2025年02月19日

なぜ共産主義革命が失敗したのか―一挙に社会を変えることで犠牲が大きかった 【創価公明も同じであり失敗】


なぜ共産主義革命が失敗したのか―一挙に社会を変えることで犠牲が大きかった
【創価公明も同じであり失敗】

●共産主義革命の失敗の原因

なぜ共産主義が失敗したのだろうか。それは一挙に極端に平等化を目指したからではないか。それはあまりにも強引だったのである。確かに社会の不平等はある。それを是正したいということもある。
でもそれを一挙にやろうとすると暴力革命になる。フランス革命でもそれは行き過ぎたものだったのである。貴族階級を殺すということで平等を実現しようとした。
また共産主義革命でもやはり一挙に富裕層とか支配者を殺すことで暴力革命で平等を実現しようとしたのである。でもそれもあまりに強引すぎて極端になって返って何百万もの人間が殺されたとなる。何か知識人でもその人たちは楽して得をして大きな収入を得てるとか憎悪のの対象になったのである

カンボジアでは眼鏡をかけているだけで何か気に食わないとなり粛清された
みんな黒い服を着るとか何でも一様化する。外国語を話す人も粛清された。また宗教でも弾圧された。それは中国でも前のソビエト連邦でも起きた。中国でも起きた.それはなぜなのか
人間を一様化平等化することを性急に実現しようとした
また社会の底辺層の不満分子を組織化して暴力革命を実行した
そこにも多大の犠牲者を出した。それはナチスとも似ていたのだる。つまり全体主義だったのである

人間の問題は何か一挙に解決できないのではないか?
時間をかけないと解決できないのではないか
解決を急ぎすると失敗するのではないか

●人間の運命の不可解

人間の問題は様々ある。そもそも人間の運命自体が不可解なのである。金持ちの家に生まれるものがあれば貧乏な家に生まれるものもある。その差も大きいのである。
それだけではないさまざまな不平等が人間にはある。金持ちの家に生まれても何か交通事故で早く死んだりするもするしすべて恵まれている人はいない

だからなぜそうなっているのかということが不可解になりインドではカースト制が生まれた。それは生前の行為がカルマとなってそうなったと言う事である。どうしても不平等がありその不平等はの原因がその人の生前の善行とか悪行とかカルマと関係してそうなったとする思想である

そういう思想が生まれたのはやはり人間の運命というのは不可解だからである。例えばフォーチュンというのは財産が運だというのもそうである。いろいろあってたとえその人が優秀で才能があっても必ずしも成功して富を得るわけでもないからである
だか運の作用が大きいとして理解したのである

人間の不平等とか様々な問題を一挙に解決しようとする時そこに無理があり返って多大な信じられない犠牲者が出たということである。それは戦争というのもそれと似ている。戦争で問題を一挙に解決しようというとき世界でも日本でも何千万人になるのか信じられない犠牲が出たということである。

何か共産主義でマルクス主義で一挙に社会の不平等でも問題が解決できると熱狂したがその犠牲者は膨大なものだったのである
だからといって資本主義がすべていいというわけではないし推奨しているわけでもない。何か理想の社会などどんな主義であり実現することはない。それを無理して強引に実現しようとしたのがマルクス主義でありその犠牲者は膨大なものだったのである。

この世の人間の問題は一挙には解決できない!

●猫にも運命が作用していた

そこには時間が必要である。時間によっておのずと解決するかもしれない。それを個々人の運命でも人生でもそうなのである。何か一生苦労するということはないかもしれない
私が経験したことで不思議なのは猫を一匹飼っていた。その猫はなついていたのである。でも黒い猫が餌をやっているとき必ず来て奪おうとしていたのである。
私はその黒い猫を追い払っていたのである。ところが私の家で飼っていた猫は死んだ。その結果として私はその黒い猫に何か知らないが餌をやるようになったのである。でも一年なのか二年なのか餌をやり続けてもその猫は慣れることはないただそれでも餌
をやり続けているのである。

これはだからこれは何なのだろうというとき一つの運命だったともなる。何かい人間でも人が死ぬと誰かが得するというか変わるということがある。私の父親違いの兄は東京で父親が死んでその妻だった私の母親を私の家の後妻となったのである。
でも私の家はその兄を良くしなかったのである。私は特別良くされたのである。そして兄は40歳くらいで交通事故で死んでしまったのである。そもそもは本人の不幸は実の父親が事故で死んだということだったのでそしてその子供も事故で死んだのである。だからこれは何なのだろうとなる。

その人は近くの男性と親しくなったのはその男性は妻を亡くしてから親しくなりその家にも手伝いとかに行っていたのである。そうなったのはその男性の妻は死んだためそうなったのである。それで恩恵を受けたのである。
何か誰かが死ぬと誰かの運命は変わり恩恵を受けるということがある。それは何なのか良くわからない。でも何らかのことで人の運命は変わるもちろん悪い方にも変わるのだが良い方にも変るのである。

現実自分自身のことだがなぜその貧乏な人に私が応援して援助しているのかというのも不思議になる。それは私の家族が全部死んだ結果としてそうなったのである。だからそれ私は特別親切だとか何かそういうことでもない何もないのである。一つの運命としてそうなったとしか思えないのである
もしかしたらそういう風に人間というのは何かの運命に強制されている神に強制されているのかもしれない。そうした運命を無視して人間の力で強制的に運命を作る平等化するということがうまくいかないのはそういうところに原因があるかもしれない。

●一挙に社会を強引に変えることはできない

つまり何か人間というのを社会を一挙に強引に集団的に組織的に変えることは何か無理がありそれが多大な犠牲を生んだのかもしれない。例えばそれはカルト宗教団体にも言える。宗教だからマルクス主義のように平等目指すということはない。カルマだとしてその人の前世の行為だとなればそうなる

でも創価などを見ればそうした宿命論ではない何か共産主義と似ているのである。そうした底辺層の不満を政治によって権力を持って一挙に解決しようとする。それは何か共産主義と同じではないか。つまり何が共通しているのかというとそうした不満分子を集めて一挙に社会を変えようとすることである。
それが共通しているのである。

ただそうしようとするのは幹部たちがそうした不満層に訴えて政治的力を持ち自分たちの権力を得て得するという目的にもなる。だから中国でも共済党の幹部になれば莫大な金を得ることができそしてまたそこに不平等は生まれているのであるみんな共産党の幹部になれば金持ちになれるとなったなっているからである。

ともかく社会はそんなに一挙に変えられものではない
もしそれを強引に実行するとカンボジアやロシアであれ中国でも多大な犠牲者が出したのである。金持ちを血祭りにあげるということは何かやはり問題があった。それが行き過ぎたものになったのである。でもそうした不平等とか問題は時間をかけて解決するということができないからそうなった。

●時間をかけないと裕福にもなれない

何か裕福になるにはとても一代ではできないように思うからである。私の家でも父親は酒屋の丁稚である貧乏で苦労してきたしほかの人も苦労してきた。でも日本でも高度成長時代がありみんなは裕福になれたということがあった。その時戦前ならば地主と小作がいてこれも不平等だったがアメリカの支持でで地主がなくなり小作に土地が与えられて不平等はなくなったのである
でも戦前でも共産党は暴力革命を目指していたのである。そ。れで取り締まられたこともあった
ただ民主主義の社会では暴力は許されないから選挙活動で平和革命を行うようになったのである。

だから何か共産党と創価公明党は似ているのである。どちらにしろ社会を性急に変えれば不平等はなくなる。その事では一致しているからである。創価公明というのは仏教だから平和革命などと言っているが現実はその組織団体は軍隊と同じなのである参謀とか隊長とかがいて軍隊組織になっているからである

その組織団体を権力を奪取して社会を一挙に変えて不満分子に恩恵をもたらすものとするからである、御利益を与えることができるからである。宗教は個々人の心の内面を問題にするがカルト宗教は創価でも社会を改革すれば改善するとなるから共産主義と似ているのである。

確かなことは人間個人であれ社会であれ一挙に変えることはできない。裕福になるしてもまた一代でよってできない。つまり時間がなくてはそもそもは人間の問題では解決できないのである
だからまず一生不遇でも不遇に終わる人はない。どこかで好転することがある。ただみんな不満なのはそうして長い時間を待てないということである。だから一挙に解決しようとして返って大きな災いを社会であれ人間にももたらすのである

2025年02月18日

相馬市玉野村の歴史とその生活の変遷


相馬市玉野村の歴史とその生活の変遷

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玉野村ー霊山ー石戸村ー梁川ー丸森−相馬へ 
【玉野村の歴史冬に入る俳句短歌】

●玉野村の歴史


日本歴史地名大系 「玉野村」の解説
福島県:相馬市玉野村
[現在地名]相馬市玉野
阿武隈高地の霊山りようぜん(八二三・五メートル)および古霊山(七八二・五メートル)の東麓の山中および高原に位置し、東は入山上村・笹町村。南西の伊達郡石田村(現霊山町)からの中村街道が字岩下で村内に入り、北の仙台藩領伊具郡筆甫村(現宮城県丸森町)を経て、入山上村字松まヶ房に至る。字霊山に発した御手洗川は宇多川となり、筆甫村を経て入山上村に入る。

かつては山上村のうちで、慶長三年(一五九八)に同村と上杉景勝領の伊達郡石田村から人を移して駅を立て、それぞれ相馬玉野村・伊達玉野村と称された(宇多郡村誌)。



玉野村の歴史は比較的新しい、江戸時代に入植した人たちの子孫だとなる。もともと伊達藩に属していた。石田村から入植した
南北朝の争いで落ち延びた人達、主に只野氏一族などがあり玉野村を通り卒塔婆峠を越えて真野川の上流に出る大倉村の方にでて
鹿島村に落ち延びた。その卒場峠は通れなくなり森に埋もれた

実はもともと最初に入って来た人達は安曇族系統の八木氏である。なぜなら玉野村の境界辺りに八木原とありそこは海人族の安曇族系統の八木氏が焼畑を行った地域で名前が残った
また山津見の社が途中宇多川を上ってきた所にも隠されるようにあった。つまりそういう場所が飯館村に行く途中の山中にある
栃窪村でも山津見神社があり塩の道であった所を上ると山津見の社があった。また飯館村の佐須村はまさに佐須とは焼畑のことである。そして山津見神社がある。綿津見神社もある

これは対になったものである。それは浪江町の津島でも途中に大山祇神社があり大山津見神社でもある。それも焼畑が行われた場でありそれで地名化した。
原町にもある三島神社も大山祇を祭っている、

霊山から石戸村に入ると犬飼というバス停があり犬飼も犬養であり近くにもあり安曇族系統の人たちが入って来て焼畑をした跡だとなる。
だから東北〔福島〔東北〕中央道の前の霊山に行く道路は古代からある古い道だとなる、その境目に伊達と相馬の境の桜が咲く。
花は相馬に〜実は伊達に〜は有名である。
若木神社もあり他藩から疱瘡が入るのを恐れ祭られた

玉野村の本体はその境目からトンネルをくぐるとある。そこは開けた平の土地がありそこに一つの村は形成されたことは納得がいく、何か別世界に来た感じになる。ただここは江戸時代になって伊達藩の石田村の人達が入植したから比較的新しいのである
そこは霊山が近くても南北朝時代は原野だったとなる。でも丸森となると古代から伊具郡があり古い、南北朝時代の霊山にかかわる桜が筆甫にある。

ウバヒガン桜(親王桜)
筆甫
高さ約30m、根元の幹周り10mの古木で、樹齢500年以上と推定され、4月の下旬にはひがんざくら特有の淡く小さな花をひっそりと咲かせます。
丸森町指定文化財(天然記念物)。


近くには南北朝時代、北畠顕家が霊山城を築いた際、鬼門であるとして薬師如来を祀ったといわれている薬師堂の小祠があります。

建武四年(一三三七)正月二七日の氏家道誠軍勢催促状(相馬文書)によると、相馬胤頼は北畠顕家の籠る霊山城を「武野路手」から攻めることを要請されているが、これは玉野路手のことであろう。


この関係で鬼門ななったのか不明である。つまり相馬氏が北朝でもあり南朝の北畠氏と争うことがあった。相馬氏でも南朝派と北朝派で争うことがあった、それを語る只野氏一族の人が近くに住んでいる
この辺では霊山上での攻防は大きな歴史である、だから当然そのことにまつわる話が残っている。

●戦後の引揚者の歴史も見逃せない

こうした山村で見逃せないのは戦後引揚者が開拓に入ったことである。もともと住んでいた人がいたがそうした引揚者は仕事がなく不便な所に入り苦労したとなる、それは全国で必ずある
南相馬市でも鹿島区の小池となれば街から近いのに戦後開拓に入って来た人を知っている。そこに自分の家で店を始めた時卵買いに行かされていたからである。それも自転車であり糠を入れて卵を割れないようにするが必ず割れたのである
それはなぜかとなれば道が舗装されいなくて真野川にかかった橋でも木の橋であり揺れたり道が悪いからだった
こういうことをふりかえるとそうした不便な時代に山村で暮らすのは容易ではなかった。

なぜなら街から相当に離れていたら相馬市の市街まで来ること自体簡単にできない、鹿島区の横手から梨農家が梨をリヤカーで相馬市まで運んでいたと聞いた
相馬氏だと15キロもあった。往復30キロでありそれを梨を積んで運べば重いし大変な労力だったとなる
だからそうした山村では簡単に街には出れないのである。基本的には自給自足する他ないのである。
でもそうして代々そうした山村で生活して来たのいである。それができたのは炭焼きがどこでもしていて山村が成り立っていたし
木材でもとれたから山持ちは金餅にもなっていた。それで飯館村のばあちゃんが私は相馬の女学校に親戚の家に住んで鹿島から通っていたとか聞いた。この辺で相馬女学校に入る人は特別のエリートだったのである。ともかく交通が不便だから車時代の今とは比べようがなく不便だった。だからこそ戦後の引揚者は半分くらい撤退したのも理解できるのである。

●玉野村の廃校の利用の問題

とにかく山村にも歴史があり何かそうした村が失われるのは寂しとはなる。やはり旅する時都会だけではつまらないのである。
自転車で回る時はかえってそうした山村が魅力になる、でもそこに今生活することは容易ではない。医者もいないし様々なことで不便になる。そして今は玉野村は山がまるごとソーラパネルになったり小学校が麦を作りウェスキー工場にするとかまたは飯館村だと放射性廃棄物の処理場になるとか何か余りにも違った雰囲気になった。
それで残念だとなるが生活が第一だからどうしようもないとなる。そもそも原発だって双葉辺りで働く場所がなく出稼ぎするから故郷で暮らしたいとして誘致したのも同じである。
それが裏目に出たのである。

私としては玉野小学校の利用は休息所にするとか何か憩いの場所にするとかがいいと思うがそれで金になるとはならない、するとどうしても金になることが優先されるのである。
そこで生活するとなると旅に寄るのとは全く違ったものになるからである。

ともかく山村がなくなることは日本全体でも多様性がなくなり単一化されて生活の彩りがなくなる。何か山村だとこんな所に人が住んでいるのか村があるのかと不思議にもなりほっとすることがある。それだけそういう場所に住んでいることはやはり外の人に見れば価値あるとなる。でもそこに住んでいる人から見れば住みたくないとなる。それは一時期にそこに寄る人との違いである
でも山村が消失してゆくことは何かどこも同じような街しかないとなるとつまらないとなる。多様な場所に住むことでそれが文化を産んだとなるからである。



posted by 天華 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2025年02月17日

創価公明党は完全な政教一致の危険な団体 【目的は権力奪取ーそのためには何でも利用する】


創価公明党は完全な政教一致の危険な団体
【目的は権力奪取ーそのためには何でも利用する】

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玉木代表 は認めない!! 悪用の陰謀が暴かれる! 
公明党 まさか!!! 大変な事態が発生!

