があっても銀行だと貸す会社がないとかなり金をもうけられない、その余った金はどこに行っているのか?
株式に回ってコロナウィルスでが大量の失業者が出るとか餓死者が出るとか言う反面
株だけは上がっているのはなぜだろうとなるからだ
みんな苦しんでいる時になぜ株だけが上がり株を持っている人だけが得しているのかとなるからだ、それは何か不条理になる
経世済民が経済だとすると全く反しているのが現実なのである
ここにも資本主義社会が行き詰まっていることが現れている
つまり資本主義社会では投資先がなくなるとどこかでバブルが起きる
オランダでぱチューリップバブルが起きたり日本だと土地バブルが起きたり絵画バブルが起きたりする、余った金が投資先がなくなりバブルが起きる、今は株のバブルが起きているのかとなる、会社が景気が良くて株が上がっているのではないからだ
そしてこのバブルはすべていつか崩壊する、泡のように消えるとなる

経済は江戸時代は米中心の社会であり石高制であり米が貨幣にもなっていた
それが社会に適合できず封建制の徳川幕府が崩壊した
明治からは輸出産業として生糸が絹織物が輸出産業となりアメリカなどに売れた
それで経済が回り富を蓄積して戦争の武器などを作り太平洋戦争になった
次にアメリカに敗れて今度は電器産業が興隆して輸出産業になり高度成長時代になった
ジャパンアズナンバーワンの時代になった
それもバブル崩壊で終わり失われた30年になって日本は衰退した
辛うじて自動車産業が輸出産業となり日本の経済を支えているとはなる

日本はITに遅れて次の時代のイノベーションができなかったのである
物つくりはしてもこのITは別なのだった、情報社会についていけなかったのである
つまり経済成長するには節約でも倹約でもない新しい時代の産業を作ることだったのである、それに後れをとったから日本は停滞して衰退したとなる
今は物作りだけではない、情報化社会に日本が遅れたためだとなる
結局消費が悪いとかではなく節約、倹約しろというのは江戸時代からすりこまれた思想である、そういうものが歴史的に作られていて心の態度をマインドを作る
それは簡単に変えられないものだということである
ただ庶民から出た諺には何か普遍の真理がある
「金は天下の回りもの」ということがそうである、金は貯めるのではなく回さないと豊かになれないということである 

高齢化社会の問題は老人が金をもっていても使えないことなのである
何か新しいもの、機械を買ったが使いこなせないのである
また老人用の商品がないというのも消費できないことになる
スマホなども字が小さくて使いにくいとか何か老人は新しいものを使いこなせないのである、パソコンは長年しているから使いるがスマホはまた別なのである
だから老人が金をもっていても消費しないから金が回らないということがある
それで日本でも経済が停滞するとなる、高度成長時代は生産も増大したが消費も旺盛だったのである、だから高度成長経済になったのである
電機製品が欲しい、車が欲しい、家が欲しい、うまいものが食べたいと消費も旺盛だったのである、その団塊の世代などが老人になると消費できないとなったのである
また老人自体が貧困化していることもある、高齢化社会では何か経済も停滞してしまうのである

ただ意外だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだったのである
最初マウテンバイクで若者向きと見ていた
でも乗ってみると平地でも走るのが楽なのである、それで病気になった人が運動に買ったそれだけ楽なのである、だからこういうものは高いにしても金がある老人なら買うとなる他の物は何か使いこなせなくなっている、それが高齢化社会の問題なのである

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 ヤマハ-YPJ-XC

これは老人向きだった

posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年11月16日

危機感がもてない人間 (津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)


危機感がもてない人間

(津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)

まず津波に危機感をもっていなかった、この辺では津波が来ないという確信になっていて老人は逃げなかった、400年前に津波で700人溺死と記されていたがそれこも忘れられていて津波の以後に発見されたのである
ただ宮城県側では津波の危機意識があった

女川原子力発電所の建設にあたって、記録が残っているものだけでなく、
文献調査や聞き取り調査、考古学的調査、堆積学的調査によって、過去においてどの程度の規模の津波が三陸沿岸を襲ったかを調べた。

それによると、日本海溝で発生した大規模津波としては貞観津波(869 年、マグニチュード 8.6)、慶長津波(1611 年、マグニチュード 8.1)、明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

近くで大きな津波が明治とかにもありそれで危機意識をもっていた、その相違は大きい
そして女川原発は東北電力が作ったのだから地元であり地元に通じていた
東電は遠くであり幹部でも安全を最初から計っていた、それで危機意識が薄れていたのである

