2017年04月23日

巨大企業などが地域社会をつぶす (原発事故も東電による地域破壊)


巨大企業などが地域社会をつぶす


(原発事故も東電による地域破壊) 

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先進国の人たちが使う紙や木材の量が増えるにつれて、熱帯雨林などの森林はどんどん切られていく。 
日本も、国内に森林があるが、発展途上国から安い木材を輸入し、使い捨てしている。 東南アジアのラワンなどの南洋材は日本に輸出されている。 日本の商社は、フィリピンの森林を伐採しつくした後、インドネシア、マレーシアへと相手を変え、東南アジアの熱帯雨林を食いつぶしてきた
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これはグローバル企業による森林破壊である。この森林破壊によりそこで昔から暮らしていた地域の人たちも動物も被害を受ける、動物は駆逐される
なぜ原発事故が起きてきたのか追求してきた、それは東電とかの国家並みの巨大企業によって地域社会が破壊されたのである。
東電というのは全く自分などがイメージできない巨大会社だったのである。
国家並みというより一つの国家だったのである。
だからこそ政治家も官僚も検察官も天下り先となりマスコミも何百億という宣伝費を投入できた。それで支配できたのである、実質に権力をもっていたの東電だったのである。
電気を産み出すのは東電であり政府ではないからである。官僚でもないからである。
実質の富は東電が大企業が産み出している、だからその富を産みだすものに従うようになる、地域でも漁業権を売り渡すだけではない、農業の基となる土や水まで売り渡して買い取られたとまでなった、なぜなら土とか水とか森林でも放射能汚染されたからである。
そうなったらもうそこには住めないと町ごと村ごと避難させられて住めなくなったのである。

これまでの地域社会は農業が基でというときどうしても自然環境と適合した生活になる
その生活は自然環境を配慮したものとなる、でないとそこでは生活できないからである。でも大企業はそうした地域社会とは違うものとして巨大化したものである
ゼネコンなら建築を主にして巨大企業になりトヨタなら自動車を作る会社として巨大化する、製薬会社なら薬を売る会社として巨大化する
アメリカだったら軍需産業が発展して巨大化して兵器を売るために戦争まで必要になる
会社は物を作るとしてそれを売って利益をあげねばならない、それが巨大なのだから問題が起きてきているのだ。
自然環境と適合して長年生活してきた歴史とか文化も簡単に破壊してしまうのである。
そしてこの巨大企業が国家と結びつく、東電でもそうだしアメリカだったら軍需産業だったら国家と結びつく、そして国家に戦争しろとまで要求できる
それでアメリカは戦争をしかけて兵器を売るとまでなる
そういう巨大化は何でも社会に弊害をもたらす、社会自体を破壊してしまう力をもっている

それは一つの軍隊でもある、だから政府では戦争準備して兵役にゼネコンの社員をつかせようとしたのもわかる、そこは軍隊組織になっているからだ、建設は戦争するとき不可欠だからである、それだけ巨大だと会社にしても社員に給料を払うのだから仕事が必要になる、その時地域の共同体とか自然環境など考慮しないのである。
森林でも根こそぎ破壊してゆく、それをとめるものが大企業にはない、なぜなら森林を破壊したら水が供給されず田に水が流れないとか農民のように心配しない、ただ木材を得ればいいとうだけになるからだ、その土地の自然環境はそれで根こそぎ破壊されるのである原発事故による放射能汚染も同じだったのである。

力関係では大企業ゝ国家ゝ地方自治体とかなる、この大企業の力は国家をも支配する
そして報道でもマスコミでも支配できた、巨額な何百億もの宣伝費がマスコミに支払われていたからである。そういうマスコミがとても批判などできないのである。
それによって「安全神話」が作られたのである。
内部の人は原発にたずさわる科学者でも技術者でも実は何らかの懸念があり不安があったでも強固に安全神話が作られたのはなぜか?
その前に巨大な権力として構成されてしまったからである。
人間は巨大な権力をもったときどうなるのか?その権力で何でも通すことができるようになる、すべてを支配できるようになる、だからこの辺では地方自治体などその大企業にたちうちできなくなっていた。
東電の幹部に浪江町長が怒っていたけどこれも力関係では東電が上だから腹いせにしかならない、東電と国家は一体となっているから国家と地方自治体では力関係では国家に従わなければならないからである。

そして報道関係でもマスコミは安全神話を作ったのは大企業がスポンサーになっていたからである。福島民報でも民友でも原発に賛成していたし批判はしない、推進役になった。福島県の報道関係はみんな原発の安全神話に加担していたのである。
それだけ報道といっても雑誌を一カ月一回くら発行してどれだけの収入があるのかとなる報道だけではそもそも収入にならない、すると宣伝費にたよるほかなく、東電のような大会社の宣伝費になると報道会社など養うことができるとなる
インターネットとかなるとこれも無料だからできる、でもまだこれはマスコミのような力をもっていない、宣伝力がない。

この大企業との問題はそれか巨大であるために社会への圧力も大きくなることである。
ゼネコンでもやはり仕事が欲しいとなる、社員を養うためにはそうなる
するとオリンピックでもそうだが請け負いたいとなる、オリンピックなどしなくてもいいがゼネコンにとっては必要だとなり圧力となる、そこに国民の税金が湯水のように使われることになる、原発事故でも除染でゼネコンに莫大な金が流れたが復興のためには使われなかったとかなる
こうして巨大企業は一国だけではない、地球全体にグローバルに圧力となっているのだ。多国籍企業が世界を支配するというときもそうである。
製薬会社でも薬を売るために病気を作り出さねばならないとかまでなる、みんな健康だったら薬も売れないあがったりとなるからだ。それは戦争でも言える、戦争がなければ軍需産業では飯の食い上げになる。だから国家に戦争をしてくれと圧力をかける
そういう恐ろしさと矛盾が巨大企業が産み出しているのである。

これは巨大なもの団体組織がもっている害悪がある、例えば創価の墓地建設で自然環境が破壊される村の伝統が破壊されとかで裁判沙汰になったことでもわかる
巨大なるものの弊害が大きいのである。カルト宗教団体も巨大なること自体が社会に圧力をかけてゆがめる、創価は特にそうである、福島民報では聖教新聞を刷っているし毎日新聞でもすっている、そしてマスコミに批判できないようにするのは東電したことと同じなのである。そして大成建設と創価は結びついているのもそうである
創価は宗教とは何の関係もない、なぜなら組織が軍隊組織になっているからだ
参謀とかいたり軍隊の階級制の組織になっている,これは組織化したところではどこでも起きている
そこで目的としているのは人数をただ増やして一票をえて政治権力をもつことしかないのである。

つまり巨大な会社とか宗教団体も危険なものであり社会をゆがめるものなのだ。
それが危険なものとしてあっても巨大なるが故に権力をもっているが故に批判できない、そして東電のような原発事故が起きてとりかえしのつかないことになる
そしてそうした巨大なるもの会社でも宗教団体でも制御することはできないのである。
それでロシアではエホバの布教を禁止したことでもわかる、それは国家にとって危険だと認識したからである。国家がのっとられという危険を感じたからである。
実際にエホバでもそれが数をひたすら増やそうとして権力化してゆく、それは創価と同じである。そうして国家も乗っ取られるのである。
オウムは極端なものとしてオウム王国を作ろうとしていたし創価も創価王国を作ろうとしている、巨大化した権力化した団体組織はみんなその権力故に弊害となりやすいのである巨大なるが故に権力がある故に制御できなくなるのである。
国家自体を東電がとりこんだようになったのもそのためである。

いづれにしろ現代文明はこうして地域社会とか自治体は破壊されやすい、その力関係に大きな差があるからだ、その時どうなるのか?この辺のように故郷にも住めなくなるということである。水も土も森も山を汚染されて住めなくなる、そして故郷からも追われて漂流者になったのである。
だからこの巨大団体組織を制御するものが必要なのだが現代文明にはない、国家すらないすると巨大企業や団体組織が国家となり国民をも蹂躙することになるのである。
もちろん巨大企業でも必要でありそこに勤める人は国民に尽くしているとうこともある。ただ巨大なるが故の弊害がある、その巨大なるが故に国家を左右して大企業が国家となっていることが問題なのである。それはグローバルに起きてきている現代の問題である。

巨大企業は恐竜のようになっている、それらは地方の小さい自治体とか地域社会をふみつぶす、それに抵抗する術がない、自然環境すら根こそぎ破壊される、そんな力は江戸時代まではなかった、現代文明が何かゴジラによって破壊されるように都会だけではない、
地方の自然環境すら破壊する力をもっているのだ
巨大企業もそうだが東京というときその巨大都市が地方自治体とか地方の自然環境でも破壊する圧力になっているのだ
なぜなら東京に供給するものが一千万ともなれば莫大なものになるからだ
だから東電もその電気を供給するために原発をフクシマに作ったり新潟に作ったりしているのである。

東京の人口圧力がそうさせているともなる、その巨大さ故にそれが自然環境破壊になる
もちろんそれで経済力があるともなるがその巨大さが怪物的になり文明を破綻に導いているということもある
だから東京が大地震がきてどうなるのかとか不安なのはその巨大さ故にそうなっている
その被害も莫大なものとなからだ。巨大なるが故にそれが崩壊するときは恐怖となる
地震でも各地に小村があるようなら被害はさほどではない、あまりにも巨大なるが故に
そういう巨大災害で都市そのものが滅びてしまうということもありうる
再建不可能になってしまうということである。そして脱出するほか方法がなくなってしまう畏れがある。ソドム、ゴムラが神に滅ぼされたように脱出するほかなくなるのである。
posted by 老鶯 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年04月22日

情報とは何なのか? (インターネットで郷土密着の報道が可能になった)


情報とは何なのか?

(インターネットで郷土密着の報道が可能になった)

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南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ (コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)


人間は生活するために知りたいということが常にある、それは簡単なのでは旅したらその土地のことを知りたいので地図を持ってゆく、今ならスマホが地図代わりになり、みんなスマホを見ている、だから何か話しかけても答えないというか対話がなくなっている
自分がボランティアの駅員として案内しても答えない、必要ないよとなる人も多い
うざいんだよなとかもなる、でもその土地に来てスマホばかり見ているのは何か情報を得るのに問題がある

そもそも情報とは何かとなったらこれも広範囲なものになる、原始時代から情報は必要だった。獲物がどこにいるのかとか、狩猟生活だったらそうだし食べるものでも毒になるものがありそれを見分けねばならない、キノコなどでもそうである。
つまり人間は長い年月でそうした情報を蓄積してきたのである。
その情報は膨大なものでありもうそれを知り得ようがない
原始時代の部族で暮らしていたらその情報は限られている、だから理解しやすい、江戸時代のような自給自足のような村の生活での情報も限られているのである。
そこで暮らす情報は得るのは知識でも限られているから混乱することはない
日々の生活でそうした知識は実践的に身についているからである。

そもそも情報というと実に広範囲であり限りないのである。それは自分がプログで書いているのも情報である、では自分で書いてみて報道のようなことをしてみて一つの小さな一万くらいの町でもその情報がいかに多様かを知るのである
もう報告しきれないくらい情報があるのだ
それは過去にさかのぼれば縄文時代があり現代まで知るとしたらもう小さな町でも無限に情報はある、伝えるものがある。

それで今日のプログでは小池のことを書いたが過去にさかのぼればなぜあそこに古墳が多いのかとなる、古墳だらけになってしまうだろう。なぜそんなに古墳を作ったのかともなる、古墳とは墓なのである。墓がそれだけ増えたとういことである。
人間は次々に死ぬとしたら大きな古墳のような墓を作っていたら墓だらけになり人間の住む所がなくなってしまう、ただ墓は生きた人間が埋められているものだから簡単にそれを取り去ることができないということもある
ただ古墳があまりに多く作られたので古代に禁止されたこともあった


大化の改新(645)の翌年、孝徳天皇の2年1月1日、賀正の礼が行なわれたあと、改新の詔が発せられた。同じ年の3月22日、厚葬と旧俗の廃止が告げられた。
「この頃我が国の人民が貧しいのは、むやみに立派な墓を作ることに費やしているため」として、墓の制度を決め、尊卑の別を設けることになった。次がその時に決められた墓制である。

こういうことが古代からあったのも今でも納得する、明治以降庶民が墓を作りすぎて墓ばかりがふえてきた、死者は増えてゆくばかりなのだからいちいち墓を新しく作っていたら土地利用でもできない、墓が今生きている人の生活を圧迫するのである。
例えば宗教団体の墓があるとする、創価などでも山村の一画が墓地にされたとき、墓地により公害までになる、でもそれが檀家の戒名商売と同じであり墓は金になるからしている人間は宗教でも何でも金儲けになるのである。


 学会や工事担当の大成建設側は激しい巻き返しを図りましたが、地権者の間にも「反対」の声が強くなり、断念に追い込まれました。学会側は町への撤回申し出のなかで「開発用地取得が困難になった」としています。


創価学会の巨大墓地は全国に13ヵ所44万基(建設中含む)。どこも完成前に完売、推定収入3千億円ともされる超高収益事業です。新潟県では1997年、小国町で議会の同意を取りつけたものの、議会解散請求の住民投票に阻まれて断念

こういうことも起きている、大成建設と創価は密接な関係があり大成建設は工事を請け負うためにそうしている、創価関係の工事は大成建設が請け負うからである。
富士山にあった正本堂もそうだったが僧侶との争いで壊されたのもなんなのだとなる
カルト宗教団体は組織化集団化して権力化しているから宗教とは関係ない圧力団体となるその数が多いからそれは小さな町とかコミニュティまで破壊するともなる
そういことは別に大企業でも起きてくる、今回の東電は巨大企業であり市町村がそれによって甚大な被害を受けて町や村が消失の危機になったことでもわかる
そういう巨大な権力化したものは小さな村とか町でも市すら買収してコミニュティも破壊してしまうのである。小池にはエホバの小さな会館もあり違和感を覚える
あれもカルトだからである。アメリカの後ろ楯があり金が回ってきているともなるからだ

墓で不思議なのは海老の人が駅に来て墓地に墓参りに行くから花を買いたいというので花屋に案内した、海老の不思議は高台に墓地だけが残り村は津浪で消失したのである。
あの風景は不思議だった、墓地だけ残って村が消えた、その残った墓地に墓参りしに来たというのも奇妙になる,墓だけが村の形見として残ったのである。

こうしてその土地の情報をさかのぼれば原始時代から古代から江戸時代とあり地層のように積み重なっていて現代の問題として現れるのである。
ただその古墳に春の日がさしているときここに眠っている人は安らいでいるとか感じてしまうのである。都会だともう墓は作れない、その土地もない、だから地下に骨壺だけを収める狭い部屋を作りお参りする,それも嫌だなとなる、そこで死者が安らぐのだろうかともなる
いづれにしろ墓を語るだけでこれ際限がないのである。

そしてなぜ今度は小池に新しい簡易宿泊所ができたのか?百人も収容できるものができたのか?それだけの工事などがまだあるのかとなる、除染はこの辺は終わっているからだ。
それも需要を望めるから作っている、右田の人たちが集まり家を建てた所で老人がその新しい家に入ってまもなく死んだというのも聞いた。
それも一つの情報である。ニュースである、そのニュースにしても限りないのである。
全国ニュースになると北朝鮮とか何か大きなことでありみんなどこのテレビ局でも報道している

でも情報の基本は実際はそこに生活している場の情報が大事なのである。ただそれは今までは報道されない、福島県でもテレビでも新聞でも報道するとしてもとても報道しきれないのである。
そして情報は多様だから一万の町でもそうであり古代からさかのぼり現代までとなると無限にある、でも意外とそうしてその土地の歴史を知りそして現代を知ることが必要になるそれが津浪とか原発事故でわかった、郷土史とかはそうした地域全体のことを知ることでありそれが今回の津浪や原発事故と深く関係していたことを書いてきた
郷土史とは過去の歴史だけではない、現代につながるものとしてみるのである。
郷土を知るといってもまず地形とかから知る必要がある、それが近くてもなかなかわかりにくい場合がある、地理を知るには体で知るというのが本当に知ることである。
峠をのぼれば体で地理を知ることになる、それが地図からだけではわからないからであるそれは日本全国でもそうである。だから地理を知ることは基本にありそれがむずかしいのである。