●創価の目的は権力奪取で完全に政教一致

公明党の根本的問題は完全な政教一致にある。それで矛盾しているから問題は生じる。私が経験したことではほとんどが選挙活動でありそのためにただ使われだけだった。
私を折伏した人が大阪の方の京都の方の市会議員だったから特にそうなったのである。その人は元々は純粋な人であったのだろうでもそうした創価の議員なのだから完全に創価一色になりまるでスナチス党員であり中国なら紅衛兵だったのである。
なぜならすべて公明党の議員になった結果そこで収入があって大学にも入れたとかそのために生活的にも良くなったからそれはすべて創価のおかげであり公明党のおかげだとなっていたからである。だから何か創価というのは公明党というのは何かわかりやすいものだったのである。

創価というのは毎日が選挙のためにあり座談会でも選挙に勝つためにありそのために題目を上げて祈っているのである。また池田大作氏が生きていた時は池田先生のために選挙活動をしていたのである。そして創価の目的とは何なのか権力奪取であるあらゆる手段を講じてただひたすら権力奪取に向かうのである

だから選挙という時すでに二年前なのか選挙活動をしているのである。すでにこの参議院選挙でも半年前から全国にポスターが張られている。選挙活動であり選挙のためにある団体なのである
なぜそうなるかとなれば創価の目的は公明党の目的は権力奪取だと公然として宣言して毎日題目を唱えているからである。その権力奪取のためにはいかなることもする
なぜなら池田大作は愛読しているのは三国志である。いかに権謀術数を用いて権力を奪取するかってことを公然としているからである。
そしてそこで語られるの御利益であり福運でありそれが得られるとして毎日活動しているのである

だから創価というのはその公明党の議員の中に一番その特徴が現れれているのである。議員になれば栄耀栄華がいられるそれで汚職とかなり公明党議員でも逮捕されたのである。それはある意味で当然の結果だったのである。
なぜなら何であれ権力を得ることを目的にしている団体だからである。それに幹部たちは同意しているし公然としてその目的はなにか権力奪取だと宣言していたからである。権力を得れば栄誉栄華がご利益が得られるということでそうなっていたのである
それは明らかに政教分離の法律に違反していて自民党でも一時は公明党を批判したが公明党創価を利用するために票を得るために利用して連立を組んだのである。

●国土交通大臣の椅子を離したくない

そして国土交通大臣の権力を得ることになったのである。結果としてそういう権力を持てばまた票を得られるということがある。すべてがただ権力を得ることに運動するのであるその権力を得るためにはどうするかとなれば選挙で勝つことが最大の目的になるのである。選挙に勝てば仏法の勝利だと何なるからである。だからこうして完全な政教一致の政党はなぜ存在し得るのか理解できないのである

ただそこにはもともと社会の底辺で苦しむ人がいてその人たちを支持層にしていたからそれは共産党とも似ているのである。その人は最低の貧困者であるがその人は共産党に入って常に社会を批判して貧乏なのは政治のせいだといっていた。こういうことで公明党と共産党はそうした社会の底辺層に多いからその人達が運動するのである。そういう人たちは社会で助けないからそれが何であれすがるということである、だからそうした底辺層に目を向けないとそうした団体はやはり無くすことができないともなる
何か必ず別な団体が名前を変えてでてくる。それはまた政治のカルマであり繰り返されるとなる

だからそういう人達を利用して政権権力奪取を目指すものとなったのである。ただ別にもともと宗教団体というのは政治団体というものでもあり中国の中国なら黄巾党とか不満分子を集めて革命を起こすのである起こしたのである
だから今でも習近平などは宗教というのが集団組織化していると政権維持するのに危険だから弾圧するのである
また信長が一向宗などの比叡山のそう僧侶たちをを惨殺したのはそれはそこが信長の権力の及ばない治外法権のようになっていたから敵対するものとしてそう見たのである。それは確かに権力者から見れば権力をに反抗するものとしてそうなったのである

●政教一致はナチスでもマルクスの共産主義でも天皇にもあった

ただ宗教と政治が一体化する時どうなるのか。それは歴史的にはナチスとかとも似ているし日本でも天皇を現人神として戦争を戦って300万人も死んだというそれも宗教的問題だったのかもしれない。天皇のために死ぬということは国のために死ぬことでありある意味で殉教だったからである。つまり政教一致ということはそういうことである。その死んだ人の数も膨大なのである
中国の文化革命でありカンボジアの共産革命であるそのためにどれだけの人間が死んだのか。カンボジアでわ200万人も死んで骸骨の山が博物館になっているのである。つまり共産主義というのも1種の宗教であり教条主義になりそれに反対することは許されないともなった。そして反対者は粛清されたとなる。中国語でも紅衛兵とか毛沢東によって洗脳されて反対者は吊るし上げられて殺されたということもある

なぜそんな悲惨なことが起きたのかというとマルクス主義というのは一つの宗教にもなっていたからである。今のカルト宗教と似ているのである
本来の宗教とは関係なく政治家して権力を得ることが目的としている。第一宗教なのに三国志を経典のように勉強しているというのもおかしな話なのである。そこにはどういう人が集まるかというとまさに権力を奪取して議員になり栄誉栄華だが得られるとして運動しているのである

そこに本来の宗教など微塵もない。でもやたらと反対する人は地獄に落ちるとか罰当たるとか脅して現実にそうなるとみんなで喜んでいるのである。
でも現実はその会員でも信じられない不幸な人が普通の社会より多いのである。そもそも人間は不幸から逃れられない何らか家族を見て見てみると何かしら問題を抱えているのである、それは私の家族もそうだしたった他でもそういう事が多いのである。別に創価の会員でも信じられない不幸に陥っている人もいるし全く問題なども解決しない人もいるのである。

近くの人で息子が病気になるその後その母親は病気になり死んだという不幸がある。それは創価に入ってからすぐにそうなったのである。だから周りの人はなんなのだろうと見たことは確かである。そういう例はいくらでもあるのである。私自身の家族でも認知症になったとか様々な苦しみを経験した。自分が病気になったとか苦しんできたからである。そういうことは別にどこの家族でも起きてくることである。そもそも人間が生きることはそうして苦しむようになっているのである。それがカルマだとなる

ではそのカルマの解消は創価であれカルト宗教団体に入って解決するかとなるとしないのである。むしろ悪い方向に向かうこともありうる。なぜ創価に入った途端に息子が病気になりその後すぐに母親が死んだのかということもそのことである。だからそれを見た時周りの人はなんなのだろうと見たのである。

でもそういうことは別にそう家でなくてもほかの人でも起きている。創価の会員だからと交通事故に遭わないとなるかとなれば学生時代に運動した人は20歳ぐらいで交通事故で死んだのである
いくらでもそうした不幸は別に創価の会員でもカルト教団でも必ずいるしかえってその数は人数が多いのだからそれに比例して多いのである。

そうかはいれば病気にならないとか事故に会わないとかまた商売でもうまくいかないとかにはならない繁盛するすべての人が繁盛するとかもならないのである
現実に創価の会員でも事業に失敗する人など山ほどいるいるだろう。もちろん病気になる人もやはり同じである。そもそもそうした不幸は人間に避けられないのである。だからこそ聖書でもヨブがどれだけ苦難を得たかそれで信仰を捨てなかったかということが記録として残っているのである。それは神がヨブに試練を与えたからである

●カトリックでも免罪符を売り奴隷にしたのと似ている

何か宗教というのは人を奴隷化するのにいいものなのである。それはキリスト教でも同じだったのであるカトリックが人々を奴隷のようにして縛りそして最悪は免罪符などを売り付けたのであるそれで天国に行けるとか金をせしめていた。それはまさにサタンの業だった。それに反抗して司祭か牧師とかそんなものはいらないとしてプロテスタントが生まれたのである

つまり神の権威を語り人々を支配しようとしたのはまさにサタンだったのである。それとカルト宗教団体は似ているのである
第一そんな人たちが地獄に堕ちるだとか罰当たるとか言えるのか?むしろ宗教家と地獄に落ちると不安に思う人は却って救われるということを言っている。それはやはり自分の罪とかを自覚したからかもしれない。それを創価とかこれカルト宗教団体は人を縛り奴隷にするために恐喝の手段として宗教を使ってから相当に悪質である。そういう人は確実に地獄に本当の地獄に行ってると思う。
でもそういうことも恐れもしないのがそうしたカルト宗教団体の幹部なのでだからそういう人達は本当の悪人なのか無知なのかサタンに操られているのか不可解だとなる

ただその罪は相当に重いから確実に来世で裁かれてその人たちこそ地獄に落ちるのである。ただそういう人たちは現世ではそんな地獄の恐ろしさなど感じないのである。ただ現世で得すればいいだけである
だから地獄に落ちるなどと感じる人はその人は本当に宗教家である。だからこそ親鸞は地獄は一定の住処とか言っていたのである。つまりそう思う人は本当の宗教家だったということである

相手に対して地獄に落ちるなどという人はそれはまさにサタンであり悪魔だったともなる。何か平気でカルト宗教団体の人はそういうことを言うからである。その罪は相当に重いから来世で裁かれる罰せられるか恐れるべきである。ただ奇妙なのそういう恐れもないからこそそういうのである
つまり俺は地獄に堕ちるほかない悪人だと思っている人は本当の宗教家でありその人は救われるとなる
いずれにしろ宗教となると何かやっかいなものになる。だからこそ触らぬ神に祟りなしとなる。カルト宗教団体に入ったりしたら会員になったりしたら奴隷にされて金を巻き上げられるだとなる

いずれにしろ創価は衰退して公明党も衰退してやがては会員が減って消滅してゆくのは見えている。だからこそ様々な最後のあがきなのか国民民主党が伸びてきてからそれを利用しようとかなんとか会員を減るのを抑えようと躍起になっているのでは最後のあがきだということである。だから国民民主党でも公明党と組むことは危険である。一つの権謀術数であり国民民主党利用されるということである。

posted by 天華 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月16日

人生と記憶ー人間は環境と経験によってつくられる 【最後は経験した記憶が人生だったとなる】


人生と記憶ー人間は環境と経験によってつくられる
【最後は経験した記憶が人生だったとなる】

●経験されたことが人生となる

そもそも人生とは何かとなれば最後はその人に何が記憶されたかにもなる。何を経験したかが人生にもなる。人間の場合は遺伝の影響も大きいにしてもその人生経験が人間をつくる。
それが動物と大きなな違いである。動物ならネズミはネズミでありライオンはライオンである。その遺伝から変えることはできない。
でも人間の場合が何らかの行為で経験からネズミからライオンになったりもする。それは遺伝ではなくその人の経験からそうなったのである。
だから人間をつくるのはその人の経験でありその経験もみんな違っているから人間を見る場合どんな経験をしてきたのかを知るべきだとなる。そして最後に残るのはその人の経験してきたことだそれが体にも脳にも刻まれているのである。

何か学習するにしてもそれが学校とか本とかで読んでもわからないのである。でも外国旅行すれば実地にその場を踏めばいくら本を読んでいる人よりも実感としてわかるのである。
それで私は50歳まで外国に行っていなかった。ただ本は相当に読んでいたでも外国について肝心なことは全く理解できていなかったのである。
これでもわかるように人間は実際の体験からこそ学ぶのである。例えば英語を学ぶにしても学校でわ実際の外国人と会話することなどないから本質的なことで英語でもわからないということがある。また留学するということは実地に外国人と直接接してその場で生活するのだから実感するからその経験が大きいのである。だから外国に住んで生活した人とそういう経験をしない人の差も大きいのである。

●精神と同様細胞も記憶する力を持っている

ともかく人間をつくるのは遺伝的要素も大きいのどんな経験をしたのかで決まる。そしてその経験が人間をつくる。最後は老人になればその人は何を経験したのか何を記憶したのかは結果として現れるのである。

精神と同様細胞も記憶する力を持っているからである
人間ーこの未知なるもの‐アレキシス・カレル

人間とは脳で記録すると見ているわ実際は身体全体で経験して記憶するのである。だから体感という言葉はそれを表している体全体で感じて記憶するのである。それで何度も言っているが車の旅だと風とか光とか自然を感じないので体全体で感じないので記憶に残りにくい。坂や峠があるとしてそこを車とかで行けば体に記憶として刻まれ残らないのである。
歩くたびならまたは自転車でも坂を上ることは容易ではない。だからこそそれが体に記憶として残るのである
にわか雨御堂に休む旅の人

つまり突然雨がふり雨宿りするため御堂に休んだ。そのときの経験は御堂の役割を知ったことである。御堂は休息所であり
時代劇ではそこに確かに寝ていた人がいたからである
それもこうした経験があって体感するのである。それが車だとただ過ぎてくだけで自然を感じないからわからなくなるのである。そして記憶にも残らないから旅を経験するということもないともなる。

