2017年12月14日

金と宗教の問題 (宗教も金をとる口実としてある)


金と宗教の問題

(宗教も金をとる口実としてある)

金には何か必ず責任がついて回っている,金もらえばいい,もらったらどう使うとか関係ないとも考える
でも時代劇で良く浪人がいて金をもらうと誰でもいいから殺すということをする
ヤクザでも金をもらったからなと本当は喧嘩に参加したくなくても殺したくなくても殺すそれは金をもらったから責任が課せられてそうなっているのである

ではなぜそうなるのか?別に金があれば金がなくて追い詰められなければそうはならないのである。人間は金で変わる,何でも金をもらえばいいともなる,遂には犯罪を犯しても金をとればいいとなる
それは金に追い詰められれば誰でもそうなるのである。
明日食べるものがない,金がないとなればわずかの金をとるために人を殺すことだってありニュースとなる,それは追い詰められているからである。
浪人などは定収入がないからそうなりやすいのである。

人間は別に悪人でなくても追い詰められると犯罪者になる,もしそうして金にでも追い詰められなかったら犯罪者にもならない,普通の人として終わっていたとなる
だから借金に追い詰められた人は必ず犯罪予備軍なのである。
借金によって人は追い詰められているから他人のことなど考えない
どんなことであれ借金を返さねばならないとなり犯罪にもなる
そういう人が自分が困ったとき来たから恐怖だった
自分が殺されるのではないかというまでの恐怖になる
別にその人ももともと悪い人ではない,うまくいっていたときいい人と見られていたのである。

ただ人間は追い詰められると変わる,悪魔にもなる,ある人はホームレスだけど遍路のようになっていた,そして自分が金があまっていたので大きな金をやると言ったら素直に受け取らなかった,そしてではお礼に経文を唱えさせてくれといういう
その時良くそのことがのみこめなかった,経文を唱えることができるのかと思った
その人は何かホームレスとなり遍路のまねごとを覚え経文を唱えるようになった
その人は僧の修行もなにもしたわけではない,でも追い詰められているから金をもらえるならと即席で僧になり経文を唱えたのである。
その人は追い詰められてそんなことをするとなると悪人になったとなる
僧を偽り金をもらう人となった,その人は金欲しいだけであり何か修行するわけでないからである。

宗教もただ世渡りだけのものなのである。そういうことはカルト教団にもある
宗教法人になると税金もかからないしそれで収入になるし御布施でも賽銭でも金が入る
それで富岡八幡宮の宮司殺人事件では土地を所有しているから駐車場にしたりかなりの収入がありその財産争いであのような凄惨な事件になった
結果的にはあまりにも金がありすぎてその財産をめぐって凄惨な争いになった
兄弟の遺産争いならいくらでもありそれが宗教がからんでいたが実際は財産争いになっていたのである。
もともと寺とか神社でもそういう利権化した場所としてあった。
それはカトリックなどでは顕著であり土地を所有しているから権力をもっていたのであるそして世襲制であり同じようなことが起きてルターの宗教革命になったのである。

だから宗教と経済を考えるとき宗教は本来なるべくそうした利権とかかわらない,金とかかわらないことが純粋性を保てるとなる,世俗的にかかわると汚れてしまうのである。
それで出家して世俗とかかわらず僧侶は質素な生活をしていた
ただそうして出家してもそこもこの世からは離れられず世俗化しして利権化したのである
金となると何か金をもらうと必ず責任が生じている,だから責任も果たせないのに金をもらうと問題が起きる,なぜ弁護士が何もしないで百万もらったのか?
裁判もなにもしない,当事者と交渉もしない,何もしないのに百万が転がりこんだとなるそれはもめごとになり頼まれたのだからもらっていい金だともなる
でも何もしないのに交渉もしないのに受け取れる金だったのかとなると疑問になる
最初に百万とるということ自体が変だったのである。
そして何の責任も果たさないのに金をだけを受け取ったのである。

「これこれで今困っているんです」
「では百万を先にもらいます」
「それで相談にのってもらいるのですか」
「そういうことです」

しかしその弁護士は何もしていない,本当に何もしていなのに金をもらっただけなのである。実際の交渉は運送会社と保険会社で行われただけであり何もしていない
そしたらなぜその金を受け取れるのか?第一何もしないのに最初から相談料として百万も受け取るのか,要求するのか?
そしてなぜそれで金を払ったのかとなると今ふりかえると変だなと気づいた
自分はその時何かわからないから気にもしなかった

つまり金には責任が生じている,何もしないのに金をもらうことは責任を果たさないのにそうしたことは納得がいかないとなる
ただ相談料として10万くらいとられてもそれはいいとなる,百万となれば百万の責任が生じているのである。
だから何か弁護士でも推理ドラマで理不尽でもクライアントの味方として働く,それはクライアントから金をもらうから責任があるからそうなる
それは浪人が金をもらって何でもする,人殺しでも請け負うとにているのである。
弁護士はだからブラックになりやすいのである。
そんなこといったらあらゆるものがそうなりやすいし金など得られないともなる

まず飲食業があるとする,それらの仕事は簡単に百円でもごまかせない,多くは金はとれない,その仕事に見合ったものしかとれない,千円の料理を作るのにごまかせないからである。材料にしても料理するにしても千円の値段によって決まる,それを百円だけですませて利益を得ることが不可能である。そんなことしたらすぐにわかるからである。
その店は誰も次から来なくなるからである。
物を売るにしてもそんなにごまかせないのである。値段なりにしか売れないしもうけられないのである。

ただ宗教とかで金が入るのはそれだけで宗教とはまるで違った場所になっている,利権化した場所なのである。金儲けの宗教だとなる
カルト教団でもそうだし今回の富岡八幡宮事件ではあまりにも露骨に凄惨なものとして現れたから驚いたのである。

そんなことを言ったって人間は金から離れてありえないのである。自分だってそうであるただ富岡八幡神社の宮司の家族は異常である。賽銭とか土地の所有で豪遊していた,歓楽街で散財していたからだ,宗教によって神社が食い物にされていたのである。
そもそも賽銭とかオミクジとかあるがそこに願う人も祈る人もそもそも不浄なのである。何か賽銭とかにはこの世の汚れた欲をかなえてほしいという願いがこびりついていいないか?御神籤にしてもそうである。神社は何かとなるとそんな神聖な場ではもともとなかった,良く近くでクジを買う人がいつもけっこういるなと見ている
なにか一攫千金をねらう庶民が結構いることに驚く,そんなもの当たる確率からしたらほんとんどないのにクジを買っているのである。
神社でもいろいろあってもそこも何か世俗的な場である,祭りとかを継承しているから神社はまた違ったものとしてある

とにかく賽銭をもらう,その金で豪遊する,賽銭をもらうことはやはり責任が生じている何にでも使っていいとはならない,ただ宗教の不思議は遍路の真似してお経を上げていたホームレスのようにそれだけで金をもらうことが正当化される
お経を上げたのだからもらうのは当然だとなる,その人はそうして乞食ではないと威張ることにもっないたのである。
その人は乞食としてもらうことを嫌っていたのである。人間にはプライドがあるからそうなる,そしてお経をあげてやったから高額な金をもらうのも当然だとなり逆に金をやったのに礼をしろとまでなっていたのである。
こういうことはカルト教団で寺でも神社でも普通にある世界なのである。
その宮司は賽銭であれ女遊びで豪遊していたのである。

タグ:宗教と金

2017年12月13日

死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む) 死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


●万葉集の恋は死者を思い面影に見ること


陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを

夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ

遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして

年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ


右大将道房の死後、手習いをしていた扇を見付け詠む 土御門右大臣

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

(手慰みの筆の跡と思って見ていたけれど、永久の形見と成ってしまった)


面(かお)とは顔のことである。不思議と顔が浮かんでくる,死者だと余計にそうなる
それで折口信夫は

折口信夫は、「恋」とは昔相手の「霊魂を迎え招く」ことだったと言っている(「恋及び恋歌)。「恋」とはもと「魂()ごひ」だったというのである


万葉集の恋は今の恋愛ではない,死者を乞う(こう)儀式ですらあった
だから実際は死者に関するのだから深刻なものであり恋愛とは違ったものとして恋があった,死者はなんらかでそうした面影として残されたものに映る
それは遠い所に人がされば面影に見る,それは死者を思うのとにている
ただ死者は絶対にもう会うことができないのだから深刻なものとして恋がある

真野の草原の歌は真野の草原(かやはら)という遠い地に恋する人が行ったとしても面影に見えますよということである。草原(かやはら)のことではなかった
真野の草原は遠い地として奈良の人に知られていたのである。

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

これは死者のことかもしれない,死者は存在しなけど面影として存在し続ける
そう読めばただの恋愛ではない,深いものとして鑑賞できる

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

こういうことは家族で死んでみるとわかる,こんなものが形見となって死んでしまったなということを感じる人が多い
何かありふれたつまらない日常だったことが貴重な思い出として蘇るのである。
面影として現れるのである。人間が死んで残るのはその人の思い出であり面影なのであるそれはなかなか消えないものなのである。


湯たんぽにストーブにあたたむ湯を入れぬその時姉ありあたたかきかな

我が家になお姉母ありて支えなむ今年は特に寒くなりしも

死してなお我によりくるもののけは姉母にしもありと思いぬ

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る


常に湯たんぽにストーブであたためた湯を入れるとき太った姉が常にそこにいたのであるそれがなんでないが寒いとき姉は太っていたから湯たんぽでも温かく感じていたことを思い出したのである。
そんなときそのことに特別な思いはなかった,でも死んでみたらいつも姉がそこに笑って湯たんぽに湯を入れるのを見守ってくれたとかなる,湯も入れてくれていたのかもしれない。ともかく姉が湯たんぽの湯を入れるときそこにいつもいたことを思い出したのである何か今年は特に寒いからそんなことを思い出すのである。

もののけというとき物につく霊とかなる,この物の怪は悪いものとして憑依するものとしての霊とある,でもそれだけではなく良い霊として死者が自然物に憑くということもある石についたりもする,死者が石と一体化して伝説の石となる
それはもう単なる石ではない,完全に死者と一体となった石だとなる
死者がもののけとなり悪い霊としてつくとは限らないと思う
何か家には死者の霊がもののけとして憑いている感じになるのだ
それは悪い霊ではない,長く住んだ家から離れられずついているともなるのだ
死者はだから骨になり灰になっても消えたとはならない
何かむしろ物の怪となって長年あった場所に憑いているともなる

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る

ものしずかな母だったというとき自分もそうだった,だから外交的な人には好かれない
外交的な人は好かれやすい,表に現れるからである。
内向的な人は表に現さない,隠忍自重している,だから石にふさわしいとなる
ただ死んでみるとそうして目立たないものが何かいつまでも残る,存在し続けるということも感じた,外交的な人には人のいい面はあるがそれがすべて表にでてでしゃばりになるのが欠点にもなる,ただ外交的とか内向的とかあってもどっちにもいい面と悪い面だしそれは悪い面もいい面となる,その両方を兼ね備えればいいのだが人間はそうなっていないのである。
正直内向的な性格は社会では損する,外交的な人が好まれているからだ
実際母はとても一人で家を切り盛りできない女性だった,何か社会のことがわからないからだ,自分もその血を受け継いでいるのである。
人間はつくづくなにもかも兼ね備えることがないから補い合うようにできているのである社会自体がそうして支えあっているのである。

●埋火の俳句より死者を思う

埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)蕪村

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火


死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

埋火の文は老人問題に書いたがこちらにも移して一つの文にした
またここに文を加えることにもなるかもしれない
こういうことは電子空間では簡単にできる,常に加筆したり変えたりするのが手間にならないのである。だから絶えず更新してゆくのがインターネットの電子空間なのである。こ


2017年12月12日

遺骨は何なのか死者とは何なのか? (死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


遺骨は何なのか死者とは何なのか?

