2021年12月06日

寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)


寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)

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石黙し赤き誠や寒椿

二子山ここを離れず冬日没る

みちのくや枯野の向こう船一艘

墓残り海老浜に見ゆ冬の海


冠雪の蔵王の見えて白鳥の群れ飛べるかな朝日まぶしも

石垣のめぐらしここに家建てて落ち着きぬかも冬の日さしぬ

荒々し冬の波音ひびくかな津波の跡の無常なるかな

今はまだ寒椿ではない。冬椿なのである。ただ寒椿の方がよりいいと思った
赤き心とは天皇への忠誠心でもあった、でも誠とは新選組でも旗印となったから天皇だけはない
誠とは嘘つかないとかであり日本人の心としてある
人間に共通する普遍的なモラルである

石黙しというとき禅宗で座禅を組んで沈黙の修行をする
自然と一体化する沈黙が必要なのである、それが修行なのである
俳句の様なものでも修行が必要であり精進しないと上達しない
俳句は写生と写実である、だから比較的他の芸術より修練すればいいものができるとはなる、その方法が明確だからである、それを明治になって提唱したのが正岡子規であり
それが俳句の世界に革新をもたらしたのである

俳句そのものは必ずしもいいものになっていない、究めていない、でもその方法を編み出したことに功績があった
意外と芸術という時、ARTとは技術とかの意味もあり広範囲な意味がある
医療までartだったのである、だからARTとは技術的要素がありそれで革新できる
それで私が試みている抽象画がそうである、写真でも絵でもデホルメして作りだしているからだ、これも芸術だとなる
これこそ全く絵の才能がゼロなのにやはり創作だとも見たからである
二次三次製作でもやはり創作的なことがあると思ったからだ

二子山とは大原の二つの山であり二子山に見えるのだ
海老浜の方は村自体が津波で消失した、残っているのは墓地だけである
そして墓が冬の海を見ている
みちのくというとき枯野がにあう、海には船一掃しか見えない
兵庫県の方から来た人が瀬戸内海とは随分違うでしょう、あそこはひっきりなしに船が
通っている。ここはただ海が広がっているだけであるからだ


キボードが使いない、親指シフト使えないと苦しい、パソコンは文を楽に書けないと苦しい、親指シフトで始めたので自分の場合なじんだのである





2021年12月05日

南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う (小高に住んでいる女性である)


南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う

(小高に住んでいる女性である)

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Tシャッツを飾っているので何だろうと思った
清掃のボランティアだった、海をきれいにしている人達だった
その女性は秋田からきて仙台市にも住んで小高に今住んでいる
地元のことに詳しいから結構長くいるとなる

まだボランティアがいるということだがあまりに関心がなくなっている
一時はボランティアに来ても帰ってゆく人も多いという、やはりなじめないのでそうなる何か地元でも関心がなくなる、外部からでも十年過ぎると関心がなくなる

何かその女性は積極的であり秋田から来た東北人にも思えない
それで語尾にんだといっていたのは何故だろうと思ったら秋田弁でンダスと語尾の発音になる

このンダというのは東北弁で共通なのである
ところが仙台弁だけはちがう、だっちゃだっちゃになる、だからもともと伊達藩の仙台圏は東北でも異質の場所なのである
ただ丸森の人はんだちゃといったときんだにはこうしてバリエーションがあると思った
んだーだっちゃが合成してんだちゃになったのである
方言は何か国の訛りというように面白いのである

とにかくどうしても震災から十年過ぎて十一年にもなると関心が相当に薄れる
何か私は景観にこだわる、景観のいい場所には行ってみたいとなる
小高とかはあまり景観に特徴がないのである、双葉とか大熊辺りでもそうである
飯館は別である、高原の別世界になっていたのである
丸森は阿武隈川あり蔵王が見えるとかであそこは景観に魅力がある
鹿島区だと意外と気づかないかもしれないが蔵王は鹿島区からも晴れた日にはっきり見えたのである、この辺では高い山が無いから蔵王を見れることで南相馬市では鹿島区がいい場所だとなる、原町区になると蔵王は見えないからである
ただ原町区の魅力は街の魅力であり景観ではないから別である

私の場合はこうして景観がいいというときその場所に何度でも行きたいとなる
浪江町だと高瀬川渓谷があるからあそこに行ってみたいとなる
でもあそこは避難区域になっていて行けないから残念である

ここのサーフィン場には飲み食いする場所がない、だから作ればいいと話したが商売として成り立たないとやっていけない、ただサーフィンに来る人はいる、外の人も来る
でも景観的には火力発電所とかありいいとはならないのである
それでも遊園地もあり休む場所が欲しいとはなる
posted by 老鶯 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年12月04日

日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検 (学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)


日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検

(学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)



この年、日本では東京大学と日本大学でほぼ同時に学生たちの「異議申し立て」が起きました。東大は医学部学生の処分撤回要求であり、日大は大学による使途不明金の疑惑解明要求と、内容は異なっていたのですが、これをきっかけに全国の大学で、それぞれ独自の要求を掲げて学生運動が盛り上がりました

1968年(昭和43年)1月の日本大学理工学部教授の裏口不正入学あっせん謝礼にからむ脱税事件と、5月に東京国税局の調査によって明らかになった22億円の使途不明金問題を発端として日本大学学生が爆発した。この使途不明金は、研究費、研修費などの名目で教職員に支給されたヤミ給与が大部分であったが、組合対策費や政治家などへの対外渉外費といったものもかなり含まれていた。

この国税局の脱税調査のさ中の3月に、経済学部会計課長の富沢広の失跡や理工学部会計課徴収主任の渡辺はる子の自殺という事件が起きている。利潤優先のマスプロ教育と学生の自治活動などに関しての時代錯誤的な管理体制に対する学生たちの長い間の不満があった。日本最大のマンモス大学において、膨大な学生数に比べて教授陣容や教育施設の貧弱さ。学生の集会は禁止され、ビラや掲示なども全て許可制で、自治会活動に関しては大学側と癒着した右翼・体育会系学生の暴力的圧殺があった。



これに対し岸信介首相は、右翼団体と、暴力団関係者を用いて対抗。この事態に、石橋湛山、東久邇稔彦、片山哲などが事態を収めるために首相退陣を勧告しますが、岸信介は応じません。

6月10日には、来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官が、羽田空港周辺に押し寄せたデモ隊に包囲され、海兵隊のヘリコプターで救出される事件が発生。

6月15日には国会内に突入したデモ隊と機動隊が衝突し、東京大学の学生が死亡しました。これをきっかけに学生が暴徒化し、この日に負傷者約400人、逮捕者約200人、警察側の負傷者約300人が発生しました。

安保闘争の背景にあった「日米安全保障条約」とは。何に反対した?

学生運動は何だったのか?確かに自分が大学にいたとき起きた、だからその当時は直接参加しなくてもかかわっていた
ただ何なのかわからなかった、

●マルクス主義にかぶれたものがそうなった

●当時の政治状況安保とかベトナム戦争の反戦

●マスプロ大学で文系の学生が失望してエネルギーを発散


その頃私立大学でマルキスシズムの教授が多かった、思想傾向としてあった
私自身は大学が大衆化して大学とは名ばかりでありエリートでもなんでもなくなっていた私は大学に行きたいというより東京に行きたいという憧れがあって行っただけだった
私は高校とか窮屈だったし故郷脱出願望が強かった、その後も故郷脱出願望が強く旅ばかりしていたとなる

今になると何でそんな過激な運動が起きたのか?それが良くわからないのである
ただ創価に入っていたから創価でも池田大作の支持で学生運動のまねをさせられたのである、学生部があってそうさせられたかのである
そこには学生自身の自主性はなかった、上から操作されるだけだった
つまり創価とは常に大衆を相手にしてその時々の話題になることで会員を獲得することであり数を増やすことしか眼中にないのである、権力志向しかないのである
それで原発でも二番目くらいに宣伝を出していた、潮とか第三文明とかでそうなっていた何か双葉町にも創価会館がありそこには人が住んでいないので不思議だった

何か日大の田中理事長が逮捕されたことこれが学生運動と関係していたということは意外だった、すでに半世紀前のことでありそんなことが関係していたということである
日大で学生運動が盛んになったのは社会問題より日大内部の不正が原因していたのであるまたマスプロ大学となり授業でも千人以上の講堂で教授が講義されるとかで何か失望して学業より学生運動に青春のエネルギーを費やした浪費したともなる
その学生運動を抑えよとして体育系の学生を使って暴力でまた抑えようとした
その時田中理事長は相撲部にいたからそれにかかわって功績があったとしている
現実に体育系は右であり学生運動した人たちの足を刃物で切ったとか聞いた
学生運動している人より体育系の人たちは怖いのである

私は一時体育会に所属していた、でも体が軟弱でついていけなかったのでやめた
その空白に創価に入ったとなる、何か大学はこうして授業にも興味をもてないし空白化して学生運動に熱中したということもある
不思議だったのは一日マージャンしている人もいたしパチンコしている人もいた
そういう人でギャンブル人生になった人がいたというのもわかる
何か暇でそうなったのである、それと高校と大学の差があまりに大きすぎたのである
大学だと私立系では授業に出ないことを自慢していたのである
つまり大学とは遊ぶ場所としてあったから不思議である、ただ高校は窮屈であり自分にとってはいい場所だったのである

ともかく人間はその時々時代で過去になるとふりかえる、なぜそういう行動をしたのかと反省する、それは原発事故でもそうである、なぜそんなことが起きたのかと私は追求して来た、でも原発は安全神話が権力によって原子力村によって強固に作られていた
反対できるものではなかったのである、地元にはふんだんに金がばらまかれて手名付けられていたし地元で原発を反対すれば住むことすらできなくなっていた
今は逆に住民か故郷に住めなくなったのである
戦争しの時だってその戦争に反対すれば権力側によって特高がきて警察につかまったからである
学生運動は権力志向はなかった、ただ何かに対する社会に不満でありそれが「理由なき反抗」にもなった、理由がなくてもそういうことが青春時代に起るからである

その頃からもはや大学生はエリートでもない旧制高校とかのエリートとはまるで違ったものになった、つまり何でも大衆化したのである、そこでエリートがどうあるべきなどないただ激増した大学でマージャンとかパチンコに費やすものもいれば学生運動するものもいればカルト教団に浪費するものもいる、それが文系の大学だったのである
ただ不思議なのは今回の日大の事件でそのことが半生紀過ぎても続いていたことである
当時の学生運動を抑えた者が体育系の人達が出世して日大を牛耳ることになったことの驚きである
これは悪い方面で継続されたのである

人間はとにかく右でも左でもいい、継続されることが一貫したものがあることがその人を作る、だから別に右でも左でもいいのである、一貫することがその人を作りその人を見ることになるからだ、まず学生運動とかマルキシズム共産主義運動は継続されなかったからである、みんな体制の中に組み入れられてその運動は一時の馬鹿騒ぎのようにして終わった、それは歴史的意味も持たないものとして終わった
もし歴史的意味をもっているとしたらそれは歴史の中て評価されつづけるからである
人間で大事なことはやはり長い目で見て価値があるかどうかである
歴史的評価に耐えるものが真に価値あるものなのである、それは芸術でも同じである

それでそうした社会的大きなことでなくても家族の中でも親が死んでもその価値を増すとういことがある、それは社会でもそうである、50年過ぎても100年すぎてもさらに価値が増す場合は本当に価値あるものだったとなる、人物でもそうである
要するにいくら大衆化して一時的なものには価値がないのである
一見数が多いから集めたからそれが価値があるとはならない、継続しないからである
大衆社会はあるゆるものが一時的なものとして終わりやすいのである
何か目新しいものが生まれては消えてゆく流行なのである、宗教すらそうである
何かの運動でもそうである、様々な運動が現れて消えてゆく、目新しいものを求めて一時的に現れては消えてゆくのである、政党でもそうである、何か政党名が変わっただけで
新しいものとして歓迎されるが泡沫のように消えてゆくのである

posted by 老鶯 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年12月03日

栄える家と栄ない家の謎 (家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

栄える家と栄ない家の謎

(家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

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御家の旗がある



我が家の歴史


我が家を創りし者
我が父と姉と母
父はこの町に移り
苦労の末に一辺の土地を買う
その土地は悪しき土地なり
二階水害にあいぬ
その後姉と母が新しき家を建てる
その家は大きく心地良し
この家に父と母と姉との力の宿る
我はこの家を受け継ぎ住みぬ
この町の一角に住みつきぬ
後妻の母の子は我が家に受け入れられず
不幸なりしは我が家の暗黒となる
兄は遠く集団就職で静岡に去る
そして交通事故で40才で死ぬ
その不幸ゆえに一基の墓を建つ
この家に父と母と姉との力の宿る
この家に住み我は力を得る
一代にて栄はならじも
故郷の大地に根を張りし木のように
代々受け継がれて栄はありぬべし
故郷の冬の日にそのことを深く感じぬ
栄は一人にて一代にてならじも
代々の人の力ありて成りにしを・・・・