それからコモドインというホテルでランチを食べた、こんな山の方にホテルができたのも震災以後の外部から人が流入してきたからである。
その変化は鹿島区でも大きかった、今でも復興住宅ができて今度は浪江の人たちが移り住んでいる、だから鹿島区は人口が減っていないのである。
ともかく狭い地域でも知ることは容易ではない、ただ小さい町だと俯瞰的に知る、全体を把握して知ることができる、それも時間軸と空間軸でできる
これが南相馬市の原町区となるともともと5万人くらい住んでいたから全体を知ることは不可能になるのだ。

とにかく情報は限りがない、グローバル社会になったら情報は際限のないものになりもうしりえようがないのである。そこで情報操作されやすいのである。
なぜなら外国となると知り得ようがないからだ。フェクニュースでも信じてしまうのである。ただ狭い範囲の町や村とかなるとフェクニュースは通じにくくなる
みんなその土地に生きていて土地と密着しているから嘘がつきにくいのである。
すぐばれてしまうといこともある。外国だと実際は確かめる方法もないからフェクニュースでも信じてしまうのである。

いづれにしろ郷土密着型の報道はインターネットで報道するのが簡単になりできたことである。それで自分でも報道してみて報道とは何かとか情報とは何かと考えるようになった記者とは何かとかも考える、こういうことは報道できないなら考えもしない、ただ報道されるものを一方的に受け入れるほかないのである。
つくづく一人一人の人間が情報なのである。
今日駅であった人も情報である。今まで福島市からバスで帰ってきたとか若い女性だった東京から故郷に帰ってくる人がいるからだ。
今日この女性は故郷に帰ってきたのだなと思う、迎えの車が来て去った。
駅にはいろんな人が行き来していることがわかった。それだけでも多様なのである。
活きた人間が血流のように社会に回っていることを感じた
駅は特に多様な人が交わる場所だったのである。


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南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ (コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)


南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ

(コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)

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ボランティアのバスが二台とまっていた

クリック拡大すると東日本震災ボランティアと書いてある

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もう一部屋がありそこも広いのである。

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これで800円は安い、牡蠣もついていたからである。(日替わり定食)


春日さし石あたたかく動かざり

春の日や死者安らかに故郷に


今日も小池のホテルにランチが食べられと知ったのでランチを食べに行った
途中に家の前古墳があるのは目だつ、寺内と小池は古墳が多いのである。
なぜあそこに古墳なのかとなると高台であったからだろう。
平地は湿地帯が多いからあのような高台が住みやすいとなる
そこに眠っている人は安らかだなと春の日だから思う

石でも春の日がさしてここがいいと動かないともなる、だから老人になって住居を移すことは酷にな、それで小池の人に聞いたのだが右田の人たちが小池に移り家を建てた、でもその一人の老人がその新居に入ってからまもなく死んだという、そうした関連死がこの辺には多いことは確かである。老人は変化に弱いからである。

そして小池にまた百人は入れる簡易宿泊所がまたできた、なぜまたこんなに外から人が入ってくるのかと思う、一部はすでに簡易宿泊所は壊されているからだ。
ここの簡易宿泊所は部屋数が多いからまだそんなに外部から人が入ってくるのかとなる
この辺ではすでに除染は終わっているからである。
ただもしかたら鹿島からでも原発事故のあった所に双葉や大熊の方にここから行くということはある。そのための宿泊所になるということはある。

ここから近いところにできたホテルは前からあるのは知っていたがランチをするようになったのは知らなかった、去年からすでにはじめていた。近くでもわからないことがある。この辺はまだ変化があり変わってゆく、原町まで行けばレストランなどが多くランチには困らない、でも遠いからなかなか行けない、自転車だと散歩がてらに来れるから便利である。何かホテルというとき都会的である。あんなところにできるとは思わなかった。

そしてボランティアをのせてきたのか?二台のバスが駐車していた。そんなにまだボランティアが団体できているのかとなる
その後ろは青森ナンバーのダンプが十台くらいあった。これも何なのかわからない。
青森の会社が来ているのだろう。

それにしてもそのホテルの食堂には50人くらい収容できる感じの広さがあった、本当に普通のホテル並みである。そんなに人が来るのかと思った。
11時30分で入ったのは自分一人だったからである。ボランティアなど団体がくれば確かにそれだけの人数分が必要である。もちろん泊まっている人も食事するから用意した。
他にも会社がそうしたホテルになった所がある
でもそんなに外部から人が入りつづけるのかとなる、すでに一段落しているからである。その辺がわからないが鹿島区は何か震災以後外部の人が大量に入ってきて変化した
あのようなホテルのランチが食べられるとは鹿島ではおもいもよらなかった。

鹿島区は都会化しているというのも家が次々に建ったからである。新しい街が三つ四つできたと思う、そして大東建託のアパート15棟は建っている、二つは建設中である。
いわきナンバーだから浪江とか双葉や大熊とかからも人が入ってきているのだろう
だから鹿島区のの人口は減らないのである。
だから都会化して便利になるということがあった
それに比べると小高とかの差はあまりに大きいから小高に住みたくなくなる気持はわかるそうなると余計に住みたくないとなり残っているのは老人がほとんどである。
それは老人は石のようにその土地に定着して動けなくなるからである。
人間も生物だから植物のようにもなるのである。

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コモドイン南相馬市




2017年04月21日

今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)


今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)

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屋形の方に虹が見えた、でも駅からも見えたのである。
はっきりした写真をとるために近くでとったのである。



つばめ来る糞を残して田舎駅

春の雷人交わるや田舎駅

春の虹待つ女(ヒト) あれや田舎駅


今日は別に何もない駅だったが時刻表が汚れていた、それは昨日つばめが駅の中に入り巣を作ろうとしていたからである。
それでこれは掃除しなければならないと思った。駅でも汚れることがあり掃除も必要である。

それから突然春の雷が鳴った、かなり大きな音だった、次ぎにもう一回鳴って終わった
この時自分はなんとなく虹がかかると思った
そしたらうっすらと虹が出ていた、それで見えやすいところで写真をとった
虹は消えやすいので写真がとりにくい、そして写真でもそれがいつの季節の虹かわかりにくい、虹だけとってもわからないからである。
だから写真ですべてがわかるとはならないのである。

なんか今年は調子いいかもしれない、結局介護十年間というのは長かったのである。
十年一昔となる、それにしても時間はたちまちすぎると思った。
何かが苦しいことがあるとそのことに追われて時間がたちまちすぎる
そして次々に人が変わるのである。

80くらいになるとみんな浦島太郎になる、若い人は年寄りを知らなくなる、今の時代は特にそうなる、退職したりすると会社人間だった人は役目がなくなり会社の人とも交流がなくなり忘れられるのだ
とにかく人間は忘れられやすいのである。だから社会的役割を退職しても老後でも持つ必要がある
それでシニアのボランティアが増えているのもわかる、何か役割を求めてしているのである。

ただボランティアもむずかしい、それが利益を求めるとボランティアではなくなるし何かそれで報酬を求めてそうである。そういう人はシルバーセンターで金をもらった方がいいとなる、それもまた社会の役に立っているからだ
ボランティアは報酬を求めないことが基本にあると思った
もちろん自分のしていることはそんなもの何の役にたっているのともなる

ただ何か駅のボランティアが自分に向いていた、別に一日中いるわけでもないし時々来て駅をみているだけである。それでも何か用があったりするからいいのである。
今日は掃除しておくとかなる、するとなんらか役目があるとなるからだ
退職でも老後でも役目がなくなることが意外と大きな問題になってくる
生きがいもなくなるからだ、でもまた介護とかの仕事は負担が大きすぎてやれない、苦しくなるものはボランティアしにくいのである。
正直十年間介護してエネルギーを消耗したからである。

今日は春の虹を見たので縁起がいいとなる、それより天候は経験でこの空模様は虹がかかるなと察する、実際に今日はそうだった、この辺は海側に虹がかかりやすい、それも夕方に陽が沈むときにかかりやすいことは経験で知っていたからである。
だからこれは偶然ではない、確率的に虹が出やすい状態だったのである。
天候もだから偶然というより縁起がいいというよりは確率的に判断できるのである。

ともかくこのプログは刻々変わる変化を報告するのに向いている、天候は刻々変わっているからである。すると読む人も臨場感があって読むとなる
二日遅れとかなると何か臨場感がうすれてくる、だから今日この虹を見た人は共感するとなる、見ない人はあの天気だと虹がかかったのかとみる
ただ相馬市と原町では天候は違っている、鹿島だけで雷がなり虹がかかったようである。

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abstract pictures(mountain forest castle)


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I patch it and make a picture
I turn to make it with a computer


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an old castle in deutschland

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moon and japanes castle


タグ: Castle
posted by 老鶯 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

春ののどかな風景になごむ田舎 それが放射能災害で失われた悔しさ


春ののどかな風景になごむ田舎


それが放射能災害で失われた悔しさ

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鶏(カケ)鳴いて牛なき昼間のどかかな

菜の花に鶏庭歩む農家かな

犬連れて長き散歩や春の草


散り急ぐ桜にしあれ闇深し浮かばれぬものは御霊なるかも

吹きあれる嵐もやみて残る花夕日のさして我がおしむかな


この辺の変化は大きすぎた、のどかな田園風景でも失われたことがある。
津浪の被災地でもそうだし放射能汚染でもそうだし今でもその影響が大きい
放射性物質の廃棄物があり前の田園風景とは違う、ただ田畑はそれなりに回復している
畑になると半分くらいしか耕作されていないだろう。
そこは荒地になっている、農業はもともと高齢化して跡継ぎがいなくなっていた
そしてこの辺では若い人の人口が流出して老人が他より10パーセント増えた
だから繁盛しているのは最近川子にできたパークゴルフ場である
あそこは本当に広いから気持ちいい場所である。
そこに百人くらいいたのには驚いた、それだけ暇な元気な老人が集まっていたのである。

街からすぐ近くに庭にまさに庭鳥が鶏が歩いている、コケコッコーと辺りに鳴き声がひびく、その近くに牛が飼われてモウとなく、それが田園風景であった
それは昔ならどこにでもあった田園風景である。そこで心が和む
それが街のすぐ近くだからこの辺はそういう場所でもあった
一万の町だったらどこでもそういう風景があった
それが放射能騒ぎで乱された、そして平安がまだもどっていない

ただ鹿島区はまだいいほうだろう、小高とか浪江は悲惨である。
一旦街でも人が住まなくなるとあれほど荒廃するのかと思う
この辺の問題は若い人の流出であり特に若い女性が流出している
すると結婚して子供を産む人がへっているから将来の人口構造も老人だけが増えるとなる
自分の場合は別に都会に今は憧れたりしない、田舎の方が魅力があるし自分にあっている老人になると都会には住みたくない、特に東京などに住みたくないだろう
銀座とかなんとか行きたくもないのである。人が混みすぎるからだ
関西でも京都でも行きたくない、今や外人で観光客が増えすぎているからだ
それで情緒も壊されているのである。

芸術とかなると田舎かからしか生れないだろ、文化だってそうである。
ただこの芸術もそのベースになる田舎の生活がなくなったらありえないのである。
飯館村などは森のアルカディとか桃源郷の感じがあったが放射能汚染で土がけずられ放射性廃棄物場となる、ソーラーパネル場になるとかでそこも前の平和なのどかな風景は失われた、だから自分にとってはこんなふうにしたものに怒りを覚える
そもそも田舎を愛さないもの、自然を愛さないものが人間なのか?
東京のような所に平気で住んでいる人間が人間なのか?
そういう疑問が常にあった、そういう異常な人口環境で生活している人間はもはや人間なのかとまでなる
そこからもしかしたら原発事故も生れてきた、まずそういう人たちが自然環境とかを考慮しないからである。ビルの谷間で生きていても平気な人たちだからである。
そういう非人間性が原発を作り出して田舎を破壊したのかもしれない
ただそれに同調したのも地元の人たちでもあるから都会だけの責任ではないともなる

いづれにしろ桜は今年は早くも散った,外の桜を見ることもなかった
散りいぞく桜だった、そして浮かばれぬというとき戦争で死んだ300百万人の御霊だともなる
あの風は強く被害もあった、ソーラーパネルが災害復興団地から落下した
やはりソーラーパネルはこれから何が起きるかわからいのである。
台風などがきて破壊されるかもしれないし土砂崩れもおきてくる
山には作るのは問題がある。ただソーラーパネルは参入しやすいのかもしれない
どこでもソーラーパネルになっているからである。
そしてこの辺では津浪であれ放射能被害で荒地が膨大にふえたからソーラーパネルになりやすいのである。その荒地になったとこに設置しやすいとなるからだ
津浪で磯部であれ右田であれもうそこには誰も住んでいないからメガソーラ場になったのである

2017年04月20日

小さな駅から見えるもの (車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


小さな駅から見えるもの


(車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


「日本文明最強の秘密」増田悦佐)
は示唆に富んでいる、車と電車の対比で車社会の非人間性を説いている、それは常日頃自分も感じていた。
ただそれをこういうふうに明確に理論化することはできなかった。
車は人と人の交流を拒絶する閉鎖された空間なのである。
だから歩く旅なら必ず道行があり歩きながら旅すると親しくなったのである。
そういう人間的なものを排除したのが車である。
ある所で自転車でテントを張っていたら車から出てきた人がいた
その車に泊まっていることがわからなかった、車で寝泊まりしている人はわからないのである。だから交流もないのである。
たた車は閉鎖された空間だから自由がある、プライバシーが維持できるとなる
一方電車は区切られた部屋がない、ヨーロッパだとコンパートメントがあるがそこでも何人か一緒になる。何か車の人とは話ができない、そこに乗り合わせた人しか話はできない電車ではみんな一つの車両にのるだからそうした閉鎖的空間は作れないのである。

車社会は人を分散させ居住地差別を作り出し本質的に貧乏人、高齢者、ハンディキャッフをもった人間を排除する社会だ、車社会は車に乗れない人の身分を半人前にして彼らを社会の「一人前のメンバー」から排除した。

車をもつものともたないものの差は大きい、就職するにも車が運転できないとできない、それはなぜかというと当然車社会になっているからそうなっている
車で一軒一軒回るとか車なしでは何もできない社会になっているから車をもたない、運転できないのは一人前にならないそれは障害者と同じになってしまうのである。

それで駅でボランティアしていて不思議に思ったのは盲人が通っている、それで何回か電車にのせてやる、それは車掌も気にしている、やはり結構電車にのるのは危険なのであるハードルが高いのであり危険がともなっていたのである。
車社会では盲人でもそうした配慮がない社会である。車社会にとっては歩行者とか自転車は邪魔者になる、目障りなのである。そういう社会が車社会なのである。
車が必要であるとしても車が貨物だけの輸送になればかなり減るし違ったものになる
田舎では一人一台ももっている家がある、だから車が多すぎるのである。

つまり車をもたない人間はハンディキャップをもった人とにているのである。
でも車でも今は高齢者も80くらいでも普通に運転している
知っている人は80くらいの人にのせてもらっている、そのことによって頼りにされているでももしもっと年をとり運転ができなくる,危険になるときどうなるのか?
もう運転できなくなることは頼りにもされないとなる、第一夫婦がいて夫が運転できないというのは男としての能力もない頼りにならないとされるのが車社会なのである。
でも高齢化社会になると運転は危険になるし相手もいるから運転免許をとたあげるまでになる。でも車社会ではそうすると高齢者は無能化されるのである。

この本で指摘していることには自分は共感した。車をもっていないし生活は自転車が足となっているからである。でもさらに年をとると自転車も近くはいいとして遠くなると無理になる。その時電車を利用するようになるかもしれないのである。
高齢化社会には車が向いていないということがあるのだ
そして車社会はエネルギーの効率か悪いというのもそであり貨物輸送に向いているというのもそうである。遠い距離を運ぶには鉄道が向いていても荷物をおろして点から点の移動は向いていないからである。

そしてこの本で面白かったのは

高齢化するほど、新しい環境への適応能力が鈍くなるので、なるべく早く移住してしまったほうがいい、どうせ移住するなら一家離村、集落離村をして都市生活に適応した方がいい

こんなことを言っているが何かこの辺では原発事故で避難区域になった所ではもう一割くらいしか帰らないとなると町や村を維持できなくなる
それもほとんど老人だからそこでこれから生活を維持できなくなる
介護するにしても訪問するにも老人はまとまっていた方が効率的になるからだ。
だから老人は親しい人たちとかえって移住した方がいいのかとなる
ここには自分が書いたように町や村でも歴史的アイディンティティとか自然とのアイディンティティとかいろいろあり簡単にはいかない問題である。
ただ小高とか浪江を見ているとこれはもう前のようにはもどれないとみるからこれもありなのかと思った。これに異論があるし自分は賛成ではなかった。
でも現実的問題として老人だけ帰って復興できないしその老人を誰がめんどうみるのかとなるからこれもありなのかと思った。