(死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


死者とは何なのか?生きている人が死ぬと骨になり灰になり消えてゆく,実際に20年すぎたら骨壺もないし骨もなくなっいた,そこには骨も他の人と一緒になり混ざり消えた
そこに個人を特定するものはない,抽出するものはなくなった
骨は物質だからいづれは土になるなり消える

死者とは何なのか?骨がなくなっても死者は存在し続ける,では名前なのか?
奇妙なのは母親の名前を墓に刻まない息子がいた,不肖の息子であり金がないから墓に名前を刻まないのである。だから名前がない墓は誰にお参りしているのか?
供養しているのか?これもなんなのだろうとなった

はっきりしていることは人は墓という物にお参りしているのではない,墓が石であり物なのである。では死んだ人は何なのか?死んだ人と人間がどうつきあうのか問われている
自分の家族は全部死んだ,自分では死者とどうつきあっているのか?
それは死者を回顧してこうだったとかああだったとか語る
その時死者と対話している,別に骨がなくても死者と対話しているのである。
だから骨が大事なのではない,骨がなくても対話はできる

現に自分の兄の母を自分の墓の隣に作った,するとそこには骨もないのである。
でも名前を刻み墓として供養すればそこに死者がいるような感覚になるのも不思議であるその墓の前を毎日通っているから余計に身近に親しみやすいともなるのである。
骨もなにもないのだけどそこに死者がいるような感覚になる
だから死者は骨ではない,骨はいづれ土になるなりなんなりして消えるからである。
でも骨がなくなっても死者は存在し続ける

いつまでも死別した人を忘れられないというときその死者はそうして生者の中に存在し続けているのである。つまり思い出として存在し続けているのである。
最後は人間は思いでだけになのだ,思い出が貴重なもの宝物のようになる
特に死んだ人はもう会えないのだから思い出のなかでしか存在しないのだから余計に貴重なものとして浮上してくるのである。

だから離婚して音沙汰がなくなった夫でも遺骨が行き場がなく元の妻に帰って来たとき子供と遊んだ写真をみてなつかしくなり夫を弔ったとあるのもそのためである。
死んだことで昔の楽しい一こまが蘇ったのである。
子煩悩だった人だったとかありそれで死者を思い出して弔ったのである。

要するに死者はもう二度と会えない,ただ思い出の中で会うだけなのである。
自分は家族と60年間一緒にいたから生きていたときはうざいとか思っていた
そういうことはみんなある,家族なんかうざいなとか普通にある
でも一旦死んだりすると全く違ったものとして浮上するのである。

ともかく60年間一緒にいたらなかなかその存在は消えないものとなる
何か以前として近くにいる感じになるのである。
近くで見ている感じになるのである。
だから以前として死んでも交流がつづけられている感じになる

寒いときスト-ブで沸かした湯を湯たんぽに入れていた,その時姉が必ずいたのである。
そんなことなんでもないことである。でもその時寒いが姉のあたたかさがあったなとか今になると感じる,その時は何にも感じていない,今は一人になったから余計に感じるのである。
寒々として一人寝るだけになったからである。
家族がいない家は本当にわびしいとなるからだ,家族がいれば寒くてもあたたかいということがあった,それがないから余計に淋しく寒く感じるのである。

日常のなにげないことが死んでその人がいなくなったとき感じる
それも貴重な一時としてあったが永遠にないとなるからだ
ただ何かそれだけ長くいるといるような感じになるのだ
人間はそんなに死んだ途端にすべてが消えることはないのである。
確かに人間としての物質としての人間は消えても人間は以前として何かを伝いありつづけるのである。

俳句で死者を考えると

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埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火

死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

ともかく死者とどうつきあうかとなるとこれも一様ではない,でも現代は死者とのつきあい方は何か変だなと思う,死んでから知り合いでもない人が集まり合葬するとかもそうである。それは時代の反映なのである。
なぜならもともと村を中心に生活していたとき人は村でみんなと生活して死ぬときも一緒だったからである。同じ村の中の共同の墓地に葬られたからだ
それはこの辺ではホトケッポとか呼ばれている,仏方とか地名にもなっいるからだ
現代では村とかの親密なコミニュティはない,だから全然知らない人が集まり一緒に葬られる,死んでからそうなるというのも変なのである。

これも生と死は連続したものとしてあるからそうなっているのだ
死によってこれまで生きていたことが全く断絶することなどありえないからそうなっている,死んでもやはり生前の人を思い出して死者を見ているからである。
死者になったからといって全く別人になったものを見たりできないからである。
いづれにしろ今年は寒い,寒い時また感じるものが違ってくるのである。

NHKクローズアップ現代『あなたの遺骨はどこへ〜広がる“ゼロ葬”の衝撃〜』

この番組は深く追及している考えさせる番組である。こういうのがyoutube に見られるからいい,すると何回も見れるし考えることにもなる,他に墓について考えるものが出ているからいろいろと理解が深まるのである。
それがメデアの変化なのである。

母の命日に兄の墓を建てる (これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

母の命日に兄の墓を建てる

(これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

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兄の墓




これも偶然だったのか?母の命日に兄の墓を自分の隣にたてた,それなりに立派である。
原町の実家には骨が入っていたが骨壺もなにもなくなり土と化していたからもってきようがない,だからここには骨は入っていないのである。

でも墓を建てたのは母の実家の墓を守る人が確かに兄と5年間一つ屋根の下で一緒に暮らしていたのに知らないというのである。
そしたら供養にもならないだろう,知らない人を供養できない
そもそも墓の不可解はいろいろ書いてきたけど墓というものを供養しているのではない
人を供養しているのである。

その人を知らないとなれば供養もできない,知らない人でも話を聞いたりしてそういう人だったのかと知ればいいがそれすら知らないとなれば要するにその人は存在しないとなるのだ,存在しないものとして消されたのである。
時間がたてばそういう人はいくらでもいる,歴史的になるとその人が本当に存在したのかどうかもわからなくなるのだ,だからこの人が存在していたということが驚きにもなる

娘はいてもひどい目にあったから供養する気もしないし関心もないから自分が供養する他ない,自分の墓はすぐ近くで毎日その前を通っている,すると毎日手を合わすことすらできるから供養するにはいいのである。
墓も遠くになると疎遠になる,墓参りするのがめんどうになるのだ

墓が大きくしていたのは戦前頃まで焼かないで土葬だった,そういう実話として自分の家でも姉の母は自分の母と違っていたが姉がシンガポールに四年間従軍看護婦として勤めて帰ったとき母が死んでいたのである。
それで母をみたいと墓をあばいて見たら顔でもまだ形をとどめていてきれいだったという土葬だったからそういうことができた,これも戦争の悲しい物語である
その姉も死んで8年とかなる

母も死んで3年がたってしまった,時間の過ぎるのは早い,今日は母の命日であり兄の墓を建てることと命日が重なった,これも不思議といえば不思議かもしれない
自分の家は兄には悪いことをしたということがあり自分が供養した
ただその後の責任は全部自分の家にあるとはならない
なぜなら別に不遇でもそれなりに普通に生活している人は多いからだ
それは結婚してその結婚生活に失敗して経済的に破綻したからである。
そして交通事故で死んだのである。
そうしたことが全部自分の家の責任とはならない,だから娘は父親でも供養する気持ちがないのである。

なんか人間は死んでもめんどうである。墓の問題は結構めんどうなのである。
人間の最後の問題として墓がある,その墓でもなくなるとその人の存在はなくなるのか?
別に墓がなくても人間はいろいろと存在し続ける人はいる
英雄とかなると伝説としていつまでも語り続けられるのである。
人間は最後は物語にストリーになりヒ-ストリーになるのである。
必ず家族でも死んだら物語を残すのである。
だから残された人は自ずと語り部になるのである。

いづれにしろ何か宿縁というのはあるのか?母と兄とはいろいろあり兄は母を恨んでいた
でも大人になってからは恨むこともなかった
そして兄は娘を一時児童相談所にあづけることになった
何か本当に母とにているのである。何かそこにカルマがある,カルマとは同じことが運命的にくりかえされることなのである。

ともかく兄の墓を作ったことでまた母の遺言を果たしたことで楽になった
自分の勤めは果たしたとなる,今墓で母と兄も結ばれているともなる
墓は分離するのは良くない,それは実際の家族でも何でも分離していることになる
不和になって分裂していることになる
母の実家のは墓はそうである。みんな不和分裂している,実家の墓でもその墓を守ってくれと長男にあたる人に300百万で頼まれても墓は維持できなくなる
遠いし墓参りにくるだけでめんどうになるからだ
だから自分は頼まれなくて良かったと思う

つまり墓のめんどうなのは墓の因縁を墓にうめられた人たちの因縁を背負うことになるから簡単に墓など金もらったからと継げるものではない
悪い因縁があり祟るということもありうる,だから墓は墓という物を受け継ぐのではない何かそうしたその家であれ因縁を受け継ぐことになるから金だけでは簡単に受け継ぐことはできないのである。
そして心から供養する気持ちのない人も墓を受け継ぐことはできないだろう
そこに墓のむずかしさがあったのである。

墓建てぬ母の命日寒しきも息子とともに安らぐべしかな

神社には、無念の思いで死んでいった人の祟りを鎮めるために、神として祀って慰める神社があります。
怨霊信仰、御霊信仰といわれる神社です。
平将門や崇徳上皇を祀った神社などは、そういうものに該当すると思います。

確かにみんな死者が往生したわけでもないし成仏したわけでもない,そういう人はまれなのかもしれない,人間はなんらか未練を残して死ぬのが多いのである。
それはカルト教団に入っていても同じである。むしろそこの方が不孝な人達の集まりだから未練を残して怨霊になるような人が多いだろう。

自分でも死者ををどうしていいかわからない,ただ恨んでくれるなとなるのは確かであるその不孝な死は本人の責任も大きいがいろいろ事情あって墓を建てた
安いものだったから良かった,でもそれなりに立派なのである。
墓はあれで十分だと思った,あれならあとかたづけるのにも墓を守る人がいなくなったら楽だからである。

いづれにしろ人は死んでもそれで終わるわけではない,その後も墓とか具体的な問題が残る,明らかに靖国神社があるけど死んだ人の霊が靖(やす)かれということがある
死んだ人に対してそう祈る,そして悪いことが死者が祟らないようにする
でも実際に「ひどい娘だわ」と自分に最後言って恨みを残して死んだ人を知っている
そうなると何か死者の霊は休まらないともなる
自分は祈る必要もないが娘はやはり墓参りする,するとそれを偽ることはできない
だから死ぬときでもそうして恨みとか残して死ぬのはあとあとまで祟るとなるから怖いのである。それで怨霊を祭る神社が生まれたのである。

ただ今回の富岡八幡神社の宮司殺人事件のような人は怨霊にもならない,あまりにも利己的な身勝手なものであり怨霊神社となったのは何か理不尽な結果として死んだ人達のことを恐れたのである。それはなぜか?
そこに心のやましさがありそれで死者を恐れたのである。
今回の事件はそんなこと一切ない,あまりにも汚れた宮司の継承問題であり
その悪は一切事件を起こした人にあったからである。
呪われるのはその事件を起こした人達であり回りの人はなんの関係もないのである。
怨霊として祟るというとき一体誰に祟るのか?
自分自身の不徳に祟るからそれは全部その本人にかえってゆく,回りの人は関係ないのである。

ともかく自分の墓なら毎日通る道にあるからそこを通るたびに手を合わすこともできるし何か死者と一緒に暮らしているという感覚にもなる,離れていると墓だって疎遠になる
だから墓でも親の墓は子供の移った先に移動しているのである。
何か自分は責任を果たしたという感じになり楽になった,死後でも死者が安んじるようでないと祟るとはならないまでも嫌な感じになるからだ
死者とは何かわからないしやっかいな問題だったのである。

2017年12月11日

田舎の冬の一日(写生俳句)


田舎の冬の一日(写生俳句)

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石の庭志操を守る冬薔薇

冬紅葉母の命日偲ぶかな

冬日さし蔵の農家や古りにけり

冬日さし干し物に大き庭の石

冬椿福祉施設を囲むかな


今日でやっと歯医者が終わった,今年は二回歯医者に行った,相馬市の方は遠いのでやめた,ここは原町が近いことで助かっている,なんとか電動自転車で行けることである。
受け付けの女性はそれなりに年配であり感じがいい,治療が終わったら「お疲れさまです」と言われたとき本当に歯の治療もいたいし嫌だから慰められた,そこに癒しがあった,実際は福祉とか医療でも癒しの仕事である。
癒しを与えるような女性だと何か病気すら直る感じになる

正直病院はそういう癒しの場ではない,何か癒しがない無機質の殺伐とした感じなのである。
ただ受け付けでも何か印象がいいとその歯医者はやはり患者が集まるともなる
原町のYという歯医者だった,大学はいい大学ではないがそれもわからない,医者とかは生来のものがある
器用さとは生来のものでありそういうものも大事になってくる
開業医でも病院でもその場を良くするのは看護師が大きな役割をになっている
だから医者だけでは好感もてる医院や病院を作れないのである。