人間が一番関心があるのが自分の生れた家であり故郷でもある
聖書が大きな国の歴史ではない、そもそも家族の歴史なのである
神に選ばれた人の家族の歴史なのである
家という時、天皇家というのも家族の歴史でありそれが日本が歴史になっている
平家源氏も家のことである、家が王家を作り歴史となる、この辺だと相馬氏が支配者となり歴史を作ったとなる、それで「御家」という旗印がある
外国でもハウスブル家がヨ−ロッパの王となり支配者ともなったことでもわかる
徳川家が三百年江戸時代支配者となったのもそうである
歴史とは家の物語(ヒストリー)でもある
ただ私が家を意識するようになったのは家族が全部死んでからである、それで遅いが自分自身が家を継いだ者になったことを意識したからである
なぜなら自分一人しか家を継ぐ者が残らなかったからである

父親は葛尾村の出であり双葉町の昔は新山の酒屋で丁稚として働いていた
それで暖簾分けしてこの土地に住むようになったのである
だから相当に苦労した、貧乏でもあった、ただその時代はみんな貧乏だったのである
それで刺身を食べれるようになったが病気で食べたくないと言って死んだのである
戦後十年くらいで豊かになったときである
おそらくまともな教育も受けられず学校にも行かなかったから上の学校にあげろと言ったのも苦労したからだとなる
たいがい苦労した親は子供にそういうからである
そう言われても私は大学に行ったとしても勉強はしていなかった
何か無念に死ぬ人が多い、自分がかわいがられたのは50以上になって生まれた子供だったからだろう、でも兄は母は後妻であり5年間は一緒に育ったが後は実家で育てられた
そして集団就職して交通事故で40才で死んだのである
その責任が我が家にすべてあるとはならない、結婚した妻が不倫したとか何か兄自体にも問題がありそうなった、別にその時、集団就職した人も多いし全部が不幸にもなっていないからである

ともかく家にはいろいろな事情があり複雑になっている、だから他者の家がわかりにくいのである、自分の家にしてもわかりにくいのである
ただ確かなことはどうしてもその家が栄えるのは一代では無理である
何か栄えるという時、その前に積み重ねがあってそれを受け継ぎ栄えるとなる
ただ受け継ぐといっても受け継ぐ人が息子でも駄目な人だと栄ないのである
その人の親は両親とも正直なまれにみるいい人だったのである
でも息子がそんな親から生まれてとにかく駄目な男だったのである
そしてその孫の息子は自殺して死んだのである
今はその息子も死んで家は更地になる

いい両親から生まれてもその家が栄えるともならない、だから家を公式のように見れないのである、そもそもよほど深い関係でないと他者の家のことがわからないのである
ただ歴史が家から始まり家の物語(ストリーヒストリー)だったことは世界的に共通しているのである
相馬藩だと相馬氏という一族の歴史であり今も野馬追い祭りがあり相馬氏の殿様が出るから歴史が続いているのである

そして家の歴史というときまた田舎だと地方だと家と土地が密接に結びついている
なぜなら農業中心の社会では土地から実りを得るからそうなる
家と土地は切り離されずあった、ただ農業から工業社会に変化したとき家の重みも減少したとはなる
都会だと家とか土地とかでも何か一定の場所に根付くというのではなく一時的に住んでまた移り住むという感覚になっている、土地に定住するという感覚が希薄だからである

いづれしろ郷土史というとき特に個々の家の歴史が基本になる、でもこの家の歴史が事情がそれぞれ複雑でありわかりにくいのである
自分の家の歴史でも親戚の歴史でも複雑すぎるのである
それを語ると切りなくなる、母親の実家はやはり後妻が入ってきて複雑化したのである
そしてばらばらになった、一家の墓も二つに分かれたりした
そして不和分裂の家でありそれが影響して親戚関係は全部切れたとなる
どうししてそうなったのか?やはり後妻が入ってきて家が乱れたからだろう
それも仕方がないという事情もありそれが全部の原因なのか?それも良くわからないが
母親の実家は何か不和分裂の家でありそれでみんな死んでも遺された者も分裂して終わったとなる
家が乱れるということはそれは国が乱れることにもなる、なぜなら国は家の歴史でもあったからだ、だから天皇家が乱れると国家まで乱れるとなるのである
それで真子様の結婚問題が国家の問題にまでなっているのである

死者達の霊をかく敬い
その価値のわれらのうちに増しゆけば
誰か幽鬼と化す者あらむ
われらが精進と験し看破し
それを便りにあらゆる領域で
われらが君の同族と認めてくれ給え!

(ある古風な墓碑銘に寄せる歌詞ーハンス、カロッサ)

人間は死んでもそれで終わりではない、そのつづきがある、死者は確かに肉体は消失するでも何かそこに残すものがある、歴史的人物とか作品は歴史の中で語られつづける
だから死んでから百年後でも語られることは依然として死者は歴史の中で生きているのである、「その価値のわれらのうちに増しゆけば」ともなる
死んでから返ってその人の価値が増してゆくことがある
生前は価値を認められない人もいるからだ、そして逆に死者が幽鬼と化すことがある
これはまさにこの辺で起きた原発事故が証明した
空家だらけのゴーストタウンや村になった、そこにはもう人は住まず死者は活かされず
幽鬼が棲むようになったからである

死者は二回死んだとなる、一回は死んでもまだ町や村があったから受け継ぐ者があったが二回目の死は受け継ぐものがなくなり幽鬼の棲む町や村と化したのである
歴史は個々の家の歴史でも回りがあって全体があって故郷があり国があって成立っていたからである、ある土地の家が裕福だというときそれは回りの力でそうなったともなるからだ、それが原発事故でだいなしにされたのである
でも原発ができてこの辺で豊かになり財を築いた人もいるのである
でもそれは本当の栄ではなかったのである、だからそうして富を得たものは呪われた者ともなったのである、つまり子孫の繁栄をもたらさなかったのである
だからその子は親のことをいいとしないし語らないし忘れるとなる
歴史の中で受け継がれず価値を増さないのである
故郷を捨てて移り住んだ人は一から別な土地で歴史を刻むことになったからである
ただ金になればいいということで本当の豊かさはありえなかったともなる
そこに大きな落とし穴があったとなる

2021年12月02日

abstract stones and rocks


abstract stones and  rocks


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pyramid stone

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united and comlexed stone

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2021年12月01日

温泉若おかみの殺人推理 (ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)


温泉若おかみの殺人推理

(ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)


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外国人でも日本に来ることの目的が日本の料理が目的だったのである

このドラマのテーマはホテルで出される料理のことである
ある時老女が一人で泊まりに来た、それで断ろうとしたが今時そういうことは時代に合わないとして受け入れさせたのがホテルのコンサルタントの女性だった
このドラマはいかに客をもてなし寂れたホテルを復活させるかがテーマである
その中心が料理なのである
ここで関サバというのが名物である、これは全国的にも知られている
ここだけでとれる特別のものである、潮流とかの関係で一本釣りでとるのである
その老女はこのホテルに結婚して夫と来たことがあった
でもその夫が死んだので一人で思い出のホテルに泊まりに来たのである
そして夫のために御膳をもう一つ用意してくれとなった、陰膳である
でも関サバは出せなかった、でも九州の旅の帰りにまた寄ってくれたら出すと料理人が約束する
そこで命がけでその関サバを出すために自ら仲間であった漁師ととりにゆく
前に関サバを無理に獲りに行って父親と兄貴が死んだ女性がいた
その女性はそのことでずっと恨んでいて殺人になったのである

このドラマで感じたことはもう涙ぐましいほど命をかけてまで魚をとりお客に出すことがドラマのテーマとなっていた、ホテルとは何度も言うけどホステル、病院から発している旅人を癒す場として病院の役割があってその言葉が生まれた
それだけヨ−ロッパでも旅することがトラベルであり苦痛だから難儀だからそうなった
言葉は何か生まれるにも歴史があって生まれて来る

もう今は旅はない、旅とは江戸時代のように歩き宿に泊まり旅をつづけることである
宿はそのためにありそこで休養をとりまた歩いて旅してゆくのである
今は目的地に直行して車でホテルや旅館に行きそこで食べることが楽しみとなる旅であるそれはあくまでも保養の旅であり旅とは言えないのである
つまり現代では旅人がいないのである、江戸時代辺りまでだとどうしても歩くことになるから自ずと旅人になっていたのである
現代か旅は喪失したのである
だから最近温泉街が廃墟化しているのに驚いた、会津の東山温泉でも飯坂温泉でもそうである、温泉街とは高度成長時代の会社の団体旅行などがあって成り立っていたのである
また団体で商売のためにそうしてホテルに泊まらせてうまいものを食べさせることで客に物を売っていたとなる
そういう商売も日本経済の衰退で成立たなくなったのである

そもそも本来の旅は喪失している、旅人ももういない、バイクで旅しているとしても早すぎるから通過して行くたげだともみる
現代では通過する旅が多い、何か目的地に早く到達してホテルでうまいものを食べるのが楽しみだとなる、別に車だから多少疲れていても歩いてきた旅人とは全く違っている
そこでもてなすとうまい料理を出すことだとなる
それが目的でホテルに泊まるということでありこれは外国人でも同じだったのである
外国人だと日本を旅したいと見たがそうではない、やはり日本で日本の料理を食べたいというのが一番大きかったのである、人間は一般的にそれだけ食べることに一番関心があることが共通していたのである

旅の思い出はホテルで食べた料理の味

これは旅とは言えない、まず旅はしていない、移動してホテルの自慢の料理を食べることだとなる
だからこそ関サバを命がけとって客を喜ばすことが第一だとなる
そこに地域の人々が漁師でもかかわって観光客をもてなすということである
ここではもう旅はないのである、旅人もいないのである

私の旅の経験では何か福島県の石川なのか鮫川なのか阿武隈高原を自転車で旅していて
万屋がありそこでご飯と味噌汁を御馳走になったことである
なぜそんなことをしてくれたのか不思議だった、今はそんなことありえないからである
そんな山の中で旅人をもてなしてくれた、それも金を出さないのにそうしてくれた
これが何か記憶に残っているのだ
他でも湯殿山ホテルに泊まったのは迷ってしまいホテルがあったので行った
普通は必ず自転車旅行者は断られる、でもそのお上は一室を用意してくれたのである
それもありえないことだった、ここに人間の情が本当のもてなしがまた活きていたことを経験したのである
でも実際はそれはもう例外的なものであり自転車旅行者など受け付けないのである
でも自転車旅行者は相当に疲れているのである、だから疲れをいやしたいのである
でも今のホテルはそういう人のために旅人のためにはないのである
つまり何か上品な老女でも来てまた見かけがいい重役のような人が来てうまい料理を出してもてなすことが目的化しているのである
そういう人を金持ちをホテルの従業員も迎えるということである

現代では旅する人は稀有である、猪苗代の湖南の福良では蔵の宿に泊まった
それは昔の白河街道の通り道だった、それも不思議だった
でもたまたまであり普通はそういうことない、でもそういう宿は記憶に残るのである
まず旅を思いだして果たしてあそこで旨いものを食べたなど記憶に残るだろうか?
それはドラマのことでありそんなにうまいものを食べたことが記憶に残るとも思えないのである
ただ一回だけ新潟の小出の魚野川の食堂でそこでとれたての鮎を焼いたものを食べた
それはうまかった、安いけどうまかった、それを特別感じたのはもう鮎がこの辺では食べれなくなったことが影響していたのである
子供の時は父親が近くの川で大きな鮎をとってきてそれを食べた記憶があったからだ
今は普通の川では鮎はとれたとしても小さいしうまくなくなったからである
確かに何かうまいものを食べたものを記憶することはある
でも何かそれが旅の記憶となるのかとなると疑問である
何か旅を記憶することはむずかしい、記憶する旅をすることはむずかしい

ただ宇多川をさかのぼり霊山の方へ行った時旅した感じになった
それは一応長い行程を行ったからである、ともかく旅に明け暮れた人生だった
だから旅とか旅館とかホテルに興味がある、でも現代では旅は喪失した
温泉街が廃墟化したというときやはり観光の仕方が悪かった、時代の変化がありそれに適応でなかったからかもしれない、今は何か旅を演出しないとできない
それは時間もかかり金もかえってかかるとなる
昔の街道を歩くようにして昔のままに茶屋をもうけて休ませるとかする、すると旅した気分にはなる
巨大なテーマパークのようなホテルがあるがそれはもう旅とはなんの関係もない
ただ巨大娯楽場であり旅と関係ないのである
交通でも便利になんでもやはりそこで失うものがある、特に便利さを求めて何か人間の豊かさを失うことがある
みんな金でなんでもできると思うができない、かえって金がなくても時間があり体力があるだけでも旅はできる、莫大な金をかけてもすべて価値あるものを作りだせなてい、
そもそも江戸時代の旅は一か月とかあり歩くのだから体力がないとできないからである

ただうまいものを食べるだけに旅はしていないのである
旅する時間をかけがえいのないものとしてするということがなくなったのである
なぜ西行であれ芭蕉であれ山頭火であれ旅人でありえたのか、旅をできたのか?
それは命がけでもあり旅をそれだけ人生で意味あるものとしたからそうなったのである
それは遊行でも命がけでありそに人生の価値を見出していたからである
今やそこまで思って旅する人はいない、気楽に旅してホテルでうまいものを食べることになった、ただそうしても金をかけても本当の旅をしたことにならない
つまり人間は何でも金だけでは得られないのである、そこが誤解している
旅は別に時間があり体力があれば金がなくてもできる
私は時間もあり一応体力がなくても中年から自転車旅行ができたからである
私の旅の目的は旅することでありうまいものを食べることではない、だから金もないから食べ物に贅沢できない、旅できればいいと思っていたからである