●何を記憶したかが人生になる

ともかく人間の最後は老人になればあなたは何を経験したのか記憶したのかが問題になる。なぜならそのことが生きたことであり人生の結果になってしまうからである。
人間はいくら金を残したとしてもそれでその人の人生が分かるわけでもないし価値あるわけでもない。現実にそういう人はかなりいる。金融関係で働いてるような人は何か人生で実りのある経験をしていないようにも見える。それは巧妙に人を騙して金を得るだけの仕事だという人もいる。そういう人は自分の経験したことを人に語らないのである。つまり後ろめたいことがあり語りたくないということがあるただそういう人でも金は残しているのである
大概私はこうしてきたこんなことで苦労してきたとか何をか老人になれば語る。でも語りたくないということはその人生は何なのだろうと見る。金を残した人もすべてそれで人間の価値は測れない。だから老人を見る時その人が何を経験したかを聞けば語ってくれれば分かるのである。

私は旅をしてきたからその旅のことを常に語っているのである。そんなの遊びじゃないかと見る人もいるが金にもならなかったがそれもやはり私自身の人生だったなる。
だから何も語ることがない人はいくら金を残してその人生に価値が無かったとなるかもしれない。つまり最後はすべてお金で測ることはできなかったということである。それで10億円を残した人でもその人生に価値があるとは限らないのである
どんな人に成るかは確かに生まれつきの素質がベースになるとしてもその後どんな経験をするかで違ってくる
経験が人間を作る。それが良く理解されていないのである。人生で経験することもそれぞれ違っているからである。
ただ簡単にお前は価値がないと言えるのか、自分のことを何も知らないでそう決めつける
ただ何に価値があるかは多様だから計ることがむずかしいのである。そもそも店であれスーパーであれそこでレジをしている人を価値あるとか見ていない、だからこそ機械化自動化する。そして別に買い物するでもそこで売る人に価値がるとか見ていないだろう。人生が経験だとすれば自らを社畜だという人は私は会社の奴隷として金のために仕方なく働いてきました。そういう人は自分の人生を老人になって語れるのか、それは実際大きな問題である。でもそういうことを思う人は少ないだろう。金を稼げればいいし仕方なかったといっても老人になり自ら奴隷なって働きましたと語っても誰もその価値を認めないとなる
それ気づいた時はすでに時遅しとなる。結局時遅しとなるのが人生に多いのである

●金ですべて計れない人生の価値

外資系銀行の“ろくでもないビジネス”
要は、彼らは次の3つをやっているに過ぎない。
1つ目は「相場操縦」だ。マーケットに介入し、自分たちが儲かるような相場を作っている。
2つ目は「M&A」。会社を買収し、転売して利益を出す。
3番目は、いろいろなデリバティブ取引を活用して、「低リスク高利回り」をうたうインチキ金融商品を販売すること。

最近死んだ森永卓郎が言っていた。それで彼自身農業してその体験を語る。農業はカラスにネズミ食われるとか野生の動物の戦いで高度な知的作業より知恵がいるとかも経験からそういったのである。
私も畑で仕事する人に聞いたそのことを知った。それだけ大変な仕事である。でもそういう仕事してきた人はその経験を語りうるとなる。
でも金融関係で仕事した人は語りたくないとなるかもしれない、何か金を右から左に流して数字だけを追っているともなる。だからデイトレダーとかでも一日パソコンの画面を見て株の数字だけを見ている。それで億の金を残しても何か生きた実感を語れないとなる。それが最後に何が残ったかというとき金は残ってもその人生は虚しかったとなる、語ることもないともなってしまうのである。

そしてあなたが価値がないというときその人の何が価値がなかったのかとなる。その人が経験した人生が価値がなかったとなる
それで戦争で苦しみ生き抜いた人が戦争のことを語り続ける
そんなこと無意味だと価値がないと言われたらどうなるのか
それはその人の生きて来た人生を無価値として否定することになる。それでは浮かばれないとなる。

●人生の実りと何なのか

とにかく人間をつくるのはその素質遺伝でもあるがその後の経験が環境が人間をつくどんな土地に生まれてどんな家族で育つとかどんな職業の家に育つかそういう環境が人間をの遺伝よりも大きな影響力を持つのである。どんなに優れた素質を持っていてもし家庭が悪ければ貧乏であったりすれば伸ばすことはできないのである。それは植生でも風土でも違っていればそれぞれ違ったものとして育つと同じである
場所が変われば気持ちも変わるということにもなる。それだけ環境の影響が大きいとなる。だから人間も生物の一種であるから環境の産物だとなる

特に日本だと北海道は大陸的風土であるその土地に船で降り立った時から何か気持ちま広々として変わってしまうのである
それだけ北海道は本州とか違った世界だからそうなる。アメリカだとグランドキャニオンとか見たときそこはあまりにも異質で別の惑星にでも来たのかと思ったそういう場所に住んでいる人の気持ちはどうなるのだろうとも見る。
また砂漠のようなところに住んでいる人のはどういう気持ちになるのかとなる。それは日本にはない光景だからそうなるのである。それに対応する言葉も見出せなかったからである。

人生とは何が記憶されたかどうかということをあまり考えない。でも最後に老人になればあなたに記憶されたものは何なのかとなってしまう。何も語ることがなければその人の人生は何だったとなってしまうからである。私は10億円を残しましたといってもその人の人生は何だったのかとなってしまう。その人の人生とは経験したことは体にまで記憶として刻まれた事だったのである。

実りある人生とは何か
米が実るそれを刈り取る
野菜を畑で直に収穫する
果物がなり手に取り収穫する
その時喜びがある
それは数でもない金でもない
それは体で喜びを感じる
それが神への感謝にもなる

農業は何が実りとなるかわかり安いのである。でも数字ばかり追っていたら何か実りを感じられないのである。
ただなぜエジプトの書記が穀物を計算する書記が神に様に崇められたのか、それは今の官僚が力を持ち崇められるとなるのと似ている。すでに文明化していて数字を操作する者が力を持つとなっていたのである。
だから官僚とは必ずしも価値ある物とはならない、ただ数字化して権力を持った人たちだとなる
でも権力を持つことと価値あることは違う。そこが勘違いされやすい。政治家は権力持つから偉いとなるが価値があるかどうかはわからない、むしろ食料を生産している人が価値があるとも言える
価値は多様だからわかりにくいのである。






2025年02月15日

北海道花の短歌十首


北海道花の短歌十首

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船はつく苫小牧かなルピナスや北海道の大地に立ちぬ
苫小牧い出て原野や赤き百合咲きて波よす我が走るかな
大雪山雪踏みしめてハクサンコザクラ我が愛で去りぬ
菖蒲咲く襟裳岬の濃霧かな旅人一人霧に消えにき
雪覆ふ芦別岳や迫り見ゆ富良野に来てチューリップ赤し
雨しとと宗谷岬や遠きかなハクサンチドリここに咲くかな
神秘なる沼に咲きにし延齢草陽の輝き映りけるかな
大輪のシラネアオイや湖の岸山の聳えて夏の朝かな
稚内はるか来たりて6月になお桜咲く日本なるかな
北の果レブンウスユキソウの一面に咲き覆い夕暮れるかも
熊の湯の羅臼にありぬ知床に蝦夷竜胆の色濃く咲きぬ
羅臼岳ムシャリンドウの一群れの咲きにつここを登る人あり

2025年02月14日

グローバル経済でアメリカも自国第一主義ななる 【これからは経済第一主義から文化の時代になる】


グローバル経済でアメリカも自国第一主義ななる
【これからは経済第一主義から文化の時代になる】

●グローバル化はアメリカでも自国優先主義にさせた

グローバル経済はアメリカに有利に働き金が集まる、ドルが基軸通貨となりアメリカに富が集めると見ていた
でもトランプ大統領が関税をかけること移民を入れない追い出すというときグローバル経済の歪みがアメリカ自身に跳ね返っている。USスチールが日本製鉄が買収するというのでトランプは反対した。でもグローバル経済を追求してゆくとアメリカだけが得するということはありえないとなる。
でもその影響が強くなり国内産業が疲弊してラストベルトの中西部が困窮する。それでその支持層がなんとかしてくれとなりトランプが再び大統領になった

グローバル経済ではアメリカだけが繁栄するとはならないのだろう。ドルが基軸通貨でもそうである。そもそも覇権国はポルトガルであれスペインであれイギリスであれ移動してきたのが世界の歴史である。この流れをとめることはできないだろう。
アメリカファーストを主張してもグローバル経済の影響を止めることはできない。覇権国は必ず移動するし栄枯盛衰があるのが歴史である、驕れる者久からずはどこの国でも世界史的レベルでも通用する。

グローバル化とはヒトモノが自由にで入りする。それが止められない、でも一旦競争に負けるとその国は戦争で敗れた奴隷ではないがそれに似たものとなる。だから日本でも経済が競争に敗れた時逆に東南アジアに出稼ぎに行くとか外国人に売春をするとかこれまで日本人が外国でしてきたことはカルマとなってからとなって帰ってくるのである。

●グローバル経済の敗者となった日本

北海道のニセコだけではない今や富良野でも外国人の別荘は立ち並び街の様子は一変したという。つまりグローバル競争に負けたから日本人は外国の召使いのようになるのである。
肝心の日本人のアイデンティティ化した文化がある
京都ですら外国人に埋めつくされて日本人はゆっくり観光もできなくなっているのである。このことが嫌だとしてもグローバル化とはそういうことなのである。
一旦経済競争で敗者になれば金のある国に国すら買い取られるとなる。それはアメリカでもUSスチールで起きていたのである。
グローバル化がいいとか悪いとかではなく人間社会何でもいい面と悪い面がもたらすのである。そのことは未来であっても同じである。確かに文明が発達して便利になって生活も楽になったということがあってもそこで失われたものは必ずある

ただグローバル経済のマイナスの面が大きく出てきてアメリカすら自国優先主義になったのである。それはやはり自国の産業が衰退してそれで困窮している人がいればその人たちが何とかしてくれとなるからトランプ大統領は選ばれたのである。
グローバル経済とはその国の文化とかコミュニティであれ破壊するものがる。オーバーツーリズムとかもそうでありその国の人が京都であれその文化を知ることもできなくなることは大きな問題だからである。まず日本人こそが京都の文化を知るべきでありそれが日本人の基になっているのだからもしそれができないとなればどうなるのか?

日本に住んで日本人であっても日本のことも分からなくなってしまうということである。そして京都の情緒を破壊されるのである。何か嵯峨野に行った時でも修学旅行した団体が学生が騒いで場所の落柿舎とかあったかそれも何か雰囲気を壊されたのである。
そして浅草でも浅草なりの雰囲気があったが今や外国人のためのテーマパークのようになっているというのもそれもやはり歴史と文化の破壊のである。

でもそこで利益があるのだからいい面と悪い面がありそこに住んでいる人も簡単に辞めることもできないのである。
つまりグローバル経済とはすべて金がものいい金によってすべてが決められる世界である。貧乏人はお断り貧乏人は来なくても良い外国人で金を持っている人は待遇しますということになる、
それは何でもグローバル経済と資本主義社会でそうなるのである。それを全部否定することはできない。ただそれが行き過ぎたときどうなっているかということである。アメリカだけが得しているというわけではなくやはりアメリカでも何かもともとあったものは破壊されそれで失われるものがある。

●経済第一主義は社会を歪める

経済利益第一主義というのはやはり社会を歪めてしまう。それは道徳なき経済でもありただすべてが金で利益があるかどうかで決められてしまうのである。それは世界がアメリカ化したということである。
内村鑑三でも明治時代にアメリカに留学してアメリカはすべて金だということを肌で知ってアメリカを嫌悪するようになったのである。その時日本はまだ日本的な情とか残っていて全てが金で決められている社会でないからその差がありアメリカを嫌悪したのである。
つまり現在のグローバル社会であり資本主義であれあまりにも金だけを追求する利益だけを追求する極端化したものとなってしまったのである。

そうして今世界中がヨーロッパであれフランスでもドイツでも経済的に停滞している。カナダで石油などの資源があってもホームレスが増えているとか衰退している。中国は若者が就職できないと苦しい状態にある。日本もまた物価高になりそれで給料も上がらず困窮している人が多くなっている。
つまりもはやグローバル経済というのは成長は望めないくなっている。それはこれ以上地球で人口が増えて成長を続ければ地球は破壊されるとまでなっていたからである。だから人口減というのは自然の摂理であり経済成長を止めさせたのであ
これ以上成長したら人口が増えたら自然を破壊されて人間が住めなくなるような状態になるからであるだから今世界で起きていることは自然の摂理でそうなっているのかと見る。

文明という時文明というときそれはあまりにも巨大化したのである。 1000万の大都会などそれを有機的に結合するものとみれない。東京などでもそこがとても人間の社会ななのか、どこか別な惑星にでも来た感じになる

ただそこで言葉を失う、言葉にならないとなる

●経済から文化の時代に移行する

そこからナチスとかカルト教団とか異様なものが生まれて来たというのもわかる。そこには真善美は生まれない、かえってフィレンツのような五万くらいの小都市国家にルネサンスが生まれた
また天才が大都市から生まれないというときやはり自然から霊感を受けないから才能が発揮できない、cultureはcultivate〔耕す〕からでている。つまり文化はその土地土地の風土でも相違があり料理でも何でも生まれたのである。

文明でも何か巨大なものをイメージするがcivilizationとcivil〔市民〕のことである。市民社会でありそれは城壁に囲まれた小都市国家から生まれたのである。シチズンシップもそこから生まれたのである。パスポートにもあなたはどこの国からきたということもあるが何処の市から来たのかというのも記すのでる。それは小都市国家のことである、その小都市国家から文化が生まれたのである。その都市都市には文化があった
でも今一千万の都市から来たとしてもそこに文化はない一様化している。高層ビルが建ち都市の景観は同じなのである

これからは産業ではなく文化の時代になる。観光でも誰も工場を見学などしない、その国の自然文化に触れるために来る
文化の交流なのである。ただグローバル化は行きすぎるとその文化を破壊するのである。
いずれにしろコンピュウターは発展して生成AIの時代になったときこれが絵でも詩でも作ることに驚いた

これはやはりそれぞれの国の人たちが文化を発信するのに役立つ
世界の人が文化を発信する時代だともなる。
日本でも唐風文化を本居宣長が批判して国風文化を唱えたように同じことが起きる回帰する。
何か文明自体が限界にきて世界で国内回帰になり文化の時代になる、アメリカですらそうなっている。資本主義は限りなく成長することを目指すがそれも自然の摂理が働き止められてとなる
人口減もそうである。これ以上地球で人間を増やして養えないということである





posted by 天華 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月13日

なぜ現代社会で引きこもりが増えたのか? 【かつてはその居場所が僧院とか修道院に用意されていた】


なぜ現代社会で引きこもりが増えたのか?
【かつてはその居場所が僧院とか修道院に用意されていた】

「生産年齢人口」にあたる15歳から64歳までの年齢層では、広い意味で「ひきこもり」と定義している「趣味の用事のときだけ外出する」や「自室からほとんど出ない」などの状態が6か月以上続いている人は、2%余りで、推計でおよそ146万人に上るとしています。