歯医者くらいならいいが他の重篤な病気になると診る人も余裕がなくなるのである。パンを買うのがイオンでもあり何か原町には用事がある
相馬市の距離は倍以上であり最近半年以上自転車で行っていない
相馬市にもまプリントする用事があるのだが行けない

何か家事だけでも忙しい,自分の家は寒いのは古い作りの家だからである。すきま風が入る,すきま風は床下からも入ってくる,前が広くあいて部屋になっていないのもそうである。
店をしていたから広いから風が吹き抜けのように入ってくる
だから下の茶の間は広いし石油ストーブでも部屋中が温まらないのである。
でもこういう寒い家を直さないで良く住んでいたなと今では思う
他はいろいろ直したのに肝心なことが直さなかったなとも思う
ある人は部屋をあたためるようにリホームしたというのもわかる
やはり老後はこれでは辛いとなる

何か家事をしていろいろ気づくことがあった,家事することはいろいろあるからわからないのである。やはりこれも経験していないからわからないのである。
人間は基本的に何でも経験していないとわからない,社会のこともわからないのである。本を読んでもわからない,株だって実際にしてみなければわからないのである。
世の中生きるのに経験することは限られているし知らないことが多すぎるのである

youtube が便利なのはそうした日常の知恵が紹介していることである。
畳の下に何か敷くと風が入らなくなるとかも紹介してあった,リンゴを毎日食べているが良く洗わないで皮ごと食べていた,皮に栄養があるというから食べてたいたのである。
それと早く仕事しないと時間の余裕がなくなるからである。
家事だけ丁寧にしていたら時間がとられ他のことはできなくなる
前は介護もしていたから余裕がなかったのだ

冬の日はやはり田舎がいい,より落ち着くのである。
冬薔薇というとき志操守るというときふさわしいとなる,志操を守るということは大事である。志操を守ることには命もかけることもある,志操が守れなければ死ぬというまでに大事ともなる,それは金より大事にもなるが現実は志操などより金だとなっているのである。何かを守るべきものがある。それを譲れないものがある。
ただその時相当に苦しむことは確かである。

明日は母の命日だけで何もしない,何かやはり師走であり追われている,自分は介護始めてから何か生活が追われている,結局家事とかみんな自分でしなければならないからである。

仕立屋にはじめて行くや冬の日やぬいあわせしてジャンパーを着る

ボケットが切れていてぬいあわせしてもらったのである。300円だった,こんなこと頼んだこともないのである。そんなことしてくれる所がまだあったこともからなかった,いつも通る所に仕立屋がまだあったのである。今はみんな新しいものを買うからそんなことしないと思っていた

明日は母の命日だけで何もしない,何か生活に追われてできない,何でも一人ですることは身にあまることになる,母は一生忙しく過ごした人だから師走に死ぬのは安ていたのである。
そして冬紅葉もあっていたから冬紅葉忌ともなる,一生が何か不遇だったともなるからだ
写生俳句というとき現実の生活そのままを写し取ることでもある,だから洗濯物が干してあってそこに大きな石があるというのも写生であり何かを語っているのである。
大きな石がありどっしりとありそこに生活があるとなる
写生によって何かを語らせるのが写生俳句なのである。

鹿島の福祉施設が集中している所に冬椿が囲み咲いている,それもにあっている,福祉となると冬椿とかがにあう。
でも実際の中味は福祉にはいろいろ人でもなんでも問題がありすぎるのが実情なのである。
ただ冬椿に囲まれている景色は外から見ればいい感じになる

2017年12月10日

常に変わる社会の人間や物の価値 (資本主義社会はその変化に対応するシステム?)


常に変わる社会の人間や物の価値

(資本主義社会はその変化に対応するシステム?)



最も強い者が生き残るのではなく、

最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残るのは、変化できる者である。ダーウイン

人間の価値は常に変動している,農業時代は力持ちが価値があった,だからどこの神社でも比べ石がありその石を持ち上げると一人前として認められた
米俵とかをかつぐことができないと一人前に認められないからだ
女性すら力持ちの方が嫁としていいとまでなった,美人でも農作業ができなければ役にたたないとなるからだ
大きな祭りの藁人形をかつげると一人前として認められたとかもある
それだけの力があれば大人の仲間入りできたのである。
だから農業時代の価値基準は力があることだったのである。
それは男女でもそうだったのである。女性も農家に嫁げば力仕事をしなければ勤まらないからである。

人間の価値は常に変わっている,明治時代になると福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた人間の価値は侍のように刀をさして武道にすぐれていればいいとはならなくなった
学問が立身出世になるから学問に励めとなったのである。
実際学校で勉強嫌いででも自分でもそうだが勉強できないものは力仕事を以前としてしなければならない,建築関係でも力仕事をさせられる,すると体力がないもの力持ちでないものは勤まらないのである。
だから自分は勉強嫌いであり社会のことがわからないで失敗した
なぜなら自分は体力がないのだから勉強して頭を働かす仕事をするほかなかったのであるそういう自覚が全くなかったのである。
自分は他の人と比べて体力がないのだから勉強して頭を使って生きるという自覚がもてなかったのである。

ともかく価値は常に変動している,職業でも前は繊維関係とか石炭関係とか花形産業であった,鉄道も国鉄時代では地方でも有力な就職先だったのである。
国鉄職員が多かった,それで社会党が国鉄の組合をバッグにして野党第一党となっていたのである。そして民営化したとき社会党の力もなくなり消失したのである。
産業自体の価値が時代によって技術革新によって変わるのである。
だから人間社会では変化に対応できないものは滅びるのである。

日本が経済大国になったのは電気製品などの製造業が世界一になり世界に売れた結果として経済成長して豊かになった,その時電器製品がテレビなどが日本の製品が一番すぐれていたからそうなったのである。今ではそういうテレビとか電器製品は韓国と中国とかと同等になり売れなくなった,自動車だけはまだ日本の製造産業を支えている
他は韓国でも中国でも追いつかれて東芝でもシャープでも売られているという時代になった

アメリカがなぜ世界を以前としてリードしているのか?
それは日本のような電器製品からITに移行したからである。インターネットなど通信とかコンピュターなどの技術革新をした結果とてして世界をリードしている
今度はAI化による技術革新時代に入るとまた人間の価値が変わる
常に人間はそうした技術変化がありすると社会自体も変わってしまう
今までの体制では会社でも生き残れなくなる,人間を見る価値観も変わる
新卒一括採用とかも変わる,会社を発展するにはどういう人間がいいのか価値があるのかという見方が変わるからである
今までのように人間を見ない,会社にだけ忠実なロボットのような人間はいらないとかともなる

価値が変わるというとき過去には塩が価値があり塩が経済の重要な産物であった,それで砂漠では塩と金が同等のものとして取引されていた
それだけ塩が価値があった,日本でもいたるところに塩の道があり塩が重要な産物だったのである。
でも今は塩などいくらでもあるし米ですら減反政策とかなり余ると価値のないものになるこうして価値が常に変動している

石油の値段が下がった→アメリカがシェール石油をとる技術を発明したため
ある会社が価値が上がった→何かの新技術を発明したから
ある会社の価値(株)が下がった→技術が停滞して遅れをとったため

会社の株がグローバルに上がったり下がったりしているのは価値の変動が常に起きているからである。それがグローバル資本主義のシステムなのである。
その他でもいろいろな要因が株は上がったり下がったりする
経済も変動する社会に合わせるからそうなるのである。
こうして変動する社会に対応するのが資本主義だからこそ矛盾していても生き残っているということになる
強い者が勝つのではなく適応するものが生き残るというのが資本主義社会の思想だから生き残っているのかとなる

職業でも地方では銀行員などが硬いものとしていい職場とされていた,でも地銀はもう役割がないとかなり証券会社の出先機関の役割しかないとかいづれはなくなるとか言われる銀行自体が事務などがAI化されて不用になり大量リストラに現実にされている
AI化で人間が不用になるのが四十パーセント以上日本であるというのも驚きである。
AI化で効率化されると人間の価値も変わり不用となりリストラされるのである。

そうして価値から考えるとき,みんな金に紙幣に価値があると思っている,でも金といっても紙は紙切れにすぎない,黄金ではないからだ,だから金は数字にすぎないというとき今ではそうである。だから突然その貯金の数字でもゼロになるという恐怖につきまとわれているのだ
それで現物で米俵を蔵に蓄えるとか黄金でもつとか土地をもつとかなったのである。
チューリップバブルではチューリップが異常な高値となり売買されたのである。
それはバブルだからそうなった,つまり金をもっていても金自体には価値がない
その金で買えるものに価値がある,だから投資というとき価値があるとういものに投資しているのである。だから投資先も常に変わることにもなる
それを見抜けば株式市場でもうけられるとなる
それには相当な知識が必要であり素人には無理だとなる
投資信託でもその基本的なことすら理解できないのが自分だったからである。

人間社会は常に価値が変わっている,原子力発電は福島の事故が起きる前は価値あるものだったのである。電気自体の価値は現代社会ではその価値は増大している
電気自動車でも膨大な電気を必要としている,ただ原子力は事故が起きてから中国でもソーラーパネルとか風力発電とかにシフトしている
だから突然に価値が急変することがありそれで株の暴落にもなるのである。

いづれにしろ資本主義社会では今や銀行であれタンス預金であれ金だけ蓄えていてもそれは紙にすぎない,数字にすぎないという感覚をもつ必要がある
金の価値も常に変動している,金をもっていたとしてもインフラになれば半分に価値が下がることもあるし文字通り紙屑にもなってしまうのである。
資本主義社会が投資から成り立っているというときそれは価値あるものが変化する
時代時代によって価値あるものを追及して投資して新しい分野を開きそこに富が生まれる
だからdarkness tigaで多国籍企業の価値は下がらないから株をもてと言っていることはそういうことかと理解する,株というのが投資というのが資本主義社会の基本にある
でもその資本主義社会でどう生きるかわからないのである。
銀行も間接投資会社でありやはり株式会社資本主義社会のシステムの中に作られていた
でも本来は間接投資より直接投資が本来の資本主義なのである。
ただ株のことが投資信託でもわからないから銀行がプロだと思ってまかせている
でも今や証券会社の出先機関が銀行なのかとなっているのである,だからもう必要ないと言われるのである。

これは常に価値が変わっているからそうな,銀行に金を預けていれば利子がつく時代が終わったとき銀行はもう必要ないとなる
だからそもそも銀行員でないにしろ銀行を利用する人も銀行の価値や見方を変えねばならないのである。一体銀行は何するところなのかとなる
それも時代の変化で価値が変わったくるからそうなる
その価値が変わることについていけないから銀行でも今までと同じように見ている
それで失敗するということがある
ただでは正直金をどうすればいいのか?資本主義がそういう仕組みでシステムで動いているということは理解しても現実にどうしてその資本主義のシステムで働いたり利益を得るのかとなるとなかなかわからないのである。
そして自分の場合は他にすることがあるからまかせる,でもその結果としてもうけることができず損するともなるのである。
posted by 老鶯 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

地球の驚異(Wonders of the earth)


地球の驚異(Wonders of the earth)

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peaceful paradise,  hidden world

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これらも写真から変形したものである。でも洞窟から鹿が見える絵は自分でも不思議である。
これはインターネットのサイトの絵画にあったものである。
だから鹿とか一部分は著作権違反になる,でもこれが不思議なのはやはり一つの新しい創造となっていることである。
単なるコピーではないのである。
だからやはり創作になっている,それはコンピュターによって作られた新しい芸術である
ただなんらかで原作があり著作権違反となるのがある,そこがやはりこのコンピュター芸術の問題なのである。


These are also modified from the photograph. However, it is marvelous that you can see the deer from the cave.
This is in the paintings of the Internet site.
So deer or part will be a copyright violation, but this is strange is that it is still one new creation.
It is not just a copy.
So it is still creative, it is a new art made by computer
However there is an original in somehow and it is a copyright violation, there is still a problem of this computer art. Of art

2017年12月09日

盛岡短歌十首(秋から冬) (盛岡は芸術都市:詩人の街(続)


盛岡短歌十首(秋から冬)

(盛岡は芸術都市:詩人の街(続)