旅の道茶屋に休むや秋の暮

旅人の逢いて分るや秋の暮

松一本標しとあれや秋の暮

遠くへと旅人去りぬ秋の暮

こんなふうに歩く旅とは人間的になる、それで旅は道連れ世は情けなとなった
しかし道連れもいないし情けもなくなったのが現代なのである
何か情を交わすとういことがないのが現代なのである
駅でも無人化して迎えるのはロボットにもなる、そこに人間はいないなくなるのである
いろいろ進歩したとしても何かその中でも必ず失われるものがある
それが失ってみて貴重なものだったとなるのである
人間でも家族でも死んでみてその貴重さを認識する、ただ今や旅を回想して死んだ人を追憶しているだけとなったのである

つぐつぐ人生も旅である、人は出合い分れる、それは本当に貴重な時だったのである
一期一会の貴重な時だったのである、なぜならもう二度と合わない、みんな死んでゆくからである、実際に今やこの年になると家族も全部死んだし知っている人も死んでゆく

歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門さん死去 77歳

この人は良く時代劇で見ていた、この人も死んだのかと驚く、テレビの画面でしか知らないけど77、78歳で死ぬ人が多いとみた、人間はとにかくこうして人間が出合ったとしても忘れてゆく、この年になると次々に同年代が死んでゆくからである
そしてつくづく人間がこの世で出合うとは何なのだろうとなる
出合った人でも死んでゆくからである、それもつかの間の出合いだったとなる
そして永遠に出合わないとなるのが人間なのである
人間とは本当にこの世で出合うのは束の間なのだなと思う
それでけさよならだけが人生だというのは名言になったのである、最後はみんなそうなるのである


歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 
(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)

posted by 老鶯 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録

歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 (福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)


歩く旅の喪失と保養としての宿の変化

(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)

旅も交通の変化で変わる、しかし旅が行程にあり道草にあり宿にあった
とにかく歩く⇒自転車⇒バイク⇒電車⇒車⇒飛行機と変わる時見える風景も違うのである旅という時江戸時代まで歩くことだったのである
宿というときあくまでも歩く旅の行程で休む場所であり旅の行程の中に必然的にあった
宿がなかったらとても歩く旅はつづけられない
だからホテルとはホスピタルから病院の語源になっている
つまりトラベルというとき苦労を意味している、旅とは難儀なことだったからそうなったまず歩く旅だったら苦しいからそうなる、それで宿に着いたら足を洗うというのはそれだけ汚れているし疲れているからである

江戸時代に街灯などなく、江戸のような街中でもかなり暗く、町はずれにもなれば足元も見えないほど真っ暗。
というわけで旅人は「7ツ立ち」といって夜明けの少し前に旅立ち、夕方前に宿場に入って宿を探した。

何か江戸時代でも誤解するのは現代からイメージするからそうなる
街灯がないとか暗いというのもそうである、その感覚がわからない
もう夜になった怖い世界である、歩くこともできない、すると早めに歩き出して宿に着くことを心掛けなければならない、そういう当たり前のことがわからなくなったのである
一日40キロ歩いたというのも信じられないともなる
城下町の相馬市から原町までくらいなら30キロにもならない、でも原町は宿場町であった、浪江とか双葉の方でも宿があった、参勤交代とかあり必要だった
ただそれが地域の農民の負担になっていた、無償の労働でもあったからだ

現代では交通が発達して歩く旅がない、だから歩く旅がどういうものかわからなくなったそれは電車から車社会になったとき何か電車というのがノスタルジックなものとして実用があっても見るようになった、何かなつかしいとなる
そして駅が人の出合いと別れの場所であり人生の織りなす一つの活きた場所だった
人間臭い場所だったのである、今やそういうのも薄れ駅は無人化してゆく
田舎駅だとぽつんと一人くらいしか待っていない
そこで駅員がいなくなり自動化したときたまたまボランティアで駅のまねをしたことが貴重だった、人間はともかく何でも経験することが貴重だった、なぜなら人間は経験することがわずかだからである、いろいろなことを経験できないからである

それで福島中央道ができたとき今までの道を車も全く通らない、人も通らない、これは何なのだろう不思議だった
つまり福島中央道ができたとき旧道化したのである、その道沿いの店はすたれた
何か廃屋が目立った、でもサイクリングするにはいいしサイクリングロードになったのかとも見た、そこはもともと家は少ない所であった、でも車はそれなりに通っていた
今の福島中央道を見るとひっきりなしに車が通っているからだ
交通量が増えたのかもしれない、最速三〇分というのは早い、前はバスが通っていたが
大分前にバスは廃止された、でも玉野村では一日数回くらい子供のせたバスが走っているそしてバス停がありそれが過去の遺物のように残っている

相馬市から霊山を通り霊山町の小国の方に行った、その道が旧道化して不思議だった
この辺では前の街道の旧道でも結構車が通っている、でもあそこは車が通らない
ただ原発事故で牛を飼って牛乳を作っていた農家が放射能汚染でやっていけないと自殺した場所でもあった、今はソーラーパネルが問題であり反対している
実際に玉野村へ行く宇多川を上って丸森の方に行く川の上の山はまるごとソーラーパネルになっているのに驚いた、あれだと木がないか保水力がないから川の水が増すことになるただ人家がないから目立たないから気付かない人もいる
森の木材が利用されないからあのようになった、江戸時代は木材の利用で相馬藩と米沢藩と伊達藩でその木材資源をめぐって熾烈な争いがあった
それだけ木材資源が豊富な場所だったのである

いづれにしろ相馬市から宇多川をさかのぼり玉野村に出て霊山の方に行き霊山町に出る
道は旅するにはサイクリングするにはいい道だったと思う
八木平とか犬飼というバス停が霊山町の方にあった、これは安曇族の系統のものであり
霊山町の方まで移住して住んだのである、途中隠されるように山津見神社があったからだもちろん本元は飯館村の佐須村の山津見神社だから近いのだから霊山町の方まで移って行ったということはイメージできる、でもその海洋民の安曇族のことを誰も調べていないし語られていないのである、それも何か奇妙なのである
まず原町区には特に綿津見神社がやたら多いからである、でもその謂れもは語られていないのである、これも郷土史を調べていて奇妙でありおかしいことだと見たのである
八木沢とうげというのも八木氏の姓に由来している、この一族も安曇族の同族であり系統だったのである、だから意外だったのである

現代では旅はなくなり保養観光になった、常に宿で保養するとなると食べることに関心がありあとは温泉につかり日ごろの疲れをいやすということでもともとトラベルという苦労する旅はなくなった、第一数日では歩く旅は不可能である、一日歩いても疲れるからである、それを歩きつづけるとなると本当に苦行になるからだ
ただ江戸時代とかの宿場町は観光ではなく物を運ぶ中継点としての役割があった

最も重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を、次の宿場まで運ぶという業務がありました。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっています。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index2/a0201.htm

要するに宿場とは当時の生活で欠かせないものだったのである、それは物見遊山で旅するのとは違っていたのである、もともと電車でも北海道などでは他でも石炭を運ぶものとして作られていたからである、常磐炭田などでもそうである、常磐線は東京に石炭を運ぶものとして作られていた、今になると東電が原発を作り送電線で東京に電気を送るというふうに変わったのである、やはり東京が百万都市であり消費の場になるから地方から資材を運んでいたからである

最近温泉街が飯坂でも会津東山温泉でも廃墟化した映像をyoutubeで見て驚いた
有名な温泉街が廃墟化している、それもビルのホテルが建ち高度成長時代に会社の団体旅行でにぎわった一時代が終わったことを象徴していた
何か高度成長時代の名残として団地も廃墟化している、そして日本で全国でこれから空家が二千万軒になるというのもいかに空家が増えて日本が衰退してゆくことがそれで象徴されているのだ
仙台市の人口は増えているがそれでも宮城県で六五歳の人口が三分の一とか多いし意外と丸森は12パーセントくらい人口が減っている、山の中にやはり空家が目立った
丸森は鉄道でも仙台市に行くのが乗り換えがあったり不便なのである
ただ自然には恵まれているから好きである、でも過疎化しているのである
また南相馬市で人口が増えたとしてもそれは浪江町とか双葉町とかからの原発事故関係の移住者が多いからである、地域全体を見れば人口は減り衰退しているのである
飯館村などは廃墟の村と化しているしそういうことでも相馬藩とされた地域全体では相当に衰退してしまったのである
これまで財政的に援助があったが十年過ぎてその援助もなくなった、すると財政的に相当に厳しくなる、福祉関係の予算でも相当にけずられるのである

相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)
http://musubu.sblo.jp/article/189154950.html

なぜ南相馬市と相馬市に綿津見神社と山津見神社が多いのか?(1ー前編)
( 八木沢峠ー八木平ー犬養(犬飼)(いぬかい)は姓名であり安曇氏と同族だった)
http://musubu.sblo.jp/?1575552281


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2021年11月30日

宇多川の上流の岩と石の謎 (川はみんな違った表情を持っている)


宇多川の上流の岩と石の謎

(川はみんな違った表情を持っている)

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岩盤のくぼみや裂け目などに、岩石表面そのものが徐々に風化して得られたり、風雨によって運ばれた砂礫が堆積し、土壌を形成する。この土壌の形成の有無が一次遷移と二次遷移の最大の違いである。土壌のないところは保水力がないため、植物は生育できない。よって、この土壌の形成が最初の大きな変化である。

次に、コケ類や地衣類の胞子が風雨によって運ばれると考えられる。コケ類は岩のくぼみのようなところを中心にはえてくる。やがて、風や雨によって岩の表面は風化して砂礫が生じ、また、苔や地衣類の生育による有機物の蓄積により少しずつ土壌が成熟される。土壌には土壌動物や土壌微生物も当然出現する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB_
(%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6)

松の根は岩をくだいて生きて行く

こんな歌もあった

岩と石の相違が何か?動かせるものが石で地盤にくっついているもの動かせないものが岩だという、石は比較的小さいのである、でも動かせないような大きな石でも河原にある
とても動かせないようになっている
ただ石というものは確かに苔が生えた石があってもそこに木のようなものが根付かない
石は鉱物とにている、硬いからである

岩はというと何か雨に打たれて割れ目ができたり石のように割れ目ができたりしない
だから石には木は根付かないのである、また石から栄養分をとることはできない
それは鉱物と似ているからである
だから石に根付いている木はありえないとなる、たいがい岩に根付いている木である
その木は確かに地盤と結びついている、露出している岩だとなる
岩から土ができたという時、岩に土になり植物を育てる栄養分をもつからである
もともと地球は岩盤でありその岩盤が風化作用で土となっていったからである

すると宇多川のこの岩でも何か栄養分がありそれを吸収して木が根付き成長している
でもこの岩は岩盤と一体となっていない、孤立しているのである
だからこの岩からだけ栄養を吸収して成長したのかとなる
ただその表面にはなんらか栄養分があって吸収しているのかとなる
それにしても木の数が一つの岩に根づくには多いのである
すると相当に一つの岩でも栄養分があって木が根付いたのかとなる
石だったらこういうふうに木は根付かないのである
苔などが生えることはあるが木は根付かない、ともかく科学となると弱いから私には解説できない、ただ理系文系でも共通していることは常に疑問をもち何故かを解明することは共通しているのである

自然を見てなぜなんだろう?