ともかく駅が意外と自分にとって社会の眼を開かせた場所になったことの不思議である。なぜそうなったのかというと家族がみんな死んで一人になったことがあり淋しいから駅に行き話すようになったからである。
そして駅は意外と人間的な場だと発見したのである。多様な人々が交わる場所であることを発見したのである。
もともと自分は鉄道の旅が長いし旅ばかりしていたので鉄道が好きだったこともある
それが影響してボランティアの駅員になったとき鉄道を運営する側に立つことの不思議を経験したのである。

ただ鉄道の現状は過酷である。下の図でもわかるようにかろうじて常磐線は仙台まで残る線だったのである。それでもいわき市から原ノ町までは二両しかでなかったし過疎の線でもあった。しかし仙台まで通じることで常磐線は活きていたのである。
だから常磐線にかんしては過疎の線とは廃線にはならない線だったのである。

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地図を良く見なかったがいわき市まで常磐線は東京までの通勤列車がいわき市からもでている
複線でありいわき市から仙台間は単線なのである。
いわき市から原ノ町までは時間も別であり一時間に一本も通らない、いわき市から原町の間には市になっている区間がない
いつも二両の電車であり乗る人が少ないし駅も無人駅が多い
ここは過疎化している、今度は原発事故でさらにもう人が住まないとなるここの常磐線を維持するのは苦しい
双葉などはこの区間が開通してもとめれない、放射線量が高くて止めれない
でもいわき市と常磐線が通じないと鉄道も活きてこないのである。
たから3年後くらいに通じるがその沿線には人口が10分の一とかに減っているとしたらどうなるのか?
その影響はあまりにも大きいとなる
タグ:車社会批判

新しいキクチスーパー開店 鹿島区は人口も減らないし前より便利になっている



新しいキクチスーパー開店


鹿島区は人口も減らないし前より便利になっている

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前とは違って明るいし見やすい、品物も多い



キクチスーパーが今日開店した、中は原町のキクチスーパーと同じようになっていて品物も増えて見やすくなっている
シシドスーパーもできたし競争になると買う方にとっては便利である。
隣にも新しく店ができるらしい、どういう店かわからない
南相馬市では鹿島区は震災以降かえって良くなっている、人口も減らない、他からわからないけど双葉郡地域からも移ってきて家を建てた人がいるからだ
シシドスーパーの隣に復興住宅ができて浪江の人たちが入っている
経済というときやはり人口がものをいう、一人でもいればそれだけ消費するということがあるから二つのスーパーができたのである。

それで昨日小高の人は人口が多い方が力もつんだよなとか言って嘆いていたのもわかる
小高とか浪江は本当に復興するのがむずかしくなっているのは極端な人口の減少なのである。それも帰ったのは老人がほとんどだからである。
なぜ自分が小高の人は放射線量も低いから帰らないのかと言っていたが
まず回りが豊かな便利な生活をしているとき人間はその生活レベルを下げたくないのである、戦後十年くらいまでは炭を使っていたし水道もない生活だったがみんなそういう生活だからいいわけである。誰もが同じような生活をしていたからいいのである

北海道に土砂崩れとか水害で北海道に移住した十津川村の時代は明治であり結局その村にいても別に豊かな生活などできない、北海道に開拓に入ってもたいして変わらない生活になっていたのである。
なぜこの辺で復興をむずかしくしているのか?それは今回の津波被災地では同じ課題をかかえている、人口の流出であり若い人の流出である。
それは結局とどまるにしてもそこでまず復興すること自体が重荷となるからだ
そうなると便利な所が回りにいくらでもあるのだから原発避難者は補償金をもらったのだから移住した方がいいとなって若い人は帰らないのである。

逆に戦後十年のような生活だったらみんな不便で貧乏な生活をしていたのだから外に出ても同じだとなり残っていたかもしれないのである。
そういう時代の影響が大きかった、町でも村でも復興するということの意義を書いたが
回りに南相馬市だったら原町でも鹿島でも前と同じような生活をしているのだからこっちでもいいやとなってしまう。
鹿島などは前より良くなっているしこっちの方がいいとなってしまう。

いづれにしろ鹿島区ではまだ大東圏建託がアパートを建てている、15棟くらある、だから他から移り住む人がいるから建てている、いわきナンバーが多いから双葉郡の方から移っている、人口はへらないのである。
今回のキクチスーパー開店もこれも買い物にはいいなと思う、毎日買い物が仕事になっているからだ。料理などしていない、何を買うかの方が家事では問題だったのである。
買い物の方のコツがわかれば料理もそれに応じてできる、簡単なものでもそうである。
だから今は品物の数が多いから買い物が一仕事になるのである。

鹿島区でたりないのはレストランとかであり一人暮らしで利用できるものである。
そうすれば一人暮らしでも楽である。何か自分で作ったものがうまくない、外食した方が食堂でもレストランの方でもうまいのである。
ともかく鹿島区は小高と比べるとその差が大きい、鹿島が震災前より良くなっている
もちろん津波などの被害も大きかったのだが人口が減らないのが大きい
人口が減ると一万を割ったりすると相当に影響がでてきていた
全体にしぼんでゆく感じになるからだ。
もう一つなにの店ができるのか楽しみだともなるのが鹿島区である。

2017年04月19日

死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


夜をこめて風吹きあれぬ残り咲く桜も散らむたちまちにして

我が家に風の荒くも吹き唸りきしみ春の夜落ち着かぬかも

小夜嵐花吹き散らす死ぬ人や世にある時のままならぬかも


 今年の天候は去年から変わりやすい、暑くなったと思えば寒い、寒暖の差の激しいのは去年からだったのである。今も風はうなり吹いている、これは小夜嵐である。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐 三島由紀夫

三島由紀夫が死んだの11月だからこれは想像の歌である。
でもそもそも桜は本当に死を連想するのである。それは咲いた思ったら散っているからそのように短い命ということで戦時中は若い人の命は桜にたとえられた、そして桜が散るように死ぬことがいいことだとされたのである。そのことで批判が今になるとでている
若くして死ぬこと別にいいことではないからである。
みんなもっと生きたいと死んだのである。誰も死にたいとは思っていなかったのである。その苦渋の歌も残されいる、全うされなかった生だったのである。
不思議なのは3百万に死んだとしてもその死を今になると深刻に考えないことなのであるこれだけの人間が死んだら一体なんなのだろうと真剣に考えるからである。
それがないというのがわからない、三島由紀夫はそれを考えた人だったのかもしれない

ただ三島由紀夫は有名になりぎた、マスコミにももてはやされた、だから現実社会というより仮想のマスコミでその名が実質の人間以上に拡大化された、マスコミに紹介されて宣伝されると今でもその人物が巨大化されることがある
何百万人の人が見ていればそうなる、ただ今ではマスコミというのはインターネットとか対抗メデアがでて常に批判の対象になったからあの時代とは違っている
第一あの時代にマスコミ自体が批判の対象になることはなかなかなかった
テレビはお茶の間に入りその影響が大きかったのである。
楯の会の若い人の制服を来て行進しているときそれがドラマを演出しているのかと見えたそれが現実とは思えなかったのである。

何かマスコミとかテレビは今でもそうだが現実と乖離していることがある。
仮想の世界と見ている場合がある、それより仮想と現実の区別がつかなくなるのである。それで仮想の作られた映像が真実と思わせられていたことがありそれが問題になった。
イラク戦争の時は油まみれの海鳥を写して世界でイラクはひどいことをするなと怒りになったのである。
マスコミとかテレビは演出するものであり現実と真実とは違ったものなのである。
だから三島由紀夫が現実に決起して自殺のようにして割腹して死んだのには驚いたのである。演技だと思っていたのが現実になったことにみんな驚いたのである。
ただ人間は自ら英雄になろうとしてもなれない、その時代もあるし平和な時代に英雄になることはできない、いくら演出してもドラマの主人公になろうとしても現実ではなれないのである。その時代時代で状況が違ってくるからである。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

散るのは死ぬのは嫌だというのが普通である。でも散るこそ死ぬこそいさぎよい、死ぬこそ華々しいことだとなった、三島由紀夫は老人になることを異常に恐れていたのである。その気持ちはわかる、想像してみても老醜はあまりにも悲惨だったのである。
それはもう自分でもそうだがみんな恐怖なのである。でも逃れようがないのである。
だから早く盛りの時に桜のように散った方がいい、死んだ方がいいとなるのもわかるのである。
三島由紀夫は英雄になろうとしたが演出しても時代でなれなかった、「心の青雲」のプログの都築氏もそうした英雄を望んだ、でも病気になりプログは中断された
都築氏の方が空手の師範であり実践者だったのであるから三島由紀夫より現実的に英雄になれた人間だったかもしれない、でも病気で中断した、プログを読んでいてなぜ透析しているほどなのにあんなに強きなのかわからなかった
人間はどうしても病気になると弱きになる、自分も病気していたからそうだった
自分の病気は腎臓も悪くしたが透析はしていないし結構身体障害者になり苦しかったが
その時介護までしていたからそれほどの病気ではなかったともなる
でも実際は相当に苦しかったのである。

この歌にも三島由紀夫の作られた演出していることが現れている、作為的であり別にさきがけて死ぬ状況にもないのに自らそうしただけだったのである。
それはまさに演技者でありマスコミにもてはやされた人でありそういう人は演技者になりやすいのである。現実の人間は小さくても巨大化されから巨大であらねばならいとなってしまうことがある、マスコミによって作られた虚像になりやすいのである。
その当時はそれだけテレビとかマスコミの影響が大きかったからである。
演技者は現実の英雄にはなれない、今の時代はそうした派手な英雄は求めていないのである。マスコミはテレビは虚像を作り出すのである、今でもそういうことがある。
でも今はマスコミを批判する対抗メデアがインターネットが出てきたりしてマスコミにテレビの報道に乗らなくなったのである。




桜散るー春時雨(仮設になお住む小高の人ー車椅子の行く風景)



桜散るー春時雨(仮設になお住む小高の人ー車椅子の行く風景)

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畑中を車椅子行く春時雨


幾年をここに桜の咲きて散る仮設に小高の人なお住みぬ

はや散りて残れる花も風荒く今日にも散りなむ時はすぎゆく

復興の団地の隣公園に椿の散りぬ3年はすぎぬ


畑の中を車椅子を押して行く人がいる、何かその光景も自然ととけあっているからなごむこれが病院だとそこは無機質な空間になる、人間はやはり障害者になっても自然の中にあるのが幸福だともなる、そういう配慮はなされていない、病院の中に庭があってそこで自然を感じるということもある
ターミナルケアの病院ではそういうことをしている、それは高額になり金持ち用になる
最期の時はただ体だけをみていてもそれが幸福とはならない
だからガンになっても登山したり合唱したりとしているのはそのためである。
最期はチューブで生かされいるのは悲惨である。
それが直るならいいが直らないから悲惨であり非人間的になるのである。
春時雨というのは結構経験するものである。ただこの季語に注意していないとわからないということはある。

川岸に小高の人がいた、一度も会ったことのない人である。その老人は小高に帰るのかと聞いたら新しい家を建てる予定だが大工さんがいないのでできないとか言っていた。
何か小高の人は新しい家建てるという人が前にもいた、でも老人だけが帰って新しい家に住んでどうなるのだろうとは思った
ただこの際金が入ったりしたから新しくするということはあるだろう。
復興住宅には入りたくないと言うのは家賃が結構高いからである。
近くの復興団地は7万とられているとか言っていた、家族が多いとそうなるし所得によって家賃は差があるからだ。
自分の墓の前の復興団地もすでに2,3年は過ぎているしその隣の公園ではそこに住む人が利用している、そこに椿が散っていた。

仮設暮らしというのは5年とか6年とか住んでいるというどういう気持ちになるのか不思議である。それはそうして住んでいる人しかわからないものである。
小高の人が鹿島に六年も住んでいるというのも不思議だとなるだろう。
他でも津浪の被害者でも未だに仮設に住んでいるし新しく家を建てる人はいても建てられない人も多い、原発避難者は小高でも新しい家を建てるというとき補償金をもらったからそうなるし恵まれているとなる
どうして新地駅前にあれだけ土地整備したのに新しい家が建てられないのか?
やはりそれだけの資金がないのだろう、家を建てるには土地こみ3000万くらい必要になるだろう。その金は大きい、そしてなぜ新地駅前の施設が工事がはじまらないのか?
それも人手不足が影響している、建築関係の人手不足は全国的なものである。

ともかく時間と共に次々に変わってゆくのが人間社会である。それが無常なのである。
震災から6年すぎたときもう祖父母とその子供と孫の生活は変わってしまったのだ。
生活が別々になってしまったから若い人は帰れなくなったのである。
この辺の変化が大きすぎたのである。その変化の波にもまれて時間が無常にすぎたのである。



はや散りて残れる花も風荒く今日にも散りなむ時はすぎゆく


今年の桜はこんな感じだった、咲いたと思ったら散っていた
天候の変化が激しい、一日のうちでもかわりやすい、今は風が強くなっている
プログだと一日の変化だが今昼間であり風が強くなったので書き加えた
こういうリアルタイムの報告に向いている
天候は刻々と変わっているからだ、今の季節は花がいろいす咲いたりまた変化が大きいからである



2017年04月18日

落椿の里(橲原をたずねて)



落椿の里(橲原をたずねて)

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夕日さし土蔵の壁や落椿

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この墓は明治時代以降のものである 

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立目石



夕日さし土蔵の壁や落椿

この村に子安神社や春の暮

橲原の名もなき墓や落椿

橲原の渓流に和して夕鶯

渓流に声をみがきぬ夕鶯



滝響き高きに咲きぬ山桜夕日のさして風に吹き散る

夕日さし散りし椿や橲原に名もなき人の静かに眠る

渓流に鶯鳴きて橲原の夕ぐれあわれ山桜散る

橲原に御堂の一つ夕ぐれや枝垂桜に暮るる道かな

立目石夕日のさしてここにあれ渓流のひびき春の日暮れぬ

橲原に一軒隠され家のありたずねてあわれ春の夕ぐれ

橲原の木を柱にしその家に我が住む久し老いにけるかな

帰りきて待つ人なしも我が家かな春の夕星(ゆうづつ)一つきらめく


橲原にひさしぶりに行った、滝の所までは行ったがその奥には暗くなって行けなかった。あそこも放射性廃棄物場になった所があり風致が乱された
ただこの辺では人が住まなくなったというところはない、ただ八木沢峠の麓の家は住まなくなった、それは川をさかのぼったずっと奥である。

橲原(じさばら)というのは不思議な場所である。栃窪とも違う、狭い隠された山間の中にある小さな村である。この村でも江戸時代からあった。たいがい日本の村は江戸時代からある。
そもそもいつも思うことはこうした小さな村が日本には多い、そうしたらどうして暮らしていたのかということが不思議になる、橲原だったら木材資源があり炭焼きをしていたとかは山村だったらどこでも同じである。田畑はあるにしても狭いからその村で食べるくらいはとれた。あとは炭焼きとかで現金収入を得ていた。
炭焼きというのがあり生活できていたのかとなる

自分の家はその時まだ外材が入らないので姉が同級生がいてその人が橲原に住んでいてキリでありその人に木材を選んでもらい買い今の家を建てた
こういうことは戦後まもなくは普通だったのである。
外国は関係ない経済だった、森林でも森林鉄道が網の目のように張りめぐらされていたよように木材であり石材を蒸気機関車で運んだのである。
それは主に東京に運ばれたのである。ただ外国と関係しているというときアメリカに絹製品を売るために養蚕が全国でどこでも盛んでありそれは外国と関係してそうなっていたのである。それが外貨をかせいで外国の資源を石油なども輸入していたとなる
だからその時も外国と関係しないということはなかった
でもその絹製品を生産するのは養蚕だから農業だったのである。
だから山村でもできたしどんな辺鄙な所でもできたのが養蚕だったのである。

ともかくそうした国内経済とか自給自足の村とかに成り立っていたときはそれぞれのつながりが生活の中であった、そういうことは江戸時代から万葉集時代までそうだったし戦後十年くらいまではその延長だったのである。