●なぜ引きこもりが増えた理由

我々の文明における残酷な唯物主義は知性の効用を排除するばかりではなく情の深い人、温和な人、弱い人孤独な人、美を愛する人、求めている人感受性が強くて現代の生存競争に耐えられない人々を押しつぶしてしまう。

過去の時代においては他の人々と戦えない大勢の人たちも自分の個性を需要に伸ばすことを許されていた。ある者は自分の中に閉じこもって生きたある者は慈善活動の修道院にあるいは観想を主とする修道院に逃れた。そこでの生活は貧しく仕事は激しくても尊厳と平和と美を見出したのである
人間ーこの未知なるものーアレキシカレル

引きこもりが百万とかこれだけ多いということは何を意味しているのか、それをただ社会の落後者としてかたずけられるのか、やはり社会自体に問題がありこれほど増えたのではないか
もともと社会に適応できない人たちは存在した、だから職業は業でありカルマであり何か悪いことでも仕事としなければならないものがあったからインドではそうなった。インドだともともと瞑想することが成されていて職業につくことが必ずしも勧められていないのである。

●気候風土の要因でカトリックとプロテスタントに分かれた

もう一つの原因がインドは暑いから日中でも仕事するのに向いていないのである。だから木陰で瞑想するようになった。暑い国だと果物が一年中豊富でありあまり働かなくてもいい環境になっている。
だから労働が美徳になるのは寒い地域である、なぜプロテスタントが生まれた地域はドイツとか北欧であり寒い地域なのかとなる。そこでは他者に尽くすための労働はキリスト教の教えを実現されるものとしてウェーバーが修道院から資本主義が生まれたとした。つまり労働することは他者を助けるものとしての労働として推奨されたのである。

その要因となったのが寒いということは暑い国のように日中仕事するのに向いていないとならない、むしろ労働した方が寒さを避けられる、労働することにより体も熱くなるからである。
つまりプロテスタントはこうして気候の影響もありドイツのような北方に普及したとなる。一方でカトリックとなるとイタリアとかスペインとか暑い国なのである。だからスペインとかではやはり日中に仕事することが向いていないのである。

昼間に三時間も休むシエスタというのは他ではありえない。それは夜の食事が8時とか遅くなるためであり夜の時間がグリニッジの標準時間より一時間遅れている。だから真夜中三時までも活動している
人間はまず天候とか風土の影響が大きいのである。だから宗教でもカトリックとプロテスタントは気候の影響でそうなったとも言える。それは日本でも西と東は気候が違って東北は寒いから気質的ににも違ったものになったのである。

ただ不思議なの東北人と北海道人は気質的に寒いのに違っている。それはやはり風土と歴史の違いがある。北海道は寒いとしてもその土地は広大であり歴史的にも開拓者が入った土地であり開明的なところはがある。
だから北海道でわ標準語を使い東北のようなズーズー弁では無いようにもなっている。そうして風土と歴史でやはり人間はつくられる。
まだ北海道には梅雨がないというのもカラッとしてさっぱりとしたものとなりじめじめしたものは無いのかもしれない。

ともかく人間をつくるものは様々な因子があるが地理的気候的因子はやはり大きく作用する。何か沖縄に行った時私を見た時あなたは東北人ですねと言われた。その顔とか様子を見て判断されたのである。ただ方言で話すとその出身地がわかることがある。ただ顔とか見てわかるというときそれだけその土地の刻印を人間は押されているのである。

●陰の性格が現代社会に適合しにくい

ここで問題にするのはそうした気候とか風土の違いで人間が変わるということもあるがまた性格的に陽と陰の性格がある。それは生来的なものであり必ずしも環境とは違う
私は陰の性格であり人間ーこの未知なるものーアレキシカレル
が指摘した通りなのである。
陰の性格の人は内面を追求する宗教哲学芸術に向いている。だからそれは引きこもりになりやすいのである。私自身がそうであり
団塊の世代は企業戦士とかでばりばり会社で働いた時私は引きこもりだった、ただ家に籠りきりではなく旅はしていたその辺は違っていた。
何か宗教というと内面を問題にする。でもカルト宗教となるとそれはビジネスともなり会員獲得競争であり権力と金の追求なのでる。

だから瞑想などはしない、ひたすら御利益のために祈るビジネス宗教である。それは高度成長時代に向いていて会員が増大したのである。それは本来の宗教とは全く関係ないものである
だからアレキシカレルの指摘した内面を追求するとか美を追求するとかは関係ない、ただひたすら御利益を得る為に祈るのである
それは僧院であれ修道院に籠り修行する世界とは正反対の世界である。がむしゃらに金儲けする企業戦士なのである。
だからこそ高度成長時代に適合して創価などあれだけ会員が増えたのである。そこにはそもそも内面的とか哲学的な面倒なことは嫌う直情型の陽の性格に向いた人たちの集団なのである
そこでもやはり陰の性格の人は排除されるのである。

●なぜ宗教が世俗化して欲望のみを追求するようななったのか

でも不思議なのはなぜ僧院であり寺であり修道院はそんなに世俗的欲望を満たすためにある場所ではなかった。それはまたキリスト教の修道院から資本主義が生まれたというのも今になれば強欲資本主義になったのと似ている。完全に世俗化して金のために働く金の稼ぎですべての価値が図られるようになったのと似ている
それはアメリカで極端になった先鋭化したのである。

現代社会とは陰の性格の人たちが排除されてきた時代なのかもしれない、社会全体がそういう傾向を作り出したのかもしれない
その象徴が団塊の世代の高度成長時代であり拍車がかかった。
ただその後失われた30年とかで停滞してそういう気分が社会全体になくなったともなる。いくらバリバリ働くにしても給料も上がらず御利益がないからそうなったのかもしれない。

引きこもりがこれだけ増えたのも一部の者の問題ではなく社会の影響があったとなる。なぜなら高度成長時代に引きこもりはただの極一部の者でありそんな人は存在しないとなっていたからである。また貧乏な時代だから無職では生活できないからそうなっていた。私は特別恵まれて引きこもりになり家族でも責められることなく自分の興味あることを追求してきた
つまり家が僧院に修道院ににもなっていたのである。それが特殊な事情で許されていたのである。

現代はこうして私のように陰の性格の人の居場所がない、だからこそ引きこもりがこれだけ多いのかとなる。その原因を個々人の責任とは言えないかもしれない、他人を蹴落としてまでもバリバリがむしゃらに金儲けする社会がとてもいいとは思えないからである。だから引きこもりをただ社会の落後者としていいのかとなる。そういう人達の場が用意されるべきだとなる。
そんなの甘えだとされるが時代の影響でそうなったともなる

ただ引きこもりでもまた全部を一括りには見れない。そこには社会の厳しさがあり甘えという側面はある。でもそういう人達の居場所がかつては用意されていたというのも歴史である
やたら僧になる人が貧乏な時代でも多かったからである。そこにはいい加減な僧がいたとしてもそもそも貧乏な時代にそういう人達を養っていたおかとなる。
家族でも養ってくれれば陰の性格の人もそれなりに役割があり認められることがあるとなれば批判はされないのである

むしろただ金儲けすることだけを追求する人達こそ断罪すべき!

その人たちは社会に害悪をもたらしているからである。でも金になる御利益なるとして是認されているのも社会の問題なのである。






posted by 天華 at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

2025年02月12日

人間は自分自身に関しても未知であり何になるのかもわからない 【遺伝より環境の作用が大きいー体験が人間を作る】


人間は自分自身に関しても未知であり何になるのかもわからない
【遺伝より環境の作用が大きいー体験が人間を作る】

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●大都会ではない小都市で生まれたルネサンスの偉業

この人は生物学の分野でノーベル賞を受賞した科学者である。
その科学者でも人間の体のことが未知であり分からないと言っている、つまり科学者でも人間の体のことでもわからないというとである。
人間を作るものまた作られる者は何なのかということである。

●遺伝的要因
●環境的要因
●経済的要因
●時代的要因

人間はどうしてもベースになるのが遺伝的要因である、これはどうしようもない、でもそれだけですべて決まるのかとなればならな、ただ天才というときは遺伝的要因が強力である。それでもやはりそれだけでは天才だとしてもその能力を発揮することはできない、なぜ天才が生まれるのかという研究もなされている。

何か大都会からは天才が生まれないのである。ということは環境が確かに影響している。その理由が大都会には自然がないことにある。自然から霊感を受けることがないからである
なぜまたフィレンツェのような5万くらいの都市国家からルネサンスが生まれたのか、ラファエロ、ミケランジェロ、レオナルドダビンチが生まれたのか、5万となれば小さな都市なのである。
それだから自然に囲まれていたのかとなる

確かなことは百万とかの現代文明の都市からそうした天才が生まれない、また育まれないということである。何かそういう社会では有機的に社会が結合されていない、余りにも規模が大きすぎて
一つの連関する有機体となりにくいのである。そこはカオスであり統一されたものとして自分自身でも認識構築できない、余りにも巨大であり人間的感覚から逸脱しているからである。

人間はやはり自然から学び自然とアイデンティティ化することにより精神を形成する。だから一千万都市は人間的感覚から逸脱しているからそこで精神の人間的形成は不可能になる
何か高い山が独立峰のようなものがある場所に偉人が出やすいというのも日々そうした山を見ていれば心に反映してくるからである、この辺では阿武隈山脈は高原であり山でないともなりそれでものたりないとなるが山形県の蔵王ははっきり見えるのである

だからと言って村落のような所でもルネサンスのようなものは生まれない、都会的なものが必要なのである。そこでは職人であれ商人であれ多様な人と交わるからである。農民だけではあのようなルネサンスは華開かないのである

●遺伝より環境の影響が大きい

環境というとき一番影響を受けるのはどんな家族に生まれるかであり育つかである。その家族構成とか経済状態でも一番影響受けやすいのである。私の場合は父親が早く死んで中学の時死んでそのあとを姉と母に育てられてそれが60才までも一緒に暮らしていたのである。その環境の影響が大きいものだった。
何か普通の母親であれ父親であれ両親がいる家族とは違ていた奇妙な家族だったとなる。

姉は性格的に陽気であり男優りであった。でも母親は内気な性格であった。この二人の異なる性格の影響を受けたのである
やはり姉は大らかでありその方が影響が大きかった。母は神経質で陰の性格であったからその性格を私は受け継いでいる
遺伝的素質は変えられないし受け継ぐしてもそれだけでは決まらないのだる。
家族の相互関係の中で育つからその影響は大きのである
それで一人っ子は社会になじめず稼ぎも悪く結婚しない割合が大きいのである。そのことはいかに環境が影響しているかるかを証明している
双子でも別々の国で育てばまるで違った人になることからもわかる。

人間は一般的は総合的に人間関係の中で刺激を受けて育つ、だから家族の影響は一番大きいとなる。カルト教団で育てられた人は全く親のロボットとなるしそこから脱出できなくなる。
また門前の小僧習わぬ経を覚えるとなる。そういう環境にあれば自ずとそうなってしまうのである。
また時代の環境の影響も大きい、戦後店をしていた時私の父親は酒屋の丁稚だったから配達とかソロバンを習わされた、つまりそういう時代であった。でもソロバンはなんの役にもたたなかった、計算機になりコンピューター時代になったからである、今なら子供でもコンピュウターのプログラムを習わせる。つまり時代も影響しているのである
コンピュウター関係は進歩していて生成AIの時代になる時これに適合できないものは現実生活で取り残されるものとなり収入も得られないとなる。

また余りに貧乏だと知的な開発ができなくなる。そういう例は多い。それもやはり環境が影響したとなる。
私の母は働きずめであり継母に育てられたから生け花などならわせれられないし花など必要ないとを豆を植えていた。それも悲しいことだった。それは経済的なものが貧乏だからそうなったのである。もしそうでなければ文学的才能があり短歌などを作っていたかもしれないのである
経済的にこうして才能を伸ばせないことは今日でも相当に多いことは確かである。
また家という建物も影響する、狭い家にいると何か心まで狭くなる、広い八畳間に寝ていると眠れるとなる
知的活動には明らかに広い家がいいし書斎があるといいのである。そういう点でも私は恵まれていたのである。

●人間を作るのは体験である

そして人間を作るのは基本的にはどんな体験をしてきたかである。何故なら体験しなければ基本的にわからない、実感できないからである。
山にしても遠くから見るのもいいが山は登ってみないとわからない、実感できない、山の厳しさは登ってみてわかる、それで岩手山に三回くらい登ってわかるものがあった。まさに体で感じる体感したのである。一番感じたのは真っ赤に山頂へ紅葉が染め上げたが一転して真白の新雪に覆われたことである
それは山の厳しい美だった。そういうことは実際に山に登らないとわからないのである。

旅でもそうであり特に外国旅行は実地にその場を踏まない限り実感できない、本をいくら読んでも分らないのである
それで50才からバックパッカーになり外国を回ったのが良かった
ともかく北海道でも梅雨の時期に十回とか行っている
電車なら全国の線に乗っている。それも体験であった。
あとは自転車旅行でありこれも相当に乗った。それも体験であった。自転車に乗り感じることは電車に乗り車に乗り感じるこのと違ってくる。その体験が後に活きて来る

だからこうして体全体で感じたことは後年にその体であれ脳であれ刻まれるものがある。その体で感じたものが後で活きてくる
でも車だと感じられないものがあり記憶に残らないから損だともなる、何か電車だと駅名だけを覚えているということがあった
やはり電車でも通り過ぎてゆくだけで記憶に残らないことがあった。
このことは遊びに過ぎないとしてもやはり体験として残る
つまり人間は何でも体験なのである、会社員でもそもそも何十年と働くのだからいくら社畜と自ら言ってもそれが体験であり人生だったとなる