学問とは学び(まねる)問うことなのである、この問うことがなぜかと問うことが学校には欠けているのである

いづれにしろこの二つの石は面白い、宇多川の上流は石が多い、荒れた川のようになっている、ここも石がごろごろしているのだ、さらに玉野村の方に行くと滝もある
だから宇多川はそれなりに小さいようで大きい川にも見える
ただこの辺で大きな川は真野川である、新田川になると川が深く流れている所がないのである、浅い瀬音のする川である、だから川としては大きくないのである
とにかく川にもいろいろあり表情が違うのである
川を知る場合は下流から上流まで知る必要がある、川の一部分をみてもわからないのである

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中に台になった所がありそこに花を置く、神秘の花をこの石で守るのである
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抽象化するとこの形になる
この形が安定化する、正三角形ではない、長方形の組み合わせになる
ビラミッドでもその形は正立方体とかではない
その形が不思議であり神秘的なのである



岩でも石でもいろいろな形のものがあり表情がある、この石はどうしてできたのか?
これも不思議である、この形はピラミッド石と名付けられる
本当に不思議な形の石である、この石の価値はもし売ったりしたら何億ともるなかもしれない、ただこれは勝手に売れるものではない、自然の一部だからである
ただ公共空間に飾ったら面白いと思う、庭園に飾ったら面白いとなる
何か身近な自然でも注目されていないことがある、これは最近注目したのである

2021年11月29日

グローバル経済はウィルスに弱かった (これは神意なのかもしれない・・オミクロン、変異株の恐怖)


グローバル経済はウィルスに弱かった

(これは神意なのかもしれない・・オミクロン、変異株の恐怖)

グロ−バル経済とはいいものだと世界で思っていた、だからこれだけグロ−バル化した
それも頂点に達したような時にコロナウィルスが蔓延してまた南アフリカからオミクロンという変異した株が現れた
それはすでにヨ−ロッパに拡散された、それはなぜかというとヨ−ロッパの植民地がアフリカでありそこで人との交流もある、また移民が来るという時もともとイギリスの植民地だった所は英語とかが話せる、またフランスの植民地でもフランス語が話せる
それでネパールのガイドが英語を話せることに驚いた

グルカ兵はイギリス軍に正式雇用されることになり、20世紀になればイギリス軍と共に世界各地の戦場を巡るようになります。
世界最新鋭の大英帝国軍式の武装を使いこなす、最高の狙撃手たちによる傭兵部隊の誕生です。
1911年にはイギリス軍における最高勲章である、ロイヤルビクトリアクロスを受賞できるようになります。
グルカ兵はビルマ、アフガニスタン、インド戦線、キプロス、ロシアとの紛争、中国との紛争、チベットの紛争を戦い抜いたのです。

第一次世界大戦では20万人以上のグルカ兵が従軍し、2万人の戦死者、そして2000を超える優秀狙撃手勲章を授与されます。
第二次世界大戦では25万人の従軍、32000人の死者、2734もの勲章受章者は輩出したのです。
なお、日本軍ともグルカ兵部隊は衝突しており、日本側がほぼ全滅する「史上最悪の作戦」として名高いインパール作戦でも戦っています。

インパール作戦においては、タル・バハダ・パンというグルカ兵が自分の部隊がほぼ全滅状態となりながらも孤軍奮闘して暴れまわったのです。

このグルカ兵はイギリスと一体となり傭兵として戦った、イギリスと一体というとき英語がしゃべれる人がいたとういことである
なぜこんなに強かったのか?それは山岳民族であり不便な所で粗末な食でも生活する環境にあったからだともなる、そしてネパールでは今でも出稼ぎ者が多い、今はネパールの女性が私の田舎でも働いていた
まともに食べられない所だから金が欲しいとなり出稼ぎ者になりその一つとして傭兵になったのである、兵隊になるという時、アメリカだと黒人とか移民が率先して兵隊になる
そこでのしあがるために危険でもなっているのと同じである
仕事がない金がないという時軍隊に入るというのが仕事になるからだ

東南アデアはイギリスの植民地化されていた、私の姉はマレー半島のシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で四年間従軍看護婦として働いていた
その病院もイギリスの所属のものだったのである

こうして南アフリカももともとイギリスの植民地であるから英語が話せる黒人がいてイギリスに入ってくる、植民地化した所から宗主国に入ってくる
それもカルマだったともなる、大英帝国がありそれがアフリカでもアジアでも植民地化したことで英語は普及したのである
そういうふうにグロ−バル化とはすでに明治時代以降その前に大航海時代から始まっていたのである、その結果としてウィルスも蔓延したのである
たたその時代は船で世界を移動していたときがあった、すると世界同時にウィルスが拡散されることはなかった
今や飛行機の時代になると世界が同時間に結ばれてウィルスは同時間に拡散されるのである、だからグロ−バル化はウィルスにつくづく弱かったのである

何かこれもカルマなのかと思う、モンゴルはヨ−ロッパまで攻めてネズミを通してペストをばらまいてモンゴル兵自体もペストに感染して撤退した
ウィルスはグロ−バル化して世界が民族が交わる時拡散されるのである
それと交通の発達によって加速されるのである
現代は過剰にグロ−バル化した、その弊害がそちこちに現れているのだ
その最たるものがコロナウィルスでありまた新種のオミクロン株だとなる
現代だとグロ−バル化と交通の発達で世界同時間に拡散されてしまうのである
ヨ−ロッパのドイツの例を書いたが回りが外国にいくつもの国に囲まれている
だからその国境線も長いから防ぎようがないのである

私が電車に乗ってヨ−ロッパを旅していたら

いつの間に国境を越えていた!

車掌が切符みせろというとき国境を越えていたのである
その時まだユーロ―の時代ではない、そのように知らないうちに国境を越えているような社会がヨ−ロッパなのである
それで他国からドイツに通勤している人がいる、そうしたらウィルスの拡散を防ぎようがない、それでドイツはあんなに増えている大きな原因だとなる
島国は日本でも水際作戦ができるがドイツとかではできないのである

岸田首相が世界中の人の入国を拒否した、閉鎖したのは評価する人が多い
それは江戸時代の鎖国にもどれとか外国人はこの際追い出せとか入れるなとか言う
鎖国となるとあまり評価されないが鎖国がすべて悪く作用したとはならない
なぜならその時朝鮮とも中国とも友好的だったからである
それがヨ−ロッパ人が白人がアジアに入って植民地化したとき世界戦争となり分断されてしまったからである

何かグロ−バル化というのはすべていいものとして作用しないことがわかったのである
グロ−バル化とは世界戦争になったことであり衝突が激化することでもある
むしろ鎖国の時は日本は戦争に負けて三百万人も死ぬというようなことがなくてすんだ
グロ−バル化は常に世界が交わりいいことのように思われて推進された
でもそこでも必ず対立が生まれて戦争にもなり多大な犠牲を強いられたのである
確かにグロ−バル化のいい面はあった、貿易とか否定するわけではない
でもそれが度を越したものとなり負の面が増大したのである

そういうことから老子の小国寡民の思想がこうしたグロ−バル化のアンチテーゼとしてすでに二千年前に生まれていたのである、そこに深い示唆があったのである
ただその時中国人の人口は一億人くらいだった、今や十四億にもるなとき二千年前とは比べようがない、一億というとき日本の今の人口である
中国大陸のような広い国でもそこに一億人ということは小国寡民だったのである
だから今の世界はもう人間でもなんでも限界なのである
もうこれ以上経済発展とか人口とか増やせないのである、地球環境が破壊され SDGs(接続可能な社会)になれないのである
グロ−バル化の弊害の方が大きくなってきたのである

そういう時にコロナウィルスが現れたのはもしかしたら神意でありまた易姓革命をうながしているのかもしれない、津波にしても原発が破壊されたのも神意かもしれない
なぜならこのまま原発を作り続けていたら日本自体が崩壊することもありえたからである現実に吉田所長は東北には人が住めなくなると言ったからである
日本に人が住めなくなるということもありえたのである

人間は科学技術で何でもわかったように見える、でも実際はわからないこと未知なことがまだまだある、ウィルスの専門学者が全く何もわかっていないことに驚いた
なぜコロナウィルスが急激に増えてまた減ったのかもその原因も全くわからない
そしたら素人並みだとなる、それは地震学者とも同じだったのである
また経済予測でも株でもわからない、それはグロ−バル化の結果余りにも巨大化してもう全体がどうなっているかなどわかる人がいないからである
それで突然株が暴落したりするのは天災と同じなのである

人間は認識できる範囲は実際は相当に狭い範囲しかできない、自然でも福島県ですらできない、浜通りとかはなんとかできる、相馬藩くらいの規模なら地理でも自然でも一体化できる、アイディンティティ化できる、でも福島県でも広いから会津とは山国であり浜通りとは全然違った風土とり地理にあるから理解できないとなる
いくら一回くらい世界旅行しても世界の地理など知りえようがないのである
人間は現実に実感として理解できるのは狭い範囲なのである、だからどうしてもアメリカとか中国とかは広すぎて理解できないのである本当にグランドキャニオンなどを見たらここが地球なのか別な惑星に来た感じになったからである

いくらグロ−バル化しても世界が情報化しても世界を理解できない
そこに必ず誤解が生まれそこで対立が生まれる、だからグロ−バル化したら世界の人々が理解しあう世界的平和の社会が生まれるということはないのである
むしろ対立が激化して戦争になるしなったのである
例えばこの辺では飯館村の大倉村と佐須村はその距離にしても数キロとかなる、6,7キロくらいしか離れていないかもしれない、それでも民情が違うとして合併しなかったのであるつまり隣村ですら合併することがむずかしいとなる、世界になったらいかに理解しあうことが至難なのかわかるのである、その理解しえないことから戦争が絶え間なく起きてきたのが人間社会だったのである

いづれにしろ国境にしろ関所にしろそういうものが邪魔だとして廃止しろとなっていたがグロ−バル化の邪魔だとなっていたがそれも人間社会にとって有効なものとしてコロナウィルス騒動で認識されたのである、どうしても何か必ず悪いものも入ってくる
そのために福は内、鬼は外になっていたのである、必ず鬼でも入ってくる、それが今回はコロナウィルスだったのである、ただこの鬼は他にもある、中国人であれ今度は日本を侵略するこめに入ってくる、支配するために入ってくる鬼に化するのである
グロ−バル化とはそういう怖い面があったことを認識した、だからコロナウィルスの不思議は神意なのかとも見たのである
神からグロ−バル化を制御する作用だったのかともみたのである

posted by 老鶯 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)


冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)

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空家の庭 前の大きな石がいい、大きいので重量感を感じる

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冬薔薇




冬薔薇老女籠もりて田舎に住む


冠雪の蔵王の見ゆや朝晴れて引き締まるかな三県思ふ

冬の朝汽笛の音の遠くよりひびきて霜のおおいけるかな

冬の薔薇数輪咲きて静かにも心ゆくまで我が見ゆるかな

石のみそ残りて空家の庭たずね垣根に椿冬の朝かな

山茶花の石により咲き冬なれや朝の静かに空家の庭見ゆ

駅に待つ一人のあわれ秋の薔薇咲き我が見ゆるかな


蔵王は南相馬市の鹿島区からまで見える、でも海岸の高い所から見えたが別に平地からでも今日ははっきりと見えた、何かこの蔵王は不思議である
蔵王が見えるのがわからない人もいるだろう、今日は冠雪の蔵王がはっきりと朝に見えたでも原町区になると見えないのである
蔵王の見える範囲は確かに山形県と宮城県と福島県から見える
でも福島県でも浜通りでも南相馬市でも鹿島区までであり宮城県でも一部からしか見えない、でも確かに三県から見えるのである
この辺でものたりないのは高い山がない、見えないことなのである
でも蔵王は確かに見えるである

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌はみちのく全体のことではない、二つに分けるとしたら宮城県と福島県である
でも二つに分けるというものでもない、そんなに大きな山ではない
ただ福島県の一部から宮城県の一部からも見えることである
第一福島県でも吾妻山連峰は見えないからである
だからここから蔵王が見えることは貴重なのである

何か隣の庭も空家でありその庭に入って石の庭を見るのも奇妙である
何かいい庭も人が住んでいないから活きていない、だからもったいないと思う
何か地域の集会所のようにしたらいいかもしれない、とにかく空家が多すぎるのである
ただ所有者がいるから勝手にはできないのも困る

ただその空家でも近くの人が出入りすると活きてくるともなる
ただそれも不法侵入ともなり奇妙なのである、ただ人が住まないとこうして誰かが勝手に入ってくるし利用する人だってでてくる
飯館村などでも空家だらけであり放置しているとそれが誰のものもかわからなくなる
空地でも空家でもそこに放っておくと勝手に利用されても仕方ないとまでなる
なぜならそこが所有者が活かしていないからである
そうなると所有者に権利があるのかとまでなる
ただ将来利用するためにあるのか?そういう空家もあり時々来ては見ている人もいる
でも空家は本当に増えるからその利用をどうするかは所有者だけの問題ではない
実際はみんなの問題にもなるのである

駅に女性が一人電車を待っている、前は話しかけたりしたが今はしない
何か煩いのである、監視カメラで見ていないようで駅の人が見ているからだ
ただこの待つということで駅が人間的空間をかもしだしているのである
高速道路のSAでは何か待つということがない、待つ時間がないのである
だから待つということは人間的な時間を作りだこしていたのである








2021年11月27日

親ガチャでも責任は親はとらない (自分の人生は自分でとらされる−人生を後悔しないために)


親ガチャでも責任は親はとらない

(自分の人生は自分でとらされる−人生を後悔しないために)

親ガチャというとき親によって人生でも決められる、それから逃れることができない
親によって人生の行路が決められる、いい親に生れたらそれだけで人生は楽勝だともなる確かにそういうことは多い、親によって大きな差が生まれる
でもそういうことを言っても人生の責任は自分でとらされる
親に不満であっても親を何やかにやといっても親は子供の人生に責任をとらない
個々の人生の責任は何であれどんな親にもかかわらず自分自身とらされるのである
親の言う通りにして失敗だった、自分の道は他にあったとなっても最後はどうにもならない、ただ後悔だけになる、そういう人も多いだろう

また会社でもこういう会社に勤めているべきでなかったとしてもそうである
それは会社の責任でもないし会社は一切責任などとらないのである
人生の責任は最後は自分でとらされるのである
「あなたの責任でそうなったのです」となる、親どうのこうの会社がどうのうこうの組織団体がどうのこうのと言ってもそうなのである
その人たちは組織でも団体でも個々の人生など考慮していないからである
ただその人の人生など見ていない、人材を見ているのであり材とは全体ではなく何か役立つものとして材になるものとして採用しているだけである
その人の人生がどうのこうのなど関係ないのである

