南相馬市市長選挙ー原発になぜ反対できないのか
【野党でも原発増設の危険】
桜井氏は見向きもせず「脱原発をめざす首長会議」世話人として各地の現・元首長たちと脱原発に向けた活動をするなど、一貫して地方政治の立場から国に物申してきた。
桜井前市長が原発反対を訴えても選挙で票にならず負けた。その理由は何だったのか?
それは地元ですら原発に賛成だからである。原発の被害があっても返って補償金をもらったから得したとなっている
特に30キロ内はそうである。原発の補償は30キロないだからである。それで鹿島区は除外されたが南相馬市ということで補償金はもらった。でも隣の原町区の三分の一だった、小高区になると家族が多いと追加補償が一千万になった人も普通にいる。その差が大きかった。それで小高の人で原町区に移り住んだ人は原発も反対しない、むしろいいものだったとしている
浪江の街中で原発で働いていた人もみんな補償金もらって喜んでいると言っていた
私は小高の人でも常に原発の被害を言うのでそうなのかなと同情していた。それよりちょっとでも批判するとお前はなんなのだ・情もない人間なのかと猛烈に批判されるから怖くなり今はしない、身の危険を感じたからである
何か被害者特権化した。俺たちは被害者と常に訴える、でも一方で補償金もらって喜んでいるというのも矛盾である
発達障害者の子供を持つ兄弟でその弟は障害者の兄はつねにいい子にされる。弟は福祉関係者から弟が悪いと常に責められると私に訴える、よく理解できなかったがこれとも似ていると感じた。
原発事故の避難区域になった人達を責めることはできない、そうすると地元だけではない、マスコミでも批判しないから何で批判するのだとなり何も言えなくなる。
なにか腫物にさわるようになり厄介である、だから私は関わらない、怖いからである
こうことでそもそも原発は反対できるものではなかったのである
これだけに事故後でも変わらなかった。むしろ補償金が手厚かったから原発はいいものだったとなっている
地元でも原発に反対しないとなればもはや誰も反対できない、だから立憲であれ最近勢力を増大させた参政党でも原発再開だけではない増設しろとなっている。国民民主でもそうである。何かこれだけに事故だからこんなことありえない見るがいかに金の力が大きいかか、金になれば危険でも不都合でも目をつぶるとなる。
ただ民主主義は誰でも自由に発言できる、別に原発はいいものである、もっと推進すべきだと言うこともできる
だから小高の人はあからさまに言う。それをとめることはできない。でも小高の人がそうなのかとなり意外だったとなる
何故なら常に原発の被害を訴えていたからである。それでかわいそうな人達となり援助しなければならないとなっていた
ちょっとでも批判するとお前は情もない人間なのかとなり責められる。そうして被害者として常に訴える。でも南相馬市でも全部が原発に賛成ではない,小高区と原町区は賛成である。ということは大半が賛成だとなる、補償金が多くもらったからである。
人間は金で動く、金をもらえれば許すとなる。また民主主義は数で決まる。多数決で決まるから南相馬市なら原町区が一番人口が多いのだから原町区で票をとれば当選できる。だから原町区と小高区は原発に賛成であり批判しない、でも多数決の判断の問題は責任を誰がとるのかとなる。原発に賛成とするのもいい、でも事故になったら誰が責任をとるのか?
実際は多数決だと誰も責任はとらない、それが問題なのである。
実際原発事故の責任は国民にもあり国民が推進したのである。それがわかったのが国民民主でも立憲であれ野党が原発推進である。もっと原発を増やせと訴えている。電事連とか電機連合組合は強力である。その団体の意向に逆らうことはできない
つまり国民が原発推進なのである。としたら国民全員に責任があるとなる
だから原発事故の被害者に補償金を税金から払うことに不満を言えない、責任を共有するとなるからである
でも国民となると責任を感じなくなる、それは責任がないと同じにもなる、戦争でも国民に責任があったとしても国民の責任は問いない、結局誰も責任はないとなっている
桜井前市長が原発反対を訴えても選挙で票にならず負けた。その理由は何だったのか?