盛岡は芸術都市:詩人の街


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盛岡の城跡歩み静かかな紅葉に映えぬ岩手山見ゆ

盛岡の城跡に来て寒しかな散れる紅葉を踏みて帰りぬ

中津川岸辺のベンチ石により秋の日さして流れの音聞く

中津川は流れ静かに木の葉散り岸辺をそぞろ歩む人かな

盛岡の中津川の岸老木や秋の日のさしてそぞろ歩みぬ

盛岡に銀行古りぬ秋の薔薇咲きてあわれや街を歩みぬ

盛岡や朝の光りに紅葉映え流れ二筋街中流れぬ

盛岡の公園の池凍りけり城跡静か昔の跡かな

真向かいに迫り望みぬ岩手山雪にし寒し朝の盛岡

雪埋もる小岩井の森聞こゆるはしきりにたたく啄木の音


盛岡は街として東北では魅力がある,東北では街自体に魅力がある市は少ない,
盛岡は街としての魅力もあるし自然環境としてもいいのである。
岩手山があり北上川が流れ中津川が街中を流れている
それで落ち着くのである。城跡もありと城下町の雰囲気もある
そこに啄木と宮沢賢治が詩人が育ったのである。
それは盛岡という街があったからだともなる
田舎だけではそうした文化とかははぐくまれない
ヨーロッパでも中都市にフィレンツとか他でも文化が栄えたのである。

盛岡の雰囲気と仙台の雰囲気はかなり違う,盛岡はなにか鄙びたものとハイカラなものが混合している,それは戦前から明治からでもそうだったのである。
だから賢治みたいな詩人が生まれたのである。
鄙びたものとモダンなハイカラな文学を創造したからである。
それはやはり盛岡という街があったことも影響しているのである。

平泉は古都だとしてもそこにあるのは金色堂だけであり跡は大泉が池とかあるが街はない周りは田んぼだけなのである。だからみちのくの古都として偲ぶといっても金色堂だけだから淋しいとなる,後は北上川と田んぼを見るだけだともなるからだ
仙台も森の都といっても何か盛岡と比べると城下町としてもそうした雰囲気を感じないのである。

街には明かにそれぞれの雰囲気があり個性がある,だから何回も原町市だった,南相馬市の原町区と城があった相馬市が雰囲気が違うと書いてきた
それは外から来た人にはわかりにくいのである。
原町はいち早く明治以降原町機関区としていち早くモダンな近代化した街だったからである。
小岩井農場も牧場も近代的な農業として作られたのである。
それで賢治の「注文の多い料理店」という童話が作られたのである。

他でも街には個性があるが一回くらい行ってもわかりにくいのである。
仙台とか盛岡は近いからわかりやすいとなる,会津若松市は有名だけどあそこに城下町の雰囲気がそんなに感じない,なにか城から離れた所が田んぼになっていて虫が鳴いていたのが印象に残ったのも不思議である。
城下町として感じるものがそれぼとない,ただこれは人によって感じ方が違うから感じる人は感じる,自分が東北で一番魅力を感じるのは盛岡である。
あとは弘前市だけどそこは遠いからわかりにくいとなる

みちのくは平泉までだったというとき盛岡まで芭蕉も行っていないというときみちのくと言っても広いからそうなる,青森はみちのくとしても果てになるからだ
盛岡は仙台からも近いから身近なのである。
新幹線で今や仙台から五十分でありここから仙台へ行くより本当に早いのである。
だから新幹線で盛岡に行くと不思議になる,岩手山でもすぐ近くにあるように見えるから不思議である。新幹線は距離の感覚を変えるのである。

岩手県に盛岡がありそこに啄木とか賢治が生まれたのも育ったのもやはり環境が影響していたのである。詩人をはぐくむ街として盛岡があったともなる
仙台からだと詩人は生まれにくいだろう。ヨーロッパでもフィレンツにルネサンスが生まれたのはそれだけ文化を育む都市だったとなる
ただ一回くらい行ってもわからなかった

盛岡の城跡は石垣でも端正に感じる,平地にあり平城であり落ち着いた感じになる
城跡の雰囲気でも違っている,ただ盛岡の歴史となるとわからないことがある
仙台の青葉城とはまるで違った感じである。山城と平城の相違が大きいのである。
そして何か落ち着く平静の感覚になるのは城の石垣が幾何学的に整然として配置されているからである。ピラミッドを見ると落ち着くというときとにている感覚である。
東北では小高い丘とか山城系統が多い,白河城でも二本松城でもそうである。
会津は平城である。盛岡は城跡と街が調和している,北上川と中津川が街中を流れているのも情緒がある。心洗われる感覚になる

タグ:盛岡

2017年12月08日

富岡八幡宮4人死傷の深層 (神社も寺も教会も聖なる場ではない)


富岡八幡宮4人死傷の深層

(神社も寺も教会も聖なる場ではない)

  瓦解する神社

神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も

これは何なのだろうとなる,これは急激に起きた事件ではない,前からもめていたのである。
神社本庁と地方の神社の争いがあった,この神社本庁とは何なのか?
これは権力機構としての神社を統括するものだった
悪く言えば地方の神社から金を吸い上げる組織なのとかなる
暴力団の上納金のシステムなのかとなる

なぜなら跡目相続でもめているというとき神社本庁もその地方の神社の宮司になるために争うというからだ
天下り先として地方の神社に神社本庁の職員がなる
そして東日本震災で寄付された御料米が職員に配られていたというのもそうである。
利権化した団体でありただ上納金を吸い上げる本元が神社本庁なのかとなる

そもそも宗教は無形だったものが有形化資産となったときそれをめぐって争いが起きた
カトリックでは土地を所有することによって財産を築き腐敗した
土地をもつだけで相当な財産を所有したからである。それは日本でも寺領がありそこは治外法権のうよになり国のようになり僧侶が支配したのである。
その僧侶が武士になったという説もありえないことではない,なぜなら寺領を武力でも治めていたからである。

平安時代後半は社会が乱れ、強い勢力を持った寺社が自衛するようになり、所有する領地の治安維持や公家・武家・悪党・他の寺社などに対抗するため武装。

ヨーロッパでは騎士団が形成されたし十字軍もあるから宗教は戦闘集団としても形成されていたのである。
そういう歴史があるから権力争いが宗教でも起きてくる

明治維新のとき廃仏毀釈がなぜ起きたのか?それは江戸時代は寺が幕府から役所の一部のようにされ優遇されたからである。それで天皇がもちあげられたとき右が勢いづいて
廃仏毀釈が荒れ狂ったのである。これも宗教の権力争いだったのである。

宗教の争いというとき宗派の争いとかあるがその根底に利権をめぐる争いがある
人間は土地でも建物でも金でもなんでも財産となるものがあればそれをめぐって争いとなる,だから宗教の理想は何ももたない無一物なのである。
キリストやシャカは家もないしこの世に安んじて寝る場所すら確保できなかった
そんなことをまねする人など今はいないのである。

神社も一つの権力化したものとみることができる,神社の意義は何なのか?パワースポットとかとして今では重宝される
神社は土地と深く関係して生まれているからだ,それで津浪で神社が建っている,社がある所が津浪からまねがれたということで話題になったのである。
ここでも烏崎の八幡神社が津浪からすれすれで残ったというのもそうである。
ぴったり津浪の来る高さにあったということも不思議なのである。
そこに霊験があったともなる

神社が場所に関係しているというとき飯館村に山津見神社などもそうである。あの奥深い場所がそうなのである。佐須とは焼き畑地名であり狼は祭っているのは農作物を鹿とかイノシシとかに荒らされるから天敵の狼が神ともされたのである。

神社が場所と深く関係しているというときエレサレムを首都にするということでもめているがやはりそこが聖地だということで争っている
本当は聖地は常に移動している,聖地は常に汚されるからだ,そんなに争う場所に神はいたくないとなるからだ,だから今神は砂漠にその住処を求めたというのもわかる
今はヒマラヤ辺りが聖地となる


古代に度々都を移したのはそこが汚れてしまうからである。政争があったり何やかやと汚れる,平城宮でも呪いの木簡が発見されたりする,それで心機一転するために都を移したのである。それは古代だから移る未開の土地があったかからできたことである。
人間はただ常にフロンティア求めてきたのである。
日本だと北海道になる,そこで空気まで違っているからだ
そのフロンティアが世界的に消失したとき宇宙にフロンティアぁう求めるようにもなったのである。

いづれにしろ東京などに宗教の本部があるとしたらそれは政治化したものであり暴力団の本部と同じである。上納金を吸い上げるためのものでしかない
神社はもともと地域の土地に根ざしたものだとするとなぜ神社本庁に組み入れられるのかわからないからだ,ただ権力機構化して上納金を吸い上げる組織だとなる
ただ巨大組織は宗教でも共産主義国家でも中央集権となり中央に権力が集中されて管理されるようになる

神社でも寺でもカルト教団でもそこは組織化して権力化した団体である。
そういう所に本来の宗教はない,韓国系統のキリスト教団体とかエホバならアメリカ系の政治的団体として日本を支配するための出先機関なのかともなる
そこに自主性はないのである。
宗教をもとるなら組織とか団体とかに入るべきではない,教会にも行くべきではない
そこも組織であり組織的に人を支配するための団体だからである。

創価なども巨大な権力機構であり何をしようとしているのか?
それは権力でもって日本を支配しようとしている,宗教はその道具にすぎない
狙いは権力なのである。どんな人でも人を選ばず会員とするのは票として権力をもつためにそうしている,数を集めるためならどんなことでもするとなる
そして池田大作が死ぬと分裂して内部で権力争いになる
莫大な有形資産をもっているからである。その争奪戦になり分裂してゆく
それがかつて人間がしてきた繰り返しカルマだとなるのだ

何か宗教を看板にしている所はすでに汚れているのだ,だから神社でも寺でもキリスト教関係でもイスラムでもなんでも汚れた場所なのである。
だから奇妙なのはそういう場所に行くと心も汚れるのである。
だからかえって山岳宗教など迷信的だとかなるが山の気にふれて心を清めるのだから宗教施設などで祈るよりいいとなるのだ
まず都会にある宗教施設はもう宗教ではない,政治であり経済であり権力の場として機能しているだけである。

寺には行くな
神社には行くな
教会には行くな

どこに行けばいいのか?山を仰ぎ自然の気に触れた方がいいとなるのだ,そこにこそ神道がある,神がすみ心が浄化される真直になるのである。
posted by 老鶯 at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年12月07日

原町の時刻表 (小高行きの時間が出ていた)


原町の時刻表

(小高行きの時間が出ていた)

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道の駅にあった原町の時刻表に小高行きの時間がでている,こさを見れば小高に行くときは便利である。浪江行きとはなっていないが浪江行きも小高行きだと行くのかもしれないこれは浪江駅が開通する前に作られたので出ていない

これも時刻表として自分の作ったものに入れればいいがめんどうでできなかった
自分が駅に置いた鹿島駅の時刻表は結構枚数を置いたが今でもなくなる
だから相当な量が必要になる,千枚とか必要になるのかもしれない,
それ以上必要にもなる,ただ最近駅でしていることはタバコの吸殻とか拾ったりゴミを拾ったりしているだけである。

駅舎のホームの蛍光灯が二つ点滅していので連絡した,それは了解したから交換するだろう。その他何かいろいろあったが話だけで終わった
ただ一年間ボランティアのまねごとをして面白かった

鉄道の旅が長いし世話になった,でも鉄道員のようなまねをしてみたら鉄道も違ったものにみえる,これは簡単にはわからないものだった
車掌に手をふって電車を見送ったときなんともいえぬ不思議なの気分になった
鉄道員としての鉄道を維持する連帯感を感じたのである。

人間の仕事はいろいろあってわからない,まず鉄道を利用するのと鉄道を維持するために働くのとはまるで違ったものとなる,鉄道会社で働くということは何か義務感とか大げさになれば使命感みたいものが必要になる,だから生きがいになるのである。
自分も鉄道を維持しているんだというものを感じる
それはボランティアのまねごとでも感じたからである。

自分は働いたことがないから会社員になったことがないからそういうことがわからなかったのである。鉄道員が映画になったように何かそこには人生そのものが鉄道とともにあったとなる,だからこそ愛着が生まれたのである。
どんな仕事でも長くしていればそれに愛着を感じる,ガンになった人が倉庫で働いた人とまた働きたいというときもそうである。
なぜなら仕事というときそれが給料をもらうとういだけではない,人生そのものになる
これもふりかえればそれが生きた証だとなってしまうのである。

冬の日の故郷(写真俳句)


冬の日の故郷(写真俳句)

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前畑を手入れす老人冬の菊

新築の家の隣に冬柳

冬日さし寄り合い並ぶ石残る

山茶花や石の残りて医院かな


この写真家から読み取れるのは何か?
この老人は前の畑だけど手押し車を押してきたのか?手押し車が脇に置いてあるからだ
前畑だからなんとか畑にして仕事しているのだろう。
前畑とか前田というのは家の前だから仕事しやすいのである。
それは姓にもなったのが日本である。後畑という地名も浪江にある