組織団体というとき国家さえそうなのである、国家は個々人の人生に責任をとらない
戦争でわかるように人生を国家のために捧げても地獄の様な苦しみを受けて死んでも国家は責任はとらない、ただ英霊として祀ることはしたがそのことで死んだ人が報えられたかとなるとそれもわからない、20代とか30代で死んだらどんな人でも無念が残るからである、結局国家のために犠牲にされたともなる、別な見方があるにしろとてもその人なり人生があったとしても国家のために犠牲にされたとなる
でもその責任を国家はとらないのである

組織団体というときカルト教団などでもそうである、そういう組織団体に所属して生まれた人がいたとして親がその幹部とかなっているとその人の人生は組織団体を生きるのであり個々人の人生は生きない、そういう人を創価とかで知っている
親が幹部だしそれで議員とかなっていて大学まで出たとかなるからもう経済的にも利益でもあらゆることが一体化しているからその組織団体と身も心も一体化して人生の行路がすでに決められていてそれ意外の道が見えなくなっていたのである
疑問をもつことすらない、宗教を求めることでもない、宗教団体でも宗教を求めないのである、ただ組織団体の権益利益と権力追求しかないのである
ただ親でも家族でももうそこに身も心も捧げているからその外のことは何も見えないのである

そこで宗教に対しての求道心など何もないのである
これも親によって人生の進路が決められていた、でもその人生の責任を親はとらないのである、親は子供を産む、育てる、でも人生の責任は負わないのである
それは別に金持ちの親でも同じなのである
医者の家に生まれたら医者になれとなる、家業を継げとなるが自分は医者に向かない、別な人生を生きたいとしてもできない、でも自分は医者には向いていない別な人生を生きるべきだったとしても後悔しても誰も責任をとらない、自分がとらされるだけなのである

結局人間はなんらか常に責任を負わされている、でも責任はとらないのである
原発事故でも「安全神話」を作った政治家でも官僚でも東電でも何ら責任をとらない
官僚に天下りした検事でも海上自衛隊でも警察官僚でも責任はとらない
ただ法外な金だけをもらっていて返すこともないのである

でも必ず誰かが責任はとらされる

この辺では故郷に住めなくなったということで大きな責任をとらされたのである
戦争では三百万人の国民が死んだのである
戦争責任は誰にあったのか?これもはっきりしないがやはり戦争を決行した人達上層部の人達がいたがその人達の責任ははっきりしないのである
終には天皇に責任があるとして問われたこともあったのである
天皇が戦争を決行することを命令したとされてそうなった

ともかく20代で方向が決まってしまう、20代でいろいろ悩む、でも親がどうのこうのと言っても親が責任をとらない、だから親が悪いとしてもいくらそうだったとしても責任をとるのは自分自身なのである
確かに親は一応飯を食わせていろいろめんどうはみる、でも子どもの人生の責任を全部とることなどないのである、だから親の言いなりにされて自分はそうすべきではなかったとしても親は子供の人生の責任をとらない、とるのは自分自身なのである
だから親ガチャであり自分の一回限りの人生を無駄にしても親は責任をとらない
とらされるのは自分自身なのである、俺は親の言う通りにして失敗だったとしても親は責任をとらない、とらされるのは子供自身なのである

ともかく親ですら確かに一応いろいろ世話はするが子供の人生は親とは別であり子供子供の人生を生きる、親がどういおうと自分の人生は自分自身が決めるとしないと後で後悔する、つまり誰も個々人の人生の責任などとらないからである
とらされるのは自分自身だけである、こうして自分は生きて良かったとなればいいがただ誰かのために親のためにとか組織団体とか会社のためとかに生きて自分自身の無駄にしたとなると後悔する、ただそういう人は多いだろう
だから自分自身の人生を生きることは容易ではないとなる
親に反対されたとかいろいろあってむずかしくなる
生活が第一だとなったりするから親の影響が大きいからそうなる

ただ本当に怖いのは20代で30まで人生の行路が決まってしまうことである
20代で引きこもりになると一生引きこもりになるのも怖いのである
北朝鮮に全日空の飛行機をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍のメンバーは日本に帰ってこれなくなった、そして子供が成人にまでなっていたのである
北朝鮮はその時楽園だとか宣伝されていたのである
そこは実際は地獄だったのである、でも北朝鮮で子供が成人するまで生活して日本には帰れなくなったのである、つまり20代で人生の方向が決まるということが怖いと思った
すでに親によって決められる人生も怖い、そうしてその責任は誰もとらない、親もとらない、自分自身がとらされるだけなのである

そういう自分は特別に親に恵まれて好きなことをしていた、会社に勤めるのもあっていないし引きこもりで自由に好きなことをしていたのである、だから今でも死んでも親に感謝しているのである
このマイナス面も大きかったが好きなことを追求で来たから自分にとって自分の人生を生きたとなるのである
親との確執が何か必ずあっていいのである、それが全くないということ自体問題なのである、それは全く親の言いなりであり親は子供の人生全体まで責任など持たないのである
医者が子供に医者になってもらいたいというのは継いでもらいたいというのは親のエゴであり子供のためではない、子供には子供の人生があるからである
だから親の言いなりになって自分の人生を失うことは後悔するとなる
人間の問題は二回人生を生きられない、一回失敗したからまたやり直すことができないのである、だから30までに人生の方向が決まりほぼ確定してしまうことが怖いのである
それもあっというまに過ぎてしまったとなるからである


2021年11月26日

ヨ−ロッパで感染が増大しているのはなぜか? (国境が長く人が入るのが止められないから・・地理と風土と生態系が関係している)


ヨ−ロッパで感染が増大しているのはなぜか?

(国境が長く人が入るのが止められないから・・地理と風土と生態系が関係している)

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新型コロナワクチン接種が進むドイツで1日5万人の感染発生 
5つの原因と日本人が知っておくこと
https://www.youtube.com/watch?v=89bWaba8VDY

近隣国で感染者増えるとその人達が国境を越えて入ってくるから増える
また近隣国でワクチンをしない人が多いから増えるともなる
つまり一国だけでは国境線はいくつも接していて長いから入国することを防げないのである、そこに大陸の国の問題がある、管理しきれないとういことである




なぜヨ−ロッパとかでコロナウィルスの感染者が増加して死者も増えているのか?
この理由は何なのか?それは一つではない、複合的理由がある
ただその一つとして大陸のヨ−ロッパの国境線が長いことである
それを指摘している医者のyoutubeは納得がいく
なぜなら国境線が長いから必ずどこからか別な国から入りやすいからである
それを止めることができない、日本のように台湾でもニュージランドでも水際作戦で入国者をとめるようにできない、そこで日本がこんなに感染者をおさえられたのかとなる

疫病は必ず人から人へうつる、するとどうしても人が密集して移動する都市部は感染者がふえる、それはまた交通と関係していた
日本だと長崎から入り北前船で新潟に入り阿賀野川が交通となって今の会津の城のある
会津若松に感染が広がったからである
そして桧枝岐は交通で隔離されて秘境となり感染者はなかったのである

大陸だと国境線があってもないと同じである、それで異民族の遊牧民のモンゴルとか侵入しないように万里長城を作った、都市は城壁で囲んでいた、国という時そうした城壁で囲んだ中が国であった、そこから出ると安全は保障できなかったのである
大陸では国境線があったとしても破られる、異民族が侵入してくる
それが戦争ともなり時代が変わる、様々な民族が常に移動して興亡を繰り返しているのはそのためである、つまり国境線がないに等しいし移動することが戦争にもなる
今でも大量の移民がおしよせるとそういう状態になる、もう侵入を防ぐために殺すほかないとなる、いくら人道が人権を重んじろとういっても移民によって国家が成り立たなくなり破壊されてしまう

ただなぜヨ−ロッパであんなにまだコロナウィルスが増えて死者も増えているのか?
その理由も明確にはわからない、国境はやはりどうしても越えられる、そこで人から人へうつるのだからとめられないとなっているのか?
だからEUでは国境をなくして自由に出入りするようにしたがそれが裏目に出た
人間にとって関所とか国境とかは必要だったともなる
それは疫病に対しては有効だった、江戸時代が関所だらけだったというときそれがすべて悪いものではなく疫病に対しては有効だったとなる
だから一見モノでも人でも事由に行き来するのがいいというグロ−バル化も裏目になった最近ではグロ−バル化の負の面が大きくなっていたのである
要するに人間社会では必ず何事いい面と悪い面プラスとマイナスが生れる
全部いい方向に働かないのである

人間が住むということもそれぞれの地理とか風土にあったものとして長い時間をかけて作っている、第一ウィルスはもともとそうして人間が交流しなければある一地域に閉じ込められていて広がらなかった
なぜならモンゴル帝国がネズミを媒介としてペストをヨ−ロッパに広めたとかありモンゴル自体疫病が流行してもうヨ−ロッパから撤退したとされる
それぞれの風土とか生態系が必ず影響している
その生態系を無視すると災いが生まれる、原発もそうだった、アメリカでは西海岸には地震が多いから作らなかった、そして東側に作ったのだがそこで竜巻があり地下に電源を置いた、でもそれを日本でまねて地下に電源を置いて津波で電源喪失になり大惨事になったつまり生態系とか風土を考慮しないからそうなったのである
なんらか技術も生態系と融合しないと危険だとなっていたのである
つまり数学の公式のようなものが世界に通用するとはならない、生態系風土が違っているからそうなる

国境線というのは何か人為的な人工的なものもあるが地理的な境界線にもなっている
福島県でも阿武隈山脈高原で中通りとさえぎられている、その壁は太古から変わらないのである、そのために中通りと福島市とかと一体感をもちにくいのである
むしろ仙台市の方が一体感を地理的にはもつのである
だから選挙区でも福島市と一体になっていても一体感を感じないのである

ともかくコロナウィルスは疫病として医学の問題でもあったがいろいろな問題を提起した地理とかも深く関係していた、この世に起きることは総合的なものとして起きる
原発事故だって放射線だけではないありとあらゆることが問題になったのである
そのことを私は追求してきたのである、理系が主なのものではなく文系でも深く関係していたのである、文系の力も必要だったのである
コロナウィルスでもそうだった、第一専門家が何か感染者がなぜ増えたのかとかなぜ急激に減ったのかとか皆目わからなかったというのもそうである
こんなに専門家がわからないのかと現代の科学がそんなものだったのかとも見た
だから専門家でも頼りないらないものだとつくづく思った
地震の予知でもそうである、それはただ素人とたいして変わらないものだったのである
何でもわかっているように見えてもわからないことが未だに多いというこ

地理とか風土とかに私が関心があり原発事故でもコロナウィルスでも深く関係していた
この世に起きることは総合的なものであり理系だけでは解決しないということである
まず地理とか地形とか風土とか天候が境界線になる
それは自然の定めたものであり変えることはできない、大陸だと川が境界線になった
ライン河がそうである、そこを渡ることが簡単ではないから境界線になって別の国として発展したのである、自然条件によって境界線ができるのは地理と風土が影響するからである

何か古代史でも地理とか風土が境界線になる、それでこの辺を歌った万葉集の真野の草原(かやはら)の歌がどうも風土的天候的境界線だったからだと思うようになった
なぜなら車輪梅の自生地となっている南限の地としてあったて天気でも地形でもそういう地理と風土がありここが大和王権から見ると南限の地でありその奥は未開の地とされたということもあるからだ、それはローマ帝国にとってライン河が境界線となりそこを越えることができなかった、ゲルマン人の住んでいる地域でありそこに強固な国がすでに作られていたからである

とにかく世界には何か国ができるとき地理とか風土とか深く関係している
それを無視することはできない、でもグロ−バル化ではそうした生態系とか風土とかを無視する傾向がある、経済的なものを利益を優先して無視する、そこに問題が起きる
だから日本でも中国人がはじめて日本に来たとき注目したのが魏志倭人伝で牛馬羊がいないということだったのである、まさにここに日本の風土と地理の特徴があったとなる
日本は海産物を食料とする特殊な地理と風土にあったからである
走して海に囲まれて縄文時代から一万とか暮らしてきた民族でありアイディンティティを形成して来た国なのである

だからそういうふうに長い年月で地理と風土から形成されたものがありそれが文化でありそれを無視して人間はありえないのである
だからこそグロ−バル化すること経済的に世界を均一に見ること均一にすることは問題なのである、文化は多様性だからである、ウィルスにしても風土と地理と関係していて
生態系と関係していてある一地域に限定されて発生する
それが交通が発達したりすると伝染してゆくとなる
グロ−バル化すると余計にそうなる、そうしてアメリカ大陸でも南アメリカでインカでもマヤでも伝染病で多数しんだとかある、インディアンでもそうである
それで地理とか風土とか生態系と境界線とかを無視することは危険なのである
それが閉鎖的だともなるがその利点もあった
グロ−バル化の負の面が増大してコロナウィルスで歯止がかかったということはやはりそこに自然の作用がありそうしたとなるのである




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2021年11月25日

家を継ぐことの意味 (家が継がれずに失われるものー代を重ねて豊かになる)


家を継ぐことの意味

(家が継がれずに失われるものー代を重ねて豊かになる)