●引きこもりも体験であり無駄ではなかった

私の人生は旅の人生だったが後は引きこもりがだった
なぜそうなったかというと大学を出て就職もせず家にいた、でも底辺で働いた、それは東京に出て働いた。それが過酷であり建築現場では4階から落ちて死ぬところだった。それだけ厳しいものだった。零下20度の冷蔵庫の中でも働いた、ここも危険だった
底辺は危険な所が多いのである。またあとは流れ作業でありそれもロボットだと思い嫌になった、それ以来労働するのが嫌になり引きこもりになった。自分にはそれが許されていたのである

親は何も言わない、返って旅に行くこと勧められていたのである
だからこれも特別私の場合は家族に恵まれたのである
それがマイナスの面もあったけど好きなことをしてきたのである
そういう生活が自分にあっていたのである。私が嫌だったのは高校までの窮屈な場であった。何か体までおかしくなっていた。
その時試験が常にあり自分の興味で勉強したことはないのである
それでも私立の東京の三流大学に入って親元を離れたのが良く作用したのである、やはり一度親元とか故郷を離れる経験は自立のために必要である

ともかく自分にとって引きこもりは自分の性にあっていたのである。そこではマイペースで自分の興味あることを追求できたからである。ただ私の場合はゲームなどはしていない、勉強していた本を読んでいたのである

小さかろうと一つのグループは会員たちに軍隊や修道院の規律を象った行動規則を課すことによってその時代の社会の悪影響を避けられる。
中世の文明はこのようにして進歩したのである。修道会があり騎士団があり、職人たちの組合があった。宗教集団の中である者は修道院にこもった。しかし会員が厳しい精神的肉体的規律に従っている。
個人の進歩のための二つの基本的条件とはある程度孤立していることと心身を鍛錬することである

つまり現代にはこうした場所が喪失した。だから家に引きこもることに成った。それは脱落者であり社会から無用のものとみられ迫害されることもある。ただどうして60万なのか引きこもりが現実にいるということはその原因を知る必要がある
過去には寺とか修道院とかあり社会不適合者でも居場所があったとなる
私は引きこもりとなり禅宗のように一人沈黙業をして自然とアイデンティティ化することを試みて来た、それを詩にしてきたのである

●ネットで独学できるから学びも変化する

今恵まれているのはネットでもyoutybeでも独学ができることである。知的刺激を受けられることである、自分自身でも一人で延々と講義しているようなものである。それも無料なのである
それからAIとかも先生になるから独学する環境ができている
そしてyootubeで放送するのは一線で活躍する優秀な人たちなのである。学校の先生よりずっと優秀である、講義でも面白いのである。だからこうした環境も整備されれば時独学するのにはいいし別に引きこもりでも学べるとなる
だから教育はこれから大きく変わってくる、別に学校に行かなくても学べるしそれよりネットであれ別な形の学びの場もできている、そうなるとそこから真の天才が生まれて才能を発揮する人達が出てくる

何か仕事に就くにしても職業が業であり必ずしもいいものではない、銀行とか硬い職業と見ていたがそうでもなかった。何か金融業はうしろめたいものがある。人をだます職業なのかと銀行は空気を売っているとか社会の寄生虫とか言われるとそいう場で働くのは金になってもいいことではない、それが老人になった時そいう場で働いた人は何も語りたくないとなる。そもにうしろめたいことをしてきたからそうなる。

そうならかえって引きこもりの方がいいともなる。そこにも問題があるにしろなぜこれほど引きこもりが多いのか?
それはまず自分にあった仕事などない与えられない、だからこそ社畜だというのである。そうなるとそれは精神衛生上でも悪い。し老人になって何も語るものもないとなる
その人生は金を稼いでも実は失敗だったなる

ともかく人間は自分自身にとっても未知なるものである。その自然にしろ世界にしろ未知なるものが無限に広がっている。だからいくら科学が発達しても人間の体であり脳のことでありそれは解明できない未知なのである
老人になっても依然として人間が完成するわけでもないし未知なのである。その探求は終わることなく続くのである。だからこそ長生きはこうして健康に生きれる人にはさらに無限の可能性が生まれてくるのである

とにかく人間は何をするにしても時間がかかるからである。何かを理解するにも本当に時間がかかる。膨大な本を買ってそれが理解できなかったからである。だから長生きすれば天才でなくても大した能力がなくても一角のものになれる可能性がある。それは時間を活かせるということになるからである
大器晩成になる。長寿の良い面はそういう人たちを多く作り出すということである。天才でなくてもそれなりに能力を発揮する人は多数出てくる可能性があるということである。

一方でこの本の著者は優生学を唱えている、何か一人の精神障害者であれ発達障害であれその負担が大きすぎることである
それでも兄弟でも障害者にエネルギーを注ぎすぎて他の兄弟の世話が疎かになり、大人になり介護したくないとなる
一番手をかけた長男が世話できないとなっている
それも不幸なのだが今や高齢化社会とは障害者社会にもなる
認知症になる人が膨大だからである。これはだから老人は自殺しろというとき余りにも多くなりその負担で社会が維持できないとなる。それが高齢化社会の負の面である










posted by 天華 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

2025年02月11日

ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグの河畔 【大陸は川を知らないと理解できないー川の側に生まれた文明】


ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグの河畔
【大陸は川を知らないと理解できないー川の側に生まれた文明】

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ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグ


一本一本の木
大地に深く根を張り
静かに力強く
列なし連なる樹々
各々を律して重々しく

Each trees one by one
Deeply rooted in the earth
Silence and strength
Steady lined trees in order
Each one disciplined 
Solomn and faithful

ゴシック大聖堂の石の柱の如く
そこに荘厳なるパイプオルガンの鳴りひびく
大地の底より天に向かいひびきわたる
その塔は天を衝きかなたを遠望して
鐘の音は鳴りひびき街々は暮れぬ
ヨーロッパに統合する歴史
分裂争うも一つとなる歴史の重み

ネッカー河畔岸辺の古都の石の橋石の門
その石にもたれ昔日を回想する
船は行き来して次なる都市へ
川は人を結び人は交わりあいぬ

中世の静穏なる日々古い修道院の中庭
その回廊や祈りは神に献げられぬ
日々の弛まぬ研鑽のあれ
ハイデルベルグ、その古き学都
古城の下や落葉を踏みつベンチに休む
古の日を想いそこに思索を深める




世界を空間軸と時間軸で見る、わかりにくいのが時間軸で見る歴史である。そこが時間軸でどのように形成されたかわかりにくい。特に外国となるとわかりにくくなる。その歴史でも文化でもわかりにくくなる。
それが自然だと世界共通なものがある、確かに自然でも日本にないものがあり砂漠などはわからない、またどこまでも平原が続く遊牧民の世界もわかりにくい、そういう自然が日本にないからである。
ドイツの自然は地形は平坦な土地でありあまり山がなかった
その平坦な土地を河が流れているその最たるものがライン川であり父なる川となる、また支流もいろいろありそれが運河のようになっている。それが大陸の自然の特徴である。

つまり川は実際の道である、だから人でも物でも川を通じて運ばれた。それが日本とは違っている。急流となる川は少ないからである。4大文明が生まれたのが大河の岸というのもそのためである。川は交通路になっていたからである。
ナイル川がピラミッドと直結していたのもそうである。川岸が港ととなりピラミッドに通じていたのである。
河と切り離せず存在したのである、なぜならピラミッドを建設する石材でも船で運んだからそうなる。都市を建設するには交通路となる川が必要だったのである
都市が出きるのは交通の要所である。オワシス都市でもそこが交易の場でありラクダで運ばれた商品を売買する。そこに都市が生まれる。

ハイデルベルグでもやはりネッカー川がありそれで商品も運ばれて来た。そうした川が縦横にヨーロッパにある
河が文明を作る基である。それが日本だとわかりにくいのである
その川のスケールが余りの大きいからわからなくなる。インド文明でもガンジス川と切り離せずある。中国でも黄河であれ揚子江と切り離せずある。
そして川がリバーがライバルとなるのわかる。川は境界となる
国と国を分けるのである。ライン川がまさにその象徴である
ラテン民族のゲルマン人の領域にラインを挟んで越えることができなかった。

韓半島でも伽耶国と新羅を分けたのが洛東江であった。それははっきりしている。だから大陸では川を知ることが地理でも歴史でも知ることなのである。
そもそも世界となるとその歴史でも何から知るのかとなる。それはまず地理を知ることである。だから4大文明が川の側に生まれたということでもわかる。

とにかく地理であれ歴史であれヨーロッパが魅力あるのはなぜなのか、それは地理でも中国とかになると巨大すぎてわからなくなる、ヨーロッパだと地理でも何とかわかる。そして歴史がロ−マ帝国から重層的に積み重ねられている。
時間軸でもある程度はわかる。そして歴史の遺産でも石の建造物は残る。それは廃墟になっても石は残る、それで2000年前からでもイメージできるとなる。ローマの石畳の道は今でも残っているからである。
つまりヨーロッパが一つというとき地理的にも時間軸でもある程度は一貫したものとして理解しやすいとなる。それでも時間軸の歴史は理解するのは難しい。
日本と共通したものがないとき自然でも何でも理解しにくくなる

例えば川岸の土手の道を歩くとどこでも整然と木が列を成している。それは神殿の石の柱をイメージする。つまり自然でも共通するものがありそれだと理解しやすいのである
どこにでも山があり木があり石があるからそうなる。
その木からゴシック聖堂をイメージする神殿でもイメージする
石の柱は木だとなるからだる。要するに全く異質なもの砂漠とかでなければ共通性があり理解する、グランドキャニオンとかなると全くイメージできない自然であったから別な惑星に来たのかと見た。そこを人間的にする言葉で表わすことできない。イメージされものとは余りに違っていて言葉を失うとなる

いずれにしろヨーロッパは空間軸と時間軸で一つのものとして総合する、キリスト教文明として総合する、それが空間軸と時間軸でしやすいのである。そのベースにローマ帝国がありそれがヨーロッパを統括するものとしてわかりやすいのである。
ただ中世となるとまたわかりにくくなる。時間軸の歴史はどこでもわかりにくくなる。それでもヨーロッパは一つの統一体として見れるとはなる。空間軸と時間軸で統一体として見ることで何か一つの統合した連関したものとなり安定するとなる




2025年02月10日

真野の草原の歌が日本の建国神話を知らなければ理解できない 【伽耶国がかかわり物部氏宗像氏安曇氏がかかわる】


真野の草原の歌が日本の建国神話を知らなければ理解できない
【伽耶国がかかわり物部氏宗像氏安曇氏がかかわる】

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関裕二
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ここはかなり長いけど中味が濃い

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みちのくの真野の草原遠けれど面影にしてゆというものを 笠女郎

●真野地域と伽耶国の密接な関係

この歌を解き明かすには真野の草原の草原は萱のことではなく伽耶の国だということである。ここが最大のポイントなのである
となると伽耶とはなになのかとなる。それは最初の邪馬台国の建国神話にもかかある。その建国に伽耶が重要な役割を果たしていたからである。ところが様々の事情で伽耶が滅亡したので伽耶のことは史実から消えてわかりにくくなった
ただ明かなことはこの真野の草原の歌とこの地域がこうした伽耶が日本建国の歴史の場となっていたことである
だから出雲王国と伽耶の結びつきがあり出雲王国と縄文人の結びつきがあり出雲王国があり九州王朝がのちの邪馬台国とも結びつくのだる

山元町に八重垣神社がある、この由来は明確である

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を

出雲系統の神社なのである

そもそもなぜ伽耶が重要な役割をになったのかとなれば伽耶は鉄の産地であり鉄を加工できる技術をもっていた。それ故にその鉄を通じて通商国家となり倭とかかわることになった。
でもその時日本に統一国家はない、出雲王朝が最初の日本を代表するものでありその出雲王朝が何であったのかを知るべきだとなる。それが伽耶と深く関係していたしまた物部氏とか海洋民族の宗像氏であれ安曇氏でもかかわっていた。
邪馬台国とか大和王権が成立する前に出雲王国がありそれは縄文人の国家と渡来人の伽耶国と一体化したものでもあった。
ただこの辺の事情は関氏の本で解明しているが複雑である

明かなことは伽耶国の事情が日本に反映されていた
伽耶国が鉄の産地でありまた河口の技術をもつということで力を持ったのである。それは今でも資源とか石油であれ重要であり争いがある。トランプがデールを最も大事にするというときビジネスマンだからそうなる。政治もまたそうしたデールとなる
鉄というものを資源を持つことでデールする。それは今日までも続いている。

●出雲王国は縄文人と伽耶王国などの合体した国

日本の最初の王国は出雲であり伽耶と一体化して存在した
そこに物部氏とか宗像氏とか海洋民族がかかわっていた。なぜならそもそも伽耶から日本に来るには船が必要である。すると船を操作する海洋民が不可欠である。それが宗像氏であれ安曇氏とかなる。だからこの真野の草原という知られたこの地域に物部氏がかかわりまた伽耶がかかわり海洋民族の安曇氏の後継者の八木氏がかかわったのかということでも出雲王国の成り立ちと大和王権の成り立ちと深く関係する
国引き神話はまさに伽耶の国を引っ張てくることであった。

確かなことはこの地域一帯が伽耶国の支配地域のようにもなっていた。それは地名からもわかる。まず真野の草原の歌の草原はカヤハラは伽耶国を意味している。
つまりこの歌はみちのくの真野の草原は伽耶国は遠いけど私の恋する大伴家持氏はそんな遠くでもあってもその面影は見えますよということである
この辺は伽耶国ともなる地域だったのである。ただカヤに草を当てたことで誤解することになった。
伽耶国に草八国があったというとき伽耶に草を当てていたことでもわかる。あくまでも当て字でありそれが誤解のもとになったのである。また天皇家が伽耶出身だというとき伽耶国との密接なかかわりのなかで誕生したのである。

韓神祭ーからのかみまつり 上代において2月11日に行われた。宮内省のまつられる韓神社の祭。中世以降衰えた

まさに紀元節の2月11日は韓神【からかみ】を祭る行事であったというのだ。カラー=カヤのことである、このことから伽耶が日本国誕生にかかわっていたと推理するのである

南相馬市の鹿島区にも唐神という地名がある。それは伽耶に由来する。津神社も鹿島区に右田浜にあったし相馬市の原釜にあるツノミツ神社もツノガにアラシト系統なのである、津というときまぎらえあしいのは津の神社ではなくツノであり角神社なのである
ツノガノアラシトは伽耶の王子だから伽耶の国が移動してきたともなる。その人達は鉄生産にかかわる人でもあった。浜から砂鉄がとれていたからである。小高の角部の地名も明らかにツノガノアラシトの角である