肉眼で見たときはこの車椅子は良く見えなかったしシャベルも良くみえなかった,写真にとると見えないものも写っているのだ
写生俳句が写俳が一つのジャンルを形成したのは時代である。

新築の家に冬柳がしだれているがそこはもともと古い農家であり新しい家はこの辺ではまだ建ち続けいるからこの辺の変化を示している

次にいつも通る路地裏の医院である。これはこの辺では知られていた,母も通っていた
このお医者さんは老人に親切だとかやさしいと言っていた
もう一人の医者はこの辺では有名だった,その話の出ないことはなかったのである。
でも口が悪く母は嫌っていたのである。
ただ医者としては優秀な人だったのである。
不思議なのは死んでから全く話をする人もいないのである。
一時息子が跡を継いでいたが原発事故で東京にもどり母親は施設に入りいなくなった
そういう家の変わりようが普通にある

この医院はいかにも作りからして古いし地域に親しまれた医院だということがわかる
その頃大きな病院は少なく開業医が多かったからである。
この空家となった医院を見ているとだから不思議である。

冬の日がさして庭には石が並んでいる,それがまるで年寄りが肩寄せ合って並んでいる感じに見える,開業医は人間的な所があ地域に土着して根ざしているのが違うのである。
大きな病院は無機質であり人間味がないのである。
そして勤務医と開業医ではかなり違う,開業医は地域の人と親しくならねばならない,そこでコミニケーションもしなければならないから違っている
この医院にはそうしたものが今でも感じるのである。

ともかくその後には人がいなくなっても何かが残る,近くの空き地には一本だけ松が残っている,それが近くでも誰が住んでいたかもわからないのが不思議なのである。
住む人もこの辺では変わった,だから外から来た人がかなり移り住んでいる

ただ人間は常に変わる,人でも何でも変わる,だからこうした変化は世の常だったのである。ただこの辺はその変化が激しすぎたのである。

金に働くカルマ (後で意識される怖いものとなる金もあるので注意)


金に働くカルマ

(後で意識される怖いものとなる金もあるので注意)


金にどうしてカルマになるのか?それはわからない,金というとき何かカルマが働くとしてたら大きな金である。
百万以上の金だろう,その他の金は日常的なものに使うのだからいちいちカルマがあるとか気にかけていたら生活もできなくなる

ただ金にはなんらかカルマがつきまとっている,それも意識しなくてもそれがいつか意識させられる,その金は親から受けるカルマもある,自分だけのことではない,遺産とかなると親も必ず関係しているからである。

ふりかえると例えばなぜ弁護士は裁判もしない,何もしなくても百万の金が転がりこんだのか?職業柄そうなったともなる
運送会社に兄が勤めて死んだときそこに保険金がおりることになった
自分は車をもっていないのだからそれすらわからなかった
でもなぜ骨を置いておけとかいろいろいいふくめていたのか?
休業補償など書類でもなかなか書いてもらえずでもめた

それで困って弁護士に頼んだのがそれは仙台である。事故は静岡で起きたのだから弁護士は何もしない,本当に何もしない,裁判にもならない,保険会社の人が何度も運送会社の人に頼み書類を書いてもらったのである。
弁護士は何もしていないのに百万円が労さず入ってきたのである。

ただ頼みに行ったら報酬として百万円必要だとして払った,でもその弁護士は何もしないのである。何か裁判の結果として払うならいい,何もしないのにもらったのである。
ではこの弁護士が悪いかとなるとそうともならないだろう。
第一頼みに行ったのだからそうなった,ただそれが事前の報酬として必要なものだったのか?なぜなら何もしないし実際に手続きしたのは保険会社の人だったからである。

ただ何もしないで漁夫の利を得たとなる,弁護士という職業自体そういう争いごとがあり利益を得る,職業柄そうなったということである。
でもそれは十万くらいならいいがなぜ百万も必要だったのか疑問なのである。
弁護士も何かブラックな職業だというときこういうことがあるからかもしれない。
つまり報酬費用として払うなら最初から百万を払う必要はなかったか要求すべきではなかったからだ

ただそうして別にその金は今度は離婚した親が病気になったとかで子供がまだ中学生だったりして実際は使われたのである。離婚しなかったら保険金は妻に全額入っていたのである。ところが事故を起す数カ月前とかに離婚していたからもらえなかった
でも実質は親が使っていたのである。

そして同じようにその娘も子供のために使うと言っても自分のために使っていた
高校を卒業して学校に入るために使うというがその人は金が入るとぱっぱっと使う女性である。それは父親とにていたのである。
だから母が最後に金をやれとして遺言した金をやったが実際はすでに使っていた

だからその娘も同じカルマを金でくりかえしているのである。
ただ事故で死んだ人や不孝で死んだ人の金は本当は非常に危険なものだった
人の不孝があり残された金だからである。
子供は無駄に使うにしろ使う権利があった,その他はなかったのである。

まず金もこんなふうに厳格に考えたら金はたまらないだろう。
ただ金には本当に受け取ってはならない金があることは確かである。
それがその時は意識しないで金があればいいとなり受け取る
でもそれが後でカルマになるから怖いのである。

そもそもこの世で毎日事件が起きている,強盗だって起きている,それはただの偶然なのだろうか?
このことはいちいちその人のことなどわからないから知り得ようがない
ただ何か偶然として事件が犯罪が起きているように見えてもそうではないのかもしれない何かの必然性があって起きているのかもしれない
自分も犯罪にあって大金を失ったとしても何か冷静にふりかえるとそれももしかしたら自分が親から受けたカルマだったのかともなる
なぜそういう人が自分の家に来たのか?それも不思議だとなるからだ

カルマはその時は意識しなくてもいつか意識させられる,その時カルマに気づくのである親のカルマも受け継ぎカルマを意識するのである。カルマは自分だけではない伝えられるからだ
カルマは悪いことばかりではない,ここで損したけどここで得したというとき何か金の帳尻が合う,そういうことを経験している人が結構いると思う
損ばかりしているとは限らないからである。

いづれにしろ金は別に正当な理由があれば大金でももらってもカルマとはならない,悪いとはならない,何か正当な理由なしでもらう金が災いを生む
一千万でも拾って幸運だったとはならないのである。そこにその金をもらう正当な理由がないからだ,法律はなんでも理由を追及しているのである

巨大の遺産分けでも苦労して介護した人がもらえないというのは理不尽だとなる
それでただ血のつながりだけから遺産分けするのも不公平になる
ただそうしているのは原則として公平だからそうしているだけであり何でもみんな公平にはなりえないのである。

ともかく金は怖いものをもっている,何でも金ならもらえるならもらえばいいとはならない,何らかの理由が必要でありそれならいい,ただ問題が起きるのは百万以上だろう。
その他いちいち金についてカルマだとか考えていたら生活もできなくなるからだ
ただ受け取っていい金といけない金は確実にあるのだ
それが災いをその時は意識しなくても後で意識させられるから怖いのである。

タグ:金のカルマ

2017年12月06日

力を与える死者(詩) (人間の命や人生は自分だけのものではない)


力を与える死者(詩)

(人間の命や人生は自分だけのものではない)

母の面影
時にして浮かびぬ
その残せし家に
石一つ
目立たざるも
辛抱強き人かな
かつて姉はおおらかに笑いぬ
母はやさしく微笑みぬ
我はこの家にはぐくまれしも
母こそあれ
姉こそあれ
今我を思う人の一人だになし
何故か責めらるのみ
冷たき無情の世よ
時にして浮かびぬ面影や
姉死して八年
母死して三年
時はたちまち過ぎゆきぬ
我はなおこの家にありて偲び住む
今年もはや暮れんとす
力強く生きた人
誠を生きた人
辛抱強く生きた人
その人は死んでも
家の国々の霊となり
国々を見守りぬ
死者はその家の人とともに
国々の人と共に生きている
そういう家は国は強い
力は祖先からも与えられる故に
力は神から天から地から与えられるもの
汝一人にしては成せず
力は与えられものなれば・・
姉はおおらかに笑いぬ
山のごとしかも
母はやさしく微笑みぬ
石のごとしかも
二人は我を支えにしを・・・


感覚を鋭くすれば、亡くなった愛する人があなたに寄り添ってくれるのを感じることもできるのです。

そういうことは確かにあるのかもしれない,何か面影が浮かんでくるというのもそうである。つまりそこにいるような感じである。見えないがいるような感じである。
自分の場合は六十年間一緒にいたということの影響が大きいのである。

死者とは何かというとき死者とはその人の生前の継続として死者がある,死者となっても全く別なものに死を境にしてなるのか?
人間は死でもってすべてが断絶するように思う
死が骨と灰にしてしまうからである。するとどうな生き方をしようと金持ちであれ貧乏人であれ悪人であれなんであれみんな死ぬとなればそんなことに意味がないともなる

でも死者は生前が全く切り離して考えることはできない,極悪人がいたとして死んだから全く生前のことと関係ないように見る人はいないのである。
子供でも親でも毒親だったら死んだからと供養すらしないのである。

人間の一生など自分勝手に生きればいい,一回限りの人生だ,その人の自由に勝手にいきればいいとはならない,それが子とか子孫とか周りに必ずなんらか影響するからである。
人間の一生とか人生とか命とかは自分だけのものではない

みんな自分さえ良ければいいんだ,自分の人生は命は自分だけのものだということにとらわれている,他人は関係ないことだと思ってもその人生とか一生が他人に影響を与える
特に子や子孫に必ず影響を与えるのである。
すると自分の一生や命も自分だけのもではないとなるのである。

考えてみると自分だけを自分のためにだけ生きているとなるとかえって疲れる,自分のエゴのためにだけ生きていると疲れる,力も出ないのである。
母親は子供を生むとかわるというとき自分より子供のために生きるとなるからである。
だから母は強いとなる,自分のだけにため生きることは力が出ないのである。

要するに死者といっても死者を感じる人と感じない人とがいる,何かそこにいるなと感じる人もいれば感じない人もいる,それは生きている人にもよるじ死んだ人がどういう人だったかにもよっている
自分はあまり母のことは思ったことはないが死んでから何か思うようになったのも不思議である。生きているとき主役ではなかったから思わなかったのである。

人間が生きたというときいろいろある,でも死者はどうしたら喜ぶのか?死んだ人は喜ぶことがあるのか?それもわからないが死者は讃えられれば喜ぶと感じる
卑しめられれば喜ばないということがある,だから戦争で死んだ人達が貶(おとし)められれば死者は喜ばないのである。そこに英霊とか崇めることの問題が生じてくる

ただどんな人間でも完全な人間はいない,マイナスな負の部分が必ずある,だから死者は異常に美化して神のようにするのは問題なのである。
死んだからといって生前の継続であることは変わりないのである。
でたらめな生き方をした人が死んで突然変わることはないのである。

別に自分の家族が理想的なものではない,誠を生きたともならない,マイナスの部分も大きかったのである。ただ自分にとっては概していいものとして働いたから偲んでいるのである。そして力を与えられているのである。

まずひどい娘だわとか言って死んだ母がいるけどそういうのは子供でも死者が力を与えないだろう。恨んで死んだからである。そこに介護とかが苦しくても無情にできない切実な問題がある,親子関係でもいろいろあるからその辺の事情は外からわかりにくいのである。

本当に誠に生きた人は後世の人に力を与える,それは家族でなくてもそういう人はいる,だから人間はそういう人に習い努力すべきだとなる
ただ人間は死んで終わるわけではない,何か死者でも時間がたって家族でもそんな人だったのかと気づくことがあるからである。
生きているときはわからないが死んで気づくことが結構あるのである。
だから人間は死んですべて終わりにならないことだけは確かである。

2017年12月05日

墓の変転する顛末 (墓も無常をまねがれえない)


墓の変転する顛末

(墓も無常をまねがれえない)

墓は分離してあると良くない,原町でも遠いとなる,なぜ自分の家の方に兄の墓を建てるのか?それは事情があってそうなったのだ,兄は自分の家の戸籍には入っていない
意外と戸籍に入る入らないかはあとあと大事になる
財産の問題にもなる,戸籍に入れなかったということはそれだけ入れたくなかったのである。ただ五年間は一緒に子供のとき同じ家で生活していたのである。
だから覚えているのである。

ところが母の実家で暮らすようになってからは行き来していたが一緒に暮らしていない
その家で一緒に暮らした女性がいたがその女性は兄を覚えていないというから不思議なのである。ただその女性は人格的に異常化して普通の人でなくなったからそうなったのか?