そもそも人間は危機意識をもてない、津波のような空恐ろしいことが起きるという危機意識がもてない、もし危機意識をもったらあんな海岸線に住むことはできないからだ
村ごと根こそぎ津波に流されたからだ
もしそのことを頭にイメージでもできたらとても住めないのである
でもなぜかそんな危機意識も持たず平気で住んでいた
ここには津波が来ないとして老人は津波が来ても逃げもしなかったのである

人間は何かこういう大きな危機をもてない、日々の生活で交通事故になるとか何か事故が起きるとかはもつにしても津波などの巨大な災害をイメージできない、ただ三陸では明治にも一万人死ぬとか津浪で経験しているから危機意識をもった
でも相馬地域では危機意識を持てなかった

でも実際原発の煙突がすぐ目の前に建っていたら怖いこということがある
でもそれでも危機意識は希薄だったのである
「安全神話」が作られて安全だと思っていたのである
これだけ危険なものが目の前にあっても危機意識がもてない
それが人間の弱点になる、危機意識がもてないからのんびりしている

それは個人的にもそうだった、自分のことを延々と書いてきたが自分の家が介護とか自分自身の病気とかで崩壊寸前にてり死ぬほど苦しみを味わった
でもそのことは危機意識があれば予想できたことでもある
でも楽でありその楽に安住していた結果全部一人で負担を背負うようになったのである
それは予測できたことだが何もしなかったとためだとなる

とにかく危機意識がないということはコロナウィルスでもそうである
なんだたいしたことがないじゃないかとなり人が普通に外出して騒いでいるとなる
人間は人がバタバタ死ぬようにならない限り危機意識がもてない
若い世代になると症状が出ないとかなり警戒もしないとかなる
つまり人がバタバタ死ぬようにならないと危機意識がもてないのである
放射線の被害でもそれが十年後なのか二十年後なのか三十年後とかなるともう危機意識がもてない、人が放射線でばたばた死ぬようになると危機意識をもつ
それが人間の弱点なのである

危機意識というとき別に大災害でなくても人間が死ぬということを知っている
そしたら若い時から求道すべきだとなる、人間はなぜ死ぬのか?
死なない命が永遠の命があることを知るべきだとなる
でも危機意識が薄いから若い時は飲めや歌いやでたちまち貴重な時間が過ぎて求道する
時が消失する
他のことでも常に人間はチャンスを逃している

もちろんそうして危機意識を持てないから平然として生きていけるのだともなる
そんな恐怖を日々感じて生きていたら生きた心地もしなくなるからだ
とにかく人間は大きなことに危機意識をもたない、戦争があったのは70年前であり3百万人も死んでいる、それも忘れて日本が攻められるとか戦争になる危機意識はない
原発の「安全神話」とかにて事故は起きないとか戦争はないとかなるからだ

将来的に目に見える危機はある、2025年問題の介護が増える危機である
そういうことはすでに起きている、40過ぎた独身の人は親を施設に入れても備品などにかかり苦しいのに金を送っている、もう一人の母親も金が無くせびるとかある
つまり団塊の世代の子供の世代が親の介護になるのが2025年なのである
それはすでにはじまっている、その人たちは金もないのに親の負担を強いられるとなる
そして氷河期世代とかの老後は本当に地獄が見えている
また引きこもりなども親が死ぬと地獄になる、それは自分自身が地獄の苦しみを味わったからわかる、でもその用意は全然されていない
でもある時必ず親は死に援助は受けられなくなるのである

ただ人間は本当に危機意識を持てない、そして突然に不幸が容赦なく襲ってくるのだ
病気でも突然やってきて動けなくなったりする
そういう人がこの年になれば普通に近くにいるからだ
いづれにしろ人間の造りだすものがいかに安全でないか、でたらめなのか原発事故で知った、すでに技術者が配管が老朽化して危険だと指摘していたが東電ではとりあわなかった東電自体が危機意識をもっていなかったのである
十数メートルの津浪が来るという専門家の警告にもとりあわなかった
これも危機意識がなかったからである

だからコロナウィルスでもそうである、もう前のように危機意識がない、なれたとかあるたいしたことないじゃないかとなり人が普通に出ている
それも人がバタバタと死なない限りそうなる、それが人間なのである
そこにまた人間の危険性がある、コロナウィルスは未知のものだから対処がむずかしい
経済活動も継続せねばならないというのもわかる
ただ人間というのは危機意識を持たないことがとりかえしのつかないことになる
それは個人的にもそうだし大局的なものでもそうである
「中国何んか攻めてこない、アメリカが守ってくれる」とかなり危機意識がもてない
でもその潮目が変わってきたのである、アメリカはバイデンが大統領になり日本を捨てるというのもそうである
国防でも危機意識がもてないのである、だから核武装しろとかではなく危機意識がもたないことが怖いのである