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

「黒木」は皮のついたままの木のことである

橲原の木を柱にしその家に我が住む久し老いにけるかな

こうなるときやはり生活の充実感を感じる、外材だとそれを感じにくい、それは食糧でも地元からとれたものを食べているのが充実感があるけど外部から入るのが普通だから昔とは違っている、米でもそうだからそこが昔と一番違っているのかもしれない。
熊本地震でも橋が壊れて孤立する村ができた、今でも不便なのである。
今は流通がたたれると生活できないとかいう人がいたが本当にそうである。
あらゆる物資が村や町の外から入ってくるからである。外国から入ってくるのも普通だからである。
そういう生活は便利でも何か不安があり充実感がないのである。
その不安とは何かの異変が起きて外国からは物資でも入らなくなるという不安なのである

橲原は戦後やはり小池ですら戦争の引揚者が開墾に入った人たちがいた。だから開墾に入った人たちがいたかもしれない、ただ狭い所だから飯館村のようには開墾する土地がないからわずかだろう。あの名もない石くれの墓は明治時代からのものである。
なぜあのような墓なのか?普通でも墓を作ることは金がかかるから簡単にできなかったのである。だから墓でも今とは違って粗末なものが多いのである。
まず五輪の塔の墓は武士のものであり庶民はそんな立派な墓は作れないのである。
庶民は江戸時代は墓自体作れなかった、村のホトケッポという場に共同で埋めていたのである。
死者が眠る場所にふさわしいのは山である。だから山にもともと死者を埋めていたのである。
それで万葉集にも死者は山に眠っているのである。その山で死者に会いにゆくということがあった。
海側に墓地があるのは何か今回の津波のように向いていない、波の音がするし落ち着かないのである。

橲原の不思議は隠されたようにある村なことである。今は別に農業しているわけではないみんなどこでも会社員である。ただそこに田畑があり一応農村という外観があるとそこから昔を感じるのである。
だから放射能騒ぎがあってから田畑が作れないとか放射性廃棄物場になるとかそれで乱されたのである。この辺はまだ人が住めるし住んでいるからいいのである。
全く住めなくなった所がありそこは廃村になってしまったからだ。

橲原は落椿の里である。あの名もない墓地の所に椿が散っている、それがなんともあの場所にあっている、そういう場が田舎にはある、その場独特の雰囲気である。
それは新地でもそうであり飯館村でもそうであり何かその村特有の雰囲気がある。
それが放射能騒ぎで乱された、飯館村はソーラーパネルの村になったからそういう雰囲気がなくなった、それが一番自分にとっては悔しいとなる。
そのことで怒りを感じるのである。
例えば都会などは東京でも何か地震でも戦争でも破壊されたときそこはもともと自然が存在しないのだからその跡は無惨でもそんなに感じないかもしれない
そもそもあのような煩雑な場所に人間が住んでいることが異常に思えるのだ。
感覚的におかしくなってしまう、若いときはあのような都会の方でも良かったのである。田舎はなにもないものたりないものとして嫌っていたのである。

とにかく元のような平安な村にもどることである。それは橲原だけではない、避難区域になったところでもそうである。そういう村が消失したということは大きな損失なのであるそして放射性廃棄物場になりソーラーパネルの村になるのも困るのである。
海岸側はある程度はしかたないだろう。山村までソーラーパネルになるのが嫌なのであるでも飯館村ではなってしまった。橲原にはないが原町でも奥の方にソーラーパネルが設置されていたりする、それが数は少なくても嫌だとなる

それにしても家族が待っていない、それでも我が家なのだろうか?
家族がいないという経験もまた不思議である。介護していたときはやはり家族がまだいたから違っていた。がらんとした大きな家に一人いることが何か違和感を感じる
淋しいということもある、でも組でも四人は自分と同じく一人暮らしであり大きな家に住んでいるのである、一人は女性なのである。そういう独居老人が増えているのだ。
そこに問題も起きるのである。
何か家族がいないと誰かと話したいとかなってくる、それでスーパーであれ人ごみに老人が行くという気持がわかる、自分も家族がなくなってから人がいるところに人と話したいとなり駅に行ってボランティアしている、そこで人に話しかけているのである。
それを嫌がられることもあるが外からきた人には案内ということがあり用があるからいいのである。

今年の春は桜が散るのが早い、山桜さえ散っていた、山桜は染井吉野より遅く咲くがもう散っていたし船岡の千本桜も散っていたと車で行った人が言っていた、全国的にも桜が散るのが早かったことはまちがいない、今年は外に桜を見に行く前に散ってしまったとなる

タグ:橲原 落椿

老化は防ぐには筋力が大事 (自転車は効果的だったのかも)


老化は防ぐには筋力が大事


(自転車は効果的だったのかも)


 体の中には発汗の際に働く汗線周囲の筋肉や、視力を調節するレンズ周囲の筋肉など小さな筋肉も含めると650種類もの筋肉があり、その全てが連動して生命活動を支えています。これら全ての筋肉には共通点があります。それは、筋肉は神経を介して脳とつながっているということです。

 特に鍛えたいのは、「大腰筋」

鍛えたい太もも周辺部の筋肉のうち、特に重要なのが「大腰筋」です。大腰筋は股関節と骨盤をつなぐ大事な筋肉。歩行時に足を引き上げたり、階段の上り下りをしたり・・と日常動作で大きな役割を果たしている筋肉です。

自転車をこぐ時に、競輪選手のように頑張って自転車をこぐのではなく、あまり急な坂道ではない位の平坦な道で、頑張らない程度にこぐと、大腰筋が良く使われます。

大腰筋が重要なのは、大腰筋が、背骨と骨盤をつなぐ姿勢を保つ要の筋肉だからです。
大腰筋が衰えると、骨盤も歪みやすくなります。


人生の結果が老人にでる、しかしそれは予測できないものなのである。老人になってはじめてそきことを知り愕然とするのである。
それはあらゆる面でそうでありカルマの総決算が現れるのが60代以降である。
なぜなら人間はどんな人でもカルマを積んでいるからである。
カルマとは行為のことでありそき行為が結果として老人になり現れる

だからその人生は行為の積み重ねであり想き結果が老人に現れる、それが自転車と何の関係があるのかとなるとやはり自分の場合はあったのかと思う。
自分はサイクリング旅行したりしたのは40代でも車がないのだから自転車にのっていたからである。
ただ最初は20代でも電車でずっと旅行していた。そして自転車で旅行している人をうらやましくみていた、あんなことできないと思っていたのである。
それが電車の旅行がものたりなくなり40代からするようになった。
海外旅行もできないと思っていた、それを50代ではじめたのである。
人間は何か最初から思い込みがある、自分にはできないと思ってしまうのである。

新地駅であった老人は体は小さいのだけど何か言うことはわからなかったが盛んに自分の体の自慢をしていたのだと思う。そして俺は体は丈夫なんだ、見ろこの筋肉をと言って触らせた、それが本当に筋肉が盛り上がって堅いのである。ボディビルダーのような筋肉をしていた。自分の筋肉はさわると柔らかいのである。
あの人は肉体労働をしていた。そういう生活の積み重ねで筋力が鍛えられたのかもしれない、そういう人は他にもいる、体が大きいから体力があるとは限らない
船乗りだった人は体が小さいのである、あんな体で船乗りに漁師になれるのかと思った。でもその人は体が機敏なのである。だからゆれる船ではかえっていいのかと思った。
それから鳶をしている人も体が細いのだけど機敏なのだろう。高い所で細い鉄骨のような所を歩くの怖くないしかえってあっているというから驚きである。

いづれにしろ人間は生まれつきの資質は一生を左右するのも確かである。そういう資質は変えられないし作れないからである。
だから人間は本当に学歴ではない、資質が左右して仕事ができるかできないかで決まる、収入も決まる、鳶の人はやはり収入がいいし仕事ができる人は収入がいいのである。
大工だって何だって仕事には資質が作用している、東大でようが資質がなければ仕事ができないとなる、だから学歴で人間は評価できない、ただ理系となるとそういう素質が資質が関係しているからある程度は見れるのである。
文系となると東大と三流でもほとんど関係ないのである。
ただやはり学問でもなんでも積み重ねだからそれが影響してくるのである。
得手不得手があったとしても長年積み重ねがあれば詳しくなれる、第一あらゆることに精通などできないからである。

だから老化という問題もそうした人生の結果として現れるともなる、60代すぎると10年くらいの差ができる、特に病気したりしたらもう急激に老化しているのである。
だから老後は60代以降は病気が一番怖いのである。でもなんらかの資質でまた素質で病気になるのである。
自分は自転車にのりつづけていて悪い結果としても現れたかもしれない、自分の病気は自転車にのっていたためだっかもしれない、ただいい面として「大腰筋」が自転車だと鍛えられていたのかもしれない、何か若く見えるというのもそうかもしれない
自分は20代で60に見えていたのである。老成していたのである。
だから奇妙だけど今になると自分はその20代と変わりないともなる、顔でも変わらないとなるのである。
自分は母と同じように体力がない、だから激しい運動はできないのである。
自転車は登山のような激しい運動ではないからできたのである。

そして結果的に「大腰筋」が鍛えられていて筋肉が強化されていたのかもしれない、姿勢がまだいいからだ、ただ別に自分だけではない一般的に今は老人はそうなっている
病気になったりするのはまだ少ないからである。だから比較はできない。
ただ人間の体では筋肉が一見腕の力こぶとか目だった所をみるが全身が筋力でそれが脳にも影響しているというとき筋肉が神経とも連携している、となると筋肉は体にとって大事だから老化をふせぐためには筋肉を鍛えろとなっている
筋肉が大事だというとき寝たきりになると筋肉が急激に衰えて立つことも歩くこともできなくる、そのことによって介護する人は過重な負担を強いられるのである。

自分の母親は死ぬ一週間前までホータブルトイレにベットから起きてしていた。
それまでも這ってトイレにまで行っていた。なぜ寝たきりで動けなくならなかったのか?
それはやはり細身だったけけど筋力がまだあったからだったのともなる
筋力が弱ると起き上がることも立つこともできなくなるからだ。
こういうことで自分は介護してもなんとかできたのである
オムツもしてなかったからである。
だから介護されるにしてもこうして楽だと迷惑をかけないことがある。それには筋肉が働く必要があったのだ。

長寿社会というのは先が長いとなるとき金の問題も大きいがまた健康の問題も大きい、
どうしたら健康に長生きできるとか、どうしたら楽に死ねるとかなる
自分の母親はその点百歳まで生きたけどさほど迷惑をかけないで死んだなと思う。
ただ母の人生は何の面白味もない人生だったからそれがいいかどうかはわからない。
ただ健康面から見れば良かったとなるだけである。

ともかく老人になれば60代以上はやはり何でも日頃の生活の積み重ねが現れる、それはカルマでありそれが結果として現れる、それは肉体面でもそうだし精神的面でもそうなのである、それは刑法で罰せられるか罰せられないとかではない、その内面に刻印されるものがあるから怖いとなる、顔に責任をもてとかなるのもそうだろう。
人間はなんらかカルマを積むしそれは精神面でも体の面でもそれが結果として老人になり現れる、自分が十年間の自分の病気とか介護とか他者から苦しめられたのもカルマだったのである。
このカルマは誰でも相当に厳しいものとなる、ただ自分はそのカルマを十年間で清算したのかもしれない,それはまだわからないにしても何かそういう感じはする

2017年04月17日

朝桜(相馬市から新地まで-俳句十句と写真)


朝桜(相馬市から新地まで-俳句十句と写真)

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相馬氏の八幡神社

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相馬神社
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相馬の城跡の堀の桜


新地の景色

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今落ちた椿
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新地を行く電車
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ここから海が見えた

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新地駅

注意ークリックして拡大しないときれいに見えません

今回の写真はみんな大きくしないと見栄えがしません


朝桜遠くに行かむつばめ飛ぶ

八幡の鳥居の赤く朝桜

金色の錦鯉に朝花散りぬ

金色の錦鯉浮き朝桜

馬を曳き相馬神社の朝桜

今落ちぬ椿の赤し望む海

朝桜海を望みて新地かな

新しき新地駅かなつばめ来る

残雪の蔵王光り見ゆ新地駅

春の朝海を望みて電車行く

草萌えて電車の行くや望む海

薬師堂帰りきてあわれ夕桜


朝日さしロードに走り風に散る花や遠くに我が行かむかな



朝からロードで新地まで行った、途中八幡神社の桜を見た。朝日がさし晴れていたからきれいに写真がとれた、写真は光の影響が大きい、桜はすでに盛んに散っていた
あそこの錦鯉に金色のがいて写真にとれた。
相馬神社では馬を曳いていたのは神社で野馬追いの馬を飼っているから相馬らしいとなる
新地の風景は変わってしまった、電車が海を望んで走っている、あういう風景はまるで変わった風景だし駅でもそうである。
新地の地形の特徴は海と接して高台になっていて海が望める
その高台に家が点々と森につつまれてあるからいいところである。

仙人は山の上から手を延ばして海の貝を取って食べていたと言われ、その食べ滓の貝殻が山のなかから今でも見つかるとのことです。これは、縄文時代の貝塚であり、この地域には石器時代の昔から集落があり、その遺跡が後に伝説を生んだと見られます

手長明神の伝説は各地にあるとして新地はその伝説が勝手に作られたものではない
現実に海の近くの高台に貝塚が発見されている、貝をとって暮らしていた人たちがいたのである。そういう地形になっているのである。
だからなんでも伝説でも歴史でも地形をみることが大事になる、その地形は地図を見ただけではわからないのである。

新地は津波の被害が大きかったけど新地駅は前より開発された良くなったし風景までが変わり電車からみる景色も海が広々と見えるから良くなった。
ただ風の影響を受けるので自分が見た写真にとった電車も徐行していた、それで写真もとれた。写真をとるにはいい景色に変化したのである。
そして新地にはソーラーパネルがなかった、だから景色が乱されていないからいい
実際に新地の人口は減っていない、若者も流出していないのである。

それに比べると小高でも浪江でも飯館でもその差が大きすぎるのである。
飯館は森につつまれたアルカディアだったけどソーラーパネル工場と化してしまった
あそこの草野に住宅ができるとしても何か住みたくない。風致が乱されてしまったのでがっかりした。
この辺で風光明媚というとき浪江の水墨画のような高瀬川であり森につつまれたアルカディア、桃源郷とかが飯館村であり新地は手長明神の伝説が残る海に接して高台に人家がある所としてあった。

阿武隈山脈は森が多いし森につつまれた世界である。だからそういう森の影深いところが多いのである。その風景自体変わっていないが飯館村は変わってしまった。
それが残念なのである。第一土がけずりとられたままで田畑も耕作できなくなったからである。だから飯館村が離れていたけど原発事故の影響が大きかったなと思う
何かそうした風景というのは景観というのは心に影響する、ソーラーパネルはその景観を乱すから嫌なのである。でも土地の利用方法がないからどうにもならないのである。

源義家の〈吹く風をなこその関と思へども道も狭(せ)に散る山桜花〉

今回は朝桜が晴れ渡り映えた、そして風で桜は散った、天候も昼間からは曇り雨も降ったそのあとまた晴れたのである。
だからこの歌がふさわしかった。ここでは山桜になっているけど自分が見たのは染井吉野の桜である。第一山桜だとこんなに散る景色は見ないのである。
だから何かこの山桜と染井吉野が混同されやすいのである。
これは感覚的には相当に違ったものであるが今は染井吉野の桜を見ているのが多いのである。

帰りは日立木の薬師堂の桜を見て帰ってきた。今回も疲れてぐったりして病気のようになった。何か疲れやすくなった。だから自転車は苦しくなった、でもやはり自然と一体化するのには自転車でありまた車もないから自転車で行く他ないのである。

2017年04月15日

文明は必ず崩壊する運命にある 専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した


文明は必ず崩壊する運命にある

原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した

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江戸時代とか昔を万葉集でも参考にするのは別にその時代がいい時代だったとかその時代に暮らしたいというではない、そういう時代がありその時代の生活を今と比べてみると現代がどうなっているのか?
それが明確に対照化されてわかりやすいということである。
社会をみるとき現代だけをみているとわからないのである。
単純に比較すれば