ただ実家の墓はその家継ぐ長男にあたる人が墓を守ってくれと三百万はらって頼んだのである。もともと実家で育った人だから実家の墓を継ぐべき女性だったともなる
ただその女性は実家の姓とは違ったものとなって墓も別にあるのである。
そして住んでいる場所が原町でとなく遠いから困るのである。
何か墓でも遠くなると管理しずらくなるからだ
要するに墓が実家の墓,そこから別れた姓が別になった墓,そして自分の墓がある
何か生前も不和分裂の家だったのだが死んでからもそうなっているのだ

墓が分離していることはやはりその家も分離しているのである。
その女性は狂気のように自分の家に来て別れもう会うことはない
結果的に自分は兄の墓を自分の墓の隣に墓標として建てる

なぜそうしたかというと近ければいつでも供養しているとなるからだ
毎日のように墓の前を自分は通っているからだ,そしたら墓もいつも一体であり死者とも一体だと気持ち的になるのである。

墓でも遠いところから墓参りにきている人がいる,良く仙台ナンバーはみかける,この辺では仙台に移り住む人が多いかである。
広域社会になると全国に散らばりすむようになり家族もばらばらになる
すると墓を守るのは誰かとなり継ぐ人もいなくなり捨てられるようになるのが多くなる

だから墓は立派なものを建てるべきではない,墓標のようなものでいい,そしたら十万もかからないのである。あとでかたずけるのも楽である。
それは家とにているのだ,大きな家は空家になったらかたづけるのが金もかかるしやっかいなものとして負担になるのである。

そして墓は共同的な墓の方がいいとなる,なぜなら十人が一カ所に埋まっていれば誰かが墓参りしてくれるからである。一家族だと絶えてしまうのが多くなるからだ
そして個々人の墓標を建てあとは取り払えばいいのである。
墓だっていつまでも残せないからである。
実家とか長男とかが家族の中心にあったときは家は維持できたが今はできないのである。

いづれにしろ兄の墓の顛末も奇妙なものだった,交通事故で死んだとき運送会社で墓を作ってやると言って自分の家ともめたのである。
その時自分は車をもっていないから事情がわからなかった,ここでも車をもたない人は今の社会がわからないのである。
保険金をもらいたくてそんなことを言ったのである。そして骨を渡さないとかもめたのである。その時妻とは離婚していた
なんでも乞食のような恰好をしてきたのを雇ってやったととかしきりに恩きせがましくいい,墓は作ってやるから代理人にしろということだったらしい
自分は事情がわからないので帰ってきたのである。

ただ兄はその運送会社に入って喜んでいたことは確かである。
仲間ができてその仲間と死ぬ前に仕事で自分の家に寄ったのである。
その時は喜んでいたからその運送会社の社長とか仲間が別に悪い人達でなかった
それは保険金が関係ないときである
人間は保険金とか大きな金になると目がくらみ欲がでて悪魔に変身するのだ
そういうことは世の常である,だから人間の欲は本当に怖いのである。

ただ正直なぜめんどうな問題に事件にまきこまれたのか?
それは自分たちの家のせいではない,夫婦が不倫したり離婚したり経済的に困窮したのは自分たちの責任ではないのである。

とにかく兄の墓がこんな事情で静岡で死んでそして母が骨をもってきて原町の実家の墓にうめた,そして今度は自分の家の墓の隣に墓を建てて供養することにしたのである。
実家の墓はたまに墓参りするにしても将来的には自分はかかわらないかもしれない
兄の墓ともなっていたので墓参りしていた,後は墓をまかせられた女性に託すほかなくなる,その責任は自分にはないからである。
だから墓を守れと頼まれるのも実際は難儀なことだったのである。


ともかく墓の物語は死んだ人の人生の物語だともなっていたのである。
ただ兄の墓を兄を知っているひとはいなくなった,ここで子供のとき遊んだ仲間がいてもそれも年取って忘れる
人間はみんな忘れられる,墓だって遂には誰の墓なのかもわからなくなる
そして捨てられる,その人のことを知る人もいなくなる
それが人間の無常なのである。墓地とは無常の場所なのである。
近くの神社の墓地でもそうである。
子供のときその墓の上で遊んでいた,そこは人が埋まった場所だったのである。

そんなふうにもうその墓に埋まっている人は誰も知らない,江戸時代の墓も多いからだ
ただ自分は墓に関心をもって調べているから江戸時代の年号が刻まれていると貴重だなと思うくらいなのである。
結局墓も無常をまねがれないのである。いつまでも残すことは何でもできない
だから立派な墓など作るべきではない,簡単な墓標で共同的な墓がいいとなるのだ
それなら壊すのも簡単だしまたその墓地は他の人が使うこともできるからである。

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小池の墓地に倒れた墓だがこれも誰も参るものがなくなりこうなった,もしこの墓をお参りする者がいたら倒れたままでなく
立てておく,ということは誰もお参りするものがなくてこうなったのである。
だから無常なのである。

お墓の処分は宗教的な感情対象物として「現時点ではまだ適切な処分規定は定まっていません。」産業廃棄物として指定できる自治体(市区町村)もあれば、地域の関係団体などからは「廃棄物として適当ではない」という意見もでている県もあるようです。

産業廃棄物の品目の規定や解釈は、各地方自治体に任せられておりますので、自治体によって相違することが多いためのようです。


墓は何なのか?それがわからないからこうなる,墓と碑は違っている,墓は供養するものである。碑は記念するものである。だからデザイン墓は墓なのか記念碑なのかとなる

なにかモニュメントのようにしている現代の墓は墓なのかという疑問もある

記念碑にするときは何かに功績があった人であり生前に自分の記念碑を作るというのも変なのである


なぜなら一旦記念碑でも墓でも捨てることがむずかしくなるからである。

ただ記念碑なら捨てやすいかもしれないが墓だと捨てにくいとなる


墓には骨がなくても霊魂が入っていて供養する対象としてあるものだからである。




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人間の最後のメッセージ (人間が死んで残すものは何なのか?)


人間の最後のメッセージ

(人間が死んで残すものは何なのか?)


人間はみんな死ぬ,そしてどんな平凡な人でも何かを残して死ぬ,そしてその一生を残された人がふりかえるようになる,自分の家族はみんな死んだ
最後にやはりそれぞれメーセージを残したのである。

母の場合は認知症になり金のことがわからないのに金額まで指定して最後の力をふりしぼるようにして大声で自分に言った
それには驚いたので孫を家に泊めてその金を支払った

その金は金だけのことではなかったのだ,孫に母の気持ちを伝えるものだったのである。孫はいろいろ不孝だったけど母は孫を思っていたということである。
他に誰も孫を思うものはなくなっていたからだ

でもその孫は金が使ったとかでたらめな生活をしている,だから金をやってもその金は活きていないのである。
そして母が金だけでない,孫に伝えるものがあったのだ
孫の行く末を思っていたということである。誰も思う人がいなくなったが母は思っていたそのことを孫は受け止めていないのである。

人間が残すことは何のなのか?それは芸術家なら作品とかなる,でも普通の人でも何かを残してゆく,その人の人生そのものが後世に残すものとなる
母の一生は苦労の一生だったとかなる,ただ戦後は食べ物とか贅沢はしていた
楽な面はあった,戦前はみんな貧乏だったから母だけではない,大正生まれとなるとみんなそうである。だから一般的に大正生まれは辛抱強い人が多いのである。

人間はどんな人でも何かしら伝えるものがある,ただ自分の家のことだと関心をもつが他人の家のこととなるとわかりにくいから関心がもていないのである。
なかなか事情がわかりにくいのである。

母が最後に残した誰かだす草稿の手紙は宝物になった,家宝というとき物に注目するが実際はその家に残されたものは物とか財産だけではないのだ
何か家訓とか残る家はそれなりに精神的財産を残しているのである。
そういう家は栄えるとなる

いづれにしろ人間最後に残す言葉は重いものとなる,キリストの死はあまりにも壮絶だったのである。でもそこで最後の愛をその最大の苦痛の中で示したとなる
それは普通の人にはとてもまねできるものではなかったのである。

それは別として普通の人でも最後に残す言葉は重い,認知症になっても最後は正気にもどるというのも不思議だがやはり人間は最後になれば違うのかともなる
ただ無惨に死んでゆくものもあるからみんなそうとは限らない,ただ人間最後に残す言葉は重いものとなる

そしてそれは後世のものに家族なら遺族に伝え残される,人間はみんな死んでゆく
では何を残すのだろうか?財産にみんな注目しているがそうではない
その人の人生を後世に残す,でたらめな人生を送ったもの親でも家族は供養したりしなくなる,それはただ苦しめられた人でしかなくなるのである。

人間がどう生きるかは別に自分の人生だから自分勝手に生きればいいとはならない,別に平凡な人でもそうである。その子供に孫に影響するのである。
ただその子供にしてもそんなことを言ってもそれを重く受け止めないでいい加減に生きる人はいる,最後のメッセージでもそれを重いものとして受け止めないのである。

人間は歴史をもつというときそれは家族に歴史がありそこから何かを教訓としてくみ取り後世に伝えるということがある,だから歴史というとき何かむずかしいのだが家族にも歴史がありそこから親や祖父母の人生を知ることも歴史を知ることなのである。

自分の家族の歴史でも一人は離婚したて交通事故で若くして死に悲惨だった,確かに不遇だった,でも不遇だからといってそれがその人の人生を決めてしまうのか?
もし不遇な運命でもそれなりに普通でも生きたとなれば家族に残すものがあった
つまり不遇な人だと不遇を普通に生きただけで称賛すべきものとなるからだ

とにかく人間は最後からふりかえり考えると人生でもいろいろなことが理解しやすい,若いときなど無我夢中で生きているからわからないのである。
でも人生をどう生きるべきなのか?それはいろいろあるから個々人で別になるから簡単には言えない

でも何か不遇でもなんでも辛抱強くあれというのも基本的に生きることにはある
不遇でも辛抱強く生きろということが大正生まれとかの人からは学ぶのである。
今の人は文句ばかり言うことが多い,近くの障害児を六十以上まで世話した人はそのことについて他者には口を閉ざしていた
一方で障害者をもって人は延々と人にその不満を言う,だからなぜあの人は不満を言わなかったのか?ただ耐えていたのかとなる,それも普通はできないことである。

こうしてただ教訓を残すというとき楽な人生を送ったら残らないのも逆説である。
苦しいけど生きたというとき後世に残すものがある,子は親の背を見て育つというときもそうである。楽に過ごす親を見ていたら楽に生きるのがいいとなるからだ
苦労はしたくないとなるからだ,ただ苦労でもすべてがいいとはならない,母の場合は苦労ばかりで花でもなんにも興味をもたなかったからである。
だから索漠とした人生でありマイナスの面があった

母の三周忌は命日は十二月十二日である,これも一生90過ぎても忙しく働いていた母にふさわしかったなとなる

2017年12月04日

老後は減らす生活を目指す (物を買わない,新しい物を買わない)


老後は減らす生活を目指す

(物を買わない,新しい物を買わない)

●スマホはやらない
●ノートパソコンは買わない
●動画はやらない
●印刷はコンビニで
●なるべく物は減らす
●物をなるべく買わない
●新しい本もなるべく買わない
●なるべく何回も同じもの読んだり見たりする
●生活をシンプル化する
●野菜果物は買う

スマホは本当は今の生活では不可欠である。でも老人には目に悪いし疲れるからしない方がいいともなる,パソコンはずっとしていたからしてもいいがスマホは別である。
ノートパソコンもこれも旅行したりすると必要になったりするがそれもめんどうである。何かノートパソコンを三万で買ったが故障して使えなかった

動画をとろうとソニーの日ビデオカメラをアクションカメラを四万で買ったがこれも使えなかった,実際はこのカメラは不良品になっていたのだ
ASUSの三万のノートパソコンも壊れやすいものだったのである。

印刷するにしても意外とめんどうでありインクが消耗してコストがかかる,するとコンビニで10円でも二十円でも印刷した方がいいとなる
機械をもつことが意外とコストがかかりめんどうになる
つまり印刷などはかえって個人でするより自動でも装置がついている場でするのがいいとなる,それは相馬市にあるが遠いのでできないので残念なのである。