●物部氏が桜井古墳を作り安曇系の八木氏が後に入植

ともかく出雲王国が大和王権の前に日本にありその勢力の争いが実は伽耶国に起きていて日本が二分された
つまり伽耶国が日本の建国に深くかかわっていた。出雲は縄文人からでてきていて田を荒らしたスサノオは縄文人である
また大和王権とのタケミカズチと争いタケミナカタ神が追われて全国に逃れた。特に東北地方に諏訪神社が多いというときそうである。島根がズーズー弁で東北と共通性があるというのもそうである。そもそも縄文時代が一万年続いたというときその痕跡を簡単いは消せない、何かそこに日本に継続したものが残る、それが出雲王国に残ったとなる。蝦夷というのは何者だったかというと
大和王権に敵対する者であり蝦夷という単一のものではなく縄文人と伽耶国が合体したものでもあった。確かなことは大和王権に敵対する人達でありそこに伽耶とかの渡来人が加わっていた。

だからこの地域でもその構図が反映されている。桜井古墳は物部氏系統であり真野地域は大伴氏などが派遣されて大和王権の支配地域になった、だから浮田国造が鹿島区に置かれた。
一方原町区は桜井古墳がありそこは物部氏の支配地域であり最初にこの地を支配したのは物部氏である。
それで鹿島区の御刀神社は物部氏が刀をもって蝦夷を土地の原住民を支配する地域だった。そこは海老に対している。海老と海老と関係ないエヒであり蝦夷なのである

ただわからないのは原町区になぜ綿津見神社が多いのかということである。異常に多いのである。それがなぞなのである。ただ伽耶国には鉄が取れたとしても船で日本まで運ばねばならない、そこで海洋民の宗像氏がかかわった。タケミナカタとはタケムナカタ神だというと納得がいく。また海洋民の安曇氏がかかわりその後継者の八木氏がかかわり綿津見神社が異常に多いとなる
八木氏は時代的には奈良ではなく平安時代とかなりその後もここに入植したとなる。ただ鹿島区の真野に綿津見神社が見かけないのは謎であるが大和王権に組み入れられて入りにくかったのか謎である。時代的には奈良時代ではなくその後に入って来た。

●日立は日高見の国に由来する

いずれにしろ蝦夷とは何なのか解明されていない、縄文人主体の日高見の国がありそれが最初の日本の国としている説もある

「日高」は「日立」(日の出)の意味を持つので、『常陸国風土記』にある信太郡については、日の出(鹿島神宮の方向)を見る(拝む)地、ということではないかともされ、旧国名の「常陸」(ヒタチ)は、「日高見道」(ヒタカミミチ)の転訛ともいわれる

日高見の中心は日立にあり茨城県の鹿島神宮がその根拠地でありタケミカズチは日高見と関係している説が田中英道氏が主張している。最初の日本国は日高見の国であり飛騨とかでも日高見から来ているとかなる、つまり日本の原住民が縄文人でありそれが出雲王国の基であるとしている
日本の基層というか根底に縄文一万年の歴史がありそれが消えることはないとなる。

その証拠となるのが

棚倉に残る伝説のこの地に8人の土蜘蛛がいた。黒鷲、神衣媛、草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、
神石萱(かみいしかや)、狭礒名と具体的に述べている。ところが征伐に来た磐城の国造が敗れたので天皇は日本武尊を使わした。8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した。そこで彼は槻弓 槻矢で8本の矢を放ちたちどころに射殺した。そして土に刺さった其の矢はたちまちに芽吹いて槻木となった。そこでこの地を八槻の郷という 
なぜ棚倉で争いが起きたのか、それはヤマトタケルの東征神話にあるようにまず茨城県に入って来た。

8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した

なぜぜ津軽というと遠い地の人がヤマトタケルの軍と戦うためにわざわざ来たのか?それは日高見の国があり連合国があり戦ったとなる。そうでなければそんな遠くから来るはずがない、連絡するだけで大変な距離になる。だから青森まで日高見の国としてあり一体感があってできたとなる。

神石萱(かみいしかや)とは何者なのか?萱とあるときこれも伽耶に通じるのかとなる。出雲と伽耶も密接に結びつきヤマトタケルの大和王権と戦ったとなる

ともかく伽耶とは何なのか、古代史では重要なのだけど伽耶は滅亡して正史に記されなくなった。それでわかりにくくなったのである。それでも最近は韓国での発掘作業がすすみ伽耶国のことが解明されつつある、そこは明らかに日本が深くかかわっていた日本製の土器などあが発見されたり前方後円墳でも発掘されている
そこには現実に倭国があった。任那がありそこは明らかに日本にもなっていたのである。だから天皇が韓の神,カヤの神を祭っていたのはというのはそのためである。

真野の草原の歌の謎ー毛野氏と伽耶国ー安曇氏系統の八木氏と犬養氏の関係 
【真野古墳群の船の線刻画の謎】

福島県浜通りの津神社はツノガノアラシトの跡 
(蝦夷は出雲族であり伽耶(かや)と連合した)










posted by 天華 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2025年02月09日

AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩 【まず空間軸の地理を世界史でも知る】


AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩
【まず空間軸の地理を世界史でも知る】

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古代の石畳に足を踏みしめ
帝国の息吹を感じる
アッピア街道、戦士たちの行進路
松の木が見守る栄光の道

戦車の轍が刻まれし地
凱旋の歌が響く空
今もなお、歴史の風が吹き
帝国の夢を語り継ぐ

栄光の道よ、永遠に
時を超えて輝き続けん
ローマの魂、ここに息づく
不滅の栄光の道よ

ここまでAIが作る詩

私が付加した詩

はるかブリタニアへも
スコットランドのハドリヌスの
石積みの長城の址の残りぬ
ここに北方の冷たい風が吹きつける

発見されしローマのコインの一袋重し
そのコインに刻まれし皇帝の肖像画
我はここの王なりと誇りしかな
しかし久しくも土に埋もれしを・・・

コインもまた東西に別々の皇帝の顔
ローマ帝国の分裂衰亡の歴史
ローマの道はスイスの山を越え
延々と続きその栄光を語る

ローマの栄光の日よ、その跡よ
シーザーのルビコン河を渡りしも
ライン川に強固なゲルマン人
そこに立ち入ることはならじ

ああ ローマの凱旋門の古りて
その栄光の日は遠しかも
東西に分かれてなおその余命を保つ
ローマの道になお栄光の日を偲ぶ


はい、承知いたしました。ローマ帝国の道についての詩を作成します。以下、詩の案です。


GEMINIのAIの詩

ローマの道

石畳の道、永遠に続く 帝国の息吹、

今もなお 兵士の足音、響き渡り

商人の声、賑わう道


山を越え、谷を渡り 川を渡る、

橋を架け 砂漠を越え、海を渡り

全ての道は、ローマへ続く

文明の光、照らし出す 文化の華、


咲き誇る 交流の輪、広げゆく

ローマの道、世界の道

時に война, 時に мир 時に栄華,

時に衰退 歴史の সাক্ষী,

今もなお ローマの道、語り継ぐ


この詩はかなり不十分である、chatGPTの方が優れている、でも一応参考にはなる




ブリタニアを治めた7年間にカラウシウスは、プロパガンダ的手法も用いて自らの権勢を世に広めた。その手段のひとつが、写真にあるような自らの肖像を刻んだ良質な銀貨の発行だった。

ブリタニア (Britannia) は、イギリス、特に古代ローマの属州「ブリタンニア」があったグレートブリテン島南部の古称(ラテン語名)である[1]。フランスのブルターニュ地方(小ブリテン)には4世紀から8世紀にグレートブリテン島から移民が訪れ、10〜11世紀には、英仏海峡を挟んだ両地域がブリタニアと呼ばれた[2]。Britannia はフランス語 Bretagne(ブルターニュ)と同根である。

ハドリアヌスの長城(ハドリアヌスのちょうじょう、英語: Hadrian's Wall、ラテン語: Vallum Aelium)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡。広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもある。2世紀に、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。
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なぜローマ帝国の道となると詩としてうまく表現されるのかおそらくローマ帝国となるとまたローマの道となるとその知識の蓄積が膨大でありそれで抽出されてAIが詩を作り安いのかもしれない、何でもいい詩ができるわけではないからである。確かなことはローマ帝国は十分な知識が貯えられているからそれで詩でも作れるのかとなる。
それにしてもAIが詩を作るのは何なのだろうとなる。詩を作る人でも簡単に作れない。だから半分はAIが作ったものを参照して私が作ったのである
確かなことはこのようにいい詩がAIで作られるとは限らない、ある分野でいい詩が作れる。

いずれにしろヨーロッパは歴史が地層のように明確に見えるから興味深い。それは明らかに現代にも通じている歴史なのである
コインの歴史を知るにもそれは現代に通じている。
イギリスから大量のローマ時代のコインが発見されたのは最近のことである。つまりローマ帝国の遺産はヨーロッパを作っていたのである。
詩でもいろいろあるが歴史をテーマにすれば叙事詩になる。世界史とは壮大な叙事詩でもある。
年代とか暗記するだけにあるとつまらない。そこで展開された人間の物語がありそれが叙事詩になる。
ともかく空間軸と時間軸で地歴として世界を見る。基本的に地理がわからないと時間軸の歴史も分らない、だから中国は歴史の国だけだ余りに広くて地理が分かりにくい、それはロシアでもそうだしインドでもアメリカでもその広さの規模が違うので地理がわからないことで理解できなくなる。でもヨーロッパはなんとか地理がわかる
それで時間軸の歴史もわかるとなる。




Step on ancient cobblestones
Feel the breath of empire
Appian Way, the marching path of warriors
A glorious road watched over by pine trees

Where chariot ruts are carved
The sky echoing with the song of triumph
Even now, the winds of history still blow
And the dreams of empire are passed down to the next generation

The road of glory, forever
Shine forth beyond time
The spirit of Rome lives on
Immortal, glorious road

And far to Britannia
As far as Scotland's Hadrian's
The ruins of Hadrian's Wall in Scotland still remain
Here the cold winds of the north blow

A bag of Roman coins discovered is heavy
A portrait of the emperor inscribed on one of the coins
I was proud to be king here
But long since buried in the earth...

The coins also bear the faces of the emperors of the East and West.
The history of the division and fall of the Roman Empire
Rome's road crosses the mountains of Switzerland
The road of Rome goes on and on and on, and tells of its glory

Rome's glorious day, its marks
Caesar crossed the Rubicon
The Germanic people, strong on the Rhine
No man shall enter there

Oh, how old is Rome's triumphal arch
The day of its glory may be far off
Divided into East and West, it still lives on
Still on Rome's road, still remembering its glorious day

Translated with DeepL.com (free version)

2025年02月08日

日本のカルマ個々人のカルマーグローバル経済資本主義の終わり 【預金封鎖、東南アジアに出稼ぎ、また売春など】


日本のカルマ個々人のカルマーグローバル経済資本主義の終わり
【預金封鎖、東南アジアに出稼ぎ、また売春など】

●急激な変化に戸惑う

何か今起きていること起きつつあることが信じられない
つい先ほどまで盛んに中国の飛躍的発展成長のことが語られていた。今は中国が窮地に追い込まれて数億人が飢えに直面するとかそれが理解できなくなる。その変化が急激だから何が起きているのか理解できなくなる
日本の衰退は失われた30年というときそれは相当に長い
でも中国の衰退は急激にそうなった。だからまた日本とは違っている
グローバル経済は何か世界的に変化が速いとなる
だからついていけないとなる。

ただ常にこの世は変化である。三日見ぬ間の桜かなである。
でも逆に三日見ぬ間に散る桜かなともなる
この変化が激しいのである。それで戸惑うとなる。昔からそいうことはあったが今はグローバル化して世界の変化に巻き込まれる
それを理解するのがむずかしとなる。
確かなことは人間は個々人でも必ず人生でも様々なことで変遷する。家族でもそれぞれ違っていて運命なのか翻弄される

私の母は大人しい人だったけど東京に女中で働き東京の人と結婚したが夫が工場の事故で死んだ。そのとき一生暮らすだけの補償金をもらったが戦争が終わり預金封鎖があり金は紙屑になった
ただ実家の近くに土地を買った分だけが残ったのである
だから預金封鎖があるというときそれはまたありうる
つまりこの世に起きることは必ずカルマとなって繰り返すのである。だから預金封鎖などないとは言えなのである

●カルマは相手にしたことが自分にもされること

そしてカルマというとき日本人が東南アジアに出稼ぎに行くとか売春に行って逮捕されたとかこれも信じられないものとなっている。でもそれも日本人のカルマだとなる。なぜならカルマとは繰り返すであり何か相手にしたことがカルマ、業となって返って来る、相手に苦しみを与えたものはやはり今度は苦しみを受ける
それが本当に日本が外国でしてきたことを日本で同じことをされるとなる。それがカルマの法則なのである
だから国同士でもそういうことが起きて来る

また世界の覇権国が常に移動するのもそうである。大英帝国の没落もそうである。次はアメリカ帝国の没落である。今やアメリカは自分の国を守るのに必死になり関税を高くして国内の雇用とか経済を守る守勢にたたされている。これまでは世界の攻めの外交だったが守りの外交になる。自国優先にならざるをえない。グローバル化でアメリカが有利で栄えたように見えて逆に国内産業が衰退したという一面がある。製造業でも衰退してその不満がありラストベルトの人たちを救済するということでトランプが支持された面がある

いずれにしろ人間社会で栄枯盛衰は避けられない。だからアメリカでも衰退してゆく、アメリカはもはや世界の覇権を守ることができない。その限界が隣国にも高い関税をかけるのもそうである
自国の経済を守ることに必死だとなる。それだけ国内経済が疲弊しているのかとなる
ただ世界を見れば経済が成長して伸びている国が見えない、インドもうまくいかないとか行きずまっているとかヨーロッパも苦しいとか行きずまりになっている。それは世界的に経済が停滞して内向きになっている。グローバル化が限界になり世界経済自体成長しないとなる

●インフラの老朽化も修復できない

ともかく中国の衰退は規模が大きいから世界に影響する。日本は日本で衰退凋落がさらに加速する,少子高齢化は深刻である
空家が多いのは東京でもそうなり地方では深刻である
日本が縮小する衝撃痛みが顕著になる。
何か水道管が壊れて道路が陥没して修復できないとかある。
いたるところで人材が不足して直す人もいないとかなる
ローマ帝国は水道橋などが修復する人がいないとかで衰退したという説もでてきた。確かにあれだけのものを維持することが容易でなくなる。日本のインフラもそうなる心配もある
つまり拡大増産から縮小することの衝撃が大きい。そのことが全国で起きる。