学校がない

病院もない

会社もない

工場もない


鉄道もない

車もない

電気もない

電話も携帯もスマホもない


今当たり前にあるものが一切ないのである。そういう社会は現代では理解することがむずかしいのである。
そんなところで今なら生きていけるのかとなる、特に戦後十年の自給自足の生活を経験していない高度成長などに育った人は理解できない社会である。
例えば飛脚などがいて走って郵便を届けていた,それが人を継いで東京から大阪まで走った、その間に70人の人が継いで走っていたのである。
つまり郵便一つ送るにもそれだけの手間が必要になる。今ならボタン一つでできるからだそして江戸時代の人口が3000万人にもみたない社会であった。

そういう規模の社会が今になるとイメージできないのである。辺りが森でおおわれて電気もないのだから真っ暗な世界になる。
原発事故の避難区域になったところか人が住んでいないので夜になると暗くて嫌だというがそれが当たり前の世界が江戸時代だったのである。
そういう世界に生きていると人間はどうなるのか?それはまず都会では東京のよう大都会ではとてもイメージすらできない社会である。
江戸があったとしてもその江戸ともまるで違った世界だからである。
江戸ですら電気がないのだから真っ暗闇であり草木も眠る丑三つ時になっていたのであるこれだけでも相当な違いである。東京などは大都会は眠らない都市となっているからだ。

だから江戸時代と比較するとき現代の問題もわかりやすくなるのである。
ピカートとイリイチのことを例にしてその本から引用して現代の文明を批判した。
でもどこが問題でどこが違うのかとなるとわかりにくい。

それで専門家とは何なのか?江戸時代の専門家とは何なのかとなるとやはり専門家はいた
医者という専門家もいたし学者という専門家もいたし職人という専門家もいた。
専門家というときそれは個々人としての専門家である。
でも現代の文明で問題にしたのは専門家という個人ではなく専門家集団機構のことである教育というとき寺子屋があり先生がいたとしてそれは専門家集団機構のことではない。
教育という分野は国家でも私立でも専門家集団機構となっている
寺子屋の先生のように一人で教えていたりしないのである。

職人という個々人の専門家はいたとしても専門家集団機構とはならない。
現代はあらゆるものが専門家集団機構となっている、第一会社がそうである。
そしてみんなが会社員の時代では個々人の職人はいない、大工などが例外的にあってもその人たちも会社に所属していれば専門家集団機構に所属することになる
医者でも個々人の医者であり病院がないのだから専門家集団機構とはならない
ここで問題なのはこうした専門家集団機構は一つの巨大な権力をもつことである。
それは素人が立ち入れない集団を形成して権力をもつことである。
それは国家でも官僚という集団があり東大閥を形成して法曹界を牛耳るとかある

今回の東電の原発事故でもそうした科学者技術者集団が専門家集団機構が起こしたものである。そこはさらに政府とも一体化して巨大な専門家集団機構として権力をもったからとても素人では太刀打ちできない、それよりそこに立ち入ることもできないものとなっていた、つまり文明社会はそういう仕組み、システムの上に成り立っているのである。
だから原発事故でもそういう文明自体のシステムが崩壊したとなるのである。
だから専門家集団機構が崩壊したとき文明の崩壊にもなる
そういうことが原発事故でこの辺で起きたのである。
現実に故郷にも住めなくなったことでもわかる

そういうことは例えばマヤ文明でも起きていた、カンボジアのアンコールワットのような文明でも起きていた。それも高度な技術をもった文明だったのである。
その遺跡を見ればわかる、マヤの場合は天文学を駆使してテクノクラートが支配していたから現代が科学技術者が支配していると同じ構造だったのである。
それが崩壊したのは科学が天文学が限界に達して崩壊した、世界が滅びる日にちを割り出してそれで破滅だとかカルト宗教にもなっていたのである。
そのカルト宗教というとき原発もカルト宗教のようになっていた。
安全神話を作り絶対に事故は起きないとして原発を神のように崇めることにもなったのである。それが事故で崩壊してその周辺が住めなくなった状態は文明の崩壊である。
アンコールワットでもマヤでも森の中に遺跡は捨てられたのとこの辺はにているのである原発事故で文明の崩壊現象が起きたのである。

専門家とは人間の社会では常に存在するしそれは否定できない有用な人としてある。
実際に自分はインターネットなどで病気になったとき調べてそれで死ぬところだった
だから自分で病気など判断するのは危険なのである。
民間療法を頼り自分と同じような目にあった人がいる、情報の迷路に陥りかえって体を悪くしたのである。だから専門家は必要なのであり有用である。
ここで問題のはそうした個々の専門家ではない専門家集団機構となったものを問題にしている。
現代文明の問題はその専門家が専門家集団機構となって権力をもちそれが崩壊したとき原発事故のように文明も崩壊するということである。

それはアンコールワットでもマヤ文明でも起きていたのである。
なぜそうなるのか人間の知能は神のように全能ではない、限界がありそれでいくら優秀な科学技術集団で専門家集団機構として権力をもってもその権力の基盤となる科学技術が限界に達して崩壊する、それはマヤ文明などでも起きていたのである。
そこに人間の限界があり崩壊して文明の遺跡は森に埋もれたのである。
それと同じような現象が原発事故周辺で起きたのである。

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無連関の社会がナチスを生んだ (分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)



無連関の社会がナチスを生んだ


(分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)


人間は自動車や飛行機によってむやみに空間を奪いとったから、人間は空間に内包しているものを真に所有するだけの時間的余裕をもたなかった
人間は空間を縦横に走り回ったがしかし彼はもろもろの事物をかたわらを素通りしただけである。

もはや人間はいない、もはや自然もそして神も存在しない、存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである

言葉と事物は割れていたのである。言葉はもはやそれが名づけるところの事物と対応していなかったのである。
「われわれ自身の中のヒットラーピカート」

飛行機だと地球の裏側まで一日とかで行ける、しかし飛行機では空間を全く体験できないその点船であれ鉄道であれ空間を体験はできる、本当に空間を体験できるのは歩くことなのである。だから歩くことが新鮮なことであり人間回復に通じている
車社会になるとまず歩くことはない、また電車にも乗らないから乗り方さえわからない人が多いのである。車社会とは自然からも風や光も感じないから自然から遮断されているのである。
現代社会を作っているのは自動車だということが言えるとき車は単なる車ではない、社会そのものなである。だからこそ鉄道より車が利用されて鉄道は廃れるとなる

大地を歩くことがふみしめて歩くことは大地を感じることである。

一里ほど歩み大地に草萌ゆる

歩むことにより大地から草が萌える春を感じる、でも車だと大地の表面をかすめるというだけになる。大地の重みを感じないのである。
だから高村光太郎の牛の詩は大地自然と一体化した詩でありそういう詩は今は作れなくなる、牛というのも牛肉したり乳牛したりとするとき牛本来の自然の姿ではなく人口化された機械化されたものとなる、牛でも馬でも昔を農耕していたし荷物を運んでいた
すると動物でも奇怪ではない、動物本来の自然を生きていたとなる
鶏でもそうである。今は卵を生む機械にされている、そのことは人間も同じように一つの機械にロボットにされている社会なのである。
生き物を機械としてあつかうとき人間も同じようにされるのはやはりカルマの法則なのかもしれない。

存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである。

機構というとなにのなか?一つの団体と組織とかであろう。それは社会全般でそうなっている、一見現代では当り前と思うものが異常なものの産物である。
それが現実社会を生きていれば気づかない、みんなその中で生きるために必死だから会社員になれば会社のために必死に働くだけだとなるからだ

分断され部分化、無数の部品化された社会というとき一見きづかなけどあらゆるものがそうなのである。
学校でもそうして分断分化された機構なのである。そして学年によって分けられているのもそうである。
学年ごとに分類されて同質のものとして分類され分離されて学年が年が違うと交流がなくなる、江戸時代には子供は子供社会がありそんな学年ごとに分化されていないのである。江戸時代の不思議は現代にないものがあったということである。
それは架空のものではない現実にあったから具体的なものとして比較できる

例えば農家というときそこは自給自足する一つの全体をになっていた。だから水でも裏山からとり木も利用して家の木材として利用したり動物でも牛でも馬でも農耕で使いとか鶏は庭を歩いているから庭の鳥となっていたのである。
ニワトリとはまさに庭と結びついていたのである。今はニワトリは籠に入れられ卵を産む機械とされている
昔の農家は自給自足の中で生きていた全体として生きていたのである。
だから納豆までも作っていたのである。
そういう世界では回りとの連関を無意識的に生活の中で実感しているから感覚的に相当に違ったものとなる
現代ではそういう世界を連関を意識できない社会である。水はどっから来るんだろうとなると裏山から来るのではない、ダムから来ているとなるとそれでも身近に感じられない
水というもののありがたさを感じるにはやはり自然そのものの水を感じる、裏山から流れる清水だったらそれを感じるのである。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも 

まさに万葉集にはそうして自然と密着して生きた人々の声が伝えられている
それは自然と共に栄えていた人間の姿である。
文明化するとそういうものがなくなる、水がどこから来るのか、
食糧がどこから来るのか?地球の裏側から来たりしているから意識できないのである。
ただその時必要なものは金であり金でなんでも買えるから金の方がありがたいとなってしまったのである。
とはいえ趣味程度の畑でも苦労が多くそこからごくわずかのものしかとれない、となると金があれば野菜でも果物でも手に入るとなりその地元の知っている人の畑は何の価値があるのだろうともなってしまう
その女性は農家の出であり自給自足の生活を実家ではしていた時があった。田舎では戦後十年くらいまではそうだった、だから遠い万葉集の時代のことではないのである。

いづれにしろ人間は学校だけではない、人間は分断され分化され分類されている
それはいたるところでそうである。まず会社が違うと何をしているかわからなくなる
そして人間は病院があるとするそこは医者や看護師がいて患者がいて分離隔離された機構なのである。それは学校は学年ごとに分離隔離されたものでるのとにているのだ。
老人ホームでもそうである。老人だけしかそこにはいないからだ。
子供は子供として老人は老人として病人は病人として隔離されているのである。
相互に分断され連関しない社会である。その連関がない社会故にヒットラーが生まれたというのもわかる。
カルト宗教団体がそれににているというとき宗教も分断分離されて隔離されているからだなぜそれほどの人間が集まるのか?それはナチスがヒットラーが生んだ構造と同じだからである。そこは真の共同体ではない即製されたインスタントな疑似共同体だという指摘があたっている。
真の共同体とは空間と時間の中で作られる、それは例えば相馬藩だったら江戸時代からその前からつづいていて形成されたものである。
そういう空間と自然の中でのアイディンティティを追求したのが自分であった。

だから原発事故でも実はこうした文明社会のなかで起きたことなのである。
原発の中には地元の人も立ち入れることはできない、それは病院が医者と看護師のもとに支配されているのともにているのである。
原発の中は科学者という専門家しか立ち入ることはできない、隔離されていたからである病院でも医者が薬剤師や看護師という専門家しか立ち入ることでできない、一般人はその中で無力化されているのである。
専門家というときそれも批判された、マスメデアも実は情報の専門家なのである。
だからマスメデアは情報の専門家として政府と東電と結託して「安全神話」作っていたのである。なぜなら何百万人に報道できるのがマスメデアでありマスメデアは大衆を情報で操作する力をもっているからである。その対抗として素人のインターネットメデアが生まれたのである。それはいいことだったのである。
でなければ情報まで専門家集団のマスメデアに牛耳られてしまうからである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりなきしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである(イリイチ)

専門家というときいたるところにいて分断された機構を作り支配するのである。
病院という空間では医者と看護師が学校では教育者が裁判所では法律家がとか原発では科学者がとかになり素人は立ち入ることができなくなる、カルト宗教団体も分断して隔離する機構である。それも文明批判として常にあった。
原発事故でもそうした文明という構造物から必然的に生まれたものである。
だから確かにアウトサイダーが言うように文明そのものの否定が拒絶によって人間回復するというのは言える、それを自分は田舎で追求してきたともなる
シュペングラーやニーチェやミラーとか上野霄里氏とか天才的な人はこうした部品化分類化した社会に耐えられないからそうなったのである。
ただそういう人は天才であり偶像崇拝になるから危険でもある。
またなぜ偶像化するというのも現代文明がヒットラーのようにそういうものを求めるているということもあるからなのだ。一人の人間なの中に人間を回復させようとするからそうなるのである。


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


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2017年04月14日

人間は70才まで老化しない? (百歳生きた母の例では・・・)


人間は70才まで老化しない?


(百歳生きた母の例では・・・)



本当は70才まで老化しない(武田邦彦)


これはまちがいないだろう、現代では栄養が十分であり70才までは老化しない、ただ60才以上は病気になる、なにかしら病気をかかえた人が多いのである。
それはいくら健康に注意してもその人の素質で病気になる
老化するというときスポーツ選手などが若いときのように体が動かないということであり普通の人はそんな激しい運動をしないから筋肉も衰えていないのである。
だから現代では70までは老化はしないというのは本当である。
ただ病気になるからそこで体が衰えるのは老化とは違うのである。

病気と老化は違う、老化は病気しなくても体が衰えることである。
例えば認知症は何なのかわからないけど脳の病気である。
それは老化ではないのである、老化による脳の衰えは記憶が悪くなることなどがある
腰が曲がったりすることもある、それは老化であり病気とも違うのである。
病気と老化は分けねばならない、認知症は最近発見された病気なのである。
認知症はこれまで病気とは認定されていない老化現象だとされていたのである。

老化と病気の相違は何なのか?それは老化は直らないが病気は直るということである。
だから認知症も病気だからいろいろ治療をためしているし薬も発明されている
病気だから直るとして研究されているのである。
もし老化だったら直らないのだから治療しても無駄なのである。

自分の母親は百歳まで生きたけど例えば血管に異常がなかった、病気がなかったのであるだから脳梗塞であり脳出血になっていない、それは病気なのである。
ただ腰が曲がった、90度に曲がった、それも病気とは言えずそれでも普通に生活していたからである。腰が曲がるとき苦しんだからそれは病気とも言えるが老化して曲がったのである。

老化とは脳だったら記憶が悪くなるとか誰でも起きてくる、耳も遠くなるとかもある
でも老化と病気は違う、病気は直るものとしてみる、だから研究しているのである。
老化は直らないから治療しても無駄なのである。
人間はたいがいは病気で死ぬ、病気で死なないものが老衰で死ぬのである。
それは正に寿命が来たから死ぬのである。動物でも何でもそうだが普通は病気で死ぬのである。老衰は病気で死ぬのとは違う、老化で死ぬから枯れるように死ぬのである。
だからさほど痛みも苦しみもないのである。
老衰の死に方が一番いい死に方である。百歳まで生きればたいがい老衰で死ぬ
その他はみんな病気で死ぬのである。

自分の母親が百歳まで生きたのはなぜか?体は細く重いものをもてるような女性でもなかった、まず激しい運動などできないのである。
ただ細く長く生きた女性だった、大正生まれで粗食であり苦労はしたが戦後から十年すぎて高度成長期になるとみんなと同じくいいものを食べていた
栄養は良くなったことも影響している
若いときは粗食だったということはそもそも細いのだけど体力がないのだけど基礎的に細くても生きる力があったとなる

ともかく何か過度に運動はしない、家事であり店などしていたが過重なことは無理はしていない、そもそもできないのである。体に負担をかけないことは確かだった
スホーツ選手が早死にするのは過度に体に負担をかけるからである。
母は平均的に毎日同じような生活をしていたのである。それも面白くない人生だったとけどそれが百歳まで生きた原因になる

大事なことは病気にならなかったことなのである。老化はしても病気にはならない
なぜならほとんどの人は病気で死ぬからである。
病気にならなければ老化してゆくが最期は老衰であり枯れるように死ぬ、痛みもなく自然な死になる、だからいつも眠るように死にたいと言っていたけどその願いはかなったのである。
老衰は仏教でいえば成仏することかもしれない、なぜなら苦悶も苦痛もないからである。
人間は自分でもそうだが60代で病気になったがその病気はたいしたことはなかった
だから自分は病気ではないし筋肉も衰えていない、ただ今は筋肉が衰えている、疲れるからだ。でも普通に生活できるから老化したともいえないのである。
忘れッぽくなっているのは確かであり人の名前などが覚えられない、でもそれで脳が退化したのか老化したのかとも思えない、なぜならあらゆることに理解力が深まっているからである。人間は脳が老化するということはなかなかないのだろう。
老人になってますます脳が働くということもありうるのである。