継いでほしいと思う具体物(不動産、家業)については、以前より廃れていっているかもしれないが、抽象物つまり家名や想いというものは、決して廃れてはいない。むしろ、以前よりも比重が置かれ、重要になってきていると考えられる。不動産や家業といった具体物が継ぎにくくなる中で、唯一先祖からの「つながり」を感じられるものだからではないだろうか。また、何も継いでもらえなかった人びとも、最期を迎える場所を故郷に選ぶということで、子に「気持ち」を託し、「継いでもらった」実感を得ようとしているのではないかとも考えられる。

人びとが「継ぐべき」と考える対象が変化しても、子に「継いでほしい」という気持ち
「見えないもの」は「ないもの」ではない。「家」の継承が法律で規定されなくなっても自分の育ってきたイエに対する「気持ち」は、なくなるわけではないのである。「イエ」を継ぐということは即ち、イエを代々継いできた人々の連なりを後世にも伝えていこうとすることであり、その想いを投影する手段として家屋や土地、家業を継続させようとしているのではないだろうか
file:///C:/Users/yuichi/Downloads/091224010.pdf

家族が全部死んで死者のことを思うようになり毎日家に向かって見ている
でも死後十年とかなると抽象的なものになる
あれほど親しく毎日食事てもしていたのにそれも何か遠いものになってしまうことに驚く自分の場合特殊な家族環境でそうなった
60歳までも親二人と一緒に生活していたからである
そして親には自由に生かされたので感謝している、30年引きこもりでも何も言われなかった、自由に生きなさいとなっていただけであったからだ
引きこもりだと親に殺されることも事件としてあったからだ

家に対して強い思いを持っているのは長男であり長女になる、特に長男は家の跡継ぎとして特別待遇されていた、それは農業だと土地を受け継ぐことや生業を受け継ぐことでそうなっていた、誰かがその土地を受け継ぎ生業を受け継ぐ生活をしていたからである
江戸時代なら侍は家を継がないと生活できなかった
跡継ぎがいないと禄をもらえなかったからである
すると長男が大事になる、ただ家を継ぐことは生活を維持することだから養子をもらって受け継ぐことでも良かったのである
だから侍でも養子になっている人が結構いるのである、かえって養子が優秀な人がいて
商家でもそう優秀な人と娘がいたら結婚させたり養子をもらっていたのである

ただ天皇家となると養子はもらえない万世一系となり今でもそれにこだわっている
でもそんなに血縁としてつづくとは思えないのである
だから明治天皇は血縁と関係なく作られたものだというのも信じられるのである
別に天皇の血が継続されることではせない、天皇というのは日本を家としたとき必要だからつづいているのである、養子でもいいともなる
これには反対する人がいるけど侍でも養子をもらって家を継続していたのだからかまわないとも考える
ユダヤ人でなければ信仰を受け継げないというのはキリストが生まれてから万民のものとなった、天皇というのは何かというとき二千年とか皇統がつづいたことであり血縁がつづいたということではないと思う

そもそも歴史とは何かというとき家の歴史なのである
聖書でも家の歴史でありその家を通じて神のことがエホバのことが伝えられたのである
代々の家の歴史なのである、祖先から受け継がれた歴史なのである
だから人間が歴史を意識するのは家なのである
それが古い家だと歴史を意識しやすいとなる、ヨ−ロッパを支配したのがハウスブルク家というときもそうである、ハウス(家)と城だからである
城という時具体的なものでありそこで家を受け継ぐ城を受け継ぐといことで歴史を意識するのである
私の家でも再三言っているが父親と姉と母が作った家が残っているからその具体的なものから歴史を意識する
父親は酒屋の丁稚であり双葉の新山で酒屋に勤めて暖簾分けしてここに住んだ
その土地はいい土地ではなかった、それで二回も洪水にあり被害が大きかったのである
この街で一番低い土地だったのである、でも苦労してやっとこの土地を手に入れたとなるつまりそういう苦労の上に家が建てられ自分が住んでいるということなのである
今でも低い土地だから道路から水があふれて家の中に二回も入ってきたのである

歴史を実感する時、まず家のことなのである、だから古い家は何代も続いている家は歴史を意識しやすいのである、天皇家に生まれたらその家そのものが日本の歴史になっているからだ
家が代々続くことはやはり何かその家に家運がありとか継がれるべきものがあり残っているともなる
母親の実家がなぜあのように墓があってももう墓参りしている人は一人しかいない
その人も異常な人であり常識すらもない人間なのかと思う人になっていた
ただその家を継ぐ人が3百万もらって墓参りしているだけなのである
母親の実家のことをいろいろ書いたがそれは後妻が入ってきて乱れてしまった
母は継母が来ていじめられたとか家自体が乱れ一人は別に墓を作った
何か墓自体が分離するように生前から争い分離していた不和分裂の家でありそれが子孫にも受け継がれていたのである

だからその子孫でもばらばらになったともなる
だから家もなくなったし墓だけが残ったがそれも一人だけでありその一人もここに住んでいない、だからいづれは墓は捨てられる、無縁化することは見えている
そもそも受け継いだ人が普通の人ではないからである
それもやはり母親の実家は様々に乱れた結果だと思う
私の家は一見確かに普通ではないし乱れているように見えてもそうではなかった
女性二人でも父が死んだあと二人は協力して家を守って来たからである
確かに常に争っていたにしろ家を守るということで争いながらも協力していたのである
母親の実家は家は守れずばらばらになってしまったのである

とにかく一軒一軒の家に歴史がある、でも現代は家を継ぐことがむずかしくなっている
いろいろ事情で江戸時代のように土地を受け継いだり生業を受け継いだりできない
でもそうなると何か代々伝わるものが伝えられないということがある
人間は歴史が大事だというとき長い年月で積み重ねられたものがありそれは知識でも知恵でもそうであり徳でもそうであり目に見えないものも精神的なものも受け継がれている
それが家訓だったりする、信仰でもそうである
受け継ぐべきものがありそれがなくなると人間は軽薄なものとなってしまうだろう
歴史に重みがあるのはそうして代々受け継がれたものがありそれが文化ともなっているからだ

先祖が今も生きるというとき何か受け継ぐものがあって生きるとなる
ただ人間は家族であっても死んで十年もすぎると何か抽象的存在となり忘れる
でも具体的に家でも残っているとそこで家を意識しやすいのである
歴史でもヨ−ロッパなどは石として残っているから二千年前のローマ帝国でも何か具体的なものとして歴史を意識して継承しやすいのである
でも日本では木の家だから歴史を意識しにくい、木だともう30年とかで古くなり使えなくなるとかなり30年ごとに伊勢神宮では神の社を建て替えるからである

人間はとても一代では栄えない、また一代では何か重みあるものは作れない、知恵も生れない、何か常に歴史から学び継承するものがあって人間は生きる
その具体的なものとして家があり家を継ぐということで先祖でも意識するのである
ただそういうことができたのはやはり江戸時代とか戦前でも農業中心だったからだともなる、農業は代々土地を受け継ぐ生業があったからである
それで原発事故では生業を奪ったということで返せとなり裁判になったのである
でも現代では農業中心の社会ではないからそれも何かぴんと来なくなっていたのである

今や家を継ぐ人がいない、墓も継ぐ人がいない、結婚するにしても遠くの人と結婚して娘が出て行く、田舎でも外国人と結婚していた人が二人いたとか地元に残る人は少ない
少子高齢化でますます跡を継ぐ人がいなくなっているのだ
だから空家が膨大に増えるのである、将来は二千万軒になるというのもそうである
すると家を継ぐということはめずらしいことにもなる
そこで失われるものも大きいとなる、現実に原発事故では故郷自体住めなくなる空家だらけでありゴーストタウンになったからである
町や村自体は受け継ぐ人がなく廃墟と化したのである
一軒の家のことではない町や村自体が受け継ぐ者がなく廃墟化したのである
このことは本当に大損失だったとなる、何か伝えられた貴重なものが失われたということである

自分の場合特殊な家庭環境で家にひきこもりで30年間いた、だから奇妙になるが家に就職して郷土に就職したともなる、それで家のことを語り郷土のことを語り歴史を語るとなる、ただ家の重みは三代以上くらいつづかないとないかもしれない
というのは農家では三代つづかないと農家として認められないとかなるのもそうである
農家は江戸時代からつづいている家もあるからだ、農業中心の時代だったらそうなるのである、今は農業中心ではないからそういうこともなくなったのである
何か一代くらいで家業でも終わり継続しないからである
そうなると家の重みもなくなる、歴史も感じにくくなる、それも問題となる

SDGs(持続可能な開発目標)というのもそうである、継続することが重んじられる社会となるとやはり家でも代々つづくことが望まれるとなる
これはストックを重んじる社会である、ストックというと農業的第一次産業の社会である大地があり自然があり実りがあり継続されてストックされる、一方フローになる社会がある、現代はフローになる社会だとなる、グロ−バル化で世界的フロー物流でも情報でもフローになったからである
ただこれからはストック的社会になる、もちろんフローにもなるがストックを基本とした社会に変化する、なるべく地域的にストックしてゆく社会である
人間とは常に何かをストックしてゆく、それが次の代に受け継がれてゆくのである
だから家でも代々つづかないとストックされない、そこで何か積み重なられたものがないから豊かになりにくいのである、そのストックする最小の基本の単位が家なのである
そのストックしたものを活かして次代が豊になるということである


家を継ぐ者

人生七〇数余年
家を継ぎて二代目や
何か受け継ぐ我が一人
遺影に向かいて今日もあり
代を重ねて栄あれ
受け継ぐもののあるべし
陸奥に死になむ命かな
故郷の土ともならむ命かな
菊を挿しし墓を守りぬ
庭の石に散りにし木の葉や
石こそ重く礎なりしも
冬の日静穏に我が家に籠もり
死者を想いて代を継ぐなれ
そもただ一人なりしも

電動自転車の修理は簡単にできない (都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)


電動自転車の修理は簡単にできない

(都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)

ヤマハの高価な電動自転車でチェーンがはずれた、それを直そうとしたができない
何か簡単に直せない所にうまい具合に入ってしまったのである
前は自力で直せていたからである、それで自転車屋に頼んだが今度は工具がないとか
それが入るために二週間以上かかるとなった
何か簡単に直せないものになった

電動自転車と電気系統とかなると簡単に直せない、でも幸い近くでそうなったから良かった、8キロ歩いて帰ることができたからである
もし遠くだったらどうにもならなくなった、それをイメージしたとき怖かった
第一マウンテンバイクだったらチェーンとかはずれたら困る
悪路を行くのだから本当は簡単にチェーンをはずれるように作ってならない
そこで動けなくなったらどうにもならなくなる

前にもエンジン部分をそっくり取り換えることがあった、電動自転車は簡単に直せない
だから通販はできない、必ず何か故障があるからだ
普通の自転車なら大丈夫である、なんとか直せるからである
ただ困ったのは通販だと自転車屋では受け付けない、金にならないから受け付けないのも困る、それで折り畳みの電動自転車を買おうとしてもヤマハでは売っていない
外国製でいいものが出ていても通販で買えても後のアフターサービスがない
すると怖くて買えないとなる、仙台市ですら売ってなかったからである
ここに田舎と東京とかの差がある
第一隣の街まで行って直してもらったりできないから困る
自分の住んでいる街では一軒しか自転車屋がないからだ、それはヤマハの専門店である
だからヤマハは今回のように故障しても連絡して直せることができる
他はできないのである

とにかく一軒しか自転車屋がないとしたら貴重になる
その一軒がなくなったら本当に困ったことになる、でもいづれなくなるかもしれない
跡継ぎがいないからである、普通の自転車だとさほど困らないが電動自転車だとなると簡単に直せないから困る
まず電気系統が壊れたら直せない、すると高いものだから損失が大きい
一万くらいの町だと足りないものがある
弁当屋がないことが苦しい、スーパーだけだと足りないからだ

都会と田舎の格差はある、でもかなり解消した、インタ−ネットでどんな本でも買える
情報でもいろいろアクセスできる、youtubeで無料で大学の講義すら受けられる
すると田舎でも知識的には格差がなくなった
でも依然としてこうした技術的な面になるとまだ格差がある
特に外国製のものは買えない、自転車は買えない、アフターサービスがないからである
それが安ければいいが高くなると大きな損失になるから買えないのである

最近はチェーンがない自転車とかパンクしないタイヤとかがでている
こういう最先端のものが入らないのも困る
どうしても田舎だと技術的な面では遅れるのである
そして田舎で困るのは移住するにもその人にあった仕事がないというのもわかる
多様な仕事がないし知識的な仕事もまれである、それで仕事が無いから移住しにくい
ただテレワークになりスキルをもった人は移住しやすくなったとはなる
でも田舎だと自転車は景色のいいところをいつでもサイクリングできる
街だって混んでいないから事故になりにくいのである
それで移住してきた若い女性が飯館村の方に行くとかサイクリングを楽しんでいたのである
私はまさに自転車人生であり自転車で好きなように走り回っていたのである
そして今度のヤマハのYPJ-XCは優れものであり楽だから遠く行けるのである
そうでないと倍の力が必要であり年取ると行けない、これだとまだ遠く行けるのである
ただチェーンがはずれたら簡単に直せないというのが弱点だった
どうも作り方でそうなることがあったということである