それは地元ですら原発に賛成だからである。原発の被害があっても返って補償金をもらったから得したとなっている
特に30キロ内はそうである。原発の補償は30キロないだからである。それで鹿島区は除外されたが南相馬市ということで補償金はもらった。でも隣の原町区の三分の一だった、小高区になると家族が多いと追加補償が一千万になった人も普通にいる。その差が大きかった。それで小高の人で原町区に移り住んだ人は原発も反対しない、むしろいいものだったとしている
浪江の街中で原発で働いていた人もみんな補償金もらって喜んでいると言っていた
私は小高の人でも常に原発の被害を言うのでそうなのかなと同情していた。それよりちょっとでも批判するとお前はなんなのだ・情もない人間なのかと猛烈に批判されるから怖くなり今はしない、身の危険を感じたからである
何か被害者特権化した。俺たちは被害者と常に訴える、でも一方で補償金もらって喜んでいるというのも矛盾である
発達障害者の子供を持つ兄弟でその弟は障害者の兄は常ににいい子にされる。弟は福祉関係者から弟が悪いと常に責められると私に訴える、よく理解できなかったがこれとも似ていると感じた。
原発事故の避難区域になった人達を責めることはできない、そうすると地元だけではない、マスコミでも批判しないから何で批判するのだとなり何も言えなくなる。
なにか腫物にさわるようになり厄介である、だから私は関わらない、怖いからである
こうことでそもそも原発は反対できるものではなかったのである
これだけに事故後でも変わらなかった。むしろ補償金が手厚かったから原発はいいものだったとなっている
地元でも原発に反対しないとなればもはや誰も反対できない、だから立憲であれ最近勢力を増大させた参政党でも原発再開だけではない増設しろとなっている。国民民主でもそうである。何かこれだけに事故だからこんなことありえない見るがいかに金の力が大きいかか、金になれば危険でも不都合でも目をつぶるとなる。
ただ民主主義は誰でも自由に発言できる、別に原発はいいものである、もっと推進すべきだと言うこともできる
だから小高の人はあからさまに言う。それをとめることはできない。でも小高の人がそうなのかとなり意外だったとなる
何故なら常に原発の被害を訴えていたからである。それでかわいそうな人達となり援助しなければならないとなっていた
ちょっとでも批判するとお前は情もない人間なのかとなり責められる。そうして被害者として常に訴える。でも南相馬市でも全部が原発に賛成ではない,小高区と原町区は賛成である。ということは大半が賛成だとなる、補償金が多くもらったからである。
人間は金で動く、金をもらえれば許すとなる。また民主主義は数で決まる。多数決で決まるから南相馬市なら原町区が一番人口が多いのだから原町区で票をとれば当選できる。だから原町区と小高区は原発に賛成であり批判しない、でも多数決の判断の問題は責任を誰がとるのかとなる。原発に賛成とするのもいい、でも事故になったら誰が責任をとるのか?
実際は多数決だと誰も責任はとらない、それが問題なのである。
実際原発事故の責任は国民にもあり国民が推進したのである。それがわかったのが国民民主でも立憲であれ野党が原発推進である。もっと原発を増やせと訴えている。つまり国民が原発推進なのである。としたら国民全員に責任があるとなる
だから原発事故の被害者に補償金を税金から払うことに不満を言えない、責任を共有するとなるからである
でも国民となると責任を感じなくなる、それは責任がないと同じにもなる、戦争でも国民に責任があったとしても国民の責任は問いない、結局誰も責任はないとなっている
広告費の増加例: 関西電力は美浜、大飯、高浜の3原発を擁するが、年間広告費は2015年度の31億円から翌16年度に92億円と実に3倍増
赤信号みんなでわたれば怖くない
戦争もみんなで賛成すれば怖くない
原発もみんなが賛成すれば怖くない
多数が正義であり多数には逆らえない。でもその多数は責任をとらない、国民が責任をとれといっても国民となれば数が多いから責任をとらせようがない、でも人間のすることは必ずなんであれ責任をとらされるようにできている
戦争でも3百万人死んだとか原爆の被害は空恐ろしいものだったとかその責任はさけることができないとらされるのである。
そこが自覚されていないのである。誰でも発言できるのが民主主義である。小高の人でも原発雛区域の人でも原発はいいものだったと主張できる。でも責任がともなう、小高の人が一人でも原発はいいものだったと主張するとき小高区を代表して主張していると感じた、主張するのはいいとして責任を自覚しているのかとなる。
極端な言い方すれば原発事故でおめでとうございましたとまでなる。でも現実は常に被害を訴えている、つまり同情しろ南相馬市でも小高区に優先的に予算を金を出せとなる。俺たちは被害者なのだと訴える。常に援助されるべきだとなる
発言するのは自由にしても責任がともなう。その責任が自覚されない、それが民主主義の問題である
独裁政権だと一人の人間の責任が追及されるからわかりやすい、でも大衆民主主義になるとその数が多いから国民に責任があるとしても結局誰も責任を問いないのである。みんなに責任があるということはみんなに責任がないとなる
赤信号みんなでわたれば怖くないとなってしまうのである。つまりそのことが最も怖いことなのである。それがファッシズムとなり暴走するナチスになる。そこに牧者はいず家畜が暴走して全部死ぬともなる。民主主義とファッシズムは相性がいいのである。ナチスは選挙で選ばれたからである
いずれにしろ原発事故から14年過ぎても原発問題は解決しない、廃炉にするにしてもその費用であれ時間でもかかりすぎる
それほどの被害でも原発増設しろとなっているのが理解できない、それは原発事故の肝心の被害者が原発賛成になっていることにある。原発事故になっても補償金をもらえるから返っていいものだとみてしまう。その危険も見逃される。だから確実に次の大事故につながる。原発が止められないというより増設されるからである。
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