そして人間の失敗は個人的にも国でも奢りになるとき失敗する
相手のこと敵のことがわからない、それで青銅器主体の野郎自大国が鉄器をもった漢に滅ぼされたのである、それは日本がアメリカに戦争で負けたのとにている
アメリカなどたいしたことがないとかなり大敗北になってしまった
アメリカのことをほとんど知らなかったからである

では具体的にどうすればいいのか?それもあるがまず危機意識をもつことが肝心なのである、もし危機意識を持てば備えることができる
女川原発では身近に明治にも一万人死んだとかの津波の被害があったから危機意識がもてたのである、その他はそういう危機意識をもてなかったのである
相馬地域では津波は来ないという確信にもなっていたからである

ともかく危機は現実になる、それがどういうふうにしてくるかわからないが現実になる
それは個々人でもそうである、それを自分は経験した
その時地獄の苦しみを味わうのである、今でも苦しみに自分はうなされているからだ
ただ人間は危機が目の前にあっても自覚できないのである
だからこそ生きていられるともなる、でも危機意識をもたないことがやがて致命的になることは確かである

だからコロナウィルスにどう対処するのか、それはわからない、ただの風邪だという専門家もいるしそんなに恐れるものではないというのもわかる
ただコロナウィルスでもそうだがバタバタ人が死なない限り危機意識を持てないのであるだから今やなれてウィルスを恐れない、それは被害が大きくくならない限り危機意識をもてない、津波や原発事故はまさにそうだった

これだけの空恐ろしい被害がでて危機意識をもつようになる、そうでなければ危機意識をもてないなのである、それも時間がたつとだんだん忘れられる
すでに津浪でも原発事故でも十年一昔になり記憶が希薄化してゆく
この忘れるということも人間の弱点である、3百万人も死んだのにその戦争の記憶すら希薄化しているのである、風化しているのである
ここにまた人間の危機があるとなる、危機意識がもてなくなるのである
それがまた大惨事につながることになる
つまり歴史は繰り返すであり、またカルマは業でありその業はくりかえされのである
それが人間の宿命なのでる,ウィルスも歴史上何度も襲ってきて大被害を与えていたからである
それも人間のカルマだったとなからだ

posted by 老鶯 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

冬の樹の写真 (写真で発見する変わる見方)


冬の樹の写真

(写真で発見する変わる見方)

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芒が見えるから秋である、まだ枯芒にはなっていない

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冬薔薇

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紫式部

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二本の木の重くも冬日没る

誰が棲む灯ともりあわれ芒かな


この冬の樹の写真は広角で撮ったが自分ながら感動した、そこは毎日通っている場所である、だから特別な場所ではない、でも何か写真にこるようになってから写真を撮ってみて発見があった、カメラから見るものが撮るものが違って見えるのである

ただ写真は構図をとるとかいつも見ている場所でとないとうまくいかないと思った
何かいつも見慣れた場所だといろいろな角度から試しに撮ってみたり構図を変えたりできる
でもこれが遠くになるとそれがしにくいのである、その場所になじまないとできないと思った、この写真は毎日通っているから角度を変えたりして撮ることができたからである
そして広角で撮ったことが成功だった、写真はレンズに左右されるのである
私は別にレンズは二つしかもっていない、それも安いものである
レンズがCAMERAり高いのには驚いた、ええ、こんなに高いのと驚くのである
ただレンズによって移り方も違ってくるのも確かである

とにかく写真はいろんな角度から枚数をとるこはて上達する、でも遠くに行くとそれができない、場所を点々と変わるからである
人間は自然と一体化するというときそれは身近な自然になる
それはいつも見ているしそうしてなじんでいる内に一体化してゆく、アイディンティティ化してゆくのである

この辺の自然でものたりないのは高い山がないことである、阿武隈山脈があるとしてもこれは阿武隈高原であり山というものでもない、高い山がないので風景が引き締まらないのである
写真をとるには自転車ではきつい、車だと機材をもちこみ定点観測できる
それで富士山をとるために車に半年も泊まり込んで撮っていたというのもわかる
それくらい自然は刻々変化するから定点観測しないといい写真が撮れないのである