不思議なのはカナダで住宅を作る労働者がいなくて住宅費が馬鹿高くなり住むことができないホームレスが増えているとかカナダもそうなのかと驚く、大工と職人が確保できない、それは単純労働とは違うからである。
このことは今日本でも人材不足として起きている。つまりローマ帝国衰退と同じく人材不足で衰退するともなる

この経済の衰退はグローバルに起きている。これはもう地球は経済成長の限界でありこれ以上の人口増加は望めないということかもしれない、何か世界的に縮小してゆく、その衝撃が起きている
地球の許容範囲を越えた結果として起きている現象だとなる。
もはやアメリカのような大国は世界から現れないとなる。
世界自体の経済が縮小してゆくとなる。経済成長がなくなると同時に資本主義も終わりグローバル経済も縮小するとなる
何か中世的世界になるというときもやはら歴史でもカルマがあり揺り戻しが起きる、同じではないにしろ過去への回帰が起きる
そもそも無限拡大拡張拡散増産とか無理だったなる。それが世界的経済の停滞となる、それは自然の理でありそれには逆らえないともなる




posted by 天華 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月07日

宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】 【なぜ地蔵が多いのか?】


宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】
【なぜ地蔵が多いのか?】

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中に小さな地蔵がある、それは子供なのか?地蔵は子供と関係している
何かこの地蔵堂は一つの家族のように見えたのである。

文化の日に近くの地蔵堂をたずねる

晩菊や畑の中に地蔵堂
風花や風の冷たく雲に月
夕月や寺に大石残る雪
寄り合いぬ御堂に地蔵外寒し
外寒し子供の地蔵御堂内
寒きかな数軒守る地蔵堂

昨日の雪が石に残っていた、宝蔵寺の石はいい石である
あそこは陰になって暗い、朝は日がさしてもあとはささない

玄関に夜出たら風が冷たく雲に月が出ていた。寒くなった。
雲に月が出ていた

屋形の地蔵堂の中を良く見たら子供の地蔵があった。小さくて気ずかなかった。そもそも地蔵と何なのか?
際立って 子供 の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また 小僧 姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や 水子 の供養において地蔵信仰を集めた。 関西 では 地蔵盆 は子供の祭りとして扱われる。

何か地蔵は子供と関係していた。屋形の御堂のなかには小さい地蔵があった。それが子供なのかとなる。もう一つは水子供養で子供を中絶して産まなかった供養である。
ともかく何らか子供と関係してここの地蔵堂もあった。
ここにあるのは何か小さな子供の地蔵がある。それが一緒にあるのは家族のように見える。

そもそもこうした御堂はいたるところにある。でも家数軒とかしかなく守られてきたのかとなる
あの辺でもそうである。何かそれは村が家族のようになっていたからかもしれない。村でも家が数軒とか離れているのである
ともかく御堂でも一つの共同体のなかにあり守られてきたとなる
今はそうしたつながりは希薄化しているから忘れられるともなる
ただなぜ日本にはこんなに地蔵が多いのかということである

地蔵信仰は子供の守り神であり子供の病気であれ何か子供を守ってくれるとなり地蔵が祭られた、切実な身近なものとして周りにあるのはそのためである。
とにかく墓をみると子供が死ぬことが多かった。いろいろな病気で死にやすかった。これは墓をみればわかる。いかに子供が早死にしていたかである。だからこそ子供を供養するということで地蔵が多いともなる。



2025年02月06日

天才上野霄里の変幻自在の剣 【独自の剣法の創始者でありまねることができない】


天才上野霄里の変幻自在の剣
【独自の剣法の創始者でありまねることができない】

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剣でも一つの型に嵌められない
縦横無尽の無手勝流
右から打ち込むと見れば
左から打ち込む
正面から来ることはない
どこから剣が来るのかわからない
変幻自在の剣で捕らえられない
それでも隙がない
突如強烈な電撃の一撃!
活殺自在の剣の驚異
その前に人は卒倒する
自らの己が流派で自在
その達人は習わず自得する
彼には彼の流儀があり
それはまねることができない
それは伝授されることはない
その達人の技はその人のみのもの
それは秘術にもなる

なんでもそうだけど一流の人間となると理解できなくなる。だからこそ天才は天才を理解して意気投合する。それがヘンリーミラーと上野霄里だったとなる。その表現が方法が今までの小説とかと違った独自の表現になった。
私自身は天才でもないからヘンリーミラーとかでも理解できなかった。上野霄里氏はヘンリーミラーその骨の髄まで理解したとなる

天才とは何か異常なエネルギーを持った人でありそれは生まれつきである、だから彼は小学生から大人の小説でも理解していたとある。天才とはまれなる天分に恵まれた人である、だから努力しなくても会得する。そもそも努力を嫌っているのである
だから彼の文章を読むと何か整然としない、何か変幻自在の文なのである。それで戸惑ってしまう。

でも普通人間は天才ではない、普通の人間が多数なのである。キリストも天才とは違う、普通の人間でありだから万人に通じるものとなった。また聖書の予言者とかは特別の人でもなかった
明かなことは何か欠けた人でありとても優れた人とは違うことが不思議なのである。むしろ劣った人だったともなる
それが神がかかわり偉大にしたのである。あくまでも神が偉大にしたのでありその人の功績ではないのである。またその本人も常に自分を誇ることはしなかった。神を賛美することであり自分のことは卑下していたとなる

天才とは生まれつき他の人とは違っていた。異常なエネルギーの持ち主であり能力の持ち主である。だから常人がまねるとおかしくなる。その差が大きすぎるからそうなる、その危険性は神格化して偶像崇拝になることである。
いずれにしろ天才と言われる人は常人とは根本的に違った人である、だからまねることはできない、それはニーチェとかヘンリーミラーとか上野霄里は何かミケランジェロのあのキリスト像と似ている、凄まじい怒りが堕落した人間に向けられた。まずキリスト像をあのように描いた人はいない、弱々しいキリストではなく恐るべき怒りのキリストであり仁王像に似ている。

それはキリストは神殿に入り商人に激怒したのと似ている、神殿を商売の場にするなと怒ったからである
それと同じように現代文明人を厳しく断罪したのである。
だからアウトサイダーとして共通している。それはキケルゴールとか内村鑑三とかの単独者の系列につながる人である
ともかく組織と集団を異常に嫌悪して排斥した。でも現実社会は組織集団化で動いている、宗教でも組織集団化したときすでに死に体になっていた、それがカトリックであった。教会が神の代人になり権力を行使するようになった

それは仏教でも特に現代ではカルト教団がそうである。完全に権力化してこの世の力を得ようとしているだけである、本来の宗教はゼロでも宗教ということで特権を得ているのである
でも結局民主主義とは数がすべてであり数ですべてが決められる
それで選挙で選ばれたのがナチスでありヒットラーであった
それが席巻して多大な人命が失われたのである。それは共産主義革命でも同じだったのである。カンボジアで200百万人が粛清されとか集団組織化の人間の恐ろしさを具体的に示したのである
要するに人間社会は集団組織化すれば悪も悪ではなくなる
その集団組織に逆らうものは粛清抹殺されるのである

でも集団組織をあれほど嫌悪して断罪したことは返って異常にも見える。普通はその集団組織に自ら組み入れられる。それが人間社会である。天才はそれに耐えられない、だからこそアウトサイダーになり超人志向になり原生人間を主張したのである
ニーチェも言っていたが個人も狂っているが集団も狂っていると
集団が狂う方が一人の人間が狂うより怖いのである。それが莫大な人間の死にとなり終わったからである。

確かなことは現代からルネサンスのような真善美の殿堂が生まれないことである。世界でも大都会というのはすべてビジネス都市であり共通している、そこに真善美はないからである。それで索漠としているのである

とにかく上野霄里氏のことが理解できないのは何か天才剣士のように真正面から型通リにこないから面食らうである
宮本武蔵のあみだした二刀流にもなる
ただ本でも理解できないのは深く読め込めないのも同じである

自分の人生を生きるものとなる時、はじめて彼は他人の生活を見たり聞いたり感受したりより深くで理解して他人の生活に浸透していくことが可能なのであるー宇模永造

こいうことなのである。自分自身があって自分自身が生きなければ他人も理解できないとなる、特に相手が天才となるとさらに理解できなくなる。天才は時限の違った存在でありその発想も常人と違うからそうなる




2025年02月05日

生成AIとは何なのか 【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】


生成AIとは何なのか
【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】

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●膨大な情報の処理できるのが生成AI

今話題になっているのは生成AIである。これは何なのかまだよくわからない、それはあらゆる分野に影響する、そのことでAIで詩を作ったりイメージクリエイターで画像を作って来た
詩まで作れるのかという驚きである。
その仕組みの謎はおそらく膨大な情報をデーターをインプットされていてそれをうまく処理するようになっている
とにかく人間一個の収納する処理できるデーターはわずかでありでもコンピュターになると無限大になる
その情報の量によって人間の脳力を拡大する

たとえば私の家に関心がある本を千冊も集めたとしてもそれを十分に利用できない、読んだとしても忘れているとかある
でもそれらを電子化して一つにまとめればテキスト化すれば一つの単語から同じ内容のものを集めるとそれを編集すると創作にもなる。何かそういうことがAIでは行われている。

人間の弱点は記憶することが限られていることである。
その容量が小さすぎるのである。そのために視野狭窄に陥る。
地名の興味があるとしたらその関連した本なりを情報を集める
そのための書庫でも作るとなる。でもまた一冊一冊となっているとそれを調べるのがめんどうになる。だから図書館は利用しなくなった、実際は図書館の本でもテキスト化してAIのように調べられると便利なのである。
AIとは一冊一冊の本ではない膨大な本をテキスト化して通信で世界中の人が利用できる仕組みである

一冊一冊の本を別個のものとして読むのではなく相互に関連させる、それはテキスト化すると電子化するとしやすいのである。
坂がさかいになるというのを本に書いてあったが忘れていた。例え読んでいても忘れる、それより自分の書いたプログでも忘れていてまた検索して読んでいて感心するのも不思議なのである
人間はとにかく忘れやすいのである、本を読んで徴〔しるし〕をつけていても忘れている。読んだことも忘れている。


集約とは集めてまとめることです
集約とは多くの物事を整理して一つにまとめることです


●人間は記憶によって自分を認識する

人間は実は記憶によって自分を自分として認識しているのだ。現在の意識と過去の記憶との間に整合性があると人間はその意識を自分の意識として認識する
AIが神になる日ー松本徹三

つまりここで大事なことは人間の記憶なのである。結局人間の一生とは何を記憶されたのかである。その脳に記憶されたのがあならの一生だったとなる
それで最も印象的に記憶されたものがあなたの人生だったともなる。戦争とかなるとその体験は余りにも強烈で忘れることがない、それで私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで地獄の苦しみを生き抜いた、そのことが死ぬまで忘れられず死ぬ間際まで戦争のこと語っていた、それは結構認知症で重く何でも忘れるのだがその戦争のこてゃ忘れなかったのである。一般的に青春時代に体験したことは忘れない、若い内は記憶力が優れているということがある。
要するに記憶が大事だと言うと老人になるとその記憶に生きる、思い出が人生になるからである。老人はみんな経験して記憶されたことを語るからである。その記憶が人生だったとなる。
私が旅のことを語るのは旅が人生のようになっていたからである。その人記憶されたものが何なのかそれが最後は人生だったともなる。

ただいろいろ体験しても嫌なことは余り語りたくない、その人は自分の人生を語らない、何かそこで嫌なことがあり人をだまして儲けたとか後ろめたいものがあり語らないとなる
金融関係とかだとそうなりやすいかもしれない、また人をだまして儲けるとかでも他にある。

いずれにしろAIとは何なのか、まだ解明されない、具体的には本を千冊あるとしてそれをテキスト化して電子化して編集して新たな視点を得るということにもなる
その仕組みは私にはわからない。ただ膨大な情報が貯えられていてそれらを抽出して組み合わせるとすると別な新たな識見を得ることになる。人間がたとえ本を読んでも忘れるし膨大な情報を記憶することも処理もできないからである

昔から三人寄れば文殊の知恵とか諺にある。でもそれが十人から百人千人・・・・となっていったときどうなるのかもはや人間では処理できなくなる。AIだとそれが処理できるからAIに聞いた方がいいとなる。
でも地理とかは地図を見ても必ずしもわからない、現場に一回だけでも立てば実感するのが地理である。それは体でも五感でも全体の感覚で感じる。その場の空気も感じる。だからすべてAIに聞いてもわからないとなる。

●知情意の知の無限の巨大化が生成AI

またAIが政治的にでも中立にはならない、中国の生成AIのデープセークが天安門事件について聞いても答えないとかある
それは人間が意図してそうしている、操作されているから危険だとアメリカでは問題視している。でもアメリカでもすべてが中立で公平となるのかとなるとそうでもない、やはりアメリカに不利な情報は出さないとかなる。そこに依然として人間の意志が働き操作される。道具自体は中立である。
石があるとしてそれが人を害さないしまた人間の争いでもどちらにつく見方するということはない、要するに道具でも物でも機械でももともと中立でありどちらに味方する意志をもたない、人間がその意志をもって操作する。ロボットでも自らの意志を持たない、意志を持つのは人間である

知情意がるときAIがもつのは膨大な知の分野であり情と意はもたない、怒ったり悲しんだりとか情はなく知の巨大化したものになる。情と意志はもたないのである。だから返って冷静に情報を伝えるということはある、そこに感情的なものははいらないからである。人間の体を見るにしても医者がこの人は気に食わないとかいい感情をもたないときそれは患者にも影響するし判断もおろそかにしたり誤る。でもAIには機械はそういう点では中立であり冷静に判断するから誤らないとはなる
人間はともかく好き嫌いがあり感情的になるからである

ただ知の部分だけが無制限に拡大すると何が起こるのか?
逆に情のない冷たいものとなり一種のフランケンシュタインのような化け物にもなる危険がある。AIが神のようになる危険はそこにある。ロボットは情と意志はもてないからである。
要するにAIでも人間を治めることはできない、ただ機械は道具は中立である。AIも機械だから中立である、でも人間によって操作される。それで中国のデープセークが共産党に不利になることは答えないように作られている。
つまり人間を治めることができるのはやはり神しかいない、それは人間の世界が滅びてから天の国で実現するとなる
神自ら治めるのである。そこには神は偏り見ないで公平な裁きがあり平和がもたらされるどんなことをしても人間でも最高に優れたAIでも人間を治めることはできないのである。