2021年11月24日

運が決める成功、財産も金運も運 (松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた)


運が決める成功、財産も金運も運

(松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた)

fortune 運、幸運にもこと、幸運、果報、繁栄、成功、出世、運勢、(将来の)運命、富

わしは運命が100%とは言っておらん。90%やと。実は、残りの10%が人間にとっては大切だということや

電気屋の仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったから、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街におった。特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことやな。

松下幸之助というとき特別な優秀な人で成功したとみるのが普通である
でも違っていた、こういうことを言い残したのは自分は運が良かったなと一生をふりかえり思ったからである
成功した人と金持ちになっている人を見るといい、どうして金持ちになったのか?
そこに運が大きく作用しているのである
第一生まれた家とか場所とか才能とかでも親から受け継がれる、すると親とか生まれた場所とかで相当な差が生まれる
教育格差は都会に生まれた人と田舎に生まれた人ですでに相当な差がある
田舎だともう学校で公立しかないし決められている、洗濯の余地はないからだ
その後でも知識習得の格差があった

田舎だとまず専門的な本など置いていない、図書館にしてもたいしたものではない
まず田舎だと本すら買えなかったのである、そしたらどうして勉強するのかとなる
それで一週間に一回とか仙台市に行って本を買うほかなかった
でも仙台市でも本は限られたものしかなかった
インタ−ネットでこんなに本があることに古本をふくめてあることに驚いた
書店に置いてある本は都会でも何万分の一でもない、百万分の一くらいしか置いていないかったのかと見る、それほど本は多かったのである
もしそうして自由に本を選び読んでいたら専門家になれていたとなる
ここからして格差があったから都会に住む者と田舎に住む者では住む場所で差が生まれていた

ただだからといって田舎がすべて損になるとはならない、田舎では自然と日々接するから感性が磨かれる、例えば俳句などでも四季があり季語を感覚的に実感的に覚えるには田舎の方がいいのである、私の場合はそうしてたいして才能もないのに時間があり家に恵まれて自由に生かされるたからできた、引きこもりであったが家族に責められることもなく30年間過ごした、このマイナス面も大きかったがプラスの面も大きかったのである

何か運が作用している時具体的な例になると誰かが死ぬと誰かに運が回ってくる
これは確かなことなのである、ある人が親しい男性の妻が死んだ結果として嫌だった夫と離婚した、そして親しい男性の妻が死んだのでその家に自由に出入りしたのである
また自分の家に来たのも私の家族が全部死んだからである
もし家族がいたらその人と付き合う必要もなかったのである
そもそも私が生まれたのは母親が前の夫が事故で死んで後妻に来たためである
その時子供がいたけど連れ子になり自分の家でいい待遇をしなかったのである
その後集団就職して結婚したがそこでうまくいかず交通事故で死んだのである
そのことで私は悪いと兄の墓を墓を作り墓参りしているのである

誰かの不幸が幸福になり誰かが死ぬと誰かの運が良くなるというのも確かである
それを猫を飼ってわかった、最初飼った猫はどこかに帰えて帰らない、死んだのである
一か月くらい帰らないで尻尾をいたずらして焼かれた不運があった
でも帰ってきて世話していたのである、その猫はなれていた、でも死んだのである
次になぜ今の猫に餌をやっているのか?
それは前も来ていた、でも餌は飼っている猫にしかやらなかった
でも飼っている猫のを餌を奪いとりにきていたのである
それで追い出していたのである、そのたなのか、その黒い猫はずっと餌をやっいるがなれないのである

でも自分としてもなぜ餌をやっているのか?

その猫がかわいいということでもない、何か一人になって淋しいということがあり餌をやっている、でも家にはあげないから飼っているとはいえない
汚れるので家の中には入れないのである、でも窓から顔を出すので餌をやっている
今日は安かったカツオのさしみまで与えた、それは特別安いものだったからである
でもぜいたくだと思った、前の猫にもそうして少しは分けていたのである

こういうことは自分自身で何か同情するとかでもない、たまたま来ていて自分が淋しいとかあり猫が来たなとなり与えている、その猫は今まで家に来た時は追い出していたのである、だからなれないのかと思う
要するにこれも全く運なのである
運はめぐってゆく、恵みはめぐるであり回ってゆくのである
金は天下の回り物というときもそうである、金は必ず一か所にとどまらない、めぐってゆく恵みとなるのである、ある地域で金持ちが豊かな人がいるときその土地になんらかもたらす恵みがありそれが地域にめぐってゆくのである
最初は一家族でも全体に及んでくるのである
何か特産物が作りだすというとき最初は篤農家がいてその土地にあったものを作りだす
それを回りの者もまねて豊かになるということがあるからだ

それはあくまでも運なのである、だから成功した人自体が松下幸之助ですらそう思ったというので運がいかに作用しているかわかる
高度成長時代は誰でも成功する率が高かった、私の家で商売を始めたとき何もない、店でもただ品物を並べるだけであり品物を置くだけで売れた、物がない時代だったからであるそしてたまたま角にあって場所が良くて売れたのである
その頃近間にしか店がない時代だったからである
私の家では別に商才などなかった、むしろ母親などは商売に向いていない、内向的な人だったからである、だから一時的でも栄えたのは時代と運だったのである
今になるとこんな商売などできないし小さな店はスーパーなどができてみんななくなったからである
何か成功することは時代と運だとなる

結婚にしても運が作用する、その女性は二人と結婚して離婚した、相手が悪かったから貧乏だった、それは運が回ってこなかっただけだともなる
容姿が悪いということもある、でも美人が不幸になっているというときか必ずしも生まれつきですべてが決まる訳でもないのである
何か結婚でもめぐりあわせがあり運がつきまとっているのである
何か何でも平等にしようとする共産主義とか社会主義とかが失敗したのは人間の運命とかを無視しているからである
平等を追求してい行くと不平等になるのはそのためである
みんな個性を違うし生まれた親も違うし家族でも違うし生まれた場所も違うしといろいろな相違がすでにあって生まれてくるからである
そもそもそれを平等にすることはできないのである、かえって平等にすれば不平等になるのである
ただ教育とかは平等にして国で金を出して人材を育てるべきだとなる

人間は運から運命から宿命から逃れられない、必ずいいことがあっても悪いことがある
悪いカルマがどんな家にも人にもありそれで苦しむことになる
私は特別恵まれていても最後は親の介護でそれも二人もいたから自分自身も病気になり死ぬ思いした、それも結局特別恵まれた結果だったのである
金持でも恵まれていても必ずカルマを積んでいるから後年にそのカルマが苦しみとなって現れるのである

運というとめぐりあわせも運なのである、結婚も運だともなる、たまたま出会って結ばれる、何かその出合いも運だとなる、なぜあの人は不細工な男なのに美人と結婚しているのかとなる、でもその人の出合いがそうしたのである、たまたま出会ったことによりそうなった、出合いでも何回もわるわけではない、その出合うチャンスは限られた時間しかない普通は30歳まででありその後男女が出合い結婚することはむずかしくなるからだ
つまり結婚するチャンスもその時が限られていて短いのである

だから人間はどこで運がめぐってくるかわからない、本当にわからない、秀吉でも信長の側にいなければ天下をとることはできなかった
仕える人とか会社とかでも作用する、つまり自分がいくら才能があったとしても運がないと成功しないというのはそのためである
時代にもよる、高度成長時代は誰でも何もない所から始まり成功しやすかったからだ
今は事業するにしても簡単に成功などしないのである
日本全体が落ち込んでいるからである、つまり自分だけの力だけでは成功しない
成功とは結局運だという時、その成功は自分だけで作ったものではないということを考慮する必要がある、謙虚になる必要がある
まさに生んだという時自分の力ではないだ、ただ十パーセントは自分の努力とか才能とかで成功するとなる

いづれにしろ運はどこでめぐってくるかわからない、日本の経済でも将来がわからないのは国際情勢でも変わるからである、そこで日本全体の運も変わる、するとまた成功しやすくなる、運とか常に変化しやすいのである
だから栄える家でも地域でも国でも変わる、そして不運が必ずありそれでこの辺のように原発で栄えたがもう住めなくなり悲惨な結果にもなる
でも原発で財を成した人はこの辺で多いのである
だから何が富をもたらするのか運をもたらすのかはわからない、いいと思ったものが悪くもなる、運命は反転する、だから栄えた家でもみんなながつづきしないのである
中国が15、6年であんなに発展するとは思わなかったからだ

では運を良くしようとする時どうするのかとなるとそれを人為的に作り出すことはできない、運命がありどんなし親から生まれるからを選ぶこともできないからである
それで親ガチャになる、それに不満でもどうにもならない、その運命の下で運がめぐってくることを待つほかないともなる
ただ10パーセントは運ではないのだから努力もしておけとなるのである
ただいくら努力しても成功するとは限らないのである
ただ時間だけは平等に与えられている、その時間が極めて限られているのである
そして人生ではこの時間を一番みんな無駄にしているのである
そこで運命にかかわらず大きな差が生まれているともなる
時間を活かした人はやはり最後にその人なりの成功があるとなる

ともかく運が90パーセントだと松下幸之助すら言っているのだから自分自身の力だけではどうにならない、そして結局人間自体が人間の社会をどうにかできるものでもない
人間自身自分自身すらどうにもならないのである
人間がいくら努力しても全能の神にはなれない、そこに人間の限界があり神に頼らざるをえないのである、最終的に人間の運命を決めるのは決めることができるのは人間ではない神なのである

2021年11月23日

春の日に佐須村から小国村へ


春の日に佐須村から小国村へ

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春の日に佐須から峠を下り行く人がいた
そこは峠でありかなたに山雪の吾妻連峰が見えた
その道を下ると行合道に出る、人が行合う所なので名付けられた
春の日に佐須村の人達が行合道に出て来た

「久しぶりでここに出て来たな」
「歩くとなると遠いよ、わしも年取って歩くのは楽じゃない」
「小国はまだ遠いよ」
「坂を下るから楽だけど帰りは苦しいな」
「小国に着くのが楽しみだ」

春の日がぽかぽかとさしていた
佐須の人達は長い坂を下って行った
見入り石とは石がありその石に見入ったから名がついた
途中見入り石とかあり石戸村とを通り過ぎて小国に着いた
そこには小国川が流れ開けた平な土地が広がっていた
あたたかい春の日がさしてスミレが咲き蝶が飛び始めていた
「ここは小国だ、いい所だ、広い平地があり田畑も広く気持ちいい
ここでは桃や梨でもとれる、長い冬が終わり春になった」
こんなふうに佐須村の人々は言って楽しんでいた
それから知り合いの家によった

「佐須村の人達あがんなされ、お茶でも飲みなされ」
「ありがとうよ」
「遠いところからまた来てくれたな」

そこでもてなされて話しがはずんだ、そこは近いようでも車がない時代は歩くほかないから遠かったのである
こうして一時小国で休んで帰ることになった
「帰りは楽じゃねえな」
「延々と坂を上らなきゃな」
「年とると疲れるよ」
途中には店もないし茶屋もなかった
そこでおにぎりを食べてなんとか腹こしらえして上って行った
そしてようやく自分の村についた
「いや、疲れたな」
「本当に小国は遠かった、疲れたよ」
「でも楽しかったな」
「ううん、また行きたいな」
「これからあたたかくなるから行けるよ」
「また行くのが楽しみだな」

こうして峠があり人々はなかなか歩く時代は互いに行き交うことがむずかしかった
だから人々は峠を越えて向こうの国に憧れた、ここでは小国だった
また小国の人達も佐須村に来ることが楽しみだったのだ
でもやはり峠があるからなかなか来れなかったのである

また一人の旅人がやってきた,バスでやってきた

はるか峠を越えて
小国によりぬ
スミレや春の花が咲き
春の陽ざしが心地よい
ぽっかり春の雲も浮き
蝶も飛びはじめ
小国に一時よる
旅人は去りしも
その小国の名の心に残りぬ
いつの日かまたか行かむ
遠き小国よ、幸いの国よ
春の日にさそわれ行かむ

旅人はバス停でおりて一時よった、でもまた遠くへと去った
今はバスは通っていない、ただバス停は残されている
今はバスは廃止されているのが多い、みんな車で行くからだ
福島中央道ができてもう相馬市と福島市は最速30分でも結ばれているからだ
福島市と相馬市は遠かった、電車だと岩沼で乗り換えるからさらに遠かった
車を持っている人と持っていない人の差は大きい、小国でも近くても遠いのである
日本全国に小国という地名が多い、そこは狭い所でも一つの国だった
国だからその中で一応生活できるものがあった
またそうせざるを得なかった、車もないから簡単に遠くに行けないからである
歩いて行くほかなかったからである、それで近くでも遠い国となっていたのである

旅人は雪に埋もれた青森の奥の方にパスを乗り継いで行った、トンネルを通る奥にやはり小国があった、そこは本当に奥であり閉ざされていた、そこも小国だったのである
そこで雪に閉ざされたら昔は物を運べない、閉ざされた雪の中で暮らすほかない、厳しい冬を小国でまかない暮らすほかない、それで何かたりないたりないと言っていては暮らしてはいけない、そこにあるものでしのぐほかなかったのである