ただ写真が万能ではない、やはり本当に実感するにはその場を歩いてみることが必要である、写真だけでは実感でないものを知る
ここは毎日通っているからこの写真に我ながら感動したとなるからである

この桜の木は一部が枯れた、何か枯れやすいとか維持するのが苦労らしい、近くの人が手入れしているからだ、でもあそこの桜の樹は太いから見応えがある
樹齢何年かわからないがそれなりに長いだろう、他にも桜の木が土手に植えられても育つのに時間がかかるのである

2020年11月15日

冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違) (紫式部のフラワーアレンジメント)


冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違)

(紫式部のフラワーアレンジメント)


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冬薔薇

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冬薔薇一輪静か石に向く

我が庭に山茶花咲きて冬の陽の静かに移り籠りけるかな 

文化という時、それは食生活でも色椅子多方面にわたる、ただ腹を満たすのが文化ではない、今はあまりにもいろいろなものを食べるし飲む
料理でも人間はただ腹を満たすだけではない、本当の料理は見映えがいいとかいろいろある、そして日本料理と外国の料理は自ずと違っている

例えば新田川ユッサで庭に石がある、そこに冬の陽がさしている
その時確かにコーヒーを飲んでもいい、でも何かそこで抹茶を飲むと心落ち着くとなる
つまりコーヒーとお茶では相当に違ったモノなのである
だから日本ではお茶が芸術となり文化となったのである 
新田川ユッサには茶室が似合う、ただ庭が貧弱なのである 
茶室を作ればそこで一杯茶を飲んで心安らぐとはなる

あそこがいいのは大原の方に行く道に意外と蛍袋とか竜胆も咲いていたのである
だから散策するにはいい道なのである、でも田畑がまだ荒れていることが問題なのであるまた空家化しているのも暮らしが感じなくなり嫌だとなる
ただこれはこの辺だけではない、山村は過疎化して農業を受け継ぐ人がいなくなっているのだ

 stone to stone
   face to face
 man to man
 sunny light in winter
 in closed tea room

抹茶の渋さとかとコーヒーの味そのものが違っているのだ、お茶を飲むとき日本人になり心落ち着くとなる、それが文化なのである
だからコーヒーとパンはあっている、御飯とコーヒーが合わない
それは日本が米とお茶を飲む歴史が長いからである
外国ではパンの歴史が長い

今から8000年6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされています

米の歴史も長いがパンの歴史も長いのである、そのバンと合うものとして葡萄酒が作られたりした、パンに合うものと合わないものがある
食べ物は文化の基本になる、人間はただ腹を満たせばいいとはならないからである
そこに様々な工夫があって料理が生れたのである

今日は寒い、昨日はあたたかかった、温度の変化が大きい
この山茶花は秋に咲く、冬に咲くのが普通であるが秋に咲く、ただ今年は秋が冬になった感じになるから冬に咲いたとはなる

写真で紫式部をうまく撮ろうとしたがアレンジがうまくいったとはならないかもしれない
フラワーアレンジメントもむずかしいのである、ただ写真だと紅葉の色がこんなにも違ってとれる、写真はやはり絵画とにていてカメラとかレンズで相当に違ってくる
季節の感じを出すには秋は秋らしいもの、冬は冬らしいものを入れる
今なら枯葉を映すことで冬を感じる、薔薇一輪だけ映しても冬薔薇と見られないからだ

いづれにしろ写俳ー写生俳句はデジカメになって新しい芸術分野を作ったのである

2020年11月14日

原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき (人が住むことによって荒廃からまねがれる)


原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき

(人が住むことによって荒廃からまねがれる)

集落全体が「山に呑まれて」、道路も藪で覆われて、獣や蛇が出るので、怖くてとても墓参りになどゆけないということでした。人間が住んでいると、それだけで自然の繁殖力はかなり抑制されるのですが、ひとたび無人になると自然が堰を切ったように文明の痕跡を覆い尽くしてしまう。

日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。

これを感じるのは原発避難区域になった所である、特に飯館村とか浪江町とか双葉町とか大熊とかが人の住まない地域になった
そこがどうなったのか?空家だらけでありゴーストタウンや村になった
人が住まなくなるとみるみる自然に逆に浸食されて草に覆われて竹でも下から生えてくるとか自然に呑み込まれるとんいうのは本当である

だから飯館村とかに住んだ科学者なのかまずとにかく人を住まわせるべきだというのは本当だと前々から私も言ってきたのである
人が住まないことはあれほどに荒廃させてしまうのである
だからともかく何であれそこに人が住むことがそうした自然の浸食荒廃を食い止めるというのは私も思う
そのことをずっと書いてきたからである