人間はこれからは70才ではない80才まで老化しなくなると思う
そういう環境に生きているからである。
60代で病気になってもならない人も多いし軽い人も多いから80才までは普通の人とたいして変わらずに生きられるかもしれない、ただ一番怖いのは病気なのである。
病気がなければ百歳まで生きて老衰で死ぬとなる、ただ百歳まで生きるとなるととうなるのかイメージできないのである。あと30年かとなるとその年齢がイメージできないのである。
ただ百歳もめずらしくなくなり人間は長寿になるから人生を長い目で見られるといういい面が生まれる、人間は仕事を完成しようとするとき百歳くらいまで生きないとできない
それで天才の北斎は

70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし

江戸時代の平均寿命となると人生50年だろう、そういう時代に90まで生きたとなると例外的な存在である。
このことは平凡な人でも現代だったら言えるのである。
自分は天才ではないけど時間をかければそれなりのものになるということである。
まちがいなく年を重ねれば理解力は深まるのである。
何か自分は若いときは詩でも何でもたいしたものが書けないというよりは若いとき詩でも何でも文学的作品を書いている人が多いがそういうものが書けなかったのである。
そういうものが書けることがありまた理解力が深まってるからたいだいのものは理解できる、鑑賞できる、若いときは鑑賞もできなかったのである。

脳とは何か?それは人生の中で積み重ねで経験で作ってゆくものである。
脳に回路を人工的に作ってゆくのである。脳とは誰の脳も完成されたものはないのである資質はあるにしても未完のものとして与えられているのである。
それを生かすも殺すも本人次第だとなる
ただ天才はそうした積み重ねで成すのではない、すでに作られているのが天才だともなってしまう。
だから北斎は天才だからこういうことを言うのは何なのか?
やはり天才でも年を重ねてしか自然でも絵の上達はないということなのである。
要するに何かを理解するにはそれだけ人間は時間が必要なのである。
認知症のことなども経験して書いてきたがあれはこういうことだったのかとかあとで理解するようになる。その時は夢中であり理解できないのである。
だから何でも理解するのには時間がかかる、人間でも死んでからその人のことを理解することがある、それだけ理解すること自体がむずかしいということなのである。



朝桜(今年の桜は・・・)


朝桜(今年の桜は・・・)

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鳥の飛び海を望みて朝桜

東風(こち)吹きて海を望みて朝桜

誰か見る桜咲きそめ昼の月

雨ぬれて水々しかな春の草

春の日や山鳩待ちぬホームかな

一里ほど歩いて大地に草萌ゆる

浪江まで開通するや草萌ゆる

山一つ霞むや遠く暮れてゆく

金屏風桜の映えて大広間

政宗の60万石の夕桜


みちのくの桜さきそむ雲間より月いで光りまた隠る

咲きそめし桜やあわれ雨しととぬれてまれにし人の行くかな

たちまちに死してかえらぬ人にあれあといくたび桜見むかな

若くして死す人あわれ生きたしと咲きし桜にその思いかな

満開の桜の風に吹きゆれぬ亡きにし人もかくありしかも

満開の桜そ今し朝日さし輝きけるや鳥飛びわたる

広々と海の開けし満開の朝の桜の丘に映えにき

盲人のまた来たりしやみちびきぬ駅舎に我の今日もありにき


今年は何か気候が変則的である。昨日は冬のように寒く今日は夏のようにもなった。
こういう気候は去年からつづいてる、寒暖の差が激しいのである。
今日の一日はまず駅に行った、そしたらやはり前にあった盲人がいたので導いた。
外部からの人も来たが仕事はわからなかった

それからロードで金沢の方に向かい坂をおりるとき転んだ、そこは急な坂でもなかったが坂はロードだと危険になる、下り坂は自転車では危険になる
前にもそういうことがあった。ロードだとスピードがでているから余計危険になる
そこは転んでも転びやすいところであり草地でありケガするとは思わなかった
自転車はパンクしたのか傷ついたが自分は何の傷もなかったので良かった

そこでそこから歩いたから疲れた、でも歩くことで発見することがある
現代は歩くことが人間回復なのである。つまり歩くことが新鮮な経験なのである。
歩いて見える景色は感覚は違っているのだ
人間の感覚は歩いてみる景色と自転車から見える景色と電車から見える景色は違っている車から見える景色は自分にはわからない、ともかく歩くことが新鮮な経験になっているのだ。車社会になると本当に歩かない、大地をふみしめて歩むという基本的なことがないのである。だから車ばかり乗っていないで歩くべきだとなる。

街まで一里くらいあるいた、草萌える季節であり遠くに鹿狼山が霞んで見えた
歩くことによって俳句でも短歌でも詩でも絵心も生れる、歩くことは新たな発見することなのである。
峠だって歩いて越えたら感覚的に違ってくる、歩けば江戸時代にもどる、江戸時代にもどりたいとか自分は書いてきたが江戸時代にもどりたい、江戸時代を経験したいのなら歩いてみることである。歩いてみる景色が江戸時代になるのである。
戦前までは結構歩いていた、車も乗っていないから歩いていた。
鉄道も実際は高い乗り物だから庶民はそんなに乗っていない、リヤカーとか引っ張り馬を利用していた、鉄道は貨物も多かったのである。

人間を回復するというとき車社会を一時的に拒否することが必要になる
だから鉄道の駅が意外と人間的な場所だと発見したのである。
車社会というのは何か否定できないものでも人間的なものを失わせたことがある。
車には人の出会いとか人間のぬくもりとかを拒絶するものがあるからだ。

今年の桜はあまり感じるものがない、ただ家族がみんな死んだのでそれで桜をみると死んだ人を思い出す
満開の桜のように咲いていたときもあったなと思い出す、それも死んでしまえば昔のことになる
最期は無惨に死んだ、みんな輝くと時は短いのである。
結局それは貧乏人だろうが金持ちだろうが栄華を究めても同じである。
一時の栄えだったとなる 

秀吉であれ政宗であれ結局一時の栄華を究めたにすぎない、別に自分の家なども規模は小さくても栄華があったが死んで消えた、
今跡を継いでいるのが自分だとなる、自分は何もしていないけど受け継いだだけだとなるがやはり栄華がある
貧乏のままで終わるのもまたわびしいとはなる、いづれにしろ栄華は一時のことなのである。
人間は王様に生まれても寿命はみんなさほど変わらないからである。

今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)



今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)


昨日は「関東鳶」と来ているものに記されている人が来た。その人は蒲庭(かばにわ)に泊まっていて仕事している、六号線まで買物に行って駅前の自転車屋でバイクを買ったのである。
蒲庭だと買物でも不便であり隔離されているようになっている、そのことを言っていた。それでバイクを買ったともなる、田舎では車がないと生活できないんだよとかも自分は言った
その人は大工もできるし鳶もできる、高いところ恐くないかと言ったらかえって自分はそういう場所、細い鉄骨のような所を歩くのが向いているというから驚く
そういう人は鳶に向いている、あの人はやせているがおそらく機敏なのだろう。
まだ若いこともある、ここでバイクを買うということは収入はいい方だろう
東京の方が一万くらい高くなると言っていた。それだけの差があるのもわかる

駅には別に鉄道を利用する人だけではない、いろいろな人がくる、鹿島区には一軒しか自転車屋がないというのも不便である。だからいづれそこもなくなると一軒もなくなるのである。そこではバイクの修理などもしているから不便になる
この辺で震災、原発事故で悪い面が多かったが多少いい面としては補償金が入ったことと外部から入ってくる人が多くそれで活気が出たことである。
駅にいるとやはりそうした外部から来る人と接することが多いのである。

この辺では来る人は決まっているだろう。昨日はイスズに仕事に来た人がタクシーで金沢に行った、食事する場所を聞いていた、あの人は食事する値段を気にしていた、イスズの向かい側に1500円くらいで食事できるよと言ったら高いと言っていた
あそこはこの辺では一番高給なレストランである。
あそこだと牡蠣のフライの大きなものが食べられる、それはうまいが高い
やはり料理は材料なのである。材料が良くないとどんなに料理を工夫してもだめである。でも出張だとしたらそのくらいの金が出るのかと思った
東京だとレストランも高いからそんなことを言っていたのか?それとも会社員も節約するようになった貧乏になったのかとも思う

わかったことはたまごやは菅野漬け物屋でありタニコウの人とかも見送りにきている、東北サッシのことも書いたが鹿島では目立った会社である。
九州からホンダの友達を頼ってボランティアに来た人も自動車関係である。
どうしても今は自動車関係の人は多くなる
東北電力の火発があるからあそこにもタクシーで行く人がくる
昨日はかえるという介護タクシーが来て車椅子で老人を下ろしていた。
駅にいると何か社会の動きがわかり面白いと思った
小さな町だとすぐ関係もわかるからまずいこともあるが社会を知りやすいとはなる

何か街には中心が必要なのだろう。外部の人も内部の人も交流する集まる場が必要なのだろう、駅はその玄関口なのである。なぜなら別に鉄道を利用しない人も来ているからである。そこに店があれば利用することになる
鹿島の駅前には一軒食堂があり食事したいという人は結構いる、だから利用することがある、でも駅前に店を集中して作れば活気が出るというのも本当だろう。
そういうことを30年前に計画したができなかった
今回も鹿島区に100億円も補償金がおりたのだからその半分を資金にして開発ができたかもしれない、それは小高とか原町とか浪江とかでも言えるだろう。
再開発が望まれているからである。原町だってスーパーが駅から離れてばらけてしまっている、道の駅はあるがあそこが街の中心とはなっていないみたいだ

図書館を建てたがあれが駅前にあり街の中心にふさわしいかとなると疑問である。
図書館は街の中心から離れた閑静な森とかある場所がいいように思える
本を読むとしたらそうなる、街の中心にはやはり店とか別なものが向いていると自分は思う。そして今の情報社会はスマホだとインターネットになり本はあまり読まないからである。自分は電子書籍で今は読んだりしているからである。
だからあそこに図書館を作ったのは失敗だったかもしれない、ただ賛否両論はある。

ともかくこの辺は本当は津浪や原発事故で急激に大変化したから新しい街作りを模索するべきだった、それが六年過ぎてもできなかった
人間の最大の弱点は急激な変化に弱い、対応できないのである。
それで自分の一身上でもいかに苦しんだかを書いてきた、認知症でもどう対応していいかわからなかったからである。
それが暴力になったときショックであった、でも認知症という病気がどういう病気を知っていれば対応がそれなりにできたのである。
インターネットに冷静にさせるこさとが大事だというときそうだった
相手の目を見て落ち着かせろというのもそうだった
自分はそれをインターネットで読んだ、家族の一人は急激な変化に対応できなかった
目を見ないでそらしたからかえって攻撃されたのである。
認知症は記憶障害であり忘れると興奮状態になるから危険になるからだ
認知症に対応するにはともかく興奮したら落ち着かせることが大事なのである。
それは精神病の対応ともにているかもしれない、ただ認知症は精神病とも違っていたのである。

まず今回のような大災害になると対処方法もわからなくなるから混乱するから何もできなかったともなる、まず補償金がもらえるとなると個々の安全を計るために補償金をできるだけ多くもらい安全を計るとなったのである。
第一自分は病気であり介護であり回りのことをなど考える余裕もなかったのである。
自分は津浪と原発事故が起きたとき身体障害者だったのである。
それでも介護せねばならないし震災前に一回は入院して震災後も入院して手術したのである。そういう状態ではとても回りのことなど考えることもできなかったのである。
今になると介護もないし余裕ができたから毎日駅に行ってボランティアしているのである



2017年04月13日

話し合いが意思疎通ができない社会 (原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


話し合いが意思疎通ができない社会


(原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


山梨から来た人の言っていることはまともだった、経営に失敗した人だけどその教訓を学んでいた。

「人間は信用できなくてもまず信用するほかないんだよ、それで自分も失敗したんだけど」
「それもそうですね、信用しなければ人も使えないから」
「もっと話し合いすべきなんだよ、相手のことを知るべきなんだよ、今は政治家でも話し合いしなくなったんだよ、選挙民とも話し合わないんだよ」

これは言えるだろう、経営するにしても人を使うにしても最初は信用しなければ何もできない、でもその人は裏切られた、自分もそうだった
話し合いしないとだめなんだよはというときこの辺でも原発事故でも補償金問題でも良く互いに話し合っていない、相手のことも知らない
話し合いといっても日頃から話し合っていないと気持ちを通じ合わせていなとできない

その人が言うには今は政治家でも何でも話し合いをしないと言っていた
政治家は信用できない、ただ利権だけで自分を得することしか考えていない、政治家はあてにならないと言っていた。
この辺では渡辺恒三とかも自分の利権だけを考えていたのだろう。
息子はアメリカの原子力会社のGEに勤めていたし原発は自分の利権として考えていた
それは地元でもみんな金になるものとして誘致していたから同じとはなる

地元で話し合いができていないと結局こうした利権政治家とかマスコミとか政府の権力で自治体が破壊されることにもなった
つまり自治体とは議員とか行政とかの自治体ではない、基本的には住民の自治のことだからである。

補償金とかで市民みんながばらばらになったというとき住民自体に話し合いができていなから国の言いなりになり対抗もできないのである。
だから住民自治が問われたのである。
ただそうした住民自治といっても日頃からしていなと何かあったからと簡単にはできないだろう。

むしろ江戸時代の方が住民自治があったというのも不思議である。封建制で身分制で住民の自治などない社会だと思われているがそうでもない
村という自給自足の社会では互いに親密な話し合いが常に成されていただろう。
そうしなければ生活もできない、みんな農民だとすると利害が一致しているからである
水を使うことでも自然と共生する社会である。

現代が話し合いができないというとき職業も無数に分かれて広域社会であり会社員社会であり会社が違うと相手との交流もなくなる、農業社会とは違う、農民だとやはり常に自然と密接に密着して生活しているから生活感覚も一致している
アイディンティティが一致しているのだ
村社会だと鍛冶屋があってもそれは農民の鍬とか鎌とかを作っていたから農民と一体化する、個々の農民に応じて道具を作っていたりしたのである。
だから村自体がみんな何をしているか知っているし関係しているから話し合いもできるとなる

現代のように広域社会となりグローバル社会になると地球の裏側からチリとかメキシコとかから野菜でも果物でも入ってくる、そうなるともうその人たちとの話し合いなどないのである。そこに介在するのは金だけだとなる
そこで金が重要になってくる、金さえあれば食料でも何でも手に入るとなるからだ
そこには互いの交流もない、話し合いもない、ただ金があればなんでも手に入るという社会になる、つまり金が話し合い、交流する媒介するものとなり生身の人間が交流することはないのである。

そういう社会は民主主義といっても何かその根底に話し合う素地がないから日頃から互いに知らないものとしてあるから話し合いができないとなる
だから皮肉なのは住民自治は江戸時代の方があったともなる
庄屋とか大家でも村の人々を熟知していたから話し合いもできたのである。

原発だって誘致するにしてもただ政治家は利権であり地元の人たちも金になるとして積極的に誘致した、補償金でも個々人ができるだけもらえばいいとしかならない、そこに話し合いはない、その金を市町村の復興に使うことはなかった
個々人に配られそれは一過性のものとして使われて終わるだけだともなる
そもそも自分たちの市町村でもどうするべきかなど考えられないだろう。
その範囲が広すぎると考えられなくなる、村社会とはあまりにも規模が違うからである。

現代とは話し合いとか意志疎通が会社社会とかグローバル社会になれば一番むずかしい、ただ金を通じて経済が結びあっているだけである。
だから金が神のようになってしまう。それはマルクスが指摘したことである。
でも実際は趣味程度の畑を作っている人は何かあったら食料が高くなって買えないとかいうけどそこでとれるものはごくわずかであり一人分にもならない、他人分けるものなど全くとれない、それが地元にあるとしても全くあてにならないのである。

だから金をもっていて買った方があてになる、でも確かに金は紙屑になることはある
でも現実にその畑からとれるものは全く期待できないのである。
そこに金をつぎ込んでもネギ一本すらもらえないのである。
ただ聞いているのは草むしりの苦労から鳥に食われるとか虫にやられたとか
モグラに荒らされるとか盗まれたとかそういう話だけなのである。
だからこれも矛盾だと思った、そんな畑は無駄ではないにしろ全くあてにできないのである。

いづれにしろ現代は連関性なき無数に部品化した社会でありそれがナチスを生んだというといピカートの思想もわかる、ファシズム化しやす社会である。
それは相互のつながりがない社会であり話し合いのない社会である。
ただ金を通じて社会が維持されている社会なのである。
カルト宗教団体もそういうナチスとにているのである。
そこでは一人一人相談になどのらない、何百万もいたらできるわけがない
だから指導は何かあれば題目を唱えろ、一票を入れろ、念仏を唱えろとなるだけである。
それはハイルヒットラーと同じなのである。
それが指導するのには一番楽だからそうなっているのである。