自転車でもロードを買ったがこれも早いので危険なことを知った,だから必ずしも老人には向いていない,安定しマウテンバイクの電動自転車の方が向いていた
老人にとって危険なものがかなりある,使いたなせないものがかなりあることがわかった
本でも電子本でも読める機械を買ったがこれも読みずらかった,要するに便利でも使いこなせないという問題が老人にはある
新しい本と古本を集めたがこれもみんな読めない,読む気力がつづかない
そして忘れやすい,だから買ったとしても何度も読んで脳裏に刻む,記憶するのがいい
それはテレビでもインターネットの放送でもそうである。
その点youtube は何度でも見れるからいいのである。一回限りでは頭に入らないからである。

新しいものはなるべく買わないようにした方がいい,本でも古典的なものを何度も読むのである。百回読んでもそういうものは糧になる,ヘルダリーンの詩などは最近読んでそうだった,他にいろいろな現代の詩などは読まない方がいい
ただ今まで研究してきた分野では資料とか本はそろえている必要がある
でも新しい分野のものは買わない,買っても読めないし理解できないからだ

ともかく老人は消費意欲が衰える,消費できないのである。
そして教訓として

あきらめてシンプルに生活しろ

いろいろ買って何かを身につけようにもできない,だから何でも買うというのもあきらめることである。このあきらめるということが大事になる
もういろいろなことはできないからだ
自分は家事を全部しているとそれだけで手間になるからだ
野菜とか果物は健康のために食べていた方がいい,なぜなら老人にとって健康が最も大事なものだからである。

本当は株とか投資信託とかもすべきではないのかもしれない,つまりこれも理解できないからである。基本的なことすら理解できないのである。
若いときからしていれば経験で理解するがそれができないからである。

老人にとって大事なのは本当はいくら利子がつかないにしろ理解できないものに手を出すのは危険である。つまりそうしたこともあきらめろともなる
実際は自分はしているがもうかっていないからだ

意外とこのあきらめるということは今までもしていない
それが老後にきて現実にあきらめざるをえない,しかしあきらめきれないのである。
物を集めたものが捨てられないでゴミ屋敷にもなるである。
何かそれはあきらめきれない結果としてそうなっているのだ

何か物をもっていることが老後は負担になるのである。確かに家があればいい,でも大きい家となると修繕がありまた金がかかる,それで仮設を今壊しているが建てるのも簡単だったし壊すのも簡単だなと見ている
大きな家となると壊すのにも金がかかりこの辺では事情かあって壊すのに二百万くらい市から支援されたのである。

ある人は体が動けなくなり家に住めなくなり車に住んでいた,そして這ってやっとコンビニに買い物に来ていたのである。家が負担になり住めなくなったのである。
家を放置して車に住んでいたのである。
家を維持することが負担になりそうなった,家すらあっていいようでも負担になる
あることが負担になる,九州くらいの土地が今誰の持ち主かわからなくなっているという山林などがそうなっていて困っている,利用するにも土地の所有者に了解をとらなければならい,でもその土地の所有者が無数にいて細分化して利用できないのである。
これもあまりにも明治維新後私有権を認めた結果なのである。

何かもっていること所有していることはいいことのように見えても負担になるのだ
ただ人間はあきらめきれない,いつまでも生に執着して延命してでも生きる
それが本能だからどうにもならない,でも老後はあきらざるをえない,だから生活をシンプル化することがかえって楽になるのである。
それは欲を減らすということが若い内はむずかしいが老後は欲を減らすことが強いられてもいるのだ

禅宗だと無一物だとか無欲を追及してきた,それが老後には強いられる
いろいろなものをもっていることが実際に負担になるのだ,最後は家そのものが負担になるのである。
もし簡単な仮設とかあばら家とかだったら未練なく壊すことができる
大きな家は未練が残り壊すのにも金がかかり負担になるのである。

ともかく老後はあきらめるということが強いられる,その前に自らあきらめるという生活をする,何か執着してもあきらめざるうえないからである。
そして生活をシンプルにしてこれまでやってきたこをやる,やれることはやる
写真を追及していたら継続してやる,でも動画となるとめんどうだからしないとなる
そういうふうにやれることとやれないことを明確にしてあきらめることが大事になる
これを書いたの自戒のためである。

2017年12月03日

冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る) (常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)


冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る)

(常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)

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貨物船一二艘行く冬の海

貨物船進むも遅し冬の雲

海近し冬タンポポや浜通り

朝日さし梢鋭く冬の樹々

落葉踏み深野の墓地牛のいる

木の葉散り深野の墓地またたずぬ

深野の墓地に枯木の影静か

冬日さし一村の墓地またたずぬ

高速のセディティに休む冬の空

晩菊の土地に根付きし暮らしかな

冬薔薇二輪のみかな闇つつむ


松の苗津浪の跡の海老浜に植えて育つや冬の日なりしも

忘れらる墓また一つ我が墓地に見いだしあわれ冬の日暮れぬ


昨日は右田とか海老浜に行った,海老浜からは太平洋を望み貨物船二艘ほど見えた,ゆっくりと進んでゆく,
今日は山の方に行き常磐高速のセディティ鹿島に寄った,意外と近い所にあった,
自転車でも行きやすい場所だった,車をもっていないと車のことがわからなくなる,
それは社会のことがわからなくなることなのである。

場所がわからないので深野(ふこうの)から鹿島の方の小山田に遠回りした
深野(ふこうの)は何か不思議な場所の魅力がある
深野(ふかの)ではないふこうのということが地名としていいのである。

そして台地の上の墓地は古い,落葉していて踏むと牛がいた,この辺は牛を放射能で飼わなくなったが最近また牛を飼っている家がある,もともとあそこは牛を飼っていたのである。
何かそれが墓地とマッチしているのも不思議である。
牛がいると何か精神に影響する,どっしりとした気持ちになるから不思議なのである。
牛がいるといないでは田舎でも違ったものとなる
飯館村は牛の村だった,牛がなければ飯館村ではなかったのである。
だから飯館村は田んぼも土が削り取られたりもうかつて村の様子ではない
無惨な村となった悲劇である,それは自分にとっても大きな損失だったとなる
精神の安らぐ場所としてあったからである

浜通りはあたたかい,昨日は寒かったけどタンポポが咲いていた
海が近く海の影響を受けやすい,だから津浪もあった
一方山も近いのである。山は低いが飯館村となると高原であり標高が高いのである。
だから飯館村に行くと空気も変わる,何かが違うのである。
そして一軒一軒の家が森につつまれている広い土地なのである。
常磐高速ができたら飯館村にも回る人が多かったに違いない
今は行っても放射能汚染のフレコンバッグとか田んぼもない風致も損なわれた
それが残念だったのである。

sedate(セディティ)

sed- 座ること・腰掛けることを表す印欧語根(sit)。語幹sessを持つ語(assess, possessなど)、reside, sessionなどの由来として、座ること、据えること。

この言葉が何なのかわかりにくかった,鎮座するという日本語を機械翻訳したらこの言葉がでてきた

鎮座するというときsed- 座ることだから通じている,鎮静するという意味でもある

 北風(キタ)唸る−残る雪(真野ダムへ)

真野川に鎮座する石がこれだった,これは見えにくいから気づきにくいのである。
地元にいてもわからなかったのである。隠されるようにあったからである。
何か電動自転車をセディティに置いて真野川を上る観光計画があるという
電動自転車だと坂を上りやすいからである。
その時この隠された石を見るべきだともなる

セディティとはこの石のことなのである。cool sedate stoneなのである。

ともかくこの辺は本当に変わった,津浪や原発や常磐高速などもできて変わった
何かかえって都会化したのである。
常磐高速の影響は鉄道より大きい,人の出入りがここの方が断然今は多いからである。
自分は車をもっていないから車のことがわからないから今の社会から取り残されているのである。逆に自転車だと風景と一体化するから俳句でも短歌でも作れるとなる
車は遠くに行くのにはいいが景色をゆっくり見ていられないのである。
運転に気をとられるから景色が見れない,ただ常磐高速で一回くらい東京に行ってみたい高速道路から見える景色はまた違っていたからである。
ただそのバスが出ていても普通のバスであり四時間も乗っていたら疲れる
そういう気力がなくなってしまったから長い旅行をしていないのである。




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自分の墓地にまた一つ江戸時代の碑を発見する


自分の墓地にまた一つ江戸時代の碑を発見する


我が街の家の墓地への情をつづる (文語体で記す)

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姓が違ってる墓は明治時代まであった,家が有力なものだったら嫁いでも姓を名乗ったとなるのか?

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捨てられた墓



不詩朗謡

不詩(文)朗謡-朗詠

朗謡-朗詠・・・暗唱
詩に文にせず暗唱せよ
謡(うた)いなさい

これもなぞである。最後の字はわかりにくいが不詩朗は読める。朗は名前だと思ったが違う。
朗謡-朗詠かもしれない、ただこれが何を意味しているのかわかりにくい、詩にしないで朗詠しなさい、暗唱しなさいなのかとなる。詩文にしないで暗唱して覚えなさいということなのか?
推測すると天保となるとまだ庶民では字を書けたり読んだりできる人はまれだったろう。
字が書けたり読むことが普及したのは江戸時代後半、特に幕末辺りに寺子屋が増えて読み書きができる庶民が増えたのである。ここは一つの寺子屋のような役目を果たしていたのかもしれない、暗唱することに学びの重点があったからこのような戒めの碑を建てたのだろうか?他に儒教が普及してそうした戒めの碑がほかにあったようだ。南相馬市鹿島区の

町内の墓地の碑の謎

これは前に書いた街内の墓地のことである。鹿島御子神社の隣にある,ここは神社の領域だったが寺ができて神宮寺になった,そういう所は全国でも多い。
ここにこの碑があるのは寺子屋があったからだろう。

      1772年安永1年壬辰11月16日改元 
  1773年安永2年癸巳  
  1780年安永9年庚子  
  1781年天明1年辛丑4月2日改元 
  1788年天明8年戊申  
  1830年天保1年庚寅12月10日改元 
  1843年天保14年癸卯  
  1844年弘化1年甲辰12月2日改元 
  1847年弘化4年丁未  
  1861年文久1年辛酉2月19日改元 
  1863年文久3年癸亥  
  1864年元治1年甲子2月30日改元 
  1865年慶応1年乙

ここで一番目立つのは大きな安永時代の碑である。

光明真言を唱えつつ大師堂に向かいます。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどまじんばら  はらばりたや うん」
(移動のとき光明真言を唱えるのは有縁無縁の霊魂を供養するため)

空海の密教の祈りの塔だった,空海を祖師とする仏教である。
明治維新がすでよら百五十年前とかなりそれから百年前は安永である。その安永から天明になった,その時この辺は天明の飢饉で三分の一に人口が減ったのである。
なぜ自分の家のすぐ近くの神社にも天明の碑があるのか?
なんらか町内でも天明の飢饉の影響があった,その記念のためなのかもしれない。

天保となると明治維新に関係し人達が生きていた時代である。だからかなり身近なのである。
今回発見したのは「弘化」と刻まれた墓である。小さな墓である,僧侶の墓だろう。
僧侶の墓は多いし残りやすい,文久の墓もあった,ここは密教系の寺がありやがて廃寺になり墓地になった,だから相当数の骨が埋まっている場所である。

ただ墓と碑は違う,暗唱せよと記したものは碑である,記念碑とか戒めの碑である。
人が埋まっている墓とは違う,戒名とか記されていれば墓である。
鹿島神社があり鹿島町と前はなっていた
そしてこの辺で一番古い家は南北朝時代に霊山から逃れてきた只野氏なのである。
その人の墓は寺の内にあるというのもわかる
しかしここももともとは寺であった,そこに墓地もあったとなる

いづれにしろあそこの墓は狭いし入り組んでいる,でも古い墓地だったのである。
そしてまた人が死ぬから墓が増えるのだからあそこはもう増やせないのである。
墓が残っていても供養しない墓もあり墓が無縁化したものが集められている場があった
墓の墓場が増えているのも昨今である。
墓が個々人とか家の墓とか維持するのが現代はむずかしくなっている
だから共同墓地化するのがいいのかもしれない,例えば十人でも埋まっている墓があればその子孫の誰かがお参りするからである。そこは墓として維持できるからである。

母の実家の墓を三百万もらって墓を維持してくれと頼まれても無理である。
そんなことを背負わされなくてつくづく良かったと思う
なぜなら墓というのはその家の因縁とか負の部分も背負うことになるからだ
それを代々背負いつづけるのも容易ではないからだ
だからいづれは絶えてしまい墓を処理することが大変になるのである。
自分は兄の骨を母の実家に埋めたのでお参りしていた
それがめんどうになったのである。隣の街ですらそうなのだからもう離れていると墓も疎遠になりやがては捨てられることになるのである。
だから原発避難区域では移動した場所に墓も移すようになるのである。

人間最後に残すは残るのは墓だけどそれも忘れられる,もうただ墓だけが残りその人がどういう人だったのか何もわからないのである。
ただ暗唱せよというのは碑であり墓とは違う,それは記念碑であり死者を供養するものではないからだ,だから墓石屋が兄の墓を碑と記せといったのは間違いだったのである。
忠魂碑とかあるがそれも死者のことではない,記念碑なのである。
そして今は何か変わったデザイン墓があるがあれもその人の記念碑のようになっている
墓とは違う感じになる,何かその辺の混同が起きているのである。
時代と共に何でも変わるから墓も変わってもしかたがないがやはり墓と碑は違うのである
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この墓は僧侶の墓ではない,居士とは僧侶に準じる人とあるが僧侶ではない
ただ院とは記していないが院があり道があり戒名があるからそういう位がある人だったとなる,大姉もそうである。ここでは男性二人に女性二人が記されている
なぜ四人も一緒に一つの墓なのか?紋も記されて立派なのである。
これはいつの時代なのかわからない,江戸時代なのか,明治時代なのかわからない
ただ四人も名前が記されているのはなぜなのか?そこに何かの因縁があってそうなった

忘れらる墓また一つ我が墓地に見いだしあわれ冬の日暮れぬ

posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2017年12月02日

変貌した右田浜,海老浜 (もう右田の松原は記憶の中にしかない)


変貌した右田浜,海老浜

(もう右田の松原は記憶の中にしかない)

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海老村に植えられた松の苗?