放射線の被害があるからそれも強く言えないが、荒廃を防ぐにはとにかく引きこもりでもいいそこに人が住むことが肝心だというのは賛成である
ただ住むとしてもでは町や村を離れた人がそうした何もなくなった場所に住むことはもう簡単にできない、10年も過ぎれば生活が別になってしまったからである
子供でもすでに十年過ぎれは他の土地になじんでいるからである

ただここで言っていることはとにかく歩哨としてでも誰でもいいからそういう場所に人が住むことに意義がある、それは西部開拓で一人でも人が住んでいてそれが荒廃を防いだというのもそうである
つまりそういう場所に一人住むことはどれだけ意義があることになるかである
もしそういう場所に住めば一人でもその一人にその土地の歴史とかを担うことになってしまうのである、死者もそこにいるからである、墓地もあり墓参りもしないと先祖も見捨てられたとなり幽鬼のようにさまようことになる
神社などもお参りしないとそれが死んだものとなり呪いともなるかもしれない、墓も同じなのである

一旦人が住んだ場所ともともと自然だけの場所とは違う、一旦人が住むとそこに人が住まなくなると何か一段と淋しくなり荒廃して幽鬼が彷徨っているようになる
つまり何か浮かばれないものがゴーストタウンをビィレッジを彷徨っているとなる
だからともかく一人でもいいからそういう場所に住むとその人がそうした荒廃を防ぐともなる、それだけの意義が与えられとなる、だから新しいフロンティアだというのもわかる

例えば何か自分自身は親に恵まれていた、それでみんな家族が死んでも家が残っている
その家には依然として家族がいる感じにもなる
つまり家があることの幸福を感じた、そして親に感謝するのである
そして家というのは単なる箱ではない、ものではない、ものだとしてもそのモノがモノが憑くというモノになっている、それぞれの家には歴史がありその土地を語っていたとなるだから一旦人が住まなくなると廃屋になるとそこには何か物の怪がいて幽霊が棲んでいる感じになるのである、それだけその家に執着するものがありそうなっているともなる
廃屋でもそう感じる、もし家が壊されたりするとそういうことは感じないのである
ただの更地となってしまうからである

アメリカの西部のような信じられない広大な世界ではそこに一軒の家でもあればほっとする、それが原発事故の避難区域と似ていると言えば似ている
そこになお人が住んでいることだけで救いを感じるのである  


家の歴史

家は北風を防ぎ広い廊下に
冬の陽がさしてあたたかい
我が家は地元の木材で作られた
50年前にもなり古くなった
でも十分に住める
この家は親が与えてくれたもの
親はいつもこの家を自慢していた
それぞれの家には歴史がある
そこに営まれた人生がある
家というのはただ人の住む箱ではない
思い出がつまっていて
そこに苦労があり楽しみがあった
家は冬になると重みを増す
まるでその土地に根付いた木のように
北風が吹いてその土地にさらに根付く
また代々つづく家には重みがある  
人間はとても一代では富は築けない
代々重ねたものがありそれが家の重みとなる
冬には家が大事である
寒さと北風を防ぐから
そしてヨ−ロッパなら暖炉であたたまる
そして回想にふける
家は冬に重みをます
その家とともに人間も重みを増す
何か受け継がれるものがある
そして先祖もその家にいる
それが古い家なら特にそうなる
死者もまた以前として家に棲んでいる
それだけ家は人間と一体となっている 


このように家にはそれぞれ歴史があり何かその土地を語る
私の家はなぜ早く建てたかというとこの町で一番低い場所にあり伊勢湾台風の時か、
もう屋根の下まで水につかってひどいめにあった、その後も川が氾濫して床上浸水になった、それで二階を建ててそこに水害の時逃げるということで家を早めに建てたのである
つまりそれぞれの家には何かこうして歴史がある
これも自分の家の歴史であり町の歴史でもある、一軒一軒の家が市町村の歴史なのである郷土史なのである、だから古い家は学者の調査対象にもなるのである
そういう家の歴史が失わせたのが原発事故だったともなる
ただ津浪でも根こそぎ村が失われたのだからそこで歴史が消失したとなる
それは自然の作用だったが原発事故は人為的なものでありその被害の方がここで大きかったのである

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大原の廃屋

これは原発事故で廃屋になったのではない、その前から廃屋だったのである
この家は本当に幽霊屋敷である、ここから幽霊が本当に出て来る感じであり不気味なのである
依然して家族がいなくても幽霊が棲みついている感じになる





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