そしまず金だとなる

原発も事故前もそうだし事故後もまず金だとなり補償金をもらうこだけになる
肝心の市町村の復興には使われなかったのである。
その前には話し合いができなかったのである。まず金だとなりそればかりになる
そういう社会だからそうなったともなる
もし江戸時代の村のような自治があれば話し合いがありそうなっていなかったかもしれない、だから何が進歩なのかもわからないのである。
社会は変化はしたが進歩したわけではないのである。

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2017年04月12日

溶岩の山(mountains of lava)

溶岩の山(mountains of lava)

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fire and stream

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rising mountain

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a piece of the earth
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地獄から天国へ(詩)



地獄から天国へ(詩)

 いづれの行もおよびがたき身なれば、 とても地獄は 一 定すみかぞかし (親鸞)

死は苦しみからの解放
心の病,脳の病
最後に断末魔の苦しみ、叫び
人と人は憎しみ争う
人間の恐るべきエゴ
弱者として責められた恐怖
自らの病気と他者の責め苦
非情な人間の社会
それは地獄だった
人間の恐るべき業(カルマ)
業の欲の炎が燃え上がる
この世に現れたまぎれもない地獄
人は人にとって狼
人間は悪鬼ともなり夜叉ともなる
しかし死はこの世の地獄からの解放
もはや苦しみはない
人と人は争わない
和やかに手を握りあっている
やさしさが顔にあふれている
業(カルマ)から解放された仏
己自身も身内の苦しみをになった
しかしその苦しみからも解放された
自らの病気で苦しんだが
それも今はなく他者に脅かされることはない
今他者に頼ることがない
頼られても頼ることない幸せ
人が人に頼るとき不幸になる
その時弱みがありつけこまれる
そういう悪質なるものが人間
だから今は死者も安らかであり
自分もまた安らかになる
平和とは何か?
自分の病気であれ家族の病気であれ
苦しみのないこと
弱者となりて責められないこと
人と人が争わないこと
その時人は平和を感じる
なぜなら人と人の争いは終わらないから
死は必ずしも悪いものではない
苦しみからの解放であり
他者に頼ることからの解放であり
他者に責められることからの解放であり
業と欲からの解放である
酷い戦乱を戦争を生きたものは
ただ戦争のない世界を望む
人と人の酷い争いを見たものは
ただ争わないことを望む
しかしこの世に争いは消えない
そういうふうに憎しみ争うのはなぜなのか?
それはこの世の地獄を身にしみて経験して
天国の平和を望むようになること
もう二度と争いたくない
そういう気持ちをいだき天に昇るとき
そこに真の平和が実現している
天国にあるためはにこの世の地獄を経験する
この世は試練の場であり地獄の場でもある
その地獄を生きぬいたものに真の平和が訪れる
灼熱の地獄から涼しいパラダイスに
もう人と人は争わない
その顔から苦しみはとりされらて
安らかな慈悲に満ちた顔になる
業の炎は消えて安らかになる
だから死は悪いものではない
死を持ってしか解決しないことがある
それは苦しみからの解放である
争いからの解放である。
責め苦からの解放である。
そういう苦しみと地獄を経験して
真の天国が訪れる時がくる


地獄というとき来世にあるのではなくこの世にある。地獄の世に生れてきたのが人間なのだ。親鸞の言っていることは親鸞自体が地獄を経験したから言っている。
地獄の世を生きたから言っている、とても地獄から逃れられないのが人間なのである。
そういう地獄を経験したのがこの十年間の家族の介護と自らの病気とかであった。
自分の家の状態がまさに地獄の状態になったのである。
一人は重傷の認知症になって一人は介護が5年ほどつづきとか今度はその間に自分が病気になり二回入院した、そして自分一人しかみるものがなく苦しんだ
その時助けはなかった、それよりその弱さにつけこまれて大金を盗まれたり借金の強要をされたり恐怖の時を過ごした
自分の所に来た人も余裕がない、金もないから自分を責めるチャンスになったのである。そのことはプログでずっと書いてきた

認知症というのも過酷である。それはその人だけではない、それをみる人も過酷になる
精神を病んだ人をみると自分も病んでくる、そして病気というのは本人も苦しい
だから苦しみから解放されたいというだけが願いとなる、でも死の病となると死ぬ意外解放されることがないのである。
認知症でも馬鹿は死ななきゃ直らないとなる、直ることがないのである。
老人の病気はもう直らない、死に向かっているからである。
だから最大の願いはその苦しみから解放されることなのだ
それは死しかないのである。だから死がすべて悪いものとはならない
そういう状態になったら死にたいと思うのが自然なのである。

人間は最後は断末魔の苦しみを受ける、それで業(カルマ)が消滅する、死んだら地獄に行くのではなく今世が地獄なのである。
そして現実にもっとむごたらしい地獄が生々しくこの世にある、アフガニスタンでもシリアでもまさに地獄そのものである。
そしてそういう地獄で生きている人は戦争のないことがどれだけ平和かと切に思うようになる
自分の姉も四年間シンガポールで今のマレーシアのジョホールバルで従軍看護婦で辛酸をなめた。だから死ぬときまでそのことにうなされつづけていたのである。
だから戦争は余りにも悲惨でありそのことが忘れられなかったとなる

いづれにしろ人間の恐怖は弱者になることである。弱者というとき金のないのも弱者だがその時江戸時代だったら借金で遊女にされたり今でも同じようなことがある。
その弱みにつけこまれることが常にある。それも自分も受けたし憤りを感じた
でもみんな最後は老人になると弱者化する、強いものでも弱者化してゆく
子供の世話にならざるをえない状態になったとき親でも弱者化するのである。
だから老人になることは病気とかになりやすいから怖いのである。

医者であれ看護師であれ他者に頼るとき地獄になる、なぜか他者は別に愛をもって接するわけではない、機械的に接するし患者が虐待されることもある、そういうことも経験した老人は特に老人ホームでも邪魔者として虐待されやすいのである。
でも自分が病気になったりしたらどうしても医者だけではない、他者に頼らざるを得なくなる、それが家族がいないことの最大の恐怖だと経験したのである。
それもまた自業自得、カルマなことは確かである

ともかくもし天国だけにいたら天国の価値はわからない、地獄を経験したものが本当の天国の価値を知るのである。戦争で苦しんでいる人たちは戦争のない世界がどれだけ平和なのか心から感じる、でもそういう経験をしていない人は天国にいても感じないのである。だからこの世は地獄でありそれは天国を行くために必要だともなるのである。

人間が業をカルマをもつというとき欲がありその欲が消えないからまた自らも苦しむ
男女でも愛憎の炎が燃え上がる、何かそこには平和がない、争いになる。
戦争がなくても普通の生活のなかでも平和がない、自分の家もずっとそうだった
争いがつづいていて死んで争いがなくなったのである。死んで平和が訪れたとなる
だからすべて死が悪いものではないと今では思う
死というのは一つの浄化作用なのかとも思う、つまり罪業が消滅するのかと思う

大難を得て罪障消滅するー日蓮

これは別に信仰とは関係ない、みんな最後は大難にあう、死は最大の大難だからである。まず創価のようなカルトは法華経を批判することは最大の罪だとかいうけどそれが政教分離していないから怖いのである。創価とか公明を批判するものは罰があたるとなり何もいえないから好都合になる。政治の世界に宗教をもってくるとどうしてもイスラムでもそうだが問題が起きる、要するに創価を批判することは誰もできなくなる
マスメデアがしないのは創価が権力をもっているからであり別に宗教が怖いからではない巨大な権力集団だから誰も批判しないとなるだけである。
そういうことはカトリックで嫌というほどヨーロッパで経験しているから政教分離の法律ができたのである。

別に宗教者でなくてもみんな最後は死という大難を経験する、それは誰も逃れることはできない、「大難を得て罪障消滅する」というとき死をもって罪障消滅するということなのだろう。死は救いだともなるのである。


死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない


タグ:地獄と天国

2017年04月11日

publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった (補償金問題にもあり争いの元になった)


publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった


(補償金問題にもあり争いの元になった)


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明治以降は入会権とかの共同性は喪失した
privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


privateの語源を調べると、
「stem of privare "to separate,deprive," from privus "one's own, individual,"」とあり、奪う、分離するという意味があるようです。

不思議なことは近代化というとき西欧文明に習えばprivateではなくpublicが社会の規範になりpublicの社会作りが行われるはずだった
しかし日本では明治維新後privateが私権が私益が追求される社会になった
日本では過剰に私的所有権を認める結果となったのである。
だから近代化が進歩したものとしてとらえることにも問題があった
江戸時代から明治となったとき進歩したというのではない江戸時代にあった文明が否定されて後退したということもあったのである。

なぜなら日本でもpublicがあった、農業社会だからそこでここの一画が自分の土地であり自由にしていいとかならない、村では共有の上に成り立つからである。
山から流れる水を利用するときも共有である。自然のものは共有なのである。
それを私的に奪いとるprivate社会になったのが明治以降の社会だったのである。
だから明治維新で社会が進歩したのではない、ただ変化したのである。
変化というとき悪く変化することもあるから変化がみんないいわけではなかった

江戸時代は一つの文明を形成していたしその中の価値観で生きていたのである。
この辺で葉山、端山信仰があるのは稲作と密接に結びついたものである。
山から水が供給されて田に流れて稲が実る、だから山の信仰があり山には先祖がいて
春には里におりてくるというときもそれは自然と密接に結びついた信仰となっていた
要するに一つの世界観が形成されていたのである。
エジプト文明でもマヤ文明でも必ず世界観が形成されて文明が成り立つのである。
だからそれらの過去の文明が現代から比べて遅れているとかならない、ただ文明は変わるのであり進歩するのではないのである。

江戸時代は農業中心の稲作文明だからそれは共有するpublicの社会である。それは西欧とは違ったものでも日本的publicなものである。入会権などもpublicなものだった
山の資源は共有されたものである。漁業権もそうである。それは自然の保護にも通じていた、ところが明治になったとき入会権はなくなり私的所有に無数に分割されたのである。そして山でも森でも土地でもつながっている、分割できないものとしてある
それがここが俺の土地だから売ろうとなにしようと勝手だという私的所有権を強固に主張できるようになった
この土地の公共性を無視した私的所有権を強固に認めたとき弊害が大きかった
公共的なものとして利用できなくなったからである。
今でも農地は勝手に宅地にできないとかあるがそれでも私的所有権がありpublicなものが土地の面では失われた

江戸時代は封建制の時代であり土地の上に成り立つ社会である。土地に依存して生きていたからである。土地から実りを得ていたからである。だから土地は共有するものであり私有はできないものだったのである。
土地の私有を強固にすると今度は個々人ではない大企業がその土地を買い占め私的所有権を強固に主張する、そしてその巨大な企業は漁業権でも買うことができたし現実にこの辺では東電に漁業権は売られたのである。
そして自治体すら買収された、入会権でも山林も森も土地も買い取られたとまでなっている、それがわかったのは原発事故で放射能で汚染されたからである
その時、木材も山菜も水さえ利用できなくなったからである。

巨大企業の権力はそれだけ大きいのだからその害も自治体を破壊するまでになる、江戸時代にはそんな大企業はなかったからである。そこが江戸時代とは根本的に違う社会である巨大企業がグローバルに進出するときそれは世界でこういうことが起きてくる
小さな部族社会など簡単に破壊されてゆくのである。
巨大企業が森を買い取ってしまい木材として伐採して森がなくなってしまうことも起きているからである。

要するに江戸時代は自然の生態系の中で生活していた、それが東電のような巨大企業がその生態系すら破壊したのである。地域というのは自然の生態系に生きていたしそれを越える生活はできなかった、しかしその生態系すら無視して破壊することができるのが巨大企業であり科学文明だったのである。
生態系というという時や弥生文明も稲作文明も実は生態系を破壊して成り立っていたのである。
海を入江などを干拓して田んぼにしてそれで人口を増やしてきたからである。
それが津浪で破壊されたことに驚いた、縄文時代は入江になった所には住んでいない
津浪が来た所には住んでいない、第一住めなかったからである。
稲作のために干拓した所が元の海に元の生態系に回復したとなったのである。
だから人間は生態系を破壊することは自然から復讐を受けるということもある
干拓したことがやはり自然破壊だったという驚きである。
なぜなら白砂松原の景色は実際は人工的の景色だったのである。それが根こそぎ津浪で破壊されたのである。

そしてこれらのprivateがこの辺では復興にも影響していたのである。
国であれ東電であれ莫大な補償金や復興資金でも除染費用でもみんな個々人の私的権利として主張されて市町村全体の復興資金に使われなかった
避難区域になって避難した原発避難者にはありとあらゆる補償金が支払われたのである。そして個々人の私的権利として主張されて莫大な資金が国からも東電からも支払われた
そして自分の家の前にも権利があるとか私道にもあるとか仏壇には40万とか補償されたりありとあらゆることに補償金が支払われたのである。
それは私的な個々人の権利として支払われた、そこで放射能量の多寡で補償金も多くもらったり少なくなったり全然もらえないとかこの辺では争いになったのである。
南相馬市は合併した小高,原町、鹿島で補償金の額が違って分断されたのである。

これも異常なほどにprivateが私的権利が主張されたためである
結果的に復興というとき市町村全体の復興とかにそうした資金は活用されなかった
個々人が故郷を出て家を建てたり個々人の復興に使われたのである。
肝心の市町村の復興には活用されなかったのである。
除染でもゼネコンから暴力団に一兆円もの除染費用が流れたとかなった
肝心の市町村の復興資金としては活用されなかった
もしその資金が市町村の復興資金に使われていればまたこの辺は違った状況になった

例えば鹿島区にはもともと30キロ圏外だから補償金はもらえない地区だった
それでは不公平になるとして市長が交渉して補償金を出した
その仮払金は100億円だった、この時だから原町区の人で強固に反対した人がいた
そんな金を鹿島に払うなとなったのである。
その後も今度は小高から避難して来た人たちとも争うようになった
ともかく原発避難者は何でも手厚い補償があり補償金をもらったからである。
ただそれはあくまでも個々人にでありそれを小高だったら小高の復興には活用されていない、原町でもそうである。

そのことが分断された原因でもある。もし小高でも私たちの補償金は街の区の復興に使うとなればまた違った見方が生れた、でも実際は個々人が勝手に補償金を私的に使い外に家を建てたりして帰らないということになった
それは小高の街や区全体の復興として活用されなかったのである。
もし小高全体の復興のためにその金が使われていたら他でもあまり文句は言わなかったかもしれない、なぜなら南相馬市全体をみたとき小高の土地も活用して復興してもらわないと市としては困るからである。
それは小高だけではない、原町でも鹿島でも言えたことだった
鹿島が仮払金百億円をもらったとき個々人に配布されたがもしそれが鹿島区の復興資金に活用すればまた違ったものとなった

そういう提案をする市の担当者もいないし商工会でもしない誰もしない、それは国からの東電からの金が県とか市町村で指導権をもたずゼネコンとかに一兆円の金は流れた
もし県とか市町村ですれば半分くらいの資金でまにあいあとの半分はそれでも5000億は市町村の復興資金、新しい街作りなどに活用されたかもしれないのである。
そういう指導とか提案さえなされなかったのである。
鹿島の仮払金は100億円というけどこれは大東銀行が所有している金と同じなのである。
大東銀行がもつ金か鹿島区に配布されたとなるのである。それはただ個々人に配布されて鹿島区の復興に例えば駅前の開発などには使われなかったのである。
だからその金は一過性のものとして消えたともなる、もし駅前でも開発がなされればその区域の繁栄が長くつづく資産として活用されたともなるからだ

いづれにしろprivateなことに終始してpublicなものが追求されなかった
それで市が分断されたり村も分断されたのである。
ただこのprivateなものとpublicなものの対立はどこでも起きている
大きく言えば国がpublicなものであり戦争とかなればpublicなものが優先され国のために死のことが犠牲になることが強いられる国なくして個々人もないとなるからだ。
ただ現代社会は私的な権利、所有権とか過剰に主張される時代でありその弊害が大きくなったのである。


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2017年04月10日

開発が前から検討されていた鹿島駅 (国鉄から民営化した弊害があった)