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右田の松原があったとき飛んでいた揚羽蝶


右田浜の松原はいい松原だった,でも右田の松原はいつの時代に作られたのか不明なのである。
「海からの夜明あけ」(新開ゆりこ作)では太平洋のことを書いている

天保13年(1842)にいよいよ相馬の海沿いに住む百姓たちの願いが実り防潮林の植林がはじまった,藩では植林奉行の下に各代所や陣屋ごとにお係を定めた
金沢浜から小浜まで三里の浜に東西南北二十列づつ四尺五寸おきに黒松を植えるという

ここに松を植える苦労が書かれている,これは資料があって書いたのだろう
江戸時代から松原は作られていたのである。
でも不思議なのは右田浜のことは書いていない,右田浜の松原は津浪の前まで残っていた金沢の松原も残っていた,ただ金沢の松原は火力発電所が建ってなくなった
その松原があるときを自分は知っていた,いい松原だった

萱浜の方にも松原はあった,しかしなくなった,ただ右田の松原は残っていた,その幹は太いから古いのである。松川浦にも松原があったが幹が細いから新しいのである。
だから右田の松原は景観的にも良かったしいい松だったのである。
それが根こそぎ津浪で失った,今や何も残っていない,その後に台地にして植林したからまた木が育つ,でも最近また景観が変わった,大きな風車が二つできていた
三つ目もすでに建てている,これも景観の大きな変化である。
辺りはすでに一面ソーラーパネルである。火力発電所の煙が出て風車がまわりソーラーパネルの景観になっている
そこに植林したがもうそこは前のような景観にはならない

ただ海老浜で集落となっていた所が津浪でなくなった所にやはり松の苗だと思うが植えられていた,あそこだと景観的にはいいかもしれない,ソーラーパネルもないし風車はそこにはないからだ
何か自分は常に景観を気にしているのである。景観が乱されると嫌なのである。
でももうかつての景観はもどらない,全く別の景観になってしまったのである
右田の松原はただ思い出のなかにあるだけである。
それも五十年とか百年すぎたら全くそこに松原があったかもわからなくなる
こんなに自然景観のうよなものまで変わることは想像もできなかったのである。
ただ松は津浪には弱かったのである。稲を作るための防潮林としては良かったが津浪には松は弱かった,根を強く張らないからである。
松原は実は自然景観と思っていたが自然を破壊した景観だったのである。
松原でなかったら他の木が植えてあったら木は残っていたかもしれないのである。
どこでも松原は根こそぎ津浪では消失したのである。


松原の潮風防ぎ
稲の実りもたらす
右田浜,その松太く
夏なれや影なして
海風涼し我が休む
冬なれや荒れにし波に
船ゆられ漁をするかも
松風鳴りてすがし
その松原の今はなしかも

右田の松原は本当に記憶の中でしかありえなくなった,でも年数がたつと記憶している人も死んでゆくとそこに松原があったということがわからなくなる
記憶としてもっている人はいいがそうでなくなるともう右田の松原は誰もそこにあったということもわからなくなる
松影と松風とかが鳴りそこはこの辺では一番いい風致を作り出していたのである。
それが一番残念だったとなる

ともかく八沢浦が津浪で本当に海になったとか入江になったとか写真を出したときは批判された,お前はここで子供が死んで泥から掘り出されたのだと批判された
それもわかるのだが何か自分は常に景観を一番大事にしている
景観を破壊されることが耐えられないのである。
だから八沢浦でも海だったときのことを入江だったのことを頭の中で想像していたのである。でも実際に津浪が来て現実になったときほど驚いたことはない
それは奇跡にも見えたのである。

つまり自分が想像する以上のものが生まれたので驚いたのである。
自然は人間の想像を越えるものとして現れる,人間の想像しえないものとして現れるのである。
つまり松原が破壊されたものそうである。こんなことになるなど想像すらできなかったからである。そういうことがこれからも百年二百年後に必ず起きる
想像もできない変化が現れるのである。
posted by 老鶯 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2017年12月01日

介護の後に燃え尽き症候群 (人間は最後まで協力して人生を全うすることが大事)


介護の後に燃え尽き症候群

(人間は最後まで協力して人生を全うすることが大事)


近所の、認知症で透析しているじいちゃんの世話を 
長期間してた娘さんが 
じいちゃが亡くなって一年後にガンで亡くなった 
自分の体は後回しになったらしい 
それ以来高齢者の透析はどこかで線引きが必要と思うようになった

脳梗塞で倒れ、幸いにも軽くて医師からは頑張ってリハビリすれば
また歩けるようになりますよ、と言われたにもかかわらず、
真面目にリハビリしないで結局は車椅子生活に。

その分、老々介護で母の負担は重くなり後に母の寿命を縮めた、
せめて周囲に感謝の一つも述べてくれたらと恨むことがありました。


介護をやりきった後の燃え尽き症候群

介護を最後までやり遂げることに全てを捧げてきた為、介護が終わった途端、人生の意味や目的など、生きる指標を見失い、燃え尽き症候群のような症状から鬱状態になってしまうのです。

燃え尽き症候群はバーンアウトともいい、やる気を高く保っていた人が突然のようにモチベーションややる気を失ってしまう心の病気です。
燃え尽きてしまうと、何もやる気が起きず虚無感を感じたり、自信がなくなったりします。


介護を十年間したけど何か消耗した,燃え尽き症候群になった,まず外に出たくない,旅もしたくないとかなった,これは別に介護のせいではない,年のせいもある
でもこれだけ旅したのにしたくない,それはやはり旅するにもエネルギーが必要だったからだとなる
旅を後押ししてくれた家族がいたことで自由に旅できたのである。

介護の後に病気になったとき寿命を縮めたとかあるのもそうである。自分は介護中に病気になったからひどかった
その時助けるものは一人もいない,ただその病気とか弱ったことをいいことに借金とかその他犯罪にあっただけである。
そういうことをプログで書いてきた

介護はそれだけエネルギーが奪われる,介護が無駄とかではない,介護でも意味があるし自分の場合は意味があり恩返ししたから良かったと書いてきた
ただ介護でエネルギーが奪われてその後に病気になったり寿命を縮めたりすることはある介護の問題は一年とかではない最低で5年でありさらに十年でも普通にあるのだ
その長さの故にまいってしまうのである。

ただ介護から死の看取りとか供養とかを経験すると自分の場合は介護が終わり死んでから感謝している,感謝の念が深まっている
介護は確かに力を奪うのだが自分は親に特別良くされたから違ったいた
そして親の一生はあとあとまで影響する
親がまともに生きず死んだら子供も親を供養しないし墓参りすらしなくなる

自分の場合は親が生きたことかは生きる励ましとなっている,苦労して良く生きたなとか自分のために尽くしてくれたなとかなって死んでから生きる力を与えているのである。
だてから供養もしている,ただもし自殺していたりしたら後味悪いものとなった
母は腰が曲がったときそういうことがあった
でもそれから別に腰が90度曲がっても10年は生きて百才で死んで往生したのである。

だから事故とかで死んだり何か人生を全うしないで死んだ者は生きる励ましとならないだろう。別に平凡な人でもそれなりの人生を全うすれば子供でも後の人にも評価される
ただ不遇に死んだ人,昔だったら肺病で死んだとかなれば同情される,供養される
それは時代だからしょうがなかったのである。

そして夫婦だったら夫婦を全うすることが後の人にとっても子供にとってもいいしそうした家がつづくのかもしれない,家というのは離婚したりして夫婦が別々になるとめんどうになる,その家に繁栄はなくなる傾向が多い,まず離婚してシングルマザーになっている人も今は多いが苦労が多くなるし豊かにはなれないのである。
夫婦が協力しない家で豊かになれるとは思えないのである。

自分の家は複雑であったが両親ではないが二人の女性が争いつも協力した結果,ある程度の財を築き豊かさをもたらした,そして最期は悲劇であり分離したがそれは認知症という病気のためだったのでしかたがなかった
ともかく自分の家は二人が協力したからたいしたことはないにしろ財を築いたのである。
離婚した人は豊かになっている人はまれだろう。一人だけでは人間は協力しない限り豊かにはなれないのである。
だから結婚の誓いで

「新郎(新婦)となる私は、新婦(新郎)となるあなたを妻(夫)とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。」

死が二人を分かつまでとあるがここが大事なのである。それで夫婦として生を全うしたとなるからだ,それは子供にも良い影響を与えるのである。
結局今は三分の一が離婚するのだからここが一番大事なのである。
そうすると後の人にもいい影響を与えるのである。

自分の家はともかく60年間一緒に生活していたことで最期は悲劇に終わったが遂に死んで二人は結ばれ家族は一体となったのである。
普通だったら分離していたしそうならないのは特別なことだったのである。
だから自分にもいい影響を与えたのである。

母の実家はみんな分離して分裂している,後継ぐべき人が弟だったが姓が変わり墓は別になったのである。そしてまたその実家に埋葬した自分の異父の兄も今度は自分の墓の側に供養のために墓標を作る
何かこうして母の実家の墓はその後ももめているのも分裂しているのもそうした家族だったから争い分離する分裂する家族だったからそうなったとなる
墓参りは一人ではなく何人かでした方がいいというき第一そうしてその後もまとまらなくなる,不和分裂の家だからその後も墓を守るべき人もそうなったのである。
その仔細は前にも書いた

協力しないことは家だけではない地域でも国でも栄えることはない,不和になり分裂して争いになるとその団体でも組織でも地域でも国でも衰退する
それは南相馬市は原発事故の補償金でもめて争いになったことでもそうである。
そのために協力できない,その影響も大きかったのである。
そういう市は自治体は栄えることはむずかしくなる
だから争わないようにすべきだったができなかったのである。
市でもそういうことを念頭に置き対策すべきだったがしなかったのである。

明治維新でも内戦になり日本が二分したら外国が侵略してきて日本は二分されて衰退したそれをなんとかくい止めたから繁栄もあった,不和の影響は大きいのである。
だから天皇があって日本がまとまるというとき天皇の役割が日本では大きいともなる
天皇も批判されるが日本をまとめるものがなくなったら分裂して外国に侵略されるからだだから聖徳太子は「和をもって尊しとすべし」となったのである。

いづれにしろ介護から死から供養は一連のものとしてあった,供養は疲れないが介護でも死の看取りでも疲れる,消耗が大きいのである。
二人を介護して看取りしたことでエネルギーが消耗したのである。
自分の場合は病気も回復したから良かった,母の介護はオムツもしないし他より楽だった最後まで一週間前まで自宅でポータブルトイレに行っていた,オムツはしなかったのである。そして病院に入院して一カ月くらいで死んだのである。
5年間くらいは介護したが母の場合は楽だった,姉の場合はひどい認知症で介護するのも大変だったが二年半であっけなく死んだのである。
そういう点で一人で悪戦苦闘したが楽な面もあったのとふりかえるのである。
そして今では二人に感謝して供養している,恨むことも自分の場合はないのである。