春の日に佐須村から小国村へ(童話)

相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)


相馬市から霊山町までの地名の旅

(簡単な案内と説明)



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 霊山町の犬飼(犬養)

宇多川をさかのぼると川は丸森の方へ行くのと玉野村の方へ行くのとに分かれる
玉野村は昔の伊達藩と相馬藩の境である
それで次のような歌が残されている

伊達は伊達政宗の領地であり

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に

伊達藩と相馬藩は戦国時代に争っていたが江戸時代になると戦争をやめて仲良くしたからこういう歌が生まれた、互いに繁栄しようとなったのである

玉野村には「若木神社」がある、これは疫病の神であり疫病は恐れられていた
玉野村は境なので特にここで疫病をもってくる人がいると怖いから神社に祈っていたとなる、とにかく昨今のコロナウィルスのことで疫病の怖さを経験した
昔から人間は疫病で苦しんでいた、だから各地に疫病を防ぐための神社がある
その頃は神様に祈る他なかったからである
そして疫病を防ぐ唯一の方法は他の藩からでも人が入って来ないようにすることだったのだ、疫病は人から人へとうつるからである

ここから伊達藩だけど相馬藩はもともと中村藩でありここと中村街道でもありこの細い道がそうなのだ、ここを行けば古い碑が残っていて元禄時代のもある
中村街道はもともと保原の方に行っていた
玉野村を過ぎると八木平とかありこれは姓名なのである、八木氏でありこれは海洋民の安曇氏と同じ系統のものであり飯館村へ行く八木沢峠の八木も八木氏なのである
この道筋にも山津見神社が残されていて飯館村の佐須の山津見神社がその本元になる
それから霊山町に入ると犬飼(いぬかい)というバス停が残っている
犬飼は古いものであり次に犬養となった、これも安曇氏系統の海洋民の一族なのである
海を渡ってきた外国人だとなる、その人たちがここに住みついたので八木平という地名になった、犬養も同じである

霊山の上り口に行合道とありここで人が行き逢った、出合うことからこの名がある
それは飯館村の佐須峠がありそこをおりてこの道で出ると出合うとなる
佐須村の人に聞いたら霊山町の方が親しいというのも近いからそうなる
昔は車もないので歩くのでなかなか山で暮らしていてもそこから遠くへ行くことが簡単にできない、それでそうした閉ざされた山の村から出て人と出合うことは喜びだったとなるなかなか他村のものと出合いなかいからである

霊山町へ出ると石戸という村がある、地名として見入り石とかある、この石の由来は良く分からないが特別な石でみんなが見入ったからこの名がついたらしい、石戸村というのはこの石から生まれたのかもしれない
地名には何かいわれがあり名付けられたからだ

福島中央道のトンネルの所に庄司淵はあるのはこれは佐藤庄司から来ているのだろう

奥州路で最初の義経ゆかりの地です。佐藤庄司とは、
源頼朝の平泉攻めの際、それを防いで戦った藤原秀衡の郎党です。

これは有名な話である、佐藤氏とはこの辺で多いがこの佐藤氏系統の一族が相馬地方に広がった、庄司と姓の人もいるからだ、佐藤氏は有力な氏族としてこの辺で支配していたからである、相馬市の磯部村に佐藤氏の館があり相馬の道の駅の鬼越館は佐藤氏の館であるあと中村街道を相馬市の方に下ると塩手山の麓の二軒も佐藤氏であり佐藤氏一族が中村街道を通って広がっていたのである

佐藤氏⇒庄司淵⇒塩手山の二軒の家⇒磯部の佐藤氏

それから霊山町に入ると力持ちとかの地名がある、力持ちとはなぜついたのか?
各土に比べ石とかあり昔の人は機械がないから力仕事が多いから力持ちの人は村にとって大事な人でありなくてはならない人になっていたのだ
そこで力持ちという地名にもなった

それから小国という地名があるがこれは日本全国にある地名である
ここに小国町があり小国城があり小国川があった
小国とはそこが人の住む小さな国ということである

ここに春の日にバスできて一時下りたことがあった
その時は春だった、春の日がさしてスミレなどが咲いていた
ただ一時ではあるがその小国という地名を覚えていたのだ

こうして地名をたどれば何かそこに謂れがありその地名の謂れは古い、古代にさかのぼるのである、地名から遠い昔を知ることができるのだ
この道は今は福島中央道ができて車が通らない、まるで旧道になり車も通らなくなって
サイクリング道路のようになってしまった
道が変わるとその道沿いも変わる、何か廃屋が空家が増えた、車も通らないとやはりさびれる、ただ自転車で行くのにはいい、車が通らないだ
すいすいと行けるからだ、でもここの旧道は他の旧道とは違う、車が一日数台くらいしか通らない、だから不思議になる
交通によってこんなふうに変わってしまうのも驚きである

他にも相馬市から山上に入ると紙漉沢とかありまた霊山町に楮という地名がありこれは紙漉きの材料となるから紙漉きが行われていたので地名化した
その頃紙漉きはきれいな水が必要なので山から流れるきれいな水を使って紙を作っていたのである、それで地名化した
ただ地名は古代にもさかのぼり古いのである

2021年11月22日

紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)


紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)

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石に散る木の葉や今朝の小雨ぬる

紅葉散る石や朝の小雨ぬる


我が隣空家の庭の淋しかも誰かありなむ冬の薔薇咲く

冬の薔薇しとと雨ぬれ我が庭や一匹の猫住みつきぬ

冬の雨しととふりにき石ぬれて家にすみつく黒き猫かな


今日は冬の雨である、しとしとふっている、木の葉が一枚庭の石に散っていて雨が濡らす何か不思議なのは隣の庭を自分の庭のように見ていることである
それは空家になったから余計にそうなのである
毎日その庭の中に入って見ている、空家なのだから持ち主を知っているけどとがめられることはない、何か庭でも誰かがいて欲しいとみる
これも不思議な感じになる
家でも庭でも主がいなくなったときそこは空洞化する
だから誰かがいて欲しいとなる、隣だから自分の庭の延長のようにも見てしまうのである

今回も会津の城前団地が廃墟化したのをyoutubeで見た、これは城前とあるごとく街の
中心部なのである、前は東山温泉が廃墟化したのを見た、また飯坂温泉でも見た
温泉が廃墟化している、温泉は数回しか泊まっていない、高いから泊まっていない
そもそも温泉は旅の宿としてふさわしくないのだ
自転車とかで疲れたからといって泊まりにくいのである
何か今の宿は保養であり温泉にひたりうまいものを食べるとなる
それで温泉で退屈してしまうのである、温泉街というのは高度成長時代の遺物になってしまったのである、その時社員旅行や団体旅行が盛んであり温泉街がにぎわっていたのである、そういう時代が終わったということである
ただ外国人旅行者が温泉に来ていたときは良かった、これもコロナウィルスで来なくなりもたなくなった
とにかく旅はその行程にありその行程を車で飛ばして行くだけとなるとかえってつまらなくなる、現代には旅がなくなったのである

黒い猫が庭に来る、前飼っていた猫は出て行って帰らなくなった
それでこの黒い猫に餌をやっている、ただこの猫は本当に慣れない、餌をやりつづけても触らせたりさせないし逃げる、だからかわいげがないとなる
でもこうして餌くれと窓に顔出すのがかわいいのである
家の中に入れると汚れるので入れないがこうして毎日この黒い猫は来ているのである


2021年11月21日

増大する老人の医療費に介護費用 (その負担が下の世代の社会全体の重圧に・・・・)


 増大する老人の医療費に介護費用

 (その負担が下の世代の社会全体の重圧に・・・・)

 高齢者(70歳以上)の医療費は医療保険分で6852億円と前年度比806億円(13.3%)増、国民健康保険分で3兆3159億円と同1779億円(5.7%)増となっている。

   財源別でみると、公費が16兆9807億円で全体の38.3%を占める。このうち国庫は11兆2963億円で25.4%、地方自治体の負担は5兆6844億円で12.8%となっている。
   
   
近くで知っている人は糖尿病であり介護士がきてしょっちゅう医者に行っていてそれも検査費とかで結構な金がかかる、保険でもそんなに金がかかるのとなる
85歳くらいにてっているからだんだん弱って死んでゆくにしてもその期間が結構長いのである、ただ不思議なのは一年前は普通にしていたのに死んだ人もいる
一か月くらい前に元気な姿を見たのに入院したら死んだ人もいる
死ぬ人は簡単に死ぬが死なない人はなかなか死なないと見る
ガンになってから十年でも仕事している人がいる、そんなに長くガンでも仕事できるのかとなる

ただ点滴してしている、首辺りに点滴の跡を見たから点滴する場所がなくてそうなったらしい、自分も点滴していたからそうなるのがわかる
でも今は老人でも病気になってもなかなか死なない人が多い、手厚い治療をするからそうなるし医療でも進んでいるからである
まずガンだったらそんなに長く生きないと思うし糖尿病はわからないにしてもこれもなかなか死なない病気なのかもしれない、そして時々世話している女性も70過ぎていていつも腰が痛いとかとても介護などできない、軽い世話などはできる
でもその人からはわずかの金しかもらえない、医者にかかるから払えないと言っている
その世話する人も息子一人を頼っても金はもらえない、というのは親が施設に入っていて備品とかで金がかかっているからだ、またそれほど収入が多くないからである

そもそも生活保護になればみんないいとかいうが生活保護自体もう成り立たなくなるかもしれない、その女性にしても4万とか国民年金もらっているがあとは5000円とか医療費とか住宅代は無料にしても暮らしていいけないから必ず電気、ガス、水道、携帯代が払えないとなる、その負担がこっちに回ってきたりする

ますます老人の医療費、福祉費が増大して負担しきれなくなる!

こういう近未来が見えてきている、生活保護になればいいというが二万くらいしかもらえないとか試算が就職氷河期の人達に対して言われている
生活保護がすべての解決にはならない、老人の医療費と福祉費は増大する一方であり
2025問題は深刻になる、団塊の世代が75歳以上になるとどうしても介護状態になる人も増えて来る、それでなくてもやはり医療費は増大する
氷河期世代は人口が多い、でも収入は少ない、それで親の負担がかかってくる
それからすぐに自分たちの老後の金が問題になる、老後をまかなう金がないのである

それで老人の老々介護が問題になる

11月17日、大阪市平野区の住宅型老人ホームで、この施設で夜勤中だった職員の榊真希子さん(68)が受付で頭から血を流して亡くなっているのが見つかり、駐車場では入居者の男性(72)が死亡していました

職員が68歳で介護された人が72歳である、何らか68歳で働かざるを得ない状態にありこの事件が起きた、老々介護になる人も増えて来る、家族でも子供たちでもめんどうみきれないとなり老夫婦で老々介護になる、それも現代を象徴している
そして共倒れにもなる、それだけ少子高齢化は様々な問題を引き起こし事件になるしなっている、これからも増大するばかりである
もう国がこうして高齢化で財政ももたなくなる、限界に来る、今の氷河期世代は老後になっても年金二万とかなり生活保護も受けられない!
そしたらどうなるのか?その恐怖はもう目の前に迫っているのだ
誰かに頼れればいいのだが頼れない人はどうなるのか?
犯罪でも増えて来る、すでに老人の犯罪は十倍にもなっているし自分も被害者になった
何か将来にいい展望は見えないのである

それでアフガニスタンで家賃が払えないで洞窟に住んでいる人を見た
燃料もなく枯草を拾い、水がないのでやっと水を遠くから運びそれを煮て飲む
干ばつがつづいて食料がとれない、子供で餓死するとかその数も多いのに驚く
ただ戦後焼野原からの日本もこれと似ていた
水がないので近くの井戸水をもらっていた、それで自分もバケツで運んでいた
燃料は炭であり風呂はバタで残った木材の切れ端とかである
それは無料でもらっていた、洗濯は裏の堀の水でしていた
だからその暮らしをイメージはできる、人間の原始的な生活なのである
乾燥地帯はゴミとかでもなげても乾燥するからいい、日本だと湿気が多いからゴミを簡単に投げられないのである、乾かないからである

ともかく日本に明るい未来を描けない、その原因が高齢化社会にある
戦後は子供が多かった、食べ物すらないのにどうして子供があんなに多かったのか不思議だとなる、脱脂粉乳とかアメリカからもらってしのいでいた
でも子供が多いということは実は明るい未来があったとなる
そしてちょうどうまい具合に高度成長時代になりその団塊の世代などの子どもたちが成長しても吸収できたのである
その団塊の世代が75以上になる、2025問題が生まれる、それが社会全体の重圧となり
日本が経済的に衰退しているときと重なり相当に苦しいものとなる
その解決方法がない、確実に医療費はますます増大するし介護費用も増大する
そういものに金をかけていたら他の物に金をかけられない、何か世界で競争することに投資もできないとなる
結局団塊の世代が高度成長では数が多くても力となったが逆に人口が多いので負担になってきた、それが社会全体の重圧となる、一人一人の問題ではない、社会全体がその重圧に苦しむ、それは氷河期世代が老後になるとさらに苦しくなる
それは十年とかに二十年でなるから目前の問題なのである