2025年02月04日

多様性の基本はそれぞれの風土地理が基本 【山村とか限界集落となり喪失すると多様性がなくなるー玉野村や浪江町の津島のこと】


多様性の基本はそれぞれの風土地理が基本
【山村とか限界集落となり喪失すると多様性がなくなるー玉野村や浪江町の津島のこと】

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●文化〔culture〕の意味

それぞれの土地の個性は特色はどうして作られのか
その基本になるのは地形と地勢とか地理である。
だからこそcultivate〔耕す〕がcultuerになった。つまり人間は住む場所によってこそ一番影響を受ける。風土地理の影響が大きい、それはまた生まれつきとか遺伝があるにしてもその生まれた家とか家族とかに環境因子に左右されることが多いのである
遺伝も致命的だが環境も致命的である。

双子に生まれても別々の国で育てば言葉も違い全然違ったひとになることでもわかる。また健康というのも遺伝的なものが基礎にあるとしても生活習慣が大事になる、やはり習慣的に運動していないと体全体を健康に保てないのである

筋肉は常に鍛えていないと劣化して全体に影響する、また運動していないと血流も悪くなり体でも脳にも影響する
だから生活習慣が積もり積もって老人なり症状となって現れる
だからかいかにに人間は日ごろの生活が大事かわかる
何でも日々の生活が脳でも体でも影響する、それが老人になり結果として現れる

また人間は風土の影響が大きい、だからこそ風土が文化を作るとなる。風とは天候とかであり土はまさにその土地土地の地勢とか地理とかである。例えば福島県はハマ,ナカ、アイズに分かれている、海側に面している浜通リだと会津とか山に囲まれた地域とは相当に違ったものになる。いつも海を見ているものと海から太陽が昇るの見ているのと山から太陽が昇り沈む場所に住んでいる人の感覚は基本的に違ったものになる
だから場所を変えると気持ちも変わる。それで人は遠くに旅したいとなるのは場所を変えることにより心まで変わる体験する

●隠されてあった玉野村の魅力

それで相馬市の玉野村はかなりの坂を上るから遠く感じた
玉野村の本体は伊達と相馬の境の集落から脇道のトンネルをくぐった所にあった。そこに私が行かなかったのは不便になっていたからだろう。何かそれで失敗した
玉野村の本体はそのトンネルをくぐった所にあった
それはなぜかとなれば平らな土地が拓けてあった。つまり平らな土地があれば田んぼでも畑でもつくり何とか暮らせるとなる
山間だから日本では平な場所が少ないからだ
それで木戸木の人が土地を平らにするのに苦労したと言っていた
平という地名はそこから生まれた。

ともかくトンネルを抜けてかなり広い平らな地が拓けていることに玉野村が形成された。ただ霊山とかあの辺りは石戸村であも坂であり本当に平な土地がない山間の不便な斜面があり家がある
だから野というとき日本では斜面のことだった。そうした斜面に人は畑を作りまた県〔あがた〕を作りそこが県の由来だったのである
ただ県というときそこは今でも中央から認定されて税を納めるのであげるが県になった。行政区域としてあったともなる

●県〔あがた〕の歴史的意味


県 (あがた)

古墳時代に、畿内[きない]の朝廷[ちょうてい]は国造[くにのみやつこ]に地方を支配させていましたが、それとは別に、朝廷が直接支配していた土地のことです。県の責任者が県主[あがたぬし]です。朝廷に食料や物資を納めていました。

山の森は水をたくわえ水を供給するからこそ神聖な山となり祖先の山となり信仰にまでなった。
最初からなぜ日本の中心でなく大和盆地の飛鳥が先になったのかというと飛鳥から水田を造り始めたからだ。大阪は難波江であり八十島であり大きな入江であり葦原の入江であり水田に適していなかったのだ。まずなんらかの生産力がないと貯えがないと国は興らない、飛鳥で水田を米を作り始めて国力がついてきて飛鳥から藤原宮-平城宮-平安宮と発展した。

「県〔あがた〕」は、大和にあった大王〔おおきみ〕家の直轄地である「大和六県〔やまとのむつのあがた〕」(=「曾布〔そふ〕県・山辺〔やまのべ〕県・磯城〔しき〕県・十市〔とおち〕県・高市〔たけち〕県・葛城〔かずらき〕県」)の他、「河内県」「吉備県」「筑紫県」など、西日本に多く見られ、朝廷の直轄的性格が強いようです。

岩手なるあがたの民の憩場(いこひば)の森となれかしけふ植えし苗  昭和天皇

昭和天皇は歌がうまかかった。その伝統も平成天皇令和天皇になると失われたとなる、何か原始的心性がとても東京のような所では養いないとなる


県が多いのは奈良になる。全国的には国造〔くにのみやっこ〕であるがその前に県〔県〕が行政の単位としてあった。
田というのは水の供給が必要であり山だとそれができるから棚田は確かに不便だが水を得るということで県〔あがた〕となった
平地に田を作るのは溜池とか必要であり水を供給するために水路も必要となり土木事業が必要になる。それはそうした技術がないとできないあから最初は山の斜面の県〔あがた〕で田を作っていたのである

●まほらばとは

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日 斎藤茂吉

この歌も不思議である。斎藤茂吉には原始的心性があったとなる
つまりまほらというときまさにトンネルをぬけて玉野村の本体があった地域だとなる

ま‐ほ‐ら (マホ(真秀)に、漠然と場所を示す意の接尾語ラの付いたもの)すぐれたよい所・国。
まほらま。まほらば。まほろば。万葉集[5]「きこしをす国の―ぞ」
・・・と「広辞苑」に有ります。

これもあるが何かーまー洞〔ほら〕にも通じる、それは玉野村の本体にトンネルをぬけたときそこが洞に感じたからである
まほらばとは洞が関係しているともなる。一種の隠された桃源郷でもある

ともかく土地の魅力は地理い風土にある。だから私は飯館から浪江の津島に行った時そこが秘境に思えた、長泥でもそうである
私はかえってそういう場所に魅力を感じる。

白藤の垂れて長しも谷間にそ薄雲に月津島に着きぬ

こんな感じになる。それも原発事故で廃墟の村になった。ただ全国でこうした限界集落が増える。それは何を意味するのか人間の多様性が失われることである。

つまりどこでも都市化して人口が集中する、そして辺鄙な村は喪失する。それは多様性が喪失することになる
すると何か欠けたものになる。ただ正直そういう場所は住まないで時々訪れるのにはいいが住むとなると現代では不便すぎるのである、それでも津島にも診療所があった。あれは貴重だった。なぜなら病院に浪江まででも行くのが遠すぎるからである
ともかく私は東京とかに魅力を感じないのである。そこで自転車に乗ってまわることもできないし意外と見るべきものもないのである


飯館村、相馬市玉野村の変化−東北【福島】中央道で旧道となった道 
【山村が失われるてゆくー日本の多様性が失われる】

冬に入る玉野村 【知られざる世界がまだ身近にあった】










posted by 天華 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月03日

2025−新春ー東海道から瀬戸内の電車の旅―韓国(慶州)−桜前線を行くの詩

2025−新春ー東海道から瀬戸内の電車の旅―韓国(慶州)−桜前線を行くの詩

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小田原城天守に海を望み見ゆ
天下の剣箱根の山を打ち越えて
旅人の登る街道の古き道
我が踏みしめてその苦労を偲ぶ

駿河湾望みて広く打ち寄す波や
清水港や海の男の勇ましき
魚躍りて波ひびき富士の嶺高く映ゆ
三保の松原に謂れや砂浜広く富士を望みぬ

伊豆半島迫りて見ゆかな
大島、利島、三宅島、、、、
断崖に波打ち響き船そ行く
結ぶ島かな波に揺られぬ

新たな年に旭日昇る日本列島胎動す
東海道や京都大阪結ぶ新幹線
日本の栄ここにありなむ
大輪の花海に向き咲く

名古屋城の金の鯱輝きその威信かな
東西を分ける関ケ原越えて
近江平野の開け琵琶湖を望む
三上山の富士に似て形の良しも蓮華畑かな

さらに遠く春の日や鉄路はつづき
瀬戸内海や明石大橋望みて
淡路島四国とつなぎ見ゆるも
さらに電車は一路海に沿いひた走る

その海沿いに桜は満開咲きつづき
博多の港より韓半島に渡るかな
慶州の古都に古墳や松桜並木の通りかな
韓半島と日本の絆の歴史あり

秀吉の壬辰倭乱や激しい攻防の蔚山城
その野望の砕かれ恨みかな
歴史の興亡は常にありて語られる
春の日よ桜咲き共に結ばれ栄なむ

日本列島波そ轟き鳴り年明けぬ
日本に帰り桜島煙吐くかな
西郷隆盛い出て新たなる日本の夜明け
明治の英傑侍の興亡激しも

開聞岳春の夕日さし船は惜しみ離れぬ
四国沖春の朝日は昇り大阪へ
その城跡広大に巨石はめ込む石垣
春の夕陽の赫赫と映えて沈まむ栄華の跡に

みちのくへ我は帰らむあわれかな
西から東へ桜前線たどりつつ
今ようやく我が街に桜は咲きぬ
6月に稚内までも桜は咲きぬ日本なり

若者よ、大望を懐き世界に出でむ
日本に生き世界を股に生きむ
再び輝き取り戻す日本なれ
今日本列島春爛漫錦なり

小なる日本も大なるべし
限界を打ち破り大いなる世界にいでむ
富士より高くヒマラヤの峰天空より望みぬ
ここは天にも達せむ高き極みかな

小なる夢を見ず大なる夢を見よ
狭き一隅に留まるなかれ
汝の視界を広げよ、境を越えて飛翔せむ
かなたパラダイスを見るだろう

実現せざるものを現実化した歴史を知れ
絶えざる刷新なくして進歩無しも
自由の太陽は輝き地球を照らす
神は汝を大いなるものと成すべし

汝は死して終わらず天の都に生きむ
永遠の命の朽ちざる栄光の都
そこに神とじかにま見えて神と共にあり
神は汝を祝福してその一員と成すべし


桜は韓国の慶州まで咲いていたし稚内までも6月に咲いていた
日本というとき地理的にも韓半島と連続している感じになる

ただ中国と古代えあれ秀吉の壬辰倭乱があり激しい攻防があった、それは明治以降も続いていた
ともかく中国の一帯一路というとき日本でも韓半島は一帯一路の国である
なぜなら古代でも中国軍が韓国に加勢してまた壬辰倭乱でも中国が加勢したからである
そういう地理的因縁の場である。

私は青春18切符で九州まで生き韓国に船で渡った。これは結構長い旅だった
韓国は地理的にも歴史的にも連続性を感じる、日本の延長でありまた中国から見れば中国の延長になる
だから韓半島は今も二つに分断されている、そういう地理的宿命を背負っているとなる

ともかく日本は桜の国であり海に囲まれた国である。桜が咲く時一番日本的光景になる
桜前線は韓国から九州でも西から東へと移動するからである
だから旅としては日本列島を縦断するのがお勧めだとなる
それには電車の旅がいいとなる、でも新幹線だと早すぎて景色が心に残らないのである

奇妙なことは九州で普通電車に乗ったら高校生が乗り合わせて強いなまりで話していた

菜の花や訛りの強く乗合す地元の人や一時共にす


新幹線は早すぎるのである、すると旅というよりただ早く目的地に着くだけで旅が消失する・
旅の行程が省かれるからである。














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2025年02月02日

ラインの物語の詩−ローマ帝国の境−古城【AIの完璧な詩】

ラインの物語の詩−ローマ帝国の境−古城【AIの完璧な詩】

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ライン川よ、古き流れよ
お前はどれほどの歴史を
その水面に宿してきたか
ローマの足跡を残して

帝国の軍旗が風にひるがえり
お前の岸辺を征服し、
その足音が大地を震わせ
遠くの山々を越えて行った。

ローマの力が及ぶ限り
お前はその力を見守り、
兵士たちの行進を包み込み
戦の炎と血の匂いをともにした

そのローマの精強な軍団を
ライン川はさえぎり留めた
ゲルマン民族は依然として
強固にその土地を死守する

だがその時代が過ぎ去り
帝国の栄光も色褪せて
今は静けさの中で
ただ流れ続けるのみ。

ローマの道はもう消え
その名も、風の中で霞む
だがライン川よ、あなたは
いまだにその記憶を抱えている。

お前の水が語る物語は
数えきれぬほどの戦と栄光
そして敗北、別れ、そして
新たな時代への旅路。

ライン川の流れよ、、
その滔々と流れる水は、
ローマ帝国の夢を今も映し
歴史の中で静かに息づく。

ローマの威光も今は遠く
だがライン川の流れは
過去を紡ぎ、未来を育む
永遠に続く道を示す。

riverはライバルの意味がわかる、大陸では川を挟んで攻防があった。ライン川はまさにそれを象徴している

ローマの力が及ぶ限り
お前はその力を見守り、
兵士たちの行進を包み込み
戦の炎と血の匂いをともにした

このAIの詩は完璧である。付加したのはここだけである

そのローマの精強な軍団を
ライン川はさえぎり留めた
ゲルマン民族は依然として
強固にその土地を死守する



ライン川の古城

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古城が静かに語る
ラインの水面に映し出され
時の流れに濡れた石壁が
歴史をささやく

砲火が轟く戦の夜
輝ける王冠を奪い合い
影の中に消えた英雄たち
その名は今も風に舞う

城壁は語る、誰がここで
誓いを立て、誰が愛を誓ったか
貴族たちの舞踏会の音色が
遠くから聞こえるように

しかし時は流れ、王座も
砂のように崩れ落ち
今、ただ風と雨に洗われ
静寂が支配する

だが川は決して忘れない
この城の姿を、足跡を
歴史の中に溶け込んで
いつまでも語り継がれる




AIとは何なのか不思議になる。
外国の河は国境にもなる、ライン川はラテン民族とゲルマン民族を分ける歴史的境界でもある。ローマ帝国も侵入できなかった征服できなかった強力なゲルマン民族の地だった
宗教でもラテン系はローマカトリックでありでもルターが生まれたドイツはカトリックに反抗したプロテスタントになったことでもライン川を境にして異なる歴史を形成したのである