開発が前から検討されていた鹿島駅

(国鉄から民営化した弊害があった)


今日駅前の花壇にチューリップを植えている人がいた、これは自腹でしている、ここは地区の人が管理しているという。
駅というのはその人に聞いてみると所有権が複雑なのである。
国鉄から民営化したとき東JRになったとき東JRのものになり市町村とかの共有が失われた街の中にあってもそれが市町村では勝手にできないものになった
だからホーム沿いにある花壇の中の八重桜は切られてしまった、それを切るなとは街の人は言えない、なぜなら東JRの所有するものだからである。法律的に所有権があり街の人は何も言えない、前は鹿島町の所有するものであり次に合併して南相馬市が所有する区域に分けられた、東JRが所有するものと南相馬市が所有するものは明確に分けられたのであるでも駅の立派な新しいトイレは南相馬市で頼み掃除してもらっているのである。
南相馬市でその費用を払っているのである。

鹿島駅の開発は農協のスーパーができたときすでに提案されていたのである。
その時駅も開発してホテルを建てるとか駅そのものを新しくする案がでていた
その人はその区長とかでありそういうことにかかわっていたのである。
でもそれができなかったのである。その時が大きなチャンスだったができなかった
その人はそのことを熟知していて指導的な立場にあった人だから言えた

駐車場の問題も原町は無料のがありここは商工会で決められた場所は金をとっているから原町を利用しているとか言っていた、鹿島駅前の最大の問題は駐車場を広くとれないことなのである。車の時代だからそれが最大のアキレス腱になっている
ただ農協のスーパーができるとき駅前開発は地区で検討されていたし具体策もでていた
それは実行できなかっただけだった、そういうふうに考える人は農協スーパーができるときから回りにいたし具体的に検討されていたのである。

ただ駅の問題はそこはいくら民営化したからといって公共的な要素があり街の中にあるのだから余計にそうである。
現実に鹿島駅が無人化したとき誰が管理するのか、みるのかとなるといなくなった
確かに自動化しているからいいとなるがやはり人が見ていないと困ることもある。
そして無人化することはやはり東JRで管理しきれない、その費用が出せないからそうなる鹿島駅は常磐線が開通して小高に駅員が移動してそうなった事情があるがやはりそれでも無人化する駅ではない、それなりの人が出入りしているからである。

最初に駅前通りはもっと広くする予定だったというのもあり駅前開発が農協スーパーがでたとき実行されるべきものだった、それが商工会でもしなかったし今も商工会はしない、原町の駅前通りも歩道が狭いなども共通した問題だったのかもしれない、相馬市の駅前通りはプラタナスなどの木も植えたし歩道が広いから違っていた
駅前通りはやはり鉄道が盛んに利用されたとき開発されるべきものだった
それが今度は車社会になったとき鉄道をどう利用するのか問題になった
どうしても駐車場を広くすることが一番の課題になっていたのである。
それは今農協の葬祭場になっている所とか鹿島町の所有になっていてそういうことができたからである。
そして国鉄時代だと国のものだから民営でないから町としてそうした開発をやりやすかったとなる、予算も町とか国からも陳情すればできたこともあったからである。

ただ外部の人が言ったように今回原発事故で除染とかに莫大な金を使った、その金がゼネコンとかに流れて南相馬市の全体の復興に使われなかった
それは県とか市町村の自治体が関与しないことにより国と東電と原発事故の被害者が補償金を交渉するだけになったことも大きく影響した。
県とか南相馬市でも何ら指導権がなく国と東電と市民で直接交渉するだけになったからである。そして市は補償金のことで分断されたのである
つまり南相馬市が除染でも指導権をにぎりその金で南相馬市全体の街作りに使うべきだったという外部の人の意見があり納得する
小高でもそうだが鹿島でもそうであり原町でもそうだったのである。
その補償金は結局個々人に配布され個々人が外に家建てたりしたが肝心の街の復興費用としては使われなかったのである。

小高でも実は駅前でも何か開発すれば若い人も帰ってきたかもしれない、国とか東電からの金は個々の補償金として使われただけであり街自体の復興には使われなかったのであるだから余計に小高でも若い人はもう帰らないとなってしまった
街自体の復興に使われていれば前よりも良くなるのかと見たから帰ってくるからである。そういう街の復興として国や東電からの補償金などは使われなかったのである。
つまり今回も街を開発するチャンスだったのが商工会でも活かせなかったのである。
それは商工会の長がだめだったとかなり市長もだめだったとかなる

ただ鹿島駅のことはこうして前々から検討されていた、今回の地区の長の人はそのことを熟知していてはっきり言っていた、近くの人も見ていてそのことを知っていた
なぜなら駅前はその地区の人が管理していたからである。
いづれにしろ鹿島区の開発はどこか中心が必要でありそれが駅が駅前がふさわしいとなるそこに人が集まり安いからである。他に鹿島区ではないからである。
駅に外部からの人も入ってくるし街の玄関になるからである。そこは外部の人も内部の人も集まる広場にもなるからである。
ただ今は鹿島区といっても南相馬市の行政の中で行うものだから事情が違っている
南相馬市の中で鹿島もありその指示のもとに行うことになる
それは小高でもそうであり南相馬市の指示がないとできないという事情はある。
その土地の一部は南相馬市のものとなっているからである。

この問題も東JRとは駅でもそれがみんな東JRのものなのか?現実に無人駅になったとき管理されないものともなっているからだ
その駅前の花壇でも今回チューリップを植えていたものはその地区のものだった
東JR内の花壇は東JRだけで管理できるのかきれいにできるのかというとそこまで手が回らないから荒れているともなる
それはその地区の人とか町の人とか商工会がかかわってきれいにするのも必要である。
でも民営化した結果、町の人が立ち入ることもなにもできないとなると町の人にとっては美観もそこなわれるから困るのである。
つまりこういうことはいろんな場面で起きている問題である。

東電の事故だってそんな巨大な企業が何でも勝手にしていいのかとなっていた
地元に住んでいればわからないなりにわかろうと努力する、それがすぐ近くにあればいくら原子力のことがわからないにしても危機感をもつからである。
そこもその地元の人すら立ち入り禁止でありもう何もできない場所になっていた
だから東JRでなんでもしてくれればいいが事情があるにしろ無人駅にしたり花壇を荒れたままにしていたりしたら街の美観がそこなわれると困るのである。
そういうことは個々の家でも言える、空家になり荒れた家を放置しておくと街にとっては困る、それで空家をなるべく撤去する法律を作るとかなる

結局ここは俺の所有だからといって何でも勝手にできないのが人間なのである。
なんらかその土地に住めば公共的なものとして住むことになるからである。
土地でも自分の土地だからといって何でも勝手にできないことは確かなのである。
そういう問題は常にここだけではない各地で起きている
だから国鉄が民営化したということにも問題があった、自分たちの所有だけを主張するようになり街の人たちはかかわるなとなったからである。

原発でも同じである。その地元の人は原発には立ち入り禁止であり何らかかわることができないものだった
国と東電が管理して地元のものは立ち入り禁止だったのである。だから内部で何をしているのかなど全然わからないのである。
そうして避難するときも国と東電は一番放射線量が高い津島に避難したのである。
原発は地元の住民でも全くかかわることができないものだったのである。
だから国であれ大企業であれそういう権力によって一方的にされるとき危険なものとなる現実に自治体が消滅する危機に直面しているからである。

ともかく東JRの力も大きいと思った、なぜなら津浪の被害か復興するのに400億円かかった、その金は東JRで出したのである。それだけの大きな会社だからできたことである。
だから東JRの力は大きいしそれによって助かっているということはある
復興できたということもある。でも民営化した結果としてかえって公共性が失われたというマイナスの面もあったのかと思う
駅であれ鉄道であれそれは公共性が高いものだからである。
街の中にあり街の中で活きるであり分離して働くものではないからである。

自分が無人駅のボランティアしているとういときもそうである。
それは別にしなくてもいいものでもやはり街の人がかかわるのが駅であり鉄道なのであるそれが民営化で失われたことが問題なのである。
駅の待合室もなくなり駅構内が東JRの店だけになるというのもそうである。
金儲けのためには仕方がないとしても駅に休む場所がないというのも利用する側になると困るのである。それもやはり民営化するとそうなりやすいのである。
だから民営化にはマイナス面があったことを認識したのである。


追加


鹿島区の仮払い百億円→街自体の開発に使う

小高区の補償金→小高の街の復興に使う


鹿島区には仮払い金百億円が支払われた、これを全部個々人に配った
果たしてそれが良かったのか?

鹿島の駅前の開発に使うべきだったということもある
ただここは誰も議論もしていない、そういう提案も聞いていない
何かその時自治体で市の方でも鹿島区でもどう使うべきか議論するべきだった
ただ鹿島区にはそもそも原町の人が補償金は払うなと強固に主張する人がいた
だからそういう街自体の復興、開発のために使うということは誰も提案していない
ただ個々人でできるだけ多く補償金をもらうことしか頭になかったのである。

そういうことは上に立つ人が提案するべきだった
それが市町村でも県でもしなかったのである。
指導しなかった、そしてただ個々人が補償金をもらうことしか関心がなくなったのである
つまりこの金をみんなで使い街の開発に復興に使うことにしようとか提案さえなかったのである。それが今になって小高だったら避難区域になった所では若い人も帰らないとかなったのである。
街が荒廃してしまいそれを見たら復興はないとして若い人は帰らなくなった
もしこれからこんなふうに街を復興するとか示せばまた違っていたのかもしれない
そういうことは女川町とかではある程度示した、それでも流出が多いからどうとも言えないがやはり街自体の復興がおろそかになった無視されたことが帰らない要因になった



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる


2017年04月08日

自治体とは何か? (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


 自治体とは何か?


 (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


そもそも「自治」は前述のとおり「自分たちのことを自分たちで処理すること」です。であれば、処理するための会則なり、法則なり、理念なり、何なりを共有してしかるべきだと思うわけです。「自治体」というならば、その「自」が共有すべき会則等があってしかるべきだと思うわけです。共有とは自分達で決めることです

この辺で起きたことは本当に様々なことが具体的に問われたのである。
それは学問的な問題ではない、具体的にどう解決したらいいかが問われた
第一自治体が崩壊する、町が村がなくなるなどということは誰も想定していないからだ
でも現実に町や村がなくなるということに直面したのである。

そもそも自治体とは何かと問うとき相当にむずかしいテーマでありその解答は実は法律だけの問題ではない、それはむずかしくいえば人間の実存にかかわるものである。
自治体も歴史的に生れたものであり歴史をたどらなければわからない。
日本では村が自治体の基本としてありつづけたのである。それが明治時代で変わったが江戸時代は村中心の自治が行われていたのである。

そして江戸時代をふりかえるとき封建制の時代だとなる、封建制とは何かとなるとそれは土地を基本にした支配制度である。土地が領主から与えられることによって支配が成り立つ、なぜ土地が基本になるかというと農業中心の社会では土地が実りを産み出すものであり土地なくして農業は成り立たないからである。
だから江戸時代までは国単位でも農業中心だから政治でも政り(まつりごと)でも天皇は大嘗祭をして米の豊作を願っていた、豊作を祈ることが天に祈ることが政り(まつりごと)だったのである。

六年甲戌(ねんかふじゅつ)、海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一歌一首

御民(みたみ)われ 生(い)ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思(おも)へば

天地が栄えるときに民も栄えるというのは農業中心の社会だからその政りごと祭りがありえたのである。それは自然と調和する社会があって成り立つものである。

確かに自治体とは近代的概念として生れた、だから自治体というときヨーロッパの歴史をたどることも必要になる、ヨーロッパにも自治体がありその歴史は古い、それはギリシャのポリスにはじまる、それは城壁げ囲まれた都市のことである。
それがヨーロッパでは自治体体なのである。だからパスポートにあなたはどこの市民ですかと書いてある、citizenが記され、でも日本では村とか町があり市に住まない人もいる
だからなじめないものなのである。

自治体とはな何か問えばそれは人間の根源的な生存にかかわるものである。
なぜなら原発事故でその人間の根源的な生存基盤が破壊されたこともわかる。
水や土や森や山やその生存基盤が喪失したことでもわかる、そうなるともう人間はそこに生きられない、生存基盤が失われたのである。
だからこれほど深刻な問題はなかったのである。

自分のテーマは自然とアイディンティティ化する文化的なものとして故郷を追求してきたその文化すらcultivate(耕す)-cultureだからその土地と密接に結びついて作られてきたものである。ヨーロッパでも葡萄の種類が多い、その葡萄に土地の名前がつけられているそれはその土地で産み出されたものだからその土地の名前がつけられている、それが文化なのである。日本でも米などがそうである。土地土地の米がブランドとなり売り出されているのとにている
文化というときそういう土地土地の地盤があってそこから芸術でも生れてきている
芸術というときそれは個人的なものではない、トータルなものとしての文化であり文明にもなる

木があるとしてその木はギリシャなら神殿の柱となりドイツだとゴシックの大聖堂の柱となる、それはモミの木をイメージしたものでありドイツの森を象ったものとなる
自然を基にして文化文明が生れる、例えば言葉でも日本語は日本の自然から産み出されている、日本の自然と密接に結びついたものとして生れている
それがネティブの言語である。だから日本語がなくなると日本の自然と切り離されたものとなり日本の文明そのものが消失するともなる

ともかく自治体の基本はそうした自然と一体化したアイディンティティ化したものとして築かれてきた、それが人間の存在基盤としてあった、国自体もそういう日本の自然との
アイディンティティ化してあった、だから天皇の政り(まつりごと)があり二宮尊徳の思想が生れた、それは農業中心の社会だから生れたものである。

それが明治以降工業社会になったときそうした基本となる自然から離れたものとして社会が築かれるようになった、その変化があまりにも大きかったのである。
そのために公害が起きたり原発事故では自治体の基盤である水や土や木や森や山が海が汚染されたのだから生きることすらできなくなる
それは文化的なことだけではない、生存するできなくなる深刻なものとなった。

つまり自治体があるとしてその構成するものは基本に自然がある。海があり山があり森かあり水があり土があり空気があるとなる
そういうものが根こそぎ汚染されたときその土地でどうして生きていけるのかとなる
今でもこの辺では水はペットボトルで買うほかない、山の方では自然の水をとって生活していた所がまだあった、それは無料だった、それもできない。
企業が巨大化するときそうした自治体が買い取ることができる、現実に東電は国と一体となり漁業権を海を買い取り自治体の存在基盤である自然も買い取っていたのである。
そして企業は利益だけをみるから人間の存在基盤である海であれ土であれ木であれ森であれそういうものを無視して利益を産み出すことだけを考える
企業にはもともと自治体が成り立つ自然など見ていないのである。

そもそも東京を見ればわかる、そこには田畑がないし水でもどこから供給されているのか意識しない、山から水が供給されていることを意識しない、でもその山も実は放射能で汚染されていたのである。利根川の上流も放射能で汚染されていたのである。
ただ東京にいれば自然はじかに意識しないのである。
そういう社会に生活しているとき自然は意識されない、電気をエネルギーとするとき自然より電気があれば生活できるとなる社会である。
そうなると電気文明となり原子力文明ともなりそれに依存するのであり自然に依存する社会ではない、でも東京すら放射能で水は汚染された生きていけないのである。
大企業は今やそうして自然を無視して破壊する力をもった、それはソーラーパネル工場と化したこの辺でもわかる、それは太陽をエネルギーとしてもやはり森を破壊してそこで水が産み出されるがそれがなくなるとかも言われるからやはり自然破壊だった
それと同時に景観も破壊されるから文化は消失するのである

ともかく原発事故で意識されたのは巨大企業によるまたは科学文明による自然の破壊でありそしてそれが自治体の崩壊になったのである。
法律的に自治体と県と国の関係がありそこで原発事故の問題は処理されねばならないものだった、ただ根源的に歴史的に問う時、これは文明文化というか大きな問題としてクローズアップされたのである。
科学文明工業文明原子力文明の崩壊だったのである。
そういう大きな視点で見る必要もある問題だったのである。
だから個々の問題としていろいろあるがそうした文明論的観点からみて対処することも必要なのである。
そうなると確かにむずかしくてどうすればいいのかわからないとなるが原発事故はそういう人間の存在基盤をゆるがす問題だったのである。
だから文明の転換すら考慮する問題であり個々の問題だけを追求しても解決しないともなる


タグ:自治体とは
posted by 老鶯 at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連